エントリー

2011年12月の記事は以下のとおりです。

中国製コンデンサ容量計の精度を追い込む方法

  • 2011/12/22 17:46
  • カテゴリー:make:

 以前書いたコンデンサ容量計の話です。

 StrawberryLinuxのキットと,秋月などで売られている安価な中国製のキットを買って,どちらも一長一短があることを書きました。

 StrawberryLinuxのキットはコイルの測定が出来ることが最大の売りです。コンデンサの容量計としては,精度の良い測定範囲が狭いので,いまいちです。

 一方の中国製キットは,元になった回路の原理から,測定範囲にあまり関係なく本来精度の良いものが出来るはずですが,調整箇所がないため精度を追い込む事が出来ません。

 この中国製のキットは安価であり,組み立てやすく,実用性もあるというので,ちょっとしたプレゼントにも最適と思っているのですが,精度についての不安があって,安易にプレゼントしたりおすすめしたり出来ないなあと,まずは自分で作った物を調べ直してみることにしました。

 被測定コンデンサは,先日特価で購入した岡谷製のフィルムコンデンサで,0.047uF(47nF)で誤差1%のものです。よって,このコンデンサの真の値は46.53nF~47.47nFまでの間にあるはずです。

 これを,StrawberryLinuxの容量計で測定すると,約48100pFと出ました。かなりオーバーしています。この容量だと誤差は±3%になるらしいのですが,元のコンデンサの誤差である1%も加えて,45.12nFから48.88nFの範囲に入って欲しいので,ちょっとまずいですね。

 次に中国製のキットです。46.3nFと出ます。47nFに対して1.5%ほど低い値ですが,コンデンサの誤差1%と容量計の誤差2%を考慮すると,十分な精度と言えるでしょう。

 最後に,秋月で買ったチップ部品用のテスターです。これはなかなか重宝しています。値は46.6nFでした。真の値に対し1%以内ですので,これも一応信じることが出来そうです。

 ということで,中国製のキットは測定も楽で,使いやすくて便利なのですが,もう一声欲しいところです。調整機能があれば1%のコンデンサで調整をするのですが,そういう訳にもいきません。

 一応,精度を決める抵抗の値を測定してみました。片側の足を切って測定を行ったところ,どれも誤差は1%以内でした。結果としてこの精度を実現出来ているようです。

 クロックも測定しましたが,数pFの容量を持つプローブを当てると周波数が変わるはずですので,あまりあてにはなりません。それでも12MHzでしたので,これも全然問題ないでしょう。

 最後に電源電圧ですが,三端子レギュレータの都合か,4.9Vと少し低めに安定化されていました。大きくずれていますが,このキットは電圧が安定していれば,高いか低いかはあまり精度に影響しないようになっていますので,あまり問題にしなくてよいでしょう。

 そこで,なんとか調整を行う方法を考えてみます。

 各部の抵抗値や電圧に問題がない以上,あまり勝手なことをやるわけにはいきません。

 そこで,最初はR13の10kΩを可変してみたのですが,あまり値が変化せず,この案はボツにしました。

 考えてみると,仮にこの抵抗を0にしても,本来ならVccの17%という計測開始電圧が0Vになるだけで,その差は大きくありません。また,10kΩが10%変化して9kΩになったところで,Vccの17%がVccの15.8%になるだけですので,見た目にほとんど変化が現れて来ないかも知れないですね。

 ということで,今度はVccの17%と50%の両方の電圧を生成するのに共通の抵抗,R15を可変してみます。39kΩがついていますので,33kΩと手持ちの関係で20kΩの半固定を使って見ます。

 今度は上手い具合に,びしっと調整が出来ました。0.01uF,0.1uFの1%を測定し,10.0nFと100nFという値を得ました。また,0.001uFの5%品を測定すると,1.01nFという値が出てきました。うーん,なかなかいんじゃないですか。

 この状態で他の0.047uFを測定すると,どれも1%以内に入ってきます。

 ということで,このコンデンサ容量計をきちんと調整したい方は,R15を可変するような仕組みを入れて見て下さい。

自炊の是非

 スキャン代行業者2社を作家7名が提訴というニュースが入ってきました。7名の作家というのは,まさに日本の文学/マンガ界を代表する方々です。当然ファンも多く,私も大好きな方がいらっしゃいます。

 この方々がスキャン代行業者という「グレー」な存在を違法として提訴した事の意味は,結構重いなあと私は思っています。それは,電子化されていない本を電子書籍として読みたいという欲求から生まれた「自炊」を源流として誕生したものだからです。

 今回の提訴はあくまで業者に対してあり,自炊そのもの,あるいは電子書籍そのものを対象にしたものではありません。しかし,作家の皆さんの記者会見を見ていると,それらを否定する意見が出ていることもまた事実です。

 私は,場所がないという切実な理由で増やすことが叶わなくなった本を,自炊という手段によって買い続けることが出来るようになった人間です。本屋が好きで本が好き,読む本がなくなると不安になり,常に手元に1年分くらいは読む事の出来る本を積んでおくのが常となっている人間として,電子化と自炊というのは,まさに福音でした。

 本を買い続けるためにやむなく自炊を行うに至り,結果として私は,捨てる本,自炊して中身だけは手元に残す本,残す本の3つに分類することになりました。先日も書きましたが,つまらない本は自炊されることもなく捨てられますし,残す価値のある本は紙のまま手元に残ります。

 あくまで私にとって「つまらない」かどうかですので,ここは作家の方や出版社の方には,一個人のふるいにかかっただけの取るに足らない話と笑い飛ばしてくださっても良いし,たった一人の読者からでも末永く愛され手元に残してもらえるような本を作っていこうと考えてくださってもよく,そしてそれはとてもありがたいお話です。

 で,先に書いておきますと,どうも今回の提訴の論旨と,原告団に加わった7名の作家の皆さんの狙いが,かなりバラバラであるなあと感じるのです。なぜそれが提訴の主旨に繋がるのだ,という疑問を持つ方の意見も,私はあるようの思うのです。。

 さらに,原告団に加わった理由に,論理性がないように感じた方もいらっしゃいました。裁判が感情論抜きで行うものではない以上,感情的に提訴されることは問題ではありませんが,裁断された本を見て心が痛むから提訴,というのは,ちょっと短絡的だなあと感じざるを得ません。

 作家の方が本を自分の子供のように思うのと同じように,自動車の設計者には自動車が解体されるのを見るのは辛いだろうし,ミュージシャンが自分のCDの粉砕されるのを直視できるとも思えません。私だって自分の設計した製品が廃棄されるのを見るのは辛いです。

 それら個人的な想いはいずれも尊く,互いに尊敬し合うべきものだと思います。ですが,それらは作り手にとっては唯一無二であっても,一方で大量生産される工業製品でもあります。廃棄や裁断は,唯一無二のものとして行われるのではなく,あくまで工業製品として行われることに,気が付くべきです。

