先日,ふとD2HとK10Dが懐かしくなり,防湿庫から取り出してみました。電池も再充電して手にとってみました。
正直なところ,K10Dはあまり楽しくなかったのですぐに使うのをやめたのですが,D2Hはやっぱりテンションの上がるカメラです。
最初は小さいLCDと押しにくい十字キーに閉口し,縦位置のAF-ONボタンの押しにくさに戸惑って,数えるほどしかないAFの測距点にため息をついては,やっぱり新しいカメラはよいものだなと思ったのですが,実際に撮影を始めてみるとすぐに慣れてきました。
D800が来る前はD2Hが主力機だったわけで,慣れるもなにもないという気はしますが,ちょっと手の届くところに置いておくと,やっぱりいいなあと思うこともしばしばです。
例えば筋肉質のボディ。D800にバッテリーグリップを付けたものより小振りなのですが,D2Hはカメラの底部(ちょうど顎のようになっているところ)の高さが小さいので,ちょうど左右の手のひらでホールドできる部分に来ます。特に左手の手のひらにしっかり乗る感覚は抜群で,トータルでデザインされたプロ用機と,バッテリーグリップを取り付けなければならないカメラとの差を強く感じます。
8コマ/秒の連写速度もさすがとしか言いようがなく,パラパラというシャッター音を聞けば,もっとシャッターを切りたいと思うようになります。この感覚は昔から変わりません。
AFの測距点の少なさはAFロックをしてから構図を決めればいいだけですし,メモリカードの遅さ(なんとマイクロドライブです)も,たかだか400万画素ですから気になりません。LCDの小ささと発色の悪さだって,構図を確認するだけと割り切ればよいですし,そもそもRAWで撮影するのが前提のカメラなのですから,撮影時にきちんと確認出来る必要もありません。
よく考えてみると,AF-S50mmF1.8Gやシグマの35mmF1.4といった新しい世代のレンズは,D2Hで使った事がないのです。50mmなら75mm相当で中望遠ですし,35mmなら50mm相当ですから,開放F1.4のカリカリ標準レンズという未知のレンズになります。
400万画素という低画素機で,こうしたレンズの違いがどれくらい出るかを試す目的もあって,2日ほど撮影してみました。レスポンスはよく,撮影も楽しく出来るのは間違いないです。
しかし,心配なのは,やはり最終的な画質です。いくらRAWとはいえ,1枚1枚手作業で調整をするのも骨が折れますし,そうしないと満足な画質にならないというなら,やはりD2Hは使えないカメラになります。D2Hが主力だった頃は,ホワイトバランスも1枚1枚,グレー点を探して合わせていたんですよね。
しかし,これも冷静に考えてみると,D2HのRAWをLightroom5で現像するのは,初めてなんですね。
まず,プロファイルをいろいろ試して見ます。Adobe Standardはちょっと赤が沈むので私はあまり好きではありません。階調も深く,陰影が付きがちなので,被写体が子供の場合にはあまりかわいらしく撮影出来ません。
一通り試して見ると,Camera Portraitがなかなか良さそうです。そしてさらにレンズプロファイルでレンズの補正をかけます。
最後にホワイトバランスの調整です。かつてのようにグレー点を探すのも良いのですが,Lightroom5になって良くなったと個人的に思っているのが,ホワイトバランスの自動設定です。
かなり自然に,思ったようなホワイトバランスになってくれます。印刷したときの色の転びも少ない印象ですし,下手に自分でいじくるよりは,よい結果が出てくるように思っています。
もしかすると,Lightroom4からなにも変わっていないかも知れませんが,以前は自動では全然駄目だったのに,Lightroom5なら大丈夫になったというのは事実で,私は今は信頼を置いています。
D2Hは高感度撮影が全然だめですので,ISO400までがせいぜいです。しかし,ISO400で撮影してちゃんと調整すると,適度なノイズを残して現像されるのです。この適度というのが結構ミソで,ちょっと言い過ぎかも知れませんが,まるでフィルムのような粒状感で,不規則で粒が細かく,まるで点描で描いたようなぼやけた背景が,F1.4開放のレンズの性能の高さと相まって,実に望ましい画像になって出てきます。
