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2010年10月の記事は以下のとおりです。

MacBookAir 11.6inch 4GB 64GB USkeyboard,届く

  • 2010/10/28 16:11
  • カテゴリー:散財

 新しいMacBoookAirがなかなか好評のようです。

 聞けば,銀座のAppleStoreなどでは,人だかりができて満足に試すこともできないくらいだそうで,変な話,Windowsマシンでこれだけ話題になるマシンというのは,まずないのではないかと思います。(Macでもそうそうあるわけではないですが)

 Jobsは7インチサイズのタブレットを否定しましたし,Netbookも否定しました。ただ,Netbookには価格と大きさという2つの要素があり,今回のMacBookAirの11インチについては,大きさについては否定しなかったことがはっきりします。

 私は,iPadは大きすぎるし,3Gによる常時接続がなければ意味がなく,しかしそれは得られるもの以上に維持費がかかるという点で,見送っていました。ただ,大昔の噂の通りiPadがタブレット型のMacであったなら,小型のMacOSXマシンとして物欲ゲージMAX,意識が戻った時にはカードでの決済が済んでいたことと思います。

 その後も相変わらず,MacOSXの走るマシンがNetbookくらいの大きさで出るのだとしたら,それは購入に値するものになると考えていましたし,今住んでいるところはMacのある2階まで行かないとメールも見れないという状況でしたので,先日のMacBookAir発表の朝,ポチってしまっていました。

 まず,キーボードはUSにしたいところなので,量販店で買うという選択肢は最初から落ちます。問題はメモリをどうするかですが,4GBにするには10800円の追加料金が必要です。

 2GBはオンボードと書かれていますが,増設が可能なのか,それとも4GBオンボードになるのか,そこが不明です。増設可能ということならとりあえず2GBを買っておき,必要に応じてもう2GBを増設すればよいのですが,4GBもオンボードならそういうことはできません。

 悩んだのですが,増設できるとしてもSO-DIMMでできるとは限らないし,SO-DIMMでできるとしても今の2GBを捨てないといけなくなるかも知れないし,結局そんなに安くならない割には手間も増えて,しかも信頼性に不安を抱えることになるなら,10800円払ってお願いしておこうと考えました。どのみち最後には4GBにするわけですし。

 この判断は正解で,後にMacBookAirは増設ができず,4GBにするならBTOで選ぶ必要がありました。

 ストレージはサブマシンですので64GBもあれば十分,よってクロックも1.4GHzと低スペックです。結局メモリだけ4GBにするという慎ましい構成とし,よって価格は10万円以内に収まってくれました。

 10月21日の朝に注文,商品の出荷が10月23日,上海を経由し日本に入ってきたのが25日です。受け取りは27日となりました。

 以下,インプレッションです。


(1)大きさ,重さ

 画面が11.6インチということなので,いわゆるNetbookくらいかと思っていたのですが,16:9のワイド画面で11.6インチ,しかもキーボードはフルサイズということで,想像以上に大きいという印象をもちました。

 これはまあ,私が勝手に「Netbookくらいだろう」と思っていたからであって,そういう思い込みがなければもっと感動出来たに違いありません。

 重さについては約1kgとなっていて,これは合格です。パタンと閉じて小脇に抱えると,それがコンピュータであるという感覚が薄れ,まるでファイルや大判の本を持っているような気分になります。

 気になる薄さですが,確かに薄く,床に置いておくと踏んづけてしまいそうです。ただ,実際以上に薄く見せるデザイン上の工夫も多く,手に取ってみると感じた薄さよりも分厚いかも知れないと思うこともありました。

 感心したのは,薄いことが使い勝手を全く邪魔せず,むしろ使いやすい方向に貢献していることです。テーブルにおいてパームレストに手を置くと,手前側がより薄く低くなっていることで,手首への負担が小さい事に驚きます。これはMacBookProでは味わえない好感触ですね。


(2)動作の軽快さ

 1.4GHzのCore2Duoはすでに「遅い」CPUですが,メール,WEBブラウズ,日本語の入力を含めた日常的な作業に,全くストレスはありません。そもそも,2GHzを越えたクロックのCPUは,日常的な作業でその速度を体感することは,人間が遅すぎて難しいというのが私の持論です。むしろ,数秒単位で待たされる外部記憶装置のアクセスこそ,改善されるべきところです。