 多くの人の手間をかけ,お金をかけ,時間をかけた製品が廃棄されるのは忍びないものですが,それが廃棄されることや裁断されることを「悪」とする理由には,残念ですがなりません。自動車は工芸品であると同時に移動手段だし,CDは作品であると同時に音楽を入れる器です。同じように,本は作家の紡いだ文章を収める器です。

 器は中身と共に大切なものです。特に日本の本は,編集,印刷,製本に至るまで,本当に美しいものです。頭理のことですが,中身だけが大事だとは思いません。

 ですが,本はもうかさばって,そのままで置いておくわけにはいかないのです。可能であるなら,本が好きな人としてやはり実体にこだわりたいですが,状況がそれを許しません。

 ならお金持ちになればいい,というのも一理あるのですが,現実的な問題として,中身も残さず捨てることになったであろう本が,技術の進歩で中身だけはなんとか残せるようになったと考えると,電子化や自炊が私をどれほど救っているか,分かって頂けるでしょうか。

 ということで,先に私の考えを書いてしまいましたが,少し自炊と電子化,そして代行業者について私なりの結論を書いてみたいと思います。


(1)前提

 まず,前提としてですが,法律に触れてはなりません。これは当たり前のことですので,いちいち細かい事は書きません。


(2)生み出す人に対する尊敬と感謝

 生み出す人,すなわち文学なら作家,マンガなら漫画家,音楽なら作曲家や演奏家,自動車なら設計者,写真ならカメラマンに対する尊敬は,法律の次に大事にされるものだと思います。

 それぞれ,他の人には出来ない事を,その特殊能力によってなし得ているわけで,おかげで我々は自分だけでは決して手に入らないものを手にすることが出来るのです。

 ものを作るというのは,とてもエネルギーがいるものです。しかもエネルギーだけではダメで,その人にしかない能力を使ってもらう必要もあります。同じエネルギーでも,作る人によって結果に大きな差が出るのは,当然のことです。

 ここで大切な事は,みんなそうだということです。作家の方だって自動車に乗るし,野菜も食べるし,パソコンだって使うわけですが,言うまでもなく作家の方々が一人で自動車も野菜もパソコンも作る事はできません。

 それぞれの製品,それぞれのサービスに,それを専門とするプロがいるから,社会全体が豊かになります。だから,私は作家を尊敬するのと同時に,農家を尊敬しますし,自動車の設計者にも敬意を持っています。そして,私自身も,きっと誰かから尊敬を受けていると思っています。

 このように,生み出す人に対しての尊敬は,自分には出来ない事をやってもらっているという感謝の気持ちから生まれるのだと思います。そしてもう一歩進めて,自分も他の人が出来ない事をやって誰かの役に立っているのだ,という誇りから,人間らしく尊厳を持って生きることに,繋がって行くのでしょう。

 このように,生み出す人に対する尊敬と感謝は,全ての人が行うもので,かつ全ての人が受けるべきものであるのです。

 この概念は,法律で決まっているものでもないですし,常識やモラルとして一般化したものでもなければ,教育されるものでもありません。しかし,自分の仕事を大事にして欲しい気持ちは誰にでもあるわけで,つまりは作家や漫画家だけの特別な話ではないということを,1つの尺度にしてはどうかと思います。


(3)電子化は?

 電子化というのは,つくづく考えてみると,なかなか難しい概念です。

 本は電子化しても,その本質に変わりはありません。紙で読んでもiPadで読んでも文章は文章であり,面白い文章は面白いし,面白くない文章は面白くありません。

 しかし,彫刻はどうでしょうか。彫刻を電子化する,例えば三次元スキャナで数値化したものに,価値はあるでしょうか。私はないと思います。彫刻は実体そのものに価値があるからです。

 それは,量産品か一品物かによる違いでしょうか。なら,レプリカが大量にある彫刻の数値データには価値があるでしょうか。これも私はないと思います。

 さらに進めて,プラモデルの数値データに価値はあるでしょうか。製造者や設計者には最重要のデータですが,私たち消費者にはあまり価値がありません。

 では,本のうち,実体に価値があるもの,例えば絶版で新品が手に入らないものだったり,美しい写真や手の込んだ装丁を持つものはどうでしょう。これは確かに実体に価値があります。

 一方で,同じ印刷物の極端な例を挙げてみると,新聞はどうでしょうか。新聞は読んだ直後に新聞紙として別の価値が生まれ,ものを包んだり梱包材にしたりします。これは昔々,それこそ戦前から変わらないことですが,新聞の本来の役割である,文章と情報についての価値は,すぐに消失しまうわけです。

 すでに触れましたが,私だって好き好んで電子化をしているわけではなく,場所の確保と新しい本を買うために,やむなく電子化をしています。本という実体を残しておければ,それが一番いいのは言うまでもありません。

 しかし,現実がそれを許してはくれない場合,本の価値のうちどれを最重要と考えるかによって,残すものを選ぶ事が技術の進歩で可能になりました。あくまで所有者である私個人が,電子化することでも価値の本質が維持されると判断出来た場合に,電子化が行われます。

 だから,所有者が私でなければ電子化されずに実体が残るでしょうし,もしかすると電子化されることなく実体も処分されるかもしれません。

 つまり,あくまで,所有者の価値観にのみ依存するという結論になります。こうした主観的な考え方に立脚する場合,法律や社会通念上の問題がなければ,個人の自由が尊重されるべきでしょうし,他の人が価値観を押しつけてとやかく言うべきではありません。仮にその本を生み出した作家であっても,です。

 1つのアプローチとしてですが,同じ書籍であっても,電子化されるかされないかがそれぞれの価値観によるという結論から考えると,電子化してオリジナルを廃棄してしまうことが出来ないくらい,多くの人にとって魅力的な本を作ることで,相対的に電子化された本の価値を下げることは出来ないでしょうか。

 通常のコミックの単行本は廃棄できても,愛蔵版は廃棄しにくいものです。
 

(4)自炊は?

 電子化の手段の1つとして自炊を捉えるなら,これは許されるものです。言うまでもありませんが,法律に違反しないこと,そして生み出す人に対する尊敬と感謝を持って行うことが前提です。

 ただ,自炊という行為が持つ意味を,可能な限り考えておくことは必要かも知れません。自炊はディジタルデータへ変換ですし,複製作業でもあります。電子書籍端末で利用するためのフォーマット変換という見方もあれば,非可逆圧縮という見方もあります。

 そしてそれぞれの見方によって,メリットもデメリットも変わって来ます。複製なら違法コピーで一儲けも出来るでしょうし,非可逆圧縮なら膨大な書籍をアーカイブすることが出来るようになります。そもそもディジタルデータへの変換によって,世界中のどこにいてもネットワーク経由で読む事が出来るようになるし,検索という大変な機能が手に入ります。

 それら全てを,十把一絡げにして「良い」「悪い」と論じてしまうのは無理があるし,当然利害関係が複雑になるので,調整など出来ません。

 私個人は,自炊の結果生まれるデータは劣化したコピーであり,オリジナルの紙の本の足下にも及ばないと思っていますので,自炊の結果にどれほどのメリットあろうとも,決して自炊がお得になるような事態は起こらないと考えています。

 だから,あくまで「自炊」,つまり個人で行う限りにおいては,堂々と行ってよいと思います。そして自炊をする人は,自炊によって発生する問題が発生しないように,きちんとした責任を全うせねばならないでしょう。

 これはつまり,毒物を扱う人間が正しく管理を求められることと同じです。社会的な責任を負うのだという自覚が,自炊を行っている人の間にどれほど根付いているかは,私にもちょっとわかりません。


 
(5)自炊代行は?

