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ハードディスクの業界再編におもう

 何度も何度も「物理的限界」と言われた容量が新しい技術で打破され,その都度大幅な容量増加と価格の低下(暴落)が起こってきたハードディスクですが,価格の下落からもはや体力勝負の様相を呈しており,数年前から合併や買収などの再編が進んできたのはご存じの通りです。

 今一番ホットなのは富士通が東芝にハードディスク部門を売却,ディスクの製造についても昭和電工に売却するという話でしょう。

 ハードディスクはいわゆる「メカトロニクス」の集大成的製品で,機械的な構造が大半を占めている以上どんなに容量が小さくとも最低限かかるコスト(つまり容量に関係なく必要となる部品や機構の占める割合が大きい,モーターや大きな筐体は仮に容量が小さくとも絶対必要で,その上高価な上に値段が下がりにくい,ということです)が目に見えて大きく,これ以下では作れないという限界点が半導体に比べて高めになります。

 だから,ある程度の値下がりはあっても,そこから先の値下げはなくて,容量が大きくなる方向に向かっています。秋葉原などのPCパーツショップで売られるバルクのハードディスクなどを見ていると,3.5インチのハードディスクで6000円くらいがどうもその限界点のようで,容量に関係なくこの価格以下で売られるものは,なんらかの事情がある特別なものという感じですね。

 SDカードやコンパクトフラッシュ,あるいはSSDといったような半導体を使ったストレージはコストの大半が半導体であり,半導体というのはいわゆる「印刷」と似たようなものですから,作れば作るほど値段が下がります。原材料の価格がそれだけ低いということですね。

 だから,相対的にビットあたりの価格が数倍も高い半導体を使ったストレージは,これからどんどん値段が下がる可能性があるのに対し,ハードディスクはどんなに頑張ってもある価格から安く売ることはできないのです。

 ほっとけばフラッシュメモリ陣営がビット単価でハードディスクに追いつくことは目に見えています。そこでハードディスク陣営は部品代が容量にあまり関係しないという弱点を逆手に取り,大幅な容量アップでフラッシュメモリ陣営の追撃をかわそうという力が働いてきました。

 その力がかなり強力だったようで,これほど華麗に「理論的限界」を突き破ってきた工業製品も珍しいと思いますし,容量が増えていくまでのスパンが以前に比べて短くなっています。すごいことだと思います。

 しかし,設備産業としての性質が弱いとはいえ,新しい技術開発には膨大なお金がかかりますし,10年くらい前までは3万円くらいが売れ筋と言われた3.5インチのハードディスクがどの商品も軒並み1万円を切っている状況を見ると,単純に単価が1/3になっているという事だけ見ても,もうハードディスクは儲からないものになっていると考えて良いのではないかと思います。

 数を売る,もうこれしか方法はないわけで,業界の再編が起こるのは至極当然なことです。

 年寄りの昔話に少々付き合って頂くことになるのですが,ハードディスクの価値がこれほど下がってしまったことに対し,私は寂しい気分が拭えません。

 コンピュータの開発史を見ていくとつくづく思うのですが,コンピュータの発展を阻害する最大の原因は,いつも記憶装置にありました。我々はコンピュータの進歩は演算装置の進歩とつい短絡的に考えてしまいがちで,それはそれで間違ってはいないのですが,一方で不可欠である「記憶装置」の価格や規模が小さくならず,現実解としての記憶容量は常に要求を下回り続けたという歴史がありました。

 初期のコンピュータは今で言うメインメモリしか持っておらず,外部記憶装置は持っていないか,あるいは紙テープやパンチカードという読み出ししかできない低容量の原始的な「メモ」くらいしかありませんでした。

 メモリを増やせばコンピュータはもっといろいろなことに使えると分かっていても,その価格や大きさが大きすぎ我慢を強いられた中で,高速だけど少容量なものと,低速だけど大容量なものに分け,それぞれに役割分担をさせて記憶を司る部分を作ることになったのです。

 こうした記憶装置の階層化という概念はむろん現代のコンピュータにも引き継がれていていますが,特に低速大容量の記憶装置として使われたものが,磁気を使う記憶装置です。

 磁気テープ,磁気ドラム,磁気ディスク,と構造の違いはあれ,いずれも低速大容量を実現出来るものだったのですが,特に磁気ディスクの内,ウィンチェスタ型のハードディスク(現在のハードディスクです)は特に高速性と大容量を擁立できる優れたものとして,現在まで主流であり続けているのです。

 コンピュータメーカーにとって,演算能力の向上も大事ですが,とにもかくにも記憶装置をちゃんと用意できることが極めて重要であり,ここに解を持たずしてコンピュータメーカーと名乗ることは不可能なことでした。

 ですから,ほぼ例外なく,コンピュータメーカーは半導体メモリを製造する能力と,ハードディスクなどの磁気記憶装置を製造する能力を有していました。

 大型のコンピュータが中心の時代ですから,数はそれほど出ませんし,なにより信頼性が重要とされた世界でしたから,複雑な機構部品を組み合わせた磁気記憶装置は現在に比べると「手作り」のようなものでした。

 これは想像ですが,記憶装置を作っているエンジニアは,自分達こそコンピュータを支えるエンジニアであるという,自負があったのではないでしょうか。

 現在のハードディスクメーカーは,その自社のコンピュータを成立させるために必要だった「基幹部品」を外販することで立ち上がったケースと,専業メーカーとして外販だけを行って来たメーカーに分けられます。

 今回の主役,富士通もコンピュータメーカーとして不可欠なハードディスクの製造能力持っていました。ハードディスクを他から買うことが出来た時代ならいざ知らず,コンピュータの黎明期からコンピュータ専業メーカーであり続け,そのために論理回路設計とは全然世界の違うハードディスクの開発を内部に持たざるを得なかったことで,彼らのハードディスクに対する意地や誇りのようなものが生まれていったのではないかと思うのです。

