1月の下旬に,ある展示会の「にぎやかし」として,電子工作を行っている人の作品を展示する企画に偶然声がかかって,急遽展示品を用意することになりました。
知人からの声かけだったので,他の出展者はすでに知っている人ばかりで,その実力も行動力も十分に知っているだけに,私のような引きこもりで自分のためにしかやらない(=困ってなければなにもしない)工作を趣味をする人間は,正直困ってしまいました。
そう,今や電子工作もプログラミングも,人付き合いが上手で明るく人間的に素晴らしい人でなくては,務まらない時代です。
私が若い頃はですね,こちらにその気があってもむしろ向こう側が避けて(以下略)
てなわけで,人から逃げるようにこの趣味に閉じこもってきた私にとっては,ちょっとした災害レベルの出来事です。これは困った。
一応主催者は「なんでもいいですよ」「これまでに作ったものでもOKです」「自分のための工作?いいじゃないですか」とニコニコと全肯定してくれるわけですが,今どきの若い人のコミュニケーション術を言葉通り鵜呑みにすると,年寄りは痛い目に遭います。
ただ,私も電子工作をはじめたのが10歳の頃,以来40年にわたって続けてきた歴史があります。この中でも「これなら十分使えるな」と思えるものをいくつか,出してみることにしました。
(1)歪率計
2011年3月に完成とありますので,もう12年も前に作ったものです。子どもが生まれる前のものですから,彼女にしてみれば自分の知らない父親が作ったもの,ということになります。
当時オーディオ機器を作る事を積極的にやっていましたが,電圧電流,として波形とくると,次は歪みが数値化したくなります。他の測定器ではどんなに工夫してもきちんと測定できず,とても重要な評価項目なのに,でもその測定器は簡単には手に入らないというラスボスが,歪率計です。
一般的ではないのは,高価であり,汎用性がないからでしょう。原理そのものは簡単で,歪み率の定義に従った回路が組まれているだけのものですが,規模がとにかく大きいのです。
歪みのない正弦波をある回路に突っ込み,波形が変わったとします。波形が変わったと言うことは,単一の周波数を持つ正弦波に別の周波数が加わったことになるわけですから,出てきた波形から正弦波の周波数だけをカットするフィルタを通してやれば,増えた余計な周波数成分だけが抽出できます。
その電圧を測定して,元の正弦波の電圧との比が歪み率です。仕組みは簡単ですよね。
しかし,例えば0.1%の歪率を測定しようと思ったら60dBものフィルタを用意しなければなりません。
それだけではだめで,元々の正弦波に歪みがあったらアウトですから,フィルタの性能よりもずっと歪みの少ない正弦波の発振器が必要です。
当然ですが,正弦波の周波数とフィルタのカットする周波数は完全に同調しないといけませんし,さらにこれを任意の周波数で行えなくてはなりません。
正弦波の発振器はまだどうにかなるとしても,特定の周波数をカットするBEFと呼ばれるフィルタの周波数は可変出来ないといけないし,しかも60dBのフィルタというのは単一では難しいので実際には何段かにするわけですが,それらもすべて同じ周波数に一致させねばなりません。
これはあかん,絶望的に難しい。
こういう特殊な測定器ゆえに代用が利かず,高価とくれば,ラスボスの名にふさわしいものになりますわね。ということで,歪率計を持つことは,その人がどれくらい本気でアンプ作りをやってるかを見る,試金石になるわけです。
当時の私は,歪み率を測る道具としてどうしても歪率計が欲しくて仕方がなかったのですが,新品は50万円から100万円でとても買えず,程度のいい中古品(それでも20万円近くした)も何度も買い逃し,よくよく縁がないと入手をあきらめていました。
ある時トランジスタ技術に製作記事が載っていたことを思い出し,中古品を買う予算があれば部品にお金をかけたよい歪率計が作れるはずと,部品集めを始めました。
この記事では,20dBのフィルタを3段繋いで60dBを実現したもので,0.1%レンジでフルスケールの1/100まで読める電圧計を用いれば0.001%の分解能を誇るものです。ただし測定可能な周波数は10kHz,1kHz,100Hzの3点だけ。
