世界遺産・日光
- 2007/12/25 18:11
- カテゴリー:できごと
さる21日,22日に,日光に旅行に行ってきました。
関東に来て10年以上たちましたが,日光という世界遺産を見ることもなく過ごしてきたことに対する反省が常にあり,きちんと見ておきたいという気持ちがあったことと,もし日光を見るなら冬だと決めていたこと,そして年末に休みが取れたことが理由です。
そもそも旅慣れない私は,日帰り旅行のつもりでいました。しかし,せっかくだからと一泊することにしたのです。しかし,これまで宿を「雨露をしのぐためのもの」としか考えておらず,それ以上のことを全く期待しない私としては,ホテルに泊まることそのものにも抵抗がありました。
同行する友人と旅行代理店のカウンターに座り,どうしましょうかねと相談を持ちかけたところ,無難にパンフレットを広げられた私は,「金谷ホテル」というホテルの名前をちらっと店員さんがするのを耳にしました。
明治から続く日本最古の西洋式ホテルで,主として外国人観光客を相手にしてきた名門であることは,私も何故か知っていました。驚いたのは,そんな名門がなぜこんなけばけばしいパンフレットにプランを載せているのか,ということでした。
とはいえそこはさすがに老舗。ややお高い金額ではありましたが,私は思いました。ここならホテルに泊まるという事そのものが,目的に出来るのではないだろうか,と。
いわゆるホテルというところは,採算性を考えて最低限の造りにするようです。見た目の豪華さとは裏腹に,見え透いた低コスト体質がアンバランスで,私にはむしろ欺かれているような錯覚にさえ陥ります。新しいホテル,バブル以降のホテルはそんな傾向が顕著であり,私としてはそこに過度な期待をすることがそもそも誤りだと思って割り切っています。
私のような旅慣れていない人でもこう感じるのですから,達人はもっと感じているんではないかと思います。それくらい,上っ面だけよく見せようとするホテルがなじめないということです。まあ,私がこれまでにろくな宿に泊まってこなかったか,ってことですね。
行きと帰りの電車の座席を予約して,当時を迎えました。幸いにして21日は晴れて穏やかな天気,22日も曇ってやや寒かったのですが,雨には降られずにすみました。
ホテルには昼過ぎに到着,荷物を預けて早速徒歩で東照宮に向かいます。なにせ初めての場所ですから,距離感もありません。歩いていいのかどうかは,デフォルメされた地図をあてにする他ありません。
ホテルは私の想像通り。ひんやりとしたコンクリートでがしっと作られた小さな建物は,これまでの年月を物語っているようです。私は別館(別館とはいえ昭和10年の建物です)の4階でしたが,エレベータがなく階段であるというのが,私には新鮮な喜びがありました。
部屋は天井が高く,広く,ゆったりしているものでした。壁の薄さも感じることなく,体の芯から暖かくなるスチームヒーターが実に快適です。室内にあった資料などに目を通すと,ホテル全体に見所が散見されるようです。さすがに歴史があり,それを大事に守ってきたホテルだけあるなあと,そんな風に感じます。
さて,4時も過ぎると暗くなってくるのであわててホテルを出ます。まず目にはいるのが,神橋。朱塗りの橋が晴天を映す川の上に豪快に架かっています。
予定通り東照宮まで歩くのですが,中国や韓国の団体さんによく一緒になりました。これが日本だと思って帰ってくれると私もうれしいし,数ある観光地のうちわざわざ日光のような場所を選んで来てくれたことも,うれしいと思って見ていました。よく言われるようにマナーの悪さもなく,とてもよかったと思います。
陽明門,唐門,有名な猿や象の彫像を見て,建物は意外に小さいんだなあというのが率直な感想でした。かの徳川家康が作ったわけですから,さぞや大きいのだろうと思っていたのに,そうでもなかったようです。絢爛豪華であったことは事実ですが,これはむしろ当時がどうのこうのというより,現在もその豪華さを維持している事の方が重要ではないかと思います。
