Behringerという,ある世界ではとても有名な会社があります。ヨーロッパで生まれて現在は中国にある,プロおよびハイアマ用オーディオ機器のメーカーです。
かつて,プロ用の機材はとても高価で,アマチュアが趣味で手に入れることはとても出来ませんでした。アマチュア用に簡略化された安価な機材はありましたが,それでも決して安い物とは言えず,そのくせ性能はプロ用のものに全くかないません。
私は,音楽制作を劇的に変えたこととして,電気録音,マルチトラックレコーディング,ディジタル録音に続いてDAWの誕生があると思っていますが,DAWがスタジオ機材のコストを大きく低減させたこと,そしてその結果としてホームレコーディングが一般的になったことで音楽の製作コストが大きく下がり,その価値が激変したことに論を俟たないでしょう。
同じ視点でBehringerという会社の製品を眺めてみると,DAWに取り込む事がどうしても出来ないハードウェアを,安価に提供することを使命とするこのメーカーの役割もまた,ホームレコーディングという新しい音楽制作の文化を根付かせるに貢献したといえるのではないかと思います。
今から20年ほど前,円高という事もあってびっくりするような値段でプロスペックの機材がBehringerから登場した時,安かろう悪かろうだとか,デッドコピーだから開発費もかかってないから安いのだとか,いろいろ悪く言う人も多かったように思います。
事実,私も2015年にステレオ15バンドのGEQであるFBQ1502を買いました。最安の時には1万円を切っていたというこの衝撃的な価格の製品も,使ってみるとノイズも多く,スライドボリュームの感触も悪くてLEDも時々消えたりしてがっかりしましたし,分解してみると安い部品が多用され,しかも決して丁寧とは言えないような作りで,本当のプロの現場で使うのは無理だろうなと思ったものです。
それでも,同じ物を1万円で作る事は無理な話で,そこにこそ価値があることを理解しなければならないでしょう。
そんなBehringerも,いつの間にやら大きな会社に成長し,当時はやってなかったギターアンプやシンセサイザーもラインナップするようになりました。しかも,傘下ににCoolAudioという半導体メーカーまで持っていて,絶版になって久しいアナログシンセ用リニアICやBBDなどの復刻をやっているのですから,仮にクローンメーカーと揶揄されてもここまでやればもう拍手するしかありません。
この会社が自ら半導体まで復刻してクローンを作るには,創業者のブレない意地が大きいのかなと思います。スタジオ機材,とりわけヴィンテージシンセサイザーに対する憧れと尊敬が,新品で,かつ数万円で買えてしまうMiniMoogを作ってしまうのでしょう。
確かに開発費は負担していませんし,シンセサイザーの専業メーカーにとっては不当な競争を仕掛けられたように感じるでしょう。商習慣として必ずしも褒められたことはなく,時に信念というのは個人の想いとは別に,体制に抗うことそのものだったりするものです。
ですが,Behringerの場合,シンセサイザーのメーカーに対する尊敬は忘れていませんし,喧嘩をすることを望んでいるわけでもなさそうです。そこには欲しくても買えなかったというかつての自らの悔しさを知恵と工夫で解決し,欲しい人が現実的な価格で入手出来る製品を揃えるという創業のきっかけが,今も生きているからだろうと思います。
そんなシンセサイザー大好きなBeringerが,MiniMoogのクローンをびっくりするような価格で発売したとき,多くの人が驚きました。神格化されたMiniMoogが数万円です。しかも,形だけ似せたわけでも,その逆の音だけ似ていて形は全く別物になっているわけでもなく,音も形もMiniMoogらしさを取りこぼさず,上手いさじ加減がなされていました。さすがヴィンテージシンセが大好きな人らしい仕事だと思った人が多かったからこそ,今もクローンを作ることが出来るのでしょう。
好評だったのか創業者の意地なのか,シンセサイザーのラインナップは増えていきます。前述したように,80年代のシンセサイザーを復刻するのに避けて通れない専用のICを半導体のメーカーまで手に入れて用意するんですから,もう本気です。
そうして復刻されたICを使って甦ったのが,SequentialのProphet600を復刻したPRO-800です。名機Prophet5ではないのがまたBehringerらしいところで,Prophet5までいってしまうと本家のRev.4と衝突しますし,木箱など値段の下がらない要素もあって,安くなるとは言え数万円というわけにはいかないでしょう。(聞いた話では,Prophet5のボイス数を増やした物を開発中だが難航しているということです。コストもそうですけど,純粋に技術的難易度が高いという事かもしれません)
