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2009年01月の記事は以下のとおりです。

さようならセンチュリア

 激安カラーフィルムとして私のようなカメラ修理趣味人を支えた「センチュリア」シリーズが,とうとう生産終了になったようです。

 元々コニカのフィルムだったわけですが,どういうわけだかコニカのフィルムには1本100円台で売られる激安フィルムがありました。使い捨てカメラ(という表現は適切ではないのですが)に使われるフィルムだったこともあるでしょうし,もしかするとフィルムそのものではなく,現像と引き延ばしで儲けるシステムが出来上がっていたのが理由だったのかもしれないのですが,36枚撮りのフィルムを1本現像に出すと,軽く1000円を超えた過去を思い出すと,写真というのは金のかかる趣味だったんだなあとつくづく思います。

 思う存分シャッターを切りたい私は当然モノクロフィルムを自家現像していたわけですが,実は自家現像でカラーフィルムを処理することが全く難しいものではなく,またコストもかからないものであると知り,今は完全にカラーに切り替えてしまいました。

 そうしたトータルコストの引き下げに大きく貢献したのが,コニカのセンチュリアでしたが,特にセンチュリアスーパーのISO200の発色は「これが激安でいいのかよ」と思うほど豊かで優しく,シャッター速度やレンズの確認のためのテスト撮影に使うのが惜しいくらいでした。また,ISO200という適当な感度が大変便利で,D2Hの標準感度がISO200だったりするので,私はすっかりISO200で光を読む人になっています。

 小西六からコニカに代わり,ミノルタと合併した名門はコニカミノルタとなりました。共に日本の写真文化を支えた会社が選んだ道は写真関連事業からの撤退でした。フィルムは言うまでもなくカメラからも撤退し,コニカミノルタはすでに私の中では「倒産」した会社と同じ扱いです。

 しかし,もっとも厳しく,今後も険しいはずのフィルム事業を手に入れた会社が大日本印刷で,果たしてセンチュリアという名前は残り,そして激安販売の対象という役回りさえ引き継がれてきました。

 あれから4年,実はコダックのOEMで発色も粒状性も全然違うフィルムになってしまったセンチュリアですが,私はいつでも欲しいときに手に入る安いフィルムに安堵していました。しかし,それももう終わりです。

 F100を手に入れた矢先の話でとても残念で仕方がないのですが,買い支えるという行為に及ばなかった私にもそれなりの原因はあるかも知れません。

 センチュリアスーパーのISO200については30本ほど冷凍してありますし,かつてダイソーで売られていた100円のコダックのフィルムも備蓄があるので,今すぐピンチになるわけではありませんが,フィルムは生もの,やっぱり欲しいときに買えないことは,辛いところです。

 私の写真史にとって,この日は大きな転換点になると思います。フィルムがなくなったわけではありませんが,貴重品になったことは,もはやフィルムが特別な存在となり,使うことは贅沢な行為に変わります。

 私はフィルム至上主義の人ではないので,感情的な寂しさはありません。高価なフィルムには高価なりの性能の良さがあります。安いフィルムはディジタルで取って代わられるのが宿命でしょう。ディジタルでは代替不可能な領域でのみフィルムが生き残るという簡単な予測は,時間軸はともかくとして現実になろうとしています。

グレイトな日本

 新宿のサービスセンターに行ったときの話ですが,ちょうどお昼時だったので食事でもするかと新宿西口をウロウロしていました。

 さすがに食べるところには困らないですね。ゆっくり食べられそうなところは少ないですが,その点を覗けば世界中の料理が食べられそうなところです。

 13時過ぎだったのでもうピークは済んだだろうと思っていたのが甘く,マクドナルドでさえも長蛇の列です。ハンバーガーなぞ列んで食べるようなものではありません。ファストフードなんですからね。

 で,ちょっと様子を見ていたら,どこも結構混雑しています。そんな中,比較的空いているうどん屋さんがありました。食券を先に買う立ち食いうどん屋スタイルですが,最近は立って食べないところが多くなっていますよね。ここも狭いながらも席があります。

