データブックには酒の肴がいっぱい
- 2011/11/30 10:39
- カテゴリー:マニアックなおはなし
最近は特に登録も必要なく,誰でも半導体のデータシートを無料で手に入れる事が出来るようになりました。データシートで儲けようと考えるメーカーなどないわけですし,そういう点で言えば本来無料で提供されてもよさそうなものですが,印刷物になると実費が当然かかるわけで,かつてはその部品を使うプロの技術者に限定した配布物という性格の強いものでした。
大きな会社に属する技術者の場合は無償でも,中小企業や個人では,仮にプロの技術者であっても有償だったという話は良く耳にしたものでしたが,これもまあ,仕様書を作る側の言い分としては,決して安くはない分厚い本を,無尽蔵に配るわけにもいかないわけですから,一定の歯止めをかけるという意味で「原則的に」有償配布としていたんだろうと思います。
もちろん,アマチュアに対しては,無償はもちろん,有償でも配布対象にはなっていませんでした。当時はそれが当たり前だったのです。
ところがその仕様書を書籍として出版社が販売するようになると,アマチュアだろうが子供だろうが,誰でも買うことが出来ますし,全国どこでも本屋さんを経由して手に入れる事が出来ます。その代わり,出版社はちゃんと儲けないといけませんから,手間のかかる分厚い本にふさわしい価格で販売することになります。
だから,半導体のデータブックは,誠文堂新光社やCQ出版社からかなりの種類が販売されていましたが,いずれも高価でした。
これが大きく変化したのはインターネットが一般化した1990年代後半ですが,この時を境に,配布方法はインターネット,費用は無償という方法が普通になりました。
学生と言うだけで邪気に扱われた苦い思い出がある私にとっては,いい時代が来たものだなあと思ったものです。
ところが,この配布方法にもちょっと問題が出てきました。
配布する半導体メーカーが,製造中止にした部品の仕様書の配布をやめるようになったのです。もちろん当たり前のことですし,紙の本の時代から製造中止の部品は掲載されなくなっていましたが,紙の場合は多くの部品が集まったデータ集として手元に残るので,昔の半導体のデータも残っていて,必要な時に見ることが出来るわけです。
しかし,インターネットで配布されたPDFファイルの場合,多くはお目当ての部品のデータだけをダウンロードして終わりにします。何千とある部品の全てを「将来見るかも知れない」でダウンロードするような人はいないし,また迷惑な話でもあります。
だから,「まあいつでも見ることができるしね」と油断していると,突然見る事が出来なくなっていることに気付いて慌てることになるのです。
出来れば,半導体メーカーには,昔の半導体でもデータシートを配布して欲しいなあと思うのですが,これもメーカーの立場で言えば,仕様書を配っているということは,今でも供給されていると解釈されたり,配布物に対するサポートが必要になったりと,配布するだけでその行為に対する責任が発生するわけですから,やっぱり不必要なものは配りたくないのが本音の所でしょう。
メーカーが自分の判断で配布をやめる場合などはまだいいのですが,吸収や合併,あるいは撤退などで,そのメーカーのデータシートが根こそぎ消えてしまうことがあります。例えば,DRAMのデータシートは日本のメーカーのデータシートがなかなか読みやすくて勉強にもなったのですが,今や東芝も日立もNECも三菱も,DRAMはやっていません。
なぜそんなに古いデータシートにこだわるかと言えば,1つに歴史的資料という側面があります。例えば,初期のゲルマニウムトランジスタの仕様書をみて,その特性が現在のトランジスタに比べてどう違うかを比較すると,トランジスタの進化の歴史や,そのトランジスタを使う製品の歴史が見えてきます。
もう1つは,いい教科書になるということです。DRAMの話を例に出しましたが,今配布されているデータシートを見れば全てが分かるかといえばそうではなく,分かっている人向けに書かれている書類だけに,昔から続く基礎的な技術についての話などは省略されている場合も多いのです。
ところが,その種類の部品が登場した頃の仕様書だと,その当時は最新の珍しい部品ですから,とても詳しく書かれています。これを読んでおくということは,今の仕様書を読むことをとても簡単にしてくれるのです。
