エントリー

2008年01月の記事は以下のとおりです。

ES2はだめかもしれない

 さて,先日「問題なし」としたES2ですが,やはり1/1000秒で後幕が先幕に追いつくという現象が再発しました。どうも,一晩おくと先幕の速度が落ちてしまうことも原因のようで,これはもう別の方法を検討せねばならんだろうと,とりあえずばらしてみることにしました。

 とにかく気になっていたことは,給油の問題です。

 このES2は私が最初に取り組んだジャンクカメラです。いわばこの道に入ったきっかけだったのですが,当時の私は無知もいいところで,ギアに油を差し,こすれる部分にはグリスをたっぷり塗るということを平気な顔をしてやっていました。恐ろしいことです。

 フィルム巻き上げを軽くスムーズにしたいとグリスを塗ったそのパーツこそ,シャッターを走らせる最重要部品であることを知るのは後のことですが,これが寒いときに粘度を上げてしまい,速度を落としてしまっているのではないかと考えたのです。

 ならば,そのグリスを落とすしかありません。言うは易し,しかし全部をばらしてベンジンで洗うという手の込んだ作業をする気力は今はありません。

 そこで,見るからにはみ出たグリスを拭き取った後,ベンジンを何度も染みこませて滲み出た油を拭き取るということを繰り返しました。結果はあまり変化がありません。

 そこで,シャッターを走らせるカムを直接拭き取ることにし,シャッタースピードダイアルを外すことにしました。

 思えば,不幸はここから始まりました。

 ES2はAUTOモードで回路の電源を入れるメインスイッチがシャッタースピードダイアルに連動していますが,この機構はボディの奥まった部分にあるため,外れてしまうとなかなか厄介です。そんなことに気が付かない私は案の定その連動機構を外してしまいました。

 手探りではめ込むのですがなかなかうまくいきません。そこで前板を外してなんとか入れようとしますが,前板を外しても奥まったところにあるためなかなか見えません。

 四苦八苦して入れたつもりが,シャフトの回転角がまずく,シャッタードラムにレバーがあたってしまい,綺麗だったシャッター幕に傷を付けてしまいました・・・

 致命傷にはなっていないのでこのまま使い続けることは可能ですが,精神的なショックがでかい・・・


 しかし,そんなショックなど序の口。

 カムにこびりついたグリスを拭き取り,綺麗に清掃をしますが,今度は組み立て方が今ひとつ分かりません。そこでもう1つの部品取りのES2を分解し,組み立て方を確認します。

 なんとか組み立てることが出来て,うまくシャッターも走るようになったのですが,膜の重なりがさっきよりもひどくなっています。

 幕速をあわせないといかんはずだと調整をしますが,幕速をあわせても1/1000で半分ほど重なるという危機的状況です。

 そこで,ラッカーで固定されていた2つのネジを調べることにします。1つはシャッターブレーキ,1つはストッププレートの調整ネジです。

 結局ストッププレートの調整ネジは,巻き上げ時にカムがそれ以上回らないように調整する物だったのでシャッターの動作にはあまり関係がなく,ブレーキも私も個体では調整によって変化はほとんどありません。

 さらに深みにはまります。後幕のラッチを外す機構を調整することにしました。ここでラッチを外すタイミングを調整すれば,後幕が走り始める時間が調整できるのです。

 ところが,ここをいじったのが運の尽き。1/125秒も出なくなってしまいます。非常に微妙な調整を繰り返し,なんとか出るようにしてみると,今度は1/1000秒で幕が重なります。

 これではもうどうにも追い込めません。

 そうこうしているうちに,あろうことか机の上から落下させてしまいました。

 ビスを入れたプラスチックのケースもとろも,1mの高さから落下するES2。

 裏蓋が変形し,締まらなくなった上に,メーターが断線して動かなくなってしまいました。この調子だとダイキャストが変形し,ピントが出なくなっているかも知れません。

 なんとか裏蓋の歪みをとり,目視でボディを確認しましたが,どこまでひどい状態にはなっていないようです。メーターは予備機から外して交換しました。

 こうなったら,もう幕速をいじるしかありません。先幕の速度を13ms,後幕の速度を14msくらいにして,意図的に後幕を遅らせます。これで1/1000秒も重ならなくなります。

 そうしてメカシャッターを全速あわせて一安心したのですが,今度はAUTOモードで1/500秒以上が出ていません。メモリコンデンサのタイミングスイッチの調整を行って高速を出さないといけないのですが,それも前回の調整の時に「調整範囲ギリギリ」ということでした。

 困った私は,調整機構を固定するネジをゆるめ,微調整を行うことにしました。これでなんとか1/1000秒まで出るようになりました。

 結局,やったことは後幕の速度を落としたことだけです。

 こんな事なら,余計なことをしなければよかったと思います。確かにやるだけやったという安心感はあるのかも知れませんが,落下にメーターの破損,それによって各部の調整が狂ったことも心配ですし,何より触らなくてよかった部分を触ってしまったことで,これまでかろうじて微妙なバランスを保てていたES2を,一気にだめにした可能性もあるのです。

 今週の寒さの中で様子を見た上で,1/1000秒がきちんと出ているなら,もうこれ以上は触らないようにしようと思います。その後試写をしてみて,正常に動作するかを見極めたいと思います。

