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うちに猫がやってきた

 うちに猫がやってきました。

 私は猫が好きでして,その気ままで,干渉せず干渉されない,自由を愛する性格が,とにかく私にあっています。

 お腹が空いたらご飯を食べ,眠くなったら眠り,探検をしたくなったらゴソゴソと歩き回り,寂しくなったら気を許した人間に甘え,気が済んだら黙って立ち去ります。素晴らしい。

 人間だったらこういうのって嫌われるかも知れないですが,猫ならそれは別の話。互いの生活を邪魔せず,尊重し合いながら,頼りたくなったら気を遣わず頼り,都合が悪ければ無理せず断る,なんてのは,信頼関係が究極に高まった者同士でなければ成立しないでしょう。

 だからだと思うのですが,私が見るところ猫を愛する人というのは,拘束されることも拘束することも嫌う人が多いようで,そういう人との間で共有される価値観とそれを底にする安心感には,猫と過ごした人に輪にいるという帰属意識を増幅し,無用な警戒感を和らげる力があるように思います。

 私が小学生の高学年の時,我が家に猫がやってきました。ヒマラヤンと呼ばれた純血種を,父の取引先から譲ってもらったというのがきっかけでした。

 1980年代ですので珍しい種類で,しかも純血種,それを商売相手から分けてもらったのですから,怪我をさせたり病気になったり,さらには死んでしまったりしたら,これはもう一大事です。

 商売上,父も断り切れずにもらってきたのだろうと思いますが,まだまだ外飼い&猫飯が普通の時代に,完全室内飼い&管理されたペットフードで飼おうというのですから,なかなか思い切ったことをしたものです。

 で,このメスの猫,母がチャコという名前をつけたわけですが,とにかく性格がきつくて,大変でした。そのくせ気は小さく,ドアの隙間からぴゅーっと外に出る癖に,出てしまえば怖くて硬直していると言った有様です。

 今思えばトイレトレーニングも失敗していて,そこら辺におしっこやうんちをするのは当たり前,のみならず発情期には壁におしっこを引っかける,長毛種にありがちな巨大な毛玉をそこら中に吐きまくり,あらゆるものを鋭利なツメで八つ裂きにして,我が家はボロボロになっていったのでした。

 そんなチャコですが,3度出産を経験して,お母さんっぷりを見せてくれました。生まれた仔猫も純血種で,売却される事が前提だったので,それも最初からもらってくるときの約束だったのだろうと思うのですが,あのやんちゃな猫がいっちょ前に仔猫をしつけているのを見ると,大したものだなあと思ったものです。

 3度目の出産では,確か5匹のうち1匹はすぐに死んでしまい,もう1匹は体が小さく,肋骨が内側に曲がって心臓や肺を圧迫する「漏斗胸」という奇形であったことがわかり,少し遊ぶとぐったりと動かなくなってしまうような,体の小さな仔猫でした。

 我々家族はそんな弱い仔猫に特別な感情移入をしていたのですが,やがてとても安い値段で買いたたかれて,愛玩動物の経済的なドライさを見せつけられたのでした。人間には人権があっても,猫には猫権はないんですよね。

 そんなこともあり,チャコはその後二度とお母さんになることはなかったのですが,仔猫をすべて連れ去られた後,どこかに隠れているのではと,あちこち鳴いて探し回っていたことを,我々家族は妙な罪悪感と共に見ていたのでした。

 
 人間の年齢に換算すれば40歳くらいになるころでしょうか,もう出産することもなく,なにかとリスクもあるということで,不妊手術を受けさせようという事になりました。人間の勝手でお腹を開くことには複雑な気持ちもありましたが,実はこの手術の時,卵巣が膿んでいたことがわかり,このまま気が付かないままだとだと死んでいたかも知れない,とわかりました。当時の私にとっては気の進まない手術ではありましたが,結果として命が繋がったことになります。

 しかも,性格は180度変わっておとなしくなり,とてもおだやかな猫になりました。トイレに失敗することもなくなり,我々人間と猫との間の緊張感は消え,とても良好な関係を保つことになるのでした。

 就職をきっかけに実家を離れてからは電話で話を聞く程度だったのですが,たしか実家を離れて3年経った頃だか,親から亡くなった事を聞かされました。もともと腎臓が弱かったのですが,最後は足腰も立たず,下半身を引き摺って動いていたそうです。なのにトイレには律儀にいこうとするので,母はそのままでいいよと何度も言って聞かせたそうですが,しばらくたった寒い朝,コタツの中で動かなくなっていたという事でした。

 12歳から23歳までずっと毎日見ていた猫を看取ることができなかったことを,今も私は後悔しているのですが,多感な時期の,勝手気ままで干渉を嫌うもの同士との10年間が,私の人間形成にどれほど影響しているかわかりません。

 それゆえ,もう一度猫を飼いたいとは思わなかったのでした。

 妻も同じ時期に同じような猫を飼っており,共通の体験がありました。当然猫に対する眼差しには共通するものがあり,猫と人間の距離感についても,説明不要な常識が共有出来ています。

 猫と一緒に過ごすことの楽しさと大変さは共に骨身にしみており,それぞれこれほど猫が好きなのに,猫を飼おうという話が全く出ることは自然な事だったと思いますが,そうしているうち娘が生まれて,やがて中学生になりました。

 ふと,ここに猫がいたらどうだろう,などと考える事が数年前から増えたことには気が付いていました。娘の年齢が私が猫と暮らし始めた年齢に達して,あの素晴らしい体験が出来ないのはもったいないという気持ちもありましたし,15年生きるとして私の年齢だと今が最後のチャンスかもしれないとも思いました。

 猫を飼えば旅行に出ることも出来なくなりますし,病気をすればすぐに病院に行くことになります。壊されたり汚されたりする心配がない生活を手放すのも嫌でしたし,なにより猫は多くの場合飼い主より先に死にます。

 だから私は考えました。これは縁が重要だと。

 猫は理不尽に振り回されることをとても嫌います。そんな猫を,お金で商品のように買って帰ったり,かわいいという理由で飼育しようというのは,なんだか違うんじゃないかと思ったのです。

 家に猫がいるのも縁,その猫が私の足下にやってくるのも縁,雄なのか雌なのか,仔猫なのかお年寄りなのか,純血種なのか雑種なのか,長毛種なのか短毛種なのか,尻尾がまっすぐなのかグネグネ曲がっているのか,病気がちなのか健康なのか,それも全部縁,そしてやがてお別れするのも,やっぱり縁です。

 どんな猫でも,うちに来たからにはなにか特別なものがあったということです。

 強い縁があれば,その猫と私たちは出会うことになるはずだし,今ここに猫がいないという事は,それはそれで縁がなかったと言うことです。無理をすることはありません。その点で,我々家族は猫と無縁の生活をおくっていました。

 そんなある日,突然事態が動き出します。

 いわゆる保護猫という,飼い主がいない猫の里親を探しているという話は,よく耳にする割には私には縁遠いものでした。猫を飼う家には猫が集まるとはよく言ったもので,猫に縁がない家には,猫に関係するあらゆる物事が全く寄りつかないものです。

