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2012年08月の記事は以下のとおりです。

100年目の皮肉

 日本を代表する電機メーカー,シャープが大変なことになっています。早川徳次が創業して今年で100年という節目に,存亡の危機に立たされています。

 100年か・・・すげーな・・・戦後生まれのそこらへんの会社とはまさに桁違いです。1980年代,東芝,ヤマハといった伝統あるメーカーが100周年を迎えたときには感動さえ覚えたものですが,いよいよシャープも仲間入りという時に,こんな皮肉があるものかと思います。

 大阪らしいと言いますか,生きた金しか使わん,という堅実な気質を,私はシャープという会社に見ていました。古くは1970年の万博に出展せずその費用で天理に工場を建てた話や,最近だと大阪の阿倍野に出来る超高層ビルに本社を移さないかという誘いを断ったなどは,素人にわかりやすいが本業の直接のプラスにならないような話には財布の紐が固いというのが,この会社の文化なんだろなあと思っています。(余談ですが,1980年代後半のパソコンのイメージキャラクタとして,PC-8801のNECは斉藤由貴,FM-77の富士通は南野陽子なのに,X68000のシャープはツタンカーメンのマスクと,その三段オチに当時も苦笑が漏れたものです・・・)

 私はもともと大阪の人ですし,実家は当時主力工場の1つだった八尾工場の近く,本社のある阿倍野は大阪市内への玄関口で,シャープという会社にはとても親近感がありました。お隣さんや友人の兄貴がシャープの社員なんてこともあって,気さくな印象を持っていたのかもしれません。

 1970年代は,シャープはやっぱり二流三流のメーカーでした。テレビも冷蔵庫もラジカセも,安かろう悪かろうだったように思います。当時は一流メーカーである松下電器と,安売りを標榜して急成長したダイエーとの間が険悪でしたから,ダイエーなどのスーパーマーケットの家電売り場には,シャープや三洋などのちょっと垢抜けない家電品が並んでいたものです。

 ちょっと横道にそれますが,今でこそヤマダ電機やヨドバシカメラなどの量販店が幅を利かせていますが,家電量販店が小売りの主軸になる前は,ダイエーやジャスコなどのスーパーマーケットが,家電販売の主戦場だった時代があります。

 それまでは,そうそう高額商品を在庫で持つわけにいかない小さな街の電気屋さんが,基本的に定価で家電を売っていたわけで,数をバックに安く仕入れるというスーパーマーケットの手法が家電にも浸透した結果,消費者はいろいろなメーカーの商品を見比べて,しかも値引きをして安いものを買うことが出来るようになったのです。これはとても画期的なことでした。
 
 全国津々浦々にナショナルショップを持ち,各店舗に1個ずつ仕入れてもらうだけで数万個も売れてしまう圧倒的な販売力を持つ松下電器が,ダイエーの安売りを認めてしまうと,ナショナルショップを裏切ることになります。今風に言えば,ビジネスモデルの崩壊です。

 だからダイエーには品物を卸さないといった強硬手段を講じることになりましたし,ダイエーはダイエーで,松下以外のメーカーのものを安く売ることにしたわけです。やがて,街の電気屋さんは次々に廃業し,一方でスーパーマーケットを経て大規模な家電量販店へと主な販路が移り変わっていったのです。

 結果的に,配下のチェーン店が少ないメーカーほど,スーパーマーケットで売られることになり,次第に大きな存在感を示すようになります。そしてこの流れは松下電器でさえも無視できなくなっていきました。

 つまり,この時日本の家電の売られ方が大きく変わったのです。我々から見れば,安くても良いものがすぐに買えるようになるという,その布石が打たれたといえるでしょう。

 さらに時は流れ,松下はナショナルショップの扱いに苦慮することになるのですから,潮目を読み違えることの怖さを感じてしまいます。

 話を戻しましょう。

 シャープがかつて,家電品では垢抜けない二流メーカーだったことは否めません。定価販売はなく,スーパーの家電売り場でよく見かけるメーカーでした。

 しかし一方で,なかなか手広くいろいろな新しい事に手を出していた面白いメーカーでもありました。電卓,液晶なんてのは有名ですが,特にコンピュータやOA機器(あんまりこういう言い方は最近しませんね,要するに事務機のことです),半導体といった分野に,ちゃんとユニークな足跡を残しています。

 コンピュータについては,HAYACという小型のオフコンを手がけていました。シャープはその昔,早川電機という社名でしたから,そこからHAYACと命名されたわけですが,その最初の製品であるHAYAC-100は1964年に誕生しています。

 日立や富士通,NECのような大型機を作っていたわけではありませんが,NECや三菱などのオフコンと混じって,HAYACは1980年代初頭まで販売されていました。

 さらに,UNIXを搭載したワークステーションのOAシリーズを開発しており,これは1990年代前半まで販売されています。そう,当時ダウンサイジングという言葉と共に隆盛を誇ったUNIXワークステーションにも,ちゃんと参入しているのです。

