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Kindleが日本にやってくる

 来るぞ来るぞといわれても,ちっとも来なかったKindleの日本上陸が,とうとう昨日発表されました。

 e-Inkを搭載するKindlePaperWhiteが3Gありとなしで2バージョン,タブレットであるKindleFireが2機種の,計4機種が導入されます。これに先だって,本日からKidleStoreがオープンし,電子書籍を購入することが出来るようになりました。

 端末がまだなのに?と思った方,違うんですよ,Kindleというのはいわばサービスを含む全体の名前です。Kindleストアで購入した電子書籍を読む事は,PCやMac,android版のリーダーアプリがあれば可能です。

 端末が手に入った暁には,先に購入したコンテンツを端末で読む事が出来るようになります。

 おおむね,端末の発売日に対してコンテンツ側の準備というのは遅れる物ですので,Kindleが先にコンテンツの販売を行い,端末は後からと言うのは,ちょっと珍しいなあと個人的には思っています。普通に考えれば,最大の難題と言われたコンテンツ配信に対する出版社の抵抗は,すでにもう過去の話になっているという,その証になるのではないでしょうか。

 不可解なのは端末が早い物でも1ヶ月ほど遅れてリリースされることです。

 Paperwhiteの国内発売は11月19日ということです。しかし,海外ではすでにリリースされていますし,海外版でも日本語のサポートはあるという話ですから,今回の日本導入に際して大変な作業があったとは考えにくく,サービスインにハードウェアが間に合わないというのは,なんとも解せない話です。

 邪推すれば,Paperwhiteは海外でもよく売れていて,品薄になっています。生産能力から考えた場合に,日本向けの台数を確保するのに,これだけの時間がかかったと考えるのが自然かも知れません。

 Paperwhiteの一番安いWiFiモデルは8000円台,3G搭載でも13000円弱です。通信費用や契約が必要ないというKindle最大の利点は日本版でもきちんと継承されましたから,やっぱamazonは黒船だなあと感心します。

 KindleFireも安いですね。先日googleがNEXUS7を19800円で発売して話題になりましたが,これが霞んで見える価格です。アメリカでの販売価格を為替レートで換算してもさらに安い価格ですので,このあたりもamazonの本気を感じます。

 そういえば,ヨドバシ.comがNEXUS7の取り扱いを中止したときに,ちょっとした憶測が流布しましたが,今にして思えばiPadminiとKindleFireに対する防御策だったのかと思います。とはいえ,NEXUS7は純粋なandroidタブレットですから,iPadともKindleFireとも比べようのない製品なわけで,直接関係ないと思うのですが・・・

 さて,私はKindleDXと3rdGenのKindle(以下Kindle3)をamazon.comから買ってほぼ毎日使っています。稼働率から言えば,KindleDXが圧倒的です。これは,画面サイズとピクセル数の関係から,文字の潰れが文芸書くらいまでならほとんど気にならないからです。

 Kindle3は文庫本を読むならなんとか我慢して読めるかどうか,というレベルだと思います。でも,文庫ならわざわざKindleで読む必要はなくて,紙のままカバンに突っ込んでいけば解決です。

 自炊をする私にとって,持ち歩くのが億劫になる分厚い本,あるいはハードカバーの文芸書を,小さく軽く持ち歩くことは最も期待する点であり,こうしたサイズの大きな本を,文字の潰れを気にせず気分よく読むためには,KindleDXでないと駄目だということがわかりました。

 ちょっと計算して見ましょう。

 文庫本をA6サイズ(105x148mm),文芸書をB6サイズ(128x182mm)としましょう。文字の潰れを,実際の紙の決まった範囲を何ピクセルで構成できるかという数字で表現出来ると考えます。

 9.7インチのKindleDXのピクセル数は832x1280ピクセルです。この画面にB6を表示してみると,紙の上で1cmの直線は約70ピクセルで表現され,画面上では約1.13cmに拡大されます。紙の上の1cmを70ピクセルで構成した場合を見慣れたdpiで換算すると,177.8dpiです。

 一方,6インチのKindle3のピクセル数は600x800ピクセルです。この画面にA6を表示してみると,1cmの直線は約54ピクセルで表現され,0.82cmに縮小されます。そして同様に見慣れたdpiで書けば,137dpiと換算されます。

 それでは,このKindle3でB6を表示するとどうなるか,1cmあたり約44ピクセルしか使われず,約0.7cmに縮小されてしまいます。かなり小さくなりますね。そしてdpiで書くと111.8dpiです。