400万画素は確かに低画素ですが,2Lくらいまでなら全然大丈夫ですし,6つ切りでもいけるんじゃないでしょうか。少なくとも,まずは葉書サイズで印刷して楽しんでいる私には,これで不満はありません。
D2Hをこうして見直した私ですが,大事な事は2つあって,1つは現像ソフトが進化すれば新しい画質に生まれ変わる可能性があるということ,もう1つはやっぱりカメラはレンズなんだということです。
前者は,10年ほど前からずっと思っていたことですが,ハードウェアが進化して計算能力が向上し,これを活用して新しいアルゴリズムの画像処理が実現することで,当時では考えられなかった高画質が得られるようになる可能性があると私は考えていました。だから画像データはRAWで出来るだけ残すようにしていたのです。
古いRAWを最新のソフトで現像して高画質化するという話ではありませんが,古いカメラでも画像処理を最新にすることで,ここまで使い物になるカメラに甦るというのは,うれしい話です。
古いデジカメはセンサを交換することが出来ませんから,フィルム時代のカメラがフィルムを最新にすることで高画質になっていくということとは違う話かも知れませんが,かつてのフィルムが画像処理の一部を内在していたと考えると,現像ソフトが最新になることで今どきの画質に生まれ変わるというのは,そろそろ「クラシックデジカメ」が出てきてもおかしくない昨今において,新しい楽しみ方になるような気がしてなりません。
そして,結局レンズだという事実です。例えば,ニコンDfというオールドレンズでの使用を考慮したデジカメは1600万画素です。これ以上あっても良くないし,これ以下でも良くないというバランスを取った結果なんだと思いますが,私もこの画素数には共感するものがあります。
これに比べると400万画素というのは,あまりに少ないです。印刷時の画素数としては十分だとしても,レンズの個性を取り込むには少ないと,誰もが思うことでしょう。
しかしこれがまた不思議なことに,レンズの個性は,画素数の大小にだけで取り込めるかどうかが決まるようにも思えないのです。ある程度の画素数は必要でしょうが,同じ400万画素でもレンズの差が分かるカメラと,分からないカメラがあるのです。
D2Hは昔から,画素数以上の解像感を持つといわれたカメラでした。解像感とはまたなんといい加減な言葉かと思いますが,本来なら空間周波数をサンプリングしたことで確実に落ちる周波数もあるはずだし,量子化によって落ちるコントラストもあるはずですから,デジタル機器が,デジタルによって課せられる制約を超えることは絶対にありません。
それでも,私はD800を主力機に据えると思います。どんな被写体でもそうですが,その一瞬をとらえたデータは,資産であり財産です。その情報量は,出来るだけ多い方が望ましいのですが,これは今使わないから将来も使わないとは限らないからです。
事実,D2HはRAWでデータを残すことで,最新の画像処理を行うことが出来ます。D800も,将来最新の画像処理を行うことで,見違えるような画像を手に入れるかも知れません。画素数は単純に情報量です。可能な限り多くの情報を残す事が,そのデータの将来的価値を決めるように思います。
さてさて,さっき楽しくなかったと書いたK10Dですが,これは1000万画素で実用性もあります。レンズもFA43mmLtdなどよいものがあるので,本当ならD2Hよりもずっと使い物になるはずなのですが,嫌だなと思ったのはやっぱりカメラとしてのキレの悪さでした。
レリーズからシャッターが落ちるまでの時間の長さ,シャッターのキレの悪さ,メモリカードへの書き込みの遅さによって画像の確認まで随分と待たされるテンポの悪さが,しんどいのです。
つくづく,カメラとしての完成度の高さが重要だと思いました。
うーん,そうするとK10Dこそ買い換え対象なのかな・・・K-3か・・・