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2011年03月の記事は以下のとおりです。

原子力発電~11の疑問

 原子力発電には,かねてからいろいろな意見があり,必要だとする人とやめるべきだという人とに分かれているように思います。どちらの意見にも正当性があり,かつ単純な良し悪しではない要素を含んでいるため,なかなか綺麗に判断出来ません。

 そんな曖昧な中で国の原子力政策は進んできたところがあるのですが,今回の大きな事故で原子力政策はおろか,原子力そのものに対する信頼は地に落ち,私のようなかつて推進派だった人間の目から見ても,もう日本で原子力が受け入れられることはないだろうなと思わざるを得ません。

 反対派の人も推進派の人も,それなりの論拠を持って自らの主義主張を組み立てているわけですが,中にはそれが正確ではなかったり,それまでの経緯を知らなかったりで,当てはまらないものもあるように思います。

 私も同じ疑問を持っていたことがありますが,今知る限りのことを書いてみます。


(1)そんなに原子力発電が安全なら,東京になぜ作らない?

 これは,作らないのではなく,作る事が出来ないが正しいようです。

 原子力発電所の建設には,地震が起きにくい地域であること,万が一の地震にも十分耐えうる固い地盤,消費地に近く,冷却用の水資源に恵まれ,かつ広大な土地である必要があります。

 実は,東京の周辺には,こうした土地が少ないのです。そこで,福島や新潟といった所に建設せざるを得ないのです。決して原子力発電が危ないから東京を避けているというのが理由ではなく,無理に東京に作ったら本当に危ない施設になってしまうから,と考えるべきと思います。

 東京に作ると土地の獲得に膨大なお金が必要になり,建設費が高騰するでしょうから,土地の価格が安いところに作ろうという理屈は,地方に半導体の工場が多くあるのと同じ理屈でしょう。原子力発電所も大規模プラントですから。

 ただし,誰も口には出しませんが,万が一の時に首都が消滅するか地方都市が1つ地図から消えるか,どちらを選択しますか?という話が,内緒で議論されなかったはずはないと,私は思っています。


(2)原子力発電所を受け入れたところにお金をばらまくのは買収じゃないか?

 そういう側面があることは否定できないと思いますが,これも1970年代のエネルギー政策にその経緯を見ることが出来ます。

 経済成長が進み電力需要が高まるなか,日本は主に水力発電所を建設してその需要に応えてきました。しかし,日本国内にはもう大規模な水力発電所を建設する場所はなく,また天候に左右されることもあって,次の一手を考える必要が出てきました。

 その頃,ちょうど石油が安く安定して供給されるようになったので,水力発電を主にするのではなく,火力発電所を主にする方針に切り替わりました。そこにやってきたのがオイルショックです。

 ここに至って国はさらに新しいエネルギーを考える必要が出てきたのですが,その結論が原子力だったのです。原子力発電は戦後多くの国で稼働し,その安全性も信頼性も一定の評価を得ていました。また,規模の大きな発電所を作る事も可能で,しかも発電コストが安く,燃料の枯渇を心配することもないという,まさに理想のエネルギー源だったのです。

 火力発電所は東京の周辺,例えば川崎などにもあったのですが,同じような場所に原子力発電所を作る事は立地条件から難しいため,どうしても地方に建設せざるを得ません。

 そこで,当時の政府が考えたのが,

東京に建設できない発電所を地方に作る->
 発電所で作った電気を東京に送ってもらう->
  その電気で東京がお金を稼ぐ->
   感謝の気持ちを込めて地方に儲けたお金を戻す

 という仕組みです。この「感謝の気持ち」は私の脚色ですが,当時の政府の考え方は,新幹線と高速道路で国中を結んぶ列島改造がプランとしてありましたし,再配分による富の平均化という観点から考えても,あながちウソではないのではと思うのですがどうでしょうか。

 ところが,こういう流れを勝手にやるわけにはいきません。そこで作られた法律がいわゆる電源三法です。この法律によって,上記の仕組みが整備されたわけです。

 これを「買収」というのは確かに事実かも知れません。しかし,原子力が安全という前提で話をすると,米の産地,魚の産地,工業地帯,首都機能,と言ったように,それぞれの地域がそれぞれの役割を担っていくことはごく普通のことです。

 原子力発電所にはそれ相応のリスクもあるし,そこに済んでいる方々の心情も考えねばなりません。お金で解決といえばダークな話ですが,現実問題としてお金以外に再配分する方法もまた,見当たらないのです。

 ところで,この考え方は,経済成長が続き,法人税を含む税収が毎年伸びて,そのお金をどこに使うか,と贅沢な悩みをしていた高度成長期のころのお話であることも頭に入れておいた方がいいかも知れません。現在のように収入の多くを借金に頼り,人口は減り続け,毎年税収が落ち込むかも知れないという状況では,必ずしも正しい方法とは言えないと思います。


(3)なんで原子力発電でなくてはならないの?

 原子力発電所を1つ作ると,ざっと100万キロワット以上の発電能力のある発電所が,安定して数十年間稼働し続けます。こんな発電所は,今は他にはありません。

 火力発電は石油にしても天然ガスにしても,日本にないエネルギーを燃やしますので,ハードウェアとしての発電所を作っても,それが安定して稼働するかどうかはわかりません。それに,昨今の環境問題を考慮すると,これが本命の発電方法とはどうしても思えません。

 水力発電は理想的かも知れませんが,発電量が圧倒的に小さく,原子力発電所の1/4とか1/5程度しかありません。それこそ,大きな川をせき止め,山間の村を1つ2つ水没させ,それでこの程度の発電量というのは,私には割が合わないように思えます。

 太陽熱発電,風力発電など,確かにいろいろ考えられていますが,1機で100万キロワットを安定して発電できるような設備にはほど遠いのが現状で,現実問題として原子力発電以外に,今の電力需要に応える方法がない,というのが私の結論です。

 ただし,これも原子力発電が安全であることが,大前提です。


(4)電気は貯めておけないの?

 電気を貯めておければ,夜のうちに作って貯めておくとか,外国から買うとか,いろいろ手は考えられそうな気がします。

 しかし,電気は貯めておけません。もちろん,充電池を使えば貯めることは出来ますが,これは電気エネルギーを化学エネルギーに変換して蓄えるものであり,電気そのものを貯めているわけではないことに注目してもよいでしょう。

 エネルギー変換を行うわけですので損失も結構出ますし,充電にも放電にも一度に出し入れできるエネルギー量に制限があるので,実はとても面倒なのです。それに,発電所の代わりになるような大きな電力を蓄えるだけの電池は世の中には存在せず,それは最近ようやく実用になった電気自動車が,それでも走行距離で200km程度だったりすることからも,明らかでしょう。

 ということで,電気を貯めておくことが出来ない以上は,必要な需要分だけ発電しておくしかありません。しかし,最近の計画停電で広く知られるようになったとおり,電力需要には一日,あるいは一年で変動があり,その最大値に合わせて発電を行っていると,無駄が大きすぎて話になりません。

 かといって,原子力発電や火力発電は発電量のコントロールが難しく,最大効率で動かすには一定の発電量を維持するのが望ましいのです。

 そこで,発電量の調整に,先程の水力発電をつかうのです。水力発電は発電量こそ小さいですが,水を落とせば発電し,止めれば発電も止まりますから,発電量の調整が比較的簡単にできるのです。そこで,原子力発電や火力発電で一定の電力を発電しておき,変動分を水力発電でカバーする方式が,最近は一般的です。

 もう1つ,揚水発電という方式もあります。夜,電力需要の小さい時にダムに水を電気でくみ上げておき,電力需要の大きくなった昼間にその水をダムから落として,発電します。これは,電気エネルギーを位置エネルギーに変換して蓄える仕組みです。

 大変合理的な方法だと思ったのですが,これもどんな発電所でもできる訳ではなく,一説ではすでに日本で揚水発電が可能なダムは新規に建設出来ないのだそうです。


(5)原子力発電を使えば石油と違って無限のエネルギーを得られるんだけど?