 コンピュータはもはや日用品です。特別な存在ではありませんし,その部品はそれぞれの専業メーカーにより大量生産されて,いわゆるコンピュータのメーカーはそれを組み合わせているだけです。すべてのものを自社内部で作っていた時代は,すべてが性能向上の伸びしろであり,より早く,より大容量,より使いやすく差別化され,進歩してきました。

 しかし,現在は,その技術開発は専業メーカーの頑張り次第になっています。インテルがサボればCPUの性能向上はありませんし,サムスンがサボればDRAMの容量も増えません。何が正しいという話ではなく,こうした状況変化に,コンピュータの黎明期にあったようなワクワク感が全く見あたらないことが,心情的に残念です。


 ・・・いい機会ですので,ハードディスクメーカーの業界再編の歴史をまとめておきます。

 ハードディスクの最初の製品はよく知られているように1956年に誕生したIBMの305RAMACシステムに用意された磁気記憶装置です。ディスクの直径は約60cm,枚数は50枚で容量は5MB,それでも当時は高速大容量なランダムアクセス外部記憶装置として画期的だったそうです。

 その後コンピュータの外部記憶装置として進歩していきましたが,1960年代に入るとディスクを交換出来るハードディスクがメジャーになっていきます。私はディスクパックを見たことも触ったこともありませんが,当時の写真などを見ると,洗面器を裏返し取っ手を付けたようなパックを持っている人が映っていたりします。この時点で容量は400MBから500MB程度。

 1970年代に入ると,ディスクを交換出来ないようにする代わりに完全に密封し,高密度記録と高信頼性を達成した「ウィンチェスタ型」がIBMから登場します。これが現在のハードディスクの直接の先祖になるわけですね。

 そのIBMは1990年代前半まで基本的にハードディスクを外販していませんでした。それがOEMという形で他社のPCに搭載されたり,バルク品が出回るようになったことで,私などは伝説のIBM製ハードディスクが買えると喜んだものです。当時から基本的にIBMのファンだったりしますが,2003年に日立にハードディスク部門を売却,日立GSTとして現在もメジャーメーカーの1つです。

 メジャーメーカーの一角を占めるSeagateTechnoligyですが,この会社はなかなか面白いです。その源流は,IBMのRAMACシステムの開発者だったAlan Shugartが1972年に立ち上げたShugartAssociatesに求めることが出来ます。いろいろあったらしくAlan Shugartは会社設立後間もなく会社を去りますが,1976年に開発した5インチミニフロッピーディスクはその後のコンピュータに広く使われました。かのSteveWozniakが出来たばかりのShugart製5インチフロッピーディスクドライブを神業でApple][に繋ぎ,ここにパソコンとフロッピーディスクのコンタクトがなされました。

 1979年,Alan ShugartはFinis Connerと一緒にそれまで大型であったハードディスクの小型化を目指し,5インチハードディスクのメーカーとしてShugartTechnologyを立ち上げます。

 ただし,この会社名にShugartAssociatesからクレームが付いてしまい,SeagateTechnoligyに改称します。そして1980年,最初の製品であるST-506のヒットで5インチハードディスクとその制御インターフェースは不動のものとなり,SeagateTechnoligy自身も圧倒的な存在感を示すようになります。

 1985年には創業者の一人Finis Connerが退社,翌1986年にはConnerPeripheralsを立ち上げます。ConnerPeripheralsは5インチよりもさらに小さい3.5インチのハードディスクの開発を行っていた技術者たちの会社と合併し誕生したのですが,1990年代には多くのPCに搭載されていました。しかし1996年に血を分けた兄弟とも言えるSeagateTechnologyに買収され,消滅します。

 SeagateTechnologyは1989年にCDCのハードディスク部門を買収,ハイエンドコンピュータメーカーが持つ高度な特許を手に入れてさらに高性能な製品開発にも成功します。そして2006年にはMaxtorの買収を経て,現在に至っています。

 そのMaxtorはIBMの元従業員によって1982年に創業,1990年には破産したMiniScribe(1980年創業)の資産を買い取り,PC用のハードディスクに参入します。当初市場の評判も今ひとつだったのですが次第に評価を高め,2000年にはQuantumのハードディスク部門を買収します。

 そう,Quantumも有名なメーカーでしたね。1980年に創業したストレージ機器のメーカーで,1990年代には生産を松下グループの松下寿が行っており,品質は折り紙付きでした。1994年にDECのストレージ部門を買収しますが,注力する分野をテープドライブに定めたQuantumは,2000年にハードディスク部門をMaxtorに売却します。Quantumはもちろん今でも存在していますが,完全に裏方に回ってしまった感じです。

 最後の主役はWesternDigitalです。1970年に半導体メーカーとして創業します。日本の8bitパソコンによく使われたフロッピーディスクコントローラである富士通のMB8877はWesternDigitalのWD1791に源流がありますし,WD33C93などのSCSIコントローラLSIは1990年代によく使われたのでご記憶の方も多いでしょう。

 半導体メーカーとしてフロッピーディスクドライブやハードディスクの制御に関する製品を長く手がけていたWesternDigitalは,1988年にTandonのハードディスク製造工場を買い取り,ハードディスク市場に参入します。1990年のCaviarシリーズが大ヒットし,大きな成功を収めると,鈍化していた半導体部門を他社に売却し,ハードディスク専業メーカーとして再出発を図ります。

 その後浮き沈みがありつつも技術開発能力の高さと信頼性で支持され,現在の3大メーカーの一角を担っています。

 そんなわけで,ハードディスクが特殊なコンピュータの構成要素から今や家電品に組み込まれるほどの市民権を得た現在,業界の再編が起こるのも無理はないなと,そんな風に思いました。

