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健康な私とお医者さん

 先日,人間ドックなるもので,初めて「問題箇所」を指摘されました。肝臓のある値が基準値を大きく超えているということと,便潜血があるという2点です。

 肝臓については,基準値を超えているという話ですから,その基準値の妥当性についても,もっというと検査の数値そのものの誤差や変動をどこまで考慮するかによって,OK/NGが変わってくると思うのですが,便潜血については出てるか出てないかの二択ですので,出ていると言われれば「何かの間違い」という話にはなりません。

 素人があれこれと気に病んでも仕方がないし,かといって放置するのがいいのかどうかもわかりません。ここは専門家である医者に判断してもらうのが得策でしょう。

 6月のある日の午後,予約を取って病院に出向いたところ,肝臓についてはその場で血液検査となりました。結果は問題なし。値は随分改善していましたし,お医者さんによるとそもそもこのくらいの値なら心配ないよ,ということでした。

 まあ,人間ドックは早期発見や予防に大変効果があるのですが,一方で病院にとっては貴重な収入源です。しかもここで「再検査」と出れば,多くはその病院で再検査を受けようとするでしょう。いきおい,基準値は厳しいものに設定されがちです。

 いや,それがいかんというわけではないのです。厳しめにすることで,確実なスクリーニングができます。疑わしいものは確実に引っかける,これが分野を問わず,予防ではとても良い方法なのです。(コストを度外視すれば,ですが)

 まあ,人間ドックの学会が出した基準値が他の学会の基準値と違うという事が先日のニュースでも報道されていたくらいですので,値の大小で一喜一憂することがどれほどバカバカしいか,わかろうというものです。

 しかし,便潜血は前述のように,出ているか出ていないか,です。出ていなければ見落としがあるかも知れませんが,出ているという以上「出ていない」ことには出来ません。

 ということで,私が相談したお医者さんは,速効で「大腸内視鏡,ポリープが見つかったら切除手術,よって1泊2日の入院,ここにサインを」と畳みかけてきます。気が付いたら入院の手続きをして帰宅し,3週間後の検査に怯える毎日を過ごすことになりました。

 結論から言うと,この検査では全く異常は見つからず,従ってポリープの切除も生検用の組織サンプルの採取もなく,なにも処置されずにその日のうちに「帰れ」と言われて夕方には自宅に戻ったのですが,日帰りでも入院という扱いになるので,私は生まれて初めて入院をしたことになるのでした。

 こんな風に,深刻な病気が見つからないのはいつものことなのですが,その度に予期せぬ事件が起きるのが私の面白いところで,今回はちょっと過去の経験を書いてみようと思います。


(1)首が曲がった

 中学生の時ですが,体の大きかった私は,組み体操の人間ピラミッドではいつも一番下の土台を割り当てられていました。それはそれで別にいいんですが,なにがまずいって,中学生ですから,崩れるときに面白がって下の奴を踏んづけたりするわけです。

 これは今にして思うと非常に危険なことで,いってみれば将棋倒しで大事故になるようなものと同じだと思う訳ですが,今から30年ほど前は大らかだったんでしょうね。

 で,いつものように土台をやり,いつものように崩れた時,誰かの膝が私の首を直撃し,私の首は曲がったままになってしまいました。痛くてまっすぐにできないのです。

 母親は心配になって私をかかりつけの病院に連れて行ったのですが,そこの院長がまじまじと私を見つめて,「痛いか」と尋ねます。

 痛いです,と答えたあと,先生はゆっくりと私の頭のてっぺんと顎を掴んだと思ったら,おもむろに反対側にぐいっとひねったのです。

 あまりの痛さに中学生の私は「痛いがなー」と叫んで手を払いのけたのですが,先生はふむふむ,といった面持ちで,「やっぱり痛いか」とつぶやきました。

 何をしたかったのか今でもわからんのですが,医療行為としてはこれで終わりで,検査も無し,湿布がでて終わりました。

 2週間ほどすると,徐々に首もまっすぐになってきましたが,ちょうどその頃撮影した,電話級のアマチュア無線の免許用の写真をみると,無理してまっすぐにしている様子がわかります。

 まあその,後遺症とかなくて幸いでしたが,今ならこでほっとくことはないでしょう。2週間ほど首が痛くてまっすぐにできないなんて,立派なけがですからね。それにしても,痛めた部分を無理にひねるなんて,絶対にやったらだめなことだと思うんですけど・・・ちなみにこの院長,私の尿路結石を「急性腎炎」と誤診し,以後私の生活を数年間不自由にさせた張本人でもあります。


(2)尿路結石で体育をサボる

 ある寒い朝,腰に鈍い痛みを感じた中学生の私は,腰をぐいっとひねって,「うおー」と言いながら大げさにその場に倒れ込みました。ところが,その鈍い痛みは弱くなるどころか徐々に痛みが増し,最終的には動く事すら出来ないほどの強い痛みになりました。

 ヒーヒーいってる私を,そばで見ていた弟は「いつまでやってんねん」という感じで私を半分無視していたので,自ら大声を出して母親を呼んだのですが,余りの痛みに腰は伸ばせず,立ち上がることも出来ず,抱えられるようにどうにか病院に到着したのです。

 病院では痛み止めの点滴がまず打たれ,私は次第に消えてゆく痛みの中で意識が薄れていったのですが,検尿の結果,大量の赤血球が検出されたという事でした。お医者さんの診断結果は,急性腎炎とのこと。毎週検査に来いということでした。

 母は,急性腎炎から慢性腎炎に移行し,あげくに人工透析,腎移植という大げさなシナリオを勝手に描いては戦慄していたようですが,本人はと言えば別に問題はなく,至って普通に元気にしていました。

