その他のマシン

 台数が少なく,個別のメーカーごとに分けられないマシンもいくつか持っています。ここではそれをご紹介しましょう。


Apple ][(Apple Computer:1976年,398,000円)

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 Apple][以前と以後で,いわゆるパソコンは全く違う物になりました。それまで基板むきだしで,入出力はテレタイプ,グラフィックなんか全然出来なくて,走る言語はマシン語だけ。メモリもスタティックRAMが数KB程度だったものが,このApple][で,いよいよ単独の商品として認知される条件が揃います。

 画期的だったことは,FRPの美しいケースに入れられ,ちゃんとしたキーボードとCRTへの出力を備えていたことと,大容量への可能性を開くダイナミックRAMを用いて最大48KBまで拡張できたというシステムです。

 さらにカラーグラフィックが可能でしたし,8つの拡張スロットと,ソースコードや回路図までが無料で公開されていました。

apple2_2.jpg上蓋をあけたところ。スロットとD-RAMが見えます。

 基本性能の高さとオープンアーキテクチャ。IBMでさえも,これを見習い今日のPC/ATの隆盛に繋げます。

 VisiCalcという世界初の表計算ソフトでビジネスに使われ,エンジニアは開発環境をこれで構築。ミュージシャンはこいつをシンセサイザーがわりに使い,そんでもってゲームもいっぱい揃って,教育現場でも活躍できる。そんなマシンとして10年以上もの間,あこがれのマシンであり続けました。ソフトがマシンを引っ張るという現在の流れは,すでにここにあったといえます。

 このマシンの設計者である,スティーブ・ウォズニアクは商業主義を嫌い,オープンアーキテクチャへのこだわりとシンプルで洗練されたハードウェアをこのApple][シリーズに盛り込みます。やがてこれが仇となり,アップル社の協同設立者であるスティーブ・ジョブスとの対立の後,会社を去ります。この美しい筐体は,ジョブスの手による物なのです。

 さて,写真のマシン,どういう素性の物かよくわかりません。入手は大学時代の仕事先でしたし,「Apple][」と書かれた記銘板も外されていました。ただ,カタカナが書かれたキーボードであるということからApple][-Jか,Apple][-Jplusであろうということ,あと,裏面のシールによると代理店がキャノンではなく東レであることから,70年代後半のものだということです。

 ガレージから始まったアップル社の現在の発展の原動力となったこのマシン,昔高価であった分だけそれほど私にとって身近な物ではありません。


m5jr(ソード:1985年,29,800円)

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 MSXが出る少し前,それまで業務用のマシンを作っていたSORDという会社と,おもちゃメーカーのタカラがホビー用のパソコンを発売しました。「ソード M5」「タカラ ゲームパソコン」として登場したマシンは,Z-80の4MHzと,スプライト機能を搭載したVDPというLSIを核に持ち,ROMカートリッジでゲームを供給できるというシステムを持っていました。価格は49800円。

 TMS9918という名称のVDPは,MSXにも使われるのでおなじみですが,このM5,BASICもROMカートリッジで供給され,入門用の整数BASICであるBASIC-I,強力なグラフィックとスプライト処理関数を持つBASIC-G,計算精度を向上させたBASIC-Fと,3つの中から選ぶことが出来ました。事実上の標準はBASIC-Gではあったのですが。

 B5サイズで小さく,軽く。BASIC-GはBASICでも高速なアクションゲームが簡単に作れたので,ゲーム少年は飛びつきました。

 数年後,価格を下げたM5jrがリリースされます。それが,これです。

 しかし,いかんせんTMS9918です。セガのSG-1000やSC-3000も同じVDPを用いていたのですが,当時発売されたファミコンとの画面や音の差は歴然で,ゲームマシンとしてはあまりありがたくないマシンでした。

 入手は高校のクラブからもらいました。BASIC-Gも一緒です。


FM-77D2(富士通:1984年,228,000円)

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 PC-8001の対抗機種としてFM-8が富士通から出ます。6809というエレガントな8ビットCPUを2つ使っていました。

 640×200ドットで8色のグラフィックをしようとすると,それだけでV-RAMが48KB必要になります。ところが8ビットCPUは64KBまでのアドレス空間しか持っていません。そこで各社,いろいろな方法を考えてCPUの能力を超えるメモリを持たせることになります。

 NECはPC-8801で,バンク切り替えという方法を採用します。アドレス空間の一部をI/Oポートにつながるスイッチで切り替えるのです。連続したエリアが取れない代わりに従来機との互換性は高いものでした。

 シャープはX1で,I/O空間にも64KBのアドレスを割り当てるという,Z-80の隠れ機能を使いました。

 日立はS1で,ちゃんとしたMMUを用いてアドレス空間を拡張していました。

 富士通はといいますと,グラフィック用のCPUとメイン用のCPUを分けて,この2つのCPUを共有メモリで接続してしまったのです。共有メモリ形マルチプロセッサというやつですね。