 この結果から,文字の潰れがないようにするには,紙の上の1cmを最低54ピクセルで表現せねばならないことがわかります。Kindle3で文芸書を読むのは,かなり辛いことが数字からもなんとなく分かって頂けると思います。

 しかし,KindlePaperwhiteは,この根本問題を解決してくれそうです。パネルの解像度が,6インチモデルとしては唯一,768x1024ピクセルというXGAなのです。より白い色になったとか,フロントライトが付いたとか,そういうことも大事な進化ですが,解像度にも手が入ったことは,amazonもe-inkも,決して600x800ピクセルで満足していたわけではないことを示すもので,私はほっとした次第です。

 早速同じような計算で比較してみましょう。KindlePaperwhiteは6インチで768x1024ピクセルです。ここにA6を表示してみると,1cmの直線は約69ピクセルで表現され,0.82cmに縮小されます。見慣れたdpiで書くと175dpiとなります。

 続けてKindlePaperwhiteでB6を表示した場合です。1cmの直線は約56ピクセルで表現され,約0.7cmに縮小されますね。dpiで書けば142dpiです。

 なんだかよく分からない計算をやっているようになってしまいましたが,結果を見れば,商事が縮小されてしまうことを割り引けば,かなりKindleDXに近い品質の表示になってくれそうな期待があります。

 私は,日本導入の前にまたamazon.comから買おうかと思っていたのですが,日本導入が近いという噂も聞いていたので,ちょっと辛抱することにしたのです。

 聞けば,amazon.comのアカウントと統合されるので,amazon.comで買ったコンテンツも読めるようになるそうですが,アカウントを統合した後はamazon.co.jpからしか買えなくとのことです。

 これが即座に問題になることはないと思いますが,それもWiFiでの話です。3Gではamazon.comで買った海外版を国内で使うことは一応出来ない事になっていますから,3Gを使いたい人は日本版を買うしかありません。

 私は3Gで使いたいと,早速3G版を予約しました。amazonによると,日本語のフォントにもこだわったということですので,より白く,より高解像度になったKindlePaperwhiteが届くのが,とても楽しみです。

トランジスタの入手を巡る動き

 ディスクリート部品,特にリードタイプの定番トランジスタの入手がいよいよ難しくなり,値段も上がっているようです。

 とはいえ,代わりに使えるトランジスタは世界中にゴロゴロしていますし,これまで「鎖国状態」だった国産トランジスタの世界が,いよいよ開国したと考えれば何の心配もないのですが,一方で1つ3円で買える汎用品の2SC1815が,オーディオ用トランジスタよりローノイズだったりするという国産品に対する厚い信頼というのは,なかなか消えないだろうなとも思います。

 聞けば,秋月でこれまで200個入り600円だった2SC1815が1900円に値上がりしたのが今年の夏とのことで,今はカタログからも消えています。私は昨年買いましたが,まとまった数が確保出来なくなりつつあるんだろうなあと,そんな風に感じます。

 代わりに海外製の汎用トランジスタが安価に入手出来るのですが,まずピン配置が違いますし,単なるスイッチングなら大丈夫でも,2SC1815の懐の深さをあてにした用途だと,必ずしも同じ結果が得られないのではないかなと思います。

 まあ,本当に欲しい人はすでに買いだめをしているでしょうし,これからの人はこんな昭和時代のトランジスタを血眼になって探すという不毛なことはしないで,今手に入る美味しい部品を使いこなすことを覚えた方が,技術力もアップしてとっても前向きでしょう。

 トランジスタがディスコンになるには,いくつかの理由があります。

 1つは新しい部品で置き換えられる場合。AMのトランジスタラジオも,その昔は当然ゲルマニウムトランジスタで作られていたわけですが,それがシリコントランジスタに置き換わってディスコンになりました。さらにシリコントランジスタも,IC化されてしまってディスコンです。

 1つは,そのトランジスタが使われていた製品が市場から消えてしまう場合。入手困難・価格高騰でその筋には有名な三菱の2SC1971は,CB無線をターゲットにした送信用の出力トランジスタですが,CBなんてとっくに死滅しましたし,そもそもVHFで5Wクラスの出力の無線機なんて市場がありません。この場合,後継品種も出てこないので,一部のマニアは右往左往するわけです。

 最後に儲からないからやめてしまう場合。これはメーカーの都合ですが,例えば2SC1815,2SC945,2SC458,2SC2320は,どれも差し替え可能なメーカー違いのトランジスタですが,ただでさえトランジスタの市場が小さくなっているのに,似たような品種でパイの食い合いをしても損なだけです。単価も利幅も小さく,設備の維持も面倒臭い昨今,先にやめた方が勝ちです。

