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2016年01月の記事は以下のとおりです。

またやってきたギックリ腰

  • 2016/01/29 12:55
  • カテゴリー:備忘録

 昨年9月末に,ぴくり友動けないほどのギックリ腰をやってしまい,その経過はここにも書きましたが,わずか4ヶ月しか経過していない先週に,またギックリ腰をやってしまいました。

 ギックリ腰は何度もやると癖になる(中毒するという意味ではないですよ)と聞いていましたが,もしかすると本当にそうかもなと思ったりします。

 今回は,初期の段階では普通に動けるほどで,ほとんど痛みもなかったのですが,時間の経過と共に痛みがひどくなって,ピーク時には前回に匹敵するほど重度化しました。

 悪くなり始めると30分ごとに行動が制限されるようになってしまい,精神的に恐ろしくなるほどでした。

 前回とは明らかに経過が異っていましたので,自分自身のメモとして,径かを書いておこうと思います。

・発生以前
 1週間ほど前から,腰に重さ,軽い痛み,疲れがあり,長時間椅子に座っていると,立ち上がったときに痛みで腰が伸ばせないということが続いていた。

・1月17日 11時過ぎ
 トイレの床に掃除機をかける際,左手で子供用の便座を拾い,右手で掃除機を動かしたが,この時に腰の右側に激しい痛み。

 ただし,体を起こすことが出来る上,熱も感じず,起き上がれば痛みも消える程度で,今回は程度が軽い。特に痛みも続かないので,慎重になりつつも普段通りに動く。

・1月17日 11時30分頃
 床に座って,ソファーにもたれようとおもったところで激しい痛み,思わず飛び跳ねてしまう。床に座って腰をL字に曲げることが大きな負担になることと,やはり腰を痛めたという事を思い知り,以後は安静にする。

・1月17日 夜
 夕方は若干の痛みはあるものの,問題なく動けたので夕食を作る。夜は徐々に痛みが出てきて,歩くのに支障を来し始めたので,翌日の出社を取りやめる方向で検討に入る。

・1月18日 朝
 痛みは寝る前と同じくらい。動けるが,痛みがあって歩くのが大変。トイレも問題ないが,便座に座ると激しい痛みが出ることがあるが,これも昨夜と同じ。大雪だったこともあり,会社を休んで安静にする。

・1月18日 11時
 発生から24時間経過。悪化も回復もないが,動けるのであまり心配していない。

・1月18日 13時
 布団に入りながら,DATのダビングをしようと,DATとICレコーダを寝室に運び込む。うつらうつらしながらダビングを行うが,痛みのために寝ていることが次第に苦痛になってくる。

・1月18日 16時
 布団から起きてDATを片付けようとするも,すでに起き上がることができない。やむなく四つん這いになるが,まだDATを部屋の外に持ち出すことくらいは可能。

・1月18日 17時
 立ち上がることが出来なくなる。四つん這いでも動けなくなりつつあり,トイレに行くのに非常に苦労し始める。

・1月18日 18時
 四つん這いでも動けなくなり,寝ているしかなくなる。布団から体を起こせなくなっているし,楽な姿勢が少なくなっていて,寝返りを打つのが難しくなる。

・1月18日 19時
 腹ばいで体を引き引き摺って動く事も出来なくなる。ちょっとした姿勢変化で激しい痛みが出るため,動く事が出来ない。また,痛みが出ると力が入り,それがまた痛みを起こすというフィードバックがかかるようになる。布団に入り込めないまま30分が経過し,寒さから震えが出ると,それが原因でまた痛みが発生する。これが痛みのピーク。ボルタレンを張ってもらうと,痛みが軽減し震えも止まった。ここからロキソニンも服用。

・1月19日 朝
 夜の状態から改善はなく,ほとんど動けない状態。それでもロキソニンが効いているのか,痛みが少し弱くなっている。

・1月19日 11時
 48時間が経過。そろそろ動きだしてもいいはずなのだが,全く動く事が出来ない。

・1月19日 19時
 やむなくシャワーに入る。しかし,あまりに痛さに満足に洗えず,とても苦労する。この段階では,少しは歩けるようになっているが,油断すると痛みのために座り込んでしまうし,手に物を持って動く事もままならない。

・1月20日 朝
 この日もようやく歩ける程度ということで,会社を休む。

・1月20日 11時
 発生から48時間が経過。ようやく痛みが軽くなり,立ち上がって歩くことが出来るようになってくる。椅子に座ること,長時間同じ姿勢でいることはまだ痛くて出来ない。

・1月20日 午後
 翌日からの出社に備えて,できる限り普段通りの生活をするため,椅子に座って過ごす。長時間は難しいので,30分ごとに立ち上がって背筋を伸ばす。

・1月20日 夜
 保育園のお迎えもいけるまでに回復。風呂も久々にきちんと入る。

・1月21日 朝
 ちょっと痛みが残っているが,出社。問題なし。


 ということで,発生直後は普段の生活が可能なほど痛みがなかったのに,翌日から悪化していき,最終的に動く事すら出来なくなりました。30分単位で状況が変化していく恐ろしさがあり,いったいどこまで悪くなるのかと不安になりました。

 回復も遅く,痛みの消え方も弱くて,布団から起き出すことも歩くことも,なかなか出来るようになりませんした。

 初期の状態が良かったので,発生直後に安静にせず,どんどん動いてしまいましたし,薬を使う事もしなかったために,そこから急激に悪化した可能性もあります。

 これはひどくなって来た,と思ってからボルタレンとロキソニンを使いましたが,ここからは薬の効果が実感出来ました。また,ナボリンもききますので,飲んでおいた方がよさそうです。

 ということで,関東地方の鉄道網が雪のために麻痺したことを,私は結局知らないままで過ごしたわけですが,前回のギックリ腰と同じ経過をたどるなら,早期に回復して動けるようになり,そこまでの時間も読めるという事で焦ることはしないで済むと思っていたところ,痛みの程度も経過も全然異なるケースが出現し,その結果3日間も会社を休むことになるというのは,考えもしませんでした。

 前回の痛みのピークは発生時で,そこからは良くなるしかなかったわけですから,希望も持てました。しかし今回は徐々に痛みが増し,行動に制約がかかるようになります。いったいどこまで悪くなるのかという不安は,本当に厳しいものがあります。

 今後,回復の見込みのない病気にかかったりして苦痛と直面したとき,私は正気を保てるかと不安になりました。

 とにかく,ギックリ腰にもいろいろなパターンがあり,程度も経過も同じではないということです。

 それでも大事な事は,初期の状態にかかわらず,発生直後はとにかく動かないようにして安静にすることです。これだけは忘れないようにしたいと思います。


 

FMブースターを作る

  • 2016/01/25 13:56
  • カテゴリー:make:

 2012年4月に,それまで東京タワーから送信されていた首都圏のFM放送がスカイツリーからに変更になったのですが,実はこの時送信出力が下がっていることは,案外知られていません。

 東京タワー時代には10kWだった出力が,スカイツリーに変わってから7kWになりました。スカイツリーになると,地上高が倍ほど高くなるので,視聴可能エリアは広がると言いますし,高層の建物が少なくなることで電波の障害も減るというのが目論見だったわけですが,私のようにもともと良好に受信出来ていた人にとっては,出力が下がってしまうことが目に見えた「改悪」になってしまいます。

 ですから,スカイツリーに移転したNHK-FMは受信レベルが下がってしまい,ノイズも増えました。一方,東京タワーにとどまった東京FMは,取り付け位置が300mほど高くなり,送信アンテナも性能の良いものになったことで,以前よりも良好に受信出来るようになりました。

 聞き流すだけならそんなに音質にこだわっても仕方がないのですが,録音するとなると話は別で,やっぱりいい音で遺したいものです。しかし,残すに値する番組を放送しているのは,今回悪化したNHK-FMだったりするので,私は正直困っていました。