 そしてパソコンです。1978年,日本で最初のパソコンである日立のベーシックマスターに遅れること数ヶ月でMZ-80Kを発売,以後2010年に撤退するまでパソコンを販売していました。AXパソコンで取り組み始めたIBM互換機路線以後は別にして,それ以前のシャープのパソコンにはとても個性的なものが多く,また当時のユーザーの技術レベルの高さは語りぐさになっています。

 そうそう,ワープロを忘れてはいけませんね。書院シリーズは,当初はHAYACのような大型のものでしたが,1990年代までの個人用ワープロブームの中ではダントツの強さを誇っていました。

 電卓の強さは言うまでもありませんが,ここから派生した2つの流れ,事務機という流れからは複写機やFAXなどの事務機,電池で動くポータブル電子機器という流れからはポケットコンピュータや電子辞書,電子手帳,PDAが誕生します。直接の関係はないのですが,携帯電話にも圧倒的な強さを誇った時期がありました。

 もう1つ,家庭用の電子レンジについては先駆者でした。戦争中のレーダー技術だったマグネトロンを民生に応用した電子レンジは,当初は厨房用品としてプロに向けて売られていましたが,これを家庭用に最初に量産したのもシャープで,松下より1年早い1962年のことでした。まさに電子レンジのパイオニアなのです。

 こうしてみると,シャープという会社はモーターをぶん回す,「動力家電」には今ひとつだったかも知れませんが,電子機器,半導体を使う機器については,なかなか強いものがあったことがわかります。

 で,もう少し深掘りすると,シャープが半導体メーカーとして強力な存在であったことに目が行きます。

 シャープは,半導体製造に乗り出した時期こそ新しく,いわゆるゲルマニウムトランジスタなどは一切生産していませんし,汎用のシリコントランジスタも私の知る限り,作っていなかったように思います。

 しかし,シャープの電卓開発を推進した佐々木正さんがザイログと仲良しだったこともあり,当時世界的にも珍しいザイログのセカンドソーサとして,Z80を作りまくって売りまくりました。

 Z80は8080の欠点を改良した8ビットCPUですが,シャープ製の品質と価格,そして納期の確実さを抜きにして,ここまで普及したかどうかは,私はわからないなと思っています。Z80といえばシャープ,MSXを分解すればそこにシャープのZ80,そんな時代があったのです。

 Z80はNECも生産していましたが,シャープはCPUだけではなく,Z80ファミリも生産します。Z80CTC,Z80PIO,Z80SIO,Z80DMAなど,8080のペリフェラルよりもはるかに高機能なLSIを大量に生産していました。のみならずZ8000シリーズやZ8シリーズも手がけていて,シャープが果たした役割はとても大きかったと言えると思います。

 また,光半導体もシャープは強く,古くからLEDは定番化していましたし,フォトトランジスタもよく知られていました。またフォトカプラのPC900は,MIDIインターフェースには必ず使われたと言っていいほど,メジャーな存在でした。

 今ではWindowsさえも動いてしまうくらい立派になったARMも,シャープは無名時代からライセンスを受けて生産をしていました。

 カスタムLSIの一種であるゲートアレイも自社で開発する体制を持っていたり,NOR型フラッシュメモリではインテルと共同で開発にあたり,一時期圧倒的な存在感を示していたことがありました。SRAMもシャープ製がよく出回っていましたね。ラジオやテレビ用のアナログICも多くラインナップされていましたし,シャープの半導体というのは,実は結構凄かったのです。

 そんなシャープが,なぜ転がり落ちるように,業績を悪化させたのでしょうか。私は経済分野の専門家ではありませんので,分析は専門家に任せるとして,こうしたここ30年くらいの歴史を鳥瞰して思うところを書けば,液晶事業にちょっと重心を置きすぎた,あるいは液晶以外を軽く考えすぎていたという,液晶偏重が元凶だったと思います。

 これは結局,当たればでかいが外れればすってんてん,という一点買いの大ばくちのようなもので,電卓に端を発し世界をリードしてきた液晶技術とその応用に絶大なる自信をもち,その結果冷静さを欠いた結果だろうと,そんな風に思います。

 液晶ビューカムがなければ,未だにデジカメはファインダーを覗き込んで撮影をしていたかも知れません。初代PSPのLCDには,その画質故にあえてライバルメーカーであるシャープ製のものを使うことになったそうです。

 誰もが「無理だ」と思っていた液晶テレビへの切り替えは,シャープの言うとおりに進み,ブラウン管はとっくに駆逐されてしまいました。液晶応用製品として誕生した電子手帳やザウルスは,あの時代にモバイルコンピューティングを具現化していました。