 駄目だった場合・・・残念ながらES2は放棄せざるを得ません。

ES2の幕速が狂ってました

ファイル 171-1.jpg

 毎年この時期になると,私は決まって「1年で一番寒い時期」などと思うのですが,部屋の中でも10度を割ることがあるこの季節だからこそ,寒さに弱いカメラ,とりわけアサヒペンタックスES2の調子を確認しようと考えます。

 しかし,あまり気乗りがしません。おおむね悪い結果になるだろうと分かっているので,その後に発生する調整作業に憂鬱な気持ちになるからです。

 かといって絶好の確認の機会を逃すのも惜しいですし,問題が見つかったものをそのまま放置しておけるほど私はおおらかでもありません。

 ・・・ええい,そんなことをいっていても始まりません。意を決して防湿庫からES2を取り出します。

 そしておもむろに1/1000秒にシャッター速度を合わせ,バックプレートを開けてしシャッターをのぞき込みながら,レリーズボタンを押し込みます。

 ・・・音は期待通りで問題なしと言いたいところですが,やはり案の定,コマの左側,1/4程シャッターが開いていません。

 ああ,やはり,シャッターの幕速が狂っていました。

 私のES2は,弱点とされるソレノイドの調整がばっちり出来ているのですが,もっと基本的なシャッターの幕速が経年変化でじわじわ狂う,という致命的な問題を抱えています。シャッター機構をばらしていないので原因は分かりません。横走りシャッターの幕速が落ちるのはおおむねシャッター軸の油ぎれということだそうですが,一方でES2はSPと違って樹脂製の軸受のおかげでメンテフリー,注油は厳禁とも聞いています。

 一昨年の9月頃に同じような症状になり,再調整を行ってあったのですが,それ以降は調子を見ていませんでしたから,まあそんなもんかなという気もします。特に寒いときはこの現象がよく出るようです。うーん,やっぱ油が回っているんでしょうかね。

 厄介なのは,10回ほど空シャッターを切っていると,幕速が戻ってくることです。また数時間放置すると遅くなるので,調整そのものよりも安定した状態に追い込むことが面倒なので,非常に億劫です。部品取りのES2の方が,シャッターについては状態が良かったりするので,困ったものです。

 さて,こうなると幕速を測定しないといけません。幕速測定マシーンを久々に取り出し,測定してみます。先幕が17.4ms,後幕が14.6msとなりました。

 ES2は標準が13.6msということですので,どちらも遅くなっていますが,特に先幕が遅すぎです。左側が露光されていないという事から分かるように,先幕に後幕が追いついてしまってますね。

 ES2の幕速の調整はSPと同じで,底面のスクリューを回して調整します。マウント側が後幕,背面側が先幕の調整です。ここのテンションを調整することで,幕速をあわせていきます。

 どうせ時間が経つと遅くなるんですから,少し速めにしておこうと思ったのですが,そうはいっても1/1000秒もきちんと出さないといけないので,やっぱり13ms前後を狙っていくしかありません。

 先週の金曜日,何度か調整と測定を繰り返しました。

1st Curtain 17.4 14.25 12.90 13.35 12.57 12.51 13.19 13.75
2nd Curtain 14.6 13.87 13.17 12.90 13.34 13.52 13.77 14.19

 シャッター速度も1/1000が出ていますし,露光ムラもなさそうなので,まあ今日はこんな感じかなと,一晩放置しました。

 翌日の土曜日,また測定と調整を繰り返します。

1st Curtain 14.01 13.44 12.83 13.34 12.67 11.93
2nd Curtain 14.11 13.37 13.52 12.87 12.89 13.31

 やっぱ一晩放置すると,先幕の速度が落ちますね。どうしたものかなあと思いますが,少しずつ追い込むしかありません。最終的に1/1000が出ていることを確認して,また一晩放置します。

 そして昨日の日曜日。調整は行わず(実は土曜日にネジをペイントでロックした),測定だけ行います。

1st Curtain 12.95 12.49 12.64 12.59
2nd Curtain 13.56 12.91 12.65 12.86

 まあ,こんなもんでしょうね。念のため1/1000や他の速度が出ていることも確認しました。

 基板を元に戻し,組み立て直しますが,露出計が動きません。かなり焦ったのですが,シャッターダイアルのAUTOモードの接点がちょっと接触不良だったようで,いじっているうちに直りました。

 スローシャッターもこの寒さの中で全く問題なく動作していますし,実用機として使い物になるかどうかは少々不安が残るものの,現時点においては完調!です。

 フィルムを通してやろうと思いましたが,もうすっかり夜になってしまいました。試写は来週まで取っておきましょう。(来週また調整が狂ってしまっている可能性が高いのですが・・・)

 角の部分の塗装の剥げをタッチアップして改めて眺めてみると,ES2はSPと兄弟機でありながら,高さが増した分だけかっこいいなあと。程度のいいSPなどと比べて,巻き上げやレリーズの感触は良くない個体ではありますが,それでもちょっと引っかかる感触も指が覚えるほど触っただけに,とにかくこいつだけはずっと持っていようと,そんな風に思いました。