 その外部記憶装置はHDDではなくSSDになっています。このSSDはなかなか高速ですよ。ベンチマークはとっていませんが,起動も「えっ」と思うほど速いですし,ファイルを探したり開いたりという作業は,ほとんど待たされません。


(3)キーボードとトラックパッド

 キーボードは最近流行のキートップが分離しているタイプです。なぜこれが人気なのか私にはよく分かりません(これってPHC-25そっくりじゃありません?)が,使い心地は良いです。

 ストロークはやや浅めですが,とても軽快な感触で,特にキーが底を打ったときの打ち消しが良くできているなと感じました。

 それはともかく,USキーボードにして良かったです。私はショートカットを多用するので,左右の親指の位置にコマンドキーがないとつらいのです。

 トラックパッドは,ボタンのない今時のタイプが初体験な私でも,慣れれば問題なく使えるようになりました。移動速度はMAXでも遅いくらいなので,もう少しどうにかならんかと思うのですが,慣れればこれも気にならなくなります。

 トラックパッド本体を押し込むことでボタンを押すことになるという仕組みは,ちょっと慣れないかもしれないと最初は感じていました。というのは,左ボタンの操作は問題なくできても,右ボタンの操作である二本の指で触りながらボタンを押すという操作は,直感的に繋がりにくく,新しい操作系のように感じたからです。

 結論から言うとこれも慣れました。まだちょっとぎこちないですが,コンテクストメニューは案外使うものなので,慣れるしかありません。

 しかし,どうも腑に落ちないのです。なぜボタンを廃止しないといけなかったのか。別にボタンがあってもよかったと思うのですが,もしこれがデザイン重視ということなら本末転倒のように思いますし,操作性を重視したというなら,もう少し工夫が必要なのではないかと,そんな風に思いました。

 昔からそうですが,MacはGUIを実装したOSの先駆です。それゆえポインティングデバイスがなくては成立しないマシンですから,ノートPCになってもそこは妥協が許されません。

 思い出して欲しいのですが,キーボードの手前にポインティングデバイスがあるというノートPCの「型」は,PowerBook100/140/170が元祖です。そういう切っても切れないポインティングデバイスとの縁を持つメーカーだからこそ,大胆さと慎重さを持っていて欲しいなあと思います。


(4)ACアダプタ

 45Wのアダプタは,数年前のMacBookのものに比べて一回り小型化されているようです。基本的な形状は変わりませんが,MagSafeは新しいものに代わっています。


(5)スタンバイ/ハイバネーションからの復帰

 「インスタントオン」という言葉で,IPhoneやiPadから取り入れた技術だといっていますが,正直なところそんなに大げさな話ではないと思っていました。

 私はMacBookProでも,電源を切ることはせずに,ほとんどの場合LCDを閉じてスタンバイにいれて使っています。

 これでも実用上問題のない素早い復帰が行われていて不満は全くありませんでしたが,MacBookAirの復帰の速さは,もう瞬時と言ってよいでしょう。

 電源ボタンでスタンバイに移行する手段については,電源ボタンを長押しをしないといけなくなった関係で軽快さは失われていますが,その分LCDをパタンと閉じる心地よさが癖になりそうなくらいです。これはきっと,日常的にスタンバイに誘導するというユーザー体験を目指しているんでしょうね。


(6)LCD

 グレアのLCDですが,良くも悪くもないという,普通のLCDです。ややピッチが小さく,文字は小さめに見えますので,慣れるまではしんどいかも知れません。

 それより,気になったのはLCDの周囲にある額縁の太さです。何が一番気に入らないって,この額縁は新しいMacBookAirの中で,最も不細工なものでしょう。銀色の縁が視野にぱっと入ってくる度に,志向は途切れ,がっかり感が覆い尽くしてしまいます。細かいことかも知れませんが,これは良くないです。

 スタンバイの所でも書きましたが,LCDの開け閉めは,もうため息が出るほど良くできています。軽いマシンですし,ラッチ機構もないLCDですから,パタンと閉じている力に逆らって開けるには,本体をもう一方の手で押さえておかねばならないだろうと思っていると,ちゃんと手前の切り欠きに指を添えて,上に引っ張り上げると,すすーっと心地よく開いてくれます。

 閉じるときはハードカバーの本を閉じるときのような「パタン」という音と共に,丸で吸い込まれるようにしまってくれます。LCDの周りに,ゴムのような突起物がぐるっと1周してあり,これが本体と接触することで,あの独特の感触が得られているのだと思います。

