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東京からの脱出 : Day3 ~ 富山を離れる

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Day3 : 2025年12月28日
富山地方鉄道特急 10:20宇奈月温泉発 10:37新黒部着
はくたか560号 11:34黒部宇奈月温泉発 13:52東京着

 3日目はいよいよ東京に戻る日です。東京は嫌いでもおうち大好きな私をして帰りたくないなあと思わせる,素晴らしい旅行の締めくくりです。

 この日は東京に戻ることだけを目標にしたまさに移動日。無理をしない日程を組むことが心の余裕や贅沢感を生むと信じての計画でした。

 妻の提案で,富山地方鉄道の電車を新幹線に接続する1本前の物にしました。これだと特急ですので乗車時間は短いですし,お土産や弁当をゆっくり買うことが出来るんじゃないかという作戦です。そもそも新幹線の駅なんだから,時間を潰す方法なんていくらでもあるだろうと思っていた訳ですが,これは後々誤りだったことを知ります。

 宿では最後の朝食を頂きます。他のテーブルの人たちはどうやら2日目の朝食がほとんどで,我々の昨日のものと同じようです。我々だけが違ったものを食べていますが,それがまた昨夜の続きのような贅沢なものでした。朝からイカの刺身が出るのか・・・

 昨日に続き,特製のだし巻き卵はとても美味しく頂きました。ご飯はおかわりすることが出来ませんでしたが,富山産のコシヒカリを上手に炊くとこうなるという,今どきの美味しいご飯を堪能しました。

 こういう食べ物を売りにした宿の本気は,2泊3日でこそ味わえるんだと思います。2日目の夕食と3日目の朝食は,我々専用の特別食かと思いましたもん。

 名残惜しい宿を後にし,昨日以上の好天に恵まれた宇奈月温泉駅までを徒歩で楽しみながら進みます。なに,時間はたくさんあります。私にしては珍しくお土産で増えた荷物をぶら下げながら,歩いて行きます。(あ,お土産は基本的には自分たち用で,特に娘が昔から好物なます寿司を3人前,この日の夕食用に買って帰りました)

 それでも10時前に宇奈月温泉液に到着,韓国語などの様々な言語が飛び交う待合室で電車の到着を待ちますが,往復乗車券を買ってあった我々は,特急もそのまま乗れてしまうので気が楽です。

 ゆっくり座席を確保し,新黒部駅を目指します。たった17分の乗車で,無人駅をすっ飛ばして走りますので,曲がりくねった揺れる線路を,うなりを上げて爆走する電車にちょっと体がこわばります。

 定刻通り到着,2日前に吹雪いていた新幹線の黒部宇奈月温泉駅との連絡路にある横断歩道を渡ると,もうそこは東京に繋がる駅です。寂しいなあ。

 ところで黒部宇奈月温泉駅は想像以上になにもない駅で,親切された新幹線の駅なんてのは,周囲になにもない上に,駅そのものも殺風景で,どこも基本構造は同じで,お土産を売っているところもなく,駅内のコンビニに少しの駅弁と一緒に売っている程度です。

 ただ,その駅弁も富山らしくリーズナブルなくせに贅沢で,これも妻の提案で買ったお重タイプの弁当が,期待以上の豪華さでした。まさか棒巻きや煮こごりまで入っているとは。

 行きとは違って特に遅れることもなく到着した新幹線に乗り込みます。ここでも特に外国人観光客のマナーの問題を目にすることはありませんでしたが,彼らは自分たちの周囲の状況に目を配るほどの余裕がまだないとみえて,とりあえずリクライニングを目一杯倒すことに躊躇しません。

 誤解を恐れずに言えば,もらえる物はすべてもらうという意識で,自分にとっての適量とか,周囲と分け合うということに,まだ気が回らないんだろうなと思いました。そこに悪意がないから逆に面倒とも言えて,これは少し前の日本人が海外でやらかしていたことと同じだなあと思っては,いずれやってくるゆとりの時代が楽しみになるのでした。

 行きと違って,徐々に人が乗ってくる上りの新幹線は,東京に近づくほど気ぜわしさが増します。さっさとお弁当を食べるのがいいんですが,3人で上手く弁当を分けるのがなかなか大変で,疲れもあって我々家族のテンションはやや下がり気味です。

 読書をして東京に着いたのが14時前。果たして東京駅のホームは,私がここ数年で遭遇したどんな人混みよりも,混乱していました。ちょうど12月28日と言えばまだまだ帰省ラッシュの激しいときです。我々にとっては帰る電車でも,多くの人はこれから出発する電車になることをすっかり忘れていました。

 地下鉄に乗り換えるのに便利な出口までホームを歩こうと思いましたがとてもそんなゆとりはなく,したかがないので途中で階段を降りましたが,これが失敗でした。おかげで予定以外の場所に出てきてしまい,自分のいることがわかりません。しかも人の流れ逆らう方向で歩くことになるため,とにかく前に進みません。お土産もここへ来て大きな負担になります。

 改札を出たあたりで紙袋が割けてしまい,思わず「あっ」と声をあげては周囲の注目を浴びるなどと言う,もう何年も経験していない失態をしながら,まさに溺れるように人をかき分けて進みます。

 それにしてもなんど人の多いことか。昼時にしては遅いのにどこも飲食店には長蛇の列で,これがまた人の流れを妨げます。しかも,外国人目当てのキャラクターショップが東京駅の地下には軒を連ねているんですね,これがまた人混みを作り,人一人分の面積を専有する大きなスーツケースが我々の行く手を阻みます。

 だあああああああああ,もうええかげんにせえよ。

 我々が降りた地下通路では,途中から地下鉄への案内が消えていたので,ここで我々は遭難することになったわけですが,ここは妻が機転を利かせ,ipadで我々を誘導してくれました。おかげで少しずつ人が減り,ようやく年末のビジネス街らしい風情になってきました。

