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2008年11月の記事は以下のとおりです。

D2Hこれすなわち試練の道

 先日の連休,私は高校時代から長きにわたって続く親しい友人の結婚式(正確には披露宴ですね)に出席をするため,実家のある大阪に戻っていました。

 誰が言ったか知りませんが,高校時代の友人は一生の友人になるという話を耳にしたのが中学生の頃,当時は半信半疑だった私も,実際に多感な10代の頃に出会って以来,ずっと親しくできていることに,やっぱりその話は本当だったのかもなあと感慨深いものを感じています。

 式が近づいたある日,新郎から突然電話をもらいました。いわく,写真係を頼めないか,と。

 プロがいるんじゃないのか,と話をしましたが,身内の親しい間で写真を撮るというアットホームな感じにしたいということで,私がぱっと思い浮かんだらしいのです。

 もとよりD2Hを動員し,新郎と新婦の何気ない仲むつまじさを切り取れたら,写真立てに入れてプレゼントしようと思っていたところだったので,もちろんokしたわけですが,プレッシャーになったのは5,6人ずつのグループで新郎新婦を囲んで記念写真を撮り,みんなに配る予定だという話です。

 つまり,失敗が許されません。写真そのものの出来は言うまでもなく,写っている人すべて(ということは参加者全員)がある程度の納得をしてもらわないといけないわけで,多少の失敗はいいか,というような気楽な気持ちでは取りかかれません。

 しかし,私の機材はD2Hです。400万画素というケータイ以下の画素数に盛大なカラーノイズ,狭いラチチュード(そういえばラチチュードという言葉を最近見なくなりました)にボロボロのJPEG出力と,まさにじゃじゃ馬。成功には努力と運が必要です。

 ですが,うまく決まったときのD2Hの吐き出す画像の素晴らしさは筆舌に尽くしがたく,RAWからCaptureNX2で丁寧に現像すると,眠っていた豊富な情報が掘り起こされ,画素数以上の解像感が浮かび上がってきます。

 それは切れ味の鋭い刃物のようなシャッター音と,相手を威嚇するかのような攻撃的な大きさと形から,写真を撮る側と撮られる側との間に,決定的な緊張感が生まれる結果であるからかも,知れません。

 ・・・てな話を別の友人にすると,「まあとりあえず,空気読めといわれるな」と,速攻で冷や水を浴びせてくれました。実にありがたい。

 不安は山ほどあります。レンズは無難に18-200VRでいきましょう。暗いレンズですし室内ですからストロボは必須なのですが,あいにくSB-400というしょぼいものしか持っていません。

 SB-800の中古はなかなか見つからず,オークションでも競り負けた私は新品を買うほどの余裕もない現実に絶望しつつ,SB-400でもどうにかなるだろうと根拠のない自信を連れて,当日を迎えることになりました。

 特に打ち合わせもリハーサルもなかったのですが,披露宴が始まって周りを見てみると,一眼レフのデジカメは私以外にもう一人くらい。彼もニコンでした。多くはコンパクトデジカメでしたが,いわゆるNEO一眼という富士フイルムが勝手に呼んでいる高級デジカメもあったりして,さすが晴れ舞台だと思いました。

 それと,やっぱり携帯で撮影する人は皆無でした。あれですかね,携帯で撮るのはもしかして失礼にあたったりするんでしょうかね。

 そんなことはさておき,会場をざっと見てみました。

 会場は,大阪でもよく知られた「太閤園」というところで,なかでも築95年という大変に歴史のある「羽衣の間」というところでした。非常に立派で,和風な結婚式には最高の舞台と言えるのですが・・・私は冷や汗が背中を流れていきました。

 古い建物にありがちですが,天井が非常に高いのです。ストロボのバウンズを行うには,より大きなパワーが必要になりますが,SB-400のような小さなストロボはますます不利になります。

 しかもその天井が木でできていて,反射光が赤くなるのです。試し撮りをすると,盛大に赤かぶりがでています。念のためグレイカードを持ってきておいてよかったです。

 そして致命的だったのは,欄間で一定区画ごとに天井が仕切られており,バウンズさせた光がその区画内でしか広がってくれないのです。つまり被写体と私とが同じ区画にいる必要があり,これは強烈な足かせとなります。

 この段階で逃げ出したくなっていたのですが,加えて全体的に暗く,外光を取り入れる窓もほとんどありません。さらに照明は高い天井から丸い電灯がいくつかぶら下がったもので,もしその電灯が画角に入ると,露出がその「点光源」に引っ張られてどアンダーになるというやっかいな状態です。もちろん白熱光ですので,赤みがかった色になっています。

 他の式で活躍するプロの方を見かけましたが,やはりSB-800クラスの大きなストロボを使っていますね。本格的にやばいです。

 こうなったらバウンズを使わず,直接光で勝負するか,と,ガーゼのディフューザーを輪ゴムで取り付け,ばしっと試し撮り・・・だめです。強烈な影が出てくるのと,色のかぶり具合が複雑になり,後の補正が難しそうです。それに,被写体がまぶしそうな顔をしています。

 ええい,もうストロボなんかやめじゃ,200mmで1/4秒を手ぶれしない(もちろんVR併用です)私の実力で,スローシャッターで撮るぞ,と意気込んだものの,相手は動く人間です。被写体ぶれがひどくて話になりません。

 ISO感度を400に上げるという禁じ手を使い,天井の区画に気を遣いながら,私は公式カメラマンとしての役割を果たすべく,ケーキカットはもちろん,挨拶の皆さんの撮影もなんとか済ませていきました。1段程度アンダーになりますが,これはもう現像の時点でノイズを消しながら増感するという手作業でしのぐしかありません。