また,この手のデータブックには,個別の部品の情報以外に,必ずその動作原理や基礎理論,使い方のノウハウや応用回路例,信頼性に対する考え方などの,共通した情報がかなり詳しく書かれています。専門書を1冊買って読むほどの内容だと私は思うのですが,半導体を作る人がその専門知識で簡潔に書く解説は,とてもわかりやすくて信憑性も高いものだと思っています。
これが読めるだけでも,データブックを手に入れる価値があるというものです。
で,前置きが長くなりましたが,私も最近,古いデータブックを読むのが楽しくて,いくつか買うようになりました。歳を取ったのだと言われればそれまでですが,どちらかというと私が生まれる前の本を読むのが面白く,少なくとも私が目にすることなどなかったはずのデータブックを見てみたいと思うようになっています。
それら古いデータブックに記載されている部品は,私が子供の頃に部品屋さんで手に取ったり,雑誌で見たりしたものでしたが,その部品の一次情報を手に入れる事など当時は考え及ばなかったわけで,これは私にとっては全く新しい体験なのです。
ただ,そういうデータブックというのは,得てして高価です。趣味で買うには高価ですし,手に入れた本はボロボロでとても汚く,加えて十中八九,たばこ臭いです。
そんな汚いものを大事に本棚にいれて置かねばならないわけで,端から見ると嫌で嫌でしようがないんじゃないかと思います。でも,その面白さは一度開くと何時間でも時間がつぶせてしまうほどのものなので,もうあきらめるしかありません。
データブックはおろか,カタログ類だって簡単にもらうことにできなかった学生時代,当時のエレクトロニクスショーで面倒くさそうに追っ払われた10代の少年は,「どうぞどうぞ」と気持ちよく渡してもらえる仕事に就こうと,その時強く思ったものでした。
そんな記憶の反動でしょうか,見たことも手に取ったこともないはずの昔のデータブックに,なんとなく懐かしさがあるのです。
・NEC・エレクトロニックス・データブック1964
1964年のNECのデータブックです。誠文堂新光社から出ています。当時のNECが扱っている電子部品がほぼすべて網羅されている1200ページ近い分厚い本で,製本上の問題から次の号からは製品ごとに分けると書かれています。
当時主役だったテレビやラジオ用の真空管に始まり,衛星通信に欠かせない進行波管などの特殊電子管,ゲルマニウムからシリコンに移行しつつあったトランジスタ,そして最先端のエレクトロニクスの象徴だったIC,リレーや真空ポンプなど,巨大メーカーが高度経済成長期に繰り出したパンチの数と重さに,腰が立たなくなる一冊です。
巻頭の折り込みには,多摩川下流に広がる広大な玉川事業所の全景写真が掲載されており,電子管と半導体,そしてコンピュータ開発の聖地であった当時の様子を見ることが出来ます。
そしてなにを隠そう,私がこの本を手にしたのは16歳の時。当時バイトをしていた大阪のジャンク屋デジットにあったこの本を休み時間に眺めていたのですが,その面白さにすっかりはまってしまい,店長にしばらく貸して欲しいとお願いしたのです。
店長はニコニコしながら,「ええよー,でもかえしてな」と許可をくれたのですが,現在も私の手にあるという事は,つまりその,お返しできていないということです。
当時は他のデータブックと同じく,お店の備品と思っていたのですが(それでも悪いことには違いない),冷静に考えると1964年にデジットがあるはずもなく,きっと店長の私物だったんだろうなあと思います。
そういえば,当時の売り物に,進行波管がありました。おそらくこれの仕様か何かを調べて,そのまま店頭に置かれていたんでしょうね。
あくまで「まだ借りている」本ですが,それでも私の宝物の1つです。
・NECエレクトロニクスデータブック1961
手帳型のポケットデータブックです。かさばらずポケットに入れておくことが可能なデータブックです。最近古本屋で購入しました。1000円という値段につられて買いましたが,あまりに程度が悪く,食べこぼしなどもあって,さすがに保存には抵抗があって,スキャンして捨てました。
ポケットサイズとはいえ,かなり広範囲の品種を網羅していて,1964年版のデータブックに近い内容になっていますが,いかんせん文字も図も小さすぎてかなり見にくいです。
また,真空管については特性の一覧とピン配置が確認出来る程度の資料であり,特性曲線などは掲載されていませんので,まさに現場でさっと確認という目的で作られたものでしょう。