 さすがに大型機を作っている専業メーカーの富士通,これってグラフィック端末とメインプロセッサの関係と同じです。

 このFM-8を更に高速化して価格を下げたのがFM-7。ベストセラーです。これに3.5インチのフロッピーディスクを付けたのがFM-77です。後にFM-77L2とFM-77L4に分かれ,L4は400ライン表示ができました。

 で,この写真・・・どこがFM-77L2なんですか?といわれそうですが,そう,外側のケースがありません。そればかりか,3.5インチのフロッピーはなく,大きな5インチのドライブが強引につけられています。

 浪人中のある日,日本橋を散策中に,あるパソコンショップの店先のゴミ捨て場に,うち捨てられたマシンを見つけました。それは外側のカバーもなく,フレームむきだし,キーボードもなく,いってみれば手足を奪われて無惨に捨てられてしまったような感じです。(なぜかFM音源カードはついてましたけど)

 よく見ると,それはFM-77L2の変わり果てた姿。

 なんだか急にかわいそうになって,「意地でも直して使ってやる」と心に誓い,持って帰りました。

 家に帰って起動すると,どうやら動くには動くようです。RGB信号をオシロで調べてディスプレイケーブルを作り,フロッピーは3.5インチドライブと電気的互換性のある5インチの2Dドライブを付けました。ケーブルも自作です。ドライブはフルハイトという昔の奴で,Y-EデータのYD-274。富士通にも納入実績のあるベストセラーです。ジャンク屋で1台500円でした。

 さて,難関のキーボードです。FM-7の回路図からキーボードコネクタのアサインと回路,マトリクスを理解した上でベースになるキーボードを探しました。結局ちょうどいい物は見つからず,仕方なく1980円でFM-8を買ってきました。

 このFM-8を鋸でキーボード部分だけ切断し,マトリクスを再配線し回路をいくつか付加して,24ピンのアンフェノールコネクタを付けて,FM-77用のキーボードを作成しました。動きました・・・多大な犠牲の上で。

 こうして完成したFM-77再生バージョン,実はOS-9Level2マシンとして,結構活躍しました。OS-9はマルチタスクOSで,UNIXライクなコマンドを備えています。またBASIC-09やMicroware-Cも手に入りましたから,参考書片手に,結構遊んだ覚えがあります。

 テキストベースですが,マルチウィンドウが開き,コンパイルしながら編集が出来るという,同じ8ビットでもZ-80では出来ない芸当を,見せてもらいました。

 で,このマシンも処分しました。もともとフレームしかない筐体でしたし,もう6809マシンをさわることもなかろうということで,思い出深いマシンでしたが基板だけ残して捨てました。

fm77pcb.jpgこれがホビーマシン?すごい回路規模。

 なんかオフコンの基板を見てるような気分になるほどに,回路規模も大きいですね。こんなマシンを20万円ちょっとで売ってて,それで儲かったんでしょうか・・・


Macintosh II(1986年,約100万円)

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 初代Macintoshがアップル社から登場したのは1984年。コンパクトなボディにモニタまでを一体化したマシンは,メモリの少なさ,拡張性のなさで,IBM-PCに水をあけられていました。

 アップル社内では,ジョブスがつれてきた元ペプシコの社長,スカリーが社長になり,ジョブスを追い出した所でした。スカリーはとりあえず,拡張性を持つMacintoshの新シリーズに着手します。

 従来のMacintoshの路線がMacintosh SEとなり,新シリーズとしてMacintosh IIが登場します。

 このMacintosh II,CPUにはMC68020という32ビットを用い,NuBusというテキサスインスツルメンツ社の開発したバスを用いて拡張する事ができました。グラフィックカードも256色のものが用意され,QuickDrawというグラフィックルーチンもフルカラーに対応すべく,32ビット化されました。

 全面的に32ビットマシンになったこのマシンのデモを見て,集まった報道陣はその速さにため息をもらしたといいます。

 Macintosh IIは,以後PowerMacintoshが出るまでの基本アーキテクチャとして,長く使われることになります。

 さて,写真のマシンは,大学時代にお客さんが持ちこんだ故障品をもらった物です。故障はADBが使えないというものでしたが,ここのヒューズを交換すれば直ってしまいました。

 ところが私は当時,SE/30を使っていましたので,このマシンの必要性はなく,後にCentrisのロジックボードを手に入れたときには,筐体だけが使われていたりしました。このマシンも,2000年春に実家の取り壊しがあって,売却しました。