 結局の所,使われなくなったというのがすべてに共通する背景なのですが,2SC1815のような超ド汎用なトランジスタを含む,TO-92のトランジスタが東芝から消えるというのは,さすがに寂しいものがあります。

 こうしたディスコンに慌てふためくのが,オーディオマニアとアマチュア無線マニアです。どちらもIC化が進み,市場も小さくなって,昔の製品を修理するにも復刻するにも,肝となるトランジスタが手に入らないとどうにもなりません。

 それに,この種のマニアというのは概ね年寄りで,金もあるし時間もあるしで,いきおい買い占めに走ります。余命を考えて買い占めなぞやめて,死ぬまでに使い切れる分だけにして欲しいと私などは思うのですが,まあそれは個人の自由です。

 オーディオは特に金田式DCアンプで使われているものが昔から珍重されています。TO-3というごっついメタルパッケージに入ったパワートランジスタなど,偽物が出回るほどです。1970年代に生産されてとっくの昔にディスコンになったトランジスタなのに,NECのロゴが丸っこい新ロゴになってるなんて噴飯物です。

 偽物でも,それなりに互換性があって動く物なら良心的なのですが,悪徳業者がそんな親切なことをするわけはなく,定格もピン配置さえも違う,形がかろうじて似ているだけのものを刻印し直すのですから,大事故につながりかねません。

 アマチュアはメーカーのように,部品の受け入れ検査をするのに限界があります。検査などしないでいきなり作って動かすこともしばしばですから,信用第一なんですね。だから,アマチュアが利用する部品店が,堂々と偽物を売っているというのは,いくら何でもひどいんじゃないかと私は思います。

 部品店は基本的に交換や返品を受けないのが慣例ですが,偽物を売りつけておいて購入者に全責任を負わせるというのは,まあ詐欺ですね。

 どうしてこんなことを書くかと言えば,先日古本で,1969年に発行された「東芝トランジスタ回路集」なるものを買ったのです。トラ技の向こうを張るプロ向けの雑誌「電子展望」の別冊扱いですが,なにせ東芝のトランジスタの本ですので,広告も当然東芝です。

 中に,東芝のトランジスタをぜひ工作に使ってみて下さい,お近くの販売店で売ってます,2SB56は定価100円です,と,アマチュアに対する広告も存在するのです。

 1969年の100円ですから随分高いんですが,40年以上前の本をパラパラと見てみて,とても活気があって面白いなあと感じたのです。

 当時はゲルマニウムからシリコンへの移行期で,シリコントランジスタもどんどん品種が拡大し,価格も下がって使いやすくなっていった時代です。ICも登場して,ようやく軍事一辺倒から民生品に使われ始めたときではないでしょうか。

 これまでは懐かしい,くらいの印象だったこれらの本も,トランジスタが入手出来なくなると一気に古めかしく,実用度を失った,完全に過去の本となります。真空管も,ブラウン管も,過去の技術というのはすべからくそういうものだから仕方がないのですが,比較的緩やかに進行していたトランジスタの終息は,案外近いうちに来るのかも知れません。

 ところで,そんな話もある中で,ちょっと面白い話です。

 日立のパワーMOS-FETと言えば,2SK134/2SJ49です。1970年代後半に登場した画期的なデバイスで,オーディオ用のパワートランジスタとしてはとても有名です。

 TO-3のメタルパッケージに入ったこの品種はとっくにディスコン。モールドパッケージのTO-3Pになった後継品種の2SK1058も実はディスコンになっていて,日立のオーディオ用パワーMOS-FETは絶滅したかに見えました。

 ところが,あるところにはあるんですね。イギリスのあるメーカーが,互換品を作っています。どうやら現行品です。TO-3のメタルパッケージですから,2SK134と完全互換という触れ込みです。なにやらスイスの超高級オーディオメーカーで採用とか。

 入手は難しいでしょうが,頑張れば手に入るわけですから,これはこれでありがたい話なんじゃないでしょうか。

LaCie d2 QuadraをFireWireで使う作戦

 先日のLaCie d2 Quadraですが,eSATAで運用すれば2.5TBのドライブを認識して使う事が出来るという結論は,ちょっとまずいのではないかと思うようになりました。

 確かに認識してはいますし,ブリッジチップの中でやっていることは単にeSATAとHDDをスルーで繋いでいるだけの話ですから,トラブルは起きないんじゃないかと思いますが,USBやFireWireで2.2TB以上のドライブを正しく認識出来ない以上,やっぱりなにがあってもおかしくありません。

