22世紀にも持続可能な世界
- 2009/04/15 18:15
- カテゴリー:気楽なはなし
先日読んだ,ある技術雑誌に面白いコラムがありましたので,紹介します。
雑誌は「電源回路設計2009」で,P.77からの「太陽光発電を活かして22世紀を迎えるために」という記事です。著者の松本吉彦さんはずっと昔からトランジスタ技術誌などを舞台に高い専門性と的確な内容で活躍された大ベテランで,私も学生の頃から,この方の記事にお世話になった記憶があります。
要点をかいつまんでいくと,
・数億年かけてストックされた化石燃料を燃やして成り立つ生活は,使い始めて200年,大量に使い始めて50年という短さの,異常行動である。
・化石燃料は増えない。従って省エネで10%使用量を減らしても,30年の寿命が33年になるだけである。省エネへの努力は間違いではないのか。
・そんなことより,無限のエネルギーである太陽光を利用するべきだ。
・太陽電池は,それを作るのに必要だったエネルギーが,それが寿命を迎えるまでに生み出すエネルギーを上回っていたが,現在,生み出すエネルギーが必要なエネルギーの10倍にまでなっている。
・コストも下がっていて,油田を掘り,原油をくみ上げ精製するコストを下回る可能性が遠からずある。
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さて,この段階で非常に大事なことがわかります。1つは太陽電池は,すでに投じたエネルギーよりも大きなエネルギーを得られる「打ち出の小槌」になっているということです。これは人類史上初めてのことです。
もう1つ,それが技術的にも経済的にも現実的であるということです。打ち出の小槌には高速増殖炉も期待されていましたが,太陽電池の根本的な違いは,まさにこの点にあるわけです。
この数字は私は未検証です。正しいと仮定すると知らぬ間にえらいことが起こっていたのだと驚きます。
著者は続けます。
・火力発電所など,機械的エネルギーを電気エネルギーに変換する装置を含むシステムは,大きいほど効率がよい。従ってエネルギーの発生箇所には局所性がある。
・局所性のあるエネルギーを消費地に回すには,電力の場合送電が必要で,「グリッド」と呼ばれるこの技術によって,現在のエネルギー供給は成り立っている。
・しかし太陽電池による発電は,規模と効率は無関係であり,太陽の光さえあればどこでも同じように発電が可能。よってエネルギーの局所性はない。
・もし現在の送電システムに,局所性のない太陽電池による発電を組み込もうとすると,非効率的,高コストで,合理的ではない。
・そこで,これに変わる新システムを構築する必要がある。その柱は太陽電池,電力貯蔵,そして電力制御を行うパワーエレクトロニクスである。
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なるほどなるほど,なぜ発電所はあんなに大きいのか,なぜわざわざ遠方から高圧で送電しなくてはならないのか,太陽電池となにが根本的に違うのか,が明らかにされました。
そして,
・技術の革新は,その時々の当事者以外から行われることが多い。トランジスタの発明は真空管屋ではなく,コンピュータは電子屋ではなく,マイクロプロセッサはコンピュータ屋ではなく,インターネットは通信屋ではなかった。
・電力についても,電力屋以外から革新される時代が来た。電子屋,IT屋は,電力分野に進出してでっかい仕事をぜひやろう!
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と結びます。
電子工学や情報工学のエンジニアに,電力やエネルギーの仕事をやろうと呼びかけていますが,もう1つ裏側に主張があるように思います。
それは,エネルギーとか電力とか,そういうインフラを抱き込む巨大な産業には,どうしても既得権があって,自らが今やっているビジネスを根底から変えるような変革を,最終的にするはずがないということでしょう。
昨日だったか,太陽光発電の割合を国の目標レベルに引き上げると,天候によって総発電量が大きく変動して停電するんじゃないか,という意見に対し,国が実証実験を行うことにしたというニュースが出ていました。
こういう懸念はもっともでしょうが,先のコラムを読んだ我々は,すでにこの懸念の根源が,エネルギーの局所性と19世紀の偉大な発明「グリッド」を引きずった故に出てきたものであることに気が付きます。
そこで,これら前提の否定から入ろう,それには彼らのようなしがらみのない,電子分野,情報分野のエンジニアが挑戦しないといけない,と鼓舞しているわけです。
こういう,指数関数的に拡大する理論というのは,胸のすくよな爽快感がありますね。先日もシェルが「これはペイ出来ない」と風力発電への投資を中止しましたが,これなどもやはり既得権を持つ者の性でしょう。
しかして,電子屋,IT屋がこれらに進出するのは時間の問題だと思われます。すでにこれらの技術者は,電気自動車の分野に進出し,パワーエレクトロニクスを自分の庭として認識し,その世界観を共有しつつあります。
技術に永遠はなく,常にスクラップ&ビルドです。19世紀の送電システムは偉大な発明でしたが,これとて同じです。永遠はありません。
ただし,このコラムには1つ視点が欠けています。太陽光発電は,太陽電池以外の方法や太陽電池の黎明期にかかった膨大なコストによって現在があります。
化石エネルギーは,初期の開発投資がそれほど大きくなかったと想像できるわけですから,そもそもそこが前提として違います。太陽光発電が地球と人類の負担にならないといえるのは,それら初期のコストをきちんと精算してからになるでしょう。しかし,私はその精算は,どんなに頑張っても当分終わりそうにないと思います。
つまり,人類は,やはり「打ち出の小槌」を手に出来なかった,ということです。
もっとも,このまま化石燃料に頼ることは不可能です。生き残るために現時点の収支を見て,何に投資するのが得策かを考えねばなりません。
化石燃料は,燃やしてエネルギーにする以外に,プラスチックや化学薬品の原料にもなります。こうした「化石燃料でしかできないこと」のために大事に使うのが本来の姿であり,考えて見るとこれをただ単に燃やして使うなどと言うのは,100年後200年後の子孫たちにとって,卒倒するようなことではないでしょうか。