北陸新幹線敦賀延伸
- 2023/08/31 14:56
- カテゴリー:ふと思うこと
北陸新幹線が来年3月に,いよいよ敦賀まで延伸されます。
私は大阪の生まれで,社会人になってからは東京で暮らしていますので,北陸地方に住んだことはありません。
しかし,母の実家が福井県の今庄というところだった関係で,子どもの時には夏休みに毎年のように,長いときには2週間も滞在していました。
これは私にとってはとても大きなイベントで,何から何まで特別な,非日常な毎日を長期間(かつ毎年)過ごす体験でした。
まず長距離の鉄道による,太平洋側から日本海側への移動があります。機構も違えば言葉も違うし,食べ物も違います。人口密度も街の賑やかさも違いますし,思い出せば光の色も違っていました。
川の水は綺麗で冷たく,農業用水にはサワガニもいたりして,自然がそのまま残っていました。日本有数の豪雪地帯で,冬は雪に閉ざされる集落ですが,そのおかげで水は豊かだったようです。
雪国ですので夏は涼しく,といいたいところですが,残念ながら山に囲まれた盆地だったので,夏は蒸し暑く,冬は強烈に寒いという,気候の厳しいところでした。とはいえ都会の暑さとはまたちょっと違っていて,特に夕方の爽やかさはもう一度味わいたいと思う心地よさがありました。
母の実家は築100年にもなろうかという大きなしっかりした家ですが,なにせ豪雪地帯の農家ですから,2階はとても高い位置に作られます。ゆえに階段はとても急で,上りよりも降りるときの怖さは,今思い出しても恐ろしいです。
今庄駅から5kmほど離れた山間の集落にあった母の実家は,かつて小学校があった場所に隣接しています。それなりに立派な学校だったようで,大きな運動場にプールまで備えたもので,1980年代前半に建て直されたりしたのですが,1990年代半ばに統合され廃校になっています。ただ,この小学校については驚くほど情報がなく,本当に存在していたのか,私の記憶違いかと思うほどでした。
今庄と言えば,かの司馬遼太郎さんの「街道をゆく」でも採り上げられた,北国街道の宿場町として栄えたところでしたし,鉄道が交通の主役になった時代には日本有数の難所とされた柳ヶ瀬越えのため大きな機関区があった,まさに交通の要衝でした。
当時日本最長と言われた北陸トンネルが出来てから今庄はただの通過点に成り下がり,かつての賑わいを失ったそうですが,それでも地元に人に言わせると北陸トンネルが出来た事で交通の便が良くなったことを歓迎する声が強いようです。
大阪にいたときには,敦賀や今庄と言った嶺南地方は湖西線をかっ飛ばす特急・雷鳥に乗って直通でしたので身近に感じたものですが,東京から今庄というのはとても遠い場所でした。
一度東京から今庄に向かったことがあるのですが,この時は新幹線で名古屋まで行き,ここから在来線の特急・しらさぎに乗り換えました。よほど大阪や京都に向かった方が早く着くので,敦賀や今庄という所はやはり大阪に近いところなんだなあと思いました。
敦賀と言えば原子力発電所です。これも地元を二分した事件だったそうですが,今のところ大きな事故もなく,海水浴場からドーム型の原子炉が見えていて,すっかり共存しているような感じです。
とても良くしてくれた叔父がいて,父親とは反対のとても優しい,気遣いの出来る人でしたので,私はとにかく大好きでした。あちこちに連れて行ってもらったことを覚えていますが,そういうことも,懐かしい思い出です。
手放しに歓迎してくれた祖父が突然なくなり,その数年後に祖母も亡くなってしまうと,母ももう実家に帰省することはなくなり,大きくなった我々兄弟もかえって迷惑になるという理由で今庄に向かう機会は失われました。
しかし,今庄駅に降り立った瞬間の,空気の違いや光の色の違いというのは今も記憶に残っていて,出来ればもう一度訪れてみたい場所です。彼の地でも様々な事があり,記憶に残っていますが,どれ1つとして悪い思い出のものはありません。
とはいえ,自動車がなければ移動もままならないし,結局見るところも会うべき人もおらず,何をしに行くのかと改めて問われれば,難しいなあと言うため息しか出てきません。
そんな,記憶の中だけに繋がりがかろうじて残っている敦賀と今庄ですが,当時から新幹線が通るという話だけは聞いていました。でも,当分先のことで,ほぼ無関係と考えていた「北陸新幹線」が,とうとう敦賀まで来ることになったというので,なんだか感慨深いものがあります。
大阪と敦賀の間はまだ工事の着工も行われていない状態ですので,当面は敦賀が北陸新幹線の終点という事になるでしょう。期せずして敦賀が交通の要衝に躍り出た感じですが,それまで大阪と福井や金沢まで直通していたものが,敦賀でなからず乗り換えないといけなくなるわけで,これは大阪と福井以北との距離を遠ざけてしまうものになると思います。
一方で,敦賀と大阪との縁は切れることはなく,なんと新快速が一部乗り入れるくらい関西の経済圏に巻き取られている現状を考えると,敦賀から大阪が新幹線で繋がらなくても,その位置付けは変わらないように思います。
それより,東京から敦賀まで新幹線で乗り換えなしというのが驚きで,この心理的な距離の近さというのは,ちょっといってみるかと思わせるものがあります。(ただし所要時間は30分ほど短くなるだけです)
北陸新幹線が金沢まで開業したとき,金沢と東京がぐっと近くなりました。観光客も増えたそうですが,それは関東の人にも知られた金沢だったから言えることで,福井,まして敦賀と言えばもう関東の人からすれば遠い別の世界に思えるものです。
有名な観光地があれば別ですが,私でさえ特に目的を見つけることの出来ない敦賀に,わざわざ新幹線で出かける理由を作れません。そもそも,私の生まれ育った大阪でさえも,今はもう縁もゆかりもない土地になってしまっています。
もともと出不精で観光が好きではない私が,長距離の移動をしたのは,そこに縁やゆかりがあり,会いたい人がいたからです。そう考えると,敦賀や大阪は,もう記憶の中だけに残るものになっていくように思います。