 この店も,10分ほど前に通ったときには満席でしたから,ぱっと空いたのでしょう。さすがうどんは日本のファストフードです。

 なんとなくうどんを食べたいと思った私は,ふらふらとメニューを眺め,カツ丼セットを選んで店内に入りました。

 食券を買ってうどんを指定し,座席を確保して待つこと数分。お,なかなかおいしそうなうどんです。

 食べてみて,「あぁおいしい」と,思いました。

 ここのお店はうどんもどんぶりも関西風でした。だしの良い香りがしますし,少々歩き疲れた体には,強めの塩味がおいしいものです。

 ささっと食べて店を出ましたが,期待以上の満足度でした。

 食事をしながらつくづく思ったのは,日本という国はグレイトだな,です。

 食事を目当てにせずウロウロしていて,おなかが空きちょっと立ち寄ったうどん屋がおいしい,こんな話が当たり前に存在するというのは,やっぱ日本はすごい国です。

 確かに安価な食事を探すのは難しいかも知れません。しかし,世界中で共通化しているハンバーガーだって,ちょっと食べれば600円とか700円になるものです。手頃な値段でおいしい食事がさっと出てくるということは,超高級な料理と同じくらい価値あることだと思います。

 もし,私がミシュランの覆面調査員なら,日本版にだけ特別なページを設けて,こうした庶民的なお店にもハズレが少ないことを書き添えたことだろうと思います。

 なにかと日本に魅力がないと言われる昨今,日本を見直したお昼時でした。

ないものは自分で作れ

 さて,先日F100に関する改造を考えていたと書いたのですが,先に書いておきますと本体そのものには手を出しません。ご安心下さい。

 改造は,電池ケースです。

 ピンと来た人も多いと思います。F100は基本は単三電池4本ですが,低温環境の性能維持と軽量化のために,CR123Aを2本使う電池ケースが別売りで用意されていました。MS-13という形式のもので,F100ユーザーには必須のオプションと言われていたにもかかわらず,数年前に生産中止,今はほとんど手に入らなくなっています。

 F6ではCR123Aは標準になっていますし,F70Dもそうです。F100でなぜ単三電池になったのか,わざわざオプションでCR123Aに対応した理由は知りませんが,どっちにしても私は単三電池のずっしりとした重さが嫌いです。液漏れはするし当たり外れはあるし自己放電も大きいし,搭載機器が重くなるのは仕方がないとして,電池を買うときも重い想いをするのはバカらしい,とわがまま言い放題なのですが,こればかりは好みの問題ですのでやむを得ません。もし,従来の2/3程の重さの乾電池が売り出されたら,私はそれを選んで買うでしょうね。

 てことで,MS-13をちょっと探してみたところ,もはや入手は絶望的。オークションでもあまり出品されなくなっているようで,競争率も高そうです。それでF100にはエネループを使おうかと思っていた私ですが,いやまてよ,電池ケースを改造してリチウム電池に対応させればいいんじゃないか,と思いついてしまったから大変です。

 早速調べて見ると単三電池用の電池ケースは今でも普通に売られていることを知りました。

 新宿のヨドバシでMS-12と呼ばれるその電池ケースを1500円という安価な価格で手に入れると,こちらを保存用に確保し,これまで付いていた方をリチウム電池に対応させるべく,改造に入ります。

 単三電池の直径は案外小さく,最大14.5mmです。CR123Aは17.0mmもあるので,これを押し込もうとするとかなり大がかりな改造が必要になりそうです。さらに幸か不幸か私の手元には,いつもCR123Aと間違えてついつい買ってきてしまうCR2がゴロゴロしていますので,これを使ってみることにします。

 CR2の直径は15.6mm。それでも単三電池より1mmも大きいので,無改造では入りそうにありません。気になったのはCR123AとCR2の特性の違いですが,どちらも最大負荷が200mA程度で一応使えそうです。その代わり容量がCR2が随分小さく,CR123Aが1400mAhあるのに対しCR2はわずか850mAhしかありません。これは単純に2/3以下の電池寿命しかないということを示しています。