 前述のように,自炊には大きなメリットがあります。それまでなら,置き場所がないという現実に対する解として,完全に処分するか置き場所を確保するかの二択だったものが,技術の進歩によって中身を残しつつ処分するという第3の手段を選択出来るようになったわけです。

 自炊によって失われる本の価値と,スペースが確保出来るというメリットを比べて,どちらが特かをその所有者が判断するという原則から考えると,自炊という選択肢は否定されるものではありません。

 しかし,自炊には,結構な負担があります。

 最初に裁断という作業ですが,綺麗に大量に裁断するには裁断機が不可欠です。しかし裁断機は大きく重く,加えて高価です。本を数冊処分して出来るスペースに置けるようなものではありません。かなりの数の本を処分出来る人だけが,裁断機を購入出来るのです。

 高価な道具は,共同所有して有効活用しようとなるのが自然なことで,その延長に裁断機を貸し出すことや,裁断を代行することを商売にする人が出ることも,それはごく自然な事です。もちろん,裁断機を扱う時間を軽減すること,裁断機を使うことで発生する危険を回避することも,人によっては大きな価値があるでしょう。

 次にスキャンを考えましょう。スキャナも安くなったとは言え,それでも5万円程度しますし,PCの整備にもお金がかかります。それ以上に,スキャンには時間もかかれば,綺麗にスキャンを行うためのノウハウも必要です。

 それらを代行しましょうという話がでれば,それまで自炊をしたくても出来なかった人が,そのメリットを享受できるようになります。これはこれでとてもよいことです。

 だから,純粋に自炊の代行だけなら,私は問題ないと思います。この,純粋にというのがミソでして,彼らに支払われる対価が,純粋に代行だけであるかどうかが争点でなければならないと思います。

 もちろん,市場原理でその対価は決まるでしょうから,一律いくらという話にはならないと思います。しかし,極端に高い料金であったり,逆に処分すると偽って他に転売したスキャン済みの本の売却益を見込んで料金を引き下げることは許されません。

 そうなると,もはや利益を追求しない,実費のみで引き受けるボランティアのようなケースでしか現実的には成り立たなくなってきます。私はこの結論はとても大事だと思っていて,非営利の場合についてのみ,自炊代行は許されるのではないかと考えるようになりました。

 そんなバカな話はない,そう,その通りです。こんなバカな話はありません。つまり実質的に自炊代行は,存在出来ないと言うことになるのです。


(6)スキャン後の本の扱いは?

 スキャンの後に裁断された本ですが,ここがちょっともめるところのようです。

 複製が合法であるのですから,スキャンを行ってもオリジナルを持つことは許されるので,当然処分する必要などありません。つまりあれです,オリジナルのバックアップをスキャナで取ったということです。CDをリッピングするのと同じことです。

 本がアナログである以上,デジタルコピーに該当しません。スキャンしたデータは,本来本が持つ情報から大幅に欠損しているわけですし,オリジナルとコピーが全く同一だからDRMをかけるというデジタルコピーの議論は,ここでは必要ありません。

 ただし,これも個人の場合に限られます。他人に配ったり販売するなどの行為は明らかに違法ですので,これはもう論外です。

 ですので,スキャンした後の本は,当然所有者が持つべきです。

 なら,所有者は,このオリジナルを売却してよいかどうかです。

 というのは,かつてレコードやCDが,カセットテープやMD,最近だとCD-Rにコピーされた後に中古品として買い取られていたという現実を考えたいからです。カセットやMDは劣化コピーですが,CD-Rについてはほぼ完璧なコピーです。

 この行為は,個人での複製を許した著作権法に厳密には違反します。しかし,中古品として売った時に家中の複製を廃棄するというのも,個人レベルではまた非現実であって,黙認されてきたわけです。

 では,本の場合はどうでしょうか。まず,個人レベルでの複製は許されていますから,自炊して電子化することは問題ありません。

 この電子データを販売することは,言うまでもなく違法です。お金儲けを行うという事は,すでに個人レベルの話ではなくなっています。

 では,オリジナルである裁断済みの紙の本を販売することはどうでしょうか。お金儲けを行うのですから,もう個人の話ではなくなっています。よって,アウトでしょう。

 では,裁断済みの本をレンタルするのはどうでしょうか。CDやDVDと同じです。

 この話には2つの問題があります。1つは,CDやDVDのレンタルには,レンタルしても良いという許可を得て行われていて,その対価がレンタル業者から支払われている点です。

 注目すべきはお金の問題と言うより,レンタルを合法化して,かつ関係者がみんなそれなりに潤う仕組みをちゃんと構築したことです。本にはこういう仕組みがありません。

 ではそういう仕組みを作ろうとなるのですが,これが2つ目の点で,レンタルのCDやDVDはコピーだけが目的で行われているわけではなく,買うほどではないがちょっと聴いてみたい,見てみたいという要求にも応えることが出来るのに対し,裁断した本というのはもはやスキャンを行うことにしか,使い道がないものなのです。

 買うほどではないがちょっと読んでみたい,という人は,図書館で本を借りるでしょう。しかし借りた本は裁断するわけにはいきませんので,実質的に電子化することやコピーを取ることは難しいでしょう。本は,その形によって用途が絞り込まれるのです。

 それでも,その本を電子化せずに,本当に裁断しただけであれば,違法性はありません。ですが,ここから先は,生み出す人に対する尊敬と感謝という観点で考える事になるでしょう。

 対価を払って購入し所有権を有する人間が,法律に触れない範囲で裁断したものを売却する行為は,確かに問題ないかもしれませんが,裁断済みの本はスキャンされる,つまり複製されることが明確であり,他の用途には使われません。

 複製が違法になる可能性がある以上,複製しかできない状態の本を販売することは,やはり違法行為を助長するものです。このことと,生み出す人に対する尊敬と感謝とが,およそ両立するとは思えません。

 これには弱点があって,生み出す人に対する尊敬と感謝は義務でも責任でもないので,これを持たない人に対する抑止力にはならないですし,そもそも持たない事を非難できません。

