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2016年07月の記事は以下のとおりです。

ポケコンGo!

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 前回までのあらすじ~

 満身創痍でやってきたPC-1500の命を「神の手」を持つ天才外科医G-SHOESが救う。とても30年を経過したとは思えない美しい肢体に心を奪われたG-SHOESは,その中身をみて戦慄する。

 むしばまれた内臓はすぐに手術が必要だった。

 長時間にわたる手術は驚くほど順調に進んだ。終盤を迎え,いよいよ縫合と言うとき,「神の手」がほんの少しぶれてしまった。G-SHOESに悪い予感が走るが,立ち止まらないのが天才外科医だ。

 やがて何事もなく手術室を出るPC-1500。誰もが手術の成功を疑わなかった。

 しかし,麻酔から目覚めたPC-1500は,もはや元のPC-1500ではなかった。それまで動いていた,キーが動かなくなっていたのだ。

 緊急再検査。結果はCPUと同じくらい大事なPIO,LH-5811の破損とわかった。そう,手元が狂った時に,LH-5811を傷つけてしまったのだ。

 痛恨の失敗に悔やむG-SHOES。そして無邪気に微笑むPC-1500。一体どうすれば・・・彼女の命を救うには,もはや臓器移植しかない。

 しかし,非常に特殊なLH-5811はほぼ入手不可能。かといってすでに存在自身が貴重となったPC-1500を,別のPC-1500を生かすために壊すなど,許されることではない。

 知り合いのエージェントからもたらされた情報によると,LH-5811はなぜかオーストラリアに存在することが分かった。だが,費用や支払い条件など,その高い壁に断念せざるを得なかった。

 どうする,G-SHOES?

 そんなある日,LH-5811の機能の一部を肩代わりする,人工臓器の開発のアイデアを持ち込んだ男がいた。彼との共同開発に一条の光を見いだしたG-SHOESは,家族を顧みず,寝食を忘れて開発に没頭した。

 G-SHOESの体力が限界を迎えるその直前,ようやくプロトタイプが完成,PC-1500は組み込み手術を待つ。

 翌日の手術を控え「死にたくない」とつぶやくPC-1500。

 しかし,神の手は彼女の命に届かなかった。目覚めたPC-1500を待っていたのは,相変わらずキーが効かないという,残酷で正直な現実である。

 G-SHOESは病院を追われ,地位も名誉も家族も捨てた。

 あきらめられない・・・隣で寝息を立てる美しいPC-1500を見ては,いつか復活させると心に誓うのであった。

 そんなとき,突然ドナーが現れた。専用のプリンタCE-150である。CE-150はLH-5811を搭載するプリンタであるが,内蔵の充電池の液漏れにより,最後は壮絶な死を遂げることで知られている。

 幸か不幸か,こうして電解液まみれで,すでに復活不可能なCE-150が目の前にいる。

 手術開始・・・

 直ちに緊急手術が行われた。CE-150から基板が取り出された。すでに腐食が進み,どうしても復活させる手段はない。LH-5811を慎重に取り外す。手が震える。

 次にPC-1500のLH-5811を外す。すでに壊れたチップには未練はない。基板だけとにかく壊さないように,細心の注意を払って作業する。

 そして,いよいよLH-5811の移植。寸分の狂いもなく,もとの場所に収まったLH5811を見て,G-SHOESは安堵した。電源の投入,よし,キーボードは正常だ。

 そして,このCE-150に抱きかかえられた,もはや動かないPC-1500からLCDも移植され,長きにわたる手術は終了した。

 病室で目覚めたPC-1500は,それまでの故障がウソのように,元の姿を取り戻したのだった。

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 なんかあらすじが長くなってしまったわけですが,PC-1500の分解掃除とLCDの修理を行った終盤に,不注意でLH-5811を壊してしまい,外部に同じ働きをする回路を考えて取り付けてみるも見事に失敗,結局壊れたCE-150からLH-5811を取り出して交換し,どうにか元の状態まで戻しました,というのが,前回までのお話です。

