御三家シャープの撤退
- 2010/10/22 15:28
- カテゴリー:ふと思うこと
シャープがパソコンから撤退したことが報道されました。いわく,2009年度中に生産を中止していたそうです。
シャープなんて,まあテレビと家電の会社ですから,パソコンなんてやっててもやめてても,体勢に何ら影響はないと思われるのがおちですが,新聞でも報道されているくらいですので,それなりの大きさのニュースなのだと思います。
1990年代以降,メビウスやMURAMASAなど,個性的なノートPCで一定のファンを掴んでいたシャープの撤退は確かに1つの事件ですが,私は,実はシャープが日本のパソコンメーカーとしては最古参であるという事実が意外に知られていないことが,残念です。
日本のパソコンの歴史を紐解くと,1976年にNECから発売された,トレーニングキット「TK-80」が思わぬヒットとなり,個人でコンピュータを所有することが,一般の人たちにも認知されるようになりました。
これをうけ,主に半導体メーカーが自社のCPUを使ったトレーニングキットを販売するようになりました。CPUにメモリ,テンキーとLEDによるディスプレイが基板の上にハンダ付けされただけのむき出しのものが,普通の人向けに売られていた事が不思議なくらいです。
この程度の製品では,本当にCPUを自分で操作して終わりで,実用性はありません。ゲームやビジネスアプリなど,結果を求める作業はなにもできないわけで,なんだ,コンピュータってなんにもできないじゃないか,と言うがっかり感も漂うようになります。
もちろん,実力あるユーザーたちは自分で部品を追加し,ソフトも自分で書いて,フルキーボード,CRTディスプレイ,高級言語の実装を行っていったのですが,彼らにとってはその作業こそが目的であり,楽しみでもありました。
そうではなく,コンピュータを使って得られる何かが目的の人のために,最初から完成していて,すぐに使えるパソコンが登場するのは,時間の問題でした。
人によっては,トレーニングキットと中心としたワンボードマイコンのブームを第一次マイコンブームと呼ぶのですが,このブームの中でフルキーボードとCRTディスプレイを持ち,BASICインタプリタが動いて,保守契約を必要とせず,かつ完成品としてセットで30万円までで売られていること,の4つが,次の世代のパソコンの標準という方向が生まれて来ました。
余談ですが,海の向こうのアメリカでは,かのAppleIIが1976年に登場し,このすべての条件を満たして,新しい時代を切り開いていました。(日本国内では為替の関係で価格という条件は満たしていませんでした)
日本でこの条件を満たしたマシンが登場するのは1978年になります。あえてこの4つの条件を満たしたものを「パソコン」と定義すると,日本で最初のパソコンはこの年の9月に発売された,日立製作所の「ベーシックマスター」です。
この「ベーシックマスター」を,日本で最初のパソコンとする考えた方が1つの流派を作っているのですが,3ヶ月遅れた12月に,シャープから「MZ-80K」というパソコンが登場します。
なお,1979年の9月にはNECからPC-8001が登場し,この三社をして「パソコン御三家」と呼ばれるようになるわけです。
このうち,MZ-80Kについては,セミキットという形で販売された関係で,厳密に言うと完成品で登場したわけではありません。しかし,実際に作る部分はキーボードの部分だけで,他は既に組み立て済みでしたし,すぐに完成品も登場して数年間の製品寿命を持っていたことを考えると,パソコンに含めてよいと思います。
インベーダーゲームやYMO,デジタル時計というような「テクノロジー」が文化や世相に影響を与えるような時代背景もあり,個人所有でかつ結果を期待できるPC-8001は大ヒットとなり,ここに第二次マイコンブームが到来します。
NECはPCシリーズとしてホビーマシンであるPC-6001からビジネスマシンであるPC-9801までフルラインナップ,ポータブルマシンPC-2001やハンドヘルドマシンPC-8201,果てはPC-100のような異端マシンまで繰り出す余裕を見せ,豊富なソフトを武器に王座に君臨,1990年代前半のPC-9801の隆盛へと続いていきます。