 だから,ルールを作りましょう,良いことと悪いことをはっきりさせましょう,ということで,訴訟という道具を使うことになったのだと,私は考えています。


(7)ということで

 長々と書きましたが,自炊と自炊代行について深く考えるきっかけになりました。

 基本的には個人レベルで行う自炊に問題はありませんが,そこには当然社会的な責任が発生します。もちろん,自炊の結果によってお金儲けを行うなどというのは,すでに個人レベルの話ではなくなっているという点でも,違法であることは明確です。

 当然,自炊をすることで失うものは大きいですから,自炊をして得かどうかは,その人個人の価値観によります。だから,ある人にとっては自炊後廃棄されるものであっても,別の人にとっては何十万円出しても手に入れたい本だったりするのです。だから,自炊や裁断,廃棄という行為そのものを,他の人がとやかくいう事ではありません。

 しかし,自炊があくまで個人的な範囲で行われるべきものである以上,自炊の代行そのものに違法性はないとしても,お金儲けになってしまってはいけませんから,非営利団体の仕事になります。よって営利企業の業務としてはアウトです。

 また,裁断と自炊が個人の範疇で行われる事に限定されたのですから,裁断後の書籍はあくまで個人の管理下にあります。これを販売することは個人の枠を越えますし,違法行為を助長するというモラルの点でも許されません。これは犯罪に使われかねないものを持ってしまった人間が果たすべき義務です。言うまでもなく,スキャンによって発生した電子データを配布,販売することが違法であることは明白です。

 そして,これらの最終的な判断基準には,法律と共に,生み出す人に対する尊敬と感謝があってしかるべきです。そして生み出す人への尊敬と感謝は,自分にも向けられているものであることを忘れてはなりません。


 意見の対立も利害の不一致もあるでしょうが,実は関係者の最終目的は,素晴らしい作品を読みたい,読んでもらいたい,に収れんします。これらを推進できる話には基本的には反対の理由はありませんし,これらを満たさない形では,どんな対策も本末転倒です。

 最終的な目的で食い違うことはなく,ただその方法が違っているだけの話です。最終目的にくいちがいがなければ,必ず良い方法があります。それは,生み出す人への尊敬と感謝と,法律によって許されているかどうかという2つを軸にすることで,生まれてくるものであると確信します。

古書の値段と価値

 年末を迎え,そろそろ大掃除やら散らかった部屋の片付けやら,らやねばという気持ちが徐々に高まってくる時期になりました。

 家にあった本屋雑誌の多くは,すでにScanSnapでPDFになっており,かなりの数が電子化されたのですが,空いたスペースに新しい本が入ってしまうので,結局あまりスペースが出来た気になりません。

 そこで,折を見て,スキャンする基準の引き下げを行うのですが,現在残っている本は高価だったり思い入れがあったり,続き物で揃っているものだったりするので,ここで安易にスキャンして廃棄してしまうと,ちょっと後悔してしまいます。

 特に,絶版となり古本としてそこそこいい値段で流通しているものもあるので,それらを「邪魔」という理由で安易に処分するのは,所有する人間の責務として慎むべき所でもあります。

 ということで,この年末にまた基準の引き下げを行い,10冊程度のスキャンを行う予定でいるのですが,今回から念のため,amazonでの価格を調べてから判断することにしました。

 するとまあ,ビックリするような値段の本が出てくるのです。ちょっと紹介しましょう。新品の価格よりも高い値段がついていて,これ以下で買うのはちょっと大変かなあと思うようなものを数点選んでみました。

・オーディオ系
オーディオ用真空管マニュアル 26000円
世界の真空管カタログ 6750円
オーディオDCアンプ製作のすべて 下巻 10800円
真空管オーディオハンドブック 12800円
クラシック・ヴァルヴ 13173円
ステレオ装置の合理的なまとめ方と作り方 3759円
内外真空管アンプ回路集 6249円
真空管活用自由自在 4366円
音楽工学 17980円
現代真空管アンプ25選 9798円
直熱&傍熱管アンプ 4800円

 「オーディオ用真空管マニュアル」はラジオ技術社から出ていた時代から定番となっていたデータブックです。その後インプレスから発売になり,私はその頃に買いました。既に絶版となっているのですが,なにかというとこの本から引用されるので,未だに人気があります。それにしても,26000円はないですよね。
 
 そもそも,20年ほど前ならいざ知らず,今は真空管のデータなどいくらでもネットで調べることが出来ます。データブックを持つ事の価値は確かにあると思いますが,それにしても26000円なんていう値段はちょっとなあ,と思います。

 「オーディオDCアンプ製作のすべて」は,かの有名な金田アンプの本ですが,なぜか下巻の方が随分値段が高かったので上巻は挙げませんでした。どうも,自作オーディオの世界では,金田アンプは宗教的なようで,本も高値で取引されるし,部品も高値で偽物まで出回ります。恐ろしいことです。

 この中で,「クラシック・ヴァルヴ」だけは良い本だとおすすめしたいです。無線と実験の連載で,著者のコレクションである珍しい真空管に,ヒーターだけともして撮影されたものなのですが,真空管の黎明期の貴重なものも多数あり,資料性は極めて高いと思います。

 あと,「音楽工学」が目立つ値段ですが,これはオーディオの世界では古典的名著と言われたもので,かのオルソン博士によるものです。音や音楽を工学的見地で論じたものですが,この本によってオーディオの世界が電子工学の世界とリンクしたといって良いと思います。今は絶版ですが,やはりオーディオを長く趣味としている人間としては,原典に触れないで語ることには参りません。
 

・コンピュータ
Apple2 1976-1986 19950円
COMPUTER PERSPECTIVE 8000円
アップルデザイン 21800円
X68030 Inside\Out 6000円
Outside X68000 8000円
Inside X68000 6119円
わかるマシン語入門 PC-6001/6001mk2 5000円
マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004 14243円
復活!TK-80 7500円
レボリューション・イン・ザ・バレー 3800円
PC‐E550・PC‐1490U2活用研究 6145円

 さすがといいますか,Appleとmacintoshに関係するものは,高値になる傾向があります。「Apple2 1976-1986」は写真が中心の本ですが,程度のいいApple2を探すだけでもそれなりに大変な21世紀に,ウォズへのインタビューを加えて発売されたことに,価値があると判断されていることを私はうれしく思います。

 「アップルデザイン」は,もともと高価な本でしたが,それだけにあまり数も出ていないのかも知れません。アップルデザインといいつつ,フロッグデザインが中心となった本ですが,試作機やデザインコンセプトなど,興味深い写真も多くあります。でも,この値段はどうでしょうかね。

 「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004」は言わずとしれた,嶋正利さんの著作ですが,どういうわけだか復刊されることも,文庫になることもなく,随分前から高値安定という本です。怖いもの知らずの若者がアメリカに乗り込み,泥だらけになって世界を変える技術を開発するという,躍動感あふれる名著だと思うのですが,これが広く読まれないことはとても残念です。

 あと,「COMPUTER PERSPECTIVE」ですが,これは本当に良い本です。もともとIBMが開催した展示会をまとめた本ですが,1890年代から1940年代のコンピュータを貴重な写真と共にまとめてあります。コンピュータの歴史書としては,この本が1つの基準になるのではないでしょうか。