 さて,PC-1500はPC-1501と違い,搭載メモリが非常に少ない機種です。内蔵されているRAMは,16kビットのSRAMが1つと,4kビットのSRAMが2つ,これに加えてLCDドライバ内蔵のVRAMが512バイトのみで,合計は3584バイトに過ぎません。

 ここからVRAMやワークエリアとして1734バイトを差し引いた1850バイトがフリーエリアです。「MEM」と打ち込んで出てくる数字がこれです。

 わずか1.8kバイトというのは,もうどうにもならないくらい少ないように思うわけですが,そうはいってもPC-1245など1486バイトですし,割り切ればなんとかなる容量ではあります。

 ただ,PC-1245と違い,PC-1500は高機能,多機能な上位機種ですから,メモリがネックになってその性能が生かせないという事になってしまうと,残念な商品になります。

 しかし,当時16kビットのSRAMというのは非常に高価で,私の記憶でもZ80の2倍ほどの値段で売られていたと思います。SRAMの4倍の容量が同じ世代のDRAMなので,当時超LSIと畏敬の念を持って奉られた64kビットのDRAMと同じ最先端だったことを考えると,さもありなんというところでしょう。

 ですから,16kビットのSRAMを複数搭載することはどうしても出来ず,旧世代の4kビットを搭載することでなんとかしたのがPC-1500でしょう。メモリ拡張用のスロットも用意したので,あとはこっちでよろしくね,と言うことなんでしょう。

 しかし後年16kビットのSRAMを4つ搭載したPC-1501が登場していることを考えると,いくらなんでもこの性能のコンピュータで1850バイトは少なすぎたという事です。

 PC-1500のメモリスロットは1つだけです。ここに増設出来るRAMは16kバイトまでですので,合計19.5kバイトというのが公式の最大メモリです。

 しかし,そこはもうちょっとシンプルに考えてみましょう。PC-1500のCPUであるLH-5801は8ビットCPUで,16ビットのアドレスバスを持ちます。ゆえに直接扱えるメモリは64kバイトです。Z80なんかと同じで,I/O空間には別の16ビットが割り当てられますので,最大128kバイトまで直接扱う事が出来ます。

 メモリマップを見ていると,7600hから77FFhまでの512バイトがLCDドライバに割り当てられている以外は,特に他に割り当てられているデバイスもなく,RAMのエリアとして扱われているようです。

 なら,0000hから7FFFhまでの32kバイトをとりあえず256kビットのSRAMで埋め尽くし,LCDドライバだけアクセスを分けるようにすれば,面倒な事を考えないでメモリを最大に出来るんじゃないか,そう考えたのです。

 こうすれば,アドレスのデコードも簡単にできそうです。

 考えた回路は,HC139を使い,2つ目のデコーダでスタンバイモードを示すBFOをGに,AとBにはA15とME0を入れて,0000hから7FFFhのデコード信号を作ります。

 そして,これをもう1つのデコーダのGに入れ,AとBにはLCDドライバのCSをいれて,25kビットSRAMのCEを作ります。これならデコーダもワンチップで済みます。

 あとは,4kビットと16kビットのSRAMを基板から外してしまい,16kビットの代わりに256kビットのSRAMを取り付けて,配線を少々変更するだけです。

 作業はそんなに大変でもなかったのですが,4kビットのSRAMがDIPの大きなパッケージを強引に緬実装にしたものなので,作業はなかなか難しいものでした。

 ドキドキしながら電源を入れますが,電流は動作時最大の電流で流れています。画面には何も出ませんし,動いている様子もありません。失敗です。

 回路図と配線を再度確認すると,ミスが1つ見つかったのでこれを修正。しかしやっぱり状況は変わりません。ただ,アドレスバスの波形を見ると,明らかに変化があります。なんだか動きそうな波形です。

 とはいえ,回路にも配線にもミスはなく,案外簡単に万策尽きてしまいました。

 ということは,元々の考え方にミスがあったのかも知れません。あるいは,すでにどこか別の場所を壊してしまったのかも・・・嫌な想像がグルグルまわります。

 しんどいなあと思いながら,,もう一度配線ミスを確認しようとテスターを当てていくと,なにやらA5がVCCとくっついています。もしやと思いよく見ると,やはりA5がショートしています。

 ショートしているように思えた部分を綺麗にしてやると,ありがたいことにA5のショートがなくなりました。電源を入れると無事に起動します。やったー!