そんなProphet600は当時Prophet5の後継機種と言われた,世界で最初にMIDIを搭載したシンセです。2VCO+VCF+VCAという構成ですが,エンベロープやLFOはソフトでやっている,まさにアナログポリシンセの第2世代といえるものです。
Prophet5よりも随分安くなったとは言え,DX7と同時期では,価格と性能で圧倒的に見劣りし,そんなに売れなかったと聞いています。
ですが,アナログの音の良さが見直された昨今,音の良さに定評のあるPropeht600が復刻に最適だったと言うことは納得出来るお話です。
このProphet600の復刻版であるPRO-800,オリジナルとは大きく異なっているのが,鍵盤のない音源モジュールであることです。一方で6音ポリから8音ポリに同時発音数も増えていて,オリジナルにはなかったノイズジェネレータも搭載されています。
しかし,音そのものはProphet600と同じ物を目指していて,VCOもVCFも同じものを搭載し,あの特徴的なProphetサウンドが再現されています。加えて,CPUの速度から来るエンベロープのもたつきなども解消されていて,シンセサイザーとしての基本性能にはちゃんと手が入っているというわけです。
2022年に登場した時は7万円を越えていたと思うのですが,先日見ると58000円まで値下がりしていました。これ以上下がる事はないだろう(実はありました・・・)し,下手をすると品切れになるかもしれず,またVCOのチップが1つ3000円近くする(しかも現在入手困難)ことを考慮すると決して高いものではないということで,思い切って買うことにしました。
冷静に考えてみると,VCOのポリシンセって,これまで一度も手に入れたことがないんですよ。モノシンセやDCOポリシンセは持ってたんですが・・・
2週間ほど前に届いたPRO-800ですが,第一印象は思いのほかチープな感じです。ぱっと見ると1980年代前半のメカメカしさはあるのですが,木と見せかけたサイドウッドや,アルミ削り出しと見せかけたツマミと,触るとわかるプラスチッキーなチープさを知ると,がっかりするかも知れません。
私はそんなことにあまりこだわらないので,さっさと音出しです。
音を出すために準備をするわけですが,今どきMIDIケーブルなんて,若い人は使うんですかね・・・私もしばらく探し回りましたよ。
それから,アウトプット端子が1つだけという潔さ。そう,アナログシンセは,エフェクタを内蔵していないならモノラルのアウトプット1つなんです。いいですよね。
ヘッドフォン端子もあるのですが,これは単に両耳で音が出るようにしてあるだけの物で,なにも特別な効果は得られません。ということで,ここにヘッドフォンを差し込み,音を聴いてみます。
うーん,なるほど。
これがProphetの音なんですね。今まで特に意識してこなかったんですが,YouTubeで見るProphet5の音なんかと,確かに共通するものはあります。ポリシンセが珍しかった頃に,こんな音が和音で出せたらそりゃ感動するに違いありません。
純粋なアナログ,VCOシンセらしく,16個あるVCOがそれぞれ微妙にチューニングがずれています。これがまた独特の厚みや響きを生み出すのです。DCOシンセとは全然違うとしか言えません。
で,いきなり2時間ほど演奏してみましたが,思ったほどチューニングのずれもなく,比較的安定して演奏出来ました。やはりIC化されたVCOってのは,実用レベルのシンセサイザーをきちんと作る事ができるんですね。
さて,早速1つ音を作ってみます。私の場合,馬鹿の一つ覚えとも言うべきシンセストリングスをいつも作ることにしているのですが,VCAのエンベロープはアタックを遅めに,リリースを長めにしたいわゆるストリングスでありながら,VCFのエンベロープは強めのアタックに短めのディケイ,サスティンは低くリリースも短めにして,レゾナンスをかけたフィルタをぐいっと動かします。
これでフィルタの利き具合とか,のこぎり波の倍音とかをさっと確かめる訳なんですが,さすがPRO-800はProphetの直系だけに,とてもしなやかで密度の濃い音が出てきます。しかもVCOならではの音の分厚さがあるので,演奏していて楽しくなるストリングスです。