 閉じたときに片側だけ浮いているとか,閉じた後に少し開くなどの問題も全くありませんし,LCDを開いている途中の,トルクの変化も実になめらかで,本当にこの開け閉めだけは,心地よいです。


(7)熱

 いわゆるCULVノートに入るマシンですから,そんなに熱で大変とは思っていませんでしたが,ちょっと使った限り「あついな」と思った事はありませんでした。この薄さですから,熱源があればすぐに表面に出てくるはずですが,ほんのり暖かいとはおもったものの,熱いという感じはありません。重い処理をさせれば熱くもなるでしょうが,このマシンでそんなことをするのは,誤りでしょう。


(8)その他

 他に気付いたところですが,どうも無線LANの感度がちょっと弱いようです。切れるとか遅いとかそういう問題はないので気にする必要もないのでしょうが,両隣に並べたMacBookProと見比べて,レベルが1つ低いというのは,あまり気分のいいものではありません。

 あと,音についてです。決していい音だとは言えませんが,MacBookProやMacBookに比べて,「お,いいな」と思うような音になっていると思います。Macは起動音を1991年10月のQuadra700/900から現在のものを使うようになりましたから,20年近くこの音なんですね。

 耳慣れた起動音だからこそ,そのちょっとした違いには気が付くもので,正直なところこれだけ薄いMacBookAirから,これだけしっかりした起動音が出てくるとは思ってもみませんでした。


(9)まとめ

 上品さ,質感の高さ,ちょっとした触った感じ,剛性感という「モノ」としての上質さに,必要十分な演算能力を備えた,完璧な生活マシンです。

 生活マシンとしての完成度の高さを象徴するものに,SSDの全面採用があります。耐衝撃性,低消費電力というメリットは当然として,1.8インチのHDDの速度の遅さはあまりにひどく,これがマシン全体のスループットを下げている問題を,SSDによって綺麗に解決したという自信は,HDDを選べなくなったことでもわかります。

 それで,これが他のメーカーに出来たのかというとそこはやや微妙なところで,アップルがiPodやiPhone,iPadでどれだけ多量のNANDフラッシュを買っているか考えると,彼らと同じだけの価格で入手でき,かつ彼らと同じだけ調達出来るのかどうか,甚だ疑問です。

 アップルはSSDを全面採用出来ましたから,HDDのスペースを確保する必要ななく,SSDの専用設計ができました。美しく,高速で,低消費電力のモバイルマシンが高次元で実現しています。

 でも他社は,いろいろな事情からHDDを候補から完全に外しきれず,設計段階ではHDDもあり得るとして話を進めていることでしょう。これが割り切った,美しい設計の足かせになっていることは想像に難くありません。

 CPUのクロックを上げることも大事です。SDRAMの速度を上げることも大事でしょうが,なんといってもストレージの速度が「イライラ」を支配しています。ここを根本的に改善する方法が現実的になった今日,私は小型モデルこそSSDへの全面移行があるべきと思っています。


 さてさて,新しいマシンが届いたのはいいのですが,動いてしまえば長年親しんだMacOSXです。ゼロから環境設定を行うか,環境移行マネージャを使うか迷いましたが,64GBしかないSSDを上手に使うには,最初から環境設定を行うのがよいと考えて,現在設定中です。

 10年くらい前までは,こういう環境構築も楽しくて仕方がなかったものですが,今はもう面倒で面倒で。要するに結果だけ欲しいのよ,あるいは結果に至る操作感の良さに浸りたいのよ,という欲求はあっても,使えるようになるまでの下準備が,かつてあれほど面白いと感じた理由はなんだったのでしょうね。


 

御三家シャープの撤退

 シャープがパソコンから撤退したことが報道されました。いわく,2009年度中に生産を中止していたそうです。

 シャープなんて,まあテレビと家電の会社ですから,パソコンなんてやっててもやめてても,体勢に何ら影響はないと思われるのがおちですが,新聞でも報道されているくらいですので,それなりの大きさのニュースなのだと思います。

 1990年代以降,メビウスやMURAMASAなど,個性的なノートPCで一定のファンを掴んでいたシャープの撤退は確かに1つの事件ですが,私は,実はシャープが日本のパソコンメーカーとしては最古参であるという事実が意外に知られていないことが,残念です。

 日本のパソコンの歴史を紐解くと,1976年にNECから発売された,トレーニングキット「TK-80」が思わぬヒットとなり,個人でコンピュータを所有することが,一般の人たちにも認知されるようになりました。