 「復活!TK-80」はそんな価値のある本とは思いませんし,X68000関連の本も,突然値上がりしたり二束三文になったりするのでなんとも言えません。ただ,「Outside X6800」と「X68030 Inside Out」は,ハードウェアの解析に普遍的な手法が記述されているので,とても参考になるものだと思います。

・カメラ
ニッコール千夜一夜物語 3900円
ニコンファミリーの従姉妹たち 3350円
カメラメカニズム教室〈下〉3500円
コンタックス物語 3800円
写真レンズの歴史 8000円
クラシックニコン完全分解修理手帖 9000円

「ニッコール千夜一夜物語」「ニコンファミリーの従姉妹たち」「カメラメカニズム教室〈下〉」「コンタックス物語」「写真レンズの歴史」はいずれもアサヒソノラマから出ていたクラシックカメラ選書です。アサヒソノラマが解散し,これらの本は引き継がれずに絶版となりました。

 なかなかいいシリーズだったので残念なのですが,資料性に乏しい,定年したオッサンの回顧録に過ぎないなど,つまらない本は数百円で売られています。その一方で過去の名著の復活,カリスマ設計者の自伝や,熱狂的なファンがいるメーカーの本,資料性の高いものはちゃんと高値になっていて,ほっとします。

 「ニッコール千夜一夜物語」「ニコンファミリーの従姉妹たち」はニコンの技術者が明かした裏話で,カメラやレンズを単なる工業製品としてだけではなく,それを作った人の想いや背景を丁寧に書き起こしていきます。特に前者は,すでにベテランとなった一流のレンズ設計者が「素晴らしい」と思った過去のレンズをとりあげ,その設計者と設計思想に,尊敬と感動をもって迫るすがすがしさがあります。

 「写真レンズの歴史」は確かに名著で,今日のような高性能写真レンズに至るまでの流れが一望できるものです。レンズの発明や設計は,かつては個人の能力に強く依存していて,一握りの天才の存在がまさに世界を変えた時代が長くありました。工業製品であるレンズと設計者という個人をリンクし,かつその技術的な解説まで試みた本という点で,単なる年表に終わっていないことは高く評価されると思います。


・電子工作
アマチュア無線 自作電子回路 4500円
自作電子回路テキスト 6000円
ビギナーのためのトランシーバー製作入門 7989円
松本悟のデジタル・ゲーム製作集 6000円
エレクトロニクス333回路集 5250円
エレクトロニクス301回路集 6988円

 電子工作もホビーですので,やはり著者のファンが欲しがる傾向が強いように思います。

 「アマチュア無線 自作電子回路」「自作電子回路テキスト」はJA1FCZ大久保忠OMによる電子工作の本で,ミニコミ誌で連載された回路を掲載してあります。さすがFCZ研究所を主宰され,多くの自作アマチュア無線家を育てた方だと思いますが,だからこそこういう本を絶版で放置するのは惜しいと思うのです。

 「ビギナーのためのトランシーバー製作入門」はJA7CRJ千葉秀明OMの本ですが,続編となるSSB編と共に名著だと思います。千葉OMは80年代からメーカー品に劣らない完成度を持つ自作アマチュア無線トランシーバーを高い再現性で実現していた方で,多くのノウハウを駆使して雑誌に多くの製作記事を発表されていましたが,この本はその集大成とも言える内容になっています。

 「松本悟のデジタル・ゲーム製作集」は,初歩のラジオを中心に製作記事を発表された松本悟先生の本です。この頃,値段も下がって手に入りやすくなったC-MOSの4000シリーズを中心としたデジタルICを使って簡単なゲームを作る事がブームになりましたが,松本悟先生の設計した回路は非常に洗練されていて,独創的でありながら,再現性に優れていました。

 最後の回路集の2冊ですが,1950年代から1970年代くらいまで,こういった回路図集が根強い人気を持っていました。プロの電子回路設計者がこれらの本を参考にしていたのですが,今眺めてみると,その当時の部品や回路技術がよく見えてきます。


・楽器
DXシンセサイザーで学ぶFM理論と応用 27666円
最新エフェクター入門―15センチのサウンド魔術師 7000円

 楽器の世界も摩訶不思議です。今でもギターのエフェクタを作る工作の本はちょくちょく出ているのですが,楽器の世界は古いからダメ,という世界ではなく,古かろうが安かろうが,いい音がすればそれが正義ですので,古い本にも現役並みの価値があるわけです。

 一方で,復刊することはほとんどなく,それは出版社が倒産したりするからかも知れませんが,どっちにしても音楽雑誌の出版社にとって,電子工作の本を作るというのは,その読者フォローも考えると,あまり積極的にはなれないのかも知れません。

 「DXシンセサイザーで学ぶFM理論と応用」はヤマハから出ていた本で,著者の一人はFM音源の開発者である,かのジョン・チョウニング博士です。FM音源は現在でもソフトシンセを中心に使われている音源ですが,実はその音作りや基本原理をちゃんと解説した本は少なく,FM音源の初期に登場したこの本が現在でも教科書として使われているのです。

 ちょっと考えてみると,今の若い人が体系的にFM音源を学ぶ機会はそう多くないはずで,言ってみれば40代に偏った技術なんではないかと思うのですが,この本を復活させることがFM音源というシンセサイザーを,人的に支えるために最低限必要なことではないかと,そんな風に思います。

 「最新エフェクター入門」は誠文堂新光社から出ていた本で,初歩のラジオなどに掲載された回路が出ています。他のエフェクター自作本と違い,どちらかというとミュージシャン視点ではなく,音楽が好きで楽器も演奏する工作好きを対象にしたもので,ゲルマニウムトランジスタやビンテージワイヤを無闇に指定して再現性を引き下げるような今時の工作記事より,その合理性という点でとても好感が持てます。

 実は,amazonでは価格が出ていなかったのですが「エフェクター自作&操作術 V3.1」も私は持っています。雑多な感じがしますが,とにかくたくさんの製作例が登場していて,元を正せばこの本に行き着く,という回路も珍しくありません。

 出版社がもうありませんので,復刊は絶望的と思われますが,出来ればもっと多くの人の手に渡るとよいなあと思います。


・ゲーム
横井軍平ゲーム館 50155円
レイストーム (ゲーメストムック Vol. 53) 4200円

 ゲームの世界もマニアックで,例えばBASICマガジンの別冊であるALL ABOUTシリーズの初期のものなどは,随分と高く出取引されているようです。

 「横井軍平ゲーム館」は,ゲームウォッチやゲームボーイ,ワンダースワンの開発者として知られる任天堂の横井軍平氏を取材した本です。ほとんど同じ内容で復刊しているので値段も下がっただろうと思ったのですがそんなことはなく,こんな非現実な値段がついています。