 しかし,そんな保護猫の総本山のことが,ある日急に気になりました。保護猫について東京都はどんな対応策を取っているのだろうかとホームページを覗いてみると,譲渡を専門としたセンターがあり,積極的な活動で殺処分ゼロを実現しているということでした。

 そのセンターから譲渡を受けるには,最初に1時間ほどの研修を受ける必要があります。研修は1年間有効で,その間に気に入った猫がいれば,マッチングを確認した上で譲渡されるという段取りです。

 私は妻に,こういうのは縁だし,いいなと思う猫が見つかった時に,さっと引き取れるよう,研修だけは受けておこうと提案しました。それはよいことだと妻も賛成して,我々は6月の末に世田谷の八幡山にある動物愛護相談センターで研修を受けることになりました。

 研修の内容は我々にとっては至極当たり前で,猫との接し方やセンターの役割について,我々の意識をアップデートせねばならないことがなかったことに安心したのですが,センターの担当者が最後に案内してくれたのが,現在保護している猫たちです。

 FIV陽性の白い猫,ダイエットしても9kgもある牛模様の猫,高齢でもう動く元気もない猫,人が来ても全く意に介せず寝ている猫,片側の目が白く濁っている猫,など。

 性格はみんな違っていて,どの猫もとても魅力的です。

 ただ,急ぐことはない,今決める必要はない,必ず飼わないといけないということもない,これから1年間も時間があるんだから,なにか縁があった猫と一緒に暮らそう,もし猫が来なくても,それもまた縁だと思って猫たちと会ったのですが,担当の方が,人なつこい,ある猫を紹介してくれました。

 きれいな長毛種のサビ猫,人なつこくて鳴きながらすり寄ってきます。目がとても綺麗で,こちらをしっかり見ています。

 センターでタニタと呼ばれていたこのメスの猫は,まだホームページに掲載されていない,来たばかりの猫だということでした。都内某所で4月末に脱水し動けなくなっているところを保護され,回復後にこのセンターにやってきて,そろそろ譲渡対象としてホームページに掲載しようかというところで,私たちはこの猫と出会ったわけです。

 研修当日に今ここにいる中から連れて帰ることが出来ないという約束でしたし,向こう1年間でじっくり探すつもりでしたから,他の猫と同じ程度に説明を聞いていたのですが,帰宅後も,このタニタの事がどうにも頭から離れません。

 気になって仕方がないのだと,妻に相談すると,妻も同じような思いだったようです。こういうのも縁だからと,一応詳しい話を聞いてみようと,当日の閉庁30分前に電話をしてみました。

 FIV/FeLV陰性,混合ワクチン接種済,マイクロチップ装着済,不妊手術をしようと思ってお腹を開けたらすでに子宮がなかった,歯の状態から推定5歳くらい,健康で性格も良く,トイレも完璧とのこと。

 しかもまだ譲渡対象としてホームページには載っていません。今は我々しか,この猫のことを知らないのです。

 電話をする前に,余程の事がない限り,うちにお迎えしようと妻とは話し合っていましたが,余程の事もなにも,なにも問題がなく,これ以上の好条件があるのかと思うほどでした。

 電話で,うちにお迎えしたいと希望を伝えました。お迎えの準備もあるので,1週間の時間をもらうことにし,翌週にお迎えすることにしました。

 ただ,私自身は少し複雑で,この猫でなければ,別の猫がうちに来たかも知れません。それも縁ではありますが,選ぶと言う行為の裏側には,選ばれない猫がたくさんいるという現実を見ないわけにはいかないのです。

 週末にかけてあわてて準備をし,翌週タニタに再会,7月1日の午前中に,彼女は我が家に足を踏み入れたのです。

 私たち夫婦にとっては久々の,娘にとっては初めての猫です。猫にとっても我々は初めての相手ですから信頼関係はゼロですが,そこから互いの生活を尊重しながら,同じ場所で生きていくことになります。

 名前は娘が素敵な名前をつけてくれました。「こがれ」といいます。

 体の色を見て思いついた言葉らしく,私も妻もとても良い名前だと思いました。

 こがれさんは落ち着きなく,あちこち歩き回って隠れられそうな場所を探しています。奥の和室のカーテンの陰にさっと隠れると,そこからしばらく出てきません。猫は怖がりですから,しばらく出てこないでしょう。それも当然です。

 きちんと食べて,きちんと寝て,トイレもして,そして少し落ち着いたら,時々遊びに来てくれたらいいです。

 まだ1週間経過していませんが,少しずつ慣れてくれているみたいです。病院の健康診断も済ませ,至って健康であることも,実際はもう少し若いのではないかということもわかりました。

 こがれさんは少しずつ行動範囲を広げています。ほとんど寝ていますが,少し気が向いたら,人間がワイワイとやっているところに,ひょっこりと顔を出してくれます。みんなの視線が彼女に集まります。しかしそんなことにお構いなく,こがれさんはまたどこかに行ってしまいます。

 猫がいてもいなくても,我々の生活は続いていきます。猫と我々が不意に交錯するときはもちろんのこと,互いの姿が見えないときでも「そういえばどこにいるんだ」と気にかけることで,我々の生活は確実に豊かに変わっていくのでしょう。

「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」へいってきた

 行ってきました,「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」。

 2010年,多くのアーティストがそのステージに上がった名門,東京厚生年金会館の土地と建物をヨドバシカメラが120億円で取得。カメラ博物館やギャラリーを開設するという同社の意向が当時報道され,ヨドバシカメラもなかなか粋なことをやるもんだと思ったものでした。

 その後どうなったのか話が出てこず,すっかり忘れた2019年にビルが完成,本社がここに移転します。しかしカメラ博物館やギャラリーが出来たという話はありません。やっぱりそういう施設は難しいんだろうなと思っていました。

 そして土地の取得から実に15年も経過した2025年,いつものようにヨドバシ.comで買い物をしていたときに突然目にしたのが,「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」というバナーでした。

 調べてみると2025年10月25日にオープンという事ですので,ビルの完成から7年近くも経過していました。とうとう出来たんだ,てっきり立ち消えになったかと思ってたけど,有言実行はさすがヨドバシ,などと思っていたのですが,その実態は私の想像を軽く超えていました。

 ヨドバシカメラの創業者である藤沢昭和氏が,世界有数のライカコレクターであることはよく知られていて,ヨドバシカメラのカタログである「ザ・ポイントネットワーク」にも,氏のコレクションが長期にわたって紹介されてきました。

 いくつかのライカをユーザーとして持っているという話ではなく,なんでこれが日本にあるんだ,こんなの実存してたんだ,という貴重なものをオークションなどで入手されており,単なる工業製品ではなく,美術品や骨董品,下世話な言い方をすると投機対象になるようなものを,純粋に集めていらっしゃいます。

 そうした膨大なコレクションをいよいよ一般公開するのかと胸が高鳴ったのですが,考えてみたら本業とは全く別の,趣味が高じたコレクションを,新宿の一等地に建てたビルのワンフロアをぶち抜いて並べてみせるなんて,なんという道楽か。もう下々の人間には想像も出来ない発想です。きっとあれでしょうね,江戸時代の紀伊国屋文左衛門とか,こんなスケールだったのかも知れませんね。