掲載品種はテレビやラジオ用のメジャーな真空管はもちろんのこと,水冷の送信管やクライストロン,進行波管といったNECの得意技を始め,撮像管,ブラウン管もテレビ用からレーダー用,みんな大好きニキシー管やリレー放電管,光電管まで幅広く,様々な品種のデータが記載されています。
参考回路もさすが真空管時代の最後のピークといえて,熱陰極グリッド放電管による位相制御,計数管によるカウンタなどが掲載されています。
半導体は本当に初期のものが掲載されていますが,真空管と違い,特性曲線などの詳細なデータも記載されています。あと,この時すでにバリキャップがラインナップされているんですね。セレン整流器やゲルマニウムの整流ダイオードがまだ現役だった時代ですから,ちょっと驚きました。
そして,さすがポケットデータブックだなと思うのは,単位の換算表,ギリシア文字の読み方や元素の周期表,三角関数表や摂氏と華氏の換算表,当時のテレビとラジオの周波数と送信電力の一覧,各国の時差と通貨のレート(当時は1ドル360円の固定相場制です)などの便利データが用意されています。
面白いのは,旅行用品のチェックリストで,19品目書かれています。こうもり傘とか空気枕,みやげというのがちょっとほほえましいですね。
そして最後に,1961年と1962年のカレンダーと住所録,本籍地や家族の生年月日を書く個人メモ欄で終わっています。いやー,当時の日本人の合理性というか,幕の内弁当っぷりを見せつけられた気がします。
・NEC電子デバイスデータブック〈半導体・集積回路編 1972〉 (1972年)
誠文堂新光社刊のデータブックで,A4サイズで1000ページを越える大型本です。1970年代の半導体を見てみたくて,買いました。書き込みからどこかの大学の研究室に置かれていたもののようで,古本屋で最近買いました。確か5000円ほどだったように思います。
内容はかなり充実しています。本当にこれが1972年のデータブックなのかと思うほどおなじみの部品が出ています。NECは業界でも早くにゲルマニウムからシリコンに移行した半導体メーカーとして知られていますが,その結果完全にゲルマニウムトランジスタは過去のものになっています。
でも1972年だなあと思うのは,やはりこの頃品種を増やしつつあったICです。TTLが主役になりつつある時代で,まだDTLも使われている時代です。カラーテレビがIC化される時期でもあって,今はもう見る事のない古い世代のICが目白押しです。
個人的には,uPA63Hなどが登場するもう少し後のデータブックだとよかったのですが,まあ贅沢はいえません。
・東芝半導体ハンドブック1
これも誠文堂新光社刊で,昭和37年といいますから,1962年のデータブックです。前書きには,これまで真空管なども全てまとめていたが,掲載品目が増えたので半導体だけ分けたとあります。古本屋で3500円くらいで買った記憶があります。
この本を買った最大の理由は,ゲルマニウムトランジスタのデータを見たかったからです。東芝は比較的遅くまでゲルマニウムトランジスタを作っていましたし,2SB56などの定番も持っていたメーカーでしたが,よく考えるとそれらのデータを私は見たことがありませんでした。
そこで手に入れて見たのですが,2SA52,2SB56などの定番とその後継ゲルマニウムトランジスタ,出たばかりのシリコントランジスタ,ダイオードや初期のサイリスタなど,もうウハウハ宝の山という感じです。(現物がないのに宝の山とはいいません)
はっきりいって,この本の価値は,ゲルマニウムトランジスタ全盛期のデータブックということに尽きます。
ただし,半導体といいつつ,ICはまだ1つも掲載がありません。1961年のNECのデータブックにも記載はなく,1964年には初期のものが少し登場しているので,まあそんなものという感じでしょう。
その代わり,B級プッシュプルでは必ず目にした温度補償用のサーミスタやCdSなどが掲載されており,当時の回路と部品の有りようがよく分かります。
・東芝半導体データブック トランジスタ 1980年
メーカーから直接配布されていたと思われるデータブックで,緑色の表紙のものです。1980年1月のものですから,実際の内容は1970年代後半で,日本の電子技術がいよいよ世界に勝負を挑む,そんな勢いを感じます。