 早速NEW0,MEMと入力すると,28474と返ってきます。

 おお,27.8kバイトです。どうやらうまくいったようです。

 簡単なメモリテストを走らせて,多分大丈夫という所まで来て,この数字が妥当かどうかを考えてみました。

 まず,PC-1500が使うワークエリアとLCDのVRAMは,前述のように3584-1850で1734バイトです。これが必ず差し引かれます。なお,7C01hの1バイトもBASICのワークエリアになっているので,この1734バイトのうちに含まれています)

 さらに,7C00hから7FFFhまではBASICでは使用できないエリアです。ここが1024バイト。そして7000hから75FFhの1536バイトも使用できないエリアとなっています。

 ということで,32768-1024-1536-1734=28474バイトです。

 逆算してみましょう。0000hから6FFFhまでは4096*7で28762バイト。これにVRAMの512バイトを加え,さらに7800hから7C00hまでの1024バイトを足して,ここから1734バイトを引けば,28474バイトです。当たり前ですが,一致しています。

 実質的に,これ以上のフリーエリアを確保することは無理なはずで,BASICがそのまま扱えるエリアとして最大拡張したと言ってよいと思いますので,これで増設は成功したと考えてよいです。

 
 さて,このCE-150にはPC-1500本体も一緒に付いてきたのですが,電源を入れても動きませんでした。正確に言うと,画面にゴミが出たり,おかしなビープがなり続けたりと,正常に動作しなかったのです。

 見れば,CE-150から漏れ出た電解液がPC-1500の基板にも派手に染み込んでおり,パターンの腐食も出ている有様です。これはなかなか大変です。

 幸いLCDは無傷でしたので,この個体からLCDを取り出し,メモリ増設を行った綺麗な個体に移植しました。

 これでまず1台,綺麗なPC-1500が完成しました。

 で,LCDが取り出された,壊れているPC-1500に目をやると,これを放置しておくのも可愛そうです。とりあえずLCDを取り付けて,電源を入れてみますが,やっぱり動きません。

 基板の汚れを拭き取り,パターン切れを確かめようとテスターであたっているうちに,導通が復活したようで,電源を入れると動いてくれました。

 なんか気持ち悪い復活ですが,主立ったICの足をハンダでなめてスルーホールにもハンダを流し込みます。

 これで動くはずと電源を再度入れると,動かなくなっていました。悲しくなってきましたが,冷静になって顔を上げると,4kビットのSRAMの足にハンダのクズが付着していました。これを拭うと,ちゃんと動作するようになりました。

 基板の腐食が原因ですから,たぶんそのうち動かなくなってくると思います。断線した部分が見つかれば,ここをジャンパで補修するので確実に治るんですが,こうして動き出してしまった以上,どこが切れていたのかもうわかりませんから,仕方がありません。

 これで,PC-1500をめぐる顛末はおしまいです。

 なかなか大変で,うまく動かず凹んでしまったこともありますが,うまく行き始めるとトントンと進むのも,またこの手の修理だったりします。どっちにしても,簡単にあきらめないで,その時々の自分のスキルで出来る事をコツコツやれば,最終的にはどうにかなるものだと思います。

 それにしてもPC-1500,なかなかいいマシンです。大きいとか重たいとかありますが,この時代のマシンとしては高速で,メモリも多く搭載出来るし,キーも大きく使いやすいです。電源を入れればすぐに復帰しますし,当時このマシンを持っていれば,それなりに楽しかったろうなあと思います。

 さて,もうポケコンはおしまいです。まだ持っていないマシンもありますけど,これ以上はもう切りがないし,言ってみれば派生機種みたいなもんですから,PC-1260やPC-1350なんかを手に入れる必要は,あまり感じていません。

