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2007年10月の記事は以下のとおりです。

なにがTimeMachineだ時間を返せ!

  • 2007/10/29 15:21
  • カテゴリー:散財

 しばらくさぼっていました。身の回りにいろいろとあったことが直截な原因ですが,どうも最近言葉すらすらと出てこないという,嫌な感触に悩まされ,文章を書くことに以前のような積極性を持てないことも理由です。

 ネタはいっぱいあるので,少しずつ書いていこうと思います。

 さて,今回は旬なネタ,MacOSX10.5「Leopard」です。

 私もMacのオーナーになって15年以上,今はiBookG4に落ち着いていますが,OSだけはその都度最新の物を使い込んでいくことを旨としています。

 今にして思えば,MacOSX10.0なんてのは,なかなかひどかったなあと思います。マシンの不安定さ(結局メモリの問題だったと後で分かる)もあったのでなにが原因だったかわかりませんが,起動しない,カーネルパニックが頻発,レインボーサークルが回りっぱなし,設定を覚えてくれない,レスポンスが悪すぎる,ということで,まともな作業に使えるものではなかったです。

 それでも,その夢ある未来に期待して,私などはちゃんとAppleについていったわけです。

 10.3くらいになるとなにも心配することはなくなり,便利になった新しい機能が増えることで,古いOSに戻れないという,良い状況になったと思います。10.4は安定性も機能も,手に馴染む感覚も,やはり一番良かったなあと思います。

 10.5はCoverFlowやTimeMachineなど,興味のある機能がいろいろ追加されているのですが,どれもマシンパワーやHDDの容量を必要としそうで,PowerPCG4-1GHzのiBookではかなり厳しいなあという予感はしていました。

 ただ,Appleの場合,メジャーリリースでカーネルやFinderがチューニングされて動作が軽くなることもあったりします。新しく追加された機能を使わなければ,それまでよりも軽くなることもあるので,古いマシンでもそこそこ使えるから,新しいOSにする価値もあるのです。

 そんなわけで,10.5,金曜日の夜に会社を少し早めに出て,買いに行きました。祭り好きなら秋葉原や銀座に向かうべきなのでしょうが,当時は雨。雨の中わざわざ列ぶというのはどうもなあと思った私は,会社の帰りに寄れる川崎のヨドバシにいきました。

 6時ちょっと過ぎに到着したのですが,お客さんは少なく,祭りとはおよそ縁遠い状態です。店員さんが大声を出して10.5の発売をアナウンスしていましたが,そもそもお客が少ないのですから,あまり意味もないです。

 それに,なにも注目されるようなイベントがないんですから,店員さんもちょっと気の毒です。なにかくれるかなーと少し期待しましたが,なにももらえず,極めて事務的に会計が済みました。所要時間3分。

 こんなあっけなく2年ぶりの祭りが終わっていいのか!と思いましたが,本当の祭りは,家に帰ってから起こることを,この時の私はまだ知りません。

 雨の中帰宅し,軽くメールのチェックを行ったりしたあと,OSをインストールします。

 最近のMacOSXはインストーラも良くできていて,それまでの環境を引き継ぐための工夫が随所に見られます。通常のアップグレードインストールに加え,システムだけ入れ替えて環境を移行してくれる方法,他のHDDやマシンから環境を引き継ぐ方法,もちろんクリーンインストールも可能と,いろいろ方法が選べます。

 そもそも,インストーラが結構賢く信頼できるので,環境の移行に失敗したり,インストール中に止まるなどという問題も,これまであまり経験していません。

 すっかり油断していた私は,軽くお酒が入っていたこともあり,深く考えず「アップグレード」を選んでしまいました。HDDの容量が残り少なかったことも理由ですが,最低でもここは古い環境をアーカイブし,環境を移行するという作戦にすべきでした。

 また,1週間前に取ったバックアップを更新し,最新のバックアップにすることもすっかり忘れていました。これをやっておけば,時間の短縮に繋がったのですが・・・

 2時間以上の時間がかかり,ようやくインストールが終わりました。インストール途中で止まるという最悪の事態がなくて,もう勝ったも同然だワハハハと思って再起動したのですが,どうも様子がおかしい。

 ログインウィンドウまでは表示されるのですが,そこからレインボーサークルが回りっぱなしになり,ログイン出来ません。

 まあ,最初の起動の時にはこういうこともあるだろうと,しばらく待ってみることにしたのですが,1時間放置しても変化無し。これはいよいよまずいです。

 シングルユーザーモードで起動します。HDDの修復などを行いましたが改善されず。なにか互換性のない機能拡張や起動項目がエラーを起こしているのかと思いましたが,起動しない限りそれを特定するのは難しいです。

 セーフモードでもログインできず。結局私のiBookG4は,全く操作ができなくなってしまったのでした。

 もう一度同じHDDに「アーカイブしてインストール」を行いますが改善されず。もう一度試みますが,今度はHDDの容量不足でインストールも出来なくなってしまいました。

 いやはや,この状態では手も足も出ません。某巨大掲示板でも同じ症状の人がいて,解決策は出ていないようです。他にも多種多様なトラブルが発生しているようで,やはり早まったかなあと反省。

