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NASの10TBのHDDとamazon

 今回はワンダースワンの話から少し離れて,うちのNAS(QNAPのTS-231P)についてです。

 ちょうど今年のamazonのブラックフライデーが終わろうとしているとき,突如NASから警告メールが飛んできました。なになに,ドライブ2でリードエラーだと!

 うちはいっちょ前にRAID1で運用していますので,エラーが出ても深刻なことにはなりませんが,この手のエラーというのは放置するとボロボロと壊れていくものです。ですが,これには思い当たる節もありました。

 実は,この8TBのHDDは,WD BLUEなんです。そう,2台とも,です。

 もともと,TS-231Pを導入したときには見栄を張ってWD REDの4TBを導入したのです。振動が異常なほど大きかった1台は初期不良という事で交換になりましたが,運用に入ってからはとても堅牢で信頼性も抜群,まだまだ使えそうな状況なのに,容量不足で6TBに交換することになりました。

 この6TBもWD REDだったのですが,RAID1の最大の問題は,容量不足という「運用上の寿命」を迎えた場合には,一気に2台のHDDがゴミになることだなあと思いました。

 しかし,この6TBも簡単に一杯になり,2023年の頭には残り容量が5%を切るようになってしまいました。次のamazonのセールで8TBに交換しようと思って迎えた4月,WD REDの8TBが思った以上に高額であることに私は迷いました。

 これがWD BLUEなら1台14000円ほどです。安い。しかもCMRです。

 せっかく倍のコストをかけてRAIDを組んで冗長性を確保しているのだから,安いHDDをどんどん交換して回して行くというのもありだよな,とWD BLUE導入に傾く私は,もともとWDのHDDが信頼性も高いし,もし3年も使えたら大もうけだぜウシシ,というスケベな気持ちも忘れてはおりません。

 届いた2台のWD BLUEの8TBのうち,1台はまたも初期不良Niあたり交換しました。届いたものもかなり大きな振動があって,これはハズレだったなと思ったのですが,仕方がありません。

 そしてその数日後,私は知らなかった事実を突きつけられます。WD BLUEはある機能の設定のために,NASで使うと壊れやすいという話です。

 それは,IntelliParkという機能です。ある時間の間アクセスがないとヘッドを自動的に待避する機能だそうで,回転数も落とすので消費電力も下がるという事で,WDのHDDに特徴的な機能です。

 問題はそのアクセスがなかったときの時間です。聞いた話だとREDが300秒なのに対し,BLUEはなんと8秒。8秒アクセスがなかったらヘッドを待避してしまうのです。

 かなり極端だと思いますが,ホームユースならむしろ良いかもしれません。連続したアクセスがないなら,きっとその先のアクセスもないでしょう。それに24時間運転なんかやりませんし。

 しかし,これをNASに使うとどうなるか。NASはアクセスが頻繁でしかも24時間運転です。8秒という時間は実に絶妙で,待避したと思ったらすぐにまたアクセスされるということが繰り返されるわけです。

 こうなると心配なのは,ヘッドロードの寿命です。ヘッドのロードは機械物ですので当然寿命があり,30万回くらいと言われています。天文学的な数字と思いきや,実はそうでもなく,WD BLUEをNASに使って,160日程度で20万回に達するという話も耳にしました。

 工業製品ですから30万回きっちりで壊れるものでもなく,100万回持つ物もあれば,10万回で壊れるものもあると思いますが,一応設計保証値は30万回でしょうから,IntelliParkはその30万回の寿命を削って消費電力の削減に割り当てたと考えてもいいでしょう。

 回数はSMARTのロードサイクルカウントを見ればわかりますが,実は私のWD BLUEもそろそろカウントが0になりそうな感じだったのです。稼働時間は20.5ヶ月なので620日ほど。ということは15000時間ほどです。

 さすがに8TBだと容量的にもまだなんとかゆとりもあり,せめて2年は使いたいなあと思っていたのですが,SMARTが信頼性を問題にして警告を出すのも間近というこの状況は,警告が出たらどんどん交換して行こうという作戦が,昨今の円安や値上がりも相まって決して成功とは言えなくなってしまいました。

 それにしても,こんなに簡単にロードサイクルカウントが消費されるというのはまずいですね。一時期この機能をOFFにすることが世界的に流行ったみたいですが,私はすでにNASに組み込んで運用を開始してしまったので,そのままで使っていたのです。

 もちろん,今回のリードエラーがIntelliParkと関係があるとは言えません。もともと24時間運転を想定していないHDDをNASで酷使したんですから文句は言えませんし,そもそもハズレだったのかも知れません。しかし,やっぱり2年持たなかったというのは残念です。

 悔しいですが,ブラックフライデーが後数時間で終わるというところで警告が出たのも何かの啓示。さっそく8TBのWD BLUEを買うことにしますが,想像以上の値上がりに加えて,在庫切れ&納期は1月半ば。これでは話になりません。他社の8TBを検討するも,2万円超えで手が出せず,状況は思っていた以上に厳しいものであることを思い知りました。

 この際10TBに増量するかと10TBのHDDを探してみると,これがまた高価。しかも2台ですので,とても手が出せません。

 なんとかならんかとトボトボとamazonを彷徨っていると,10TBなのに18500円という激安のHDDが目に入りました。Ultrastar WD10EZAZという,ちょっと見慣れないものです。再生品なので安いというのはわかりますが,それにしてもこのいかつい外観はなんだ?