 ああ,でも,パソピアminiやJR-800があると,面白いかなあ。


何度目かのポケコンの波がきた

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 先日,ふとしたことから古いポケコンを入手しました。

 入手したんですが,これがなかなか一筋縄ではいかず,肉体的にも気分的に疲れてしまいました。

・PC-1246

 シャープのPC-1200シリーズのうち,小型で薄く,真のポケットコンピュータであり,実売で1万円を切っていたにもかかわらず非公式ながらマシン語が走るという,当時のマニアが絶賛したモデル,PC-1245の後継機種です。

 PC-1245の後継機種ではあるのですが,CPUが4bitに変更になり,互換性があるのは周辺機器とBASICで書かれたプログラムだけでした。ま,シャープとしては,それが公式サポート範囲だったわけですが・・・

 大きさはPC-1245そのまま,価格は下がり,BASICの処理速度は大幅に向上したということで,本当はもっと評価されてしかるべきなんでしょうが,やっぱりマニアとしての面白い部分が全くなかったため,不人気機種に終わったと思います。

 私も10年ほど前に,安かったという理由で1つ手に入れていますが,先入観を捨てて触ってみると,これがなかなかよかったのです。

 PC-1246の後継機,PC-1248になると,もうキーボードがフィルムを張り付けたシートキーになってしまい,まともなプログラムを作る気にはなりません。PC-1245のようなキートップがあるわけではありませんが,PC-1246のゴムキーはそんなに悪い物ではないと思います。

 さて,これ,完動品という事で手に入れたのですが,残念な事に私の手元に来たときには,すべてのキーが動作しませんでした。まあ,騙されたというやつです。

 悔しいので,頑張って修理をしました。原因ですが,電池の液漏れによってキーが押された状態になったままで,それで他のキーを受け付けなくなっていました。漏れた液を拭き取り,復旧です。

 早速メモリの追加を行い,さらにBEEPの回路も搭載してPC-1247相当品にしました。液晶は,これも残念なのですが,やっぱり劣化が進んでいるようで,右側が霞んでいます。繰り返しますが,まあ騙されたというやつです。

 もともと,このPC-1246は,完全に液晶が壊れてしまい,14歳の頃から常に持ち歩いていたPC-1245の代わりに使おうと思って手に入れたものですから,とりあえず動く事が重要です。

 PC-1245の代わりに私の計算を助けてくれるものですので,出来ればPC-1245の感触を手に入れたいものです。そこで,PC-1245のキートップを移植しました。

 幸いなことに,PC-1245のキーサイズはPC-1246と全く同じです。そこで,PC-1245から流用可能なキートップをPC-1246の筐体にセットし,PC-1245のゴムキーを被せて,基板をおきます。

 カーソルキーやSHIFTキーなど,一部のキーの場所が変わっているのでそのままゴムキーを置けないのですが,はさみで切って大きさを調整します。

 MODEキーはもともとPC-1245にはありませんし,SHIFTキーやDEFキーも大きさが変わっているので流用はできません。でも,流用可能な文字キーやテンキーは問題なく,感触も上々です。まるでPC-1245を触っているような気分です。

 ハードケースもPC-1245を流用します。もともと色違いが付いていたはずなのですが,付属してなかったので,PC-1245のものを流用しました。色が茶色ですし,いい具合にくたびれているので,これもぱっとみれば私のPC-1245そのままです。

 PC-1246はBASICは高速で,マシン語を使わないなら一番よいマシンではないかと思います。今はもう,ポケコンでマシン語を使うことはありませんから,高速なBASICであることが実はとてもありがたいのです。


・PC-1500

 PC-1600Kは随分前から持っていますが,その前の機種であるPC-1500は,ずっと縁のない機種でした。欲しいと思っていろいろ手を出しましたが,結局一度も手に入りませんでした。

 それが,ふとしたことで手に入れました。程度が悪く,おかげで安く買うことが出来ました。

 見た目は傷も少なく,全く問題はないのですが,液晶が滲んだようになっています。液層そのものが壊れていたらお手上げなのですが,分解したところ,液晶の背面に張ってある偏光シートと反射シートの隙間に水が入り込んでしまったようです。

