本当は夏休みに,大々的なリニューアルをやろうと思っていたんですよ。でも,結局出来ませんでした。せめて艦長日誌を新しいページにすることくらいはしないとまずいと思って,踏み切りました。これまでのものはこちらです。

今年最後
 ボーナスも出た事ですし,何箇月も前からしかったデジカメを買う事にしました。
 それまで使っていたのがフジのFinePix500というわりとメジャーなやつで,これはこれでそれなりに満足して使っていました。
 その前はチノンのES-2000という安物の(とはいえ3万円もしましたが)35万画素クラスのもので,これはコンパクトカメラの代わりにもならないどうしようもないものでした。
 FinePix500150万画素ですし,なんだかんだで結構重宝していました。画質もちょっとしたようとなら十分で,コンパクトカメラの代わりにはなってるなという感じです。
 ただ,このクラスのデジカメには酷な話なんですが,やはりレンズ性能が目に見えて悪いのです。
 個人的には,100万画素を超えるあたりからレンズの善し悪しがわかるようになってくると思います。FinePixではいわゆる周辺収差というやつが大きくて,まともに使える撮影エリアが狭かったのです。
 一方,私はマニュアルカメラが大好きです。自分で撮影条件を1つ1つ決めていく楽しさは,自分の意図が結果にダイレクトに反映するという意味で他に代わるものがありません。
 マニュアルの場合には「ファインダーで見えたものがそのまま記録される」一眼レフである事が必須なのですが,その意味でまじめに撮影する写真はニコンのF3に頼らざるを得ませんでした。
 確かに,F3で撮影したものをフィルムスキャナで取り込んだものが一番満足のいく結果が得られるのですが,手間がかかるのが難点です。
 最近のデジカメは,CCDのサイズを除けば銀塩に匹敵する画質のものが増えてきました。レンズ交換式のデジカメもいくつか売られるようになりました。
 それでも随分高価で,なかなか個人で買うには難しいものがありました。
 そこに偶然知ったのが,オリンパスのE-10です。400万画素一眼レフで,ニコンのD1に負けず劣らずの画質で,プロもサブ機に使うほどと聞いています。
 価格も下がっていて,新品を10万円ほどで買える店もあるほどです。
 これを,秋口からねらっていたんですが,ボーナスが出てから探したところ,在庫切れということがあって,買いそびれてしまいました。
 あきらめきれずに上位機種のE-20にしました。数万円価格が上がりますが,まぁ細かいところの改良もあって,値段分の価値はあると判断しました。
 荷物が届かないとか,購入後1週間で3000円も値段が下がったとかいろいろあったんですが,使ってみた感想です。
 まず,質感も含めて,高級な一眼レフカメラに匹敵しますね,これは。レンズもかなり良くて,その他露出モードも多彩で,自分の意図を反映するのがとても楽しいです。
 私はAF一眼レフを持っていないのですが,E-20の合焦速度の速さはなかなか良いもの我利,最近のAFの素晴らしさを知った次第です。
 撮影後の画質も,期待を裏切るものではありませんでした。そりゃ,銀塩のカメラに比べれば難しいものもありますが,デジカメでこれだけできれば,もういう事はないでしょう。
 ということで,銀塩からの移行を目指してかなり高価なデジカメを買ったわけですが,その狙いは大成功だったと思います。
 これで,お金を気にせず,どんどん写真を撮るプロセスを楽しめそうです。
 これも個人的に思うのですが,世の中の大多数のデジカメは,いくら高価でも,所詮コンパクトカメラはコンパクトカメラです。確かに多くて大変な一眼レフですが,その画質には良心的なものがあり,まじめに写真を残す事を考えている人や,写真を撮るプロセスが好きな人には,デジカメでも一眼レフをお勧めしたいと思います。
2001年12月31日 15時45分47秒

日本橋の戦利品
 ご無沙汰しております。
 実は私は,今実家に戻ってきております。実家は大阪ですんで,買い物といえば日本橋です。
 なんとまぁ中川無線が生鮮食料品を売ってたり,スタンバイが廃業していたり,そのくせユニオンは相変わらずだったりと良く分からない状況ですが,確実にヨドバシカメラやビックカメラの進出が影響していることは間違いないみたいですねぇ。
 弟に無理を言って車で連れていってもらった結果,今回の戦利品は,細かいところではEL&PのCDでタルカスなんかや,インターネット電話用のヘッドセットなどを買ってきたのですが,大物は2つ。
 1つは256MBのコンパクトフラッシュです。もちろんPC110で使います。
 128MBでWindows95を使ってきましたが,メール環境で毎日使っている私としては,そろそろ手狭になってきた感じです。
 後日かきますが,実はデジカメを買い直したので,256MBをPC110に,あまった128MBをデジカメにまわそうと,こういう訳です。
 秋葉原の安い店でノーブランドが11000円ほど,日本橋ではプリンストンのOEM品が11690円でしたか,安心料としてはまずまずでしょう。
 これ,買ってきて試してみましたが,実は今トラブってます。128MBからの移行は終わったのですが,使い始めてみると,時々電源が入らない事があるんです。
 きっと相性の問題なんでしょうが,もう少し調べてみない事にはなんともいえません。
 ただ,一気に倍の空間が手に入ったので,快適です。念願のNetscape4.05を入れる事も出来ましたしね。デジカメの方も快適です。
 もう1つの戦利品は,「デジQ」ってやつです。
 これ,赤外線を使ったラジコンの一種で,昔流行ったチョロQとほぼ同じ大きさで同じデザインの車に内蔵された2つの小型モーターで自由自在にコントロールできるおもちゃです。値段は約4500円。
 あのね,こういう小型のラジコンは,大きさの制約がきついので,結構機能的な妥協があるもんなんですよ。
 以前書いた「ビットチャージー」だった,超小型のラジコンカーですが,前進,後進。ステアリングの左右をスイッチ式に切り替えるもので,アナログ量のコントロールは出来なかったんですね。
 なぜかというと,ステアリング機構と駆動機構が別々にあったからなんです。
 この「デジQ」は,実はステアリグ機構はありません。ある野は後輪を駆動するモーターだけ。
 しかし,このモーターが左右独立で2つついていることと,そのモーターの回転をアナログ量でコントロール出来るようになっていることで,ステアリングもアナログでコントロールできるようになっているんですね。
 発売当時から話題になっていて,売り切れ続出だったようですが,ようやく手に入れました。
 これね,かなり面白いです。10分の充電で15分遊べるんですが,かなり自由にコントロールできるので,かなり満足度が高いです。
 ミニッツレーサーもかなり面白いのですが,同じような感覚です。
 おもちゃレベルではないことは確かで,これなら4500円というのも頷けます。
 テーブルの上で遊べるほど小さく,自在に操れる楽しみ。これは良く出来ていますよ。
 そんなわけで,ここ最近の小型ラジコンブームで,何を買おうか迷っている人は,お金があればミニッツレーサー,これは格が違います。後々まで本格的に楽しめますが,ちょっとライトに遊ぼうと思っているのであれば,デジQですね。
 しかしまぁ,いい時代になったもんですね。今の子供がうらやましい限りです。
2001年12月29日 02時31分21秒

街の性格
 気にしてない人は全く気にしていない問題ではあるが,気にしてる人にとっては非常に頻繁に耳にする,憂慮すべき事態にあるのが,秋葉原周辺の再開発の話です。
 夏頃ですが,駅前の駐車場が突然閉鎖になり,そうかと思うとここに都が秋葉原らしい拠点を置こうとしてみたり,山手線の高架の反対側にヨドバシカメラがかつてない規模で出店を突然発表したり,そうかと思えば秋葉原デパートが急に「撤退」したり。
 街は生き物ですから,どんどん姿や役割を変えていくことは当然あることです。
 秋葉原だって,高度経済成長で家電の街になったという経緯があります。
 だから,秋葉原=家電の街,という考えはあまりに早計です。
 秋葉原の家電店には,いくつかのルーツがあるのですが,1つは全国の家電店への卸を行う,問屋さんがお客さんへの小売りを始めたケース。もう1つは,戦後のラジオブームの時に,ラジオ部品を扱う部品店がラジオを作って売ったり,修理を引き受けたりして事業を拡大したケース。
 では,なぜ問屋さんが多かったのかといえば,それは,やはりラジオ部品が集まる街だったからですね。結局,モノづくりというところに集約されてしまいます。
 確かに,秋葉原の家電店は,郊外の安売り電気店に押されて売り上げが伸び悩んでいるようですし,パソコンだって,いわゆるメーカーものはカメラチェーンの台頭で厳しくなっているといいます。
 しかし,変わってないのは,相変わらずモノづくりに必要なものが手に入る街,これに尽きます。
 メーカーもののパソコンはどこでも買えます。秋葉原である必要はありません。しかし,バルクのビデオカードやDVD-ROMドライブや,珍しいケースやキーボードなどを探し回って手に入れることは,やはり秋葉原でしか出来ません。
 Macintoshの中古,ましてジャンクなどはまさに秋葉原でしか見かけませんね。
 中古パソコンの売買などというのは,まさに中古パソコンを集めることが重要。秋葉原という街だから,中古パソコンが集まってきます。だから中古パソコンを欲しいと思う人がまた秋葉原に集まる。だからまた中古パソコンが集まってきて,それがまた売れていく。こういう繰り返しが起こるのも,秋葉原という街が人を惹き付けるからです。
 真空管やIC,抵抗やコンデンサなどの部品だって,テスターやオシロスコープといった計測器もそうですね。こういうものが手に入る街として秋葉原は貴重ですし,また,それを期待してお客さんが全国から期待を胸に集まって来る訳です。
 つまり,秋葉原に集まる人々の嗜好から,そこに売られているものにはある種の偏りがあります。その偏りに属するものが欲しくなったら,渋谷や新宿を探すよりも,秋葉原に向かえば確実に手に入るわけですね。街の性格とでもいうんでしょうか。
 秋葉原も,家電の街からマイコンブーム,アマチュア無線ブーム,エレクトロニクス工作と,いわゆるホビーの聖地として機能してきました。その対象が,ゲーム,アニメ,フィギュアやプラモデルになってきているとしても,私は別に驚きもしませんし,嫌だとも思いません。自然な秋葉原の姿ですし,あるべき姿とも思います。
 これらホビーには,必ず「創造」という行為がついて回ります。モノづくりの好きな人間が,一日楽しめる街として機能していることが,秋葉原のあるべき姿なのです。
 それでいいじゃないですか。無理に家電の空洞化を憂いたりしなくても,客足が遠のくと言って嘆いたりしなくても。モノづくりにこだわるマニアが集まる街として秋葉原が存在すれば,私はその伝統は守られると思います。
 私は,秋葉原に行くようになって,まだまだ7年ほどしかたってません。小学生の時から秋葉原に通っていた友人たちをうらやましく思うのですが,逆にまだ見ぬ秋葉原に強烈な憧れを抱いていた小学生の自分を,そう簡単に否定されたくはない,という気持ちもあるわけです。
 街の性格・・・それはそうそう簡単に変わりはしません。
2001年12月17日 20時54分53秒

4382曲,合計時間14:00:45:11,22.64GB,385アルバム,219アーティスト
 いきなりですが,これ,私がiTunes2でMacに取り込んだ,音楽の数です。
 11月の中頃にiTunes2がリリースされ,こないだの日曜日に手持ちのCDのすべてをリッピングし終わりました。フォーマットは160kbps,VBRなしのMP3です。
 約1ヶ月,あけてもくれてもひたすらにリッピング・・・途中,HDDの容量が心許なくなってパーティションを切り直したり,366MHzのクロックに愛想を尽かして500MHzのCPUカードを買い直したり(それでも4倍程度の速度だったんで大変でした。最新のマシンなら9倍とか出ますので,2週間で済んだことになりますね・・・),iPodを買ってみたり,まぁ,いろいろありました。
 全部聴こうとすると14日もかかってしまうんですね,すごいです。少なくとも必ず一度は聴いたCDですから,私の人生の中で14日間は,ひたすら音楽を聴くだけの時間を過ごしていたことになるんですね。
 それでも,曲数にして4382曲と言いますから,5000曲はあるだろうと思っていた私の予想を下回りましたし,アルバム数385というのも全然少ないです。ざっと500タイトルはあるかと思っていましたから。(さらに悪いことに,iTunesでは2枚組のアルバムを2タイトルとカウントしますので,実際はもう少し少ないことになります。)
 iPodには,この1/4を持ち歩ける力があるということもちょっと驚きです。iPodへの転送は,曲を選ぶ作業が入った時点で「面倒くさい」になりましたから。30GBくらいのHDDが内蔵されるようになると,これはもうかなり面白いことになるということです。
 リッピングを1ヶ月続けて思ったことがいくつかあるのですが,1つは非常に懐かしい思いをしたということ。昔聴いたアルバムをもう一度聴いてみようと思ったり,結果昔と違う印象を持つことがあったり,あるいは「これってどんなCDだっけ?」と記憶が薄くなっているCDを聞き直すことができたり,「そういえばこれ買ったけど聴いてないかも」とか「こんなCD持ってたか?」と悩むこともあったり。
 逆に「そういえば持っていたはずのCD,見あたらないけどどこにいったっけ?」という疑問も何度か出てきて,その度に貸した記憶のある友人に電話する始末。結果私の「買ったつもり」だったに過ぎないことがわかるのですが,そのことでそのCDを探して買うという,とても幸せなきっかけを作ることができました。
 また,CDでは持っておらず,カセットテープやDATで持っているアルバムについてもライブラリに加えたくなり,そのためにまたCDを買うという事を何度かやりました。これも幸せですね。CDなんてのも,すぐに廃盤になってしまい,手に入らなくなってしまいます。欲しいと思った時には躊躇せず買う。これです。
 それでも廃盤になってしまっていて,買うことを許されなかったものも数点ありました。これは本当に残念なのですが,やはり中古屋を巡る旅に出るしかないんでしょう。
 で,最後にコストの話。ざっと1枚2500円と見積もって,枚数をかけると96万2500円・・・はははは,ど,どうしよう,こんなに無駄使いしてしまいました。
2001年12月12日 17時13分45秒

私のメディア遍歴
 メディア,媒体・・・非常に難しい言葉ですね。私もこの言葉が正しく理解できるようになったのは,随分大きくなってからでした。
 なんでもいいからとにかく記憶できることが条件なのは言うまでもないですが,一般にそれが交換可能であることも,メディアであることの条件のような気がします。
 これまでに,多くのメディアが生まれてきました。そしてその多くは,最初から流行らなかったり,過去のものになったりしているわけですが,私もいろいろなメディアをこれまでに使う機会に恵まれてきました。
 おや?と思うようなゲテモノもあるんですが,今回はちょっと振り返ってみたいと思います。

・レコード(LP,EP)
 生まれた時にすでにありました。

・カセットテープ
 正しくはコンパクトカセットですが,これは4歳か5歳の時に父が買ってきたテープレコーダが最初でした。なにせ自分の声を録音して,自分で聞くという体験をしたのもこれが最初です。
 その後,オーディオにどっぷり浸かった私は,特にテープで高音質を目指すことになり,価格や音楽のジャンル,デッキとの相性などでいくつもの種類のテープを使い分けるようになりました。その中で,磁性体や磁気記録に関する基礎的な技術を学びました。
 ついでにいうと,昔のパソコンはカセットテープにデータやプログラムを記録していたので,そこでも随分お世話になりました。

・8トラック
 カラオケでよく使われたテープですね。エンドレスになっているカートリッジテープなんですが,生まれはコンパクトカセットよりも古いんですよ。
 15分で1周するテープを4つのトラックに刻んで1時間の再生時間を実現していました。ステレオ化されて8トラックになったのが,この名称の由来ですね。
 これは,どういうわけだか,録音可能なデッキが我が家にはあり,それなりに馴染みがありました。音質は,テープ走行速度が速かったので,コンパクトカセットよりも良かったはずですが,後に追い越されてしまいます。

・マイクロカセット
 オリンパスが提唱したんですね,これ。テープの幅はコンパクトカセットと同じなんですが,走行速度を落としてカセットを小型化してます。
 私は,安物の留守番電話で体験しました。それと,ポケコンのデータレコーダでも使いましたかね。

・DAT
 今でもプロでは使われているディジタルメディアですね。DVDオーディオやSACDが出るまで,コンスーマーでは最高のスペックを誇る高音質メディアでした。
 これは大学時代に導入しましたが,目的はエアチェックでしたエアチェックなんて,今の人は知らない言葉でしょうね。FM放送を録音して保存することを言います。
 お金がなかった当時,FM放送は貴重な音楽ライブラリの原料でした。とにかくテープを回して放送をとり続け,後で編集するんです。そのマスターとしてDATを導入しました。それまで,コンパクトカセットでやってましたので,ダビング時の音質の劣化が激しかったのですが,DATにしてからまるで放送を直接録音したような,質のいいライブラリが出来るようになりました。
 ただ,困ったのは信頼の低さ,テープの寿命の短さです。10回ほど使うと,もうテープの端っこがくしゃくしゃになってしまって,音飛びがおこります。
 DATは強烈なエラー訂正に頼って,なんとか実用になったシステムですから,記録密度などを考えるとすぐにテープが駄目になってしまって,訂正能力を超えたエラーを連発するようになります。テープの物理的な破損にだけは,どうしても勝てません。

・NT
 ご存じですか,NTって?
 ソニーが発売したディジタルオーディオテープです。テープは両面使えるもので,そうですね,コンパクトカセットを「切手サイズ」まで小さくしたものです。実物を見ましたが,本当に切手サイズでした。
 32kHzサンプリング,12ビット非線形量子化というスペックですが,カセット1つで120分まで録音が出来ます。
 このNT,何がすごいって,その小ささも驚きですが,小型化を実現した新発想が強烈なんです。
 NTとは,Non-Trackingの略で,文字通り,トラッキングを行っていないんです。
 DATでは,回転するドラムにテープを巻き付けて,記録と再生を行っていますが,正確にトラックをトレースできないと,他のトラックを同時に読んだりしてエラーを起こしてしまいます。
 しかし,高密度記録を行うとトラックの幅が小さくなって,精度を出すのが難しくなります。DATでもかなりすごい精度で,その部品加工には大きなコストがかかってしまっていたわけですが,NTのサイズともなるとそれを越える難しさがあることは容易に想像が出来ます。
 そこでNT,逆転の発想です。記録密度を上げていって,トラッキングエラーが起こっても,それはそれで「よい」としたんです。
 そうすると,いわゆるエラーが起こってしまうのですが,NTでは,前後に読んだデータから,データを完全に復元。同じトラックを何度か部分的にでも繰り返して読みとることで,エラーを出さずに済ませることが可能になったんです。
 すごいでしょ?この発想,ちょっと私は驚きました。
 結果として,小型,長時間,そして高エラー耐性という,素晴らしい特徴を手に入れました。本当は部品の加工精度も低くて良いはずなんですが,そこはなにせ,あのサイズのテープですから,例えばドラムなどはかなり高い精度のものにならざるをえなかったそうです。
 実物は結局買わずじまいなのですが,何度も触る機会がありました。その度に感激したことを思い出します。
 なんでも,もともとは次世代ウォークマンを目指して開発が進んでいたそうなのですが,ソニーが社運をかけて開発していたMDとバッティングしたことで,会議録音用のテレコに甘んじて発売になったそうです。今はもう,見る影もありません。

・CD
 これは高校1年生の時に導入しましたね。まだCD1枚が3200円,同じ内容のLPレコードが2800円の時代です。高音質と言うよりは,利便性に憧れて導入を決意しました。いずれレコードはなくなる,そうなる前に自分の音楽資産を最初からディジタルで持っておこう,という意志も働きました。
 面白いのは,そのころ買ったCDが,ちゃんと今でもiPodに入っていたりすることですね。LPで粘っていても,今はあまり得るものがなかったことでしょう。
 ちなみに,その時に買ったCDプレイヤーは,実は今でもメイン機器として現役です。

・MD
 ミニディスクは,ちょうど私が社会に出る」少し前くらいに出たもので,フィリップスのDCCを応援していた私としては,MDが残ったことにちょっと残念な気持ちがあります。
 MDは,光磁気ディスクを使った録音可能な音楽メディアで,ディスクであることを生かした編集のやりやすさが売りでした。
 MDやDCCには,録音可能なディジタルメディアであること以上に,新しく大きな概念が導入された商品でもあります。
 それは,圧縮。CDやDATでは,非圧縮であったのが,ATRACにしてもPARCにしても,人間の聴覚特性に合わせた,非可逆の圧縮をリアルタイムで行うシステムで,これが最初にコンスーマーに投入された,最初の製品だったと思います。
 その後,MP3などが隆盛を極めるわけですが,そのきっかけとなったのが,この2つのシステムでした。
 一般的に,ATRACはロックやポップスに,PARCはジャズやクラシックに適していると言われ,後者の評判の方が良かった記憶がありますが,やはりテープであったこと,あと宣伝不足などもあって,主役になっているのはMDですね。
 私は1997年頃に導入しましたが,以外に不便だったのであまり使っていません。

・CD-R
 社会人になってから導入。640MBのMOと迷ったのですが,互換性の高さでCD-Rにしました。
 それまでの常識では,レコードや CDを作れる人というのは,一部の限られた人だけだったんですね。それがCD-Rによって,誰でもプロと同じものが作れる時代になりました。
 私は学生の頃から自分で音楽をやってましたから,CDを作るという事にものすごい憧れがあったんですね。それは今でも変わりませんが。
 CD-Rは,実は高校生の時に,大阪で開催されていたエレクトロニクスショーで始めてお目見えした時に,知っていました。太陽誘電が開発した基礎技術だったわけですが,それがここまで大きな存在になるとは,とても予想できませんでした。

・MO
 5.25インチのMOは職場で使ったくらいですが,3.5インチは出た当時から使っていました。大学の頃,いよいよ128MBのMOが登場すると言う時に,1800rpmの初期型のIBMのドライブをふとしたことから手に入れまして,これをMacで使っていました。
 このドライブ,信頼性はぴかいちで,つい最近まで使ってました。しかし,速度が遅いこと,新しいOSやフォーマッタでトラブルを起こす事が増えたことなどから,諦めました。
 まだフロッピーが主流だった頃に128MBというのは,無限とも言える広さでした。シャッターを開けるとキラキラ光るディスクが見えて,とてもワクワクしたものです。 
 今は結局640MBにしています。

・DDS
 DATをストリーマとしてバックアップ装置に転用したのが,DDSです。私はDDS-2は今でも使っています。便利なように見えて,2GB程度ですからたいしたこともできなく,それでいてDATですから信頼性が低く,個人的にはお勧めしません。

・VHS
 高校生の頃,近所の電気屋さんで,中古品を15000円で買ったデッキが最初です。映像を残すという事は,子供の頃からしたかったことなのですが,当時はビデオが30万円ほどもしましたし,両親はその必要性を感じていませんでしたから,結局高校生になって自分で買うまで,ビデオを買うことはなかったです。
 当時はVHS対βの闘いも決着がついていました。
 実は,βの初代機が出た時,1週間だけモニターに選ばれて我が家にあったのですが,ほとんど使われることなしに,去っていきました。だからβも体験済みといえば体験済みです。

・8mmビデオ
 VHSのカセットのでかさに突然ぶち切れて,衝動買いしたのが8mmのデッキです。カセットが小さいので保存は楽になりましたが,実はあまり画質は良くないのです。Hi8にしてもあまり良いとは言えません。小さなカセットで無理をさせているんでしょうね。
 事実,据え置きのデッキの信頼性の低さには定評があるそうで,私は5年ほど経過しましたがまだ壊れてはいません。そろそろ覚悟しないといけないですね。

・DVD
 まだまだ先の技術だと思っていたDVD,以外に速く一般的になりました。映画を買って帰るというスタイル,DVDの低価格化もあって,定着しつつありますね。
 DVDの導入は,プレイステーション2によってでした。映像にはそれほどこだわりもないので,別にDVDが欲しいとは思っていませんでした。
 しかし,PS2がDVDを見れるようにしてあることで,思わずDVDが使える人になったのです。
 DVDの良さは,確かにVHSに比べても,遙かに映像が鮮明であることですね。ただ次世代の規格が結構目前に見えていることもあって,今ここで大量のソフトを購入するのはまずいと考えて,控えめにしています。それにしても,3000円から4000円で映画が買えるというのは,いい時代になったものです。