 重量はCR123Aが2本で34gなのに対しCR2は2本で22gしかありませんのでさらに12gも軽量化されますが,改造用の部品が数グラム上乗せになるので,純正電池ケースとCR123Aの組み合わせとトントンでしょう。

 つまるところ,手に入らないものと比べても仕方がないので,さっさと作業に入ります。

 まず,4つある電池室のうちどれを使うかを見極めます。電極の構造などからこれだ,という場所を選んだつもりで作業を進めていましたが,そもそもF100側に電池が入ってくれません。電池ケースをどれだけ削っても本体に裸で電池が入らない部屋は,どう考えても選択ミスですね。

 気を取り直してもう一度検討します。ここだという場所を選び,大胆にデザインナイフで削っていきます。肉厚が薄くなり確実に耐久性が落ちていくので,これは本気の撮影では使えないなあと感じた次第です。

 大いに削って電池をおさめ,F100本体に差し込んでみると,やっぱりまだどこかに触っている感じがします。さらにさらに削って,ようやくスムーズに電池が入るようになりました。

 次はCR2の長さを延長して単三電池と同じ長さにするスペーサです。ここには,加工しやすく絶縁性も高い材料として,ホットボンドのスティックを使う事にしました。

 F100と接触するマイナスの端子は0.5mm厚のリン青銅板をあてがいます。現物にあわせて長さを調整したスティックの端っこに,銅箔テープを貼り付けたりして電気的な接続を確保します。

 そして最後に,元々の電池ケースの配線を利用しながら,電気的に接続して完成です。ちゃんと6Vが出ていることを確認したら,F100に装填します。

ファイル 260-1.jpg

 お,液晶に表示が出て,スイッチを入れると電池の残量表示も満タンです。AFもこぎ見よく動きますし,連写も出来ます。一応完成ですね。

 確実に軽くなっているのですが,F100に組み込んでみると案外軽くは感じません。単三電池の時にも重いなあという印象が希薄でしたし,この点は少々期待はずれです。でも持った感じの重量バランスが変わって,重心の位置も変化したことは明らかに分かります,

 なにせ電池寿命が4割も減りますから,注意をしないといけませんし,最終的なコストパフォーマンスは悪いと思います。ちなみにCR123Aを2本使った場合の電池寿命は,ニコンによると常温で約20本。これの0.6倍ですので12本ですか・・・

 単三電池4本だと40本ということですが,今のアルカリ電池というのは2800mAhくらいはあるでしょう。計算通りですかね。ということは,もしエネループだったら30本くらいでしょうか。

 実売価格でCR123AとCR2は同じです。同じなのに4割も早く減るわけですから,非常に損です。これは他の人にお勧めできるような改造ではないということがはっきりしてしまいました。MS-13を手に入れらなかった難民を救済できるかと思ったのですが残念。

 とりあえず,私は手持ちのCR2を消費するためにこれで使い続けます。右側のグリップが軽くなったことは,やや違和感がありますが,それは純正のMS-13でも同じ事でしょう。空のMS-12は軽いのでこれとあわせて持っていき,CR2が切れてしまったら現地で単三電池を調達するという方法でも問題なさそうです。

 ん?

 そもそも36枚撮りフィルムを12本も使うことって,そんなにあるのか???

F100は今が買い時

  • 2009/01/28 16:36
  • カテゴリー:散財

ファイル 259-1.jpg

 突然ですが,Nikon F100を買いました。

 もちろん中古です。

 結論から先に言うと,もっと早く買っとけばよかったです・・・

 少し前にフジヤカメラに行ったときも,近所の中古カメラ店に行ったときも,とにかく感じたのは現役バリバリなAFフィルムカメラの暴落です。F5といったその時々の出来事を記録してきたカメラが4万円以下,F100は2万円台,中級機に至っては1万円以下がざらにあるという状況です。

 中古カメラ市場は素直に需要と供給に反応する,まさに自由主義経済を地でいく世界ですから,実用機として完成の域にあるF5やF100が投げ売りされ,逆にF3やF2がいい値段で売られているという状況は,フィルムはもう使わない,フィルムカメラは飾り物,ということをはっきり示していると思います。