 地下鉄はやっぱり地元の人の下駄ですよ。周囲の人の表情にゆとりがありますもん。

 なんとか大手町までたどり着き,地下鉄で自宅の最寄り駅まで戻ってきました。娘も久々に膝が痛くなったそうです。いやはや,最後の最後にこんな恐ろしいことがあるとは。

 いつもそうなのですが,旅行は戻ってくるときの陰鬱な気分が嫌で,それでそもそも行かなくなってしまいました。かといって片道切符というのも悲しい物があるわけですが,それでも自宅に戻るまでの日常が嫌で旅行に出かけるのに,どの道中も旅行の一部とされてしまうことが,やっぱりいつになっても慣れません。

 帰宅し,ほっと一息コーヒーを飲み,家族とのんびりしながら振り返ります。徐々に日常にスイッチが切り替わり,そのうちあわただしい年始に向けた準備が始まります。ああ。

 帰りは失敗しましたが,ひとまず大きな事故も事件もなく,無事に戻ってきたことに安堵し,根が生える前に洗濯物や荷物の整理をして,今回の旅は終了。

 総括すると,富山は観光地ではないかもしれないが,それゆえにゆとりがあり,焦る旅,詰め込む旅にならずにすみました。そして富山は食べることを目指す場所であり,だからこそ富山の人は食べるためにやってきた我々を歓迎してくれ,うれしいことに自分たちと一緒に扱ってくれました。

 外国人の観光客も少なく,全体に人が少ないことも楽でしたし,出会う人は基本的に富山の人ばかり。スーツケースを転がす不愉快な音に興ざめする我々にとって,普段着に小さい荷物でうろうろ歩くことをが,純粋に楽めた素晴らしい3日間でした。

 食べる事が好きな人が,食べる事を売りにしている場所に,食べる事を目指して旅する。観光客用に作られた観光地を回るのではなく,そこにある普段の生活とその延長にあるものをそのまま出してもらう。観光客にとって,珍しいものや興味深いものは,なにも綺麗な景色やお城やお寺だけではないということです。

 富山地方鉄道には地元のお年寄りや,高校生が乗っていました。同じくらいの数,我々のような観光客も乗っていました。そう,彼らの日常に少しお邪魔させて頂いて,そこに住み着いているかのような体験をさせてもらえたことが,私は何よりうれしいと感じました。

 夏の富山もいいでしょうね,今度は氷見とか,少し地域を変えてもいいかもしれません。日本海側の冬はもちろん寒いですが,東京のように空気が乾いてカサカサになるわけでも,刺すような空っ風が吹いているわけでもありません。冷たいけどしっとりとした風も,澄んだ空気も,視線を上げればいつも綺麗な山と空が見え,どこにも濁ったものが視野に入ってきません。そりゃそうです,ただただ厳しいだけの冬なら,おそらく誰も住み着かないですもんね。

 富山,いいですね,本当にいいですね。

 ところで,今回の旅行では,妻の貢献に随分救われました。私は下調べをほとんどせずに,行き当たりばったりの旅を楽しむつもりもあったのですが,それにも限度があって,困るレベルまで調べることをせずにいました。面倒がらずに冷静に調べて対応策を導き出す柔軟性に,私は今さらながら脱帽です。

 最後に,お世話になったサン柳亭の方々,そして富山のみなさんに,感謝です。また行きますね,富山。

 

東京からの脱出 : Day2 ~ 富山で過ごす

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Day2 : 2025年12月27日
富山地方鉄道 10:50宇奈月温泉発 11:34新魚津着
魚津市内を散策しつつ寿司屋で昼食
あいの風とやま鉄道魚津駅に戻りタクシーで魚津水族館まで移動
魚津水族館から徒歩で富山地方鉄道西魚津駅まで移動
富山地方鉄道 15:24西魚津発 16:20宇奈月温泉着

 さて,翌日はゆっくり目覚め,のんびりと支度をしてから朝食を頂きに食堂へ行きます。朝食はバイキング形式ではなく,伝統的な日本食で,それも目当てで この宿を選びました。塩鮭とご飯と味噌汁に海苔と卵にお漬物。それでも我々の日常に比べてとても贅沢な朝食です。

 しかしここでも期待を越えた朝食が出てきました。焼き魚だけではなくつくねやお野菜の蒸し物,湯豆腐,その他朝ご飯とは思えないような品数と物量で,正直かなり無理をしてお腹に収めます。小食な娘が早々とギブアップするのは予想していましたが,私のような成人の男がかなり大変な思いをして完食することは想像していませんでしたし,ついでにいうと他のテーブルではご飯のおかわりが普通に行われていたことに,自分の食べる量が少なくなっていることを実感しました。

 そしてこの満腹感が,この日の昼食の印象を左右します。

 2泊3日の2日目,丸一日富山にいる事の出来る日です。しかし何の予定も考えていません。そんなにギチギチと予定を詰め込むのも面倒ですし,そもそも予定を考える事からも逃げたくてここまで来たのです。

 そんな中,妻が頑張ってくれました。宇奈月温泉から新魚津まで移動し,ここにある水族館を見ようではないかと。水族館にハズレはありません。

 お天気も良く,心配していた前の晩の雪も除雪されていましたし,距離も思ったほど短いことがわかって,宿から宇奈月温泉駅まで歩くことにしました。これが大正解で,冷たい日本海側独特の空気が気持ちよく,見通しの良い山と空が日本海側独特の色合いで綺麗に映えています。足下には黒部川。なんと楽しい散歩でしょう。

 駅に着くと,昨日の写真にあった元京阪の車両が止まっていました。これに乗り込み,この電車の終点である新魚津まで,出発です。

 天気の良さも手伝って,景色も楽しく,気が向いたら本に目を落としつつ,到着したのが11時半過ぎです。旧北陸線時代にほとんどの特急が停車した典型的な地方都市の趣は,貨物列車のために用意された多数の線路とポイントで演出されて,鉄道好きの心を否応なく盛り上げてくれます。

 ちょっと瞬間接着剤が必要になり,駅から少し歩いたところにあるコンビニに入ると,これがなかなか面白いのです。普通のコンビニと思いきや,さすが駅近くのコンビニだけあってお土産も充実しています。

 富山らしくよもぎ餅や昆布餅が手頃な値段で売られていたり,どっかで見たようなロゴで「STAR UOZU」と書かれたTシャツとか,ブラックラーメンなども並んでいます。こういうところで買うお土産というのは,小綺麗ではないかも知れませんがもらった方は面白いものです。お餅を三種類ほど買って店を出ました。

