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2008年02月の記事は以下のとおりです。

みみもと

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 フォステクスというと,MTRのメーカーという人もいればヘッドフォンのメーカーという人もいるし,長岡先生のスワンについて熱く語り出す人もいたりと,なにげに音に関わるメーカーとして,知る人ぞ知る存在です。

 しかしてその実態は,なく子も黙るフォスター電機です。ヘッドフォンやスピーカーの製造元で知られ,「これにも」「あれにも」フォスター電機のスピーカーは入っています。ヘッドフォンなどはそのものずばり,OEMで供給されていたりします。

 私の場合,フォステクスというと自作派を見捨てないスピーカーユニットのメーカーであることと,個性的なヘッドフォンRP50のオーナーであることで,ちょっと特別な存在ではあるのですが,先日RP50のイヤーパッドを直販サイトで購入したことがきかけになり,時々メールが届くようになりました。

 なんでも,リニューアルするとか。

 リニューアル予定の日時を過ぎても準備中と,おいおいこのまま閉鎖するんか,と心配になっていたのですが,ちゃんとオープンしました。

 リニューアル記念に安い物も出ていたのですが,ヘッドフォンのデモ品などは気持ち悪くて却下したところ,結局なにも買う物を見つけることが出来ませんでした。

 ただ,プレゼントキャンペーンがあったので応募してみます。私の場合,大体の場合こういうのに当たった試しがありません。今回も外れるだろうと思いつつ,非売品の「みみもと」というヘッドフォンに応募してみました。

 そんなこともすっかり忘れていた金曜日,なんと当選した「みみもと」が届いておりました。

 いやー,うれしいものですね。ありがとうございます。

 改めて確認してみると,20名に当たるというものでした。応募者がどれくらいいたのかわかりませんが,中に入っていたメモも手作りっぽくて,良い意味でうれしくなります。

 「みみもと」と書かれた包み紙に,簡素なビニル袋に入ったそのヘッドフォンは,非常に軽く,若干粗雑な作りです。しかし,フォステクスのヘッドフォンによく見られる白を基調に,オレンジのFOSTEXロゴが,コアなマニアからの視線を釘付けにしそうです。

 ヘッドフォンですから,なにより音が大事。ということで,早速使ってみましょう。

 ・・・

 ・・・

 ・・・

 ・・・これはいかんです。

 一瞬,耳がおかしくなったのかと思いました。次にiPodが壊れたのかと思いました。でも,いつも使っているオーディオテクニカのCK7に差し替えて,そのどちらでもないことを確かめて,ほっとしました。

 いや,大多数の人が好む低音バリバリのブーミーな音が出てくると思っていたのですが,実際はそれを含んで,高音がさっぱり出ていない。しかもかなり歪みが大きい上に,中域の山が大きくて,とてもではないけど長時間聞いていられません。

 CK7は,やや低域に偏りがあるものの,基本的にどの帯域にも公平な音です。モニタを目指したと言うだけのことはあります。

 一体,これと同じ物がどのメーカーにOEMされ,なんという型番で売られているのかわかりませんが,仮にこれを2000円とか3000円で買うと,私ならかなりがっかりすると思うのですが,世の中の人はそんなこともないのでしょうか?

 ということで,残念ながら実用機にはなりませんでした。

 ぱっと見ると,おそらく展示会のお土産か取引先へのノベルティだろうと思われるのですが,失礼ながらこれを配るのは自殺行為では・・・と心配になりました。

 誤解のないように書いておきますが,せっかく頂いたものですし,感謝はしてます。フォステクスも好きだし,そこが私にプレゼントですからね,うれしくないはずはありません。

 しかし,音は別です。

 おそらく,好みの問題を通り越して,ちょっとつらいという音になっていたことが,私にとっては残念でした。

 とりあえず,このヘッドフォンのOEM品を買わないように,気をつけたいと思います。

EF50はかっこいい

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 年に数個ですが,やっぱり真鍮製の鉄道模型キットを作るのは楽しくてやめられません。

 もっとも,興味のない模型を作るのは苦痛なので,それなりに思い入れのあるキットが出てくれないといけないのですが,幸いなことに半年に一度くらいの割合で「おおっ」と思うようなものがリリースされてくれるので,ありがたいです。