 私は,D2Hを買うまで,オートフォーカス(以下AF)の一眼レフをまともに使ったことがない人でしたから,デジタル=完全自動化,フィルム=手動,というのはごく自然でした。だからAFのフィルムカメラを欲しいと思ったことはなかったのです。

 しかし,冷静に考えてみると,F5が登場した1996年,私は「うんうんやっぱニコンは技術で負けたらあかんよな」と,F5の圧倒的な性能に震えが止まらなかったことがあったわけです。

 そしてそのF5のフォーマット(ここでいいうフォーマットは形や操作系,握った感じなどをあえて指します)は,13年経った今でもニコンのカメラの共通するものとして使われ続けています。良くできていたんですね。

 もし,慣れたD2Hと同じ感覚で,フィルムが使えたら・・・普通とは逆の流れで,私はF100を使ってみたいと思っていました。いや本当はF5が欲しかったのですが,F5が気に入らない最大の点は単三電池です。あんな重くて容量の小さい電池,詰め込んで持ち歩くなんて許せません。

 余談ですが,その点でF70Dというカメラはいいですよ。軽くて静かで(本当に静かで上品ですよ),その割に基本性能はばっちり,マニュアルフォーカスのレンズでも絞り優先AEがちゃんと動作し,内蔵ストロボの調光はほとんど外さない,という私が唯一認める中級機なのですが,いかんせん操作系は当時酷評されたF70D独自のものですし,質感もD2Hのような筋肉質なカメラとは違います。

 高速連写を売りとする,フィルムをいたずらに浪費するようなF5のようなカメラが,本当に今のフィルム撮影に必要なのか甚だ疑問ではありますが,私はD2Hで新しいカメラの便利さや,その便利さから撮影に集中できる面白さを知りましたので,これは1つフィルムでも同じ環境を整えてみようかと,そんな風に考えていたのです。

 F6は高すぎてダメ,F5は重くてダメ,F80はマニュアルレンズが使えないからダメ,となると消去法でF100です。F100は手頃な大きさ,F5より後に生まれただけにより現代的ですし,実用機としての性能の高さは折り紙付きです。

 そのF100,先日中古カメラ店主催の某オークションに出品されており,なかなか程度の良さそうなものが,15000円スタートでした。最終的な価格はぎりぎり1万円台だったのですが,元箱,説明書までそろったF100は,果たして私の手元にやってきたのでした。2万円でF100が買える時代になった・・・悲しいことです。

 掲載写真よりも程度が悪いですね,擦り傷などはほとんどないですが,裏蓋のボタンなどは削れてしまっています。ゴムも若干ネバネバしていて,それなりに使われていたんだと思いますが,丁寧に扱われていたのは感じます。

 うちのフィルムを使うカメラで,1/8000秒という高速が切れる初めてのカメラです。早速空シャッターを切ってみます。

 なんか,べべーんという頼りない音がします。音も大きく,キーンという甲高い金属音も混じっており,少なくとも心地よい音とは言えそうにないです。

 ただ,妙なスピード感はあります。AF性能も基本性能に関しては現行機種とそれほど変わらないような印象ですし,グリップ感やシャッターボタンのストロークなどもD2Hと似ているので,握った瞬間,ファインダーを覗いた瞬間に「写真撮るぞ」という脳内麻薬の生成がドパドパと起こるのは,すでに私がパブロフの犬になっているからかも知れません。

 なにせこのF100は落札品です。1週間しか返品期間がありません。そこであわててニコンのサービスセンターに出向いて,点検をお願いしました。ついでにベトベトになりつつあるラバーと,安ければ裏蓋の交換もすることにしました。

 新宿のサービスセンターに着いた私はまず点検をお願いしました。30分ほどして全く異常なしということでしたので,左右のラバーと,裏蓋の交換をお願いしました。裏蓋のスイッチ部に引きずったような傷があったことがどうも気に入らなかったからなのですが,仮に高価であっても顔に当たる部分ですので,少なくともラバーだけは交換してもらおうと思っていました。