 これは間違いです。よく,原子力は夢のエネルギーと言われますが,現在の原子力発電所は天然ウランのうちわずか0.7%しか含まれていない,「燃えるウラン」しか使えません。現在の燃えるウランの需要と採掘コストを勘案すると,ざっと60年で枯渇します。

 例えば30年後に巨費をかけて建設した原子力発電所は,ウランが枯渇する30年以上の長期稼働が出来ないことになり,それ以後はゴミになります。恐ろしい話です。

 なにも,埋蔵量の少ないウランを燃やすことはないのでは,という発想から,プルトニウムや天然ウランの主成分である「燃えないウラン」を無理矢理燃やす原子炉も研究されています。これが高速増殖炉ですが,とても難しい技術ですので,まだ誰もこれを商用に実用化したことはありません。


(6)原子力発電は低コストの発電だよね?

 その発電量と稼働率,稼働期間から考えると,確かにエネルギーあたりのコストは他に比べてずっと低いと言われています。

 経済産業省が出した2008年エネルギー白書のデータですが,1kWあたりの発電コストは,

水力:8.2~13.3円
石油:10.0~17.3円
天然ガス:5.8~7.1円
原子力:4.8~6.2円

 と言うことです。

 この数字を信じると「ほらみてみ原子力は安いんやで~」と推進派は小躍りしそうなものですが,ここには3つの要素がかけています。

 1つは,燃料価格の高騰です。日経によると,昨年秋のスポット価格は,昨年春に比べて4割以上も上昇したとのことです。世界的な原子力発電ブームを受けてウランの需要が高まっていること,旧ソ連の核兵器を解体したときに出てくるウランをアメリカが購入する契約が2013年に切れること,そしてこれらを見越した投機マネーが流れ込んで来ることから,ウランの価格が上がっています。ウランは一度装填すれば数年燃え続けますので,短期的な変動の影響は受けにくいかも知れませんが,それでも価格高騰の影響があることは避けられないと思います。

 2つ目は,稼働率です。この白書では,稼働率を最大85%としていますが,小さいトラブルがあったりして,実際には50%程度と言われています。稼働率の低下はコストにきいてきますので,今の稼働率で考えるとこの価格ほど安くはないでしょう。ある試算では,稼働率が50%で約8円になるそうです。ん?天然ガスよりも高くなってる?

 そして最後に,廃炉の費用です。これは私も正しい情報の入手をしていないのですが,1989年以降,毎月の電気料金に広く薄くのせられ,積み立てられているようです。ただし問題なのはその金額で,1基あたり約550億円を前提にしてあります。

 しかしながら,100万キロワット級の原子力発電を廃炉にした例がほとんどなく,その費用がどのくらいかかるか正確に分かるはずもありませんし,そもそも放射性廃棄物は処分ではなく保管しか手がない中で,最終的な処分費用など見積もれるはずがありません。

 費用だけではなく放射性廃棄物という負の遺産まで,未来にかかる負担を先送りにし,今のコストで電気代を我々は支払っているわけで,いわばツケを次世代に先送りしているだけなのかも知れません。これって許されることなのかなあと,私などは心配になります。

 参考までに,中部電力は浜岡原発1号機と2号機の廃炉に,それぞれ約900億円を見積もっているのだそうです。本当にこの費用で収まるのか,解体中に事故でも起きたら一気に費用は膨れあがりますし,お金だけではなく解体作業にかかる時間が何十年(一説では30年もかかるらしい)もかかること,その間危険を伴うこと,そして廃材の一部は結局保管するしかないということから考えて,これほど後始末が大変なプラントを作る事が果たして正しかったのか,やっぱり首をかしげたくなります。

 そうそう,1つ言い忘れていました。この積み立てのお金は,先の発電コストには入っていません。さらに,かなり大きな金額になる核燃料の再処理費用も含まれていません。


(7)核燃料サイクルと原子力発電の関係は?

 とてもややこしい話なのですが,前述の通り原子炉で燃えるウランは天然ウランのうち0.7%ほどしか含まれていませんし,全量輸入に頼る日本としては,安定した燃料の供給を考えていかないと,原子力発電が継続できません。

 ところで,この燃えるウランを燃やすと,プルトニウムができます。本来このプルトニウムは普通の原子炉では燃えないのですが,実は一部は核分裂を起こして燃えています。

 こうして,使用済みの核燃料にはプルトニウムが生成されています。もともとウランを燃やす原子炉は,核兵器製造用のプルトニウムを作る原材料プラントとして稼働を始めたという経緯もあるくらいです。

 このプルトニウムを取り出し,燃えないウランと混ぜて新しい燃料を作ります。そしてこれを「高速増殖炉」と呼ばれる原理的に異なる原子炉で燃やします。高速増殖炉は燃えないウランやプルトニウムを燃やすことが出来るばかりか,投入した燃料以上のプルトニウムを作り出す,夢の原子炉です。

 最初は,高速増殖炉が実用になり,燃えないウランとどんどん作られるプルトニウムによって,ほぼ無限のエネルギーを得る予定でした。しかし前述の通り高速増殖炉はあまりに難しく,結局予定通り実用にはなりませんでした。

 しかし,燃えるウランは数十年で枯渇し,しかも燃えた結果プルトニウムはどんどん溜まっていきます。これでは原子力発電は近い将来立ちゆかなくなります。

 そこで,普通の原子炉でも一部のプルトニウムは燃えていることに目を付け,使用済み核燃料から燃え残った燃えるウランとプルトニウムを取り出し,新しい燃えるウランと適当な割合で混ぜて,普通の原子炉でも燃える燃料に再加工します。これが再処理です。

 こうすると,今までどうすることも出来なかったプルトニウムを燃料として使うことができ,同時に燃えるウランの使用量も減らせます。これをプルサーマルといいます。(プルサーマルは和製英語で,日本でしか通じませんのであしからず。)

 しかし,問題はここからです。プルトニウムの割合を増やしたプルサーマルでは,ほとんど燃えないアメリシウムやキュリウムという馴染みのない元素が生成されてしまいます。これはもう本当に使い道がないそうで,プルサーマルばかりをやっていても結局高い放射能を持つ生成物が溜まってしまうのです。

 ところで核燃料サイクルにはもう1つ大事な意味があります。それは,核兵器を作る原料となるプルトニウムの使い道を作り,「ためてないよ」という国際的な宣言をすることにつながることです。

 プルトニウムは大変やっかいな元素ですが,なんと言っても核兵器を作る事の出来る材料だけに,作るだけ作って使い道がない,などということはとにかく物騒です。核兵器を作ってません,といっても信じてもらえるかどうかわかりませんし,本当に作っていなくても盗まれたら終わりです。作った分だけ厳重に管理しておかねばなりません。

 だから,使ってしまわないといけないわけですね。繰り返しになりますが,本来ならプルトニウムや燃えないウランを直接燃やす高速増殖炉が実用化していれば,こんなことは心配なかったのでしょうが,人類が無限のエネルギーを手に入れるなどというのは,神様もお許しにならなかったということでしょうか。
 

(8)他のエネルギーはないの?

 現実問題として,かなり難しいのではないかと思います。先程のエネルギー白書によると,1kWの発電コストとして,太陽光が46円,風力が10~14円と試算されています。

 太陽電池があるじゃないか!じゃんじゃん作っていけば問題ないよという皆さん,太陽電池を作るために必要なエネルギーを忘れていませんか?ここ数年で,製造時に必要なエネルギーを,その太陽電池が寿命までに生み出すエネルギーがようやく上回ったと言われています。これまでは,太陽電池を作れば作るほど,エネルギーは減っていました。

 ただし,太陽電池も途中で壊れますし,光りが当たらないときもあります。そういう状態まで考えるとまだまだ製造時に必要となったエネルギー以上を生み出せるようにはなっていません。

 燃料電池という話もありますね。でも,これも同じ理屈です。燃料電池の燃料は水素,もしくはエタノールや天然ガスなどの炭化水素です。これを作るのに電気がいるのです。

 究極的には,人工太陽である核融合炉を作る事でしょうが,これはもう全く,可能性さえ見えないくらいに遠いところにある未来技術です。それに,核融合炉を研究し,作るのに,エネルギーがふんだんに使えることが前提です。

 そういう尺度で見た場合,やっぱり現実的な話として,今のエネルギー政策を延長させていくしか,もう方法がないんじゃないかと,そんな風に思うのです。


(9)電気じゃなきゃだめなの?