だけど普通はこの3つで十分アンプの性格はつかめますし,仮に任意の周波数の歪率が測定出来ても,結局のこの3つだけ測定しておしまいになることも多いです。
発振器は別に作る必要がありますので,やはりトラ技の過去記事から0.0005%までいけそうなウィーンブリッジ発振回路を作る事にしました。もう1つ重要なミリバル(ミリボルトメーター)は手持ちの高感度のものがありますので,これは大丈夫です。
部品はコツコツと揃えたのですが,なにせ規模が大きく,しかもデリケートなアナログ回路です。なかなか最初の1つがハンダ付け出来ないまま時は過ぎていきましたが,意を決して組み上げて,完成したのが2011年の春だったというわけです。
思った以上に消費電流が大きくて電源電圧が下がってしまい,仕方がなく電源トランスを一回り大きくしたら今度はレギュレータへの入力電圧が上がって,パスコンの耐圧を越えて焼損,と言う情けない事故を起こしたことも良い思い出になりました。
出来上がった歪率計は,想像以上に高性能で,私自身も驚きました。これなら十分表に出せるデータが取れます。原理的にこの測定器では,実際よりも良い数値は出てきません。現在測定された歪率がとてもよい値だったとしても,それは決して嘘ではなく,実際はもっと良い数値の可能性だってあるのです。
分解能である0.001%も真空管アンプには十分過ぎるもので,これまで波形の観測と視聴で決めていた負帰還の抵抗も,きちんと数字で議論出来ます。
もちろん欠点はたくさんあって,まず3点の周波数しか測定出来ないこと。そして発振器の性能が今一歩で,半導体アンプの測定にはもうちょっと歪みの小さなものが欲しいと言うことと,さらに100Hzでは安定した発振状態に収束するのに時間がかかるという問題がありました。
加えて致命的だったのは,出力がGNDから浮いている場合,例えばBTLの場合は測定不可能であるということです。この測定器はあくまで入力と出力のGNDが共通である回路の歪率を測定するものであり,対GNDではない電圧を測定することはできません。
そしてその後少しして,VP-7722Aを手に入れます。中に泥が詰まっていて,電源すら入らない,まさに産業廃棄物を3万円で買った私は,悔しさから心血を注いで修理して,復活させることに成功しました。
そうなると,この自作の歪率家の出番はなくなり,引退することとなりました。短い期間でしたが,そこでの経験はとても印象的なものでした。
低周波アナログ回路の集大成となる歪率計を実用レベルで完成させたことで,私は十分な自信を持つことができました。音質云々は別にして,低歪み,低ノイズの回路設計と実装の技術を,それなりに手に入れたと思っています。
(2)Si5351Aを使った任意周波数発振モジュール
これは昨年末に基板を作ったやつです。Si5351Aという便利なPLL ICを使って,異なる3つの周波数をTCXOの精度と安定度で作ることのできるモジュールです。
ミソは3つ,Si5351Aでは不可能なはずの外部クロック入力,Si5351Aでは許されていないはずの26MHzを源発振にすること,そして起動時に一度だけ使われる設定用のマイコンに米粒AVRことATTiny10を使っていることです。
外部クロック入力は水晶発振器の端子のうち入力端子に突っ込めばよく,26MHz入力は設定値を計算するソフトがはじき出した設定値の一部をマニュアルで修正して対応しました。なぜ26MHzなんだ,ですか?それは秋月で安く売っているTCXOだからです。
ATTiny10は今回初めての試みでしたが,これもなんとか突破して,生まれて初めて基板を中国の会社に発注しました。
結果,14ピンのDIPという一般的な水晶発振器と同じサイズ,同じピン配置で,好きな周波数をTCXOの精度で得ることが出来るようになりました。TCXO精度でなくても,好きな周波数の水晶発振器を手元で作れるというのは夢のような話ですが,それがTCXOという高精度なものなのですから,中学生の頃に夢見た欲しい部品をやっと手に入れたということです。
(3)006P Ni-MHチャージャー