 受信レベルが下がったことで,明らかにセパレーションが悪くなっているのがわかります。ステレオ受信時のノイズも増えています。

 少しでも受信レベルを稼ごうと,アンテナの向きを再調整してみたのですが,現在の位置が最良と分かって断念。結局年始の東京Jazzのダイジェストは,この状態で録音したのでした。

 ここで,ふと世の中にはアンテナブースターなるものがあることを思い出しました。

 私は実家にいた頃も,引っ越した後も,強電界地域で過ごしたのでブースターの世話になることはなく,作る事も買うこともしないですんだので,検討する事を忘れていました。

 でも,これを使うとテレビでもFMでも,受信状態が改善するというのが定説ですし,昔から「初歩のラジオ」あたりでの自作の定番になっていました。うーん,これは試してみたいところです。

 完成品を買えば楽ちんなんですが,適当な物が見つかりません。なら作るか,という話になるのですが,以前私はテレビ用のブースターを2度ほど作り,いずれもブースターではなくアッテネータを作ってしまい,以後高周波回路に対する苦手意識を拭いきれずにいます。

 以前は広帯域アンプをICで作ったわけですが,今回は80MHz付近の狭帯域アンプです。周波数も低いし,実装の難易度も低いでしょう。簡単な物を探して,作ってみようという気になったのでした。

 FMブースターの定番デバイスは,なんと言っても2SK241です。それなりにローノイズ,それなりにハイゲイン,安くて,しかもバイアスなしで動くという,もう魔法のようなデバイスです。

 以前はそれこそどこでも安く買えたデバイスだったのですが,ディスコンになってからは入手が徐々に難しくなり,GRランクはすぐに枯渇し価格が高騰,Yランクも昨年秋には大手部品店から姿を消し,いよいよ入手が難しくしまいました。

 私は高周波アレルギーがありますけども,壊れたラジオなどの修理用の部材として確保しておく必要性から,2SK241はいくつかのストックを持っています。これが使えると,ちょうどいいなと思っていました。

 長年電子工作をやっていますし,一応プロの設計者な私ですが,高周波は成功例がほとんどないので,ここは謙虚に誰かの回路をそのまま作ってみたいと思います。工夫するのは,デッドコピーがちゃんと出来るようになってからです。

 作ってみることにしたのは,CQ出版から出ていた「講習回路の設計・製作」という本に出ていた,FMブースターです。2SK241を使ったもので,コイルは手巻き,ゲインは20dBくらいということで,性能も十分で自作にもってこいです。

 最初の設計例という事で,設計のやり方が非常に丁寧に書かれています。いやー,これは勉強になるなあ。

 2SK241という高周波増幅用MOS-FETは,内部で2つのFETがカスコード接続されているという,ちょっと変わったデバイスです。回路記号では何の変哲もない3端子のMOS-FETに見えますが,中身はソース接地とゲート設置のFETが繋がって入っていて,高周波回路でもゲインが落ちないように工夫された回路を,たった1つのFETで構成できるようになっています。

 しかも,バイアスをかけなくてもドレイン電流が流れてくれるというデプレッション特性と,ゲートをプラス領域に振ってもドレイン電流が増えるというエンハンスメント特性の両方を持つという変わり種で,ゼロバイアスでも,バイアスを調整して任意の特性に追い込む事も出来るという,実に良く出来たMOS-FETです。

 このデバイスが登場した1980年代は,ICやLSIの進歩がすごかった時代でしたが,実はこうしたディスクリートデバイスもちゃんと進歩していたというのが興味深いですね。それまではJ-FETの定番である2SK19などを使ってましたし,もう少し高性能なものが欲しい時にはデュアルゲートFETを使っていましたので,外付け部品がほとんどいらず,実装も調整も楽ちんな2SK241は,まさに革命的だったんじゃないかと思います。

 2SK241は東芝のデバイスでしたが,その後日立や三洋からも同じようなFETが登場し,無線機やラジオによく使われたそうです。ですが,海外には相当品や同じ構造のFETは見当たらないそうで,どうも日本独自のFETということらしいです。

 日立はすでにルネサスになりとっくの昔にディスコン,三洋も今はなく,東芝も2SK241を廃品種にして久しい今,この一世を風靡したデバイスは人類史上から消えようとしているのです。

 まあ,時代の流れですので仕方がないです。手持ちの在庫を上手に使っていきましょう。

 FMブースター,早速部品集めです。

 デバイスは2SK241ですが,説明によると,ゼロバイアスで大きなゲインが取れるのはGRランクということです。在庫を調べてみると,Yランクは腐るほどあるのに,GRランクは中学生の時に何かを作るために買った2本が,外し品として残っているだけでした・・・

 Yランクで作るという事も考えましたが,外付け部品がほとんどない回路というのはデバイスの素性に頼った設計とも言えるので,ここは素直にGRランクを使う事にします。もう一度言いますが,工夫はデッドコピーが出来てからです。

 基板は,さすがに万能基板ではダメでしょう。しかしエッチングをするのは面倒です。なんかないかなとジャンク箱を漁っていると,幸いなことに手頃な大きさの両面銅箔のガラエポ基板が見つかりました。

 部品の数も少ないので,Pカッターで溝を掘り,さっさと基板を作ってしまいましょう。(やってみたら30分ほどでできちゃいました)

 コイルは0.8mmのホルマル線を巻いて空芯コイルにするそうです。ジャンク箱を漁っていると,オーディオ用のパワーアンプの出力に入れるLCフィルタ用に,でっかいトロイダルコイルが出てきました。これに巻いてあるのがちょうど0.8mmということで,ほどいて使います。

 入力と出力を分離する静電シールドに,銅板がいるそうです。これもジャンク箱を漁っていると,ちょうどいいサイズの銅板が見つかりました。いやー,うちのジャンク箱にはなんでもあるなあ。

 トリマコンデンサは先日秋月でいくつか買った物を使いますし,コンデンサや抵抗もチップの物が見つかったので,これでいきます。お,全部揃ってしまいました。

 部品が少ないので,組み立てはあっという間です。電流が10mAくらい流れることを確認してからシールド板を取り付けます。

 そこらへんに転がっているBNCコネクタをハンダ付けし,SSGを入力に,FMチューナーを出力に繋ぎます。

 さっと試してみると,とりあえず動いているようです。トリマの調整も書かれた通りに出来ますし,ゲインも取れているようですので,いい感じです。放送波を入れて見ると受信状態は随分と改善しているようです。

 手応えを感じた私は,これを金属ケースに入れる事にしました。いろいろ考えたのですが,以前デジットで買った訳ありアルミケースを使う事にします。

 あとは電源で,+10Vなのですが,ジャンク箱をまた漁っているとちょうど10V100mAというトランス式の小型のACアダプタが見つかりました。これにしましょう。

 と,ここで作業は中断,なんとギックリ腰で3日間布団から出られなくなってしまったからです。

 翌週,なんとか復活した私は,ケースの加工(訳ありケースは大きすぎるので,半分の大きさにぶった切りました)を行い,Fコネクタを取り付け,ケースへの組み込みも終わって,あとは最終調整というところまで来ました。

 さて,電源投入。しかし取り付けた電源LEDは光りません。もしやとおもってテスターで調べると,なんとまあ電源の極性が逆になっています。何度もかくにんしたのに,最後の組み立てで間違えていました。

 あわてて修正するも,もう増幅しなくなっていました・・・壊れたようです。

 あー,もうダメだ。やっぱり高周波は私には無理だ。

 壊れる部品はMOS-FETくらいのものですので,こいつが死んだに違いないのですが,今や貴重なGRランクです。うちにはあと1つしかありません。厳しい現実にめまいがします。ああ,なんと馬鹿なことをしたものか。

 それに,交換作業にはシールド板をよけて交換しないといけません。すでにギリギリのサイズのケースに組み込んでいるし,基板を小さめに作ったのでコイルの下にハンダゴテを差し込まないといけなかったりで,これはかなり厳しいです。

 でも,ここであきらめるわけにはいきません。失敗するかも知れないので,今回はYランクに交換です。これなら多少数があるので,やり直しも出来ます。

 やってみると案外簡単に交換ができました。電流も5~6mAと,Yランクらしい値になっていますので,これで動いたでしょう。SSGを繋いで,ちゃんと増幅していることも確認出来ました。ふう,よかったよかった。