 こわいですね。例えばですね,ブリッジチップが自らなにかHDDに書き込むようなことがあると,今繋いでいる2.5TBのHDDは壊れてしまうかも知れないわけですね。

 そもそも,この問題は2.2TBの壁というよく知られた問題で,これまでの1セクタあたり512kByteで,32bitのアドレスという方式だと2.2TBまでしかアクセス出来ないという問題です。

 そこで,アドレスを64bitに広げることでこの壁を乗り越えるわけですが,なんといっても管理方法が根本的に変わってしまうので,不具合が出ても仕方がありません。

 ということで,なんとかしないといけないなあと思ったわけです。

 とはいえ,先日書いたようにLaCieの純正のアップデータはどうやっても動かすことが出来ませんでした。そもそもLaCie d2 Quadraに対応していると一言も書いていないので,駄目でも元々なわけですけども,それにしてもこの製品には3TBのものも存在するわけですから,出し惜しみしないで欲しいよなあと,思います。

 次に考えたのは,禁断の作戦です。

 LaCie d2 Quadraのブリッジチップは,OxfordのOXUF934DSBです。FireWire800に対応した数少ないチップですが,動作も安定し,速度も速いですから,定評があります。FiewWireに対応したHDDやHDDケースには,これが搭載されていることが多いです。

 このチップは,2.2TBの壁などなかった時代の製品ですが,後に内蔵のファームウェアがアップデートされて,2.2TBを越えるHDDを繋ぐことができるようになりました。

 ところがチップメーカーはファームウェアを公開していません。探し回ったところ,あるHDDケースのメーカーがファームを公開していました。

 このメーカーはご丁寧に,ファームウェアをアップデートした場合の弊害についても触れています。現在出荷されているHDDケースは2.2TBを越えられるものだが,これはFireWireからのブートが出来ないので,どうしてもFireWireからブートしたければ,古いファームウェアを書き込んで使えとあります。親切ですね。

 ただし,このファームウェアというのは結構くせもので,LaCieのようなベンダーだと,自分達の独自機能のためにベンダー独自のファームウェアを作っています。ベンダー名のカスタマイズくらいならよいのですが,ブリッジチップのGPIOを制御するような物だったりすると,ハードウェアとの兼ね合いもあるので,他社のファームウェアを無理に書き込めば,機能が失われるばかりか,最悪壊れてしまいます。

 かなり危険です。

 その,危険なファームウェアが,目の前にあります。付属のリリースノートを見れば,このバージョンは2.2TB越えに対応とあります。

 ということで,危険を承知でやってみることにしました。ファームウェアの書き込みに失敗すれば,8000円のHDDケースはただのゴミになります。無事に書き込めてもちゃんと動く保証はありません。LaCieの独自機能である自動電源ON/OFFについては,完全にアウトではないかと思います。

 本来なら,元に戻す方法を用意してから実行すべきですが,元に戻す方法は見つかりません。片道切符でGo!です。

 で,結果ですが,駄目でした。ファームウェアの書き換えすら出来ませんでした。当たり前と言えば,当たり前ですわね。バカバカしい。

 で,結局どうしたかというと,2TBのHDDに入れ替えました。NASには当初Pogoplugで使っていた2TBを入れていましたが,先日3TBに入れ替えたときに,1つ余ったものがあるのです。

 これに入れ替えると問題なくFireWire800で認識し,読み書きも当然問題なく出来ます。2,5TBのHDDからしょーもないデータを消し,2TBにコピーをして,早速運用を開始しました。2.5TBはもったいないので,動画関係を詰め込んでおきます。ただ,私の経験では,2TBまでなら安定して動いても,それ以上のHDDはどうも不安定で,安心して使えないのです。なかなか認識しないとか,フリーズするとか,そういう心配です。

 ですから,大事なデータを保存するには気が気でならないものがありました。2TBにすることで安心出来るなら,まあよかったんじゃないかと思います。

 とはいえ,HDDの価格はすでにタイの洪水前の水準まで下がって来ています。3TBも1万円を割るのが当たり前になっている現状で2TBという足かせがあるのは,ちょっと窮屈で嫌な感じです。

 しかも,D800のデータが強烈です。ちょっと撮影するとすぐに30GBを越えます。容量が大きいことは確かにお金で解決することではありますが,データの軽いD2Hとのハンドリングの違いは歴然で,D2Hに比べて慎重にシャッターを切るようになりますから,自ずとこの2つで撮影スタイルにまで大きな違いを生むことになります。