 今後,コンピュータから身近な民生品にその利用範囲が広がったハードディスクは,その作られ方や売られ方,価値などどんな風にかわっていくのでしょうか。とても高価で底なしの記憶力を誇る夢の装置に憧れた私としても,注目せざるを得ません。

K10Dにバッテリーグリップ

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 さて,先日中野のフジヤカメラに出かけたことを書きましたが,ここではSuperA以外にもう1つ中古品を買っています。

 K10D用のバッテリーグリップD-BG2です。価格は11500円でした。

 バッテリー(もしくは縦位置)グリップは最近の中級機種には用意されることが増えた定番のオプションですが,これほど好き嫌いのはっきり出るものも珍しいのではないでしょうか。

 私も大昔は否定的でしたが,D2Hを使うようになりカメラを自然に縦位置に構えられることの良さ(つまり縦位置と横位置を同じ感覚で使え区別しないで済むということ)を味わって以来,この種のグリップには極めて肯定的です。ただ,単純に縦に構えやすくなるだけに数万円の出費はどうかなあと,疑問を感じてはいます。

 K10Dのバッテリーグリップは定価で2万円を越え,販売価格でも17000円ほどするのが普通です。

 見た目の格好の良さや,横位置でもホールド感が増す(特に大型のレンズを取り付けたとき)ということに2万円出せるかと言えば,そもそも大きく重たくなるというデメリットもあるわけですから,大半の人が反対派になるのは当たり前でしょう。

 私の場合は否が応でも縦位置グリップが付いてくるカメラを持っていて,その魅力を知っていたため,出来ればK10Dでも欲しいと思っていましたが,それでも申し訳ないけど出せる値段は1万円以下です。

 そんな風に思っていたら,中古のガラスケースに2つのD-BG2がありました。1つは10500円,もう1つは11500円,どちらも付属品は一切無しです。

 両方見せてもらいましたが,10500円の方はかなりラフに使われていたようで,外観も汚いです。11500円はほぼ新品に近く,1000円の差ならこちらだと高い方を選んできました。

 早速取り付けて見ましたが,やっぱり扱いやすくなりますね。レンズを軸に左手で支え,右手でくるくると縦横を自由に変えられる自由さは,縦でも横でも脇が空かず同じ姿勢でホールドできる安定感も手伝って,買って良かったと思わせるものがあります。

 それと電池の交換についても,いい感じです。バッテリーグリップがない場合は本体のグリップ部に電池を入れるのですが,これが結構取り外しが面倒臭いのです。バッテリーグリップなら横からぱぱっと取り外せます。K10Dは本体とバッテリーグリップの2箇所にそれぞれ電池を入れて使えるのですが,私の場合そこまで電池を酷使する人ではありませんし,そもそも電池を1つしか持っていないので,バッテリーグリップにしか入れていません。

 ちゃんと使い込むには,やはり縦位置で手の添え方や姿勢が変わらない方がいいわけで,縦位置が扱いにくいと自然に縦構図を避けるようになります。デジタル一眼のCMOSセンサは(フォーサーズを除いて)案外横に長いですから,縦位置にしてみるとはっとするようなものがファインダーに入ってくることがあり,楽しいものです。

 ちょっと高価ではありますが,もしそのデジタルカメラに縦位置グリップが装着できるなら,ちょっと使ってみてはどうでしょうかと,私は思います。
 

ワインダーMEIIを手に入れる

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 さて,一昨日行きつけの中古カメラ店に出かけてSuperAの説明書とグリップを探してきました。

 まず説明書は見つかりました。500円。うむー,やや高い。それでもあっただけ良かったという感じでしょうか。

 次にグリップ。グリップだけ出てくることはほとんどないでしょうから,SuperAなりProgramAの故障品を探すことにします。しかし残念ながら故障品はありませんでした。ついでにガラスケースに入ったSuperAを探してみると・・・なんと12000円以上の価格が付いています。この店だけなのかも知れませんが,なにやらPENTAXのカメラが軒並み高いです。MZ-10が5000円オーバー?何かの間違いでは・・・

 がっかりしながら別のコーナーをみると,なんとワインダーMEIIが6000円です。

 この時代のワインダー(もしくはモータードライブ)は電池を8本も使って大きく重たいものが多いのですが,ワインダーMEIIは電池4本で,小さいものです。しっかりした大きなグリップも付いており,ホールド感も良いという話です。

 しかし,本体よりも高いワインダーを付ける必要があるのか・・・

 私の葛藤は,このワインダーも次に見かけることはないかもしれないという脅迫感と,ワインダーを付ければグリップはいらないよなという合理的かつご都合主義な判断により決断,先の説明書と一緒に6500円を払ってお店を後にしました。

 はっきり言って,このワインダーMEII,かなり汚いですし,あまり良い程度ではないようです。6000円は高いかもしれないなあと思いました。

 そこで,基本動作の確認後,可能な限りの掃除とオーバーホールです。

 外観は大きな傷やへこみはありませんが,やはり握るものゆえかなり汚い状態です。いつものようにアルコールで何度も拭き触ってもべたつかない程度にまで磨きます。

 下ケースを外し,出てきたギア類に注油します。昭和56年製造年のスタンプが押してありましたので,28年も前のものだったのですね。

 私は模型用の油,それも鉄道模型で使う油を重用しています。緩い油はKATOのユニクリーンオイル,グリスはエンドウのセラミックグリスを使っていますが,いずれも樹脂製のギアを前提とした油ですので,こうした用途にも安心して使えます。

 注油を行うとウソのように音が静かになり,なめらかに動いていることが分かります。これはいい感じです。

 組み立て直し,文字にスミ入れを行います。基本はタミヤのエナメル塗料を使ってスミ入れし,後でエナメルシンナーではみ出たところを拭き取ります。

 こうしてようやく常用できるクオリティになったワインダーMEIIですが,どうも気になるのはレリーズボタンの横にある「AUTO/125X」の切り替えスイッチです。それぞれの動作の違いをMEsuperとSuperAで調べますが,はっきりいってわかりません。