 私はこの横井軍平氏という人を技術者として師と仰いでいて,枯れた技術の水平思考を自らの指針として来ました。そのきっかけになった本ですが,まさかこれほどの本になっているとは思っていませんでした。

 「レイストーム」は,当時死ぬほどやり込んだレイストームの本です。攻略本と言えばそうなのですが,今や伝説となったゲーメストの出版社,新声社のムックですから,復刊の見込みはありません。

 とはいえ,もう過去のゲームですし,とっととスキャンして捨てようと思ったのですが,実はそれなりに値打ちがあると分かって残してあります。確かに,開いて見てみると,懐かしさがこみ上げてきます。

 思い出せば,1995年頃までは,秋葉原でもゲームのお店が盛況で,たくさんの客がいたものです。本屋さんでも攻略本は重要な位置を占めていましたが,今はマンガの横っちょに,ごくわずかの本が列んでいるだけです。


・ガンダム
GUNDAM CENTURY RENEWAL VERSION―宇宙翔ける戦士達 7249円
ガンプラ・パッケージアートコレクション 5970円

 ガンダムは息の長いコンテンツで,かくいう私も子供の頃には随分とはまったものでした。今にして思えば,モビルスーツが体系的に開発されて来たという歴史をちゃんと設定してあり,自動車や航空機,あるいはカメラや鉄道車輌のような整理された世界が作られていたことが,私の脳みそを刺激したんだろうと思います。

 その設定を事後に後から裏付けた本が「GUNDAM CENTURY」ですが,1980年代初期に登発売されたこの本がようやく復刊したときに買った本が,もうこんな値段になっています。

 まあその,2001年宇宙の旅とか,スタートレックのような本格的なSFと違って,科学的な緻密さをガンダムに期待するのは無理がありますが,スペースコロニーやモビルスーツという,ガンダムの鍵となる技術について,それなりの説明を行っていることは,とても面白いと思います。ガンダムを知るなら,楽しく読めるのではないかと思います。

 もう1つ,「ガンプラ・パッケージアートコレクション」ですが,これはガンダムのプラモデルである「ガンプラ」のボックスアートを集めた画集です。もともとプラモデルのボックスアートには,それ単独で評価される作品性が存在しますが,私の場合それだけではなく懐かしさも手伝って買うことにしたものです。

 私が言うまでもないことですが,ガンプラはボックスアートという点でも画期的でした。背景は暗い単色のトーンでグラデーションがかかっており,他のメカはほとんど描かれていません。

 ミサイルが飛んだり,家を踏みつぶしたりと言った表現が全く行われず,暗く重厚なイメージを与えるボックスアートは,他のどれとも似ていない独自の世界がありました。つまり,見た瞬間にガンプラと分かるものだったのです。

 「超絶プラモ道」などで,パチモノプラモの存在がにわかにクローズアップされましたが,中身はそれまで販売されていた怪獣のプラモデルそのままなのに,ガンプラブームがやってくると箱だけをガンプラ風にしたパチモノプラモがたくさん出てきます。

 以後,プラモデルのボックスアートのあり方が大きく変わったと言ってもよいでしょう。ガンプラの前後でプラモデルは大きく変わりましたが,ボックスアートもその1つだったというわけです。


 
 こうしてみると,高値になる本には,一定の規則性がありますね。1つは強い趣味性があること。そしてそれが大人のホビーであること。お金があるから高値になるのですね。

 そして,学術的な資料性の高さよりは,著者やテーマなどに,個人崇拝があること。その人の本だからというコレクション性も重要な要素のようです。

 そして,なにより中身が面白い事。面白いだけではなく,その面白さが語り継がれることです。同じように絶版になったシリーズでも,面白くない本はゴミですし,面白い本は宝物となります。無名のオッサンの自伝で,しかも似たような話が複数の本になっていたりすると,評価は下がるものです。

 実は,今回調べる過程で,すでにスキャンして廃棄した本のなかに,随分と高価なものがいくつか見つかりました。悔しいなあと思っても後の祭りです。概して年月を経るほどに古書の値段は上がるものですし,廃棄した当時よりも今の方が値段が高いというのは,まあ当たり前の話ではあります。

9R-59とTX-88A物語 9800円
オペアンプIC実験と工作マニュアル 4000円
マイコン手づくり塾 4999円
マイコンストーリー 5200円
プロ電子技術者のコモンセンス 18000円


 とまあ,いろいろ書きましたが,そもそも私は本を売ることはしない人ですし,私の本の価値は私が決めるものだと思っている人なので,どうでもいいことだということに,はっとさせられました。

Optio RS1500を5000円で買う

  • 2011/12/16 17:21
  • カテゴリー:散財

 昨日のことですが,GOPANの小麦グルテンとプリンタ用の写真用紙を買って帰ろうと,家の近所の家電量販店に寄り道しました。小麦グルテンは三洋からパナソニックに発売元が変わるらしく,面倒なので三洋製の物があるうちに1つ買っておこうと思いました。

 幸い在庫はいくらでもあり,1箱手にとって写真用紙を選び,レジに向かうとなにやらタイムセールをやっています。

 目をやると,デジカメ5000円!と書いてあります。何人か人が群がっていますが,そこにあるカメラはカシオのカメラです。全く個人的な理由で,カシオのカメラはただでもいらないと思っているので,その場を立ち去ろうとしたのですが,目に入ってきたのは「PENTAX」と書かれた箱でした。

 1つだけあったその箱には「Optio RS1500」と書かれており,カラフルな着せ替えカメラが印刷されていました。なかなか楽しそうです。

 どさくさに紛れて5000円の対象ではないカメラが混じることはしばしばあることで,一応箱を見てみると5000円の値札が貼ってあります。元々の値段が安いカメラでしょうが,それでも5000円ですからね,安いです。

 なんとなく気になって箱を手に取りましたが,スペックは14MピクセルでHD動画撮影可能,3倍ズームで広角27.5mm相当という具合に,基本性能は十分なものを持っています。

 しかし,いくら5000円とはいえ,使う予定もないデジカメを増やすというのもなんかもったいない話です。

 先日嫁さんのお母さんが家にやってきたときの「カメラだらけね」というつぶやき(でも防湿庫を見たわけではなかったそうです)がリフレインし,そもそも使うのか?と自問した結果,私はその箱をそっと元の位置に戻すことにしました。

 すると突然,はっぴを着た威勢のいい店員さんが「色は白です!手ぶれ補正もあります!」と,そんな売り文句で誰が買うねん,と思うような声をかけてきます。あと少しでタイムセールは終わりのようで,出来るだけ売り切ってしまいたいのでしょうね。

 買わないでおこうと思った私ですが,店員さんの声で反射的に,箱を置こうとした手を引っ込めてしまいました。これは,もう何かの縁です。このPENTAXは私に買って欲しいと訴えています。

 ということで,買うことにしました。この猥雑な空間から,助け出すに等しい行為でした。店員さんは,「クリスマスですから」と小さいチーズケーキを手に取り,一緒にレジに列んでくれました。