 次に立ち寄ったのが地元のスーパー。ナショナルブランドの商品は東京と同じかやや高めなのですが,さすがに魚介類は安い上にどれも美味しそう。これが魚津の日常なのだと思うと,羨ましいと思うほかありません。甘エビ,カニ,ブリ,鰆が実にリーズナブルな値段で並んでいます。

 野菜も果物もなかなか美味しそうでお手頃価格です。いや,東京がおかしいのでしょう。東京では美味しいものが食べられます。しかしそれは高価で,特別な場所で食べるもので,普段食べるものとは違います。普段食べるものこそ美味しいものというのは,実はとても贅沢なことだと思います。

 こうして富山の人の日常を垣間見て,スーパーを後にします。

 そうこうしている間にちょうど昼食の時間です。富山湾寿司なる物を食べないことには,と富山の観光案内のホームページに吹き込まれた我々は,それがどんな物かをあまり予習せず,少し奥に入った住宅街のお寿司屋さんの富山湾寿司と,先程のスーパーの中にあるラーメン店のブラックラーメンの2つを候補に,歩きながら考えました。

 私は暖かいものが食べたかったのでラーメンに1票を投じたのですが,10票を保有する絶対権力者の娘が富山湾寿司に票を投じたことであっけなく決着,先程のお寿司屋さんに入りました。

 10貫のお寿司にブリ大根がついて3800円と,それなりにリーズナブル。とはいえ,他のランチメニューが軒並み1000円とか1500円であったことを考えると,これだけちょっとお高めの価格設定で,やはりこれは観光客を狙ったものだとわかります。

 それも含めて注文するのですが,実はこの時我々3人はまったくお腹が空いておらず,富山基準の3人前は無理だろうと考えて2人前にしましたが,それは正解でした。というのも,量が多かったと言うよりは,あまり美味しくなかったのです。ブリ大根はなるほど美味しかったと思いますが,ブリの頭の部分でそれほど食べるところがあったわけではありません。お寿司そのものも,もちろん東京で食べるものに比べて美味しかったのは当然ですが,かといって宿の食べ物と比べればもう全然です。

 しかもお店の人も結構無愛想だったのですが,大した問題ではないですし,地元の人に愛されるお店というのはそういうもので,一見さんの観光客にいちいち愛想を振りまくようなものでもないので,気にはしていません。でも,観光客かどうかは関係なく,無視されるとか相手にされないとかは,普通に失礼なことだとは思います。

 今ひとつな感じがしつつ,魚津駅に戻ります。幸いタクシーが1台止まっていました。お,運転手さんは居眠りをしています。いいですねー,こういうの。

 コンコンと窓を叩いて起こし,水族館までとお願いして5分ほどで魚津水族館に到着。富山湾と水産物の富山県唯一の水族館であると同時に,現存する最古の水族館だそうです。そして全面アクリル製トンネルの設置も日本初とのこと。

 それ以前に地域に愛される水族館であり,小さい子どもを連れた家族,カップル,高校生の集団など,なかなか賑やかな雰囲気が好感触です。

 とはいえ正直なことをいうと,それほど期待していませんでした。水族館はどこも最近派手になっていて,お金も手間もかかり,規模も大きなものになっていないと生き残れません。富山市内から手軽に来ることの出来る場所にあるわけではなく,建物も古く,お世辞にも綺麗で清潔な感じがしないわけですから,そんなに珍しくもない魚がチョロチョロといる程度だろうと思っていたのです。

 しかし,それは違いました。まず,コンセプトがすごい。水族館ですから,そこにいるのは魚ですが,生きて動いている魚であると同時に,それは食べ物なのです。富山湾にいる魚を食べる,これがブレない水族館でした。

 その予兆は,すでに手にした入場券からわかります。

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 いやいや,入場券の写真に甘エビの寿司(しかも卵のせ)は強烈です。我々がなにを見に来たのか,わかってないんとちゃうかい?

 見学をすると,やたらと「食べる」が目に付きます。まあ,食べ物が泳いでいるんだから,そりゃ食べるわな。

 しかし,我々家族はこれを見て言葉を失います。

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 オオグソクムシを食べる,だと?

 しかも,蒸し焼き,揚げ焼き?食べる気満々やんか。

 それで美味しかっただと?いや,ここ水族館でしょ?しかも飼育員二人で食べてる。

 圧倒されました。海にいるものならなんでも食べる。美味しく食べる。それが富山なのです。

 他にも,リュウグウノツカイを食べてみたり(体長3mもあるのに脳みそは17mmしかないとか,ひどい言われようでした),いちいちその味をまずかったと書いてくれていたりして,とにかく富山湾と食べる事からブレないことに,真面目な話,富山がますます気に入ったのでした。

 ひととおり見学を済ませ,徒歩で富山地方鉄道の西魚津駅に向かいます。15分ほどゆっくり,時々見える日本海縦貫線の貨物列車に声を上げながら,人が全くいない農道を歩いて,無人駅の西魚津駅に到着です。娘は無人駅の存在に驚いた事でしょう。

 電車の到着までに30分ほどありますから,写真を撮ったり少し散策したりと言うのが,無人駅の自由度です。一度ホームに入ってしまうと出られない有人の駅とは違って,この開放感も無人駅の魅力だと思います。

 途中,並走するあいの風とやま鉄道を疾走する貨物列車を大慌てで撮影,かつて北斗星で活躍したEF510 500番台の雄姿が冬の富山を疾走,いやー,青の車体の格好いいことよ。

 時刻表どおりに到着した電車に乗って宇奈月温泉駅まで約50分,のんびりとローカル私鉄の旅です。宇奈月温泉駅からは雪も溶けて歩くのも楽になったので,疲れていたけど徒歩で宿まで歩きました。

 そしてその日の夕食に我々はまた驚かされます。前日に魚がいいか肉がいいかと聞かれたのですが,魚がいいと答えたところ,初日を越える質と量が出てきました。これ,お金は大丈夫なんか?

