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10日たった,こがれさん

7月1日我が家にやってきたこがれさんですが,随分慣れてきたようです。

(1)顔つき

 センターですり寄ってきた時の顔は,まさにか弱い乙女だったのですが,今はすっかり気高く精悍な顔つきになりました。大きな目はその環境が安全かどうかを見分けるのではなく,相手が自分に興味を持っているかどうかを判断するセンサーとして機能し始めたようです。

(2)食欲

 結構ムラがあって,食べるときと食べないときの差が大きいようです。従ってうんちも毎日するけど少なめで量も安定しません。

 エサの好みかもと思っていましたが,今朝15cmにもなる大きな毛玉を吐いていたので,これが原因だと判明した次第。さぞ苦しかったと思います。ほとんど胃を埋め尽くすサイズですからね。

(3)猫パンチの洗礼

 慣れてきたこともあり,そろそろ本性を現し始めました。あまり活動的ではなく,攻撃的でもないおだやかな猫だと思っていましたが,不意に攻撃的になることがあり,妻も私も猫パンチを何度も食らっています。

 「本当にパシッって音がするんだ」と娘は驚くやら喜ぶやら。

(4)血液検査

 先日の健康診断で,血液検査の結果を電話で聞いたところ,肝臓や腎臓の値は正常だったが,SAAが120とかなり高い値を示しているので,3ヶ月後に再検査をおすすめ,と言われました。

 調べてみるとSAAって炎症を起こしているときに急激に跳ね上がる数値で,通常5から8程度です。さすがに120ですからなにもない,ということはないでしょうし,なにか原因があるんだろうと思いますが,炎症には付きものの発熱もなく,他の数値は正常,触診も問題なしでしたので,様子を見つつ検査項目を増やして再検査という話になったのでしょう。

 我が家に来てからずっとえずいていて苦しそうだったので,毛玉は溜まっているだろうと思っていたわけですが,前述の通り15cmもの巨大な毛玉を吐き出したことで,この毛玉が胃や腸の炎症を引き起こしていた可能性もあるんじゃないかと疑っています。だとすれば,次の検査では下がっている可能性も高いでしょう。

(5)けじめ

 食卓には上がらない,というルールを作りましたが,現行犯で注意できるときはいいとして,人間が寝ている間に上がられてしまうとどうしようもないので,もうあきらめました。

 玄関の扉が開いたときに外に飛び出すことも心配でしたが,ゲートを設置して飛び出しを防ぐことにしました。しかしある朝ゲートの向こうに座っているのを見て,どうやってくぐったのかと軽くめまいがしました。

 ただ,その後は一度も向こう側には行っていないようで,聞き分けが良いのか,それとも向こう側に行く理由がなくなったのか,はたまたなにか怖い思いをしたのかわかりませんが,どっちにしてもゲートが象徴的なものに成り下がったことを認めざるを得ないでしょう。

 けじめと言えば,我々の寝室からは完全に締め出すことにしています。猫が出入りできる仕組みがない扉の部屋で,開けっぱなしには出来ないですから,これはやむを得ません。しかし猫にしてみれば,未探検の部屋があることは悔しいでしょうし,ある時刻から人の気配が完全に消えることに不安を感じる事もあるでしょう。

 一方我々は気付かれないように寝室に向かうことになりますし,途中トイレに行くこともままなりません。それでも明け方には扉の前で誰かが起きてくることを待っているみたいで,私が最初に目覚めたときは踏んづけてしまうほど足下をウロウロとします。

 ということで,一応決めたけじめではありますが,そのうち折り合いがつくもので,今は人と猫のせめぎ合いという所でしょうか。危険が伴う場所には嫌われても立ち入りを禁止しないといけないわけですし,まだまだ手探りが続きそうです。

(6)長毛種

 夏毛に生え替わる時期という事もあり,長毛種の猫からは強烈な抜け毛があります。毎日掃除機をかけても間に合わないくらいですし,服も毛だらけです。鼻はいつもムズムズしますし,食べ物にも入っていたりします。

 ある程度仕方がないとは思っていましたが,これはもう本当に猫が好きでないと受け入れられないかも知れないですね。

(7)安心感

 自分を攻撃しない,自分にとって安全ということがわかってくれたみたいで,お腹をだして仰向けにぐぅぐぅ寝ています。というか,仰向けに寝るというのは,体の構造的に猫にとって楽じゃないと思うのですが,最近仰向けの写真をしばしば目にするあたり,案外そうでもないのかも知れません。



 わずが10日ですが,互いに遠慮もなくなってきていて,距離感も近くなっているように思います。始めて猫を触る娘にも慣れてきているようですし,狭い部屋に3人と1匹が適度な距離を保ちつつ銘々勝手なことをしながら集う様子は,なかなか微笑ましいものがあります。

 猫も我々も変化しています。その相対的な関係は想像以上に大きく変わるもので,生き物と暮らすことの醍醐味でもあります。そういう変化を楽しみたいものです。


うちに猫がやってきた

 うちに猫がやってきました。

 私は猫が好きでして,その気ままで,干渉せず干渉されない,自由を愛する性格が,とにかく私にあっています。

 お腹が空いたらご飯を食べ,眠くなったら眠り,探検をしたくなったらゴソゴソと歩き回り,寂しくなったら気を許した人間に甘え,気が済んだら黙って立ち去ります。素晴らしい。

 人間だったらこういうのって嫌われるかも知れないですが,猫ならそれは別の話。互いの生活を邪魔せず,尊重し合いながら,頼りたくなったら気を遣わず頼り,都合が悪ければ無理せず断る,なんてのは,信頼関係が究極に高まった者同士でなければ成立しないでしょう。

 だからだと思うのですが,私が見るところ猫を愛する人というのは,拘束されることも拘束することも嫌う人が多いようで,そういう人との間で共有される価値観とそれを底にする安心感には,猫と過ごした人に輪にいるという帰属意識を増幅し,無用な警戒感を和らげる力があるように思います。

 私が小学生の高学年の時,我が家に猫がやってきました。ヒマラヤンと呼ばれた純血種を,父の取引先から譲ってもらったというのがきっかけでした。

 1980年代ですので珍しい種類で,しかも純血種,それを商売相手から分けてもらったのですから,怪我をさせたり病気になったり,さらには死んでしまったりしたら,これはもう一大事です。

