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東京からの脱出 : Day2 ~ 富山で過ごす

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Day2 : 2025年12月27日
富山地方鉄道 10:50宇奈月温泉発 11:34新魚津着
魚津市内を散策しつつ寿司屋で昼食
あいの風とやま鉄道魚津駅に戻りタクシーで魚津水族館まで移動
魚津水族館から徒歩で富山地方鉄道西魚津駅まで移動
富山地方鉄道 15:24西魚津発 16:20宇奈月温泉着

 さて,翌日はゆっくり目覚め,のんびりと支度をしてから朝食を頂きに食堂へ行きます。朝食はバイキング形式ではなく,伝統的な日本食で,それも目当てで この宿を選びました。塩鮭とご飯と味噌汁に海苔と卵にお漬物。それでも我々の日常に比べてとても贅沢な朝食です。

 しかしここでも期待を越えた朝食が出てきました。焼き魚だけではなくつくねやお野菜の蒸し物,湯豆腐,その他朝ご飯とは思えないような品数と物量で,正直かなり無理をしてお腹に収めます。小食な娘が早々とギブアップするのは予想していましたが,私のような成人の男がかなり大変な思いをして完食することは想像していませんでしたし,ついでにいうと他のテーブルではご飯のおかわりが普通に行われていたことに,自分の食べる量が少なくなっていることを実感しました。

 そしてこの満腹感が,この日の昼食の印象を左右します。

 2泊3日の2日目,丸一日富山にいる事の出来る日です。しかし何の予定も考えていません。そんなにギチギチと予定を詰め込むのも面倒ですし,そもそも予定を考える事からも逃げたくてここまで来たのです。

 そんな中,妻が頑張ってくれました。宇奈月温泉から新魚津まで移動し,ここにある水族館を見ようではないかと。水族館にハズレはありません。

 お天気も良く,心配していた前の晩の雪も除雪されていましたし,距離も思ったほど短いことがわかって,宿から宇奈月温泉駅まで歩くことにしました。これが大正解で,冷たい日本海側独特の空気が気持ちよく,見通しの良い山と空が日本海側独特の色合いで綺麗に映えています。足下には黒部川。なんと楽しい散歩でしょう。

 駅に着くと,昨日の写真にあった元京阪の車両が止まっていました。これに乗り込み,この電車の終点である新魚津まで,出発です。

 天気の良さも手伝って,景色も楽しく,気が向いたら本に目を落としつつ,到着したのが11時半過ぎです。旧北陸線時代にほとんどの特急が停車した典型的な地方都市の趣は,貨物列車のために用意された多数の線路とポイントで演出されて,鉄道好きの心を否応なく盛り上げてくれます。

 ちょっと瞬間接着剤が必要になり,駅から少し歩いたところにあるコンビニに入ると,これがなかなか面白いのです。普通のコンビニと思いきや,さすが駅近くのコンビニだけあってお土産も充実しています。

 富山らしくよもぎ餅や昆布餅が手頃な値段で売られていたり,どっかで見たようなロゴで「STAR UOZU」と書かれたTシャツとか,ブラックラーメンなども並んでいます。こういうところで買うお土産というのは,小綺麗ではないかも知れませんがもらった方は面白いものです。お餅を三種類ほど買って店を出ました。

 次に立ち寄ったのが地元のスーパー。ナショナルブランドの商品は東京と同じかやや高めなのですが,さすがに魚介類は安い上にどれも美味しそう。これが魚津の日常なのだと思うと,羨ましいと思うほかありません。甘エビ,カニ,ブリ,鰆が実にリーズナブルな値段で並んでいます。

 野菜も果物もなかなか美味しそうでお手頃価格です。いや,東京がおかしいのでしょう。東京では美味しいものが食べられます。しかしそれは高価で,特別な場所で食べるもので,普段食べるものとは違います。普段食べるものこそ美味しいものというのは,実はとても贅沢なことだと思います。

 こうして富山の人の日常を垣間見て,スーパーを後にします。

 そうこうしている間にちょうど昼食の時間です。富山湾寿司なる物を食べないことには,と富山の観光案内のホームページに吹き込まれた我々は,それがどんな物かをあまり予習せず,少し奥に入った住宅街のお寿司屋さんの富山湾寿司と,先程のスーパーの中にあるラーメン店のブラックラーメンの2つを候補に,歩きながら考えました。

 私は暖かいものが食べたかったのでラーメンに1票を投じたのですが,10票を保有する絶対権力者の娘が富山湾寿司に票を投じたことであっけなく決着,先程のお寿司屋さんに入りました。

 10貫のお寿司にブリ大根がついて3800円と,それなりにリーズナブル。とはいえ,他のランチメニューが軒並み1000円とか1500円であったことを考えると,これだけちょっとお高めの価格設定で,やはりこれは観光客を狙ったものだとわかります。

 それも含めて注文するのですが,実はこの時我々3人はまったくお腹が空いておらず,富山基準の3人前は無理だろうと考えて2人前にしましたが,それは正解でした。というのも,量が多かったと言うよりは,あまり美味しくなかったのです。ブリ大根はなるほど美味しかったと思いますが,ブリの頭の部分でそれほど食べるところがあったわけではありません。お寿司そのものも,もちろん東京で食べるものに比べて美味しかったのは当然ですが,かといって宿の食べ物と比べればもう全然です。

 しかもお店の人も結構無愛想だったのですが,大した問題ではないですし,地元の人に愛されるお店というのはそういうもので,一見さんの観光客にいちいち愛想を振りまくようなものでもないので,気にはしていません。でも,観光客かどうかは関係なく,無視されるとか相手にされないとかは,普通に失礼なことだとは思います。