 ノドグロを筆頭に,まさに言葉通りに甘い甘エビ,溶けるようなイカ,脂ののったブリと,食べきれないほどの舟盛りが出てきました。さらに毛ガニ。これも無言で食べ尽くします。ブリ大根も並んでいます。

 やっと食べたと思ったら,氷見産の牛の一口フィレステーキが・・・富山の人の一口は我々よりも相当大きいようです。私はレアはダメな人だったのですが,これまで食べたことのない新しい食べ物に遭遇し,気が付いたら平らげていたという感じでした。

 食べ物については私は詳しくないですしその素晴らしさを伝えるほどの言葉を持ちませんが,1日目もすごかったけど,2日目はさらにすごくて,普通なら食べきれない量を,おいしさで食べきったという感じです。これぞ非日常。まさに板長の本気を見せて頂きました。お酒は黒部の銀盤というそんなに高くないお酒を熱燗で頂きましたが,これもまたとても美味しくて,食べる事と飲むことに私のすべてを捧げた2時間でした。

 

東京からの脱出 : Day1 ~ 富山に向かう

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 家族で富山に行ってきました。先にいっときます,冬の富山は本当にいいです。

 きっかけは,東京からの脱出。右を向いても左を向いても自分の事しか考えていない人が自分勝手に闊歩し弱者のみならず弱者への思いやりすらを弱みにつけ込む。そんな山手線の駅を降りて会社までの道すがら,沸々と湧き上がる紫色の煙のような負の感情が,会社の自席に着いた途端に「もうええ加減にせえよ」に昇華し,その刹那東京からの脱出を,ひったくるように渇望するに至ったのです。

 大げさですけど,こんなことってあるんだなと思いました。何事も悪い方に考え,慎重に慎重に,衝動的な判断に身を委ねないことを常としてきた私ですが,瞬発力に背中を蹴飛ばされることのなんと心地の良いことか。

 とはいえ,それまでに旅行が許される条件が整っていたことも大きくて,本当に突発的だったかと言われれば実はそんなこともないのかも知れません。

 それは娘の手術が終わって1年経ち,日常を取り戻しつつあることもそうでしょうし,家族が揃って年末年始を過ごす機会が,今後減ることはあっても増える事は決してないという現実的な見通し,本人の病気や親の介護などの自分ではコントロール出来ない,しかし必ずやってくる面倒ごとが今は成りを潜めているということ,なによりこれまで一度も家族で旅行はおろか,帰省も含めて揃って外泊をしたことがないという異常な事実に対する負い目も,今回の判断のしきい値を引き下げてくれました。加えて年末の連休が長いことも,ひょっとしたら昨今の国際情勢から海外からの観光客が減るんじゃないかという期待も後押ししました。

 こういう判断は得てして良い結果を生むものです。ならば後戻りできないように,その場で妻に連絡,相談と言うより半ば決定事項として伝えて快諾を得ると,具体的な行動として場所の選定です。

 これも衝動的に,富山に決め打ち。妻は寒さが苦手で暖かいところに行きたがるのですが,私はなぜか冬は寒いところに行きたくなるのです。いや,スキーとか冬山登山とか死ぬほど嫌いですよ。

 母親が福井の出身で冬の北陸には特別な思いがある私にとっても,冬の富山は未経験です。でも,富山の話は良いことばかり。

 いわゆる観光地は少ないですし,特に冬は雪に閉ざされて身動きが取れません。もちろん日本アルプスにアタックする人には特別な意味を持ちますが,我々家族がそんなことをするはずもありません。

 しかし,富山は海の幸と綺麗で美味しい水があります。異口同音に刺身とお寿司のおいしさを聞きますし,水の美味しい所の日本酒はまた絶品で,これも大変な評判です。

 東京からの脱出,美味しい料理に美味しいお酒。そして雪を蹴散らして進む新幹線の開業と,もはや冬の富山こそ私たちが目指すべき非日常であると確信しました。

 しかしこの時すでに12月10日。年末の家族旅行など出遅れも甚だしいです。
 あわててその週の土曜日に近所のJTBで相談。自然な流れで富山に決まりました。

 問題は富山のどこに行くのかですが,私は富山のことはほとんど知りません。富山と言っても広いです。どこに泊まるのがいいのか,そこで何をすればいいのか,どうやって行けばいいのか,全くわからないのです。

 わからないことはプロに任せればいいです。無理をせず専門家に頼る,信頼することもまた心地の良いことです。

 こちらの希望を伝え,果たして彼女が提案したのは,宇奈月温泉でした。

 さすがに名前くらいは聞いたことがあるのですが,どこにあるのかよく分かりません。地図を見ると富山の東側,富山市からはそれなりに離れていて,いわゆる黒部の近くのようです。有名な黒部峡谷鉄道はここから出ています。冬の間は運休するので今回は体験する機会がありませんが,海と言うより山なんだなという事はなんとなくわかります。

 そう,北陸の山と空の境目は,独特の色合いをしているのです。ワクワクするじゃないですか。

 宿を起点に観光地を巡ることはせず,宿そのものを楽しみ,のんびり滞在したいという事,何をするにもエレベータにまず乗り込むのではなく,宿を歩き回って,できれば階段で動けるくらいであること,畳に布団がいいということを伝えて,宿も決まりました。

 希望していた12月26日という出発日と2泊3日という期間もうまく叶い,少しお金はかかりましたが,あとは病気や怪我をせず,夫婦げんかも慎んで当日を無事に迎えるだけです。

Day1 : 12月26日
はくたか565号 13:24東京発 15:41黒部宇奈月温泉着
富山地方鉄道 16:17新黒部発 16:45宇奈月温泉着

 東京駅を新幹線のホームは人で年末年始独特のワクワク感と共にごった返していて,心なしかみんな穏やかな顔をしています。混雑するホームでさっと道を譲る人,ぐずる子どもにも優しい人,互いに会釈を交わす・・・ゆとりがあるっていいですよね。