 商売上,父も断り切れずにもらってきたのだろうと思いますが,まだまだ外飼い&猫飯が普通の時代に,完全室内飼い&管理されたペットフードで飼おうというのですから,なかなか思い切ったことをしたものです。

 で,このメスの猫,母がチャコという名前をつけたわけですが,とにかく性格がきつくて,大変でした。そのくせ気は小さく,ドアの隙間からぴゅーっと外に出る癖に,出てしまえば怖くて硬直していると言った有様です。

 今思えばトイレトレーニングも失敗していて,そこら辺におしっこやうんちをするのは当たり前,のみならず発情期には壁におしっこを引っかける,長毛種にありがちな巨大な毛玉をそこら中に吐きまくり,あらゆるものを鋭利なツメで八つ裂きにして,我が家はボロボロになっていったのでした。

 そんなチャコですが,3度出産を経験して,お母さんっぷりを見せてくれました。生まれた仔猫も純血種で,売却される事が前提だったので,それも最初からもらってくるときの約束だったのだろうと思うのですが,あのやんちゃな猫がいっちょ前に仔猫をしつけているのを見ると,大したものだなあと思ったものです。

 3度目の出産では,確か5匹のうち1匹はすぐに死んでしまい,もう1匹は体が小さく,肋骨が内側に曲がって心臓や肺を圧迫する「漏斗胸」という奇形であったことがわかり,少し遊ぶとぐったりと動かなくなってしまうような,体の小さな仔猫でした。

 我々家族はそんな弱い仔猫に特別な感情移入をしていたのですが,やがてとても安い値段で買いたたかれて,愛玩動物の経済的なドライさを見せつけられたのでした。人間には人権があっても,猫には猫権はないんですよね。

 そんなこともあり,チャコはその後二度とお母さんになることはなかったのですが,仔猫をすべて連れ去られた後,どこかに隠れているのではと,あちこち鳴いて探し回っていたことを,我々家族は妙な罪悪感と共に見ていたのでした。

 
 人間の年齢に換算すれば40歳くらいになるころでしょうか,もう出産することもなく,なにかとリスクもあるということで,不妊手術を受けさせようという事になりました。人間の勝手でお腹を開くことには複雑な気持ちもありましたが,実はこの手術の時,卵巣が膿んでいたことがわかり,このまま気が付かないままだとだと死んでいたかも知れない,とわかりました。当時の私にとっては気の進まない手術ではありましたが,結果として命が繋がったことになります。

 しかも,性格は180度変わっておとなしくなり,とてもおだやかな猫になりました。トイレに失敗することもなくなり,我々人間と猫との間の緊張感は消え,とても良好な関係を保つことになるのでした。

 就職をきっかけに実家を離れてからは電話で話を聞く程度だったのですが,たしか実家を離れて3年経った頃だか,親から亡くなった事を聞かされました。もともと腎臓が弱かったのですが,最後は足腰も立たず,下半身を引き摺って動いていたそうです。なのにトイレには律儀にいこうとするので,母はそのままでいいよと何度も言って聞かせたそうですが,しばらくたった寒い朝,コタツの中で動かなくなっていたという事でした。

 12歳から23歳までずっと毎日見ていた猫を看取ることができなかったことを,今も私は後悔しているのですが,多感な時期の,勝手気ままで干渉を嫌うもの同士との10年間が,私の人間形成にどれほど影響しているかわかりません。

 それゆえ,もう一度猫を飼いたいとは思わなかったのでした。

 妻も同じ時期に同じような猫を飼っており,共通の体験がありました。当然猫に対する眼差しには共通するものがあり,猫と人間の距離感についても,説明不要な常識が共有出来ています。

 猫と一緒に過ごすことの楽しさと大変さは共に骨身にしみており,それぞれこれほど猫が好きなのに,猫を飼おうという話が全く出ることは自然な事だったと思いますが,そうしているうち娘が生まれて,やがて中学生になりました。

 ふと,ここに猫がいたらどうだろう,などと考える事が数年前から増えたことには気が付いていました。娘の年齢が私が猫と暮らし始めた年齢に達して,あの素晴らしい体験が出来ないのはもったいないという気持ちもありましたし,15年生きるとして私の年齢だと今が最後のチャンスかもしれないとも思いました。

 猫を飼えば旅行に出ることも出来なくなりますし,病気をすればすぐに病院に行くことになります。壊されたり汚されたりする心配がない生活を手放すのも嫌でしたし,なにより猫は多くの場合飼い主より先に死にます。

 だから私は考えました。これは縁が重要だと。

 猫は理不尽に振り回されることをとても嫌います。そんな猫を,お金で商品のように買って帰ったり,かわいいという理由で飼育しようというのは,なんだか違うんじゃないかと思ったのです。

 家に猫がいるのも縁,その猫が私の足下にやってくるのも縁,雄なのか雌なのか,仔猫なのかお年寄りなのか,純血種なのか雑種なのか,長毛種なのか短毛種なのか,尻尾がまっすぐなのかグネグネ曲がっているのか,病気がちなのか健康なのか,それも全部縁,そしてやがてお別れするのも,やっぱり縁です。

 どんな猫でも,うちに来たからにはなにか特別なものがあったということです。

 強い縁があれば,その猫と私たちは出会うことになるはずだし,今ここに猫がいないという事は,それはそれで縁がなかったと言うことです。無理をすることはありません。その点で,我々家族は猫と無縁の生活をおくっていました。

 そんなある日,突然事態が動き出します。

 いわゆる保護猫という,飼い主がいない猫の里親を探しているという話は,よく耳にする割には私には縁遠いものでした。猫を飼う家には猫が集まるとはよく言ったもので,猫に縁がない家には,猫に関係するあらゆる物事が全く寄りつかないものです。

 しかし,そんな保護猫の総本山のことが,ある日急に気になりました。保護猫について東京都はどんな対応策を取っているのだろうかとホームページを覗いてみると,譲渡を専門としたセンターがあり,積極的な活動で殺処分ゼロを実現しているということでした。

 そのセンターから譲渡を受けるには,最初に1時間ほどの研修を受ける必要があります。研修は1年間有効で,その間に気に入った猫がいれば,マッチングを確認した上で譲渡されるという段取りです。