 DVDから起動しても結局なにも出来ませんし,HDDを取り出してバックアップを取るのもiBookだけに難しいです。

 こうなったら,もうクリーンインストールしかありません。

 しかし,データを失うわけにはいきません。そこで,外付けHDDにインストールしてここから起動し,データを待避することにしたのですが,どういう分けだか外付けHDDにインストールしようとすると「出来ません」と言われてしまいます。

 万事休す。

 しかし,HDDがクラッシュしたわけではなく,中にデータが残っているのですから,わざわざ消すことはありません。それに,消えてしまうととっても困ってしまう書類やメールがたくさんあるので,なんとしても救わねばなりません。

 そういえば,かつてUSBドライバをぐちゃぐちゃいじっていた時に,キーボードもトラックパッドも動かなくなって困り果てたとき,外付けのHDDから起動させた経験がありました。

 その時のHDDはIEEE1394接続だったのですが,まだそれが残っているはずという記憶を頼りに,探してつないでみます。

 無事10.4が起動。

 とりあえずデータを失うことはなさそうです。

 80GBの外付けHDDをつなぎ,内臓HDDをバックアップし,その日は力尽きて寝ることにしました。

 翌朝,普段よりも早起きして作業を続行です。

 クリーンインストールの用意にかかります。まあ,私のOSは,10.3から10.4にアップグレードしているものですので,少々汚れています。それに,HDDは最初の30GBから100GB,そして現在の120GBと2回入れ替えを行っていて,その度にCarbonCopyClonerの古いバージョンでクローンを作ったものなので,気持ち悪いのは確かです。

 もう意味もない古いアプリケーションやドライバも入ったままですし,Classic環境が全敗になった10.5でクリーンインストールをするのは,実はよい機会なのではないかと,気を取り直して作業にかかります。

 MacOSのファイルシステムであるHFS+は,基本的には大文字と小文字を区別しない仕様です。最近になって区別できるようになったのですが,そのためにはファイルシステムを更新しないといけないので,フォーマットからやり直さなければなりません。

 私はこの機会に,大文字と小文字を区別させるようにしました。せっかくのクリーンインストールですから,これくらいの新しさがないといけません。

 インストールはサクサク進み,無事に起動しました。新しいOSを使うという感動を味わうこともせず,あわてて環境の移行です。

 メールはメールボックスの取り込み,アプリケーションは原則ベタコピーですませます。設定類は出来るだけApplicationSupportかPrefernceからコピーして,問題が出たアプリだけ設定し直します。

 おおむね環境の移行が済んだところで,PhotoshopCS3です。さすがにコピーだけでは起動できなかったので再インストールをしますが,インストール出来ないといわれます。

 アップグレード版だからかなあと思い,PhotoshopCSをインストールして,もう一度CS3をインストールします。しかし結果は同じ。

 調べてみると,なんとCS3は大文字と小文字を区別するファイルシステムではインストールできないんだそうです。CSは出来たのに・・・

 せっかく環境を移行しましたが,フォーマットからまたやり直しです。くそー,時間を返せ。

 しかし,これだけの回数をインストールすると,もう慣れた物です。プリンタドライバをインストールしないでおくとインストール時間が大幅に短縮されるので,チェックを全部外します。ほとんど使わないドライバのインストールに,時間を容量をかけるのは無駄もいいところです。

 1時間弱でインストールは終了。今度はアプリケーションを立ち上げる前に書類を先にコピーしておきます。メールなどは,この方法で初回起動時に自動的に書式の変更などを行ってくれて,何食わぬ顔でそれまで通り使えるようになりました。

 Safariも同様で,ほとんどのアプリケーションがこの方法で問題なく動いています。これでだいぶ時間の短縮になりました。

 PhotoshopCS3も問題なくインストールできて,普段よく使うアプリケーションは一通り揃えることが出来ました。空き容量を見てみると,なんと20GBも節約出来ています。

 いかにこれまで無駄が多かったか,です。建て増しを繰り返して使うより,やはり綺麗にクリーンインストールした方が気分もいいし,安全です。無駄も省けていいことずくめと言いたいところですが,しばらくはバックアップを消せないですね。

 さて,ようやく使ってみた感想です。

 まず,結構バグが多いです。リスト表示もしくはCoverFlowでファイル名を書き換えると,Finderが落ちます。これは再現性があります。あと,カーネルパニックも一度経験しました。

 それと,これまでのアプリがちゃんと動かなくなっているケースがあります。PixelCatという画像ビューワを使っているのですが,フォルダをドラッグしても開かなくなりました。

 全体的な速度はあまり変わりません。Dockは3Dになったことで少々もたつき気味ですが,それほど気になるレベルではありませんが,最近乗り換えたエディタで,CotEditorは非常に重たくなってしまいました。

 フォルダのアイコンもちょっと慣れないせいか違和感がありますね。昔の方がよかったように思います。

 新しいウィンドウを開くと,その表示がアイコンだったりリストだったりするので,なんで覚えてくれないのかなあと思っていたら,ウィンドウごとに「いつもリストで表示する」というチェックを入れておかないと,最後に変更した表示方法が引き継がれてしまうんですね。