 噂に聞いていた,外国人観光客のマナーの悪さを見ることもなく,初めて使った北陸新幹線は快適そのものです。これだけ快適だと旅の風情も感じず,在来線の窮屈さやのんびりさがかえって懐かしく感じるくらいです。移動を積極的に楽しむと言うよりも,やはり移動を移動として割り切って快適に短時間で片付けることに長けた新幹線に,私はそれほど悪いイメージがありません。

 東京は晴天で気温も高かったのですが,黒部宇奈月温泉駅を降りるとしっかりと吹雪き,鉛色の空が広がっています。長野あたりからあやしくなり,糸魚川では明らかに寒そうだったわけですが,実際に富山まで来ると本当に寒くて凍えそうです。富山地方鉄道の新黒部駅への乗り換え,そして電車を待つ間,正直この旅行は失敗かも,と心配になりました。

 新黒部にやってきたのは,雪まみれになったかつての「レッドアロー」です。おお,写真でしか見た事がない西武の特急電車にこんなところで乗る事になるとは・・・

 富山地方鉄道は私の期待を遙かに超える地方鉄道っぷりで,駅はほとんど無人駅,車両は古くて傷んでおり,なんだか別世界です。しかし粗末に使われているかと言えばそうでもなく,駅はどの駅も同じ程度に維持されていますし,車両ももともと古いものが,厳しい風雪に晒されて傷んでいるだけで,大切に足として使われていることがわかります。

 車内も,例えばシートはすり切れていたりはしますが,それも年月相応に痛んでいるだけであり,乗客のマターの悪さや無関心さに起因するような傷み方はありません。まさに足として,乗客にも大切にされていて,というよりもそれが日常的に当たり前になっている毎日を想像させる電車でした。

 どんどん日は落ちて行きます。車窓はいかにも日本海側の農村に新雪が重なっていく様子です。揺れる電車,妙にふわふわのシートは,決して快適とは言えません。

 娘は電車に酔ったといってました。終点の宇奈月温泉の途中はどうも急な曲線が多く,揺れも大きく,停車駅も多かったですから,私もちょっと気分が悪くなりました。

 駅に降り立つと雪が積もっています。寒いです。駅員の少ない(というより一人しかいない)改札に不慣れな観光客が列びます。改札では乗ったときに取った整理券を見せて,往復乗車券を買うのがポイントです。片道720円の区間を5日間有効の往復乗車券を買うと1400円。20円しか安くならないと嘆くなかれ,実は特急料金100円が無料になるのです。しかも半券付きで使用後にも手元に残ります。これは買うしかないでしょう。

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 改札を出ると,各旅館の旗を持った迎えの人にところに銘々近寄る光景がいかにも温泉街ですが,我々もそうやって自分たちの宿,「サン柳家」の用意してくれた車に乗り込みます。暗いし寒いし雪は降っているし,道はわからないしで,もう車でなければたどり着かないのでは思うほど,心細いものでした。

 当たり前ですが,宿に着くと女将と若女将が出迎えてくれます。商売ですけど,うれしいものです。こういうのはなくなって欲しくないですよねえ。

 なんだかんだで自分たちの部屋に座り込んだのが17時半過ぎ。1時間ほどしてから夕食です。夕食は個室の用意があったのでそちらで頂く事になっています。

 料理のことを事細かく書くのはもう無理なほど,品数の多さ,圧倒的な物量,しかもどれもたまらなく美味しく,貝類が全くダメな私がバイ貝の刺身をうまいといっては食べ,もう何十年も口にしなかったカニを無言で食べ,あろうことかカニ味噌まで食べるに至り,いつもならグロいとか目が合ったら怖いとか言って箸も付けなかった鯛の兜煮をバラバラにしながら食べる姿に家族は「こいつ別人ちゃうか」と思ったらしいです。(この鯛の兜煮はこの宿の名物らしく,わざわざこれを目当てに来る人もいるとか。実際私はこんなにうまい煮付けを食べたことはありません)

 それくらい,おいしいのでした。おいしいというより,臭みがなく,うまみが凝縮されていたとでもいうのでしょうか。以前,いわゆる珍味がダメだという話をしたときに,本当に美味しいものを口にしていないからだと,したり顔である人が言ったことにむっとしたことがあるのですが,それは本当だったと思いました。

 そして,これがまだまだ序の口であることを後に知る事となります。

 おいしいこと,品数,手のかかり具合,物量があることはもちろんなのですが,価格も安いのです。東京にいてここ数年の物価高に苦虫を噛み潰すような思いで毎日を過ごしているせいか,富山だけは物価高は起きていないのではないのかと思うことが度々ありました。もちろん実際にはそんなはずはなく,電気料金もガス料金も,飲み物もお米の値段も上がっているはずですし,寒冷地の冬の生活コストはもともと多くかかるものです。

 ですが,やはり目の前にあるものから感じるのは,数年前のコスト感覚です。ひょっとすると本当に物価高の影響が少ない地域なのかも知れませんが,仮にそうだとしても外から来る観光客にまでその恩恵を与えることはしなくとも,東京と同じような価格までふっかけたところで,誰も文句は言わないだろうと思うのです。

 それは自販機のペットボトルの水の値段も,ビール1杯の値段も良心的であるということを通じて,歓迎されているなあと感じる機会でもあり,こういうことに無欲であること,あるいは外の人に対して優しい(というより公平である)ことも,富山の地域性なのかも知れないなと思いました。

 そんなことを考えながら2時間ほどで富山の海の幸をたらふく食べ,部屋に戻ってこの日は終了。ニュースでは東京はこの冬一番の寒さだったといっており,無事東京脱出に成功したと,私はほくそ笑んでいたのでした。

 翌日は丸一日富山にいる日になります。最寄り駅まで移動できるのか,最寄り駅から移動できるのか,果たして天気はどうなるのか,無事に時間を潰せるのか,はたまた宿でひたすら読書に励むことになるのか,どうなることやらわからず,満腹と疲れで,ぐっすり寝てしまったのでした。