 今回は,ワールド工芸のEF50です。

 リニューアル品ということで,駆動系も一新されており,実に楽しみなキットです。EF50はワールド工芸にとっても,割と早くからキット化されており,出る度に完成度が上がっているので,余程思い入れがあるのでしょう。

 しかし,EF50なんて,大正から昭和の初期に活躍した最古参の電気機関車です。今実物を見ることも不可能なわけで,そんなものをリアルタイムで追いかけていたファンがそれほどいるようには思えません。

 私だって,当然実物を見たことは一度もありません。

 しかし,格好いいんですね。全長22mの大型ボディ,大きな動輪に,大きなデッキ,特徴のある鎧戸に魚腹型の台枠,そしてなにげに流麗なデザインで,いかにも英国生まれという機関車です。

 兄弟機のED17は,私にとってNゲージ復活第一号の機関車になっただけに,その兄貴分であるEF50は是非手に入れたかったところです。

 ところが完成モデルはどこも作っておらず,唯一のキットも発売から結構な時間が経過しており,入手不可能で悔しい思いをしました。埋め合わせにEF53のキットを買ったのが私にとっての最初の真鍮キットであったことも,ちょっと懐かしい記憶です。

 EF50という機関車は,輸入当時は8000型と呼ばれていた,日本で最初のF級電気機関車です。高速旅客用の大型機で,2C-C2という軸配置はこの機関車が手本となり,旧型電気機関車と分類されるEF58までずっと使われ続けることになります。

 日英同盟とか,外交関係が大きな理由となって輸入された機関車だったわけですが,イギリスとしては電気機関車が得意で売り込んだわけではなく,当のメーカーも大型の電気機関車を作った経験はなかったそうです。(余談ですが当時の電気機関車先進国は言うまでもなくアメリカでした)

 そのせいもあって部品の信頼性も低く,蒸気機関車を連結して走る必要があったり,高速度遮断機がなくて乗務員から敬遠されたりと,後に実力を付けた日本のメーカーの部品で改良が一通り行われるまで,今ひとつ主力になりきれなかったようです。

 しかし,安定してからの人気は高く,昭和5年頃の「富士」の先頭を飾ったりと,東海道の主として君臨したという輝かしい歴史もあります。

 なんでも,この機関車は,製造したメーカーのカタログの表紙を飾るなど,それなりに気合いの入った1台だったようですし,イギリスの鉄道博物館には美しい模様を描いたイギリス風の塗装が施された同型機が展示されているらしいです。イギリスの当時の車両は塗装も美しく,焦げ茶色のEF50とはまた違ったあでやかさがあるそうです。

 さて,年末に手に入ったEF50,まとまった時間が取れるまで放置していたのですが,ようやく先々週に取りかかることが出来ました。久々だったこともあり,サクサク作れたわけではないのですが,それでも大きな失敗もせずになんとなく形になっていくのは,実に楽しい作業です。

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 作ってみて,随分複雑になってきたなあという印象です。走行系の完成度も高く,プロポーションもよいのですが,部品点数も増えていますし,折り曲げも複雑で,ハンダ付け後にもう一度やり直すことも何度かありました。とはいえ,さすがに真鍮のキットだけに,やり直しが利くというのがうれしいところです。

 しかし,塗装は今ひとつの出来です。今回は,ぶどう色1号がマッハの塗料で,黒もマッハにしてみることにしたのですが,ちょっと厚ぼったい感じになってしまいました。

 それに,ホコリも付着していますし,シールプライマーを塗ったところに付いた傷のようなものもそのままになっています。昔の私ならシンナープールに直行だったと思うのですが,なんかそういう緻密さは年齢と共に失われていく物だと寂しくなりました。

 そんなわけで,完成したEF50ですが,うーん,出来は今ひとつ。でもやっぱり格好いいです。これが牽引して様になる客車を私は持っていないので残念ですが,ディスプレイするとその流麗さにうれしくなります。

 最初に作ったEF53と並べてみることにしたのですが,EF53がまた適当に作ってあり,ボディが車体から浮いてしまっているので,きちんと作り直すことにしました。

 走行系を分解してきちんとビス留めが出来るように仕上げると,これもなかなか格好がいい。さすが戦前のお召し指定機EF53です。この時は塗装するにも忍耐があって,結構綺麗に仕上がっているんですね。