 これで3つのとリマを再度調整するのですが,金属ケースにいれたことで動作が安定し,調整がさらに楽になりました。0dBEMFでも,ちゃんとシグナルが確認出来るくらいです。

 ぐいぐいと調整を追い込んで行って,ピークを掴んだところで終了。放送波を確認すると,受信状態がかなり改善しています。いいですね。

 ここまで来ると,基本的な性能を調べてみたくなるものですが,あいにく私には高周波用の測定器は揃えていません。そこでFMチューナーとSSGだけで出来るように,測定を工夫してみました。

 結果は以下の通りです。

・消費電流:5.7mA @9.45V

・ゲイン:77dBEMF - 54dBEMF = 23dB @83MHz
    82dBEMF - 81dBEMF = 1dB @76MHz
    78dBEMF - 63dBEMF = 15dB @80MHz
    78dBEMF - 72dBEMF = 6dB @90MHz

・帯域幅(-3dB):3.3MHz(81.6MHz~84.9MHz)


 どうですか,なかなかのものでしょう。NFは測定出来ないので作りっぱなしになりますが,2SK241のNFから考えて,まあ3dB程度というところではないでしょうか。

 この本の記事によれば,同じ回路を別の人が1つずつ作ってみたそうです。するとゲインは22dBと25dBになったということですから,私の23dBというのは悪くない数字です。なんというか,GRらんくかYランクかはあんまり関係ないようです。

 帯域幅については,記事では5.5MHzと4.0MHzですので,私の製作よりもずっと広いです。帯域が広いほどゲインは下がるので,私の場合は帯域が狭い代わりにゲインが高いという傾向があるんでしょう。

 この結果,76MHzではほとんどゲインがないという状態になっています。でもまあ,80MHzから87MHzくらいで10dBくらいのゲインがあれば,実用上は問題ないと思いますし,それに一番使うのが82.5MHzのNHK-FMですから,これで問題なし。

 ということで,ギックリ腰で中断するわ,中学生でもしないような凡ミスで振り出しに戻るわで,たかがこれだけの回路にどんだけ時間をかけているんだかと,情けなくなるFMブースターの製作ですが,結果を見れば上々で,FMチューナーのレベルメーターも振り切れ,セパレーションも良くなり,満足な状態を手に入れました。

 元々の電波が汚いせいもあり,もう少しノイズが減ればいいのになあと思うことはありますが,ここから先はいろいろ大変だと思うので,FMの受信の問題はここら辺で一区切りとしましょう。

 しかし,もう少しちゃんと測定をする環境を構築したいなあ・・・お,この本の最後の方に測定器の自作も出ているなあ・・・・作ってみるか。

ワクワクしてT50RPmk3nを買った

  • 2016/01/22 15:15
  • カテゴリー:散財

 長く愛用しているフォステクスのヘッドホン,T50RPを買ったのは,2004年9月です。もう11年にもなるんですね,我ながら物持ちがいいなと感心します。

 その間,イヤーパッドを交換しましたが,音が変わることも,壊れることも,ガタが来ることもなく,「昨日と同じように」毎日使っていました。

 当初,さすがに気になった高音の貧弱さについても,慣れてくればなんということもなく,これで普通に聞けたらバランスが取れている,と思うくらいになりました。10年も使っているとそんなもんです。

 その意味で,当初目的にしていたモニター用という狙いは,確実に達成したことになると思います。むしろ,広い帯域で揃った位相,小さい音も大きい音も歪まないリニアリティ,無理に協調しないフラットな周波数特性は,あるのままを聞くという用途には絶対信用のおける頼もしい存在となっています。

 とはいえ,高音が実際に出にくいのは事実,誰に対してもおすすめ出来る機種ではありませんし,「高音出ないけどべつにいいよ」と割り切る気持ちも,特に他の人に使っている理由を説明せねばならない場合には,ちょっと曇ったものになります。

 そう,買った直後は結構がっかりして,いい所もあるんだけども,高音が出ないのは致命的だなあとか思ってしまい,自然にこれに手が伸びなくなり,他のヘッドホンに手を出したりしたのです。

 しかし,気が付けば,T50RPに戻っていました。特にここ数年はぱっと手にとってさっと音を聞くとき,T50RPを無意識に選んでいたようです。いつも使うから,いつも手元にあるという自然な状況だったということです。

 まあ,散々浮気を重ねてもですね,最後には嫁さんの所に戻ってくると言うか・・・あるいはその,洋物とか流出物とかに散々手を出しても,最後にはサンデーのグラビアに戻ってくると言うか・・・

 ・・・それだけお気に入りだったT50RPに後継機種であるT50RPmk3nが出たのは,昨年秋のことです。上位機種が出ても全然気にならなかった私としても,T50RPという,いい意味でも悪い意味でも個性的なモデルの後継ですから,どうなるんだろうなあと思うのは当然です。

 スタジオでの実績も多くあるT50RPですから,音の傾向を簡単に変えないと思います。でも,それでは激戦のヘッドホン市場を戦い抜けないでしょうし,わざわざ新機種で置き換える必要もないでしょう。なら,なにかを変えてくるはず。

 見た目を変える,これまで問題とされていた掛け心地を改善する,そうした改良なら,私は別に必要ないのでパス。でも音が変わる,それもこれまでの傾向を尊重しながら,問題点を潰してくるなら,これは買って試すしかないとおもっていました。

 ぼつぼつレビューが出始めて,高音が出るようになった,素晴らしい音質,この値段でこの音はすごい,と概ね好意的なものが目に付くようになり,私も買う気が盛り上がってきました。

 年末,いよいよ買うかと思ったところで,一番安いamazonでまさかの在庫切れ。まあそのうち在庫も復活するさと待っていましたが,復活どころか3月になると判明し,一気に買う気が失せました。

 こういう場合,値段をつり上げる業者が出てくるのもいつものことで,24000円近い値段になっています。もともと17000円程度で買えた物ですから,これはちょっと抵抗があります。

 そう思って,念のためヨドバシ.comを見てみると,まさかの在庫あり。しかも安い。速攻で購入しました。

 いやはや,ヘッドホンの購入で,こんなにワクワクしたのも久々ですね。期待が膨らむが故ですし,これがいいものだったら,私の主力ヘッドホンが入れ替わるという大事件になるんですから,当然です。

 箱は,印刷こそ変わっていますが,昔のT50RPとあまり変わっておらず,質実剛健です。箱を開くと,プチプチでくるんだだけの本体が出てきます。他に梱包材もなく,輸送の振動や衝撃にもびくともしない堅牢性が滲み出ています。

 ケーブルはT50RPと同じ標準ジャックのものと,3.5mmのケーブルの2つが入っています。ただ,3.5mmのケーブルはオレンジ色で,随分派手です。なんちゅうか,黒の本体にこの色のケーブルってのは,いわゆるジャ○アン○カラーですからね,虎ファンの私としては心中穏やかではないわけですよ,ええ。

 本体に目をやります。まず目に付くのは,ヘッドバンドが合成皮革で覆われて優しくなったことでしょう。T50RPはここがゴムで,初めて手に取ったとき「これでええんか」と目が点になったことを思い出します。使ってみると別になんてことはないんですが,見た目であの豪傑な仕上げは,損をしてたんでしょうね。

 イヤーパッドの取付も変わりました。以前はハウジングの外周に被せるように取り付けてあったのですが,今回はハウジングに溝を1周つけてあり,ここに噛み込ませるような感じになっています。イヤーパッドが外れにくくなり,また回転しにくくなっているようです。そうそう,耳が直接内側に当たるのを防ぐ為に,スポンジが張られていました。

