昨年末,Appleの創始者の一人Steve Wozniakの自伝「アップルを創った怪物」が書店に並んでいました。
AppleはSteve JobsとSteve Wozniakの「二人のスティーブ」によって作られた会社で,今さら説明の必要はないと思いますが,Jobsのなにかと派手な人生とカリスマ性の影で,もう一人のスティーブについては,あまりよく知られていないところがあります。
私はエンジニアですので,JobsよりもWozに親近感がありますし,彼の偉業については彼の仕事(あるいは作品)を通じて深い感銘を受ける機会もありましたが,それ以外の事については,彼自身があまり公にしなかったこともあり,良くは知りませんでした。
Jobsは今や世界中のビジネスマンのお手本ですから,彼のことを記述した本,彼を分析した本はあまたあります。しかしWozは彼の価値観が「技術的かそれ以外か」という人ゆえ,ビジネスマンのお手本にはなりません。
しかし,我々エンジニアにとって,偉大で尊敬する先輩であると共に,親しい友人でもあり続けてくれています。
ですから私に言わせれば,もうそれで十分じゃないか,いまさら自伝とはちょっと無理があるんじゃないかと,そんな風に思いつつ,新刊の棚に列んだ彼の本を手に取りレジに向かったのでした。
温厚,無垢,天才・・・そんなイメージで語られるSteve Wozniakという人は,果たしてその通りの人なのでしょうか。
この本は自伝ですが,彼自身が文章を書いた訳ではなく,彼へのインタビューをまとめたものです。日本語訳もこれを意識し,誰かに話しかけるような口語を使って綴られています。このあたりが若干ひっかかりつつ,年末から年始にかけ,読み進めました。
Wozがこの本を出そうと思った理由が,とても重要です。Wozは,Appleを創業した一人であり,パーソナルコンピュータを画期的なアイデアと技術で完成の域に高めた技術者です。故にAppleを語れば好むと好まざるとに関わらずWoz自身について触れないわけにはいきません。
JobsとWozの役割分担は非常にステレオタイプに,企画屋と技術屋の組み合わせで会社が成功した一般受けする例にはめ込まれてしまい,ソニーの井深大と盛田昭夫,ホンダの本田宗一郎と藤沢武雄のような見え方がする人もいるでしょう。
そうした「周囲の期待」から,事実とは異なる話が定説になっていることがあるのは想像に難くありません。しかし寡黙なWozはそうしたことをいちいち訂正するようなことはしないでいたようです。
ただし1つだけ,彼はJobsとケンカしてAppleをやめたのではないこと,そもそも現在もAppleの社員であり続けていることだけは,はっきりと訂正したかったのです。
実は,私も彼はAppleをやめたのだと思っていました。彼がその後CL9社を立ち上げるとき,Appleをやめていたと考えるのが普通でしょう。
ここに,Wozの人間性を2つ見る事が出来ます。まず,親友であるJobsと仲違いをしたわけではないことをはっきりさせたい,そして自分が作ったモノには(会社も含め)愛着があるのだということです。なるほど,実に彼らしいです。
彼はシャイな人ではありますが,自分の名声について隠そうとするほど謙虚な人でもなさそうです。というより,なにより技術者として尊敬されることが何より大好きな人ですから,自分の実績を隠したりはしません。
子供の頃のWozは電子工作といたずらが好きな少年で,実はエンジニアの多くは,古今東西を問わずこうした少年時代を送っていただろうと思います。しかし,ただ好きで終わるか,自分で技術を身につけてレベルを上げていけるかでその後の人生は決定的に変わって来ます。
彼がHPに入社し,その居心地の良さに満足して,一生エンジニアをやっていたいと心底思っていたこと,より小さな回路で作り上げることが楽しくて仕方がないことなど,いずれもエンジニアなら共感できるでしょう。
そして彼自身が「生涯で最高の設計」というApple][のフロッピーディスクシステムが完成するあたりは,もう私もワクワクしてたまりません。実にスリリングです。Wozが作り上げたこのシステムは,実はMacでも使われ続け,ワンチップになったシステムには「Integrated Woz Machine」を略したIWMというチップ名が付けられていました。
お金に固執しない無垢で最高のエンジニアが語るその人生は,くよくよしない,いいことばかりを考えよう,そして人を悪く言うのはやめよう,で一貫しています。もしかすると,こんな不景気で絶望的な世の中だからこそ,広く読まれるべき本だったりするのかも知れません。
さて,そんなわけでこの本を読んでいると,一部の人の間で有名なドラマ「バトルオブシリコンバレー」のことを思い出さずにはいられません。
アメリカのテレビドラマとして制作された「バトルオブシリコンバレー」は,パーソナルコンピュータの進化の歴史を,AppleのSteve JobsとMicrosoftのBill Gatesの二人を軸に描いたドラマです。
方や自分を見失ったヒッピー,方や医者を目指すハーバード大のエリートだった二人は,それぞれ別の場所で出会った「パーソナルコンピュータ」に大きな可能性を直感し,自らの人生を賭けて猛スピードで走り始めます。やがて世界が彼らを中心に回り始め,大きな成功を手にしたJobsに,チャンスをうかがうGatesが大勝負に出ます。そしてJobsの凋落とGatesの成功を暗示しながら,物語は閉じます。