 私は妻に,こういうのは縁だし,いいなと思う猫が見つかった時に,さっと引き取れるよう,研修だけは受けておこうと提案しました。それはよいことだと妻も賛成して,我々は6月の末に世田谷の八幡山にある動物愛護相談センターで研修を受けることになりました。

 研修の内容は我々にとっては至極当たり前で,猫との接し方やセンターの役割について,我々の意識をアップデートせねばならないことがなかったことに安心したのですが,センターの担当者が最後に案内してくれたのが,現在保護している猫たちです。

 FIV陽性の白い猫,ダイエットしても9kgもある牛模様の猫,高齢でもう動く元気もない猫,人が来ても全く意に介せず寝ている猫,片側の目が白く濁っている猫,など。

 性格はみんな違っていて,どの猫もとても魅力的です。

 ただ,急ぐことはない,今決める必要はない,必ず飼わないといけないということもない,これから1年間も時間があるんだから,なにか縁があった猫と一緒に暮らそう,もし猫が来なくても,それもまた縁だと思って猫たちと会ったのですが,担当の方が,人なつこい,ある猫を紹介してくれました。

 きれいな長毛種のサビ猫,人なつこくて鳴きながらすり寄ってきます。目がとても綺麗で,こちらをしっかり見ています。

 センターでタニタと呼ばれていたこのメスの猫は,まだホームページに掲載されていない,来たばかりの猫だということでした。都内某所で4月末に脱水し動けなくなっているところを保護され,回復後にこのセンターにやってきて,そろそろ譲渡対象としてホームページに掲載しようかというところで,私たちはこの猫と出会ったわけです。

 研修当日に今ここにいる中から連れて帰ることが出来ないという約束でしたし,向こう1年間でじっくり探すつもりでしたから,他の猫と同じ程度に説明を聞いていたのですが,帰宅後も,このタニタの事がどうにも頭から離れません。

 気になって仕方がないのだと,妻に相談すると,妻も同じような思いだったようです。こういうのも縁だからと,一応詳しい話を聞いてみようと,当日の閉庁30分前に電話をしてみました。

 FIV/FeLV陰性,混合ワクチン接種済,マイクロチップ装着済,不妊手術をしようと思ってお腹を開けたらすでに子宮がなかった,歯の状態から推定5歳くらい,健康で性格も良く,トイレも完璧とのこと。

 しかもまだ譲渡対象としてホームページには載っていません。今は我々しか,この猫のことを知らないのです。

 電話をする前に,余程の事がない限り,うちにお迎えしようと妻とは話し合っていましたが,余程の事もなにも,なにも問題がなく,これ以上の好条件があるのかと思うほどでした。

 電話で,うちにお迎えしたいと希望を伝えました。お迎えの準備もあるので,1週間の時間をもらうことにし,翌週にお迎えすることにしました。

 ただ,私自身は少し複雑で,この猫でなければ,別の猫がうちに来たかも知れません。それも縁ではありますが,選ぶと言う行為の裏側には,選ばれない猫がたくさんいるという現実を見ないわけにはいかないのです。

 週末にかけてあわてて準備をし,翌週タニタに再会,7月1日の午前中に,彼女は我が家に足を踏み入れたのです。

 私たち夫婦にとっては久々の,娘にとっては初めての猫です。猫にとっても我々は初めての相手ですから信頼関係はゼロですが,そこから互いの生活を尊重しながら,同じ場所で生きていくことになります。

 名前は娘が素敵な名前をつけてくれました。「こがれ」といいます。

 体の色を見て思いついた言葉らしく,私も妻もとても良い名前だと思いました。

 こがれさんは落ち着きなく,あちこち歩き回って隠れられそうな場所を探しています。奥の和室のカーテンの陰にさっと隠れると,そこからしばらく出てきません。猫は怖がりですから,しばらく出てこないでしょう。それも当然です。

 きちんと食べて,きちんと寝て,トイレもして,そして少し落ち着いたら,時々遊びに来てくれたらいいです。

 まだ1週間経過していませんが,少しずつ慣れてくれているみたいです。病院の健康診断も済ませ,至って健康であることも,実際はもう少し若いのではないかということもわかりました。

 こがれさんは少しずつ行動範囲を広げています。ほとんど寝ていますが,少し気が向いたら,人間がワイワイとやっているところに,ひょっこりと顔を出してくれます。みんなの視線が彼女に集まります。しかしそんなことにお構いなく,こがれさんはまたどこかに行ってしまいます。

 猫がいてもいなくても,我々の生活は続いていきます。猫と我々が不意に交錯するときはもちろんのこと,互いの姿が見えないときでも「そういえばどこにいるんだ」と気にかけることで,我々の生活は確実に豊かに変わっていくのでしょう。

Pebbleの復活,そして届いたPebble Time 2

 覚えていますか,Pebble。いやいや,それやない,そうそう,スマートウォッチのPebbleです。

 今から15年ほど前,次はウェラブルコンピューティングだと様々なメーカーが参入したこの新しい商品は,実際に使ってみると電池寿命が短い,常時表示が出来ない,大きい,分厚い,と言う技術的な問題点が解決出来ておらず,飛びついた消費者を,1000円の腕時計にも劣るとがっかりさせていたのです。

 そんな中,2013年にクラウドファンディングで発売にこぎ着けたPebbleは電子ペーパーを使った常時表示と長い連続動作時間を両立し,しかも腕時計として小さく薄く違和感がないことが支持されて,スマートウォッチの理想型として知られた存在だったのです。

 Pebbleは,公式サイトからダウンロードすることで,重要な機能である時計の表示を様々に変更出来たり,アプリによって機能を追加する事が出来る,ユーザーがカスタマイズできる腕時計でした。SDKやAPIも公開されていて,自分でアプリを作ったりすることも出来ましたし,それを公開することも出来ました。だから自ずとそこに遊び心が宿るわけです。

 やがてスマートウォッチは,何でも出来る便利な腕時計であることを諦め,健康管理に特化したデバイスとして生きることに賭けます。アプリもインストール出来ず,自作も出来ません。デザインや素材もいかにもスポーツ向けという体裁で,普段使いも出来なければ,インドアの私のような人間には抵抗のある見た目です。醜悪です。