 これをうけ,主に半導体メーカーが自社のCPUを使ったトレーニングキットを販売するようになりました。CPUにメモリ,テンキーとLEDによるディスプレイが基板の上にハンダ付けされただけのむき出しのものが,普通の人向けに売られていた事が不思議なくらいです。

 この程度の製品では,本当にCPUを自分で操作して終わりで,実用性はありません。ゲームやビジネスアプリなど,結果を求める作業はなにもできないわけで,なんだ,コンピュータってなんにもできないじゃないか,と言うがっかり感も漂うようになります。

 もちろん,実力あるユーザーたちは自分で部品を追加し,ソフトも自分で書いて,フルキーボード,CRTディスプレイ,高級言語の実装を行っていったのですが,彼らにとってはその作業こそが目的であり,楽しみでもありました。

 そうではなく,コンピュータを使って得られる何かが目的の人のために,最初から完成していて,すぐに使えるパソコンが登場するのは,時間の問題でした。

 人によっては,トレーニングキットと中心としたワンボードマイコンのブームを第一次マイコンブームと呼ぶのですが,このブームの中でフルキーボードとCRTディスプレイを持ち,BASICインタプリタが動いて,保守契約を必要とせず,かつ完成品としてセットで30万円までで売られていること,の4つが,次の世代のパソコンの標準という方向が生まれて来ました。

 余談ですが,海の向こうのアメリカでは,かのAppleIIが1976年に登場し,このすべての条件を満たして,新しい時代を切り開いていました。(日本国内では為替の関係で価格という条件は満たしていませんでした)

 日本でこの条件を満たしたマシンが登場するのは1978年になります。あえてこの4つの条件を満たしたものを「パソコン」と定義すると,日本で最初のパソコンはこの年の9月に発売された,日立製作所の「ベーシックマスター」です。

 この「ベーシックマスター」を,日本で最初のパソコンとする考えた方が1つの流派を作っているのですが,3ヶ月遅れた12月に,シャープから「MZ-80K」というパソコンが登場します。

 なお,1979年の9月にはNECからPC-8001が登場し,この三社をして「パソコン御三家」と呼ばれるようになるわけです。

 このうち,MZ-80Kについては,セミキットという形で販売された関係で,厳密に言うと完成品で登場したわけではありません。しかし,実際に作る部分はキーボードの部分だけで,他は既に組み立て済みでしたし,すぐに完成品も登場して数年間の製品寿命を持っていたことを考えると,パソコンに含めてよいと思います。

 インベーダーゲームやYMO,デジタル時計というような「テクノロジー」が文化や世相に影響を与えるような時代背景もあり,個人所有でかつ結果を期待できるPC-8001は大ヒットとなり,ここに第二次マイコンブームが到来します。

 NECはPCシリーズとしてホビーマシンであるPC-6001からビジネスマシンであるPC-9801までフルラインナップ,ポータブルマシンPC-2001やハンドヘルドマシンPC-8201,果てはPC-100のような異端マシンまで繰り出す余裕を見せ,豊富なソフトを武器に王座に君臨,1990年代前半のPC-9801の隆盛へと続いていきます。

 シャープはMZ-80Kから現在のPCと同じような,メモリ空間の大半をRAMとして,BASICに固定せず様々な言語を扱える「クリーン設計」を1980年代後半まで踏襲し,個性的なマシンで熱狂的な支持を得ます。また,別の事業部で作られたとはいえ,MZの遺伝子を持つX1シリーズはテレビとの融合を掲げて誕生し,Z80マシンの完成形と言われるX1turboを経て,X68000という当時最強のホビーマシンを世に問うことになります。

 日立は御三家の中では唯一の68系のパソコンを作るメーカーで,究極の8ビットと評された6809を搭載したマシンを発売したりしましたが,1980年代中頃にはその存在に陰りが出始めていました。その直系であるMB-S1というマシンは,8ビットパソコンとしては最強のパワーと高い完成度を誇っていましたが,すでにホビーマシンとしてしか売れなかった8ビットパソコンの世界において,その勝負は付いていました。もしもMB-S1が68000とACRTCを持ったマシンだったら・・・とは,当時からよく言われた「IF」です。

 残念な事に,日立はMB-S1を最後に,独自アーキテクチャのパソコンから撤退します。代わって登場した68系の盟主が富士通で,1981年に登場したFM-8を皮切りに,FM-7,FM-77といったヒットモデルを連発し,新御三家の一員として,後に明らかにX68000を意識したと思われるホビーマシン,FM-TOWNSで勝負に出ます。