・5.25インチフロッピーディスク
 これが私にとっての,最初のフロッピーディスクでした。X1turbo3というパソコンに搭載されたフロッピーディスクが,私たち兄弟をカセットテープの遅さ,信頼性の低さから解放してくれました。それはもう,とてもうれしかったですね。
 X1turbo3は,2HDのドライブを持っていましたから,2Dから2HDまでを一通り体験できました。
 後にX68000やPC-98RLを使うようになっても,5.25インチのフロッピーディスクはずっと使い続けることになります。
 今はもうないですね,さすがに。
 余談ですが,化成バーベイタム製のフロッピーは,なぜか表面にカビがつきやすく,そうなったディスクは死んでしまいましたし,知らずにそれをドライブにかけると,ヘッドが死んでしまいました。懐かしい思い出ですね。

・3.5インチフロッピーディスク
 当時ワープロなどで徐々に見るようになった3.5インチでしたが,私にとってはあの堅いケースや金属のシャッターが,いかにもコンスーマーで軟弱な感じがしてたまらなく嫌でした。
 ただ,D-20というシンセサイザーを手に入れて,そこについていた3.5インチフロッピーディスクドライブには,ライブでも随分お世話になりましたね。
 その後Macintoshに乗り換えてから,フロッピーディスクといえば,こちらを示していました。

・クイックディスク
 当時非常に高価だったフロッピーディスクの利点を持つ,とても安価なメディアとして登場したのがクイックディスクです。ミツミが開発したんですよね。
 直径2.5インチで,スパイラル記録,片面64KB,両面が使え,1枚500円とカセットテープなみ,64kBのロードにわずか10秒ほどという,当時としては革新的なメディアでした。
 後にファミコンのディスクシステムにも使われますが,私が手に入れたのはMZ-700の中古にQDユニットがくっついていたことが始まりです。
 そのMZ-700も今は手元にありません。

・2インチフロッピーディスク

 ソニーが開発したフロッピーディスクですね。CDと同じ強力なエラー訂正をかけて,2インチのサイズに1.2MBと2HD相当の容量を詰め込んだディスクでした。
 一部のワープロで使われたのですが,すぐに消えてしまいました。
 私は一時期,ソニーのワープロを使っていた時期があって,これに搭載されていた2インチフロッピーディスクもちゃんと使っていました。

・8インチフロッピーディスク

 いや,私が所有していたことは一度もないのですが,ちょっと使ったことがあって,その時はえらく感動したんですよ。
 PC-8801,PC-9801というマシンの流れでは,5インチ2HDと8インチ2Dは,全く同じフォーマットであり,かつ同じインターフェースで接続できました。もともと5インチ2HDが8インチ2Dと同じ仕様で作られたものなので,当然といえば当然です。
 で,昔,初代PC-9801に8インチドライブを接続し,これに当時最新だったMS-DOS3.3Dを入れてみたところ,ちゃんと動作したんです。
 いや,これには正直感動しました。8086-5MHz,メモリは一応640KBにしてありましたが,1982年のマシンが10年以上たった最新のOSで動くというのは,ちょっとすごいと思いました。当時のNECが,いかに過去のマシンを大事に考えていたのか,その互換性の維持に懸命になっていたのか,よくわかった気がしました。
 裏を返せば,10年以上,進歩がないとも言える訳ですが,MS-DOSを動かすということに関して以外には,例えばCPU速度や,グラフィックを高速化するEGCなどを搭載してましたので,そこをあえてDOSでは使わないようにしていたというところに,ちょっと感慨深いものがあったわけです。

・コンパクトフラッシュ

 ザウルスの導入が1998年頃でしたので,その時に買いました。32MBだったのですが,随分高かった覚えがあります。
 フラッシュメモリが安くなり,ストレージとして有望であることは知っていましたが,小さくなることについてはあまり意識がなく,コンパクトフラッシュのサイズについても,最初に手に入れた時には驚きました。ここに32MBの記憶が出来るとは・・・
 PC110でWindows95を走らせるために128MBのコンパクトフラッシュを買ったことが今のところ最後ですが,これも4万円近くしたので,今は256MBでも12000円ほど。安くなったものですね。

・スマートメディア

 東芝が自社のNANDフラッシュメモリを,カード型にパッケージすることで新しいメディアにするという発表をした時には,これはコケるなと思いました。
 実際,扱いがやや難しく,互換性がいまいちだったりしたのですが,価格の安さ,そして富士フイルムとオリンパスのディジタルカメラが採用したことで,実はメモリーカードの中でもトップシェアを持っていました。
 私も,ディジタルカメラで始めて使い始めたメディアでして,価格の安さもあって好きなメディアです。ただ,互換性がやや悪いことは,私も何度か泣かされました。
 そろそろ,この規格そのものが寿命なのかな,という気がしますね。

・マルチメディアカード

 老舗のサンディスクと,ヨーロッパの巨大メーカーのシーメンスが一緒になって作った切手サイズのフラッシュメモリカードですね。実は,SDカードはこのMMCをベースに作っているので,SDカードスロットにはMMCがささります。
 私は,ポケットポストペット用にMMCを買いました。SDよりも高価なんですね,やはり数が出ていないこともあって。

・メモリースティック

 MMCよりも大きく,スマートメディアよりも小さい。なかなかいいバランスで登場したのがメモリースティックですが,やはりアクセスが遅いことは致命的じゃないでしょうか。
 個人的にはあまり好きなメディアではありませんが,すばらしいのは,他社が「入れ物」として考えているメモリカードを,各機器間で情報を共有する手段として位置づけられていることですね。
 メモリースティックは,その中身に関することまで規格化されていて,そのフォーマットに従えば,他の機種でもデータを使うことが許されています。これは新しい考え方ですね。

 まぁ,そんなわけで,これまでにいろいろなメディアを使ってきましたが,思うことは一度そのメディアを導入してしまうと,なかなか移行できなくなってしまうということをいつもいつも痛感するということですね。
 万能のメディアがないだけに仕方がないのですが,いろいろ試してみるのも,また楽しいものでもあり,痛し痒しです。
2001年12月10日 15時07分36秒

QuickTimeがもう10年になるのか
 先日ですが,QuickTImeの10周年記念イベントが開催されました。
 QuickTimeは,おそらくAppleが作った技術の中で,最も多くの人にAppleという会社と共に認知されている技術ではないかと思います。
 QuickTimeが始めて世の中に出てきて,もう10年になるのですか。早いものですね。私が始めてquickTimeに触れたのは,まだMacintosh SE/30という一体型のマシンを使っているころでした。当時としても非力なマシンだったSE/30で,アポロがロケットを切り離す瞬間をとらえた映像が,白黒2値で動いていたのを見てちょっと感動した記憶があります。
 ただ,当時の私にとってQuickTimeは動画を扱う仕組み,という程度に考えていたに過ぎません。当時のパソコンでも,音や静止画は扱えるようになっていましたから,それらと同列に動画が扱えるようになったんだろうと思っていたわけです。
 この考えは,ある一面では正解でしょう。しかし,全く足りません。
 QuickTImeがもたらした世界は,「統一された時間軸の再現」です。
 これはどういうことかというと,高速なマシンでも,低速なマシンでも,メモリがいっぱいあるマシンでもないマシンでも,とにかくどんなマシンでも同じ「1秒」という時間を保証する,ということなのです。
 実は,QuickTimeが出るまでのパソコンは,1秒を保証できませんでした。もちろん,リアルタイムクロックが内蔵されていれば正確な1秒が用意されていました。でも,その1秒をCPUがきちんと扱えたかというと,それは出来なかったのです。
 QuickTimeには,それを可能にする技術が中心に据えられています。これによって,どんなマシンでも同じ絶対時間としての「1秒」を共有することができるようになったのです。
 どうも,こんな高尚な発想からQuickTimeが生まれた訳ではなさそうで,やっぱり始まりは動画を扱うフォーマットの作成だったようです。
 ところが,速いマシンと遅いマシンで同じ動画を再生すると,同じ1秒の動画でも遅いマシンは1秒以上の時間をかけて再生してしまうのですね。コンピュータは生真面目ですから,30コマの絵を出せといわれれば,どんなに時間がかかっても30コマの絵を出すまで処理を止めません。
 ところが,人間の目というのは,目の残像によって動いているように見える24コマ/秒よりもコマ数が落ちたとしても,認識の段階で間のコマを補完します。間のコマは,前後のコマの連続性によって補ってくれるんですね。でも,1秒で起こっていることは絶対に1秒で終わってもらわないと,人間はそれが1秒かかったことなのか,2秒かかったことなのかを相対的に知る力がないので,絶対時間をきっちり守らないと駄目なわけです。
 だから,人間にとって重要なのは絶対時間であって,コマ数を保証することではないのです。
 人間が扱うデータというのは,概してそういう傾向があります。同じディジタルデータであっても,プログラムは1バイト化けると使い物になりませんね。これは100%の制度を要求される性質のものです。優先度が精度なわけです。
 しかし,同じディジタルデータでも音楽なら,1バイト化けていても使い物になります。大事なことは世界中どこでも,そのデータが持つ時間情報が等しいということ。つまり優先度は時間です。
 コンピュータと人間(生物)との間には,データの持ち方に,これほど根本的な違いがあります。そして,QuickTimeが出るまでのコンピュータは,人間に歩み寄ることは出来なかったのです。
 QuickTimeが,時間軸を保証するために行った技術として,間引き処理があります。1秒間で24コマの動画を再生する時に,あるコンピュータは1秒間に12コマしか再生する能力がないとすれば,1コマおきに再生すれば1秒になります。でも,そのマシンがその時の状況の下で,何コマ再生できるかなど,正しく知ることなど不可能です。
 QuickTImeでは,これを動画を再生しながら調べて,最も適当と思われるコマ数を間引くことに成功しています。こうやってコンピュータに,生物と同じ処理能力を与えた事は,実は大きな飛躍なのです。
 もしQuickTimeが生まれてなければ,バンド幅を固定した値で確保できないインターネットで,動作のストリーミングなどは行われなかったと思います。
 QuickTimeがさらに進化を遂げたのは,Version3になってです。音楽,映像,MIDI,スプライトなど,時間軸上に並ぶあらゆるものを,同列に並べることが出来るようになったのです。
 すべてが人間と同じ価値観で進むこと・・・この発想の転換がQuickTImeの最大の功績です。
 また,QuickTimeはあらゆるコーデックを飲み込むことで,圧縮と伸張という数学的な世界を,やはり時間軸上においてしまいました。これも非常に大きな概念の変化でしょう。
 10年前に生まれた若い技術が,以降不可欠な技術になっていることは,コンピュータの世界では珍しくありません。しかしQuickTimeが他の技術と違って非常に大きな影響を与えていると思えるのは,時間軸上の固定がなされたことで,CPUメーカーはCPUをただただ高速化することに専念できましたし,OSメーカーやアプリケーションのメーカーは,時間のことは気にせず,機能を追加して使いやすくすることだけを考えていれば良くなったわけで,その意味ではコンピュータのあり方や,開発のベクトルをも牛耳ってきたということになるのではないでしょうか。
 QuickTimeそのものが今後どうなるかは分かりません。しかし,コンピュータがより人間に歩み寄る時に,必ず進化を遂げる技術であることを考えると,ますますこれをうまく使って行く必要があるなと感じます。

 
2001年12月06日 14時58分15秒

ギターの弦を替えました
 ギターの弦を替えました。
 若い頃とは違ってさっぱり上達しないエレクトリック・ギターですが,下手は下手なりに,演奏をすれば随分と楽しいと思えるもので,焦らずボチボチやっていこうかなと思っています。(こういう気持ちで楽器を演奏するのって,実は初めてです。)
 私の専門であるシンセサイザー,それもディジタルのものは,メンテナンスフリーです。いつプレイしても,同じ音が出てきます。でも,ギターなんてものは生き物ですから,メンテナンスが不可欠です。
 裏を返せば,メンテナンスをしてやれば,きちんと結果を返してくれるということでもあるわけで,その昔フォークギターを一日数時間必ず弾いていた頃に,弦を張り替えたばかりのギターが出す「しゃららーん」という澄んだ音は,今でもわくわくするものがあります。
 エレキギターのような電気的な処理が入る楽器でも,やはり弦を張り替えた後の音には独特の清涼感があり,音の伸びが違ったりするのにはうれしくなります。
 それに,演奏しやすい。出来ればいつも新品がいいですよね。
 しかし,実際は年に数回交換する程度。面倒というのが理由ですし,弦を買いに出かけるのがまた面倒。ついでに買えばいいと思うのですが,ついでではいつも忘れてしまいます。
 ところが,先週の末,ある楽器屋をふらふらと見ていたら,ギターの弦が安売りされていました。
 滅多に交換しないものだからと,外国製のものを奮発していたわけですが,そこにあるのは3セットで780円の日本製。
 安物の弦はすぐに劣化するし,切れやすいのであまりいいとは思いません。でも,劣化しきって錆びてしまったものよりは,いくらかましでしょう。
 3セットもあれば買いに行く手間も省けるし,安いから気軽に交換できるというので,買ってみました。
 恥ずかしい話ですが,エレキギターの弦を替えた経験は2,3回程度です。フォークギターならいっぱいあるんですけどねぇ。そんなわけで,今回も不慣れな手つきで,緊張してやることになりました。
 具体的な手順を書いてもつからないので割愛しますが,何の問題もなく交換が出来ました。
 早速音を出してみると,やはり新品の弦はいい音がしますね。指もよく動きます。楽しいです。
 ただ,劣化も早く進むでしょう。そのつもりで,次は早めに交換したいと思います。
2001年12月05日 16時21分59秒

FireWireでCD-Rを焼く
 先週末には,また散財をしたんです。私の散財というと,どうもアキバです。
 いや,これはですね,理由があるのですよ。
 私は昨年3月末から,MacOS Xに徐々に移行を進めていますが,CD-Rを焼くという作業に関して言えば,やはりMacOS 9に頼らざるを得ません。
 私はCD-Rについては,CD-RWが出始めたころ,リコーのMP6200Sというものを大事に使ってきました。書き込み速度2倍速,読み出し速度6倍速なんですが,安定した書き込み能力ととても静かなこと(2倍速なら当たり前ですね),それと消費電力が小さいことが気に入ってました。あまり普通の人には関係ないかも知れませんが,CD-RWドライブが5V単電源というのは,なかなか出来るものではありません。
 それでオーディオCDを作ったり,HDDのバックアップを取ったりといろいろ活用してもう5年近くが経過しています。
 買った当時は,3年もすればレーザーダイオードの出力が弱って,正常な書き込みなど出来なくなるだろうと思っていたのですが,そんな気配もまだありません。元気なものです。
 しかし,大きな問題が出てきました。MacOS XではSCSIのサポートがないのです。MacOS XでCD-Rのライティングソフトが出れば問題はないでしょうが,出そうなのはToastという定番のものくらいで,これはこれで結構高価です。
 要するにMacOS Xとこれが動作するマシンにおいて,SCSIというのはADBやシリアルポートと同様に,レガシーであるということなのでしょう。
 これはまた正しい判断であり,秋葉原を回っていればSCSIの周辺機器に巡り会うことも少なく,出会えたとしても「えっ」と思うほど高価になっているんです。
 そもそも,SCSI信奉は日本特有の現象でして,海外でSCSIというとサーバー以外に使われる例がほとんどありません。個人レベルでSCSIを持つことは普通ではあり得ないのです。
 日本では,AT互換機が上陸するのが遅かったこともあり,そのころ市場を席巻していたPC-9801やMacintoshで当たり前のように使われたSCSIが,長い間事実上の標準であったことが最も大きな理由でしょう。
 で,MacOS Xには,最近のOSらしくCD-Rを焼く機能が標準装備されています。エンジンはToastと同じものといいますから,なかなか優秀なんでしょうね。
 ところが,MacOS XがサポートするCD-Rドライブは,USBかFireWireだけなのです。SCSIも認識してくれればうれしいのですが,自分でカーネルエクステンションを作るほどの根性もなければ,それをサポートするようにアプリケーションを揃えるのもばかばかしい話です。
 ちょうど,HDDの中にゴミがたくさんたまり始めた時期でもあり,高速にバックアップを取る必要に迫られました。MacOS 9と2倍速のCD-Rでシコシコ焼くという手もありますが,出来れば洗練されたMacOS Xですべての問題が解決すれば,非常に好都合です。
 思い立ったらすぐ行動。確かアキバにはIEEE1394とIDEを変換する小基板が売られていました,価格は4480円。バルク品ですが,微妙なお値段です。とはいえまともな商品なら1万円はすると思います。Oxford製のブリッジチップがのっています。MacOSX 10.1.1でアップデートされたポイントが,このOxfordのブリッジへの互換性向上だったりしますから,まぁ安心です。
 これに組み合わせるには,昔から欲しかったプレクスターのCD-Rドライブを選びました。16倍速でも1万円ちょっと,24倍速でも17000円ほど。確かにリコーやTEACの20倍速なら9000円ほどですし,ヤマハの20倍速が1万円ほどで買えます。台湾製なら6000円ほどで買えてしまうんですから,安くなったもんです。
 しかし,40倍速のCD-ROMドライブを買って使ってみて,その質実剛健さと安心感には離れられないものがあって,CD-Rのようなやり直しのきかないものであれば,少々高価であっても,プレクスターにしたかったのです。
 問題は,MacOS Xに対応しているのかどうか。確か,iTunesの説明にはプレクスターのドライブが対応済みとあったような気がするなぁ・・・というあいまいな記憶で,24倍速の最上位機種を購入。わくわくします。
 余談ですが,プレクスターのドライブってバルク品が出てないんですね。他のメーカーは軒並み出ているのですが,私が見て回った10件ほどではありませんでした。
 どうせ動作保証外のことをしますし,Windowsでは使いませんので,ソフト類は全く必要ありません。ちょっともったいない気もしましたが,リテール品を買いました。16800円だったと思います。
 家に帰って早速テスト。ドライブに変換小基板を差し込み,FireWireに接続します。お,MacOS Xでは一応認識してるみたいだ。CD-ROMがとりあえず読める。次にDiskUtikityでCD-RWを初期化することも成功。おお,まずは第一関門突破。よかった。
 次にFinderから「CDを作成」を選ぶ。これが選べるというのは,ドライブを認識しているからです。
 ファイルをコピーし,書き込みを開始・・・エラーが出ます。おかしなフォーマットと言われてしまいました。
 やられた,駄目か。
 試しに,他のファイルを書き込んでみると,お,書き込めたじゃないか。
 少なくとも書き込みが出来たということなので,MacOS Xでこの24倍速のドライブはちゃんと使えることがわかりました。
 翌日調べて分かったのですが,書き込めなかったのは,ファイルネームがなにかの都合で特殊文字になってしまっていたのが原因でした。CD-Rはおろか,ディスクイメージにもコピーをするとエラーで止まってしまうようなファイルでした。
 しかし,この方法では書き込み速度などの設定が出来ません。MacOS 9でも試してみることにしました。
 MacOS 9では,BHA者のB's Recorderを使っていましたが,これのUSB&FireWire版のものをインストールし直し,試してみます。おお,きちんと認識します。書き込みもテストは出来ました。(翌日実際に焼いてみましたが,全く問題はありませんでした。)
 MacOS Xに戻って,今度はITunes2でCDが作れるかどうかを試します。これは失敗でした。書き込み可能なデバイスが見つかりません,と怒られてしまいます。
 そんなわけで,iTunes2は対応待ちですね。
 次に,MacOS XのDiskCopyでCD-Rが焼けるという事を知ったので,試してみます。まず,DiskCopyでディスクイメージを作ります。650MBのイメージを作ったら,これをマウントしてファイルをコピーします。
 そうそう,Windowsの人には,どうしていきなりファイルを焼かないのかと疑問に思われるでしょうが,ここがMacの面白いところで,MacintoshのフォーマットであるHFSやHFS+というのは,ボリューム単位でしかCDを焼けないのです。
 コピーが終わったらマウントを解除して,DiskCopyから「イメージからCDを作成」を選択し,さっきのイメージファイルを指定すると,書き込み設定のダイアログが出てきました。
 書き込み速度,ベリファイをするかどうか,テストをするかどうかがとりあえず選択できます。
 早速試してみましょう。最高速度を設定します。
 ブーンとすごい音が鳴って,CD-Rが焼け始めます。時々書き込みランプが止まってしまうのですが,どうもこれは転送レートが追いつかなく,いわゆるBurnProofが機能しているようです。それでもエラーにならないというのは,なかなかすごいドライブです。
 考えてみると,普通なら転送レートが間に合わなくても,間に合うようになるまで書き込みを一時中断して,書き込みエラーが出ないようにするのが普通の感覚だと思うのですが,一方でミクロンオーダーの小さなピットを,中断したところから続けて書き続けるなんてこと,よくもできるもんだなと感心します。私は一応,CD-ROMドライブの設計にも関わったことがある人間ですが,CDを知る人間にとってこのBurnProofという技術は,実はとんでもないものなのです。
 手元にあるメディアがやや古く,16倍速までしか使えないものなので,今度は16倍速で試します。今度はBuroProofは働いていないようです。時間を計ると,きっかり5分で書き込みが終わっています。昔,セッションのクローズだけでも2分半かかっていたのに,大したもんですねぇ。
 そんな訳で,プレクスターの24倍速ドライブは,私のやりたかったことをとりあえずちゃんと出来るようにしてくれました。iTunes2での書き込みは,別にいいや。
 総括すると,FIreWireはさすがにSCSIの後継として生まれただけに,速度も信頼性もばっちりだということ,ケーブルも細く,コネクタも小さい。素晴らしいと思います。
 それと,CD-Rを書き込み機能がOSの機能として搭載されていることのありがたみを感じましたね。フロッピーやMOなど,OSでコピーが出来るのが当たり前なんですが,CD-Rだけ別というのは,普通に考えるとおかしな話です。もちろん,書き込み方法やフォーマットを考えればそれは当然なわけですが,私のような旧世代の人間は,それが当然と思ってここまで生きてきましたし,OSへの統合がなされてもそれが便利だとは思ってませんでした。
 が,今回,ファイルのコピーからごく自然にCDを作ってしまうことを体験して,非常にいい物だなと思いました。やはり,ファイルの管理は,ハードディスクであろうとCD-Rであろうと,同じレベルで行われるべきです。いちいち書き込み専用アプリを起動して云々というのは,やはり面倒くさいです。
 これでまた1つ,MacOS Xで仕事が出来るようになりました。相変わらずMacOS 9でしかできないこともありますが,普通にすることの多くはMacOS Xで可能になってます。考えてみると,私はもうMacOS Xに慣れてしまったんだろうなと思います。MacOS 9が面倒くさいと思うことが多くなったのも,きっとそれが原因でしょう。
 こうして,きっと手に馴染んでいくのでしょうね。
 
