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2009年07月の記事は以下のとおりです。

D-70の修理が終わりました・・・つらかったです

 D-70の修理がとうとう終わりました。怪我もしましたし,予備のキーまで接着剤が溶けていたという衝撃の事実まで突きつけられ,さらにフレキの破損や複数箇所のネジバカ,本体データの消失など,今回ほど手を焼いた修理もなかったのですが,とりあえず妥協できるレベルに来ました。

 キーは一箇所だけ反応の悪いものがあり,特にピアニシモで音の出方が違う事があるのですが,ここを深追いすると現状維持さえ難しいと判断し,このままとしました。とはいえ,,実用的には違和感は少なく,以前のような演奏中に不自然さを感じるようなことはありません。

 キーフレキの破損は本当に困った話だったのですが,先日書いたようにステンレスの板を両側で締め付け,バネのようにして接点を圧着する方式にしました。問題はこの締め上げのトルクで,微妙な調整が必要でした。調整後1週間ほど放置して馴染ませた後,塗料でネジロックをおこなってあります。

 底板をネジで締めて,ようやく完成してから演奏をしてみたのですが,かなり元の調子に戻ったのではないかと思います。いつもRD-700ばかり演奏していましたから,D-70の軽い鍵盤は結構演奏しやすく,また聞き慣れた音も心地よくて,なんだかんだで修理出来てよかったなあと実感しました。

 とはいえ,いつまで使えるのか分かりません。特にキーフレキの問題は正しい修理方法ではありませんのでいつおかしくなっても不思議ではありませんし,ネジバカになっている場所が多いという事は,それだけたわみに弱いということですから,バリッと物理的に壊れてしまうことも覚悟しないといけないでしょう。もう腫れ物状態,といえるでしょうね。

 演奏していて思ったのですが,1990年代前半という時代を色濃く反映した波形やプリセットがD-70の特徴でもあり,「これのどこがJupiter8だ」と今なら言われてしまうような音でも,アンサンブルでは結構馴染むので便利に使えたりします。

 オールラウンドに使えるシンセサイザーではないと思いますし,ユーザーインターフェースは未だに「これはおかしい」と思う仕様になっているのですが,広い鍵盤と特徴のある音は,やっぱり捨ててしまうのは惜しいです。

 名機とまではいいませんし,なにせ物理的に華奢でキーに欠陥があるシンセサイザーはプロの道具にはならないでしょうが,私は毎週毎週これを担いでスタジオに入っていたわけで,やっぱり私の原点なんだなあと,思いました。

LCDにあいた穴

ファイル 315-1.jpg

 先日の土曜日のことです。

 愛用の学習リモコンのキーフレキが壊れてしまったため,なんとか修理をしようと悪戦苦闘していました。

 D-70の修理の件でも書きましたが,とにかくフレキは壊れやすい上に,壊れたら修理する良い作戦が立ちません。結局あきらめることになってしまうわけですが,今回のリモコンはちょっともったいなかったので,穴あき基板にスイッチを並べて,手作業で配線をしてキーボードを自作することを考えました。

 我ながらバカな作戦だと思うのですが,もうこれくらいしか手がありません。幸い,ハンダ付けのスキルと単純作業を厭わない性格が揃っているので,なんとかなると作業を進めていました。

 しかし,私は重要な点を忘れていました。私は鈍くさい上に,机の上がいつも盛大に散らかっているのです。

 ハンダゴテを持ちながら,回路図を確認しようと,手を伸ばしたその時です。買ったばかりの三菱のLCDモニタの表面に,ハンダゴテのコテ先がこつんと当たりました。

 うわ,やってしもた!