奈良や京都だって,出来た当時は絢爛豪華でした。しかし現在,奈良や京都にそれらをイメージすることは少ないでしょう。
そんな中で,とても東照宮らしいなあと思ったのが,これまた有名な「眠り猫」です。
奥宮の門に彫られている猫の彫像ですが,右から見ると眠っているように,左から見ると飛びかかろうとしているように見えます。猫が眠るほど安全で穏やかな場所であるということと同時に,ネズミ一匹通しませんよと言う意思表示だともいいます。
猿にしても何にしても,彫像が見事でして,特に動物が多く使われていることがユーモアの表れだろうと感じました。奈良や京都,そして鎌倉,今回の日光と時代を進めて思ったのですが,東照宮ほど日本人独自の茶目っ気がでている建築物はないんじゃないかなあと,うれしくなりました。
さて,輪王寺に足を伸ばします。三仏堂で仏像に圧倒され,鳴き龍が本当に鈴を転がしたように鳴くのを聞いて素直に面白いなあと思っていましたが,どうも拝観券をもぎる人が無愛想なんですね。みせてやってるという感じがありありと見えて,中には無言で引きちぎるような人もいます。無論接客業ではないし,過度なサービスは無用ですが,一人だけ「行ってらっしゃい」と背中を押してくれたお坊さんがいて,みんなこういう方ばかりならよいのになあと思った次第です。
一年で一番日が短い時期ですので,日光も入場は3時半まで,4時には追い出されてしまいます。確かに周りも暗く,ひんやりしてきました。都会に住む我々とは,どうも時間の進み方に差があるようです。
ここでホテルに戻ります。少し休憩し,東照宮の近くにある洋食屋さんに夕食の予約をします。7時半閉店・・・やはり時間の感覚が違います。
明治の館というこのお店は,もともと外国人の別荘だったところをそのまま洋食屋さんにしたものだそうで,お昼時には行列が出来る人気店だそうです。
5時半過ぎ,すっかり日が落ちた日光は,街灯もなく,ひっそりとして恐ろしささえ感じます。そんな中我々は明治の館を目指します。なんかどんどん山道を入っていきますが,人もいませんし,明るくないのが心配です。道を間違うことで困ったことが一度や二度ではない我々は,過信せずに店に電話をして場所を確認しました。
声を出して確認をして,友人にも覚えてもらうようにしながら案内を聞き,ようやく到着しました。
洋館のホールにいくつかのテーブルがあり,大きな暖炉には桜の木が炎と独特の香りを立てて,寒く不安だった我々の気持ちを暖めてくれるようです。
ここで5000円ほどのコースを頼みましたが,食べきれないほどの量,そしておいしさに,都心という所の不経済さ,不合理さを感じました。
ホテルに戻り,大理石で作られたという部屋にあるホテルのバーに向かいます。別の友人にこのホテルに泊まるといったところ,ホテルのホームページのバーの紹介に反応し,その雰囲気の良さに私も興味があったのです。
カウンターは先客がおり,私たちは暖炉の前の椅子に案内されました。またも暖炉です。のぼせない程度の距離をおいて燃えている薪を眺めながら,のんびりと過ごします。外で飲むお酒でこんなに緊張をしないで済んだのは初めてでしょう。加えて暖炉の前でお酒を飲むというのも,もう生涯ないんじゃないかと思ったりしました。
翌朝,ホテル自家製のパンを朝食に摂り,部屋に戻る途中ですれ違った,まだあどけなさの残る部屋の清掃係の従業員の,たどたどしく,しかし基本に忠実な「おはようございます」というお辞儀に感動を覚えつつ,チェックアウトを済ませていざ華厳の滝に出発です。
帰りの電車までの時間はたっぷりありましたが,欲張らず,見るべき所を絞り込んでゆとりを持って行動することにします。