 ただ,検査は毎回僅かずつでも赤血球が出ており,お医者さんは毎度毎度「うむー」とうなっていたのですが,一貫していたのは急性腎炎はここで食い止めなければ,慢性に移行してしまうので,とにかく減塩と運動の制限をしようということでした。

 ということで,体育はそこから基本的に見学。以後軽いものから授業に参加することにしましたが,私はこれを理由に,とにかく嫌で仕方がなかった水泳の授業を中学2年から高校3年まで,ずっと見学することになります。

 確か高校生になったときくらいの話だと思うのですが,ちっとも状況に変化がない私に「慢性になったかも」とお医者さんがいったことでちょっとした騒ぎになりました。

 ですがおしっこに砂粒のようなものが出てきたことから「尿路結石」じゃないのか,と詰め寄ったところ,渋々それを認め,これまでの診断が誤診であったことを認めたのでした。

 しかしですね,こんな美味しい免罪符を誤診ごときで手放す私ではありません。その後も学校には「腎炎」という病気を訂正せず,そのまま水泳の授業を休み続けました。

 腎炎でも出来るだけ頑張って授業は参加します,だけど水泳だけはやめときます,という積極姿勢を見せつつ,ちゃっかり水泳だけはサボるという技で私は高校3年間,一度もプールに入ることなく過ごすことに成功したのでした。

 当時の私としては,とはいえ本当に腎炎の可能性もあるわけだし,仮に誤診であったとするなら,そのことで受けた不自由を考えるとこのくらいのズルはいいよなあ,という気持ちもありました。

 この10年後,再発した私は,空豆のような自分の腎臓のレントゲン写真に,いくつかの石があることを見る事になり,この誤診が本当に誤診であったことを知る事になるのです。


(3)鉛筆がぐさっと足の裏に刺さる

 小学校の4年生の時だと思うのですが,当時通っていた学習塾で机を跨いで先生の所に行こうとしたとき,足を引っかけてしまいました。

 右足を降ろしたところで激痛が走り,私はその場に倒れ込みました。いつものように大げさに「うおー」といっていたのですが,なんだか本当に痛いし,周りの様子もおかしいので,私も心配になってきました。いや,本人は鉛筆の先がちょこんと当たったくらいのことと思っていたのですよ。そこは大阪人らしく「おいしいネタ」になると,大げさに振る舞っていたんです。

 そのうち,どうも鉛筆が足の裏にささっていて,抜こうとしての抜けないという話が聞こえてきました。私は傷みのせいで,目の前にあった机の脚にかじりつく始末。

 先生の自動車で病院につれていかれたのですが,痛みは変わりません。自分では全く見えませんし,どういう状況なのかもわかりません。

 病院に着く頃,仕事先から母親が飛んできてくれたのですが,私はもう何が何だかという状況です。まずレントゲン,そしてベッドに押さえつけられ,ペンチでその鉛筆を引っこ抜くようなのですが,途中で鉛筆は折れていて,足の裏からは少ししか飛び出していないようです。

 硬いものがするすると抜けたような感触があって,どうやら鉛筆が抜けたことは分かったのですが,地獄を見たのはここからです。なんだか分からないのですが,とにかく強烈な,過去に体験した事がないような激痛が襲いかかります。病院のベッドの柵に噛みついたり,暴れたりと,尋常ではない傷みを覚えています。

 ようやくこの地獄から解放され,落ち着いた頃に先生から説明を受けました。足の裏から5センチほど鉛筆が刺さっており,足の骨のアーチになっている部分にぶつかって止まっているということでした。

 もうちょっと強い力で刺さっていたり,あるいは骨を避けていたら,おそらく鉛筆は突き抜けていたのでしょうね。おそろしいです。先生も,うまく鉛筆が折れたおかげで大事に至らなかったということでした。

 で,お医者さんからではなく母親に聞いたのですが,私が経験したあの激痛は,鉛筆を抜いたあとに,鉛筆の破片が中に残っていないかを確かめるため,ピンセットを突っ込んでグリグリまさぐったらしいのです。そりゃー痛いわ。

 というかですね,抜いた鉛筆を見れば,残っているかいないか,分かるんとちゃうの?

 
 神経を切っているかも知れず,感覚がなくなるかもと言われたりしましたが,その後順調に傷はふさがり,特に化膿することも後遺症が出ることもなく,いつしか歩けるようになりました。今は傷痕だけが残り,歩くことも走ることも問題なく,痛みもありません。

 それにしても,大人の私があれを思い出すと,もう気を失いそうになるほど恐ろしいわけですが,子供だった当時,痛いことが終わってしまえば後は案外平然として,いつの間にやら治っていました。大きくなるほど臆病になるものなんですね。


(4)胃の内視鏡で死ぬかと思った

 ここで一気に時間が進みます。30歳前半のことですが,胃が重く苦しく,食欲が出ず,困っていました。公私ともにいろいろあって滅入っていたこともあり,これは胃を悪くしたのであろうと,病院にいくことにしました。

 最初は若い女の先生が,大した問診もせず,決まり通りに胃の薬を出して終わりで,これが2ヶ月ほど続いたのですが一向に症状は改善せず。ちなみにこの先生は「処理能力」が高く,他の数人の先生に比べて圧倒的に順番待ちの番号の進みが早いのです。

 ええかげんにせいよ,という空気を感じたのか,内視鏡検査をしましょうという話になりました。最初からそうしてくれれば,と思いつつ予約を取り,検査当日を迎えます。

 私は「おえっ」とえづいてしまう人なので,内視鏡はおそらく苦戦するだろうと思っていました。しかし何事も経験です。それに,内視鏡も年々改良が進み,かなり負担が軽くなっていると聞いていますし,これだけ進歩した医学の世界で,オエオエいうような話もなかろうと,安心していました。

