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右手の中指を脱臼

 右手の中指を脱臼しました。

 こんなことがあるのかと思ったのですが,なった経緯がうまく説明出来ません。直接の原因は,右手の親指で,中指を内側に強く曲げたからなのですが,ではなぜそんなことをしたのか,と言われると,良く覚えていないんです。

 たぶん,料理中にゴミか何かが中指について,これを払おうと中指を弾くように,親指を中指の第2関節あたりにひっかけて,曲げたのです。

 そしてピンと中指を弾こうとしたときに,なぜか親指が滑ってくれず,曲げられたまま中指が伸びようとして,ここで激しい痛みが出たというわけです。

 この時ですが,中指の第3関節の上を腱が曲がって避けて通るように見えて,そのまま強く引っ張られた時に強い痛みが出たように記憶しています。

 3時間程度の間に右手はひどく腫れ上がり,中指も曲がっていました。痛くて動かす事が出来ず,これはただ事ではないなあと思わせるに十分でした。

 一晩経って治まる方向に向かってなければと病院に行こうと思って寝たのですが,果たして状況は変わらないか悪くなっている感じです。「なぜすぐに来なかったのだ」と怒られるのも嫌だったので,とりあえず病院に行くことにします。

 先生は,脱臼していると言いました。腱が曲がって避けて通ることもある話だということで,私の見間違いではないという話です。ちゃんとした診断名は,ややこしいので覚えられませんでした。

 いわく,隣の関節との間にある筋が伸びきってしまっていて,完治するには手術が必要とのこと。冗談じゃない,そんな大ごとになっているなんて信じられない。

 まあ,この先生はいつも「手術だ手術」と,すぐに手術をしたがる先生なので,真に受けるとこっちが疲れてしまうんですが,よくよく聞いてみると,腱が曲がらないようにしている筋が伸びたので,今後は腱が曲がってしまうようになる,なのでその時に違和感があったりするけど,気にならないようならそのままで過ごす人も多い,といいます。

 要するにあれですね,実生活に支障がなければほっといていいんですね,と聞けば,まあそうですねとお返事。

 ただ,3週間は固定が必要で,固定には人差し指を副え木にして,テーピングを行うことと,指示がありました。3週間!そんなに!

 以前別の事(この時は右肩の脱臼でした)で先生に言われたのは,脱臼というのは骨と骨を繋いでいる腱が伸びたり切れたりすることで,基本的には骨折と同じ,長期間の固定が必要という,誠に説得力のある説明をされたことがありました。

 おもむろに先生は超音波エコーに手を伸ばし,左右の第3関節付近を見せてくれたんですが,右手の組織は見事にぐちゃぐちゃで,こんなものを見せられたら絶望的な気分になります。

 てなわけで,テーピングのやり方を教えてもらい,経過を見ましょうということになりました。

 そうして,腱が動くのを,別の機会に「先生,そういえばなんでこんな風になるんですかね」と尋ねる人もいるとか。例によって手術しか治らないよというと,いやいやそんなら結構ですと言う話になるんだそうです。

 まあその,半年ほど前は右手の握力が20kgほどになっていたので,自分の関節を自分の握力で壊せるほどに回復した(今は50kg近くに戻っています)ことをうれしいと思う一方で,手術しないと治らないような怪我がこんな簡単に起きるものなんだなあと,恐ろしくなりました。

 とりあえずこういうのは初動が肝心。3週間の固定はきちんと守ろうと思いました。

 しかし,悪いことは続くものです。怪我から4日後の夜,晴れが引き始め,痛みも弱まって少しずつ動かせるようになってきた矢先,つい剥がれたテープをそのままにしたまま,食洗機に洗剤を入れたとき,中指に付いた洗剤を弾き飛ばそうと全く同じ動きを,やってしまったのです。

 ブチッという嫌な音がし,引きちぎられたような尖った強い痛みが走りました。これは切れたな・・・ただ事ではないなと感じ,痛みと後悔に,私は絶望したのです。

 せっかく4日間も不自由な生活を続け,良くなっていることを実感しながら,この調子なら実生活に支障がないままおわるんじゃないかと手応えを感じていたまさにその時の絶望ですのでそのショックは大きく,自分の不用心さとその結果起こることの最悪の可能性に震え上がりました。

 それからさらに3日が経過した今,腫れはほとんど引いていて,ぱっと見れば怪我をしているかどうかわからないくらいです。しかし,握ったり開いたりすると痛みがあり,腫れがないのに痛いという状況に,このまま固定するかもしれないという怖さが私を包みます。

 そう,日常生活に支障がなくても,私の人生は指で成り立っています。特に利き腕の指なら事は深刻で,箸は持ててもネジは回せない,ドライヤーは持てても電気ドリルは持てない,ピアノもギターもダメなら,マウスもキーボードもこれまでのように扱えず,重たい大きなカメラと長玉を振り回すことは当然難しくなるでしょう。

 いわば,私の楽しいと思う事の大半が奪われてしまうわけで,そこまで想像するともう絶望するしかありません。なんのために生きているのか,そこまで考えてしまったこともありました。

 まずは,先生の言うとおり,固定をすること,そして3週間でどこまで回復するかをみたいと思います。半年前の右手のしびれは,長い時間がかかりましたがほぼ完全に戻りました。人間の治癒力に驚いたのですが,今回もそうした回復を見せてくれるかも知れません。

 そして,日常生活をおくってみて,やっぱり痛い,不自由だという話なってしまったら,きっと手術を積極的に受けようと思うでしょう。整形外科の分野は,時間の進みが遅いです。私のようなせっかちには気分的にも辛いわけですが,ここで焦りはまずいので,あえて後悔はしないようにして,むしろなにも考えずに三週間を過ごすようにしたいと思います。

 しかし,このくらいで起きる指の脱臼ですが,もっとたくさんの人が経験するものと思っていました。調べてみてもあまり出てこず,手術までやったという話もほとんど見ません。