 まあ,そのうちFireWireも使えなくなるでしょうし,その時にはUSB3.0への移行を考えるようにしましょう。そのころにはD800も,普通のカメラになってくれるように思います。

25年前の高校生活をふと思う

 今から25年も前の話,私は高校生だったのですが,最近になってようやく一歩下がったところからそのころの生活を見ることが出来るようになってきました。

 私が通った高校は大阪の府立高校で,私の住む街でも名の知れた,名門校でした。私は中学生の時が最も勉強が出来た人で,トップ校には少々手が届きませんでしたが,2番手のこの学校には十分な学力を持っていました。

 ただ,親も中学校の先生も,はたまた塾の先生や友人達も,その当時の学力にマッチしていたからというより,その校風に「お前ならぴったり」と本人以上の納得をしていたことを,思い出します。

 自主自立。それがこの学校のモットーでした。1970年代の学生紛争が高校にも飛び火し,私の母校は校則と制服が廃止されました。かつての制服(男子は詰め襟,女子はセーラー服)を「標準服」と呼び,標準服を含めたどんな服装も許されていましたが,それは本当に自由という事ではなく,高校生にふさわしい服装を自分で考えて着てこい,と言う自由でした。

 今はどうか知りませんが,私のいた頃はほとんどが標準服でした。なかに完全な私服もいましたが,それは自己主張が強く,周囲からちょっと一目置かれていた,いい意味で変わり者がそうだったように思います。


・アホに洗脳される

 当時の学区で2番目の進学校ですから,それなりに勉強が出来ないと入ることが出来ない学校でしたし,校則や制服がない,自由な校風に憧れる生徒が集まる人気のある学校でしたから,競争率も低くはなく,誰でも行ける学校ではなかったと思います。

 ですが,面白い事に,合格した途端に成績がガタガタと落ちるんですね。ちっとも勉強しないようになる人も多くて,当時は先生もあんまりやかましく勉強しろとは言いませんでした。

 ですから,中学時代は成績上位でも,高校生になると成績がばーっと下がり,アホに洗脳される学校と呼ばれていました。

 かくいう私も勉強をちっともせず,底辺を彷徨っていました。同じようにアホになった友人から,お前アホやろ,と面と向かって言われたり,卒業できんのか,と心配されたことも一度や二度ではありません。


,4年制の学校

 そんな高校でしたが,卒業生の大半は大学に進む進学校でした。ですが現役で大学に通る人は半分以下,大半は浪人して大学に進みます。

 それゆえ,4年制の高校といわれたものです。

 当時の先生の口癖は,「やれば出来る子」でした。なんとなくですが,先生も生徒も浪人を許した上で,楽しい高校の3年間を満喫するのもよいだろうという,そんな空気も漂っていました。でも,親はたまったものではありませんわね。


・文化祭

 大阪府下でも有数の,大規模な文化祭を開催することでも知られていました。1年の時は様子見もあって喫茶店などでお茶を濁すのですが,2年では半分,3年ではほとんどのクラスが演劇をクラスの出し物とします。

 劇をやると,大道具から小道具,衣装や音響など,総力戦になります。まあこういっては何ですが,キャストはクラスでも目立ちたがり屋がやりますし,シナリオは特殊能力なのですぐに決まります。

 後の人間は裏方に回るのですが,最初はダラダラやっていた人間でも,最後には夢中になって,最後には涙するというのが通例でした。結局脱落する人間が少なかったなあと思います。

 そういえば,私たちの時は1学年で13クラスもありました。約40ものクラスがあって,多くが演劇をやるわけですが,演劇をやるクラスは立て看板を作りますから,あちこち立て看板だらけになるわけです。

 立て看板の良し悪しが人気に直結するので,自ずとクラスで最も絵のうまい人間が担当します。シナリオのうまい奴,台詞の通る奴,工作のうまい奴,ミシンがけがうまい奴,そして画を描くのがうまい奴と,普段なかなか見れない「一芸」が見られる機会でした。

 ところで,そんな何十もの演劇を上演するのは普通無理だと思うでしょ。でも我々の学校の舞台は講堂,新体育館,旧体育館に加えて,近くの公会堂を使わせてもらっていました。4つの舞台を3日間の期間中,すべてのクラスやクラブで共用するのですが,見たいものが複数にまたがると,走り回ることになります。

 あと,美術の先生がアップライトピアノを斧で割り,ペンキを塗りたくるというパフォーマンスをやってました。やってるときはいいんですが,終わってからの妙なむなしさをよく覚えています。