 しかも,集合写真では司会の方が仕切ってくれました。私が写真を撮影したという事実は,私の名前と共に記憶されることになりました。もう逃げられません。

 こういう危機的な状況で3時間あまりの披露宴が終わり,私はどっと疲れて帰ってきました。

 まあ,プロじゃありませんし,難しい条件だったんだから仕方がないよ,と自らを慰めつつ,240枚ほどの写真をMacで見て,私は事態の深刻さに恐怖しました。

 やっぱり暗いです。1段持ち上げただけではちょっと足りませんが,すでに1段持ち上げただけで暗部のカラーノイズがワシワシでています。男性の礼服は黒ですので,なおさら目立ちます。

 それにストロボの光がちゃんと回っていません。バウンズを使ったので白飛びはないのですが,シャドウが絶望的です。

 天井の区画に制約を受け,やむなくズームレンズの画角で構図を調整した結果,集合写真でも広角側を多用することになってしまっていて,結構派手な樽型の歪曲収差が出てしまい,端っこの人の顔が真円になっています。これは本当にまずい。

 絞りは開放ですので,シャープさももう一声欲しいところですし,被写界深度も浅めになったせいで,集合写真で後ろの列の人の顔は,本当に眠い感じなっています。

 ストロボの充電時間が間に合わず,D2Hの真骨頂である連写は全く役に立たず,単に相手を威圧しただけに終わりましたし,あくまでストロボを補助光として使うように,高感度設定が実用になるD3か欲しいと,この時ほど思ったことはありません。

 そんなこんなですっかり構図に気を回すゆとりがなく,新郎新婦を囲んだ集合写真では,最前列の大きな花束が半分くらいしか入っておらず,あまりにぞんざいな印象です。他にも頭から角が生えたり,首を横切る線があったり,意味不明な反射光がおでこに入っていたり・・・

 とにかくこれは「素材」なのだと自分に言い聞かせ,CaptureNX2で現像して仕上げていくしかありません。

 しかし,プロは現像なんかやってる時間はありませんし,枚数が膨大ですから,やっぱりJPEGで撮って出しができないと,商売にならないんだなとつくづく感じました。D2Hのように,JPEGが実用にならないカメラは,あくまで趣味のカメラなんだということです。JPEG出しの重要性が身にしみました。

 そうこうしているうちに,別の友人がカシオのコンパクトデジカメで撮った写真をレタッチもせずに送ってくれました。

 ・・・良く撮れてる。

 あかん,これは完全にやばい。というか,最近のコンパクトデジカメは,本当に失敗しないんだなあと,その出来の良さに感心しました。少なくとも,結婚式にD2Hは絶対にやったらダメですね。

 240枚のうち,救いようのないカットが半分,残りの半分はなんとか救出可能ですが,そのうちのほとんどは写真として面白くありません。結局1枚だけ,60点くらいの写真が出てきましたが,実に成功率は0.5%以下という有様です。
 
 済んだことですから仕方がありません。コツコツと現像して,なんとか印刷可能な写真に仕上げて,次に繋がる失敗としたいと思います。新郎新婦ご親族の皆様すみませんでした。

 ということで,末永くお幸せに。

 

なにもしないのに腐っていく電池を許せるか

 ふとしたことから知ったのですが,私の使っているMacBookProとMacBookは,電池を抜いてACアダプタのみで使用するときは,CPUの処理能力が半分程度低下しているようです。

 以前から知られている事だったようですが,こないだ出た新しいMacBookやMacBookProでもこの仕様は引き継がれているようで,少しだけ話題になっているような感じです。

 恥ずかしながら私,この事実を知りませんでした。噂レベルの話だろうと思っていたら,なんとAppleのサポートページにもはっきりと「低下します」と書かれているんですね。

 理由は,ACアダプタのみでは電源の供給能力が不足し,突然落ちるからだそうで,それでクロックを落として消費電力を押さえているということです。裏を返すと,2.5GHzの最大パワーを得るにはACアダプタだけでは電源が足りず,不足分を電池から補っているということです。

 ACアダプタの容量不足を極めて後ろ向きな方法で回避したこの話,設計者に後ろめたさがあることを信じ,消費電力の下がった最新の機種では性能低下も少なくしてあるはずだと期待した私は,実際にベンチマークを取ってみたのです。

 すると,ACアダプタだけで動作させると,測ったように綺麗に半分になったスコアが出てきました。てことは,Core2Duoの1.25GHz相当ですか・・・

 私は今まで,電池を抜いて使っていましたが,なんかあんまり速くないなあ,iBookG4の1GHzのPowerPCG4と体感的にあんまり変わらないなあ,と思って使っていたのですが,それは実に正しいということになりました。なんたるバカさ加減!