 なにせ創業者がカメラ大好き,ライカ大好きだったからこそ,ヨドバシカメラはカメラを大事にするのだろうし,カメラ売り場の店員さんは他の店員差とはちょっと違って,カメラを買いに来たお客さんを大切に親しみを持って扱ってくれます。(だからこそ先日のGR IVの対応にはがっかりしたわけですが)

 そんな人が自らのコレクションを広く公開するというのですから,単純な自己顕示欲の発露ではないはず。きっと公共性や学術性などもきちんと考慮した,有識者の意見を参考にした本格的な素晴らしいものになっているはずです。

 それは,入場料をみて確信に至りました。入場料3000円,要予約です。

 企業の施設博物館は概ね広報としての役割を担うので,入場料は無料か安価に設定されることが多いと思います。自社の歴史を紹介し,現在の立ち位置を示す施設として,社内には社員教育の場,取引先へは自己紹介を行う名刺代わり,一般には広告や広報の役割を果たすものとして期待される施設です。

 その企業が業界や産業界の歩みそのものだったりする場合には,その活動に学術的な意味合いを持つことも求められるわけで,この場合単純な収蔵だけではなく,研究も機能として持たねばなりません。

 まあ,最終的な収益の構造にはいろいろあると思いますが,それにしても企業の私設博物館の入場料が3000円ですからね,よほどの覚悟を決めないといけない金額だと思いました。

 あまりにすごいものが展示されていたり,ここでしか体験出来ないことがあるのかも知れません。

 あるいは,3000円というのは冷やかしや目的外の入場者を遠ざける目的で設定された金額であって,例えば最後に3000円相当の図録やヨドバシカメラで使えるポイントなどが戻ってくる仕組みになっていたりと,カメラが好きな人には価値のあるものが還元される仕組みになっているのかも知れません。

 しかし,昨年10月のオープン以来,この博物館の詳細は謎のままです。写真撮影は禁止,一部新聞や雑誌に紹介が出ている事はあっても,詳しく内容に触れてはいません。

 オウンドメディアであるフォトヨドバシにも見学記が掲載されていますが,これもいわは身内の宣伝ですし,そもそも雇い主の気に障るようなことを書けない人が書いた記事に,全幅の信頼なんておけないと考えるのは自然でしょう。

 頼りになるのは実際に見学した人によるSNSなどのネット上の見学記ですが,これが少ない上に,「見所たっぷり」やら「3000円は安い」といった,分かったような分からんような判で押した感想ばかりです。

 そこで意を決して行ってきたというわけです。

 3000円ですからね,なんと昼ご飯が2,3回食べられますし,会社の帰りに一人で飲んで帰る事だって出来ます。映画だってポップコーン付きで見ることが出来ますし,なんといってもジャンクワゴンの可愛そうなボディとレンズを救出できる金額です。

 かように日本では3000円で出来る事が山ほどあります。果たして「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」は,どんなところだったのでしょうか。

(1)ざっくりと展示内容

 展示は大きく6つに分かれています。

 1つ目はライカのコーナー。歴史的で貴重なライカがゴロゴロしているだけではなく,その歴史も知ることができます。

 2つ目は国内のカメラ。ヨドバシカメラが多く商ったであろう国産のカメラがメーカーを問わず並んでいます。


 3つ目はフェリーチェ・ベアトの写真の展示です。フェリーチェ・ベアトは19世紀末にアジア諸国を撮り歩いた写真家なのですが,江戸時代の本当の様子を残した写真が展示されています。江戸の町中など,時代劇で見るそれとはかなり雰囲気が違うことがわかります。

 4つ目は世界のカメラ。ドイツ,イギリス,アメリカ,中国といった外国のカメラが並んでいます。

 5つ目はカメラの歴史に関するもの。乾板や湿板を使った過去の技法や木製の大判カメラ,黎明期の写真に関する書籍やノベルティなどの実物を見る事が出来ます。

 6つ目は月へ行ったカメラ。アポロ15号の月着陸船で使用されたハッセルブラッドが月面の様子を壁と床と天井に張り付けた部屋に展示されています。ここだけは撮影可能になっていますが,調べてみるとこのハッセルブラッド,2014年に当時の価格で約9300万円で藤沢氏が落札したと報道されていますね。はぁ~。

 ミュージアムの外にはお店もあり,ここでしか買えないとされるTシャツなどがあります。ライカ売り場もありましたが,正直ライカはもういいや。


(1)すごいところ

 とにかく展示台数が圧巻です。特にライカは強烈で,希少性,台数共に圧倒的,途中から感覚が麻痺してしまい,全部同じに見えてきます。

 オスカー・バルナック自らが使っていたサイン入りのライカなど,どう考えても遺族やライカの本社が持っていないといけないものが誇らしげに並んでいると,すごいという一方でちょっと複雑な気分にもなりました。

 先程も触れましたが,月へ行ったハッセルブラッドは約9300万円。他にも貴重なカメラがわんさか並んでいます。とにかく実物が存在するというのが重要で,手に取ることこそ叶わずとも,見やすく展示されていることには感激します。

 日本のカメラは馴染みがありますが,例えば貴重なズノーだけではなく,粗末に扱われるせいで残っていないと思われるような安いカメラもちゃんと展示してありますし,そのキャプションもとても正確でした。

 また,展示されている写真も大変興味深く,私は個人的にフェリーチェ・ベアトの写真を始め,古い写真や文献に目を奪われました。

 とにかく台数もすごければ,1つ1つの価値もすごい。それらがとにかくわぁぁーっと広いフロアに並んでいます。


(2)足りないこと

 まず,展示品の選別や台数の絞り込みが足りないように思いました。子どもがどんぐりを集めてきて,それを大人に自慢げに並べますよね,あんな雑然とした感じがしたのです。

 いや,誤解のないように言っておきますが,このコレクションがどんぐりと同じと言っているわけでも,藤沢氏を子どもだと言っているわけでもありません。ただ,コレクターというのは貴重なもの,価値あるものを全部見せたいと強く思うもので,そうした欲求に藤沢氏でさえもあらがえなかったんだなあと思ったのです。

 また,一貫したテーマに沿った展示が行われているという印象はなく,ただコレクションを並べただけという感じがしました。なぜこれを集めたのか,なぜこれに価値があるのか,と言う,集めた人の想いばかりが語られていて,これを見る人に何を伝えたいのか,何を理解してもらいたいのか,という見る人の視線が足りないと思いました。

 これも,分かる人だけ見に来ればいいんだ,という理屈だろうとおもいますし,このすごさが分からない人は見に来なくていいと言う割り切りに繋がっているような気もしますが,ミュージアムというのは文化施設であり,公共性も(程度の差はあれ)求められるものです。分かる人だけを相手にする,分からない人を置き去りにした展示は,一見高度な展示を行っているように見えて,実は思考停止で雑然と貴重なものを並べただけに過ぎず,私設博物館にありがちなことではないかと思います。