 なになに,NASやデータセンターで使われていたヘビーデューティなHDDで,新品と同じ状態にした上で1年保証。

 さらに調べてみると,もともとHGSTのデータセンター用HDD,Ultrastar He10の系譜で,あのヘリウム充填のHDDだというではありませんか。DC HC510の回転数を7200rpmから5400rpmに落としたものらしく,キャッシュは256MBと変わらず,耐久性も抜群です。

 24時間運転を前提にしたプロ用HDDですので,堅牢で低消費電力,うちのNASにはもったいないくらいのお嬢様でした。

 これなら2台買っても37000円。10TBになって信頼性も向上するなら出せない金額ではありません。しかも在庫ありで納期も早い。マケプレですがamazonの発送で,保証もあり,レビューも悪くはありません。

 実質選択肢はこれしかないと,2台手配をしました。

 さて,届いて確認したところ,2台ともシリカゲルの入った帯電防止袋に,きちんと密封されて届き一安心。リファービッシュ品であることと,2023年2月という日付がありましたが,これが製造を意味するのか再生を意味するのかはわかりません。ただ,見た目は新品とかわらず,とても綺麗です。

 それから,HGSTのデータセンター用のHDDに有名な話で,電源ピンの一部の使用が変更されていて,リセット端子になっているそうです。サーバーの電源を落とさずにHDDをリセット出来るようにしたためということですが,この端子に3.3Vが繋がっている一般的な電源だとリセットが解除されず起動しないので,オープンになっているような電源ケーブルに変換して使う事が広く知られています。

 このHDDにも対策用のケーブルが付属しています。NASへの組み込みでは関係ないので使わないことになるでしょう。

 クッション材から出てしまっていたHDDを先に試すことにし,まずはNASを停止させます。そして問題となっていたドライブ2を抜取り,交換しNASの電源を再投入します。

 なにも問題なく起動し,RAIDの再構築が始まりました。15時間後に完了ということで,翌日に確認するとなにも問題なく動作しています。異音もなく静かですし,振動もほとんどありません。WD BLUEの8TBはとにかくブーンと振動がうるさかったので,やっぱりハズレだったんですね。

 簡単なテストを行ってNASをシャットダウン。いよいよドライブ1を交換して再起動しますが,様子がなにやらおかしいです。

 まずカリカリという異音がおさまりません。それもかなり大きな音が出続けています。振動も大きいようです。なにより,NASがいつまでたっても起動しません。

 仕方がないので強制的に電源をOFFし,問題のドライブを取り外して,別のケースを用意して単独で動かしてみます。

 やはり状況は悪く,ずっとカリカリいってますし,Macに繋いでも認識しません。すでに夜10時半ですが,不幸にもまたも不良にあたった私は,大慌てでamazonに連絡です。

 こういう場合は,電話で話が出来ると助かります。amazonは夜でも話が出来るのでとてもありがたいです。

 交換にはメーカーの証明が必要になる場合もあるのですが,今回は異音がすると言えばすぐに返品の話になりました。交換を希望しましたがマケプレの商品だということもあり,一度返品して買い直すことになりました。

 ブラックフライデーの時とは価格が違うんだけど,と話をすると,その場で差額をギフトカードで補填してくれた上に,返品の手続きもその場で済ませることができ,翌日に集荷してもらえることになりました。amazonすごいです。

 実は,ポイントアップキャンペーンも補填してもらえないかとダメモトでお願いしたのですが,これは却下されました・・・

 というわけで,こちらの不良という言葉を全く疑わずに信じてくれて,差額も補填した上で,返品の手続きまで済み,この間全く嫌な気持ちにならないという担当の方には,感謝しかありません。

 実のところ,amazonでこうしたサポートを受ける度に,期待以上の対応を頂くのですね。丁寧だけど杓子定規なものでもなく,こちらの要望に出来るだけ応えようと臨機応変に提案をくれます。それがかつてのamazonを含めた通販業者のイメージ,いうなれば「自分は悪くない,客の落ち度だ,でも対応してやってる」という店側の心理と,これに由来する電話してくる客は面倒な客,という観念がなく,電話してくる客は困ってる客という当たり前の話と向き合った上で,その問題を出来るだけよい形で解決しよう,という気持ちからブレないんですね。

 担当者によるのかなと思うとそうでもなく,これまで私が何度か相談した担当の方は皆,同様の気持ちの良い対応をして下さいました。はっきりいってこれ,日本一だと思います。

 先頃,公正取引委員会にamazonは怒られましたが,これまでに何度か注意されたことも含めて内容を見てみると,決して消費者の不利になるような話から来ているわけではないんですね。どっちかというと,消費者が有利になるように,出品者に圧力をかけたりしていたことが問題になっています。

 もちろん,不正は不正ですし,理不尽で不当な扱いに苦しむ出品者がいらっしゃったことも事実ですが,これまでの自らの利益のために不正を働いてきたことを咎められたケースとはちょっと違うなと,私はそんな印象を持っていました。

 まあ,幻想かも思い込みかも情報操作かも陰謀かも知れませんが,少なくとも私が困った時に,amazonはいつもちゃんと私を助けてくれました。そんなことまでしてたら赤字で潰れるよ,と思うようなことを,amazon側から先に提案してくれるので,交渉など全く必要がありません。ついでにいうと,amazonは必要以上の謝罪はしません。謝罪で解決しようとするのではなく,最低限の謝罪で済むように問題そのものの解決を優先するからだと思います。

 かくして,実に気持ちよく安心して問題の処理が終わりました。新たに購入したWD100EZAZは問題なく動作し,RAIDの再構築を済ませて現在何の問題もなく運用に入っています。

 不良のHDDも翌日(そう,返品処理が夜10時半なのにです)にヤマトのドライバーが自宅まで引き取りに来てくれました。そして2日後に無事に返金されています。すべてがスムーズで,すべてが完璧です。

 不良は仕方がありません。でもその後の処理は人がやるものだけに,お店で差が出ます。amazonは満点です。正直すごいと思います。

 そんなわけで,HDDの不良によくあたる私ですが,amazonで買ううちはなにも心配なく変えるでしょう。20年前,当時のツクモに9GBのHDDを交換してもらう時に,散々疑われて散々ごねられ,ようやく交換してもらえたことがウソのようです。

 海外からamazonが,日本の小売りの常識を変えています。日本のオモテナシとやらは,どこに行ってしまったんですかね?