 しかし,Pebbleは第一世代のモノクロバージョンから,第二世代のカラー版であるpebble Timeと円形のPebble TIme Roundを投入,健康管理に軸足を置かないスマートウォッチのくせに普通の腕時計と変わらないサイズと着け心地に良く出来たOSで,唯一無二の存在だったと思います。

 順調に売り上げを伸ばすと思っていたPebbleは,一説によるとシチズンやインテルからの買収提案も断ってしまうわけですが,大量の在庫を抱えてしまい,一気に資金繰りに困るようになります。

 そして第三世代のモノクロモデルであるPebble 2の出荷が始まった2016年末,とうとう同業のFitbitに買収されることになってしまいます。Fitbitは健康管理に特化したスマートウォッチのメーカーでしたが,結局Pebbleは継承されず,2018年には公式サイトも閉鎖,公式アプリも配布されなくなってしまいます。

 そのFitbitも2021年に結局googleに買収されてしまい,これで完全にPebbleは死んだと思われたのです。

 しかし,ここで面白い事が起こります。

 Pebbleは,公式アプリを窓口に,サーバーにあるアプリやウォッチフェイスをPebbleにダウンロードする仕組みですので,公式アプリがないとなにも出来ません。
 
 そのサーバーと公式アプリを,有志が維持することになったのです。2018年に立ち上がったRebble.ioは,Pebbleを使い続けたいというユーザーの願いそのものでした。

 そして時は流れ2025年,googleはPebbleOSをオープンソース化します。これを受け,創業者であるエリック・ミギコフスキーはPebbleの復活を目指し,Core Device社を立ち上げます。

 同年,Core DeviceはCore 2 DuoとCore Time 2を発表し,予約注文を開始します。Core 2 DuoはPebble2を,Core Time 2は発売予定だったPebble Time 2をそれぞれベースに,タッチパネルや防水機能を追加したものになっていました。

 さらに追い風になったのは,googleがPebbleの商標を譲渡したことで,Core 2 DuoとCore Time 2はそれぞれ,Pebble 2 DuoとPebble Time 2という,本来の名前を取り戻すことに成功したことです。

 2026年には丸形のPebble Round 2の予約を開始,Pebbleは現在の技術で,本来なりたかった姿に着実に歩みを進めて再登場することになったのでした。

 しかし,良いことばかりではありません。消えそうになったPebbleを残し続けたRebbleとの確執です。Core Device社もRebbleをまるで無視してPebbleを立ち上げようとしていますし,Rebbleにしてみれば自分たちこそPebbleの命を繋いだという自負があるわけで,一番大変だった時期の貢献が正当に評価されていないと考えるには,無理もないところがあると私は思います。

 PebbleとRebbleが対立したまま,新しいPebbleが発売に至るわけですが,現在は互いに歩み寄りも見られるようで,Pebbleの公式アプリからRebbleにアクセス出来るようになっています。

 いい話ばかりではないんですね,やっぱり人間のやることですし,ちょっとした言動で誤解が生まれ,それが大きくなって一人歩きして,目指すものが同じなのに仲違いするようになるというのは,良くあることなのかも知れません。

 さて,前置きが長くなりましたが,私はPebble Time Roundを2016年に手に入れて楽しく使っていました。なにせ当時使っていた母艦がBlackberryQ10というアンドロイドですらないマシンで,散々苦労しました。

 とはいえ,メールやLINEがすぐに確認出来る便利さは他に代えがたく,電池を交換して長く使っていたのですが,コロナ禍で引き籠もるようになってから,使うのをやめていました。

 そのPebbleが,まさかの復活というのですから,これはもう注文するしかありません。今さらモノクロモデルを買う気も起きず,ここは迷わずPebble Time 2を2025年3月に注文したのです。

 そして1年以上を経て,2026年5月20日,ようやく私の手元にPebble Time 2が届いたのです。


・お値段

 いきなりお値段ですが,結構しました。本体の価格は225ドル,送料が25ドルに税金が27.25ドルでしたから,合計で277.25ドルでした。1ドル160円として44048円ですか。こりゃー高いです。

 もともとの価格はそれほど高価でもないと思うのですが,やはり円安が厳しいです。

・サイズ感,質感

 箱から出すと,創造していたよりもずっと小さく,薄い,まさに腕時計そのものが出てきました。スマートウォッチだからと身構える必要はありません。ステンレス製のケースは質感も高く,スマートウォッチにありがちな安物っぽさや割り切りがありません。私は今でも信じていませんが,IPX8というのは本当かも知れません。

 ボタン類もしっかりしていて,普通の時計と同じ感覚で扱えます。かたまり感もあるので,身につけていて不安になることもありません。

 ベルトは22mmが適合します。純正のバンドも一緒に届きましたが,シリコンバンドがもともと嫌いな私は,手持ちのNATOバンドにしました。ブラックのケースにぴったりです。


・ディスプレイ

 伝統の電子ペーパーです。バックライトがないときの発色は見事で,美しいウォッチフェイスを見ているとワクワクします。一方でバックライトはマルチカラーでありながら,どうも発色が悪く,色の再現性が悪い上にコントラストも下がります。


・メモリサイズと電池寿命

 私が以前使っていたPebble Time RoundはRAMが256kB,ストレージが16MBでした。Pebble Time 2はRAMこそ同じですが,ストレージは32MBと倍になっているようです。そのせいかアプリもウォッチフェイスも一々母艦からロードせず,その場で切り替えが出来るインストール数が増えました。

 電池寿命も30日と驚異的です。Pebble Time Roundはもともと薄型モデルで,2日間しか電池が持たないモデルだったのですが,厚みがあるとはいえ十分許容出来る範囲なのに30日も電池が持つというのは,バランスとしてこちらの方が優れていると感じました。


・互換性

 従来のPebbleと全く同じと言っていいです。昔のウォッチフェイスもアプリもそのまま動きます。懐かしくてたまりませんよ。


・公式アプリ

 公式アプリは以前のものよりも安定性が増していますし,使い勝手も良くなっていると感じます。なんと言ってもセットアップがとても簡単になりました。

 特筆すべきは,本体の日本語化がサポートされたことです。以前は自分で日本語パックを印スールしないといけなかったのですが,ファイルのインストールする順番を考えたり,メモリサイズを考慮したりと面倒でしたし,OSのアップデートの度に入れ直しが発生して大変でした。