・なんでも本気で

 球技大会は「ペナント」と呼ばれていました。なんでそう呼ばれるのか私はわからんのですが,とにかくただの球技大会に,みんな本気になります。今はなにやらコスプレをしながら試合をするそうですが(うらやましい),私の頃はただの体操服で,なにがおもろいねん,と冷めていました。

 クラス対抗ですから,みんな本気に勝ちに行きます。昼休みや放課後はもちろんですが,朝練も普通に行うので,私のような朝弱い人間には辛い物がありました。

 ですが,終わった後の一体感というのはなかなかのものがあり,こうした一体感の醸成が,文化祭に結実するんだなあと思います。


・個性的な人間への寛容さ

 みんなそれなりに勉強が出来て,校則や制服がなく,自由な校風に憧れてわざわざ田舎の高校にやってくるのですから,それなりにみんな寛容ですし,のんびり屋さんです。

 それぞれの個性をとても大事にしますし,勉強や運動が出来るか出来ないかなどに,あまり興味はありません。変わった奴は「変な奴」と言われることはあっても,仲間はずれにされたり,低く見られることはなく,みんな同じ仲間として,互いに尊敬し合う居心地の良さがありました。

 私の母に言わせると,そのへんが「おぼこい」らしいのですが,いじめや暴力が蔓延して緊張の連続だった中学校に比べると,まさにそこは理想郷でした。


・地域性

 この学校の学区は,大阪市内から南河内一帯に広がる地域で,都会から田舎まで,様々な地域から人が集まっていました。まあ高校というのはそういうものなのですが,都会の人間は友人の家に遊びに行くことで田舎を等身大で見るようになりますし,逆に田舎の人間が友人のいる都会に行けば,都会を現実の物として意識するようになります。学校が田舎にありましたから,都会育ちの人間には新鮮だったはずです。

 私は,都会と田舎の中間点にいました。どちらかと言えば田舎寄りだったと思いますが,友人達はみな「通過点だ」と言ってました。中途半端だったんでしょうね。

 私の個人的な経験からいえば,それでもやっぱり都会の人間は都会の人間で,田舎の人間は田舎の人間で仲良く固まる傾向はあったと思います。ただ,それぞれ仲が悪かったわけではありませんし,付き合いがないわけでもなく。なんとなく仲良しが集まると似たような地域になるという,それだけの話です。


・古い校舎

 木の床,高い天井,鉄製の窓枠など,戦前の建物を我々は使っていました。大掃除の時に床に開いた穴から,20年も前の漫画雑誌が出てきたり,後輩へのメッセージが出てきたりと,古い学校ならではの楽しみもありました。

 そんな校舎も老朽化によって今は取り壊されて,新しい物に建て変わっています。私は新しい校舎を見たことはありませんが,随分綺麗になっているそうです。

 講堂は文化的な意味もあるということで,取り壊しをせず,保存する声も高かったそうですが結局実現せず,当時の面影はほとんど残っていないそうです。

 そういえば,階段教室があった学校なんですね。ちょっと珍しいでしょう。私がいたクラブはここが根城でしたので,とても馴染みがあります。


・学生食堂

 学生食堂は盛況で,朝からやっていたそうです。私は昼は弁当でしたのであまり馴染みのない場所ではありましたが,時々友人と話をしたりと,楽しい思い出があります。

 そういえば,学校の近くには市役所があり,ここの食堂が安くて美味しいと評判でしたが,利用するのは禁止です。

 一度,自習の時に友人と市役所の裏側に抜ける秘密のルートを使って抜け出し,市役所の食堂に向かった事があるのですが,事もあろうにその食堂からかえってきたと思われる生活指導の先生と鉢合わせし,「飯なら学食で食え」と怒られて引き返したことがありました。


・高校時代で覚えていること

 まず部活の話。私は中学生の時にフォークギターを始めたのですが,ベースの重要性を知ったことで,高校では軽音楽部に入って,ベースを担当しようと思っていました。

 同じクラスで軽音楽部に入るつもりだった人に声をかけてもらい,入部をしようとしたのですが,どうも人数と担当楽器の問題から折り合いが付かず,結局入部しませんでした。面倒になったと言うか,気押されたというか,そんな感じでしょう。

 結局正式な部活ではなく,同好会レベルのフォークソング同好会にギター一本抱えて入り,そこで音楽をやってました。実際のところ,その主要メンバーは軽音楽部と掛け持ちしており,軽音楽部の「アンプラグド」版だったことを後で知ります。