 あわてて確認をしますと,コテが当たった部分が0.5mmくらいの穴になって,白い光を放っています。

 LCDの表面に貼り付けてある偏光フィルムが溶けて,その下にあるガラスが見えているんでしょう。

 白い画面ならちょっとした傷くらいに見えるのですが,黒い画面になると輝度の高い白い点がぴかーっと光っています。いや,これは目立ちます。

 私のへこみ具合と言えば,筆舌に尽くしがたい状態です。

 買ったばかりですよ,しかも地デジを見ようと用意したものですよ,それがハンダゴテがあたって穴があくなんて,考えもつかないじゃありませんか。

 0.5mmくらいの穴ですし,黒でなければ目立たないとはいいますが,どうしても「そこ」に目がいってしまいます。そうすると元に戻らない破損を改めて自覚させられるのです。

 試しに偏光フィルムを回しながら,白い点の上に被せてみました。角度によって白い点の明るさが変わるので,小さく切った偏光フィルムを貼り付けてみたのですが,全体に輝度が落ちるだけで,逆に目立ってしまいます。

 結局剥がして,このまま使う事にしました・・・

 もともとLCDに,1つや2つ,白い点があっても不良ではないと言われています。製造者の都合だといえばその通りですが,安価にLCDが買えるのはある程度なら良品であると判断されるからであり,消費者としてはなんとも複雑なところです。

 一昔前のLCDのピッチなら,今回の穴くらいが1ドットといえなくもありません。そうだ,LCDに死んだドットがあるんだと思い込むことにしよう,そうすれば少しは諦めが付く,なぜってメーカーは1つや2つのドットの非動作は「故障」とは見なさないから・・・

 そう信じることにして,もうこの件は終わりにしたいと思います。

 で,そのリモコンですが,なんとか復活しました。しかし,非常に使いにくいです。LCDの貴い犠牲の上に復活したリモコンだけに,無理にでも使い込んでいくしかないと,私は気持ちも新たに誓いました。

D-70にファクトリープリセットが戻った

 昨日,少し時間が出来たので,D-70のファクトリープリセットの再現を試みました。

 D-70は,5キーを押しながら電源を入れると,内部のSRAMの状態をバルクデータとしてMIDI経由で出し入れすることが出来ます。

 海外の有志が随分昔に,工場出荷状態(といわれている)データを用意してくれていて,これを書き込めばよいのですが,問題はその書き込み方法です。

 幸い,SMFになっているものが見つかったので,シーケンサーで送り込めば良さそうな気もしますが,バッファ容量とか,大容量のバルクデータの送受信を想定していないソフトだと,案外うまくいかなかった経験があります。

 こういう時は,データの転送を想定したものを使うのがよいのですが,手軽なのはローランドがファームウェアのアップデートに使う目的で配布しているSMFの送信ソフトです。RD-700のファームウェアアップデートでも使った経験があるソフトで,どういうわけだか現在はリンクが切れていてダウンロード出来なくなっています。

 今回はこれを使う事にしました。

 MacBookProにUA-25をつなぎ,さらにUA-25とD-70をMIDIで繋ぎます。送信ソフトを起動するとMIDIインターフェースを選択出来るので,ここでUA-25を選びます。

 D-70を5キーを押しながら電源を入れ,データ受信モードを選択して,ENTERを押して受信状態にしてから,送信ソフトでデータを送信します。

 D-70の画面にデータの受信状態が表示されて,しばらくすると受信が終わります。EXITキーで受信モードを抜け,電源を再投入すると,あの見慣れた画面が出てきて一安心。

 鍵盤を押せばちゃんと音も出ます。しかし,いつもの起動画面がスキップされているので,ちょっと違和感があります。3キーを押しながら電源を入れると,いつもの起動画面に戻ってくれました。この点から考えると,本当の意味での工場出荷状態のデータというわけではないようです。