 まず,検査室に通され,ゆったりとした背もたれある椅子に座らされました。そして,えづくのを防ぐ為に,喉の部分に麻酔をするといって,コップに入った麻酔をわたれました。

 これを口に含み,感覚がなくなってきた頃に内視鏡を突っ込もうという話です。

 看護師さんがいうには,ツバを飲み込む部分も麻痺するので,唾液が飲み込めずにそのまま気管に入ってしまうから,口にためておき,もしいっぱいになったら吐き出して下さいということでした。

 次第に喉の感覚が消えていき,唾液が口に溜まってきます。うかうかしていると勝手に流れ込んで盛大にむせてしまいます。

 そうしていると,私を担当するお医者さんがなにやら緊急事態とかで,病棟に走って行きました。私の周辺はなにやら騒がしくなり,私はぽつんと放置されてしまいました。ちらっと私を認めたある看護師は「急患が出たので待ってて下さい」と,満足に話の出来ない私から去っていきました。

 私は,軽いパニックになりました。唾液はどんどん流れ込んできます。その度に私は呼吸困難になり,ゴホゴホをむせて,唾液を吐き出すことになります。もはや唾液が溜まったかどうかも分からなくなっています。

 これは本当に死ぬかも・・・

 30分ほどの孤独な闘いを経て,徐々に感覚が戻ってきました。もう唾液も飲み込めます。やれやれ,助かったと思ったところに,先生が「おまたせー,さあやろうか」とやる気満々で戻ってきました。

 私は,麻酔をやり直してくれると思ったのですが,あっという間に私はベッドに横たわり,なにやらおかしなマウスピースを口に押し込まれて,モガモガいうのが精一杯です。そのうち,黒い細長いものが私の口に入ってきます。もう私は拒むことが出来ません。

 その頃,すっかり麻酔が切れていた私は,もうとにかくえづいてえづいて,大変でした。生まれてから,あれだけ連発してえづいたこともないと思います。もう涙でぐしゃぐしゃですし,じっとしていられません。

 見かねた看護師さんはまるで子供をあやすように,30歳を超えたオッサンの背中を「くるしいねくるしいね」と優しくさすってくれますが,かえって惨めになって,苦しさ倍増です。

 そんなこんなで,検査のことはちっとも覚えていません。苦しさに始まり,苦しさに終わった検査で,終わってからも私はしばらく放心し,ぐったりと動く事ができませんでした。

 後日結果を聞いたのですが「いやー綺麗なもんですよ」とお医者さんはいいます。ということで,私の胃は健康そのものということになりました。

 なにが幸いするか分からないのはこの後です。この先生は消化器系を専門とする先生で,しかも漢方を処方することに抵抗がない方でした。こういう場合は漢方を使ってみましょうか,ということで,私は漢方薬を飲み始めたのですが,これがまあ抜群に効いて,気分の悪さもなくなり,食欲も戻って,胃の悪さは完治したのです。

 

(5)嗚呼私の純潔

 腎臓に結石がある私ですが,大きくならないうちに出してしまうのがこの病気との上手な付き合い方です。

 20代後半のある夜,強烈な腹痛に身動きが出来ず,当時入っていた独身寮の寮母さんが救急車を呼んでくれました。

 深夜に大学病院にかかり,点滴とレントゲンで様子を見たのですが,やはり結石があります。ちょうどひまわりの種くらいのトゲトゲの石が,3から4ミリくらいのゴムホースに斜めに引っかかっている様子を想像して下さい。

 痛みはしばらく続きましたが,痛い場所が徐々に動くのが分かります。その後痛みが薄れたかと思うと,なにやら違和感があってトイレに行くと,ぽろっと石が出てきました。いやー,なにやら肉片がくっついてますよ・・・痛そうです。

 これを拾い上げて綺麗に洗って,お医者さんに持っていきました。成分を調べるという事だったのですが,その先生はなにやら偉い肩書きの先生のようです。

 もう痛みはないと伝えて,これで思った瞬間,「はい,そこになって」とベッドに寝転ぶよう促されました。

 おかしいな,もう痛みなんかないんだけどなあ,と思っていると,若い学生とおぼしき人達がぞろぞろと数人,入ってきます。

 先生が私を見下ろし,「パンツを脱げ」と言いました。

 は?と聞き返すと,イライラしながら「さっさと脱ぐ!」と私を急かし,気が付いたら私の下半身は大勢の男たちの目の前に晒され,隠すことを許されない私はなにも出来ずにただ横たわるだけでした。

 なにをされるのだろう,と不安に駆られていると,先生の背中に突如黒いオーラが立ち上り,おもむろにゴム手袋をきゅきゅっとしたかと思うと,私の足を広げ,私の「穴」に指を差し込んだのです。

 !

 私を取り囲む男たちの眼は,先生の華麗な指使いに注がれています。私は声を出すことも抵抗することも出来ず,なにをされているのかもわからず,ただただ,されるがままになっていました。

 男たちは,なにやら必死にメモを取っている様子。看護師さんは遠くで私を見ています。

 やがて。長く感じたその時間が終わり,先生の指が私から離れていきました。先生の「よし」という声と,達成感に充ち満ちたその表情が,私を見下ろします。

 事が済み,背中を向けた先生に,男たちが追随し,私はそのままの姿で放置されました。なにがなんだかわからず,何も出来ずに放心している私に,そっとタオルをかけてくれた看護師さんを見ると,彼女は私を哀れむ眼をしていました。

 先生曰く,背中からお腹の痛みは,直腸からの触診で異物感がないかどうかを判断するのだそうで,私の場合もこれで異常なしと判定することが「必要」だったとのことでした。結石だとはっきりしているんですが・・・