 しかし公式アプリでサポートされれば,なにも心配ありません。ただ,あくまで日本語の文字が正常に表示可能になったという話で,メッセージが日本語化される訳ではありません。日本語パックのなかには,メッセージも一部日本語になったものがあったのですが,もしメッセージの日本語化が必要なら,そうした日本語パックを自分でインストールする必要があると思います。


・まとめ

 懐かしいこともそうですが,10年の年月を経てハードウェアが格段に進歩しました。技術的な進化もそうですし,製造を行う中国の製造技術も格段に向上しているので,時計としての満足度も高いです。

 新しいウォッチフェイスもアプリも出てきましたし,懐かしさと新しさを,Pebble独特の遊び心で味わえると言うのは,本当に楽しいです。

 スマートウォッチというと,実質Apple Watchしか生き残っていないように感じますが,Apple WatchはiPhoneユーザーにとって便利である一方で,どうも私には馴染めない空気感があります。

 それに比べるとPebbleのゆるさは私にはぴったりで,気乗りしないような外出も少しだけ楽しみになっています。AppleWatchのような妙な存在感も威圧感もなく,かといってオモチャっぽい感じもありませんから,気兼ねせず身につけていられることもうれしいですね。


 さてさて,調子に乗った私は,Pebble Round 2も予約してしまいました。いや,本命はやっぱり丸形なんですよ,私としては。

 Pebble Round 2の予約が始まった時,Pebble Time 2の予約から切り替える事もできたんですが,この時すでに両方欲しかった私は,迷いつつも追加で予約することしたのです。

 気持ちが冷めてしまわないか心配していましたが,Pebble Time 2の満足度をk考えると,杞憂に終わりそうです。しかし,このまま円安が続くと想像以上に出費がかさみますねえ。


「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」へいってきた

 行ってきました,「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」。

 2010年,多くのアーティストがそのステージに上がった名門,東京厚生年金会館の土地と建物をヨドバシカメラが120億円で取得。カメラ博物館やギャラリーを開設するという同社の意向が当時報道され,ヨドバシカメラもなかなか粋なことをやるもんだと思ったものでした。

 その後どうなったのか話が出てこず,すっかり忘れた2019年にビルが完成,本社がここに移転します。しかしカメラ博物館やギャラリーが出来たという話はありません。やっぱりそういう施設は難しいんだろうなと思っていました。

 そして土地の取得から実に15年も経過した2025年,いつものようにヨドバシ.comで買い物をしていたときに突然目にしたのが,「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」というバナーでした。

 調べてみると2025年10月25日にオープンという事ですので,ビルの完成から7年近くも経過していました。とうとう出来たんだ,てっきり立ち消えになったかと思ってたけど,有言実行はさすがヨドバシ,などと思っていたのですが,その実態は私の想像を軽く超えていました。

 ヨドバシカメラの創業者である藤沢昭和氏が,世界有数のライカコレクターであることはよく知られていて,ヨドバシカメラのカタログである「ザ・ポイントネットワーク」にも,氏のコレクションが長期にわたって紹介されてきました。

 いくつかのライカをユーザーとして持っているという話ではなく,なんでこれが日本にあるんだ,こんなの実存してたんだ,という貴重なものをオークションなどで入手されており,単なる工業製品ではなく,美術品や骨董品,下世話な言い方をすると投機対象になるようなものを,純粋に集めていらっしゃいます。

 そうした膨大なコレクションをいよいよ一般公開するのかと胸が高鳴ったのですが,考えてみたら本業とは全く別の,趣味が高じたコレクションを,新宿の一等地に建てたビルのワンフロアをぶち抜いて並べてみせるなんて,なんという道楽か。もう下々の人間には想像も出来ない発想です。きっとあれでしょうね,江戸時代の紀伊国屋文左衛門とか,こんなスケールだったのかも知れませんね。

 なにせ創業者がカメラ大好き,ライカ大好きだったからこそ,ヨドバシカメラはカメラを大事にするのだろうし,カメラ売り場の店員さんは他の店員差とはちょっと違って,カメラを買いに来たお客さんを大切に親しみを持って扱ってくれます。(だからこそ先日のGR IVの対応にはがっかりしたわけですが)

 そんな人が自らのコレクションを広く公開するというのですから,単純な自己顕示欲の発露ではないはず。きっと公共性や学術性などもきちんと考慮した,有識者の意見を参考にした本格的な素晴らしいものになっているはずです。

 それは,入場料をみて確信に至りました。入場料3000円,要予約です。

 企業の施設博物館は概ね広報としての役割を担うので,入場料は無料か安価に設定されることが多いと思います。自社の歴史を紹介し,現在の立ち位置を示す施設として,社内には社員教育の場,取引先へは自己紹介を行う名刺代わり,一般には広告や広報の役割を果たすものとして期待される施設です。

 その企業が業界や産業界の歩みそのものだったりする場合には,その活動に学術的な意味合いを持つことも求められるわけで,この場合単純な収蔵だけではなく,研究も機能として持たねばなりません。

 まあ,最終的な収益の構造にはいろいろあると思いますが,それにしても企業の私設博物館の入場料が3000円ですからね,よほどの覚悟を決めないといけない金額だと思いました。

 あまりにすごいものが展示されていたり,ここでしか体験出来ないことがあるのかも知れません。

 あるいは,3000円というのは冷やかしや目的外の入場者を遠ざける目的で設定された金額であって,例えば最後に3000円相当の図録やヨドバシカメラで使えるポイントなどが戻ってくる仕組みになっていたりと,カメラが好きな人には価値のあるものが還元される仕組みになっているのかも知れません。

 しかし,昨年10月のオープン以来,この博物館の詳細は謎のままです。写真撮影は禁止,一部新聞や雑誌に紹介が出ている事はあっても,詳しく内容に触れてはいません。

 オウンドメディアであるフォトヨドバシにも見学記が掲載されていますが,これもいわは身内の宣伝ですし,そもそも雇い主の気に障るようなことを書けない人が書いた記事に,全幅の信頼なんておけないと考えるのは自然でしょう。