 取り付け方法が変わったために,T50RPmk3nのイヤーパッドをT50RPに取り付けることは出来ません。逆は可能ですが,そんなのあんまり意味がありませんし。

 ただ,イヤーパッドが変わったことで掛け心地が改善したかと言えば,特別そういう印象はなく,私はT50RPのイヤーパッドを交換した際に,掛け心地が随分改善したことを知っているので,その延長にあるものだと理解しました。長時間の使用でも,耳が痛くなることは今回のT50RPmk3nでもないと思います。

 ハウジングとヘッドバンドを固定するスライダーは,以前は銅色だったのですが,今回はガンメタになっています。私は銅色でもいいと思っていたので,ガンメタは普通になったと言う印象しかありません。

 さて,肝心の音ですが,これまで不満だった高音はきちんと出るようになりました。出過ぎることはなく,本当にフラットです。低音も伸びているようで,低域がきちんと入っているソースをきくと,頭のシンがぶるぶると揺さぶられるのがわかります。

 それでいて,全帯域で位相が揃っていて定位が暴れませんし,小音量から大音量まですーっと自然に伸びるリニアリティも健在です。つまり,周波数,レベルの2軸で破綻するエリアが小さいということです。お見事です。

 それと,T50RPからの利点として,密閉型とオープン型のちょうと中間というのが,今回も踏襲されています。開放感や音の広がりはオープン型のメリットですが,モニターには密閉のタイトな音も欲しいし,遮音もしっかりして欲しいので,その中間であるT50RPは,とてもありがたい存在でした。

 T50RPmk3nについても,セミオープンという特徴は踏襲されていて,メリットがそのまま生きています。これもうれしいです。音像の位置が,いい場所に出てきます。

 ということで,T50RPの問題点だけを丁寧に潰した後継機T50RPmk3nは,本当に良いモデルになっていると思います。最近,これほど真面目にモデルチェンジする物なんて,ヘッドホンに限らずなかなかないもんです。フォステクスの良心を見た気がします。

 従来機種に慣れた耳には,高音がきついかなと思いましたが,それも2時間ほどで慣れました。もうどっちでも大丈夫です。

 冷静に考えてみると,スタックスにより近くなったなと思います。スタックスもT50RPもT50RPmk3nも,平面振動板ですので,位相が揃うのは結構特徴的だと言えて,そこから音を作り込む傾向もフラットを目指している以上は,最終的に似たような音になってくるのも頷けます。

 ただ,両者の間には,セミオープンかオープンかという決定的な違いがあり,これがモニター用か観賞用かを決定的に分けているように思います。

 いずれにせよ,特殊なアンプも電源もいらないT50RPmk3nで,スタックスと音に互換性が出てきたという事は,両方を使い分けている私としてはとても歓迎すべき事で,買って良かったなと思うポイントの1つになりそうです。

 そんなこんなで,もうT50RPmk3nは手放せません。これは「モニター用だから」と言い訳をしたり,一言添えたりすることなく,多くの人に胸を張って「いいですよ」と言えるヘッドホンだと思います。

 これが17000円ほどで買えるのですから,安いと思います。堅牢で長く使えますし,音もいい,無骨であることを許せれば,これがあればもう他のヘッドホンを検討する必要はなく,5万円とか6万円とか,そんな値段でダイナミック型を買う人の気が知れないとまで,思ったりしました。

 T50RPが12000円ほどだったことに比べると,ケーブルがもう1本ついたとはいえ,かなりの値上げになりますが,それでも十分安いと言えるでしょう。

 いや,ちょっと言い過ぎました。嫁さんが買ったソニーのフラッグシップモデル,MDR-Z7は,高いだけあって,その空気感の再現性がものすごく,モニター用のような正確さと,聞いて楽しいこととを高い次元で両立したモデルであることは,私も認めます。それであの値段は,やっぱり安いです。

 ということで,絶対的な値段だけで判断出来ないのがこの手の商品の難しさと言えて,私にはスタックスが相変わらずリファレンス,これに肉薄するヘッドホンとしてT50RPmk3nが,うちの主力に躍り出たという感じでしょう。

 DR-100mk2との相性も良いようで,相変わらず鳴らしにくいT50RPmk3nも結構楽にドライブしてくれます。大げさなことをしなくても,DR-100mk2とT50RPmk3nで,もう私の録音環境は不満ありません。

 一時的に品薄になっているような感じがありますが,モニター用としてならもう文句なくイチオシ,普段使い用にも,ぜひこのヘッドホンの自然な音を楽しめるようになってくれたらいいなあと思います。

 きっと,ロングセラーになるでしょう。長く供給されることも,プロユースのモニター用には必要な「性能」ですから,その点でもT50RPmk3n,おすすめです。

はやくこいこい自動運転車

 ここへきて政府の後押しがあったりと,何かと耳にすることの多い自動車の自動運転ですが,数年前の自動ブレーキシステムの大ヒットを発端にして,それまでの逆風がウソのように肯定的な論調が目に付くようになりました。

 自動車というのはまさに,すべての工業分野を統合する工業製品といっても過言ではなく,面白いのは時代の進展と共に新しく誕生した技術も貪欲に,その範疇に取り込んでは自らの血肉としてきたところにあると思います。

 自動車が生まれた直後の黎明期は機械部品だけで自動車は作られていました。これを原始的と思うことなかれ,当時の機械工学は,時代の最先端を走るハイテクノロジーだったのです。

 熱力学,化学,電気工学,材料工学,電子工学,そして電子部品としてのコンピュータの搭載から,ソフトウェアまで飲み込んで,今の自動車は走っています。静粛性や居住性,安全性の向上のために人間工学や医学,大脳生理学も絡んでいることは,もはや触れるまでもないでしょう。

 これが,自動車産業が限られた地域でしか成り立たない理由の1つになっているわけですが,同時にそれぞれの地域が得意とする分野の強みが,最終製品の「味」になっていることも,グローバル化が進んで無個性になりがちな工業製品にあって,俗に言う「お国柄」を楽しむ事の出来る貴重な存在になっているのだと思います。

 やっぱりなあと思うのは,コンピュータとソフトウェアの最先進国であるアメリカ生まれの自動車は,やっぱり自動運転についても最先進だったということです。かつてのビッグ3の話はちょっと横に置いておいても,テスラなんかは大きなLCDをセンターパネルに持ち,タッチパネルで様々な操作をする自動車ですが,ソフトウェアのアップデートで自動レーンチェンジにまで対応するようになるというのですから,もう考え方がコンピュータかゲーム機です。

 そうした個性を競う世界にあっても,普遍の価値観と言う物は存在します。安全性,信頼性,エネルギー効率という絶対的な価値に加えて,使用される環境や,人それぞれの好みで異なる居住性や静粛性,操縦性,さらにはデザインや悪路の走破性,荷物の積みやすさなどの使い勝手といったところで,多くの自動車メーカーが生まれては消え,淘汰されて今日に至っています。

 ややこしいのは,ここにさらに政府の関与があります。多くの国で自動車運転には免許が必要ですし,所有や使用には登録が必要です。税金も負担しなければなりません。

 設計や製造にも多くの技術基準や規格,法規制があり,業界の自主的なものから罰則つきの法律による厳しいものまで,それはもう星の数ほど制約があります。そうした制約の中で,新しい技術が生まれて進化してきたのが自動車ですが,他の工業製品と比べても決して優しくはなかった多くの制約に潰れることなく,良い方向に進化し続けた自動車の歴史を見ていると,そのたくましさにため息が出ます。

 自動運転についても,やがて当たり前になると思うのですが,この手の新しい技術には必ず反対者がいるもので,積極的な否定だけではなく,懐疑的に感じている人も含めると,まだまだ大多数の人が賛成しかねているのではないでしょうか。

 だからこその政府の支援なわけですが,ここで私の個人の意見を述べさせてもらうと,自動運転早く来い,自動運転バラ色の未来で万々歳,です。

 要するに大賛成という立場なのですが,これは自動車を使う利用者として,そして自動車と共同で生活をする市民として,とても好ましい状況を生むだろうという期待があるからです。