 まあその,偉い先生でしたし,学生をぞろぞろ引き連れていましたから,こういう触診を率先してやって見せてその重要性を説く姿は,今思えば立派なもんだと思う訳ですが,それならそれでそういう話を事前にしてくれればよかったと思うし,なにより患者の了解はなくても良かったんかいな,と疑問も感じます。

 かくて,私のバージンは,こうして奪われたのです・・・

 

漆をなめてました

 日常的な作業である食器洗いですが,ある時急激にお皿や茶碗を割ったり欠かしたりすることが続くことがあります。

 注意力が散漫になるとか,手先の動きが微妙に変わっているとか,心配事があるとか,いろいろ原因はあるのでしょうが,大事な食器を傷めてしまうと,とてもがっかりするものです。

 食洗機というのはこうした損害を根本的に解決する1つなのですが,これを導入する前には,私は頻繁に食器を割ってしまっていました。

 特にショックだったのは,ちょっと高価なお茶碗です。

 それなりに高価だった肉の薄い綺麗なお茶碗を,結婚後夫婦揃って買って使っていたのですが,1年ほどで全滅。反省を込めて,私が手焼きの高価なものを買うことにしました。2つで1万円近いもので,購入するとき「自分達が日常的に使うもの」とラッピングを断ると,一瞬妙な間があったことを覚えています。

 それは,特にお茶漬けを食べるとおいしいだろうなと思うようなお茶碗でした。

 これだけ高価だと,さぞや大事に扱うだろうと思っていたのですが,やはり慣れた頃には手を滑らせ,下に置いてあった片手鍋の縁にぶつけて,大きく欠けてしまいました。

 いっそのこと真っ二つに割れてくれればまだあきらめの付いたものを,と中途半端に欠けてしまい,だけども口に当たる部分だけにそのまま使用することは無理という状況に,なんともいえない寂しさがありました。

 こういうとき,私は欠けた部分にホーローを修理する白いエポキシ系接着剤を塗り込んで形を整えます。とても綺麗に修理出来るのでいつもそうしているのですが,安全性にはちょっと無頓着なところがありました。

 食洗機導入の時にも書きましたが,熱でこのエポキシ樹脂が柔らかくなっていました。接着剤特有の臭いも強くなっていて,長時間の加熱で化学物質が溶け出してしまっていることも疑われました。

 なにせ食洗機は,水を循環させて食器を洗う機械です。接着剤から溶け出た化学物質が他の食器にまで回ってしまうのは,大問題です。

 この茶碗だけ手洗いすることを考えたのですが,この機会にエポキシに変わるほかの修理方法を考えてみることにしました。

 欠けた茶碗を修理する方法には,日本古来の金継ぎというのがあります。漆にご飯粒や小麦粉を混ぜて練った糊を使って貼り合わせたり欠けた部分を作ったりして,その部分に金粉を塗るものです。実用的な強度を持ち,かつ美しく仕上がった金継ぎはそれ自身が工芸的に評価されるものです。

 なんだか,割ったお皿が修復で評価されるってのは,なんだか一周回ってしまったようなおかしな気分ですが,私が注目したのは,この漆の糊です。

 漆ですから,乾いてしまえば安全です。固化した漆は耐久性も抜群で,熱にも強く,成分が溶け出るようなこともないそうです。

 問題は,漆ですからかぶれること,そして乾くのに時間がかかることでしょうか。

 まあ,もともとお茶碗を割ったのは私ですし,ダメモトでやってみることにしました。

 私は漆にかぶれたことなど一度もないのですが,そもそもどこに売っているのかわかりません。東急ハンズのサイトを見ていると,チューブ入りの生漆が800円ほどで売られています。

 とりあえずこれを購入。

 まず,お茶碗のエポキシ接着剤をすべて取り除きます。少し深いところにも食い込んでいるので,少し削って完全に除去します。そしてその断面に,生漆を塗ります。いきなり糊を塗っても付きが悪いらしく,これでしっかり固着するようにするそうです。ここで数日放置。

 そして乾いたところで,ご飯粒を練り潰し,生漆と混ぜて糊を作ります。出来上がった糊をこんもりと欠けた部分に盛ります。

 失敗は,この糊の作成にありました,ご飯粒が綺麗につぶれてくれず,ぶつぶつが残っていました。水分も足りない乾きかかったご飯粒だったことも問題で,私は漆を混ぜればなんとかなると,強引に練り続けたのです。

 これがまずかった。

 数日後,右手になにやらみみず腫れのようなものが出てきました。腫れ上がり,猛烈にかゆいのです。どうやら,作業中に漆が手に着いたようです。

 ほっといても良いことはないということで,土曜日に観念して皮膚科に行ったのですが,処方された最も強力なステロイド剤を塗る生活が始まりました。

 そうこうしているうちに,漆のかぶれが体のあちこちに出てきます。移ったものなのか,時間が経過して発症したのかは分かりませんが,作業当日の気温が高く,実は上半身裸で作業をしたことも今思えばバカなことをしました。お腹,腕,足,脇の下と,あちこちに水疱ができてしまいました。

 他人には移らないそうですので,嫁さんや子供が発症することはないと思うのですが,恐ろしいのは生漆が知らないうちに飛び散ってしまい,これに触れることでしょうか。赤ちゃんがかぶれたら,大人のように「かゆい」だけでは済まないでしょう。まずいことをしました。

 少しずつかゆみも沈静化して,治りかかった2週間後,ちょうど糊も乾いただろうと,削る作業を始めることにしました。

 洗面台に持っていき,デザインナイフで削ったのですが,随分柔らかいです。あれ,と思って断面を見ると,透明になっておらず,白く濁った部分が出てきました。しかも,漆特有の臭いもします。もしかして・・・手に付いた漆を見て,疑いは確信に変わりました。漆は,まだ乾いていません。