ポリモジュレーションでエンベロープをVCOにもかけると,どこかできいたシンセブラスの音になります。PRO-800のポリモジュレーションはProphet5なんかと違ってPWMにはかからないそうで,そこが残念な所の1つなんだそうですが,私自身はそれがどれくらい音作りに影響があるのかよく分かっていないので,この段階で十分楽しいです。
先日のMatrix-1000やMicronのように,モジュレーションの自由度が高いとどうしても音作りが難しくなるものですが,それらをうまく整理し,モジュレーションを限定して音作りのやりやすさと自由度を両立を試みるのがポリシンセです。
その整理具合は各社の思想やモデル毎の個性から生まれるわけで,当然自分のやりたいことにすぐに届けば「いいシンセ」,自分のやりたいことが出来なければ「ダメなシンセ」ということになります。
シンセサイザーは楽器ですから当然音の良し悪しも大事ですが,何でも出来るはずのシンセサイザーをあえて不自由にする作業こそが,シンセサイザーの開発のキモではないかと思います。
SequentialのProphetシリーズはそのあたりが実に上手く,ブラスやストリングスと言った定番の音にもすぐに手が届きますし,ポリモジュレーションで金属音や効果音などの音を作る自由度もありますから,使いやすくて何でも出来て,しかも音がいいので今でも強く支持されるのでしょう。
PRO-800はそのシーケンシャルの末っ子の,しかもクローンです。ですが,その思想はしっかり継承されているように感じました。これでわかった気になるのは危険ですが,確かにPRO-800を触っていると,Prophet5がなぜ名機と言われるのか,納得できる気がします。
わかりやすいツマミの配置,出てくる音が予測可能,必要にして十分なパラメータの数,なによりよく効くフィルタに分厚い音が,このシンセサイザーでの音作りに没頭させてくれます。
加えて,拡張機能でVCFとVCAのベロシティに対応しているのですよ。これはうれしい。昔のアナログシンセの何が悔しいかって,ベロシティやアフタータッチに未対応であることです。しかもMIDI対応ですからね。
アフタータッチは鍵盤側の不備から未対応でも構わないのですが,どんだけ存在感のあるいい音でもベロシティには対応してくれないと,実戦で使うわけにはいかんのです。だからPRO-800もMatrix-1000も本当にいい子です。
PRO-800はこれ以外にもうれしい追加機能があります。例えばLFOの波形です。オリジナルには矩形波と三角波しか用意されていませんが,sin波やランプ波,ランダム,ノイズまで用意されています。このランダムというのは何かを計算中の電子頭脳(!)を表現するあの音を出すときに絶対に必要となるもので,これがないともうお手上げです。(お手上げでもぜんぜんかまわんのですが)
あと,先にちょっと触れましたが,ノイズジェネレータも搭載されています。Prophet600ではノイズジェネレータを搭載する改造が定番化してるそうですが,これを最初から搭載しているのがPRO-800です。憎いですよね。
定番の改造と言えば,CPUの高速化でエンベロープやLFO,反応の高速化などを行うものがあるそうで,このCPUの置き換えを行っている人の意見を取りこんでPRO-800は開発されているそうです。ならば,この改造も反映済み,と言うことでよろしいんじゃないでしょうか。
つまるところ,Prophet5と同じ傾向の音を8音ポリフォニックにし,ベロシティ&アフタータッチとMIDIに対応して,小さく軽く安くしたものがこのPRO-800なわけで,そう考えるとなんと素晴らしいシンセサイザーかと思い知ります。
とはいえ,いいことばかりではありません。悔しいのは,操作がややこしいことです。もちろん,音作りに使うツマミのダイレクト感に不満はありませんが,それ以外の操作についてはマニュアル無しでは怖くて触れません。
音色の記憶やツマミからアクセス出来ないパラメータの変更は7セグのLEDを見ながら行わねばなりませんが,正直これはきつい。一応オリジナルが2桁であるのに対し,PRO-800は4桁に倍増してはいますけど,表現力が乏しすぎます。
確かにPRO-800はProphet-600のクローンですから,特徴的なシートキーや7セグLEDも引き継ぐべき要素だったかも知れません。しかし,機能は増えているのですから,無理にこの操作系にこだわる必要もなかったかなと思います。
例えば,PRO-800ではバンクという考え方で音色メモリーを大幅に拡張しています。ただ,バンクBの01番を表示するのに,8-01ではさすがにわからんです。なんでb-01にしなかったんでしょう。
