日本電気のパソコン

 日本電気は半導体の屈指のメーカーです。自社のマイクロコンピュータをどう使うか,それを考えるヒントとして用意したTK-80というワンボードマイコンによって,パソコンの歴史が始まります。

 RGBディスプレイによる80文字×25行の表示能力,カラー表示,フルキーボード,そして強力なマイクロソフト製のBASICを搭載したPC-8001の登場は,日本にパソコンブームをもたらし,以後登場するパソコンの形を決めたとまでいわれます。

 名声を得た日本電気は,様々な方向に製品をラインナップ。もちろん現在まで残るマシンは少ないですが,どれも個性的なマシンでした。


PC-8001(1979年:168,000円)

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 大学時代にアルバイトをしていた,某パソコンショップで下取ったマシンを購入して手に入れた物です。2000年春に実家の取り壊しがあって,やむなく売却しました。

 PC-8001が登場した時,私はまだまだタミヤの模型で遊んでいたので,その存在は後で知ることになります。なんでもPC-6001には兄貴分のマシンがいるらしい・・・それがPC-8001でした。

 現在まで続くPCシリーズのまさに源流たるこのマシン,それまでのマシンなら4KB程度のRAMや,整数しか扱えないBASIC言語,キーボードは電卓の延長上にあり,ディスプレイもテレビを流用する程度のものだったところを,標準で16KBのRAM,当時のみんなの憧れ「Microsoft BASIC」を24KBのROMに搭載したN-BASIC,テキストなら80文字×25行,あるいは160×100ドットのセミグラフィックを8色で表示できました。

 キーボードもご覧のように今の物と同じような本格的なもので,メカニカルなスイッチが使われています。また,ディスプレイはRGB入力のディスプレイが使用でき,その映像の美しさにはテレビの流用とは次元の違いがありました。このRGB出力信号は,コネクタのピン配置も含めて,以後10年の間業界標準になり続けます。

manual.jpgちょっと珍しい,海外版のマニュアル

 このマシンなら,当時だと30万円してもおかしくないといわれていただけにベストセラーとなり,パソコンが一部のエンジニアやホビーストから,パソコンの出す結果のみを要求する一般ユーザー達に普及するきっかけとなるのです。

 ちなみに,CPUはZ-80の4MHz。CRTコントローラがCPUの動作を定期的に止めてしまう設計のため,実質クロックは2MHz程度でしたが,日本電気にとっては,はじめてのZ-80搭載マシンとなります。


PC-6001(1981年,89,800円)

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 記念すべき私にとっての最初のマシン,これがそのPC-6001です。

 名前からして,PC-8001の下位機種にあたることは想像が付きますが,キーボードがキャラメルのような簡単な物になりましたし,RGBモニタもつながらず,テキストは32文字×16行という貧弱なものでした。

 しかし,これは家庭用マシンを最初に目指したものです。家庭用テレビに直結でき,最大256ドット×192ドットのグラフィックス機能,ひらがなをサポート,PSGによる8オクターブ3重和音の音楽演奏機能と効果音を作ることの出来るサウンド機能,ROMカートリッジをさせば電源投入ですぐにプログラムが走り,ジョイスティックもつながるのです。

 BASICはMicrosoft製のN60-BASIC。CPUにはZ-80を4MHzで駆動し,16KBのROMと16KBのRAMを実装して,価格は9万円を切っています。

 このマシンも非常によく売れました。また価格が安いこともあって,ユーザーの年齢層がPC-8001よりも下がり,ゲームのソフトもたくさん出るようになりました。

 余談ですが,当時,このPC-6001は新日本電機という別の会社で作られていました。そこではPC-8001との互換性を取るべく,N-BASICの移植が進んでいたそうです。しかし,PC-8001との競合をおそれた日本電気の首脳陣が,フルスペックのN-BASICの搭載を許可せず,サブセットとしてのN60-BASICが搭載されたということです。

pc6006.jpgROM/RAMカートリッジPC-6006。RAMを32KBに拡大する必須アイテム。

 私個人の見解としては,N60-BASICは確かに物足りなく,速度も遅い物でしたが,BASIC言語の基礎を学んだマシンとして,十分だったような気がしてなりません。結局マシン語を覚える羽目にもはりましたし。

 さてこのマシン,周辺機器にユニークな物がいくつかありました。

 デジタイザの低精度版ともいえるタッチパネルのPC-6051,BASICから任意の言葉をしゃべらせることの出来るボイスシンセサイザPC-6053など,遊び心にあふれていました。PC-6053はマニュアルのコピーも手に入れ,しゃべらせることの成功しています。