 そんなことはありません。しかし,電気は貯められない代わりに,熱にも動力にも計算能力にも,様々なものに高効率で化けることの出来る万能エネルギーであることを忘れてはいけません。

 石油も天然ガスも高いエネルギーを持つ燃料ですが,基本的にこれらからエネルギーを取り出すには燃やすしかありません。燃やしてしまうと熱にはなりますが,これを別の形にするには手間もお金もかかって,しかも多くを熱のまま失ってしまいます。もったいない話です。

 火力発電も原子力発電も熱を電気に変えるところまでは同じなのですが,なにせ規模が大きいので,その変換効率をあまり悪くしないで済みます。プラントというのは,規模が大きい方が効率がよいのが普通です。火力発電では実に40%もの効率を達成していますし,一部には60%もの効率を誇るものもあるそうです。これはすごいですね。


(10)この際,昔のエネルギー消費量の水準に戻して慎ましく暮らさないか?

 うーん,私もそれが出来るなら,そうした方がよいのではないかと思うのですが・・・少し考えてみましょうか。

 空調は,この際我慢しましょう。熱い寒いは昔の人は辛抱しました。テレビなんかどうせ見てませんし,なくても困りません。いらないです。

 冷蔵や冷凍はどうしましょうか。産地と消費地を距離に関係なく結ぶこの技術がなくなったら,昔のように消費地の周辺に産地を作らねばなりません。これは結構大変かも知れないですね。

 鉄道や物流などのインフラもずっと慎ましいものになります。工場などの企業活動も大幅に小さなものになり,日本のGDPはぐぐっと押し下げられます。

 さーて,携帯電話はどうでしょう?当然廃止です。基地局がどれだけ電気を食っているか,考えたことがありますか。

 パソコン?当然停止です。電気が計算能力に化けるとはいえ,その計算能力が本当に必要かどうかは精査しないといけません。

 インターネットも動きません。世界中のサーバ,ルータ,ストレージがどれほどの電気を消費しているか,その量は膨大です。そうして維持されているインターネットで我々はなにをしているでしょうか?

 てな具合に,今は昭和の時代と違って,電気が本当に多くの用途に使われています。トイレを流すにも電気が必要,高層マンションなんてのは電気で動くエレベータが前提の建築物です。

 電気が湯水のようにあることを前提にして作ってきた社会を,今になって電気なしで動かそうとしても,それはもう急には無理な話,なのです。


(11)そもそも,大前提であるはずの安全は大丈夫なの?

 原子力発電所は,万が一の事があると大事故になり,その影響は何十年,あるいは何百年と続くもので,人類を破滅させかねません。膨大なエネルギーを少しずつ取り出すことの難しさ,生命にとって毒となる放射線を扱う事の難しさを,ここ数十年で嫌と言うほど経験しても,それでもなおこのエネルギーを手なずけるに至っていないことを,我々は真摯に受け止めるべきだと思います。

 人の作ったものに絶対はありません。ミスをしますし,不測の事態も起こります。それを天災ということも人災という事も簡単でしょうが,原子力発電はどちらを理由に起こったことでも,やり直せない,取り返しの付かないことになってしまうものです。

 絶対のない我々が使うものが,やり直しの利かないものでよいのでしょうか?

 絶対がないならやり直しが出来ないといけないし,やり直しが利かないのであれば,我々人類には荷の重い,扱いきれないものと考えなければいけないでしょう。

 この点で,今の原子力発電と人間という生き物との組み合わせにおいて,安全でないという結論を出さざるを得ません。

 今回の事故は,想定外の地震と津波だったといいますが,想定外である時点でもうすでにアウトです。やり直しが利かないものを作ってしまったのだから,全部想定できていないといけないはずでした。

 実際には,全部想定するなど不可能です。人間には未来を知る力はありません。ならば,ミスをしない人間になるしかありません。でもそれも無理です。ということは,これはもう人間には扱いきれない代物であったとあきらめるほかないのではないでしょうか。

 そう考えると,人類は身の丈に応じたエネルギー生産と,それに応じたエネルギー消費で生きていく必要がありますね。(10)とは矛盾した結論を出していますが,新しい原子力発電所はもう作らない,そしてその発電所が生きているうちに,少しずつ計画的にエネルギー消費を押さえていく,結果日々の生活が今以上に不便になり,貧しく,慎ましくなっても,それはそれでもう受け入れる,なぜなら,それが我々の身の丈だから,そういう民意を醸造するしかないのではないでしょうか。

 省エネの技術は重要です。しかし,削減された電気が,別の用途に使われ,より便利で豊かな生活に費やされる仕組みが改まらないと,根本解決にならないことも,我々はまた知るべきでしょう。

 新幹線は,昔に比べて随分少ない電力で走るようになりました。しかし,以前よりもずっとずっと本数も増えました。人の移動が増えたからです。人の移動を制限しますか?経済活動を抑えないといけませんね。それもやっぱり我々の身の丈を越えたところの話だった,ということなのでしょうか。

 難しい話です。
 

想定を越えたら仕方がないことなのか

 私は原子力や核物理学については門外漢ですし,その知識は大変に乏しいものです。

 どんなことでもそうですが,ある事柄が危険なことや問題のあることは説明が出来ても,それが安全であることや問題のないことであることを説明するのは,とても高度な知識と経験,そして勇気が必要になるものです。

 つまり私程度の一市民が持つ知識や経験で安全であると納得することは不可能であり,ゆえに専門家の助言や判断をあてにすることになるのですが,そうなるとその専門家のいう事をどこまで信用するのかという,高度な判断を行わねばならなくなります。

 これも難しい話で,結局の所,国や行政と言った,最終責任を取ってくれそうな所の判断を仰ぐことになってしまいますが,当然これらだって原子力については素人の集団であるわけで,もう私にはお手上げです。

 一連の原子力発電所の問題について言えば,その分野の専門家,つまり学者と技術者の役割として,なにが危険でなにが安全かを区別し,それを我々のような知識も経験もない市民にわかりやすく提供することが,工学倫理や技術者倫理という観点からも大いに期待されるのですが,新聞・テレビと言ったマスメディアからtwitterによるつぶやきまで,いろいろなメディアを通して発言をされていることについては,社会の期待に応えるべく活動してらっしゃるという点において,その役割を果たされているなあと感じています。

 実を言うと私は原子力発電推進派の人間でした。電力は動力から熱,果ては演算能力にまで高効率で変換でき,作る方法も複数ありますし,安価で,とても安全で使いやすいエネルギーです。

 そしてその理想的な,何にでも使えるエネルギーを得る方法として,大気を汚さず,二酸化炭素も出さない原子力を利用出来るのも,大きなメリットです。

 原子力が最終手段で理想的なエネルギー源とは思っていませんでしたが,本命たる別の究極のエネルギーが登場するまでのつなぎとして長く付き合っていくしか,人類には残されていないのだから,現実問題としてただただ反対を叫ぶのではなく,うまく共存する方法を模索すべきであり,かつそれは十分可能なだけの技術レベルにある,というのが,私の持論でした。

 でした,というのは文字通り過去形で,今は残念な事に慎重派です。これは,今回の事故があったからという直接の理由もさることながら,工学倫理や技術者倫理という視点において,もう原子力は終わったものと考えざるを得ないからです。

 工学倫理や技術者倫理の世界では,その分野における専門家,例えば技術者を,

・誰にでも出来る仕事ではない
・新しいものを創造する力を有する
・自分の生み出すもので社会に貢献し,文化を創造する
・一定の自由裁量が認められている
・一方で大きな社会的責任を負う