 しかし,気になったのはこの点だけです。いつもの場所にいつもの音色が配置され,いつもの音が出てくるようになりました。

 キーも一部反応の悪いキーがありますが,実用範囲なのでもうこれで終了としたいと思います。

 まだ組み上げたわけではないので完成というわけではありませんが,とりあえず危機は脱したと思います。つくづく,インターネットのありがたみを感じました。

 ということで,おまけ。D-70のキーデバイスの一覧です。

N80C196KB - CPU
SRM20256LC-12 - 8 x 32K SRAM
M5M4464AP-10 - 4 X 64K DRAM
LH5164DL-100 - 8 x 8K SRAM
PCM61P - 18-Bit Monolithic Audio DAC
M51953AL - Reset IC
PC910 - Opto Coupler
MB87419 - Custom PCM Chip
MB87420 - Custom PCM Chip
MB834000A-20-G-3B1 MASK ROM - PCM Wave A 4Mbit
MB834000A-20-G-3B2 MASK ROM - PCM Wave B 4Mbit
HN62304BPE98 MASK ROM - PCM Wave C 4Mbit
HN62304BPH57 MASK ROM - PCM Wave D 4Mbit
HN62304BPH58 MASK ROM - PCM Wave E 4Mbit
HN62304BPH59 MASK ROM - PCM Wave F 4Mbit
SSC1000 - Gate Array (key scan)
TC23SC140AF-007 - Custom FX Chip
MB87424 - TVF Chip
SLA7160FIC - Gate Array
uPD65005G-062 - GateArray (IC card)
HG61H15B72FS - Gate Array (input/output)
AM27C512-125DC Eprom A 512kbit
AM27C512-125DC Eprom B 512kbit

 CPUはインテルの組み込み用マイクロコントローラである80C196です。私はMCS-96シリーズは良くわからんのですが,一応16bitのCPUで,ひところのIBM製のHDDなんかによく使われました。D-20やW-30なんかには8097が使われているようです。

 汎用のCMOS-SRAMやDRAMはさすがに当時強かった日本製が使われていますね。DRAMなんか三菱製です。

 PCM61は18bitのDACです。これも当時はよく見ました。JD-800でも使われていますね。

 MB87419とMB87420はカスタムICなので詳細はわかりませんが,PCMを処理する「音源チップ」なんでしょうね。そのPCMは4MbitのマスクROM6個に格納されており,全部でトータル3MByteという大容量!です。JD-800との比較ですが,実は全く同じ容量だったりします。

SSC1000はキースキャン用のIC,TC23SC140はエフェクタ用のICですが,どっちもカスタムなのでよくわかりません。MB87424はTVFとありますが,D-70はRS-PCMキーボードであるU-20の系統のシンセサイザーですが,U-20やU-220との違いはTVFがあるかないかでした。開発中はU-50と呼ばれたD-70が,U-20にTVFチップであるMB87424を搭載して生まれたというストーリーは,なかなか辻褄が合っているように思います。なお,このMB87424,SSC1000は,JD-800にも使われているようです。

 SLA7160もuPD65005G-062もHG61H15B72もゲートアレイで,詳細はわかりません。ですが,uPD65005G-062はD-20やD-50に使われているようですし,HG61H15B72についてもD-20やU-20なんかには使われているゲートアレイなんじゃないでしょうか(確認したわけではありませんが)。

 これらの回路図を手に入れるのは難しいものですが,もし手に入ったらきっと楽しいと思います。回路図こそ,設計者の意志が投影されたものですし,回路図上の変化から時間軸上の変化,変遷が見えてきます。

 というわけで,私は回路図を酒の肴にたしなむ人です。

D-70,苦難の道

 左手の中指の先端を,もう少しで切り落としてしまうところだったD-70の修理作業ですが,ようやく傷も癒えてきたので,再開することにしました。

 ベロシティのおかしいキーがある,その原因はキー自身にあった,よって新品に交換すると直るはず,というのが前回までのあらすじだったわけですが,接着剤の溶け出し対策を自分行った交換用の黒鍵が用意できたこともあり,さくっと交換,組み立てて終わりにしようと考えました。

 ・・・甘かったです。まさかここまではまるとは。

 意気揚々とキーボードを組み立てて,自信満々でテストをしてみると,ある特定のキーで音が出ません。どうしてだろうとキーを外して,ゴム接点を直接押してみると先に接触する接点が反応していないようです。

 以前も書きましたが,D-70の場合はキーベロシティを検出するのに,1つのキーの中に2つの接点を仕込んだゴムキーを使います。2つの接点は順番に接触するように作られていて,1つ目が接触してから2つめが接触するまでの時間を計れば,ベロシティが測定出来るという仕組みです。

 1つめの接点だけを接触させれば最低の,1つめと2つめを同時に押せば最高のベロシティが計測されるわけですが,今回問題となったキーは,1つめの接点を押しても音が出ません。2つめの接点を押せばベロシティ最強で音が出ます。