 確かに,漆は時間ではなく,条件で乾くものです。私の叔父は,漆を塗ったテーブルが届いた日,肘をついて腕がかぶれ,数日間高熱にうなされたと聞きました。

 私の手はすでに漆まみれです。せっかく漆かぶれが落ち着いてきたのに,また派手にやらかしたのか・・・と焦りますが,ここは嫁さんに救援を求めます。

 漆は油溶性です。油絵の具の油が良いそうですが,そんなものは私の手元にはありません。そこでサラダ油を手に出してもらい,これで漆を落とします。案外綺麗に落ちる物で,最後にこれをハンドソープで除去します。

 まだ指先にねっとりとした感覚が残っていますが,これ以上はどうやっても落ちません。

 そして,このお茶碗に視線を落とします。どうしようか・・・悩んだ末,処分することにしました。漆にかぶれてまで修理に臨んだお気に入りのお茶碗ですが,漆にかぶれるリスクがまだまだ続き,しかもそれがどれくらい耐久性のあるものか,わかりません。電子レンジは?食洗機は?そもそもホントに安全?

 どれも,私には答えを用意出来ません。

 泣く泣く,ゴミ袋に入れました。次の燃えないゴミで,廃棄することにします。

 ということで,漆をなめていた私は,漆にこっぴどくやられました。漆がこれほど難しい塗料だとは思わなかったのと同時に,今時の塗料や接着剤はいかに使いやすく出来ているのかと,感心しました。

 漆も使いこなせるようになると,修理修繕の幅も広がるなあと思っていただけに,これほど手強いとは思いませんでした。残った漆も危険なので,次の燃えないゴミで捨てることにします。

腰を痛める

 4月に引っ越しを予定しており,現在その準備に大忙しです。

 そんな中,とても困った事がありました。3月21日に,腰痛を再発させてしまったことです。

 若いときにぎっくり腰をやって以来,2,3年おきくらいに繰り返しては,その度に不自由な辛い生活を送っているのですが,ここしばらくなりを潜めていて,腰痛のない生活を満喫しておりました。

 3月20日,ちょっとはき慣れない靴を履いて歩き回り,その結果腰に負担がかかっていたんでしょう,翌朝,寝ぼけたまま雨戸のシャッターを開けようと屈んで持ち上げると,右の腰から「ピキピキ」という嫌な音が・・・

 火箸を押し当てられたような熱さと痛みを感じた私は,そのまま後ろに転がってしまいました。油断しました。

 どんなもんかな,と恐る恐る起き上がろうとしますが,やはり痛くてダメ。引っ越し作業もあるし,ここで動けなくなるというのは最悪だと,焦りと痛みが私に嫌な汗をかかせます。

 5分ほど横になっていたでしょうか,すこし動けるようになったので,直ちに前回腰痛になったときにお医者さんにもらった湿布薬(ミルタックス)を張り,同時にもらったベルトを巻き付けます。

 腰痛で怖いのは,椎間板ヘルニアとか腰骨の骨折です。これらは不可逆なものなので,ほっとけば治るとか,そういうものではありません。お医者さんにかかっても痛み止めが基本で,手術も大きなリスクを伴います。我慢できるなら手術はしないで,痛みと付き合う方法を考えるのが最善と言われるくらいです。

 私の場合,腰の筋肉あたりに衝撃が走ったので,おそらく筋肉を痛めたんだと思います。だから,時間はかかっても,いずれは治ります。そう思うと少しは気が楽になります。

 そうこうしているうちに,湿布が効いてきて,腰を伸ばして歩けるようになってきました。痛み止めの効き目をこれほどありがたいと感じた事はありません。

 そこそこ自由に動けるようになって,翌日は外出も出来るようになったわけですが,それもやはり痛み止めのおかげでしょう。その日の夜など,寝返りを打ったときに痛みで目が覚め,「うっ」と声を上げてしまったほどですので,やはり痛み止め問いのは重要です。

 用事があって外出した3月22日,薬局へ行って痛み止めの貼り薬を探してみることにしました。もし,いいものがなければお医者さんにかかって,今効いている湿布薬と同じものをもらってくる他ありません。

 薬局の棚を見ると,第一類から第三類まで区分された棚に,テレビCMでおなじみのものから,耳にしたことのないものまでいろいろ列んでいます。とにかく今回,良く効くものでなくてはいけません。

 そんな中,私が買ったのは「薬剤師不在の場合は販売できません」と書かれた,なにやら完全プロ志向なストイックな文言と共に置かれていた「ボルタレンACテープ」という奴です。一応薬剤師に効くと,痛み止めとして一般に手に入るものとしてはダントツとのこと。

 なかなか高価な薬なのですが,この際そんなことは言ってられません。2週間ほど使える分量を買い込んで,帰宅します。ついでに同じ成分を含むゲル剤も買っておきました。

 調べて見ると,バンテリンで有名なインドメタシンが,ボルタレンの有効成分であるジクロフェナクナトリウムなど強力なお薬によって処方薬の座を追われ,市販薬に転向してヒット商品になったのも束の間で,ジクロフェナクナトリウムも市販薬として手に入るようになったのがここ数年のこと,と言う話です。

 翌日から使ってみますが,サイズがやや小さかったこともあり,痛みの取れ具合は今ひとつな印象でした。しかし,ミルタックスが休日の楽な姿勢で使って良く効いたと思っていたのに対し,ボルタレンは会社で使っているわけですから,この印象はあまりあてになりません。

 実際,ミルタックスを会社で使ってみても,似たような痛みは残っています。ということは,どちらも同じくらい効いているということです。

 私の場合,朝が辛く,午後になるほど楽になり,夜はほとんど痛みもないような状態です。また,椅子に座っていると,立ち上がってしばらくは痛くて腰を伸ばせませんし,立ってばかりだと座ったときに痛みがあります。どうも状況の変化を嫌うようです。