2001年12月04日 21時21分57秒

天才がまた一人いなくなった
 もう皆さんご存じのことと思いますが,ビートルズのメンバーの一人で,ガンと戦い続けたジョージ・ハリスンが亡くなりました。58歳でした。
 以前から,ビートルズのプロデューサであったジョージ・マーティンがリークしたりと,なにかと危篤状態であることが報じられてきただけに,ファンも心の準備が出来ていたようです。
 このあたりがジョン・レノンとは違うところで,当時小学生だった私でも,ジョン・レノンという偉大なミュージシャンが暗殺されたということくらいは,なかなか消えない記憶となっています。
 ジョージ・ハリスンといえば,ビートルズでは一番年下で,ポール・マッカートニーとジョン・レノンという巨大な存在に挟まれて,どうも影の薄い人だったという印象があるわけですが,能力的にも年齢的にも,ビートルズという組織はジョージにとって,いささか窮屈な場所だったのではないかと思います。
 私も,音楽をまじめに聴き始めるきっかけも,楽器を始めるきっかけも,みな中学生の時に触れたビートルズでしたので,随分マニアックな音源なども手に入れているのですが,個人的にジョン・レノンに傾倒したこともあり,やはりジョージの存在はそれほど大きいものではありません。
 そんなですから,彼に対するイメージは「エリック・クラプトン」「電子音楽の世界」「ワンダー・ウォール」「マハリシ・ヨギ」「バングラデシュ救済コンサート」なわけですが,こうして並べるとどうもサブカル臭いんですよ。(クラプトンはそうでもないが)
 そうそう,「Revolver」というアルバムでは,当時中学生だった私は,「TAXMAN」と「LOVE TO YOU」の落差にちょっと腰を抜かしました。
 で,これらを遙かに越えた印象というのがあって,それは「Something」です。
 アコースティックギター(当時はそんな気の利いた名前はなくて,フォークギターです。)を始めた頃,私は好きだったビートルズの曲を片っ端からコピーしていました。とはいえ,コードブックを見ながら,ただコードをかき鳴らすだけという,いかにも中学生的なコピーだったのですが,3コードを覚えると,世の中の音楽がこの3コードで大体プレイできることに気が付きます。
 で,I saw her standing thereやらBack in the USSR,Get Back,はたまたLet It BeやHey Judeをたった3つのコードで下手なりに演奏していたわけですが,どうしても,どうしてもコピーできない曲がありました。
 それが,Somethingです。
 キーはC Majorです。一発目の1小節はCなのですが,次の小節が???だったのです。明らかにCという感じがするのですが,なんというか,アンニュイな雰囲気のコードは7thでもないし,その次の小節がC7で,その次がFですから,私が知っているコードで入りそうなものはどう考えてもありません。
 困ったところで,コードブックを再確認すると,「Cmaj7」とあります。なんじゃ,こりゃ・・・
 指示通りにフレットを押さえて,じゃららららーんと弾いてみます。
 おお,これだ,この雰囲気だ!
 これが,私のmaj7コードとのファーストコンタクトです。以後,私は,このmai7コードの虜になりました。私の音楽世界の中で,最も重要な和音が,このmaj7です。
 後で分かるのですが,Somethingでは,C -> Cmaj7 -> C7 -> Fと進行するコードにおいて,大局的にCからFという大きなへの変化の過程で,その変化を緩やかに進める手法として,機能しているのですね。
 Fというコードを使いたい時,Fの前に置くと有効なコードの1つに,Fをキーとした場合のV7として機能するC7を置くのがあります。
 ところが,CからいきなりC7に移行するのは,CメジャースケールにないBbを加えねばならず,ここに少なからず聞き手に思った以上の変化を期待させてしまいます。
 そこで,CとC7の間に,Cmaj7を入れてみます。Cmaj7は,Bを加えた和音ですので,CともC7とも親和性があります。C7にいきなり行かれるよりもずっとなめらかに変化しますので,聞き手に独特のゆったり感が生まれます。これがSomethingの特徴です。
 maj7というコードは当時はなかなか珍しいコードで,同時代の人ではビーチボーイズのブライアン・ウィルソンがその大家とされていますね。
 ポールとジョンは,互いに影響しあっていましたから,どちらの楽曲にも相手の音楽を意識したコード進行があったりして面白いのですが,不思議とジョージの曲,特にSomethingはポールにもジョンにも,似たような曲を作らせることはなかったようです。
 Somethingはシングルカットされましたが,B面でした。(あ,昔のレコードは両面に1曲ずつ吹き込んであるのが普通でした。A面はタイトルチューンで,裏返さないと聴けないB面は,オマケのような感じでした。B面の曲名の前に付くことがある「C/W」というのは,Coupling Withの略です。)
 それでも,Somethingを耳にして腰を抜かした評論家やファンは多数で,ポールとジョンの思いとは別に,ジョージの実力を一気に知らしめた,まさに名曲と言えると思います。
 インドへの傾倒は,結局4人のうちで死ぬまで続いたのはジョージ一人でしたし,シタールというインドの民族楽器が広く知られるようなったきっかけも,ジョージ自身が演奏することがあったからではないかと,思います。
 そんなジョージも,ここ最近は残念なことに,ガンに体を蝕まれていました。一時は復活を遂げたのですが,やはりだめだったようです。
 ポールのようなバイタリティも,リンゴのようなのどかさも,ジョンのようなカリスマ性も,確かにジョージにはないかもしれません。しかし,いわゆる「ビートルズ兄弟の末っ子」の死は,表面的ではない,深い深い悲しみを,改めて我々に感じさせてくれます。これもジョージらしさではないでしょうか。
 ともあれ,ご冥福をお祈り致します。そして,お礼を言いたいです。
2001年12月03日 16時53分47秒

かわいいスパコン
 スーパーコンピュータ,という言葉に対して,皆さんはどんな印象がありますか?
 よく言われる事なのですが,10年前のスーパーコンピュータと今のパソコンとを比べると,今のパソコンの方がずっと高性能になっている,とか耳にしますよね。
 だからといって,10年前のそのコンピュータは,やはり「スーパーコンピュータ」なわけです。今のコンピュータに負けているのに,それでも「スーパー」なわけです。おかしいと思いません?
 で,私はスーパーコンピュータの定義を,自分なりに考えました。

・ベクトル型であること
 ベクトル型コンピュータというのは,同時に複数の計算を行う並列計算機の一種なのですが,足す,引く,かけるなどの計算の方法はすべての式に共通で,その値だけが異なっているという計算機のことを言います。
 我々が使っているコンピュータは普通「スカラー型」といってまして,これは計算方法もその値もバラバラに取れる,というものをいいます。基本的には同時に複数の計算は出来ません。
 じゃ,ベクトル型コンピュータの方が制限が多いだけ良くないものなのか,というとそんなことはなくて,行列計算を行う場合にとにかくたくさん計算することになる足し算とかけ算が入り混じった計算(積和演算といいます)には,いちいち計算方法を記述することがない分,ものすごく高速に計算が出来ます。
 そもそも,ベクトル型スーパーコンピュータは,セイモア・クレイという人が考案して作ったものなのですが,当時は今のように,スカラー型のくせに並列計算が出来る「スーパースカラープロセッサ」などなかった時代でもありましたので,それで当時の人がその速度にぶっ飛んでしまい,「スーパーコンピュータ」と呼ばれるようになったわけです。

・科学技術計算に特化されていること
 ベクトル型コンピュータは,とにかく行列計算などの積和演算が得意です。で,ワープロに積和演算がいるかと言えば,某Microsoftのワープロのように,余計なお世話をするイルカをポリゴンで描くのに使うくらいで,普通には意味がありません。
 ですから,ベクトル型コンピュータが重宝されるのは,膨大な方程式を解いたり,シミュレーションを素早く行いたい偉い先生方ということになります。ここに,科学技術計算に特化されていることが見えてきます。

・フォートランのサポートがメインであること
 「今さらフォートラン?」というなかれ,科学技術計算の分野ではフォートランはメインの言語です。1990年に拡張されて今も生き続ける最古のコンピュータ言語は,この分野では共通語になっているんです。

・能力を示す指標が「FLOPS」であること
 FLOPSって,あまり馴染みがないでしょう。小数点を含む計算を1秒間で何回こなせるか,を示す単位で「フロップス」と発音します。
 ご存じの通り,小数点を含む計算は,コンピュータにとって本来は難しいものです。また,ワープロには必要のない計算なので,パソコンのような汎用マシンにはあまり重要な指標ではありませんでした。(最近は変わりつつありますが)
 逆にスーパーコンピュータにとっては死ぬほど重要な指標。こいつがすべてです。

・とんでもなく速いこと
 いくら技術が進歩してパソコンが高速になっても,今のパソコンと今のスーパーコンピュータとを比べれば,圧倒的に今のスーパーコンピュータの方が高速です。例えば,現在商用汎用機のスーパーコンピュータで世界最高速のものでは,実に最大8TFLOPSの速度を誇ります。これは,1秒間に8000000000000回もの計算を実行する能力があることを意味していますが,強烈ですわな。ついでに,メインメモリの最大搭載量は,8Tバイトとこれもまた強烈です。

・とんでもなく高価なこと
 そんなスーパーコンピュータですから,値段もスーパーです。先の世界最高速のスーパーコンピュータは,8TFLOPSの性能を出そうとすると3億6000万円かかります。かかる?そう,これ,毎月のレンタル代金です。ひえー。(それでもかなり安くなったそうですね・・・)

 とまぁ,私流にスーパーコンピュータを定義してみました。ここから想像するに,個人では絶対に持てない,専用のオペレータがいるだろう,レンタルが前提,でかい,重い,電気を食う,冷房設備などが必要・・・てな,一昔前のコンピュータのイメージがつきまといます。
 で,本題。NECから,面白いスーパーコンピュータがリリースされました。
 「SX-6i」がそれです。SXと名乗るだけあって,名門NECのスーパーコンピュータシリーズのれっきとした一員です。大きさは450(幅)×730(奥行き)×700(高さ)ミリとフルタワーのパソコンを少し大きくしたくらい。重さは100kg。価格は1800万円。レンタルではありません。このお金を支払えば,誰でもオーナーになれます。
 速度は8GFLOPSで,それでもかなり強烈な数字です。消費電力は2kWとかなりでかいですが,そうはいってもドライヤーが1.5kWだったりしますから,個人でもなんとかなります。
 OSはUNIXでして,なんとこの強烈な計算パワーをインタラクティブに使えるんです。バグを直すのにemacsを立ち上げてぼーっとソースを見ていても,8GFLOPSなんですよ。すごいですよねぇ。
 極めつけが,カラーバリエーション。青や赤など4色から本体の色を選べるんですが,こんなスーパーコンピュータ,今までありました?実に「パーソナル」ですよね,いい時代になったものです。
 このSX-6i,大学の研究室などで小規模に導入したいという声に応えたものだということで,この流れってかつての汎用機を大勢でシェアしていた時代から,ミニコンやワークステーションに移り変わっていったのとよく似ているなと思いますね。価格もそれっぽいですし。
 Pentium4やPowerPC G4がベクトル演算器を搭載したと言っても,スーパーコンピュータにはかないません。なんせスーパーなんですから。ああ,夢のある話です。
2001年11月28日 22時43分38秒

KOIKOIさん,待ってます
 私も細々と自己満足のページを作って,皆さんにこうして見て頂いているわけですが,私など遠く及ばないくらいに素晴らしいページが世の中にはあります。
 その中で,100人中105人までが「おもしろい」という,非常に有名なホームページがあります。KOIKOIさんという方が作られていた,「みんなきてKOIKOI」というサイトです。
 目玉はカップ麺をいろいろな液体で作って食べる,というものでした。1つ2つではなく,確か100ほどの挑戦をされていたんではなかったでしたっけね。コーヒー,ユンケル,石けん水などなど・・・作ったものは食べるというポリシーで,抱腹絶倒な内容でした。
 そのおもしろさゆえ,非常に有名なサイトとなっていまして,一日のカウント数がこのサイトのこれまでのカウント数と同じという,いわゆる大手さんです。
 私もずっと前からファンでした。カップ麺もそうですが,他のコンテンツの方がむしろ私はお気に入りで,特にいたずら電話の撃退のネタなどは今思い出しても笑ってしまいます。突然「ところで君はガンダムは好きかね」と切り返すなぞ,普通の人には出来ません。すごすぎます。
 日記も私のようなつまんないものではなく,想像を絶するおもしろさ。KOIKOIさんのセンスの良さとか,人柄の良さがにじみ出ています。
 しかも,とても行動派の人で,しょっちゅうOFF会をされてました。それも日本全国で。人に出会うことをとても楽しく感じてらっしゃる方のようです。珍しいですよね,文面から,相当なヲタクの方のようにお見受けするんですが・・・
 以前は毎日のように更新されていたその日記ですが,ここしばらくは滞りがちになってました。先月の末,数日見に行ってなかった私は,ブックマークからKOIKOIさんのページに飛んでみて,目が点になりました。
 リンクが切れています。
 うーん,閉鎖かぁ・・・あんなに元気な人が,急に警告もなく閉鎖をするなんて,おかしいよなぁ・・・そんな風に思ってましたが,以前「お前のサイトをつぶす」なるメールが届いた,やれるもんならやってみろ,てなことが日記に書いてあったような記憶がよみがえりました。まさか,本当につぶされたのか・・・
 まぁ,サーバーがこけてるのかも知れないし,待ってみるか,ということで,約1ヶ月。結局今も切れたままです。
 これは本当に閉鎖かも・・・ということで調べてみました。
 やはり閉鎖でした。そうなると,理由が知りたいですね。
 調べました。
 直接の原因は,掲示板に「呑んでばかりいないで,更新しろ」という命令口調の書き込みがあったことに立腹されたということらしいです。最後の日記には「カウンタを上げるために書いているのではありません」と書いてありました。
 ショックですね。更新しろ,と書く人も無茶苦茶ですが,突然ファンの前から姿を消したKOIKOIさんにも,ちょっと疑問を感じました。
 調べているうちに,KOIKOIさんのカップ麺ネタがそっくりそのままパクられていた事件も始めて知りました。今年の5月頃,そのままパクっているサイトが出来ているのが見つかり,その掲示板に大勢の人が指摘の書き込みをしたところ,管理者は「リンクフリーなんだからパクってもいいんだ」「リンクフリーには著作権はないんだ」という解釈で開き直り,その後ページを放置して姿を消しました。
 この掲示板にKOIKOIさんも現れたんですが,なんと「いやー,最近サーバーの容量がきつくて,ここをミラーサイトにしてもいい?」などと書き込んでいたそうで,彼独特の皮肉というか,出来た人間だなと思わせるエピソードだなと思いました。
 私を含め,彼のファンには,そういう人柄に対する甘えがあったのでしょう。全く個人的な日記を「更新しろ」と言われてしまえば,そりゃ頭にも来ます。
 しかし,直接の原因はあくまでトリガーであって,もっと根深いものがあったはずです。KOIKOIさんがホームページを閉鎖した直後に行われたOFF会に参加した人の話では「最近ネットの向こうに顔が見えない,昔は見えていて楽しかったんだけど,今は一度あったことのある人しか顔が出てこない,それは間違ってると思う。」とか「別に自分はカウンタを稼いでいるのが目的ではない。一日5000でも1でもどっちでもいいと思ってる。」さらに「自分が面白いから書いてるわけで,いってみれば自己満足。みんなのために書いているわけではないんだけども,いつの間にかみんなのために書いていることに気がついた。」と話されたそうです。
 ここまで読んで,私も同じように「更新が少ないなぁ,最近」と何度も思ったことを思い出しましたし,突然の閉鎖も「一言欲しかったよな」などと思ったことに,何となく恥ずかしくなるような感覚を覚えました。
 無意識のうちに,KOIKOIさんを,面白いコンテンツを無料で提供してくれる,当然の人だと思いこんでいたんですね。
 でも,本当は違う。KOIKOIさんは自分の楽しみで,あの素晴らしいコンテンツを作られた。幸いにして,それを我々が見る機会を得ただけのことであり,それ以上を暗に期待することは,KOIKOIさんを追い込むことになったということに,はっとさせられたのです。
 私も,こんなしょぼいページを細々と管理していますが,幸い好きな人だけが文句も言わずにひっそりと見に来てくれている程度ですので,私はとてもラクチンです。そもそも,このページも自己満足で始めたものですし,誰かのために書いているというプレッシャーもありません。
 しかし,KOIKOIさんの気持ち,わかります。誰のために書いているのか,面白い事を書かないといけない,忙しくても自分の時間を使わないといけない・・・そういうプレッシャー,私も非常に忙しかった時に感じたことがありました。(無論KOIKOIさんほどではないと思いますが)
 KOIKOIさんが閉鎖してしまったことは,とても残念です。しかし,彼はとても悩んでいたんだと思います。自己満足で始めた世界が,見る見る大きくなっていく。周りからの期待も大きな重圧になっていく。一体誰のためにやってるんだ・・・それは間違っているんじゃないか・・・そうして出した結論なら,私にも納得がいきます。
 KOIKOIさんは,またいつか戻ってくると言われています。一説によればそれまで無職だった彼も,定職に就くことになったということで,時間に自由度がなくなったことも1つの理由だと思います。
 落ち着いた頃,自分のやって面白いことを,他人に聞いてもらいたいなと思うようになって,またきっと復活されることと思います。私はその時を楽しみにして,時々ブックマークをチェックすることにします。
 ゆっくり休養されてください。
2001年11月26日 20時55分25秒

なに!電子ブロックが復刻するとな!
 私が9歳か10歳の時だったと思います。あるテレビCMが私の心をとらえました。
 地球を背景に宇宙空間を進むその物体に,「学研・電子ブロック」というナレーションがついて,私の目の前を流れていきます。
 小さなブロックを並べ替えるだけで,ラジオやウソ発見器などを組み立てることができるという,その商品の実体を知るのはもう少し後になりますが,その時「電子ブロック」というなんとも言えないネーミングに,まるで雷に打たれたような衝撃を受けたものです。
 この種の知的玩具には,例えば三菱化成の「カプセラ」などがあり,やはり私も親にねだって勝手もらった記憶があります。
 ある制約(つなげられる部品の制約,動力を持つ部品の数の制約など)を乗り越えて,自分の考えているものを形にする訓練というのは,子供のような好奇心がある時の方がむしろ重要であり,その時々の結果はともかく,プロセスを楽しいと思えるようになることが,この訓練の意味ではないかと思ったりします。
 そうしたものの延長に,電子ブロックを私はとらえました。
 おねだりしてみたところ,無駄なおもちゃではないと察知した両親は,同意してくれました。実際に買いに出かけてみると,随分高価です。当時の価格で1万円以上。金額もそうですが,各ブロックの内部には本物の電子部品が埋め込まれていて,これが少年であった私を,心底びびらせることになったのです。
 「高価なものをおねだりして,結局難しすぎて使いこなせないのではないか・・・」まるで田口トモロヲのナレーションのように,少年は迷いました。
 その迷いは親にもあったようで,店員さんに対象年齢を聞いています。小学校高学年からということで,当時3年生の私には難しいということらしいです。
 親は,そこで妥協案を提示。電子ブロックでも中級機種をとりあえず買うという事で,そのリスクを最小限に押さえようとしたのです。
 中級機種はEX-100といい,それでも確か1万円近くしたはずです。100回路の実験が出来るだけの部品が用意されたセットなのですが,実験出来る回路数はともかく,私にとって「メーター」がないことがとにかく不満でした。メーター・・・少年の心を鷲掴みにして離さない,当時のハイテクアイテムです。EX-150という最上位機種のみの搭載となっていて,これが非常にうらやましかったのですが,自分にもリスクが分かっていたので,ここは素直にその妥協案を受諾,商談は成立となりました。
 家に帰ってわくわくしながら見ていくと,やはり本物の電子部品が入っています。それまでラジオの中身でしか見たことがなかった謎の部品が,アクリルの綺麗なブロックの中に透けて見えています。
 それまで私が触ってきたものはモーターが入っていて,動きが目に見えるものばかりでしたから,分解すればその動きも理屈も何となくわかったものですが,電子ブロックはそうはいきません。これは手強い相手になるな,と少年は思いました。
 付属の回路図集に掲載されている図の通りにブロックを並べると,見事に動作するというのが電子ブロックの面白いところです。少年にとってハンダ付けなどは難しすぎて,とても自分では出来ません。また,抵抗やコンデンサなどの値を決定するのは,大学を出て始めて分かる技術です。そう考えると,電子ブロックというのは,あの難しい電子工学の中から,作るおもしろさを誰にでも体験できる形で提供していることが分かります。
 今思えば何も分かってなかったのですが,当時は電池をつなげばモーターが回ることを経験的に知っていたので,電源に関する実験はすっ飛ばし,いきなりラジオを作ることにしました。
 電源の大事さを軽く見ていた私は,その本質に気がつくのに随分時間がかかってしまいました。そのことで理解できなかったことが後にたくさん出てくることを考えると,以下に思い上がっていたのかを痛感します。
 で,そのラジオは,ゲルマラジオというものです。アンテナコイルとバリコンを組み合わせた同調回路はすでに電子ブロックの本体に組み込んであり,そこから出ている端子に,ゲルマダイオードとコンデンサのブロックをはめ込みます。クリスタルイヤホンを取り付け,バリコンのツマミを回すと,なんとかすかに声が聞こえてきます。
 で,冷静に見てみると,電池がつながってません。冗談だろと思って電池を抜いてみても,音は消えません。・・・電池もないのに,なんで音が出るんだ?????じゃ,世の中のラジオにせよテレビにせよ,なんで電池なり電源が必要なのだ?????電池ってなにをやってるんだ?????
 少年は混乱しました。
 しかし,電子ブロックには,その答えは書かれていませんでした。少年は,私の知り得ない未知の科学には,電源のいらないラジオを実現する秘策があるということだ,ということだけ理解し,さっさと次の実験に進んでしまいました。
 これもいかんですね,今にして思えば。
 電子ブロックには,ブロックの並んだ状態を書いた図もありましたが,ちゃんと横に回路図と解説が載っていました。
 回路図はぱっとみると分からないものなのですが,頭の柔らかい子供にとって,回路記号は絵文字と同じです。すぐに覚えてしまいます。仕組みは分からなくとも,記号の位置関係やつながりの規則性から,自然と慣れてきます。そのころの訓練が,今の私の仕事にも役には立っていると思います。
 あっという間に100回路作ってしまった訳ですが,子供にとってはまだまだこれから。回路に改良を加えてみたり,値の違う部品を入れてどう変化するのかを試してみたり,それはそれは散々遊び倒しました。
 私のようないい加減な人間には珍しく,大方の予想に反してブロックを1つもなくさなかったこと,そして壊すことがなく大事に使ったことは,いかに私が電子ブロックを大切にしていたか,わかります。
 結局,私は電子ブロックを卒業して,自分でハンダ付けをするようになり,部品をバラバラに買い集めて,最後には設計できるようにもなったわけですが,実は今でも電子ブロックはちゃんと動作する形で実家においてあります。あれは私の原点でしたね。
 で,なんでわざわざこれを書いたのかというと,その電子ブロックが,なんと再発売されるというニュースが飛び込んできたからです。
 やや大人の話になりますが,電子ブロックは元々,「電子ブロック製造」という会社が製作,販売しているものです。それに目を付けた学研が自社ブランドの製品として大々的に販売,実は当時大ヒットしているものなのです。
 子供の遊びが変化するに従って電子ブロックの売れ行きは伸び悩み,とうとう学研は電子ブロックから撤退します。しかし,電子ブロック製造そのものはずっと存続しており,学校関係などを相手に細々と商売をしていたのです。
 しかし,私と同じように電子ブロックで育った人間が社会に出始めるようになり,そんな中から電子ブロックを紹介する雑誌記事などが出てくるようになりました。
 電子ブロックは過去のおもちゃだと思っていた大多数の人々は,大人になって知った電子ブロック製造という会社に,再発売の声がたくさんよせるようになっていました。やはり,当時欲しくて仕方がなかったけれども,高価すぎて買ってもらえなかった,そんな声が多数あったと言います。
 電子ブロック製造は,特に人気の高かった学研のシリーズ(EXシリーズ)ではなく,それより前のモデルを限定復刻します。これは瞬く間に完売。時を同じくして,パソコン上で電子ブロックを再現する「バーチャル電子ブロック」のリリース,またYahoo!オークションで電子ブロックが高値で取り引きされるケースが多発するなど,実は一昨年くらいから,一部の人間の間では随分盛り上がっていたのです。
 そして,いよいよ真打ち登場。
 学研は,大人の科学というシリーズを現在展開しています。隠れたベストセラーになっているので知ってる方も多いと思いますが,「x年の科学」などの学習雑誌の付録,あれの大人版です。例えばプラスティック製の使い捨てコップをぐるぐる回し,その表面に針に溝を掘ることで蓄音機を作るキットが出ていたりします。
 商品企画力も素晴らしいですが,身の回りにあるものをうまく使って楽しく実験が出来るというスタンスは,まさに学研の真骨頂とも言えるものです。
 その大人の科学に,電子ブロックEX-150というEXシリーズの最上位機種(厳密には後にEX-180というモデルが出ましたが,これはICを組み込んだサウンド発生器がついただけのものなので,EXシリーズ本来の主旨から外れたもので,私としてはEX-150が最上位機種であると考えます。)が,約1万円で来年春に復刻されることが決まりました。
 当時13800円もしたEX-150が,可能な限り当時のままを再現して,値下げ。学研のサイトには「当時高価で買えなかった今の大人の方々に,是非遊んで頂きたい」とあります。まさにその通り。
 電子ブロック,初歩ラジオは,今の電子工学系エンジニアが,かつて自らの将来を決定した2大原点なわけですが,いずれも現在は残っていません。
 その1つがこうして復刻されたことは,紛れもなく「育てた」という自負と,そして新しい世代にもこのおもしろさが受けるはずだという自身があるのでしょう。
 電子ブロック製造が復刻した電子ブロックは,限定でだったので今は手に入りませんし,非常に高価でした。また出来る実験数も少なく,その内容も原始的なものが多かったので,面白いと思える時間は短いものだと思います。しかし,EXシリーズは実に様々な実験が出来ますし,よくあれだけの部品数で可能にしたと思えるほど,完成度の高い回路が楽しめます。EXシリーズは,まさに電子ブロックの決定版といえるでしょう。
 私は間違いなく,高価すぎた最上位機種を改めて買い直しますよ。そして,その素晴らしさを,大人になった目と子供に戻った目で,ちゃんと確認したいと思います。
 はっきりいって,面白いことは保証します。お勧めです。来年春です。楽しみです。
2001年11月22日 14時31分02秒

