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さようなら,東芝未来科学館~その4

  東芝未来科学館の4回目,今回は半導体です。

 前回も書きましたが,東芝は電球を祖業としていて,電子管でも確固たる地位を築いたメーカーでした。

 能動素子である電子管のトップメーカーになったことから,次の世代の能動素子であるトランジスタへの移行は既定路線で,当然のようにICやLSIでも先頭を走り続けます。

 総合電機メーカーが半導体を手がけるのは日本独自の傾向と言っていいかもしれないのですが,自社の家電が大きな商売になっていて,半導体の大口顧客が確実に存在したことに加え,ICやLSIが自社製品の競争力を高めると言ったような互いにメリットのある関係が,日本の半導体を底上げしてきたと思います。

 アメリカの半導体が軍事に支えられて発展したことは有名ですが,日本では家電がその役割を担いました。だから,日本のメーカーはDRAMなどのデジタルだけではなく,民生用のアナログ半導体も世界最強だったのです。

 日本の家電が凋落し,同時に日本発のユニークなアナログ半導体も存在感を失いました。東芝もその1つですが,皮肉なことに中国や台湾の半導体メーカーが東芝生まれの民生用アナログ半導体の互換品を生産してくれています。

 いわば世界標準になったということですが,1980年代,アメリカやヨーロッパのICの互換品を日本の各メーカーが生産していた時代に,私などは日本のオリジナル品種を海外メーカーが互換品として生産する日が来るのだろうかと思ったものです。

 まさに今そうしたことが起きているという事に,隔世の感があります。

 それから,これも過去に書きましたが,東芝はアマチュアに優しいメーカーでした。東芝のトランジスタやダイオードは高性能で安くて入手しやすいことから自作の標準部品として君臨しますし,子供向けの工作の雑誌には広告も出してくれていました。

 そういうこともあり,私にとって東芝の半導体は育ての親のようなもので,もう少し展示を増やして欲しいと思っていたのですが,まさか一般公開をやめることになるとは・・・


(7)NANDフラッシュメモリ TC584000(1990年)

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 今や半導体メモリのテクノロジーリーダーとなったNANDフラッシュ。書き換え可能,電源を切ってもデータは消えず,しかもHDDを置き換えるほどの大容量を実現したこの記憶素子は半導体の新しい応用分野を切り開きました。これも東芝の発明品です。

 もちろん,記憶素子は以前からありました。古くは水銀遅延線,後に主役となったコアメモリは電源を切ってもデータが消えないメモリでした。

 半導体を使ったメモリはフリップフロップを応用したスタティックRAMと,コンデンサに電荷を蓄えることで記憶するダイナミックRAMが大きく発展します。前者は回路技術で,後者は素子の特性で記憶を行うメモリという根本的な違いがあります。

 一方で,スイッチとして機能するトランジスタのゲートに,あらかじめ電荷を閉じ込めておくことで半永久的にそのトランジスタをON/OFFしておく,書き換え可能な読み出し専用メモリ(ROM)が登場します。

 実はトランジスタ1個で1ビットの記憶が可能なROMは,読み書き可能なRAMに比べて集積度が高く,同じ世代では最も大容量を実現出来ていました。しかし,電気的に書き込みが可能なEEPROMについては書き込みや消去の回路が大きく,なかなか普及しません。

 そこでインテルが,消去や書き込みをバイト単位ではなく,ページというもっと大きな単位で行うフラッシュメモリを開発,一気に市場が大きくなりました。

 そんな中,NANDフラッシュが登場します。NANDフラッシュは隣り合うFETを部分的に共用することで,1ビットの記憶を平均1個以下のトランジスタで実現しました。

 ただし,読み書きには強い制限がつきます。コントローラでその制約を隠蔽化して各種メモリカードに搭載されるようになって,大きな市場を手に入れました。

 1998年頃だと思いますが,それまで高価だったコンパクトフラッシュがいきなり半額ほどになったことがありました。これがNANDフラッシュの実用化によるものだったと知るのは,もう少し後のことです。

 写真は4MbitのNANDフラッシュ,TC584000です。世界で最初に市場に投入されたNANDフラッシュです。

 容量は4Mbitですから512kバイトですが,4Mバイトという当時大容量のメモリカードがわずか8チップで構成できるという事で,HDDなどの回転系メディアの独壇場だった外部記憶装置が,いよいよ半導体に置き換わるんじゃないかという気配を感じました。

