Asahi Pentax SP

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2008年1月 オークションで落札

2008年5月 シャッター幕,ペンタプリズム交換,各部清掃,注油,調整完了


私が初めて触った一眼レフはアサヒペンタックスSPです。父が若い頃に買ったものだそうで,いつだったか「本当はニコンがよかったんだけど,高くてとても無理だった」とこぼしていたことを覚えています。余談ですが母は「これは出物だ,と知り合いに言われて無理して買ったようだが,要するに体よくだまされたということだろう」といってました。

事の真相は分かりませんが,いずれにせよ私が一眼レフに触れるきっかけがこの時誕生したことは間違いなく,感謝せねばならないでしょう。

子供の私には絶対に触らせてくれなかったその一眼レフは,すでに見た目の重厚さが強烈で,その後小学校高学年になった私は,ようやく使用を許可されてはじめて,見た目以上の重量感とヒンヤリした感覚を知ることとなり,これが本物の一眼レフなのかと感動したものです。原体験というのはまさにこのことでしょう。

現在の水準でも十分に使いこなしが難しく,ややこしい機械であったフルマニュアル一眼レフであるSPを,機械音痴であるはずの母でさえ手足のように使いこなし,動き回る小さな子供を被写体に,どんなシーンでも正確なピントと適性露出を涼しい顔で決め込んでいるのを見て,私は両親に対して畏敬の念を保っていたわけですが,「ややこしい機械はわからん」と及び腰の現在の母は,ひょっとすると私に遠慮しているだけなんではないかと思ったりします。

父はカメラマニアなどではなく,家族の記録を取ることを主目的としていた普通の人でしたから,やがて私が高校に入り,写真部に入部した親しい友人がフィルムの現像をいとも簡単にやってのけるのを見て写真に興味を持つようになると,タンスの中にしまい込まれたままだった父のSPは私の携行品となりました。

父のSPは,シャッタースピードも正確に出ておらず,コマ間隔のバラツキも大きかったことから,もともとそれ程程度の良い状態ではなかったのだと思いますが,それ以外のカメラを知らない私にとってはこれがすべてであり,自分でパトローネにつめたTRI-Xを大事に大事に,50mmのレンズ1つで周りの光を切り取っていきました。

街,景色,友達,先生,家族,学校,庭の草木,テレビの画面,本,当時飼っていた猫・・・10代後半の恐れを知らぬ稚拙な視線が,白黒のコマに焼き込まれています。当時,これが懐かしくなる時がやってくるのだろうかと,D-76で現像の終わったネガを眺めて考えたものです。

不思議と最新のカメラが欲しいと思ったことはなく,それほど私にとってSPというカメラは手に馴染んだカメラであり,どんな事でも出来ると信じて疑わないカメラでもありました。考えてみると絞り込み測光ですからどんな条件でも正確な測光が可能,自動露出ではありませんから被写体と露出計の振れから露出を決定するので,露出補正などというステップも必要なく,機械式カメラですから電池が長持ちで,仮に切れてもなんてことはありません。レンズだって50mm1本とはいえF1.4ですから,自分が動きまわればかなりのシーンで活用できます。

ホットシューがないので安いストロボを改造してシンクロコードを取り付け,アイカップは他の機種のものを流用,リバースリングで接写を試み,せめてレンズキャップだけでもと現行のものに交換し,白地に赤文字の派手なPENTAXのストラップを肩にかけ,36枚取り終えたTRI-Xを巻き戻しているときの充足感に酔いしれながら,毎日綺麗に磨いてから布団に入る,という生活を送っていました。

当時もよかったなあと思っていたのは,レンズが50mm/F1.4だったことです。これがF1.8だったり,55mmだったりすると,いわゆる大口径レンズによる絞りの開け閉めを学ぶことも,50mmという今日まで続く「標準レンズ」に対する抵抗を払拭することもなかったのではないかと思います。それに後玉の大きな透明なガラスの美しさにため息をつくのは,当時も今も変わりません。