 スイッチ部を分解してみましたが,なにやら接点があるだけです。接点の酸化による導通不良かもしれないと調べて見ましたが,そういうわけでもなさそうです。

 ググってみると,SperAではずっとAUTOでよい,MEsuperではカメラ本体を125Xにしたときワインダーも125Xにしなさい,とあります。そうしないと誤動作するとあるのですが,なにが問題になっているのかはわかりません。試して見ますが,特に問題となっている様子はなく,別にどっちでもいいかなあと思わせます。

 説明書は手に入れていませんので正しい答えが分からないのですが,幸いなことにPENTAXの海外のホームページでは過去のオプションの相当数のマニュアル(ただし日本語版ではありません)がPDFで公開されています。

 早速ダウンロードし目を通しますと,SuperAでは電気式シャッターになったのでずっとAUTOでよいが,MEsuperやMEではメカシャッターをつかう125Xの時,このスイッチを125Xにしておかないとダメだとあります。露出が狂うんだそうです。

 どれどれ,と試して見ますが,案外に腑に落ちない結果になりました。

 まず,AUTOにすると,ワインダーのレリーズボタンの半押しが有効になり測光が行われます。125Xにすると半押しは無効となり全押しで測光と同時にシャッターが落ちます。実際,MEsuperのAUTOモードで,ワインダーを125Xにすると,正しい露出が行われず,シャッターが落ちてしまうことがありました。

 逆に,MEsuperを125XにしてワインダーをAUTOにしますが,これははっきりいって何の問題も見あたりません。メカシャッターで動くモードの時に露出計のスイッチが入ってしまうことが内部的に問題があり,その解決に手動スイッチで対応したということなのかも知れませんが,少なくとも動作に支障があるようには思えませんでした。

 ま,とりあえずAUTOにしておけばよいでしょう。あまり気にしないことにします。

 で,素直に使ってみた感想ですが,全体に小さくまとまっており,小柄なMEsuperやSuperAによく似合っていると思います。

 ただ,あまり一体感はないようです。持った感じもあなり良くなく,どこを握っても持ちにくいです。残念ですがSuperAの付属グリップの代わりになるものではないです。

 シャッターを切ってみますが,想像以上にうるさいです。モーターの音が下品でうるさく,あまり聞いていたいと思えません。これを静かな場所で使ったら相当ひんしゅくを買うことでしょう。

 しかし,もっと深刻なことは,モーターが回る方向にぶれるんです。このワインダーはグリップ部にモーターが入っていますが,かなり慣性の大きなモーターで,動くときにぐぐっと回ろうとする力がかかっているのが分かります。

 もちろん,シャッターが落ちるときにはモーターは回っていませんので実際にぶれてしまうことはないのでしょうが,それでもこの回ろうとする力を押さえ込むのに腕に力が自然に入り,これがぶれに繋がるように思います。

 ということで,案外期待はずれに終わったワインダーMEIIですが,以前NikonFE用にMD-12を買ったときにも書きましたが,男の子はなにせモータードライブとかワインダーとか,そういう無駄な装置が大好きなものです。とりわけ1980年代のカメラのおかしな暴走ぶりにその当時ワクワクした世代としては,こうした化石化したオプションも捨てがたい魅力があるものです。

 とりあえずこのワインダーでフィルムを1本通して見て,問題がないかどうかだけは確認しておこうと思います。

SuperAを手に入れました(ついでにFA35mmも)

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 昨年末,高校時代の友人と年始に会う約束をしていました。彼は中央線沿線に住んでいるのですが,根っからの気を遣うタイプの人で,ありがたいことに私の住むところとの中間点で会うことを提案してくれたのでした。

 ただし,私は中野のフジヤカメラには年に一度ほど行くことがあります。その時思ったのですが,中野という街は非常に賑やかで,言い換えるととても猥雑な印象を持ちました。しかし,渋谷や新宿といった単に人が多いだけの街とは違い,どうも慣れている人が多そうな感じです。地元の人がきちんと集まる賑やかな街というのは,ある種の統一感がその街の個性を醸し出していて,よそ者の私はワクワクするのです。

 食べることも飲むことも困らない街だと分かっていたので,私は友人に中野にしようか,有名なカメラ屋もあるし,と話をしたところ,「それでいこう」と決着しました。彼のことですから,よそ者を出迎えるホストとして,いろいろ考えてくれることでしょう。

 果たして彼のもてなしは非常に面白く,待ち合わせ場所は中野ブロードウェイ,すぐに非常にうまいラーメンで腹ごなし,そして囲炉裏と炭火で見るからに立派な魚を焼き上げるお店で少々の贅沢をし,最後にショットバーでバーボンを飲む,と言う流れでした。ありがたいことに彼の主導で店をぱぱっと決めることが出来,寒い中をウロウロすることを避けられただけでも十分だったのですが,どこもおいしく,良い雰囲気で話も弾み,大変に満足して帰路に就いたことは,年末のワタミ事件以来ある種の不信感を拭えずにいた私を,大変勇気づけてもくれたのでした。

 さて,待ち合わせの時刻が夕方5時でしたから,4時前にフジヤカメラに向かったのですが,この時の戦利品があまりに楽しいものであったので,ここに書きます。まずPENTAX SuperAです。

 見ての通り,ヨーロピアンカメラオブザイヤー受賞記念モデルです。お値段はジャンク扱いの割に5250円と,このカメラにしては高価です。

 どうしたことだか,私は最近PENTAXにどっぷりです。三つ子の魂百までってやつでしょうか,Nikonでマジョリティの仲間入りを果たした私は,気が付くとPENTAXのレンズやボディ,オプション類を新品・中古を問わずに買うことが多くなっていました。