 年末年始の忙しい時にこんなことになるなんて,ほんと困った話ですが,もうこれ以上悪化させないように,おとなしくしておきたいと思います。

 

 

ギックリ腰からの帰還

 誰が言ったか知らないが,9月の連休を「シルバーウィーク」と,世代間闘争に油を注ぐかも知れない不用意な名前で呼ぶようになり,そこはさすがに休みだからと闘争もお休みに入ったわけですが,私も自分の母親を自宅に招いて,のんびり過ごさせてもらいました。

 一応私は母親を招く「ホスト」にあたるので,食事の用意などは基本的に私の役割で,黙々とこなします。といっても,普段も同じ事をやっているので,一人分増えるだけのことでしたが・・・

 母は別に外に出かけたがるような人ではなく,家にいて孫の顔を見ているのが一番という人ですので,わざわざ私がおかしな企画を立案して外に連れ出し,結局誰もハッピーにならなかったという状況を作るような失敗をせずに済みます。

 実家では母が猫を飼っており,本来なら両者の利害は長期滞在で一致を見る(往復の時間と費用,その他にかかる種々のコストを滞在時間で割った値を最小化する)のですが,生き物がいる以上そういうわけにはいきません。
 
 例年,2泊で帰阪する母親に,今年は3泊にチャレンジしたらどうか,と提案してみました。母親が来ると誰かが必ず体調を崩すという失態を続けていた我々も,今年は体調も良く,楽しい時間が過ごせそうだという見込みがあったことも理由です。

 かくして,3泊して母親は無事に実家に戻っていきました。

 本題はこれからです。

 母親が帰り,連休最大のイベントが終わったことで油断をしたのでしょうか,それとも日頃の疲労の蓄積ゆえだったのでしょうか,木曜日の夕方に,俗に言うギックリ腰に見舞われたのです。

 木曜日の16時30分過ぎのことです。米びつのお米がなくなりそうになっていて,今日炊く予定だった4合に足りません。そこで買ってあった10kgのお米の袋をえっちらおっちら引き摺って,米びつに半分ほど入れました。

 この時鈍くさい私は,何粒か米粒をこぼしてしまったのです。

 いつもならそのまま「もうええわ」と放置するのですが,この日はなぜか気になり,ネズミが出たり虫がわいたりすると嫌だと考え,せっかくだから綺麗に掃除をしようと思い至って(私の場合概ねこういうことが動機となります),ハンディクリーナーで掃除を始めたのです。

 右手に持ったハンディクリーナーを屈んで引き出しに突っ込んで掃除をしていると,何か突然,腰に強烈な刺激がありました。あまりの衝撃に,一体何が起こったのか,わかりません。

 私もギックリ腰は何度かやっているのですが,まるで火箸で焼かれたような熱を感じる事もあれば,ブチブチという音がしたような気になることも,目の前にぱっと閃光が走ることもあるのですが,今回はそういうものは一切無し,ただなにかすごいことが起きた,と言うことだけがわかる感じです。


 しかし,すぐに強烈な痛みが襲い,崩れそうになる体を両手で何とか支えますが,痛みが治まる気配がありません。どうにか支え方を変えたりつかまったりしていましたが,この時すでにギックリ腰になったこと,それもかなり程度が悪いことを腰が焼けたように熱く感じた事と一緒に,理解していました。

 そうこうしているうちに,病院に行っていた娘と嫁さんが帰ってきて,階段を上がってきた娘が私の異変に気が付きました。私はなんとか,背もたれのない椅子に腹ばいになり,腰の力を抜いて移動する方法を見つけ,隣の部屋で横になりました。

 そこからがもう地獄です。1ミリも動けません。少しでも動けば激痛が走ります。そして一度痛みが発生すると,その痛みをカバーすべく背筋に力が入り,そのせいでまた痛みが強まり,さらに背中の筋肉に力が入って・・・を繰り返して,際限のない痛み地獄にはまり込みます。痛くない姿勢に戻しただけでは痛みは引かず,ここで深呼吸をして力を抜くことを覚えて,ようやく痛みから逃げられるようになりました。

 3時間も安静にしていれば,まあトイレに行くことくらいは出来るようになるだろうと,これまでの経験から思っていたのですが,痛みのひどさと経過の悪さから,それも難しいと分かってきたのは,2時間ほど経過してからでした。

 もしかすると,週明けも満足に動けず,私が担当している家事や保育園の迎えが出来なくなってしまうんじゃないかと,焦りが出てきます。

 結果から先に書くと,自分でも驚くほど急激に回復し,週明けにはほぼ痛みが取れ,元の生活に戻ることができました。わずか3日で普段通りの生活にほぼ戻ることが出来たその驚異的な回復速度は私も未体験で,ここに何をやったかをまとめておくと,次の約立つだろうと思った次第です。

9月24日 16時40分頃
ギックリ腰発生。過去最大の痛み,もはや痛い場所もわからない。とにかく仰向けに寝ているしかない。

9月24日 17時30分頃
お医者さんでもらったボルタレンをはる。

9月25日 19時半頃
食事。飲み食いすると当然出るものが出るわけで,食べないつもりだったがそうもいかず,おにぎりとおかず少々を食べる。嫁さんが食べやすいようにと作ってくれたおにぎりの美味しかったこと。ただし水は飲まないが,痛み止めとしていつも飲んでいる頭痛薬のエキセドリンを飲む。

9月24日 20時30分頃
全く改善せず。痛みで動けず,這うのが精一杯。おしっこが我慢できず,やむなく嫁さんに2Lのペットボトルを加工して急ごしらえの溲瓶を作ってもらい,これでなんとな乗り来る。嫁さん曰く「はじめてあなたの下の世話をしたわ」

9月24日 夜
22時頃にもう一度おしっこをとってもらい,そのまま寝ることにするが,痛くない姿勢の範囲が狭く,ちょっとしたことで痛みが走り,その都度深呼吸が必要になるので,ほとんど眠ることが出来ない。当然風呂にも入れず,自分の布団にもいけず,カーペットの上という,健康なときでも背中が痛くなる状況で,寝返りも姿勢を変えることも許されずに,まさに地獄のような時間を過ごす。寝たきりになると,こういうしんどさがあるんだと思う。