 頼りになるのは実際に見学した人によるSNSなどのネット上の見学記ですが,これが少ない上に,「見所たっぷり」やら「3000円は安い」といった,分かったような分からんような判で押した感想ばかりです。

 そこで意を決して行ってきたというわけです。

 3000円ですからね,なんと昼ご飯が2,3回食べられますし,会社の帰りに一人で飲んで帰る事だって出来ます。映画だってポップコーン付きで見ることが出来ますし,なんといってもジャンクワゴンの可愛そうなボディとレンズを救出できる金額です。

 かように日本では3000円で出来る事が山ほどあります。果たして「ヨドバシ フジサワ カメラミュージアム」は,どんなところだったのでしょうか。

(1)ざっくりと展示内容

 展示は大きく6つに分かれています。

 1つ目はライカのコーナー。歴史的で貴重なライカがゴロゴロしているだけではなく,その歴史も知ることができます。

 2つ目は国内のカメラ。ヨドバシカメラが多く商ったであろう国産のカメラがメーカーを問わず並んでいます。


 3つ目はフェリーチェ・ベアトの写真の展示です。フェリーチェ・ベアトは19世紀末にアジア諸国を撮り歩いた写真家なのですが,江戸時代の本当の様子を残した写真が展示されています。江戸の町中など,時代劇で見るそれとはかなり雰囲気が違うことがわかります。

 4つ目は世界のカメラ。ドイツ,イギリス,アメリカ,中国といった外国のカメラが並んでいます。

 5つ目はカメラの歴史に関するもの。乾板や湿板を使った過去の技法や木製の大判カメラ,黎明期の写真に関する書籍やノベルティなどの実物を見る事が出来ます。

 6つ目は月へ行ったカメラ。アポロ15号の月着陸船で使用されたハッセルブラッドが月面の様子を壁と床と天井に張り付けた部屋に展示されています。ここだけは撮影可能になっていますが,調べてみるとこのハッセルブラッド,2014年に当時の価格で約9300万円で藤沢氏が落札したと報道されていますね。はぁ~。

 ミュージアムの外にはお店もあり,ここでしか買えないとされるTシャツなどがあります。ライカ売り場もありましたが,正直ライカはもういいや。


(1)すごいところ

 とにかく展示台数が圧巻です。特にライカは強烈で,希少性,台数共に圧倒的,途中から感覚が麻痺してしまい,全部同じに見えてきます。

 オスカー・バルナック自らが使っていたサイン入りのライカなど,どう考えても遺族やライカの本社が持っていないといけないものが誇らしげに並んでいると,すごいという一方でちょっと複雑な気分にもなりました。

 先程も触れましたが,月へ行ったハッセルブラッドは約9300万円。他にも貴重なカメラがわんさか並んでいます。とにかく実物が存在するというのが重要で,手に取ることこそ叶わずとも,見やすく展示されていることには感激します。

 日本のカメラは馴染みがありますが,例えば貴重なズノーだけではなく,粗末に扱われるせいで残っていないと思われるような安いカメラもちゃんと展示してありますし,そのキャプションもとても正確でした。

 また,展示されている写真も大変興味深く,私は個人的にフェリーチェ・ベアトの写真を始め,古い写真や文献に目を奪われました。

 とにかく台数もすごければ,1つ1つの価値もすごい。それらがとにかくわぁぁーっと広いフロアに並んでいます。


(2)足りないこと

 まず,展示品の選別や台数の絞り込みが足りないように思いました。子どもがどんぐりを集めてきて,それを大人に自慢げに並べますよね,あんな雑然とした感じがしたのです。

 いや,誤解のないように言っておきますが,このコレクションがどんぐりと同じと言っているわけでも,藤沢氏を子どもだと言っているわけでもありません。ただ,コレクターというのは貴重なもの,価値あるものを全部見せたいと強く思うもので,そうした欲求に藤沢氏でさえもあらがえなかったんだなあと思ったのです。

 また,一貫したテーマに沿った展示が行われているという印象はなく,ただコレクションを並べただけという感じがしました。なぜこれを集めたのか,なぜこれに価値があるのか,と言う,集めた人の想いばかりが語られていて,これを見る人に何を伝えたいのか,何を理解してもらいたいのか,という見る人の視線が足りないと思いました。

 これも,分かる人だけ見に来ればいいんだ,という理屈だろうとおもいますし,このすごさが分からない人は見に来なくていいと言う割り切りに繋がっているような気もしますが,ミュージアムというのは文化施設であり,公共性も(程度の差はあれ)求められるものです。分かる人だけを相手にする,分からない人を置き去りにした展示は,一見高度な展示を行っているように見えて,実は思考停止で雑然と貴重なものを並べただけに過ぎず,私設博物館にありがちなことではないかと思います。

 前述しましたが展示品の説明は正確でしたし,専門的でした。ただこれも,学術的というよりはマニアのトリビアという感じがしました。「なぜ集めたか」に対する説明のみで,なにを分かって欲しいかという視点を欠いたゆえといえるのではないでしょうか。

 国産機については,これがあるのにあれが展示されていない,と思う事も多くありました。ニコンでいえばD2Hという失敗作がありませんでしたし,D800やD850というその後のカメラのあり方を変えたようなモデルもなかったように思います。

 また,オリンピックといったビッグイベントで加速したカメラとレンズの開発競争や,フィルムの進化に応じたカメラの変化といった重要な流れが説明されておらず,これもただ雑然と懐かしいカメラが並んでいるだけという印象を持ちました。

 残念だったのは,2眼レフやライカのコピー,ニコンF2を壁一面に並べた展示でした。これは数がたくさんあることを示した展示だったのだと思いますが,そこの資料性やテーマを感じる事は出来ませんでした。数があるから面白い展示をした,というだけなら無垢でいいんですが,ちょっと趣味が悪く感じ,私はこの頃の国産機に対するミュージアムの視線を垣間見た気がしました。

 あと,実は落ち着いて見ることが出来なかったことを指摘しておきます。私が見学したのは平日のお昼前で,終始見学者は私一人でした。ゆっくり見ることができると喜んだのですが,警備員の目が厳しく,なんだか落ち着きません。

