私が中学生の時のことですから,もう35年近く前の昔の話なのですが,音楽とオーディオに目覚めた私は,The BeatlesのLetItBeというアルバムを,とにかくいい音で聴きたいという強い衝動に駆られ,遠方に住む叔父に頼んで,カセットテープに録音してもらうことにしました。
叔父は1970年代前半に大学生だった人で,オーディオとジャズがど真ん中の人でした。プレイヤーはDENONのDP-3000にV15typeIII,アンプはおそらくONKYOのINTEGRA725,チューナーはトリオのKT-5000,カセットデッキはTEACのA-350,スピーカーは自作でした。
レコードはずらっとジャズばかり90cmのスチールラック2段にびっしりだったのですが,当時の私はジャズには全く興味がなかったので,豚に真珠でした。
叔父が持っていたLetItBeは,日本で最初にリリースされた当時のもので,私にはまぶしくて直視できない宝物でした。
で,そのLetItBeを録音してもらったわけですが,青版を安物のセラミックカートリッジで聴いていた私にとって,それは全く別物であり,自分がこれまで扱ってきたものとの「非連続性」に深い感動と悔しさを感じたのでした。
静かなイントロのあと,ポールの声がまるで目の前にあるかのように,奥行きを伴って浮かんできます。この男声ボーカルの強烈な立体感は,これ以後私のV15シリーズにおける印象として刻まれ,V15かそれ以外かを分ける決定的な差となります。
私がアナログレコードを評価するとき,この音が出るか出ないかで判断をすることになるわけですが,結果としてこのレコード以外ではV15でもダメですし,このレコードを使ってもV15以外ではダメで,つまりこの時の音に最も近づけるには,是非ともこのレコードを入手しなければならないわけです。
私は叔父に頼み込み,このレコードだけ,譲ってもらえないかとお願いしました。叔父は物持ちのいい人だったので,心やすくとはいかなかったものの,最後には気持ちよく中学生の私に譲ってくれたのでした。
このレコードは私の宝物の1つになっていて,1980年代に出たLP,2000年代に出たLPとは全く別次元の存在です。
当時私にV15など買えませんから,安売りしていたオルトフォンのVMS30mk2で聴くわけですが,どうにもその立体感が出てきません。プレイヤーも徐々にアップグレードしていきますが,それでもやっぱり出てきません。
ME97HEというこれまた安いカートリッジでもだめで,やっぱりV15を買うしかないのかと思い続けていたのですが,ようやく社会人になって念願のV15を買った時には,すでにV15typeVxMRになっていたのでした。
腐ってもV15の名前を冠するフラグシップです。あの立体感が蘇り,やはりV15でないとだめなんだと納得しました。
その後,DL-103やオーディオテクニカのカートリッジなども手に入れてみましたが,やはりこの立体感は得られません。今もってこの確信に揺らぎはありません。
ただ,昨年,そのV15typeVxMRを落下で壊した際にいろいろ調べた結果,これが「なんちゃってV15」である事を知ります。V15の血統だと信じていたのに,実はラジオシャック向けの廉価版だったと知り,軽いめまいを覚えました。
そういうバイアスがかかった状態でもう一度聴いてみますが,やはりあの立体感は健在です。ならばと新品で手に入れたM97XEで聴いてみますが,やはり立体感はなし。
そこでスタイラスを入れ替えてみると,なんとまあ,この立体感はスタイラスについて回っていたのでした。
もちろん,音質は微妙に違います。しかし最大の個性である,あの立体感はスタイラスが支配的だと思います。そんなことはない,スタイラスでそんなに変わるはずはないという人もいるでしょうが,何度聴いても結論は変わりません。
この時,私は,カートリッジの音質差は,スタイラスチップの形状と,カンチレバーに支配されると結論したのです。
ここに至って,V15typeVxMRはなんちゃってにもかかわらず,私にとってのリファレンスの座と,オーディオ趣味の原点にして目指すべき方向を示すものという地位をその実力で守り抜いたのでした。
しかし,私の心にはなにか引っかかったものが残りました。そう,いくらV15typeVxMR(しかも本体はVSTIII)が私の知るV15の音であると確信していても,本物のV15の音はどんなものなんだろうという好奇心です。
そこで,なんとなく某オークションを眺めては,V15の安いものを探すことが日課になりました。
V15シリーズは今でも人気のあるシリーズです。昨今のアナログブームがさらに拍車をかけ,完動品が安く出てくる事は希になりました。以前,V15typeIVのジャンクに手を出し,片側断線のものを掴まされたことは今でも覚えています。
そんなおり,こんな値段で落ちるはずもないかと思って突っ込んでおいたV15typeIVが偶然落札出来ました。針なしシェルありで7200円ほどですので,決して安くはありません。一応動作はしているとは書いてありましたが,仮にダメでも文句なしという条件です。
