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さようなら,東芝未来科学館~その3

 東芝未来科学館の興味深い展示シリーズ,今回は電子管です。

 はて,電子管ってなんやねん,と思う人もいるかも知れませんが,真空管なら聞き覚えのあるかがいらっしゃるかも知れません。真空管というのはラジオやテレビで使われた部品で,今のトランジスタやダイオードといった半導体に相当します。

 真空にしたガラスの筒の中に複数の電極を入れて増幅や発振などの機能を持たせたもの,ということなのですが,この真空管という名前はどちらかというと民生品に使われたものを指す俗称で,真空,あるいはなんらかの気体の中を電子が飛び交ってある機能を果たすような電子部品を,広く電子管と呼んでいます。

 懐かしのブラウン管もそうですし,電子レンジに使われているマグネトロンも電子管の一種です。このうち,ラジオやテレビ,オーディオと言った分野で使われる電子管を,特に真空管と呼んでいる感じです。

 電子管は人類が初めて手にした「能動素子」です。電子管によって我々は電力を増幅,発振,信号の処理に使うことが出来るようになりました。電球が光,モーターが動力を電気を原料にして変換するものだったわけですが,電子管は電気を原料にして音を大きくしたり,映像を遠距離に無線で伝送したり,足し算や引き算をしたり出来るようになりました。

 そんな電子管ですが,トランジスタが登場して80年を過ぎ,ほぼ半導体に置き換わりました。半導体が単機能の素子を複数組み合わせて「回路」としてなにかを成し遂げる傾向が強いのに対し,電子管はそれ自身が特定の機能を持つように作られてきた歴史があります。

 従って電子管の種類を眺めてその歴史をたどることは,実は産業や工学の歴史をそのままなぞることに繋がります。私が電子管にワクワクするのは,そのためです。


(3)三極真空管UN-100(1917年)

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 日本で最初に作られた三極真空管です。当時はオージオンバルブといいました。

 三極真空管は,小さい電圧を大きな電圧に「増幅」する機能を,人類が初めて手にした偉大な発明品です。これ以前に同類のものは存在せず,これ以後の人類史を書き換える,希有な発明品だと私は思います。

 増幅が出来れば発振が出来ます。発振が出来れば無線が出来ます。さらに増幅はスイッチングを可能にし,それは計数と計算の扉を開きます。増幅が出来なければ,エレクトロニクスという分野は何一つ実現しなかったのです。
           
 その偉大な発明は,アメリカのディ・フォレスト(ド・フォーレ)が1906年に行い,1907年には商品化に成功します。その商品名がAudionでした。

 日本でも各社がこの発明品に追随し開発を進めましたが,Audionが登場してから10年後,東京電気で今で言うデッドコピーが作られて,日本で最初の三極真空管が誕生しました。

 展示されているのがまさにそれで,UN-100という形式名が与えられています。電子管という最新の革命的デバイスの登場に注目し,デッドコピーとは言え形にしたこと(しかも1917年ですからね)は,いかに日本のエンジニアの視点が新しいものに向いていたのかを示すものであると同時に,実現の基盤となる金属加工,ガラス加工,真空,そして電気という最新の工学に対する基礎体力をきちんと育てていたことを示すものであると思います。

 事実,東京電気と合併後の東芝は電子管のトップメーカーとして君臨し,さらにトランジスタ,IC,LSIと現在に至る半導体と電子部品の礎となるわけです
 さて,少し話を脱線させます。アメリカのディ・フォレストですが露文で,フランス系移民の牧師の子供として生まれた彼は,エール大学を卒業,無線関係の論文で博士号を取得後,名門ウエスタンエレクトリックで無線の研究に取り組みます。