 以前の修理で,溶けた接着剤がキーボードのフレキシブル基板を溶かしまい,ある1つのキーで同様の症状が出たことがありました。この時はさすがにあきらめそうになったのですが,結局面実装のダイオードに被せてあった樹脂をほじくって,ダイオードの足に直接ハンダを付け,リード線で中継基板に持ってくるという無茶っぷりで修理をしました。

 同じ話だろうと,今回も該当するキーのダイオードの足までほじくり,リード線をハンダ付けします。

 思えばこれが失敗の原因だったのですが,どこが接触不良を起こしているかをちゃんと確認しないでこんな後戻りできない処置を行うのは,本当に無謀です。

 確かに問題のキーは直りました。しかし,他のキーにも同様の問題が出ていることがわかったのです。同じように片っ端からほじくって直していきます。確かに端っこから8つまでのキーは,完璧になりました。しかし,9つめのキーから,また音が出ていないものが現れます。

 キーは8つごとにまとめられており,キーマトリクスを構成しています。前回の故障はキーフレキの故障によるキー単独の不良でしたが,今回は8つごとですので,キーから後ろ,中継基板までの間で起こっていることになります。

 しかも悪いことに,ほじくって熱をかけたダイオードは,フレキとの接触を維持できていない上,パターンも切断されている箇所があります。本当に余計なことをしてしまったわけです。

 では原因はどこだと見てみると,キーフレキと中継基板を繋ぐ,コネクタが付いた別のフレキがあやしいようです。このフレキとキーフレキとは,透明なプラスチックで押さえて接触させてあるように見えたので,指でぐいぐい押して,接触を確保しようとします。

 ところが悪化。8連続で音が出ないゾーンが出来るなど,余計に接触が悪くなったようです。

 単純な接触なら,アルコールで掃除すると復活するので,この部分を分解してみることにしたのですが,ペリペリという何かが剥がれたような音がします。

 接点をよく見ると,黒いカーボンの塗料が剥がれて,銀のパターンがあらわになっています。どうやら,黒いカーボンを導電性の接着剤にして,2つのフレキを電気的・物理的に接合してあったようです。

 剥がれてしまったものは,もう元には戻せません。かといって手元に導電性の接着剤などありませんから,なにか他の方法を考えねば・・・安易な検討が招いた結果に動揺しつつ,必死に対策を考えます。

 考えた方法は,中継基板用に向かうフレキのパターンに合わせた形で銅箔テープを貼り,これをキーフレキの接点に圧着するという方法です。銅箔テープを使えばそこにハンダ付けが出来ますので,私の得意技を封じることは出来ません。

 問題は圧着です。幅が5cm程,全部で16の端子がある接点をきっちり押さえ込むのは難しいのですが,0.8mmのステンレスの板を弓のように湾曲させ,これを押し当てるように両端をビス留めします。

 うまく締め付けトルクを調整しないと,均等に力がかからないので調整が難しいのと,調整後はダブルナットでゆるみを防止する必要もあるでしょう。

 この方法で仮組みしてテストをしますと,一応音は出るようになったみたいです。しかし,ダイオードの足をほじくってハンダ付けを行ったときにパターンを壊したみたいで,8つおきに音のでないキーが3つほどありました。これはもうあきらめて,すべてのダイオードの足をほじくってハンダ付けします。これでテストをすると,一応全部のキーの音が出ています。よかった。

 嬉々としてキーボードユニットを本体に組み付けてみますが,ここでテストをすると,最低音域の8つと,そこから2オクターブ行ったところの8つのキーのベロシティが最強になっています。

 しかも,どういうわけだか作業中にSRAMの内容がぶっ飛んだらしく,電源を入れると「No RAM Card! 」とメッセージが出てきます。EXITボタンを連打して通常の画面が出てくると,文字化けの嵐です。メモリも消え去ってしまいました。

 いやー,本当にがっかりです。この時すでに夜の11時。もうがっくりと力が抜けてしまいました。これまでの8時間は一体何だったのか・・・フレキの破損はモグラ叩きで,1つ直せば次がまた壊れる,こんなことを繰り返していても,もう絶対に直せない・・・その上メモリまで消えるとは。