 前述しましたが展示品の説明は正確でしたし,専門的でした。ただこれも,学術的というよりはマニアのトリビアという感じがしました。「なぜ集めたか」に対する説明のみで,なにを分かって欲しいかという視点を欠いたゆえといえるのではないでしょうか。

 国産機については,これがあるのにあれが展示されていない,と思う事も多くありました。ニコンでいえばD2Hという失敗作がありませんでしたし,D800やD850というその後のカメラのあり方を変えたようなモデルもなかったように思います。

 また,オリンピックといったビッグイベントで加速したカメラとレンズの開発競争や,フィルムの進化に応じたカメラの変化といった重要な流れが説明されておらず,これもただ雑然と懐かしいカメラが並んでいるだけという印象を持ちました。

 残念だったのは,2眼レフやライカのコピー,ニコンF2を壁一面に並べた展示でした。これは数がたくさんあることを示した展示だったのだと思いますが,そこの資料性やテーマを感じる事は出来ませんでした。数があるから面白い展示をした,というだけなら無垢でいいんですが,ちょっと趣味が悪く感じ,私はこの頃の国産機に対するミュージアムの視線を垣間見た気がしました。

 あと,実は落ち着いて見ることが出来なかったことを指摘しておきます。私が見学したのは平日のお昼前で,終始見学者は私一人でした。ゆっくり見ることができると喜んだのですが,警備員の目が厳しく,なんだか落ち着きません。

 もちろん私が見学するコースを邪魔しないように,遠くから私を見ることは徹底しているのですが,どんな時も必ず私が彼の視野に入るように動くところはお見事で,そんなに疑われているのかと窮屈さを感じました。ここまで厳重なのも珍しいでしょう。

 もっとも,時価総額を考えると無理からぬ事で,盗むは論外としても,触る,壊す,撮影するといった行為から貴重な品々を守ることも,社会がコレクターに与えた義務です。そこは理解しているのですが,それでも長居できない窒息感が拭えませんでした。


(3)期待する事

 ミュージアムには,収集と研究の2つの機能があります。残念ながら,コレクターの博学さが尋常ではないため,個人的な知識によって支えられた展示内容になっており,体系的な展示も学術的な記述も足りないように思います。これではただの画廊や古美術商でしょう。

 知識に偏りがなく,カメラと写真の工学,産業,経済,美術といった複数の側面から探求できるキュレーターの存在も不可欠でしょう。実物があることはなにより大切な事ですが,これらを活用することで,足し算ではなくかけ算の成果を得ることもできるんじゃないかと思います。

 とりわけ,江戸時代の写真であるとか,戦前のドイツの工業水準を示す資料などは歴史的も貴重であって,例えばですが中学生や高校生の社会科見学コースになるくらいだと価値があるんじゃないかと思いました。

 あと,テーマに沿った常設展示と特別なテーマで行う企画展示が欲しいところです。今のところ常設展示のみで企画展示は行われていないみたいですが,常設展示にも一貫したテーマは必要ですし,テーマから外れたものを別のテーマとして展示するのに企画展示を行うと,さらに見学者の学びに繋がるでしょう。

 ぜひ言いたいことは,図録の発行です。特に企画展が行われると図録というのは必ず用意されるものですが,展示品に価値があるものであればあるほど,図録が欲しくなるものです。

 図録は,高度な撮影技術に印刷技術,学術的にも正確な説明が不可欠であり,また展示を企画した人の意思が込められたものになっています。記録として残すものであると同時に,見学者の復習に役立ちますし,記念にもなります。

 個人的には,図録は単体の書籍だととてもあの値段では出せないもので,展示会の予算の中から捻出されるためでしょうか,非常に良心的な価格で販売されることが多いです。来場者への特典ともいえるサービスで,私は常に買うようにしています。それゆえ,図録がないのはとても残念なのです。

 最後にミュージアムショップです。図録の販売はもちろん,オリジナルグッズや関連商品の販売は,ミュージアムの収益源です。なんと言っても来場者のテンションは上がってます。そんなときに目の前に関連するものがあったら,ついつい買ってしまうものです。あとになって,なんでこんなしょうもないものを買ったのかと反省したことは誰にでもあるでしょう。

 ですが,ここでしか買えないものは記念になりますし,お土産にもなります。それに,その企画やテーマが好きで足を運んだのですから,なにか買いたくてウズウズしている訳で,販売のプロであるヨドバシカメラのミュージアムらしく,お客の欲しいに応える商品を並べて欲しいと思います。

 あ,ショップは併設されてはいますが,ミュージアム内部にあるショップではなく,支店みたいな感じです。前述のようにここでしか買えないものもありましたが,もっと増やして欲しいですし,なにより店員さんが誰もいないのはまずいんじゃないかと思いました。


(4)どんな人が面白いと思うのか

 なかなか難しい所ですが,ライカのマニアなら間違いなく楽しいでしょう。数があるだけではなく,世界中でここにしかないもの,伝説的なものを目にして感動することは,選ばれた人にだけ許された特権的な体験です。

 国産機は,日本人ならどれか1つは必ず「懐かしい」と思うものが見つかるはずです。昔これ使ってたとか,かつて持ってたのはこれだったのか,とか,そうした自分の記憶とのリンクも,とても楽しいことだと思います。

 しつこく書いていますが,カメラ以外の展示品,特に江戸時代の写真は実に生々しく,リアリティがあります。歴史に興味があったり,撮影地である東京や長崎に土地勘のある方ならさらに楽しめると思いますし,コレクションされている戦前の文献に興味がある方にも楽しいのではないでしょうか。


(5)どんな人には厳しいか

 カメラに対する知識はそんなに求められないと思うのですが,特定のカメラに対する思い入れだけは必要ですし,収集癖に共感出来ないと遠くに感じてしまうのではないでしょうか。

 私がそうだったのですが,カメラに興味があっても,ライカに興味が強いわけではありません。マニアにありがちな製造時期によるちょっとした違いを云々するのは,仲間内では話題として花が咲いても,度が過ぎると一般人からは距離を置かれてしまうものです。

 ライカのちょっとした違いを説明されても,見比べるものがないので,結局よくわかりません。見比べようとあっちこっちをウロウロしますが違いが分からず,そんなことを何度か繰り返しているうちにどれも同じに見えてしまう瞬間がやってきます。

 そうなってしまうと,もうどれもただのカメラです。どのタイミングでそうなるかは人によると思いますが,気を付けないと置いて行かれてしまうと思います。

 あとですね,ヨドバシカメラに興味はあるけど,カメラにはそんなに詳しくない人には厳しいでしょう。私などはヨドバシカメラそのものに興味がありますし,もっといえば当時の商習慣をぶっ壊し新しいビジネスモデルで大成功した,小売業としてのヨドバシカメラをもっと知りたいと思っています。

 かつての商習慣がどうだったのか,それを打破するのに何が必要で,どんな抵抗があったのか,そうしたことを当時の時代背景と一緒に学ぶと,戦後の日本のエネルギッシュな空気感を追体験できるように思うのです。

