2020年になりました。
2019年をふと振り返ると,大きな買い物を覚悟を決めて行わなかった代わりに,小さい買い物をたくさんしたので,散在したなと言う気分が強いです。
2019年は消費税が上がったり,キャッシュレス還元があったりしましたし,宅配の業界にも大きな変化があり,我々消費者にとってもあれこれと振り回されてしまった気がします。
ということで,2019年の散在を振り返ってみます。
・デジタルカメラ
デジカルカメラは私にとって魅力的な新製品が少なく,かつLightroomのアップデートを止めたこともあり,メインの機材を更新していませんが,AF-S200-500mmF5.6Eを1月に買っています。
実際に運動会に持ち出しましたが,さすがに超望遠だけあって期待通りの活躍でした。VRもよく効くし,画質は解像度も色のりも大変素晴らしく,この値段で純正が出てしまうと,レンズメーカーが潰れてしまうんじゃないかと心配になるほとです。
とはいえ,そもそも出番の少ないレンズな上に,大きく重く,ぱっと手に取って出かけるようなレンズではありませんし,致命的だと思ったのは全長が伸びることです。
当初私は,長さが変わることくらいなんでもないと思っていたのですが,混雑した場で使っていると,ついつい500mmまでズームしたときに他の人にぶつかりそうになったりします。
AF-S70-200mmF2.8Eが全長の変わらないレンズで,その使い勝手の良さを強く意識するきっかけになりましたが,全長が伸びることで気を遣うことは本当に面倒で,そういう点でも出番が限られるレンズとなりました。
カメラ本体で言えば,チェキLiPlayがあります。この製品を悪く言う人は少ないのですが,私も絶賛しておきます。とても楽しいですし,1枚1枚を吟味して印刷し,それを鑑賞するという写真本来の楽しみ方を味わえます。
使い方の簡単さも,程ほどの画質もチェキそのまま。デジタルなのにチェキの色合いを再現するなんて,さすがフジです。
ところでこのチェキLiPlay,娘のカメラとして買いました。もともとも娘はチェキが大好きな人でしたが,なにせバンバン印刷されてフィルム代に涙していましたから,とりあえず撮影し気に入ったものを印刷するというデジカルカメラのワークフローをチェキで実現出来たことは大きいです。
娘はちゃんと使いこなし,マクロ撮影でストロボを強制OFFすることもサクサクやってのけています。
・銀塩カメラ
カメラと言えば,昨年は銀塩カメラへの回帰がありました。きっかけは数年ぶりにデパートのキタムラの中古コーナーを見た事です。ニコンF2が数千円で売られている話は耳にしていましたが,そういうものが通販で買えるわけではなく,あくまで中古店のジャンクで買えるという話です。
私は程度が悪くても構わないので,何度も憧れてはあきらめたF2が今なら買えると思っていました。しかし時間がなくお店に出向く事が出来ず,なかなか安いF2には出会えなかったのです。
僅かな中古品の中に,故障現状渡しのF2フォトミックを見つけた時,この個体が良いか悪いかではなく,F2を買うか買わないか,という選択を迫られたと考えた私は,この時財布を忘れていたにもかかわらず,嫁さんに借金をして保護したのでした。
このF2は初期型で,そんなに程度の悪いものではなかったのですが,ファインダーは悪くなっていました。接眼レンズの周辺は割れてしまいましたし,露出計も狂っています。
自分でオーバーホールを行ったのですが,本体は良いとしても,ファインダーには苦労しました。なんとかうまくいったとは言え,この当時のフォトミックファインダーの持病である,メーター固着が出ていて今ひとつな感じです。
とはいえ,本物のガチャガチャを堪能出来るので,これはこれとして楽しんでいるのですが,実用面から言うとちょっと厳しいのも事実で,その後フォトミックAファインダーを目当てにジャンクのF2フォトミックAを買ったのでした。
ボディはぶつけてへこみ,ほとんど価値のないもので,当てにしていたファインダーもCdSが片方死んでいるといういった,程度の悪いものでした。さすがの私もへこんだのですが,さすがに専門店で売っている安いF2に出物はないなあと,そのお店の信頼度が高まったりしました。
へこんでもそのまま潰れないのが私で,手持ちのCdSから特性の近いものを探し出し,フォトミックファインダーAは完全復活。今ではうちのフィルムカメラの標準機の1つです。
実際,F2に28mmをくっつけてブラブラ歩きましたが,その写りには全く古くささを感じることなく,良く写るなあと感心しました。
こうして春から夏にかけて念願のF2で遊んでいたのですが,そうして溜まった未現像のカラーネガをいよいよ現像に出すしかなくなった時,待ち時間を潰すためにウロウロしたデパートの中古カメラフェアで,Rollei35を買ってしまったのがさらに深みにはまるきっかけになりました。