 そうして1週間が経過,痛みも随分取れ,日常生活に不自由しなくなってきた土曜日,調子に乗って引っ越しの荷造りをしていると・・・またやっていまいました。

 少し大きな箱を,よいしょと抱えたのですが,幸い軽いものだったので別のはこの上に積もうと思ったのです。ところがその箱の上に,ガムテープとペンが置かれており,横着者の私はこれを持っていた箱で下に落とし,積んでしまおうと考えたのです。

 今にして思うと,これが大失敗で,ちょっとよろけた拍子に持っていた箱の角が下の箱にぷすっと刺さり,箱をスライドさせようとひねった腰に大きな負荷がかかりました。ここでまた稲妻が走り,その場で倒れこんでしまったのでした。

 重い荷物を持ったわけではなく,むしろ軽かったことが油断の原因となったのですが,治りかかっていた全く同じ場所を,もう一度悪化させてしまうと言う,悔やんでも悔やみきれない状態を引き起こしてしまいました。

 1週間前に逆戻りといいますか,傷みの程度はそれ以上です。これは非常にまずいです。

 そんなわけで,現在もボルタレンとミルタックスを使い分ける毎日ですが,おかげで引っ越し作業は進まないわ,悪いことに職場の席替えにも支障を来すわで,つらいところです。

 自分の引っ越しは,他に誰も手伝ってくれませんから頑張るしかありませんし,荷造りの後は荷ほどきがあるわけで,あと2週間でどこまで程度を軽くできるか,不安です。

 しかも,今朝,鼻をかんだら腰の左の筋肉にもいやな傷みが・・・これは本格的にまずいことになりそうな予感です。

 こういうことを書くと不謹慎なのかも知れませんが,自分の体がいう事を利かない状況に悔しい思いをすると,例えばお年寄り,例えば体の不自由な方の視点を少し意識するようになります。つくづく健康であることはありがたいと思う一方で,まだまだバリアフリーな世の中にはなってないところがあるな,と気付かされます。

 皆さんもお気をつけ下さい。腰は,誰でも痛めるものです。

 

LCDにあいた穴

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 先日の土曜日のことです。

 愛用の学習リモコンのキーフレキが壊れてしまったため,なんとか修理をしようと悪戦苦闘していました。

 D-70の修理の件でも書きましたが,とにかくフレキは壊れやすい上に,壊れたら修理する良い作戦が立ちません。結局あきらめることになってしまうわけですが,今回のリモコンはちょっともったいなかったので,穴あき基板にスイッチを並べて,手作業で配線をしてキーボードを自作することを考えました。

 我ながらバカな作戦だと思うのですが,もうこれくらいしか手がありません。幸い,ハンダ付けのスキルと単純作業を厭わない性格が揃っているので,なんとかなると作業を進めていました。

 しかし,私は重要な点を忘れていました。私は鈍くさい上に,机の上がいつも盛大に散らかっているのです。

 ハンダゴテを持ちながら,回路図を確認しようと,手を伸ばしたその時です。買ったばかりの三菱のLCDモニタの表面に,ハンダゴテのコテ先がこつんと当たりました。

 うわ,やってしもた!

 あわてて確認をしますと,コテが当たった部分が0.5mmくらいの穴になって,白い光を放っています。

 LCDの表面に貼り付けてある偏光フィルムが溶けて,その下にあるガラスが見えているんでしょう。

 白い画面ならちょっとした傷くらいに見えるのですが,黒い画面になると輝度の高い白い点がぴかーっと光っています。いや,これは目立ちます。

 私のへこみ具合と言えば,筆舌に尽くしがたい状態です。

 買ったばかりですよ,しかも地デジを見ようと用意したものですよ,それがハンダゴテがあたって穴があくなんて,考えもつかないじゃありませんか。

 0.5mmくらいの穴ですし,黒でなければ目立たないとはいいますが,どうしても「そこ」に目がいってしまいます。そうすると元に戻らない破損を改めて自覚させられるのです。

 試しに偏光フィルムを回しながら,白い点の上に被せてみました。角度によって白い点の明るさが変わるので,小さく切った偏光フィルムを貼り付けてみたのですが,全体に輝度が落ちるだけで,逆に目立ってしまいます。

 結局剥がして,このまま使う事にしました・・・

 もともとLCDに,1つや2つ,白い点があっても不良ではないと言われています。製造者の都合だといえばその通りですが,安価にLCDが買えるのはある程度なら良品であると判断されるからであり,消費者としてはなんとも複雑なところです。

 一昔前のLCDのピッチなら,今回の穴くらいが1ドットといえなくもありません。そうだ,LCDに死んだドットがあるんだと思い込むことにしよう,そうすれば少しは諦めが付く,なぜってメーカーは1つや2つのドットの非動作は「故障」とは見なさないから・・・

 そう信じることにして,もうこの件は終わりにしたいと思います。

 で,そのリモコンですが,なんとか復活しました。しかし,非常に使いにくいです。LCDの貴い犠牲の上に復活したリモコンだけに,無理にでも使い込んでいくしかないと,私は気持ちも新たに誓いました。

チキショー,ローランドめ

 先日の日曜日ですが,満身創痍のD-70の鍵盤の調子が悪く,修理を行う事にしました。私が購入したのは1992年頃ですのでもう17年ですか・・・その頃生まれた子供はもう高校生ですよ・・・

 D-70にはよく知られた欠陥があって,最も有名でかつ最も深刻なのは,鍵盤に貼り付けられたウェイトが剥がれ落ちる問題です。接着剤が経年変化により溶けてしまい,水飴のように柔らかくなってウェイトもろとも落ちてきます。