9月25日 8時ごろ
家族が起き出して活動開始。私はまだ動けない。しかし,寝返りが打てるようになっていて,朝目が覚めたときの改善具合に驚く。

9月25日 9時ごろ
軽くお菓子を食べ,ロキソニンを飲む。ボルタレンを貼り替えてみるが,大きな改善はなし。

9月25日 9時30分ごろ
意を決してゆっくり動き,中腰のままではあるが立ち上がることに成功。このままよろよろと歩き,3階にあるトイレにいって久々に自分で用を足す。寝室に向かうが,嫁さんの使っている敷き布団が低反発ウレタンのもので,腰が楽という話から,これを借りることにする。

9月25日 17時頃
腰痛の時には最初の48時間はとにかく動かずじっとする,その後は出来るだけ動くようにすると,回復が早いと聞いたことがあり,実戦する。24時間が経過し,少しは動けるようになってくる。ロキソニンのせいで胃と腸を壊してしまい,下痢をするがそれがまた腰には厳しく,大変な思いをする。

9月25日 19時頃
夕食は2階に降りてみんなと一緒に食べられそうだったので,椅子に座って食べる。ただし長時間は無理で,さっさと食べてまた寝室に戻る。この時にはなんとか立って歩けるようになっている。ロキソニンに加えて,ナボリンも飲む。

9月25日 21時頃
シャワーに入る。なんとか体を洗って,そのまま寝る。

9月26日 8時頃
活動開始。なんとこの日は朝から背筋を伸ばして歩くことが出来るようになっていた。しかし,痛みはあるので,無理せず朝食後にすぐ寝る。

9月26日 17時頃
48時間が経過,ほとんど回復。絶っている状態から座ると痛かったり,座っている状態から立ち上がると痛いという状況すら,もうほとんど出なくなっている。
ただし無理はしない。この日の夜から,自分の薄い布団で寝る。

9月27日 8時
活動開始,起き上がるときにも,寝るときにも,もう痛みをほとんど感じる事なく,生活に支障はないレベルに改善。下痢がひどいのでロキソニンをやめる。

9月27日 10時30分頃
自転車に乗って,来週分の食材を買いにスーパーへ。それまで体が不自由だっただけに,自転車で走ることが楽しくて仕方がない。問題なく帰宅。以後は用心しつつ,出来るだけ普段通りの生活をする。

9月28日 7時
出勤。痛みはないが,ずっと寝ていたせいで筋肉が弱っているらしく,電車で立っていると,非常に腰に疲れを感じてだるい。しかし午後には元通りになり,以後はちょっとした痛みを感じつつも,普段の生活に完全に戻る。


 てなわけで,48時間ひたすら寝る,と言う初動によって,急激に状況を改善させることに成功しました。ナボリンも効いているのだと思います。また,消炎剤としてロキソニンが大きな貢献をしているはずで,この結果として徐々に痛い場所が特定出来るようになり,やがて痛みが気にならなくなったのでしょう。

 また,ボルタレンは強い効き目があるとは言え,貼り薬ですので,そんなに深い場所には入っていきません。ボルタレンで痛みが取れたなあと実感出来るようになるには,かなり痛みが弱まっている必要があり,48時間の安静とロキソニン&ナボリンは,そのことにも大きな貢献をしているはずです。

 だから後日,ボルタレンを貼る場所がずれてしまった際に,弱い痛みが一日続いたんだと思います。

 長々と書きましたが,48時間で家の中で生活出来るレベルに復活し,72時間で普段通りの生活にほぼ戻ることが出来るというのは,かなり画期的な成果でした。これまで,この手のギックリ腰はどのくらいで動けるようになるかさっぱり分からず,自分の周りも予定が立たないので,それがますます焦りを生んでいましたが,今回ほどのひどい痛みでも,3日で復活出来ることがわかれば,かなり負担を軽減できるでしょう。

 こういう話をすると,ご自分の「腰痛自慢」する人ばかりになってしまうので,私はあまり周りにこういう話をしませんが,少なくない自慢話を聞いていると,復活するのに2週間とか,1ヶ月とか,そのくらいのスパンでかかったと言う人が多いです。数日という人は,まずいません。

 2日で動けるようになり,3日で復活出来るなら,ギックリ腰ももう怖くありません。私は4回目になりますが,普段から気をつけて生活することも大事ですが,不幸にもギックリ腰になったとしても,慌てず騒がず焦らずいられるようになったことは,大きな転換点だと思います。

 ポイントは4つ。

(1)48時間はとにかく寝る。起きるのはトイレだけ。出来ればトイレもいかない。
(2)ナボリンとロキソニンを毎食後に飲む。
(3)貼り薬はボルタレンを使う。
(4)48時間経過後は無理のない範囲で起きて動く。変にかばわない。

 ちなみに,パナコランも併用していますが,外す段階で電池が切れていることがほとんどで,効いているんだかいないだか,はっきりしませんのでここには書きません。

 

健康な私とお医者さん

 先日,人間ドックなるもので,初めて「問題箇所」を指摘されました。肝臓のある値が基準値を大きく超えているということと,便潜血があるという2点です。

 肝臓については,基準値を超えているという話ですから,その基準値の妥当性についても,もっというと検査の数値そのものの誤差や変動をどこまで考慮するかによって,OK/NGが変わってくると思うのですが,便潜血については出てるか出てないかの二択ですので,出ていると言われれば「何かの間違い」という話にはなりません。

 素人があれこれと気に病んでも仕方がないし,かといって放置するのがいいのかどうかもわかりません。ここは専門家である医者に判断してもらうのが得策でしょう。

 6月のある日の午後,予約を取って病院に出向いたところ,肝臓についてはその場で血液検査となりました。結果は問題なし。値は随分改善していましたし,お医者さんによるとそもそもこのくらいの値なら心配ないよ,ということでした。