G3カードを交換
 昨日はiPodを購入したという話だったのですが,同時にもう1つ,Macintosh関係の大きな買い物をしました。
 それは,新しいG3カードです。秋葉原の某店で約3万円で売られている500MHzのカードです。XLR8という,この世界では比較的有名な会社のMAChCarrier G3という製品で,バックサイドキャッシュは250MHzで動作し,1MBと十分な量が入っています。
 実はこのMAChCarrierG3,登場した時から私がうらやましかったことがあります。それは,PowerMac7600などのPCI Macに取り付けるG3カードでありながら,後に登場したPowerMacG3シリーズのプロセッサモジュールが刺さるようになっているのです。
 私がこれまで使っていたMAXPowrG3は,カード自身にCPUが直づけされていたので,CPUを交換するということは出来ません。
 しかし,MAChCarrierG3ではアップル純正のモジュールを取り付けることが出来るので,これらが高速化を遂げて発売されるのであれば,それを過去の機種でも使えるようになる可能性が高くなるというわけです。
 現実にはそうはいきませんで,現行のPowerMacG4では全然別の仕様のCPUモジュールになってしまいましたし,バスクロックが50MHzのPowerMac7600では自ずとCPUの動作クロックが制限を受けてしまいます。そんなわけで,今やそれほどの意味合いはありません。
 私が使っていたG3カードは,366MHzのものです。これでも2年半ほど前に購入したのですが,それでも当時は速い部類に入っていました。個人輸入したのですが,7万円近くした記憶があります。
 クロックアップで400MHzにしていた(PowerPC750の以前のバージョンは,クロック倍率が8倍までだったので400MHzというのはいわゆる理論的限界値です)のですが,MacOS Xを導入すると動作が不安定になったので元に戻して使っていました。
 昨年の暮れにはこれを作っていた会社が倒産し,MacOS Xの正式サポートは半ば流れてしまったのです(Sonnet Technologyが引き継ぎましたが,有料になりました・・・)。
 幸い草の根でMacOS Xでもバックサイドキャッシュが有効になるツールが出ていたのでこれを使っていましたが,それでも速度が相当辛いのです。
 まず起動が遅い。これには参りました。動作してからも,画面がずるずる粘着力のある感じで動きます。いかに先進のOSであっても,操作が苦痛では何の意味もありません。
 あと,iTunes2では,リッピングに3倍速ほどしか速度が出ません。大量のCDをリッピングするのに,この速度では天文学的な時間がかかってしまいます。
 で,新しいG3カードを物色していたのです。
 G4カードというのも考えました。MacOS Xのグラフィクスエンジン「AQUA」には,G4の搭載されたAltiVecが得意とする演算が多数使われています。MacOS Xについていえば,G4にする価値はあるというのが私の判断です。
 しかし,バスクロックが50MHzのマシンで,しかもグラフィックカードも搭載していないマシンで演算だけ速くなっても,体感速度の向上はそれほどでないだろうということで,あえて高価なG4カードを使う必要はないと考えました。
 ついでにいうと,G4カードでは,PowerMac7600などの古いマシンに搭載した場合の,互換性の問題が随分出てきています。特に,PRAMへ小さなプログラムを入れておかねば起動することすら出来ないと言うのはどこのG4カードでも共通のようで,G3のようにキャッシュはきかなくともとりあえず起動する,ということがないのは,非常に不安があります。
 そんなわけで,私のマシンだと,500MHzくらいのG3カードがあればそれでいいだろうという検討結果が出ました。ただし,バスクロックが遅いだけに,バックサイドキャッシュの大きさには影響が大きく出るはずなので,ここに1MB以下という製品はいかに安くとも選択する訳には行きません。
 先日,FireWireのカードを買いに行った時に,そこで見たのがMAChCarrierG3の500MHzだったのですが,価格もこのクラスとしては安いので気になっていました。そうはいっても3万円です。簡単に決断する訳にはいきません。
 ただ,ふと思ったのは,現在のAppleのラインナップでG3を使っている機種を考えてみると,iMacとiBookだけなんですね。これらはみな,IBMのPPC750cxを使っています。750cxはバックサイドキャッシュをCPUと等速にしてオンチップにしたものですが,大きさは256kBと随分小さくなっています。低消費電力と低コストが売りのCPUです。
 バス速度が133MHzもあるマシンならこれでも十分でしょうが,50MHzという遅いバスクロックではキャッシュがミスヒットした時のダメージが大きく,やはりそのサイズが重要という結論にならざるを得ません
 ところが,バックサイドキャッシュを外付けにした古いタイプのPowerPC750は,使用されることがなくなりつつあり,これから収束することが予想されます。そうなってしまっては,私のようなユーザーが困ってしまいます。
 「今が旬!」そう思った私は,このG3カードを3万円で買うことにしました。
 iPodの動作確認を行ってから,早速取り付けです。
 MacOS Xには,ありがたいことに正式対応してくれています。専用のドライバも付属しているので,今まで使っていた非純正のものは使う必要がなくなりそうです。
 まずはMacOS9から使ってみます。
 インストール作業そのものはあっけなく完了。ドライバのインストール後シリアルナンバーを入れなければならないという仕組みには正直戸惑いましたが,それもすぐに解決して,無事に動作するようになりました。
 ・・・体感速度の向上はそれほどありません。バスクロックも,これまでは46MHzほどだったので,50MHzになった今回のカードでは速度向上も全体に底上げされているはずなのですが,もともと366MHzの古いカードでもMacOS9では速度に不満はなかったので,500MHzになっても大きな差は感じません。
 さて,本命MacOS Xではどうでしょう。はまると2週間は睡眠不足になるMacOS Xですが,実はこれもあっけなく完了。
 体感速度は・・・大幅に向上しました。さくさく動くようになりました。ありがたいですよ,この速度。決して高速とは言えません。しかし,我慢して使うということはしなくて良くなりそうです。これ以上を望むならG4マシンへの買い換えしかないと思います。
 iTunes2のリッピングも,平均で4倍速まで向上しました。安定性も増しましたし,起動の速度も随分上がっています。いやー,これは満足です。
 そんなわけで,後2年は使えると思います。今まで非常にイライラしていたWEBのブラウズなどもさっと動くようになりましたので,いい投資だったと思います。
 さて,古いカードをどうしようかと考えたのですが,先日購入したPowerMac7600のロジックボードに取り付ければ,もう1台マシンが出来ますね。これにBeOSとか古いMacOS8などを入れてみると,使い道が出てきます。
 実はこの古いG3カード,この艦長日誌が始まって最初のネタなんですね。懐かしいですが,2年半ほど使い込んだことを考えると,まぁいいかなと思います。
 さぁ,MacOS X,私にとってはもう一度スタートラインです。
2001年11月20日 15時33分42秒

iPod結局買いました
 買ってしまいました,iPod。どうしようか随分迷ったんですけど,iTune2の出来が良かったことが,自分の持ってるすべてのCDをライブラリ化しておくことのおもしろさに気付く結果となり,そこから芋づる式に「それが持ち歩けるとすごいことになるかも」と思うようになって,買うことになりました。
 以前書いたように,Appleの工業デザインの水準の高さは皆が認めるところだと思います。一部にはiBookでWindowsが動けばいいのに・・・などということを言う方もいらっしゃるようで,なんともうれしいやら悲しいやら。
 Appleってのは,そういう意味では今時珍しい,クローズな会社ですね。クローズであっても商売をやっていける,いわゆるMac信者が他に浮気しないという,リピート率の高さも,あの大きな会社がやっていけるほどになってしまうと,ちょっとびっくりしてしまいます。
 Windowsの人々というのは,心底Windowsが好きというのは珍しいんではないかと思うんですね。多くの人はPC-9801をMS-DOSの頃から使ってる訳ですが,未だにDOSサイコーっ,PC-9801サイコーて言う人は非常に少ない訳で,皆結局Windowsになったわけです。
 Macってのは,生まれて20年ずっとMacな訳で,考えてみたらOSやハードウェアについていってる訳ではなく,そこにある雰囲気みたいなものについていってるんだなと,思います。
 前置きが長くなりましたが,iPodです。
 まず,パッケージがかわいらしい。一辺が12cmほどの立方体です。外側のスリーブを取ると,中央でバックリ割れる箱が出てきて,これを広げると左にCD-ROMやらACアダプタが,右にはiPod本体とヘッドフォンが出てきます。早速本体を手に取ります。
 印象としては,まず意外に大きいと思えました。名刺サイズ位を想像していたので,それよりもひとまわり大きい感じです。そして重い。ずっしりとした重みが手にかかります。背面のステンレスのひんやりした感覚もあって,密度の高い金属片を握っているかのよう。これで200gを切っているというんですから,わからんもんです。
 表面はAppleお得意のポリカーボネートで,とても綺麗です。一昔前の携帯電話のようなLCDと,大きな大きなジョグダイヤルに目がいきます。私自身は,このデザインはそれほど好みではありません。
 さて,私のMacは,いわゆるG2マシンといわれるPowerMac7600です。これにG3カードを入れて,MacOS Xを無理矢理使ってます。
 もちろん,FireWireなんていう未来のインターフェースなど,影も形もありません。iPodを欲しいと思った瞬間から,マシンの買い換えも範疇に入れて検討してきたのですが,以前ここでも書いたようにFireWireを増設することに決定しました。
 先週でしたか,秋葉原で買ったバルクのIEEE1394カード(ASUS製で,AT互換機用。2480円なり)を,このカードを手に入れたその日のうちに差し込んで見たところ,一応認識はしているようでしたが,FireWireの周辺機器がないので確認はここ止まりでした。
 昨日念願のiPodを,このFireWireに差し込む時が来た訳ですが,結論から言うと実にあっさりつながりました。バスパワードによる充電も問題なし。iTune2から高速で同期させることが出来ます。1000曲を10分未満というのは,偽りのない数字です。FiewWireってこんなに快適なんですね,驚きました。さすがにSCSIの置き換えを狙って開発されたものだけあって,十分SCSIと張り合えます。素晴らしいですね。
 音楽の転送は,さすがにHDDを使っているだけあって,若干音がします。HDDがコロコロと音を立てている間,iPodは若干の熱を持ちます。回転モノを搭載したマシンは必ず放熱に泣くのですが,ステンレスの背面パネルは,この放熱にも一役買っているのでしょう。
 転送が終わって,使ってみます。
 音はそんなに悪くはないです。MP3プレイヤーとしては,かなりいい線を行っているんではないでしょうか。もちろん,MP3ですから,このフォーマットが持つ欠点,例えばボーカルがざらつくとか,それはあきらめねばなりません。その意味でHi-Fiではないと思います。5万円もするのにその割り切りは難しいところだなと思う人もいると思います。
 操作はさすがApple。使いやすいです。デザイン上,どうしてあんなにジョグを大きくしたのかと疑問だった私でしたが,ジョグの使い心地があまりに素晴らしいので,Appleがこのジョグを以下に誇示したかったのか,わかりました。
 いわゆる「戻る」ボタンが「menu」ボタンになっているというのは,やや直感的ではありませんが,慣れてしまえばなんと言うことはない。音楽再生中の音量変化はジョグで行うのですが,この操作感がたまらなくいいです。
 我々は,2次元の画面に配置されたアイコンというオブジェクトを,これまた2次元の方向を持つマウス(トラックパッド)で指し示すことで,コンピュータに指示を与えています。
 しかし,こういう豊かな資源(大画面とマウスが置ける机の面積)を前提に作られたユーザーインターフェースは,小型携帯機器では成り立ちません。
 GUIの成し遂げた革命は,まさにコンピュータを一般に開放したと言えるでしょう。小型携帯機器,あるいは家電製品は,もともとコンピュータとの接点が七区,独自の文化で成り立ってきましたが,コンピュータと家電製品との区別がなくなりつつあり,その文化がまさに融合している最中であると思います。
 本来なら,ここで家電メーカーの踏ん張りを期待したいところですが,iPodを見る限り,Appleというコンピュータメーカーが先頭を走っているなと感じてしまったところに,家電源メーカーの限界を見た気がします。
 いや,家電メーカーが悪いと言っているのではないんです。Appleというメーカーが,コンピュータメーカーと言うよりも,広く一般的な人間との接点をいかにまじめに検討していたのかを,その成果物であるiPodをみて感心したと,そういうことなのです。
 そんなわけでiPod,私としてはなかなか満足です。
 ただ,大きな欠点に気がつきました。
 iPodには5GByteという大容量のHDDが入っています。1000曲の音楽を取り込めるのは,もう説明の必要がないのですが,これを使い切るには1000曲,CDの枚数にして80枚ほどをMacにリッピングする必要があるんですね。
 仮に平均3倍速で取り込めたとして,約24時間,ぶっ通しでリッピングしないといけません。
 どこにそんな暇あんねん・・・恐るべしiPod。これから毎日,ノルマが発生しそうです。
2001年11月19日 14時48分33秒

30歳の誕生日
 日付が変わってしまいましたが,昨日11月15日は,マイクロコンピュータに恩恵を受ける人々に取って,記念すべき日です。
 世界最初のマイクロプロセッサ,i4004が生まれた日です。
 生まれたのは今から実に30年前,1971年です。当時のインテルは,当然CPUで儲けているはずもなく,まだまだ小さなベンチャー企業でした。
 当時のインテルのロゴをご存じの方は少ないでしょうが,そのころ主にRAMとして使われていた時期コアメモリのコアをかじっているようなロゴだったのです。何を意味しているかと言えば,インテルという会社は,当時主流だったコアメモリを,新技術であるダイナミックRAMと呼ばれるメモリICで置き換えてしまうことを目指していたということなのです。
 フェアチャイルド・セミコンダクタという名門半導体会社をスピンアウトした当時のメンバーは,シリコンの上に微細に作り込んだコンデンサに電荷を蓄え,それを記憶に使うというダイナミックRAMを商品化し,一儲けすることを考えました。しかし,そのころ,半導体メモリといえばスタティックRAMがどうにかあるかどうか,という時代で,ダイナミックRAMなど夢物語と笑われた時代です。
 ICの発明者の一人として尊敬を集める故ロバート・ノイス氏は,このダイナミックRAMにかけて,インテルを創業します。
 メモリに対する需要が増え続け,手作りを余儀なくされるコアメモリでは賄いきれず,値段も下がらないことに失望したコンピュータ技術者たちは,ノイスのいうバラ色の世界・・・ICにメモリを作り込めれば,後はどんどん集積度が上がり,ビット単価が下がる・・・という話を,まるで信じようとはしませんでした。
 しかし,結果がどうなったかは度存知の通りです。今や,コアメモリなど影も形もなく,ダイナミックRAMが主流になったことで,コンピュータと社会が大きく変化を遂げました。
 今で言えば,そのころのインテルというのは,例えばCrusoeのTransmetaやRDRAMのRamBusのよりも,もっともっと胡散臭い会社だったと思います。
 そのインテルがダイナミックRAMから撤退を余儀なくされたのは,日本のダイナミックRAMがシェアを独占した1980年代の話です。インテルにとっては屈辱的な撤退だったはずです。
 しかし,そのころ,インテルは「マイクロプロセッサ」が主力商品。強力な開発力を集中した結果,今やRISCプロセッサ陣営を押さえて6.5GHzで動くCPUの基礎部分を作り上げるに至っています。強烈です。
 ではインテルがマイクロプロセッサに手を染めるきっかけは何だったのか,というと,それはやはりi4004ということになります。
 有名なお話ですが,もう一度ここでおさらいをしておきましょう。
 i4004は,世界で最初のマイクロプロセッサです。当時熾烈な競争を繰り広げていた日本の電卓メーカーの1つ,ビジコン社は,電卓ごとにICを開発し直す事の効率の悪さを痛感していて,この問題の解決に,機能を追加したり削除出来る汎用の電卓ICを作ることを思いつきます。このICを1つ作っておきさえすれば,多くの電卓に流用が可能になるので開発費や開発期間が小さくなり,ライバルに対してぐっと有利になります。
 非常に意欲的な考え方ですね。当時は汎用品というのは小さな回路ブロックを収めたICに限られていて,このICをたくさん組み合わせることで製品が出来ていました。それでは小さくできないし,値段も高くなる。信頼性も上がらないということで,その小さなICを組み合わせたそのままの状態をシリコンの上に作り込むことにしたんですね。
 これがLSIと呼ばれるものです。こういう経緯がありますから,LSIというのは常識的に専用品となります。当然ですね,汎用品として規模が大きすぎるんで,あるお客さんにとって必要な機能が,別のお客さんには無駄な物になるんですね。
 それをビジコン社は,汎用性を持たせようとしました。難しい問題だったはずです。
 このテーマの担当は,非常に有名な嶋正利氏。ビジコン社に入り立ての嶋氏は独学で半導体を学び,どうすれば汎用性のある大規模集積回路を作れるか,検討に入ります。
 一方,このアイデアを受け入れ,実際の半導体を開発・生産してくれる半導体メーカーを探す作業が始まりましたが,これがまた難航しています。日本電気,東芝,日立など大手の半導体メーカーは,相次ぐ電卓用のICの受注をこなすのに手一杯で,中堅メーカーであったビジコンの突飛なアイデアを真に受けている暇はありません。
 海外の大手でも事情は同じ。どこも断られてしまいます。
 当時は1ドルが360円で,しかも円の持ち出しに規制がありましたから,出来れば海外メーカーにしたくはなかったはずです。
 そんな中,OKを出したのが,新興企業だったインテルでした。ダイナミックRAMは思うように売れず,仕事が喉から手が出るほど欲しいインテルにとって,ビジコンの仕事を断る理由はありません。
 ここでインテルの担当者テッド・ホフ氏はビジコンの嶋氏と検討を重ね,ついにマイクロコンピュータを作る発想に行き着きます。
 コンピュータは当時すでにありましたし,事実i4004にはIBMやDECのコンピュータを参考にしたと思われる命令セットも存在します。だから,ただ小さなコンピュータがある,という観点で見てしまえば,ただそれだけのことです。
 肝心なことは,それまですべてハードウェアで実現していた電卓を,一部ソフトウェアで作ることに気が付いたということです。そして,そのソフトウェアを実行する環境,つまりコンピュータが汎用の部品として大量生産出来る大規模集積回路になる可能性に気が付いたことです。
 インテル自身も,この事実に気が付くにはそれなりの時間がかかったと言います。しかし,開発者であるホフ氏や嶋氏には,このひらめきがあったのだと思います。嶋氏がその著作「我が青春の4004」でその時のホフ氏の喜びようを形容していますが,飛び上がらんばかりの勢いだったといいますから,同じエンジニアとしてとてもうらやましいと思います。
 嶋氏はその後,回路設計にも(やむなく)参加,フェデリコ・ファジン氏と共にi4004を実際の形に仕上げていきます。本来なら,嶋氏もi4004の開発者として名を連ねなければならないと思うのですが,インテルはどういうわけか(想像は付きますが),彼の功績を認めていません。つい最近までは名前を出すこともなかったほどです。
 i4004は,汎用品となる可能性のあった大規模集積回路だったわけですが,開発を依頼し,開発費用を負担した上,嶋氏など多くの人材をも投入したビジコン社に権利のある,カスタム品種です。ところが,ビジコン社のその後の財政事情が,i4004を汎用品へと導きます。ビジコン社はi4004のコストダウンと引き替えに,i4004の権利を手放してしまいます。
 かくしてインテルはi4004をMCS-4というシステム名で販売を開始します。当時,誰もその可能性を理解した人はいませんでしたが,小さなコンピュータとして大きく育てていこうと考えるインテルの幹部が現れたこともあり,インテルはこの分野に,期せずして入り込むことになるわけです。
 以後,i4004の改良型であるi4040,世界初の8ビットマイクロプロセッサであるi8008を経て,実用的なパワーを持つ8ビット,i8080によってその地位を不動の物とします。
 i8080には,当時リコーに転職していた嶋氏を,嶋氏の力をよく知る世界の半導体の父と呼ばれたインテルの社長であったノイス氏自らヘッドハンティング,対応に当たったリコーの幹部は中途入社の極普通の若者であった嶋氏に「おまえはいったい何者だ?」と気味悪がったという逸話が残っています。
 その後,インテルは少しぱっとしないわけですが,芸術品とも言われたモトローラの68000を差し置いてi8088がIBM-PCに採用されたことがきっかけになり,現在の隆盛があるわけです。
 IBMでは,68000を使ったPCも開発していたと言いますが,i8088のグループに遅れてしまった事で,日の目を見ることがなかったと言います。もし68000が使われていたら・・・どんなことになっていたのでしょう。
 インテルはi80386でIA-32というアーキテクチャを完成させ,以後は世界の先頭をひた走る巨大企業になりました。i486ではCISCではあり得ないと言われた1クロックあたり1命令の実行を実現しましたし,Pentiumでは大型コンピュータの技法であるスーパースカラの導入に成功します。
 インディペンデントキャッシュバスシステム,内部RISCコードへの変換,世界初の64ビットマイクロプロセッサの製品化とここで培われたマルチメディア処理に適した演算機能と,本当に意欲的にマイクロプロセッサを進歩させてきました。
 VLIWであるIA-64もそろそろ立ち上がりつつあるようですし,前述のように6.5GHzで動くALUの開発にも成功していると言います。文句なく世界最先端です。
 マイクロプロセッサを作る職人集団,インテル。そのスタートは,予期せぬ小さな出来事だったというのは,とてもおもしろい話だと思います。今からちょうど30年前のお話,でした。
2001年11月16日 01時23分58秒

アキバで買ったものその2
 先週末にアキバに出かけた時に買ったのは,スピーカーだけではありません。もう少し面白そうな物を買ってきました。
 私が自宅で使っているPowerMacintosh7600ですが,長年使い込んだこともあってか,最近なかなか安定して使えなくなりつつあります。
 ここにも書いていますが,HDDが壊れたと思ったらVRAMが突然おかしくなったり,メインメモリが一部認識しなくなったり,いろいろ面倒なことが起こっています。
 なにせ古いマシンですから,仮に壊れてしまったところで修理に出すのもばかばかしいし,かといって中古なんかでパーツ類が見つかるとは限りません。
 新しいのを買うというのも手ですが,私が新しいマシンを買うのは,もうそのマシンをチューンする価値がなくなったと判断された時であって,残念ながら7600はまだぎりぎり使えるのです。
 それ以外に,新しいMacではレガシーなインターフェースが廃止されているので,私の今使っているマウスやキーボード,CD-Rなどがことごとく使えなくなってしまいます。買い換えに必要な出費やなにより使い慣れた物が使えなくなることは,なかなか新しいマシンを買うことをためらわせます。
 実際のところ,バックサイドキャッシュがそれなりにきいているPowerPC G3では,バスクロックが上がった(上がったとはいえ,2.5倍ほどですわな)ことがそれほど体感速度の向上にはつながりませんし,会社で使っているPowerMac G3/500でも, MacOS Xが快適なのかといえばそんなこともないわけで,次に買い換えるのはMac OS Xに完全移行が済んでからかな,と思ったりしています。G4でも1GHzのクロック,バスクロックはDDRかRamBus,ビデオカードももっと高速な物が出てこないと,私は買い換えようと言う気になりません。
 そうなると,補修部品を確保したくなるのは,エンスージャストの基本でしょう。古い車を大事に乗り続ける人は,とにかく部品集めが上手です。パソコンだって同じです。古い物を使い続けるには,工夫が必要です。
 てなわけで,アキバで買ってきたのは,PowerMac7600のロジックボード,3000円なり。VRAMが1MBで1980円で2MB買ってきました。これはちょっと高かったかな。CPUは回顧主義もあって,PPC604の132MHzです。475円。
 とりあえず,当分安心です。
 はっと思ったのは,手元には16MBくらいのメモリならいくらでも転がっているので,それを使えばちょっとしたマシンは組めてしまうんですね,これくらいの金額で。
 15000円ほど出せばG3カードが買えますから,それだとMacOS9ならきびきび動く実用マシンも作れます。うむー・・・
 で,思いついたのは,先日インストールしたBeOS5.0。これを使うマシンにすればいいんではないかということです。PPC604の132MHzなら,BeOSなら結構動くでしょう。
 期待したんですが,ATX電源を改造してこのロジックボードを動かしてみると,動かないんですよ。CPUだけで確かめてみようと今動いている7600に差し込んでみると,動きません。あちゃー,カスつかまされたか!
 でも,475円ですから,文句の言い様はありませんな。
 それに,7600でも後期バージョンのロジックボードですから,この時のCPUはPPC604e。132MHzのPPC604とは別の種類のものと考えるべき物です。これが理由で動かないと言う話は聞いたことはないのですが,お店の人が言うには「やってみないとわからない」でしたから,まぁ駄目なのかも知れません。
 安いから許す。CPUカードをコンロであぶって,PPC604を外して展示に使いましょう。(って何の展示だ?)
 確か,同じ店で180MHzの604eのカードが3000円ほどです。これならBeOSならマッハの速度でしょう。今度アキバに言った時に買いに行ってきます。
2001年11月14日 20時53分36秒