 戦前の花形機関車がこうして列んでいるというのは,当時ならあったのかも知れません。しかし,茶色ではなく本当にぶどう色だった当時の電気機関車を見ることは写真でも難しく,模型ならではという感じがします。

 さて,次は東急池上線の1000系ですね・・・塗装済みキットなので簡単にできると思うのですが・・・

そうこうしているうちに

 そうこうしているうちに,東芝から正式にHD DVDからの撤退が発表されてしまいました。

 個人的にはやっぱり残念です。規格統一の話が決裂したあたりで,技術的にというより,子供のケンカのような意地の張り合いが目に余るこの争いが,こういう形で収束するしかなかったのかどうか,私には疑問が残ります。

 ただ,東芝としては,集中と選択を進めている中で(ちなみに今の東芝の社長の西田さんは,大変スピード感のある方で,海外からの評価の高い経営者です),今後大した貢献も出来そうにないこのカテゴリを,綺麗に収束させる方法を模索していたように思いますので,この時期にこういう形が」ベストだったのではないかと,そんな風にも思います。

 東芝という会社は,光学ドライブの世界では一定の存在感のあるメーカーでしたから,BDに与することはないという今回の発表は,業界全体にとってマイナスになるような気もします。

 メンツもあるでしょうからやむを得ませんが,ライバルであるソニーはもちろん,DVDでは共に戦った松下も,内心残念であったに違いありません。

 まあ,ソニーはβで,松下もDCCで,ビクターもVHDで,それぞれ痛い目にあっています。これに懲りず,また東芝さんの元気な姿を見たいものです。

HD DVDが収束するという話で思うこと

 先週の土曜日に突然報道された盟主東芝のHD DVDの撤退騒ぎで,週明けのIT関連のニュースは持ちきりでした。

 普通,記者やライター達は,すでにつかんだ様々な情報を,こうした報道がなされることで事実上の解禁として一気に放流するものなんですが,今回そうした動きがない,つまりたくさん上がった割には内容が憶測や過去の事実のまとめにとどまっているところをみると,やはり正式な物ではなくリーク,それもある程度意図したリークであったと考えるのが自然なようです。

 そもそも,ユニバーサルやパラマウントなどのコンテンツホルダーや,早くから支持してくれていたHPやマイクロソフトよりも先に「やめます」と言う,まるで船長が真っ先に救命ボートに乗るような話が正式に出るはずはなく,発表があるとすればそれらへの根回しが完了してからになると思います。

 私も記者ではありませんし,関係者ですらないので憶測も憶測,妄想といってもいいくらいのことしか書きませんが,せっかくですので思っていたことを適当に書こうと思います。

 最初に書いておきますが,私の予測はHD DVDはROMだけで生き残って,映画などコンテンツ配布用メディアとして使われ,一方のBlu-ray Disc(以下BD)は家庭用の録再機に搭載され,結局両規格はその役割の違いで棲み分けることが自然になされる,でした。

 HD DVDにはDVDで実績のある完成度の高さがあり,その確実な記録性能と扱いの楽さは市販されるパッケージメディアとして最適です。一方BDの高密度記録と設計思想の高さは,常に高い要求を続けるコンスーマに今後数年間応え続けるものだと思いますし,単純に容量が大きいことだけ考えても,録画という用途にはありがたい話です。

 しかし,残念なことに,BDで一本化されることになってしまいました。

 1万円近い映画コンテンツを収める配布メディアとして,BDはまだまだ未成熟で信頼性に乏しいんではないか,子供はディスクを乱暴に扱うものですが,大好きなディズニーの映画が割と簡単に見ることが出来なくってしまうのはかわいそうだなとか,技術的に無理をした分,耐久性が落ちるのは最初は仕方がないところで,またそこを見極めないといけないのは面倒きわまりないなあとか,まだまだBDに対する不信感が拭えません。その点では,私はHD DVDには残って欲しかったと思う人です。

 HD DVDがBDに負けるのは,技術的には既定路線でした。

 私は技術者で,かつてはCDを回す仕事をしてたので光学ディスクに関する基礎知識は持っているつもりですが,HD DVDがDVDの技術の延長にあり,乱暴な言い方をすれば青色レーザーによる高密度化にだけに頼った無難な(裏を返すと安全で確実な)ものであったのに対し,BDはそれだけではなく,さらに難しい技術を導入して容量を増やすことに挑戦したことが見て取れます。