 今ひとつな感じがしつつ,魚津駅に戻ります。幸いタクシーが1台止まっていました。お,運転手さんは居眠りをしています。いいですねー,こういうの。

 コンコンと窓を叩いて起こし,水族館までとお願いして5分ほどで魚津水族館に到着。富山湾と水産物の富山県唯一の水族館であると同時に,現存する最古の水族館だそうです。そして全面アクリル製トンネルの設置も日本初とのこと。

 それ以前に地域に愛される水族館であり,小さい子どもを連れた家族,カップル,高校生の集団など,なかなか賑やかな雰囲気が好感触です。

 とはいえ正直なことをいうと,それほど期待していませんでした。水族館はどこも最近派手になっていて,お金も手間もかかり,規模も大きなものになっていないと生き残れません。富山市内から手軽に来ることの出来る場所にあるわけではなく,建物も古く,お世辞にも綺麗で清潔な感じがしないわけですから,そんなに珍しくもない魚がチョロチョロといる程度だろうと思っていたのです。

 しかし,それは違いました。まず,コンセプトがすごい。水族館ですから,そこにいるのは魚ですが,生きて動いている魚であると同時に,それは食べ物なのです。富山湾にいる魚を食べる,これがブレない水族館でした。

 その予兆は,すでに手にした入場券からわかります。

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 いやいや,入場券の写真に甘エビの寿司(しかも卵のせ)は強烈です。我々がなにを見に来たのか,わかってないんとちゃうかい?

 見学をすると,やたらと「食べる」が目に付きます。まあ,食べ物が泳いでいるんだから,そりゃ食べるわな。

 しかし,我々家族はこれを見て言葉を失います。

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 オオグソクムシを食べる,だと?

 しかも,蒸し焼き,揚げ焼き?食べる気満々やんか。

 それで美味しかっただと?いや,ここ水族館でしょ?しかも飼育員二人で食べてる。

 圧倒されました。海にいるものならなんでも食べる。美味しく食べる。それが富山なのです。

 他にも,リュウグウノツカイを食べてみたり(体長3mもあるのに脳みそは17mmしかないとか,ひどい言われようでした),いちいちその味をまずかったと書いてくれていたりして,とにかく富山湾と食べる事からブレないことに,真面目な話,富山がますます気に入ったのでした。

 ひととおり見学を済ませ,徒歩で富山地方鉄道の西魚津駅に向かいます。15分ほどゆっくり,時々見える日本海縦貫線の貨物列車に声を上げながら,人が全くいない農道を歩いて,無人駅の西魚津駅に到着です。娘は無人駅の存在に驚いた事でしょう。

 電車の到着までに30分ほどありますから,写真を撮ったり少し散策したりと言うのが,無人駅の自由度です。一度ホームに入ってしまうと出られない有人の駅とは違って,この開放感も無人駅の魅力だと思います。

 途中,並走するあいの風とやま鉄道を疾走する貨物列車を大慌てで撮影,かつて北斗星で活躍したEF510 500番台の雄姿が冬の富山を疾走,いやー,青の車体の格好いいことよ。

 時刻表どおりに到着した電車に乗って宇奈月温泉駅まで約50分,のんびりとローカル私鉄の旅です。宇奈月温泉駅からは雪も溶けて歩くのも楽になったので,疲れていたけど徒歩で宿まで歩きました。

 そしてその日の夕食に我々はまた驚かされます。前日に魚がいいか肉がいいかと聞かれたのですが,魚がいいと答えたところ,初日を越える質と量が出てきました。これ,お金は大丈夫なんか?

 ノドグロを筆頭に,まさに言葉通りに甘い甘エビ,溶けるようなイカ,脂ののったブリと,食べきれないほどの舟盛りが出てきました。さらに毛ガニ。これも無言で食べ尽くします。ブリ大根も並んでいます。

 やっと食べたと思ったら,氷見産の牛の一口フィレステーキが・・・富山の人の一口は我々よりも相当大きいようです。私はレアはダメな人だったのですが,これまで食べたことのない新しい食べ物に遭遇し,気が付いたら平らげていたという感じでした。

 食べ物については私は詳しくないですしその素晴らしさを伝えるほどの言葉を持ちませんが,1日目もすごかったけど,2日目はさらにすごくて,普通なら食べきれない量を,おいしさで食べきったという感じです。これぞ非日常。まさに板長の本気を見せて頂きました。お酒は黒部の銀盤というそんなに高くないお酒を熱燗で頂きましたが,これもまたとても美味しくて,食べる事と飲むことに私のすべてを捧げた2時間でした。

 

東京からの脱出 : Day1 ~ 富山に向かう

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 家族で富山に行ってきました。先にいっときます,冬の富山は本当にいいです。

 きっかけは,東京からの脱出。右を向いても左を向いても自分の事しか考えていない人が自分勝手に闊歩し弱者のみならず弱者への思いやりすらを弱みにつけ込む。そんな山手線の駅を降りて会社までの道すがら,沸々と湧き上がる紫色の煙のような負の感情が,会社の自席に着いた途端に「もうええ加減にせえよ」に昇華し,その刹那東京からの脱出を,ひったくるように渇望するに至ったのです。

 大げさですけど,こんなことってあるんだなと思いました。何事も悪い方に考え,慎重に慎重に,衝動的な判断に身を委ねないことを常としてきた私ですが,瞬発力に背中を蹴飛ばされることのなんと心地の良いことか。

 とはいえ,それまでに旅行が許される条件が整っていたことも大きくて,本当に突発的だったかと言われれば実はそんなこともないのかも知れません。

 それは娘の手術が終わって1年経ち,日常を取り戻しつつあることもそうでしょうし,家族が揃って年末年始を過ごす機会が,今後減ることはあっても増える事は決してないという現実的な見通し,本人の病気や親の介護などの自分ではコントロール出来ない,しかし必ずやってくる面倒ごとが今は成りを潜めているということ,なによりこれまで一度も家族で旅行はおろか,帰省も含めて揃って外泊をしたことがないという異常な事実に対する負い目も,今回の判断のしきい値を引き下げてくれました。加えて年末の連休が長いことも,ひょっとしたら昨今の国際情勢から海外からの観光客が減るんじゃないかという期待も後押ししました。