気象通報のおわり

 NHKのラジオ第2放送が来年2026年の3月末に廃止になることが決まったそうです。

 ラジオ第2は普段滅多に聞かないラジオの中でも,とりわけ聞く機会がないラジオで,私自身も廃止はやむを得ないかなと思うところがあります。

 驚くほど簡単な自作のラジオから出てくる声は,その電波の強力なNHKにほぼ限られ,さらに強力だったラジオ第2はゲルマラジオでも綺麗に受信出来ました。腕が上がって難しいラジオを作るようになればなるほど,ラジオ第2以外の放送局が増えていくという感じだったので,私のような子どもの頃からラジオを作ってきた人にとって,ラジオ第2というのは原体験というか故郷というか,そんなものじゃないでしょうか。

 さて,ラジオ第2は1931年に放送を開始したといいいますから,あと5年続けてくれていれば100周年というところだったのですが,中波ラジオの放送設備は規模も大きく維持もお金がかかりますので,民放はすでにAM放送をあきらめ,設備の軽いFM放送に移行しつつあります。ワイドFMという,わかったようなわからんキャッチで呼ばれているこのサービスですが,確かに音質もいいですし,実用面で言えばFMへの移行は悪い話ではないと思います。

 ただ,NHKだけは中波放送を続ける意向のようで,当分の間は小学生の夏休みの工作にゲルマラジオを作る事が出来そうです。(ただ,先日高速道路のトンネル内のラジオの再送信が廃止になるという話を見て,自動車のドライバーでさえもラジオを聞かなくなったのかと驚愕しました)

 ラジオ第2はもともと,すでに始まっていたラジオ放送から教育に関する放送を分離して立ち上げたもので,そういう経緯もあって現在も語学を中心とした番組が多いです。

 AM2波,FM1波という贅沢な媒体を維持し,様々な番組をもれなくカバーしていたNHKのラジオですが,リスナーの減少やラジオの役割の変化,そしてインターネットとスマートフォンの普及がとどめを刺すような形で,ラジオはとうとう削減に舵を切ったことになります。

 確かに,NHK-FMなどは,聞きたいと思う放送をやってないですもん。高音質という特徴を持つFMでは,放送の機材もエンジニアもスタジオも超一流。ライブ番組などは出演者も新人からベテランまで登場して頻繁に方法され,お金を出しても手に入らない音源が,それこそ垂れ流されていた時期が続いていました。なんと贅沢なことか。

 それが今や,トーク番組もばかりです。それだってインターネットラジオに移行していないだけましなのかもしれませんが,知らない音楽に出会うきっかけになったFM放送が,その役割を変えたのは,私は残念でなりません。

 こうして隙間の出来たFMに,ラジオ第2の番組の多くは移行する事になるそうです。語学番組がFMに移行するわけですが,これはこれで良いことかもしれません。発音は高音質で聴きたいですからね。

 そんななかで,移行されずに廃止されると言われている番組があります。1つは株式市況,もう1つは気象通報です。

 株式市況は1925年スタートしラジオ第2に移行して今日まで続く最長寿番組だそうで,すでに100年です。すごいなー。これは上場企業の株価を読み上げるだけの番組なわけですが,ネットでいつでも確認出来る株価を定時にラジオで放送する価値は確かに薄いように思いますし,同様の番組が他で放送されていることを考えると,そんなに悲観するようなことではないように思います。

 悲しいのはもう1つの,気象通報の廃止です。こちらは1928年に放送開始で,ラジオ第2に移行してから今日まで続く,これまた長寿番組です。聞いたことがないという人は実は少ないんじゃないかと思うのは,これ,天気図を手書きするための放送で,中学校の授業で聞かされたり書かされたりした経験のある人を以外に見聞きするからです。

 私もそうなのですが,私はもうちょっと濃い関係がありました。中学生の頃,電子工作(あわよくばパソコン,というかゲーム)がやりたくて入部した科学部で,まず最初にやらされたのが気象通報で天気図を書くことだったからです。

 お天気に全く興味がなく,天気図なんて新聞に出ているものをちょっと見る程度だった私が,いきなり白地図のような紙を渡され,お経のような声を聞き,理由もなく天気図を書けと突然言われたときの戸惑いを想像して頂きたいのですが,私以外の部員は何の疑問も持たずに,死んだ魚の目でその声を聞き,地図になにやら書き込んでいきました。

 雰囲気に飲まれた私も同じように,読み上げられた地名に風向,風速,天気,気圧,気温を書き込もうとするのですが,まずその地名がわかりません。石垣島?南大東島?ハバロフスク?アモイ?

 1つ分からなくなると,もうそこで置いていかれます。リアルタイム書き込みはそこで終了です。そうなると2回目,3回目の聞き直しを強要され,完成まで拘束され続けます。

 これが,部活の始まる16時からの,科学部の日課でした。

 ところが,中学生の柔軟性はすごいもんです。しばらくすると地名と場所は完璧に分かるようになり,読み上げの順番も覚えてしまうので,目と手が自然に次の地名に移動するようになります。

 とはいえ,天気がレアな「地吹雪」だったりすると,天気の記号がぱっと出てこずにリアルタイム書き込みから脱落することがありました。そんなとき,終わってから友人達と「いやー地吹雪はないわー」と文句を言い合うわけです。ああ,なんと不健全な中学生なことか!

 続いて船舶からの報告です。これは場所の指定を地名ではなく,緯度と経度で行います。当然毎日同じ場所からということはありません。これが始まる直前,皆にピリピリとした緊張が走ります。

 ここをなんとか切り抜けると,引き続き緊張を維持したまま漁業気象になるのですが,これは高気圧や低気圧の位置,前線の場所を読み上げていきます。聞き漏らさないようにゴリゴリと書き込んでいきます。

 そして最後の難関,等圧線です。等圧線は,その日の代表的な気圧の等圧線が通る緯度と経度を連続で読み上げていきます。素人はその緯度と経度に×印を付け,放送終了後に繋いで完成させるのですが,慣れてくるとリアルタイムに滑らかな等圧線を直接書くことが出来るようになっていきます。ここまできてようやく一人前。

 そして放送終了後の仕上げに,各地点の気圧と等圧線の関係から,他の気圧の等圧線を何本か滑らかに書いて完成となります。

 実のところ,私も半年ほどでここまですらすらと出来るようになっていました・・・

 出来るようになってしまうとこれがまた得意になるもので,あるとき理科の授業で天気図を気象通報から書く実習が行われたとき,同じクラスにいた私を含む3人の科学部員が,多くが脱落して行くのを尻目に,等圧線までリアルタイムで書いて行くのを見て,「すげー」と喝采を浴びたことを思い出します。