2007年の「こんなもの」

  • 2008/01/16 16:20
  • カテゴリー:散財

 毎年恒例となった,「昨年を振り返る」という企画ですが,今年はちょっと趣向を変えて,これは買って大失敗,というのを書いてみようかと思います。


AVRライタキット

 AVRマイコンの1つ,ATmega8515を焼きたいと思って,私も使っている秋月のPICライタのオプションとして用意された,AVRライタキットを買ってみました。
 買ってはみましたが,結論からいうとATmega8515は,このライタでは焼けません。ということで,もともとAVR使いでもない私は,このキットはどこに行ったか分からないくらいのお蔵入りです。
 で,大阪に年末帰省した折,デジットで良さそうなライタキットを買ってきました。まだ開封もしていないのですが,こっちの方がずっと良心的な気がします。

電波男

 PLANEXが出している,WiFiの探知機です。小さな(しかしドットマトリクス表示)のLCDを搭載し,内蔵電池を持っているためスタンドアロンで動作し,暗号化の有無,SSIDやCHの表示が可能です。しかもUSBに繋げば無線LANインターフェースとしても利用できるという優れもの。
 ・・・というふれこみでしたが,iPodTouchを手に入れた今となっては,完全に無用の長物です。ただ電波を探すだけなのに,あんなに簡単に電池が切れてしまっては,本当にゴミになりますよ。
 それでも作りや質感が良ければ使うのですが,汚い成型に厚ぼったい塗装,見える部分を露骨に削って現物あわせをしてある有様と来れば,私にとっては「こんなものUSBハブ」に匹敵するほど「こんなもの」です。
 しかも,特価だったので買ってみたら,他のお店ではもっともっと安くて,買い方も大失敗。もはや記憶からも消し去りたいアイテムです。

ハードディスクケース

 MacOSX10.5の目玉機能の1つであるTimeMachineという自動バックアップ機能を使いこなすには,大容量の外付けHDDが必須です。私の場合,HDDは320GBを昨年夏頃に買ってあったので,必要だったのはケースでした。
 そこでMacOSX10.5と同じ時に,Macminiと同じ形のケースを買ってきたのですが,これがまた大失敗。3000円もしたのに全部プラスチックで,塗装もいい加減。LEDはアクセスランプではなく電源ランプで,しかもまぶしい青色。
 唯一の救いはUSB-IDE変換基板に使われている変換ICが割とまともだったことくらいで,ケースはまるで中国製の洗面器のようです。
 せめてHDDのマウンタくらいは金属製であって欲しかったのですが,頼りないプラスチックが熱のせいで「ぽりっ」と折れてしまうことは,いずれやってくることだと覚悟をしておかねばならんでしょう。
 悔しいので,ランプを改造しました。電源は緑,アクセス中はこれがオレンジ色になります。ゲートICを1つ追加して光らせるだけなので簡単です。
 ただ,直径1.5mmのケースの穴から光っていることを見せるために,光学繊維(三菱のエスカ)を使って仕上げています。本来ならここはアクリルか何かを使ってやるべきなんでしょうが,このケースのように透明なパーツを省略し,LEDを強烈な輝度で光らせて逃げてしまうこともあったりするので,困ったものです。
 繰り返しますが,HDDのケースもバカにせず,真面目に選びましょう。カメラ量販店で買うのは御法度。面倒でも秋葉のPCパーツ店で買うのがよいです。やっぱ,店員さんの目利きはバカには出来ません。

MC-2200

 昨年の末頃,思い立ってポケコンをオークションで何機種か手に入れたのですが,PC-1245のOEMであるセイコーのMC-2200を落札しました。
 数が出ていないレアアイテムで,実用機というよりコレクションの対象という感じだったのですが,本家PC-1245よりも色遣いが秀逸。赤と黒,白をふんだんに使って緊張感のあるデザインになっているのが特徴です。
 私も写真で見たときに気に入ったのでいつかは欲しいと思っていましたが,液晶が真っ黒になってしまった故障品が出ていたのでついつい落札。
 届いてみると,本当に真っ黒でしてね,動作そのものはしているようなのですが,画面がこれではどうにもこうにも。
 入札の時は持っているだけで十分だと思っていましたが,手に入れてみると邪魔なだけだなあと,反省してる次第です。
 液晶が交換できればと思うのですが・・・余談ですが,シャープのポケコンはとにかく液晶がにじみます。にじんでしまうと使い物にならないですし,修理する方法もないので,こうなってしまうと本当にゴミになってしまいます。どうにかならんもんでしょうか。