 この,第二次マイコンブームに参入した国内メーカーと代表機種をざっと挙げてみると,東芝がPASOPIA,カシオがFP-1100,松下がJR-100,ソードがM5,トミーがぴゅう太,バンダイがRX-78,セガがSC-3000,エプソンがHC-20,キヤノンがX-07,ソニーがSMC-70,IBMがJX,三菱がMULTI8,と言った具合です。概ね,シリーズ化もできないくらいの短い間の出来事でした。

 そしてBASICインタプリタで圧倒的シェアを握るマイクロソフトと,日本のアスキーが仕掛けたMSXが,主にパソコン参入のきっかけを失った家電メーカーから多数登場し,1980年代の第二次マイコンブームはピークを迎えるのです。

 しかし,この時期に登場したファミコンがこれらパソコンの主用途であるゲームという分野を奪い取り,次第にパソコンは仕事の道具という性格を強めていくことになります。

 ちょっと話が長くなりましたが,最古参のパソコンメーカーであるシャープは,1978年から2009年までの31年にわたって,パソコンメーカーであり続けたのです。決して1990年代のIBM互換マシンからが,彼らの歴史ではないということを,どこか1つの新聞くらいは書いて欲しかったなあと,そんな風に思うのです。

 もうちょっと遡ってみましょう。

 シャープは今日でも電卓メーカーとして知られていて,その熾烈な生存競争の勝者であることは有名な話です。リレーやトランジスタで作られた電卓をIC化して小さく安くしたことは,電卓の進歩のみならずマイクロプロセッサ誕生にも繋がる話ですが,なぜラジオやテレビのメーカーだったシャープが計算機に手を出すことになったかというと,当時の若手社員が「次の飯の種」と考えていたからです。

 NECや日立,富士通が電子計算機を立ち上げようとしていたころから,シャープは大学の先生から教えを請い,コンピュータの分野への参入を画策していました。

 しかしコンピュータは莫大な投資が必要で,製品の価格も大きく,数を売る商売ではありません。シャープはその電子計算機の基礎検討を,電卓や小型コンピュータの開発に応用するという,実に賢い選択をしました。

 ただ,こうした経緯もあって,当時は二流といわれた家電メーカーのシャープは,かなり本格的な電子計算機の基礎技術と,自社でコンピュータに使われるような大規模な半導体の生産が可能な,ちょっと特異な会社だったのです。

 1970年代前半にはミニコンピュータHAYACを事務処理用のコンピュータとして展開していましたし,1980年代にはCPUに68000シリーズを採用し,OSにはUNIXを搭載したワークステーションOAシリーズをラインナップしていました。さらにマイナーなところでは,1986年にRISCプロセッサを用いた32ビットのスーパーミニコンIX-11まで発売しています。

 また,8ビットパソコンを席巻したZ80を始め,16ビットのZ8000など高性能なCPUや,そのファミリLSIを大量に生産する能力を有し,SRAMやマスクROMにおいても常に時代の先頭を走る製品を持っていました。さらに,今では誰も逆らえないARMというプロセッサを国内メーカーでいち早く導入したのもシャープでした。

 日本のコンピュータの黎明においては,電電グループと呼ばれたコンピュータメーカーが主役を演じますが,実はシャープのような傍流にも,それなりの存在感を示すメーカーがあったのです。

 そして,その歴史あるシャープは汎用コンピュータから2009年に撤退しました。HAYACが,OAが,MZやCZが紡いできたその糸が,ここで切れたのです。

 もちろん,シャープはコンピュータから撤退したわけではありません。電卓,電子辞書,携帯電話,ネットブックマシン,そして今回のガラパゴスと,コンピュータそのものといっていい商品群で相変わらずの存在感を示しています。ただ,なんでもできる汎用コンピュータのラインナップがなくなることに,かつてのシャープを知るものとしての,寂しさがあります。

 さて,終わりに,その後の日本のパソコンを書いていきましょう。

 1990年代中頃にPC-9801で我が世の春を謳歌したNECは,その後Windowsと海外勢との競争に巻き込まれ,独自アーキテクチャのマシンから撤退し,基本的にIBM互換機メーカーとして現在に至ります。国内でのシェアは上位だそうですが,それも事業として安泰というレベルではなく,また海外ではさっぱりダメという状態ですので,かつてのIBMがそうだったように,NECにとってのパソコンというものを,再定義する時期はそう遠くないように思います。