 まあ,人間ドックは早期発見や予防に大変効果があるのですが,一方で病院にとっては貴重な収入源です。しかもここで「再検査」と出れば,多くはその病院で再検査を受けようとするでしょう。いきおい,基準値は厳しいものに設定されがちです。

 いや,それがいかんというわけではないのです。厳しめにすることで,確実なスクリーニングができます。疑わしいものは確実に引っかける,これが分野を問わず,予防ではとても良い方法なのです。(コストを度外視すれば,ですが)

 まあ,人間ドックの学会が出した基準値が他の学会の基準値と違うという事が先日のニュースでも報道されていたくらいですので,値の大小で一喜一憂することがどれほどバカバカしいか,わかろうというものです。

 しかし,便潜血は前述のように,出ているか出ていないか,です。出ていなければ見落としがあるかも知れませんが,出ているという以上「出ていない」ことには出来ません。

 ということで,私が相談したお医者さんは,速効で「大腸内視鏡,ポリープが見つかったら切除手術,よって1泊2日の入院,ここにサインを」と畳みかけてきます。気が付いたら入院の手続きをして帰宅し,3週間後の検査に怯える毎日を過ごすことになりました。

 結論から言うと,この検査では全く異常は見つからず,従ってポリープの切除も生検用の組織サンプルの採取もなく,なにも処置されずにその日のうちに「帰れ」と言われて夕方には自宅に戻ったのですが,日帰りでも入院という扱いになるので,私は生まれて初めて入院をしたことになるのでした。

 こんな風に,深刻な病気が見つからないのはいつものことなのですが,その度に予期せぬ事件が起きるのが私の面白いところで,今回はちょっと過去の経験を書いてみようと思います。


(1)首が曲がった

 中学生の時ですが,体の大きかった私は,組み体操の人間ピラミッドではいつも一番下の土台を割り当てられていました。それはそれで別にいいんですが,なにがまずいって,中学生ですから,崩れるときに面白がって下の奴を踏んづけたりするわけです。

 これは今にして思うと非常に危険なことで,いってみれば将棋倒しで大事故になるようなものと同じだと思う訳ですが,今から30年ほど前は大らかだったんでしょうね。

 で,いつものように土台をやり,いつものように崩れた時,誰かの膝が私の首を直撃し,私の首は曲がったままになってしまいました。痛くてまっすぐにできないのです。

 母親は心配になって私をかかりつけの病院に連れて行ったのですが,そこの院長がまじまじと私を見つめて,「痛いか」と尋ねます。

 痛いです,と答えたあと,先生はゆっくりと私の頭のてっぺんと顎を掴んだと思ったら,おもむろに反対側にぐいっとひねったのです。

 あまりの痛さに中学生の私は「痛いがなー」と叫んで手を払いのけたのですが,先生はふむふむ,といった面持ちで,「やっぱり痛いか」とつぶやきました。

 何をしたかったのか今でもわからんのですが,医療行為としてはこれで終わりで,検査も無し,湿布がでて終わりました。

 2週間ほどすると,徐々に首もまっすぐになってきましたが,ちょうどその頃撮影した,電話級のアマチュア無線の免許用の写真をみると,無理してまっすぐにしている様子がわかります。

 まあその,後遺症とかなくて幸いでしたが,今ならこでほっとくことはないでしょう。2週間ほど首が痛くてまっすぐにできないなんて,立派なけがですからね。それにしても,痛めた部分を無理にひねるなんて,絶対にやったらだめなことだと思うんですけど・・・ちなみにこの院長,私の尿路結石を「急性腎炎」と誤診し,以後私の生活を数年間不自由にさせた張本人でもあります。


(2)尿路結石で体育をサボる

 ある寒い朝,腰に鈍い痛みを感じた中学生の私は,腰をぐいっとひねって,「うおー」と言いながら大げさにその場に倒れ込みました。ところが,その鈍い痛みは弱くなるどころか徐々に痛みが増し,最終的には動く事すら出来ないほどの強い痛みになりました。

 ヒーヒーいってる私を,そばで見ていた弟は「いつまでやってんねん」という感じで私を半分無視していたので,自ら大声を出して母親を呼んだのですが,余りの痛みに腰は伸ばせず,立ち上がることも出来ず,抱えられるようにどうにか病院に到着したのです。

 病院では痛み止めの点滴がまず打たれ,私は次第に消えてゆく痛みの中で意識が薄れていったのですが,検尿の結果,大量の赤血球が検出されたという事でした。お医者さんの診断結果は,急性腎炎とのこと。毎週検査に来いということでした。

 母は,急性腎炎から慢性腎炎に移行し,あげくに人工透析,腎移植という大げさなシナリオを勝手に描いては戦慄していたようですが,本人はと言えば別に問題はなく,至って普通に元気にしていました。

 ただ,検査は毎回僅かずつでも赤血球が出ており,お医者さんは毎度毎度「うむー」とうなっていたのですが,一貫していたのは急性腎炎はここで食い止めなければ,慢性に移行してしまうので,とにかく減塩と運動の制限をしようということでした。

 ということで,体育はそこから基本的に見学。以後軽いものから授業に参加することにしましたが,私はこれを理由に,とにかく嫌で仕方がなかった水泳の授業を中学2年から高校3年まで,ずっと見学することになります。

 確か高校生になったときくらいの話だと思うのですが,ちっとも状況に変化がない私に「慢性になったかも」とお医者さんがいったことでちょっとした騒ぎになりました。

 ですがおしっこに砂粒のようなものが出てきたことから「尿路結石」じゃないのか,と詰め寄ったところ,渋々それを認め,これまでの診断が誤診であったことを認めたのでした。

 しかしですね,こんな美味しい免罪符を誤診ごときで手放す私ではありません。その後も学校には「腎炎」という病気を訂正せず,そのまま水泳の授業を休み続けました。

 腎炎でも出来るだけ頑張って授業は参加します,だけど水泳だけはやめときます,という積極姿勢を見せつつ,ちゃっかり水泳だけはサボるという技で私は高校3年間,一度もプールに入ることなく過ごすことに成功したのでした。