 といった存在として位置づけます。

 技術者も一人の人間で,社会の一員ですが,それぞれが属するコミュニティに応じた倫理観を持って生活しないと生活が成り立ちません。日本に生きる,家族と生きる,ということに,それぞれの倫理観が必要なのと同じように,技術者にも特有の倫理観が必要で,自分のしたこと,自分の持つものが,他にどういう影響を与えてしまうのかをきちんと考慮する力が求められます。

 これを倫理的想像力と呼ぶのですが,倫理的想像力を養うことは,一定の自由裁量を社会から許されるためにも必ず必要なことです。そりゃそうですね,自分のしたことがどれだけ社会を変えてしまうのか,どれだけの人に喜んでもらって,逆に迷惑をかけてしまう事になるかを考えない人に,諸刃の剣である科学技術を任せるわけにはいきません。

 誰にでも出来る仕事ではないけども,誰かがやることによって世の中が良くなり,生活が豊かになるから,そのために必要な知識と経験を持つ「技術者」が,社会から信用をもらって,その裁量を認めてもらっているわけです。

 例えば自動車です。ピーク時よりも少なくなったとは言え,今でも多くの方が交通事故で亡くなっています。でも,その多くの犠牲があっても,自動車は危険だから廃止せよ,ということにならないで,自動車がもたらすメリットと天秤にかけ,共存しようということになっているわけです。

 ただし,共存するには余りにも危険だった自動車は,自動車技術者の手によって少しずつ安全な乗り物へと進化してきました。この進化は専門家だから可能だったことですが,もしもこの専門家が良心を失い,暴走していたら,社会は自動車を安全なものとは位置づけられず,犠牲がさらに増えていたかもしれないのです。

 自動車技術者が目先の利益に走って,安全性よりも見た目のスペックを重視し,ぶつかれば紙のようにくしゃくしゃにつぶれてしまう軽いボディに,不釣り合いな強力なエンジンを付けて,しかもコストを下げるために性能の低いブレーキを搭載するようなことがあったら,どうでしょう。

 そんな自動車しか作ってくれないなら,社会はもう自動車との共存はできません。自動車メーカーと自動車の技術者は,安全という社会が求めるテーマに真摯に努力し結果を出してきたから,社会の共存をするという方針は揺らぎません。

 技術者にしたって「安全を軽視しません」というスタンスを社会に理解してもらい,信用してもらっているから,その技術を使って新しい製品をある程度自由に作る事を許されているわけですね。

 経済活動とはちょっと違った視点なので,これと混同するとちょっと危険なのですが,技術者の教育のうち,比較的新しい分野である工学倫理や技術者倫理というのは,基本的にはこういう考え方に基づいています。

 社会は,技術者を信用し,彼らに危険だけども有望な専門的な技術を駆使して新しいものを創造することを許す。そして全体が豊かになる。

 技術者は,その信用を得るために,倫理的想像力を駆使して社会に迷惑をかけないことを約束し,そしてそれを社会に説明し理解してもらって,社会から新しい技術をつかって仕事をすることを許してもらう。そして全体が豊かになる。

 もっと積極的に,技術者は,その技術がどれほど社会に有用なものであるかと,同時に危険かどうか,安全かどうかをちゃんと説明して,社会からの信任を得る義務を負っていると,強い言い方をしてもよいでしょう。社会はその説明で技術者を信用したなら,危険だけども彼らなら大丈夫,彼らの力を信じて社会がより豊かになることを託してみようと,そういう依存関係が社会と技術者にはあるわけですね。

 もう1つ重要な事があります。ある分野で専門性を持つ技術者は,別の分野においては技術者に信任を与える側に付くのだということです。

 自動車の技術者は,自動車のメリットとデメリットを説明し,デメリットの克服を社会に約束して,新しい技術を使う事を許されますが,そんな彼らも原子炉については素人であり,専門家である原子炉の技術者に信用を与える側になるということです。

 およそ仕事をしている人は,その分野の専門家です。互いを信用し合って,世の中が進歩して,豊かになる,これが現代社会です。

 専門家は,時にその専門分野が非常に危険なときは,警鐘を鳴らし,社会に是非を問う勇気も必要です。内部告発というのはこの一例と考えて良いでしょう。技術者も,技術者を雇う会社も,その技術で報酬や利益を得ているので,自らを守るためにずるいことをしたり,ウソをついたり,隠し事をしたりするかも知れません。

 彼らならそんなことはしないはずという信用を得ることがいかに大事か,また必要に応じて第三者機関が監視を行う仕組みがいかに必要なものか,お分かり頂けると思います。

 こうした,工学倫理や技術者倫理という観点で,今回の原子力発電という技術と社会の関わりを見ていくと,どうにも破綻していると考えざるを得ないです。

 まず,技術者はこの大変危険で有用な技術を,本当に手なずけられたのか?

 技術者は,彼らの考える「手なずけた」を,社会が信用するに足りる形できちんと説明を行ってきたのかどうか?

 そして技術者は,この技術を使う事に対して,社会からの信任と,一定の自由裁量を本当に得ていたのか?

 社会は,彼らの言葉を本当に信じていたのか?その大きすぎるメリットに目が眩んで,危険を軽視し技術者の言葉を盲目的に信用してしまってはいなかったか?

 一部の技術者が警鐘を鳴らしていたその危険性について,社会は耳を傾け,議論の場を作ってきたか?

 原子力は,非常に大きなお金がかかり,リスクもメリットも桁違いです。エネルギー政策,原子力政策という国の方針として進められるのはその大きさゆえですが,社会も「国」という錦の御旗を掲げたこの技術を,実力以上に過信する傾向があったことは否めません。

 そして,原子力は安全,安全で安い,ゆえにエネルギー問題解決の切り札なのだと,強く推進されてきました。しかし今回の天災によって実は手に負えないものであったことが浮き彫りになってしまいます。

 今回の事故は,とても大きな教訓を残してくれます。15メートルの津波は想定出来なかったと,専門家,技術者は言っています。これは「それじゃ仕方がないなあ」と我々に諦めの気持ちをもたらすのと同時に,「つまり想定を越えたら取り返しが付かないのね」と,反対論を確実に喚起するものです。

 原子力反対の意見として,何かあったら取り返しが付かないというのがありますが,かつての私を含んだ賛成論者はそんなことは起きない,と言うだけでした。

 人的なエラーを含め,様々な問題を想定し,それを回避するように巧妙に設計が行われている,だから万が一は起きません,が彼らの社会に対する説明でした。しかし,これは想定されていたものについての話であり,想定を越えたものについては回避できないといっているのと同じだったことに,市民は気付くべきでした。

 どんなものにも,想定を越えたものが起こる可能性があります。ただ,その場合に起きることが「取り返しのつくもの」なら,リスクとメリットを天秤にかけて議論出来ます。自動車しかり,薬の副作用しかりです。

 原子力はどうかというと,これは「取り返しの付かないもの」です。ですから,リスクとメリットを天秤にかけることは出来ません。つまりリスクは無限大であり,どんなメリットをもってしても,メリットが勝る可能性はゼロだからです。

 そこで結論ありきで動く人々は,論法のすり替えを試みます。万が一は起きません,起きないのだからリスクはゼロ,です。つまり天秤に乗せれば,必ずメリットが勝利するようになっています。この話のすり替えに気が付くのが遅かったと,私自身は反省しています。

 万が一起きたらどうします?という詰問は,時に「仮定の話はやめよう」という声に潰され,議論の機会さえない場合があるものです。しかし,これがいかに危険なものかを,今回の事故は教えてくれました。

 このことを,全ての技術者が気が付いて,万が一を軽視しない,正しい評価が定着することを,私も含めて肝に銘じるべき時がやってきたのだと思います。

Nintendo3DSを買いました

  • 2011/03/24 15:49
  • カテゴリー:散財

 連日の報道の通り,地震と津波によって大きな被害が出た東北と関東地方は,被害の軽かったところから少しずつ普段の生活を取り戻しつつあります。

 阪神大震災の時もそうでしたが,最初の2週間程度まで,最初の半年まで,そしてその先しばらくと,大体3つか4つくらいのフェイズで,復興の流れが変わっていくのではないかと思っています。