 あ,そんなもの,もともとなかったですか?

ワンダースワン復活の道~番外編

 先日,aliexpressで購入したLCDが,配達完了になっているにもかかわらず届いていない,というお話を書きました。

 この件,エスポ便なる国内の配達業者の問題で私の手元に届いておらず,問題の解決をしようにもaliexpressは3秒で私からの申請を却下,エスポ便への連絡も電話が一切繋がらないという状況から,不本意ながら泣き寝入りすることになったわけです。

 ただ,LCDのフレキの形状が違っていて,仮に届いても使えないものであることがわかったことで,この件なんだか吹っ切れてしまったのでした。

 この面倒な話の傷が癒えた昨日,ポストを見ると黄色い封筒があることに気が付きました。もしかしてと見てみると,エスポ便。

 開封すると,あのLCDが入っていました。開封された痕もないですし,これだけ見ると配達が遅れたと言うだけの話に見えます。

 ただ,配達完了となってからの時間経過を見ると,やはりごはいだったのではないかと思います。誤配された方が新設にもエスポ便に電話をして下さって回収,その後再配達という流れで考えると,ちょうどこのくらいに届くことになるでしょう。

 とりあえず,aliexpressでの買い物の全勝記録を後進し,これまで無敗です。しかし,やはりなにか釈然としない物も気持ち悪さもありますし,今後もこの通り上手く届くとは限りません。といいますか,届くことは数々の幸運によるものであると,改めて認識させられました。

 一方で,届いた荷物については使えない事が分かっていながらも,よくも中国から長旅を経て,私の所にまで届いたものだとちょっと感動しました。まるで冒険物語です。

 LCDを確認すると,違うのはフレキだけではなくLCDそのものもちょっと違うみたいです。コネクタの形状やピン数は同じなので,壊れてもいいやとコントローラ基板に繋いでスイッチON。

 もしかすると表示が綺麗に出るかなと思いましたが,出てきた画像はなんと左右2分割で同じ画像が2枚出ました。

 いやはや,これでは使えません。せっかく届きましたが役に立たないのも悲しく,どうにか使う方法はないものかと考えることにしましょう。(多分だめですが)

 それにしても,aliexpressは何かあったときの回避手段がなにもない,恐ろしい仕組みだと再認識しました。高いものは絶対に無理ですね。amazonのサポートについては後日書くことにしていますが,日本語が使えるからと言ってaliexporessをamazonの感覚で使うと痛い目に遭います。皆さんも十分に気を付けましょう。

 

スワンクリスタルとワンダースワンカラーを失った週末

 ワンダースワン,今なかなか人気のある携帯型のゲーム機です。

 「枯れた技術の水平思考」を是としたゲームボーイの生みの親,故横井軍平さんが任天堂退社後に立ち上げたコトが開発,当時のバンダイから発売になったワンダースワンですが,安く,低消費電力で,手軽に買えて,だけど楽しく面白くを具現化したワンダースワンは,当時の私の商品設計に対する考え方に近かったこともあり,大好きなハードウェアとして,特別な思いがありました。

 今にして思えば初代が一番洗練されていて,バランスも素晴らしかったと思うのですが,市場はそんな設計者の思いなど知らずに,当然の如くカラー化を望みます。当時の技術ではカラー化によるコストと消費電力の増大が非常に大きく,登場したワンダースワンカラーは市場の要求に,なんとか折り合いを付けた妥協の産物であると,私には見えていました。

 それは乾電池1本で動作するという目標のために,徹底したパッシブ動作へのこだわりにも現れていました。バックライトはコストも大きさも消費電力も大きいので使わない,LCDも美しいが高価なアクティブマトリクスのTFTを使わずパッシブマトリクスのSTNカラーです。

 確かにこれでワンダースワンの目指した安く消費電力が小さいという優先度には矛盾しないものが出来ましたが,結果暗く発色も悪い,とても見にくい画面のゲーム機が出来てしまいました。見やすさだけで言えば,初代のモノクロ機にもかなわないでしょう。

 それでも私は発売前からコトが出した答えが楽しみで,予約して買いました。以後はガンダムのゲームを中心に持ち歩き,暇さえあればゲームを楽しんでいました。実家に帰る新幹線で3時間近くひたすらゲームをやったことも良い思い出です。

 これだけ持ち運んでいれば傷むのも道理で,風防(フロントパネルのことです)の真ん中に大きな傷を付けてしまい,ゲームに没頭できなくなってしまいました。ワンダースワンカラーはパッシブのLCDで,明るさだけではなく色味も改善しなければならなかったので,LCD表面のフィルムはもちろん,風防の表面の反射防止コーティングにもかなりのお金をかけていたように思います。

 それでもバックライトを付けるよりはいいと,パッシブにこだわったのでしょう。でも,もともと暗い所ではいかに反射防止をしても見えるようにはなりません。単三電池1本で動く事にこだわった結果,ワンダースワンカラーは,普通なら市場に出ないだろう形で販売された,珍しい携帯機器だったと思います。

 そして時は流れ,ワンダースワンというプラットフォームに終焉が近づいた時,ようやくワンダースワンの理念を満足な表示品質で実現出来るときが来ました。今ではすっかり珍しくなった全反射型のTFTを搭載した,スワンクリスタルの登場です。

