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薬師寺展をみる

 先日の土曜日,上野の国立博物館で行われている「薬師寺展」を見てきました。

 前代未聞の,日光菩薩立像と月光菩薩立像の背中を見ることが出来るというのが最大の触れ込みですが,普段見られないからただ珍しいという話なのではなく,そのお姿が写実的で素晴らしいという,このことに尽きます。

 薬師寺に限らず,仏像の背後に回って背中を見る,などというのは普通は考えにくいことですし,私などそんな罰当たりなことは恐れ多いのですが,背中までが「ありがたい」と考えれば,少しは許されるかも知れません。

 土曜日は昼過ぎは良いお天気で,我々が到着した時刻では入場制限を行っていました。10分ほど待ったでしょうか,その間日傘を貸し出すサービスなどがあったりして,興味深いなと思いながら列んでいると,割とあっさりと入場できました。

 しかし予想通り,館内は随分と混んでいます。音声ガイドがいかんですね,あれを使われると,じっとその場にとどまってしまう人が出てきてしまいます。あと,平成館というところは,ハイビジョンテレビがあちこちにあって,ここで必ずといっていいほど人の足が止まります。私は博物館にテレビという生活臭漂う庶民のアイテムが大きな顔をしているのが興ざめな人でして,文字や図表にくらべて動画のわかりやすさと,ハイビジョンによる情報量の多さがどれほど見学に有効であったとしても,ちょっと見学者に親切すぎるんじゃないのかなあと,そんな風に思ったりしました。外国の方の見学者もいるので,ハイテク日本をアピールする趣向が見え見えなのもちょっと鼻につきます。

 なんだかんだで,日光菩薩立像と月光菩薩立像にたどり着きます。仏像の周りに群がる人,人,人。

 押すな押すなの盛況にも関わらず,当たり前ではありますが皆マナーもよく,そして面白いことに一箇所にとどまらず360度動き回る人が多いので,真そばでじっくりと見ることは,案外簡単でした。

 銅で出来ている大きな仏像ですが,途中に継ぎ目などはなく,一気に鋳造されたものなのだそうですが,近寄って見ても,遠くから見ても,この角度で見るといいとか,ここから見るとちょっとダメだとか,そういうのがなく,つまりどこから見ても,どうやってみても,それぞれにため息の出る美しさなのです。

 2つの仏像の表情は,日光菩薩側から見たときと,月光菩薩側から見たときで,微妙に表情が違うのです。足下から(そう,随分近くに寄ることが出来るのです)見上げる時も,少し高いところから見下ろす時も,やはり見え方が違います。

 見所の1つ,背中の柔らかな質感ですが,当時の美的感覚に忠実と思われるふくよかで柔らかな曲線は無駄も破綻もなく,まるで女性の背中のような暖かさを見る者に与えます。これが銅で作られているのかと思うほどです。

 背中を見られることを前提に作ったとしか思えないのですが,しかしこれが人の目に触れることなど,長い歴史の中でおそらく初めてのこと。思うに,見えない部分でも手を抜かない,それが日本人の「仕事」なんでしょう。

 一通り歩いて約1時間30分。見終わって感じた事は,とにかく仏像の圧倒的な存在感です。他に出ていた展示物にも確かに珍しい物がありましたが,数としては全部で20数点と多くなく,私のような人間にはちょうど良い規模だったと思います。

 1つ感じた事があります。

 以前,ある美術館で仏像を「美術品」として鑑賞したことがありましたが,最初じーっと食い入るように眺めた人々は,思わず両手を合わせ,その場を後にしていました。

 この「思わず」が重要だと思うのですが,今回は大勢の人がいたにも関わらず,誰一人手を合わせる人はいませんでした。私は恥ずかしさから,ばれないように小さく手を合わせるにとどまりました。

 お寺で見る仏像には,問答無用の威圧感があり,これが宗教としての仏教に畏敬の念を抱かせる動機として機能することを狙っているのですが,お寺という独特の施設,入りだったり匂いだったり音だったり,つまり五感に飛び込む情報が仏像をより深く見せているのでしょう。

 とはいえ,思わず仏像に手を合わせる気持ちはいつしか一人歩きし,仏像がお寺になくても,そこから出る「何か」に思わず手を合わせることは,ごく自然な事だと思います。

 もちろん,美術品としての仏像をいちいち拝む必要はないのかも知れません。しかし,日本の仏像は,物理的な大きさや表情の猛々しさだけではなく,その美しさで人々を魅了してきたことは事実でしょう。作り手の意図を想像すると,美術品としての完成度の高さこそ,我々が手を合わせるためのエネルギーであるべきではないかと,素人の私は考え至るのでした。
 