 うーん,私も仕事柄こうした問題にぶち当たることはしばしばありますが,いくら何でもACアダプタが小さいせいでカタログスペックを満たさないことを胸張って言うだけの厚顔さは持ち合わせていませんし,常識的にACアダプタを大きなものに変更して対処すると思います。

 私に言わせれば,消費電力などというのは単純な足し算で,小学生でもできる計算です。確かに「普通の使い方で何時間駆動できるか」という平均電力を考察するのは数学的にも経験的にも難しいものがありますが,今回の問題は最大電力ですから,やはりワーストケースの足し算です。

 また,本体を駆動しつつ,余った電力は電池の充電に使うというのは当たり前の仕様であり,そういう点からもACアダプタは少々大きめのものを使っても不都合はありません。小さい方が今回のようなおかしな制約をお客さんに強要するので問題です。

 値段が上がる?確かにそうですね。ACアダプタは容量が大きくなると価格も高くなります。ただ,容量と価格が比例するわけでもなく,段階的に上がる性格のものですし,もっというと容量の大小よりも数が出ている品種であることが大きく影響します。

 しかし,MacBookProのACアダプタは85Wです。これで足りない事があるなんていうのは,どういうことかなあと思ってしまいます。今年の初め頃には,同じ85Wのアダプタが小型化しているので,以前の大きさなら100WクラスのACアダプタを用意できるのではないかと思ったりするのですが,そうなると随分値段も上がるんでしょうか。

 てことで,電池を入れて使ってみると,これまでのもっさり感がウソのよう。こちらの思考にしっかり付いてきてくれる軽快さにちょっとした感動があります。特にデジカメの画像の編集には圧倒的な差が出てきます。

 あーーーー,これまでのイライラはなんだったんだ!

 そもそもどうして電池を外すのよ,そんな奴おまえくらいやろ,と言われると思うので,一応専門家としての耳より情報を(言い訳と共に)お伝えしましょう。

 ノートPCの電池は一般的に1万円から2万円と高価です。そして電池で駆動することをしなくても,1年から2年もすると電池が劣化していることを皆さんも経験していると思いますが,これは浅い充放電を繰り返しているせいです。

 最近のノートPCは昔と違って,充電と放電の管理が賢くなっていますから,以前よりも劣化が進みにくくなっていますし,VAIOのように劣化を防ぐモードが別に用意されていたりしていますが,リチウムイオン2次電池というのは,電気エネルギーと化学エネルギーを相互に変換する一種のエネルギー変換システムですので,化学反応をさせないことが一番よいことに代わりはありません。

 よく考えて欲しいのは,そもそも電池をノートPCが必要としている理由はなんだ,ということです。そうですね,外に持ち出すから,あるいは電源のないところでも使いたいからです。

 では,持ち出さない人,電源のあるところで使う人は,電池の価値を享受できる人と言えるでしょうか。否,断じて否。

 まして,15インチや17インチのLCDを搭載した大きく重たい高速なノートPCを,電池で動かさなければならないような場所で使うことが「普通」なのかどうか。

 ただ机の上に置いて使っているノートPCの2万円相当分が,勝手に腐って消えてなくなるのです。

 もちろん,電池を散々使っている人は別ですよ。消耗品として2万円の投資が可能でしょう。でも,電池を使わない人も,ただ本体に取り付けているだけで電池が劣化していくというのは,やっぱもったいないです。

 UPSとして使える?なるほど,突然の停電でもマシンは落ちません。これはメリットの1つでしょう。しかし,UPSって2万円くらいで買えますよ。停電してから電源が切れて困るのは事実ですが,復旧するまで停電前と同じ作業がこなせないといけない,まるで医療現場や軍用マシンのような状況が,我々にあり得るのかどうかです。

 しかし,時には電源が確保出来ない場所で使いたい場合もあります。停電で作業が止まると困ることもあります。そういう特別なときこそ電池で動くノートPCの出番ですが,そういうときに限って,電池が劣化して使えなくなっていたりするのです。ろくに使いもせず,劣化した電池を2万円出して買い直しますか?

 実に許し難い。

 そこで私は考えました。電池を外して,充電と放電が起こらないようにしておけば,2万円という高価な部品を劣化させず,意味のあるときだけその価値を償却できる,と。

 そもそも,冷蔵庫は何のためにあるか。室温では劣化してしまう食べ物を,できるだけ長く保存しておくためです。不必要なときには使わず,必要なときに使えるように「需給バランス」を調整するわけです。なぜ,2万円もする高価な部品にそれが許されないのか?

 ここまで辛抱して読んで下さった皆さんは,もうすっかり私の理論の虜でしょう。

 では,その「夢」をかなえる秘策を,安心を添えてお教えしましょう。


(1)電池は外して保存せよ

 2次電池に限らず,およそ電池というのは化学反応によって電気エネルギーを得ています。電子の流れが電流ですから,電流を引っ張り出せばそれだけ化学反応が進みます。化学反応によって劣化した電池の中の部材は当然復活しませんから,電流を取り出さないことが一番良いのです。


(2)冷暗所にて保存せよ

 電池は化学反応によって充電と放電を行います。理科の実験を思い出して下さい。明るい場所より暗い場所の方が,熱いよりも冷たい方が,反応は緩やかでしたね。今回は反応をさせたくないのですから,冷暗所です。もっというと,明るさや温度,湿度などの環境条件が一定している場所がよいです。


(3)50%程度の充電で保存せよ

 電池に充電が行われるということはどういう事かといえば,それはエネルギーを電池に突っ込むという事です。エネルギーを突っ込まれた電池は当然,高エネルギーの状態になります。高エネルギーになっているということは,それだけ内部の部材を変化させやすい状態になっているということです。できるだけ低いエネルギーで保存する,これが原則です。


(4)使ってなくても電池は減る

 何度も繰り返しますが,電池は化学反応で電気エネルギーを取り出します。化学反応が完全に止められればよいのですが,世の中完全はありません。勝手に化学反応が進んで,電池が少しずつ減ります。これを自己放電といいます。
 また,リチウムイオン2次電池については,充放電の管理にマイコンを内蔵しています。こいつがわずかずつとはいえ電流を消費しています。