 こうしたシャープの強さの証には,枚挙にいとまがありません

 しかし,その裏で,あれほどの存在感を持っていたCPU,LED,SRAM,フラッシュメモリなどの半導体はすっかり勢いを失いました。ARMも本来ならシャープは老舗として君臨していても良いはずなのに,全く話を聞かなくなってしまいました。 

 パソコンもワープロも撤退,ビデオカメラもPDAも撤退,携帯電話はじり貧で,自社の半導体の強みを生かした電子機器も,軒並み力を失っています。集中と選択という言葉が流行りましたが,液晶こそ正義とばかりに液晶に肩入れしすぎたことが,この結果を招いたと思っていますし,他がやらない分野を技術力で席巻するシャープの個性が失われたことを,とても残念なことだと思っています。

 同時に,これら液晶以外の製品に関わり,それなりの成果を上げていた社員の皆さんが,集中と選択の結果受けた仕打ちと,そして現在の状況に対して抱く複雑な感情を察すれば,液晶のシャープは文字通り「液晶のシャープ」であって,かつての個性豊かな「目の付け所がシャープでしょ」ではないことを,改めて私に突きつけます。

 果たして,これは年寄りの懐古主義でしょうか。そうかも知れません。しかし,それまで二番手三番手だったシャープが,液晶によって憧れの「一流クラブ」に入ってから有頂天になり,足下が見えなくなってしまったように思えてなりません。

 人が変わってしまった・・・単純な「昔は良かった」とは,ちょっと違うかなと思います。

 こういうとき,創業者の存在というのは,いろいろな意味で大きいもので,水道哲学は今のパナソニックにも通じるものがありますし,独自技術で世間をあっと言わせることは今のソニーにも受け継がれていますから,その点では創業者がやったことが今でも肯定され尊敬されています。

 しかし,シャープは早川徳次が何を見いだし,何をしたのかと考えると,創業者が例外なく抱いたはずの強烈な使命感や哲学は,今のシャープにとって影響を与えず,また経営陣や社員たちが頼ることもない,伝説になっているように思います。

 極論すれば,シャープは100年の会社ですが,設備産業である液晶にどかんと投資した新興メーカーと何も変わらん,と言われても仕方がありません。のみならず,現状と創業者の意志との間の距離感を,誰も確かめずにここまで来てしまったことが,シャープの最大の問題であったと私は思います。

 果たして,これが100周年を祝う会社のあり方として,妥当かどうか。気の毒なことに,企業にとって奇跡的と言える100周年を大々的に口に出来ないシャープに,ある種の後ろめたさがあるのではないかと,私はそんな風に勘ぐってしまうのです。

サーキュレータのACモーターをDCモーターに換装

  • 2012/08/27 11:44
  • カテゴリー:make:

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 先日,PS3を壊してしまった(勝手に壊れたのだが修理不能にして廃棄したのは何を隠そうこの私)ことを書きましたが,その遺品である大型のファンを使って,今流行のDCモータによる扇風機を作ってみることにしました。

 とはいえ,ゼロからスクラッチするのは大変なので,使っていないサーキュレータを改造することにします。これは名著「プログラミング言語C」のANSI対応版に改版前のものに,UINXが移植できるマシンのメーカーとして印象深く登場するハネウェルのサーキュレータで,3段階の風量調整が出来る割には,最小のポジションでも強烈な風と音で,いかにもアメリカンV8な豪快なやつです。

 おかげで繊細な我々夫婦は,GreenFan2を買う羽目になり,このサーキュレータはお荷物となってしまったのでした。

 もう少し弱い風が出るように出来ないものかと思ったのですが,いわゆる隈取り式モータですので,速度調整には限界があります。それに消費電力も30W以上とやや大きく,やるならDCモータにしないと駄目だろうという結論になっていました。

 そこへPS3の遺品です。

 PS3のファンは140mmの遠心式のファンですので,このままは流用出来ません。しかも謎の3線式で,電源を繋いだだけでは回りませんでした。

 しかし,ここであきらめてしまう私ではありません。

1.どうやって羽根を取り付けるのか

 前述のように,PS3のファンは遠心式のファンですので,羽根の構造が全く違うため流用は出来ません。羽根の部分を外して,扇風機らしい軸流ファンにするには,プロペラの部分をなんとしても取り付けねばなりません。

 しかし,正確に中心が出るはずもなく,そこそこ高速で回転する可能性がある扇風機では大きな振動も避けられず,接着剤でくっつけるとか,弱いネジで取り付けるなどの柔な方法だと,使用中にプロペラが外れてしまうかも知れません。こわいですね。

 そのプロペラは元のサーキュレータから流用することにしたわけですが,問題はこれをどうやって取り付けるかです。

 まず考えたのは,DCモータのシャフトを中空にし,ここにネジを切ってプロペラをネジ止めすることです。シャフトの径は6mm,ここに2.5mmの穴を開け,3mmのタップでネジを切ります。