技術士一次試験

 昨年の秋,技術士の一次試験を受けてみました。エンジニアとして10年以上やってきたわけですし,まあ一次試験くらいはさくっと通るだろうと思って直前になってから問題集を開いてみると,うむー・・・仕事で使ってないような事柄がいっぱいです。
 受験料も1万円を越えていて,しかも大学の卒業証書を実家から取り寄せたりと大騒ぎをしたこともあって,あわてて10日ほど勉強をして本番に臨みましたが,自己採点の結果,結構いい点数で合格。
 技術士?という方のために少しだけ説明を。医者,弁護士などと同じ国家資格です。医者が医学の,弁護士が法律の資格なら,技術士は技術者の資格です。なかなか権威ある難しい資格でして,若い奴がちょろっと勉強してもまず通ることのない資格です。
 幅広く,かつ深い知識と技術が求められ,この資格を取れば晴れて「技術士」を名乗ることが許されます。合格率も低く,エンジニアが取得できる資格としては最高位に位置づけられるといって過言ではありません。
 ただ,医者や弁護士と違って技術士でなければ出来ない仕事はないですし,技術士になったからといってなにか仕事が舞い込むわけでもないので,これで食べようという人は技術コンサルタントを開業するのが関の山です。
 多くは,メーカーを定年退職したエンジニアが,自分の人生の総仕上げに取得するというのが多いとか。
 このあたりですでにがっかりなのですが,実はこの資格は土木・建築関係がメインです。というのは,唯一といっていい仕事の技術コンサルティングがなんとか成立している業界が土木・建築で,いわゆる公共事業とそれなりに密接な関係があるとかないとかうわなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp
 ・・・この技術士という資格,近年技術士を国際的な基準で位置づけようという動きに加え,人数を増やそうという話もあったりなかったりで,敷居が随分下がりました。重力に魂を引かれた旧世代の連中は「権威の失墜だ」とお怒りのご様子ですが,そもそも定義が国際ルールに改められるのですから,権威もくそもありません。そんなに権威が大事なら,鎖国でもしてください。
 とはいえ,このことで最も影響があったのは今回私が合格した技術士一次試験でしょう。それまでは技術士になるための最難関,といわれるほど難しかったようなのですが,人数を増やすという施策の一環として,指定大学を卒業すると一次試験が免除されるという制度を導入したことにより,相対的にレベルが低下,実質的に二次試験を受けるための「受験資格取得試験」に成り下がったのです。
 しかも分野によって難易度が大きく異なる上,二次試験と違い一次試験はどの分野を受けても良いので,みんな簡単とされる情報工学分野に流れ込んできてしまいます。
 私も情報分野で受験しましたが,なんとまあ今回の受験者に対する合格率は46.1%。例年はもっと低いので,今年は大失敗ですね,ふふ。
 落ちた人はもう少し真面目に勉強してから受けて下さい。
 そんなわけで,二次試験を受けるつもりも失せましたし,一次試験は履歴書にも書けないようなクソ試験だったというオチで,本当に無駄だったなあと思います。

カーナビのアップグレードキット

 三洋のカーナビを買ったのが一昨年,国土交通省が道をボンボンつくるせいで,カーナビの本当のおいしさを味わえる期間が短くなっているように思います。そのために地図データのアップデートが行われるのですが,これが決して安くないのです。私の機種で25000円ほどかかるのですが,DVD-ROMが2枚と,違法コピー防止のメモリカードが付属しています。
 地図データの作成にはお金も時間もかかるので,この価格はやむを得ないのですが,HDDモデルの場合HDDに入っているものを消してしまうわけで,このアップグレードキットをあとで誰かに売ろうと思っても出来ないんですね。
 こういう仕組みってどうなのかなあと思いつつ,アップグレード。
 当然,普通に使えるわけですが,25000円も投資したのに,その恩恵を実感できないというのは,なんとも寂しい限り。相変わらず自動車に乗る機会はほとんどなく,そもそもこのアップグレードを行うべきではなかったのではないかと,そんな風に思ったりします。


技術書のたぐい

 昨年も出版界は厳しかったようで,いくつもの出版社がつぶれていきました。技術書もますます入手が難しくなったという印象がありましたが,個人的に憂いているのは,その内容のレベル低下です。
 趣味でやってる人をそそのかして詰めの甘い回路で本や記事を書かせる,基礎的な知識もないまま専門書を書く,など,まるでWEBで公開しているような無責任な内容の本が目に付きました。
 深刻なのは,技術書の専門出版社でもこうした傾向が見られたことで,これは出版社そのもののレベルが低下していることを示す,極めて憂慮すべき事態でしょう。
 この出版社は,それでも志は高くて,トップがその分野の第一人者を口説き落として,しっかりした本を作ることを続けているので好感を持てるのですが,特に出版社名にもなっている月刊誌とその関連の書籍の体たらくが痛々しいです。

・「ソフトウェア・ラジオの実験」
 電波を受ける所まではハードウェアで行い,復調はパソコンで行うという「ソフトウェア・ラジオ」がアメリカのホビーストの間で火が付いて,日本でもそれなりに知られるようになりました。
 なにせソフトウェアで受信機の主たる構成部分を実装するわけですから,いろいろな実験も簡単にできて,まさにアマチュア向けだなあと思うのですが,CQという雑誌が特集を組んだところこれが結構売れたらしく,調子に乗って基板まで付けて別冊に作り直したのがこの本です。
 付録の基板に部品を買ってきて組み立てれば完成するのは大変に結構なのですが,致命的なのはこうした新しい技術に関する理論的なアプローチがなく,作って「はい終わり」になってしまっていることです。
 これって,そこらかしこでやっている「電子工作キットを作る会」で子供らを公民館に集めて,2時間ほどでキットが動いたらメデタシメデタシ,というのと何も変わりません。
 こんな事では,技術的にもう一歩先に進んで,自ら探求するという本来の楽しみに到達できません。こういう新しいテーマだからこそ,理論的な体系をふまえつつ「作って学ぼう」というスタンスが必要なんではないかと思います。その内容の薄さに,私は軽いめまいを覚えたほどです。