手続きを終え,届くのを待っている間に,スタイラスを手配しなければなりません。実はV15typeIVには,typeIIIのスタイラスが使えるので,安価に出ているtypeIIIの新品のスタイラスも入手しておきました。輸入品で3000円ちょっとです。まあ,動作確認という意味でも,あまり高価なスタイラスは買えません。
本体とスタイラスの両方で1万円ほどで,V15typeIVが手に入りました。揃ってから早速音出しをしますが,恐れていたコイルの断線はなさそうです。よかった。
で,その音ですが,確かにV15の音の傾向ではあるのですが,あの立体感はとても薄いです。決して出ていないわけではなく,明らかにM97XEなどよりはずっとV15らしいのですが,それでもV15typeVxMRには及びませんし,私の記憶にあるV15typeIIIにも全く追いついていません。
一応楕円針とのことですが,ルーペで確認すると接合針ですし,V15typeVxMRよりも随分大きいチップです。カンチレバーも当然アルミですし,とても太いです。
調べてみると,この手の格安のスタイラスはオリジナルに備わっている機構が省略されていたりして,とりあえず音が出るレベルのものらしいです。そりゃそうです,この値段なのですから,オリジナルと同じはずがありません。
ここでも結局,カートリッジの音はチップとカンチレバーで決まるという持論がより強まったという結果になったわけですが,あれこれ試してみると,V15typeIVに格安スタイラスも,そんなに悪くはないなあと思うようになってきました。
V15typeVxMRに比べて,低音の張り出しはやや控えめになり,押しつけがましくありません。高音は自然に伸びるようになっていて,とてもバランスがいいのです。
スタイラスの性能に寄るところが大きい歪みやスクラッチノイズは大きめではありますが,針圧を上げなくても大音量時に盛大に歪むこともなく,安定したトラッキングを見せてくれます。
いいんじゃないか,これ。
ちょっとガサガサ落ち着かないけど,解像感もそれなりにあるし,バランスも良くて聴き疲れしないし。
ということで,数枚のレコードを一気に聴いた結果,このカートリッジはリファレンスにはなれなかったものの,常用カートリッジの椅子に座ることになったのでした。
V15typeIVは,1980年代後半に出ていたV15シリーズで,ちょうどCDが普及してアナログはもうダメだと言われ始めた時期に,シュアのフラグシップを担った薄幸のカートリッジです。
特に導電性のブラシで,ホコリと静電気を掻き取る仕組みには賛否両論があり,とりわけV15typeIIIが異常な人気を保っていた日本においては,過小評価されがちなカートリッジでした。
中古市場でも不人気で安めの価格で手に入ったものですが,最近は値段が上がってきています。
シュアは1990年代前半に,V15の最終進化形であるV15typeVとそのマイナーチェンジであるV15typeVMRを出し,実質的にV15の販売を終了します。このカートリッジは完成度も高く,日米問わず高い人気を誇っていますが,それがますますV15typeIVを地味な存在にしているように思います。
そのV15typeIVですが,当時バイトをしていた日本橋で,よく行くオーディオショップのレジの下のガラスケースに,いつも鎮座していました。
いいなあ,欲しいなあ,でも買えないなあ,とME97HEを買ってはみたものの,やっぱり全然違うとがっかりしているうちにV15typeVに入れ替わり,あの格好悪い,でも憧れたV15typeIVは買えなくなってしまったのでした。
そして30年がたち,Made In USAのV15typeIVがやってきました。スタイラスさえオリジナルにすれば当時の夢が叶います。
ただ,このオリジナルのスタイラスというのがなかなかくせ者らしく,V15typeIVのスタイラスは,ほぼ例外なくダンパーが硬化していて,まともな音が出ないのだそうです。
そうなると,JICOなどの互換品を買うことになりますが,スタイラスの違いが支配的と確信する私にとっては一種の賭でしょうし,そのわりには随分と高価な出費になるので,今ひとつ前向きになれません。
同じ理由で,ボロンを使ったカンチレバーを製造できない互換針メーカーが,V15typeVxMRのオリジナルのスタイラスに並ぶものを作る事は出来ないはずで,本体がVSTIIIである以上,V15typeVxMRがV15シリーズである唯一の拠り所であるオリジナルのスタイラスだけは,なんとしても壊さないように大事に使い続ける必要があります。
実のところ,四六時中レコードをかけまくっている人でない限り,スタイラスが摩耗して交換が必要になることはほとんどありません。ですので,カートリッジはもう一生ものだと考えてよいわけですが,今回のV15typeIVも,この組み合わせのままずっと使い続けることになるだろうと思います。