 これは私が小学5年生の時に,日本橋の上新電機(今で言うテクノランド)で39,800円で買ってもらったものです。PC-6001mk2の登場で在庫処分がされていたのです。このマシンにはいろいろ教わりました。まさに私の原点です。

 ところでこのPC-6001,昨年夏に突然動かなくなりました。正月に実家に戻った時に調べたところ,サブCPUである8049と,電源部のダイオードが破損していることがわかりました。ダイオードの入手はどうにかなるとして,問題は8049。

 これはこの中にマスクROMがあるワンチップマイコンですので,一般に入手は不可能です。試しにPC-6001mk2の8049を差し込んだ所動きましたので,今考えているのはEP-ROM版の8749にこのmk2のROMの内容を書き込んで復活させるというものです。

 この方法は,8749の入手が難しいのと,これを書き込めるライタが見あたらないということもあって挫折しましたが,PC-6001mk2のサブCPUと互換性があることがわかり,ジャンクのPC-6001mk2から取り外して交換し,現在は問題なく動くようになっています。

p6pcb.jpgPC-6001のメイン基板。


PC-8801(1981年,228,000円)

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 日本電気の8ビットパソコンとして長く君臨したのがPC-8800シリーズでしたが,これはその初代モデルです。PC-8001の直系に当たる上位機種で,PC-8001の設計をそのまま引きずって拡張されています。

 RAMは最大192KB,最大で640ドット×400ドットの表示が出来るようになったことから,漢字を40文字×25行表示できるようになりました。これで,日本でのビジネスシーンでの利用が可能になったわけです。

 BASICはPC-8801で追加されたハードをサポートするN88-BASICとN-BASICの両方を搭載し,N-BASICが走っているときにはほぼ完全にPC-8001として動作しました。

 CPUにはZ-80の4MHzを装備し,PC-8001では別売りだった拡張ユニットをそのままこの筐体に押し込んだような感じになっています。8インチフロッピーも用意され,速度の遅さを除けばビジネスシーンでも活躍できる物でした。

 しかし,ビジネスシーンにはこのすぐ後に登場する16ビットマシン,PC-9801が投入されるので,このPC-8800シリーズはもっぱら,個人用の高級ホビーマシンとして残ることになります。当時の私にはこの流れが理解できず,どうして20万円以上のマシンをホビーマシンにできるのだろうと,疑問に思っていた物です。

keyboard.jpg「カールコードの悲劇」とよばれた極太のケーブル。

 以後mk2,mk2SR,FR,FHなどのシリーズ展開を見せ,おそらく日本で一番たくさんのゲームが用意された8ビットパソコンではないかと思います。

 ちなみに,このマシンも私が大学生の時に,バイト先で手に入れた物です。CP/Mを動かすのが目的でした。

 ところで,このマシン,実家の事情で処分しました。といっても基板は残してあります。今度実家に戻ったときには,この部品も外してしまい,残す古パソのための補修部品としようと思っています。

pc8801pcb.jpgPC-8801の遺品。メイン基板。


PC-6001mk2(1983年,84,800円)

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 ベストセラーだったPC-6001の後継機で,PC-6001の弱点を補うばかりか,さらに遊び心を強化した製品です。

 Z-80の4MHzは変わりませんが,RGBモニタを接続可能にし,320×200ドットのグラフィック能力と最大16色のカラー表示ができ,RAMも64KBに拡張されました。さらに,1024文字の漢字ROMまで装備しています。

 サウンドは,PSGは変わりませんでしたが,これまでオプションだったボイスシンセサイザを内蔵し,新しく用意されたN60m-BASICの「TALK命令」でサポート。

 本格的なキーボードと,フロッピーディスクやスーパーインポーズユニットへのインターフェースも装備して,当然ながらPC-6001とはほぼ完全な互換性も持っていました。

 日本電気にとっては,このマシンがあったからMSXへ参入することをせずにすんだんだと思いますし,またそれが正解であったことは,後の歴史が証明しています。

 入手先は,同じくバイト先です。PC-6001のソフト資産を,なんとかフロッピーベースで使いたかったというのが,入手の動機です。

 個人的には,PC-6001のソフトが出なくなってしまった理由が,このマシンのせいだという感情から,あまり快く思っていませんけれども,そこはPC-6000シリーズ。お店で一番よく触ったマシンとして,本当に愛着がありますね。


PC-98RL5(1989年,998,000円)

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 日本のパソコンには,大きなムーブメントが何度かありました。

 第1次マイコンブームは,TK-80などのワンボードマイコンが登場して,一般の人々に「マイコン」なる言葉が浸透し始めた時期です。意味も分からず,とにかくすごいらしいで各種ワンボードマイコンが売れていきました。今でいえばそれほどの数ではなかったのでしょうけど,開発者のトレーニング用に作られたキットが,一般の人々に電器屋さんで売られ,それがそれなりにまとまった数になることは,やはりブームだったんでしょうね。

