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中学受験というものを経験する前に考えたこと

 東日本大震災の年に生まれた娘もこの春に小学校を卒業し,中学校に進みます。

 生まれたその日から毎日違った姿を見せる娘を観察し続けることは,私の何よりの幸せでしたが,おそらくそれはそれまでの経験から類推できる未来とは異なり,知らないこと,分からない事の連続だったから,そう思えるのかも知れません。

 無論いいことばかりではありません,頭にくることも,どうしていいやらわからなくなることもたくさんありましたが,それでも我々の娘はとても「いい子」でしたので,振り返ってみても大変だったと思い返すようなことは少なく,むしろ後悔や反省が私を責めることの方が多いと思います。

 つくづく思うのは,子どもと一緒に過ごすことは,親の特権であるという事です。もちろん親なんだから当たり前の事なのですが,親という理由だけで子どもと過ごすことが許されるというのはなんと楽しい事か,なんとうれしいことかと思います。

 特に我々夫婦は遅くに結婚し,人様よりも10年は遅れて子育てに臨みました。私たちのような年齢の人間でもこれだけ自分と自分の周辺を抑えるのに苦労したことを思い返すと,もし私が人並みに10年若く子育てに挑んだなら,およそ務まらなかったんじゃないかと思います。

 そう考えると,世の中のお父さんお母さんというのは,本当によく頑張っているなあと感心するわけです。


 閑話休題。そんな子育てのイベントの1つに,進学というのがあります。義務教育であればほっといても小学生や中学生にはなるわけですが,高校からはそうはいきませんし,与えられた進路ではなく積極的に選び取る進路であるなら,そこに受験という自己研鑽と残酷な競争の世界があることから目をそらすわけにはいきません。

 我々夫婦は競争心も向上心も少なく,子どものお尻を叩くことをしませんでしたし,まして自分たちの名誉や都合で子どもの時間の使い方を決めたりするようなことはしませんでしたが,当然のこととして自分たちの成功体験(あるいは失敗体験)から,こういう選択肢を選んで欲しいと考えていたことはありました。

 ピアノを習ってもらったのもその1つで,嫁さんはピアノをきちんと習った事から,私は習わなかったことから,ピアノを習って欲しいと考えました。その目的はシンプルで,練習は裏切らないことを実体験してもらう事と,上手いとか下手ではなく,自分の頭の中で鳴っている音を表現する手段を持って,たとえひとりぼっちになっても楽器を絶対に裏切らない友人として一生付き合って欲しいと思ったことにありました。

 同じ文脈で,ぜひ進んで欲しい進路が,女子校でした。嫁さんは女子校の出身者で,周りに男がいないから,男に頼ることができない,故に自分たちでなにかをやるのが当たり前になったと言っています。その通りでしょう。私にも経験がありますが,自己顕示欲の強い年代の男というのは,なにかと女の子の前でいい格好をしがちなもんです。

 いや,やってくれると言うんだから任せりゃいいんだと思うのですが,それはやる側の視点です。見方を変えれば,経験するチャンスを奪う行為であり,それはつまり同じ経験による体験の共有を損なわせる行いです。

 過去に同じ事をやった人間同士の会話を想像するとわかりやすいですが,「あるある」で盛り上がるためには,同じ経験をしないといけません。それは楽しいだけではなく,同じ経験をしたものとしての連帯感も生まれますし,価値観の共有も起こります。

 しかし,その経験を肩代わりした人と,肩代わりさせた人が顔を合わせた時,両者の間には,同じ経験による体験の共有がないばかりか,やった人とやらなかった人という経験の差に加え,やってもらった人とやらされた人という精神的な違いも生まれ,そこに上下関係が生まれかねません。

 私の嫁さんはこのあたりに実に敏感で,こうした事柄から自分を振り返り,かつ自分の娘に良い人生を歩んで欲しいと願っています。

 私は私で,13歳から18歳までの,なにをやっても楽しく,なにをやっても上達するこの時期に,高校受験に邪魔されることなく青春を謳歌して欲しいと思った事と,同じ理由でそのエネルギーを不用意に異性からの視線に邪魔されることなく使い切って欲しいと,女子校に進むことを願っていました。

 いやね,10代というのは良くも悪くも異性の目が気になるじゃないですか。例えばですよ,乗り鉄の中学生と,ギターが弾ける中学生と,どっちがもてますか?

 自分の楽しい事を,異性からの目が気になって我慢したり隠したりすることって,しんどいことだと思います。

 大人になれば,互いの趣味や自分との違いを楽しめるようになるものでも,10代はなかなかそこまで出来ません。自分との違い,多数派との違いを「気持ち悪い」とか「怖い」と考えるのは人として自然な事ですし,多数派に属するための行動や努力はそれはそれで経験で,その先にある安心感や楽しさには大きな価値があります。

 でも,出来れば自分のあり方は,否定されるのではなく,歓迎されたいじゃないですか。あわよくば互いに尊敬し,互いに一目置き合う関係が続けば,きっとそれは生涯の友となるでしょう。

 私は共学でしたから,同じ趣味の人と誰憚ることなく行動するチャンスを,クラブ活動で得ることが出来ました。彼らとは今でも友人であり,尊敬しています。

 端的に言えば,女の子にもてるかどうかが絶対的価値になるのではなく,それぞれの趣味や人間性を互いに認めて高めていくことに価値があるという,大人の世界ではごく当たり前のことを,最もエネルギッシュな時期にやって欲しいということです。

 もてるために費やすエネルギーは膨大ですし,もしそのエネルギーを別の事に使えても,共学だと異性の目が気になるでしょう。もてない状況に納得するために,ある種の割り切りを必要としたり,自らを卑下するような考えに陥るかも知れません。

 それも青春ですが,邪魔されずに何かに没頭するのもまた青春です。

 中高の6年間を,雑音なしに集中出来る期間に出来るなら,これほど素晴らしいことはないでしょう。そのために私が考えたのが,中高一貫の女子校だったというわけです。

 私は男ですから,女子校は経験がありません。裕福でもなかったですから中高一貫の私学も全く知りません。そこは,経験者の嫁さんの目利きを信じて,自分の娘が雑音のない空間で,自分を磨いていく姿を早いうちから想像し,娘の進学と受験を能動的に考えてきました。

 その結果が,この2月の受験で結論されたわけです。

 こうした受験に至ったバックボーンのようなマクロな視点も,算数の難問を一緒に解くことや日々の宿題の多さに絶望すること,体調やメンタルの維持といったミクロな視点も,とにかくすべての結果が出たのが2月です。

 悪い言い方かも知れませんが,小学6年生の2月というのは,我々親にとっても,これまでの子どもとの接し方が評価されるタイミングの1つであったと,思います。

 ならば,これを振り返る意味は大きいでしょう。

 人の親になることのしんどさの1つである,進路と受験について,次回振り返っていこうと思います。

 

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