 
(5)過放電は厳禁

 ところで,もし放電が進んで,これ以上反応できない程になったらどうなるでしょうか。そう,中の部材が元も戻らなくなるほど変化してしまうのです。そうすると,もう充電はできません。
 こういう,放電しすぎの状態を過放電と言います。乾電池でも液漏れをするのは,過放電のせいです。
 さあ,もうおわかりですね。自己放電のせいで保存していても勝手に電池は放電します。もしこの状態で放置して過放電になったら,もうおしまいです。
 だから,保存時に50%程充電しておくこと,自己放電が少なくなるように冷暗所で保存することが必要なのです。
 また,半年に一度くらいは電池の残り容量を確かめて下さい。


(6)劣化は使えば必ず進む

 充放電のサイクル寿命が300回とか500回とか言われていますが,実際そんな回数を使ったことがある人は少ないんではないでしょうか。そもそも寿命は,充電できる容量が半分になったときを「寿命が尽きた」と定義してあります。3時間持つマシンが1.5時間しか持たなくなって初めて「寿命」と言われるのですが,それで困るかどうかは人それぞれです。
 また,この回数というのは,充電と放電のサイクルの回数です。しかし,劣化は回数ではなく化学反応によって起こります。回数なんてのは目安にもならない目安だということです。


(7)極端な環境に置くな

 何度も何度も言いますが,電池は化学反応です。なかの部材や薬品の組成が変わってしまうと反応しなくなります。例えば冷凍する,暑い部屋に置いておくなどはもってのほかで,湿気が多いところ(水分が入り込むと反応して膨らんだり発熱したりします)や他の薬品(例えば防虫剤やシンナーなど)が空気中に漂っていそうな場所も厳禁です。


(8)分解するな

 当たり前の事ですが,分解は絶対ダメです。なんといっても危険です。指の1つや2つ飛んでいっても知りませんよ。
 元素の周期表を見て下さい。H->He->Liと,リチウムは世の中で3番目に軽い物質で,金属では最も軽いものです。これを化学反応に使う電池がリチウムイオン2次電池なわけですから,重量密度(単位重量当たりの容量)が理論的に最強になることは中学生でも分かる理屈です。
 そういう,超高エネルギーな物体を,ペンチで挟んで分解するなど,まるで爆弾を踏んづけるようなものです。恐ろしくてたまりませんね。
 そんな危険なものが家庭に入り込んでいることを,我々は実はもっと憂慮すべきなのかも知れないです。


(9)セルの交換をするな

 そんな恐ろしいリチウムイオン2次電池は,きめ細やかな充放電管理と,万が一の場合の2重3重の安全機構を併用して,初めて実用化されました。いわば原子炉みたいなもんです。
 その仕組みは,一緒に組み合わされるセルに最適化されています。だからもし,セルを全然違うものに交換してしまったら,安全な充放電をしないばかりか,万が一の安全機構も働かず,爆発することもあり得ます。あんな高エネルギーなものが爆発するんですから,自分だけでは済まないかも知れませんよ。
 え,形が同じなら似たようなもんだろう?いやいや,なんて恐ろしいことを。
 形はあくまで形。中身の組成が違うと,特性がごろっと変わります。
 以前よりも容量の大きいセルへの交換なら安全だろう?いえいえ,むしろ危険です。理由は次に。


(10)電池の容量が増えているのはなぜだ

 数年前に比べ,セル当たりの容量は随分大きくなりました。でも,この容量ってなんだって,感じたことはありませんか。
 容量というのは,Ah(アンペア・アワー)という単位で書かれます。1Ahなら,1Aの電流を1時間流し続けることができますよ,という事なのですが,実はまだこれでは定義として不足しています。
 電池は,これ以上電圧が下がると破壊する,という下限の電圧が決まっています。先程の過放電というのは,この下限を下回った電圧で放電が起こる場合をいいます。
 電池は(しつこいですが)化学反応ですので,急に電圧が出てこなくなったりしません。内部抵抗が増加して,徐々に電圧が下がります。
 で,容量の定義です。1Ahなら,満充電から1Aの電流を引っ張り,下限の電圧に達するのが1時間後です,という意味になります。
 では,容量を増やすにはどうすればいいか。確かに中に蓄えるエネルギーを増やすことも大事なのですが,同じエネルギーでも下限電圧を引き下げれば,それだけ容量が増えますね。
 こうして,最近の電池は,下限電圧を以前のものに比べて低くしてあります。以前のものなら過放電になってしまうような電圧まで,使う事が出来るようになっているのです。
 しかし,いいことばかりではありません。多くの場合,そういう特性の電池を作ると,電圧の下がるカーブが急になる傾向があります。
 以前の電池が3.2Vを下限とし,最新の電池が2.9Vを下限としたとします。最新の電池は2.9Vまで使えば以前のものより高容量なのですが,かつての下限である3.2Vには早く到達するというわけです。
 さあ,これでもう分かったと思いますが,3.2Vを下限としていた充放電管理システムに,2.9V下限の電池を組み合わせたら,電池を使い切ることができないばかりか,使い切っていない電池を使い切ったと認識して充電をします。やばいですね。
 充電は通常,初期の定電流充電と,後半の定電圧充電の2段階で行われます。もし定電圧充電が必要な領域で低電流充電のが行われるようなことがあると,極めて危険です。


(11)丁寧に扱え

 これだけ高いエネルギーを小さな容積に押し込んでいるリチウムイオン2次電池ですから,ショートなんかおこると大変なことになります。万が一にも爆発しないように対策を取ってありますが,それでも爆発や発火が起こった事件はまだ記憶に新しいところです。
 一概には言えませんが,電池の内部の構造は結構複雑で精度が高く,衝撃が加わったりなにか力がかかったりして変形すると,そこがショートに繋がることがあります。踏んづけるはもちろんのこと,落とす,叩くなどももってのほかです。
 また,傷が付いたりすると,液が漏れたり水分が入り込んだりして,火を噴いたり破裂したりします。特にラミネート構造のリチウムポリマー電池などは,セルで扱うことがないようにしたいところです。