 古いドリルビットを1本折ってしまいましたが,なんとか15mmほどくりぬきました。ここにタップをねじ込んでいきますが,もともと2.5mmと穴が小さい上,かたい金属であることもあって,なかなか切り込んでいきません。

 騙し騙しすすめて,ようやく5mmほどネジを切ったところで,仮組をします。プロペラを長い3mmのビスでネジ止めしますが,プロペラの中央の穴径は大きいので,ネジを締め込む前に調整が出来て,中心が出しやすくなりました。

 おかげで,なかなかうまくにプロペラが取り付けられました。

 しかし,ビスの長さが30mm程あって,そこにバランス取りもされていない3枚羽根のプロペラをネジ止めするのですから,わずか5mmほどでは折れてしまいかねません。不安ですのでもう少しネジを切ることにします。

 すると,タップがポキッと折れてしまいました。

 覚悟はしていましたが,折れた先端をシャフトに残したままでは先に進めませんので,なんとか引っ張り出そうとしますが,かたくてとても抜けません。

 結局,この案は幻に終わりました・・・

 次に考えたのは,DCモータのシャフトを交換してしまうアイデアです。我ながらよく考えつくなあと感心するのですが,以前部品屋さんで,ボリュームの軸を延長するシャフトを買ってありました。6mmの径で,反対側には6mmの軸を差し込んで固定することが出来ます。

 精度も出てなくて,こんなもんが使えるのかと不安になりましたが,DCモータの軸受はボールベアリングです。ここにしっかり固定できれば,多少の問題はなんとかなります。

 DCモータのロータを,シャフトから抜きます。そしてシャフトをモータから抜いて,今回の新しいシャフトに交換します。

 ちょっとガタがありますが,まあなんとかなるレベルです。モータの後ろ側には,元のサーキュレータのモータについていた軸受をはめ込み,抜け防止にします。

 トライアンドエラーを繰り返して,何とかモータが組み上がりました。

 そして,先程まで使われていたDCモータのシャフトを,新しいシャフトの先端に取り付け,その先にプロペラをはめ込みます。お,なんとなくうまく取り付けられました。ちょっと(というかかなり)不安がありますが,なんとかなるでしょう。

 冷静に考えると,6mmの太さのアルミの棒があれば済んだ話なんですね。そういうものが手もとになく,買いに行くこともしなかったために,こういうおかしな話になってしまった訳ですが,これに気が付いたのがこれを書いている今というのも,間抜けな話です。


2.どうやって本体に取り付けるのか

 次にこのモータをどうやって本体に取り付けるかです。さすがに隈取り式モータとは形が全然違いますので,そのままは取り付けられません。

 とりあえずベースとなっている鉄板を切って,3本の手を出しました。これをクニクニと曲げて,うまく固定できそうな形にします。最後に1箇所だけネジ止めして,これでよしとしました。

 いやはや,いかにも頼りない,危険な代物になってきました・・・


3.どうやって回すのか

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 PCのファンと同じで,電源を入れればとりあえず回転し,速度調整は電源電圧を下げることで行うのだと思っていたのですが,回ってくれません。

 いろいろ調べた結果わかったのは,このモータは電源を繋いだだけでは駄目で,速度調整用のPWM信号を突っ込む必要があるということでした。周波数は任意のようで,パルスの幅で速度がかわるようです。

 PWMといえばマイコンの出番です。マイコンと言えば,私にとってはAVRのATtyny2313です。このマイコンはタイマを使ってPWMを発生させることがとても簡単です。

 そこで,速度を4段階に可変出来るものとし,スイッチは押しボタンがアップとダウンの2つ,電源は待機電流が大きいようなので1次側でバシッと別のスイッチで切るものとします。

 インジケータはLEDを4つ並べて,バーグラフのような表示にしましょう。

 クロックを内蔵の4MHzにし,GPIOのアサインをして基板を作り,さっとソフトを書いて,しょーもないバグを取り除けば,あっという間に15kHzのPWM信号生成回路が完成です。

 これを早速モータに繋いでみると,ありがたいことにちゃんと速度が可変しています。よかったよかった。

 しかし,LEDの電流制限抵抗をなぜか勘違いし,3kΩを3Ωの抵抗にしてしまい,LEDとAVR,そして抵抗が発熱したあげくに,長時間点灯したLEDは劣化して暗くなってしまったことは,ここだけの秘密にしたいと思います。


4.そして完成へ

 電源は手持ちのACアダプタを使います。12V1Aですが,このファンは最大で2A近くの電流を消費します。そこでソフトでリミットをかけ,最大風量でも1Aを越えないようにしました。それでもかなりの風が来ます。