 メーカーの公式な歴史には綺麗なことしか書かれません。しかし人のすること,必ず書きたくないことも出てきます。視点の違い,立場の違いで解釈が異なることもあるでしょう。小売店がメーカーよりも遙かに立場が弱い時代を駆け抜けた革命者だったからこそ,もう1つの公式記録として,ヨドバシカメラはその歴史を堂々と掲げて欲しいです。

 もちろん,展示にはヨドバシカメラの歴史も触れてはいます。しかし,あくまで年表形式であり,実物展示であるカメラに対する説明の域を脱していません。

 これはこれで,カメラの展示という主旨に沿うものですし,人によっては売名行為に走っていない,奥ゆかしい姿勢と好意的に受け取るかも知れません。

 しかし,私はヨドバシカメラ自身の歴史を見たいと思いました。少なくとも今の内容ではなりません。


(6)結局のところ3000円の価値はあるか

 きっぱり言いますが,多くに人にとって,3000円の価値はないと思います。

 もちろん,月にいった9300万円のハッセルブラッドを見たい人にとっては,金額など問題ではないでしょう。ライカのファンも同様です。

 しかし,ヨドバシカメラはライカの専門店ではないですし,ハッセルブラッドの専門店でもありませんし,航空宇宙開発に関連する事業を大々的に手がけているわけでもありません。

 一般の人にも浸透したヨドバシカメラのファンが,それを理由に訪れる施設としては,あまりにマニアックすぎました。目当てのものを決めて,それを見に行くという強い動機があるかどうか,3000円払う前にもう一度考えてからにすることをおすすめします。

 なお,書くのも恥ずかしいですが,3000円は冷やかし防止であって,最終的に3000円相当の何かをもらえるのではないかという読みは,見事に外れました。何ももらえません。見学が終わってゲートを出たら,誰とも話すこと無く,そのままビルから出ることになります。

 そうなると,この3000円には何の意味があるのかを考えたくなります。3000円はこのミュージアムの収益になります。

 運営費?本社に併設された施設ですから家賃はかからないでしょう。

 人件費?受付にはお歳を召した方がいらっしゃったので,おそらくヨドバシカメラのOBの方ではないかと思います。そうすると警備員の方の費用が必要ですが,一人分ですしね・・・

 利益?いや,確かに損をしてまでやることではないかもしれないですけど,多くの企業博物館が広報活動の一環で運営されているわけですから,これ単独で利益を上げることは考えていないと思います。それに,本当にミュージアム単独で利益を上げて運営資金を捻出することを考えているなら,見学者が一人きりというのは明らかにまずいでしょう。

 接待施設?取引先の接待に使う施設として,見学者を少なく保つ必要はあるかも知れません。なら非公開でもいいんじゃないかなあ。

 他の理由?うーん,巨額のコレクションにかかる相続税をごにょごにょ・・・いや,素人にはわかりません。

 とにかく,どうもこれまでに目にしたレビューは,ちょっと遠慮しているように思われたのですね。絶対に面白いとか,積極的な賞賛もないかわりに,面白くなかったというネガティブな話も不思議と出てきません。

 なかには招待された人もいるんでしょうし,なんらかの事情で悪いことを書けない人なのかも知れません。純粋にまだまだ見学者が少ないだけなのかもわかりません。

 ですが,確かに充実した展示品ではありましたが,それらを見たというだけで,学びを得たなど,充足した感じが見学後に得られる事はありませんでした。

 やたらと3000円にこだわりますが,商売人であるヨドバシカメラが設定する3000円だからこそ,その価値に私は敏感でありたいと思います。(ついでにいうと,入館料の3000円にはポイントがつきません!)

 お土産などはもらえず,帰りは手ぶらです。3000円の価値は,純粋に見学の時間でのみ感じなくてはなりません。自らの目で見る事に3000円出せるものが展示されているとはっきりしていない限り,がっかりすることになるでしょう。

 もう1つ付け加えると,まだオープンしてから数ヶ月しか経っていないので,まだまだこれから変わっていくのではと思います。とはいえ,ミュージアムの運営には思った以上のお金がかかるものなので,今は良くても状況や環境が変わったら,真っ先に手が入るのもこうした施設です。

 見学者の推移にもよるでしょうが,もしかしたら一般公開を取りやめてしまうかも知れません。そうならず,むしろさらに良くなった形で長く運営されるといいですね。

きいてください,GR IVが手に入ったのです

 念願だったGR IV,ようやく手に入れる事が出来ました。

 いやー,予約開始の時点で出遅れてしまい,その後の唯一の入手方法であった抽選販売にはことごとく外れまくり。とにかくこのまま手に入らないまま一生を終えるのではないかと思うほど,絶望的な状況からようやく脱出しました。

 ここでこんな愚痴を言うのもなんですが,発売時の予約に失敗した人にはもう抽選販売という一見すると公平な方法に頼る以外なく,他の手段がない以上,自分の努力や工夫ではどうすることも出来ないことがとにかく辛かったというのが本音です。

 聞けば,抽選販売に何度も当選する人がいる一方で,GR IIIの時代から2年近くも公式の抽選に外れ続けている人がいるなど,およそ公平とは言えないと思います。生産量が需要に対して少ないことが根本原因ですし,かつてのリコーフレックスだって同じような状況があったことを考えると今に始まった話ではないのですが,リコーという会社が誰の顔を見て商売しているのかが,よく分かりました。

 ということで,今回は手に入れるまでの動きをまとめてみます。

(1)予約前

 フィルムのGR1を気に入って使っていた私は,GR Digitalシリーズはパスし,APS-Cになってそのコンセプトを明確にした無印GRにピピッときて,予約して発売日に手に入れていました。

 入手してしばらくはGR1を持て余していたことを,この無印GRでも感じながら,やっぱりGRは一筋縄ではいかないカメラなんだよなあと思いながら,GR IIは大きな変化もないため,GR IIIは一番重要だったと考えていたサイズの変更と露出補正のUIが変わったことでパスすることにしました。

 実際,GRを使いこなせるようになってくると,1600万画素でも十分で,レンズの性能や速写性能に不満を感じることもありません。唯一の問題点は感度の低さで,手ぶれ補正がないことも相まって,使えるシーンが限られてしまったことでした。

 もっといえば,1600万画素くらいだとローパスフィルタがないとモアレを気にして被写体や構図を考えなくてはいけないので,このあたりも相応の覚悟が必要なカメラだったと思います。

 GR IIIやGR IIIxの入手が難しくなっていることは聞いていましたが,まあリコーもカメラ事業は本流ではないですし,カメラ,それも市場が蒸発したと言われるほど急激に売れなくなったコンパクトデジカメを続けて売ることはないでしょうから,きっとGR IVは出ないものと考えていたわけです。

 ところが,時々私にも届いていたアンケートに後押しされたのか,まさかのGR IVの発売が決定,その内容はかなり魅力的でまさにGRシリーズの集大成と言えるものでした。