 こういう判断は得てして良い結果を生むものです。ならば後戻りできないように,その場で妻に連絡,相談と言うより半ば決定事項として伝えて快諾を得ると,具体的な行動として場所の選定です。

 これも衝動的に,富山に決め打ち。妻は寒さが苦手で暖かいところに行きたがるのですが,私はなぜか冬は寒いところに行きたくなるのです。いや,スキーとか冬山登山とか死ぬほど嫌いですよ。

 母親が福井の出身で冬の北陸には特別な思いがある私にとっても,冬の富山は未経験です。でも,富山の話は良いことばかり。

 いわゆる観光地は少ないですし,特に冬は雪に閉ざされて身動きが取れません。もちろん日本アルプスにアタックする人には特別な意味を持ちますが,我々家族がそんなことをするはずもありません。

 しかし,富山は海の幸と綺麗で美味しい水があります。異口同音に刺身とお寿司のおいしさを聞きますし,水の美味しい所の日本酒はまた絶品で,これも大変な評判です。

 東京からの脱出,美味しい料理に美味しいお酒。そして雪を蹴散らして進む新幹線の開業と,もはや冬の富山こそ私たちが目指すべき非日常であると確信しました。

 しかしこの時すでに12月10日。年末の家族旅行など出遅れも甚だしいです。
 あわててその週の土曜日に近所のJTBで相談。自然な流れで富山に決まりました。

 問題は富山のどこに行くのかですが,私は富山のことはほとんど知りません。富山と言っても広いです。どこに泊まるのがいいのか,そこで何をすればいいのか,どうやって行けばいいのか,全くわからないのです。

 わからないことはプロに任せればいいです。無理をせず専門家に頼る,信頼することもまた心地の良いことです。

 こちらの希望を伝え,果たして彼女が提案したのは,宇奈月温泉でした。

 さすがに名前くらいは聞いたことがあるのですが,どこにあるのかよく分かりません。地図を見ると富山の東側,富山市からはそれなりに離れていて,いわゆる黒部の近くのようです。有名な黒部峡谷鉄道はここから出ています。冬の間は運休するので今回は体験する機会がありませんが,海と言うより山なんだなという事はなんとなくわかります。

 そう,北陸の山と空の境目は,独特の色合いをしているのです。ワクワクするじゃないですか。

 宿を起点に観光地を巡ることはせず,宿そのものを楽しみ,のんびり滞在したいという事,何をするにもエレベータにまず乗り込むのではなく,宿を歩き回って,できれば階段で動けるくらいであること,畳に布団がいいということを伝えて,宿も決まりました。

 希望していた12月26日という出発日と2泊3日という期間もうまく叶い,少しお金はかかりましたが,あとは病気や怪我をせず,夫婦げんかも慎んで当日を無事に迎えるだけです。

Day1 : 12月26日
はくたか565号 13:24東京発 15:41黒部宇奈月温泉着
富山地方鉄道 16:17新黒部発 16:45宇奈月温泉着

 東京駅を新幹線のホームは人で年末年始独特のワクワク感と共にごった返していて,心なしかみんな穏やかな顔をしています。混雑するホームでさっと道を譲る人,ぐずる子どもにも優しい人,互いに会釈を交わす・・・ゆとりがあるっていいですよね。

 噂に聞いていた,外国人観光客のマナーの悪さを見ることもなく,初めて使った北陸新幹線は快適そのものです。これだけ快適だと旅の風情も感じず,在来線の窮屈さやのんびりさがかえって懐かしく感じるくらいです。移動を積極的に楽しむと言うよりも,やはり移動を移動として割り切って快適に短時間で片付けることに長けた新幹線に,私はそれほど悪いイメージがありません。

 東京は晴天で気温も高かったのですが,黒部宇奈月温泉駅を降りるとしっかりと吹雪き,鉛色の空が広がっています。長野あたりからあやしくなり,糸魚川では明らかに寒そうだったわけですが,実際に富山まで来ると本当に寒くて凍えそうです。富山地方鉄道の新黒部駅への乗り換え,そして電車を待つ間,正直この旅行は失敗かも,と心配になりました。

 新黒部にやってきたのは,雪まみれになったかつての「レッドアロー」です。おお,写真でしか見た事がない西武の特急電車にこんなところで乗る事になるとは・・・

 富山地方鉄道は私の期待を遙かに超える地方鉄道っぷりで,駅はほとんど無人駅,車両は古くて傷んでおり,なんだか別世界です。しかし粗末に使われているかと言えばそうでもなく,駅はどの駅も同じ程度に維持されていますし,車両ももともと古いものが,厳しい風雪に晒されて傷んでいるだけで,大切に足として使われていることがわかります。

 車内も,例えばシートはすり切れていたりはしますが,それも年月相応に痛んでいるだけであり,乗客のマターの悪さや無関心さに起因するような傷み方はありません。まさに足として,乗客にも大切にされていて,というよりもそれが日常的に当たり前になっている毎日を想像させる電車でした。

 どんどん日は落ちて行きます。車窓はいかにも日本海側の農村に新雪が重なっていく様子です。揺れる電車,妙にふわふわのシートは,決して快適とは言えません。

 娘は電車に酔ったといってました。終点の宇奈月温泉の途中はどうも急な曲線が多く,揺れも大きく,停車駅も多かったですから,私もちょっと気分が悪くなりました。

 駅に降り立つと雪が積もっています。寒いです。駅員の少ない(というより一人しかいない)改札に不慣れな観光客が列びます。改札では乗ったときに取った整理券を見せて,往復乗車券を買うのがポイントです。片道720円の区間を5日間有効の往復乗車券を買うと1400円。20円しか安くならないと嘆くなかれ,実は特急料金100円が無料になるのです。しかも半券付きで使用後にも手元に残ります。これは買うしかないでしょう。