シャープはMZ-80Kから現在のPCと同じような,メモリ空間の大半をRAMとして,BASICに固定せず様々な言語を扱える「クリーン設計」を1980年代後半まで踏襲し,個性的なマシンで熱狂的な支持を得ます。また,別の事業部で作られたとはいえ,MZの遺伝子を持つX1シリーズはテレビとの融合を掲げて誕生し,Z80マシンの完成形と言われるX1turboを経て,X68000という当時最強のホビーマシンを世に問うことになります。
日立は御三家の中では唯一の68系のパソコンを作るメーカーで,究極の8ビットと評された6809を搭載したマシンを発売したりしましたが,1980年代中頃にはその存在に陰りが出始めていました。その直系であるMB-S1というマシンは,8ビットパソコンとしては最強のパワーと高い完成度を誇っていましたが,すでにホビーマシンとしてしか売れなかった8ビットパソコンの世界において,その勝負は付いていました。もしもMB-S1が68000とACRTCを持ったマシンだったら・・・とは,当時からよく言われた「IF」です。
残念な事に,日立はMB-S1を最後に,独自アーキテクチャのパソコンから撤退します。代わって登場した68系の盟主が富士通で,1981年に登場したFM-8を皮切りに,FM-7,FM-77といったヒットモデルを連発し,新御三家の一員として,後に明らかにX68000を意識したと思われるホビーマシン,FM-TOWNSで勝負に出ます。
この,第二次マイコンブームに参入した国内メーカーと代表機種をざっと挙げてみると,東芝がPASOPIA,カシオがFP-1100,松下がJR-100,ソードがM5,トミーがぴゅう太,バンダイがRX-78,セガがSC-3000,エプソンがHC-20,キヤノンがX-07,ソニーがSMC-70,IBMがJX,三菱がMULTI8,と言った具合です。概ね,シリーズ化もできないくらいの短い間の出来事でした。
そしてBASICインタプリタで圧倒的シェアを握るマイクロソフトと,日本のアスキーが仕掛けたMSXが,主にパソコン参入のきっかけを失った家電メーカーから多数登場し,1980年代の第二次マイコンブームはピークを迎えるのです。
しかし,この時期に登場したファミコンがこれらパソコンの主用途であるゲームという分野を奪い取り,次第にパソコンは仕事の道具という性格を強めていくことになります。
ちょっと話が長くなりましたが,最古参のパソコンメーカーであるシャープは,1978年から2009年までの31年にわたって,パソコンメーカーであり続けたのです。決して1990年代のIBM互換マシンからが,彼らの歴史ではないということを,どこか1つの新聞くらいは書いて欲しかったなあと,そんな風に思うのです。
もうちょっと遡ってみましょう。
シャープは今日でも電卓メーカーとして知られていて,その熾烈な生存競争の勝者であることは有名な話です。リレーやトランジスタで作られた電卓をIC化して小さく安くしたことは,電卓の進歩のみならずマイクロプロセッサ誕生にも繋がる話ですが,なぜラジオやテレビのメーカーだったシャープが計算機に手を出すことになったかというと,当時の若手社員が「次の飯の種」と考えていたからです。
NECや日立,富士通が電子計算機を立ち上げようとしていたころから,シャープは大学の先生から教えを請い,コンピュータの分野への参入を画策していました。
しかしコンピュータは莫大な投資が必要で,製品の価格も大きく,数を売る商売ではありません。シャープはその電子計算機の基礎検討を,電卓や小型コンピュータの開発に応用するという,実に賢い選択をしました。
ただ,こうした経緯もあって,当時は二流といわれた家電メーカーのシャープは,かなり本格的な電子計算機の基礎技術と,自社でコンピュータに使われるような大規模な半導体の生産が可能な,ちょっと特異な会社だったのです。
1970年代前半にはミニコンピュータHAYACを事務処理用のコンピュータとして展開していましたし,1980年代にはCPUに68000シリーズを採用し,OSにはUNIXを搭載したワークステーションOAシリーズをラインナップしていました。さらにマイナーなところでは,1986年にRISCプロセッサを用いた32ビットのスーパーミニコンIX-11まで発売しています。