スピーカーシステムの自作に開眼
 誠文堂新光社から最近出た「オーディオクラフトマガジン第7巻」では,作りやすく,低予算なスピーカーシステムの製作記事が出ています。
 私は,手作りオーディオを趣味として15年以上が経過しているのですが,これまでスピーカーシステムの自作だけはうまくいった試しがありませんでした。
 1つは,私の木の加工精度が悪いこと,一言で言えば,木工が下手くそだということです。とにかく,裁断が下手ですね。電動工具を手に入れれば良かったかと言えば,私の場合はそうでもなくて,大きな一枚の板に寸法を入れて行くのが下手くそでした。
 だから,いざ組み立てる時になって,透き間があいたり,真っ直ぐ立たなかったりしたものです。金属加工ならそういうこともないのですが・・・得手不得手はあるものです。
 また,過去に何度か使ったスピーカーユニットが,ジャンクだったりしたこともありますね。それなりの口径があれば,それなりの音が出るだろうと思っていたわけですが,素性が分からないものを初心者が使うと,ろくなものにならないということを学びました。
 そうかといって,例えばフォステクスやテクニクスの10cmとか8cmの小型フルレンジユニットでスピーカーシステムを作ってみようと言う気はしなかったのです。当時私は,オンキョーの2ウェイ(ウーファーが25cm!)を使ってましたので,小型フルレンジユニットを使ったところで,満足行くはずがないと思ってました。早い話がバカにしてたんですね。
 確かに,これら小型フルレンジユニットを使ってスピーカーシステムを作る記事が雑誌などにも出てましたし,長岡先生の作品のように高い評価を得ているものもありましたが,実際に音を聞いてみると,定位の良さや自然な感じの素晴らしさは認めるところですが,肝心の低音と高音のレンジの狭さだけはいかんともしがたく,中域が目立つ音にはラジオや電話のような印象がありました。
 それでも「小型フルレンジユニットはいい!」などという人々には,正直思い入れだけで欠点が見えない振りをしてるんだろうと,批判的でした。
 そこで私が出した結論は,スピーカーシステムは,きちんとしたメーカーのものを買え!ということでした。
 スピーカーシステムを自作すると言っても,スピーカーユニットまで自作することは出来ません。所詮は出来合ものを探して買ってくる訳です。木箱だけ作って「自作」というのは,ちょっと物足らない気がしていました。
 それに,その木箱だって,設計には綿密な計算が必要で,それがないとスピーカーユニットの性能を生かし切れません。とはいえ,その計算は難しく,なかなか素人が「これだ」と思う結果を得るのは難しいといえます。
 メーカー製のスピーカーシステムが有利なのは,スピーカユニットと箱(エンクロージャーといいます)を同時に設計出来ること,そしてその道のプロがきちんとした品質管理の元で作っていることでしょう。ハズレがないというのは,素晴らしいことです。
 大量生産で,価格以上の性能を持つ物が買えることもありますね。自作ではこうはいきません。そのくせ,オーディオシステム全体を考えた場合に,スピーカシステムが音質に占める割合が極めて大きく,ここをきっちりしておかないと,アンプやCDでどれほど頑張っても,もう取り返しがつかなくなってしまうのも,私にとってはメーカー製のものを買う理由には十分でした。
 実際,私が購入したJBLの4312Mは,2本セットで5万円ほどでしたが,本当に素晴らしい音でしたし,最近評価の高いスピーカーシステムでも,3万円ほどで買えたりします。本当にお買い得だと思います。
 数日前まで,この考え方に曇りはありませんでした。
 しかし,先に挙げた「オーディオクラフトマガジン第7巻」を見て,ちょっと作ってみるかという気になったのは,そこに面白そうなスピーカーユニットが出ていたからです。
 DIY AUDIOという会社のSA/F80alというユニットです。口径8cmのフルレンジユニットで,なんとアルミコーン(アルミでコーンを作ってあります)です。アルミコーンのユニットは高価なんですが,秋葉原の実売価格で3880円と,それなりにリーズナブルです。(フォステクスの8cmなんかだと2000円くらいですから,それと比べれば随分高価ですけど・・・)
 小さな口径のスピーカーユニットが低音を出せるようになるには,いくつかの工夫が必要です。口径が小さいんですから,低い周波数を出すにはコーンの移動量を大きくしないといけませんし,当然移動しやすくないといけません。SA/F80alはエッジを柔らかいゴムにしてあり,移動量は実に最大で10mm以上もあるかというものです。こういうのを,ハイコンプライアンスなスピーカーユニットというのですが,今はここまで出来るようになってるのかと,驚きました。
 あと,コーンの質量も大きめにしておく必要があります。その代わり,駆動に大きなエネルギーが必要になりますから,同じ電力を入れても,出てくる音は小さめになります。効率が低くなるんですね。そんなこんなで,F0という低音限界は85Hzというスペックです。
 高音に関しては,さすがにアルミコーンだけあって,スペックを見ても20kHzまでのびています。このままツィータに使えるかもしれませんね。
 「オーディオクラフトマガジン第7巻」では,これを縦長のエンクロージャーに5つ縦に並べてました。この方式,実質的な振動板の面積を増やすのと等価ですので,低音もしっかり出ますし,指向性も鋭くなり,抜群の定位を誇ります。私も昔非常に憧れた方式です。
 しかし,お金がかかります。そこで,とりあえず左右で1本ずつ,2本購入して見ようということになりました。
 お店で出してもらうと,予想以上に小さく思えます。
 わくわくして見ていると,すぐにでも音を出したくなって来ました。そこで店の人に「なんか適当な箱ないですかね?」と,マニアが聞いたら小一時間説教されそうなことを言ってみると,高さ20cmほどのバスレフ型のエンクロージャーを出してきてくれました。板はパーティクルボードで10mmほど,ユニット取り付け用の丸穴も,バスレフポートも加工済み,背面にはターミナル取り付け済みで,吸音材までセットになっています。1つ1980円。自分で作ったら,ここまで綺麗には作れませんし,材料費も結構かかる物です。迷わず2つ買って帰りました。
 帰ってきてから,早速ユニットをエンクロージャーに取り付けてみます。エンクロージャーの丸穴がやや小さいのですが,ユニットのフレームを削って無理に押し込みました。木ねじを使って,締め込みます。
 僅か15分ほどで完成してしまいました。早速音出しです。
 自作のFETパワーアンプにつないでみます。メインシステムの4312Mは真空管のアンプにつながってますので,このFETパワーアンプは今はヘッドフォンアンプに成り下がってました。
 音を出してみます・・・
 おお,素晴らしい。
 まず,8cmと思えないような豊かな低音。バスレフ型であることも有利でしょうが,エンクロージャーの大きさも十分だったようです。ハイコンプライアンスなスピーカーユニットを駆動するには,内部抵抗の低い(結果としてダンピングファクターが大きくなる)大出力の半導体アンプで効率の悪さをぶっ飛ばしながら,強力にドライブするのが都合がいいのですが,まさにそういう駆動が出来ているようです。
 次に高音。ハイハットやシンバルのような金属音は,フルレンジユニットにはなかなか厳しいのですが,さすがにアルミコーンだけあって,金属音にも十分対応できています。中域はフルレンジのお家芸,言うまでもなく豊かです。
 全帯域において,非常に豊かな音を出しているという事は,実はものすごいことで,4312Mのような3ウェイではどうしても,音がその高さによって,ばらけて聞こえてしまいますが,1つのスピーカーユニットで全部の音を出せばばらけることはない訳で,そのしっかりとした定位には,まさに圧巻です。フルレンジユニットの良さというのは,まさにこういうことだったんですね。ようやくわかりました。
 試しにこのスピーカーシステムを,小出力の真空管アンプ(6V6シングルで4W+4Wほどです)につないでみると,なんとも痩せた音しか出てきません。レンジの狭さというのか,低音の元気のなさというのか,それがこんなにはっきり分かるとは,面白い物です。
 4312Mと比べて見ると,そりゃ全然違います。レンジの広さはゆとりさえ感じますし,低音の出方にも余裕があります。その意味で良くできたスピーカーシステムなんだと改めて思わされるのですが,リスニングポジションの問題もあって,定位はいまいちでした。
 今回作ったスピーカーシステム,合計で結局12000円ほどかかってますから,決して安いとはいえません。しかし,半導体アンプとの相性は抜群,フルレンジユニットの魅力を知ることも出来ましたが,なにより実用として十分に楽しいもので,単に自己満足で終わったり,実験後にお蔵入りすることもない,非常にお得な物だったと思います。
 効率を悪くしてでも再生周波数を広げ,強力なドライブ能力のある大出力半導体アンプで効率の悪さをカバーする最近の方法,決して一部にあるような悪い話ではないと思いました。
 真空管アンプには紙コーンの3ウェイで効率のいい物,半導体アンプにはハイコンプライアンスな小型フルレンジユニットをパワーでならしきる,スピーカーシステムとアンプの相性をまじめに考えさせられました。
 で,こんなフルレンジユニットを使ったスピーカーシステムは,市販されてないんですよね。スピーカーシステム自作の楽しみは,実はこういうところにあるんだとも気がつきました。
 それまで,スピーカーシステムは買うのがベストという考えは,その日をもって改めることになったわけです。
2001年11月13日 16時02分55秒

Yahoo!BB大丈夫か?
 ここにも随分前に書いたように,Yahoo!BBに一度は申し込んだものの,開通期日が遅れたことを理由にキャンセルし,某プロバイダのADSL常時接続コースが値下がりしたことを受けてそちらに鞍替えしました。
 現在私は,そこで1.5Mbpsとはいえ,常時接続のありがたみをいろいろ受けているんですが,もしYahoo!BBに任せていたらどうなっていただろうと,ふと思うことがあります。
 なにげにWEBを見ていると,結構Yahoo!BBにひどい目に遭わされている人がいるみたいで,彼らが掲示板に「いつまでたっても開通しない」「いつ電話しても明快な答えが出てこない」「つながってないのに請求だけ来た」「うちもだうちも」と言った具合に,なかなか気の毒な状況のようです。
 一方で,つながった人の感想としては,さすがに8Mbps,随分高速だ,とか,バックボーンの太さは話の通りで,実に快適,とか,あまり悪く言う人はいないのです。
 結局,希望者が殺到して,サポート体制が追いついていないということなんでしょうが,それにしたって,請求だけされてしまうという話は,ちょっとひどすぎます。
 Yahoo!BBの電話サポートは,今まで非公開だったのですが,これが公開されて人員も増員されるそうです。少しはましになることを期待したいところですが,数ではなくて質だと,被害(あえてこう書きます)にあわれた方々の話を見ると思います。
 折り返しの電話をお願いしても放置され,かけ直してその担当者の名前を告げると「お休み」「外出」「退社した」などという返事が高確率で返ってくるようです。
 こうなると苦情は総務省(昔の郵政省です)の窓口や消費者センターにいくわけですが,ここもそろそろ手に負えなくなってるようで,ぞんざいな対応しかしてもらえなくなりつつあるようです。
 つながってないのに料金の請求があったケースでは,カード会社に支払いの拒否をしても受け入れられなかったりするケースもあるようですし,どうも弱者である消費者が完全に負け組になっている感じがします。
 ADSLがややこしいのは,開通しなくてもNTT側の工事が終わればNTTに費用の請求をされてしまいますし,NTTの局舎内に別の会社の機材が持ち込まれて工事が行われる関係もあって,他の事業者に鞍替えをしようとしても「回線を握られている」段階になっていれば,もうその回線を手放してくれるまで本当に待つ他ないということでしょう。
 NTTにしても,他社のやってることで自分たちに電話が来るのも困るだろうし,でも局内工事に工事費用を利用者に直接支払ってもらっている以上答える義務はあるしで,Yahoo!BBとNTTの仲が悪くなるのは,もう避けられないんじゃないかと思います。
 サービスそのものが良い評判であるだけに,こうしたサポートの問題で評判を落とすのは非常に惜しい話です。
 私自身は,申し込みをした後,比較的早くにキャンセルをしたので,スムーズにキャンセルも出来ましたし,他の業者に乗り換えることも出来ました。もしあのまま,Yahoo!BBにしていたら・・・などと思うと,危ないところだったと,冷や汗ものです。
 そんなわけで,今回の事件を考えてみると,やはり重要なのは「実績」です。革命的なサービスを始めて業界を震撼させたYahoo!BBですが,本質的に悪徳業者ではなくても,実際の業務において,予想できなかったこと,予想が甘かったところが露呈しているわけです。そういう部分こそノウハウなわけで,我々はこうした部分に対する対価も考えた上で,賢い買い物をしないといけないと思いました。
2001年11月06日 16時31分15秒

iTune2使ってみました
 昨日の夜,アップルからiTune2というソフトがリリースされました。iTune2というのは,MP3エンコーダやリッパーといった機能を持つ,ミュージックライブラリアンです。某ソニーのNetworkWalkmanだと,OpenMG JukeBoxが該当します。
 エンコード形式はMP3しかないので,ライブラリとして果たしてどれほど価値のある物になるのか疑問ではありますが,HDDの容量が個人では扱えないほどの大きさになり,こうした用途やあるいは映像の編集などが新しいコンピュータの使われ方として主流になることがちょっと前から予測されてきました。
 iTuneというソフトが以前からあったのですが,これはNOMADなどのメジャーなMP3プレイヤーへの転送機能や,CD-Rへの書き出し機能,インターネットラジオなどを持つ,それなりに優秀なソフトでした。これが無料でダウンロード出来るというのですから,それまで遅れていたMacユーザーのミュージックライブラリの活用が,一気に進んだとものと思います。
 で,先日のiPodの発表です。これへの転送機能がiTuneに入ることは予想通りでしたが,それを遙かに越える同期機能が付いたこと,それがFireWireで実現することには,5GByteの容量を持つiPodを飛躍的に使いやすくするものだったと,私も高く評価しています。
 この機能が付いたiTuneはバージョン2となり,名前もiTune2となりました。これがiPodの発売の前に,ダウンロード出来るようになったのです。
 私も早速ダウンロードしてみました。MacOS X版は日本語リソースがきちんと入っているので,そのまま日本語版として使うことが出来ます。最近のアップルは,日本市場を相当重視していますね。
 見た目はあまり変わっていません。日本語の扱いも,完璧です。以前のiTuneでは,CDDBから取得する曲名などが化けてしまうという問題があったのですが,iTune2ではそのままうまく扱えるようになっています。これだけでもかなりうれしいものです。
 秀逸なのは,そのユーザーインターフェースです。これはもう,すばらしいの一言につきます。直感的な操作性,リッピングからエンコード,整理までの手順が流れるように進んでいきます。CDDBに登録されていないアルバムなどは自分で曲名を付けねばなりませんが,アルバムタイトルやアーティスト名などはまとめて登録することがとても簡単に出来ますし,はっきりいって家電製品よりもしっくりくるんです。さすがに,ユーザーインターフェースについては世界屈指の職人集団,アップルです。
 私自身は,CDをこういう形でHDDに詰め込んでしまう必要性を感じていませんでした。MP3になってしまえば音が悪くなるし,コンピュータで再生することの音質劣化への抵抗がありました。アンプもスピーカもろくなもんじゃありません。それなのに,貴重なHDDを音楽のような物で埋めてしまうことももったいなかったですし,CPUパワーも無駄でした。CDはCDプレイヤーで聴けば,ずっといい音で完全に聴くことが出来るのです。
 しかし,数年前から,CDを買っても,あまり聴かなくなりました。ある曲を聴きたいと思っても,それがどこにあるのかがわからなくなっているのです。枚数が増える,10年以上前のCDのことなど覚えてない,誰かに貸したのか,それともなくしたのかわからない,そういう管理上の問題が深刻になり,実は音楽と接する時間が減っていたのです。
 iTune2をこうして評価していくうちに,この問題を一気に解決できるのではと思いました。CDをすべてHDDに入れてしまい,CDDBによってアルバム,アーティスト,曲名を付けたファイルで管理する。iTune2には検索機能もありますので,すぐに検索が出来ますし,CD-Rに焼くこと(私はiTune対応のCD-Rドライブは持っていないので意味がないですが)も可能ですし,携帯型MP3プレイヤーを買えば簡単に外に持ち歩くことも可能です。
 MacOS Xでは,従来のMacOSと違って,音楽再生中にも他の作業へ影響を与えることが少なくなりました。以前は,たかが音楽再生のためにフリーズしたり,他のアプリケーションを巻き添えにしてしまうようなことが心配で,とてもそんなことは出来ませんでしたが,今回はその懸念がかなり減ります。だとすると,今やコンピュータが生活の一部に組み込まれているわけですから,ここで音楽と向き合えるようになると,音楽とのつきあい方が随分変わってくるなと思うわけです。
 そうなると,俄然注目されるのは,iPodです。iPodの大容量,小型,iTune2との同期機能,伝え聞くところではやはり絶賛されているユーザーインターフェースの素晴らしさ,まさに今まで諸問題から遠ざかっていた音楽とのつきあい方が,劇的に変わる可能性が出てきます。
 いやー,わくわくしますね。
 iPodは5万円近いので,ちょっとどうかなと思うところもありますが,iTune2がよく出来ていること,iPodが持つ5GByteが非常に価値のある大きさであることを考えると,実は買いのアイテムのような気もします。
 iPodの評価は,どうもまっぷたつのようです。趣味製の強い高価な物ですから,当然の結果です。なんだか,かつて,ジャン・ルイ・ガセーが技術部門の責任者だっただったころの,アップルの製品ラインナップみたいな気がしてきます。「違いのわかる人だけ,このプレミアムアイテムを買ってください」,そういう世界,私は嫌いではありません。
 というわけで,今のところ,iPodはかなり買う気になっています。しかし,大きな問題が・・・私のMacには,FireWireがないのです。これはえらいことです。FireWireがなければ,iPodはタダの箱です。うむー,確かに私のPowerMac7600にもFireWireが増設出来るのですが,MacOS Xでもちゃんと動くことを確認してある物は少ない上に高価です。また,私のMacはPCIスロットが埋まってますので,どれかを抜かねばなりません。USBとFireWireのコンボカードを買えばUSBのカードを抜いてしまっても大丈夫なので,これ以外の選択肢はちょっとありませんね。ますますリスクが大きくなる・・・
 実は,HDDの修理があがってきて,HDDのトラブルは片が付いたのですが,その後突然画面に縦線が出てあわてたり(VRAMを差し直せば直りました),昨日は突然カーネルパニック連発で,調べてみるとメインメモリがおかしかった(これも差し直せば直りました)りと,一難去ってまた一難という状況が続いています。今は安定しているのですが,ここにコンボカードなるややこしいものを入れると,またはまりまくるのが目に見えています。
 迷いますね・・・この際マシンを買い換える・・・iBookを買っちゃうか・・・などと考えると,お金がいくらあっても足りません。恐るべしiPod。
 ま,それだけアップルのユーザーインターフェースの素晴らしさが際立っているということだと思います。企業イメージもそうですが,アップルには,人との接点をまじめに考える,そういう風土が昔からあるのだと思います。Windowsに追いつかれたといわれるGUIですが,甘い甘い。悪いけど,アップルはまだまだ先にいますよ。
2001年11月04日 17時56分34秒

全く個人的な書評
 秋です。秋と言えば,夜長の読書です。
 この時期,本を読みやすい気候になることもそうですが,なにより秋の高い空のごとく,頭の中も澄み切って,なんというかこう,知識欲が旺盛になることが,読書に向かわせる人を増やすのではないでしょうか。
 夏のクソ暑い時に,誰が小難しい本を読もうと思うでしょうか。
 私もご多分に漏れず,秋は読書が面白くて,ついつい夜更かしをします。
 そんな訳で,ここ最近読んだ本の,個人的な書評を書こうと思います。
 なお,著者,訳者の方々は敬称略とさせて頂きます。

・真空管の伝説(木村哲人,筑摩書店)
 夏頃出た本です。このシリーズ「ちくまプリマーブックス」というのは,ちょっとマニアックな話を,どちらかというおもしろおかしく一般の人に紹介するシリーズのようで,登場してまだ7,8年という若いシリーズです。
 その初期のものに「電気機関車を作る」というタイトルのものがありました。模型の電気機関車でも作るのかな,と偶然手に取った私は,その中身が「本物」の電気機関車の作り方を説明していることに,腰を抜かしました。
 一体なんの役に立つのだろう・・・一般の人はこんなことを知りたいとさえ思わないんじゃないのか・・・このシリーズ,すぐに消えるだろうな・・・などと思いながら,とても面白く読んだ記憶があります。
 果たして「ちくまプリマーブックス」は,消えていませんでした。それどころか,今度は真空管を題材にして新刊を出していたのです。
 とりあえず買ってみました。3時間ほどで読めるライトなものでしたが,内容はというと,よく言えば電子工学の戦前から戦後にかけての発達史,悪く言えば年寄りの回顧録といった感じです。
 世の中には間違った歴史がまかり通っている事がありますが,これを鋭く,史実に裏付けられた形で指摘する本書を面白いと思うためには,まず読み手が真空管に関する歴史を一通り頭に入れておく必要があるでしょう。
 著者は「このままでは間違ったまま時間が流れてしまう,という危機感からこれを書いた」としていますが,まさにその通り。知ってる人にとっては重要な示唆を与えてくれると思います。ただ,整理された資料ではなく,やはり回顧録ですから,そこからのまとめは読み手に任されているというのが実際でしょう。
 毒でも薬でもない,そういう感じの本です。
 評価・・・★★

・インサイド・マッキントッシュ(日経Mac編,日経BP社)
 Apple ComputerがMacintoshのすべてを書いたガイドライン「Inside Macintosh」とは全く関係のない本です。
 惜しまれながら廃刊に至った「日経Mac」ですが,後発だけあって開発者向きの紙面になっていたことが貴重な存在でした。
 この本は,その日経Macに連載されていたものをまとめたもので,Macintoshの新しい技術に関して,かなり詳細な解説を平易な言葉でわかりやすく行ったものです。
 Macの最新技術?そんなもん,なんの役にも立たんな,というなかれ。
 Macは実はその時代その時代で,最先端の技術を惜しみなく投入してきたパイオニアなのです。この本のテーマにも上がっている「RISCプロセッサ」「QuickTime」「IEEE1394」「USB」「ATA」といった最先端の技術は,Apple自身が生み出したり,あるいはMacに早くから採用されて一緒に革新してきたものだったりします。また,遅ればせながらMacOSはMacOS Xになることで,ようやく「マイクロカーネル」「プリエンプティブマルチタスク」といった技術を採用することができました。
 なになに,USBはMacは後発だろうですって? その通りなんですが,USBはAppleが15年ほど前に作ったAppleDesktopBusという規格にそっくりなんですよ。
 それに,爆発的な普及は,iMacによってもたらされたことも,否定できないですよね。そんなわけで,意外にもMacintoshはこのあたりの技術と親和性が高いのです。
 それと,USBとIEEE1394って,なんだか似たようなことが出来るということで,区別がちょっとしにくいですよね。速度の差だけかと思ったり。でも,生まれも育ちも素性も全然違うものだということが,この本を読むとよく分かります。IEEE1394がどうしてあれだけの高速転送を,あれだけの長い距離で行えるか,どうしてUSBではそうはいかないのか,この本を読むとうーんと唸ってしまいます。
 本書はこれらの技術を,本当にわかりやすく,しかも強烈に深く解説しています。著者のみなさんが現役のデバイスドライバのプログラマーだったりしますので,その情報の正確さは折り紙付き。しょーもない評論家やフリーライターが書く記事とは質が圧倒的に違います。
 とはいえ,やはり難しい内容であることは事実であり,少なくともこれらをハードとソフトの両面から真に理解したいと思う人でないと,挫折するでしょう。
 PowerMacintoshの68kエミュレータには2種類あって,何が違っているのか,ということを知りたいと思った人は,是非読んでみてください。目から鱗が落ちます。
 評価・・・★★★★★