 最初の2段階はそよ風のように弱い風が静かに出てくるようにし,後の2段階は少々うるさくてもしっかり風邪が出るようにパルス幅を最終調整し,ソフトは完成。

 次に基板を本体に取り付け,全体の配線をします。

 最終的なテストも問題なし。あのアメリカンV8が,シルキーシックスと評されたBMWの直列6気筒のように,静かにゆっくり風を作ります。

 一番弱いときで300mA程ですので,消費電力で言えば3.6Wです。改造前に比べれば1/10の消費電力ですし,最大でも12Wですから,これでも1/3です。やはりDCモータは偉大です。

 ただ,扇風機と違って低い位置に置くものですし,首振り機構がないことが案外困るという事実も発見しました。扇風機というのは枯れた商品で,使い勝手はよくよく練られたものなのですね。


 ということで,まともに買えば2万円ほどもするDCモータの扇風機を自作しました。ちゃんと風は来ますし,DCモータならではの微風も出ますから,一応成功としておきましょう。ただ,信頼性はいまいちですし,使っている内に分解してしまう怖さもあって,はたしてこれを家族に使わせて良いものかどうか,悩むところです。

TS-119PIIにWDのNAS用HDD「Red」をおごる

  • 2012/08/23 15:38
  • カテゴリー:散財

 評価の高いQNAPのNASを導入してから,うちのネットワーク環境は随分と良くなりました。

 ファイル共有は期待通りですが,DLNAによるFLAC再生環境は想像以上の便利さです。N-30での再生はもちろん,WalkmanによるFLAC再生も可能になり,家の中にいる限り,私は自分の持っている音楽コンテンツを,ほぼオリジナルと同じ品質でいつでも再生することが出来るようになりました。

 TimeMachineによるMacのバックアップも便利です。MacBookProもMacBookAirも,いちいちHDDをバックアップの度に繋ぐようなことは面倒で出来ません。ネットワークの先にあるストレージに勝手にバックアップしてくれたとても便利なわけですが,そのための専用機器を導入するのも手間で,これがNASで出来るようになってしまうわけですから,こんなに便利な話はありません。

 WEBサーバもこれに任せています。DDNSの更新もやってくれるので,以前のようにLinuxマシンを1台上げているのに比べて,信頼性も速度も向上していうことなしです。

 しかし,恐ろしいのは,HDDの故障です。私はけちってシングルドライブのTS-119PIIを買いましたから,RAIDで信頼性を向上させることは出来ません。今にして思えばTS-219を買うほうが良かったなあと思うこともあるのですが,今手もとにあるのはTS-119PIIですから,これでなんとかするしかありません。

 QNAPが互換リストに入れていない,WDのGreenの2TBを入れていて,今のところは全く問題なく動いているのですが,そもそもPC用のHDDにNASの役割をさせるのは酷な話で,出来ればNAS用のHDDを使いたいと思っていました。

 しかし,いわゆるエンタープライズ用のHDDは大変高価で,おいそれと買える金額ではありませんし,消費電力も大きく,発熱も大きい傾向があります。もう少し個人用に信頼性を上げた物がないものか,と思っていました。

 すると,WDからREDシリーズが出たわけです。小規模NAS用のもので,お値段はやや高い,信頼性もやや高い,と言う,文字通り用規模のNASに適したHDDです。NASの便利さに目覚めた私は容量を3TBにしたいと思っていたので,これを予約して待つことにしました。

 そして,先週ようやく手に入れたのです。

 2ベイのTS-219だったら,あいたベイに新しいHDDを突っ込むだけで同期するんですが,シングルのTS-119PIIではそれは無理な話です。そこで以下のような手順を試みました。

(1)新しいHDDをUSB3.0でTS-119PIIに繋ぐ。
(2)外部ストレージとして認識するので,これを-QRAID1で使用するように設定。
(3)Q-RAID1用のフォーマットがスタートする。
(4)フォーマットが完了したら同期が始まる。
(5)同期作業は非常に時間がかかる。1.2TB程のデータを同期するのに,1.5日かかった。
(6)同期が終わったらTS-119PIIをシャットダウン。
(7)HDDを入れ替えて再起動。

 Q-RAID1というのは,RAID1のようなミラーリングなのですが,片側のドライブが死んだ場合にもう片側が肩代わりをするようなものではありませんから,RAID1とは言えない機能のようです。

 ただ,Q-RAID1で作成したドライブは,内蔵のドライブと入れ替えが可能と,いろいろな資料に記載があります。私もこれを信じていました。

 しかし,結果は駄目でした。1.5日待ってドライブを入れ替えましたが,ステータスランプが赤色で点滅し,起動しませんでした。幸いもとのドライブに戻せば起動しますので,致命的な状況になっているわけではなく,最悪の事態は回避できました。

 この状態でQFinderを使ってNASの状態を確認すると,IPアドレスも初期設定のままで私の設定は反映されていません。ここから初期設定のウィザードをWEBから立ち上げようとしましたが,真っ白なまま画面が先に進ません。このままでは新しいHDDのフォーマットすら出来ないことになります。