 これはどちらが優れているという話ではなく,基本的な思想の違いです。

 HD DVDは必要とされている要件を十分に満たしつつ,従来からの移行を基本に安く安全に作ることを目指したもの,BDは次の世代にふさわしい少し先の技術でその時必要とされている以上の大容量化を貪欲に目指したもの,という感じです。

 物理的な話だけではなく,論理的な規格についても,BDの方が確かに難しいことをやっているように見える方は多いのではないでしょうか。

 考えてみると,DVDの次を作るために青色レーザーを使うというのは何の疑問もない「前提」になっていたわけですし,その開発はレーザー屋さんの努力に頼るところが大きいわけです。

 しかし,光ディスク技術者としては,青色レーザーだけではなく,それをとことん使いこなすということにも意地を見せたい,という熱意があって,BDの「レンズの開口数を大きくする」という挑戦に結びついたんじゃないかと思うのです。

 開口数というのは,簡単に言うとどれだけ光を一点に集めることが出来るかというレンズの性能を表す数字です。CDでは0.45,DVDでは0.6,HD DVDではやや大きくなって0.65,BDでは0.85と随分大きくなっています。

 光をより小さな点に集めることが出来れば,それだけ高密度の記録ができることになります。ですから,同じ青色レーザーを使ってもHD DVDは片面15GByte,一方のBDは片面25GByteと結構な差になっているのです。

 しかし,話はそんなに簡単ではありません。開口数を0.85にすることで,BDには2つの壁が立ちはだかりました。1つはレンズの問題,1つはディスクの問題です。

 開口数0.85というレンズは,非球面レンズを複数枚使うなどの高価な光学系を使えば実現可能だったわけですが,1枚の,それもモールドという金型を使って大量生産するレンズで作るのは非常に難しく,そんなことが本当に出来るのかどうかも当初は危ぶまれたそうです。

 しかし,もともとCDだって,そしてDVDだってかつてはそう言われていたわけで,今回も関係者の努力によって克服されたのでした。これで,安価で小型の民生品に,大量に安定してレンズを供給する目処が立ったことになります。

 次にディスクの問題ですが,開口数を大きくすると,いろいろ理由があってレンズとディスクの記録面を近づけなくてはなりません。このためCDで1.2mm,DVDでは0.6mmもあった保護層が,BDではなんと0.1mmになってしまったのです。

 0.1mmの保護層を12cmの円盤に均一に作り込めるのか・・・ちょっと考えると音を上げてしまいそうな話です。HD DVDならDVDと同じく0.6mmの円盤を貼り合わせるだけですので,実績がすでにあります。

 それに0.1mmといえば,ちょっと深い傷が付くともう記録面に達してしまいます。ちょっとの傷が致命傷になってしまうディスクが本当にお茶の間に入り込めるのか,そこは私も疑問でした。

 覚えている方も多いと思いますが,BDは当初,ケースに入った状態でお目見えしました。しかし,こうしたケース(キャディといいます)に入って成功したメディアは未だかつてありません。従来通り0.6mmの保護層を持つHD DVDには,もちろんキャディなど必要ありません。

 しかし,BD陣営で気を吐いているあるディスクメーカーが,ちょっとやそっとでは傷の付かないハードコード技術を提供,これによりBDはキャディを脱ぎ捨て,いつしか裸で扱われることが当たり前になったのです。

 残念なことに,キャディに入っていた初期のBD-REは,現在の機器では扱えません。物理的には同じであっても,今のBD-REになるまでに追加された仕様があまりに多すぎ,互換性が切られてしまいました。初期のレコーダで記録したディスクが今の機器で再生できない,という現実は,HD DVDとBDの戦争以上にユーザーに対するメーカーの責任を問いたい気持ちです。