 店から出ると,私は冷たい風に顔をなでられ,我に返りました。

 確かに,5000円という値段で日本メーカーの現行のデジカメというのは,安い。しかし,安いものにはそれなりの理由があるもので,それが残念な結果になる可能性は否定できません。

 ただ,ふと私(我々)の持っている小型デジカメのラインナップを思い出すと,

PENTAX Q
SIGMA DP1s

 ・・・なんじゃこりゃ。

 OptioSもありますがやっぱ300万画素は心許ないですし,CoolPixS6は,どうもレンズ性能が今ひとつで,画質も気に入りませんし,レスポンスが悪すぎて撮影する気が失せます。

 PENTAX Qは,嫁さんが使うのに,という理由で買買ったわけですが,嫁さんはどうもPENTAX Qに手軽さを感じないらしく,あまり使ってくれません。やっぱ,魚眼がどうの,AdobeRGBがどうの,RAW現像がどうの,と嬉々としてPENTAX Qをいじくり回す私を見ていて,なんか違うと思ったのでしょう。そう,なんか違うのです。

 小型軽量,ズーム搭載,JPEGオンリー,押すだけで綺麗に撮れる,というごく普通のコンパクトデジカメが我が家には1つもなく,それが嫁さんの撮影意欲を削いでいたのかも知れません。

 嫁さんに限らず,カメラを趣味として使っていない人は,時に素晴らしい写真を撮影することがあります。視線が新鮮ですし,褒められるように撮ろうなどというスケベ心がなく,実に素直です。

 彼らは難しいことを考えないので,カメラにとってはかなり不利な条件で撮影されることがありますけども,それも技術の進歩で問題にならなくなっていきます。手ぶれ補正,高感度,顔認識AF,オートホワイトバランスなどなど,技術的な失敗が少なくなるように進歩したコンパクトデジカメには,強い存在感があると思います。

 そんなことを考えつつ,とりあえず嫁さんに渡すと,珍しく興味を示し,充電を始めています。嫁さんは初代OptioSがお気に入りで長く使っていましたから,その末裔だと知ると,ぐっと親近感がわいたようです。

 私も興味があったので手にとってみました。いくつか思った事を書いてみます。

・とってもチープ

 発売時の価格が1万円ちょっと,現在は6000円台のカメラだけに,とってもチープです。とても軽く,プラスチッキ-で,極端に小さいわけでもなければ,ボタンの感触も心地よいものではありません。

 ですが,これがこのカメラの持ち味だと思います。

 むしろクセのないスクエアなデザインは,若い人から年寄りまで使う人を選ばず,下品なメッキパーツが全くないこともとても好印象です。

・手頃な大きさ

 初代OptioSは今でも小さいなあと思うのですが,このOptioRS1500はそれほど小さいわけではありません。今時のデジカメとしては標準的な大きさでしょう。重さは120g程度ということで見た目よりもとても軽く,拍子抜けします。

 大きさがある程度あるので持ちやすいのですが,左側の天面に指かけと思われるくぼみがあるのが,個人的には気に入りません。コンデジは右手でシャッターボタンに指をかけ,左手は大画面化したLCDを避けるため人差し指と親指でつまむように持つ人が多いのですが,これは脇も開くし,不安定で手ぶれがでがちです。

 ですから,左手の人差し指と親指でL字を作り,ここにカメラをのせてから,右手をそっと添えるように持つのが理想です。PENTAXほどのカメラメーカーが,わざわざ指かけまで作って良くない持ち方に誘導するというのは,ちょっとどうかなあと思います。

・着せ替えは実に面白い

 かなりの数の着せ替えシートが同梱されていますが,個人的にはクラシックカメラ風のシートが気に入りました。

 AdobeAirをインストールしなければなりませんが,メーカーからもオリジナルのデザインシートを作るツールが用意されていますし,自分で作ってしまうことはなんでもありません。AsahiPENTAX時代のフォント,AOCOロゴ,そして瞳に王冠のマークなど,往年のPENTAXファンにはたまらないパーツを駆使して,思わずにやっとしまうようなシートを作りたくなります。

 といいますか,個人的にはですね,初代OptioSのフロントパネルをスキャンして印刷するとか,秋月の透明プラケースに入ったキットを撮影して印刷するとか,ちょうど撮影者の目の部分にレンズが来るように構えたときにカメラに隠れた顔を印刷して「なんちゃって光学迷彩」にするとか,見た人が「あれっ」と思ってもう一度よく見てしまうようなデザインシートを作りたいです。

・レスポンスはいい

 電源投入から撮影開始までの時間も短く,レリーズタイムラグも短いと思います。良く出来ているなあと感心しました。レンズが飛び出してくる時間も短く,なかなか軽快です。

・レンズ

 35mm換算で27.5mmという広角域からの4倍ズームは,おいしい実用域をカバーします。一応smcPENTAXというブランドになっているので,一定の光学性能は満たしているのでしょう。

 レンズ構成は5群6枚で,うち非球面を3枚使ったズームレンズですが,性能と言うより低コストを狙った非球面でしょうね。私も詳しいことは知りませんが,コンパクトデジカメはレンズ交換しませんから,そのレンズ専用の画像処理を行う事が出来ます。だから,画像処理で補正可能な収差はあえて光学的には改善させず,画像処理では向上が難しいレンズ性能を引き上げたり,コストダウンを行ったりするそうです。

・基本性能はもう十分

 4倍ズームに14Mピクセル(これうちで一番多い画素数です),ストロボ内蔵,オートシーンセレクトに顔認識AF,ISO6400までOK,HD動画と,もう機能的には十分でしょう。手ぶれ補正は光学式ではなく画像処理で行うもので利き具合もいまいち,不自然な補正にちょっと常用は厳しいように思いますが,一応一通り揃っているという感じです。ここから先はもう,好みの問題になると思います。

・液晶は最悪

 液晶は3インチで32万画素です。一昔前のアナログテレビ並みの解像度というのを割り引く必要はありますが,それにしても視野角の狭さ,色の悪さ,コントラストの低さには,ものすごく悪い印象しか残しません。安いカメラですからやむを得ませんが,これだけ悪い液晶が未だに存在しているんだなあと驚いたほどです。

・操作系

 概ね他のPENTAXの機種と似たようなものなので混乱はしませんが,1つだけとても困ったことがあります。グリーンボタンです。

 グリーンボタンはユーザーにはとても好評で,今やPENTAXのアイデンティティとも言えるものですが,その実ただのファンクションキーに成り下がったケースも少なくありません。

 また,ただ緑色のボタンというのは,知らない人には全く機能を想像出来ないボタンな訳で,それが一等地に配置されていることには,なんだかPENTAX教に入信する熱心な信者を対象にしているような妙な囲い込みを連想して,ちょっと気分が悪いです。