 ようやく価格もこなれてきた鮮やかで見やすいTFT液晶を採用しながら,消費電力の大きなバックライトを使わない反射型にこだわり,画質と消費電力をバランスしたスワンクリスタルは,確かに劇的に見やすさを改善していました。

 名前に与えられた「クリスタル」が,とても誇らしく感じました。

 全反射型のTFTはゲームボーイアドバンスでも使われていたものですので,当時としては珍しい物ではありません。でも,やっぱり周囲の環境に左右されてしまう反射型が淘汰されるのは目に見えていました。

 バンダイらしく,版権物のキャラゲーが主力となった末期のソフトラインナップには興味はなくとも,ワンダースワンに共感し,ワンダーウィッチにも手を出していた私は,スワンクリスタルも迷いなく入手します。

 しかし,以後ソフトも出てこず,私も別の事に興味を持つようになり,私のスワンクリスタルはほとんど稼働することはありませんでした。しかし,自分の身内のように感じられたワンダースワンだけはすべて大切にしておこうと誓い,スワンクリスタルを含むすべてのワンダースワンは,大切に元箱に収納されて保管されていました。

 事が動いたのは実家の荷物をすべて引き上げるときです。当然処分されることなく自宅に運び込まれたワンダースワンですが,動作の確認のためと娘の興味を惹くかもと,電池を入れて動かしてみました。

 グンペイを遊んだのですが,娘は関心を示さず,私も30分ほど遊んでまた箱にしまい込んだのですが,この時私は重大なミスをしていました。

 また近いうちに遊ぶからと,電池をそのままにしてしまったのです。

 それから3年,先日の話です。

 あるお店で,最近人気が高まっているワンダースワンカラーの,交換用の風防が売られていました。ガラス製なのでキズもつきにくく,見た目にも綺麗なのでちょうどいいと手に入れ,これで20年越しの「キズ」に決着を着けることが出来ると喜んで交換作業を始めました。

 傷ついた風防を取り外すのですが,風防の裏面の印刷と両面テープが本体に残ったままになってしまい,これを取り去るのに随分手間がかかったのですが,どうもこれが良くなかったらしいです。

 交換作業は終わったのですが,おそらくその時に指で触ったりねじったりしたせいで,どうもLCDにまだら模様が残っているのです。電荷が残っているせいかもと思いましたが一晩経っても消えず,よく見るとピクセルにまたがっていますので電荷によるものではありません。

 ならば偏光板の劣化だろうと思ったのですが,ここはあまり深追いせず,ワンダースワンカラーはこのままとして,スワンクリスタルで遊ぼうと箱から取りだしました。

 するとなにやら,白い結晶のような物がパラパラと出てきます・・・

 何だろうと思って本体をよく見ると,本体の通信コネクタに結晶がびっしり,隙間からも透明とライトブルーの粉が出てきています。何だろうとしばらく考えて,まさかと思って電池ケースを外してみました。

 そのまさかでした。盛大に液漏れしていました。

 元の電池の形をとどめないくらいにぐじゅぐじゅに融けてしまっています。これほど強烈な液漏れは私も見たことがありません。さすが,電池1本にこだわって昇圧のDC-DCコンバータを常時動作させる電源システムを持つワンダースワンです。電源OFFでも微弱電流が流れ続けます。

 これまで多くの液漏れを見て来た私ですから,分解掃除をすれば大丈夫,仮に基板のパターンが切れるほどの液漏れがあっても,少し確認して修復すればまた元通りになると軽い感じで開けてみました。

 これまで,たくさんの液漏れを経験してきましたが,これほどひどい液漏れは初めて見ました。もう,手の付けようがありません。基板が腐食しているというよりも基板に結晶が盛り上げられているのです。チップのトランジスタは,まるで砂糖菓子に埋め込まれたゴマのようです。

 こびりついた結晶を剥がそうとしましたが,それも難しい位基板に一体化して成長していました。様子を見たいということで紙やすりで結晶をはがしていきましたが,パターンもスルーホールも,もう手の施しようがないほど切れていました。

 当然電池を入れてもうんともすんとも言いません。修理不可能です。

 LCDもよく見ると,中央部が膨らんでいます。空気が入ったドームのようになっているそれは,LCDの不良を示していました。

 取り外してLCDを見てみますが,電解液が付着した形跡はありません。ただ,表面の偏光フィルムを剥がしてみると強烈に酸っぱい臭いがします。そう,ビネガーシンドロームを発症していました。

 21世紀のLCDにビネガーシンドロームが発生するとは思わなかったのですが,もしかすると電池の液漏れによって発生したガスがその引き金になったのかも知れません。

 ということで,LCDも基板も,たった1本の単三アルカリ電池を取り外さなかったことで,死んでしまいました。

 突っ伏した私を,妻と娘は,かける声も見つからないと,心配そうに遠くから眺めていました。

 ならば,せめてワンダースワンカラーを復活させよう,これでギレンの野望特別編を完遂しようと意気込んで,まだらの原因である偏光フィルムを剥がして交換することにしました。今思えば,その発想は自殺行為でした。

 しかして,これも大失敗。偏光フィルムを剥がしてみても,まだらは消えませんでした。あわてた私は反射シートを剥がしにかかりますが,なかなか剥がせません。仕方がないので糊を綺麗にすることにしたところ,まだらが消えました。

 そう,原因は糊にありました。糊をアルコールで完全に剥がすと,ようやくまだらはなくなりました。

 私はホッとし,新しい偏光フィルムを用意して,貼り付ける向きを確認することにしましたが,どの角度でも全然画像が見えてきません。裏返してもだめです。ようやく見えると思った角度でも,よく見ると色が反転しています。