華厳の滝までは路線バスでいきます。いろは坂を登り,標高1200mの場所にそれはありました。バス料金は片道1000円。路線バスとしては高いなあと思ったのですが,歩けるようなものでもないので,妥当な所でしょう。
道中,バスの中でクリスマスのキャンペーンが案内されました。華厳の滝に到着してから,サンタの格好をした人たちがドカドカと乗り込んできました。なんでも降りる前にくじをひけとのこと。
友人はなにもこんな時に引き当てなくてもいいのに,一等です。ホテルの特製チーズケーキがあたりました。私は一口羊羹の四等です。冗談で「荷物増やしてどないすんねん」と友人をからかったのがどうも彼らに聞こえたらしく,バスを降りるところで「荷物を増やしてすみません」と謝られてしなったことは内緒です。
さてその華厳の滝ですが,これはすばらしいの一言に尽きます。
気温は3度。寒いですが,うっすらと雪で姿を隠した岩肌に,豪快にしぶきを上げる滝を見ていると,なんだか大きなものに包まれているかのような気分になります。昔から,滝のあるところには宗教的な意味合いの場所が多くあるものですが,その理由が少しわかったような気がします。
500円払うと,岩の中を100m掘り下げて作ったエレベータで,水が落ちる場所を間近に見ることが出来ます。ここは迫力と言うより,100mの華厳の滝を見上げて見る事がミソのようです。
帰りのバスまで少し時間があるので甘酒を飲もうと,バス停の前の店に入りました。私たち以外はみんな外国の方。オバチャンは英語も堪能で,私にも英語でお礼をいってました。
また東照宮の近くまで戻ってきました。金谷ホテルで食べることが出来なかった100年ライスカレーを昼食にし,その後家光の廟がある輪王寺大猷院をみます。
祖父家康を尊敬する家光は,東照宮を超えないようにと地味に作ることを命じますが,その実見えないところで高い技術が使われており,技術バカの私には琴線に触れる場所です。
確かに色遣いなども落ち着いていますし,その模様や様式などを見ていると,300年続く江戸時代の実質的スタート地点は,家光の時代だったんだなあと思いました。
いずれにせよ,この日光の派手さを見ていると,これが江戸時代の基準だったんだろうと思います。だから,質素倹約が尊ばれた時代,吉宗なぞは,随分異質で嫌われたんじゃないだろうかと思ったりします。
そして最後に,二荒山神社をみて駅までもどります。すみません,この神社はあまり印象に残っていません。
そういえば,帰りの電車では,ちょっと変なことがおきました。私たちが北千住行きの特急に乗っていると,春日部あたりでおばさんが我々のところにやってきて,そこは自分の席だと言い出します。
私も切符を見せると座席の番号は全く同じ。「バッティングしてますね」とおばさんはいうのですが,そんなわけはありません。よく見ると,おばさんの電車はもう1つ後の電車です。
指摘すると「ありがと」と言い残して踵を返し去っていきました。しかしドアはすでにしまっています。結局この電車の空いた座席に座っていたようですが,人を疑う時にはそれ相応の覚悟を持ってもらいたいし,万が一自分のミスなら素直に謝る勇気も持ってもらわないといかんと思いました。正直,この不愉快さは筆舌に尽くしがたく,楽しかった旅行がふいになってしまったような気さえしました。
一泊するような旅行は,次にいつになるでしょう。今回,本物を見るというテーマで旅行に出かけましたが,やはり冬に日光という私の判断は正しかったと思っています。ただ,写真を撮るという行為は集中力を落とし,感受性を分散させてしまいますね。
撮影禁止だった場所の記憶が残り,そこでの観察力の鋭さを感じた私は,観光地とカメラは実は相性が悪いのではないかと,気が付きました。
次はほどほどにしないといけないですね。
そんなわけで,近くて遠い日光,思い切って時間をかけて見て回って,私はよかったと思います。