・ソフトウェアの20世紀(長谷川裕行,翔泳社)
 電子工学,あるいはコンピュータのハードウェアに関しての歴史書は,実は探せばそれなりにあります。
 しかし,ソフトウェアに関して同様な書物を探すと,実はあまりないことがわかります。
 コンピュータは言うまでもなく,ハードウェアとソフトウェアが両輪になって発達してきたものです。エニアックの時代から,当然ソフトの歴史もスタートしていたはずなのですが,今の我々が体系的にそれを学ぶ機会は限られています。
 そんな中でこの本です。この本はまさにソフトウェアを軸にした歴史がまとまっていないことを憂慮して作られた,ソフトウェアを中心にしたコンピュータの発達史です。
 機械語,アセンブラ,そして高級言語からオブジェクト指向へ,なぜ生まれたのか,なぜそうなったのかを,非常に克明に記しています。
 元々,Dr.Dobbs Journal日本語版(DDJ)の連載だったもので,やはりソフトウェアエンジニアに向けて書かれた故の難しさはあると思います。
 しかし,堅苦しい言葉はなしにして,とにかく概念と歴史を,その当時の文化や世相,人物と共に時間軸上に並べて行きます。
 C言語はALGOL系の言語である,と知ってはいても,じゃALGOLってどんな言語なの?っていうことは,ほとんどの人は知らないでしょう。本書は,ソフトウェア発達の源流を,必然性に基づいてかいま見せてくれる,まれに見る良書です。
 評価・・・★★★★☆

・経済ってそういうことだったのか会議(佐藤雅彦,竹中平蔵,日本経済新聞社)
 初版は1999年ですから,比較的古い本です。今は経済担当の大臣である竹中平蔵氏が,だんご3兄弟で有名な佐藤雅彦氏との対談の中で,難しいこの地球の経済を紐解いていきます。
 税金,株,あやしい印象が一般市民にはありますね。積極的に関わるどころか,むしろある程度の距離を置いた方が無難であると,そんな印象さえもあります。
 ところがこれらの問題は,毎日毎日新聞やテレビのニュースで出てこない日はありませんし,中学校や高校でも社会科で習うことからも,現代人が生きていく上での必須事項であるといえたりするわけです。
 では,この胡散臭さはなんだ,庶民を遠ざける力はなんだとなるわけですが,それがそもそも誤解であることを,屈指の経済学者である竹中氏は本当に優しく解説していきます。
 私は,物事を理解するにはまず歴史を知ることから始めねばならない,という持論があり,興味を持った分野については必ずその歴史を調べることから始めるのですが,どうも竹中氏も同じような方でいらっしゃるようで,何かを説明する時にはまずその歴史を説明することから始めています。
 佐藤氏も,実はとても頭の切れる方なんですが,我々凡人の知識レベルにわざわざあわせて,代わりに竹中氏に質問を投げてくれています。
 竹中氏もこれを「いい質問ですね」とか「そこなんですよ」とか,そういう言葉でとても親切に答えてくれる。こういうやりとりって,なかなかないもんなんですよね。
 私が知りたいと思っていたことを代わりに質問してくれ,その質問を越える答えが返ってくるやりとりを見るのは,まるで私がそこに居合わせているような臨場感さえ感じます。
 竹中氏は大臣となって,日本の経済を動かす当事者になりました。その力量が問われているわけですが,彼は基本的に「理論を考える」ことが仕事の学者ですから,実践を求められる現場に出向くことは,ちょっと大変だろうなと思います。また,そのことで彼自身の評価も決まるだろうし,それに一国の経済が左右されるのですから,私たちの生活にも直接影響が出てきます。
 そんな仕事を,彼があえて自分の領分を越えて請け負う覚悟をしたのか,それをちょっと考えてしまいました。この本には,そんなメッセージも詰まっていると思います。
 評価・・・★★★★★

・テルミン エーテル音楽と20世紀ロシアを生きた男(竹内正美,岳陽舎)
 少し前に「チェブラーシカ」でも書きましたが,今年は少しロシアブームのようです。テルミンに関しても,これまで一部のマニアが知っているくらいのもので,一般の人がそれを「楽器」と知ることは,ほとんどなかったと思います。
 かくいう私は,高校生の時に「シンセサイザーの先祖」として,テルハーモニウムやオンド・マルトノと同時に,それこそ同列に覚えた記憶があります。どんな音なのか,どんな演奏方法なのかは,雑誌で見たことくらいがせいぜいだったわけです。
 後に,ミニムーグで有名なモーグ博士が若い頃手がけ,そして最近になって彼の主宰する会社で生産されていることを知ったり,ビーチボーイズなどが有名なアルバムで使っていたことを知るようになりました。
 しかし,今年になって,「テルミン」に関するドキュメンタリー映画が公開され,まるで「タモリ倶楽部」のタモリが,「笑っていいとも!」に出始めたかのように,日の当たる場所にさらされるようになったのです。
 時を同じくして,日本のテルミン奏者の一人,竹内正美氏がテルミンという楽器,そしてその開発者であるテルミン博士の数奇な人生をまとめた本が,これです。
 1920年から30年にかけて,ロシアがソ連に変わった頃の話ですね,ヨーロッパの時代が終わり,アメリカが世界を支配していくそんな時代に,テルミン博士は生きていました。
 社会主義と資本主義という2つのイデオロギーの狭間で,彼は非常に悲劇的な人生を歩みます。それはもう,私のような平和ボケした頭では想像もつかないほどです。
 彼がテルミンという「電子楽器」を開発したのは,その時々の最新技術を使って,楽器というのは進歩してきたという信念ゆえです。当時,真空管が実用期に入り,工学の主役が機械と建築から,電機と電子に移ろうとしていました。
 この新しい技術が,音楽の素養もあったテルミン博士によって楽器に応用されることは,例えばピアノやオルガンがその当時の技術を結集して作られたことと,何ら変わるものではありません。
 その先見性は,現代の音楽の大半が,電子や電機の力によって演奏されているという事実に,如実に現れているのではないでしょうか。
 本当にここ最近,HPやCDショップでテルミンという言葉を目にすることが多くなりました。
 その,まるで魔法をかけるような独特の演奏方法,開発者のあまりに衝撃的な人生,そして女声のような音色によって,それまで潜在的にテルミンに興味のあった予備軍を,一気に壇上に上げたのではないかと,私は思っています。
 あ,書評ですね,結論から言えば,はっきりいってこの本は「映画のパンフレット」でしょう。貴重な映像や肉声に触れる機会があるだけ映画の方が価値があると思いますが,映画を見ればこの本は必要ない,ということになる様な気がします。
 ところで,この本にも書かれていますが,テルミンの原理は,「ヘテロダイン」という方式が根底にあります。
 ヘテロダインとは,電子工学の重要な技術で,2つの周波数を混ぜると,その周波数の和と差の2つの波が出てくるというものです。
 アメリカのアームストロングは第二次大戦中にレーダーの研究で,このヘテロダインを使った高感度なラジオの発明に成功し,実は現代の無線システムのすべてがこの方法で作られています。
 一方,テルミン博士は,これを楽器に応用しました。2つの発振器を用意し,1つは周波数を固定,もう1つはアンテナと手の距離で周波数が変わるようにしておきます。これを混ぜると,その差が耳に聞こえる周波数,つまり音として出てくるわけです。
 作るのは比較的簡単で,自作愛好者もいると聞きます。私もいずれ作ってみたいと思っています。
 評価・・・★★★

・ライフワークは音楽(梯郁太郎,音楽之友社)
 これは以前書きましたが,ローランドの創業者である梯郁太郎氏が,電子楽器の開発に捧げたその半生をつづったものです。
 同じ意味で前述の「真空管の伝説」にも似た回顧録であるわけですが,根本的に違うのは,梯氏は技術者であると同時に,創業者であり,経営者であったということでしょう。
 また,電子楽器のマーケットはまず海外から開けていきましたから,今で言うグローバリゼーションは彼の中にはすでに数十年前から当たり前のように存在していたわけです。
 現地の人と共に電子楽器を立ち上げていく,そういった気概が,ローランドを世界企業に育てたのでしょう。
 彼はエンジニアで,かつ音楽と楽器が大好きな人ですから,本当は第一線から離れることは苦渋の選択だったはずです。しかし,初期モデルに関わって以降,経営に専念することになります。ここでの割り切りが,ただの町工場の社長で終わるか,世界企業のトップになるかの分かれ目なんでしょうね。
 マンハッタンの「Rock Walk」に手形を残した日本人はとても貴重な存在なわけですが,私にすればもはや,彼の前に日本だ世界だは,無意味なことだと思うのです。
 評価・・・★★★☆

・マンガ量子論入門(J.P.マッケボイ,オスカー・サラーティ,治部真理訳,講談社)
 量子力学の本は,たくさん出ていますね。なぜか,理系の大学では必修となっている割に,結局わからずじまいで済ませてしまったからでしょうか,それとも身の回りのもの,特に半導体製品が量子力学という基礎によって発展できたからでしょうか。
 いずれにせよ,量子力学は難解です。そりゃそうです,僅か60年ほど前には,宇宙をも変えると恐れられた,最先端の学問だったのですから。
 世界中の英知がよってたかって作り上げたその理論を,我々凡人がそう簡単に理解できることなど,普通はありません。だから,わからなくてもいいんです。
 でも,この本を読めば,少しはわかるかも,そんな気がしました。
 イギリスで風刺漫画書かれている方が,量子力学の入門書をつくりました。わかりやすいと好評だったようで,日本ではブルーバックスからの発売となりました。
 なにがわかりやすかったですが,やはり理論や技術ではなく,「人」にスポットを当てたからでしょう。学者といえど,一人の人間。彼がどういう生活の中でどういうことを考えたか,その結果どういう理論が生まれ,それが他の学者にどう影響したのか,ということを,非常に筋道たてて説明しています。
 強烈なイラストも,またすばらしいですね。教科書に出てきた有名な学者が,デフォルメされて描かれています。学者同士の論争も「いつ」「どこで」「どんな場で」といったリアルな情報で書かれていますので,まるでその時代に生きているかのような錯覚さえも覚えます。
 で,結局量子力学はわかったの?・・・実はあんまりわからんのです。
 評価・・・★★

・ホンダ・シビック(別冊CG,二玄社)
 数ある自動車雑誌の中でも,1クラス上の気品を持つ(この気品が鼻につくことこの上ないのですが)Car Graphic。ここでは今も新型車が出ると詳細なデータを取って評価を行っています。極めてエンジニアリング的であり,それなりに信用のおけるデータではないかと思います。
 しかし,このデータが真価を発揮するのは,時間が経過してからでしょう。そのデータはすなわち,日本の自動車の発達史と同じ意味を持ち始めます。いかにして日本の自動車が世界のトップに躍り出たのか,それをデータから読みとるのはとても楽しい作業です。
 しかし,せっかくのこのデータも,雑誌という媒体に載せられていたゆえ,すぐにまとまった形で見ることが出来ません。私なども,昔2代目のシビックに乗っていた頃,発売当時のCar Graphicのバックナンバーを古本屋で探して,とても面白く読んだ記憶があります。こうした努力をしないと,そのデータに触れることは出来ないのです。
 出版社もそのあたりに気が付いたようで,今年で30年を迎えるシビックの変遷を,データでつづる本を出してくれました。それがこれです。
 中身は,ただただ昔の紙面をスクラップしただけのもの。写真製版ですから古い記事は読みにくいです。しかし,その時代にそのシビックが,どういう評価を得ていたのかを知る,とても貴重な資料です。
 評価・・・★★★

・オーディオ・クラシック・モデル(MJ無線と実験編集部編,誠文堂新光社)
 高度経済成長から1980年代まで,日本のオーディオは一番面白い時代を迎えていました。
 私個人はその時代を満喫していた最後の世代でもありますし,当然一部はリアルタイムに知っているのですが,21世紀を迎えて「果たしてあの時代は異常だったんじゃないのか」と,皆がこぞってオーディオに走り,非常に高価な買い物をほいほいしていたその時代をとても懐疑的に見るようになっています。
 つまり,ブームというのではなく,趣味として成熟期にようやくさしかかったのが,オーディオという趣味性の強い世界だろうと,そういうことなのです。そうですね,写真とか,お手本となる世界かもしれませんね。
 本書は,その全盛期を,「無線と実験」という雑誌のレビュー記事からスクラップした本です。データは一切ありませんし,出ているのは写真と当時の価格,簡単な解説と評論家のありがたいご意見だけ。
 雑誌に出てくる記事として,それが紹介の役目を十分に果たしていたことはわかります。しかし,これが編集されて出てきたところで,どれほどの価値があるのだろうかと,読んでみて思いました。
 なによりデータがない,歴史的に意味のある記事がない,ただ目立ったものを拾い上げてホッチキスで綴じているだけの本といえるでしょう。後世に残す必要はない内容です。
 ということで,私としては非常にもの足らないものでした。当時の無線と実験を懐かしく思える回顧主義者にだけお勧めです。
 一般論として,最近どうもオーディオを趣味に持つ人々の「回顧主義」が目立つ気がします。年齢層が上がって,昔は良かったなどという考えがはびこるようになったからでしょうか,それとも技術的トレンドから置いてけぼりを食らっているからでしょうか,どうもひがみっぽくていけません。これだけ半導体とディジタル技術が進歩する時代を,どうして積極的に活用しようとしないんでしょうか。
 成熟した趣味の世界に到達するには,まだまだこのあたりの変革が必要なようです。
 評価・・・★

・遙かなるスミソニアン(松本栄寿,玉川大学出版局)
 横河電機という,日本でも由緒ある計測機器メーカーで企画された「はかる博物館」の責任者となった著者が,いわゆる技術史を研究するためにアメリカに渡り,ここで見てきた資料や人々を,紀行文風にまとめたものです。
 日本と欧米は,共に科学技術先進国でありながら,そこに大きな差があります。よく言われることですが,日本人は「残す」ということが,とても下手です。
 残す,それは自分たちの足跡に価値を見いだし,これを後世に伝える作業です。
 理由に,日本は地震国で,どうせ残しても壊れてしまうんだから,というあきらめから「残す」文化がついえてしまった,というもっともらしい話があります。
 日本は,非常に長い歴史を持つ国です。古くは中国や朝鮮半島から技術,制度,文化を学び,自分たち独自のものに変えていきました。
 そのころのものは,奈良や京都,例えば正倉院であるとか,大きなお寺などにきちんと保管されています。なぜか,それはそれらが「宝」だったからです。
 では,明治以降近代以降の日本の技術の発展が残っていないのはなぜか,それはそれらが「宝」ではなかったからです。自分たちの文化や技術に,残す価値を見出せなかったのです。極論すれば「西欧に劣った」自分たちの成果物に対し,誇りがなかったということです。
 もちろん,日本にも博物館があるし,個人レベルでも収集家がいて,それなりに日本の科学技術を語る貴重な物品が残されていますし,研究もされています。しかし,欧米の博物館,特に世界三大博物館と呼ばれる大英博物館,ドイツ博物館,そしてスミソニアン博物館のような規模と業績を残せないのは,なぜでしょうか?
 著者はアメリカ国民の間でも権威とされるスミソニアンの研究員として勤務し,その間に科学史を学ぶため大学に入り,その後全米を自ら自動車で回って,貴重な資料や当時を知る証人にであって,自らの見識を高めていきます。
 スミソニアンはやはりアメリカ人にとっても憧れの対象であるようで,死ぬまでに一度は「スミソニアン詣で」をしたいものなのだそうです。
 たかが博物館,そう思う人も多いでしょうが,歴史の浅いアメリカにとって,誕生以来年中無休,無料で市民に公開されている独立した存在であるスミソニアンが持つ懐の大きさは,まさに自国の誇りそのものなのです。
 スミソニアンの特徴としてこの本では,収蔵品をただ並べるだけではなく,また技術史を時系列で並べるのではなく,その技術と社会との関わりを展示することをテーマとしている,と述べています。
 これは非常に興味深い事であり,スミソニアンもかつては時系列で展示を行っていたのに,それを取りやめたという事実から考えても,アメリカという国の成り立ちを色濃く反映していると思います。
 実は私は,こんな仕事をやってるせいもあって,電子工学の歴史,電子計算機の歴史に大変興味があり,それらの文献を読むたびにわくわくしています。日本にはまだ体系的に技術史を研究する機関が少ないのですが,それゆえスミソニアンのような組織の存在は非常にうらやましいのです。
 また,スミソニアンは「本物志向」であると書かれています。レプリカを使わず,極力本物を展示し,しかもそれが遠いところにあったりするのではなく,見学者の手の届くところに展示されていることに,日本の博物館との違いを見たと,著者は述べています。
 著者は,トランジスタ技術という雑誌に,電気計測機器の発達史を短期連載したことがあります。私もその記事を読んでこの本を知ったのですが,私が勝手に期待した内容はやはり「技術史」でした。
 実際は前述の通り紀行文(あるいは体験記)だったので,期待していたものに出会うことは出来ませんでした。
 ただ,あの歳で自分の研究意欲だけでこれほどアグレッシブになれるという事にただただ圧倒され,そのうちに読了となりました。
 アメリカという国を肌で感じている著者が,読者にアメリカの文化の一面を疑似体験させてくれます。技術史に興味も関心もなくとも,アメリカという国を知りたい人には,是非お薦めしたい本です。
 評価・・・★★★

・志を高く(山本卓真,日本経済新聞社)
 2年ほど前に出版された本です。もともと日本経済新聞に連載されていたものですが,これをよくある「経営者の述懐」だと思ってしまうと,話はそこまでです。
 著者は,1980年代にコンピュータメーカーである富士通の社長に就任しますが,その半生を自ら記したこの本は,富士通が世界屈指のコンピュータメーカーに育った経緯をそのまま書き記したものといってもよいでしょう。
 私は,電子計算機の歴史に興味があると先ほども書きました。日本の電子計算機の歴史を紐解くと,必ず出くわす人物がいます。池田敏夫氏,その人です。
 氏を知る人は皆「天才」という言葉を使って彼を形容します。著者ももちろんそうで,富士通が電電公社お抱えのつまらない企業から脱却しようともがいた時期に,2年先輩だった池田氏と共にコンピュータを富士通の主軸とし,またそこから大きな飛躍を遂げるいきさつには,胸躍るものがあります。
 池田敏夫氏は,富士通がまさに社運をかけたたった一人の天才ですが,いわゆる技術バカではなく,ひらめき,カリスマ,統率力と行動力,また非常にタフであったことで,確実に富士通のリーダーとなっていきます。また,彼を理解し支えた上司や当時の社長のエピソードにも,ただならぬ活力を感じます。
 しかし,自分のまいた種とでもいうのでしょうか,常人を越えた仕事量からカナダからのお客さんを出迎えた羽田空港のロビーでくも膜下出血に倒れ,そのまま帰らぬ人となってしまいます。享年51歳。あまりに若い,壮絶な死でした。
 著者は特攻隊として,いよいよ出撃という当日に終戦を迎えた軍人でしたが,彼をして池田氏を「壮絶な戦死」と言わしめ,また「これほど行き急いだのか」と嘆息させるのは,一人の天才が企業の命運をかけ,そのほとばしる力を炸裂させて粉々に散っていった,そんな想像を絶する出来事を,我々の心に深く刻みます。
 池田氏は天才でしたが,もちろん足りないものもありました。それを補ってきた一人が著者です。著者が会社の意志決定に関わるようになってから,例えばアムダール社やICL社の買収問題など,多くの問題に立ち会われましたが,やはり最も大きな事件はIBMとの特許紛争でしょう。
 それまでIBMは日本のメーカーを見くびっていました。しかし富士通が一時期IBMを押さえて世界第一位のコンピュータメーカーになった時,IBMが牙をむきました。
 当時社長であった著者は,主張すべきところは主張し,譲れないところでは一歩も引かなかったそうですが,この毅然とした富士通の姿勢は,例えば後にTI社からキルビー特許の侵害を通告された日本の半導体メーカーのうち,富士通だけが法廷で徹底的に争って勝ったというところにも垣間見ることが出来ます。安易な妥協が許されない剛毅な土壌,それが富士通の新進の気風だったはずです。
 富士通の社長は10年単位で,著者から関澤氏,そして現在の秋庭氏へと引き継がれますが,この間富士通は乱暴ともいえるドメスティックな変革を遂げます。
 その当時は小回りの利かない大企業の変身を高く評価する声も聞かれましたが,私はそれがやりすぎであったことを,今になって痛感している人も多いのではないかと思っています。
 東洋経済という雑誌に秋庭社長のインタビューが載っていましたが,「会社の業績が悪いのは社員が働かないからだ。経営者は株主のお金を運用する義務はあるが,赤字になったことまで責任は持てない。」というその失言に対し,多くの人が落胆したと言います。
 かくいう私も,池田敏夫氏とその周りにいた個性豊かな人々に憧れ,富士通は他の大企業とは違う大企業だと信じて,非常に好きだった会社です。その富士通が,今病んでいます。非常に残念なことです。
 その変化点はどこにあったのか,例えば1円入札の論議,フェアチャイルドの買収問題,パソコンの開発・販売戦略,家電メーカーゼネラルの買収,神戸工業の買収,IBMとの和解など,すべて著者が意志決定に大きな影響力を持つ時期に起こっています。
 思えば,このころの富士通は,ちょっと拡張を続けすぎていたように思います。この本でも,後半は著者自身が振り返って重大な事件に関する総括を述べていますが,当然著者の立場上,失敗だったと認めるわけには行かないところもあり,私が見ても苦しい言い訳をしていると思えた部分がありました。
 また,元気なことと,社会的立場をわきまえた言動を取ることとは両立する問題であり,著者の「元気の良さ」が,社会的反発を招いてきたことも否めません。こうしたものが正当化されてきたという風潮が悪い方向に転がった結果として,現社長による先の不用意な発言が飛び出してきたように思えなくもありません。一般の社員と経営者の間のちょっとした温度差も,ちょっと気になるところです。
 一経営者,一企業戦士の教訓などという説教がましい気分で読む必要はありません。著者には失礼かも知れませんが,「日本人が忘れたのは,志だ」と主張する著者の声を届けるためにも,もっとフランクに読むべき本であると思いました。そして,今の富士通のリーダーたちに,もう一度読んでもらいたい本です。
 評価・・・★★★

・エニアック(スコット・マッカートニー,日暮雅通訳,パーソナルメディア)
 世界で最初のコンピュータは?と聞かれて,我々は正確な答えを誰一人として答えることが出来ません。20世紀を代表する発明であるにもかかわらず,例えば動力付きの飛行機がライト兄弟,ペニシリンの発明がフレミングであるといったように,ある発明者個人を特定できないのが,コンピュータなのです。
 これは,コンピュータの開発の時点で,すでに個人での発明が不可能なほどに規模が大きくなってしまっていたことを意味していると思います。
 一方で,コンピュータの発明につながる技術開発は,それこそ数百年前から積み重ねられてきて,それが20世紀中頃に一気にコンピュータという存在に昇華したものとも考えられます。
 しかし,コンピュータは世界を革命した発明品です。誰もがその栄誉をつかみたいものだと思うでしょう。まして,その黎明期に関わった人間であれば,なおのことです。
 エニアック(むしろENIACの方が通りがいいかも)は,世界で最も有名なコンピュータの1つでしょう。ペンシルバニア大学ムーアスクールで誕生,真空管を18000本使う巨大な自動計算機でした。生みの親は主に論理を担当したエッカートと回路設計を担当したモークリーの二人を中心にした比較的少人数のチームです。
 このコンピュータが我々の記憶にあるのは,世界で最初のコンピュータという理由からなのですが,果たしてそうなのか,という疑念が現在においても持たれ続けていて,50年ほどの歴史しかない短い時間の中で決着が付きそうにもない様相を呈しています。
 話が逸れるのですが,エニアックの数年前にイギリスではコロッサスという電子計算機が稼働していますし,ドイツではツーゼという人がZ-1というコンピュータを開発しています。
 アメリカでも,エニアックよりも前にアタナソフとベリーがABCマシンという電子計算機を開発していて,どちらが先に"コンピュータとして"生まれたか,という裁判まで起こっています。
 しかし,エニアックは,やはり世界で最初のコンピュータだと,私は思います。コンピュータとはどんなものか,ということをきちんと定義しないとその第一号機は決定できませんが,その定義を自分なりに考えてみると,コロッサスもZ-1も,ABCマシンでさえもコンピュータとはいえないような気がしています。もう少し研究の余地がありますね。
 さて,エニアックを開発したエッカートとモークリーは,世界最初の電子計算機の開発者であるばかりか,世界最初のコンピュータビジネスを立ち上げた企業家でもありました。しかしながら,彼らのその後はほとんど耳にしません。なぜか,それは,あまりに不遇の生涯を閉じたからなのです。
 トランジスタの発明で,ショックレー,バーディーン,ブラッテンの3人はノーベル賞を受賞しました。ICの発明者であるキルビーとノイスも,それ相応の地位と名誉を手にしています。
 コンピュータという,社会をも変えた機器の開発にかけたエッカートとモークリーより,ストアドプログラム方式のコンピュータが「ノイマン型コンピュータ」とさえ呼ばれるようになったフォン・ノイマンの方がコンピュータの父として有名で,尊敬を集めるのは,なぜでしょう?ノイマンは,コンピュータの開発の陣頭指揮を執ったことはなかったはずです。
 それは,事実がどこかで歪曲したからです。
 本書は,その事実がどこで歪曲したのかを,非常に緻密な考察とこれを裏付ける証言や証拠品で明らかにしていきます。エッカートもモークリーも,決して人なつこい人気者ではなかったのですが,それも裏目に出て社会から抹殺されてしまう,そのいきさつがここで明らかにされていきます。
 なぜコンピュータの開発を行わなかったノイマンがコンピュータの父と呼ばれるのか,裁判では勝訴したABCマシンは,どういう理由でコンピュータとは呼べないのか,誰もが感じる疑問を,この本は実に明快に解き明かしていきます。
 しかし,現実に,ノイマンに栄誉を奪われ,ABCマシンでは敗訴して特許など権利関係が無効になってしなうことで,エッカートとモークリーが,どれほどの損害を被ったでしょうか。それも,本書では明らかにされます。そして,その影には,必ず一人の男の存在が見え隠れします。名誉欲におぼれた人間が,エニアック最大の功労者を,歴史の影に抹殺したのです。
 ノイマンは,別にコンピュータで名声を上げすとも,すでに十分な地位と名誉を手に入れています。加えて,ノイマンはそういった名誉に無頓着であった一面もあり,彼に悪意がなかったことも確かです。では,なぜこういう現実が残っているのか,それがこの本によって得られる答えです。
 しかし,それでも,真実は強かったということでしょう。現在,世界最初のコンピュータとしてエニアックを指し示す事に,疑問を抱く人は非常に少ないです。
 これまで,常識として認知されていた世界最初のコンピュータ開発者 = エッカートとモークリー,という図式を覆すために,あらゆる本が書かれてきました。しかし,その最も後に世に出たこの本は,それらの論争に対する決定打として生まれたような気がします。それほどのインパクトがあると,私自身は思います。
 それぞれの本に,それぞれの主張があります。そんな中で,この本の言い分は,最も切実であり,最も深刻なものだと感じました。ただ,この論争に終止符を打つほどの力はありません。今後の研究に期待するほかありません。
 評価・・・★★★★★