 そういえば,綺麗であることは違いないけど,内部の鉄の部品は錆びて真っ茶色になっていますし,汚いです。

 なにが入り込んだかわかりませんから,可能な限り分解し,水洗いです。

 液晶は,とにかく偏光シートと反射シートは交換です。偏光シートは東急ハンズで購入した変更シートを同じ大きさに切りました。問題は反射シートですが,いろいろ試したところ,プリンタの写真用紙がとても良い見栄えでした。

 液晶も修理出来たし,ケースも乾いた。早速組み立てをし,電源を入れたら当然問題なく動作しています。

 ここで,それまで使っていた安定化電源を外して組み立てを完成させたのですが,不注意で電源のミノムシクリップが外れてしまい,不注意にも基板の上をなめていったのです。

 たいしたことないと思っていたのですが,組み上げて見ると一部のキーが効かなくなっています。それも,きっちりマトリクスの一列分だけ,全く反応がありません。


 もしやと思い,キーマトリクスを担当するPIO,LH-5811を調べて見ると,やっぱり動作しないラインの電位が中間になっていて,全く動かなくなっています。

 やはり,PIOを壊してしまったようです。

 ショックです。

 こうなったら,ここも修理です。

 とはいえ,30年以上も前のポケコンの。カスタムICがそこら辺に売ってるわけはありません。そんななか,オーストラリアの部品屋さんがストックを持っていると分かったのですが,カードが使えず断念。

 すっかり意気消沈した私ですが,ならPIOと同じ働きをする回路を別に作ってやればいいのではないかとひらめきました。

 幸いなことに,今回壊してしまったキーマトリクスに使われるポートAは出力専用のポートです。

 PIOのレジスタ($FFFEにマッピング)に値を書き込むと,それがそのままPA0からPA7に出力されるだけですので,このアドレスに書き込みが発生したらD-FFでデータバスをラッチすればいいはずです。

 そう思って数日頑張って見たのですが,うまくいきません。このアドレスへの書き込みは発生しているのですが,その時のデータバスがずっとLowのままで,スキャンを行う時のHighレベルにはなってくれません。

 クロックで同期させていないのが問題なのかもと思いましたが,バスマスタであるCPUはクロックに同期して動いているわけですし,非同期のSRAMなどは別にクロックで同期しなくてもいいわけですから,本当は動くはずです。

 いろいろ悩んだのですが,やっぱりわからず,心と体がくじけてしまったので,あきらめました。

 しかしこのまま終われません。

 八方手を尽くして,壊れたPC-1500とCE-150を手に入れました。ちょっと高かったのですが,CE-150は内蔵電池の液漏れで,復活不可能な状態でした。PC-1500もひどい状態ですが,これはなんとか復活出来るんじゃないでしょうか。

 ところで,なんでCE-150というプリンタの話が出てくるのよ,と思ったあなた,実はCE-150には本体と同じPIO,LH-5811が使われているんです。

 CE-150のシステムはちょっと面白くて,単純なパラレルやシリアルのインターフェースで本体と繋がるのではなく,CPUのバスに繋がるという無茶な仕様になっています。

 ですので,PC-1500のアドレスに,CE-150に内蔵されたPIOはもちろん,ROMもマッピングされて,あたかもPC-1500の一部として動作するわけです。さらに面白いのは,カナテープを読み込ませたり,カナROMをPC-1500に装着すると,表示用のビットマップデータに加えて,プロッタプリンタ用のベクトルデータが一緒にインストールされて,CE-150でカタカナが描ける(まさに描くです)ようになることです。

 実はPC-1600Kでは,カタカナに加えてなんと漢字までプロッタプリンタで印刷してしまうんですが,それはまあここではおいておきましょう。

 なんでこんな構造になってるのか,PC-1210やPC-1250ではシリアルインターフェースでプリンタを動かしていますし,当時一般的だったプリンタの制御は8ビットのパラレルでしたから,私も不思議な気がしています。