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 改札を出ると,各旅館の旗を持った迎えの人にところに銘々近寄る光景がいかにも温泉街ですが,我々もそうやって自分たちの宿,「サン柳家」の用意してくれた車に乗り込みます。暗いし寒いし雪は降っているし,道はわからないしで,もう車でなければたどり着かないのでは思うほど,心細いものでした。

 当たり前ですが,宿に着くと女将と若女将が出迎えてくれます。商売ですけど,うれしいものです。こういうのはなくなって欲しくないですよねえ。

 なんだかんだで自分たちの部屋に座り込んだのが17時半過ぎ。1時間ほどしてから夕食です。夕食は個室の用意があったのでそちらで頂く事になっています。

 料理のことを事細かく書くのはもう無理なほど,品数の多さ,圧倒的な物量,しかもどれもたまらなく美味しく,貝類が全くダメな私がバイ貝の刺身をうまいといっては食べ,もう何十年も口にしなかったカニを無言で食べ,あろうことかカニ味噌まで食べるに至り,いつもならグロいとか目が合ったら怖いとか言って箸も付けなかった鯛の兜煮をバラバラにしながら食べる姿に家族は「こいつ別人ちゃうか」と思ったらしいです。(この鯛の兜煮はこの宿の名物らしく,わざわざこれを目当てに来る人もいるとか。実際私はこんなにうまい煮付けを食べたことはありません)

 それくらい,おいしいのでした。おいしいというより,臭みがなく,うまみが凝縮されていたとでもいうのでしょうか。以前,いわゆる珍味がダメだという話をしたときに,本当に美味しいものを口にしていないからだと,したり顔である人が言ったことにむっとしたことがあるのですが,それは本当だったと思いました。

 そして,これがまだまだ序の口であることを後に知る事となります。

 おいしいこと,品数,手のかかり具合,物量があることはもちろんなのですが,価格も安いのです。東京にいてここ数年の物価高に苦虫を噛み潰すような思いで毎日を過ごしているせいか,富山だけは物価高は起きていないのではないのかと思うことが度々ありました。もちろん実際にはそんなはずはなく,電気料金もガス料金も,飲み物もお米の値段も上がっているはずですし,寒冷地の冬の生活コストはもともと多くかかるものです。

 ですが,やはり目の前にあるものから感じるのは,数年前のコスト感覚です。ひょっとすると本当に物価高の影響が少ない地域なのかも知れませんが,仮にそうだとしても外から来る観光客にまでその恩恵を与えることはしなくとも,東京と同じような価格までふっかけたところで,誰も文句は言わないだろうと思うのです。

 それは自販機のペットボトルの水の値段も,ビール1杯の値段も良心的であるということを通じて,歓迎されているなあと感じる機会でもあり,こういうことに無欲であること,あるいは外の人に対して優しい(というより公平である)ことも,富山の地域性なのかも知れないなと思いました。

 そんなことを考えながら2時間ほどで富山の海の幸をたらふく食べ,部屋に戻ってこの日は終了。ニュースでは東京はこの冬一番の寒さだったといっており,無事東京脱出に成功したと,私はほくそ笑んでいたのでした。

 翌日は丸一日富山にいる日になります。最寄り駅まで移動できるのか,最寄り駅から移動できるのか,果たして天気はどうなるのか,無事に時間を潰せるのか,はたまた宿でひたすら読書に励むことになるのか,どうなることやらわからず,満腹と疲れで,ぐっすり寝てしまったのでした。

キヤノンPIXUS PRO-100はいつまで動いてくれるのか

 うちには写真印刷用のプリンタとして,キヤノンのPRO-100があります。

 調べてみると2014年の5月末に4万円半ばで購入しているということですので,もう10年以上使っています。我ながらすごい。

 これに,2022年の生産終了を受け,今や伝説となっている富士フイルムの画彩写真用紙proという印刷用紙を組み合わせるのが私にとってのベストで,よく使うKGサイズを買いだめて今も使っています。

 とはいえ,以前とは違ってそんなに頻繁に印刷をすることもなくなり,今は年賀状の印刷(今どき年賀状というのもすごいですが)で年に一度12月にまとめて印刷というのが定着しました。

 しかしここ数年,さすがにPRO-100のノズルが詰まってしまい,印刷が出来ない状態が起きています。

 いや,最終的には詰まりも解消して印刷を終えて年を越すのですが,この時の対応策が年々大変になっていくのです。最初は詰まったノズルが数個に過ぎず,クリーニングを数回やればテストプリントで問題がなかったものが,今ではすべてのノズルが詰まってテストプリントは白紙で出てきますし,クリーニングだって何度繰り返しても半分くらいのノズルが開通する程度です。

 もちろんこれでは印刷に使えませんから,すべてのノズルを開通させる必要があるわけですが,3年ほど前からはヘッドを取り出しアルコールでゴシゴシ擦らないとだめになりましたし,今年はとうとうインク吸込み口に直接アルコールを流し込まないとだめになりました。

 そういえば数年前はヘッドと本体の接触不良で全滅というのがありました。この時は接点をアルコールで磨いて難を逃れたのでした。

 そうやってその場しのぎでなんとかしてきたのですが,今年は特に絶望的で,いよいよだめかと思うほど時間がかかりました。クリーニングの回数も数え切れないほどで,最後まで開通しなかったブラックについては,全くインクが減らない状態でインクカートリッジの交換が必要になってしまうほどでした。