・「エレキジャック」
 志は買いますが,中身はなんとも・・・作ってみよう,面白そうと思う物がないですし,どれもこれも作って終わり,そこから先の話がほとんどありません。それに,作っている方々のレベルも低く,基礎的理解が欠如していると思われる回路も散見されます。本来なら編集がストップをかけるんでしょうが,もうそんな力も残ってないのでしょう。
 あと,賛否両論あったのですが,この雑誌をバックアップしているマルツ電波が独占的にパーツを供給することで成り立っている記事もあり,作ったり実験したりしようとしても,自分たちの努力ではどうにもならない記事が出ている(しかも基板が付録についている)んですね。
 その独占パーツというのが,プログラム書き込み済みのマイコンだったりするから余計に始末が悪い。プログラムはソースはもちろんバイナリも公開されていないので,マルツ電波からマイコンが含まれるパーツセットを購入する以外,入手は不可能です。
 記事は,そのマイコンが含まれるパーツセットを買ってきて,付録の基板にハンダ付けするまでの話を書いてあるだけです。
 そんなもんね,わざわざ記事にするようなもんと違います。
 ただ,こういう事があると,元気のある業界ならGPLに準拠したオープンソースの互換品が発表されたりするんですが,私も含めみんな文句を言うだけで終わりです。もう電子工作の世界も死んだも同然です。
 今月末には第5号が出るそうです。乗りかかった船なのでとりあえず買いますが,鉄道データファイルと共に早く休刊になって欲しい雑誌です。

・「赤羽がんこモータース」
 これは技術書ではなくコミックですが,「ボルト&ナット」の田中むねよしの単行本です。メジャー誌への連載という事で期待したのですが,いやはやつらい内容でした。
 一番残念だったのは,すでに彼は自動車に対する夢と情熱を失っており,食べるための手段としてこのジャンルのマンガを書き続けているということが見て取れたことです。
 初期のボルナツは,押さえようのない情熱が吹き出していましたが,その点で言えば,エンスーマンガというジャンルの先兵だった彼の旬は,もう過ぎてしまったと見るべきでしょう。第2巻が出ても出なくても関係ないというコミックになりました。
 ちなみに,早く第2巻が読みたいのに当分でないだろうと思われる「WAVE」というコミックに先日出会いました。1980年代,8ビットのコンピュータでなんでも出来ると信じたあのころ,舞台は新世界,日本橋。台詞は全部大阪弁。まさに私の20年前の姿です・・・いやー,こんなマンガおもろいと思う人,私以外におらんでしょ。(実際連載誌のアンケートでは最下位を取って他の雑誌に飛ばされたそうですし)

・「プレミアムオーディオマガジン」
 上質の紙を使い,近頃盛り上がっている「高級オーディオ」を取り上げる雑誌として誠文堂新光社から登場したのですが,価格もプレミアム。「無線と実験」の2倍の価格です。強気ですねえ。
 これが超高級輸入オーディオ機器の紹介や視聴記事だけならウンコ扱いなわけですが,さすがに「無線と実験」を擁する誠文堂新光社らしく,自作派のテイストを残しつつ真空管アンプを大々的に取り上げています。
 ただ,真空管が生まれて間もない頃に作られた,戦前のドイツの真空管を実際に動かすという無茶をしたあげく,その音に主観たっぷりの評価をくっつけているあたり,もう頭がおかしくなったとしか言いようがありません。
 こういう古典球が実動作可能な状態で残っていることも驚嘆すべき事ですし,それを実際に動かすということをやってしまうこともすごいことではありますが,そのことがどれほどオーディオファイルの好奇心を満たすか,さらに貴重な歴史的遺産を壊してしまうリスクを冒すに見合うだけの物だったのかどうかを考えると,こういってはなんですが,とても手間のかかった「居酒屋での与太話」レベルであったと言わざるを得ません。
 ただ,厚生労働省で本業がお忙しいはずの,とある先生がお書きになった現代真空管の紹介とコメントは秀逸でして,私はこれが読みたいがために,この高価な本を勇気を出して買うことにしたのです。
 余談ですが,誠文堂新光社からは,実在しているんだかしてないんだかよく分からない「初歩のラジオ編集部」のクレジットで,真空管のラジオとアンプの本をいくつか出していますが,その内容はあまりにプアで,「初歩のラジオ」というブランドに盲目的な忠誠を誓ったはずの私でさえ,買うことをしませんでした。
 過去の初歩のラジオから抜粋した別冊が2つほど出たときには,内容を見ずに買ったのですが,写真にモアレが出ているありさま。これは編集という寄り,社内資料をコピー機で作ったようなもんですよ。
 こういう過去の資産を食いつぶすような小遣い稼ぎは,そろそろ立ちゆかなくなるんじゃないですかね。細く長く生きて欲しい出版社なので,気をつけて欲しいと思います。
 

 そんなわけで,昨年は,大きな買い物を余りしなかった割に,そこそこの値段の買い物を何度もしたということで,かえって無駄遣いをしてしまったように思います。全体的にものの値段が安くなり,少し前の基準なら驚いてしまうようなものも多くある一方,ガソリンの価格は高騰していますし,長く据え置かれた食料品の値上げも次々に行われています。(ビールは頻繁に値上げしてるし,私も最近あまり欲しいと思わなくなったので,今後おそらく自分で買って飲むことはしないと思います。第三のビールとか,おかしなまがい物を数字をでっち上げるために見境なく売りまくって,ビールのおいしさを若い人に知ってもらう機会を奪ってきたことの代償は大きいと思い知って下さい。)