 そんなNANDフラッシュも,今や東芝の手を離れ,別の会社として開発と生産を担っています。半導体は文字通り桁違いのお金がかかるので,経営者に熱意や意地がなければ続けられないものですが,本当に危険なギャンブルという性質が強いだけの産業なら,とっくの昔になくなっていても良さそうなものです。

 でも,実際にはそのギャンブル性はおさまるどころかますます強まりながら,技術の進歩と各国の思惑を飲み込み,今も巨大産業として君臨しています。

 総合電機メーカーが半導体を手がけるデメリットは,特に半導体に思い入れも興味もない人が経営者になったときに,簡単に撤退や縮小が起こってしまうことにあるのかも知れません。


(8)1MbitダイナミックRAM TC511000(1984年)

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 コンピュータにとって記憶装置は不可欠な要素なのですが,かつてはとても作るのが大変な代物でした。10個や20個の記憶ならいざ知らず,数百数千数万もの記憶素子を規則的に並べ,しかもエラーがないように作るというのは気が遠くなるような話ですし,事実黎明期のコンピュータにとって頭の痛い問題は,このメモリをどうするかでした。

 最初期にはフリップフロップを用いたり,コンデンサを使ったもの,磁気ドラムなどもメインメモリに使われた例があるようですが,どれも大量生産に向いておらず,高価なものでした。

 やがてコアメモリが多く使われるようになりますが,これとて電気-磁気変換を応用したものでしたし,米粒のようなコアに銅線を縦と横に通すという,まさに「編む」という作り方でしたから,小型化,大容量化,低価格化には限界が見えていました。

 そこに登場したのが,ICメモリです。ICはフォトマスクから同じ物がどんどん生産でき,歩留まりが上がれば価格も一気に下がります。まさに印刷であり,これを単純な阻止が多数集まったメモリを作るのに最適と考えるのは自然な流れでしょう。

 まずはフリップフロップを集積したスタティックRAMがICになりました。シフトレジスタという形で数個からスタートしたスタティックRAMは,数十,数百と容量を増やしますが,表面化したのは消費電力です。

 例えば,256bitのチップ(インテルの1101Aなど)で1kバイトのメモリを構成するには32個のチップが必要です。それでも1kバイトというメモリをたった32個のICで構築出来ることは画期的な事だったのですが,この時の消費電力は1チップあたり最大685mWなので実に20Wを越えます。

 ここでインテルは次の一手に出ます。ダイナミックRAMです。コンデンサに電荷を蓄えて記憶するメモリですが,スタティックRAMに比べてトランジスタの数は1/4で済みます。

 つまり,同じ世代のICなら,スタティックRAMの4倍の容量になるわけで,事実先程の1101Aと同世代の1103は1kbitの容量でした。ということは,1kバイトのメモリはたった8個で作る事が出来るわけです。

 ただ,コンデンサの電荷は時間が経つと抜けてしまいますので,定期的に再書き込みが必要です。こうした欠点を持っていながらも,ダイナミックRAMは今なおコンピュータのメインメモリとして王座を守り抜いています。

 さて,4kbit,16kbitとアメリカのメーカーの後塵を拝し,互換品メーカーとして少しずつ規模を拡大しつつあった日本の半導体メーカーですが,1970年後半に世界に先駆けて64kbit品の開発に成功,その後数世代にわたって大容量品の開発をリードし,品質の高さも相まって世界市場を席巻します。

 そんな中,東芝は64kbit品の開発の後れをとり,存在感が希薄になってきました。ある新聞には東芝がダイナミックRAMから撤退する,とまでかき立てられる始末ですが,ここで東芝は256kbit品での勝負を捨て,一気に1Mbit品の一番乗りを目指すことになります。

 当時はちょうど,プロセスがNMOSからCMOSに切り替わる時期で,東芝はこの1MbitのDRAMをNMOSとCMOSの両方で同時並行で進めました。最終的にCMOSが有利とみて製品化されたのはCMOSだったわけですが,実はこの製品によって,汎用のダイナミックRAMはCMOS化に舵を切ることになるわけです。