 この接着剤が非常に厄介で,長い時間を経ても固まったり乾いたりせず,いつまでもドロドロと柔らかいまま,少しの斜面でも流れてきます。しかも付着すると水はもちろん,洗剤やアルコールでも簡単には剥がれません。強力な溶剤には溶けますが,そんな溶剤はプラスチックも容赦なく溶かしてしまいます。

 その上,この接着剤はある種のフィルムを溶かしてしまうようで,キースイッチ部のフレキシブル基板を溶かして,キーが電気的に切断されてしまうような深刻な事態が私のD-70には起こっていました。これは絶望的な故障です。

 もちろん黒鍵も同様ですが,黒鍵の方がややこしい場所にウェイトがくっついているので,なおたちが悪いです。

 そんなわけで,昨年の春だったか,鍵盤のウェイトにシリコーンの充てん剤を塗り込み,接着剤が落ちてこないようにするというやや後ろ向きな対策を行ったのですが,この対策後,特に黒鍵の反応の悪いものが出始めました。

 弱い打鍵で反応がない,あるいは遅れて発音するという症状で,ベロシティをセンスする仕組みから考えると,最初に接触するスイッチの接触が不良だろうと思われます。

 キーの組み付け精度の問題だろうと考えて,おかしいキーを外してきちんと組み付けてみたのですが,全然変化がありません。

 これはメンブレンスイッチに問題があるのかも知れないなとカーボンの接点を清掃してもう一度組み上げますが,結果は同じ。おかしいと思いキーを正常な位置のものと入れ替えて見ると,問題はキーそのものにくっついていきました。

 試しにメンブレンスイッチを直接指で押してみると,正常な場所と問題の場所で,音の出方に変化はありません。これはキーに原因があるようです。

 シリコーンを充填したときにはみ出た充填剤が悪さをしているか,あるいははみ出た充填剤をカッターで削ったときにキーの内側も一緒に削ってしまったことが問題なのだろうと考え,はみ出た充填剤を丁寧に削り,組み上げますが変化無し。ならば誤って削ったキーの内側が原因かと,少し削って0.4mmのプラ板を接着してみることにしました。

 悲劇はこの時起きました。

 大きめのプラ板を接着し,乾いた頃にカッターでプラ板を切ることにしたのですが,あいにくその日は愛用のクラフトナイフが見つからず,やむを得ず普通のカッターナイフを使っていました。さらに悪いことに,カッターの刃が短くなっていたので,新しいものに交換を済ませたばかりでした。

 グリスで滑りやすくなっていた手は,押し当てたカッターの力に負けて滑り,角度の変わったカッターの刃は,私の左の中指の先端に,音もなくずぶずぶと入り込んでいました。

 いやー,びっくりしましたよ。反射的に左の手をぶんっと振り回し,「えらいことをした」と大慌てで流し台に行くのですが,血は床に飛び散っているし,止めどなく指から流れ出ています。流れ出るというより,吹き出る感じでしょうか。血というのは,盛り上がって出てくるですね。

 恐ろしくなったのですが,水でよく洗い,心臓よりも高い位置に傷を上げて血が止まるのを待ちます。不思議なことに,全く痛みはありません。

 傷口を見ると,見事なくらいバックリいってます。斜めに入ったようですが,爪に当たって止まった感じです。骨の上をかすめたのか,骨に当たって止まったのか分かりませんが,どっちにしても最深部で5mmくらいはありそうです。長さは15mmくらいですので,これは結構大きな切り傷です。

 血が吹き出るのを止めるのが先ですが,なかなか止まってくれません。血で染まったティッシュを何度か交換して1時間近く経過して,ようやく止まってきました。やれやれです。

 なんといっても痛みが全くありません。良く切れる刃物で切ると痛みがないといいますが,やっぱそんなものかも知れませんね。

 傷をずっと見ていると,勢いが強くてこのまま爪ごと指先を切断してしまったら・・・とか,骨を切ってしまっていたら・・・とか,とにかくぞっとするような想像ばかりをしてしまいます。私はこんな人ですが,自分の血を見てもふぅ,となってしまうほど,グロには弱い人です。某「けいおん!」のベーシストにも負けず劣らずの,痛い想像が大の苦手です。きっと彼女とはわかり合えることでしょう。

 ということで,こういう時は仕事をするに限ります。左手は頭の上まで上げ,右手だけで汚した床を掃除します。それが終わると作業を再開し,先程接着したプラ板をニッパーで切りそろえ(最初からニッパーでやっときゃよかったんです),その効果を見てみます。

 結果は失敗。何の変化もなし。私の血と肉は全くの無駄となりました。

 しょぼくれていても仕方がないので,問題のあるキーとないキーを良く見比べて見ますが,私の目には違いが分かりません。確かに微妙な削れはありますが,少し角が取れている程度の話です。この程度でこれだけの差があるなら,もうこのキーは使い物にはならないでしょう。残念ですが廃棄するしかありません。

 廃棄・・・そういえば,私は練習にライブにと必ずD-70を担いでマスターキーボードとして使っていたわけですが,ラフなオルガンプレイでキーを壊してしまったことから,補修部品として交換用のキーをストックしてあったことを思い出しました。

 こういう時のために交換部品を持っているわけですし,もう17年も使っているキーボードのキーをもう一度交換しないといけないほど,今後使い込むとは思えません。そう考えて押し入れにしまってあった部品を取り出して見ると,恐れていたことが起こっていました。

 当たり前の話ですが,このキーの対策品がローランドから出てきたのは90年代後半の話で,私が手に入れたキーはもちろん未対策品。よって綺麗にビニルで包まれたキーは,まるで血みどろの様相で,そこに収まっていました。