 最初の2週間はとにかく生き延びること,次の半年は暫定的にでも普段の生活を取り戻し,安定させていくこと,そしてそれが終わったら狂ってしまった人生設計を立て直したり,次の世代を視野に入れた恒久的な復興を防災を含め進めていく,という風に,これはまあ一例ですが,必要な時間も,費用も変化していくものです。

 そして,この種の話は,時間の経過と共にどんどん重くなっていくものでもあります。最初の2週間では仕事を失ったことを憂うより生きてて良かったと思うことが当たり前ですが,そうはいっても仕事無しでは食べていけませんし,自衛隊も仕事の世話まではしてくれません。最終的には自分で何とかしろ,と厳しい事を言う人がいるかも知れません。

 そしてここがとても大事なことだと思うのですが,天災による助け合いというのは,それぞれのフェイズでその質が変化せねばなりません。生きるために必要な支援物資は,恒久的な復興の役にはそれほど立ちません。逆もまたしかりです。

 被害の少なかった人から出来るだけ早く普段の生活に戻ることの大切さは,被害が深刻でなかなか普段の生活に戻ることの出来ない人々を,経済面でも精神面でも,直接間接を問わず支援ができ,日本全体が少しでも早く立ち上がることにあるのだと,私は思っています。

 前置きはこれくらいにして,先日の土曜日,近所の家電量販店に,ゴパンの小麦グルテンとコードレス電話の子機の充電池を買いに行きました。いいお天気で,いつもなら混雑する店内もこういうご時世ですからお客さんも少なく,手持ちぶさたな店員さんがウロウロしていました。

 グルテンも電池も幸い欲しいものがちゃんと見つかったのですが,Nintendo3DSもなんとなく在庫がありそうな雰囲気だったので,暇そうにしてあれこれくっついてくる店員に在庫を聞いてみました。

 結果,どの色も在庫ありとのこと。

 私の場合,NintendoDSは初代の,しかも発売1週間くらいの初期ロットを買いました。かつてラブ○ラスの激務もこなした,苦楽を共にしたよき相棒なわけですが,さすがに電池が弱ってきているのと,画面の小ささにやや物足りなさを感じていたところでした。

 そこへ,ここ数日の停電騒ぎです。原子力発電所が刻々と状況を変化させている現状を考えると,やはり停電していてもテレビからの情報を受け取る必要はあります。

 こういう場合,携帯のワンセグというのが普通の発想でしょうが,携帯の電池を使う事に対しては,いざというとき携帯が使えなくなることを考えると慎重にならざるを得ません。

 ・・・よく考えてみると,私はNintendoDS用のワンセグチューナーを持っています。これを積極的に使っていくのが現時点ではベストでしょう。しかしやっぱり電池寿命が心許ないです。

 それに,外部バッテリを使うにも,電源の端子が昔のものなので,使えません。ということでNntendoDSiあたりに買い換えようかと思っていたのですが,この時期に買い換えるのなら,せっかくだし3DSにしようと思っていたのです。。

 ただ,25000円もしますからね,ワンセグ見たいだけでそれはちょっとどうなのよと思うところもありましたが,それはまあそれで,在庫があるというのも何かの縁ですし,裸眼3Dならではの面白さがあることを期待して,買うことにしました。

 それで,まず第一印象です。

 シンプルなゲーム機であったゲームボーイ,そしてゲームボーイアドバンス,その後継として生まれたNintendoDSにあった好ましい単純さが消え失せ,ややこしいガジェットになりつつあるんだなと感じました。

 まず,カートリッジを差し込んでもすぐにゲームに画面にいけません。トップの階層にあるいくつもの項目を見ながら選択をしないといけないのは,複雑化したなによりの証だと感じます。

 また,ゲームを終わっても「中断」されるだけで,終了にはもう1つアクションが必要です。中断についても,他のアプリを立ち上げるときに終了を求められるので,あまり中断の意味はないです。いちいち終了してくれる方が楽だしすっきりすると思うのですが・・・

 ま,私はNintendoDSiもDSiLLも買っていませんので,これは正常進化なのかも知れないですね。

 肝心の裸眼3Dは,なかなか驚きです。面白いとは思いますが,かなり疲れます。画面右側のレバーで効果を調整出来るのですが,私はMAXは耐えられません。真ん中辺で十分です。

 個人的に,3Dというのは裸眼でなければならず,従って個人で遊ぶゲーム機,つまり携帯ゲーム機への応用が最適だと考えてきました。一家団欒で家族全員が不細工なメガネをかけるなどと言うのは,互いに目を見て話をすることも出来ず,一箇所に集ってはいても結局一人でテレビを見ていることと何も変わりません。

 せっかく大画面テレビが一般に普及してこの有様です。3Dメガネが足りない場合,その人はテレビを一緒に見ることも出来ません。こんなテレビがリビングに置かれて重宝されるわけがありません。

 そこで裸眼3Dですが,これは見る人の位置や距離によって見え方が随分違います。見え方の個人差もありますので,やっぱり大人数で見るというのは非現実です。

 そこで携帯用ゲーム機です。使う人は基本的に一人で,画面と人との位置はほとんど固定されています。幸いなことに画面に出るのは演算で生成されるゲームの画面ですので,演算結果として奥行き情報を持っています。これを2Dにレンダリングしないで,3Dの情報のまま表示すればめでたく3D対応のゲームとして遊べます。

 まあ,そんなに簡単な話ではないのですが,現在の3Dテレビが抱える3つの問題である,メガネをかけること,大勢で一緒に見ること,3Dのコンテンツがない,は,Nintendo3DSが全て解決していることに気が付きます。

 ですが,これでようやくスタートラインに着いたところであり,3Dに対する制限が取り除かれて,実際に3Dを「おもしろい」と思ってもらえるかどうかが,本当の勝負です。これはもう,コンテンツを作る人の技術とアイデアにかける他ありません。(裏を返すと,あれほど騒ぎ立てていた3Dテレビは結局スタートラインにさえも立てていないことがよくわかりますわね)

 話を戻します。結局私は店頭に並んだ3Dゲームのパッケージをみて,どれも買うのをやめました。どれも面白そうではなかったし,3Dでやるようなものにも見えなかったからです。その点で,高価なNintendoDSiを買ったようなものです。

 「本体の更新が必要です」にも散々出くわしました。WEBサイトを見ることも出来ず,オンラインショップでダウンロード販売を使うこともできず,それらはただ「本体の更新が必要です」と出てくるだけで,それがいつになるのか,そもそも本体の更新とはどんなもので,どういう風にすればよいのか,全く分かりません。

 調べてみると,5月の下旬くらいに行われる「本体の更新」でそれらが使えるようになるのだとか。まだまだ先の話です。

 本来,Nintendo3DSは年末商戦向けに投入されるべきものだったはずなのに,3月下旬になってもフル機能が使えず,しかもそれが5月の下旬にならないとダメなんて言うのは,ちょっと粗末だなあと思いました。もしかすると,これはまだ販売できるクオリティに至っていないのではないのか?そんな風に思います。

 NintendoDSと同じ仕組みでWiFiに接続すればもう少しできる事は増えそうですが,よく知られているようにNintendoDSではWPAに対応していません。今時丸裸のWEPなどを使っている人などいないだろうし,むしろ積極的に「使うな」と啓蒙すべき立場にあるメーカーが,新しい商品においても未だにWEPを使えなどというのは,論外だと思いました。これ,本当にあの「ニンテンドー」の製品なわけ?と・・・

 そんなわけで,使い始めて10分で飽きてしまいました。それ以来立ち上げていません。

 これ,NintendoDSiの人は買い換える必要は今のところないですし,私のようにNintendoDSからの買い換えであっても,本当に3Dがいるのか?という点に絞って冷静に考え,場合によってはDSiを買って差額でソフトを買うくらいの方が幸せになれる可能性が高いことを,考慮しておく方がいいかもしれません。

 今回の25000円は,ちょっと外したなあ。

大きな地震のそのあと

 既報の通り,あまりに甚大な被害を及ぼした大地震,大津波によって,東北地方を中心にして,普段の平穏な生活とはほど遠い,過酷な生活を強いられている方々が多くいらっしゃいます