 話を聞くと,裏蓋はラバーだけの交換は出来ない,裏蓋ごとの交換になるが,圧板だけは流用するので,外した方はそのままでは使えない,ということでした。気になるお値段は,裏蓋の部品代が5000円ちょっと。結構高いです。

 すべての作業にかかった費用は全部で8000円ほどで,時間は1時間ほどでした。2万円のF100に8000円ですから,トータル28000円になります。うーん,ちょっと反省。

 しかし,ラバーが新品に変わったF100は実に気持ちいいです。ぱっと見ると交換前とそんなに違わない感じがする(それだけ状態が良かったということでしょう)のですが,触ると全然違います。裏蓋は元々汚れもあったので,顔の近くに持ってくるのに抵抗がなくなりました。

 帰りに周辺の中古カメラ店をウロウロし,F100の値段を見て来ましたが,いやー,2万円なんて最高額ですね。17000円くらいが普通の価格で,それでも十分な程度の良さです。確かに今後もっと下がるでしょうが,程度の良いものから売れていくことを考えていくと,今こそ程度の良いF100を手に入れる最後のチャンスなんではないかと思います。

 早速試写をしようとフィルムを1本詰め込んで,シャッターを切ってみました。不思議なことに,余り気に入らなかったはずの音が心地よく,あっという間にフィルム3本を使い切っていました。別にD2Hでもいいはずなのに,空シャッターでもいいはずなのに,実際にフィルムを入れて撮ると何が違うんでしょうね。

 ところで,帰宅後,ずっと考えていた改造を行う事にしました。これはなかなか意欲的な改造なので,次号にまとめます。

「アップルを創った怪物」と「バトルオブシリコンバレー」

 昨年末,Appleの創始者の一人Steve Wozniakの自伝「アップルを創った怪物」が書店に並んでいました。

 AppleはSteve JobsとSteve Wozniakの「二人のスティーブ」によって作られた会社で,今さら説明の必要はないと思いますが,Jobsのなにかと派手な人生とカリスマ性の影で,もう一人のスティーブについては,あまりよく知られていないところがあります。

 私はエンジニアですので,JobsよりもWozに親近感がありますし,彼の偉業については彼の仕事(あるいは作品)を通じて深い感銘を受ける機会もありましたが,それ以外の事については,彼自身があまり公にしなかったこともあり,良くは知りませんでした。

 Jobsは今や世界中のビジネスマンのお手本ですから,彼のことを記述した本,彼を分析した本はあまたあります。しかしWozは彼の価値観が「技術的かそれ以外か」という人ゆえ,ビジネスマンのお手本にはなりません。

 しかし,我々エンジニアにとって,偉大で尊敬する先輩であると共に,親しい友人でもあり続けてくれています。

 ですから私に言わせれば,もうそれで十分じゃないか,いまさら自伝とはちょっと無理があるんじゃないかと,そんな風に思いつつ,新刊の棚に列んだ彼の本を手に取りレジに向かったのでした。

 温厚,無垢,天才・・・そんなイメージで語られるSteve Wozniakという人は,果たしてその通りの人なのでしょうか。

 この本は自伝ですが,彼自身が文章を書いた訳ではなく,彼へのインタビューをまとめたものです。日本語訳もこれを意識し,誰かに話しかけるような口語を使って綴られています。このあたりが若干ひっかかりつつ,年末から年始にかけ,読み進めました。

 Wozがこの本を出そうと思った理由が,とても重要です。Wozは,Appleを創業した一人であり,パーソナルコンピュータを画期的なアイデアと技術で完成の域に高めた技術者です。故にAppleを語れば好むと好まざるとに関わらずWoz自身について触れないわけにはいきません。

 JobsとWozの役割分担は非常にステレオタイプに,企画屋と技術屋の組み合わせで会社が成功した一般受けする例にはめ込まれてしまい,ソニーの井深大と盛田昭夫,ホンダの本田宗一郎と藤沢武雄のような見え方がする人もいるでしょう。