 無線の実験から,電極を炎の中に投じると検波作用が見られる事を発見します。彼はこの電極に電池を繋ぎ,検波出力を「ブースト」することを狙います。

 ガスイオンによるこの検波と増幅の作用は,炎を用いるという不安定さから再現性に乏しく,やがて彼は熱源として当時使われるようになってきた「電球」に注目します。

 試行錯誤はありましたが,彼は電球に電極を封入し,これに電圧をかけて検波と増幅を行うこのとできる真空管を誕生させます。

 この電極は当初,金属板に穴を開けたものだったのですが,やがて針金をウネウネと曲げた,魚焼き器の網のようなものになり,そこからグリッドと命名されます。

 ここに三極真空管が誕生しました。

 この時のAudionは片翼型と呼ばれるもので,プレートが1枚だけのものです。効率向上を狙ってプレートを2枚持つ両翼型が1909年に登場します。展示されているオージオンバルブは,これをコピーしたものです。

 この段階でディ・フォレストは,炎の実験から真空管の動作原理は熱電子ではなくガスイオンであると信じていて,完全な真空ではなく僅かに空気を残す方が農政が出ると思っていました。真空度の低い真空管のことをソフトバルブと言いますが,このあと1920年頃までソフトバルブの時代が続くことになるのです。

 ただ,この時の用途はあくまで検波であり,増幅や発振ではありません。これが増幅という一里塚に届くのは,長距離電話の中継器への応用を目指したウエスタンエレクトリックの基礎研究の成果です。

 ソフトバルブのせいで高電圧で扱うと放電して使い物にならなくなり,その対策として真空度上げることにしたところ,それでも十分機能する事がわかり,真空管は熱電子で動作する事が判明し,ここに増幅用の真空管が完成します。

 タイプAと呼ばれたこの真空管は,交換が簡単になるようにソケット式になり,TypeMに進化します。このTypeMこそ,後にWE101Aとなり,すべての米国系真空管の始祖となるわけです。


(4)送信管UV-171(1934年) 

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 1925年に日本でラジオ放送が始まります。無線で音声を届けるという画期的なサービスが初めってもうすぐ100年です。

 当然今で言う中波放送で,変調はAMですので,送信電力はそれなりに大きいものが望まれます。送信管という,最終的に電波を出力する電力増幅を担う真空管の開発も並行して進み,1919年には30Wの試作品が完成,1925年には水冷式の10kWものが誕生します。

 水冷式の送信管というのは真空管の世界ではロマンあふれるもので,人の背丈ほどあるUV-171というこの大きな送信管も,見ていて惚れ惚れします。

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 真空管の魅力の1つは,その複雑な電極が外から見えることにあります。UV-171くらいの大きさだと,普段オーディオやラジオ用の小さな真空管に見慣れた私には巨大な昆虫を見るようなおぞましさがあり,これに高電圧がかかり,水で冷やされるなんていうのは,恐怖さえ感じます。

 UV-171は水冷式の250kWで,ラジオ放送用に開発された真空管です。直径25cm,高さ165cmという大きなものでしたが,戦争の拡大による送信管の需要は増大,生産の増強を迫られるようなこともあったようです。

 東芝はこの時すでに電子管のトップメーカーで。1934年には28種類もの真空管がラインナップされています。まさにアメリカ生まれの真空管の国産化が定着したといっても良く,この時点で電子工学はヨーロッパ,アメリカ,日本の3極で盛んだったことが伺えます。

 

(5)万能真空管「ソラ」(1943年)

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 「ソラ」の話をするには,戦時中の軍用真空管に触れないわけにはいきません。

 第二次世界大戦は,電子工学,とりわけ無線を駆使した戦争でした。日本でもその認識は当然あり,無線通信だけではなくレーダーの開発も熱心に取り組んでいました。

 当時の電子デバイスは当然真空管でしたが,その先頭はアメリカ,そしてドイツでした。特にドイツの真空管は最先端で,短波を楽々扱うドイツ製の真空管を元に,日本無線で開発された軍用万能真空管がFM2A05Aというものです。