 そこで,ダメモトでクローンを作るマシンを使って,クローンを作ってみました。使ったのはAREAのMr.Clone3.0というやつで,実は上記のUSB3.0で繋ぐというのも,この新しいガジェットの購入で可能になったワザです。

 セクタ単位のコピーですから,まず起動はするだろうと思ったのですが,6時間かけてクローンが完成して試して見ると,全く駄目でした。あっという間にステータスランプが赤く点滅してしまいます。

 もっとも,これで起動しても領域の拡張を行わねばならず,それが可能なのか不可能なのか分からないし,可能だとしても後になって問題が出たりするかも知れず,クローンを作るという作戦は断念しました。

 万策尽きたかと,新しいHDDをMacでフォーマットしなおし,これをNASに突っ込みました。今度はウィザードも正常に動き出し,IPアドレスなどの初期設定とHDDのフォーマットが無事に終わりました。

 元のHDDからデータを一時的に吸い出して,新しいHDDで立ち上がったNASにしこしことコピーするしかないかと思っていたのですが,保存してあった設定を書き戻してからあれこれいじっていると,Q-RAID1からの復元が出来そうなボタンがあるのに気が付きました。

 そこで新しいHDDでNASを起動,古いHDDをUSB3.0で接続して,Q-RAID1の画面からデータの復元を行う事にしました。でもこの機能,説明書にはなんの記載もないのです。もし,内蔵HDDのデータを外部HDDに上書きするのであれば,私はデータを完全に失ってしまいます。

 どっちが上書きされるのかわからないまま,ドキドキしつつ,おそらく外部HDDの内容が内蔵HDDに上書きされるはずだと,根拠のない予測を信じて,OKをクリックします。

 それまで外部HDDとして表示されていた欄が,なぜか内蔵のHDDの名称に変化し,しかも接続がUSB2.0と表示されるようになって,私はすっかり自信を失いました。データを失い,またあの地獄のような環境整備がまっているのか・・・

 しかし,内蔵HDDの情報を見てみると,ちゃんと3TBになっていますし,少しずつではありますが,残り容量が確実に減っていきます。どうやら,無事に外部HDDからデータが書き戻されているようです。

 Q-RAID1の作成よりは短い時間で,作業が完了しました。夜9時30分に始めた書き戻しは,翌日の夜中12時に終了しました。27時間ほどですね。

 再起動後データを確認してみると,とりあえず問題ありません。別にインストールしたperlもシンボリックリンクを張り直せば問題なく動いてくれましたし,FLACも問題なく再生出来ています。

 よかった・・・ただし,TimeMachineで問題が発生し,バックアップを取ろうとするとエラーが出て失敗します。2台あるMacのうち1台だけの問題で,どうもバックアップ中にスリープさせたか何かで,(日付).progressというファイルが残っていました。、

 これを消せばバックアップできるようになるという報告があちこちにありますが,私の場合どうしても消すことが出来ず,結局これまでのバックアップはあきらめ,新たにバックアップを取ることにしました。

 1台は問題なく過去のバックアップも残していますが,とりあえず2台のバックアップを取る事が出来るようになったので,これでよしとします。

 さて,使い心地ですが,速度はそれほど変わりません。しかし3TBの余裕は実にのびのび気持ちいいですね。発熱は以前の2TBのものより少ないのですが,裸の状態で両者を比べた場合の話であり,ケースにいれてしまえばよく分かりません。

 これで信頼性が向上していて,NAS用に最適化されているというのですから,心強いですね。15000円という価格で3TBってのはお得ではないように思いますが,この数千円を一種の保険と考えて(実際この製品は3年保証です),投資することで安心を得ることが出来ます。これはよいことだと思います。

 ということで,一般用かエンタープライズ用かという2者択一の世界に,ちょうどその間を担うHDDが出たことで,今まで顧みられなかったニーズにマッチしたHDDを買うことが出来るようになりました。

 一応3年は動くと思いますが,しばらくは様子を見て,使っていこうと思います。

Scanspeakのスピーカー

  • 2012/08/17 13:08
  • カテゴリー:make:

 「ステレオ」という雑誌は,私は普段はほとんど手にしない雑誌なのですが,時々面白そうな付録に吊られて買うことがあります。買って後悔した事がないので,その付録は私の期待以上のものであったということでしょう。

 夏頃に付録がつくことが多いので,ステレオがなにか付録をつけるらしい,と耳にすれば,ああ今年も夏がやってくるのだなあと,日本の四季を意識するわけです。

 今年は,Scanspeakのフルレンジスピーカーでした。10cmのフルレンジで,昨年とは違い完成品です。そうそう,昨年はフォステクスの8cmフルレンジの自作キットでした。いろいろはまったんですよね,ボイスコイルが擦ってしまったり,取り付け時にドライバでエッジを突き破ったり・・・