 そのグリーンボタンですが,このカメラでは設定を標準的な初期状態に一発で切り替えるボタンにアサインされています。どの設定を変えたかなあと思い出すのも面倒な最近の多機能デジカメにはありがたい機能のように思いますが,戻して欲しくない設定だってあるわけです。

 私のケースでは,ストロボの発光禁止です。赤ちゃんの撮影にストロボは御法度ですが,発光禁止に設定したあと,うっかりさわったグリーンボタンのせいで設定が復活し,盛大にストロボが光ったのです。

 ストロボの発光禁止というのは,ストロボを発光させてはいけない場合にわざわざ設定するものであり,その影響が自分ではなくむしろ周辺に及ぶために,マナーとしても失敗が許されないものです。

 また,ストロボ発光禁止のような機能はマニュアルを読まなくても現場でさっと設定出来ることを望まれるもので,それが本人の意図しない形でいつの間にか解除されて光ってしまうということは,私は問題だと思います。

 それに,グリーンボタンを押して設定が戻っていることを示す表示が,LCDの左上の緑色のマークというのは,何が何だかわかりません。緑色のマークからストロボ発光禁止が解除されたことを連想できる人は,説明書をきちんと読んで覚えている人だけでしょう。

 グリーンボタンを,動画のボタンにアサインし直したために,うちではこういう問題は起きなくなったのですが,ストロボを光らせてはいけないところで光ってしまうと,カメラそのものを禁止するところも出てくるでしょう。

 本人が気をつけることはもちろんですが,本人の知らないところで設定が「勝手に」変わることが,カメラそのものへの非難に繋がらないことを祈るばかりです。

・撮影画像

 ちゃんと評価している訳ではありませんが,1万円程度のデジカメの写真は,随分良くなっているのですね。色や歪みの補正が強烈にかかった印象は否めませんし,ノイズを潰すために高域をカットしてなんとなく眠い画になっていることも,見た目のシャープネスを稼ぐためにエッジを微分で立てて白い縁取りが出ているのことも,安価なデジカメのお約束です。ですが,トイデジカメになる一歩手前で踏みとどまっているのは,やはり老舗カメラメーカーとしての良心でしょう。

・結局のところ

 5000円なら間違いなくよい買い物ですし,現在の相場である7000円弱という価格なら十分納得のいくカメラだと思います。しかし,1万円を越えるカメラという事になると,ちょっと厳しいかなあというのが個人的な感想です。

 液晶の悪さには我慢が必要ですし,全体的な質感の低さはラフに使える気軽さの源泉ですが,それには安いという事実がなくてはいけません。

 それにつけても,この着せ替えというのは実に楽しいです。なかにはすぐに飽きるという人もいるようですが,コロコロと着せ替える楽しみもあるし,愛着のわくデザインシートで末永く使うというのもありでしょう。見方を変えるとメーカーがデザインを放棄したとも言えなくはありませんが,そのかわり工具無しで気軽にシートを交換出来る仕組みや,デザイン用のツールを無償配布しているのですから,積極的に楽しむべきでしょうね。

 
 ということで,5000円ですからね,そこまで安くならなくてもいいんじゃないかと,そんな風に思いました。5000円で売ることが本当にメーカーの望みだったのか,そうしてまで売らねばならない理由とはなんなのか,ちょっとそんな気もしました。

 同時に,カメラの価値がぐっと下がって,もしかすると写真の文脈が次の世代から違ったものとして解釈される可能性があるかも知れないなあと,そんな風にも思いました。

 それはちょうど「写ルンです」が世の中に出てくる前と後,のようにです。

 

CoolScanVEDを久々に使って見る

 
 久々にネガフィルムのスキャンをしなければならなくなりました。

 引っ越しをする少し前から,時間がなくて自家現像をしなくなってしまいました。久々にまたやりたいなあと思っているのですが,毒性のある薬品を使う以上,それなりに考えないといけないこともありますので,躊躇しています。

 銀塩のフィルムを使って撮影する機会もほとんどなくなったのですが,子供が生まれたときの写真はぜひネガフィルムで撮影して,将来プレゼントしようと思っていました。2011年生まれで,生まれたときの画像を銀の粒子で記録された人はおそらく少ないはずで,形を持たないデータよりは,適切な保存さえ行えば長く残る実体をぜひ残したいなあと思っていました。

 それで,生まれる前の母親の写真をF100とAiAF85mm/F1.8で,生まれた瞬間はCLEとNoktonClassic40mm/F1.4で撮影したのです。フィルムは前者がRealaACE,後者がCenturiaSuper400です。

 肝心なCLEでの写真は,色温度が低い方に転んだ光だったことで赤色にかぶり,また暗い室内だったことで絞りをあけざるを得ず,NoktonClassicの特徴である絞り開放の時の眠たさが悪い方に効いてしまいました。あと,CLEは自作の自動露出回路の動作がいまいちだったのでしょうか,全体に露出不足なコマが多いです。

 意気込んで撮影した割には今ひとつな結果だったのですが,まあそれもやむを得ません。

 てなわけで,この2本は急ぎ写真屋さんで現像してきたのですが,いくらネガで残すとは言え,画像そのものはコンピュータ上で扱いたいところです。そこで今や骨董品となったCoolScanVEDを引っ張り出すことにしたわけです。

 ところが,MacOSX10.7 Lionでは,PowerPCのコードの実行環境であるRosettaが廃止されてしまいました。CoolScanVを動かすソフトであるNikonScan4はPowerPCのコードで書かれています。(もっといえば,なんとCarbonです。もう化石に近いです。)

 NikonはCoolScanシリーズのサポートをもうやめていますので,新しいOSで動作するソフトを用意してくれる可能性はゼロです。VueScanという優秀なシェアウェアを使うという手もありますが,これまでにスキャンを行ったネガと同じ条件でスキャンをしておきたい気もしますので,出来れば純正のNikonScan4を使いたいところです。

 そこで,MacBookProに古いOSを入れる事にしました。手持ちのMacOSX10.5のDVDから起動を試みますが,立ち上がりません。よく考えたら私のMacBookProはMacOSX10.5.2がプリインストールされていましたから,立ち上がらないのも道理です。

 付属のDVDから起動して,外付けのHDDへインストール。続けてアップデートを続けざまに行って10.5.8にしてから,NikonScan4をインストールします。もちろんColor munki displayでディスプレイの校正は先に行っておきます。

 過去の設定ファイルなどを移行して,ようやく数年ぶりにCoolScanVEDを正常に動かすことが出来るようになりました。

 F100で撮影したネガは大きな補正をかけずとも使える結果になりましたが,これからスキャンを行うCLEで撮影したネガは,かなりいろいろと修正をしなければだめだと思います。NikonScan4は古いソフトですが,幸いにして16ビットのTIFFで保存が可能ですから,とりあえずスキャンした結果をPhotoshopかCaptureNX2で補正していくことにしましょう。

ページ移動

  • ページ
  • 1
  • 2

ユーティリティ

2011年12月

- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

過去ログ

Feed