 当時の私としては,とはいえ本当に腎炎の可能性もあるわけだし,仮に誤診であったとするなら,そのことで受けた不自由を考えるとこのくらいのズルはいいよなあ,という気持ちもありました。

 この10年後,再発した私は,空豆のような自分の腎臓のレントゲン写真に,いくつかの石があることを見る事になり,この誤診が本当に誤診であったことを知る事になるのです。


(3)鉛筆がぐさっと足の裏に刺さる

 小学校の4年生の時だと思うのですが,当時通っていた学習塾で机を跨いで先生の所に行こうとしたとき,足を引っかけてしまいました。

 右足を降ろしたところで激痛が走り,私はその場に倒れ込みました。いつものように大げさに「うおー」といっていたのですが,なんだか本当に痛いし,周りの様子もおかしいので,私も心配になってきました。いや,本人は鉛筆の先がちょこんと当たったくらいのことと思っていたのですよ。そこは大阪人らしく「おいしいネタ」になると,大げさに振る舞っていたんです。

 そのうち,どうも鉛筆が足の裏にささっていて,抜こうとしての抜けないという話が聞こえてきました。私は傷みのせいで,目の前にあった机の脚にかじりつく始末。

 先生の自動車で病院につれていかれたのですが,痛みは変わりません。自分では全く見えませんし,どういう状況なのかもわかりません。

 病院に着く頃,仕事先から母親が飛んできてくれたのですが,私はもう何が何だかという状況です。まずレントゲン,そしてベッドに押さえつけられ,ペンチでその鉛筆を引っこ抜くようなのですが,途中で鉛筆は折れていて,足の裏からは少ししか飛び出していないようです。

 硬いものがするすると抜けたような感触があって,どうやら鉛筆が抜けたことは分かったのですが,地獄を見たのはここからです。なんだか分からないのですが,とにかく強烈な,過去に体験した事がないような激痛が襲いかかります。病院のベッドの柵に噛みついたり,暴れたりと,尋常ではない傷みを覚えています。

 ようやくこの地獄から解放され,落ち着いた頃に先生から説明を受けました。足の裏から5センチほど鉛筆が刺さっており,足の骨のアーチになっている部分にぶつかって止まっているということでした。

 もうちょっと強い力で刺さっていたり,あるいは骨を避けていたら,おそらく鉛筆は突き抜けていたのでしょうね。おそろしいです。先生も,うまく鉛筆が折れたおかげで大事に至らなかったということでした。

 で,お医者さんからではなく母親に聞いたのですが,私が経験したあの激痛は,鉛筆を抜いたあとに,鉛筆の破片が中に残っていないかを確かめるため,ピンセットを突っ込んでグリグリまさぐったらしいのです。そりゃー痛いわ。

 というかですね,抜いた鉛筆を見れば,残っているかいないか,分かるんとちゃうの?

 
 神経を切っているかも知れず,感覚がなくなるかもと言われたりしましたが,その後順調に傷はふさがり,特に化膿することも後遺症が出ることもなく,いつしか歩けるようになりました。今は傷痕だけが残り,歩くことも走ることも問題なく,痛みもありません。

 それにしても,大人の私があれを思い出すと,もう気を失いそうになるほど恐ろしいわけですが,子供だった当時,痛いことが終わってしまえば後は案外平然として,いつの間にやら治っていました。大きくなるほど臆病になるものなんですね。


(4)胃の内視鏡で死ぬかと思った

 ここで一気に時間が進みます。30歳前半のことですが,胃が重く苦しく,食欲が出ず,困っていました。公私ともにいろいろあって滅入っていたこともあり,これは胃を悪くしたのであろうと,病院にいくことにしました。

 最初は若い女の先生が,大した問診もせず,決まり通りに胃の薬を出して終わりで,これが2ヶ月ほど続いたのですが一向に症状は改善せず。ちなみにこの先生は「処理能力」が高く,他の数人の先生に比べて圧倒的に順番待ちの番号の進みが早いのです。

 ええかげんにせいよ,という空気を感じたのか,内視鏡検査をしましょうという話になりました。最初からそうしてくれれば,と思いつつ予約を取り,検査当日を迎えます。

 私は「おえっ」とえづいてしまう人なので,内視鏡はおそらく苦戦するだろうと思っていました。しかし何事も経験です。それに,内視鏡も年々改良が進み,かなり負担が軽くなっていると聞いていますし,これだけ進歩した医学の世界で,オエオエいうような話もなかろうと,安心していました。

 まず,検査室に通され,ゆったりとした背もたれある椅子に座らされました。そして,えづくのを防ぐ為に,喉の部分に麻酔をするといって,コップに入った麻酔をわたれました。

 これを口に含み,感覚がなくなってきた頃に内視鏡を突っ込もうという話です。

 看護師さんがいうには,ツバを飲み込む部分も麻痺するので,唾液が飲み込めずにそのまま気管に入ってしまうから,口にためておき,もしいっぱいになったら吐き出して下さいということでした。

 次第に喉の感覚が消えていき,唾液が口に溜まってきます。うかうかしていると勝手に流れ込んで盛大にむせてしまいます。

 そうしていると,私を担当するお医者さんがなにやら緊急事態とかで,病棟に走って行きました。私の周辺はなにやら騒がしくなり,私はぽつんと放置されてしまいました。ちらっと私を認めたある看護師は「急患が出たので待ってて下さい」と,満足に話の出来ない私から去っていきました。

 私は,軽いパニックになりました。唾液はどんどん流れ込んできます。その度に私は呼吸困難になり,ゴホゴホをむせて,唾液を吐き出すことになります。もはや唾液が溜まったかどうかも分からなくなっています。

 これは本当に死ぬかも・・・

 30分ほどの孤独な闘いを経て,徐々に感覚が戻ってきました。もう唾液も飲み込めます。やれやれ,助かったと思ったところに,先生が「おまたせー,さあやろうか」とやる気満々で戻ってきました。