 海軍は品種を統一することを歓迎していましたし,性能も申し分なかったので東芝はもちろんNECにも量産するように圧力をかけていたそうですが,実のところ量産はかなり難しく,歩留まりも上がらないことが分かっていたので,東芝もNECも断り続けていたとのことです。

 当時の海軍のことですから,そうですかと引き下がるはずもなく,出来ない理由よりも出来る方法を考えろと,これまた無茶ぶりでエンジニアを困らせます。

 そんな中,東芝はこれまで海軍に納めてきたHシリーズのうち,シャープカットオフ五極管であるRH2をベースとし,量産性の向上を狙った万能五極管として,「ソラ」の完成で応えます。

 ソラはFM2A05Aの性能には及びませんでしたし,当然互換性もなかったのですが,程ほどに使いやすい性能と,素人でも製造できるという量産性と製造マニュアルの完備,材料もトタン板でもOKという合理性から,主に戦闘機の無線機用としてその需要に応えてきたという事です。


(6)X線管「ギバX線管球」(1915年)

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 ドイツのレンチェンが人の体を透過する放射線を発見し,X線と名付けたのが1895年。体を切り開くことなく内部を観察することの出来るX線診断装置は,日本ではレントゲンと呼ばれてどんな病院にも1台はあるというメジャーな医療機器となっています。

 当時のX線は,レンチェンが実験に使ったクルックス管そのものという感じだったそうで,ドイツのものが市場を抑えていました。第一次世界大戦前後という時代もあり,日本ではX管の入手が絶望的という状況でした。

 そこで国産化に踏み切ったのが,このX線管です。時代的に現在使われているものとは異なり,イオンX管と呼ばれる物だと思います。

 イオンX管は,陰極と陽極に高電圧が印加されたとき,内部の電子が封入されている気体の分子に衝突し,電離します。

 こうして電離によってできた電子は電界によって加速し,さらに電離を繰り返していきますが,このうち陽イオンは陰極に衝突するとき自由電子を発生,この電子がさらに陽極に衝突し,この時X線が発生します。回りくどいですねえ。これ,電子なだれといいます。

 このように,結局X線の発生に寄与するのは電子ですので,電子源としてのこんな不安定な仕組みを使うイオンX線管はすぐに使われなくなるのですが,さすが日本最初だけに,展示されているのはイオンX線管です。

 写真を見て,誰もがなにやら奇妙な形をしたガラス細工だと思うでしょうが,ちゃんと理由があります。

 写真の左側が陰極,右側にあるのが陽極でプラスの電圧をかけます。発熱して融けてしまわないように,膨らんだ部分に水を入れて冷却します。水冷式ですね。

 中央に見えているのが電子がぶつかってX線を出す対陰極,右側に伸びているのが補助陽極と呼ばれるプラスの電圧をかける端子です。

 下側にあるのがガス調整器と呼ばれる物で,内部にはガスをため込む性質のあるパラジウムやアスベストが入っています。その左側にちょろっとあるのが調整棒です。本来調整棒は陰極にくっつくくらいの長さがあるのですが,この展示品では短くなっているようです。

 X線管を使っていると,イオンが消費されてガスが減っていきます。こうなると電流が流れにくくなってしまうので,ガスを追加しないといけません。

 そこで調整棒を陰極に接触させて放電を起こし,その熱でパラジウムやアスベストからガス(水素らしいです)を発生させて,内部のガス圧力を調整します。

 簡単に言いますが,これがまた職人技らしく,電流の大きさから自動的に調整を行う装置が作られたりと,なにかと大変だったそうです。

 海外ではすでにこうした仕組みとは無鉛のクーリッジ管に移行していましたが,日本では第一次世界大戦の関係から輸入品が途絶えてしまい,この旧式のイオンX線管が使われ続けたという話もあります。

 こうして,日本で最初のX線管が東京電気から生まれたのは電球の生産技術があったからなのですが,それが後々レントゲン装置の有力メーカーからCTやMRI,超音波診断装置といった医療機器のトップメーカーになる,きっかけになるのです。

 

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