 新御三家の富士通は,PC-9801との勝負を幾度となく仕掛けましたが,FM-16β,FM-Rシリーズ共に惨敗。これが独自アーキテクチャのマシンからの撤退を早め,現在に続くIBM互換機のFM-Vへの全面的な切り替えを行います。

 日立は早くからIBM互換機へのスイッチを行っており,コンスーマーマシンへの撤退と再参入を繰り返しながら,2000年代初めにはパソコンからの撤退を行っています。日本で最初のパソコンメーカーは,その名誉を守ることができませんでした。

 東芝,三菱,松下といった電機メーカーはぱっとしない状態でしたが,東芝はラップトップマシンで高い評価を得てノートPCに強いメーカーとなりました。

 MSXは最終的にファミコンに始まる家庭用ゲームマシンに敗れ去り,1990年代中頃までに市場から消え去りました。

 そしてシャープ,1986年に登場したX68000はMZ,そしてX1の流れを汲むホビーマシンの最高峰として,PC-9801やMacintoshとは違う世界を作り出しますが,加速度を増す技術の流れに背を向けて性能向上を怠ったことや,PlaystationやSEGA Saturnといった次世代ゲームマシンの登場により急速に陳腐化,Windowsの時代の到来と共に消え去ります。

 よく知られた話ですが,実は最終機種であるX68030の後継として,CPUにPowerPCを搭載した次世代Xの開発はほぼ終わっており,量産するかしないかという判断まで来ていたそうです。この話,私も後日関係者から聞いた記憶があります。

 シャープとしては,ホビーマシンをこのまま継続することは得策ではなく,またこの時登場したメビウスが大変好調であったことから,パソコン事業をメビウスに一本化することとし,PowerPCを搭載したXは幻に終わりました。

 ただ,もしもこのPowerPC搭載のXが登場していたとしても,まず現在まで生き残っている可能性はないと思いますし,おそらく1年か2年で撤退することになって,何も残さず,大きな損失を出していたことでしょう。X68000シリーズの後継かどうか,PowerPCを搭載するのかどうか,が問題ではなく,時代とユーザーの質が,すでにそのコンセプトと大きく乖離していたであろうから,です。

日曜の午後のケース加工

  • 2010/10/04 15:54
  • カテゴリー:make:

ファイル 413-1.jpg

 TA1101を使ったデジタルアンプを,リビングのAirTunes(AirMacExpressにはオーディオ出力端子が付いており,iTunesから音楽を飛ばせるのです)専用アンプとして使っています。

 半年前の引っ越し時には,オリジナル設計の6V6シングルアンプを使っていました。スピーカはパイオニアのPE-101Aに専用エンクロージャLE-101Aです。このスピーカが大変に良い音をしていまして,いつ音を出しても「おっ」と手を止め,ついつい聴き入ってします。

 6V6シングルは2W+2W程度と低出力で,PE-101Aにはちと厳しいところではありますが,PE-101Aとの組み合わせで負帰還量を「自分が最も心地よいと思う」量に調整したものです。こういう調整の仕方は私は普段はしないのですが,たまには感性でチューニングってのもやってみようかと思った次第です。

 そんな訳で,この組み合わせはかなり気に入った音を出すのですが,いかんせん消費電力と発熱が大きいことが致命的で,今年の夏は特に稼働させるのが不可能なレベルでした。

 また,私だけが使うのではなく,嫁さんも使うものになったわけですが,電源スイッチの切り忘れが頻発し,危険だったという事も気になっていました。そこで半導体アンプ,特に効率の良いデジタルアンプに置き換えてしまおうと考えたのですが,いちから設計して作るのは大変なので,安易にケース加工済みのキットでも買ってこようと思っていました。

 けど,この手のキットというのは,ありそうでない,という感じでして,ちょうど手頃なものが見当たりません。共立電子で売られていたキットに目を付けていたのですが,入荷未定で品切れ。

 やむなく,10年ほど前に手に入れたトライパスのTA1101の評価ボードを引っ張り出して来ました。トライパスはすでに存在しないメーカーですが,デジタルアンプを一気にHi-Fi用途に耐えうるものに押し上げ,高い効率と音質の両立に成功したメーカーです。多くの製品に組み込まれ,キットにもよく使われていたもので,デジタルアンプが使い物になることを証明した功績は多大だと思います。