 サイズがGR1よりも小さい事や,使わないけどGR1が持っているからと言う理由で欲しい内蔵ストロボがないこと,相変わらずファインダーがないことは気に入りませんでしたが,右端の上下キーによる露出補正の復活や,今どきの高感度性能に手ぶれ補正がやっと実現したうえ,レンズも一新され起動時間もレスポンスも高速化されているというではありませんか。

 それに,おそらくこのGRが最終モデルになるだろうと思って,目を回しそうな値段でしたが購入を決定したのでした。しかし,この時はまだ予約開始当日に予約すれば入手は容易だと考えていたのです。

(1)予約開始日

 当然ながら,予約開始当日は勤務中です。さらにいうと予約が何時から始まるのかを全く知らず,気が付いたら予約開始から20分ほど過ぎていました。慌ててあちこちの販売サイトを見て回りますが,キタムラは予約を締め切っていましたし,フジヤカメラは最初から抽選販売にしていました。

 八百富は予約を受け付けておらず,お得意様専用の予約リンクがホームページにあるだけです。

 ヨドバシは完売,ビックも完売,どこも完売か予約終了です。

 そんな中マップカメラだけはまだ予約出来る状態でした。あわててカートに入れようと手続きを始めますが,全く先に進めません。何度もカートに入れようとして失敗,ごく希にカートに入ってもそこから先に進むことが出来ず,何度もリロードを行ったせいでBANされてしまいました。

 おいおい,登録ユーザーをBANするとは!

 この時,サイトがパンクしていたことを私は後で知ったのでした。

 しばらくするとサイトに繋がるようになってきましたが,すでに予約は締め切られていました。先着の予約はこの時点で完敗だったのです。

 この段階でほぼ入手は絶望的状況で,初動の遅れを悔やんだわけですが,公式とフジヤカメラのの抽選販売があります。ここに応募して結果を待ちましょう。しかし,この段階ではまだ私はそんなに深刻だとは考えていませんでした。

 先着の予約が多かったのは転売目当ての人もいたからでしょう。抽選販売,それも公式ならそういう不正は弾かれるでしょうし,なんと言ってもメーカー公式ですから数も十分に確保され,しかも正確な数の確保が出来るはずです。

 しかし,予約の後にネットの書き込みを見て私は戦慄します。GR IIIの頃からとにかく抽選に当たらない,そもそも品物が足りなすぎて抽選どころではない,海外,特に中国での人気がすごくて国内に回ってこない,日本は価格が安めの設定なのでメーカーは日本で売りたがらない,などなど。

 富士フイルムのカメラの品薄も相当非難されていて,私にとっては対岸の火事だったのですが,まさに当事者となってしまったことに,私は絶望を禁じ得ませんでした。

 公式は10月28日の初回から,11月,12月,1月,2月,3月,4月と7回連続で外れました。12月からはHDFも一緒に応募しましたが当たりませんでした。

 フジヤカメラは初回,12月,3月と3回とも外れました。

 荻窪カメラのさくらや(以下おぎさく)でも1月に抽選がありましたがこれも外れました。

 たまたま店頭にあったものを買えた,店によっては予約を受けてくれるという話も聞いていたので,新宿に行ったついでにヨドバシカメラに立ち寄り,状況を聞いてみたこともありました。

 忘れもしません,この時の新宿西口のカメラ館の店員の対応に私は絶望し,怒りさえ感じました。

私 : GR IVを見に来たのですが展示が出ていないですね。
店 : 展示に出すものもないという感じです。(ヘラヘラ笑いながら)ほんと困ってます。
私 : 予約したいんですけど,どうですか。
店 : (ヘラヘラ笑いながら)一切やってません。大変なことになるんで。
私 : うーん,じゃどうやって買えばいいんです?
店 : (ヘラヘラ笑いながら)公式で抽選販売に応募して下さい。それしかないです。

 まあ,お店としてはどうしようもないでしょうし,予約を受けても渡せる見込みがないのですから,予約を受けないことも誠実さの1つとして理解出来ますが,カメラ屋がカメラを売ることが出来ない状況をヘラヘラ笑いながら自分たちも迷惑してるんですよーと被害者面することが,欲しいと思って足を運んだお客の神経をどれだけ逆なでするかを,接客のプロとして考え直してもらいたいと思いました。

 それに,そもそも,人気のカメラをメーカーの公式サイトが売ること自体,自分たちの商売を上流で邪魔することに他なりません。なのに天下のヨドバシカメラが公式サイトで買ってくださいとケツをまくるのは,カメラ屋として完全に地に落ちたなと思いました。

 さらにいうと,先月のヨドバシカメラのランキングを見ていると,店頭在庫もなく予約も「一切」受けていないはずのGR IVがランクインしています。こういうのを正直に公表するのも偉いと思いますが,言ってることとやってることが食い違うことは,ヨドバシカメラらしくないなと思います。

 もちろん,人によると思いますし,新宿西口での統一された対応であって,例えば八王子店とか仙台店での対応は違ったものになっているのかも知れません。しかし,その場合でもヘラヘラ笑いながら説明するようなことではないと思います。売り手が強い商品だからこそ,目の前のお客さんの味方になって欲しいし,かつてのヨドバシカメラならそれが出来たと思うから,私はヨドバシカメラのカメラ売り場で店員さんとお話しするのが好きだったのです。

(3)抽選販売以外の方法

 在庫のあるお店は一般的な価格(定価とは言いませんが公式や量販店の販売価格)よりも随分高価な値付けをしています。さすがに22万円とかは,ありえません。

 転売されたものを買うのは価格の問題ありますが,保証の問題やモラルの問題からこれも絶対に許されません。

 中古品を買うことも手の1つですが,故障や不良のリスクもありますし,発売されたすぐとは言え人の手に一度渡ったものですから,何があるか分かりません。それで一般的な価格よりも高かったりするのですから,そこまでして手に入れるようなものでもないでしょう。

 かといって,地元の馴染みのカメラ店がある訳でもないですし,なにか個人的なツテや縁故がある訳でもありません。

 中にはリコーの株主になって,株主優待販売で手に入れるという強者もいらっしゃるようですが,資本主義社会における公正な「えこひいき」を利用するなど,私には思いもつかなかった方法です。

 だいたい,世界中の人が欲しがっているのですから,私のような凡人が自分だけ特別扱いをしてもらえるはずもありません。その他大勢の中に入って,その中のルールに従う以外に方法はないのです。

 そう大人の聞き分けで,半年辛抱してきました。

 そしてこの一連の騒動は,嫁さんと娘にも影響を与え始め,嫁さんはトランプにかけた呪いの一部を抽選に当たることの祈りに振り分けたと言い出しますし,娘はヨドバシの配達があるごとに「GRなの?GRなの?」と騒ぐようになりました。

 もう,GRに振り舞わされっぱなしです。これではいけません。

 そして,先日におぎさくで行われていた,先着5名様の販売の案内メールを,日曜日の夜に見逃したことをきっかけに,私の心が動きました。


(4)偶然,本当に偶然

 混乱があるとまずいので正確には書きませんが,ニコンの大三元の2つを買い,古いレンズを下取りに出したあるお店は,とても親切で価格も安く,まるで昭和の販売店のような機転の効き方を見せてくれる,大好きなお店です。(まあ悪いところも昭和的なんですが)
 