 私はウィンドウごとに自動で記憶してくれるのが正しいと思うのですが,今回の10.5では,それをユーザーが明示しないといけなくなりました。ウィンドウごとに記憶されないという考え方は,それはそれで正しいのかもしれませんが,次に開くウィンドウがどういう表示になるかを知らず知らずに覚えているものなので,開いた瞬間に次の作業に移ることもできず,ひっかっかってしまうのが嫌です。

 考えてみると,毎回新しいウィンドウを開くという使い方は,いつの間にやら少数派になっているようです。WEBブラウザのように,ウィンドウはそのままに表示内容だけ変わっていくのが当たり前だと,ウィンドウ単位で記憶されてもあまり意味がないのかも知れません。いやー,私もすっかり旧人種です。

 期待していたソニーのGPS-CS1Kのマウントは,やっぱり出来ませんでした。Intel版では,10.4.9(だったかな)あたりでUSBドライバが更新され,マウントできるようになっているのですが,PPC版は更新されていません。そこで10.5に期待したのですが,やっぱり駄目でした。

 TimeMachineは,まだ試せていません。ただ,バックアップ中もそんなに重くはないですし,操作ミスで消えたはずのファイルが戻せることの安心感は大きなものがあります。このために外付けHDDを買うのももったいないように思いますが,TimeMachineを使えるなら意味があるんではないかと思います。

 多くの人が絶賛している辞書もすばらしいですね。市販の電子辞書端末に入っているような本格的な辞書がきちんと入っているので,使い物になりそうです。これまでこれらを数千円なり数万円で購入してきたことを考えると,15000円という価格はお買い得だなあと思います。しかし,あの渋い辞書屋さんが,よくもバンドルを許したなあと思います。

 あとは,これまでのOSと同じですね。見た目もこれまでとあまり変わらないものに出来ますし,使い心地はMacOSXそのものです。もう少しバグが取れて,安定してくれば他の人にもお勧めできるようになると思います。

 そうそう,ことえり,随分使いやすくなってるようですね。予測変換も出来るようになってるみたいで,もうATOKを買う必要はないんではないかと思います。

 POBOXの作者の増井さんがAppleに移られて,iPodTouchにも関わられたと公言されていますが,ひょっとするとことえりも彼の手が入っている可能性があるんじゃないかと思いました。本当のところはよくわかりませんが・・・

 これから本格的な運用に入りますが,かなり私自身は期待しています。マシンの買い換えはもう少し先になりそうですが,OSを新しくすることはマシンの買い換えに匹敵します。楽しんでいこうと思います。

さようならPowerMacintosh7600

 私がまともなMacintoshを買ったのは,PowerMacG3が登場した1998年だったと思います。このサイトにも時々登場したPowerMacintosh7600です。

 G3が出たばかりで,旧機種の7600は確か18万円程度まで価格が下がっていました。今考えるとG3を23万円程度で買っても良かったと思うのですが,当時の私は妙なこだわりがあって,7600をわざわざ探して買ったのでした。

 買ったばかりの車で秋葉原まで出かけ,初めての「新品」のMacintoshを買ったワクワク感は,通信販売で買い物をすることが普通になった今では味わえない物があるように思います。

 7600は第2世代のPCI-Macと言われる範疇に属し,その起源は8500/7500/9500にあります。MacintoshがIBM-PCの技術を取り入れて,少なくともハードウェアがオリジナリティを失うようになったのがG3からですので,7600はMacintoshがまだまだプレミアムマシンだった時代の面影をあちこちに残しています。

 例えばストレージ。内蔵のHDDやCD-ROMはSCSI-2で繋がっています。外部にはSCSI-1が出ていますので,SCSIを2本持っているマシンというのは,かなりハイエンド指向だといえると思います。

 アクセシビリティもよく考えられており,フタを開けてロジックボードに手を入れるまで,ねじ回しを使うことは1度もありません。PCIは3本,プロセッサはカードで用意されており,アップグレードをも思いのまま,ゆとりのある電源容量にドライブベイも3.5インチフルハイトが2つ,5インチが1つ,フロッピーが1つとコンパクトな割に十分です。

 G3も同じ筐体でしたが,拡張性という点で7600の方がやや勝り,面白そうと言う理由で選んだのでした。

 それまで使っていたCentris650+PPC601カードという組み合わせに比べると天と地の差で,処理速度もメモリ搭載量もなにもかも満足でしたが,その後G3を会社で使うようになってからは,やはりG3の速さに「しまった」と思ったものでした。

 ところがOSXになると事情が違ってきます。G3も信じられないくらい遅いマシンになってしまいました。その頃,7600にはG4/800MHzが奢られていましたが,7600もG3もOSXに最適化されたハードウェアを持っていないため,CPUのパワーによる差が表面化しやすいようでした。