これも気になっていたカメラでしたが,最初はちゃんとしたものを買おうと奮発したのに,今にして思うと騙されたんじゃないかと思うほど程度の悪いものでした。結局自分でなんとかしたのですが,付属品はない,スローも出ておらず,レンズに小さいカビがあって,ファインダーも曇りまくっているものを,完動品とほぼ同じ値段で売っているというのは,さすがに誠実さに欠けるなあと思います。
結局自分でなんとかしましたが,古いドイツのカメラですので,修理中に何度も失敗してはくじけそうになりました。
しかし,ちゃんと動くようになってからは本当に楽しいカメラで,持ち歩く事も気にならず,被写体にカメラを意識させず,触ることと使う事にこれほど満足感があるカメラもないなあと思っています。
目測によるフォーカスにも,もともと抵抗はありませんでしたが,案外ラフでもちゃんと写っているので,あまり正確さにこだわらなくなりました。これは私の撮影スタイルにも大きく影響しています。
その後Rolleo35LEDのジャンクを手に入れたもののレンズのクモリで再研磨する羽目になりましたし,レンズを入れ換えようと手に入れたRolleiB35があまりに気に入ったので常用機に昇格したりと,それまで一眼レフ以外はカメラじゃないと思っていた私の意識を変えてくれました。
冷凍保存したカラーネガがそろそろなくなってきたので買い足したこと,10年放置したTri-Xをダメモトで使い切ろうと思ったことで,モノクロとカラーの自家現像を久々に復活させました。これまでモノクロは安いと言うだけで使っていたのですが,非常にお金のかかるフィルムになったことでモノクロとの向き合い方にも変化が出ています。
銀塩写真といいながらも,カラーは最後には銀を洗い流してしまいますが,モノクロはまさに銀が残って画像を作ります。光を遮る銀で作る画像ですから,そりゃ黒の締まりが良いはずです。美しいグレーのグラデーションを意識し始めると,フィルムの直線性や現像剤との相性,現像液の劣化や温度管理などにも気を遣わないといけなくなり,もうめまいがしそうです。
そんなわけで,高校生の頃から使っていた35mm1本用のキングのタンクでは時間がかかって仕方がないので,初めてパターソンのタンクを買うことにしました。
・オーディオ
昨年はアナログに明け暮れました。ずっと憧れていたV15typeIVを偶然安く手に入れたことがきっかけになったのですが,アナログの音の良さ,心地よさ,そしてカートリッジによる個性を味わうことの楽しさはもう不変であり,ちょっとしたきっかけでアナログに戻ってしまうことは,当たり前のことだと思います。
本物のV15の音を30年ぶりに耳にし,いたく感動した私はその勢いでSPU#1Eを買います。憧れのSPUです。安いとは言えうちで一番高価なカートリッジですが,もうSPUの音にすっかり魅了されてしまいました。SPU#1は最も安価なSPUですが,最もオリジナルに近い音がするとも言います。もし,初期のSPUがこんな音をしていたのだとすれば,ろくな音源がなかった当時にあって,レコードの音質がダントツに抜きんでていたことも素直に納得できます。
その後,針の折れたMC20mk2を修理して復活させたり,V15typeIIIを手に入れたりしましたし,今頃になってやっとスタビライザーを常用するようになったりしました。
イコライザアンプとMCヘッドアンプのハムが気になって対策したり,MC20mk2の出力レベルの低さに悩み,昇圧トランスを使うと解決することを知った時の驚きなど,長くオーディをやっていても,学ぶことはつきません。
・家電
昨年は家電の故障は少なく,大きな買い物もせずに済みました。せいぜいダイソンのハンディクリーナーくらいでしょう。1世代前のプラットフォームの旧製品ですが,それでも使い勝手はかなり良くなっていて,何の不満も感じません。
・ガジェット
携帯電話が私の興味の対象から外れて久しく,ガジェットと呼ばれるものはほとんど買わなかったなあと思っていたのですが,艦長日誌を見返してみると昨年の初めにHPの電卓にどっぷりはまっていたことを思い出しました。
昨年の年明けにDM15Lを買ってからRPNとプログラムに夢中になり,HP12CやDM16に手を出していました。
計算する度にうれしくなるRPNを私の標準器にしようと思っていましたが,だんだん面倒になってきてしまい,結局PC-1246が私の相棒のままです。
・楽器
昨年は珍しく,それこそ何年かぶりに,楽器,それもシンセサイザーを新品で買いました。しかも発売前に予約までして,入荷したその日のうちに楽器屋さんに出向いて,家まで持ち帰ったという初々しさです。
改めて書くまでもなく,昨年秋に出たJupiter-Xmの話です。
Jupiter-Xmはミニ鍵盤の小型モデルで10万円台と安価ですが,一応ローランドのフラッグシップという扱いになっています。シンセサイザーのフラッグシップというとまさに壁,価格も車何台分という世界だったのですが,メモリが安くなったこととソフトシンセの台頭で,これだけ世界が変わってしまったのでした。
でそのJupiter-Xmですが,相変わらず楽しく弾いています。Jupiter-Xmの本当の楽しさは,JupiterやJunoの音が出ることにあるのではなく,それら同士はもちろん,XVやRDと重ねてならすことによる,立体感にあります。