ところがそのSPはドンドン調子が悪くなります。プリズムの蒸着が剥離し,ファインダーの真ん中に黒い帯が横たわるようになりました。心の眼でしのぐ毎日を送りつつ,シャッターが切れなくなったりするようになると,もうさすがにダメだろうと考えるようになります。この頃私は自分のお金でF3を買っていましたから,SPに対しての執着はほとんどなく,修理すると偽ってとっとと分解し,結局再起不能にしてしまいました。

考えてみるとこれは父親の持ち物ですからバレると当然怒られるわけで,その数年後に程度のよい中古品を見つけて,入れ替えておきました。このSPは手元にはなく,実家においてあるのですが,今考えてもこの時買ったSPの程度は抜群です。

F3を選んだ理由が,交換レンズの豊富さだったわけですが,M42は別の意味で豊富です。偶然手に入れ,修理することになったES2によってその事実を知ったとはいえ,SPを手元にも置いておこうとは思っていませんでした。

ES2を壊してしまった2008年初頭,修理中の落下事故で破損したメーターを手に入れたいとヤフオクで程度の悪そうなSPに入札を開始。入札してからメーターに互換性がないことに気が付いたのですが,こんな時に限って入札者が私だけで,結局入札開始価格の1000円で落札してしまいました。

届いてみると絞り込みスイッチにインジケータのない後期型で,へこみやひずみはありませんが,プリズムは黒い帯がありますし,シャッター幕にはなにやらへんな塗り物がなされています。操作感も渋く,汚れもひどい状態で,修理をしようと気になりつつ,億劫になってしばらく放置してありました。

シャッター幕の交換は,カメラ修理の一里塚です。いっちょまえに「カメラ修理をやってます」という人間がシャッター幕の交換もやったことない,ではあまりになめてます。だから,一度はやってみたいなあと思っていたのです。

シャッター幕の交換が必要な機械式カメラが目の前に1つある,交換用の幕はES2の部品取りから程度の良いものを外して調達可能,と条件的にやらない理由もなく,時間が出来た2008年5月に作業を始めました。

実はSP/ES系でミラーボックスを外したことが私にはないのです。いい経験だとミラーボックスを外し,クイックリターン機構やシャッター機構を観察しつつ,各部の清掃とグリスアップを行い,いよいよシャッター幕を交換します。

ES2から外したシャッター幕はすでにSPのものと同じ大きさになっていますし,リボンも付いていますから,前準備は必要ありません。幕をドラムにゴム系の接着剤で貼り付ける作業さえきちんとやれば大丈夫なはずです。

ところがこれがなかなか難しいのです。先幕については都合3回やり直しました。それでも最終的に狙った位置にきちんと貼り付けることも出来ず,妥協しています。

それでもなんとかシャッター幕を交換し,きちんとシャッターが走るようになってから,スローガバナーの清掃です。分解するのはリスクが大きいので,ベンジンにどぶ漬けします。こうすると,汚れは綺麗に落ちる上,ベンジンに溶け出した油分が全体に行き渡り,なめらかに動くようになります。そして最後に全体を組み立て,プリズムも少しはましなES2のものと交換して,完成させます。

シャッター幕のテンションを調整してシャッター速度を確認,案外きちんと速度が出ていることに気をよくして作業を進めます。露出計はグレイカードを使って調整するだけです。シャッター機構との連動はありませんから,メーターの指示をあわせるだけで完了です。

あとは塗装の剥げをタッチアップしてテスト撮影を行い完成です。

機械式のカメラですから,シャッター速度の相対値は割に精度が良く,それぞれの速度ごとの調整機構もありません。それでもなんとかなるのが機械式の良いところで,実際に撮影した結果は期待通りで,コマ間の露出がこれだけ揃うと気持ちよいです。

残念ながら操作感までは満足行くレベルに持っていくことが出来ませんでした。もちろん平均的な仕上がりにはなっていると思いますが,これがSPの実力だと思われると私はちょっと残念です。

M42で撮影するのに,ES2を使わずSPを使うケースというのは,実は今の私としてはほとんどありません。真冬の撮影ではES2は怖いですが,だからといってSPなぞ使わず,MZ-10なり*istDLにM42アダプタを使って持ち出すでしょう。だからSPを手に取ることは本当に少ないです。

でも,それはそれ,私の原点であるシルバーのSPは,眺めていると当時これを持ち歩いて走り回った記憶が甦るのです。


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