 もう修理はあきらめて,寿命が尽きたとして捨ててしまうかと思いました。

 しかし,いかにデジタルくさい音とはいえ,個性の強い音を持つD-70です。ベルやチャイム系,パッド系,そしてJupiter8を模したとされるストリングスの音は,ちょっと手放すのが惜しい,私の原点です。

 寝る前に,メモリの初期化だけやってみようと,8キーを押しながら電源を入れます。初期化するかと聞かれたので「本当にサヨウナラだな」と思いながらENTERキーを押すと,いつもの起動画面が出てきました。

 しかし,完全初期化されたため,すべてのパッチやトーンが消えています。そればかりか,システム系の設定も全滅で,全く音が出てきません。

 デモプレイの音は出るので,オーディオ系は大丈夫ですが,とにかくキーを押して音が出るようにならないと話になりません。

 RAMカードを差し込んでみると,自分の作った音は再現できそうです。しかし相変わらず音は出ません。システム設定を見てみると,ローカルオフになっていたことが判明,これをオンにすることで,とりあえず音が出るようになりました。

 しかし,今度は最低音域で音が出なくなっています。もちろん2オクターブ上の8つは最強で出てくる事に変わりはありません。

 そこで,キーフレキを押さえているステンレスのバネ圧を調整するため,ビスを回してみます。最低音域で音が出るようにすると,なんとベロシティが有効になっています。気をよくしてもう少し調整すると,今度は全部のキーでベロシティが有効になりました。

 しかし微妙な調整です。少し緩んでも締めても誤動作します。こんな信頼性の低い状態ではどうにもならないなあと思いつつ,それでも一時的とはいえ全システムが正常になったということは,頑張ればここまで到達できるというゴールが見えたことと同じです。

 なんだかうれしくて,涙が出そうになりました。

 立てかけてあったD-70を床に置いて,RAMカードに入れてある自作のストリングスやエレピを少し弾いてみました。うん,違和感はありません。狙ったベロシティで音が出てきます。なんと心地よいことか。

 解決しないと行けない問題は,まずファクトリープリセットの再現です。私はD-70は,自分でいじった音はRAMカードに入れてあり,基本的にプリセットの編集を直接行う事はしませんでした。

 一部うっかり上書きしたものとかありますが,ファクトリープリセットを戻すことがとにかく先決です。これについては,海外のサイトに初期状態に戻すデータを見つけました。システムエクスクルーシブメッセージで送信するのですが,MIDIシーケンサーから用意しないといけないので,ちょっと手間がかかりそうです。

 キーの問題は,時間が経過するとステンレスのバネも馴染んでくるでしょうから,その段階でもう一度調整を行ってネジロックをし,組み上げようとおもいます。

 はっきりいって,もうライブには持ち出せません。こんな信頼性の低い機器を使うのは恐ろしいくらいですが,購入から5年間は毎日毎日弾き,毎週のようにスタジオに持ち出した相棒ですから,簡単に捨ててしまうのも心が痛みます。

 いっそのこと内部の基板を2Uのケースに入れてラックマウントにすることも考えましたが,やっぱり鍵盤があってのD-70ですから,やれるところまで頑張ってみる事にします。

 参考までに,キーのウェイトを固定する接着剤が溶け出す大問題は,D-70/VK-1000/JV-80/JV-1000/U-20/JD-800で発生するそうです。対策品は接着剤が黒色で,ピンク色のものは未対策です。なんか,結構高価なキーボードが多く含まれているように思えるのですが・・・

 ローランドはこの問題を修理対応で処理したようで,修理に出すと部品代は無料,技術料の1万円弱で交換されたようです。私も知っていればそうしたのですが,何万円もかけて修理するのは中古の価格の方が安いという話から躊躇し,修理でまさか対策品になるとは思ってなかったこと,それに接着剤が溶けるだけならなんとか自分で出来るだろうと思ったことで,もう修理に出せない状況になってしまいました。

 板バネを使ったキーもいまいち感触が悪く,D-70の不満な点でしたが,同じ構造はJD-800でも使われており,JD-800があっという間に世の中から消えた事も頷けます。