 OSXで快適な運用を目指し,意地になって拡張を重ねた経緯は,この艦長日誌でもかならず触れているのですが,最終的にOSはMacOSX10.4をインストール,CPUはPowerPCG4/800MHz,メインメモリ464MByte,HDDはATA133の80GByte,DVD-ROM,FireWireが3つにUSB2.0が5,ビデオは内蔵VRAMをフル実装とRage128のカードで2画面対応,ファンも静音対応のものに交換してあったりと,体感的にはiBookG4/1GHzなんかとそんなに変わらない速度で動くマシンになっていました。

 会社のG3は,プロセッサカードが手に入りにくいという理由で数年前に処分,数々の相性問題をくぐり抜けてお金と手間をかけてきた7600を会社に持ち込み,なにかと活躍してくれました。

 しかし,会社はすでにWindows一色。セキュリティ面からもMacをサポートしない方針が出ていて,目立たない所にこそっと置いて使うのが精一杯だったのです。

 これまで異動があっても連れて回っていましたが,それももう限界と,今回の異動をきっかけに処分することにしました。

 プロセッサカード,USB/FireWireコンボカード,ATA133カード,ビデオカード,HDD,メモリを抜き取り,後は所定の廃棄物処分の箱にいれてきました。

 置き去りにするのはかわいそうでしたが,自宅に持って帰るのも大変ですし,会社では使い道もない上,異動の度に席が狭くなると言う状況ですから,後ろ髪引かれる思いを断ち切って,ただありがとうといってその場を立ち去りました。

 一時はロジックボードの予備まで常備していたくらい大事にしていたのですが,その予備も結局一度も使われること無しにとっくに処分されています。

 考えてみると,9年です。90年代後半のマシンとしては信じられないくらい長生きしましたなあと思います。当時だったら,そうですね,PCならPentiumIIの233MHzですかね,Slot1の時代ですよ。

 もしG3を買っていたら,こんなに長生きさせることはなかったと思います。Macintoshが熱かった時代の産物である7600は,私にとっては忘れられないマシンになると思います。

 これまで,無茶な検討に付き合わされて満身創痍のマシンは,本日私の手によって電源を落とされ,解体されました。もう二度と電源源が入れられることはないでしょう。本当にご苦労さまでした。

土曜日の午後

 いつも昼まで布団の中で惰眠をむさぼるのが至高の楽しみである土曜日,しかしその日は朝から半蔵門まで出かけることになっていました。

 曇り空のお天気は暑くもなく寒くもなくというほどよい感じで,用事が済んだお昼の12時過ぎには,近くの中学校の学生達が帰宅の途につき,親しい友人達と休日を迎える開放感を楽しんでいました。

 ふと気が付くとおそば屋さんが目に付きます。お昼時ですし,こんな機会はもうないんじゃないかなと,あるおそば屋さんの扉を開いてみることにしました。

 土曜日のオフィス街は,会社の多くが休みになる代わりに,工事や引っ越し作業があちこちで行われています。扉の向こうに見えたのは,たくさんの注文を裁ききらねばならない緊張感に修羅場と化した店内です。お客さんは皆一様に薄い緑か青の作業服を着ています。

 挨拶もなく顎で2階に上がるよう指示された私は,そのまま階段を上っていきました。「どこでもどうぞ」と言われた私が選んだのは座敷で,柱のせいで4人が座るにはちと狭いと敬遠され,ぽつんとあいていたテーブルです。

 11時30分から14時まで禁煙と書いた張り紙をよそに,たいていのテーブルで紫煙が上っています。見ればどのテーブルも食べ物が来ていません。注文してから食べ物が出てくるまでの時間は,貴重な喫煙タイムなのでしょう。

 ちょうど牡蠣のシーズンで,店内のポスターは牡蠣そばに牡蠣鍋に牡蠣フライと,どこをみても牡蠣ばかりです。あいにく牡蠣が大嫌いな私にはまさに地獄絵図といったところです。

 無難に天ザルを頼み,ぼーっとしていると,私の顔の真横にある窓が少しだけ開いていることに気が付きました。外の様子を伺うのが大好きな私としては,そーっと15cmほどにその隙間を広げて,外を眺めていました。

 10人通ればそのうち8人は工事関係者と思わしき人々。一人くらいが学生で,残りはお年寄りという感じの情景を,少し湿った空気にあたりながら眺めていると,そのうちに頼んでいた天ザルが届きました。

 ありがとうとオバチャンに声をかけて,早速食べてみますが,実のところいまいち。そばはあまり香りがせず,かまぼこでも食べているかのようです。

 出汁もそれほどおいしいわけではなく,これならコンビニのざるそばの出汁といい勝負だなあと思う程度のもの。天ぷらはもっと残念で,衣が油で透き通るほど。グニャグニャとした食感で,大阪なら2週間でつぶれるなこの店は,と思いながら店を出ました。

 まだ1時前です。

 来るとき,半蔵門駅の案内板に,「日本カメラ博物館」への案内が出ていました。時間もあるし,話の種に一度いってみるか,と歩き出します。

 ところが下調べもなにもせずにいきなり行動を起こしてうまくいった試しがありません。案の定自分の位置が分からず,また博物館の場所もわからないという最悪の状態で,時間が過ぎていきました。