これも先日書きました。006Pの充電器です。定電流回路を長時間タイマでON/OFFするだけのものですが,10年前に作ったものに2種類の充電プロファイルに対応するための改造を今回おこないました。
難しかったのは長時間タイマで,ATTiny2313のRAMが足りずに,不意に変数を壊してしまうというバグが発生,再現性がないこともあって解決に苦労しました。なにせ128バイトしかRAMがありませんから,スタックを小さくするしかありません。でもスタックは管理出来ないわけで,十分なゆとりをRAMに取ることしか解決しません。
結局,足りないRAMはUSARTとGPIOのレジスタに置く事にして回避したのでした。
(4)Nutubeを使ったヘッドフォンアンプ
一世を風靡したコルグのNutube,待望された一般販売が2016年の末だったので,2017年にはいくつかの作例が世に出ました。その後ブームは下火になってしまいましたが,唯一無二の部品として現在も独特の存在感を放っています。
そのNutubeをふとしたことから手に入れた私は,無色無臭のダイヤモンドバッファを組み合わせてヘッドフォンアンプを作りました。2016年のことでした。
面白いのはバイアス切り替えスイッチの搭載です。Nutubeはグリッドバイアスの電圧によって,大きく特性が変わります。そこで,300Bや2A3のような直熱三極管らしいソフトディストーションの特性と,低歪みをねらったハードディストーションの特性をスイッチで切り替えられるようにしてあります。
どちらも楽しい音で,積極的に切り替えて使うものという位置付けをしていますが,個人的にはソフトディストーションが心地よく,良いヘッドフォンを使えば,直熱三極管のあの音が耳元で再現出来ます。
他にも手作りDCCデコーダやら,ピポっと起動時にあの音が出るSDカードとか,485系や583系でおなじみの車内アナウンスのオルゴールをATTiny85で再現したりと,いろいろ用意はしたのですが,どれもぱっとしないのでやめました。
また,TCXOなどは実際に12.288MHzと11.2896MHzと8.192MHzの3つを同時に生成するデモを行う予定だったのですが,電源を入れっぱなしで放置するのも気が引けるということで,今回は見送ります。
先にも書きましたが,今どきの電子工作は見栄えのするものでなければなりません。きらびやかに光ったり,派手な音がしたり,奇抜な形をしていたりというわかりやすさが大切で,どちらかというと何の役に立つか,と言う実用面での評価は今ひとつ重視されていないように感じています。
決して実用性をおろそかにしていると感じているわけではないのですが,私は動機さえも実用的なところから始まっていて,目的の達成こそが最重要なので,見た目は二の次になりがちです。
もっとも,そういうアマチュアの工作がプロにかなわないのが見た目であり,それはもう戦前から言われてきたアマチュアの弱点だったのですが,最近は3Dプリンタやら中国での加工やら,良い素材や特殊な塗料も手に入るようになり,随分工作の可能性が広がってきたのは事実で,これまでやりたくても(あるいは出来るんだけども)材料や工作機械の関係であきらめていたことが出来るようになってきたことは,本当に素晴らしい事だと思います。
しかしながら,かつてのアマチュアの弱点は「中身はプロ顔負け」という枕詞が必ずつくもので,もっと見た目に興味を持てよ,と言う指摘でもありましたから,中身が伴わなかったり,実用性がなかったりするのは,私の中ではちょっと違うかな,と思うところがあります。
アマチュアですから,やりたいことをやりたいようにやればいいので,同じアマチュアの私があれこれいうのは当然間違っています。間違っているのですが,ゴールが単なるうけ狙いになったりお金儲けになってしまうと,自分は同じ電子工作趣味人に含めて欲しくないなと,そうしたところから距離を置くことを考えてしまいます。
いかに電子工作が簡単に,手軽になったとはいえ,そこは物理と数学が横たわる世界です。いい大人が「習ってないから知らない分からない」なんてのは体のいい言い訳で,出来なくてもいいから,好きであって欲しいと思います。
そしてこれから物理や数学を学ぶ子どもたちは,初めてそれらに触れた時に「あーこのことだったのか」とポンと膝を打って欲しいと思うのです。