 その初期の製品がTA1101で,BTL,10W+10Wのものです。放熱器も必要ないくらいに効率が高く,特性上も十分Hi-Fiに耐えます。PowerMacG4に採用されたことで世に知られることになったICですが,どういうわけだか,この純正評価基板が,私の手元にありました・・・

 経緯は覚えていませんが,確実に動作する基板があるのですから,使わない手はありません。ところが,手頃なケースがありません。40度近い猛暑でアキバに出かける気も起きず,やむなくCD-Rの50枚スピンドルケースに組み込み,ちゃんとしたケースを買うまでのつなぎとしました。

 先月末,大阪に戻った時,日本橋でケース一式を調達してきたのですが,そのケースがアイデアルのCL140であることは,先日も書いたとおりです。

 その穴開け加工を昨日の昼過ぎ,急に思い立って始めたところ,18時頃には完成し,実用に供することが出来ました。

 電源はACスイッチング式のACアダプタを使いますが,これまではちょうどいい手持ちがなく,12V-1Aのものを使っていました。今度は大阪から持ち帰った,12V-2.5Aのものです。これでフルパワーもいけるでしょう。なお,このACアダプタ,HPのハンドヘルドPCである,Jorunada720に付属していたものです。

 このCL140というケースは,フロントパネルがスモークアクリルとアルミの二重になっていて,7セグメントLEDなどのディスプレイを組み込むことを念頭においたケースです。ひさしが出っ張っていることも,それらしいデザインです。

 綺麗なモスグリーンで塗装された丈夫な鉄製のケースで,大きさも手頃,形もかわいらしく,仕上がりが楽しみではありました。一緒に買ってきたつまみも,大きさやデザインが良くて楽しみです。さすがLEX製,昔はどこのパーツ屋でも買えましたが,今はちょっと探さないと買えません。

 しかし,フロントパネルは思案しました。アンプですから,光り物といえばパイロットランプくらいしかありません。アクリル板など必要ありませんが,これがないとパネルが随分と奥に引っ込んでしまいますから,やはりこれはアクリルを使う事を考えたいところです。

 問題はナットを挟むだけの隙間が,アクリル板とアルミ板の間に出来るかどうかです。ボリュームのナットは大きな穴を開けて表面に出てきてもつまみで隠れるからいいとし,スイッチは普通のトグルスイッチですから,なっとを表に出すのは格好が悪いです。まあ,1mmや1.5mmくらいの隙間ならなんとかなるだろうと,いい加減なのりで加工開始です。

 リアパネルにスピーカ端子,RCAジャック,ACアダプタのジャックを取り付けます。フロントは3mm径のLED,電源スイッチに2連ボリュームを付けるだけです。あとはTA1101基板の固定穴を4つ開ければ出来上がり。アクリル板は現物あわせとし,アルミパネルに重ねて位置決めをし,ボリュームとスイッチの穴を割れないように慎重に開けます。

 組み付けて見ると,意外にぱちっとおさまります。大体勢いで始めた加工では失敗をするものなのですが,昨日は失敗らしい失敗もなく,気分良く加工を終えることができました。

 欲を言えば,電源スイッチの位置がやや低く,LEDの位置がやや高い気がするという感じでしょうか。ま,ひさしがあるだけ印象も違ってきますので,あまり細かいことにこだわることはしないでおきましょう。

 さて,肝心の音ですが,iTunesが圧縮オーディオであることもあってか,どうもざらつく印象です。電源ラインは10000uFの電源コンデンサを付けてありますが,もともとそんなに良い電源でもないでしょうから,音の悪さはACアダプタのせいかも知れません。

 ただ,スピーカの良さには,やっぱり「おっ」と手を止めてしまいます。

 TA1101は低発熱で,出力も小さなものですので,特に放熱を考えなくても構いませんし,ケースに密封しても平気です。こうして,誰にでも扱えるお手頃アンプが1つ出来て,うちのリビングに,ちょこんと座ることになりました。

 音質の改善だなんだといじり回すのも1つですが,私としては余計なことをせず,このまま使おうかなと思います。

 

近代デジタルライブラリーの役割

 著作権が切れてしまった書物をスキャンしてデジタル化によるアーカイブを行うことがあちこちで行われています。

 我が国でも国会図書館が「近代デジタルライブラリー」という名称で2002年から行われており,今年7月の時点で明治,大正期の約17万冊が,インターネットを経由し,WEBブラウザで誰でも自由に閲覧できます。登録なども必要ありません。