 ここは,品薄だったニコンの大三元の時も,偶然キャンセルが出て在庫があったことで,助けてもらったのです。そんな経緯もあり,今回ももしかしてとピピッときて,木曜日の午前中にダメモトで電話をしてみたのです。親切なこのお店なら,そんなに冷たい対応はされず,心が折れることもないだろうという心理的な安全性も背中を押しました。

 電話番号を押し,長く感じた呼び出し音は,まるで彼女の家に電話する時のような,口から心臓が飛び出そうなドキドキを思い出させます。果たして電話の向こうの声は優しく,名乗られたお名前でさっと顔が浮かんできます。

 いつも送ってくれるチラシを見ながら電話してますと伝えて納期を尋ねると,折り返しますと意味深な返答。名前と電話番号を伝えて待っていると,15分ほどして折り返しがありました。

 在庫が1つだけある,どうしますか,と。

 驚きを抑えつつ,感情を悟られないように,わざとらしい平静を装いながら,もちろん買いますと伝えました。送ってもらえますかと尋ねるともちろんOK。支払いはカードにしたいと言えば,私あての専用の商品を作りそのURLをメールするので,これをカートに入れて決済して下さいと,なんとすばらしいご対応を頂きました。

 メールアドレスを言おうとしたら,登録済みなので大丈夫ですとのこと。そう,お得意様扱いをして頂いていたんですね。

 しかも,早く欲しいと言う私の気持ちを汲んでくれて,すぐに発送,翌日午前の着日指定までしてくれました。

 推測ですが,チラシを見ているということから,名前と電話番号で本人確認,購入履歴から転売目的ではないことを確認し,偶然キャンセルが出たか,あるいはこういう顧客からの電話や店頭での問い合わせのための確保分を,出してくれたのだと思います。ああ,ヨドバシカメラと雲泥の差よ。

 果たして,翌日の午前中に,私の手元にようやくやってきたGR IV。

 無事開封の儀を終え,初期不良もなく,現在私の隣で元気にしています。無印GRから進歩したところ,変わらなかったところなど,いろいろ思う所がありますが,そういった使い心地については;また後日。

 何かを得るためには待ってるだけではダメ,自分で動いてチャンスを掴むという,当たり前のことを今さら思い知った次第です。

 そう,じっとしているだけでは「その他大勢」から抜け出せません。公平の名の下に他の方法が封じられがちな昨今でも,きっとなにか方法があるはず。自分で考えて行動した人にこそ,女神は微笑むのです。いやホント。

 

気象通報はおわりません

 昨年12月5日に,「気象通報のおわり」と題して,NHKラジオ第2で長く放送されている「気象通報」が,今年3月末で終了すると書きました。

 NHKのラジオ放送の再編で,これまでのAM2波体制から1波に集約,気象通報は引き継がれることなく廃止されること「決まった」ことに,寂しさと諦めを綴りました。

 中学校の理科の授業でも採り上げられる気象通報だけに,この記事はちょっと注目を頂いたようですが,なんとありがたい事に,気象通報は廃止されず,2026年3月末以降もAMラジオで放送が継続されることになったと,2月12日に発表がありました。

 2月12日に正式に引き継がれる番組や廃止される番組が発表になったことをうけ,私も調べてみたのですが,気象通報は月~金の15時45分から,土日は17時05分から,毎日放送されることが確認出来ました。

 また,同日配布された番組表にも,気象通報がきちんと記載されています。よかったー。

 なお,同時に終了すると書いた株式市況は,廃止が決まりました。

 一応,昨年の記事はそれなりの根拠があって書いたのですが,その情報に誤りがあったのか,それとも廃止が覆ったのか,結果的に嘘を書いてしまいました。ごめんなさい。

 個人的には,この番組は最盛期の役割を終えたかも知れませんが,廃止を決断するにはなかなか難しい物があったのではないかと思います。

 1つには,中学校で教えられること。義務教育は強いです。それから,海上や山など,気象が生死を分ける現場で,気象通報が最後の命綱になっていること。この番組で得られる天気図は,まさに天気予報のための基礎的情報です。

 さらに,気象通報用の天気図が今でも販売されていて,登山用品のお店で買えること。気象通報がなくなると,これらの商品も終売になるでしょう。実際に話し合いがあったかどうかは知りませんが,NHKの都合だけで,作ってきた人や売ってきた人たちの仕事が消えてしまうようなことは,彼らが決して大きな商売ではなかっただろうこれらの商品を,社会的な意義で長年支えていた意義に照らして,そう簡単にはできなかったのではないかと思います。
 
 いずれにせよ,この春以降もきちんと毎日,これまで通りAMで夕方に放送される気象通報が残ることは素直にうれしいですし。本当に良かったと思います。

 多くの人が気にもかけず,見過ごしてしまうこの一件で,私はNHKの社会的な使命感と良心を垣間見ました。

東京からの脱出 : Day3 ~ 富山を離れる

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Day3 : 2025年12月28日
富山地方鉄道特急 10:20宇奈月温泉発 10:37新黒部着
はくたか560号 11:34黒部宇奈月温泉発 13:52東京着

 3日目はいよいよ東京に戻る日です。東京は嫌いでもおうち大好きな私をして帰りたくないなあと思わせる,素晴らしい旅行の締めくくりです。

 この日は東京に戻ることだけを目標にしたまさに移動日。無理をしない日程を組むことが心の余裕や贅沢感を生むと信じての計画でした。

 妻の提案で,富山地方鉄道の電車を新幹線に接続する1本前の物にしました。これだと特急ですので乗車時間は短いですし,お土産や弁当をゆっくり買うことが出来るんじゃないかという作戦です。そもそも新幹線の駅なんだから,時間を潰す方法なんていくらでもあるだろうと思っていた訳ですが,これは後々誤りだったことを知ります。

 宿では最後の朝食を頂きます。他のテーブルの人たちはどうやら2日目の朝食がほとんどで,我々の昨日のものと同じようです。我々だけが違ったものを食べていますが,それがまた昨夜の続きのような贅沢なものでした。朝からイカの刺身が出るのか・・・

 昨日に続き,特製のだし巻き卵はとても美味しく頂きました。ご飯はおかわりすることが出来ませんでしたが,富山産のコシヒカリを上手に炊くとこうなるという,今どきの美味しいご飯を堪能しました。

 こういう食べ物を売りにした宿の本気は,2泊3日でこそ味わえるんだと思います。2日目の夕食と3日目の朝食は,我々専用の特別食かと思いましたもん。

 名残惜しい宿を後にし,昨日以上の好天に恵まれた宇奈月温泉駅までを徒歩で楽しみながら進みます。なに,時間はたくさんあります。私にしては珍しくお土産で増えた荷物をぶら下げながら,歩いて行きます。(あ,お土産は基本的には自分たち用で,特に娘が昔から好物なます寿司を3人前,この日の夕食用に買って帰りました)