 あくまでサブ扱いだったはずのPENTAXは,いつしかNikonよりも出番が多く,いつも防湿庫の外に置かれています。カメラにとって,どちらの状態がよいことなのかと考えてしまうのですが,それくらい自分との波長の一致が実感できるようになってきたのです。

 昨年のK10Dも素晴らしいのですが,やはりちゃんとした銀塩を買わないとな,と思っていたのですが,LXという別格のカメラを除き(なぜ除くかと言えばLXは素人では修理出来ないからです),ほとんどが程度の悪いカメラばかりだからです。

 MZ系はシャッターや巻き上げ機構に耐久性を期待できず,いつ壊れるかわかりません。MZ-3やMZ-Sは分かりませんが,これらは今でもそこそこ高価です。

 SFXやSF7も同様ですね。それにPENTAXらしさがないと個人的に思うので好きにはなれません。

 MEやMX,SuperAなどはとてもPENTAXらしいのですが中級機であったことが災いし,相当ラフな使い方がなされていることに加え,そもそも古い機種なので程度の良いものを見つけることは絶望的です。とにかく欲しいと手に入れたMEsuperはほとんど全バラシに近いところまで行い,ようやくコマ間隔や高速シャッターのバラツキを根絶できたのでした。部品の摩滅も大きく,オイルの入れ替えくらいでは鈍重なシャッター音は復活してくれませんでした。

 そのMEsuperは,小さすぎてホールドがしにくく,シャッターもメカとの併用ゆえストロークが大きく,またミラーショックも大きいため手ぶれを連発,どうも使いこなせないというフラストレーションと,シャッター音の悪さに,36枚を撮りきるのが難儀なカメラでした。

 1980年代を過ごした私がNikonF3をカッコイイ!と思うのと同じように,やはりPENTAXもLX,SuperA,ProgramAには訴えて来るものがあります。中でも機能的にバランスが取れ,実用レベルも極めて高いSuperAをいつか買いたいなと思っていて,機会があると探してみたりもするのですが,そもそも程度の良い個体が少なく,ちょっと買う気にならないものばかりです。

 ところが,フジヤカメラのジャンクの棚に鎮座していたSuperAは,とても綺麗でした。5250円という高価なプライスが邪魔をして,誰の注目も浴びていないそのSuperAは,ロゴが金色になっていました。記念モデルですね。

 SuperAに記念モデルがあったことは知っていますが,もともと中級機ですからコレクターズアイテムにはなりません。ただ,酷使されずに大事に扱われていたことはおそらく本当で,実際この個体もなかなか程度がよいようです。

 手にとって見てみると,電池が入っているのでシャッターが切れます。ただし,液晶表示に「ooo」と出ることがあり,ちょっと不気味です。ただ,スローシャッターも問題なく切れますし,音も非常に良いです。

 これはいけるかも,とはやる気持ちを押さえながら外観を見てみますと,ペンタカバーの角の塗装が剥げています。グリップも外されていますね。しかし目立った傷はほとんどなく,へこみもありません。裏ブタを開けてみますが,フィルムを通した擦り傷もありませんし,もちろんシャッターにもおかしな傷はありません。

 ただ,モルトが全滅で,もうネバネバになっています。しかし気になったのはそれくらいで,マウントの傷もありませんし,巻き上げも実にスムーズです。致命傷と言われるLCDの滲みや表示コントラストの低下などもなく,これは程度はかなりよいです。

 ジャンクなのにちょっと高いなあと思いつつ,これだけ程度のいい個体であれば万が一修理や調整が必要でも仕上がりが全然違うでしょうし,そもそも修理する手間すらかからないかも知れません。こんなSuperAはもう二度とお目にかかれないかもしれないと思うと,そのまま置いていく気にもなれず,結局買うことにしました。

 家に帰ってまずモルトの張り替えをやりました。交換が終わるとシャッターのテストですが,例の「ooo」表示は電池切れのサインだったようで,電池を交換すると問題なく動作しました。

 マニュアルモードにし,オシロスコープでざっとシャッター速度の確認をします。1/15秒から1/2000まで,全速問題なしです。1/8秒以下についてはオシロを使わず確かめますが,問題はないようです。

 露出も狂っていませんし,巻き上げも問題なし。およそカメラとして問題はなさそうです。いやはや,うれしいものです。

 アイピース,ミラーを清掃し,さらにファインダースクリーンを外してゴミを飛ばします。早速数日前に購入したFA35mmF2ALを取り付けて見ますが,ファインダーの明るさと見やすさに感動です。この頃,マニュアルカメラ全盛だったんですね。

 オートでのシャッターテストも軽く行いましたが問題はなさそうで,そのまま塗装の剥げをラッカーでタッチアップし,ロゴなどにゴールドのエナメルラッカーを流し込み,外観も仕上げて完成させます。

 翌日,仕上がったSuperAにフィルムを入れて試し撮りをします。使うレンズはFA35mmF2AL,FA77mmF1.8です。

 まず,SuperAからシャッターが完全に電気式になりました。おかげでシャッターストロークが浅く,非常に押しやすいです。小さな指の動きで確実にシャッターが落ちるので,手ぶれもしっかり防止できそうです。

 1980年代のカメラが好きな理由は,このストロークの浅さにあります。メカ併用のシャッター,あるいは完全メカ式のシャッターは,どうしてもストロークが深めで,よほど安定したホールド感のあるカメラでないと,違和感があります。

 そして,程度が良かったせいもあるのでしょうが,シャッター音がよいです。もう1枚,もう1枚とどんどんシャッターを切りたくなってきます。そして続けて,なめらかな巻き上げの感覚を味わいます。