 まず,利用者としてのメリットです。私は運転が下手ですし,自動車の運転を楽しむだけの余裕がないほど,緊張して運転をします。ちょっとの判断ミスが自分だけではなく多くの人を不幸にするから,その責任の重さゆえに「楽しい」などと思えないからで,これが運転に集中出来る場所,例えばサーキットなどのクローズドなコースだと,車の挙動を味わって運転出来るので,とても楽しいです。

 自動運転になると,この苦痛である運転から解放されるのですから,これはもう楽ちんになると言うほかありません。

 これまで,誰か代わりに運転してくれる人を探すか,友人の車に乗せてもらうしかなかったわけですが,機械になら気兼ねなく運転を頼むことができるというものです。

 このように,運転出来ない,運転が苦手な人,運転を面倒と思う人にとって,ある場所からある場所に移動するという移動手段として,電車,バス,タクシー,自転車と徒歩に加えて,もう1つ有力な移動手段が手に入るというのが最大のメリットです。自分で運転するにはリスクも大きく,疲れてしまう私としては,自動運転なら使ってみようと思うものがあります。

 さらに,運転者の技量で大きくばらつく自動車の走行は自動運転によって均一化し,互いに連携しながら,協調運転もなされることでしょう。そうすることで道路の渋滞も緩和され,事故も減るはずです。この結果道路の効率的な利用が加速するので,自動車の移動コストは下がるでしょう。

 自動車を利用するには,そのために発生する諸問題を解決,あるいはそれらを乗り越えられるくらい大きなメリットがなければならないわけですが,自動運転はその諸問題を根本的に消し去ってしまうだけの,強烈なパワーがあります。

 一方,市民としてですが,自動車を使わない今の私が,なぜ道を歩いていて危険なのかといえば,それはもう自動車が走り回っているからに他なりません。社会に生きる多種多様な存在は,それぞれが相手を尊重して共存することが大切だと思うのですが,特に日本の交通社会では自動車という強者を優遇する考え方で制度設計された法律が未だに幅を利かせていることもあってか,自動車とドライバーに尊大な態度を許しているシーンが目に付きます。

 私などは,そういう交通弱者に対する視点と創造力の欠如があまりに鼻につくようになり,自動車保有者というドメインにいることに強い違和感を感じたことから,自ら自動車を持たない生活を選んだわけですが,自動運転になればそうしたおかしな特権意識も薄れていくでしょうし,同時に強い倫理観を求められる人が自動運転の開発者と制度設計を行う人という,限られた場所にいる人だけに求められるようになります。これなら,そういう人達に教育と訓練,必要なら選別も可能になるでしょう。

 いずれやってくる人手不足のために,今のままだとバスやタクシーの運行数が制限されてしまうかもしれません。そうすると移動手段が限られてしまうわけで,とりわけ子供や高齢者,経済的に苦しい人が影響を受けてしまいます。道路の多くに税金が投入されているのは,一言で言えばみんなが使うからなわけで,その道路を有効な移動手段として使いたくても使えない状態というは,その理念からも放置できません。

 自動運転は,この問題も根本的に解決します。

 より多くの人がその利便性を享受し,同じ交通社会に無理なく共存出来る,これをもたらすものが自動運転です。自動車が移動手段として生まれて発展してきたのであれば,この流れはもはや必然と言ってよいでしょう。

 とはいえ,当然反論も出てきます。今後議論が深まって「なるほど」と思うような反論も出てくるとは思いますが,今のところ私が目にする反論はどれも弱く,はっきりいえば感情論と紙一重なものも多いと思います。

 いくつか例を挙げてみましょう。


(1)自動運転なんか信用出来ない。機械なんかに運転を任せられるか!

 運転のうまい人,あるいはうまいと思っている人が,こういう意見をよく言うのですが,私に言わせれば人間にこそ運転を任せられません。

 人間の判断速度や神経の情報伝達速度は,現在の自動車の速度に対してあまりに低速で,よほど訓練をしないと安全に運転出来ません。現在のドライバーも,どれほど多くの機械にアシストされて安全な運転が成り立っているのかを,もう少し知るべきでしょう。

 もう1つ別の視点から見ると,交通事故の大半は,運転者のミスによって起こっています。自動車のトラブルによって発生する事故ははるかに少ないのです。

 1年前に私が幼い娘と遭遇した,横断歩道で跳ねられるというあの痛恨の交通事故は,ドライバー自身が我々を「見えなかった」と,事故の原因に挙げています。

 仮にこれが事実だとして,人間には見えないものでも,機械には見えます。いや,見えるように機械を作ります。

 横断歩道にいる歩行者が見えない人間は,明らかに運転者として不適格であり,そんな運転者が運転する自動車は凶器以外なにものでもないのですが,それをスクリーニングする仕組みが機能していません。こんな状況なら,歩行者が見えるように作られた機械の方が,ずっとずっと確実であることは,もはや議論の余地もないでしょう。

 だから私は,あの事故が自動運転だったら起こることはなかったと考えています。

 もうちょっと考えてみましょうか。無理な追い越し,ブレーキとアクセルのふみ間違い,信号無視,速度超過,酒気帯び運転,車の下にいた子供に気がつかない,高速道路の逆走といった原因は,全部自動運転でつぶせます。

 こういうくだらない原因で,多くの命がなくなっています。そして,これを確実に防ぐ方法が,まさに今作られようとしています。それでも反対ですか?


(2)運転者は多くの複雑な判断をしている。自動運転にそれが出来るとは思えない。

 これも変な話です。確かに人間は,複雑な条件を臨機応変に処理する能力に長けています。しかし,その能力には個人差がありますし,運転という行為は判断を動作に繋げて初めて成立するものですから,それら個人差が表面化しないように,判断条件の数をある範囲に押さえ込むため,法律や規制によって制度が設けられ,さらに機械のアシストが入っています。

 もし信号機がなかったら,もし左側通行がなかったら,もし自動車専用道路がなかったら,もし舗装されてなかったら,もしカーブのきつさに制限がなかったら,もし速度規制がなかったら,といった,普段窮屈と思っている制約がない世界を,少し考えてみて下さい。

 これら制約が減るほどに,条件判断は多重化して複雑化し,許される時間内に最適な答えにたどり着く人が減っていきます。

 だから制約を増やして条件を減らして,多くの人に同じ判断が出来るようにしてあるのです。

 ならこの制約を,自動運転も対象にしてしまえばよいのです。複雑な判断条件が減れば,それは機械にとって楽なだけではなく,人にとっても楽であるはずです。

 例えば,雪が降るとセンターラインが見えなくなるので,自動運転は出来なくなるという人がいます。でも考えてみて下さい。センターラインは人にも見えなくなるのです。

 それでも運転をしてしまうのは,センターラインが見えなくても運転が許されているからに過ぎず,危険な運転である事はかわりません。むしろ,そうして無理をして運転をするから,センターラインが見えないと言う問題以外に,スリップしたり坂道を登れなかったり,道路以外の所に飛び出してしまったりするわけです。

 一方で,制約が多いと窮屈ですし,効率的な利用も出来ませんから,今の制度はそうした両面から折り合いのつくところで落ち着いているという事が言えます。

 自動運転には,運転が均一化するというメリットもありますから,道路やエネルギーの利用効率の向上が見込めます。制約が増える事による非効率は,自動運転においてはある程度相殺されることでしょう。というより,自動運転の効率を当て込んで,これまでよりも制約を増やしても十分ペイします,と言う考え方の方が自然ですね。


(3)道路の運転は難しすぎて,自動運転なんかできる訳がない。

 これは事実です。ただし,今の道路が,という条件付きです。

 今の道路は,人間でも難しいくらい,複雑です。判断が難しいだけではなく,複数の判断結果が出てしまうことも多いです。それらを「滅多に起きない」とか「臨機応変に」という場当たり的な考え方で逃げてきたのがこれまでの制度ですし,また人間だけを相手にしてきたからこそ可能な仕組みでした。

 なるほど,機械にはこうした状況下での自動運転は難しいでしょう。

 なら,道路を自動運転が可能になるよう,変えていけばよいのです。

 なんて無茶な,と思うかも知れませんが,本来道路と自動車の進化は,それぞれ別々に進んだわけではなく,双方がお互いに合わせるようにして進んで来たことを思い出して下さい。