このころの東芝は,とっくにトランジスタのシリコン化を終えていまして,ゲルマニウムトランジスタは全く登場しません。また,この段階ですでに2SC1815と2SA1015というスーパーデュオが掲載されていますので,古いという印象は受けません。
それに,俗に言う「袴つき」のパッケージはもう消え失せています。2SC372も2SA495も,全部TO92です。
残念なのは,このデータブックがトランジスタに限定されていることです。東芝と言えば国内でも屈指の品種を誇るICメーカーで,1980年代の自社の家電を支えた立役者なわけですが,この頃既にICだけで別のデータブックが出来てしまうくらいの品種が揃っていたのです。
後にトランジスタでさえ小信号トランジスタだけで分けられてしまうのですが,この頃は民生用のリニアICが百花繚乱絢爛豪華な時代ですから,そんな個性的なICの仕様をこの分厚さの本で見ることが出来たら,枯れることのない泉を止むことなく汲み上げるかのような,満ち足りた気分を味わうことが出来ただろうにと,悔やまれます。
・半導体技術資料 電界効果トランジスタ(FET)第2版1984
メーカーが配布したものですが,データブックというよりはその名の通りFETに関する技術資料です。この当時,FETといえばオーディオか高周波で,品種も接合型が主役で,一部高周波用には4本足のMOS-FETが少し使われているような時代でした。
そんな頃のFETだけでまとまった資料はとても詳しく,個別の部品のデータを調べるための資料性の高さに加えて,FETを使うとこんな幸せになるよ,という解説にも主眼が置かれています。
FETの基礎,原理に始まり,当時開発されたばかりの内部でカスコード接続されている次世代のMOS-FET,2SK241に詳細な解説が出ています。読み応えはかなりあります。
実はこれ,数年前にスキャンして捨てようと思った事が何度かありました。A4サイズでしたし,2SA30Aや2SA389,2SK170といったオーディオでは今でも使われるものから,2SK19や2SK241,3SK73などのおなじみのデバイスが出ていたので残して置いたのですが,今にして思うと残して置いて良かったと思います。なにより和文タイプの手作り感が,この頃の東芝のデータシートには漂っています。
・1962ナショナル真空管ハンドブック
これは半導体ではないですし,それに復刻版で10年ほど前に購入したものです。当時のオリジナルも,復刻版も誠文堂新光社から出ています。
1962年と言えば,真空管はそろそろ下り坂にさしかかるころです。その頃の松下はフィリップスと提携をしており,アメリカをお手本にしてきた東芝やNECとは一線を画した,ヨーロッパをお手本にした優秀な真空管を多数製造していました。
ある意味では,この頃のデータブックが一番充実していたとも言えるわけで,それがこうして復刻されたという事に,当時もとてもありがたいと思ったものです。
実は,昨今の真空管アンプブームは,大抵の真空管のデータをPDFで入手出来る環境を作ってくれました。メジャーな真空管は当たり前ですし,特殊なものであっても,市場に出ているものについては誰かが必ず用意してくれているものです。
ですから,今はこうしたデータブックのありがたみというのは,それ程ではないのが実情です。しかし,巻頭に書かれた解説などはとても興味深く,勉強になるものですし,当時どんなものがラインナップされていたかを知る貴重な資料です。
惜しいのは,やっぱりトランジスタも見たいなあということです。
フィリップスとの提携は真空管だけではなく,トランジスタやダイオードも含まれていました。ですからゲルマニウムダイオードは1N34でも1N60でもなく,OA90なのです。
また,トランジスタもヨーロッパのOC~という品種の互換品を作って2SB~としていたりと,ちょっと他とは違うメーカーでした。例えば2SB178はOC72だったりします。それに,どういうわけだか,日本で一番長くゲルマニウムトランジスタを製造していたメーカーでもありました。
そんなパナソニックは,現在でもディスクリートのトランジスタやショットキーダイオードの大メーカーとして知られています。
てな具合に,古いデータブックを積み上げてみると,なんとも言えぬ幸せ感があります。酒の肴にまさにぴったり。当時の独特の文体である「~に好適であります」といった言い回しなど,くーっ,アルコールと一緒に脳のひだひだに染み渡ります。
たまりません。