 私が住む東京も,直接の被害も我慢も少ない中で,例えば日々の通勤が困難であるとか,停電によって不自由があったり,情報の錯綜によって振り回されたりと,直接の被災地とは比べものにならない小さなものではあるとはいえ,やはり非日常が続くことに気の休まるときがありません。なんでこんなに疲れたのかなと思うことがあります。

 何でもない日常が毎日続くことのありがたさと,難しさ。これをまた痛感する日々です。

 最後になりましたが,被害に遭われた方々に,心からお見舞いを申し上げます。我々のような無事な人間は,我々に出来る事を直接間接に,そして短期に長期に,やっていこうと思います。


 

マイクロコンピュータ小史~その3 16ビットマシンの登場と台頭

 さて,今回で最後,16ビットマシンの台頭とPC-9801の終焉までの流れです。

・16ビットマシンの登場と台頭(1985年~1995年)

 1981年にはIBMから8088を搭載した16ビットパーソナルコンピュータ,IBM-PCが登場し,翌1982年には日本電気のPC-9801が8086を搭載して登場した。これらの16ビットCPUを用いたパーソナルコンピュータが主としてビジネス用に向けて発売されていた。

 本体価格はもちろん,システム一式の価格が高価であったこと,ゲームなどのホビー用ソフトウェアが少なかったこと,サウンド機能やジョイスティック端子などのホビーマシンに求められる機能を持たなかったこともあり,それまでの8ビットマイクロコンピュータとは明らかに異なるものとして認識されていた。

 しかし,ゲームやホビーの分野においても,BASICでプログラムを書く事が次第に行われなくなり,その処理能力やメモリ容量,高いグラフィクス能力を生かしたゲームが発売されるようになって,徐々に8ビットマイクロコンピュータは市場を縮小し,16ビットパーソナルコンピュータがあらゆる用途に利用されるようになる。

 日本の標準機であったPC-9800シリーズは,何度かの仕様拡張が行われたが,1985年に登場したPC-9801VM0/2/4以降は互換性がほぼ維持され,この機種をもってPC-9800シリーズの基礎が完成したと見る向きが強い。

 インテルのCPUの進化がそのままシステム性能の向上に繋がり,初期には8086やV30であったPC-9801も,80286,80386,486,PentiumとCPUの世代交代が起こる度に順当に性能を向上させている。

 ただし,あくまで処理速度の向上が主たる変更であり,MS-DOSで使用されるメモリの最大値はあくまで640kバイト,グラフィックは640x400ドットで4096色中16色の表示能力,漢字表示用のテキストVRAMを持つ事や,低速の拡張スロットを持ち続けていること,周辺LSIにほとんど変化がないことなど,基本仕様の変更は最小限にとどめられていた。

 一方,8ビットのマイクロコンピュータではホビー用途にも厳しくなるなか,シャープからCPUにモトローラの68000を採用したX68000が,X1シリーズの後継品種として1986年に発売になった。X68000は標準で2Mバイトのメモリを搭載,最大1024x768ドットのグラフィックと,最大65536色を同時に発色できる表示能力に,強力なスプライト機能,8和音のFM音源にADPCM音源を持つ,当時のゲームセンターのゲームマシンに匹敵するハードウェアを備えていた。

 すでに最大1Mバイトでは頭打ち感の強かった8086搭載のパーソナルコンピュータに対して,X68000は16Mバイトのメモリ空間を持つ68000の特徴を生かし,大容量のフレームバッファに広大なメモリ空間を用意していた。

 開発環境も整備され,その強力なハードウェアを徹底的に叩いたソフトウェアが長く作られ,主としてゲームなどのホビー用途やゲーム開発のマシンとして支持されたが,ビジネス用のソフトウェアが少なく,PC-9801用のソフトウェアに太刀打ち出来るものが存在しなかったことで,ビジネス用にはほとんど普及することがなかった。

 また,68000というCPUを採用したにもかかわらず,32ビット化が遅れたこと,最終のマシンであるX68030でさえも初代X68000の基本仕様をほとんどそのまま踏襲していたことから,当時の急速に進歩するコンピュータの世界において魅力を失い,一部の熱狂的なマニアに支持されたのみに終わってしまう。

 これとは別に,シャープは16ビットのビジネス用パーソナルコンピュータとしてMZ-5500とMZ-6500シリーズを発売したが,こちらもPC-9801の敵ではなく,すぐに市場から消え去った。

 一方の富士通は,1982年に6809と8088を搭載可能なFM-11を発売,これがFMシリーズにおける16ビットパーソナルコンピュータの最初のモデルとなるが,実質的には1984年に登場する8088のみを搭載したFM-11BSと,同年登場した後継機種であるFM-16βによって本格的に16ビットの市場に取り組む事となった。

 FM-16βは,PC-9801に席巻された市場を奪うべく用意された戦略的モデルで,CPUには80186を搭載,グラフィック描画に専用LSIを搭載するなど意欲的であったが,初期のOSとしてCP/M86を選んだことからソフトウェアの充実が図られず,PC-9801の牙城を崩すことは出来なかった。

 FM-16βをベースにさらに拡張を行ったのがFM-R50シリーズで,PC-9801シリーズの直接の対抗に当たる。このFM-R50をベースに,ホビー用途にも利用出来る家庭用パソコンとして,FM TOWNSが登場する。

 FM TOWNSは当初から80386をネイティブモードで動作させていたため16ビットパーソナルコンピュータではなく明らかに32ビットパーソナルコンピュータであったのだが,多色表示,スプライト機能,FM音源の搭載,そしてCD-ROMの標準搭載といったホビー用途を意識したものであり,PC-9801の不得意とする分野においてX68000とはライバル関係にあった。

 FM TOWNSはインテルのプロセッサを採用したことからその性能向上の恩恵を受けられた事もあり,1995年まで新機種が発売され,一定の支持を集めていた。

 こうして,日本国内では巨人NECのPC-9801シリーズがビジネス,ホビー共にパーソナルコンピュータ市場を制覇し,これにシャープと富士通という2弱による,独自アーキテクチャのコンピュータが,それぞれの支持者に支えられていた。

 海外ではIBM-PCとその互換機が市場を押さえており,1995年に登場するWindows95の登場によって,日本でもこれら独自アーキテクチャのマシンが急速に衰退することになる。


・互換機ビジネスとPC-9801

 IBM-PCは汎用品を組み合わせて作られた上に,オープンアーキテクチャを選択したため,互換機を開発することは容易であったが,著作権のあるBIOSをコピーするわけにはいかず,公の市場に互換機が登場することはしばらくなかった。

 しかし,著作権に抵触しない,安全なBIOSを供給するメーカーが現れ,互換機メーカーがここから合法的なBIOSの供給を受けることにより,IBM-PCと互換性のあるマシンが市場に投入出来た。

 本家であるIBMは互換機の持つ低価格,高性能なマシンに打ち勝つことが出来ず,やがてパーソナルコンピュータからの撤退を余儀なくされるが,IBM-PCとこれをベースに発展した現在のPCは,Windowsというハードウェアを隠蔽化する仕組みを持つOSの登場によって,すでにハードウェアの違いを意識しないようになっている。

 市場を寡占したメーカーの利益は莫大であり,価格競争に巻き込まれることもないため,当時の日本市場を押さえていたPC-9801シリーズの互換機を,大手メーカーとしては初めてセイコーエプソンが発売する。

 当時最新で,NECのPC-9801VX2に採用されていた80286をCPUに搭載したPC-286シリーズがPC-9801VMの互換機として発表されるが,ROM-BASICに著作権違反の疑いがあるとしてNECが発売差し止めを訴え,PC-286mode1からmodel4は発売を中止した。

 問題となったROM-BASICは,電源を入れると立ち上がるBASICインタプリタのことで,フロッピーディスクのサポートもないため,直接このBASICを使う事はほとんどなくなっていた。しかし,多くのソフトウェアがこのROM-BASICに格納されたサブルーチンを使っていたこともあり,互換性を維持するには避けて通ることの出来ないものであった。

