講座の中には,いくつかの歴史的名機が顔をのぞかせます。
アナログの名機,デジタルの名機・・・
読んでいるみなさんが,具体的なイメージを持てるようにと,少し詳しく紹介します。
1986年に登場した,初代のLA音源シンセサイザです。それまでアナログシンセかFM音源かという選択肢の中で,ついに登場したDX7の対抗馬でした。
アナログシンセを徹頭徹尾デジタル化した線形演算による合成,PCM片との組み合わせによって自然界のリアルな音から人工的な音までをカバーするハイブリッドシステム,音場までも音色の一部と考えたイコライザ/リバーブの内蔵など,明らかにこれまでのシンセサイザとは違う音と思想がそこにありました。
ローランドはこれまで,主にアナログシンセを作ってきましたが,この製品を期に完全にデジタルシンセのメーカーとなっていきます。
(写真はD-20)
D-50の後を受けて,1987年に登場した廉価版のLA音源シンセサイザです。当時は,25万円クラスがプロユース,16万円クラスがアマチュア用としてはっきりと世界が違っていました。
D-10/D-20が出るまでは,このクラスの製品にはJUNOがあったのですが,ヤマハなど廉価版へのFM音源の展開によって,すでに陳腐化した存在となっていました。
D-10/D-20はD-50のようなライブパフォーマンスを目的としたシンセと言うよりは,MIDIで接続したミュージックシステムの核となるようなコンセプトがあり,今で言うDTMをターゲットにしたものでした。32個のパーシャルを8chのMIDIに自動的にアサインするDynamic Voice Allocationなど,今は当たり前になっている機能が真っ先に搭載されています。
D-20はミュージックワークステーションを具体化した最初の製品でもあり,8トラックのシーケンサーと当時はまだ高価だったフロッピーディスクを持ち,D-10にも用意されたリズムトラックと併せてそれ1台でアンサンブルを完結させることができました。
音質は,MT-32のそれに近く,PCM片もD-50とはクオリティも低いため,ライブでは使用に耐えないシンセだと思います。余談ですが,D-20は私の最初の愛機でした。
D-50とほぼ同時期に発売された,LA音源の音源モジュールです。LA音源というのは32個のパーシャルを持つのですが,8chのMIDI信号に自動的にそれぞれのパーシャルがアサインされるようにしておくことで,同時発音数を有効に使用できるようになります。
ローランドではこれを「マルチティンバー」と呼んでいますが,LA音源は新しい表現力と共に,新しい発音方式も実現できたというわけです。
このMT-32は,69800円という低価格ながら,当時としては驚異に値する発音数とクオリティ,さらにデジタルリバーブまで内蔵した音源で,電子ピアノ補助音源として発売されたにも関わらず,同じ時期に盛り上がっていたパソコンの周辺機器として認知されはじめ,ゲームの外部音源としてはもとより,デスクトップミュージックの先兵となりました。
(写真はCM-64)
MT-32を中心に,MIDIインターフェースやソフトを同梱したデスクトップミュージックシステム「ミュージくん」の後を受けて「ミュージ朗」の同梱音源として開発されたのが,CMシリーズです。
パソコンと接続して使用されることが前提であったので,LCD表示などはなく,ボリュームつまみと2つのランプだけというシンプルさです。
CM-32LはMT-32から表示部やスイッチを取り外して価格を下げたもの,CM-64はCM-32Lにローランドが当時PCM音源として持っていたRS-PCM方式のプレイバックサンプラーをくっつけたものです。
特にCM-64については,同時発音数が最大64と,当時は最強を誇った音源で,その表現力もLA音源によるアナログライクな音とリアルなPCMサウンドが同時に扱えました。さらにPCM部はカードによって音色を拡張できました。
CM-32Lは,RS-PCMモジュールであるCM-32Pと組み合わせることでCM-64相当にすることが出来ました。
CM-64,CM-32L共に,発売早々から標準になり,数多くのゲームやシーケンスソフトが対応していました。
D-50以来続くLA音源を発展させた最上位機種として1989年に誕生しました。そのシルエットからRS-PCMキーボードであるU-20の兄弟機であることはあきらかであり,内容もSuper LA音源と言いながら,実はU-20にTVFを追加しただけともとれるものでした。
LA音源の特徴であるハイブリッドという性格は,事実上この機種から薄れていきます。
76鍵のキーボード,リアルタイムな音色の変化,豊富なコントローラ類や大型LCD,トーンパレットによる操作性の向上など,ライブパフォーマンスをねらったシンセサイザというのが,このD-70のキャラクターでしょう。ローランドのシンセサイザとしては,特殊な例を除けば,唯一音源モジュールが発売されなかったモデルであることからも,それはよく現れていると思います。
一方でマスターキーボードとしても使えるMIDI機能の充実,5パートのマルチティンバー,U-20と共通のRS-PCMカードで音色を拡張できるなど,MIDIシステムの核としても十分でした。