 ディスクについては,もう1つ問題があって,それはディスクの製造も難しくなるということでした。

 円盤形状のメディアは,複製を大量に作ることが出来る点が最大のメリットです。エジソンの筒型のレコードが,ベルリナーの円盤のレコードに完敗した理由はそこにあります。

 BDが登場した時,大量生産のラインは全くの未完成でした。一方のHD DVDはDVDと基本構造が同じであり,製造ラインも流用が可能とさえ言われていました。BDは製造装置も全部入れ替え,ラインを作り直す必要があり,その初期投資は莫大なものになると言われていましたし,本当にDVD並の歩留まりを確保できるかも未知数でした。

 しかし,これもやがて関係者の努力で解決に向かいます。製造ラインが一度立ち上がってしまえば,あとはそのラインでドンドン製造するだけです。

 BDがここまでくるのには,集った多くのメーカーが,自らの得意分野で成果を持ち寄り,まさに総力戦で不可能を可能にしてきた感動的とも言える歴史があったわけです。

 こうしてみると,HD DVD陣営がやり玉に挙げていた技術的な問題点は,非常に短期間のうちに克服されたことになります。思うに,技術というのはそういうもので,本気になればやがて解決されるものです。

 時間とお金がかかるのは当然としても,技術的問題点というのはいずれ克服される事が宿命である以上,今ある技術で無難に作って挑戦をしないことが,果たして次の10年を担う次世代DVDとして正しい事だと胸を張って言えるのかどうか,本当はHD DVDの技術者も悩んでいたんではないかと私は思います。

 ふと思いついたのが,CDからDVDへの世代交代で,容量は約6倍となりました。ところがDVDからHD DVDでは3倍程度と,ちょっと見劣りしますわね。これだと移行するには物足りない,次の10年持たないよ,と考えられても仕方がありません。

 そこでBDの人たちはまずDVDの5倍を狙おうと考えて,25GByteという数字を目標にしたんじゃないのかなあと思うのです。

 盟主東芝の言い分で,BDよりも2層ディスクが作りやすいから実質30GByteだとか,そもそもHDの映画コンテンツを入れるのに25GByteもいらない,というのはちょっと説得力のない言い訳で,私はこの点については「将来を見据えた挑戦」を選んだBD陣営の技術者の良心を評価したいと思います。

 未来の商品を作るのに,今ある技術ばかりで作っても仕方がない,とBD陣営のある方がいったそうですが,この点についてはまさにその通りでしょう。こうして,大方の予想通り,技術的に楽ちんだというHD DVDの最大の優位点は,BDに完全に列ばれてしまったのでした。

 私ならどうしたか,と考えてみたのですが,これまで見てきたようにHD DVDには今ある技術で完成させたことで,先行逃げ切りが可能という強みがありました。一方のBDは技術的にこれから作らねばならないことが山ほどあり,やがて解決するだろうという楽観的な予測は出来ても,時間的に不利である状況は変わらなかったはずです。

 BDの方が性能が上回っている事実は変わらず,これが完成すればHD DVDが不利になることも明白だったわけですから,HD DVDがやるべき事はとにかくBDが完成する前にさっさと広めてしまうことだったはずです。

 とはいえ,ハイビジョン放送の普及度もまだ低く,録画用途での普及を待っているとBDに追いつかれます,

 とすると答えは1つ,映画コンテンツを格納する配布メディアとして実権を握ることです。

 コンテンツホルダーの意見として,既存の製造ラインを使えることのメリットを評価したところは多かったわけですし,従来のDVDとHD DVDを分けずに製造できる点は確かに合理的です。

 それに,すでに大量生産が可能であることを実績で証明していたHD DVDこそ,ディスクの製造にお金がかからない(つまりコンテンツホルダーの儲けがそれだけ増える)点で好都合だったわけで,大きな需要に応えることも出来る高いレベルでの生産能力も含め,HD DVDの「無難さ」を徹底的にアピールするべきだったんじゃないのかと思うのです。

 うまくすると,BDの製造ラインは家庭用の録画ディスクが本格的に必要とされるまで立ち上がってこなくなるわけで,歩留まりの改善も設備の安定も価格もなかなかこなれてこず,一石二鳥だったはずです。

 やがてBDが録再機に搭載され,録画メディアとしての地位を確立するでしょうが,それは映画配布メディアとして確固たる地位を築いたHD DVDとしては,もう関係ない話です。