 デコボコの悪路から整備された舗装道路になることで,現在売られる自動車大半のサスペンションは,悪路を想定せず,乗り心地に優れたものに進化しました。

 自動車が大型化することで,道路の幅も広がっています。安全に走行できる速度が向上することで,道路の制限速度も引き上げられてきました。

 現代の自動車が,どれほど進化したシャシーやサスペンションを持っているとしても,60年前のデコボコした国道を,安全に故障することなく走ることは出来ません。60年前のデコボコ道には,それに相応しい設計があります。

 道路とは違いますが,有害物質である鉛を添加しなくてもよい高性能なガソリンが生まれたり,排気ガスを綺麗にするためのエンジン制御が飛躍的に進歩したりと,自動車は様々な状況の変化にあわせて,進化しています。

 自動運転用の道路も,同じ方向の進歩です。自動運転に適した道路にしていけば,自動運転は十分実用になります。

 もちろん,究極的には直線だけで作られた,自動運転専用道路を作ってしまえば完璧ということになるのですが,それは極論で,これだったら鉄道と同じです。自動車のメリットを失ってまでやることではありませんから,そこはちゃんと考える必要があります。


(4)事故を起こした場合に誰の責任になるのか?

 この問題は,別に新しい話ではありません。機械が自動で動くようになって100年,以来ずっと我々人間が向き合ってきた古典的問題です。

 例えば,自動で動いているエレベータが故障したとき,機械に責任を問いますか?所有者,運転者,製造者,整備者が責任を問われますね?

 炊飯器が美味しくないご飯を炊きあげた時に,それを炊飯器のせいにしますか?

 スマホのアプリが落ちた時に,それをスマホのせいにしますか?

 これも(3)の議論に通ずる物がありますが,詰まるところ自動運転を前提にしていないからこうした問題が懸念されるに過ぎません。

 決まっていないなら,決めればいいのです。事故を起こした場合に,誰が責任を取るのかは,これまでの慣例からすれば割にすぐに決まるんじゃないかと思います。

 そもそもですね,機械が起こした事故を誰が責任を取るのかという議論そのものが,機械より人間の方が事故を起こさないという思い込みから発生しているように思います。機械の方が事故を起こさないという前提に気が付いてしまえば,ぱっと考え方が変わります。最終的には事故が起きなければ,誰も責任を問われないのですから。

 責任の所在が,エレベータと同じようになったと仮に考えてみましょう。事故の責任は所有者(と利用者),整備者にかかってきますが,運転そのものの過失が所有者や利用者に問われることはなくなります。

 これまでは自動車の所有と運転の過失の両方に責任が発生したのですが,今後は所有のみに責任が発生するようになるわけですから,実は利用者にはうれしい方向です。

 これが,運転にも利用者に過失があると判断されると話は少々厄介で,自動運転に利用者が介入できないからこその自動であるわけで,介入できないものに改善も反省もありませんから,やっぱり責任は問えないでしょう。

 なら,自動運転機能を提供する人に責任は問われるわけですが,こんな風に少しずつ問題を解きほぐして解決すれば,割に簡単に答えは出てきます。大事な事は,反対のための理由ではなく,公平な思考を行うことです。

 ところで,人間が運転する自動車を,道路から完全に排除すべきと言う考えまでは,私は持っていません。自分で運転するという非常に危険な行為を伴ってまで,自分で自動車を運転したいと思う人もいるでしょうし,特殊な自動車などでは自動化が出来ないケーズも出てくるでしょう。

 そうした人を排除するのは,私は良いこととは思いません。重い責任と引き替えに,自分で運転することは認められるべきであり,特殊車両の運転同様に厳しい資格制度と,手厚い保険への加入が前提で,許されることだと思います。

 ただ,後述しますが,人間が運転する方が面白いからとか,レジャーを目的にするような話になると,ちょっと別です。それでも排除すべきではなく,厳しい資格制度と手厚い保険で許可されるべきだとは思いますが,こういう目的において厳しい資格制度はかなり高い障壁になりますし,事故の危険性と加入者数から考えて,保険料も非常に高額になるでしょうから,この両面でのスクリーニングに期待したいところです。


(5)人の命を左右する大きな物体を自動で動かすなんて,恐ろしい。

 これはもう感情論です。まともな反論をしても納得してもらえないエリアにあえて踏み込みますが,500人をのせて時速500kmで飛行するジェット旅客機は,すでに自動運転です。そして,飛行機事故で亡くなる人の総数は,交通事故で亡くなる人よりもはるかに少ないことを思い出して下さい。

 私は,マニュアルで操作される飛行機になど,恐ろしくて乗れません。自動車も近い将来,そうした時代がやってくるでしょう。

 こういうことをまず口にする人は,1トンの重量がある物体が,わずか時速10km/hでさえも,どのくらいの運動エネルギーを持っているものなのか,高校1年生で習った物理の公式で計算し,その大きさにビビって下さい。


(6)自動運転だと楽しくない。つまらない。

 論外です。天下の公道で楽しむ事を声高に叫んで当たり前と思っている神経の図太さに呆れます。こういう思慮の浅い人をスクリーニングできないところに,現在の免許制度の限界があると思い知るべきです。

 近頃,家の前の生活道路で遊ぶ子供にさえ厳しい視線が向けられるのに,なんで自動車の運転を楽しむ場所が,老若男女が利用する道路なわけです?楽しむ場所であることが道路に求められているんですか?

 楽しむための,専用の場所で,思いっきり楽しんで下さい。私もそうなのですが,専用の場所の方が存分に楽しめて,非常によいです。

 根本的な問題としてこの場合,自動車の目的が移動手段から,運転することそのものになっています。目的が違う,期待する結果が違うということです。

 ゴルフをする,テニスをする,ダイビングをする,野球をする,ピアノを演奏する,全部専用の場所で行われます。同じ話です。万が一の場合の危険も大きく,周囲に迷惑になる可能性が高く,またプレイに集中出来るから,専用にするのが合理的であるわけです。当然,楽しむために応分の負担が発生します。

 自動車の運転も,楽しさを求めるならそれはレジャーです。まして危険が伴うレジャーなら,専用の場所で行うのが,誰にとってもハッピーな話です。

 むしろ問題なのは,これまで専用の場所が用意されていないために,道路で楽しむしかなかったことでしょう。だから固定観念として,楽しく運転出来る自動車が当たり前になっているんだと思います。

 つまり,より楽しくなった自動車を楽しむための場所が,公共の道路しか実質的に存在せず,自動車メーカーも暗黙のうちに「道路で楽しく」となってしまっていることが,特殊な問題だということです。

 楽しい車を作るまでは構いません。でもそれは,思う存分楽しむ場所が先に存在するのが前提ですし,そもそもそうした場所がないところには楽しい車など誕生しないはずです。なぜ楽しい車が生まれたか・・・それは楽しむ場所がすでに道路という形で存在したからです。

 最近,多くの自動車メーカーが運転の楽しさを訴えるようになりました。ドイツのBとか,日本でもMとかTとか・・・自動車自体が楽しく作られることは,テニスのラケットが使って楽しくなることと同じなので,大歓迎です。

 だけど,楽しむ場所として道路を前提にしていることに早く気が付いて,そのことが大きな社会的責任を負うことだと,自覚を持って欲しいと思うのです。

 移動が目的というのはぶれないが,どうせならつまらないより楽しい方がいい,という話なら,構わないと思います。これは目的が移動から変わっておらず,移動という手段をより良いものにする話であり,運転することそのものを楽しむものではありません。つまり,運転がつまらないことを理由に自動運転を否定する物ではないからです。

 もう1つ,免許を持たない人でも楽しくとか,歩行者専用の道路でも楽しくとか,そういう話にならないのは,すでに現在も自動車運転を楽しむために一定の制約が課せられているからであり,これまで制約が全くなかったわけではありません。子供が運転を楽しむためには専用のコースであればよく,子供が自動車を運転することそのものまで,禁止されているわけではありません。
 
 ないものを作るのは大変ですが,あるものを改良するのは随分楽です。考え方と視点を切り替え,自動車運転を楽しむのは専用の場所で,となってしまえば,誰にとっても幸せなんじゃないでしょうか。

 蛇足ですが,北欧のVなんてのは,安全性を一貫して問うています。それも,運転者を守るという,実に利己的な安全(そう,よりお金を出した人が守られるという考え方は,自動車メーカーにとっての顧客が運転者であり,歩行者ではないことを雄弁に物語っています)ではなく,自動車によって被害を受ける人すべてを守るという考え方に根ざしていることは,私は高く評価します。


(7)自動運転にしてもあまり便利になるとは思えないけど?