 その点では,単なる大容量化ではなく,現在当たり前になっているCMOSのダイナミックRAMの第一号だったわけで,特に消費電力の低減に威力を発揮して,その後のメモリの歴史を書き換えるのです。

 写真はそのCMOSダイナミックRAM,TC511000です。

 東芝はその後4Mbit,16MbitとダイナミックRAMを主力商品として開発を続けますが,その後は韓国企業の追い上げと価格競争に敗れ,撤退を余儀なくされます。他の日本のメーカーも同じような状況でしたが,かつてインテルが日本のメーカーに敗れて祖業であったダイナミックRAMから撤退したことと重なって見えたものです。

 

 さてさて,今回紹介したのは展示があったものですが,本当なら以下の展示もあって当然だと思っています。


・世界初の自動車用エンジン制御マイクロプロセッサ T3153(1973年)

 アメリカのフォードの要求で開発された,世界初のエンジン制御用のCPUです。世界初のCPUとは言いませんが,4bitそこらの電卓用CPUでリアルタイム制御が出来るはずもなく,タンスくらいあった12bitのミニコンをLSIで作ったものです。

 当時,PDP-8などのミニコンピュータは生産設備や計測機器の制御にも使われていて,エンジンの制御も当初ミニコンで実験されていたそうです。

 これをそのまま自動車に搭載可能に,というフォードの要求はまさに無茶で,トランクに収まるくらいが現実解だったことでしょう。

 でも,それではコンピュータを運んでいることになるわけで,エンジンの付属品として実用に供されるには,やはりLSI化しか答えはありません。

 ただLSIで作ると言うだけではなく,振動,高温や低温,寿命や信頼性という点で桁違いのスペックを要求される車載半導体における,世界初のCPUです。もっと注目されてしかるべきでしょう。

 面白いのは,このCPUはマイクロプログラム方式で作られていました。そう,KT-Pilotです。改良版のT3190では乗除算命令が追加になりましたが,これもマイクロコードで実装されていたそうです。


・トランジスタ

 世界の標準品種として使われる2SC1815は,1970年代に登場した2SC372を源流とします。2SC372から2SC1815,そして2SC2458から2SC2712と,その基本性能は変わらず現在も親しまれています。

 もちろん,2SC372以前にも標準品として2SB56といったベストセラーがあり,当時のトランジスタラジオにはよく使われていました。トランジスタの生産量がアメリカを抜いて世界一になった頃の製品です。

 FETについても実は大きな足跡を残しています。初期のFETである2SK19は高周波用として,2SK30Aは低周波用として現在も使われているロングセラーです。東芝の半導体は日本のオーディオブームも性能と価格でささえましたが,2SK170や2SK389,2SK405などはその音質で定評がありました。

・スマートメディアとSDカード

 NANDフラッシュの発明は前述の通りですが,その応用製品としてスマートメディアは異色でした。

 当初,SSFDC(Sold State Floppy Disk Card)と呼ばれたものですが,いってみればNANDフラッシュをカードサイズにパッケージしただけのものでした。

 記憶が正しければセガのデジカメに初採用,その後デジカメブームにのっかって,当時の有力メーカーである富士フイルムとオリンパスに採用されたことからメジャーなメディアになりました。

 しかし,容量アップやプロセス進化,電源電圧の低下といったNANDフラッシュそのものの違いがそのまま外部に出てしまうことから,本体側での対応が必須で互換性の維持が大変で,いずれ破綻することは目に見えていました。

 さて,SDカードも実は東芝が開発メーカーです。厳密には東芝と松下電器の共同開発で,ドイツのシーメンスが開発したMultiMediaCardに著作権保護機能を追加して,音楽や映像を記録する媒体として登場しました。

 デジカメの市場が拡大するに従ってコンパクトフラッシュ,メモリースティックと激しい覇権争いが起こりましたが,さすがにNANDフラッシュを自ら作る東芝が主導するだけあって,容量や速度で常に先頭を走り,小型メモリーカードを制しました。

 日本初の規格が世界を制覇するケースは未だにそんなに多いわけではなく,しかも現在進行形で先頭を走っているSDカードが日本生まれであることを,もっと知って欲しいなあと思います。
 

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