 不思議と散歩が楽しいので,時間の浪費に焦ることはありません。

 交番で聞いてみようと,先ほど通り過ぎた交番まで戻ってみると,中学生を連れたお母さんがなにやら警察官と話をしています。何かあったのだろうか,と心配になってよく見ると,地図を広げていますので,大した話ではなさそうです。

 お母さんは余程急いでいたのか,警察官にお礼も言わずにそそくさと娘の手を引いて立ち去りました。

 警察官が私に気が付いて,私も「すみません,日本カメラ博物館というのがこのあたりにあると聞いたのですが,おわかりになりますか?」と軽い会釈と同時に話しかけます。

 若い警察官は「えーっと,そういえばきいたことがあるなあ」と言いながら,このあたりの地図を広げます。

 しかし,その指先はどうも要領を得ません。日本カメラ博物館など,知らなくても一度も困ることなどなかったのでしょう。

 一応携帯電話で地図を記録しておいた私は,「土地勘がなくこれを見てもわからないんですよ」といいながら,それを見せます。

 やや間があって地図の上に「日本カメラ博物館」という文字をほぼ同時に見つけた二人は,あぁこれかこれか,と言いながら,ほっとした空気に包まれました。警察官はその場所までの道程を丁寧に説明し,私は「助かりました」とお礼を言って,その場を離れます。

 起伏の激しい街を上ったり下りたりしながら,目的地に到着したのはちょうど1時頃です。

 入り口で300円という安い入館料を払い,中を歩いていきます。

 ここは,世界的にも貴重と言われるダゲレオタイプのカメラをはじめ,その狭く小さな館内に不釣り合いなほど,多くの資料を収蔵していることで知られています。

 それこそ写真でしか見たことがないような歴史的なカメラを目の前にして,私は簡単に満腹になってしまいました。

 開館が1989年ということですので,バブル真っ盛りという感じでしょうか。この頃提供を受けたと思われるメーカー謹製の資料などが「いかにも」という感じを醸し出しています。

 写真が庶民から遠く,一部のお金持ちしか写ることの出来なかった時代の写真に残された当時の女性達の綺麗さにため息をつきつつ,一回りして図録を購入し,帰途につきます。係の人はとても丁寧で,常に笑顔を絶やさず,来館者とのコミュニケーションを楽しむことを厭いません。

 1時間ほどいたようです。相変わらずの曇り空の下を歩き,数時間前に出てきた駅に入っていきます。なぜか足取りは軽く,とてもいい気分で家まで帰り着きました。

 今にして思うのは,それが土曜日のお昼時だったということです。土曜日が半分学校,半分休みという時代を過ごした私は,完全週休二日の社会人になって以降,土曜日独特の開放感の味をすっかり忘れてしまっていました。

 朝は普通通りで緊張感があり,しかしながらそれはお昼まで。午後からはすっかり開放された気分が,「明日も休みだ」というお得感によって増幅されます。加えてきちんと朝から用事を済ませたという実績が,時間を有意義に使ったという満足感を作り出します。

 完全週休二日もいいですが,土曜日の「半ドン」も,なかなか味わい深いものだと思います。

 寒くなると布団から出るのが億劫になる朝。今ならちょっとお得な土曜日を過ごせる時期なのかも知れません。

未来に触れるTouch

  • 2007/10/09 16:06
  • カテゴリー:散財

 出ましたね,iPodTouch。

 ポータブルオーディオプレイヤー(という範疇に収まっているかどうかは別議論ですが)にしては高額な商品,9月末日と言われながら直販サイトの顧客の一部には9月20日過ぎに届き,それ以外は10月になるまで音沙汰無しでイライラする人が続出,しかもWindowsでは最初の起動時にかかっているロックを解除できないという初歩的なトラブルの発生と,なにかと話題に事欠かない大型商品でした。

 9月初旬に発表になった時,私はとりあえず16GBモデルをヨドバシの通販サイトに予約。高いなーと思いつつ,iPhoneで絶賛されたユーザーインターフェースを手に入れるチャンスですし,あのアップルがまた革命を起こすのではないかと,そんな期待に対価を払うことにしました。

 それで,直販サイトとリテールストア以外は11月になるとか,目処すら立ってないとかいろいろ噂が飛び交いましたが,結局私はこの連休に手に入れることが出来ました。

 使ってみた感想ですが,評判通りの素晴らしいユーザーインターフェースでした。また,このユーザーインターフェースを実現するために,タッチパネルという部品がここまで進歩していることにも驚きました。Grafitiなどは,所詮抵抗方式のタッチパネルの性能に妥協した産物であると思い知りました。

 1つ1つの技術は既知の物であるかも知れませんが,これらを統合することで新しい価値を創造するということがどれほど素晴らしくまた難しいことか,私は初代iPodを予約して手に入れた時の感動をもう一度味わうことになったのです。

 CoverFlowはMacOSX10.5で標準的な機能として採用されることになっています。iTunesだけの機能から,OSの機能に格上げされたCoverFlowは,デバイスの壁をも越えて,新しい「見せ方」を我々に浸透させていきます。