 これにはちょっと説明が必要です。PRO-100のインクカートリッジは,実際のインクの残存量を調べるのではなく,インクの排出回数をカウントすることで交換のアラームを出します。ですので,今回のようにインクが詰まっていてインクがカートリッジに残っていても,クリーニングを繰り返すとインクを交換しないといけないわけです。

 これを使えるようにするのはリセッターが必要になりますが,そんなことまでやってられませんし,実は期限切れのインクだったりするので,もったいないですが捨てざるを得ませんでした。

 ある色が完全に出ていない状態だと,インクが詰まったと言う原因ではなく,ヘッドが壊れたとか制御回路が壊れたとか,他の要因も考えられるのですが,少しでも出てくれれば望みが出てきます。特にPRO-100についてはブラックやグレーと言った黒系のインクで詰まりやすいようですから,もったいないとか言ってないで,とにかくつまりを解消するしかありません。

 時間はかかるしゴミ箱に次々に捨てられるインクカートリッジにめまいがしますが,これを防ぐには月に一度くらいのテスト印刷を行う,特にインクが固まりにくい温かいときにやっておくのが良さそうです。昨年は一度も動かす事なく,丸1年放置していましたから,こんなにひどい事になったのだと思います。

 しかし,BCI-43というPRO-100用のインクカートリッジも,そろそろ生産終了の足音が聞こえてきますし,廃インクタンクの問題もあるので,買い換えを検討しないといけません。

 順当に行けばPRO-100の後継であるプロもしくはハイアマチュア用の写真プリンタから選ぶ事になるのですが,PRO-100を実際に使ってみて,さすがにここまでやらんでもよかったなと思う事もありました。

 まず,A3ノビまでは必要ありませんでした。4つ切りを印刷するにはA3ノビが必要ですが,実際には六つ切りやA4がいいところです。一番印刷したのはハガキサイズでしたから,どう考えてもオーバースペックでした。

 なら,同じインクを使ったA4モデルがあるといいのですが,少なくとも現時点で写真印刷に特化したA4モデルはキヤノンにはないようです。

 そうなってくると,複合機で左心印刷に強いモデルから選ぶ事になるのですが,それがどのくらいの画質を備えているのか不明ですし,それに印刷ソフトの問題もあります。PRO-100はPrint Studio Proという良く出来た印刷ソフトがあり,Lightroomからこれを呼び出して印刷することで,高画質な印刷が可能になっています。

 複合機はPrint Studio Proから印刷出来ませんし,そうなるとLightroomから直接印刷することになりますが,その場合のカラーマッチングはどうするか,そもそも私の古いLightroom6で印刷出来るのかなど,難しい問題を解決しないといけません。

 これをきっかけにLightroomもサブスクリプションに移行し,写真編集もMacBookAirで行うようにすればすべて綺麗に解決しそうですが,作業効率を除けば古いMacに古いOS,古いLightroomで十分に自分の意思を込めた写真印刷が出来ているので,大金をかけてシステムを総入れ替えするだけのモチベーションが沸いてきません。

 そのうち娘も撮られるのを嫌がるようになるでしょうし,そうなるともう写真を撮ることすら減っていくことになるでしょう。このまま延命をするのが一番だという結論にいつも達して,そうやって年を越すことになるわけです。
 
 今年もそんな感じで年末になりました。一番先に壊れるのは,やはりメカもののプリンタでしょう。ハガキサイズばかりでとはいえ4300枚の印刷を行った老兵は,もういつ止まってもおかしくありません。

 自宅で写真の印刷を行うと言うこと自体,大昔は考えられない事でしたし,それが30年ほど前に現実的に可能になり,私も良い時代になったものだと思ったものですが,年賀状の衰退と高コスト,そして写真印刷がコンビニで出来るようになって,自宅での印刷は風前の灯火となりました。

 当然プリンタの新機種も以前より出なくなりますし,たくさんあった高性能な写真用紙も入手が難しくなっていきます。どこでも買えたインクカートリッジは通販でしか買えなくなり,それもいずれ生産中止になります。

 こうして年々状況が悪くなる未来を当時の私が知るはずもなく,この分野に限らずあらゆる事で「今日より明日が悪くなる」ということが起きている事は,とても寂しいと同時に受け入れなければならない現実として,私に重くのしかかっています。

 ここに至って,とにかく延命です。そしていよいよダメになってしまったときには,もう悪あがきせずスッパリあきらめることも,必要になると思います。

 ここで改めて,便利な生活というのは,誰かがそれを実現してくれているからだと痛感するわけです。

 この先,どうなるのかなあ・・・

KODAK Charmeraが面白い

 トイカメラが流行ってます。エモいとかいろいろ言われていますが,スマホ以外の撮影機材を若い人が興味を持って選択するときに常に壁になるのがズバリ価格で,デジタルカメラが高価だからフィルムカメラ,フィルムが高価になってしまったからコンパクトデジカメ,そしてとうとうコンパクトデジカメも高価になったのでいよいよトイカメラに,と対象が変わって来ただけではないかと思う所もあります。

 もちろんそこには画質や機能,質感に大きな差があるわけですが,スマホの高画質カメラがベースを押さえているので,サブとして使うカメラはもはやどんなものでもよく,面白ければもうなんでもよいんです。

 インフルエンサーが採り上げたことで認知され流行するという話ももちろんそうですが,そもそもインフルエンサーがなぜ採り上げるのかというところまで考えると,やはり彼らの評価軸に,スマホのカメラにない別の個性が魅力的に見えているかどうかが決め手になっているように感じるわけです。

 実際,トイカメラは随分昔から売られていましたし,トイカメラと言うだけあって現在においても性能の向上や機能アップがあったようには見えません。相変わらずトイカメラはトイカメラとして,昔ながらの画像を吐き出し続けています。