 今自動車を運転している人というよりは,今運転していない人,今自動車の利便性を享受していない人が,とても便利になります。今運転している人も,車内で楽に過ごせるとか,携帯電話が使えるとか,渋滞が緩和されるとか,道に迷わないとか,そういうメリットがありますが,すでに楽に過ごせている人や渋滞に無関係な人,道に迷わない人にはあまり関係ないですね。

 ですが,これまでは運転という高度な技能が必要だったが故に,年齢制限と取得に長時間の講習と試験が課せられた運転免許証が必要でしたし,運転技能の低い人でも運転出来るようにと,様々な工夫が技術と制度が進化してきました。

 それが,自動運転なることで,一切関係なくなります。子供も高齢者も,これまで運転出来なかったような病気や怪我,体の不自由な人にも,自動車を便利に使ってもらえるようになります。移動手段を持たない,あるいは失った人が,移動手段を持つことがどれほど有意義なことか,考えてみて下さい。

 社会全体で見たときに,ある種の特権であった自動車の利用が,より多くの人にまで及ぶことになり,経済的な側面だけを見ても豊かな社会になっていくと考えて良いでしょう。

 さらに,長距離トラックの運転といった重労働であるとか,タクシーの運転,バスの運転というところで,自動運転はその威力を発揮します。安全,確実,重労働からの解放,人手不足の解消という面でも,こういうところから自動運転が導入されるに違いないと,私は思っています。どうですか,すごく大きなメリットがあるとは思いませんか?


 長くなってしまいましたが,一番言いたいことは「人間よりは機械の方がはるかに信頼できる」「運転が機械に難しいのは,道路が人間を対象に作ってあるからにすぎない」ということです。

 そしてその道路だって,100年前からずっと同じではなく,変化を続けてきました。なら,どこかの時期にその時点で自動運転が可能になるような道路を作ることは自然な事だし,自動運転のメリットと安全性を考えると十分に元が取れるのではないでしょうか。

 自動車の素晴らしさ,自動車の利便性を,もっと安全に,もっと広く,もっと多くの人々に。

 私は自動車好きの人間として,そして技術者として,自動運転がもたらす未来を,とても楽しみにしています。

 とても残念で悲しい事ですが,これを書いている今日,スキーツアーのバスががけに転落し,多くの人が亡くなり,けが人が出ています。

 事故の原因はまだわかりませんが,運転のミスならば高い確率で,自動運転によって防げたのではないかと思います。バスの故障であっても,自動運転なら故障を検知し可能な限り安全に停車するということで,被害を最小限に食い止められた可能性が高いと思います。

 私は,結局の所,最後に一番不幸になる交通事故被害者の悲しさと苦しさを思うと,自動車をなくさないようにするには,もはや自動運転しか答えがないというところまで,考えるようになりました。

 自動運転が一般化すれば,自動車と人間の新しい付き合い方が始まると思います。一日も早く,自動車と人間が共に寄り添う関係になることを,望んでいます。

トラブル→対策→トラブル→対策

 アイワのDAT,XD-S260のオーバーホールが終わって,さて次はどうしようかと考えたところ,やはりDATで続けるのがよろしかろうと,ソニーのDTC-59ESJのメンテをすることにしました。

 DTC-59ESJは1995年に出た中級機で,DTC-59ESにSBMを追加し,44.1kHzの録音を可能にしたマイナーチェンジ機です。個人的には44.1kHzでの録音が出来るようになった事はいろいろな意味で画期的な事だと思っていたので,DTC-60ESと名乗っても良かったんじゃないかと思います。(というか海外ではそんな名前で呼ばれていたらしい)

 SBMは20ビットでAD変換されたデータを16bitに丸め込む際に,均等に4ビット分を捨ててしまうのではなく,耳につきやすい周波数のデータは出来るだけ残し,そうでない部分は4ビット以上に捨ててしまうという,マッピングを行うものです。

 正直に言うと,私ももうちゃんとしたことは忘れてしまいました。とにかく,DATは16ビットの器しかないので,20ビットのデータをどうにか16ビットにしないといけないのですが,これをノイズシェーピングを使い,可聴帯のノイズを高域に追いやって,低域で20ビット相当のS/Nを確保するというものです。

 勘違いしてはいけないことは,器が16ビットなのですから,20ビットのデータが入るはずがなく,情報量としてはSBMの有無に関係なく同じです。ただ,その情報の詰め込み方に,人間の耳の特性を加味して偏りを作るというものです。

 ということで,SBMが有効なのはアナログ入力の時だけということ,SBMで録音したものは普通に再生すればよくて,再生機を選びません。

 そう考えると,このDTC-59ESJというのは,ADコンバータとして使っても価値があり,DATが死んでも使い道があるということになります。私はその事を理由にして,これまでこの機械を温存してきました。正直,ソニーのDATはメカがいまいちですから,長く使おうとは思っていませんでした。

 とはいえ,今や貴重なDATです。動くものならきちんとメンテしておきたいですし,XD-S260で再生出来ないテープが出てきていることを考えると,いい状態をキープできると安心です。

 DTC-59ESJには,確実にアウトとなっている持病が2つあります。1つはRFアンプのコンデンサの液漏れです。もう1つは,ヘッドのクリーナーの劣化による,ヘッド劣化です。

 前者は,メカデッキの背面に置かれたRFアンプ基板にある電解コンデンサが高確率で液漏れしてしまうというものです。原因はいろいろあるのですが,この時期の電解コンデンサは液漏れしやすいものがあること,当時はまだ立ち上がり時期だった面実装品だったことで,もともと液漏れしやすいものだったところに,小型の電界コンデンサがまだなかった時代ゆえ,耐圧の低いギリギリのものを選んで小型化してあったことが重なったということだと思います。

 後者はバカバカしいのですが,ヘッドを自動的にクリーニングする機構があり,スポンジが回転しているドラムに接触することでヘッドが綺麗な状態を維持できるようになっています。


 先日,DTC-59ESJとXD-S260の2台体制になり,DR-100mk2にダビングを少しずつ行っているのですが,細かい問題の発生で作業が中断することが出てきました。

(1)デジタル入力でUnlock

 DR-100mk2には,リモコン接続端子と排他でデジタル入力が可能です。ただ,DR-100からDR-100mk2になる時に追加された機能だと言うこともあり,ちょっと違和感のある仕様になっていたりするので,苦心して実装したんだなあと感じることがあります。

 リモコン端子と共用なので,同時に使用できません。これはまあ当たり前の事としても,切り替えがメニューから手動で行うことになっていて,その上パネル上のスライドスイッチによる入力ソースの切り替えが無効になります。

 つまり,デジタル入力のスイッチは最上位に位置しているんですね。デジタル入力のケーブルを外したら自動的にアナログ入力になるくらいの仕様でもいいと思うのですが,そうはなりません。

 録音のサンプリング周波数に32kHzが存在しないのに,デジタル入力で32kHzを入れるとロックしてちゃんと音が出たりする謎の動きをしたりしますし,ちゃんとロックしない限り録音状態になりません。フリーランで録音が行われないという事は,クロックは外部同期だということになりますね。

 で,以前から言われていたことに,このデジタル入力はロックが外れやすいというものがありました。長時間の録音時にデジタル入力を使うとロックが外れて,録音が止まってしまうので使わないとか,そういう残念な書き込みがいくつか見つかります。