 私は,麻酔をやり直してくれると思ったのですが,あっという間に私はベッドに横たわり,なにやらおかしなマウスピースを口に押し込まれて,モガモガいうのが精一杯です。そのうち,黒い細長いものが私の口に入ってきます。もう私は拒むことが出来ません。

 その頃,すっかり麻酔が切れていた私は,もうとにかくえづいてえづいて,大変でした。生まれてから,あれだけ連発してえづいたこともないと思います。もう涙でぐしゃぐしゃですし,じっとしていられません。

 見かねた看護師さんはまるで子供をあやすように,30歳を超えたオッサンの背中を「くるしいねくるしいね」と優しくさすってくれますが,かえって惨めになって,苦しさ倍増です。

 そんなこんなで,検査のことはちっとも覚えていません。苦しさに始まり,苦しさに終わった検査で,終わってからも私はしばらく放心し,ぐったりと動く事ができませんでした。

 後日結果を聞いたのですが「いやー綺麗なもんですよ」とお医者さんはいいます。ということで,私の胃は健康そのものということになりました。

 なにが幸いするか分からないのはこの後です。この先生は消化器系を専門とする先生で,しかも漢方を処方することに抵抗がない方でした。こういう場合は漢方を使ってみましょうか,ということで,私は漢方薬を飲み始めたのですが,これがまあ抜群に効いて,気分の悪さもなくなり,食欲も戻って,胃の悪さは完治したのです。

 

(5)嗚呼私の純潔

 腎臓に結石がある私ですが,大きくならないうちに出してしまうのがこの病気との上手な付き合い方です。

 20代後半のある夜,強烈な腹痛に身動きが出来ず,当時入っていた独身寮の寮母さんが救急車を呼んでくれました。

 深夜に大学病院にかかり,点滴とレントゲンで様子を見たのですが,やはり結石があります。ちょうどひまわりの種くらいのトゲトゲの石が,3から4ミリくらいのゴムホースに斜めに引っかかっている様子を想像して下さい。

 痛みはしばらく続きましたが,痛い場所が徐々に動くのが分かります。その後痛みが薄れたかと思うと,なにやら違和感があってトイレに行くと,ぽろっと石が出てきました。いやー,なにやら肉片がくっついてますよ・・・痛そうです。

 これを拾い上げて綺麗に洗って,お医者さんに持っていきました。成分を調べるという事だったのですが,その先生はなにやら偉い肩書きの先生のようです。

 もう痛みはないと伝えて,これで思った瞬間,「はい,そこになって」とベッドに寝転ぶよう促されました。

 おかしいな,もう痛みなんかないんだけどなあ,と思っていると,若い学生とおぼしき人達がぞろぞろと数人,入ってきます。

 先生が私を見下ろし,「パンツを脱げ」と言いました。

 は?と聞き返すと,イライラしながら「さっさと脱ぐ!」と私を急かし,気が付いたら私の下半身は大勢の男たちの目の前に晒され,隠すことを許されない私はなにも出来ずにただ横たわるだけでした。

 なにをされるのだろう,と不安に駆られていると,先生の背中に突如黒いオーラが立ち上り,おもむろにゴム手袋をきゅきゅっとしたかと思うと,私の足を広げ,私の「穴」に指を差し込んだのです。

 !

 私を取り囲む男たちの眼は,先生の華麗な指使いに注がれています。私は声を出すことも抵抗することも出来ず,なにをされているのかもわからず,ただただ,されるがままになっていました。

 男たちは,なにやら必死にメモを取っている様子。看護師さんは遠くで私を見ています。

 やがて。長く感じたその時間が終わり,先生の指が私から離れていきました。先生の「よし」という声と,達成感に充ち満ちたその表情が,私を見下ろします。

 事が済み,背中を向けた先生に,男たちが追随し,私はそのままの姿で放置されました。なにがなんだかわからず,何も出来ずに放心している私に,そっとタオルをかけてくれた看護師さんを見ると,彼女は私を哀れむ眼をしていました。

 先生曰く,背中からお腹の痛みは,直腸からの触診で異物感がないかどうかを判断するのだそうで,私の場合もこれで異常なしと判定することが「必要」だったとのことでした。結石だとはっきりしているんですが・・・

 まあその,偉い先生でしたし,学生をぞろぞろ引き連れていましたから,こういう触診を率先してやって見せてその重要性を説く姿は,今思えば立派なもんだと思う訳ですが,それならそれでそういう話を事前にしてくれればよかったと思うし,なにより患者の了解はなくても良かったんかいな,と疑問も感じます。

 かくて,私のバージンは,こうして奪われたのです・・・

 

漆をなめてました

 日常的な作業である食器洗いですが,ある時急激にお皿や茶碗を割ったり欠かしたりすることが続くことがあります。

 注意力が散漫になるとか,手先の動きが微妙に変わっているとか,心配事があるとか,いろいろ原因はあるのでしょうが,大事な食器を傷めてしまうと,とてもがっかりするものです。

 食洗機というのはこうした損害を根本的に解決する1つなのですが,これを導入する前には,私は頻繁に食器を割ってしまっていました。

 特にショックだったのは,ちょっと高価なお茶碗です。

 それなりに高価だった肉の薄い綺麗なお茶碗を,結婚後夫婦揃って買って使っていたのですが,1年ほどで全滅。反省を込めて,私が手焼きの高価なものを買うことにしました。2つで1万円近いもので,購入するとき「自分達が日常的に使うもの」とラッピングを断ると,一瞬妙な間があったことを覚えています。

 それは,特にお茶漬けを食べるとおいしいだろうなと思うようなお茶碗でした。

 これだけ高価だと,さぞや大事に扱うだろうと思っていたのですが,やはり慣れた頃には手を滑らせ,下に置いてあった片手鍋の縁にぶつけて,大きく欠けてしまいました。

 いっそのこと真っ二つに割れてくれればまだあきらめの付いたものを,と中途半端に欠けてしまい,だけども口に当たる部分だけにそのまま使用することは無理という状況に,なんともいえない寂しさがありました。