 そうした「周囲の期待」から,事実とは異なる話が定説になっていることがあるのは想像に難くありません。しかし寡黙なWozはそうしたことをいちいち訂正するようなことはしないでいたようです。

 ただし1つだけ,彼はJobsとケンカしてAppleをやめたのではないこと,そもそも現在もAppleの社員であり続けていることだけは,はっきりと訂正したかったのです。

 実は,私も彼はAppleをやめたのだと思っていました。彼がその後CL9社を立ち上げるとき,Appleをやめていたと考えるのが普通でしょう。

 ここに,Wozの人間性を2つ見る事が出来ます。まず,親友であるJobsと仲違いをしたわけではないことをはっきりさせたい,そして自分が作ったモノには(会社も含め)愛着があるのだということです。なるほど,実に彼らしいです。

 彼はシャイな人ではありますが,自分の名声について隠そうとするほど謙虚な人でもなさそうです。というより,なにより技術者として尊敬されることが何より大好きな人ですから,自分の実績を隠したりはしません。

 子供の頃のWozは電子工作といたずらが好きな少年で,実はエンジニアの多くは,古今東西を問わずこうした少年時代を送っていただろうと思います。しかし,ただ好きで終わるか,自分で技術を身につけてレベルを上げていけるかでその後の人生は決定的に変わって来ます。

 彼がHPに入社し,その居心地の良さに満足して,一生エンジニアをやっていたいと心底思っていたこと,より小さな回路で作り上げることが楽しくて仕方がないことなど,いずれもエンジニアなら共感できるでしょう。

 そして彼自身が「生涯で最高の設計」というApple][のフロッピーディスクシステムが完成するあたりは,もう私もワクワクしてたまりません。実にスリリングです。Wozが作り上げたこのシステムは,実はMacでも使われ続け,ワンチップになったシステムには「Integrated Woz Machine」を略したIWMというチップ名が付けられていました。

 お金に固執しない無垢で最高のエンジニアが語るその人生は,くよくよしない,いいことばかりを考えよう,そして人を悪く言うのはやめよう,で一貫しています。もしかすると,こんな不景気で絶望的な世の中だからこそ,広く読まれるべき本だったりするのかも知れません。

 さて,そんなわけでこの本を読んでいると,一部の人の間で有名なドラマ「バトルオブシリコンバレー」のことを思い出さずにはいられません。

 アメリカのテレビドラマとして制作された「バトルオブシリコンバレー」は,パーソナルコンピュータの進化の歴史を,AppleのSteve JobsとMicrosoftのBill Gatesの二人を軸に描いたドラマです。

 方や自分を見失ったヒッピー,方や医者を目指すハーバード大のエリートだった二人は,それぞれ別の場所で出会った「パーソナルコンピュータ」に大きな可能性を直感し,自らの人生を賭けて猛スピードで走り始めます。やがて世界が彼らを中心に回り始め,大きな成功を手にしたJobsに,チャンスをうかがうGatesが大勝負に出ます。そしてJobsの凋落とGatesの成功を暗示しながら,物語は閉じます。

 放送当時,なかなか面白いドラマになっていたことや,登場人物があまりによく似ていたこと,そしてAppleにJpbsが戻り,復活ののろしが上がった頃だったこともあり,日本でも話題になりましたが,残念な事にレンタルオンリーのビデオテープでしか見る事が出来ませんでした。(CSやNHKのBSで何度か放送されたらしいのですが,ぜひDVDでの発売を期待します)

 Jobsサイドの進行役はWoz,Gatesサイドの進行役はSteve Balmerなのですが,特にJobsサイドの話が,今回のWozの本をそのまま使ったんじゃないかと思うくらい,一致しているのです。

 例えばJobsがアルバイトで「オズの魔法使い」の着ぐるみショーをやったとき,子供相手に嫌気が差したことなど,完全はないにせよこの本とよく一致しています。また,BlueBoxを売っていた時に警察に職務質問され,ウソを言って逃れたシーンなども同じ記述がありました。