 急遽ROM-BASICをオプションにしたPC-286model0を発売したが,その後著作権問題を解決し両社は和解,PC-286VとPC-286UからROM-BASICを搭載して互換性を高めている。

 この後PC-286シリーズは低価格,高性能を武器に売り上げを伸ばし,セイコーエプソンの主力商品の1つとなるが,PC-9801の衰退する1995年には撤退,以後はIBM-PCの互換機を販売するようになる。

 NECは自社がPC-9801用に発売したMS-DOSに,PC-286では動作しないようにチェックをかけていたが,エプソンはこれを解除するソフトを配布していた。ソフトハウスによってはこの「エプソンチェック」を行うものもあったが,後にこのチェックは廃止される。

 1987年当時,PC-9801の互換機はセイコーエプソン以外に数社が開発を行って,発売を検討しているという噂が流れていたが,実際に互換機を発売した大手メーカーとしてはセイコーエプソンのみであった。なお,シャープがMZ-2861という機種でPC-9801の互換を実現したことがあったが,これはあくまでPC-9801のエミュレーションを専用のソフトウェアで行い,特定のアプリケーションだけが動作するというもので,互換機として考えない場合がほとんどである。


・ホビーを志向した16ビットパーソナルコンピュータ

 NECはPC-8801シリーズを16ビット化したPC-88VAを1987年に発売する。Z80とV30の両方に互換性のあるカスタムLSIを中心に,グラフィック機能とサウンド機能を強化したホビー用マシンは,PC-8801シリーズとの互換性を売りにし,X68000をライバルとしたマシンであったが,ホビー用途がPC-9801シリーズに移行する流れには逆らえず,3機種の発売で終息する。

 1989年には,PC-9801VM相当とPC-8801MH相当の機能をそのまま1つの筐体に格納し,スイッチで切り替える事の出来た,PC-98DOが発売になる。翌年の1990年にはCPUをV33にして高速化を図ったPC-98DO+も投入するが,すでにPC-8801は不要になった時期でもあり,主流とはならなかった。

 富士通のFM TOWMSについては,キーボードやハードディスクを省き,CD-ROMで供給されるソフトウェアを「再生する」ためのマシンとして,小型のMartyを発売する。ちょうど当時はPlaystationとSEGA Saturnといった次世代ゲームマシンが登場する直前ということもあり,CD-ROMによって供給されるマルチメディアタイトルを,家庭用テレビで再生するための需要があると分析されていた時期でもあって,そのプラットフォームとしてFM TOWNSを応用したものであったが,そもそもFM TOWNSにそうしたソフトが揃っていたわけではなく,市場に受け入れられることはなかった。

 また,先に触れたX68000は常にマニアの方を向いたマシンとして,ハードやソフトを自作出来るスキルのある人,目の肥えたゲームマニアの期待に応えてはいたが,新しい仕様,拡張された機能などがほとんど用意されず,後継機種において進化したのはCPUのクロック周波数と搭載されたハードディスクの容量くらいのものであった。

 ただし,筐体の小型化は進み,バリエーションの1つとして3.5インチフロッピーディスクを搭載したcompactシリーズは68030モデルでも併売され,最終的に事実上の標準となった観さえある。

 X68000シリーズは,PowerPC搭載モデルの試作まで完了していたという話もあり,当時からそうした次世代モデルの噂が絶えなかったが,最終的にメーカーとしての判断から開発を中止,結局後継機種は出ないまま1982年に登場したX1の系譜は途絶えることになる。


・PC-9801シリーズ終焉

 主力機種の価格が約40万円という伝統を長く守ってきたPC-9801シリーズであったが,IBM-PCの互換機でもDOS/Vによって日本語表示が可能になったことから,一気に低価格のパーソナルコンピュータが流入する。

 そこで,従来路線を踏襲する高機能なモデルをPC-9821シリーズとし,基本性能をMS-DOSから使うユーザーに向けた廉価版をPC-9801として残す2ラインナップが1990年代初頭に見られた。

 PC-9801シリーズは後に終息,ほぼ全ての機種がPC-9821シリーズとして登場し,WIndowsへの対応やIBM-PCとの共通性を少しずつ高めていくことになるが,独自アーキテクチャであることが最終的に足かせとなり,ハードウェアもソフトウェアも,その開発が負担となっていった。

 また,Windowsの登場は,独自のアーキテクチャであることを隠蔽化するものであり,ユーザーがWindowsの動作を目的としている場合は,安価なIBM-PC互換機を買えばそれで十分という状況が生まれていた。この場合,PC-9821シリーズでなければならない理由はもはや存在せず,次第に市場規模が縮小する。

 そして1997年,NECはPC98-NXというPC97規格に準じたシリーズに軸足を移すが,2003年にはPC-9821シリーズの新規受注を停止,ここに長く日本のパソコンの代名詞であったPC-9801シリーズは,完全に終了する。


・MS-DOSとWindows

 汎用のOSとして販売された8086用のOSであるCP/M86は,当初MS-DOSに比べて優勢であったが,IBM-PCのヒットと共に,その優位性が高まってゆく。日本国内においては,MS-DOS2.11までアプリケーションを格納したフロッピーディスクにプリインストールされており,フロッピーディスクを入れて電源を投入すれば,MS-DOSからそれぞれのアプリケーションまでが起動するという一連の流れが実現した,唯一のOSであった。

 MS-DOSもバージョン3以降はこうした「バンドル」を許さなかったので,ユーザーは別にMS-DOSを購入し,自らインストールを行う必要があったが,この時すでに優秀な開発環境,低価格化したハードディスクへの対応,デバイスドライバによる拡張,日本語フロントエンドプロセッサの登場など,MS-DOSの優位性は揺るぎないものであった。

 当初,フロッピーディスクとファイルの操作,キーボードやマウスと言った入力デバイスの管理を行うだけのOSだったMS-DOSは,日本語入力手段の提供,EMSメモリによるメモリの拡張,ハードディスクやCD-ROMといった大容量デバイスへのアクセスといった機能を提供し,それぞれのアプリケーションに提供するようになる。

 それでもMS-DOSはシングルユーザー,シングルタスクのOSであり,GUIやマルチタスク環境を提供するものではなかった。

 マイクロソフトがアップルのLisaやMacintoshのGUIに触発されて開発したとされるWindowsは,MS-DOSの後継OSとしてIBMと共同開発を行っていたOS/2に対し,MS-DOSの拡張という形で細々と開発が行われていた。しかしIBMとの関係が悪化し,マイクロソフトはOS/2からWindowsへと軸足を移してゆく。

 Windows1.xはDOSのアプリケーションに過ぎず,また貴重なメモリを圧迫してしまうためほとんど使い物にならなかった。2.xではEMSメモリに対応することでメモリの問題には1つの解決策を提示したが,8086,80286,そして80386の3つのプロセッサを別々のパッケージで対応し,それぞれに機能差があった。

 Windows3.xになり,基本的には80386のみを対象とした上で,80286におけるプロテクトモードで動作するようになったことでようやく実用レベルに達し,特にWindows3.1とDOS/Vにより,海外製の安いIBM-PC互換機が国内でも売れるようになってゆく。

 そして80386のプロテクトモードで動作するWindows95が登場し,本格的なWindowsの普及が始まった。


・このころのCPU

 すでに16ビットのマシンが当たり前になったこの時代,インテルの8086の系列とモトローラの68000の系列が主軸となっていた。

 8086は現在のx86の原点とも言える16ビットCPUで,64kバイトごとに区切られたセグメントによって最大1Mバイトまでのメモリをアクセス出来る16ビットCPUである。命令セットなどのアーキテクチャに,8ビットである8080や8085を色濃く残していたため,これを揶揄する人も多かったようだが,そもそも8086が当初目指したのは8080からの受け皿であり,16ビットでアクセス出来る範囲をセグメントとして分けたこともその1つの方法である。