 次に訪れる第2次マイコンブームは,PC-8001が登場し,各メーカーからタケノコのように独自の8ビットパソコンが登場したときですね。ここで紹介してるマシンの多くはこの時期の物ですが,熾烈な戦いの結果,この中から8ビットはPC-8801,16ビットはPC-9801が生き残ります。

 PC-8801は主にホビーマシンとして8ビットの王座に君臨し,ゲームと中心としたアプリケーションでゲームを目的とするユーザーに支持されました。

 一方のPC-9801ですが,1981年の暮れに,298,000円という価格で登場します。CPUはインテルの8086を5MHzで駆動し,メインメモリ128kB,640ドット×400ドットで8色の高解像度グラフィックで,しかもGDCというグラフィック専用チップ(今でいう2Dアクセラレータでしょうね)をテキストとグラフィックのそれぞれ2つも用いて,高速描画に命を懸けたマシンでした。

 不思議なことですが,IBM-PCとも類似点が多く,また先行していたN5200モデル05ともよく似た点が多数見受けられました。

 BASICはN88(86)-BASICを搭載。これにはいろいろ裏話があります。当初,PC-8801同様に,PC-9801のBASICもマイクロソフトに開発を依頼するのですが,価格面と仕様面で折り合いがつかず,結局PC-8801用のN88-BASICをNEC自らPC-9801に移植します。

 N88-BASICを8086に移植したというので,PC-9801のBASICはN98-BASICではなく,N88(86)-BASICなんですね。今考えると,マイクロソフトはそのとき,IBM-PCのためのMS-DOSの開発に全力投球でしたから,他の仕事にはかかってられなかったのかも知れませんね。

 お陰で,PC-9801は,BASICレベルでの互換性がPC-8801とありましたし,周辺機器も多くは流用可能でした。PC-8801の発売後わずか半年で互換性のある16ビットマシンが,7万円高いだけで出たのですから,これはPC-8801のユーザーを怒らせてしまったようです。

 ちなみに,PC-9801以前に16ビットマシンがなかったかというと,あったんです。三洋電機とか松下電子工業,もちろんNECからも出ていたのですが,オフコンに近い存在だったので価格も100万円程度しましたし,ソフトも一緒になったシステム販売のみとなっていたことからもパソコンと呼べる存在ではないといっていいと思います。

 PC-9801はその後,クロックを8MHzにしてメモリを256KBにしたPC-9801E,5インチ2DDドライブを装備したPC-9801Fへと進化,後に8インチフロッピーと論理的互換性のある5インチ2HDドライブを装備したPC-9801Mを経て,NECの開発したV30という8086互換CPUを搭載して3.5インチ2DDドライブを内蔵したPC-9801Uへと進みます。ここまでが初代PC-9801のアーキテクチャのものです。

 1985年には,PC-9801VMが登場します。CPUにV30の8MHzを搭載した所まではPC-9801Uと同じなのですが,アナログRGB出力とカラーパレットの装備で4096色中8色が選択可能,VRAMを増設すれば16色まで表示できました。メモリは384KBに増やされ,それまでビープ音しかでなかったサウンド機能も,貧弱でしたが一応つきました。フロッピー内蔵モデルが主流になり,PC-9801のフロッピーはここに5インチ2HDが標準となります。

 インテルから80286というCPUが出てくると,エプソンから,これを搭載して高速処理を実現したPC-9801VMの互換機であるPC-286が登場し,NECをあわてさせます。BIOSの著作権問題は裁判に発展し,NEC側が一応勝利して和解が成立,PC-286は独自のBIOSで再出発をはかりました。

 NECは速度的に不利であったPC-9801VMを,80286の8MHzを搭載したPC-9801VXでテコ入れします。メモリは640KBでフル実装,80286の高速処理と,EGCと呼ばれる2DグラフィックアクセラレータとデュアルポートD-RAMの採用で,当時としてはかっ飛びの描画速度を誇っていました。

 PC-286やPC-386という互換機は結局PC-9801VM互換機であり,PC-9801VXの機能に必要なEGCがNECのカスタムICであったことから,エプソンがPC-9801VX互換機を市場に出せたのは,PC-486になってからでした。

 PC-9801VXは,386を搭載したPC-9801RAへと進化し,以後細かいモデルチェンジをしながら「国民機」の地位を不動の物とします。

 一方,ハイレゾマシンという流れがありました。PC-9801Uと同時に,PC-98XAなるマシンが登場しています。CPUには当時としては驚愕の80286を搭載,1120×768ドットの超高解像度グラフィックを誇り,メインメモリはメモリマップを最適化して最大768KBを搭載できました。