 デザインは,かのフロッグデザインが担当。Macintosh SE,Macintosh IIcxなどと列んで,非常に美しいデザインを誇っています。


Macintosh Centris650(1991年,約40万円)

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 アップルは,CPUに力業で高速化を果たしたMC68040を用いたマシンとして,Quadraシリーズをリリースしますが,基本構成を同じにしてビジネスモデルとして安いモデルを用意します。それがCentrisシリーズです。

 MC68040を25MHz駆動したもので,速度以外は取り立てて目立つマシンではありません。

 ただ,ロジックボードは名作Quadra700やMacIIcxと同じレイアウトなので,筐体は流用できます。

 この写真は,MacIIciです。しかし,中身はCentris650になってます。ちょっと前まで私のメインマシンでした。中身は,インタウェアのGrandVimageでフルカラー,PPCカードとクロックアップでPPC601の66MHz,VideoSpigotで動画取り込みも出来ました。

 さすがに,今はもうこのマシンではどうにもならなくなっているということもあって,PPCカードは売却,現在は稼働していません。


Macintosh PowerBookDuo210(1991年,約50万円)

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 ノートパソコンの世界では圧倒的に乗り遅れたアップルが,世間をあっと驚かせたコンセプトのマシンが,このDuoシリーズです。

 これまでにアップルはPowerBookと名付けたノート型のMacintoshとして,68HC000のPowerBook100,68030を搭載したPowerBook140と170を出していました。100を除いてFDDや各種コネクタも完全装備したマシンだったのですが,いかんせん大きく重いものでした。

 可搬性を重視するマシンとしてアップルが提案したのが,Duo-System。最低限のインターフェースだけを持つマシンを普段持ち歩き,家に帰ったらDuo Dockというドッキングステーションに差し込み,デスクトップマシンとして使うというものです。

 だから,このマシンも背面に大きなコネクタが出ているだけで,それ以外はFDDを付けるにも苦労します。

 しかし,当時としては小さく,軽く,特筆すべきは薄いこともあり,高価だったのですがよく売れました。現在この種のマシンをアップルが作っていないこともあって,PowerPC化されたDuo2300などは今でも現役で使っている人がいたりします。

 入手ですが,個人売買です。メールを読み書きする環境が欲しかったのですが,当時はNiftyを使っていましたので,デスクトップマシンと同じ環境が使えることが望ましく,かといって大きなノート型は重くて仕方がなかったので,これを手に入れました。

 クロックは33MHzに上げてあります。メモリは12MBと非常に少ないのですが,System7.6.1で運用しています。HDDは200MBに換装済みで,Duo Dockなどを買うのもばからしいという理由から,トラックパッドのボタンの下の部分に小さなコネクタを付けて,ここにSCSIを持ってきてあります。

 こういった改造をいろいろやった過程で,あちこち壊してしまったのです。突然起動しなくなったのですが,検討中に外してまた付けたスイッチング電源のフライホイールダイオードの向きを逆にしてしまったらしく,モデムボードを破損。4万円で内蔵モデムを買い直したところ,今度は充電回路の電流検出抵抗が破損。これも秋葉原で探してきて交換し,やっとまともに動くようになりました。

 これもさすがにもう実用にはならないでしょう。しかし,ある時期のアップルを代表するいいデザインをしているので,ちょっと手放せない気分です。

duo210_2.jpg閉じたところ。A4サイズよりもちょっと小さいくらい。


SR-05(1984年,自作)

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 とうとう自作マシンまででてきました。「初歩のラジオ」に掲載されたZ-80マイコン,SR-05です。

 友人が先に作ったのですが,私は中学校の技術家庭科の自由課題として製作しました。

 Z-80でクロックは1MHz,RAMは2KBでバッテリバックアップ可能,ROMはなしで,メモリへの書き込みはパネル上のトグルスイッチでアドレスとデータを設定し,左下の赤いボタンで直接書き込みます。

 「初歩のラジオ」で先に連載された「SHOCK-1」というシステムとの互換性があり(っていっても,最小構成のマシンだから,普通に作れば互換性が勝手にでてくるのですが),ソフトもそのまま走りました。

 私は「初歩のラジオ」の作例よりも一回り大きなケース(ちょうどA4サイズ)に,電源の内蔵と拡張コネクタを用意して使いやすさを向上させていました。

sr05_2.jpgオリジナルの証,2つのコネクタ。

 私はこれに,圧電スピーカをつけてソフトで音楽演奏をさせたり,8×8で合計64個のLEDを並べたディスプレイを作って電光掲示板を作ったりしました。Z-80の機械語はこれである程度覚えましたし,16進数と2進数の変換を「指で覚えた」のも,このマシンのお陰です。

 何より,自作したことでマイコンシステムがきちんと理解でき,それは今の私の仕事に直接役立っています。


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