 そしてネットワークにつなぎ,Safariを使ってみます。まるでターボが効いたときの加速のように,iPodTouchは全く別のマシンに化けたような錯覚に陥ります。HalfVGAに過ぎないLCDで,これほど美しくWEBが見られるとは。

 縦で見にくいと思えばすぐに横に出来るし,つまめば拡大縮小が思いのまま,みたい部分をダブルタップすればちょうどいい大きさにしてくれるし,入力だってこれまで用意されてきたどのソフトウェアキーボードより使いやすいものです。

 細かいところでまだまだ不満もありますが,この薄っぺらい手のひらサイズの端末で世界中の情報が手に入るのかと思うと,まさにスタートレックの世界だなあと思いました。

 今でも日本のメーカーに対する信頼は厚いですが,果たしてiPodTouchを見て,これを日本のメーカーは作れるんでしょうか。


 さて,手に入れるまでの1ヶ月間,いろいろこのiPodTouchというマシンを冷静に考えてみたのですが,Appleがあくまでオーディオ/ビデオプレイヤーだと言い切るのは,これは一種のカムフラージュではないのか,と思いました。

 海外まで目を向けると,ポータブルオーディオプレイヤーはWiFiを搭載するのが次のテーマになっているのがわかります。Zuneしかり,Sansaしかり。

 しかし,ユーザーがそれで幸せになるのか,便利になるのか,ないと困る物になるのか,という点で見ると,やはりメーカーサイドの「搭載可能だったので搭載した」という独りよがりな押しつけに過ぎないように感じるのです。

 それもそのはずで,こうした新しい機能や付加価値を搭載しないと,1万円以下のプレイヤーとまともに競合してしまいます。安い商品は利益も薄いので数を出す必要がありますが,中国メーカーも含めてこのクラスの商品の市場はすでにすし詰め状態です。しかも安く作ることでしか競争できない単機能な商品は,その競争によって利益がますます少なくなります。

 そこで高付加価値モデルへのシフトがおきますが,大きさや電池寿命,メモリ容量で一定の水準に達した現在,ユーザーは別に安い物でも不満を持たなくなり,メーカーが用意する付加価値に憧れてくれなくなるわけです。

 ここにメーカーの都合で進められる高機能化(と高価格化)とユーザーの要求が少しずつ乖離していく状況が生まれるわけです。

 オーディオプレイヤーにWiFiがついて,それで何をしましょうか。AppleはiPodTouchで直接音楽を購入できるようにとWiFiを搭載しましたが,インフラの整備までやるはずもなく,そこはスターバックスと手を結びました。

 認証に必ずWEBブラウザが必要になるから,どうせならフルブラウザのSafariを搭載した,というのがAppleの説明ですが,このSafari搭載というのが,実は無限の可能性を秘めていると気付いた人は多いはずです。

 数年前ならいざ知らず,今はちょっと恥ずかしいWeb2.0という言葉に代表されるように,AjaxなどでWEBベースでありとあらゆるサービスが実現可能になっています。

 10年以上前にサーバ/クライアントシステムなどともてはやされましたが,これが特別なインフラや特別なプロトコルを用いず,ごく自然に利用可能なっているんです。

 重い処理はサーバに,軽い処理はクライアントに,必要な物はWEBブラウザだけ,しかもWiFiで繋がる,なんていう話を並べてみると,もはやiPodTouchは,すでにPDAやシンクライアントと呼ばれる物と同等になっていることに気が付きます。

 iPodTouchにはメールがない?確かにPOP3もSMTPも使えません。でもGmailがあるじゃないですか。メモ帳がない?確かにそうですね。でも自分のblogにメモ書きを残せばどこでもそのメモを見ることが出来ます。

 iPodTouchとiPhoneの本質は,ここにあるのではないかと思います。

 こうしてサーバ側が強力なサービスを,WEBブラウザしか持たないプアな端末に提供できるような下地が整うと,ありとあらゆる物がWEBブラウザを搭載するようになり,我々はあらゆる場所で,そこにあるどんなマシンをつかっても,必要な情報にアクセス出来るようになります。もはや「持ち歩く」必要はありません。行った先に窓はあり,そこから手を伸ばせばどこでも同じ情報が瞬時に手に入るわけです。

 機能アップはサーバ側を改良すれば可能で,端末側に改良は基本的には必要がありません。ストレージ容量も端末には必要がありません。すでにGmailの容量はiPodTouchのストレージ容量を超えています。

 かつてユビキタスというむずがゆくなる言葉を連発した人がいましたが,この人のビジョンも結局「繋がる」という所止まりでした。繋がることは手段であり結果ではないことは誰の目にも明らかでしたが,またしてもAppleによってこの事実にはっとさせられたわけです。

 え,WiFiで携帯機器でWEBブラウザ搭載はiPodTouchやiPhoneが初めてではないって?それではあなたの思う「初めての端末」は,小さく軽く洗練されていて,WiFiもWEBブラウザも必要としない人でも「欲しい!」と思わせるような魅力的なものでしたか?