 てなわけで,私はこういうことを実践して,3年近くiBookG4の電池を新品同様の性能で維持しましたし,購入して6年半以上経過したVAIO U1の電池もまだまだばっちり使えています。

 D2Hの電池もほとんど新品同様ですし,電池の劣化が進むことが許せない,メリットのない2万円もの投資に辛抱ならない諸兄に,電池を外して使う事をオススメしたいところです。

 ところが,一番最初に書いたように,MacBookとMacBookProは,電池がないと処理能力が半分になります。

 半分の処理能力でも困ってないなら,消費電力も発熱も下がるので電池を外しておいてもよいのですが,最大パワーを得るために2年に一度2万円の投資を許せるということであれば,電池を付けっぱなしにするというのはありなのかも知れません。

 私?結局,予備の電池を買いましたよ。8000円ちょっとで純正品が買えたので,これで最大パワーを堪能します・・・

スピーカーのエッジを交換する

  • 2008/11/27 00:51
  • カテゴリー:make:

ファイル 236-1.jpg
 私が社会人になった翌年だったと思いますが,小型のブックシェルフスピーカーが欲しくて,夏休みに帰省した際に買ったのがJ520MというJBLのスピーカーでした。

 2本セットで2万円か3万円かそんなもんで,JBLでもこんな値段で買えるんだなあと思って買ったのですが,音はやっぱり値段相応で,特に満足も不満もなく使っていました。

 今から7年ほど前,KT88シングルのアンプとこのスピーカ,そしてマランツのCD8000というこれまた安物のCDプレイヤーをセットにして,当時新築したばかりの実家にプレゼント(迷惑だったかも知れませんが)したのですが,母に聞くと時々は使っているようです。

 ところが,先日私が音を出してみると,どうも低音が細く,バスドラムにタイトさがありません。10cmのウーファーじゃなあ,と思っていたのですが,もしやと思ってよく見てみると,ウレタンでできたエッジがボロボロになっていました。

 いやはや,噂には聞いていましたが,これがウレタンエッジの加水分解ですか・・・

 音を出すとボロボロと崩れるような状態ではありませんが,指で押せば押したところがへっこんだままになりますし,ひっかけばめくれたようになって穴が空きました。

 考えてみれば購入して12年以上が経過しているわけで,そりゃダメになるわなあと考えた次第です。

 大したものでもないからこの際捨ててしまおうかと思ったのですが,このころのJBLって廉価版でも「Made In USA」なんですね。エンクロージャも結構しっかりと作られていて,10cmウーファーの2Wayにしては無理をしてないゆとりのある大きさです。

 ちょっともったいないなあと思って調べて見ると,やはりありました。交換用のウレタンエッジを売っているお店が。

 多くの機種に対応できており,その中からJ520Mに合致するものを選ぶのは大変そうです。サイズが少し違うんですがJ520Mに対応と書かれたものがいくつかあって迷います。

 しかしそもそもエッジを交換するということが特殊な事ですから,多少のサイズの違いくらいは気にしないのが醍醐味です。(といいつつ,実はこれがのちのち足を引っ張ることになるのですが・・・)

 外周の直径が112mmと124mmの2種類が用意されており,どちらにすべきか迷いましたが,112mmが1500円,124mmが1900円ということなので,112mmを買いました。1本400円の差ですから,2つで800円ですよ。この差は大きい。外周のサイズは小さくてもokと書いてあったので,大丈夫でしょう。

 専用の接着剤も一緒に買い,この週末,高校時代の仲の良い友人の結婚式に出席するのにあわせ,実家で作業にかかりました。

 まず,劣化したエッジを除去します。指でボロボロと剥がしていくのですが,思う存分スピーカーを壊せるという夢がかなった瞬間である一方で,案外やってみるとつまらない上,溶けたウレタンと接着剤でドロドロになったカスが指にこびりつき,気持ち悪いです。

ファイル 236-2.jpg

 フレームに残ったウレタンを彫刻刀で削ぎ,コーンの裏側に残ったウレタンと接着剤を丁寧に剥がしていきます。はっきり言ってここが一番苦痛です。

 コーンは基本的には紙製なのですが,表面は樹脂でコーティングされています。エッジを貼り付ける裏側は紙がそのままになっていますので,注意して剥がさないと破れます。

ファイル 236-3.jpg

 結局1時間以上かけて古いエッジを剥がし,いよいよ新しいエッジを取り付けます。ここまで来れば楽勝と思っていたのですが,接着剤を塗る前に試しにはめ込んで見たところ,どうもエッジがやや小さい上に,コーンの傾斜角度とエッジの角度が違っていて,密着してくれません。これはかなり難易度が高そうです。試しにオリジナルと違う,コーンの表面にエッジを貼り付けるようにしてみると,あつらえたようにぴったりです。しかし,オリジナルと違うことをしてしまうとろくな事はありません。

 なんとかなると見切り発車をしたのですが,やはり作業は難航。先にコーンとエッジを接着剤で貼り付けるのですが,エッジの内径がやや小さいため,コーンがかなり窮屈そうなのです。エッジを少し引っ張りながら接着すると,エッジが元の大きさに戻るときにコーンを歪ませたり,しわを寄せたりします。