 では,それら傍流であるトイカメラがなぜ,KODAK Charmeraになるとこれほどヒットするのか・・・

 そんなもん決まってます。かわいいからです。

 58×24.5×20mmで30g,プラスチッキーなまるでカプセルトイで,まんまキーホルダーなのに,レンズもLCDも物理ボタンも備えた,ちゃんとしたデジカメです。

 小さくて丸い物が本能的に大好きな哺乳類にとって,これほど愛でるべきカメラがあるのかどうか。

 スペックを書くのも野暮ですが,1/4インチのCMOSセンサー,1440x1080というフルHDですらない画素数,20年前のデジカメにすら負けている160万画素,その割にレスポンスは凡庸でキビキビ動くわけでもない。レンズは35mmF2.4と無難な画角でパンフォーカス。しかもプラスチック製。動画撮影対応でも今どきAVIファイルです。インターフォンのカメラの方が高性能かも知れません。

 しかし,USBはtype-Cで充電もデータ転送も対応,電池は200mAhの電池を内蔵していて,LEDによるフラッシュも内蔵しています。記録メディアはmicroSDで128GBまでOK。つまり,昔ながらのトイカメラを現代風にアップデートしてあるわけです。

 そうすると見えてくるのが,レトロな画質の現代のカメラという個性です。地デジ同等の少ない画素数,すぐに白飛びするダイナミックレンジの狭さ,淡泊な色とコントラストに盛大な収差,JPEGノイズと輪郭強調で破綻した画像・・・20年前の画質です。

 しかし,これにオレンジ色の日付を入れればどうか,面白いフレームやフィルターでさっと画像を加工出来たらどうだ,それらをさっとスマホに転送できたらどうだ。難しい操作も知識も必要なく,電源を入れてシャッターボタンを押すだけの簡単操作はどうだ。
 
 そして価格は$30(今B&Hをみたら$39でした)。円安の日本ではこれを6000円で売っています。

 大切な事を忘れていますが,この価格で買えるデジカメは,いわゆる幼児向きのオモチャを除くと,もうあんまり選択肢がなかったりするのです。

 "写ルンです"でカメラの面白さに目覚めた人がランニングコストに耐えかねて中古のコンデジを買ってみたものの,電池は死んでいるし記録メディアも見た事のないへんなものでどこにも売っていない,幸運なことに付属していても撮影枚数が少なすぎるだけでなく,PCやスマホで読み込む方法が見つかりません。もう途方に暮れるしかない・・・

 そういう声をちゃんと聞いて作ったんじゃないかと,私は感心したわけです。

 そんなカメラを,KODAKブランドで出す。しかも6種類がランダムに売られていて,1/48の確率でシークレットが入っているんですよ。集めたくなるじゃないですか。

 それぞれ1980年代を彷彿とさせるデザインで,もちろんKODAKイエローも健在。これをデジカメとしてではなく,チャームとして売るんです。そりゃ流行しますわ。

 ということで,私も買いました,KODAK Charmera。

 とはいえ,存在を知ったのが11月末と遅く,娘に「こんなんあるで」と紹介したのが10日ほど前の事です。すでに流行が過熱し,年内の入手は絶望と言われていました。

 中学生の娘なら知っていて,みんな持ってる私も欲しい,というかなと思ったのですが,案外そういうわけでもなく,初めて見たと言ってました。見た瞬間,欲しいと言い出したのですが,これは入手が難しいからしばらく無理だなあと言ってなだめたのでした。

 ところが先日,大手量販店がお一人様3個限定で緊急販売をスタート。私も乗り遅れることなく家族全員分のCharmeraを買うことが出来たのでした。

 翌日届いた3台のCharmeraを,家族で一人1つ手に取って開封しました。黄色が欲しいなあと思っていたのですが,結果は黒と赤が2台。赤は今ひとつ琴線に触れなかったのですが,まさかそれが早速ダブるとは,なかなか幸先の悪いスタートです。

 手持ちの16GBのmicroSDカードをフォーマットすると約58000枚。娘には32GBのものを渡したので,99999枚でカウントストップです。もう無限に撮影出来ると言っても過言ではありません。

 電源を入れて初期設定をしますが,独特のUIで混乱します。でも簡単なのですぐになれます。このあたりは悪くないですねえ。

 そして撮影。電源を入れるのに長押しはカバンの中で勝手に電源が入るのを防ぐためなのでよいとして,起動後すぐに撮影可能な状態にならず,静止画か動画を選ぶところから毎回スタートするのは確かにまどろっこしいです。

 ですが,シャッターボタンがすぐに静止画モードに移行するショートカットボタンですので,大した手間ではないと思います。

 書き忘れていましたが,ここまで何かと音が出ています。起動音やボタンのクリック音など,結構うるさいです。シャッター音も出ます。消せません。

 撮影しますが,ズバリ楽しいです。我々が忘れていた何かが,ここにはあります。小さなLCDはファインダーとしても撮影後のプレビューとしても案外使える印象で,むしろ小さく画素数が少ないため,画像の粗が目立ちにくくて「お,案外綺麗に撮影出来るんだな」と騙されてしまいます。

 でもそれがいい。騙されましょうよ,この際ですし。

 フィルタも楽しいですよ。個人的には2値化もKODAKのレトロフレームもいいんですが,モノクロも楽しかったです。

 それから動画です。動画こそオマケだと思っていたのですが,30FPSですし,生意気に音声も録音されました。ちゃんとマイクも内蔵しているわけで,オマケとして真面目です。マイクがなくて音がない動画でも,このカメラなら誰も怒らないと思いますよ。