 こういうとき,私は欠けた部分にホーローを修理する白いエポキシ系接着剤を塗り込んで形を整えます。とても綺麗に修理出来るのでいつもそうしているのですが,安全性にはちょっと無頓着なところがありました。

 食洗機導入の時にも書きましたが,熱でこのエポキシ樹脂が柔らかくなっていました。接着剤特有の臭いも強くなっていて,長時間の加熱で化学物質が溶け出してしまっていることも疑われました。

 なにせ食洗機は,水を循環させて食器を洗う機械です。接着剤から溶け出た化学物質が他の食器にまで回ってしまうのは,大問題です。

 この茶碗だけ手洗いすることを考えたのですが,この機会にエポキシに変わるほかの修理方法を考えてみることにしました。

 欠けた茶碗を修理する方法には,日本古来の金継ぎというのがあります。漆にご飯粒や小麦粉を混ぜて練った糊を使って貼り合わせたり欠けた部分を作ったりして,その部分に金粉を塗るものです。実用的な強度を持ち,かつ美しく仕上がった金継ぎはそれ自身が工芸的に評価されるものです。

 なんだか,割ったお皿が修復で評価されるってのは,なんだか一周回ってしまったようなおかしな気分ですが,私が注目したのは,この漆の糊です。

 漆ですから,乾いてしまえば安全です。固化した漆は耐久性も抜群で,熱にも強く,成分が溶け出るようなこともないそうです。

 問題は,漆ですからかぶれること,そして乾くのに時間がかかることでしょうか。

 まあ,もともとお茶碗を割ったのは私ですし,ダメモトでやってみることにしました。

 私は漆にかぶれたことなど一度もないのですが,そもそもどこに売っているのかわかりません。東急ハンズのサイトを見ていると,チューブ入りの生漆が800円ほどで売られています。

 とりあえずこれを購入。

 まず,お茶碗のエポキシ接着剤をすべて取り除きます。少し深いところにも食い込んでいるので,少し削って完全に除去します。そしてその断面に,生漆を塗ります。いきなり糊を塗っても付きが悪いらしく,これでしっかり固着するようにするそうです。ここで数日放置。

 そして乾いたところで,ご飯粒を練り潰し,生漆と混ぜて糊を作ります。出来上がった糊をこんもりと欠けた部分に盛ります。

 失敗は,この糊の作成にありました,ご飯粒が綺麗につぶれてくれず,ぶつぶつが残っていました。水分も足りない乾きかかったご飯粒だったことも問題で,私は漆を混ぜればなんとかなると,強引に練り続けたのです。

 これがまずかった。

 数日後,右手になにやらみみず腫れのようなものが出てきました。腫れ上がり,猛烈にかゆいのです。どうやら,作業中に漆が手に着いたようです。

 ほっといても良いことはないということで,土曜日に観念して皮膚科に行ったのですが,処方された最も強力なステロイド剤を塗る生活が始まりました。

 そうこうしているうちに,漆のかぶれが体のあちこちに出てきます。移ったものなのか,時間が経過して発症したのかは分かりませんが,作業当日の気温が高く,実は上半身裸で作業をしたことも今思えばバカなことをしました。お腹,腕,足,脇の下と,あちこちに水疱ができてしまいました。

 他人には移らないそうですので,嫁さんや子供が発症することはないと思うのですが,恐ろしいのは生漆が知らないうちに飛び散ってしまい,これに触れることでしょうか。赤ちゃんがかぶれたら,大人のように「かゆい」だけでは済まないでしょう。まずいことをしました。

 少しずつかゆみも沈静化して,治りかかった2週間後,ちょうど糊も乾いただろうと,削る作業を始めることにしました。

 洗面台に持っていき,デザインナイフで削ったのですが,随分柔らかいです。あれ,と思って断面を見ると,透明になっておらず,白く濁った部分が出てきました。しかも,漆特有の臭いもします。もしかして・・・手に付いた漆を見て,疑いは確信に変わりました。漆は,まだ乾いていません。

 確かに,漆は時間ではなく,条件で乾くものです。私の叔父は,漆を塗ったテーブルが届いた日,肘をついて腕がかぶれ,数日間高熱にうなされたと聞きました。

 私の手はすでに漆まみれです。せっかく漆かぶれが落ち着いてきたのに,また派手にやらかしたのか・・・と焦りますが,ここは嫁さんに救援を求めます。

 漆は油溶性です。油絵の具の油が良いそうですが,そんなものは私の手元にはありません。そこでサラダ油を手に出してもらい,これで漆を落とします。案外綺麗に落ちる物で,最後にこれをハンドソープで除去します。

 まだ指先にねっとりとした感覚が残っていますが,これ以上はどうやっても落ちません。

 そして,このお茶碗に視線を落とします。どうしようか・・・悩んだ末,処分することにしました。漆にかぶれてまで修理に臨んだお気に入りのお茶碗ですが,漆にかぶれるリスクがまだまだ続き,しかもそれがどれくらい耐久性のあるものか,わかりません。電子レンジは?食洗機は?そもそもホントに安全?