 そうでした,STNのカラーLCDは,発色に複屈折を利用するので,白黒のSTNやTNで使われるような偏光フィルムを使うことは出来ないのです。

 糊に原因があるなら偏光フィルムそのものは再利用できるかも知れないと脇に無造作に捨て置かれたフィルムに目をやりますが,もはや傷だらけで再利用できる状態ではありませんでした。

 ここに至って,我が家のワンダースワンのカラー対応機は全滅し,カラー専用のソフトはゴミになってしまったのでした。

 ああ,なんと悲しい事か。

 当時の雰囲気を良く伝える部品や基板,LCDを見ながら,今も愛されるワンダースワンを愛でることは,とうとうかなわなくなってしまったのか。他のゲーム機はともかく,ワンダースワンだけは持ち続けようと最初から誓っていたのに,こんな不注意でだめにしてしまったのか。

 そもそも,貴重なスワンクリスタルをくだらない理由で失ってしまって,私はレトロゲームを持つ資格がないのではないか,そんな風に自分を責め,再び突っ伏した私を妻と娘は遠巻きに眺めていたのでした。

 ワンダースワンの設計のうち,まずかったなと思うのが,この電池1本で動作にこだわった点でした。いや,別に電池1本で動作させることそのものは問題ないですし,それで20時間も持たせる技術はさすがだと思います。電池1本にこだわる技術者の心意気に私も当時共感した覚えがありますし。

 しかし,1.5Vから3.3Vや5Vに昇圧する回路は,効率も良くないですし,電源OFFでも僅かとは言え結構な電流が流れ続けます。この僅かな電流というのが液漏れを一番誘発するのです。

 当時の私も液漏れを強く意識した設計を心がけていましたが,ワンダースワンでも液漏れを防ぐ為に,DC-DCコンバータの入力側,つまり電池とDC-DCコンバータの間を物理的なスイッチで切断することにして欲しかったと思います。この方法だと電池が完全に切断されますから,常時電流が流れることなく,仮に液漏れがあったとしても小さな被害で済むのです。

 しかし,ワンダースワンは電源ボタンを押しボタンにして,ソフトで管理することにしました。そのせいでCPUに電源を供給する必要が生じ,DC-DCを電源OFFでも常時動作させることになってしまったのです。

 電源スイッチをソフトではなく物理的なスイッチにするには,コストもかかるしデザイン面での制約もあります。でもですね,ワンダースワンには電池ケースが外れるのを防ぐスライド式のロックがあります。ここに電源スイッチを仕込んで主電源スイッチとしてくれれば,救えたワンダースワンもかなりあったんじゃないかと思うのです。

 あれこれ考えていてもどうにもなりません。

 スワンクリスタルは,基板とLCDの損傷。筐体は新品同様です。

 ワンダースワンカラーは,LCDが使えなくなりました。

 多数のカラー専用ソフトを楽しむために,今の私に出来る事は・・・

 続く。

さようなら,東芝未来科学館~その5

 東芝未来科学館の5回目,身近な家電品です。

(9)国産初の電気冷蔵庫 SS-1200(1930年)

 加熱,冷却は今では当たり前で珍しくもないのですが,考えてみるとこれは大変なことです。発熱も吸熱も化学的あるいは物理的な性質に頼るほかありませんが,エネルギーの供給をどうするかという問題と,温度をいかに制御するかという問題が解決しなければ,利用することが出来ません。

 どちらも強い要望があり,つまりは商売になるからということで開発が進んだ結果だといえるのですが,それにしてもものを燃やしたり,抵抗に電気を流せば済む発熱に対し,吸熱はなかなか大変だったろうなと思います。

 この電気冷蔵庫は現在主流のヒートポンプ式で,原型はアメリカGE社のものです。当時の小学校の先生の年収に匹敵する金額だったというから,どんな人が買った(買えた)のでしょうか。

 戦後の高度経済成長期に電気冷蔵庫が一気に普及し現在に至るわけですが,そのことで食品の売り方や買い方が大きく様変わりします。夕飯を作り始める直前に近所の魚屋や肉屋にその日の分だけ買いに行き,買ってきたらすぐに調理を始めるという方法しかなかったものが,現在は一週間分の買いだめが可能にほどになっています。まさに冷蔵庫さまさまです。

 とはいえ,それまで家庭に冷蔵庫がなかったのかいえばそうでもなく,氷を入れて冷やす冷蔵庫は普及していました。氷ですから,定期的な供給が不可欠ですので,そのために街に一つは必ず氷屋さんがあったと聞きます。

 私が子供の頃はまだ氷屋さんがありましたが,それもいつしかなくなってしまいました。氷で冷やす冷蔵庫もギリギリ見た事があるのですが,容量も今の独身者用の冷蔵庫よりももっと小さく,現在の冷蔵庫に求められる役割を果たせるようなものではありません。どんな使い方をしていたのか,知りたい所です。

 さて,このSS-1200ですが,せっかくだからとアテンダントの方が特別に扉を開いて見せてくれました。それがこの写真です。

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  中を見るまではドキドキしていましたが,開けてみると案外普通。アテンダントの方も「普通でしょ」と言われたことを記憶していますが,それだけ冷蔵庫の基本機能に変わりはないということでしょう。

 ただ,すごいなと思ったのは製氷皿があることでした。つまりこの冷蔵庫は氷が作れるという事なのですが,氷は庶民にとって手軽なものではなく,一般家庭で常備できるようになるというのは画期的なことでした。

 氷式の冷蔵庫は当然氷など作れるはずがありません。だからこそ氷屋さんが商売として成り立っていたわけですから,電気を使って冷却することの目に見える進歩は,おそらく氷が家で作れることにあったのだろうと想像します。


(10)ゆで卵器 BC-301(1959年)

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 卵は昔から日本人のタンパク源として重用されてきました。ゆで卵は食べやすく,持ち運びも困らず,高度経済成長くらいまでは歩きながら食べられるファストフードのような役割を果たしていたと聞きます。