 なにせ水性の接着剤ですので,コーンの裏面の紙から染みこみ,ふにゃふにゃになります。これも想定外でした。

 接着剤の乾きが遅く,くっつけてもすぐに浮いて隙間ができるのを指で押さえて,どうにかこうにか接着ができたのは,さらに1時間が経過してからでした。

 コーンにあたった光の反射を見てみると,明らかにコーンが歪んでいるのが分かります。きっとコーンへの応力も部分部分で違っているでしょうから,明らかにおかしな振動をしそうな感じです。

 しかしやり直せばさらにドツボにはまるものです。ここは涙を飲んで,フレームへの接着に進みます。

 もともとダンパーがしっかりしているので,センター出しの作業にはそんなに手間はかからないだろうと思っていましたので,軽く触ってボイスコイルが触っていないことだけを確認して,さっさと接着をしました。

 うまくいっていないと思っていたのですが,エッジとフレームは接着剤がなくても密着してくれているので一安心です。

 1つ目が苦労の末にそこそこのレベルになったのに気をよくしつつ,もう1つのユニットも交換を始めます。

ファイル 236-4.jpg

 ところが油断しました。劣化したエッジの除去まではよかったのですが,新しいエッジをコーンに接着するのに失敗し,ぱっと見るだけでコーンが変形しているのが分かるほどです。かなりの応力がかかっていることが手に取るようです。

 なんとか修正をしようと思いましたが,コーンがふやけてしまい,いじるほどコーンに歪みが出ます。そうこうしているうちに接着剤が乾いてしまい,びくともしなくなりました。

 まあ仕方がない。気を落とさずフレームに接着しよう。

 しかし,1つ1つの作業は丁寧にしないといけないですね。1つ目はエッジをフレームがぴたっと密着していましたが,2つ目は一部で浮いて隙間ができています。明らかにエッジが,ある方向に無理に引っ張られて変形しているようです。

 かなり失敗の空気が漂う中,作業を進めます。同じようにセンター出しをさくっと済ませて接着剤を塗り固定します。隙間が空くと空気が漏れるので,接着剤であなを埋めていきます。

 そして1時間ほど経過して,コーンを押してみます。ところが,ある部分を押したときだけ,「ガサゴソ」と嫌な手触りが伝わってきます。そう,ボイスコイルが触っているようです。

 つまり,エッジが変形しているのをそのままくっつけたものだから,ボイスコイルが斜めにストロークするようになったんでしょう。

 こりゃまずい。これは妥協できません。

 エッジとフレームを接着している接着剤を慎重に剥がし,さらに余計な接着剤を針で除去して,もう一度やり直しをします。こういう場合,私は大概コーンを破るとかしわを作るか,復旧不可能な致命傷を負い,再帰できなくなります。

 絶望的な,しかし失うものは何もない,という心意気でザクザク作業を進めたところ,奇跡的に成功。

 しかし,やり直しが可能になっただけのことです。次にうまく接着できるとは限りません。

 接着剤を塗り,慎重にセンター出しをしながら固定を試みます。やはりエッジが変形しているのがわかります。

 しかし,エッジを少し引っ張りながら,センターを出していきます。接着剤が乾き始める20分ほど格闘し,ようやく固定されました。

 乾いてから隙間を埋めて,さらに乾くのを一晩待ちました。

 翌日,幸いなことにしっかりと固定されており,センターも出ているようで,ボイスコイルの接触も見られません。ただ,2つ目はコーンの歪みが目立ち,どう考えてもオリジナルと同じ音が出そうにありません。しかも,左右で全然違う音が出てくることでしょう。

ファイル 236-5.jpg

 元のエンクロージャに取り付け,音を出してみます。

 まず,ビビリが出たり,歪みが出たりと,スピーカーとして動かないという状況はありません。音は普通にでます。

 エッジを交換すると,さすがに低音にタイトさが戻ってきますね。相変わらずナローレンジなスピーカーですが,以前のような「だらーん」とした音はしなくなっています。

 ただ,やはり左右で特性が違うんでしょうね,定位感が薄くなり,ちょっと散らばる印象です。まあ,リスニングポジションも良くないし,最初から期待する方が無理ではあるのですが,もうちょっとうまくできたはずと,残念でなりません。

 元々そんなに定位感のあるスピーカーではありませんでしたし,BGMとして鳴らす音楽なら,辛抱できなくないレベルですので,もういいです。3000円でこれだけの手間をかけて(都合5時間かかりました),それであまり良い結果が得られなかったので,大体最後にはどうにかしてきた私としても,今回ばかりは敗北を認めざるを得ません。

 真鍮の鉄道模型を作る私がこれだけ苦労するんですから,客観的にみてかなり難易度は高かったと思うのですが,そういうこともあって,これは他の人にお勧めできないと思いました。というか,これ,みんな成功してるんですか?うまくいったように見えて,実は結構無理をしてるとか,そういうことはないんでしょうか。

 元々安いスピーカーですし,特別音が気に入っていたわけではないので,そういう意味ではあまり悔しいわけではありません。だけど,はっきりいって,もう二度とやりたいとは思わない,そんな作業でした。

 まあいいや,とりあえず音がそこそこ出ていますし,もう5年くらいはもつでしょう。次ダメになったら,別の10cmのユニットと交換しますよ。

PS3がやってきた

  • 2008/11/17 18:39
  • カテゴリー:散財

 うちには,アイ・オー・データ機器のプロジェクタ「PJ-112XGA」があります。いわゆる処分価格で,10万円以下で新品を数年前に購入したのですが,当時DLPプロジェクタで1024x768まで対応した小型プロジェクタが10万円を切るというのは破格値で,それで飛びついたということなのですが,今ではスペック的に割り切れば買えるようになってきたようです。