 ・・・そうこうしているうちに,36枚撮りを2本,あっという間に使ってしまいました。

 現像してみて,露出のバラツキやフォーカスのズレ,あるいはコマ間隔のバラツキがなければ完璧でしょう。

 ということで,このSuperAは,記念モデルという高貴な生まれからとても素性の良い状態でジャンク扱いになっていました。私の手元に来たのもなにかの縁でしょう。ここ最近,PENTAXの銀塩時代のレンズを買い,どれもその写りに感動している状態ですので,これを銀塩で堪能するカメラとして,大事にしようと誓ったのでした。

 と,そうするとやっぱグリップがいるよなあ・・・説明書もあったらうれしいなあ。

 そして私は,行きつけの中古カメラ店に出かけたのでした。続きは明日。

250号記念:2008年を振り返って

 2008年は,まさにどん底の1年でした。思い出されるのは暗いニュースばかりで,しかもそれぞれ自分には理解できないこと,あるいは自分ではどうにもならないことがほとんどでした。

 個人的にもなかなか安定せず,その割にはあっという間に時間ばかりが過ぎ去ることに,今更ながら驚いていたような,くだらない1年だったと思います。

 残念な事に,下馬評では2009年は2008年よりも悪くなるとのことで,夢も希望もない,とはこのことではないかと,100年に一度の歴史的な時代をリアルタイムで体験していることにどう向き合えば良いのか,本当に考え込んでしまいます。

 確かに夢も希望もありませんが,2008年の私は,幸いなことに大きな病気もせず,身内に不幸があったわけでもなく,他の人から見れば平々凡々とした毎日だったと,いえなくもありません。てことで昨年を振り返ってみたいと思います。


・買ったもの

 昨年もオーディオ機器の入れ替えがありました。私は言うほどのマニアではありませんから,大衆向きの量産品を使って満足できる人です。

 SACDプレイヤーはそれまでのソニーのものがいよいよ壊れたので,パイオニアのPD-D9を買いました。WolfsonのフラッグシップDACが搭載されたプレイヤーを試して見たかったということで選びましたが,個人的には大変気に入っています。SACDもそうですが,CDの音も気に入っており,自作のDAコンバータは結局ほとんど使う事がなくなってしまいました。

 大きな買い物では,MacBookProを買ったことですね。iBookG4は生活マシンとしては問題なしだったのですが,やはり大きなLCDが欲しいことと,そろそろIntelに移行したいということで,ちょうど新製品が出るという噂が流れて値段が下がった時に買いました。大きな買い物でしたが,こだわったのは6MBの2次キャッシュ。これは後で買い足すことが出来ませんからね。

 おかげさまで今は快適な毎日を送っているわけですが,つい先日,バッテリを抜いて使っていたため半分の処理速度しかでていないという事実が判明し,気のせいかiBookG4とそれほど変わらん,という感触の理由が判明したことは,ここにも書いたことでした。

 今年はカメラ関係の出費が減りました。買ったものと言えばK10DとFA77mmF1.8,それとSB-400くらいでしょうか。残念な事にK10Dにはファインダースクリーンの留め金付近にひっかき傷がありましたし,FA77mmのレンズキャプには10mm以上の傷がありました。こういう形でケチが付いてしまうのは嫌なものですが,FA77mmのレンズキャップについては販売店の方にとても良くして頂きました。年末,K10Dで200枚ほど撮影したのですが,D2Hユーザーのご多分に漏れず「画質は画素数に関係ない」と強がっていた私も,素直に高画素数が持つ情報量の多さを認めざるを得ませんでした。

 そういえば,PS3も買いました。あくまでBDプレイヤーとして買ったので,本当にゲームで楽しんだことがありません。ただ,そのBDプレイヤーが想像以上で,先日「善き人のソナタ」を見たのですが,ここまでの画質をもって初めて表現できる世界があるということを思い知りました。

 BDがこれだけすごいと,もうDVDはダメです。なにもメリットがありません。

 昨年末の話として,圧力鍋も面白い体験でした。それまでの認識では,圧力鍋=上級者の省エネツール,だったのですが,使ってみると必ずしもそういうわけではなく,圧力鍋を使わないと出来ない料理があるというのが正しいように思います。また,同じ料理でも圧力鍋を使う場合と普通の鍋を使う場合では,別の食べ物になるというのが私の考えです。

 圧力鍋を使うと省エネになるという話も必ずしも正解ではないようで,圧力が上がるまでの時間が10分ほどかかる訳ですから,その後の圧力維持時間と合計すると,その時間で普通に煮えるような料理は使う意味が全くないわけですね。

 例えば白米ですが,普通の鍋では5分ほどで沸騰,そこから15分弱火,蒸らし15分なのですが,これが圧力鍋を使っても沸騰までが5分でも圧力が上がるまで5分,そこから4分圧力維持で合計約14分の加熱(それも中火)が必要で,火を止めてから10分の自然冷却に入りますから,調理時間もそんなに短縮されません。これではメリットがないですよね。

 そうそう,ポット型の浄水器も買いました。それほど「うまい」水になるわけではないですが,これで作った氷は確かにおいしいと思います。先日実家の母が欲しがったので,買ってあげました。

 ところで,鉄道模型についてです。この日誌を読んでいる方からいまいちな反応しか返ってこないので積極的に書くことは差し控えさせて頂いていたのですが,ワールド工芸のEF50キット,グリーンマックスの東急1000系などここに書いたものをはじめとし,ED73-1000,EF65-500,12系客車,戦前の「つばめ」のセット,209-0,DE10,20系客車など,一時期の勢いはなくとも,ずっと以前から欲しかったものを中心に買っています。もちろんすべての動力車がDCC対応になっていますが,昨年はDZ125という,BEMFに対応したさらに小型の普及品のデコーダがリリースされました。私も使ってみましたが,これはいいです。ただ若干入手が難しいのが難点ですね。