 私もゆで卵は好きですが,難しいのは作ること。茹でると言いつつ適当に茹でてしまうと半熟だったり(私は柔らかいのはだめなのです),殻がくっついてむけなかったり,白身が飛び出してしまったりと,上手くいった試しがありません。

 それ以前にそれなりの時間がかかり,調理中完全に眼を放すわけにもいかないところが,私に取ってあまり親しみのある調理方法ではない理由かも知れません。

 このゆで卵器は1959年ですので,高度経済成長前夜の商品。戦後の電力不足が落ち着き,各家庭で灯りとラジオ以外に電気を使う製品で生活を豊かにと言う機運が高まると共に,各家電メーカーも創意工夫を凝らし,あの手この手で新商品の開発に夢中だった時代です。

 ジューサーや餅つき機などのこうした電気を使ったニッチな用途向けのキワモノ商品のうち,結局生き残ったのは炊飯器くらいのものだと思うのですが,このゆで卵器は今でも欲しいと思わせる商品です。

 だって,ここに水と卵を入れて放置するだけでゆで卵が出来上がっているんですよ,こんな便利はものはないでしょう。


(11)芝浦電気扇 C-7032(1928年)

 これは日本で最初の扇風機とは違って,一般家庭に普及し始めた頃のものです。原理的には現在売られているものと変わらず,交流100Vで動作し,風量の調整も首振りも可能なものです。これ,戦前の100年近く前のものですからね,

 その意味では,これをここで採り上げることもないのですが,アテンダントの方の計らいで,実際にうごかして頂いたので採り上げました。

 動いてしまえば今の扇風機となにも変わりません。風邪もしっかり来ますし,首も振ります。独特の風斬り音も今のものとそんなに変わりません。

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 感心したのが,現在一般家庭に普通に供給されている交流100Vで動作するということです。例えばですね,20年前の携帯電話を持っていたとして,これが今使えますか?

 カセットテープはまだいいとして,オープンリールテープが出てきても,これを再生することはかなり難しいはずです。

 ブラウン管のテレビはどうですか?ミニディスクだって大変でしょう。フィルムのカメラでも,110フィルムと呼ばれたカートリッジフィルムを使うポケットカメラなんか,かなり難しいんじゃないでしょうか。

 そう,大切に持っていても動かす事が出来ないのが当たり前であるなかで,今もそのまま一般家庭で使えることを目の当たりにすると,システムの継続性がいかに大切な事かを痛感します。


(12)マツダ電気蓄音機オリオン800号(1933年)

 1933年といえば,日中戦争が起こる4年前,そろそろ世の中がきな臭くなり,対象から昭和の初期にかけての自由な空気が変わるころです。

 真空管の発明に端を発したエレクトロニクスは,リアルタイムで音声を飛ばすラジオと,過去の音声を何度も再生出来るレコードの2つのオーディオ製品を一般的なものにしました。

 とはいえ,本場アメリカでも高価だったものが,当時100%もの関税をかけて輸入されたされたのですから,まさに家一軒のお値段。そこにさらにレコードを買う必要も出てくるとあれば,本物のお金持ちしか買うことが出来ません。

 ゼンマイとラッパを持つ蓄音機の価格よりもずっと高価だった電気蓄音機がこうした立派なキャビネットにおさまっているのはそうした理由からでしょうが,これも偶然実際に音を出してくれている場面に立ち会うことが出来ました。

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 当然SP盤なのですが,これが想像以上にいい音がするんですよ。もちろんノイズも多いし,強弱はつかないし,高音は出ないのですが,低域の豊かさと中域の艶やかさは素晴らしいものがあります。これを100年前の人が聞いたら,そりゃー感激するはずです。

 ちゃんと調べていませんが,当時の高級電蓄では2A3がよく使われたと聞きます。これももしかしたら2A3かも知れません。

 

 本当はもっともっと紹介したいのですが,きりがないので今回で最後です。

 繰り返しになりますが,今回紹介したものだけでも,東芝という会社が果たした先駆的な役割は大きなものがあると思います。

 我々はあまりその事実を知りませんし,東芝も声高に言いはしません。ですが,私のような興味のある人が知っているというだけではもったいなく,もっと広く知られてもよいと思います。。

 東芝という会社は我々からとてもとても遠いところに行ってしまいましたが,身近だった時代でさえも控えめだったことは否めません。今からでも構いません,日本の電気は全方位で東芝が先頭に立ってきたと,胸を張ってアピールしてくれたらなあと,そんな風に思います。

 

さようなら,東芝未来科学館~その4

  東芝未来科学館の4回目,今回は半導体です。

 前回も書きましたが,東芝は電球を祖業としていて,電子管でも確固たる地位を築いたメーカーでした。

 能動素子である電子管のトップメーカーになったことから,次の世代の能動素子であるトランジスタへの移行は既定路線で,当然のようにICやLSIでも先頭を走り続けます。

 総合電機メーカーが半導体を手がけるのは日本独自の傾向と言っていいかもしれないのですが,自社の家電が大きな商売になっていて,半導体の大口顧客が確実に存在したことに加え,ICやLSIが自社製品の競争力を高めると言ったような互いにメリットのある関係が,日本の半導体を底上げしてきたと思います。

 アメリカの半導体が軍事に支えられて発展したことは有名ですが,日本では家電がその役割を担いました。だから,日本のメーカーはDRAMなどのデジタルだけではなく,民生用のアナログ半導体も世界最強だったのです。

 日本の家電が凋落し,同時に日本発のユニークなアナログ半導体も存在感を失いました。東芝もその1つですが,皮肉なことに中国や台湾の半導体メーカーが東芝生まれの民生用アナログ半導体の互換品を生産してくれています。