 ゆるいオーディオファンの私は,不勉強にもScanspeakというメーカーを知りませんでした。言い訳すると,まあ知らなくても仕方がないかと思うような,OEM中心のメーカーで,日本人が無条件に憧れる傾向のある,北欧デンマークの会社です。

 デンマークと言えばオルトフォンです。Scanspeakはオルトフォンにもユニットを供給していたこともあるそうですが,オルトフォンだけではなく国内外の有名メーカーを相手に良質なスピーカーユニットを供給していました。

 それも,どちらかといえば高級な製品向けが中心らしく,知る人ぞ知る高品質なスピーカーメーカーだったりするわけです。

 自作マニア向けに小売りを始めたのは最近のことらしく,それもフルレンジは少なく,マルチウェイ用のスピーカーがほとんどです。しかも高価。

 そんなわけで,自作マニアには垂涎のスピーカーユニットが,それも付録としてついてきたわけですから,軽い祭りが起こるのも無理からぬ所です。

 私も,会社の近くの本屋さんで最後の1冊を買いました。

 家に帰ってぱっと見てみたのですが,付録にするためのコストダウンはかなり行われているようで,フレームはプラスチック,コーンは紙,マグネットは当然フェライトと,安いなりのものです。しかし,作りはしっかりとしていますし,軽く手でストロークさせてみれば,いかにもいい音が出そうな雰囲気がムンムンします。

 ただ,私の家はとっても狭く,これ以上ものを増やすと嫁さんが発狂しかねません。スピーカーの箱を用意すると,一体いくつスピーカーを持ってれば気が済むのかと詰め寄ってきます。おっしゃる通り,結局数を持っていても,使うのはそのうち1つか2つです。

 それで,しばらくこの付録のスピーカーを死蔵していたわけですが,あまりにもったいないということで,なんとか箱に入れてならして見ようとかんがえたのです。周囲をぐるっと見回すと,昨年の付録であるフォステクスのユニットP800が,これ専用の格安のエンクロージャP800-Eに収まっているのが目に付きます。

 うーん,修復したとは言え,エッジに穴を開けてしまったユニットに,この箱はもったいないなあと思った瞬間,Scanspeakのユニットをこの箱に入れてみようと思いつきました。

 P800は8cm,今回のScanspeakは10cmですから,一回り大きいです。そのまま取り付けることは出来ません。そこで穴を広げることを考えるわけですが,先人達によると,カッターでザクザク削って広げることが出来るくらい,簡単にできるそうです。

 こないだの休みにやってみましたが,簡単に加工が終わり,問題なく取り付けできそうです。下穴を開けないで薦めるとまたドライバーが滑ってしまいますので,今度はドリルで2.5mmの穴を開けます。慎重にネジを締めて,完成です。

 早速音を出してみますが,スピーカーの素性はよいです。中域のエネルギーも密度感もあるし,高域もおかしな強調もクセもなく,よいバランスです。

 後継が大きくなったことでよりしっかり低域も出るようになりましたが,いかんせんエンクロージャとの相性が悪いのでしょうね,どうもポンポンいっています。もう少しタイトな音が好みなのですが,まあ仕方がありません。

 Scanspeakはとてもまろやかで,落ち着いた音がします。モニターと言うよりリスニングという感じがするスピーカーですが,少人数のトリオからビッグバンドまでならして見ると,やはり大人数の音楽はスケール感が出ません。逆に少人数の音楽は綺麗になってくれます。

 この大きさですし,アンプも大したことがないですから,スケール感など高望みにも程がありますが,ちょっと気楽に音楽を聴いたりするには,ぴったりかなという感想を持ちました。

 もうちょっとエンクロージャにゆとりがあって,ちゃんとバスレフポートも設計されていれば,もっといい音が出てくることと思いますが,まあそこまでするのも面倒ですし,このくらいの音が出ていればもう十分として,相変わらずMacBookPro用のモニタースピーカーとして使っていこうと思っています。

 
 

さようならPS3

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 PS3が壊れました。過去の艦長日誌を見ると,2008年11月に80GBモデルを買ったとありますので,4年持たなかったのですね。これは残念です。

 思えば,PD-D9というSACDプレイヤーよりも新しいんですね。PD-D9が壊れる気配もなく私の期待に応えてくれていることを考えると,PS3は出番も少なく,なんともったいない買い物であったかと,痛感します。

 PS2ではそれなりにゲームを買いました。PS3ではほとんど買いませんでした。ダウンロードのゲームを2つほど買いましたが,やり込むことはありませんでした。

 PS3の底力は,結局DVDのアップコンバートで垣間見た気がします。Blu-rayの再生は今どき珍しくもなんともありませんが,DVDのアップコンバートについては今でも立派なものだと思います。