 もちろん私が見学するコースを邪魔しないように,遠くから私を見ることは徹底しているのですが,どんな時も必ず私が彼の視野に入るように動くところはお見事で,そんなに疑われているのかと窮屈さを感じました。ここまで厳重なのも珍しいでしょう。

 もっとも,時価総額を考えると無理からぬ事で,盗むは論外としても,触る,壊す,撮影するといった行為から貴重な品々を守ることも,社会がコレクターに与えた義務です。そこは理解しているのですが,それでも長居できない窒息感が拭えませんでした。


(3)期待する事

 ミュージアムには,収集と研究の2つの機能があります。残念ながら,コレクターの博学さが尋常ではないため,個人的な知識によって支えられた展示内容になっており,体系的な展示も学術的な記述も足りないように思います。これではただの画廊や古美術商でしょう。

 知識に偏りがなく,カメラと写真の工学,産業,経済,美術といった複数の側面から探求できるキュレーターの存在も不可欠でしょう。実物があることはなにより大切な事ですが,これらを活用することで,足し算ではなくかけ算の成果を得ることもできるんじゃないかと思います。

 とりわけ,江戸時代の写真であるとか,戦前のドイツの工業水準を示す資料などは歴史的も貴重であって,例えばですが中学生や高校生の社会科見学コースになるくらいだと価値があるんじゃないかと思いました。

 あと,テーマに沿った常設展示と特別なテーマで行う企画展示が欲しいところです。今のところ常設展示のみで企画展示は行われていないみたいですが,常設展示にも一貫したテーマは必要ですし,テーマから外れたものを別のテーマとして展示するのに企画展示を行うと,さらに見学者の学びに繋がるでしょう。

 ぜひ言いたいことは,図録の発行です。特に企画展が行われると図録というのは必ず用意されるものですが,展示品に価値があるものであればあるほど,図録が欲しくなるものです。

 図録は,高度な撮影技術に印刷技術,学術的にも正確な説明が不可欠であり,また展示を企画した人の意思が込められたものになっています。記録として残すものであると同時に,見学者の復習に役立ちますし,記念にもなります。

 個人的には,図録は単体の書籍だととてもあの値段では出せないもので,展示会の予算の中から捻出されるためでしょうか,非常に良心的な価格で販売されることが多いです。来場者への特典ともいえるサービスで,私は常に買うようにしています。それゆえ,図録がないのはとても残念なのです。

 最後にミュージアムショップです。図録の販売はもちろん,オリジナルグッズや関連商品の販売は,ミュージアムの収益源です。なんと言っても来場者のテンションは上がってます。そんなときに目の前に関連するものがあったら,ついつい買ってしまうものです。あとになって,なんでこんなしょうもないものを買ったのかと反省したことは誰にでもあるでしょう。

 ですが,ここでしか買えないものは記念になりますし,お土産にもなります。それに,その企画やテーマが好きで足を運んだのですから,なにか買いたくてウズウズしている訳で,販売のプロであるヨドバシカメラのミュージアムらしく,お客の欲しいに応える商品を並べて欲しいと思います。

 あ,ショップは併設されてはいますが,ミュージアム内部にあるショップではなく,支店みたいな感じです。前述のようにここでしか買えないものもありましたが,もっと増やして欲しいですし,なにより店員さんが誰もいないのはまずいんじゃないかと思いました。


(4)どんな人が面白いと思うのか

 なかなか難しい所ですが,ライカのマニアなら間違いなく楽しいでしょう。数があるだけではなく,世界中でここにしかないもの,伝説的なものを目にして感動することは,選ばれた人にだけ許された特権的な体験です。

 国産機は,日本人ならどれか1つは必ず「懐かしい」と思うものが見つかるはずです。昔これ使ってたとか,かつて持ってたのはこれだったのか,とか,そうした自分の記憶とのリンクも,とても楽しいことだと思います。

 しつこく書いていますが,カメラ以外の展示品,特に江戸時代の写真は実に生々しく,リアリティがあります。歴史に興味があったり,撮影地である東京や長崎に土地勘のある方ならさらに楽しめると思いますし,コレクションされている戦前の文献に興味がある方にも楽しいのではないでしょうか。


(5)どんな人には厳しいか

 カメラに対する知識はそんなに求められないと思うのですが,特定のカメラに対する思い入れだけは必要ですし,収集癖に共感出来ないと遠くに感じてしまうのではないでしょうか。

 私がそうだったのですが,カメラに興味があっても,ライカに興味が強いわけではありません。マニアにありがちな製造時期によるちょっとした違いを云々するのは,仲間内では話題として花が咲いても,度が過ぎると一般人からは距離を置かれてしまうものです。

 ライカのちょっとした違いを説明されても,見比べるものがないので,結局よくわかりません。見比べようとあっちこっちをウロウロしますが違いが分からず,そんなことを何度か繰り返しているうちにどれも同じに見えてしまう瞬間がやってきます。

 そうなってしまうと,もうどれもただのカメラです。どのタイミングでそうなるかは人によると思いますが,気を付けないと置いて行かれてしまうと思います。

 あとですね,ヨドバシカメラに興味はあるけど,カメラにはそんなに詳しくない人には厳しいでしょう。私などはヨドバシカメラそのものに興味がありますし,もっといえば当時の商習慣をぶっ壊し新しいビジネスモデルで大成功した,小売業としてのヨドバシカメラをもっと知りたいと思っています。

 かつての商習慣がどうだったのか,それを打破するのに何が必要で,どんな抵抗があったのか,そうしたことを当時の時代背景と一緒に学ぶと,戦後の日本のエネルギッシュな空気感を追体験できるように思うのです。

 メーカーの公式な歴史には綺麗なことしか書かれません。しかし人のすること,必ず書きたくないことも出てきます。視点の違い,立場の違いで解釈が異なることもあるでしょう。小売店がメーカーよりも遙かに立場が弱い時代を駆け抜けた革命者だったからこそ,もう1つの公式記録として,ヨドバシカメラはその歴史を堂々と掲げて欲しいです。