放送当時,なかなか面白いドラマになっていたことや,登場人物があまりによく似ていたこと,そしてAppleにJpbsが戻り,復活ののろしが上がった頃だったこともあり,日本でも話題になりましたが,残念な事にレンタルオンリーのビデオテープでしか見る事が出来ませんでした。(CSやNHKのBSで何度か放送されたらしいのですが,ぜひDVDでの発売を期待します)
Jobsサイドの進行役はWoz,Gatesサイドの進行役はSteve Balmerなのですが,特にJobsサイドの話が,今回のWozの本をそのまま使ったんじゃないかと思うくらい,一致しているのです。
例えばJobsがアルバイトで「オズの魔法使い」の着ぐるみショーをやったとき,子供相手に嫌気が差したことなど,完全はないにせよこの本とよく一致しています。また,BlueBoxを売っていた時に警察に職務質問され,ウソを言って逃れたシーンなども同じ記述がありました。
もともとこのドラマは,おかしな誇張や脚色が少ない(言い換えると事実がそれ程面白いということになる)のですが,それゆえあまり突っ込むところもありません。
XEROXのパロアルト研究所でデモを担当したエンジニアは女性でしたが,彼女は実在の人物でAdele GoldburgというSmalltalkの大家です。分からず屋の本社の指示でJobsにデモをするよう指示された時,涙を浮かべて激怒し,真っ赤な顔をしてデモを行ったと言われています。こんなところまできちんと史実に沿っているのは,かなりこだわっていると感じます。
そしてこのドラマは,非常に難しい判断を投げかけて終わります。
「Macをパクった」と怒るJobsにGatesが言ったとされる「先にテレビを盗んだ奴が後からステレオを盗んじゃいけない,というのはおかしいだろう」という反論についてです。
この発言はなかなか意味深で,GatesはWindowsのGUIをパクったことを認めながら,Macだってパクリじゃないか,五十歩百歩だよ,というのですから,パクったことについては否定していません。
ただ,Gatesはパクったにはパクったが,Macをパクったのではなく,XEROXのALTOをパクったと言っているわけです。
この発言は比喩であり,泥棒は言い訳無用の犯罪であることに議論の余地はありませんが,もし自分が先にALTOを見ていたら,Jobsと同じように感銘を受け,ビジネス化しただろうという悔しさもあったのではないでしょうか。
しかし,このIFは残念ながらありえません。JobsがXEROXを見学した1979年(もしくは1980年)当時,Jobsはすでに億万長者で,一方のGatesは中小企業の社長に過ぎません。XEROXはAppleに投資したがっていて,それがきっかけでパロアルト研究所への見学が催されたといわれていますので,JobsがALTOを見る事が出来たのは,彼の成功あってのことです。
しかも,Jobsはこの後もう一度見学を希望しています。この申し出にXEROXの役員は快諾するのですが,この時彼は周囲にいた天才的プログラマーを引き連れ,かなり突っ込んだ議論も行っています。そして出来上がったLisaはGUIとビットマップディスプレイを採用しながらも,ALTOとは異なるGUIを実装し,ALTOよりもずっと低コストなマシンに仕上がっていました。
GatesはLisaを見て「これと同じモノを作りたい」と言い出すわけですから,明らかにLisaがWindowsのきっかけになっています。また,Gatesの当時の力では,パロアルト研究所を見学し直接ALTOをパクる事など,どう転んでも実現しなかったでしょう。
しかも,Microsoftが当時Appleに説明したというWindowsは,まだオーバーラップウィンドウが実現していないVersion1.0だったといいますから,LisaやALTO,MacのGUIとは違うものです。後にWindows3.0や3.1を持ち出して「Appleの了解は得た」というのは,少々苦しいでしょう。
それでももし,Gatesが先にパロアルト研究所の見学に成功し,ALTOについて直接議論する機会があったとしたら,もしかするとWindowsは最初からもっといいものが出来上がっていたかも知れません。注意しないといけないのは,PC-ATの80286やEGAは,初代Macの68000の8MHzや512x384ドットのグラフィックというスペックと比べても決して見劣りしてはいないということです。
実はXEROXも,Appleをパクられたと訴訟を起こし,負けています。XEROXもAppleに対してはパクられたと考えていたことがわかりますが,そのAppleがMicrosoftを訴えた際にも,Appleは負けているのです。
まあ,GUIを普遍的な技術として特定の会社の所有物にしなかったという裁判所の判断は,後のパソコンにどれほどの貢献をしたかはかり知れません。結果論ですが,これがアメリカ,なのかも知れません。
そしてWozは,自らが生み,育て,そしてApple躍進の原動力となったApple][の開発者で,本来ならLisaもMacも素直に喜べない立場の人でありながら,MacもiPhoneも大好きという,とても公平なエンジニアです。
訴訟?軋轢?
いいものはいい,ただそれだけという純粋なエンジニアであること,そして周囲がそれを許すことに,私はとても憧れます。