 また,torneの完成度も素晴らしかったと思います。ヒット商品の次の段階である定番商品になるだけのポテンシャルを秘めていたと思いますが,HDDレコーダがさっぱり売れていないご時世ですので,ここ止まりになってしまったことは残念でなりません。

 そんなわけで,事の起こりは,高校野球が始まったことにあります。

 高校野球が始まる -> タモリ倶楽部の放送時間がずれる -> Woooはバカだから録画に失敗する -> バックアップで録画してあるtorneを頼る

 という流れで,PS3の電源を久しぶりに入れたのですが,torneが起動してくれません。起動すると真っ暗の画面になり,うんともすんとも言わなくなります。強制的に電源を切る羽目になりました。

 こういうときはアップデートです。

 PS3のアップデートも随分サボっていましたが,電源を入れると「ちゃんと電源を切れよ」と一喝され,これ見よがしにHDDのチェックを始めたPS3,今度は最新のアップデータをダウンロードします。

 再起動後,アップデートを始めましたが,60%手前あたりで8002F14Eというコードのエラーが発生,何度かリトライしては失敗し,しまいには一度電源を切れと言ってきます。

 電源を切って再起動すると,問答無用でアップデートが始まりますが,また同じ場所で同じエラーが発生し,電源を入れ直せと出てきます。

 汗だくになって何度も試しますが,エラー -> 再起動の無限ループから抜け出せません。気になってこのエラーコードをgoogle先生に聞いてみると,どうもBDドライブのエラーのようです。

 しかも,海外の人を中心に,対応策が出てくる出てくる。多くはメイン基板とドライブを繋いでいるフレキが抜けてしまうことの対策のようです。

 うーん,これは試して見るかなあと,私も中を見てみることにしました。

 底面にある「はがしちゃだめ」という封印をドキドキしながら引っぺがし,すーっと気が楽になってからは,手早く分解です。もう修理もしてもらえません。

 問題のBDドライブですが,フレキの周辺がWEBで見た画像とは違っていて,少なくとも私のものは簡単に抜けそうな構造にはなっていません。

 うーん,よくわからんがフレキを挿し直して,確実に接続をしよう。

 ドキドキしながら再起動です。しかし,無限ループから脱出できず・・・

 うーん,まずいな。封印を剥がしてしまった以上,

 「わかっています,大変な罰金を払わねばならない」

 とつぶやくのが精一杯です。

 ふと,手もとにあったDVDをドライブに突っ込んでみますが,あれ,全然ディスクが入っていきません。ローディングが起こらないのです。完全にドライブが壊れていますね。接続とかそういう問題じゃないようです。

 うーん,封印を剥がす前にディスクを入れてみればよかった。もし剥がす前に分かっていれば,そのまま修理に出したのに・・・

 後悔しても始まりません。ディスク検出スイッチの不良かも知れませんし,とりあえずドライブをさらに分解していきます。

 しかし,結果は無残でした。どうしてもドライブが動きません。これ以上の修理は本気で取り組まねばなりませんが,今の私にそれだけのモチベーションがあろうはずもありません。なにせ,余計なものはどんどん処分しなければと,そういう気持ちが強くなっているからです。

 稼働率が低くとも,動く物は捨てにくいものです。しかし壊れていれば話は早く,さっさと捨ててしまえます。PS3でなければ出来ない事を何一つ楽しめていない私にとっては,残念ながらPS3はお荷物だったことに気が付きます。

 そいうわけで,さっさと分解し,捨てました。

 手もとには自分で入れ替えた500GBのHDDと何かに使えそうと外した大型のファン,そしてPS3の象徴であるCELLを基板から剥がしたものが,残りました。

 相手のいなくなったコントローラとtorneが寂しそうにしています。

 ここで,本当に使うものなら新しいPS3を買っても良いのですが,25000円もする上に,使い道がほとんどありませんから,当分買うことはないと思います。むしろPS2の方が欲しいくらいです。

 いや,BDもDVDも再生できて,テレビが録画できて,ゲームも出来てDLNAで動画も音楽も再生できるPS3には,使い道は豊富にあります。しかし,これらの機能を動かすのに必要な電力が大きすぎます。

 今私が狙っているのがパイオニアのBDP-450というプレイヤーなのですが,これはBDやDVDはもちろん,SACDまで再生出来て,しかもDLNAでネットワークコンテンツが再生出来ます。値段は少々高くて5万円ほどしますけども,消費電力は23Wと非常に低くて,気軽に使えるところが素晴らしいです。

 この手の商品がこれから増えてくると思います。そういう中で,PS3の立ち位置はまさに「ゲーム専用機」であるわけで,私のようにPS3のゲームをわざわざ勝って楽しんでいない人は,そもそも買うべきマシンではないのでしょう。

 そんなわけで,長年続いた現行ゲーム機を保有する私の伝統は,ここで潰えてしまいました。もうそんな時代でもないのかも知れません。

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