僕のコダクローム

ファイル 169-1.jpg

 昨年の12月20日,コダクロームが我々の手を離れていきました。

 コダクロームというカラースライドフィルムの国内現像の受け付けがこの日終了しました。一応アメリカ本国で現像は行われていますから,個人で依頼するのも手ですし,コダックが手続きを代行してくれることになってるそうなので,従来通り写真屋さんに現像を依頼すれば,代金は約3500円,期間は中2週間でまだコダクロームを使うことは可能です。

 ただ,世界に冠たる写真王国の1つである日本で,コダクロームはこれまでいつでもあえる身近な存在だったのに,それが急に遠くに行ってしまうわけで,感傷に浸る人々が後を絶たないのです。

 銀塩フィルムの消費量,生産量の激減と,これに伴う製造からの撤退,品種の整理,価格の上昇という,ファンには不安な風がながれた2007年でしたが,コダクロームの国内現像の終了はまさに2007年の最後にふさわしい事件であると言えるでしょう。

 今さらいう事ではありませんが,他のスライドフィルムの現像はこれまで通りです。これは,コダクロームの現像方法が他と異なる唯一の存在だからです。

 カラーフィルムには,色素(厳密には違うのですが)がフィルムの中にあらかじめ入っているものと,現像の時に外から与えてやるタイプの2つがあります。前者は内式,後者は外式と言います。

 外式の代表はコダクロームであり,同時に人類が初めて手にした写真用カラーフィルムでもあります。そしてそれ以降の我々の歴史は,コダクロームによって記録されてきたのです。

 初期のカラーフィルムはすべて外式だったのですが,現像が難しいという欠点があり,これを解決するべく内式が誕生します。現在,コダクロームを除くカラーフィルムは,すべて内式です。

 私は技術者ですので,工業的に,あるいは技術的に劣った物が,その欠点を克服した新しい物に淘汰されることは当然と思いますし,その結果がユーザーに還元されることを正しいと信じる事は,技術開発を停滞させないための,技術者に常に求められる心がけだろうと思っています。

 だから,コダクロームが1935年の登場から70年以上も生き続けていたことは,工業製品として量産された物が,伝統だの文化を身に纏い,やがて神格化されるという純技術的に望ましくない意識によって支えられていたのではないかと,警戒してしまうのです。

 むしろコダック自身が内式のエクタクロームを現在においてもきちんと供給していることや,富士フイルムが内式のみを扱い,その中で世界を変えるような優れたフィルムを開発して,それこそカラー写真の概念を変えるような製品を供給してきたことこそ,実は賞賛されるべき事ではないかと思うわけです。

 しかし,コダクロームは単なる現像方法の違いだけで選ばれるフィルムではありません。歴史,伝統,精神性を理由に選ばれるフィルムでもありません。写真フィルムはクリエイター達が使う素材であり,単純な工業製品でもなければ,神格化されたブランドくらいで長生きできるものでもないのです。

 だから,もしもコダクロームと同じ結果が得られる現代的なフィルムがあれば,コダクロームはもっと早くに淘汰されていたんじゃないかなと思うのですが,そういうフィルムを今から開発しても売れないくらい,今時の写真の傾向はコダクロームの個性と逆をいっているのだと思います。

 だから,文化的にさえ,コダクロームはすでに淘汰されてよいフィルムだと言えるのかも知れません。

 確かに,コダクロームには,独特のコクがあるように思います。あくまで自然な発色,個人的にはベルビアが箱庭的に見えるのに対し,コダクロームはまさに窓から覗く感覚です。

 ある人が言うのですが,コダクロームは,完全につぶれたと思われるシャドウにも,ちゃんと情報が残っているいるんだそうです。その人は,シャドウに浮かび上がった像を見て,コダクロームの情報量の多さと,粘りの強さに感動したと言います。

 現像も難しいが,撮影も難しいフィルムでした。ついでに言うと使用前の保存も難しければ選んで買うことも難しく,乳剤番号に一喜一憂せねばならないことも,あえてこのフィルムを選ぶ人にとっては,儀式のような物だったのかも知れません。

 そうした希有なフィルムによって,人類の50年ばかりの時間を記録されていたことは,非常に幸運であったと言わざるを得ません。その後やってくるビデオによる記録で失われた情報の多さは,後の世代が我々の世代を揶揄する材料となりうるでしょう。

 ここで,カラーポジフィルムの仕組みをおさらいします。

 ネガフィルムもポジフィルムもカラーフィルムの基本構造は同じです。フィルムベースの上に赤に感光する乳剤,緑に感光する乳剤,黄色を除去するフィルター,そして青に感光する乳剤が順に重ねて塗られています。

 これでおわかりのように,カラー写真は三原色を深度方向で記録します。CCDなどのデジタル写真は,一部の例外を除き面で三原色を記録しています。本来見えてはならない色が見える「偽色」が出るのは,この面による記録が理由です。

 それぞれの色に感光した乳剤は,現像によって我々の目に像を映し出します。

 ネガフィルムの場合,現像と発色を同時に行うのですが,ポジフィルムの場合は一手間かかります。まず第一現像という,白黒の現像が行われます。感光した部分が金属銀になることで,その場所が黒くなるのです。この段階ではネガですね。