 フォークギターはそこそこ演奏出来たので,放課後にはギターを抱えてあちこち歩き回ったり,運動場で演奏してきたりと,派手ではないですが楽しくやらせてもらってました。

 ですが,人前で演奏した記憶がほとんどなく,唯一後夜祭で先輩と一緒に朝礼台の上で演奏したことを覚えているだけです。

 で,しばらく正式な部活には入らなかったのですが,1年の時ある友人から「お前なら直せるんじゃないか」と,電子工作の腕を見込まれて連れて行かれたのがラジオ部でした。

 ラジオを聞くのか,といつもいわれた部でしたが,その実電子工作クラブと言った感じで,当時のことですから8ビットのパソコンとか,そういうのを得意とする人がぼつぼつ集まっていた,弱小クラブですね。

 結局私はそこであまり手伝うことはなかったのですが,その後すっかりそこの緩い雰囲気が気に入って,入部してしまいました。当時の1年上の3人の先輩は,実のところ今でもとても親しい親友です。

 もう1つ,写真部というのもありました。部活動として拘束されるのを嫌っていたので入部しなかったのですが,非常に真面目なクラブで,当時仲が良かった二人の友人が所属していたことで,私も部外者として部室に入り浸るようになりました。

 今にして思えば,ここにも入部すれば良かったなあと思うのですが,当時は父親から黙って借りていたボロボロのAsahi Pentax SPに50mmのレンズ1本しかなく,新しいカメラを買うお金もなかったので,躊躇していたのだと思います。現像なんかは別に家でも出来ますし,暗室を用意して引き延ばし機も自分で作ったりしていたので,群れることなどないよと,おかしな意地を張っていたのでしょう。

 でも,私がカメラを学校に持ち出す決意をしたのは2年生の時からで,それまでは自分の趣味を悟られることのないようにしようとしていました。だから,1年の時と2年の時とで,それぞれの周囲が持った印象は全然違っていたんじゃないかと思います。

 3年になると,打ち込みを本格的に始めていましたから,学校にシンセサイザーを担いで持って行くことも度々ありました。放課後の教室で音を出していたこともよくあったので,2年と3年でまた印象が変わっていたんじゃないかと思います。

 ただ,3年間共通していたのは,マニアックであったことです。今で言えばgeekというかnerdというか,そんな感じです。授業中に半導体のデータブックを読んでいたかと思えば,休み時間に黒板にコード進行を書き殴ってみたりと,高校生にしてはちょっと難しいことをやったりしたので,そこを気味悪がられたか,はたまた面白がられたかは,よくわかりません。ですが,こういった印象が強かったことは確かでしょう。

 当時の理系が得意とする科目をことごとく苦手としており,得意だったのは,数学では確率統計,理科では化学,国語では現代国語,社会では日本史と世界史,英語は全滅という感じで,理系の学生が有利になる科目は全く得意ではなかったのです。

 見るに見かねたある現代国語の先生は,文系に進めばもっといい大学いけるのになあとつぶやいたくらいなのですが,どうにかなると思い込んでいた私はその後,世の中にはどうにもならないことがあることを思い知るわけです。もしあの時,文系に進んで,苦手科目を避けてちょっと良い大学に進んでいたら,私の人生はどうなっていたでしょうか・・・

 当時は理系に進むことに全く迷いはなく,今も失敗したと全く思っていないのですが,どうなっていたかなあと思うことはあります。

 今にして思うと,周囲は私を勉強の出来ないアホと思っていたでしょうが,一方の私は世界史や化学で文系の人間に張り合う成績を残していましたので決してアホとは思っていませんでした。ただ,現実を直視できていないという意味での「アホ」であったことは間違いありません。
 

デジタルカメラ列伝 その4~Nikon D800

・D800(Nikon,2012年)

 ニコンのフルサイズ初号機にして,その高感度特性から「肉眼では見えない物を見る道具」として,新しい撮影領域にフォトグラファーを解き放った,名機D3。そしてその血統を受け継ぐ弟,D700。デジタル一眼レフとしての完成度の高さ,大きさと性能の卓越したバランス,そしてこなれた価格でプロ・アマチュアを問わず,D700を絶賛する声は止むことがない。

 当然,その後継には大きな期待がかかる。D3にはD4という正統後継者が間違いなく登場し,苛烈なるロンドンオリンピックを闘うことになる。ならば当然,D700の後継機はD4の弟であろうと,誰もがそう考えていた。

 一方,タイを襲った洪水は,主力工場を彼の地に持つニコンにも想像以上の被害を与えた。新製品発表のスケジュールも大きくずれ,D700は予定通りその製品寿命を全うしたが,その後継機の発表は2012年にずれ込み,主力機不在の「空白期間」に,期待と不安が多くの噂を世界中にまき散らした。

 ジグソーパズルのピースが徐々に埋まっていくように,時間が経つにつれてD700の後継機の姿が少しずつ浮かび上がる。

 本当にこれがD700の後継機?