・わたしたちはなぜ科学にだまされるのか(ロバート・L.パーク,栗木さつき訳,主婦の友社)
 世の中には人の弱みにつけ込む悪い奴らがいます。末期ガンの患者に「ガンが治った」という触れ込みで高額な食品を買わせてみたり,ついてない人にツボを買わせてみたり,体調が悪いというと水が悪いからと言ってみたり,普段なら胡散臭いと正しい判断の出来る人でも,一端弱者に回るともう転がり落ちてしまうものです。
 しかし,中には巧妙なものもあって,「科学的に裏付けられた」ともっともらしい科学的説明を添えているものもあります。そういったものに信頼を寄せる現代人は,いかにも科学万能の世紀に生きてるんだなと感じます。
 とはいえ,その科学的裏付けというのが,そもそも怪しい。ビタミンQってなによ?磁力線による効果ってなによ?
 アメリカでもこういうインチキ科学がはびこっているようで,あちらではVoodoo Scienceというそうですが,それを正しい知識で「インチキだ」と糾弾しているのが,この本です。
 著者は著名な科学者でもあり,科学的知識がないばかりにカモにされる弱者を救う・・・という高尚なテーマがあるのかどうかは知りませんが,とにかく科学する目を養えと,そう一貫して述べています。
 例えば永久機関。この世の中には損失が必ず存在しますし,万が一永久に回り続けるエンジンがあったとしても,そこからエネルギーを取り出せば,エネルギーの補充をしなければいずれ止まってしまいます。
 これは現在の科学の最もベースとなる部分であり,それゆえ永久機関というのは絶対にあり得ないということになっています。アメリカなどでは,時間の無駄ということで,永久機関を意図した特許の申請については,内容の審査もなしにその時点で却下されるんだそうです。
 それでも,いや,それだからでしょうが,永久機関を発明した,その発明には自分のすばらしい技術(あるいは力)が使われている,だから私を信じろ,という人たちが支持されていたりします。
 まぁ,本人たちは,場合によっては悪意がなくて,自分のそのものすごい力に心酔しているだけなのかも知れませんが,著者に言わせると,あり得ないことをかざして人心を惑わすのは,Voodoo Sceice以外何者でもないわけです。
 話の舞台がアメリカですので,自分たちにはちょっと身近でない話も多く,著者の言ってることにも「はあ・・・」と思うこともあったりするのですが,昨今アメリカの通信販売のテレビショッピングがそのまま放映されていたり,商品そのものがが日本のテレビショッピングで販売されていたり,近所のホームセンターでなにげに売られていたりと,結構注意してみていれば出会うこともあるものです。
 また,日本独自の「インチキ科学」もあったりします。私は科学者でもないし,人様に物をいえる立場にはありませんのでその程度と考えて頂きたいのですが,例えば水道の蛇口のパイプに磁石を両側から挟み込んで使う,改質器みたいなやつがあるでしょ,あれなんて,「磁力が」「水の分子が」てな具合に,もっともらしいイラストと共に書き連ねてあって,それで最後に「驚きのパワー!!」とか書いてあるわけですよ。ついでに白衣を着たじいさんを「どこそこ大学なになに教授のご推薦」などとあったりするわけです。
 せめて科学的にパンチ力があれば私も問題にはしません。日本人が情けないのは,ここに「権威」がついていることを重視する姿勢です。まいった,Voodoo Scienceどころの話ではありません。
 ということで,実は相手を避難するばかりの本は,実は読み進めるのが辛いのであまり積極的におすすめはしませんが,書いてある内容のおもしろさは保証します。暇つぶしに読んでみるのはOKでしょう。
 評価・・・★★★

・挑戦(日経エレクトロニクス編,日経BP社)
 日本は言うまでもなく,科学技術先進国です。ただ,欧米のそれと異なるのは,新しい開発には集団であたるというところでしょう。それだけに,自分の父親がどんな仕事をして,どんな社会的貢献をしてきたのかを,はっきり知る人は少ないと思います。
 しかし,ものが生まれる時には,必ずそこに人がいるのであって,その人が血のにじむような思いをしたからこそ,成果が出ているわけです。
 日本人は,自分だけの手柄にすることを美徳としない民族性があると言われていて,なかなか開発担当者が表に出てきませんでした。これが企業に属する人なんかだったりすると,ますます目に付かないことになります。
 この本は,そういった陰に隠れた開発の主役にスポットを当て,いかにして画期的な製品が世に生まれたのかを,人間という視点でつづったドキュメントです。元々「日経エレクトロニクス」という雑誌に連載されていたものを集めたものですが,戦後の日本の復興や科学技術立国への飛躍は,こういう個人の力によるところが,結局無視できないんだなとつくづく思わされます。
 タイトルから想像がつくように,新しい商品の開発は,まさに挑戦です。私の仕事も,こんなに高尚ではないにせよ,やってることはそのものずばりです。
 で,やってる人間から言わせてもらうと,この仕事は本当に地味ですね,ええ。夜遅くまで会社に残って,それでルーチンワークのように時間が経過すればそれなりに片付いている仕事ではなく,問題にぶつかってもそれが解決しなければ,いつまでたっても進歩なし。焦ってばかりで時間だけが過ぎていくこともしばしばです。
 それでもこの仕事をやっててよかったと思うのは,やはり悩んだ分だけ自分の思い描いたものが出来上がった時。それがお店に並ぶ時でしょうね。自分の考えが正しかったことを証明できますし,その商品が売れてくれれば,それはつまり,ほんの少しだけ人々の生活に役立ったということでもあって,とても幸せな気分になります。
 この本には,もちろん私のような人間は足下にも及びませんが,数あるヒット商品の開発者の苦悩の毎日が書かれています。まぁ,プロの編集者がインタビューから書き起こすんですから,脚色もあるでしょうし,事実と違う部分もあるでしょう。でも,非常にスリリングです。
 今話題になっている,青色発光ダイオードの開発者である中村修二氏も登場します。連載当時は彼も日亜化学の社員でしたし,今のような境遇になることに考えも及ばなかったと思いますが,当時彼がどういう気持ちでこの開発を見ていたのか,今彼が言っていることと比べてみると非常に面白いと思います。
 他にも,画期的なコンデンサなど,ぱっと見るとただのオヤジが,実はこんなに熱いスピリットで全力投球しているのか,と驚くエピソードが目白押しです。内容は元々専門雑誌の連載だけに,専門性が高く難しいものもあるのですが,大切なことはその情熱と,こういう人々によって日本は前に進んできたのだという事実を知ることです。
 考えてみれば,日本で働いている数千万人の人々は,すべてその道のプロフェッショナル。どの仕事も尊く,またどの人もその仕事に誇りがあるはずです。
 今朝の電車で隣にいたさえないオッサン,実はものすごいものを作り上げている人かも知れません。そう思うと,なんだか頑張らないといけないなと,思ってしまったりしませんでしょうか?
 評価・・・★★★★

 とまぁ,こんな感じですね。ここ3ヶ月ほどの間に読んだ本をざっと上げてみました。小説がないですね,いかんですね。偏ってます。別に,自分が面白くて読んでいる本だから構わないと思いますし,それでも読まないよりはましでしょう。
 それに,読んだ後,こうして内容を反芻し,どこが面白かったのかを考え直す機会があるというのは,その価値を何倍にも高めてくれそうです。
 もうすぐ冷たい風の吹く,読書をしようと言う余裕がなくなってしまう季節がやってきます。それまでの短い時間,今年もこれだけの本を読み終えることが出来ました。
 今すぐでなくても,いずれ役に立つ時もあるだろう,いや,役に立たなくても別にいいや,そんな気分で,読み終えた本の山を眺めてみました。
2001年11月01日 13時03分19秒

さらばSNK
  今日,SNKがその歴史に幕を下ろします。
 SNKといえば,格闘ゲームで「格ゲーの始祖」カプコンと共に,一時代を築いたゲームメーカーです。
 かつて,新日本企画という社名だったころは,よくあるスペースインベーダーの未許諾コピーメーカーでした。それはカプコン,任天堂とて同じ。どこもそういうことをやってたのです。
 違法行為であった(当時はそういう司法判断がなかったので違法ではないともいえるのですが)ことはともかく,おかげで当時の大きな重要に対応できたこと,そしてそこで得た利益を新しいゲームの開発に投じることが出来たことで,日本のゲーム会社の土台が出来たということも可能かもしれません。
 社名をSNKに変えてから,SNKは渋いゲームを連発します。特に「ループレバー」と呼ばれる特殊なジョイスティック(ジョイスティックのレバーが回転し,8方向のロータリースイッチにもなっていた)で,自機の進む方向と弾の発射方向を個別にコントロールする難易度の高いシューティングゲームには,ちょっと惹かれるものがありました。
 二人同時プレイのゲームが多いことでも知られてますね。ゲバラなんかもそうです。あと,歌うゲームってのも,当時ちょっと話題になりました。サイコソルジャーなんかは,名前だけ知ってる人もいると思います。
 当時の私は,ナムコとセガ,コナミとタイトー以外のメーカーは「クズ」だと思ってましたから,SNKにはそれほど興味があったわけではありません。
 そんな中,また私を驚かせたのが,NEO-GEOの発売です。
 当時,ゲームセンターのゲームマシンと,いわゆるファミコンのような家庭用ゲームマシンの間には,天と地の差がありました。ゲームセンターのゲームマシンのCPUはプロ仕様の証「MC68000」が使われ,場合によってはそれが1つではなく,複数搭載されることもありました。
 金にものを言わせた大容量のROMが搭載され,当然ながら価格も1桁違うものでした。
 そんな状況だったから,当時は「いかに低スペックなマシンにゲームセンターのゲームを忠実に移植するか」という事が,制作者もユーザーも大きな評価点だったのです。
 NEO-GEOは,家庭用ゲームマシンへの参入を決意したSNKの切り札でしたが,そこにあったのは逆転の発想でした。最初からゲームセンターのゲームマシンを家庭用ゲームマシンにしてしまえばいいではないか・・・という途方もない発想です。
 CPUに68000を搭載,強力なスプライト機能と本格的なスティック型コントローラを装備し,当時最大330MbitのROMを持つことが出来る(パソコンのハードディスクが40MBを越えるかどうかと言われた時代に,実に40MByteのROMを搭載するんですから,強烈です。),まさに怒濤のマシンでした。「100メガショック」というキャッチフレーズが思い起こされます。
 カセット交換式のゲームは,そこにびっしりと大容量のROMが搭載されているだけあって,大きさもVHSのビデオカセットよりもまだ大きいサイズでした。しかし,さすがにそれだけのことはあって,ほぼ同時期のメガドライブが同じ68000を使っていたにもかかわらず,出来上がったゲームの差は,明らかに雲泥の差です。
 問題なのは当然価格で,NEO-GEOのゲームセンターバージョンであるMVSに比べてずっと安くなっているとはいえ,本体が約5万円とファミコンの数倍の価格。ゲームも1つ2万円から4万円と,これまたファミコンの数倍。
 だから,NEO-GEOは当初,1990年7月に登場した当時,レンタルビデオのシステムを家庭用ゲーム機にとレンタル専用で登場しているんですね。
 当時,私は「セガやナムコのゲームならともかく,誰が借りてまでSNKのゲームなんかすんねんな」とあきれていたわけですが,話が変わってくるのは,ここからです。
 SNKはMVSを彼らの標準プラットフォームとして定着させ,以後ほとんどのタイトルがこのシステムでリリースされます。ナムコやセガがゲームごとに基板を変え,システム基板を導入してもそれが数年で世代交代をしていったことを考えると,非常に堅実なやり方だったといえます。
 ハードが先見性を持って作られているのか,それとも制作者がハードの限界を超え続けたのか,とにかく現在ゲームセンターにおいてある最新のゲームでさえも1900年発売のNEO-GEOで動いてしまうのですから,恐るべしです。10年間先頭を走り続けるハードを持つことが,どれほど難しいことか・・・
 折からの格闘ゲームにのり,龍虎の拳,サムライスピリッツ,飢狼伝説といった大ヒットゲームがこのNEO-GEOで動くようになっていきます。
 当時の家庭用ゲームマシンの性能を考えると,とてもではないですがこれらが完全移植されることは期待できず,その意味でNEO-GEOは憧れのマシンになっていきます。
 お金のあるコアなマニアだけがなることを許されたNEO-GEOのオーナー。真のゲーマーかどうかを示す,ステータスシンボルだったわけです。
 かくいう私も,サムライスピリッツやりたさに中古のNEO-GEOを購入。ゲームセンターのゲームマシンと全く同じだけあって,CD-ROMのような読み込みの遅さもなく,大きく美麗なキャラクタが暴れまくっていました。質の高い格闘ゲームが家にテレビに映し出される興奮というか感動というか,あれは格別でした。相当やり込みましたね,当時は。
 出すゲーム出すゲームがことごとくヒットした1990年代中頃,プレイステーションとセガサターンの次世代ゲーム機戦争に巻き込まれ,低価格化を目指してCD-ROMを採用したNEO-GEO CDを発売します。
 ゲームの値段は他のゲーム機並みに安くなったのですが,その代わりに読み込み速度の遅さが際だち,そもそもゲームセンターのゲームがそうしたシステムで作られていないことから非常に嫌悪感を持って,嫌われてしまったのです。
 後に2倍速のNEO-GEO CD-Zを発売しますが,これも根本的な解決にはならず,また,3D化の流れに乗るための次世代マシンも開発されていましたが,出たゲームは僅か数本という状況で,結局NEO-GEOそのものは,ROM版を愛用するコアなユーザーたちに支えられる事で,今日まで10年ちょっと,生きてきたのです。
 そう考えると,いかにNEO-GEOが堅実だったか,そこがきちんと利益を上げていたかがわかります。テーマパークを作ってみたり,携帯ゲーム機に参入したりと,いろいろ幅広くやっていましたが,以下に設けても,あくまでゲームづくりにこだわったカプコンが現在でも強いのと比べると,非常に対照的です。
 結果がこれです。
 一時,パチスロメーカーであるアルゼの傘下に入りましたが,債権の目処は立たず支援は立たれ,民事再生法を申請するも復活はならず,結局倒産となりました。
 KOF2001はどうなる,戦国伝承2001はまだ買えるのか,など,なかなか心配になるのは,そのゲームの質が,今もまだ非常に高いからだといえると思います。惜しいです。
 時は流れ,家庭用ゲームマシンがゲームセンターのゲームになる逆転現象が当たり前になりました。現代のゲーム小僧には,プロスペックに憧れる夢も希望もありません。そうです,ゲームは豊かな時代になった変わりに,失うものも大きな時代になったのです。
 SNKの倒産は,まさにこれを象徴していると思います。私が最もゲームをした時代に,最も熱かったメーカーが,また1つ消えました。本当に寂しい限りです。
2001年10月31日 16時35分29秒

HDD故障の顛末
 5月の連休前ですが,MacOS Xの導入にも一区切りしたこともあって,大容量のハードディスクを買おうと思い立ちました。
 Maxtorの80GByteのものを購入して,IDE-SCSI変換基板で使用していたのですが,どうも速度的に苦しい(というのも,MacOS Xでは内蔵のSCSIのうち,FastSCSIはサポートされず,レガシーなSCSI-1だけのサポートでした。さらにいうと,私が使っていたCSAP-820UVというUltraSCSIカードは,全くサポートされていませんでした。)
 MacOS XはCPUや画面描画にパワーを要求しますが,HDDの速度にも非常に影響を受けます。仮想記憶がデフォルトであることもそうでしょうし,とにかくファイルの読み書きが頻繁です。
 ですから,HDDの速度が遅いのは致命的でした。
 SCSI-1は5MByte/秒という転送速度で,これは今時のHDDの読み書き速度(HDDには2つの速度があります。1つはホストとのやりとりの速さであるインターフェースの速度,もう1つは磁気ヘッドの読み書き速度です。ここでは後者です。)よりもはるかに下回ってしまってます(ヘッドからは最大で40MByte/秒でデータが出てきます)ので,随分もったいないことをしているのはわかってました。
 そこで,ATA-66のカードを購入して使うことにしました。8000円ほどで66MByte/秒のインターフェースが手に入るというのは,旧機種にはありがたい話です。
 これを私のPowerMac7600のPCIに差し込めばATAネイティブのマシンに早変わり。これで高速,大容量,低価格HDDの世界に参入できます。
 予測通り,35MByte/秒ほどの速度を達成したのはいいんですが,そうこうしているうちにHDDの破損が起こりました。
 それまでにも,怪しいことはあったのです。突然ファイルが読み書きできなくなったり,起動時に認識しなくなったりしたことがあり,一度初期化から行って使っていたんです。
 MacOS X 10.1のアップデータをかけた時に,なぜか動作中にフリーズするので調べてみると,どうもこのHDDが悪いらしい。
 データのバックアップは,突然のフリーズとの闘いで,破損したファイルにかかればまずフリーズ,そうでなくとも10MByte以上の連続コピーは,フリーズする可能性が極めて高くなります。
 少しずつ少しずつ時間をかけてコピーしていき,バックアップを取り終えたところで再初期化。
 しかし,エラーが帰ってきます。メディアリードエラーが出ていますね。これではセクタの代替処理以前の話です。
 インターネットでこのHDDの不良などを調べてみましたがリコールなどもありません。
 このままあきらめてしまうことも考えましたが,当時3万円近くした代物です。それに1年保証のあるお店でわざわざ購入したのですから,ここは修理に出すべきと行動を開始しました。
 電話でまず問い合わせると「大体1ヶ月くらいはかかりますね」という返事。80GByteですからね,これが手元から1ヶ月もの間なくなってしまうことは,今とにかくバックアップしたファイルの行き場所がないというだけでも,大変な損失です。かといって界なおするのはばからしい。
 とはいえ,まぁ販売店にいた経験からも,1ヶ月くらいはかかるのはやむを得ないことも事実なので,あきらめました。
 指示されたサポートセンターに出向き,症状を説明すると「シークエラーですね,多分。」という話。
 まず故障が認められたことで,1ラウンド制覇。この関門を越えられない場合もそれなりにあったりするのです。
 ところが事件は次に起こりました。保証書をみるなり,「あ〜,XXXXですか・・・ここは遅いですねぇ・・・おーい(といって振り返り同僚に話しかける),XXXXっておそいよなー,2ヶ月は平気でかかるよなぁ」というわけです。客の目の前で。
 1ヶ月が相場であることは知ってましたので,それでさらに2ヶ月というのは,合点がいきません。しかも,客の見えるところで,わざわざ「2ヶ月かかる」ことをアピールするところに,カチンときました。

G:1ヶ月くらいと聞いてきたけど,そこで言ってる2ヶ月とはどういうことです?
T:いやー,この代理店は普通の代理店と違って新品交換せず,まじめに船便で工場に送り返して,本当に修理をするんですよ。それでこんなに遅いんです。以前にももめたことがあるんですが・・・
G:ちょっとまて,1ヶ月でも大概遅いと思ってるのに,それを平気で2ヶ月かかると,しかもそれが代理店のせいだというのは,どういうこと?
T:いやいや,いってみればHDDのようなバルク品で1年保証が付くようになっただけでもありがたい話で,仕方がないところもあるんですよ。
G:私ら客にとっては,代理店の違いもわからなければ,同じ1年保証ということで購入してる。それに,どんな家電品でも2週間ほどで修理されるこのご時世に,1ヶ月でも随分長いと思っているところへ,2ヶ月かかります,それは代理店の都合ですとは,おかしいと思わんか?
T:といわれましても,この代理店から商品を仕入れているわけですし・・・
G:では聞くけども,どうしてこの代理店から仕入れた?以前2ヶ月かかってトラブルがあったのに,それでもまだなおこの代理店から仕入れているというのは,君らの対応に不備があったと言わざるを得ないとおもわんか?こういう対応の悪い代理店は,君ら販売店がきちんと評価して使わないようにしていき,最後にお客さんに影響を出さずに済むことが,販売店の存在意義と付加価値というものではないか?
T:それはその通りですが・・・
G:私はこういう事があった場合でも,Tさんなら間違いなく,確実な対応をしてくれると期待して,他の店よりも若干高い価格でこの商品を買ってる。にも関わらず,そういういい加減なお店と同じように「代理店の都合で」というのであれば,なにもTさんでわざわざ買うことはなかったことになるよね。そういうことでいいわけ?
T:・・・
G:とにかく,待てて1ヶ月。それ以上は待てない。HDDが壊れたことも,その代理店が2ヶ月かかることも,Tさんの,ましてあなたのせいではないことはよく分かってる。だから,Tさんにかぶってくれと,そういうことを言ってるわけではない。Tさんとして,とにかく出来ることを精一杯やって客の期待に応えて欲しいと,そういうことよ。
T:・・・わかりました。私の出来る限りのことは精一杯やらせていただきます。私の方から代理店をつついて,1ヶ月で出来る対応をさせてみます。けど,お約束は出来ません。あくまで代理店の問題だからです。
G:それと,こういう代理店を使うことで,お客とサポートの現場が迷惑するので,代理店に改善要求を出すか,違う代理店にするか,の話を上げておいて欲しい。
T:それもお約束します。上に対して,報告書を出しておきます。とにかく,まず代理店と調整して話をつけます。結果はとにかくご連絡しますので,待っていただけませんか?
G:よっしゃ,そこまでいうなら,任せた。あんたの個人的な責任感と熱意にかけてみる。とにかく出来るだけのことを精一杯やって,「さすがTさん,違うなぁ」と思わせて欲しい。待ってるから,よろしく頼むよ。