 私のD-70は,すでに5,6箇所のタッピングビスがなめています。特にキーの横にあるプラスチックの部品に立ててあるボスなどは完全に割れていて,ビスがほとんどとまりません。

 ただでさえ76鍵という長い鍵盤ですから,ねじりにも弱いはずで,こうした強度不足は実に不安です。それに内部の部品も劣化が進み,あらゆる部分が危うい状況です。

 満身創痍とはまさにこのこと。もうあちこちから悲鳴が聞こえるD-70を見ていると,もっと長持ちして欲しいなあと心から思います。

 実は,私が気に入って使っている学習リモコンも,フレキが壊れて使い物にならなくなりました。D-70もフレキのトラブルでこんな状態です。フレキはほぼカスタム品ですから,壊れていても汎用品に交換出来ません。修理はハンダ付けが出来ないので実質的に不可能です。

 こんな危ういものが,案外寿命が短く,簡単に壊れてしまいます。同じように故障すると手が出せないものに半導体がありますが,半導体は滅多に壊れませんから,簡単に壊れてしまうフレキとは別次元です。

 MiniMoogは30年でも生き続けますが,おそらく80年代後半から90年代のシンセサイザーは,10年くらいでだめになるでしょう。それが果たして楽器と呼べるのか。シンセサイザーがようやく「楽器」として認められた世の中にあって,新しいシンセサイザーほど作り手側が楽器として扱っていないんじゃないのかと,そんな風に感じました。

 
 

電子楽器の進化の渦中にいて

 友人がCDジャーナルを買ったので一緒に見ていたのですが,特集の電子音楽の世界,の突っ込みの浅さには,少々がっかりしました。

 電子楽器ではなく電子音楽ですから,範囲の広さが半端ではないし,技術志向と言うよりは芸術を軸足に置いた立ち位置ならやむを得ない所があるとは思いますが,電子音楽を支える電子楽器が,従来の楽器達とは違う育ち方をしたことに注目しないことは,少々物足りなさを感じずにはいられません。

 ここから先は電子音楽と言うより,電子楽器に向けた話をします。

 我々は,今その時代に生きているので余り意識することもないのですが,思うに我々は,音楽と楽器において実にダイナミックな時代にいるのではないかと思うのです。

 楽器は工業製品である以上,設計や生産をする技術者が必ずいます。彼らはその昔職人と呼ばれていたかも知れませんが,その役割は同じです。

 一方で楽器は,それを使って音楽という作品を作る芸術家が存在します。作曲家,演奏家と呼ばれる人々です。

 いずれの職業も高度に訓練された特殊技能を必要とする職業であり,少ない例を除き,基本的に分業がなされます。ピアニストはピアノを作る事はしないのです。

 楽器の開発は,大なり小なり過去の楽器の問題点を解決するという目的があります。異論はあるかも知れませんが,全くの新規で誕生したものは少なく,何らかの起源を持つと考えています。

 そうして時の技術者が楽器の改良を重ね,改良された楽器を演奏家なり作曲家たちが使いこなし,それがさらに楽器を改良に導く,と言うのが楽器の発展の歴史です。どちらか一方だけが頑張っても残りません。楽器と音楽は,両者ががっぷり組み合って初めて,残るものです。

 電子楽器を見てみて下さい。電子楽器の代表であるシンセサイザーが登場して30年ちょっとが経過していますが,この30年,まさにそうした組み合った状態が,現在においても続いていることがおわかりになるでしょう。電子回路によって発生した音は,演奏者や作曲者を鼓舞し,彼らのやむ事なき要求が技術者を挑発することを繰り返しています。

 こんな事は,そうそう滅多にあるものではありません。確かにエレキギターは偉大な発明であり,アンプとエフェクターも含めたシステムで考えると,音楽シーンを一変させてきたことは確かです。しかし,根本的な音楽のあり方をも変えてしまった影響力を考えると,電子楽器の比ではありません。もっというなら,電気ギターはエフェクターに入る時点でディジタル信号に変換され,以後電子楽器と同じ仕組みで音が出ているケースも多いのです。