また,8ビットパソコンを席巻したZ80を始め,16ビットのZ8000など高性能なCPUや,そのファミリLSIを大量に生産する能力を有し,SRAMやマスクROMにおいても常に時代の先頭を走る製品を持っていました。さらに,今では誰も逆らえないARMというプロセッサを国内メーカーでいち早く導入したのもシャープでした。
日本のコンピュータの黎明においては,電電グループと呼ばれたコンピュータメーカーが主役を演じますが,実はシャープのような傍流にも,それなりの存在感を示すメーカーがあったのです。
そして,その歴史あるシャープは汎用コンピュータから2009年に撤退しました。HAYACが,OAが,MZやCZが紡いできたその糸が,ここで切れたのです。
もちろん,シャープはコンピュータから撤退したわけではありません。電卓,電子辞書,携帯電話,ネットブックマシン,そして今回のガラパゴスと,コンピュータそのものといっていい商品群で相変わらずの存在感を示しています。ただ,なんでもできる汎用コンピュータのラインナップがなくなることに,かつてのシャープを知るものとしての,寂しさがあります。
さて,終わりに,その後の日本のパソコンを書いていきましょう。
1990年代中頃にPC-9801で我が世の春を謳歌したNECは,その後Windowsと海外勢との競争に巻き込まれ,独自アーキテクチャのマシンから撤退し,基本的にIBM互換機メーカーとして現在に至ります。国内でのシェアは上位だそうですが,それも事業として安泰というレベルではなく,また海外ではさっぱりダメという状態ですので,かつてのIBMがそうだったように,NECにとってのパソコンというものを,再定義する時期はそう遠くないように思います。
新御三家の富士通は,PC-9801との勝負を幾度となく仕掛けましたが,FM-16β,FM-Rシリーズ共に惨敗。これが独自アーキテクチャのマシンからの撤退を早め,現在に続くIBM互換機のFM-Vへの全面的な切り替えを行います。
日立は早くからIBM互換機へのスイッチを行っており,コンスーマーマシンへの撤退と再参入を繰り返しながら,2000年代初めにはパソコンからの撤退を行っています。日本で最初のパソコンメーカーは,その名誉を守ることができませんでした。
東芝,三菱,松下といった電機メーカーはぱっとしない状態でしたが,東芝はラップトップマシンで高い評価を得てノートPCに強いメーカーとなりました。
MSXは最終的にファミコンに始まる家庭用ゲームマシンに敗れ去り,1990年代中頃までに市場から消え去りました。
そしてシャープ,1986年に登場したX68000はMZ,そしてX1の流れを汲むホビーマシンの最高峰として,PC-9801やMacintoshとは違う世界を作り出しますが,加速度を増す技術の流れに背を向けて性能向上を怠ったことや,PlaystationやSEGA Saturnといった次世代ゲームマシンの登場により急速に陳腐化,Windowsの時代の到来と共に消え去ります。
よく知られた話ですが,実は最終機種であるX68030の後継として,CPUにPowerPCを搭載した次世代Xの開発はほぼ終わっており,量産するかしないかという判断まで来ていたそうです。この話,私も後日関係者から聞いた記憶があります。
シャープとしては,ホビーマシンをこのまま継続することは得策ではなく,またこの時登場したメビウスが大変好調であったことから,パソコン事業をメビウスに一本化することとし,PowerPCを搭載したXは幻に終わりました。
ただ,もしもこのPowerPC搭載のXが登場していたとしても,まず現在まで生き残っている可能性はないと思いますし,おそらく1年か2年で撤退することになって,何も残さず,大きな損失を出していたことでしょう。X68000シリーズの後継かどうか,PowerPCを搭載するのかどうか,が問題ではなく,時代とユーザーの質が,すでにそのコンセプトと大きく乖離していたであろうから,です。