 ただ,バスにぶら下げてしまえば無敵で,なんでも出来ちゃうわけです。問題はピン数が増えることと,コストが上がってしまうことですけど,それが許されるならそりゃバスで繋ぐ方が,汎用性は高いです。

 そんなわけで,CE-150にPIOが入っていることは分かっていましたし,内蔵電池の液漏れがほぼ100%起きるものなので,壊れている可能性が高いことから,安く入手出来るとふんでいたのですが,残念ながらそんなに安くはありませんでした・・・

 届いて早速CE-150を分解,修理はあきらめてドナーになってもらいます。PIOを慎重に取り外し,ピンを整えます。この時,基板は壊れてもいいので,PIOの破損に最大の注意を払います。

 PC-1500の死んだPIOを取り外しますが,こちらは基板が壊れては困りますので,基板にダメージを与えないように作業をします。

 そして,PC-1500に取り外したPIOをマウントします。QFPとはいえ,ピン間隔が広いので作業は楽です。

 電源を入れると,あっさり動作しました。キーも問題なく動くようになっています。まあ,あっさり治ることは予想できていましたから,特に感動もなくほっとしただけなのですが,なにより不注意で壊してしまったことが,こんなに面倒な話になってしまうとは,つくづく情けないです。
 
 さて,ここまでだとなんということはないのですが,次のテーマとしてメモリの増設を考えています。PC-1500はメモリが3.5kバイトと大変少ないので,増設するのが基本です。RAMカートリッジで増設するんですが,私は本体改造することにしました。

 RAMカードリッジはバッテリーでバックアップされるので,外部記憶装置の代わりになりますから,これはこれで価値があるのですが,今さらそこま活用する事もないだろうということで,本体改造をすることにします。

 続きは後日。

邪魔な肉体を捨て去ることとは

 年齢を重ねると,それまで理解出来なかったことが体験によって「なるほどなるほど」と,理解出来ることが増えます。

 それは,ポジティブなものもそうですし,残念ながらネガティブなものもあります。とりわけ,ネガティブな物事については,知らないが故に傍若無人に振る舞えていたことも多く,よくあんな無茶をしたものだとあきれて振り返ってみたり,若い人の無垢さをうらやんだりすることも,増えていきます。

 人間には自然治癒する力が備わっていて,病気をしても怪我をしても,余程の事がない限り,しばらく辛抱すれば治ります。治ってしまえば,その時苦しかったことを忘れてしまうという,都合の良ささえ持ち合わせています。

 子供の頃は,治癒するまでの時間があっという間でした。だから怪我も病気も怖くありません。自分が変化する速度が高速であるためだからでしょうが,その代償として,時間の経過がとても遅く感じ,相対的に周囲の変化の速度がとてもゆっくりに見えます。朝から夜までが長く感じただけではなく,次の日曜日がとても待ち遠しかったことを,思い出して下さい。

 成長期を過ぎ,作り上げた物を少しずつ削って生きながらえるというターンに入ってしまうと,子供の頃の体験とは真逆なものを否応なく押しつけられることになります。自分が変化する速度はゼロ,あるいはマイナスになり,時間の経過は速く,周囲の変化の速度も強烈です。

 そして,怪我も病気もなかなか治らなくなり,治癒するまでの辛い時間も,長くなるのです。

 私の年齢でそれを痛感するのですから,私は自分よりも年齢が上である人々のことを,今以上に辛いのかも知れないと,想像可能になりました。成長だけではなく,運動や思考の速度が落ちてしまう老人になると,今以上に周囲の速度が速くなることでしょう。

 「様子を見ましょう」という医者の見立てというのは,自然治癒力に頼りましょうという意味なのですが,その自然治癒力は年齢と共に落ちていきます。さらに,子供なら治癒する物も年齢を経ると結局治癒しない,と言うことも起きるようになります。

 これを,子供の生命力とか,生きようとする力とか,いろいろ格好のいい言葉で語ることがあるわけですが,蛇足ながら子供の「脳死判定」が極めて難しく,その判定基準が非常に厳しいものになっているのは,大人だと非可逆とされる状況であっても,子供はそこから復活することがしばしばあるとされているからです。