 いわば世界標準になったということですが,1980年代,アメリカやヨーロッパのICの互換品を日本の各メーカーが生産していた時代に,私などは日本のオリジナル品種を海外メーカーが互換品として生産する日が来るのだろうかと思ったものです。

 まさに今そうしたことが起きているという事に,隔世の感があります。

 それから,これも過去に書きましたが,東芝はアマチュアに優しいメーカーでした。東芝のトランジスタやダイオードは高性能で安くて入手しやすいことから自作の標準部品として君臨しますし,子供向けの工作の雑誌には広告も出してくれていました。

 そういうこともあり,私にとって東芝の半導体は育ての親のようなもので,もう少し展示を増やして欲しいと思っていたのですが,まさか一般公開をやめることになるとは・・・


(7)NANDフラッシュメモリ TC584000(1990年)

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 今や半導体メモリのテクノロジーリーダーとなったNANDフラッシュ。書き換え可能,電源を切ってもデータは消えず,しかもHDDを置き換えるほどの大容量を実現したこの記憶素子は半導体の新しい応用分野を切り開きました。これも東芝の発明品です。

 もちろん,記憶素子は以前からありました。古くは水銀遅延線,後に主役となったコアメモリは電源を切ってもデータが消えないメモリでした。

 半導体を使ったメモリはフリップフロップを応用したスタティックRAMと,コンデンサに電荷を蓄えることで記憶するダイナミックRAMが大きく発展します。前者は回路技術で,後者は素子の特性で記憶を行うメモリという根本的な違いがあります。

 一方で,スイッチとして機能するトランジスタのゲートに,あらかじめ電荷を閉じ込めておくことで半永久的にそのトランジスタをON/OFFしておく,書き換え可能な読み出し専用メモリ(ROM)が登場します。

 実はトランジスタ1個で1ビットの記憶が可能なROMは,読み書き可能なRAMに比べて集積度が高く,同じ世代では最も大容量を実現出来ていました。しかし,電気的に書き込みが可能なEEPROMについては書き込みや消去の回路が大きく,なかなか普及しません。

 そこでインテルが,消去や書き込みをバイト単位ではなく,ページというもっと大きな単位で行うフラッシュメモリを開発,一気に市場が大きくなりました。

 そんな中,NANDフラッシュが登場します。NANDフラッシュは隣り合うFETを部分的に共用することで,1ビットの記憶を平均1個以下のトランジスタで実現しました。

 ただし,読み書きには強い制限がつきます。コントローラでその制約を隠蔽化して各種メモリカードに搭載されるようになって,大きな市場を手に入れました。

 1998年頃だと思いますが,それまで高価だったコンパクトフラッシュがいきなり半額ほどになったことがありました。これがNANDフラッシュの実用化によるものだったと知るのは,もう少し後のことです。

 写真は4MbitのNANDフラッシュ,TC584000です。世界で最初に市場に投入されたNANDフラッシュです。

 容量は4Mbitですから512kバイトですが,4Mバイトという当時大容量のメモリカードがわずか8チップで構成できるという事で,HDDなどの回転系メディアの独壇場だった外部記憶装置が,いよいよ半導体に置き換わるんじゃないかという気配を感じました。

 そんなNANDフラッシュも,今や東芝の手を離れ,別の会社として開発と生産を担っています。半導体は文字通り桁違いのお金がかかるので,経営者に熱意や意地がなければ続けられないものですが,本当に危険なギャンブルという性質が強いだけの産業なら,とっくの昔になくなっていても良さそうなものです。

 でも,実際にはそのギャンブル性はおさまるどころかますます強まりながら,技術の進歩と各国の思惑を飲み込み,今も巨大産業として君臨しています。

 総合電機メーカーが半導体を手がけるデメリットは,特に半導体に思い入れも興味もない人が経営者になったときに,簡単に撤退や縮小が起こってしまうことにあるのかも知れません。


(8)1MbitダイナミックRAM TC511000(1984年)

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 コンピュータにとって記憶装置は不可欠な要素なのですが,かつてはとても作るのが大変な代物でした。10個や20個の記憶ならいざ知らず,数百数千数万もの記憶素子を規則的に並べ,しかもエラーがないように作るというのは気が遠くなるような話ですし,事実黎明期のコンピュータにとって頭の痛い問題は,このメモリをどうするかでした。

 最初期にはフリップフロップを用いたり,コンデンサを使ったもの,磁気ドラムなどもメインメモリに使われた例があるようですが,どれも大量生産に向いておらず,高価なものでした。

 やがてコアメモリが多く使われるようになりますが,これとて電気-磁気変換を応用したものでしたし,米粒のようなコアに銅線を縦と横に通すという,まさに「編む」という作り方でしたから,小型化,大容量化,低価格化には限界が見えていました。

 そこに登場したのが,ICメモリです。ICはフォトマスクから同じ物がどんどん生産でき,歩留まりが上がれば価格も一気に下がります。まさに印刷であり,これを単純な阻止が多数集まったメモリを作るのに最適と考えるのは自然な流れでしょう。

 まずはフリップフロップを集積したスタティックRAMがICになりました。シフトレジスタという形で数個からスタートしたスタティックRAMは,数十,数百と容量を増やしますが,表面化したのは消費電力です。

 例えば,256bitのチップ(インテルの1101Aなど)で1kバイトのメモリを構成するには32個のチップが必要です。それでも1kバイトというメモリをたった32個のICで構築出来ることは画期的な事だったのですが,この時の消費電力は1チップあたり最大685mWなので実に20Wを越えます。

 ここでインテルは次の一手に出ます。ダイナミックRAMです。コンデンサに電荷を蓄えて記憶するメモリですが,スタティックRAMに比べてトランジスタの数は1/4で済みます。