 製造枚数で言えば配布用のROMの方が数も多く,利益もそれなりに確保できますし,製造も楽なわけですから,そこできちんと儲ける方法を考えることは難しくないはず。容量がBDよりも少ないことは,2層ディスクが安定して製造でき,より圧縮率の高いH.264を使うHD DVDにとって,映画のパッケージ用に使う分には全く問題にならなかったでしょう。

 著作権保護にもメリットがあったかもしれませんね。HD DVDに記録メディアや録再メディアを提供しなければ,コピーを作ることはできないわけですし,いわゆる海賊版を作る業者は製造業者に委託するかプレス工場を自前持つしかないわけで,それはどっちも足が付きますし。

 そもそも,HD DVDとBDはもう別物です。同じ土俵のものではありません。自ずと得意分野も目指す物も違ったはずなのに,なぜ排他的に雌雄を決する必要があったのか,私はその発想がそもそも疑問だと思うわけです。

 個人的には,HD DVDの陣営がよく口にしていた主張に共感する物が多くあります。もともとDVDの次世代としてHD DVDをみんなで考えていたところに,そのメンバーから突然BDという規格が出て来た事が理不尽とか,両面50GByteというユーザーもコンテンツホルダーも必要としない容量のために技術的に難しいことを無理に盛り込んで価格を上げたり品質を犠牲にするような話は技術者のエゴであって本末転倒とか,それはそれで筋は通っています。

 規格統一の話が合ったときも,東芝は筋を通しました。自分たちが本流であると,だから歩み寄るなら向こう側だと。それはそうですが,BDとしては技術的に解決が困難なものが1つでも残っていたら,おそらく東芝に頭を下げたと思いますが,おそらくあの時点で問題解決の目処はある程度立っていたのでしょう。そこは政治的な駆け引きでもあり,残念ながら流れを読み切れなかった東芝が「安くて安定して十分な容量を持つメディア」をあの時殺してしまったと,私は思います。

 仮にそこで物別れに終わっても,先ほど言ったように映画用のパッケージメディアとして棲み分けるという戦略をぶれずに進めていられれば,おそらくBDよりも長生きメディアになれたでしょう。しかし,それも欲張りすぎて失いました。

 しつこく続けたHD DVDのBDに対するネガティブキャンペーンも,BD陣営に対するだめ出しとして機能してしまい,なにを改善すればいいのかを明確にさせたにとどまらず,BD陣営の結束力を高めてしまっただけのような気がします。

 結果として,東芝は膨大な開発費を回収できないまま,HD DVDを放棄することになるでしょう。そしてなにより,BDの軍門に下ることを余儀なくされてしまうでしょう。HD DVDにはHD DVDならではのメリットがあり,それを信じたエンジニアが気の毒です。

 しかし,BDは本当に勝者でしょうか。

 先日,半導体関係のある方と話をしたのですが,「もうHDは儲かりません」とぼやいていました。

 BDとHD DVDのフォーマット戦争は終結し,今後はBDを普及させて開発費を回収するフェイズに入ります。しかし,すでにBDを含むHDの世界では部品の価格が下落し,儲けが出にくくなりつつあります。

 いわく,世代が変わるごとに,儲けることの出来る時間が短くなっています,とのこと。開発にかかる費用は世代が進むごとに大きくなるにも関わらず,すぐに他社に追随されてあっという間に価格競争に陥ってしまう,そういう構図がますます顕著になっています。

 BDは技術的にも難しいことをやっています。大量生産によって単価は下がるでしょうが,あっという間に中国などで生産されるようになり,開発費を十分に回収できないうちに価格競争に入ることは,もう避けられないと思います。

 悪い話はまだあります。BDの次の世代の話が全くないのです。

 BDが利益が出なくなってしまった時には,次の世代で稼ぐ必要があります。しかし,その次がないというのは,どうしたことでしょう。

 技術的にはいろいろ開発が進んでいるようです。しかし,それが加速しない理由に,そういう高密度大容量のディスクの使い道がないというのがあります。

 CDの次は映像と入れたいとDVDが出来ました。DVDの映像がHDならいいなあ,でBDが出来ました。ここまでは素人でもわかります。では,HDの映画の次に,あなたはなにが欲しいですか?