 もちろん,展示にはヨドバシカメラの歴史も触れてはいます。しかし,あくまで年表形式であり,実物展示であるカメラに対する説明の域を脱していません。

 これはこれで,カメラの展示という主旨に沿うものですし,人によっては売名行為に走っていない,奥ゆかしい姿勢と好意的に受け取るかも知れません。

 しかし,私はヨドバシカメラ自身の歴史を見たいと思いました。少なくとも今の内容ではなりません。


(6)結局のところ3000円の価値はあるか

 きっぱり言いますが,多くに人にとって,3000円の価値はないと思います。

 もちろん,月にいった9300万円のハッセルブラッドを見たい人にとっては,金額など問題ではないでしょう。ライカのファンも同様です。

 しかし,ヨドバシカメラはライカの専門店ではないですし,ハッセルブラッドの専門店でもありませんし,航空宇宙開発に関連する事業を大々的に手がけているわけでもありません。

 一般の人にも浸透したヨドバシカメラのファンが,それを理由に訪れる施設としては,あまりにマニアックすぎました。目当てのものを決めて,それを見に行くという強い動機があるかどうか,3000円払う前にもう一度考えてからにすることをおすすめします。

 なお,書くのも恥ずかしいですが,3000円は冷やかし防止であって,最終的に3000円相当の何かをもらえるのではないかという読みは,見事に外れました。何ももらえません。見学が終わってゲートを出たら,誰とも話すこと無く,そのままビルから出ることになります。

 そうなると,この3000円には何の意味があるのかを考えたくなります。3000円はこのミュージアムの収益になります。

 運営費?本社に併設された施設ですから家賃はかからないでしょう。

 人件費?受付にはお歳を召した方がいらっしゃったので,おそらくヨドバシカメラのOBの方ではないかと思います。そうすると警備員の方の費用が必要ですが,一人分ですしね・・・

 利益?いや,確かに損をしてまでやることではないかもしれないですけど,多くの企業博物館が広報活動の一環で運営されているわけですから,これ単独で利益を上げることは考えていないと思います。それに,本当にミュージアム単独で利益を上げて運営資金を捻出することを考えているなら,見学者が一人きりというのは明らかにまずいでしょう。

 接待施設?取引先の接待に使う施設として,見学者を少なく保つ必要はあるかも知れません。なら非公開でもいいんじゃないかなあ。

 他の理由?うーん,巨額のコレクションにかかる相続税をごにょごにょ・・・いや,素人にはわかりません。

 とにかく,どうもこれまでに目にしたレビューは,ちょっと遠慮しているように思われたのですね。絶対に面白いとか,積極的な賞賛もないかわりに,面白くなかったというネガティブな話も不思議と出てきません。

 なかには招待された人もいるんでしょうし,なんらかの事情で悪いことを書けない人なのかも知れません。純粋にまだまだ見学者が少ないだけなのかもわかりません。

 ですが,確かに充実した展示品ではありましたが,それらを見たというだけで,学びを得たなど,充足した感じが見学後に得られる事はありませんでした。

 やたらと3000円にこだわりますが,商売人であるヨドバシカメラが設定する3000円だからこそ,その価値に私は敏感でありたいと思います。(ついでにいうと,入館料の3000円にはポイントがつきません!)

 お土産などはもらえず,帰りは手ぶらです。3000円の価値は,純粋に見学の時間でのみ感じなくてはなりません。自らの目で見る事に3000円出せるものが展示されているとはっきりしていない限り,がっかりすることになるでしょう。

 もう1つ付け加えると,まだオープンしてから数ヶ月しか経っていないので,まだまだこれから変わっていくのではと思います。とはいえ,ミュージアムの運営には思った以上のお金がかかるものなので,今は良くても状況や環境が変わったら,真っ先に手が入るのもこうした施設です。

 見学者の推移にもよるでしょうが,もしかしたら一般公開を取りやめてしまうかも知れません。そうならず,むしろさらに良くなった形で長く運営されるといいですね。

5月の修理びより その2 PENTAX Q7と防湿庫

 お次はPENTAX Q7です。

 モードダイヤルの接点が悪くなっているみたいで,モードの切り替えが不安定です。こういう場合は分解して接点をアルコールで拭いて汚れを落とすと簡単に復帰します。

 簡単にいかないのが分解ですが,これも30分ほどで分解。モードダイヤルの接点は黒く汚れており,これをアルコールで拭いて修理はできました。

 ついでにシャッターボタンの削れも見ておきましょう。PENTAX Qのシャッターボタンは筒の内側にすれて,メッキが剥げるという問題があります。もしかしたら汚れかもしれないと,分解して拭き掃除をします。

 しかし汚れはなく,やはりメッキの剥げでした。なすすべなく組み直します。

 修理出来たら動作確認です。モードダイヤルは完全復活です。他の機能も問題ありません。

 これでPENTAX Q7も元気になりました。


 最後は防湿庫です。

 私は20年ほど前に買った,乾燥剤式の防湿庫と,10年ほど前に買ったペルチェ方式の防湿庫の2つを持っています。高価なレンズを後者の防湿庫に入れているのですが,最近どうも湿度が下がりにくくなっています。

 ペルチェは寿命があるので,いずれダメになるとはきいていましたが,さすがに10年ですから劣化も進んでいるのでしょう。

 分解して通電すると,ちゃんと冷えていますし,結露も出ています。一応機能しているのですが,その能力が低いのは事実です。予防的な意味も込めて,ペルチェ素子を交換しておく事にしました。

 外したペルチェ素子には,TES1-4902という刻印があります。この刻印をそのままamazonで検索すると,全く同じものが出てきました。20mm x 20mm,6V2A,6.5Wという小型のペルチェ素子ですが,1つ1300円ほどと思っているほど安いものではありません。

 この刻印,私は知らなかったのですが,型名というよりはスペックに由来した記号のようなものらしく,メーカーや作り方が違っても同じ刻印になるそうです。とはいえ主要なスペックは同じなわけですから,互換性はあると言えるでしょう。

 翌日に届くのがamazonの素晴らしいところ。届いたペルチェ素子に交換し,念のためパッキンも新しくして組み直して通電すると,湿度がどんどん下がります。

 これまで頑張っても36%だったものが,26%まで下がるようになりました。下げすぎもまずいので30%程度に調整して修理完了です。元通りFマウントの大三元を心して収納し一段落です。

 ペルチェ素子は10年もすると交換しないといけませんから,予備をもう1つ買っておきました。ここから20年持つ計算ですが,先に私がくたばるかも知れないなあ。

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