 欠点はですね,消費電力が大きいので,電池が結構早くなくなるということです。ここはこのカメラの本質でもあるので,頑張って欲しかったです。

 それから,付属のUSBケーブル。本体側のtypeCはともかくとして,反対側がtypeAってどうなのよ。もしここにtypeC-typeCのケーブルだったら,スマホと直結できて便利だったはずです。充電だって今どきtypeCで困る人などいないでしょうし,typeAの方がむしろ困るくらいでしょう。

 設定項目が少なすぎるのも問題です。いや,誤解のないように言っておくと設定項目などゼロが理想です。ただそれは理想的な設計が成されている商品という意味の裏返しであって,通常は設定を変更出来ないと困ることも多いです。KODAK Charmeraの場合,音が出ないようにする設定がないこと,フラッシュの発光禁止が設定出来ないことが問題です。

 特にフラッシュは致命的で,フラッシュ撮影禁止の場所では実質使えません。まだ目が弱い赤ちゃんの撮影で使うことは避けたいところですし,そもそも光が弱すぎてほぼ役に立たないフラッシュを発光させることにはデメリットしかありません。

 最後にちょっと強度が心配です。特にキーチェーンを取り付ける部分が,すぐに壊れてしまいそうで,そうなるといつの間にか落として紛失,仮に見つかってもチャームとしての価値はありません。ここはしっかり作って欲しかったなあと思います。

 ということでKODAK Charmera,娘は早速カバンにつけて学校に行きました。全く同じ形でKODAKでないものも売られていて,それらはもうちょっと安かったりするのですが,中国で標準品として作られて供給されているトイカメラが,KODAKブランドでうまくマーケティングすると世界的なヒットになるという,誠に面白い例でした。

 いやでもまてよ,そんな風に斜に構えなくても,十分に面白いんじゃないかい,これは。

 

気象通報のおわり

 NHKのラジオ第2放送が来年2026年の3月末に廃止になることが決まったそうです。

 ラジオ第2は普段滅多に聞かないラジオの中でも,とりわけ聞く機会がないラジオで,私自身も廃止はやむを得ないかなと思うところがあります。

 驚くほど簡単な自作のラジオから出てくる声は,その電波の強力なNHKにほぼ限られ,さらに強力だったラジオ第2はゲルマラジオでも綺麗に受信出来ました。腕が上がって難しいラジオを作るようになればなるほど,ラジオ第2以外の放送局が増えていくという感じだったので,私のような子どもの頃からラジオを作ってきた人にとって,ラジオ第2というのは原体験というか故郷というか,そんなものじゃないでしょうか。

 さて,ラジオ第2は1931年に放送を開始したといいいますから,あと5年続けてくれていれば100周年というところだったのですが,中波ラジオの放送設備は規模も大きく維持もお金がかかりますので,民放はすでにAM放送をあきらめ,設備の軽いFM放送に移行しつつあります。ワイドFMという,わかったようなわからんキャッチで呼ばれているこのサービスですが,確かに音質もいいですし,実用面で言えばFMへの移行は悪い話ではないと思います。

 ただ,NHKだけは中波放送を続ける意向のようで,当分の間は小学生の夏休みの工作にゲルマラジオを作る事が出来そうです。(ただ,先日高速道路のトンネル内のラジオの再送信が廃止になるという話を見て,自動車のドライバーでさえもラジオを聞かなくなったのかと驚愕しました)

 ラジオ第2はもともと,すでに始まっていたラジオ放送から教育に関する放送を分離して立ち上げたもので,そういう経緯もあって現在も語学を中心とした番組が多いです。

 AM2波,FM1波という贅沢な媒体を維持し,様々な番組をもれなくカバーしていたNHKのラジオですが,リスナーの減少やラジオの役割の変化,そしてインターネットとスマートフォンの普及がとどめを刺すような形で,ラジオはとうとう削減に舵を切ったことになります。

 確かに,NHK-FMなどは,聞きたいと思う放送をやってないですもん。高音質という特徴を持つFMでは,放送の機材もエンジニアもスタジオも超一流。ライブ番組などは出演者も新人からベテランまで登場して頻繁に方法され,お金を出しても手に入らない音源が,それこそ垂れ流されていた時期が続いていました。なんと贅沢なことか。

 それが今や,トーク番組もばかりです。それだってインターネットラジオに移行していないだけましなのかもしれませんが,知らない音楽に出会うきっかけになったFM放送が,その役割を変えたのは,私は残念でなりません。

 こうして隙間の出来たFMに,ラジオ第2の番組の多くは移行する事になるそうです。語学番組がFMに移行するわけですが,これはこれで良いことかもしれません。発音は高音質で聴きたいですからね。

 そんななかで,移行されずに廃止されると言われている番組があります。1つは株式市況,もう1つは気象通報です。

 株式市況は1925年スタートしラジオ第2に移行して今日まで続く最長寿番組だそうで,すでに100年です。すごいなー。これは上場企業の株価を読み上げるだけの番組なわけですが,ネットでいつでも確認出来る株価を定時にラジオで放送する価値は確かに薄いように思いますし,同様の番組が他で放送されていることを考えると,そんなに悲観するようなことではないように思います。

 悲しいのはもう1つの,気象通報の廃止です。こちらは1928年に放送開始で,ラジオ第2に移行してから今日まで続く,これまた長寿番組です。聞いたことがないという人は実は少ないんじゃないかと思うのは,これ,天気図を手書きするための放送で,中学校の授業で聞かされたり書かされたりした経験のある人を以外に見聞きするからです。

 私もそうなのですが,私はもうちょっと濃い関係がありました。中学生の頃,電子工作(あわよくばパソコン,というかゲーム)がやりたくて入部した科学部で,まず最初にやらされたのが気象通報で天気図を書くことだったからです。

 お天気に全く興味がなく,天気図なんて新聞に出ているものをちょっと見る程度だった私が,いきなり白地図のような紙を渡され,お経のような声を聞き,理由もなく天気図を書けと突然言われたときの戸惑いを想像して頂きたいのですが,私以外の部員は何の疑問も持たずに,死んだ魚の目でその声を聞き,地図になにやら書き込んでいきました。

 雰囲気に飲まれた私も同じように,読み上げられた地名に風向,風速,天気,気圧,気温を書き込もうとするのですが,まずその地名がわかりません。石垣島?南大東島?ハバロフスク?アモイ?