さらにいうと,Bluetoothで飛んできた音楽と一緒に弾いてもその楽しさが味わえます。重ねても他の楽器に負けない音が出ているからこそ,浮いてしまわずまるで一緒に演奏しているかのような気分になるのだと思います。
不満もあります。やっぱり操作が慣れないこと。音色の切り替えが一発で出来ないので周囲の演奏においていかれます。
JupiterやJXなどのビンテージに(大きな)不満はありませんが,普通に使う音,ピアノやオルガン,パッドやキラキラ系の音などが全然ダメで,使えるレベルにないと思います。XVから選ぶ事になるこれらの音色は,XVという中途半端に古いプレイバックサンプラーを「再現」したために,その中途半端さもきちんと表面化しています。
特にエレピとオルガンは致命的で,RD-700に負けています。全然楽しくありません。
まあ,そういう楽器ではないですし,と言われてしまえばその通りなのですが,もともと複数のシンセサイザーを1台にまとめてレイヤーにする贅沢を手軽に味わうことをコンセプトにしたのですから,ここはXVではなく最新の音源を搭載して欲しかったです。
そう,XVは確かにベストセラーで多くの楽曲が作られましたが,それはXVの音が評価されたわけではなく,XVの持つ利便性が評価されたものだったはずです。当時だって,XVではなくオルガンやエレピが必要とされていたわけですから,XVの再現性が高くてもうれしい人は少ないのではないでしょうか。
鍵盤もちょっと弾きにくく,慣れてくるかなと思っていてもなかなか馴染んできません。もう少し重く,ウエイトが欲しかったです。それと,もう1オクターブ広いと楽しいのになあと思います。
電池がすぐに切れることも悲しいところです。3時間以上持つので十分と思ったのですが,Jupiter-Xmは楽しいシンセで,あっという間に時間がたちます。気が付いたら電池が切れているという事も多く,演奏後には必ず電池を取り出して充電する必要がありますが,これがまた面倒なのです。
今年はいよいよ本命のJupiter-Xが登場しますし,Xmもファームウェアのアップデートでさらに良い製品になるでしょう。新しい音源が追加されることも期待出来ますし,成長する楽しみを味わえる1年になるといいなと思っています。
・本
今回はあえて本を取り上げます。本はいつも別予算で,目に付いたらとにかく買うと言うことをやっているのですが,昨年は特に本の値段が上がったなあと実感した一年でした。2000円を超える本はざら,なかには4000円近い本も普通に売られています。
かつては4000円というと,専門書くらいのもので,個人が買うと言うより図書館に入ることを狙ったものばかりだったのですが,今は普通に売られています。
1000円を切るような本もあるのですが,これも以前と違ってその質がとても落ちています。内容の薄さに加えて,調査不足,誤字脱字,禁則やレイアウトの不備,語尾の未統一など,安い本はとにかく本としての体裁を整えていない乱暴なものが多く,読後感も悪く,得るものも少ないです。
相対的に本の価値が下がっていると憂慮しているのですが,それでもしっかり作られた面白い良書も多く,昨年もいろいろな本に出会うことができました。
一方でそうしたフラストレーションに抗い,古本を買うことが本当に増えました。古本も以前ほど安くなく,高価になっていると感じるのですが,昔の丁寧に作られた本を読んでいると,その密度に満腹になります。
また,古い雑誌も面白いのですが,私の興味の分野で,私が若かった頃のものは大方手に入れてしまったので,私より一世代古い雑誌に手を出しています。そうなると,もう文化的に全然理解出来ないものも多くて,知らないことを知れて楽しいと言うよりも,興味がないので全然わからん,と言うものも出てきてしまいます。
こうなってくると,古い雑誌が味わえません。
ただ,ここまで来るのに相当なお金もかかっていますから,もう潮時ですね。
・そんなわけで
まだ経済的にゆとりがあるから,こんなに散在も出来ていますが,これからはそうも行かなくなるでしょう。子供が大きくなってきますし,自分も嫁さんも病気をするようになれば,今のような自由はありません。親の問題も出てくるでしょうし,そもそもそうして買ったものを,自分が死んだらどうするのかと自問すると,本当に無駄な事をやっているなあと暗い気持ちになります。
これらは決して悪いことではなく,有意義なお金と時間の使い方に変化するということでもあるのですが,いずれにしても「今のまま」というのはありえず,いつかどこかで必ず大きな変化にうろたえるときがやってきます。
10年ほど前,その時の生活が維持できなくなるまでは,と散在を正当化していましたし,今も結局そうなのですが,時間の経つのが本当に早くなり,同時に終わりがチラチラと見えるようになってきた昨今,同じような理屈で正当化することにも無理が出てきたように思います。
無理せず,我慢せず,でも困らないように,うまく折り合いを付け,綺麗に着陸したいものです。