 明治や大正の書物というのは,普段の生活には全く必要ありませんし,面白いものでもありませんが,興味を持ち始めるとそれは底なしという感じがあります。私の場合,産業史や技術史が好きだったりしますので,特に無線や電気工学が急速に進歩する1920年代の書物に触れることは,とても刺激的です。

 海外の文献について,これらの時期のものを目にすることはあったりしたのですが,日本語の文献を見るには国会図書館に行くしかないなあと思っていたところ,その国会図書館がプロジェクトを進めていたことをふと思いだし,「無線」をキーワードに検索すると200件近くがヒットすると知り,喜んで閲覧を始めました。

 PDFでのダウンロードも可能なのですが,サーバー負荷を考慮して一度にダウンロード出来る数は見開きで20ページ(ということは10枚ですね)に限定されているため,1冊丸々のダウンロードには手間も時間もかかりますが,貴重な資料に誰でもアクセス出来るという魅力の前には,大した壁にはなりません。

 考えてみると,資料や情報というのは,囲ってしまった人が勝者です。これらは全ての活動の源泉ともいえ,これらに自由にアクセス出来ないから,そこに差が作られます。

 文字を読む,文章を綴るという事を教育の根幹とするのはそのためですし,これらの「道具」を使って,先人達の知恵に触れるチャンスを持つことは,その人自身の可能性を広げるという意味においても,大変民主的なことだと私は思います。

 ある人が,3000円の本を書いたとしましょう。これが1000冊売れると,300万円の価値があったことになります。この人は,世の中に300万円の価値を生み出した訳ですね。

 この本はがすぐに絶版になってしまったとすると,著作権が存在するために,新たにこの本を読む機会がなくなります。全く存在すら知られず,消えてしまうこともあるでしょう。しかし,もしこの本が「誰でもアクセス出来る」ような状態だったなら,新しい読者が新しい価値を生み出してくれる可能性が出てきます。

 例えば,ですが,1960年代に一斉を風靡した,世界で最初のスーパーコンピュータとされるCDC6600というコンピュータの,アーキテクチャを説明した本が出版されたことがあります。

 CDC6600は現在のコンピュータに至る過程で生まれた,多くのアイデアが盛り込まれていて,現在も使われているものもあれば,現在は別の方法で解決された問題もあります。

 しかし,CDC6600はすでに過去のもので,この本も絶版になって久しい技術書です。

 著作権は消えていませんので,当然コピーも出回りませんし,そんなことをしたら犯罪です。

 ところが,この本の価値を知るある人が,スキャンして配布したいと考え,版元に連絡をしました。版元はちゃんと受け付けて,著者の連絡先を紹介しました。

 残念な事に,著者はすでになくなっており,奥さんが権利の保有者になっていました。この本をこのまま眠らせるのは惜しいという熱意に,奥さんはこの本をスキャンして配布することを,快諾しました。

 それからしばらくして,私は偶然そのデータを入手しました。大変に面白く,数々のアイデアに脱帽しました。1960年代は現在に通じる数々の機構が開発された時期で,それが出た当時にどれくらい画期的であったのかを知ることは,とても興味深いことです。

 私はそのことで,直接の価値を生み出していないかも知れません。しかし,こうして絶版となった名著が志あるものの目に触れ,彼が新しい価値を生み出したら,それは社会全体に,もっというと人類全体にとってプラスになることだと思えないでしょうか。

 知恵の継承というのは,こうして行われて来ましたし,そこで新しい技術が生まれて,人はさらに進化していくわけです。著作権という権利はとても重要な概念ですが,諸刃の剣であることを痛感した出来事でした。

 日本語は全世界で1億数千万人しか使わないローカルな言語です。しかしその長い歴史を考慮すると,蓄積された情報量というのは膨大なものになることでしょう。それが特別なものではなく,広く希望する人に行き渡ることで,新しい価値が生み出されるはずです。

 国会図書館が,こうしたプロジェクトを地道に行っていることは,一見無駄に見えるかも知れませんし,マニアックで,一部の人の利益にしか鳴っていないように見えるかも知れませんが,直接閲覧して面白いと思うならそれはそれでよいし,直接ではなくても間接的に,必ず社会全体の利益になると,私は信じています。

 注意しないといけないのは,昔の本ですから,ウソも書いてあるという事です。電波は「エーテル」を媒質に伝わると,これだけ豪快に言い切ってしまう文献を,歴史的なものとして見るだけのゆとりがないと,恥をかきますのでご注意あれ。

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