 次に第二露光を行います。先ほどのネガ状態のフィルムに光を当て,金属銀が生じた部分以外を感光させ,結果としてネガポジを反転させるのです。

 こうして第二露光で生じた潜像を着色すれば,見事にカラーポジが完成します。発色という処理から定着,漂白については,ネガと同じ処理です。

 それで,この発色の方法の違いが,内式と外式の違いです。乳剤にカプラーと呼ばれる,色素を形成するものをあらかじめ入れてあるのが内式,発色現像中に外から与えるのが外式です。

 外式の場合,乳剤の層ごとに二次露光と現像を繰り返します。手間も時間もかかりますし,3つの条件が揃ってくれないと,本来の色が出てきません。カプラーを内蔵させることで1度で発色現像が出来る内式の開発は,生産性の向上と品質の安定という量産品が目指す技術開発の結果であると,ここで明確になります。

 ただ,私には正確に説明は出来ませんが,この外式のコダクロームは,保存性が抜群に良いのだそうです。カラーフィルムは紫外線や空気中の化学物質によって色素が分解し,退色してしまいます・コダクロームも退色しますが,それでも随分長持ちするのだそうです。

 あと,これは結果論でしょうが,やはりその自然で深みのある色合いがコダクロームの個性で,派手さはないが,見たままを写し取るという写真本来の目的のために選ばれるフィルムになっています。

 私はコダクロームは,身の丈を超えた雲の上のフィルムだと思っていますので,使った経験はほとんどありません。しかし,乳剤面のデコボコと,本当に見たままになる自然な色合いにちょっとした感激をしつつ,ますます高い敷居を感じて,むしろ避けるようになってしまいました。

 昨年3月で国内の販売が中止されると発表された時に,私も数本購入したのですが,あまり積極的に使おうという気分にはなりませんでした。記念品として残しておこうくらいに考えていたのですが,せっかくだからと1本,自宅の周囲をぶらぶらと撮影してみました。

 そして現像されたコダクロームを眺めて,やはりため息をつきました。

 36枚のうち,ほとんど失敗。ひょっとすると全部失敗かもしれません。しかし,時にはっとさせられるような深みをたたえた素晴らしい色は,まさにコダクロームが唯一無二の存在であることを伺わせます。

 惜しいことをしなものだなあと,私は非常に後悔しました。

 さすがに3500円も出してコダクロームをわざわざ使うことはないでしょうし,そもそも手持ちのコダクロームも2本ほどしか残していません。もう新品を手軽に買うことは出来ないのですから,これが私にとっての最後のコダクロームになることでしょう。

 多くのカメラマンがその時代を記録したコダクロームを,素人の私が使うこともおこがましいのですが,背伸びをしてこの歴史的な瞬間に当事者として加わることが許された事実を,素直に喜ぶべきだと考えることにします。

愛されるマシンと処分費用

ファイル 168-1.jpg

 年末年始に実家に戻っていたのですが,母親から「このへんも来年の4月から,パソコンの処分費用がとうとう有料になるので,いらないものは処分したい」と言われました。
 
 実家を建て替えるときに,かなりの古いパソコンを処分したのでそれほど残ってはいませんが,それでも台数で言えば7,8台もあるでしょうか。

 弟いわく「そんなもん,最近のパソコンだけの話で昔のパソコンは関係ないだろう」というのですが,それこそパソコンの素人がどこまでを古い,どこからを新しいと判断出来るわけもなく,結局外観で判断するしかない(つまりキーボードがあってそれっぽいディスクドライブがあって,これみよがしにPersonalComputerとか,MacintoshとかNECとか書かれていたりする)ので,おおむねアウトになるはずです。

 といいますか,今までパソコンの処分費用が無償だったという自治体があったことを私は逆に驚いていて,もしこれが広くアピールできていれば,全国から自作派の人々が移り住んだのではないのかと思ったりしました。

 母親の一番の心配は,実はCRTモニタだったようです。見た目に「いかにも」ですし,すでにテレビは有料化されています。大きいし重たいし,邪魔なことこの上ないものが,これからは好き勝手に捨てられないというのは,確かに面倒な事です。

 それはもちろんのこととして,私は,これを機会に価値のなくなったもの,すでに動作しないものを処分するきっかけにしたいと考えたので,弟と母親の3人で作業を始めました。

 方針として,以下の条件に合致すれば残すこととしました。

・我々兄弟がまともに購入し,原点として特別なお思い入れがあるもの,もしくはその予備機
 -> PC-6001,X1turboIII,X68000PRO,PC-6001mk2

・今後も使用する可能性があるもの
 -> MacintoshG3DT

・歴史的価値があると判断されるもの
 -> Apple][ J-plus,MZ-80C,MacintoshSE/30

・所有権が我々にはないもの(つまり借りパクってやつです)
 -> M5jr

・ハンドヘルド機
 -> PC-8201,HC-20など(これは私が引き取りました)


 これに外れた周辺機器は原則処分,またこれに該当しても故障して動作しない場合は処分とします。

 とまあ,私の心の中でこうしたルールを密かに作って分類をしたところ,以下の機種を処分することになりました。

・PC-9801BX3,X68000compactXVI,PC-PR401,PC-9801NV,DELLのマルチシンクCRTモニタ

 ついでに,もう必要がないと思われるものも捨てることにしました。

・A-450(TEAC:カセットデッキ),DP-990SG(KENWOOD:CDプレイヤー),QX5(YAMAHA:MIDIシーケンサー),MV802(YAMAHA:8chミキサー)など