 もともとこのドラマは,おかしな誇張や脚色が少ない(言い換えると事実がそれ程面白いということになる)のですが,それゆえあまり突っ込むところもありません。

 XEROXのパロアルト研究所でデモを担当したエンジニアは女性でしたが,彼女は実在の人物でAdele GoldburgというSmalltalkの大家です。分からず屋の本社の指示でJobsにデモをするよう指示された時,涙を浮かべて激怒し,真っ赤な顔をしてデモを行ったと言われています。こんなところまできちんと史実に沿っているのは,かなりこだわっていると感じます。

 そしてこのドラマは,非常に難しい判断を投げかけて終わります。

 「Macをパクった」と怒るJobsにGatesが言ったとされる「先にテレビを盗んだ奴が後からステレオを盗んじゃいけない,というのはおかしいだろう」という反論についてです。

 この発言はなかなか意味深で,GatesはWindowsのGUIをパクったことを認めながら,Macだってパクリじゃないか,五十歩百歩だよ,というのですから,パクったことについては否定していません。

 ただ,Gatesはパクったにはパクったが,Macをパクったのではなく,XEROXのALTOをパクったと言っているわけです。

 この発言は比喩であり,泥棒は言い訳無用の犯罪であることに議論の余地はありませんが,もし自分が先にALTOを見ていたら,Jobsと同じように感銘を受け,ビジネス化しただろうという悔しさもあったのではないでしょうか。

 しかし,このIFは残念ながらありえません。JobsがXEROXを見学した1979年(もしくは1980年)当時,Jobsはすでに億万長者で,一方のGatesは中小企業の社長に過ぎません。XEROXはAppleに投資したがっていて,それがきっかけでパロアルト研究所への見学が催されたといわれていますので,JobsがALTOを見る事が出来たのは,彼の成功あってのことです。

 しかも,Jobsはこの後もう一度見学を希望しています。この申し出にXEROXの役員は快諾するのですが,この時彼は周囲にいた天才的プログラマーを引き連れ,かなり突っ込んだ議論も行っています。そして出来上がったLisaはGUIとビットマップディスプレイを採用しながらも,ALTOとは異なるGUIを実装し,ALTOよりもずっと低コストなマシンに仕上がっていました。

 GatesはLisaを見て「これと同じモノを作りたい」と言い出すわけですから,明らかにLisaがWindowsのきっかけになっています。また,Gatesの当時の力では,パロアルト研究所を見学し直接ALTOをパクる事など,どう転んでも実現しなかったでしょう。

 しかも,Microsoftが当時Appleに説明したというWindowsは,まだオーバーラップウィンドウが実現していないVersion1.0だったといいますから,LisaやALTO,MacのGUIとは違うものです。後にWindows3.0や3.1を持ち出して「Appleの了解は得た」というのは,少々苦しいでしょう。

 それでももし,Gatesが先にパロアルト研究所の見学に成功し,ALTOについて直接議論する機会があったとしたら,もしかするとWindowsは最初からもっといいものが出来上がっていたかも知れません。注意しないといけないのは,PC-ATの80286やEGAは,初代Macの68000の8MHzや512x384ドットのグラフィックというスペックと比べても決して見劣りしてはいないということです。

 実はXEROXも,Appleをパクられたと訴訟を起こし,負けています。XEROXもAppleに対してはパクられたと考えていたことがわかりますが,そのAppleがMicrosoftを訴えた際にも,Appleは負けているのです。

 まあ,GUIを普遍的な技術として特定の会社の所有物にしなかったという裁判所の判断は,後のパソコンにどれほどの貢献をしたかはかり知れません。結果論ですが,これがアメリカ,なのかも知れません。

 そしてWozは,自らが生み,育て,そしてApple躍進の原動力となったApple][の開発者で,本来ならLisaもMacも素直に喜べない立場の人でありながら,MacもiPhoneも大好きという,とても公平なエンジニアです。

 訴訟?軋轢?

 いいものはいい,ただそれだけという純粋なエンジニアであること,そして周囲がそれを許すことに,私はとても憧れます。

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