 私の場合,ずっとこうした問題が出てなかったので気にしてなかったのですが,先日とうとう出てしまったんです。しかも頻度は結構高くて,短い場合は数分で出ます。

 ライブ番組を30分録音してロックが外れて,録音が途切れてしまうとやり直しです。時間の無駄ですし,テープの劣化を考えると次に正常に再生出来る保証はありません。

 この問題,原因がわかりませんし,対策もソフトが絡みそうなので,トラブルの少ない機器の組み合わせを探すしかないなと思っていたのですが,少し前まで全くトラブルが出なかったのはなんでかと,冷静に考えてみました。

 なにが変わったか・・・そうだ,起動時の録音モードが違っていました。

 DR-100m2は,96kHzの録音が可能なのですが,これもいろいろ制約があった中での実装だったようで,電源OFFからENTERボタンを押しながら電源を入れると,96kHzで録音できるモードを選択するメニューが出てきます。

 設定の変更は電源を切ってから再度設定を行う必要がありますし,96kHzのモードではMP3で録音が出来ないという面倒な制約があります。なんか,MP3のエンコーダを削ってメモリを確保し96kHz機能を入れたんじゃないかという感じが漂ってきますね。

 96Hz録音が可能な新規モードをHSモードと呼んでいるのですが,私はずっとこれで使っており,デジタル入力でトラブルがなかったのです。しかし,先日MP3での録音を行う必要があり,モードを切り替えたのですが,そのまま戻すこともせずに,ずっと使っていました。

 そうすると,デジタル入力でUnlockになり,録音が止まることが頻発しました。

 確かめましょう。何度もUnlockになる状態からHSモードにし,デジタル入力を行います。すると,1時間以上Unlockになりません。やっぱりこれで改善されるようです。

 HSモードは,デジタル入力と同時に実装されたものです。ですから,HSモード用のファームは,デジタル入力についても綺麗に実装出来ているんじゃないでしょうか。

 ということで,私は標準的にHSモードを使う事にしました。

 ん?まてよ,デジタル入力でMP3録音をすると,どうなるんだろう?


(2)光入力端子がない

 DR-100mk2は,その前のモデルであるDR-100でハードウェアの大きな変更なしで,大幅な機能アップをしたものです。デジタル入力の端子がリモコン端子と排他になるというのもそうなのですが,そうした事情から,当然光入力には対応しません。

 まあ,今さら光入力ってのもないなと思うのですが,XD-S260には同軸出力がありませんので,光出力を同軸に変換するコンバータが必要になります。

 案外売っていませんし,作るのも(真面目に作ろうとすれば)ちょっと面倒くさいので不便なわけですが,私の場合昔作ったサンプルレートコンバータに突っ込んでいます。

 レート変換を行わずにスルーする設定で,単なる光-同軸コンバータとして動かしているのですが,大げさですしケーブルが絡まって煩わしい。そこで,XD-S260に同軸出力を付けることにしました。

 同軸出力は,75Ωで終端して0.5Vp-pになるというのが規格です。これだけ聞けばなんてことはないのですが,危機感を絶縁するために,パルストランスを用いるのが正しい方法です。

 絶縁する理由はノイズやら不要輻射やらいろいろあるんでしょうが,別に絶縁しなくても動くことは動きます。実際に,トランスで絶縁しない回路を使っている機器も存在します。

 私も,このトランスというのがなかなか面倒くさいので,エミッタフォロワ一発の回路をよく使っています。トランジスタのベースに3kΩ,750Ωでバイアスし,トランジスタのエミッタとGND間に470Ωをいれて,動作点を決めます。

 エミッタから直流カットの10uFと1000PFを通し,75Ωの抵抗を挟んで出力です。これでTTL入力,出力インピーダンス75Ω,75Ω負荷時に0.5Vp-pのドライバが完成です。

 とまあ書けば簡単ですが,実は老眼でカラーコードを読み違えてしまい,470Ωと750Ωを入れ替えて作ってしまい,完成後のチェックで正しい動作をしませんでした。恥ずかしいミスですね。

 リアパネルに穴を開けて,RCA端子がのった基板を取り付けます。そして本体の基板から5VとGND,そして信号を取り出して配線します。

 事故はここでおこりました。

 ハンダゴテを,まだ配線を全く始めていない同軸出力基板の電源に当てた瞬間に,バチンと家中が真っ暗になってしまったのです。

 家中の停電は,おそらくこの家では初めてです。4歳の娘も停電は初めてで,怖がっていました。階段を降りているときとか,走り回っているときでなくて,つくづく良かったです・・・

 私のハンダゴテは,コテ先がアースされていますから,ここを通じて漏電がおこり,漏電ブレーカがおちたということなんですが,なんで同軸出力基板の5V入力端子に触って,漏電が起きたのかということです。

 XD-S260も電源トランスで1次側と2次側は絶縁されています。回路を見るとノイズフィルタは入っていますが,ホット側,あるいはコールド側とアース間にコンデンサなどは見当たりません。

 考えられるのは,トランスの絶縁が落ちていること。でも,それだと通常使用時でも漏電が起きてしまいますよね。

 次に考えられるのは,同軸入力基板の電源間に入れた47uFからの放電。基板のGNDが筐体に接触している状態で,5Vにアースに落ちたハンダゴテをあてたことで放電,ホットとコールドに流れる電流に差が出て,漏電ブレーカが落ちたという話です。

 でも,これだって,2次側がアースに落ちていないとだめです。XD-S260にはなにも繋いでいない状態ですから,そこから回ってくると言う可能性もありません。

 結局,よく分からないということになってしまったのですが,再現事件をするとまたブレーカが落ちますのでまずいです。これは,漏電ブレーカ内蔵のテーブルタップを使えば問題なく実験が出来ますので,手に入ったら検討したいと思います。

 ん?ブレーカーを元に戻して作業を続行し,最終的には配線も終わって同軸出力で録音が出来る事を確認したんだよなあ?なんでもう一度漏電ブレーカーが落ちなかったんだろう?


(3)XD-S260の問題

 XD-S260は安かった割には,よく頑張ってくれています。あちこちガタが来ていますが,先日書いたようにDTC-59ESJとはトラッキングが異なるので,死なれてしまうとまずいのです。

 まず,カセットが入っていることを示す表示が,突然消えてしまったり,チラチラと明滅します。結論から言えば,表示だけの問題であり,これが発生しても再生中はなにも問題がないのですが,気になるので対策です。

 カセットが入っていることを検出するスイッチの接触に問題があると考えたのですが,その理由は端子の劣化と,位置ずれです。位置ずれというより高さが低くなってしまい,カセットで下げきれないんじゃないかという話です。

 そこで,少しカセットの検出穴にテープを貼って,より深くスイッチが下がるようにしたのですが効果無し。端子の不良だろうと,接点復活効果があるオイルをほんの少し,スイッチの隙間に流し込みました。

 結果は上々。確実にカセットの検出が出来るようになりました。

 もう1つは,突然CAUTIONで再生が止まってしまうことです。気が付いたら止まるので,止まるまでの状態の変化をつかまえられません。

 これは15分に一度くらいの頻度で起きるので,大変な時間のロスにつながります。時間を無駄に出来ないので早速検討です。

 まず,止まった状態で中を覗くと,テイクアップ側のテープがはみ出ていて,巻き取り不良が起きています。それでもちょっとはみ出ているだけなので,テープに被害は出ていません。このあたりはさすがです。

 なら,テイクアップ側のリールのトルクが弱っているからだろうとふんで,メカの隙間からギアを触ってみると,確かに動きが渋いです。そこで模型用のオイルを少しだけ注油し,スムーズに動くようにしました。

 結果はこちらも上々。もうCAUTIONで止まることはなくなりました。


 ということで,録音しては対策し,対策しては試しての繰り返しですが,うまく動くようになっていく実感があります。なんか目的がすり替わってしまいそうで,怖いです。

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