 それでも10時前に宇奈月温泉液に到着,韓国語などの様々な言語が飛び交う待合室で電車の到着を待ちますが,往復乗車券を買ってあった我々は,特急もそのまま乗れてしまうので気が楽です。

 ゆっくり座席を確保し,新黒部駅を目指します。たった17分の乗車で,無人駅をすっ飛ばして走りますので,曲がりくねった揺れる線路を,うなりを上げて爆走する電車にちょっと体がこわばります。

 定刻通り到着,2日前に吹雪いていた新幹線の黒部宇奈月温泉駅との連絡路にある横断歩道を渡ると,もうそこは東京に繋がる駅です。寂しいなあ。

 ところで黒部宇奈月温泉駅は想像以上になにもない駅で,親切された新幹線の駅なんてのは,周囲になにもない上に,駅そのものも殺風景で,どこも基本構造は同じで,お土産を売っているところもなく,駅内のコンビニに少しの駅弁と一緒に売っている程度です。

 ただ,その駅弁も富山らしくリーズナブルなくせに贅沢で,これも妻の提案で買ったお重タイプの弁当が,期待以上の豪華さでした。まさか棒巻きや煮こごりまで入っているとは。

 行きとは違って特に遅れることもなく到着した新幹線に乗り込みます。ここでも特に外国人観光客のマナーの問題を目にすることはありませんでしたが,彼らは自分たちの周囲の状況に目を配るほどの余裕がまだないとみえて,とりあえずリクライニングを目一杯倒すことに躊躇しません。

 誤解を恐れずに言えば,もらえる物はすべてもらうという意識で,自分にとっての適量とか,周囲と分け合うということに,まだ気が回らないんだろうなと思いました。そこに悪意がないから逆に面倒とも言えて,これは少し前の日本人が海外でやらかしていたことと同じだなあと思っては,いずれやってくるゆとりの時代が楽しみになるのでした。

 行きと違って,徐々に人が乗ってくる上りの新幹線は,東京に近づくほど気ぜわしさが増します。さっさとお弁当を食べるのがいいんですが,3人で上手く弁当を分けるのがなかなか大変で,疲れもあって我々家族のテンションはやや下がり気味です。

 読書をして東京に着いたのが14時前。果たして東京駅のホームは,私がここ数年で遭遇したどんな人混みよりも,混乱していました。ちょうど12月28日と言えばまだまだ帰省ラッシュの激しいときです。我々にとっては帰る電車でも,多くの人はこれから出発する電車になることをすっかり忘れていました。

 地下鉄に乗り換えるのに便利な出口までホームを歩こうと思いましたがとてもそんなゆとりはなく,したかがないので途中で階段を降りましたが,これが失敗でした。おかげで予定以外の場所に出てきてしまい,自分のいることがわかりません。しかも人の流れ逆らう方向で歩くことになるため,とにかく前に進みません。お土産もここへ来て大きな負担になります。

 改札を出たあたりで紙袋が割けてしまい,思わず「あっ」と声をあげては周囲の注目を浴びるなどと言う,もう何年も経験していない失態をしながら,まさに溺れるように人をかき分けて進みます。

 それにしてもなんど人の多いことか。昼時にしては遅いのにどこも飲食店には長蛇の列で,これがまた人の流れを妨げます。しかも,外国人目当てのキャラクターショップが東京駅の地下には軒を連ねているんですね,これがまた人混みを作り,人一人分の面積を専有する大きなスーツケースが我々の行く手を阻みます。

 だあああああああああ,もうええかげんにせえよ。

 我々が降りた地下通路では,途中から地下鉄への案内が消えていたので,ここで我々は遭難することになったわけですが,ここは妻が機転を利かせ,ipadで我々を誘導してくれました。おかげで少しずつ人が減り,ようやく年末のビジネス街らしい風情になってきました。

 地下鉄はやっぱり地元の人の下駄ですよ。周囲の人の表情にゆとりがありますもん。

 なんとか大手町までたどり着き,地下鉄で自宅の最寄り駅まで戻ってきました。娘も久々に膝が痛くなったそうです。いやはや,最後の最後にこんな恐ろしいことがあるとは。

 いつもそうなのですが,旅行は戻ってくるときの陰鬱な気分が嫌で,それでそもそも行かなくなってしまいました。かといって片道切符というのも悲しい物があるわけですが,それでも自宅に戻るまでの日常が嫌で旅行に出かけるのに,どの道中も旅行の一部とされてしまうことが,やっぱりいつになっても慣れません。

 帰宅し,ほっと一息コーヒーを飲み,家族とのんびりしながら振り返ります。徐々に日常にスイッチが切り替わり,そのうちあわただしい年始に向けた準備が始まります。ああ。

 帰りは失敗しましたが,ひとまず大きな事故も事件もなく,無事に戻ってきたことに安堵し,根が生える前に洗濯物や荷物の整理をして,今回の旅は終了。

 総括すると,富山は観光地ではないかもしれないが,それゆえにゆとりがあり,焦る旅,詰め込む旅にならずにすみました。そして富山は食べることを目指す場所であり,だからこそ富山の人は食べるためにやってきた我々を歓迎してくれ,うれしいことに自分たちと一緒に扱ってくれました。

 外国人の観光客も少なく,全体に人が少ないことも楽でしたし,出会う人は基本的に富山の人ばかり。スーツケースを転がす不愉快な音に興ざめする我々にとって,普段着に小さい荷物でうろうろ歩くことをが,純粋に楽めた素晴らしい3日間でした。

 食べる事が好きな人が,食べる事を売りにしている場所に,食べる事を目指して旅する。観光客用に作られた観光地を回るのではなく,そこにある普段の生活とその延長にあるものをそのまま出してもらう。観光客にとって,珍しいものや興味深いものは,なにも綺麗な景色やお城やお寺だけではないということです。

 富山地方鉄道には地元のお年寄りや,高校生が乗っていました。同じくらいの数,我々のような観光客も乗っていました。そう,彼らの日常に少しお邪魔させて頂いて,そこに住み着いているかのような体験をさせてもらえたことが,私は何よりうれしいと感じました。

 夏の富山もいいでしょうね,今度は氷見とか,少し地域を変えてもいいかもしれません。日本海側の冬はもちろん寒いですが,東京のように空気が乾いてカサカサになるわけでも,刺すような空っ風が吹いているわけでもありません。冷たいけどしっとりとした風も,澄んだ空気も,視線を上げればいつも綺麗な山と空が見え,どこにも濁ったものが視野に入ってきません。そりゃそうです,ただただ厳しいだけの冬なら,おそらく誰も住み着かないですもんね。

 富山,いいですね,本当にいいですね。

 ところで,今回の旅行では,妻の貢献に随分救われました。私は下調べをほとんどせずに,行き当たりばったりの旅を楽しむつもりもあったのですが,それにも限度があって,困るレベルまで調べることをせずにいました。面倒がらずに冷静に調べて対応策を導き出す柔軟性に,私は今さらながら脱帽です。

 最後に,お世話になったサン柳亭の方々,そして富山のみなさんに,感謝です。また行きますね,富山。

 

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