 そんな気象通報,中学三年間ずっと聞き続けていましたから,今でも親近感があります。娘にそんな話をしてもピンと来なかったようですが,中学生になり学校の授業で気象通報を聞かされて,ああこのことかと思ったらしく,私に「あれを聞いて直接地図に書き込めるなんておかしい」といってました。中学生の私に,将来そういう会話が自分の娘との間にあることを私は教えてあげたいです。

 もともとこの気象通報,天気図という画像情報を広範囲に確実に伝送するための唯一の方法でした。テレビもインターネットもなく,画像の伝送は新聞が最速だった時代において,新鮮な天気図を手に入れるには気象通報から天気図を書き起こすのが最も優れた方法だったのです。

 テレビが使える時代になっても,船舶で天気図を手に入れるのに気象通報は最善でした。テレビは遠距離で受信出来ませんし,受信出来ても詳しい天気図は出てきませんし,保存も出来ません。無線を使ったファックスは高価ですしいつも受信出来るとは限りません。一方で船舶の安全な航行には気象の情報は不可欠で,人の命がかかっているだけに,今日はまあいいや,というわけにはいきません。

 そこで気象通報です。毎日定時に確実に放送されますし,電波は中波のAMですから遠距離でも届きます。紙に書き起こした天気図は消えることはありません。じっくりこれからの天気の移り変わりを検討できます。

 いってみれば,天気図を書くために必要なパラメータを,あるフォーマットにエンコードしてシリアル通信で電波で送信し,受信者はデコードして元の天気図に戻すという作業を行うことで,画像伝送を行う仕組みだったわけです。

 そして私がやった訓練というのは,そのデコードをリアルタイムで行うだけの処理能力を身につける作業だったことになります。

 いってみれば特殊技能だったと思いますが,技術の進歩というのはそんな技能を陳腐化させていく歴史でもあります。スマートフォンがあればどこでも新鮮な天気図が手に入りますから,ここに至って気象通報の意味はなくなったといってよいでしょう。

 もちろん,すでに業務の無線では廃止されて久しいモールス信号による通信が,アマチュア無線では今になって主流になっていることを考えると,単に非合理的だからという理由だけで消えてなくなったりするわけではないのですが,趣味の話と業務の話はやっぱり別で,仕事の話は経済性が重要だと考えると,使う人が少なくなった気象通報を漫然とノスタルジーで続けるような話は,やっぱりないなあと思うのです。

 それともう1つ,これは当時の科学部の先生から聞いたんじゃないかと思うのですが,NHKのアナウンサーの教育にこの番組が使われると言う話でした。地名や数字をはっきりと,噛まずに正確に発音するだけではなく,聞き取りやすく,しかも20分という放送時間ぴったりに読み上げが終わるような速度でなければなりません。

 なので,アナウンサーの技術向上にもってこいだったらしいです。しかし,これも2016年頃に自動音声に切り替わってしまった事から,その役目をすでに終えていたことになります。

 
 そんな気象通報も,ラジオ第2放送の廃止と共に,終了の予定です。

 長く続いたなあと感心する一方で,さみしさというより,世代を超えた共通の話題がまた1つ減ることに,もったいないという気持ちがわいてきました。娘との共通の話題に間に合ったことは幸いなことでありました。

 最後の放送くらいは録音しておきましょうかね。

 

Ankerのリコール手続きを終えて

 昨年の夏のことですが,防災を目的として区民にカタログギフトが配布されました。こういう性格ですから斜に構えた見方しか出来なかったのですが,防災に関する意識を少しは高められた気がしています。

 そこに掲載されていたのがモバイルバッテリーです。いわく,スマートフォンは命綱,電池が切れないようにモバイルバッテリーを用意しておきましょうとのことでした。

 そもそもスマートフォンみたいなシステムの大部分を営利目的の私企業に握られた仕組みに命など委ねたくはないのですが,行政としてもスマートフォン前提でサービスを行っている側面もあり,インフラとして割り切った上で「助かった」と感じているのが本音でしょう。(いや,スマートフォンを盲信されるよりむしろそうであって欲しいですよ)

 現実には確かに社会のシステムがスマートフォンを前提に組み立てられている訳ですから,電池が切れたら情報の収集をはじめとして,なにかと不利を被るのは必至でしょう。

 一方,モバイルバッテリーには危険な物も多くて,私のように滅多に使わない人間からすると爆発物を保管しているような物で落ち着きません。それに,いずれ廃棄することを考えると,自治体がリチウムイオン電池の扱いに右往左往している現状では,手軽に手を出せないとも思います。(そう,うちの区は防災用品にモバイルバッテリーを推奨するくせに国の指導にも頑なにリチウムイオン電池の回収を拒んでいるおかしな区なのです)

 以前購入したノーブランドのモバイルバッテリーを廃棄するのに往生した私は,今回は自主的に回収までやってくれるメーカーの製品を買おうと誓ったのですが,その1つにAnkerがあります。

 ユーザーのニーズに応えるラインナップが面白いですし,安い割には製品もしっかりしています。自社製品の積極的な回収も好印象で,次に買うならここかなあと思って,昨年の冬に買ったのが,Anker Power Bank(10000mAh)です。容量は小さめですが,その分大きさも小さくて,機能も十分。なによりストラップがUSBケーブルになるという,誰でも一度は考える仕組みを実現してしまうというのが面白いじゃないですか。

 価格も3500円ほどで,廃棄の問題を心配しなくていいなら,保険として1つくらい持っておくのもいいと,買ってみたわけです。

 実際使ってみると,なかなか良く出来ていて便利です。ちょっとしたピンチに適した容量。手頃のサイズに重さ,充電の速度も悪くないですし,対象機器への柔軟な対応も高評価です。

 これで一安心だと思っていた所,なんと6月にリコールのニュースを目にしました。ばっちり大量機器に含まれており,シリアルを調べると私の買った個体がリコールの対象になっていたのでした。