 例えばピアノを考えてみると,いわゆるチェンバロの音量が小さく,強弱も付かなかったことで表現力に限界があったものを,コンサートホールでも十分響くだけの音量と,強弱を自由に使い分けることが出来,しかもたった一人でオーケストラに匹敵するだけの音域をを操ることの出来る楽器として「改良」されることで,演奏者や作曲家の魂に火を着け,ここまで発展し,今やなくてはならない楽器として不動の地位を誇っています。

 18世紀に誕生した時や,いわゆるモダンピアノへと進化した19世紀にかけての劇的に変化したその時の,感動と興奮はいかほどのものであったか。そしてこうしたダイナミックな時代は,そんなに何度もやってこないのです。

 電子楽器の世界は,今まさにそうした,人類にとって希有なる感動と興奮の時代にいるのではないかと,私は思っています。

 ところが,従来の楽器の進化と,電子楽器の進化の間には,決定的に異なる事があります。それは,発展の原動力が,多の産業と深い関連を持っていることです。

 シンセサイザーは,トランジスタという半導体素子の発明と発展がなければあり得なかったでしょうし,概念的にもアナログコンピュータの考え方がなければ誕生しなかったでしょう。デジタルシンセサイザーへの過程では,LSI技術とデジタル信号処理技術がなければならなかったでしょうし,現在主流のサンプリング方式はメモリーの劇的な大容量化と低価格化がなければなりませんでした。

 特にデジタルシンセサイザー以降は,膨大な演算能力と膨大な記憶容量によって,その進化が加速されてきたという事実があります。気をつけねばならないのは,その両方が,楽器のために生まれた技術ではないということです。むしろ,他の産業の要求によって発展し,その応用として電子楽器に転用されたという事実を無視できません。

 もちろん,デジタル技術によって,あらゆる情報が数値化され,同じベースで処理できるようになり,それが楽器の世界でも例外なく行われたと見る向きもあるでしょうが,電子楽器専用のCPUや電子楽器専用のDSP,電子楽器専用のメモリが必要だったとしたら,ここまでの発展はなかったでしょう。

 こうして,電子楽器は他の産業との強い関連性を持つ事で,過去に例を見ないスピードで進化してきました。楽器製造が単独の産業であった時代とは,ここが根本的に異なる点です。

 ところで,ピアノについても,モダンピアノへの発展には,強いテンションでも切れることのない強い弦の開発と,その強いテンションをしっかり支える金属製のフレームの開発がなければならず,いずれも他の産業によって生まれた新しい素材によって実現しているわけで,その点で言えば電子楽器の発展の歴史と比べて,程度の差はあれ根本的な違いはないと考えることは可能でしょう。

 つまり,産業革命以降,工業製品の発展が楽器という芸術分野の道具についても積極的な影響をもたらすようになったと考えることが出来るわけで,機械工学や金属加工技術が最先端だった当時ならではの応用がピアノであり,電子工学やコンピュータ技術が最先端である現代ならではの応用が電子楽器であるということなのです。

 しかし,電子楽器の,他の産業への依存度は,あまりに大きなものがあります。すでにパソコンをソフトウェアでシンセサイザーにすることは日常的に行われており,ハードウェアはすでに事務用品と同じものを使うに至っています。ピアノのフレームにしても,弦にしても,その素材の源流は他の産業からの要求で生まれたものとはいえ,やはりフレームに適した鉄,弦に適した鉄として生産されているわけであり,電子楽器用の部品が他の産業で使われることを前提とした,全くの汎用品であることとは,ちょっと違っているように思います。

 私は,こうした理由で電子楽器の世界を大変に躍動的な分野と見ています。電子楽器が現在進行形で音楽という芸術世界を大きく変化させていることと,楽器の歴史の中で過去にないほど他の産業との結びつきが強い中で発展していることを,極めて特徴的であると考えているからです。

 こうしてみると,CDジャーナルの特集の突っ込みが,あまりに物足りないものであることが分かって頂けるのではないかと思います。もちろん技術論に偏ることはせず,かといって文化的側面ばかりを手厚くするわけでもなく,100年単位でしか訪れることのない楽器と音楽双方のせめぎ合いの現場を,もう少し客観的にまとめて欲しかったと思います。

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