 8088は8086の外部データバスを8ビットにしたものである。当時のDRAMは1チップで1ビットの入出力端子を持つ構成であり,16ビットバスに接続するには最低16個のチップを必要とした。仮に64kビットのDRAMを用いた場合,最低でも128kバイトからの実装となってしまうため,そんなに必要ないという用途には無駄になってしまう。8088はこういった要求から生まれたもので,64kビットのDRAMを最低8個から構成できる事から低価格,小規模なコンピュータに向く。

 80286は8086の後継CPUとして登場した16ビットCPUであり,16Mバイトのメモリ空間に階層化されたメモリ保護機能を持つものであった。ただしパソコンでの使われ方は高速な8086としてであり,80286の機能を生かしたものはほとんどなかった。

 80386は80286を大幅に強化した32ビットCPUで,8086,80286との互換性も維持している。80386は完全な32ビットCPUであり,メモリ空間は4Gバイト,保護モード,ページング方式のMMUを内蔵しており,x86の完成形として現在のインテルの礎を築いた。

 68000はモトローラの16ビットCPUであり,M68000というアーキテクチャを実装したプロセッサの第一号である。16Mバイトのリニアなアドレス空間に直行性の高い命令セット,内部完全32ビット構成と,当時のミニコンピュータをお手本にしたCPUとして,他と比べて抜きんでた性能を誇っていた。68008は8ビットバス版,68020は32ビットバス版である。

 68030は68020の改良版で,キャッシュメモリとMMUを内蔵し,処理速度を向上させたものである。

 V30はNECが開発したCPUで,8086の互換CPUである。ピンコンパチではあるが電気的な仕様がやや異なるためそのままの差し替えは行えない場合が多い。オリジナルの8086に比べ一部の命令が処理クロック数が削減されており,同クロックの8086に比べてわずかだが高速化されていることが特徴。著作権侵害をインテルに訴えられた訴訟は長く続いたが,最終的に侵害の事実はないと判定され,和解した。

 65816はAppleIIやファミリーコンピュータに採用された6502の後継CPUで,6502との互換性を持つ16ビットCPUである。パーソナルコンピュータとしてはAppleIIGSにしか採用された例はないが,スーパーファミコンに採用された。

 Z8000はザイログが開発した16ビットCPUであるが,Z80との互換性はない。8086に比べてミニコンピュータのアーキテクチャに近く,68000が登場する前には本命とされていた。パーソナルコンピュータへの採用は例が少ないが,専用ワープロの書院などに採用された例がある。


・その他の日本の16ビットパーソナルコンピュータ

 三菱:MULTI16・・・CPUに8088,フロッピーディスクドライブとCRT,キーボードを一体化したオールインワンのマシンで,1981年に登場した日本の16ビットパソコンの草分け的存在。MS-DOSを採用したパソコンとしても最初期にあたり,マイクロソフトがMS-DOSを移植する際に,漢字を取り扱うために用意した文字コードが後にシフトJISと呼ばれるようになる。

 日立:ベーシックマスター16000・・・CPUに8088を搭載した初期の16ビットパソコンであり,驚くべき事にベーシックマスターJrやLevel3と一緒に広告が掲載されたこともある。実はIBM-PCの互換機である。

 東芝:PASOPIA16・・・PASOPIAシリーズの16ビットマシンで,CPUには8086を装備していた。やはりビジネス用途に向けたものであり,強力なOA-BASICが用意されていた。東芝はこの後,IBM-PCの互換機を展開,ラップトップマシンのJ3100シリーズや,世界初のノートPCであるダイナブックを投入し成功する。

 シャープ:MZ-2861・・・前述のMZ-5500や6500が,MZ-3500やPC-3200を源流に持つものであったのに対し,MZ-2861はMZ-2500(つまりMZ-80B)を源流に持つマシンである。CPUには80286とZ80Bを搭載し,MZ-2500モードに切り替える事で完全にMZ-2500として動作した。基本性能は高く,同梱のワープロソフト「MZ書院」も評価が高かったが,現在はPC-9801のエミュレーションを行ったマシンとして記憶にとどまる程度である。

 三洋:MBC-55・・・8088をCPUに持つパーソナルコンピュータである。1983年当時としては,128kバイトのRAMとフロッピーディスクドライブを1台内蔵して178000円と非常に価格が安く,家庭用テレビに接続出来る,フロッピーディスクは片面倍密度という安価なものを採用するなど,トータルコストを低く抑えてホビー用途も視野に入れたものであったが,ビジネス用途には必須であったソフトウェアの不足によってほとんど知られることなく市場から消える。なお,後継機種のMBC-5800はPSGやボイスシンセサイザを内蔵したが,こちらはさらにマイナーで知る人も少ない。

 松下電器:PANACOM-M500・・・富士通のFM-R50のOEMで供給されたシリーズである。

 松下電器:MyBrain3000・・・1983年に発売。松下通信工業が開発したビジネス向けの16ビットパーソナルコンピュータで,CPUには8088を採用していた。日本で最初にMS-DOSを採用したパーソナルコンピュータとして知られる。

 ソード:M68・・・パソコンベンチャーとして知られたソード電算機システムは,主としてビジネス用のパーソナルコンピュータを発売していたが,このうちCPUに8086と68000の2つのCPUを搭載したモデルが,このM68である。ソードはPIPSという簡易言語の評価が高く急成長を果たしたが,アプリケーションは自作するものから買ってくるものへと時代が変わり,急激に存在感を失っていく。現在は東芝の子会社となっている。

 NEC:PC-98LT・・・PC-98とついてはいるが,PC-9801とは互換性のないモデルで,NEC最初のラップトップマシン。PC-9801のサブセットという位置付けで,専用のソフトしか動作しなかったために,PC-9801LVというPC-9801シリーズと互換性のあるラップトップが出ると同時に消滅するが,その後この機種を小型化したPC-98HAが登場することになる。

 NEC:N5200モデル05・・・PTOSというOSが動作するオフィスコンピュータのシリーズの1つで,大型機の端末にもパソコンにもなることが売りであった。基本的な構成には同時期のPC-9801と共通する点も多かった。8インチフロッピーディスクドライブを2機装備し,CPUには8086を搭載していた。

 NEC:PC-100・・・PC-9801とは別のラインとして1983年に登場した16ビットマシンで,CPUには8086を装備していた。設計と製造には京セラが深く関与した言われており,ビットマップディスプレイに縦置き可能なCRT,マウスを標準装備し,OSにはMS-DOSを採用するなど,時代を先取りするかのような意欲的な仕様が多く盛り込まれた。しかしNECはPC-9801を主流として位置づけており,価格が高価であったこと,アプリケーションが揃わなかったこと,当時としては決して処理性能が高いわけではなかったことから売れず,営業的には失敗とされる。

 日本IBM:JX・・・失敗作といわれたIMB-PCjrをベースに,日本向け独自仕様を盛り込んだもので,当時の日本IBMとしては異例の個人向けに販売された機種。PC-8801程度の価格で16ビットマシンが買えることが売りであったが,動作は緩慢であり,ソフトもほとんどない中苦戦を強いられ,後継機種も出ずに撤退。

 カシオ:FP-3000・・・8086を採用した16ビットマシンで,1983年に148000円という低価格で発売されたマシン。ビジネスと言うより

 トミー:ぴゅう太・・・8ビットのマイクロコンピュータの範疇に入るホビーマシンであるが,CPUは16ビットのTMS9995を用いているため,16ビットマシンとして扱う場合もある。ただ,TMS9995は8086や68000に比べると明らかに一世代前の16ビットCPUといえ,16ビットマシンとして当然の処理能力が不足しているため,一般には16ビットマシンとして考える事はない。VDPにはMSXと同じTMS9918を採用し,初期のモデルはカタカナによる日本語表記のBASICインタプリタを装備するという異色のコンピュータであった。ROMカートリッジでゲームを楽しめる点はMSXやM5,SC-3000などと同じゲームを志向するマシンであったが,同時に販路の関係からおもちゃ屋さんの店頭に並ぶこともあり,コンピュータ専門店がなかった地方などでも実際に触ることが出来た数少ないマシンの1つである。

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