さらにいうと,PRO-800では音色名も記憶でき,PCからも管理出来るようになっているのですが,これを無理に7セグで表示しようとするので,CPUが暴走したのかと一瞬焦ります。だからでしょうか,音色名の表示をOFFにする機能まで用意されているんですよ。
個人的には,14セグのLEDを搭載して欲しかったです。LCDやOLEDは,キャラクタタイプでもグラフィックタイプでも,PRO-800のクラシカルな外観にはマッチしないと思うので,Prophet600の範囲で動いているうちは7セグで,PRO-800で拡張された機能については14セグで表示するようにしてくれたら,小うるさいマニアも黙ったことでしょう。
操作系についてさらに言えば,データのエントリーのために新設されたロータリーエンコーダに難ありです。これ,クリックなしなので,どこでデータがエントリーされたかわかりにくいので個人的には許せません。可変抵抗をA-Dコンバータで拾う方式ならクリックはいりませんが,ロータリーエンコーダはデジタルの入力装置ですから,ONとOFFの区別はユーザーにフィードバックされねばならないでしょう。(時々ロータリーエンコーダをまるでアナログの入力機器のように実装した物に巡り逢うことがありますが,これは見事ですよね)
ということで,いくつかの不満もありながらも,PRO-800は新品で買える本物のアナログポリシンセとして,最も安価で最も扱いやすいものだと言えると思います。
この価格での2VCOの8音ポリフォニックは唯一無二の存在でしょうし,VCFはProphetゆずりで音の良さは間違いなし。
アナログシンセの醍醐味である音色の編集は整理されたパラメータをダイレクトにツマミを回して直感的にできて,Prophetの伝統であるポリモジュレーションでシンセサイズの自由度も確保。LFO波形の追加やベロシティ&アフタータッチに拡張メニューで対応して演奏の幅も現代水準です。
その上小さく軽く,その気になればユーロラックにもマウント出来て,こんな合理的な選択肢があっていいのかと,つくづく不思議になるくらいです。これはやっぱりCoolAudioがアナログシンセ用のICを復刻したことが大きいでしょうね。
では,これをDAWで使うかと言えば,優秀なアナログシンセのプラグインが安価に手に入りますし,6万円も出して8ボイス1パートだけ,しかもMIDIとアナログ信号で処理することになる面倒さを考えると,強いこだわりがないと出番はないでしょう。
ライブならこれはギターと十分張り合えますし,バンドサウンドにぐっと厚みも出ること間違いなしでしょうが,今どきのバンドでアナログシンセ混ぜるチャンスなんかあるのか?と問われれば,80年代のコピーバンドくらいしかないかも知れません。
それでも,このつるんとした音は唯一無二です。リード,ブラス,ストリングス,ベースと,いくらでも応用はできます。それに,音作りという創造的な作業に没頭し,気が付いたら日が暮れていたという体験は,音楽を作るという一連の作業において別次元の豊かさを味わえるものです。
つまらない音のシンセサイザーでは,何時間も音作りなどできません。操作が複雑なシンセサイザーなら音作りは苦痛な作業です。パラメータの少ないシンセサイザーだったら,底が浅くてすぐにあきてしまいます。
PRO-800は,それらを上手くバランスした,現時点における最も現実的で魅力的な解だと思います。みなさんも買えるうちに買っておきましょう。あ,リセールバリューは期待出来ないので,死ぬまで使う気持ちで買って下さい。
最後に,シーケンサーやアルペジエータについて。これらの機能は私はあまり興味がなく,使っていません。面白いとは思いますが,感想を述べるほどに使わないと思いますので,そこにこだわるなら別のシンセを買うか,MIDIで動かして下さい。
・・・ところで,クリックのないロータリーエンコーダについてなんですが,クリックありの物に交換したところ,随分使い勝手が良くなりました。秋月電子で売られているアルプスのロータリーエンコーダと置き換え可能です。電気的な互換性はもちろん,フットプリントも同じですし,シャフトの長さやシャフトとツマミとの相性もバッチリですので,そのまま交換出来ます。
クリックがあることで,確実な操作ができることは間違いないのですが,音色の選択だけは3クリックで1エントリーになるようで,音色が切り替わるのに3回のクリックを数えないといけません。これはかなり面倒です。
それ以外のパラメータ変更は1クリックで大丈夫なようで,さすがに操作に違和感はなくなりました。
好みの問題もありますが,クリック無しでゆるゆると変化するパラメータにイライラする方は,交換を検討されてはいかがでしょうか。