 つまり,同じ世代のICなら,スタティックRAMの4倍の容量になるわけで,事実先程の1101Aと同世代の1103は1kbitの容量でした。ということは,1kバイトのメモリはたった8個で作る事が出来るわけです。

 ただ,コンデンサの電荷は時間が経つと抜けてしまいますので,定期的に再書き込みが必要です。こうした欠点を持っていながらも,ダイナミックRAMは今なおコンピュータのメインメモリとして王座を守り抜いています。

 さて,4kbit,16kbitとアメリカのメーカーの後塵を拝し,互換品メーカーとして少しずつ規模を拡大しつつあった日本の半導体メーカーですが,1970年後半に世界に先駆けて64kbit品の開発に成功,その後数世代にわたって大容量品の開発をリードし,品質の高さも相まって世界市場を席巻します。

 そんな中,東芝は64kbit品の開発の後れをとり,存在感が希薄になってきました。ある新聞には東芝がダイナミックRAMから撤退する,とまでかき立てられる始末ですが,ここで東芝は256kbit品での勝負を捨て,一気に1Mbit品の一番乗りを目指すことになります。

 当時はちょうど,プロセスがNMOSからCMOSに切り替わる時期で,東芝はこの1MbitのDRAMをNMOSとCMOSの両方で同時並行で進めました。最終的にCMOSが有利とみて製品化されたのはCMOSだったわけですが,実はこの製品によって,汎用のダイナミックRAMはCMOS化に舵を切ることになるわけです。

 その点では,単なる大容量化ではなく,現在当たり前になっているCMOSのダイナミックRAMの第一号だったわけで,特に消費電力の低減に威力を発揮して,その後のメモリの歴史を書き換えるのです。

 写真はそのCMOSダイナミックRAM,TC511000です。

 東芝はその後4Mbit,16MbitとダイナミックRAMを主力商品として開発を続けますが,その後は韓国企業の追い上げと価格競争に敗れ,撤退を余儀なくされます。他の日本のメーカーも同じような状況でしたが,かつてインテルが日本のメーカーに敗れて祖業であったダイナミックRAMから撤退したことと重なって見えたものです。

 

 さてさて,今回紹介したのは展示があったものですが,本当なら以下の展示もあって当然だと思っています。


・世界初の自動車用エンジン制御マイクロプロセッサ T3153(1973年)

 アメリカのフォードの要求で開発された,世界初のエンジン制御用のCPUです。世界初のCPUとは言いませんが,4bitそこらの電卓用CPUでリアルタイム制御が出来るはずもなく,タンスくらいあった12bitのミニコンをLSIで作ったものです。

 当時,PDP-8などのミニコンピュータは生産設備や計測機器の制御にも使われていて,エンジンの制御も当初ミニコンで実験されていたそうです。

 これをそのまま自動車に搭載可能に,というフォードの要求はまさに無茶で,トランクに収まるくらいが現実解だったことでしょう。

 でも,それではコンピュータを運んでいることになるわけで,エンジンの付属品として実用に供されるには,やはりLSI化しか答えはありません。

 ただLSIで作ると言うだけではなく,振動,高温や低温,寿命や信頼性という点で桁違いのスペックを要求される車載半導体における,世界初のCPUです。もっと注目されてしかるべきでしょう。

 面白いのは,このCPUはマイクロプログラム方式で作られていました。そう,KT-Pilotです。改良版のT3190では乗除算命令が追加になりましたが,これもマイクロコードで実装されていたそうです。


・トランジスタ

 世界の標準品種として使われる2SC1815は,1970年代に登場した2SC372を源流とします。2SC372から2SC1815,そして2SC2458から2SC2712と,その基本性能は変わらず現在も親しまれています。

 もちろん,2SC372以前にも標準品として2SB56といったベストセラーがあり,当時のトランジスタラジオにはよく使われていました。トランジスタの生産量がアメリカを抜いて世界一になった頃の製品です。

 FETについても実は大きな足跡を残しています。初期のFETである2SK19は高周波用として,2SK30Aは低周波用として現在も使われているロングセラーです。東芝の半導体は日本のオーディオブームも性能と価格でささえましたが,2SK170や2SK389,2SK405などはその音質で定評がありました。

・スマートメディアとSDカード

 NANDフラッシュの発明は前述の通りですが,その応用製品としてスマートメディアは異色でした。

 当初,SSFDC(Sold State Floppy Disk Card)と呼ばれたものですが,いってみればNANDフラッシュをカードサイズにパッケージしただけのものでした。

 記憶が正しければセガのデジカメに初採用,その後デジカメブームにのっかって,当時の有力メーカーである富士フイルムとオリンパスに採用されたことからメジャーなメディアになりました。

 しかし,容量アップやプロセス進化,電源電圧の低下といったNANDフラッシュそのものの違いがそのまま外部に出てしまうことから,本体側での対応が必須で互換性の維持が大変で,いずれ破綻することは目に見えていました。

 さて,SDカードも実は東芝が開発メーカーです。厳密には東芝と松下電器の共同開発で,ドイツのシーメンスが開発したMultiMediaCardに著作権保護機能を追加して,音楽や映像を記録する媒体として登場しました。

 デジカメの市場が拡大するに従ってコンパクトフラッシュ,メモリースティックと激しい覇権争いが起こりましたが,さすがにNANDフラッシュを自ら作る東芝が主導するだけあって,容量や速度で常に先頭を走り,小型メモリーカードを制しました。

 日本初の規格が世界を制覇するケースは未だにそんなに多いわけではなく,しかも現在進行形で先頭を走っているSDカードが日本生まれであることを,もっと知って欲しいなあと思います。
 

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