 さすがに4年ほど前に購入したものだけにスペックとしてはさすがに見劣りしていて,輝度が1100ANSIルーメンと今時の半分程度,単板式DLPプロジェクタでは必須となるカラーサークルも中間色を持たない古いもので,カラーブレーキングもバンバンでます。

 とはいえ腐ってもDLPです。高いコントラスト,狭い画素間隔は,今でも立派なものだと思います。

 残念な事は,入力ソースが非常に限定的であることです。PJ-112XGAでは,PC用のアナログRGB入力とコンポジットビデオ,Sビデオの3つしか扱えません。私は裏技でコンポーネント入力を突っ込むケーブルを自作して,一応D4まで対応できることになっていますが,それでもそこまでです。

 世の中はすでにHDMIによる接続が当たり前。ところがHDCPへの対応が可能なHDMIを,コンポーネント信号やD端子に変換する方法というのは,本来はないことになっています。そりゃそうです,せっかく暗号化してある信号を,暗号解除した状態で取り出せてしまうんですから。

 ところが,海外にはこうした怪しいものが売られていて,一部のマニアの間では知られていました。悪いことを企んでいる人もいるでしょうが,多くは三管式のプロジェクタやブラウン管のモニターなどを所有する,LCDやプラズマでは我慢できないハイエンドマニアが,まさに福音として飛びついているようです。

 HDfuryという製品ですが,先月から新製品のHDfury2が登場し,とりあえず旧製品の弱点をことごとく克服した意欲的な製品として販売されています。私も気になっていたのですが,わずか16000円ほどでHDMI対応に生まれ変わるというのは非常にありがたく,今のうちに買っておこうと注文しました。

 そうすると,当然HDMIが出てくる機器も欲しくなるわけで,つい勢いでPS3も買ってしまいました。ええ,グランツーリスモ5プロローグ同梱版の80GBモデルです。

 こないだの休日に揃ったのでいろいろ遊んでみました。HDfury2に手間取るかなと思っていたのですが,あっさりケーブルで繋ぐだけで動いてしまいました。

 コンポーネント入力で動かすにはケーブルの自作がまた必要になってしまったので,今回はRGB入力にしています。16:9の設定をプロジェクタで行わなかったせいで最初縦長になってしまったのですが,正しい設定をするときちんと表示されます。

 しかし,ゲーム機を買うのはPSP以来。据え置き型のコンソールを買うのはPS2以来です。その進歩には目を見張るものがあります。

 まずでかい。ゲーム機のくせになまいきだ,とつぶやいてしまいましたが,この大きさだと置く場所をかなり考えてしまいます。熱も結構すごいと思うのですが,昔のPS3はこんなもんではなかったはずで,このくらいで文句を言っていてはいけません。

 LANが使えること,HDDが内蔵されていることも新鮮な気分になりましたが,HDDがあるせいでなにかと「待たされる」ことが増えたように思いました。操作そのものは軽快なのですが,なにかというと待たされてしまいます。こと「待たずに済む」ということに関して言えば,初代のファミコンが理想であると言っておきましょう。

 HDfury2による720pの表示の実力を試そうと,DVDのアップコンバートをやってみましたが,これは噂通りの素晴らしさです。眉唾物だなあと思っていたのですが,失われた情報をどうやってここまで生成するのか,不思議な気がするほど良くできています。

 かつて「モザイク消しマシン」が本当に効果があるのかと友人に尋ねられ,失われた情報が復活するわけがない,とたしなめたことがありましたが,PS3でここまでやってしまう現実は,素人に「モザイク消し」を信じ込ませるだけの説得力を持つかもしれません。

 コントローラのワイアレス化がここまで便利と思わなかったというのも,大きな感想です。Bluetoothで繋がった機器に心底実用性を感じたのはこれが最初なのですが,電池が切れたら意味がないとか,なくしてしまうんじゃないかという懸念は,この利便性と引き替えにしてもよいと思いました。

 とても残念な事が1つあり,それはやはりPS2との互換性がないことです。もしPS2の互換性があれば,今うちにあるPS2は捨てることが出来るし,PS3で可能になった美しい画面やワイアレスコントローラの恩恵を受けることも出来るので万々歳なのですが,PS2互換機能のあるPS3が今手に入りにくくなっているので,やむを得ません。

 私としては,この強大な演算パワーでPS2のエミュレーションは可能だと思っているのですが,一般論として非常に否定的です。

 PS2のGSは,4MBのDRAMがエンベデッドされ,2560bitで繋げるという,非常に下品な力業で当時としては強烈なグラフィックパワーをひねり出していました。この2560bitのバスの帯域は48GB/secです。すごいですね。

 一方PS3は,CELLとメインメモリ間が25.6GB/sec,RSXとVRAM間が22.4GB/secですので,PS2の半分程度の転送速度しかありません。これが「エミュレーションは不可能だろう」という人の根拠です。ハードの限界をソフトは越えられない,ということですね。

 うーん,確かにこれを見るとそんな風に思うのですが,だとするとPS3の性能はPS2以下なのか,という話になるのでしょうか。いやいや,それはないです。では,そもそもなぜ2560bitなどという強烈なバス幅を持たせたのか?