 1つ分からなくなると,もうそこで置いていかれます。リアルタイム書き込みはそこで終了です。そうなると2回目,3回目の聞き直しを強要され,完成まで拘束され続けます。

 これが,部活の始まる16時からの,科学部の日課でした。

 ところが,中学生の柔軟性はすごいもんです。しばらくすると地名と場所は完璧に分かるようになり,読み上げの順番も覚えてしまうので,目と手が自然に次の地名に移動するようになります。

 とはいえ,天気がレアな「地吹雪」だったりすると,天気の記号がぱっと出てこずにリアルタイム書き込みから脱落することがありました。そんなとき,終わってから友人達と「いやー地吹雪はないわー」と文句を言い合うわけです。ああ,なんと不健全な中学生なことか!

 続いて船舶からの報告です。これは場所の指定を地名ではなく,緯度と経度で行います。当然毎日同じ場所からということはありません。これが始まる直前,皆にピリピリとした緊張が走ります。

 ここをなんとか切り抜けると,引き続き緊張を維持したまま漁業気象になるのですが,これは高気圧や低気圧の位置,前線の場所を読み上げていきます。聞き漏らさないようにゴリゴリと書き込んでいきます。

 そして最後の難関,等圧線です。等圧線は,その日の代表的な気圧の等圧線が通る緯度と経度を連続で読み上げていきます。素人はその緯度と経度に×印を付け,放送終了後に繋いで完成させるのですが,慣れてくるとリアルタイムに滑らかな等圧線を直接書くことが出来るようになっていきます。ここまできてようやく一人前。

 そして放送終了後の仕上げに,各地点の気圧と等圧線の関係から,他の気圧の等圧線を何本か滑らかに書いて完成となります。

 実のところ,私も半年ほどでここまですらすらと出来るようになっていました・・・

 出来るようになってしまうとこれがまた得意になるもので,あるとき理科の授業で天気図を気象通報から書く実習が行われたとき,同じクラスにいた私を含む3人の科学部員が,多くが脱落して行くのを尻目に,等圧線までリアルタイムで書いて行くのを見て,「すげー」と喝采を浴びたことを思い出します。

 そんな気象通報,中学三年間ずっと聞き続けていましたから,今でも親近感があります。娘にそんな話をしてもピンと来なかったようですが,中学生になり学校の授業で気象通報を聞かされて,ああこのことかと思ったらしく,私に「あれを聞いて直接地図に書き込めるなんておかしい」といってました。中学生の私に,将来そういう会話が自分の娘との間にあることを私は教えてあげたいです。

 もともとこの気象通報,天気図という画像情報を広範囲に確実に伝送するための唯一の方法でした。テレビもインターネットもなく,画像の伝送は新聞が最速だった時代において,新鮮な天気図を手に入れるには気象通報から天気図を書き起こすのが最も優れた方法だったのです。

 テレビが使える時代になっても,船舶で天気図を手に入れるのに気象通報は最善でした。テレビは遠距離で受信出来ませんし,受信出来ても詳しい天気図は出てきませんし,保存も出来ません。無線を使ったファックスは高価ですしいつも受信出来るとは限りません。一方で船舶の安全な航行には気象の情報は不可欠で,人の命がかかっているだけに,今日はまあいいや,というわけにはいきません。

 そこで気象通報です。毎日定時に確実に放送されますし,電波は中波のAMですから遠距離でも届きます。紙に書き起こした天気図は消えることはありません。じっくりこれからの天気の移り変わりを検討できます。

 いってみれば,天気図を書くために必要なパラメータを,あるフォーマットにエンコードしてシリアル通信で電波で送信し,受信者はデコードして元の天気図に戻すという作業を行うことで,画像伝送を行う仕組みだったわけです。

 そして私がやった訓練というのは,そのデコードをリアルタイムで行うだけの処理能力を身につける作業だったことになります。

 いってみれば特殊技能だったと思いますが,技術の進歩というのはそんな技能を陳腐化させていく歴史でもあります。スマートフォンがあればどこでも新鮮な天気図が手に入りますから,ここに至って気象通報の意味はなくなったといってよいでしょう。

 もちろん,すでに業務の無線では廃止されて久しいモールス信号による通信が,アマチュア無線では今になって主流になっていることを考えると,単に非合理的だからという理由だけで消えてなくなったりするわけではないのですが,趣味の話と業務の話はやっぱり別で,仕事の話は経済性が重要だと考えると,使う人が少なくなった気象通報を漫然とノスタルジーで続けるような話は,やっぱりないなあと思うのです。

 それともう1つ,これは当時の科学部の先生から聞いたんじゃないかと思うのですが,NHKのアナウンサーの教育にこの番組が使われると言う話でした。地名や数字をはっきりと,噛まずに正確に発音するだけではなく,聞き取りやすく,しかも20分という放送時間ぴったりに読み上げが終わるような速度でなければなりません。

 なので,アナウンサーの技術向上にもってこいだったらしいです。しかし,これも2016年頃に自動音声に切り替わってしまった事から,その役目をすでに終えていたことになります。

 
 そんな気象通報も,ラジオ第2放送の廃止と共に,終了の予定です。

 長く続いたなあと感心する一方で,さみしさというより,世代を超えた共通の話題がまた1つ減ることに,もったいないという気持ちがわいてきました。娘との共通の話題に間に合ったことは幸いなことでありました。

 最後の放送くらいは録音しておきましょうかね。

 

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