 多めに見積もって,3.7V*10Ahですから40Wh近い電力量ですから,事故があると結構大きな物になるでしょう。私は高電圧も怖いですが,大電流も怖いです。

 さっさと手続きをして交換してもらいましょう。

 まず,ホームページから対象製品であるかどうかを確認します。該当していたらシリアルを調べて入力します。シリアルは背面に小さく書かれているので虫眼鏡が欲しくなるかも知れません。

 ここで個体の識別が行われます。私は該当シリアルでした。

 でも,かすれていても読めなくても大丈夫。そういう場合はとりあえず返送すれば向こうが判断してくれます。読めないからと言って手元に置いておくのは危険です。

 リコールの申し込むフォームに住所や名前などを記入したら,レターパックで返送用のレターパックの入ったキットが1週間ほどで送られて来ます。フォームを記入するとき,代替品を送ってもらうか返金してもらうかを選ぶのですが,私はこの製品が気に入っていたので交換してもらう事にしました。

 しばらくして届いたレターパックには名前やシリアルなど個々人ごとに内容の異なる書類は入っていないので,対象者全員に共通なのだと思いますが,返送用のレターパックの送り主を自分で記入しないといけないなど,返送が私から行われたとか,代替品を誰に送るかなど,きちんと管理出来ているのかなと心配になりました。

 キットには防火用のフィルムも入っていて,これで包むと万が一の場合にも発火を防ぐことが出来るそうです。耐熱性のフィルムで密封すれば,確かに発火はしないでしょう。

 なお,説明書によると,ストラップのUSB毛0ブルは外して送れとありました。そこでケーブルを外して本体だけをフィルムでくるみ,返送用のレターパックに入れて返送しました。

 ここで困ったのが,品名です。レターパックは手軽ですし対面でやりとりしなくて済むので,オレオレ詐欺に使われたり危険な物を送ったりと悪用されることもありました。そこで品名は必須項目となっているのですが,ここに馬鹿正直に「リチウムイオン電池」と書いて良い物かどうか,悩みました。

 どこにも説明はありませんし,書かないと確認の電話が来たり,最悪戻ってきてしまうかも知れません。かといって,リチウムイオン電池,それも回収品などと書いてしまうと発火する可能性のあるものを投函したことになるので,それはそれで大事故になるかも知れません。

 少なくともフィルムで包んで対策しているので事故は起こりにくいと思いますが,品名に「リチウムイオン電池の回収品,でも対策済みなので心配無用」などと書くわけにもいきません。

 悩んだあげくに,こういう時は正直に書こう,怒られたらあやまろうと,品名にはモバイルバッテリーと書きました。もちろんリチウムイオン電池にチェックも入れておきます。

 これで投函したわけですが,翌日追跡すると,明日到着とのこと。無事に届くようでなによりでした。

 そこからさらに1週間。代替品がヤマト運輸で届きました。新品交換のようです。ケーブルも付属していました。

 使い勝手もなにもかわりませんし,交換してもらって特をした気も起こりませんが,わざわざ交換に手間とお金をかけたのですから,安全なものが届いたと信じたいところです。

 そう,お金もかかるのですよ,こういう事態には。

 今回の回収はなんと40万台以上にのぼるんだそうです。仮にその半数で交換の申し込みがあったとして,行きのレターパック430円,返送のレターパック600円,中に入れるフィルムなどに20円として合計1050円,さらに交換品の送付に500円として一人あたり1500円はかかります。

 そこに電話窓口の設置,回収と返送の拠点の開設とで1000万円以上のお金がかかるとすれば,ざっくり3億円以上のお金が出ていきます。もちろんここに交換品費用に1台あたり1500円ほどかかるでしょうし,返金の場合には3490円の現金の持ち出しです。

 交換と返金を半々として一人あたり2500円かかるとすれば,20万台で5億円。合計で8億円の損失です。もちろん10万台になれば損失も減りますが,回収率が25%と言うことになると,それはそれで国から怒られるでしょうし,なにより事故が起こるとメーカーの責任を問われますし誰も幸せにはなりません。

 もっとも他で儲けているから破綻したりしないですし,回収対象の台数よりも遙かにたくさんの台数を売っているはずなのですが,そこでの利益が吹っ飛ぶくらいの費用がかかるんじゃないかと思います。

 そう,こういう不良を出す事は,命を危険にさらすだけでなく,会社の屋台骨を揺るがす大事なのです。

 でもこのあたりはさすがにAnkerのような体力のある会社だなと思います。お金はもちろんですが,様々な手続きや作業を行うにもそれなりの力が必要で,失礼を承知で言うと中国系の会社も本当に変わったなあと思います。製品の質も良くなりましたし,ユザーの気持ちに寄り添う会社が増えました。

 のみならず,売っておしまいの姿勢から売った後の後始末まできちんとするという姿勢は,少し前の中国系の会社なら考えにくいと思います。ましてここは日本です。市場もそれ程大きくなく,その割には要求レベルは高くて文句も多い上,未だに偏見で物を言う人が多い国です。

 別に感謝をしようという事ではないのですが,どの国なのかは関係なく,良いものは良いと素直に評価できる賢い消費者でありたいと私は思いました。

 アメリカの消費者などはそのあたり公平で,非常に合理的です。安かろう悪かろうの代名詞だった日本の製品を,今や貿易赤字だというほど買って使ってくれています。彼らもアメリカ製の商品をひいきする気持ちはあるはずですが,日本,韓国,そして中国の製品を公平に比べて使ってくれています。かの国は消費者がとても大事にされていることで知られていますが,一方で消費者が自らの責任をきちんと全うしていることの裏返しであるように思います。

 消費者がきちんと自分の責任を果たしているからこそ,その商品の責任はすべて製造者と販売者にあるわけで,ゆえにいかなる理由があっても返品を行うことを当然と考えているのだと思えば,日本の消費者は謙虚である一方で,消費者としての自律した意識がまだまだ足りないことに気付かされるのです。

 消費という活動も自由主義経済の一翼です。さすがアメリカ。良し悪しと言うよりも,国ごと地域ごとに違いがあるというのが,非常に興味深いなと思いました。

 

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