 古い話を思い出しながら,少し調べ直しをして見たのですが,とにかく2560bitの内訳を考えてみます。

 PS2は,RGBとαチャンネルが各8bitですので色情報は1ピクセルあたり32bitです。そしてZバッファが32bitですから,結局1ピクセルが持つ情報は64bitです。

 テクスチャは奥行き情報がありませんから色情報だけ,従って32bitですね。

 さて,PS2のGSは16ピクセル同時に処理する構成ですので,64bit*16で1024bit,一方のテクスチャは32*16で512bitです。

 テクスチャはレンダリングを行う際にメモリから転送するだけの一方通行でいいですから,レンダリングを一発で行うことの出来るメモリの幅は,16ピクセル同時のリードとライトに1024bit*2で2048bit,これにテクスチャの転送幅である512bitを加えて,きちんと2560bitとなりました。

 バスの周波数はGSは150MHzですので,リードとライトのバンド幅はそれぞれ19.2GB/sec,テクスチャのバンド幅は9.6GB/secということになります。ミソはこれが同時に動くことです。

 改めてPSの化け物っぷりに感じ入った次第ですが,ジオメトリ演算はCPUであるEEが担当していますし,GSがやっていることは,演算結果からポリゴンを書き,テクスチャを貼って結果をフレームバッファにレンダリングするということだけです。そしてEEとGS間は1.2GB/secのバンド幅しかありません。

 つまり,150MHzという低いクロックで動作するから,16ピクセル同時に演算する必要があり,それゆえ1ピクセルごとにバスを独立させる必要があったから2560bitなわけです。もし300MHzで動作出来るなら8ピクセル同時でよかったでしょうし,600MHzなら4ピクセル同時でよいでしょう。

 もう1つ,PS3はFlexIOでCellとRSXが繋がっていますが,CellからRSXが20GB/sec,RSXからCellが15GB/secです。

 ここで,EEがジオメトリ演算を行い,その結果をGSに転送するのがわずか1.2GB/secであるわけですから,EEのエミュレーションと,GSの一部の機能をCellが担当し,直接VRAMにCellがFlexIOを使って書き込む事も十分出来そうだ,と考えつきます。

 RSXとVRAMが22.4GB/sec,RSXとCellが20GB/sec,CellとRSXが15GB/secですから,GSの半分の仕事をCellが担当すれば,なんかいけそうな気がしますよね。

 では,なぜ初期のPS3がEEとGS,後にGSを搭載しないとPS2の互換性が取れなかったのか,になりますが,これはもう,クリティカルなバスアクセスを行う極度に難しいソフトを作ることが出来なかったこと,仮にできたとしても検証に時間がかかり,互換性も低いものであっただろう,ということです。

 数字上は可能のように思われますが,16ピクセル同時演算を前提に,それこそ1クロック単位で作り込まれた,GSやEEを骨までしゃぶったソフトなどは,おそらく完全な動作をしないでしょう。

 いわば,バス幅やクロックまで正確にエミュレーションしているのではなく,結果として同じ表示が行われるようにしているだけですので,仮想的に実装されたハードウェアには実機との差があまりに大きく,この差が表面化するようなチューニングを施した最近のPS2のソフトなどは,ことごとく破綻するような気がします。

 そもそもエミュレーションですから,PS2のコードをPS3で動くようにリアルタイムで読み替えないといけません。

 私としては,SEGA AGESのスペースハリアーとギャラクシーフォースさえちゃんと動いてくれればそれでよいので,中途半端なエミュレーションでも全然構いません。動けばラッキーくらいの気軽さで,さくっとPS2の暫定エミュレーション機能をアップデートで用意してくれればそれで納得しちゃうんですけども・・・

北海道を感じる窓として

 友人から,素晴らしい贈り物が私の手元に届きました。

 来年(2009年)のカレンダーです。

http://blog.hokkaido-np.co.jp/maririn/

 私が内容をそのまま紹介するわけにはいかないので,是非上記から見てみて下さい。

 残念ながら私は撮影者の小澤さんとは直接の面識はありませんが,このカレンダーの制作に深く関わった方には,なにかとお世話になっています。

 昨年もタンチョウをテーマにした素晴らしいカレンダーを送って頂いたのですが,今年はさらにグレードアップ(ほんとにグレードアップです)して,送って頂きました。

 北海道は私にとっては未踏の地で,漠然とした憧れだけがあるのですが,私の知り合いにも美しいタンチョウの姿に見せられ,巨大なレンズと忍耐力を準備して,かの地に出向いている人もいます。

 なにせ自然が相手ですから,とにもかくにも忍耐だろうと思うのですが,面白いことに撮影された写真には,その忍耐に向き合った「厳しさ」や「達成感」ではなく,感動やいとおしさのような,実に暖かい視線が見て取れます。

 今回のカレンダーには特にそういう印象が強く,それはタンチョウだけではなく,北海道の持つ懐の大きな自然すべてに向けられた視線であるのでしょう。

 写真の素晴らしさは言うまでもありませんが,その印刷の素晴らしさにも脱帽です。私は印刷は専門ではありませんが,安い印刷物を海外に出す傾向が強くなったここ10年ほどの,,国内の印刷技術の向上には目を見張るものがあります。

 20代の頃は,カレンダーというのは実用品であって,数字だけ書かれていればそれでいいと思っていました。しかし歳を取ると変わるもので,1ヶ月の間写真を見続けることの面白さに気が付くと,時間の経過と写真の印象がリンクして,それぞれを強く意識するようになります。今月の写真はよかったもっと見たかった,来月の写真はどんなだろう,と思いながらめくっていきます。

 人間と暦との付き合いは長く,その歴史の中で1年,1ヶ月,1週間という単位が作られて来たわけですが,良くできたシステムだとつくづく感じます。

 気が付くともう11月も折り返しです。気温が下がり,風が冷たくなって,あっという間に年末になるでしょう。カレンダーの掛け替えの時期が,また今年もやってきます。

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