 まあ,A-450などは中学生の頃に友人からもらい,回路図を手に入れて改造や調整に心血を注ぎ,これで録音したテープが数百本もあるような,私の青春そのものですから捨てるのは忍びないと思いましたが,すでに動作せず,また修理しても音質だって今使っているAKAIのGX-Z9100EVに全然かなわない状況では,もう処分するのが妥当でしょう。

 DP-990SGも,いかにも80年代中盤らしい重厚な作りで,筐体を叩いても全く音が響かないという今時のエントリー機種には考えられない贅沢っぷりです。PCM56を使ったシンプルなDA変換とあいまって,実はこの世代のKENWOODのCDプレイヤーは,意外にゴミ扱いされてないらしいです。

 とはいえ,回転モノですしね,動くかどうかもあやしいものです。これ買った当時,まさか捨てる日が来るとは全然思いませんでした。

 当初,プリンタはPC-PR405という日本語熱転写プリンタも捨てる予定でした。しかし,一応第2水準のROMまで増設して文字の汚さを除けば現在でも一応使えること,また古いマシンで文字を印刷したい場合に使えるプリンタを1台くらいは残さないと,と捨てるのをやめました。

 さて,ずっと屋根裏の物置に置いてあったMacintoshSE/30です。

 このSE/30は,私がずっと使っていたものではありません。とあるところで1年ほど使ったものが廃棄処分されるのを見かねて,私が1台引き取ったものです。

 思えば,私が初めて買ったMacintoshは,SEでした。今時の若者はしらんやろうなあ。

 これを数万円で中古で購入,system6.0.7は不安定でしたが狭い画面でもかわいらしく動いてくれて,私はMacでの作業の比重を増やしていきました。

 無理矢理CPUを68030にするアクセラレータまで購入しましたが,処理速度の壁,メモリ搭載量の壁に限界を感じ,SE/30への買い換えを決意したのは,徹夜で飲んで泊まったカプセルホテルで迎えた朝のことでした。

 ちょうどSE/30がディスコンになって,それぞれのお店で新品の最終入荷があったころの話で,中古で20万円。メモリもHDDもなく,なんにもない本体だけのSE/30でしたが,それでも当時としては破格の安さでした。

 自動車が買えると言われた32bitのMacintoshがようやく我が手に,とわくわくしましたが,当時すでに時代遅れの性能であったことは事実で,高価だったゆえの設計のまじめさが,スペック以上の体感速度とチューニングのしやすさの理由でした。

 Xceedという24bitフルカラーボードと内蔵CRTのグレイスケール化改造という定番に始まり,DAYSTARの33MHzのアクセラレータを購入,メモリもフル実装で32MByteをMODE32で使う,という今となっては懐かしい構成まで育てた私のSE/30も就職を機に売却,メインマシンをCentris650のロジックボードをIIciの筐体に入れたオリジナルマシンに切り替えました。

 コンパクトな筐体に素性の良さから来る拡張性の高さ,そして本当の意味でOldMacintoshの完成形であったSE/30は,今考えても良いマシンだったなあと思います。

 で,数年前に無改造のSE/30を引き取った私ですが,面倒でそのままにしてあったのが悪かったのでしょうか,今回初めて電源を入れてみると,悲しいことに動きません。

 起動音もせず,画面にランダムなパターンが出ているだけです。はて,メモリがないと起動音もしないんだっけな???と当時ならすっと出てくるはずの事もすでに忘却の彼方へ。この時点で私はこのSE/30のオーナーとなる資格を持ち合わせていなかったと言えるのかも知れません。

 筐体を開けようにも,トルクスドライバなど気の利いたものが実家にあるはずもありません。よってメモリがあるのかないのか確認することすら出来ずに,もう壊れたと判断して捨てることにしました。

 日焼けも少なく,たばこのヤニも付着していないプラチナホワイトの筐体を,最後のお別れに撮影。おそらくSE/30をこの先手にすることはないでしょう。

 母親によると,実際に捨てるのは2月だそうで,まだ実家には残っているのですが,私がそれまでに実家に戻ることはありませんし,それにこのSE/30にはちょっとした嫌な思い出もあったりして,それをすっかり消去する機会と割り切りました。

 考えてみると,古いMacintoshを愛でる習慣はマニアの間でも連綿と続いているようで,我々の世代にとって愛されるマシンとはSE/30やQuadra700です。やっぱフロッグデザインですよ。

 ですが,私の後の世代では,ColorClassicIIだったりします。うーむ,あんな中途半端なマシンのどこが・・・SE/30と同じレベルで語って欲しくないなあ・・・と。

 G4Cubeに至っては,それってつい最近のマシンやんけ,と思ってしまいます。一方私の前の世代からは,やっぱ初代だろうとか,Lisaだろう,いやApple][GSだろうとか・・・参りました。

 ふと,G4Cube以降,そんな愛されるマシンが出てないことに気がつきます。まずいですね。このままではMacintoshも,ただ消費されるマシンになってしまいます。

 そんなことをつらつらと考えながら,私はSE/30にお別れをしたのでした。

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ
  • ページ
  • 1

ユーティリティ

2008年01月

- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

過去ログ

Feed