 BD以上にかかる開発費を回収できるくらい,誰がその高密度光ディスクを欲しがってくれるでしょうか?その高密度ディスクに入れる膨大なデータを,普通の消費者がどれだけ欲しがってくれるでしょうか。関係者の間では,BDは最後のコンスーマ向け光ディスクだと言い切る人さえいるのです。

 これで,BDは勝った勝ったと喜んでいられるのでしょうか?

 小さな勝負に一喜一憂することをやめ,原子力とNANDフラッシュに注力する東芝が結局勝者になるという可能性は,本当にゼロでしょうか?

 この話,光ディスクに限った話ではありません。LCDなどのディスプレイも,システムLSIなどの高機能半導体も,CCDやCMOSセンサなどのデジカメ用のキーデバイスも,HDDやフラッシュメモリなどのストレージも,みんな程度の差はあれ,同じ状況です。

 つまるところ,消費者が「今はこれで我慢しよう,来年になるともっといいものが出るよ」と未来に期待し夢を託すことが,もはや不可能な時代になったことを,私も含めた関係者は直視しないといけないと思うわけです。

目の前に伝説の人がいるという驚異

 先週土曜日は,かのバート・バカラックのコンサートに行ってきました。大ファン(というかいわゆるポピュラーミュージックに触れるきっかけになった特別な存在だそうです)の友人が「もう80歳だからね,今回の来日は奇跡だ」と声をかけてくれたのです。

 出不精の私としても,せっかく東京近郊に住んでるわけですし,これはやはり見ておくべきだと,そのお誘いにのることにしました。

 繰り返しますが御年80歳。存命なのは普通の話として,失礼ながらステージに立てるのでしょうか・・・それも東京で2回,神奈川で1回,大阪で1回も,です。

 しかし,そんな心配は杞憂でした。2月16日18時。予定通りそのステージは幕を開けました。

 オーケストラに囲まれ,グランドピアノの前に座るその人は,間違いなくバート・バカラックでした。いやー,全然80歳にみえん!

 半世紀以上にわたって,まさにポピュラーミュージックシーンの先頭を走り,まさに道なき道を切り開いてきたその偉大な「発明者」は,演奏する曲があまりに多すぎて,フルコーラスを演奏した曲は少なく,何となく気ぜわしいメドレーが中心です。

 しかし,そのメドレーも違和感なくスムーズに繋がるのはさすが。あれよあれよといううちに,彼の世界に引き込まれていきます。

 注意力が削がれてしまうような夢心地に浸りながら,私は彼の「節回し」に思いを巡らせていました。

 私見ですが,バート・バカラックほど,受け手によって評価するポイントが大きく違う人もいないのではないでしょうか。ある人はコード進行の素晴らしさ,ある人は美しいメロディー,ある人は独特のリズム,という具合にです。

 それは受け手の勝手な解釈によって意見が割れるという意味ではなく,まして評価が定まっていないという事でもなく,これらすべての完成度が一様に高く,受け手がたまたまどれに感動したのか,という「第一印象」によるところが大きいという,そういう意味です。

 私の場合,コード進行でバカラック節」を意識するようになりました。

 面倒臭いのでキーをCにしますが,

C -> F -> G7 -> C

 という3コードは,あまりに普通すぎてつまらんのですが,これを,

Cmaj7 -> Fmaj7 -> FonG -> Cadd9

 とするだけで,随分中間色になる,といいますか,雰囲気が変わるんですね。

 私は,これを誰が最初にポピュラーミュージックに投入したのか,すごく気になっていたのですが,ひょっとするとバート・バカラックがその先駆者ではないかと,今回思ったりしました。本当にところは専門家に任せますが・・・

 同じようなコード進行は,カーペンタースにもよく見られますし,コードとして確立される以前には,オーケストラ出身のアレンジャー達によって普通に行われていたのですが,コンポーザーがこれを意識してスコアに明記するようになった現代とはちょっと事情が違うと思われ,アレンジの1つとして和音を組み立てるのではなく,作曲家が意識してこれらのコードを使いこなす時代が来たのは,やはり彼がきっかけになってるんではないかだろうかと思うわけです。

 カーペンタースについても濃いマニアがいるので,彼らからの異論は当然あると覚悟の上であえて言いますが,結局リチャード・カーペンターも,バート・バカラックのフォロワーに過ぎないということです。そして,それがカレン・カーペンターの声と組み合わさって,彼らの世界として定着しました。私の理解は,あくまでバート・バカラックが源流にあります。