 どれも,私には答えを用意出来ません。

 泣く泣く,ゴミ袋に入れました。次の燃えないゴミで,廃棄することにします。

 ということで,漆をなめていた私は,漆にこっぴどくやられました。漆がこれほど難しい塗料だとは思わなかったのと同時に,今時の塗料や接着剤はいかに使いやすく出来ているのかと,感心しました。

 漆も使いこなせるようになると,修理修繕の幅も広がるなあと思っていただけに,これほど手強いとは思いませんでした。残った漆も危険なので,次の燃えないゴミで捨てることにします。

腰を痛める

 4月に引っ越しを予定しており,現在その準備に大忙しです。

 そんな中,とても困った事がありました。3月21日に,腰痛を再発させてしまったことです。

 若いときにぎっくり腰をやって以来,2,3年おきくらいに繰り返しては,その度に不自由な辛い生活を送っているのですが,ここしばらくなりを潜めていて,腰痛のない生活を満喫しておりました。

 3月20日,ちょっとはき慣れない靴を履いて歩き回り,その結果腰に負担がかかっていたんでしょう,翌朝,寝ぼけたまま雨戸のシャッターを開けようと屈んで持ち上げると,右の腰から「ピキピキ」という嫌な音が・・・

 火箸を押し当てられたような熱さと痛みを感じた私は,そのまま後ろに転がってしまいました。油断しました。

 どんなもんかな,と恐る恐る起き上がろうとしますが,やはり痛くてダメ。引っ越し作業もあるし,ここで動けなくなるというのは最悪だと,焦りと痛みが私に嫌な汗をかかせます。

 5分ほど横になっていたでしょうか,すこし動けるようになったので,直ちに前回腰痛になったときにお医者さんにもらった湿布薬(ミルタックス)を張り,同時にもらったベルトを巻き付けます。

 腰痛で怖いのは,椎間板ヘルニアとか腰骨の骨折です。これらは不可逆なものなので,ほっとけば治るとか,そういうものではありません。お医者さんにかかっても痛み止めが基本で,手術も大きなリスクを伴います。我慢できるなら手術はしないで,痛みと付き合う方法を考えるのが最善と言われるくらいです。

 私の場合,腰の筋肉あたりに衝撃が走ったので,おそらく筋肉を痛めたんだと思います。だから,時間はかかっても,いずれは治ります。そう思うと少しは気が楽になります。

 そうこうしているうちに,湿布が効いてきて,腰を伸ばして歩けるようになってきました。痛み止めの効き目をこれほどありがたいと感じた事はありません。

 そこそこ自由に動けるようになって,翌日は外出も出来るようになったわけですが,それもやはり痛み止めのおかげでしょう。その日の夜など,寝返りを打ったときに痛みで目が覚め,「うっ」と声を上げてしまったほどですので,やはり痛み止め問いのは重要です。

 用事があって外出した3月22日,薬局へ行って痛み止めの貼り薬を探してみることにしました。もし,いいものがなければお医者さんにかかって,今効いている湿布薬と同じものをもらってくる他ありません。

 薬局の棚を見ると,第一類から第三類まで区分された棚に,テレビCMでおなじみのものから,耳にしたことのないものまでいろいろ列んでいます。とにかく今回,良く効くものでなくてはいけません。

 そんな中,私が買ったのは「薬剤師不在の場合は販売できません」と書かれた,なにやら完全プロ志向なストイックな文言と共に置かれていた「ボルタレンACテープ」という奴です。一応薬剤師に効くと,痛み止めとして一般に手に入るものとしてはダントツとのこと。

 なかなか高価な薬なのですが,この際そんなことは言ってられません。2週間ほど使える分量を買い込んで,帰宅します。ついでに同じ成分を含むゲル剤も買っておきました。

 調べて見ると,バンテリンで有名なインドメタシンが,ボルタレンの有効成分であるジクロフェナクナトリウムなど強力なお薬によって処方薬の座を追われ,市販薬に転向してヒット商品になったのも束の間で,ジクロフェナクナトリウムも市販薬として手に入るようになったのがここ数年のこと,と言う話です。

 翌日から使ってみますが,サイズがやや小さかったこともあり,痛みの取れ具合は今ひとつな印象でした。しかし,ミルタックスが休日の楽な姿勢で使って良く効いたと思っていたのに対し,ボルタレンは会社で使っているわけですから,この印象はあまりあてになりません。

 実際,ミルタックスを会社で使ってみても,似たような痛みは残っています。ということは,どちらも同じくらい効いているということです。

 私の場合,朝が辛く,午後になるほど楽になり,夜はほとんど痛みもないような状態です。また,椅子に座っていると,立ち上がってしばらくは痛くて腰を伸ばせませんし,立ってばかりだと座ったときに痛みがあります。どうも状況の変化を嫌うようです。

 そうして1週間が経過,痛みも随分取れ,日常生活に不自由しなくなってきた土曜日,調子に乗って引っ越しの荷造りをしていると・・・またやっていまいました。

 少し大きな箱を,よいしょと抱えたのですが,幸い軽いものだったので別のはこの上に積もうと思ったのです。ところがその箱の上に,ガムテープとペンが置かれており,横着者の私はこれを持っていた箱で下に落とし,積んでしまおうと考えたのです。

 今にして思うと,これが大失敗で,ちょっとよろけた拍子に持っていた箱の角が下の箱にぷすっと刺さり,箱をスライドさせようとひねった腰に大きな負荷がかかりました。ここでまた稲妻が走り,その場で倒れこんでしまったのでした。

 重い荷物を持ったわけではなく,むしろ軽かったことが油断の原因となったのですが,治りかかっていた全く同じ場所を,もう一度悪化させてしまうと言う,悔やんでも悔やみきれない状態を引き起こしてしまいました。

 1週間前に逆戻りといいますか,傷みの程度はそれ以上です。これは非常にまずいです。

 そんなわけで,現在もボルタレンとミルタックスを使い分ける毎日ですが,おかげで引っ越し作業は進まないわ,悪いことに職場の席替えにも支障を来すわで,つらいところです。

 自分の引っ越しは,他に誰も手伝ってくれませんから頑張るしかありませんし,荷造りの後は荷ほどきがあるわけで,あと2週間でどこまで程度を軽くできるか,不安です。

 しかも,今朝,鼻をかんだら腰の左の筋肉にもいやな傷みが・・・これは本格的にまずいことになりそうな予感です。

 こういうことを書くと不謹慎なのかも知れませんが,自分の体がいう事を利かない状況に悔しい思いをすると,例えばお年寄り,例えば体の不自由な方の視点を少し意識するようになります。つくづく健康であることはありがたいと思う一方で,まだまだバリアフリーな世の中にはなってないところがあるな,と気付かされます。

 皆さんもお気をつけ下さい。腰は,誰でも痛めるものです。

 

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