・手放したもの

 ここには書きませんでしたが,ちっとも使う事がなくなったMIDI音源モジュールを実家に送りました。VintageKeysPlusとMatrix-1000の2つです。本当はD4も送り返そうかと思ったのですが,荷物が多くなりすぎたので,次の機会にしました。

 両方ともお気に入りで,他に代わるものがありませんから,捨てるという気は全くありませんけども,だからといって使わないものを手元に置いておくことも無駄で,それで可能なうちは実家においておくことにしました。

 その実家においてあるものも,本当に意味のないものは捨てることにしました。MacintoshSE/30も捨てましたし,私が最初に買ったCDプレイヤーのDP-990SGも捨てました。とても大事にしていたカセットデッキのA-450も捨てました。

 実際,捨てて1年経つわけですが,全然困っていません。その意味では正解なのですが,やはり寂しい気持ちになるものです。

 iBookG4も手放しました。使い古したマシンを中古で売るなど滅多にしない私ですが,どういうわけかiBookG4はそこそこ高値がついており,売ることにしました。付属品も揃っていますし,外に持ち出さなかったので傷も破損もなく,満額で買い取って頂きました。元気にしてるかなあ。

 あと,壊れてしまったソニーのHi8デッキ,EV-S2200も捨てました。壊れているんだから当たり前です。それと,スカパーも解約しました。解約してから一度も「惜しいことをした」と思ったことがありませんので,本当に意味のないものだったのでしょう。

 そして,これは私がというより,多くのファンがという方が正しいのですが,コダクロームが我々の元を去っていきました。私など,まだまだこれからコダクロームを学ばねばならないはずなのに,その機会が失われたこと,過去のものになってしまったことは,今も残念でなりません。


・はまったもの

 一昨年の暮れから取り憑かれたようにはまっていたポケコンの修理は,昨年も地味にやっていました。PC-1246のメモリ増設,X-07やPC-2001のエネループ対応(昇圧回路の内蔵),PC-E500のメモリ増設に日本語化,壊れていたPC-E500の修理というところです。

 この,昇圧回路に関してはそれまで私自身が興味を持たなかった分野だったので,偶然HT7750Aという便利なICに出会ったことは非常にラッキーでした。実は後日談があり,X-07の電池が案外早く切れてしまうのです。スタンバイ時の消費電流が大きいようで,その大半は昇圧回路が原因だろうと思っています。

 あと,LCDが黒くなったポケコンを防湿庫に入れてあるのですが,なんとセイコーのMC-2200の液晶が少し復活しています。といっても全然使い物にならないのですが,このまま数年間防湿庫に入れおけば,いつか復活するのではないかと,淡い期待をしています。まあ,無理でしょうねぇ。

 カメラの修理はかなり下火になりましたが,昨年頭のES2の大修理は今思い出しても大変でした。しかし,おかげさまで昨年末に動作確認をしたところ,問題なしだったようなので,うまく根本的に修理と調整が出来たようです。

 そして,SPのシャッター幕の交換ですね。これ,みんな簡単そうにやっているんですが,私は結構大変でした。あんな狭いところ,まっすぐ決まった長さで接着するなんて,神業です。

 スピーカーのエッジ交換も大変でした。あれもうまくいかなかった部類でしょう。そう考えると,2008年のDIYは件数も少なく,成績も悪かったと言わざるを得ません。


・電子工作の世界

 CQ出版からはエレキジャック,電波新聞社から電子工作マガジンが出るに至り,ここ最近耳にする電子工作の復権が,少しずつ見える形になってきたようです。

 大変残念なことに,どちらの雑誌もお手本にはならず,さりとて資料的価値も薄い,いわゆる工作の雑誌とはずれている感覚が拭えません。

 これに初歩のラジオが復活するともう完璧なのですが,当の誠文堂新光社は何ヶ月に一度か,ちょっとした工作の本を出してくれています。中には大昔の初歩のラジオからの抜粋や,無線と実験の別冊の復刊などがあり,見事なオッサンホイホイであるわけですが,それでも初心者向けの内容はなかなか良くできています。わかりやすく,間違いも少なく,お手本にも資料にもなってくれるものがいくつかありました。

 子供が買うには少々値段が高いので,図書館や学校の図書室向けなのかも,知れません。

 電子工作とはちょっとずれますが,私は2008年の春ごろから「子供の科学」を毎月買うようになりました。実に25年ぶりです。扱っている内容は決して簡単なものではないのですが,これを実にわかりやすく取り上げていますし,一冊あたりのボリュームもちょうど良く,毎月楽しみにしています。


・健康面

 至って健康に過ごせた2008年でしたが,右目に常にゴミのようなものが映っているのと,胃を長期にわたって,しかも2度も悪くしたことにはまいりました。

 目の方は重大な問題ではないということで,悪化するようならまた来なさいと言われたわけですが,うまい具合に悪化していません。本を読んでいると邪魔になり,今でもやっぱり慣れないのですが,これはもう付き合っていくしかないでしょうね。

 胃を悪くした件は本当に困りました。ずっと気分が悪く,おなかが空きません。吐き気で目が覚めることもしばしばです。油のものは受け付けず,辛い状態が3ヶ月ほども続きます。

 昨年は1月頃と6月頃の2回,間を2ヶ月ほど挟んでそれぞれ3ヶ月以上苦しみました。2度目にはあきらめてお医者さんに行ったのですが,結局原因がよく分からず,無駄な様子見の時間が長く続きました。薬でも全然改善がないため,生まれて初めて胃カメラを受けた結果,まったくもって綺麗な胃であると言われてしまいました。