 未完成のパズルは,そこに前代未聞のデジタル一眼レフの輪郭を,浮かび上がらせていた。

 3630万画素という驚異的な画素数。名前はD800,というらしい。しかも,ローパスフィルタを持たないモデルが別に用意されるというのだ。

 くだらない噂だと一笑に付すフォトグラファーが多かったのは,D700の後継に求めるものが,画素数ではなかったことを意味していた。むしろ高画素化で失う物こそが,D700の後継に,まさに求められるものであったからだ。

 果たして,2012年2月,噂は現実になった。

 しかし,不安は杞憂に終わった。

 そして,絶賛に変わってゆく。

 前代未聞の3630万画素は,従来のデジタル一眼レフを越えたばかりか,フラグシップであるD4にすら届かない高みである。絶対なるこの個性をして,誰がこんな高画素を欲しがるのか,という批判を繰り出す者は,「中判の画質を狙っています」という生みの親の心に触れて,沈黙せざるを得なかった。

 高感度特性が犠牲になる,という批判もまた正しい物に思われた。それほどD3やD700の切り開いた世界は,全く違う象限に存在したのである。高画素化と感度は相反する要素であり,しかるに我々は高画素化を求めているのではない,と彼らは叫び,自らがたどり着いた,その素晴らしい世界を失う事に,心底恐れを抱いた。

 常用感度ISO6400,拡張感度ISO25600。この数字に見覚えがある人ほど,恐れは期待に変わってゆく。そう,名機D3と同じ。D800の否定はすなわち,D3の否定であり,自らが住む世界への肯定はすなわち,D800への肯定である。

 だが,ノイズにまみれた高感度など存在の価値はないと,口の悪い者はなおそう言った。

 しかしそこにあったのは,センサの高いポテンシャルとこれを最大限に引き出す画像処理が織りなす,新しい地平であった。

 高画素と高感度の両立こそ「肉眼で見えない物を見る道具」の正常進化でなくて,なんであるというのか。どちらか一方だけを高めたところで,その先にあるのは所詮は一歩前に過ぎないことに,ようやく皆が気付いた。

 それでも批判の声は止まない。高画素になればブレが目立つ。

 笑止。

 なぜ,己が技量の低さを顧みない声に,いかなる説得力も存在しないことに気が付かないか!

 レンズの性能が追いつかない。高画素なんて無駄。

 笑止。

 なぜ,これまで捨てざるを得なかった,レンズの個性をも飲み込む「力」であることに気が付かないか!50年前のMicroNikkorは,D800によって往年の切れ味を再び我々の眼前に突きつけたではないか!

 連写速度が足りない。

 三度笑止。

 連写速度というスペックの本質は,高速連写に必要な筋肉とこれに耐えうる骨格を持つことであり,高速なレスポンスを手に入れたかどうか,つまり1秒間に何コマ撮影出来るかではなく,1コマをどれくらい短い時間で撮影出来るかにある。6コマ/秒のD800が持つ体躯は,アスリートのそれである!

 そんなことより,3630万画素を支える,ずば抜けた基本スペックを見よ。

 20万回の寿命を誇るシャッターユニット,D4譲りの51点AF,一昔前のデジカメと同じ91万画素のRGBセンサによる高精度AE,野外での撮影を躊躇しない防塵防滴,プロ機の証ともいえるファインダー視野率約100%。

 作例をみた我々は,さらに驚愕する。拡大をする,拡大をする,さらに拡大をする。

 しかし,拡大をする度に,新しい情報がせり出してくる。鬱蒼とした森を表現した写真が内包する,それを構成するコケの一本一本までを取り込む緻密さに畏怖を抱き,震えが止まらない。

 D800は,過去の何にも似ていない,孤高のカメラとなった。D800が切り開く世界は,まだ人類が到達しない新しい世界であり,あらゆるものとの比較はナンセンスである。

 D800にとって不幸だったのは,それが安価であることだ。孤高のカメラは,いつの時代も常に使い手を選ぶ。こんなカメラが,品薄で入手困難など,あってはならない。

 だが,おそらく我々は後生に胸を張って言えるであろう。我々の日々の営みはそれまでとは比べものにならない情報量をもって,記録されるようになる。それはすなわち,D800があまねく広まることで現実になる,人類の夢であると。

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