 Appleのしたたかさはここら辺で,iPodTouchを欲しい人の中には「WiFiなんかいらんな」とか「WEBブラウザなど使い道がない」と思う人もいるはずです。いわばそれらはおまけで,気が付いたらiPodTouchと一緒にWiFiとWEBブラウザがどうにもならないくらいに普及しているのです。まさに「トロイの木馬」とはこのことです。

 そういう商品が5万円近い値段でバンバン売れる。WiFiを売りにするでもなく,WEBブラウザを搭載することを売りにするでもなく,美しいデザインと新しいユーザーインターフェースでこの高額商品がどんどん売れてゆく,他のメーカーにこんな芸当はまず無理でしょう。

 初代iPodがその後の音楽プレイヤーを大革命したのと同じように,iPodTouchがまた次の革命を起こすことを,私は期待したいと思います。コンピュータメーカーであったAppleが音楽プレイヤーに参入したことそのものを,歴史的な出来事として評価すべき時が,やがてやってくるかも知れません。

X-07修理の顛末

  • 2007/10/07 20:48
  • カテゴリー:make:

ファイル 156-1.jpg

 1980年代前半,8ビットのパソコンがブームになり,家庭やオフィスに入り込んでいきました。実際の所何の役にも立つこともなく,ただパソコンが動いているのが面白い,触っているのが幸せだ,というだけの話でした。

 ただ,自動で物事が処理されるというコンピュータの根本的な特徴を理解し,またそれを楽しいと思える体験をした人々が,その後のネットワーク社会を支えているんではないかと思います。

 で,今は撤退したメーカーが当時個性的なマシンを作っていました。今回の主役,X-07もそんな1台です。

 1983年,キヤノンから発売されたこのコンピュータは,すべてのLSIをCMOSで構成し,単3電池だけで動かすことが出来たハンドヘルドマシンです。その性能は当時のデスクトップマシンなどに比べても遜色なく,もっと評価されてもよいマシンではないかと思います。

 私は当時雑誌で見たことがある程度で,実物を見たことも触ったこともありませんが,一度は触ってみたいものだと思っていました。

 先日,オークションで壊れているものが安く出ていたので落札。動作品だと8000円とか1万円とかするんですね,これ。そんな価値があるとも思えませんが,それでももう25年近く前のものですから,別の価値が出てきているのかも知れません。

 届いたものは,さすがにあまり程度がよくありません。キーボードも黄ばみがひどいです。問題は電池の液漏れです。これが故障の原因であることは明白でしょう。

 電池を入れてみますと,画面にゴミが出まくっていて,起動画面も出てきません。ただし,キーを押せばクリックがなりますので,完全に死んだわけではなさそうです。

 X-07は面白いメモリ構成のマシンです。Z80など80系のマシンは,リセット後0000H番地から実行されるので普通はROMを0番地から配置し,RAMはROMの後に置きます。

 しかし,なぜかX-07ではRAMを0000H番地から配置し,ROMをB000H番地から配置しているのです。これでは起動しないはずなのですが,面白いのはここから。

 X-07では,0番地から3バイトはC3Hが読み出せるようになっています。C3C3C3Hは,C3C3H番地にジャンプという命令ですので,ROMのありC3C3Hに飛んでいきます。試しにC3C3Hをダンプすると,DI命令で割り込みを止めて,スタックポインタの初期化をおこなっています。間違いないですね。

 起動してから0000Hを読み出してもC3Hにはなりません。起動してからはRAMが読み書きできるようになっているんでしょうね。

 さて,修理です。

(1)クロックとリセットと電源
 リセットとクロックはCPUにとっての神の手,と例えた人がいますが,まずこの2つをきちんと確認しないといけません。確認すると,メインCPUであるNSC800のクロックもサブCPUのクロックも問題なし。リセットも問題ありません。
 電源電圧も問題なし。回路図に書かれているとおりです。

(2)フレキの不良
 派手な液漏れのせいであちこちが腐食しており,コネクタ類もかなりひどいことになっています。導通のチェックを行うと奇跡的にすべてok。念のため錆びている部分を少しだけ磨いておきます。症状は変化なし。

(3)RAMの不良
 RAMはHM6117LFPが4つで合計8kByteです。チップの不良はあまりないでしょうが,基板の不良が心配です。導通を調べていくと,データバスが他のRAMにつながっていない場合があります。こりゃいかんとさらに調べると,D0とD1,といった具合に,別のピンにつながっているようでした。そうです,SRAMはROMと違って,別のピンにつなげても動作するのです。しかし,こういうのはトラブルの原因になるんだけどなあ。ブートの仕組みといい,かなりマニアが設計したマシンのようです。
 で,私はRAMの増設も頭に入れて,256kbitのSRAM1つに載せ替えました。このうち前半の8kByteだけをとりあえず使うことにします。試してみますが,症状は変化なし。