 漢方薬「六君子湯」を処方されてからは10日ほどで気分の悪いのが改善し,その後はすっかり良くなりました。年末に久々に会った友人から「漢方薬は気分のものだ」と言われて若干むかついたのですが,仮に気分のもんでも,本人が良くなっているのが事実なら,それはなによりの薬です。

 今にして思うのは,胃を悪くしてから一度に食べられる量が大きく減っていることから,年齢にあわせて少しずつ胃が小さくなっていく一方で食べる量は同じですから,どこかで胃がその許容量を超える時があるわけで,まさにその時に胃が悲鳴をあげるのではないかということです。

 なんの根拠もありませんし,そんな話も聞いたことがありませんが,お医者さんは「胃の動きが悪くなっているのが原因」といいますし,六君子湯はまさにそれに効く薬です。でも,胃の調子が戻ったからといって元通り食べられるかと言えばそんなことはありませんし,すぐに満腹になるところから,現実的に胃が小さくなっていることは間違いないと思っています。

 だから,食べ過ぎをしないようにすることが,最も効き目のある対策だと思います。

 人間ドックなるものも昨年は受けてきましたが,非の打ち所のない健康体で,これだけ健康だと気分がいいとお医者さんにも絶賛された私ですが,相変わらずコレステロールは健康値を下回っている(上回っているんではありません,下回っているんです)ので,疲れやすいのはそのせいだろうかと,思ったりしています。

 そうそう,視力が良くなっているようです。視力というのは,眼球の光学性能と脳の画像処理および認識能力の総合性能ですから,光学性能が悪くなっても脳を鍛えればカバー可能というのが私の密かな結論なのですが,それだけでは説明が付かないくらい,目が良くなっているようです。


・数字遊び

 2008という数字がなぜか綺麗だなあと思った理由を少し考えてみました。これ,2と8が偶数で,この2つの数字を足しても引いてもかけても割っても,答えは全部偶数になるんですね。

 2010年はどうかと考えると,割ると奇数が出てきますので却下。ようやく2012年になってようやくすべてが偶数になる年がやってきます。


・今年の展望

 私は専門家ではないので自分の周りの狭い世界における希望的観測に過ぎませんが,原油に流れていたお金が円に流れている事が今の円高の原因の1つだと思うので,円はそんなに簡単に下がらないと思います。

 輸出に頼る日本にとって円高基調が続くことは景気の回復が遅れるということでもありますから,今年も当面,景気が悪いままではないかと思います。

 度々続いた配置転換も否応無しでしょうし,もしかすると雇用調整に引っかかるかも知れません。この世の中,何があっても不思議ではなく,いちいち驚いていたら体が持ちません。自分だけはなんとかなるだろうとか,まさかそこまでの事は起きないだろうとか,そういう考えは捨てた方がいいと私は思っています。

 お金をごろごろ転がして儲ける手段が破綻したとはいえ,急にそれら「事業」がなくなる訳はありません。相変わらず先進国の年寄りの年金は投機マネーの源泉です。

 考えてみて欲しいのですが,パナソニックが三洋電機を買収すると決まった時,自分達の持っている株を安い値段で買いたたかれたゴールドマンサックスは,なかば「敗北」したとまで言われたわけですが,それでも2300億円もの大金を手にするわけです。

 ゴールドマンサックスの商売とはなんだったか・・・つまり彼らの2300億円は,新しい行き場所を目指し,その時を今か今かとうずうずしているのです。

 そんなこんなで,昨年ピンチに陥った老舗のツクモが,今日になってヤマダ電機に身売りすることになりました。ものはいいようで,ツクモは「事業再生のスポンサー」といいますし,ヤマダ電機は「ヤマダ電機の事業強化」といっています。微妙な温度差は,お金による力関係というより,どちらに主導権があるかを示している(もしくは錯覚している)という感じですね。

 実は,当時の経営陣の副業失敗のあおり食らってPC-DEPOに買収された,かのOAシステムプラザも,いつの間にやらPC-DEPOから株を買い戻して,資本関係を断ち切っています。(代わりに別の怪しい投資グループからお金がでていますが)

 ヤマダ電機がツクモを同化しなければ「スポンサー」でしょうが,生き馬の目を抜くヤマダ電機がそんなことで済ませるはずがないので,残念ながらここでツクモは終わったと見るべきでしょうね。寂しいことですが,こういう再編は今年もたくさん起こると思います。

 金融工学の破綻,資本主義の行き詰まりなどと,従来型の仕組みの限界を指摘する声が高かった昨年ですが,実は製造業についても従来型の製品はすでに進歩の限界を迎えています。

 自動車は内燃機関を用いた場合,もう進歩するところはほとんどなくなっています。半導体はすでに微細化の経済的限界を迎えていて,物理的(理論的)限界も目前です。

 明らかな限界とは言いませんが,映画や音楽の世界も従来の延長で,結果どれも似たようなものばかりになっています。ゲームも同じですね。
 
 BDの次に来る次世代高密度光ディスクの基礎開発はすでに完了していると言われていますが,そこに詰め込む「コンテンツ」が従来のままだと,記憶容量が大きすぎて使い道が見つからないんだそうです。
 
 携帯電話はまだまだ進歩するように見えますが,高速なデータ通信が可能になると言う,いわば輸送量の話ばかりで,なにをそこにのせるのか,についてはほとんど議論されていません。10年前,いや,5年前がどうだったかを思い出してみてください。

 ちょっと考えただけでも,これだけの閉塞感があります。夢も希望もない,楽しみな未来が見えてこない,そんな気がします。

 これまでとは非連続なものが,全く新しい価値観と共に突如現れるときではないでしょうか。その時,従来型の産業はあっという間に廃れ,人々の生活はがらっと変わるのではないかと思います。そういう大きな大きな転換点を,ここしばらくの間に体験することになるのではないかと,私は覚悟しています。この行き詰まり感はその予兆に過ぎないと思っています。

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