オライリーとかの地の文化
- 2006/08/31 18:55
- カテゴリー:make:
オライリーというアメリカの出版社は,日本でもある種類の人々の間ではよく知られていて,それどころか畏敬の念さえ抱く方が多いでしょう。
かくいう私も,学生の頃には随分世話になりました。今でもあの銅版画のような表紙には,ちょっとワクワクします。(といいつつタイトルを見てがっかりすることもしばしばですが)
そういえばこの種の本で思い出すのが,Addison-Wesleyという出版社ですね。Inside Macintoshの版元だったと思うのですが,日本ではトッパンの和訳がでてました。えらく高価だったことを思い出しますが,トッパンが手を引いた関係で急激に遠い存在になりましたね。
閑話休題。オライリージャパンは最近,極端に専門的な路線から少し脱却し,NerdやGeekを応援するような本を日本でも出すようになりました。かつては純粋なホビースト向けの雑誌が日本にもいくつかありましたが,今NerdやGeekを支援する雑誌をあえて上げると,ゲームラボやラジオライフというかなりアングラな世界のものが多いのではないでしょうか・・・
アメリカやヨーロッパでは,閑静な住宅街のど真ん中に小さなDIYショップがあって,自動車の部品やら家電の部品やらが身近に手に入ります。基本的には自分で作る,自分で直す,そういうものだと彼らは考えているので,近所のスーパーにだって工具やら部材やらがきちんと売っています。うらやましいですね。
話が逸れてしまいましたが,オライリーファンである私が買った3冊をご紹介しましょう。
(1)Make: Technology on Your Time Volume 01
一番最近買ったのですが,先程の前置きは,この本の紹介をしたかったから書いたようなものです。
アメリカでは年4回季刊誌として発売されているMake:ですが,いよいよ日本語版が発売されました。アメリカと違って雑誌ではありませんし,これまでの面白い記事からの抜粋を和訳したものですが,Make:のエッセンスは消えていません。
これを科学雑誌と捉えることも,マニア向けの自作雑誌と捉えることも,子供向け工作雑誌と捉えることも,そのいずれもmake:にとっては誤りです。思うに,海の向こうには頭のいいバカがいるんだなあ,いいなあ,うらやましいなあ,と考えるのがおそらく正しく,さらに良いのは自分もやってみよう,と思うことでしょう。
凧にカメラを取り付けて空撮する,フォークリフト用のモーターを使って電気自動車を作る,ビデオデッキを改造して猫の自動えさやり装置を作る等々,なんか日本のチマチマした工作魂とは違う,アメリカンな意気込みを感じさせます。
ビデオデッキを改造した猫の自動えさやり装置は感動しました。ビデオデッキには非常に複雑な予約が可能なタイマーと校正される正確な時計が装備されています。これってなかなか自分で作ると大変ですよ。
これを利用して,ヘッドを回すモーターにえさを送り出すスクリューを取り付けて,決まった時刻に決まった分量だけ,決まった間隔で自動でえさをやる装置にするというのだから,素晴らしいです。
この本は工作のお手本ではないので正確な図面もありませんし,原理を詳しく説明する理論の本でもありません。そういうことをやってる人を紹介して,他の人を焚き付ける本ですね。
一方で元が雑誌らしく,いわゆる記事というものもあります。常温核融合,懐かしいと思われる方も多いでしょうが,この研究を未だに続けている学者がいます。あれは結局ガセネタだったということで処理されてたのですが,世界中で試みられた実証実験においては,わずかではありますがやはり核融合が起こっていると考えるしかないという結果が出ているのだそうです。
紹介されていた老科学者は,実はこの結果を安定的に再現できるところまで来ていて,核融合が起こっていると確信しているのだそうです。彼がただの道楽オヤジかといえばそうではなく,世界でも最高ランクの研究期間であるロスァラモスで長く研究を続け,その後退職して家で実験を続けているのだそうです。
いやいや,おもしろいでしょう。
ちなみにVol.02は今年12月の発売予定です。日本語版には日本独自のコンテンツも入るという予告がありました。とはいえこのVol.01が売れないと,Vol.02も出ないだろうなあと,思います。
(2)レボリューション・イン・ザ・バレー
初代Macintoshの開発チームが成し遂げた業績の大きさについて今更あれこれ言うつもりは毛頭ありませんが,そうして伝説的に語られるすべてが,常に正しい歴史を反映しているとは言い切れません。
開発チームは選抜された精鋭であり,その精鋭のみが歴史的現場に当事者として立ち会うことを許されるわけですから,選抜されなかった人々が何を言っても,そこに事実とは異なる事柄が混じることを避ける手だてはありません。
著者のAnd Andy Hertzfeldは,この精鋭たちの間でも特に知られた天才の一人です。ただ,例えばBill Atkinsonのような神がかり的な人ではなく,それでも我々の目線に近い普通の人であったことが,この本を極めて親近感の近いものにしていると言えます。
Macintoshの誕生は,すなわち現在のパーソナルコンピュータの誕生と同義です。この本は,なにもなかった画面にある日マウスポインタが現れ,ウィンドウが開き,アイコンが並んで,少しずつその誕生までの過程をつぶさに見る事の出来る,まさに歴史絵巻であるといってよいでしょう。
多くの人は,Steve Jobsの人となりを再発見してそこに目を奪われるのではないかと思いますが,本当に大事なことは新しいものを生み出すエンジニアの情熱と苦労を,読み解くことではないかと思います。そして,その状況は20年経った現在においてさえ,どんな現場でも必ず見られる光景なのです。
(3)ハードウェアハッキング大作戦
オライリーがこんなくだけた本を出すんだなあと驚いて買ったのですが,高い割にはつまらんなあ,が第一印象です。買ってまで読むべきものはないと思います。
ならなぜ私は買ったのか,ですが,これはもう,海の向こうのホビーストに,大いなる親近感を感じたからに他なりません。
海外のホビーストの実力は,実は恵まれた環境にある日本に比べて数段上であることはいろいろな局面で感じることが多いのですが,そこに金儲けやら犯罪やらを目指していない,無垢な情熱があることが特に私の心に響きます。
その昔,確かにパソコンはアメリカのホビーストが始めた手作りコンピュータに端を発していて,日本はその背中を見てここまで来たわけですから,なにも不思議なことはないかも知れません。
しかし,日本には秋葉原があります。かの国人々でさえも憧れるという秋葉原がある日本で,しかし彼らの実力と情熱に追いつかないとは,情けない限りです。
楽しいからやる,面白いから頑張る。この単純で当たり前のことが,やはり日本では気迫になっているとそんな風に感じます。
この本は,おそらくMake:を出すきっかけになった本ではないかと思うのですが,大衆文化としてのDIYが認知される社会とは,やはり成熟した市民社会の特徴であると,そんな感想を持ちました。
てわけで,私が不安に思っているのは,あのオライリーがこういう訳のわからん本を兵器で出すようになったことが,先々この会社を窮地に陥れなければいいなということです。新しい顧客を開拓することが大事なことに疑問はありませんが,一方でそれは安定した固定ファンの反感を買うこともしばしばです。オライリーが本当に期待されていることをおろそかにしないことを,心から望みます。