 とまぁ,こんなやりとりがありました。
 やくざなことをいってるようですけども,修理に2ヶ月以上かかることが周知の事実であり,そのことで以前もめた事のある代理店を未だに使い続けている事,お客の前で店員同士が「遅くなるな,この代理店」などと聞こえるようにいうのは,ちょっと問題ですわな。
 とはいえ,お店の人もプロですから,その誇りを傷つけられてはたまったものではありません。私としても,彼がお店として,個人として出来ることと出来ないことをはっきり切り分け,客に納得してもらった上で,最大限の努力をその中でするという姿勢に対して,非常に強い信頼を感じたわけです。
 私にも,こういった「お客さんから怒鳴られる」という経験は1度や2度ではありません。店頭で怒られたことも,電話で怒られたこともあります。そこで学んだことは,自分の落ち度と相手の落ち度を認めあった上で,自分たちに出来ることと出来ないことをはっきりさせて精一杯努力し,それをお客さんに納得して頂き,次もまた気持ちよく買い物をして頂く,要するに誠意の問題だということです。
 明らかに私よりも若い彼は,実にそこが出来ていました。感心しました。
 ただ,心の中では,あきらめてました。代理店は台湾の会社といいます。世界中のHDDがさばかれる代理店で,私のものだけ特別扱いされるなんてのは,まぁあり得ない話です。2ヶ月・・・いやもう戻ってこないかも知れない,そう思って40GByteのHDDを買い直したのでした。
 週が開けてすぐ,担当者から電話がありました。「代理店に交渉したところ,新品交換ということにしてもらいました。ただ,同じものがないかも知れないので,その場合は同等品との交換でいいか,ということをご確認したいのですが」ということでした。
 私は構わない,ご苦労さん,よろしく頼みますと,返事をしました。
 実にすばらしい話です。ちょっと感動しました。有言実行とは,このことです。
 で,先週末,修理が上がってきたので取りに来て欲しいと連絡があったので,いって来ました。結果は,同じ品種との新品交換でした。
 サポートというのは,実は割の合わない仕事です。時間も人もかかりますし,今回の私の件でも,保証期間中ですから私が支払った金額はゼロです。
 もちろん,その分は別の売り上げからカバーされるので,全体としてはプラスになるはずなのですが,現場に出された人間はたまったものではありません。
 しかし,私個人の経験からすると,確かに怒鳴られている時には嫌で嫌で仕方がないことでも,それ以上にお客さんと接して自分の誠意を伝えることの楽しさこそ,この仕事の醍醐味だと思います。
 HDDの引き取りをした時には,担当して頂いた人とは違う方が出てこられました。お礼を直接言うことは出来なかったのですが,彼の努力がどうにか報われることを,私は今考えています。
2001年10月29日 17時54分03秒

セガコン買いました
 セガという会社は,良くも悪くも知らない人がいないほどに有名な会社になりました。
 ゲームがゲームセンターにしかなかった頃にはナムコが少年の心をとらえ,家庭用ゲーム機が普及するとファミコンの陰に隠れてしまい,任天堂の失敗を生かすことが出来ず新参者のソニーに目の前のごちそうを奪われ,気が付いてみるとゲームマシンからの撤退を余儀なくされています。
 しかし,そんなセガが輝いた時期がありました。
 1980年代中頃,ゲームセンターは「ファミコンでは出来ないゲーム」を求めていました。セガは大型筐体と強力なスペックの基板を用いた「体感ゲーム」をシリーズ化します。
 原寸大のバイクの筐体にまたがり,画面上のバイクを操るハングオンに始まり,スペースハリアー,アウトラン,アフターバーナーと次々に大ヒットゲームを連発。当時のゲームの常識をひっくり返した疑似3Dの画面,画面に同期して動く筐体と,当時のゲーム少年の心をとらえました。
 中でも,語りぐさになっているのは,その音楽です。
 ゲームの背後に流れるBGM,これがゲームミュージックとして単独で評価を受けるきっかけは,もともとナムコの作品群から生まれました。
 効果音の延長であったこのBGMを,音楽性の高い物に飛躍させたナムコの功績は大きく,今や伝説となっている「Video Game Music」という細野晴臣がプロデュースしたアルバムがトリガーとなったのは否定出来ないことと思います。
 当時のナムコは,他社がPSGという矩形波しか出ない表現力の乏しい音源を用いていたのに対し,オリジナルの音源を開発して他社を圧倒していたのですが,やがてFM音源がゲームに使われるようになると,事態は一変します。セガはFM音源チップ「YM-2203」を非常に早くから使っていた会社として記憶にとどまることになるのですが,その第一号がハングオンなわけです。
 4オペレータのFM音源が3声,PSGが3声という今から思えば貧弱な音源でしたが,セガはこれに当時DAと呼ばれた,サンプリング音源を組み合わせることを始めます。人の声なんかを効果音として使うことを目的に開発されたDAでしたが,ここにリズム楽器を入れたことで,ゲームのBGMは音楽性を飛躍的に高めたといえるでしょう。
 こうしてセガには黄金時代が訪れます。業務用ゲームでも,その音楽の完成度もハードウェアのスペックも業界で最高を維持し,その力は家庭用ゲームマシンにも引き継がれます。メガドライブが業務用ゲーム並に圧倒的な音楽再生能力を持つことは,そこで生まれたゲームの音楽に高い評価があったことで証明されたといえるでしょう。
 リッジレーサーといえば,プレイステーションの発売と同時に出たタイトルとして,勝ち組に入るソフトですが,ゲームセンターで同時に稼働していたセガのDAYTONA USAは,その画面の素晴らしさ,ゲーム性の高さとともに,なんとボーカル入り軽快なのBGMでこれまた多くの支持を集め,識者の間ではDAYTONAの勝ち,といわれています。
 現在においてもセガのゲームミュージックは,世界最高水準です。家庭用ゲームのハードウェア事業からの撤退をしたことは残念ですが,それでも世界最高の開発力を擁するセガは,私のこれまでの音楽との関わりの中でも特別な物があります。
 私と同じような思いの人は当然世の中にもたくさんいて,セガのゲームミュージックのベスト版を,皆の投票で選ぶという企画が実現しました。こんなこと,ゲームミュージックでは考えられないことでしょう。
 こうしてできたベストが「セガコン」です。Vol1とVol2のわかれ,Vol1は先日25日に発売になりました。
 私は遅れて今日手に入れたのですが,あまりのすばらしさに一気に3枚,通して聴いてしまいました。
 家庭用ゲーム機の音楽というのは,ゲームが手元にある以上,あまりアルバムに収録される機会は少なかったのですが,心に残った曲をという条件であれば,当然上位にくる物もあるわけで,その意味でこのアルバムは非常に画期的な意図で制作された物といえると思います。マイナーな業務用ゲームでも,やはりそれにとりつかれた人がいれば,それはメジャーなゲームと同じ価値があるのです。
 貧弱な音源とメモリ容量でよくもここまですばらしい音楽を作った物だと感心してしまいます。もちろん当時の画面も甦ってくるようです。
 マークIIIのゲームで「阿修羅」などは,もう涙が止まりません。ゲイングランドはその難易度ばかりが印象にありますが,なんとこんなにすばらしい曲だったのですね。アフターバーナーでは,メロなしできちんと収録されているので,当時300円を投じて遊んだゲームが甦ってきますし,アウトランやスーパーハングオン,パワードリフトは,今でも最高のスピード感です。15年も前なのに色褪せないんですね。それと,エンデューロレーサーが収録されているのは感動しました。
 ギャラクシーフォースやSDは,複雑なコード進行,ベースラインが激しく動いて,変拍子が使われるというあたり,プログレッシブロックを思わせる音楽ですが,こういう実験作が今出てくることを期待出来ないのはとても残念です。(ちなみに私の着メロはSDIのDEFEATです)
 さあ,こうなるとVol2がとても楽しみですね。個人的にはVol1ではまだまだ不足です。スーパー忍,レンタヒーロー,獣王記,ソニックブーム,サンダーブレード,ホットロッド,ボナンザブラザース,ムーンウォーカー(これは家庭用と業務用の両方),スーパーモナコGP,フリッキーなど,あって当然の曲が入っていません。
 月並みな言い方ですが,やはり私も年齢を重ねたということでしょう。若いときに聴いた音楽は,今もとても感動的に聴くことが出来ます。ゲームミュージックも,もうそんな歴史を刻むほどになったということなのでしょうね。
2001年10月28日 02時05分34秒

アップデータが届きました
 一昨日の夜,再出荷してもらった結果と思われる,MacOS X 10.1アップデータの不在票がはさまってました。
 急いで再出荷してくれたアップルソフトアップグレードセンターの担当の方に申し訳ないので,昨日の朝に受け取りました。
 中身は確実に,アップデータです。デベロッパーキットがちょっと急ぎで欲しかったので,本当に助かりました。
 文句を言う分,私は義務は果たします。その足で代金を振り込んで来ました。これでこの件,完全決着です。
 ということで,非常に長い時間かかってしまったのですが,たまにはこんな事もあるものです。とはいえ,もし私がアップデータを先に手に入れることが出来ていなければ,非常に悔しい思いをしたことでしょう。
 アップルには,今後もっと良い対応を期待したいです。
2001年10月26日 18時15分00秒

Appleの新デバイス
 数日前より一部の人の間で話題になっていた,Appleの新デバイス,発表になってますね。
 主にアメリカの報道関係者に対して「Appleは23日に新しいデバイスを発表する。しかし,Macではないなにかだ。」などと意味深なことを送りつけていたらしいのですが,この種の話がある場合は,大体の場合信憑性の高い情報がリークしているものです。
 ミニコンポ,ポータブルなど,大きさに差があったのは確かですが,共通していたのは音楽デバイスであること。
 ここでジョブスがずっといっていた,「Macintoshはディジタルハブになる」という言葉が思い出されます。そう,Appleはハブだけではなく,デバイスも用意しようということにしたわけです。
 で,そのデバイスですが,「iPod」というそうです。
 一言で言えば,MP3プレイヤーです。でも,シリコンオーディオとは違って,記憶メディアはハードディスクです。おそらく東芝の1.8インチだと思われるそれは,5GBの容量を誇ります。
 とまぁここまでは普通のMP3プレイヤーなのですが,さすがと思うのはそのコンセプトでしょうかね。5GBのHDDにMP3を詰め込むと,実に1000曲が入ります。1枚につき12曲入っているCDなら,80枚ほどのCDがすっぽり収まるわけです。
 音楽好きなら全然足りない容量でしょうが,普通の人を考えると,まぁこれくらいで大部分をカバーできる枚数でしょうね。
 で,これが何を意味するかと言えば,これまでのMP3ポータブルプレイヤーというのは,お気に入りを選んで詰め込み,持ち歩くことが念頭にあったわけです。
 従来のカセットテープやらMDやらというのは,自分の音楽ライブラリのうち,ほんの一部を持ち出す目的で用意されたものだったわけですね。
 でも,今回のiPodは,自分のライブラリの「すべて」を,常に持ち歩く事が出来る,一部だけを持ち歩くのではなく,常に自分に密着した距離で自分のすべての音楽と共に過ごせるというところが,考え方を革新します。
 サイズは実にトランプサイズ。名刺より少し大きいくらいでしょうか。重さは約180gですから,軽いです。さらに1回の充電で10時間のプレイ時間を実現しています。このサイズに全部のライブラリが入ることは,これまでとは違う,新しい音楽のつきあい方が生まれてくるような気がします。
 つまり,買ってきたCDが,iPodへ一度だけ「インストール」するために使われるような感覚です。以後,そのCDは,押入の中。普段はiPodだけですべてのCDにアクセス可能なんですよね。
 それでも,CDをたくさん持つ人には物足りない容量です。それで,Appleはなにをしたかというと,Macとのシームレスな関係を作ることだったのです。コンセプトのすばらしさとして,もう1つここが重要です。
 まず,接続はFireWire。この種のデバイスはそのほとんどがUSBであるのに対して,IEEE1394という高速インターフェースを用いたのは,非常に正解です。5GBのHDDを全部埋め尽くすのに,IEEE1394なら10分ほどです。USBなら1時間以上はかかる計算です。ストレージの大容量化がめざましいですが,それだけの容量を扱うには,転送時間も高速化されないと意味がないことに,もっと気付くべきです。
 そして,iTuneとの同期。iTuneというのは,Macで標準に付いてくる,MP3プレイヤー/エンコーダです。CDからのリッピング,HDDへのストレージと管理,CD-Rへの書き込みまでをサポートするソフトなのですが,従来から出力先がUSBになっているメジャーなシリコンオーディオには対応していました。
 今回はiPodに対応するわけですが,いわゆる同期という機能が付きました。iTune(iPodに対応するのはiTune2という次期バージョンですが)で取り込まれた新しい音楽があると,iPodとの接続時に自動的にダウンロードが行われるようになっています。つまり,CDを買ってきたら,まずMacにセットして全部リッピング。そしてiPodをつなぐだけで,もうそのCDは押入にしまえてしまうのです。
 スマートなのは,IEEE1394から電源が供給され,充電もされるということです。つまり,IEEE1394とヘッドフォンの接続だけで完結してしまうのです。
 それで,世界最高峰のインダストリアルデザインチームを擁するAppleが作った製品だけに,デザインはさすがと思う,洗練されたものを持っています。こんなことをいうのもなんですが,工業デザイン的に世界屈指の力を持つのは,今はAppleとソニーくらいのものではないかと思います。
 しかし,問題もあります。まず,価格。約400ドルというのは,この種の製品では非常に高価であり,購入にはそれなりの覚悟が必要になります。5GBという容量から考えると妥当なところですが,そんなことは問題ではありません。NOMADという他の製品では6GBで250ドルですから,単純比較は出来ないとしても,難しい判断を迫られます。
 次に大きさ。世の中には,太めのペンくらいの大きさのシリコンオーディオプレイヤーがあったりしますが,この大きさはちょっと大きいですね。重さもそうです。これも,5GBという容量を考えるとやむを得ないのですが,それでも持ち歩くものですから小さくなっているに越したことはありません。
 あと,リモコン。私は,ポータブルプレイヤーというのは,リモコンサイズにならない限りはリモコンが付属するのが必須だと考えていますが,この商品にはリモコンがないようですね。これは困ります。
 最後に,対応フォーマットがMP3だということ。今更MP3もないだろうというのが私の感想です。とてもではないですが,MP3の音では,CDの変わりになるとは思えません。その割にあの圧縮率なわけですから,ちょっと過去のフォーマットですね。
 ファームウェアのアップデートで他のフォーマットにも対応できるということですが,現時点で実現されていないものは評価しようがありませんし。
 WAVとAIFFという非圧縮のフォーマットには対応しているそうですが,それだとあまり意味がないわけで,これはWMAとか,圧縮率が高いものが使えるようになって欲しいと思います。
 Appleは,この商品をWindowsに対応させようとは思ってないみたいです。そういう意味から考えると,やはり当分MP3になってしまうような気もします。ま,MP3でもVBRですから,160kbpsなら,そこそこにきけるものなのでしょうか。
 最初から日本語に対応しているそうですので,日本導入も時間の問題でしょう。価格は49800円というところでしょうかね。うーん,高いな。
 きっと買わないような気がします。
 そうそう,ところで,MacOS X 10.1アップデータの件ですが,現時点でも届いていません。月曜日ですが,約束通り再発送の手続きを取ってもらうために連絡をしたところ,手続きしましたという連絡が電話で入りました。時間は18:30過ぎだったと思うのですが,ここの営業時間は17:30まで。ご担当の方は残業されてるんですね。ご苦労様です。
 しかし,再発送の手続きと正確な納期の連絡をお願いしたのに,納期には全く触れられませんでした。
 いつもそうなのですが,ここは立て板に水というのか,こちらからの反論が全く出来ないような不思議な電話なので,こちらから納期はどうなってるとは聞きませんでした。
 少なくとも昨日は届いていなかったのですが,再発送の結果が出るだろう,請求書の支払期限である27日まで待ってみて,それで来なければ本格的にクレームを入れることにします。こまったものですね。
2001年10月24日 14時00分25秒

逆転裁判を終えて
 ゲームボーイアドバンスを五月の連休中に購入したまではよかったのですが,その後特別やりたいソフトがあるわけではなく,稼働率はワンダースワンカラー以下というお寒い状況が続いておりました。
 もっとも,私の場合は最先端の技術を牽引するテクノロジーリーダーとしてのゲームマシンに興味があるのであって,ゲームそのものが清涼剤となる時期は昔に過ぎ去っています。
 GBAはARM7コアのASICを約40MHzで駆動,シャープ製の反射型TFT液晶ディスプレイを装備して1万を切る値段で販売される,非常にリッチなハードウェアです。
 ワンダースワンカラーのような割り切りはなく,数の論理で贅沢を安い価格で実現する手腕は,まさに任天堂の真骨頂です。
 前置きが長くなりましたが,GBAで久々に遊びたいと思っていたゲームがカプコンから出ました。「逆転裁判」というのがそれです。
 先週トイざラスへ買いに行ったのですが,私にしては珍しく,昨夜最後まで解いたのですよ。
 プレイヤーは新米弁護士となって,数々の難事件を解決します。現場での調査や聞き込みはもちろんですが,醍醐味は裁判で行われる,証言への尋問です。証拠品と証言の矛盾を指摘し,嘘を見抜く。いずれの事件も検察に有利な展開で裁判は進み,主人公と被告は絶体絶命になります。そこから逆転が始まるのです。
 「んなあほな」と思う展開が畳みかけるあたり,B級の探偵物か刑事物を見てるような気がしますが,それはそれ。自分が弁護士となり,被告の無実を強く信じて戦う様は,何のために仕事をするのかという本質を,改めて思い起こさせます。
 プレイ時間は平均で15時間程度といいますから,最近の大作RPGなどと比べると,全然短いです。代金を回収出来ないと思う人も多いと聞きます。ただ,私のような時間のないライトユーザーにとって,この短さやテンポの良さは,非常に気持ちのいい物でした。負担にならない程度であることが,まず大切だと思います。人それぞれですからね,どのくらいが負担と思うかなどは。
 そんなわけで,昨日終了しました。1日3時間で3日間でしたから,私の場合は10時間程度でしょうね。これで5000円ですから,高いと言えば高いですが,でもちょっとおもしろい映画を見たのだと思えば,こんなものだと思います。
 しかし,この物語が,実は今から15年先の近未来の物語だとは,ちっとも思わなかったぞ。
2001年10月21日 14時20分53秒

MacOSX10.1アップデータが届かない
 実は事が解決してから書こうかと思っていたのですが,10月1日に郵送したMacOSX10.1のアップデータがまだ届いていないのです。
 ご存じの方もいらっしゃると思いますが,MacOS Xは春に出たバージョンは非常に不満の残る代物で,とにかく速度が遅くて我慢を強いられるものでした。MacOS9とは全く異なるOSであったことや,その開発が困難な物であったと想像出来ること,そしてその将来性に期待をした我々は,その我慢を甘んじて受け入れることにしたのです。
 私もMacOS Xは発売日に購入し,なんと業務とプライベートで使い続けている人間ですが,効率や慣れだけを考えるとMacOS Xに移行する必要性などどこにもないのです。
 それでもあえて使うというのは,やはり目指すべきゴールに共感し,その将来に期待をかけているかに他なりません。
 そして,9月28日,とうとうMacOS X初めてのメジャーアップデート,10.1がリリースされました。速度の改善,安定性の向上,DVD再生など,これまで最も問題とされてきたポイントに大きな改善があり,ここでまた大きな称賛を浴びることになります。
 MacOS X10.0を辛抱を重ねて使ってきた私のような人間は,真っ先に使いたいですし,またAppleの開発者も使ってもらいたいと思ってるはずです。
 しかし,Appleが行った配布は,非常に混乱を招く物でした。9月28日午前11時から,主要な販売店の店頭で限定数の無償配布を行ったのです。
 ここで手に入れられた人は実は非常に少数で,お店に出向いても手に入らなかった人は大勢いますし,そもそもお店が限られている上に,1つの店舗あたりの入荷数が非常に少なかったこともあって,やはり手に入れるにはかなりの苦労を必要としたと思います。
 私の場合は,友人経由で手に入れることが出来たので,実は現在10.1で動かしています。
 しかし,ここにはDevelopmentToolが付いていませんし,それにやはり正規ユーザーとしてアップデータの配布は受けておきたいものです。それで,有償アップデータを申し込んだのです。
 有償といっても実費程度のもので,2500円です。これを安いと見るか高いと見るかは意見の分かれるところですが,昔はこの種のメジャーアップデートにはアップデータを配布しなかった事があったのも事実で,その意味では非常に評価出来ますし,やはりAppleとしては10.0を未完成品と自覚し,10.1の配布は義務だと考えていたのだと思います。
 当初,アップデータの申し込みには,OSのパッケージの付属するクーポンの同封が必要だったので,私の場合もこれを同封し,ソフトウェアアップグレードセンターあてに郵送しました。2週間異常波かかるという説明があったので,それくらいは仕方がないとあきらめていました。
 しかし,どうもクレームが殺到したらしく,アップルストアというオンラインストアでも受け付けるようになり,この場合数日でアップデータを手に入れることも出来るようになったのです。
 早めに動いた郵送組は,非常に馬鹿を見たわけです。
 それだけでも結構頭にきているのですが,さらに悪いことに発送が遅れています。私の手元だけではなく,多くの人の手元に届いていないようなのです。
 そうこうしているうちに,請求書だけ先に届きました。これにはさすがに頭にきました。遅れるばかりか,先に金をよこせといってきたわけです。しかも期限を27日と切っているのです。私の場合は後払いのコンビニで支払いコースなわけですが,商品が届かないのに,支払いなどできません。
 ということで,電話をしました。発送が遅れているということで,もう数日待って欲しいということなので,私はとりあえず待つことにしました。土曜日には届くはずと,そういう話でした。
 しかし,現在,土曜日の夜ですが,届いていません。残念です。
 事故があった,発送がそもそもされていない,いろいろ考えましたが,私だけの問題かと思って,きちんと確認をしてもらいたいと思ったのですが,今日はもう電話が通じません。
 Appleの主催する掲示板を見てみると,なんと私と同じような人がそれなりにいるようです。私だけの問題でないなら,それはもう仕方がないことだなと思っておさまっていますが,届かなかった場合には週明けに再度電話をして,届かなかったことを伝える約束にしているので,電話はしようと思います。
 誤解の内容にいっておきたいのですが,ソフトウェアアップグレードセンターの担当者は,非常に丁寧な対応を取ってくれました。言葉遣いも,謝罪についても,電話連絡の迅速さも,水準以上のものでした。これで相手に強くいえなかった私も不覚だったのかもしれませんが,よく訓練されています。
 ただ,その内容が,やはり「待って欲しい」の一点張りだったことが少々残念です。待たせるからには,きちんとした行動が起こされている必要があるわけですが,その配送業務が,どうもうまく機能していないのでしょう。
 やはり,受けた仕事はきちんとやってもらわないといけませんし,いくら最前線にいる担当者が丁寧でも,結果が出なければ意味がありません。
 今後の経過はまたここに書きますが,まだしばらく私の手元に届くことはなさそうな気がします。
 
2001年10月20日 19時09分11秒

J子ちゃん,恐るべし
 関東ローカルの話ですので,他の地方の方はごめんなさい。
 JR東日本のキャラクターを永年勤めているのが,「J子」ちゃんです。特別かわいい訳でもない,ごく普通のキャラクタなわけですが,個人的には東京電力の「でんこちゃん」に匹敵するキャラクタだと思っています。
 このJ子ちゃん,一応設定は高校生ということですが,一応世相をきちんと反映していることは注目に値し,ちゃんと制服のスカートの丈も短くなっていましたし,ルーズソックスが全盛の頃にはちゃんとルーズソックスもはいていたんですね。無論,髪型もそうです。外向きのカールが珍しくなくなった折りには,J子ちゃんもそうなりました。
 そのJ子ちゃん,先日ふとポスターを見ると,なんと子供がそばにいるではありませんか!
 我が目を疑ったのは言うまでもありません。これはきっとなにかの間違いだろう,そうだ,きっと同じ顔をした別のキャラクタが新たに作られたに違いない・・・そう思って,私は恐る恐る,ポスターを注視し,彼女の名前を探しました。
 J子ママ・・・私が見つけた彼女の名前は,あまりに残酷な現実を突きつけました。
 そうです,いつの間にやら彼女は「お母さん」になっていたのです。つい先日まで高校生だった彼女が,いきなり幼稚園くらいの子連れなんです。
 まぁ,偉いと言えば偉いです。今20歳としても,4歳の子供がいれば16歳の時の子供です。高校生としてJRのポスターに登場していた時には,すでに子供がいたことになります。
 仕事と子育てを両立した高校生ママ。しかも,他人にマナーを説教できる人格者ときたものですから,これはもう,ただただ敗北を認めざるを得ません。すごすぎます。
 さらに,ママになってJ子ちゃんの服装も落ち着いたものになっています。まさに成熟した大人の女性。リアルタイムにこの変化に立ち会えた我々は,非常に幸運であったといえるでしょう。
 J子ちゃんの家族も,ポスターに何度も登場しています。おばあちゃんはどうなったのか,お父さんはこの現実をどう乗り越えたのかなど,聞きたいことは山ほどあるのですが,彼らの姿はしばらく見ていません。
 思えば,私がひとりぼっちで東京に暮らすようになってから,毎日目にしてきた彼女ですが,今になってこのような真実を知らされたのは,なかなか残酷な仕打ちです。私も早く,幸せをつかまねばならんと,そう思いました。
2001年10月18日 15時48分57秒