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さようなら,東芝未来科学館~その5

 東芝未来科学館の5回目,身近な家電品です。

(9)国産初の電気冷蔵庫 SS-1200(1930年)

 加熱,冷却は今では当たり前で珍しくもないのですが,考えてみるとこれは大変なことです。発熱も吸熱も化学的あるいは物理的な性質に頼るほかありませんが,エネルギーの供給をどうするかという問題と,温度をいかに制御するかという問題が解決しなければ,利用することが出来ません。

 どちらも強い要望があり,つまりは商売になるからということで開発が進んだ結果だといえるのですが,それにしてもものを燃やしたり,抵抗に電気を流せば済む発熱に対し,吸熱はなかなか大変だったろうなと思います。

 この電気冷蔵庫は現在主流のヒートポンプ式で,原型はアメリカGE社のものです。当時の小学校の先生の年収に匹敵する金額だったというから,どんな人が買った(買えた)のでしょうか。

 戦後の高度経済成長期に電気冷蔵庫が一気に普及し現在に至るわけですが,そのことで食品の売り方や買い方が大きく様変わりします。夕飯を作り始める直前に近所の魚屋や肉屋にその日の分だけ買いに行き,買ってきたらすぐに調理を始めるという方法しかなかったものが,現在は一週間分の買いだめが可能にほどになっています。まさに冷蔵庫さまさまです。

 とはいえ,それまで家庭に冷蔵庫がなかったのかいえばそうでもなく,氷を入れて冷やす冷蔵庫は普及していました。氷ですから,定期的な供給が不可欠ですので,そのために街に一つは必ず氷屋さんがあったと聞きます。

 私が子供の頃はまだ氷屋さんがありましたが,それもいつしかなくなってしまいました。氷で冷やす冷蔵庫もギリギリ見た事があるのですが,容量も今の独身者用の冷蔵庫よりももっと小さく,現在の冷蔵庫に求められる役割を果たせるようなものではありません。どんな使い方をしていたのか,知りたい所です。

 さて,このSS-1200ですが,せっかくだからとアテンダントの方が特別に扉を開いて見せてくれました。それがこの写真です。

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  中を見るまではドキドキしていましたが,開けてみると案外普通。アテンダントの方も「普通でしょ」と言われたことを記憶していますが,それだけ冷蔵庫の基本機能に変わりはないということでしょう。

 ただ,すごいなと思ったのは製氷皿があることでした。つまりこの冷蔵庫は氷が作れるという事なのですが,氷は庶民にとって手軽なものではなく,一般家庭で常備できるようになるというのは画期的なことでした。

 氷式の冷蔵庫は当然氷など作れるはずがありません。だからこそ氷屋さんが商売として成り立っていたわけですから,電気を使って冷却することの目に見える進歩は,おそらく氷が家で作れることにあったのだろうと想像します。


(10)ゆで卵器 BC-301(1959年)

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 卵は昔から日本人のタンパク源として重用されてきました。ゆで卵は食べやすく,持ち運びも困らず,高度経済成長くらいまでは歩きながら食べられるファストフードのような役割を果たしていたと聞きます。

 私もゆで卵は好きですが,難しいのは作ること。茹でると言いつつ適当に茹でてしまうと半熟だったり(私は柔らかいのはだめなのです),殻がくっついてむけなかったり,白身が飛び出してしまったりと,上手くいった試しがありません。

 それ以前にそれなりの時間がかかり,調理中完全に眼を放すわけにもいかないところが,私に取ってあまり親しみのある調理方法ではない理由かも知れません。

 このゆで卵器は1959年ですので,高度経済成長前夜の商品。戦後の電力不足が落ち着き,各家庭で灯りとラジオ以外に電気を使う製品で生活を豊かにと言う機運が高まると共に,各家電メーカーも創意工夫を凝らし,あの手この手で新商品の開発に夢中だった時代です。

 ジューサーや餅つき機などのこうした電気を使ったニッチな用途向けのキワモノ商品のうち,結局生き残ったのは炊飯器くらいのものだと思うのですが,このゆで卵器は今でも欲しいと思わせる商品です。

 だって,ここに水と卵を入れて放置するだけでゆで卵が出来上がっているんですよ,こんな便利はものはないでしょう。


(11)芝浦電気扇 C-7032(1928年)

 これは日本で最初の扇風機とは違って,一般家庭に普及し始めた頃のものです。原理的には現在売られているものと変わらず,交流100Vで動作し,風量の調整も首振りも可能なものです。これ,戦前の100年近く前のものですからね,

 その意味では,これをここで採り上げることもないのですが,アテンダントの方の計らいで,実際にうごかして頂いたので採り上げました。

 動いてしまえば今の扇風機となにも変わりません。風邪もしっかり来ますし,首も振ります。独特の風斬り音も今のものとそんなに変わりません。

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 感心したのが,現在一般家庭に普通に供給されている交流100Vで動作するということです。例えばですね,20年前の携帯電話を持っていたとして,これが今使えますか?

 カセットテープはまだいいとして,オープンリールテープが出てきても,これを再生することはかなり難しいはずです。

 ブラウン管のテレビはどうですか?ミニディスクだって大変でしょう。フィルムのカメラでも,110フィルムと呼ばれたカートリッジフィルムを使うポケットカメラなんか,かなり難しいんじゃないでしょうか。

 そう,大切に持っていても動かす事が出来ないのが当たり前であるなかで,今もそのまま一般家庭で使えることを目の当たりにすると,システムの継続性がいかに大切な事かを痛感します。


(12)マツダ電気蓄音機オリオン800号(1933年)

 1933年といえば,日中戦争が起こる4年前,そろそろ世の中がきな臭くなり,対象から昭和の初期にかけての自由な空気が変わるころです。

 真空管の発明に端を発したエレクトロニクスは,リアルタイムで音声を飛ばすラジオと,過去の音声を何度も再生出来るレコードの2つのオーディオ製品を一般的なものにしました。

 とはいえ,本場アメリカでも高価だったものが,当時100%もの関税をかけて輸入されたされたのですから,まさに家一軒のお値段。そこにさらにレコードを買う必要も出てくるとあれば,本物のお金持ちしか買うことが出来ません。

 ゼンマイとラッパを持つ蓄音機の価格よりもずっと高価だった電気蓄音機がこうした立派なキャビネットにおさまっているのはそうした理由からでしょうが,これも偶然実際に音を出してくれている場面に立ち会うことが出来ました。

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 当然SP盤なのですが,これが想像以上にいい音がするんですよ。もちろんノイズも多いし,強弱はつかないし,高音は出ないのですが,低域の豊かさと中域の艶やかさは素晴らしいものがあります。これを100年前の人が聞いたら,そりゃー感激するはずです。

 ちゃんと調べていませんが,当時の高級電蓄では2A3がよく使われたと聞きます。これももしかしたら2A3かも知れません。

 

 本当はもっともっと紹介したいのですが,きりがないので今回で最後です。

 繰り返しになりますが,今回紹介したものだけでも,東芝という会社が果たした先駆的な役割は大きなものがあると思います。

 我々はあまりその事実を知りませんし,東芝も声高に言いはしません。ですが,私のような興味のある人が知っているというだけではもったいなく,もっと広く知られてもよいと思います。。

 東芝という会社は我々からとてもとても遠いところに行ってしまいましたが,身近だった時代でさえも控えめだったことは否めません。今からでも構いません,日本の電気は全方位で東芝が先頭に立ってきたと,胸を張ってアピールしてくれたらなあと,そんな風に思います。

 

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