 復活出来る肉体を,復活出来ないものとして処理してしまえば,それは命を奪うことです。加えて子供には大人と同じだけの判断能力がありませんから,自分の命を自分で深く考え,その扱いをしかるべき人々にどう委ねるかを,結論できません。

 まだ復活出来る自分の命のありようを,自分の判断で決める事が出来ないもどかしさに,想像力を働かせるべき大人が,たくさんいるように思います。

 一方で,加齢と共に備わってくる物が,経験と知識,そしてそこから芽吹く心の豊かさです。私は,この3つがあるから,子供の頃に戻りたいとは思いません。今ならあっという間に出来る事に,何時間も何日もかかって,あげく出来ないままに終わってしまうかも知れない,あのフラストレーションは,もう体験したくないことだからです。

 肉体の劣化と,精神の成長。

 この両方を,同時に持つことは不可能です。大人と同じ心を持つ少年はおらず,不老不死の薬も,長年の努力の甲斐もなく,未だに存在しません。

 不老不死?

 私が過去に戻りたくはなく,今の状況を「よい」を認知するのは,前述のように精神の成長を肯定しているからですが,精神とはまさにソフトウェアであるがゆえに,ハードウェアである肉体の必要性や重要度というのは,私にとっては非常に低い物となっています。

 にもかかわらず,残念な事に,肉体という器がなければ,精神が維持できないのです。

 なにもしないでも,ただ生きているだけで100Wの熱を放出するほどエネルギーを消費し,華奢で柔らかく傷つきやすくて壊れやすく,食べ続ける必要があり,出し続ける必要がある。疲れてしまい,眠くもなり,なにかと行動に制約があり,有機物で出来ているがゆえに化学薬品や放射線,紫外線に弱く,力もなく機動力も低く,体の大きさはたかだか2mという,あまりに不都合なこの肉体は,どうも器としては不自由過ぎるように感じます。

 もし,肉体と精神の2つで自分を自覚するのではなく,精神だけで自我を確信出来るのであれば,それが一番理想的ではないか,私はいつしかそんな風に考えました。でも,現実に戻ると,器無しで精神は維持できませんから,誰かがどこかで器を維持管理してくれていなくてはなりません。

 つまり,自立という側面では,確実な後退がおきるわけです。

 私一人が精神だけで生きることを選ぶとすれば,その器は他の人に託せるでしょう。しかし,精神だけで生きることを,多くの人が選ぶようになったり,選ばざるを得なくなったりし続け,やがて大多数が精神だけで生きることになったとします。

 当然のことながら,器の維持管理は,少数の人々に押しつけられることになります。

 そして,精神だけでは「実物」を作る事が出来ませんから,現在の貨幣経済においては,維持管理に必要な費用を自ら稼ぎ出すことは出来ません。肉体を持つ人が,持たない人の分まで働いて稼がねばならないのです。

 全員が精神だけで生きるようになるのは公平でしょう。しかし,それはちょっと考えただけでは,とても難しそうです。精神だけで生きる方法が,今はないからです。

 私は,自分の自分たる根拠を,肉体ではない別の何かに移し替えることができるなら,それが一番楽だと思っていました。怪我や病気で苦しむこともなく,労働することもなく,深い深い思索にだけ生きていることが出来るのは,まさに桃源郷です。

 でも,これは究極のエゴイズムであることに,はっとします。

 繰り返しますが,器の維持管理は,お金もかかるし面倒で,誰だってやりたくないに違いありません。それを「誰か」が引き受けてくれると勝手に思い込むことで,精神だけで生きることを「素晴らしい」と思っていたというわけです。

 ・・・まってください。

 既視感がありますね。

 精神のみで自我を維持することを,思うように体がいう事を利かなくなった高齢者とし,器の維持管理とエネルギー供給を行う役割を担う肉体を持つ人々を,現役世代としましょう。

 そうです。すでに,この世界は,訪れているのです。そして,継続不可能であることも,明らかになっているのです。


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