 あまりにひどい。あまりにむごい。

 白鍵は1つ100円,黒鍵は1つ200円なのですが,合計で数千円にもなるストックは全滅。例外なく接着剤が溶け出しています。取り付け済みの鍵盤と違い,溶けた接着剤はキーのあらゆる部分に回り込み,もう壊滅状態です。これを綺麗に拭き取るだけでも大変な時間と手間がかかるでしょう。

 5つあった黒鍵を取り出しましたが,そのまま使えそうな状態のものは皆無です。やむを得ずアルコールで少しずつ拭き取り,シリコーンを充填して,なんとか交換出来そうな状態に仕上げました。我ながらよくやりますねぇ。

 しかし,シリコーンが硬化するまで時間がかかりますし,両手が必要な作業は続行できませんので,バラバラになったD-70をとりあえず片付けて,今日の所はあきらめることにします。無理に片手で検討を続行しようとしてメイン基板をショートさせ,ヒューズをポンと飛ばしてしまったことは内緒です。

 そんなわけで,ようやく血が止まり,週末のお約束の掃除機がけと食事の用意を,不自由しながら行ったわけですが,傷口を見るとやっぱりおそろしい。パカッと1mmほどの真っ赤な隙間をさらしています。おそらく刃の通った部分だと思うのですが,傷の深いところが黒い色をしています。うずきもしないし,痛みもない,腫れもないので,本当に不思議ですが,指先の感覚はあるようですので,神経は大丈夫なようです。

 考えてみると,左の中指を失うと,ギターもキーボードも今までのようには楽しめません。利き手である右手も大事ですが,私にとっては左手も同じくらい重要であることがつくづくわかった気がします。

 血が止まってからは,本当になんともないという感じです。汚れないように絆創膏を貼っておきますが,血がしみ出てくることも少なく,本当に実害がありません。

 そんなだから,お医者さんに行くべきかどうか考えたのは落ち着いてからで,こんな状況ならいかなくてもいいんじゃないかと様子を見る事にしました。

 翌日,化膿すると第一関節から先を失うかも知れないと,また恐ろしい想像をしてしまったので,ドラッグストアに出向いて,塗り薬の抗生物質を買ってきました。塗る度に思うのは,やっぱりすぱっと先を切り落としてしまっていたら・・・という怖い想像と,こんな深い傷,本当にほっといて直るのかなあという心配です。

 google先生に相談すると,同じような思いをした人の体験談をたくさん見せてくれました。気分が悪くなり,くらくらするような思いをしながら読んでいくと,小さい傷でも医者に行くべき,医者にかかると治りが早い,医者にかかるなら怪我の直後に行くべき,ということでした。

 まあ,素人判断で取り返しが付かなくなるのも嫌ですし,長くて深い傷なので縫ってもらう方がいいかも知れないと,火曜日の午前中にお医者さんに行きました。この段階で,かなり傷はふさがっており,おかしな腫れも痛みもなく,悪い兆候はなさそうです。

 お医者さんはニコニコしながら,「どれどれ・・・うーん」と困った顔をしています。私は「もうこうなってしまうと,どうしようもないですよね」と,負けないようにニコニコしながら言うと,先生は「そうだねえ,どうしようもないねえ」とさらにニコニコしておっしゃいます。

 おもむろに「テープ!テープでがちっと留めよう」と,看護師さんにテープを持ってくるように指示を出します。細いテープで固定するのではなく,大きめのテープ1本で,傷を閉じるようにがちっと固定しようということのようです。

 先生は「いまごろくるなよ」と愚痴りたいのを我慢しつつ,慣れた手つきで,しかも傷の部分だけは自らの手で遮って私に見せないように配慮され,気が付くとこれまた痛みも出血もないまま,テープで綺麗に固定されていました。

 えらいもんですね,それまで伸ばせなかった指が,少し伸ばせるようになります。テープで固定というのは,上手にやるとこんなに効果があるものなんですね。

 「これで様子をみましょう。なにかおかしくなったら来て下さい」とニコニコして言われた先生は,4日分の飲み薬の抗生物質と消炎剤を処方され,この日の診察は終わりました。

 まあ,ここまでくればもう心配ない,念のため,という感じだったのでしょうが,塗り薬はなにかと不便なので飲み薬はありがたいです。

 工作好きの人間ですから,怪我は日常茶飯事のことです。指先を切るなど珍しくもないのですが,そんな趣味の人だからこそ指を失うことは恐ろしいことでもあります。これまで最も深い傷でも3mm程度だったことを考えると,今回の5mmというのは過去最大です。

 なんだそんな程度かよ,というなかれ。怪我はしないに越したことはありません。怪我自慢は自慢にならん,が私の持論です。

 でも,今回の一件は,非常にいい勉強になりました。気乗りしないときの作業は特に気をつけること,グリスなどで滑りやすいものを相手にするときにはさらに気をつけること,刃物を扱う基本をもう一度見直すこと,深さ5mmくらいなら直る,それでも素人判断はしないで潔くその道のプロに任せるべし,そしてテープを上手に使うと随分楽になる,と言うことですね。

 心配事が消えて,あとは怖い想像と戦う日々になりそうですが,子供の頃はもちろん,若い頃は怪我をしても落ち着いたらなんとも思わなくなっていたのに,歳を取るごとに精神面が弱くなっているなあと感じますね。皆さんはそんなことはないですか?

 爆発でもなんでもそうですが,理屈の上では,細い部分やくびれた部分が応力に弱いわけで,まずそういう部分からちぎれたり飛んでいったりするものです。昔,かんしゃく玉を指先で爆発させたことがありますが,子供の柔らかい指先が無事だったことは,今にして思うと奇跡的なことだったのかも知れません。

 おしりとか太股とか,そういう部分は少々深くてもどうにかなるでしょうが,指は簡単に取れてなくなるでしょうから大事にしないといけないなあと,怖い想像におびえながら,つくづく考えてみる機会となりました。

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