ただ,D-50以来の個性が薄れ,一方でコルグなど,極めてクオリティの高いPCMシンセ達に押され,非常にマイナーな存在であったことは事実でしょう。
D-70の後,ローランドのフラッグシップを担ったシンセサイザがこのJD-800です。Jはローランド伝統の名称,DはLA音源の名を引き継ぐ名称と,同社の姿勢が見て取れるシンセサイザです。
基本的にはプレイバックサンプラーでありながら,デジタルもここまで来たか,と思わせる分厚い音,ダイレクトに操作できるつまみやレバーとこれにリアルタイムに変化する音色と,ライブパフォーマンスに圧倒的な表現力を持っていました。
ローランドはこのシンセを境に,LA音源という名称を使わなくなります。システムが完全に変わってしまったからでしょうが,その音と思想には,LA音源がしっかり根付いています。
8音ポリフォニックアナログシンセ。国産シンセサイザの名機です。繊細で太く,他を邪魔しない上品な音でありながら,その存在感には圧倒されます。海外でも非常に高い評価を受けて,現在でも多くのミュージシャンが使っています。
特にストリングス系の音には定評があり,D-70などにも,そのサンプル音が入っています。
6音ポリフォニックアナログシンセで,JUPITERの廉価版モデルにあたるシリーズがJUNOです。VCOの数を減らしたり,早い時期にDCOの乗り換えたりと,コストダウンを目指していました。写真のJUNO-6はまだVCOが搭載されているモデルですが,音はJUPITERに比べて細く,チープさを隠すためにもコーラスが内蔵されていました。LA音源ののこぎり波は,どちらかというとJUNOの流れをくんでいるように思います。
JUNOはJUNO-6,JUNO-60,JUNO-106,αJUNOと進化していきますが,その座をDシリーズに譲ります。
アナログシンセでは新興勢力のローランドやコルグに大きく水をあけられた楽器界の老舗が満を持して放った,世界で最も有名なシンセサイザの1つ,それがDX7です。
演算によって音を発生させる,完全デジタル音源であるFM音源を搭載し,倍音を減らすことしかできなかったシンセサイザに,倍音を発生させるという新しい力を与えました。
今のような強力な演算能力がなかった当時,正弦波を記録したROMの読み出し速度を,別のROMに書かれた正弦波で変えてやるという方法で波形を歪ませるこの方式は,シンセサイザの世界を一気に半導体とデジタル信号処理の世界に引っ張り込みました。
16音ポリフォニック,アフタータッチ,MIDI対応,そしてもちろん6オペレータのFM音源と,ありとあらゆる面がプロスペックであり,それでいながら値段はアマチュア用の248000円。
このモデルから,25万円がプロ用シンセの価格になっていまいました。
音は,なるほど初期のデジタルの代表だけあって,細く,繊細で,鋭角的です。
DX7には兄弟機のDX9というのがあって,こちらに搭載された4オペレータのFM音源は,昔のパソコンに内蔵されたことがきっかけで,現在もパソコンの音源として使用されています。
世界で最初のアナログシンセサイザは,正弦波を加算して波形を合成する加算方式でした。しかしこの方法では加算できる正弦波に限界があり,それぞれの位相を合わせることも難しく,実用的ではありません。
この方式に終止符を打ったのが,電子工学のエンジニアであったモーグ博士です。
モーグ博士は多くの倍音をあらかじめ持っているのこぎり波や矩形波を発振させ,ここからフィルタで倍音を削除する,減算方式のシンセサイザを考案します。
さらに,音の3要素である音程,音色,音量をコントロールするそれぞれを別々のモジュールにまとめ,これらを電圧という共通のインターフェースでつなぎました。
こうすることで,音を作る道具,シンセサイザはシステマチックに編成されたのです。
博士は自らモーグ式と呼ばれたこのシンセサイザを作るべく,会社を興します。そこで作られた初期の壁のようなシンセサイザ群から,必要最小限の物だけをコンパクトにまとめたものが,写真のMINI MOOGです。
モノフォニックでありながら,3VCOによる圧倒的な厚み,独特の回路構成であるVCFが作る歪みと,現代のシンセサイザにはとても真似の出来ない音が飛び出す,今なお多くのユーザーが愛用している名機中の名機です。
DX7,D-50に続いて,御三家の1つであるコルグから登場したフルデジタルシンセが,このM1です。洗練されたデザインに,艶やかな音。これ1台でCM音楽やプリプロダクションを完成できると言われたほどに,他を寄せ付けない圧倒的なパワーを持って登場しました。
このM1にカバーできない分野はないとまで言われ,それぞれにシーンに応じてシンセサイザを選択するという時代は,ここに終わりを告げたのです。
しかし実際は,DSS1というサンプラーをベースに,この波形を大量のROMに焼き込んだ,プレイバックサンプラーでした。このM1によって,シンセサイザは「プレイバックサンプラー」としての道を歩み始めます。これは同時に,音色を作成することが前提だったシンセサイザが,プリセット音色で使われるようになったことの定着でもあったのです。
そして,この傾向は,アナログモデリング音源が一般化する90年代終わりまで続くことになります。