(4)ROMの不良
 ここまでくると,かなり雲行きが怪しくなります。ROMはマスクROMですから壊れていると交換できません。本当にROMが壊れているならあきらめるしかありません。(そんなケースはまれだろうって?いやいや,私のMatrix1000は電源投入後10分ほどすると暴走してしまいましたが,原因はマスクROMが10分ほどで読めなくなったからでした。あわててEPROMにコピーして今は問題なしです。)
 某サイトからX-07のエミュレータを手に入れたのですが,そこにはROMイメージが付属していました。(私は実機を持っているので限りなく黒に近いグレーと思ってください・・・)このイメージをROMライタで焼いてみることにします。
 X-07は,B000HからBFFFHまでを32kbitの,C000HからFFFFHまでを128kbitのマスクROMで合計24kByteを搭載しています。この両方のイメージを256kbitのEPROMに焼きます。
 交換して,アドレスデコーダを作り込んで動かしてみますが,ますます状況が悪くなり,画面になにもでなくなりました。冷静に考えると,B000H番地のデータをEPROMの0番地に書き込んでいるので,CPUがB000H番地をアクセスにいっても,アドレスがずれてしまうのですね。
 本来はオフセットをつけて焼くべき所を,いやーうっかりしていました。お恥ずかしい。
 そこで,オフセットをつけて焼き直しをしようと思いましたが,どういうわけか書き込みエラーが出てしまい,書き込めません。殺菌灯でROMを消そうと思いますが,なぜか殺菌灯も見あたりません。万事休す。
 しかしあきらめません。アドレスをオフセットする回路を3ゲートで作り,これを組み込みます。
 ところが,問題は解決せず。最初の状態になっただけです。念のためアドレスデコーダのICも交換しましたが変化はありません。しかし,最初の状態になったということは,ROMが壊れていた可能性は極めて低いということになります。

(5)サブCPU
 とはいえ,ROMが壊れていないとなると,残るはもうサブCPUだけです。サブCPUはLCDの制御,キーボードの監視,RTCなどの機能を受け持っています。これが壊れている場合に考えられる症状と今起きていることは近いので,サブCPUの故障という可能性はかなり高いと思われます。
 しかし,サブCPUこそ交換する方法がありません。もし本当に壊れているなら絶望的です。
 回路図を見ながら,サブCPUと外付けの16kbitのSRAMとの配線を確認します。するとどうもD7とD8がつながっていないようです。このデータバスはLCDドライバICにもつながっているので,影響はかなり大きなものとなりそうです。
 SRAMを基板から剥がすと,SRAMで隠れていたパターンが切れているのがわかりました。こわいですね,電池の電解液によって,溶けてなくなってしまっているのです。
 実は,ROMの確認をする過程で,ROMのチップセレクトの配線が切れていました。これも電解液による腐食でした。
 ここを配線し直したところ,画面のゴミは消えました。しかし,相変わらず起動画面に至りません。

(6)そして・・・
 サブCPUのデータバスをオシロスコープで見ていくと,Lowに下がりきっていない信号がありました。こういうのは大抵データバスの制御が羽なく行っていないのが原因です。SRAMのチップセレクトを確認すると,ずっとHighになっています。これはおかしい。確認すると,チップセレクトを作るICの足がブリッジして,ずっとHighのままです。
 このブリッジを外してみると,データバスは正常になりましたが,それでもまだ起動画面は出てきません。

(7)やはりフレキ
 先程とは違って,直接ハンダ付けされているフレキがあるのですが,これをよく見ると,いくつかきれてしまっています。とりあえず導線で配線しなおしてみます。
 すると,うれしいことに起動画面が出てきました。


 いやー,うれしいものですね。この程度のマシンなら修理可能だろうと思っていましたが,1週間もかかってしまいました。

 高校生の時,故障したMZ-80kを修理した時には,飛び上がって喜んだものですが,こういう感動はいつ味わってもよいものです。

 暫定的な配線をすべて綺麗にやり直し,メインRAMを拡張する改造を行い,あらかじめ洗ってあった筐体を用意して,組み立てていきます。

 強力なBASICが使えるX-07が動作するようになり,付属してたTableカードというアプリケーションカードも動作することを確認しました。

 今回はなかなか厳しい修理でしたが,その分感激も大きいです。幸いにしてICの破損は1つもなく,液漏れした電池の電解液があちこちのパターンを切断していたことが原因でした。

 今回は3カ所の切断だけで済んでいますが,電池の電解液がこれほど強力なものとは思っても見ませんでした。基板がその信頼性を維持できないことを見せつけられたわけで,電池の恐ろしさを実感しました。

 80年代といえば,CMOSのSRAMがバックアップ出来るようになり,電池が100μA程度で消費されることが増えた時代です。しかし,電池にとってこの100μAというのはかなり厳しい使用条件で,この電流をずっと流し続けると,過放電になり簡単に液漏れするようになります。

 もっと少なくか,もっと多く流せば液漏れの可能性は減りますが,それが製品の設計に反映されるのは90年代も半ばになってからです。だから,この時代の製品を使っている方は,電池は面倒でもこまめに抜いた方がよいです。その被害は甚大です。

 というわけで,とりあえずX-07が手に入りました。ポケコンとは桁違いのパワーを持つマシンですし,使い道は考えれば出てきそうです。

 しかし今回は,何より修理が出来た,ということに価値があると思います。信号を追いかけ,1つ1つ原因を潰していけば,必ず修理は可能です。今回はそのことを改めて実感したいい機会でした。

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