 しかし,当然それまでのPC-9801との互換性はなくなり,ソフトも独自の物となります。CADの分野ではそれなりに採用されたらしいですが,100万円近い値段で互換性がなければ,売れるはずもなく,ほとんど市場では見る事はありませんでした。

 この反省から,従来のPC-9801と互換性を持つ「ノーマルモード」への切り替え機構を持つPC-98XLを投入します。ハイレゾモードではPC-98XA,ノーマルモードではPC-9801VXとして動作します。同じく高価でしたが,これはそこそこの成功をおさめます。ハイレゾマシンがPC-9801ではなくPC-98であるのは,純血であるPC-9801との違いが大きかったからでしょう。

 PC-98XLは,386が登場すると即座にこれを採用して国産機初の32ビットパソコンであるPC-98XL^2(エックスエルダブル)へと進化し,PC-9801RAが登場した直後にPC-98RLへと進化します。386の20MHzは,当時のPC-98シリーズでは最速でした。

 さて,このPC-98RL5ですが,元々40MBのハードディスクを搭載するモデルで,やはり100万円ほどしました。私の場合,ハードディスクを外してあるものを安く手に入れましたが,当時としては386-20MHzはパワフルで,ハイレゾモードでは24ドットの表示フォントが出ましたから,とても満足していました。

 周辺機器やソフトの互換性も問題なく,随分と活躍してもらいました。

 Windows時代の到来と共に,CPUをパワーアップし,当時流行ったサイリックスのCx486DLCも搭載しましたし,その後IBMのBlueLightningで80MHzの世界も体験しました。グラフィックもカノープスのPowerWindow801+を入れて,PC-UNIXでも活躍してくれました。

 しかし,大きな問題はメモリ。このころのPC-9801は,メモリ空間が16MBで制限されていたために,メインメモリの上限は13.6MB。ただし,PC-98RLの場合には32ビットバスの内蔵メモリは最大で9.6MB,それ以上は後にCバスと呼ばれる10MHzの16ビット拡張スロットに差し込むことになります。プロテクトモードで動作させると,この拡張スロットのメモリで大幅に速度が落ちてしまい,泣く泣く外した覚えがあります。

 プロセッサのパワーはそこそこでしたが,なにせメモリが9.6MBでは,Windows95も使い物にならず,スワップの嵐が起こり,結局使うことはなくなりました。

 かつての私の主力機であり,愛着も資産もあるので,なかなか手放せませんが,せめて筐体くらいは活用したいなと,計画を練っています。賛否両論がありますが,このころのPC-9801に見られるフロントパネルのデザインテーマである「アローライン」は,私は結構好きだったりします。しかし,2000年春に実家の取り壊しがあって,やむなく処分しました。買い手がつかなかったのは,ちょっと悲しいですね。


PC-9801nv(1991年,198,000円)

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 NECは1980年代後半に,それまでのPC-9801の主要な機能を3つのカスタムICに集約するようになりました。今で言うチップセットというものになると思います。

 あとはCPUとメモリを搭載すればそれでPC-9801が作れるというので,一気に小型化が進みました。消費電力も下がり,A4ファイルサイズのPC-9801UV11,ディスプレイ一体型のPC-9801CV21,ラップトップモデルのPC-9801LV21などが登場しますが,エポックメイキングだったのは初のノート型である,PC-9801nでした。

 V30を10MHzで駆動,メインメモリは640KBフル実装し,1台しかないFDDを補う形で1.2MBのRAMドライブを装備していました。このRAMドライブからの起動は非常に高速であり,同じ事をデスクトップでやろうとすると,数万円の出費を余儀なくされた時代に,198000円という価格で登場しました。

 先行した東芝のDynabookを見て「これが98だったらな」と思う人を取り込み,PC-9801シリーズの主力の1つとなっていきます。

 以後CPUを386SXにしたPC-9801nsが登場するのですが,このPC-9801nvはV30HLという高速版のV30を16MHzで駆動していました。

 メモリなどは9801nを同じ構成でしたが,それまでの98にはなかったレジューム機能がはじめて搭載されたマシンでもあります。

 内部的には後に出たA4ファイルサイズデスクトップのPC-9801UF/URとほぼ同じですが,386SXの12MHzなんかと同じくらいの速度が出ていましたし,ハードディスクが内蔵できなかったことを除けばそれなりに使えるマシンでした。

 このマシンは私の持ち物ではなく,弟のものです。今は使わなくなっていますが,捨てずに持っていたので撮影させてもらいました。


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