 今回,彼の最初のヒット曲を演奏してくれました。まるで子供向けの音楽のような無邪気な曲だったのですが,彼が演奏前のMCで言うような「私の曲とは思わないかもしれない」という言葉と裏腹に,きちんとコード進行は後のバカラック節を彷彿とさせ,これはどう考えてもバート・バカラックの作品だと思わせるものでした。

 これを半世紀以上も前にやってるなんて,と私は絶句しました。

 今回のコンサートで耳にしたコード進行として,

Fmaj7 -> Em7 -> Fmaj7 ->Em7

 みたいな,坂本龍一が大好きな進行も

F -> GonF -> Em7 -> Am7add9

 みたいな,「威風堂々」のような進行も

C -> Cmaj7 -> C7 -> Fmaj7

 のような,ビートルズ(つかジョージ・ハリスン)の「Something」のような進行も,彼の引き出しから出てくる出てくる。

 あと,

C -> F

 なんかも,いきなりいかず,

C -> Gm7 -> C7 -> F

 ときちんとつないでいく丁寧さ。CからFだとトニックからサブドミナントへの移行に過ぎませんが,Fの前にC7を置くと,ここでCmajからFmajへの転調風味を加えることが出来て,ダイナミックな場面展開を印象づけることができます。

 でも,いきなりすぎるので,お客さんは戸惑います。そこでC7の前のGm7を入れて,CmajとFmajへの変化に階段を付けてお客さんを丁寧に導くのです。

Gm7 -> C7 -> F

 という後半部分はFmajだったとすると結局Fに着陸していますけど,もしこれがCmajだとすると,

Dm7 -> G7 -> C

 となり,この部分だけで独立して,きちんと終止形に落ち着くように構成されていることがよく分かります。Dm7は機能としてIVと同じですから「これからいくぞ」と思わせ,G7で終わりを予見させて,そして予定通りCできちんと終わるという道筋ですが,これを本来の「CからF」という流れの中に劇中劇として組み込むことで,さらにドラマティックになるんですね。

 音楽というのは,聞き手の期待に沿いつつ,適度に裏切ることが心地よい条件だと言われていますので,こうした組み立て方は聞き手に感動を呼び込みます。これに覚えやすいメロディーと印象的なドラム,そして美しいアレンジが加わることで無敵の曲が完成します。

 考えてみると,バート・バカラックの曲は,どれもこれに該当します。

 いやー,参りました。

 ・・・とそんなことを考えながらじっと彼のパフォーマンスに聞き入っていたわけですが,他にも,特にベースとドラムがうまかったということ,ストリングスに全くバラツキがなく,まるで1つの楽器のように鳴っていたことが素晴らしかったことも
付け加えておきます。

 しかし,なにより素晴らしかったのは,彼の肉声です。私はボーカリストとしての彼が大好きで,もっと彼の歌を聴きたかったのですが,もう80歳ですからね,あれだけ歌ってくれただけでも感動的でした。「Make It Easy On Yourself」を聞けなかったことがとても残念ではありましたが・・・

 ただ,3人のボーカリストは私の好みに合いませんでした。声も歌い方も好きではありませんが,なによりあの美しいメロディーを勝手に変えて歌っていることが受け入れがたいものでした。まあ,バート・バカラック自らの意志で彼らを選び,やりたいことを表現しているのでしょうから,私がとやかく言えるわけではありません。


 やはり,あらゆる世代から尊敬を受ける彼のような存在は,あまりに大きすぎるとしか言いようがありません。貴重な公演でしたから,きっと有名人もたくさん見に行かれたんだろうと思いますが,あの場所では少なくとも観客全員が「ファン」として同じ立場に立てたわけで,バート・バカラックという人の存在なくして味わえない連帯感のようなものに,改めてその特別さを痛感した次第です。

 一緒に行った友人は,ボロボロ泣いていました。感動というのは素晴らしいものです。

 コンサートでは,昔の曲だけではなく,新しい曲も聞くことが出来ました。アレンジも楽器も今風で,コード進行はより挑発的なものでしたが,こうして過去の栄光に安住せず,新しい挑戦をする彼のスタンスに,本当の「発明者」の姿を見たような気がしました。

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