 もう1つ,韓国語や中国語を話す方々が見学に多く訪れてらしたようです。韓国にも中国にもお寺があり,仏像があります。西から届いた仏教が東に伝来する過程で,中国と朝鮮,そして日本の3地域は,互いに影響しあい,そこから新しい物を醸造してきました。日本は最東端ゆえ,日本から出て行ったものは少ないかも知れませんが,元はインドで生まれた教えが,これほどたおやかな仏像に昇華した事実と,そこから日本という文化圏に興味を持ってくれればいいなあと,そんな風に思いました。

 いろいろな感じ方があるとは思いますが,私は今回の「薬師寺展」で,日本はアジア,特に東アジアの一員であることを,改めて誇りに感じました。

 

小さい会社が巨大企業に飲み込まれる時

 ここ数日で報道された技術的なニュースについて,少し感じた事を書こうと思います。

(1)パイオニアのプラズマディスプレイ事業を松下電器に統合

 パイオニアのプラズマディスプレイは,その技術力に突出した物があり,内外で高い評価を得ています。私も実物を見てみましたが,KUROの素晴らしさには,プラズマディスプレイのポテンシャルの高さを感じずにはいられません。

 私は現在主流の液晶テレビにはさっぱり魅力を感じず,特に欲しいとも思っていないのですが,大画面テレビを買うときになったら,できればプラズマディスプレイを買いたいなあと思っていました。

 松下電器の一人勝ちを見ていると,松下電器のテレビ屋としての意地を感じるのですが,技術的にというより,そのスタンス的に,パイオニアとは全く違う考え方をしていると思います。

 松下電器くらいになると,プラズマディスプレイでもそこそこの数が見込め,数を売ることで利益を出すことが現実的に可能です。でもパイオニアにはそこまでの数を見込めません。それでパイオニアはプレミアム戦略で,数は出なくとも単価を上げる作戦で乗り切ろうとしたのですが,これは素人の私でも間違いだと気が付きます。

 所詮,大画面のディスプレイ事業というのは,設備産業なのです。

 となると,やはりお金を持っていて,数を売ることの出来る会社しか継続できません。技術力の高さと製品の性能だけで生き残れるようなものでは残念ながらないということです。

 しかし,松下電器も,おそらくパイオニアには一目置いていたはずです。例えば予備発光をなくすといった,その技術力は,松下電器もライバルとしては物足りなくとも,盟友としての尊敬はあったはずです。

 しかし,そのパイオニアは,技術力とは裏腹に,それを事業に結びつけるだけの体力を持っていません。すでに決着の着いているライバルが退場するのですから,松下電器の勝利で終わっていいはずなのに,パイオニアの技術者の転籍を基本的に全員受け入れ,パイオニアの作った技術を自社に融合させるとまでいうのですから,勝者としては破格の対応であると思います。

 それだけ,パイオニアは価値があった,もっといい言い方をするとパイオニアの作った技術が優れていたのだ,ということなんだろうと思います。つまり,松下電器の技術陣が,技術者として公平だったということでもあるのでしょう。

 とはいえ,松下電器が火の車で,転籍を受け入れるだけのゆとりがないとそういう話にもなりません。ここが重要なのですが,松下電器は昨年から大量の中途採用を行っています。数百人単位,しかも長期的な採用を行っているのですが,その大部分は技術者,中でもディスプレイ事業にはかなりのてこ入れがあるようです。

 優秀な人材を確保するために,企業はお金と時間と手間を信じられないほど投入します。松下電器も例外ではなく,それだけのリソースを投入して,果たして本当に優秀な技術者なのか,優秀であっても即戦力としてディスプレイ事業に貢献してもらえるか,さっぱりわからないわけですね。

 実績のある技術者を採用できたとしても,前の会社の技術を手土産に持ってきてくれることはありません。それは契約違反ですし,マナーとしても許されません。

 ところがです,高い技術力で知られたパイオニアから,まとまった数の現役エンジニアが,その技術を手土産に転籍してくるのです。ディスプレイ事業に貢献すること間違いなしの技術者が一度に揃うなんて,千載一遇のチャンスでもあるわけです。これはおいしすぎます。

 さらに大事なことは,パイオニアのプラズマディスプレイが,理論や特許だけではなく,実際の製品,しかも量産品として市場に導入されていることです。そのエンジニアは量産品を作っています。松下電器は量産品で食べている会社ですから,量産できる技術と人でないと,値打ちがないのです。

 ということで,結論から言うと,パイオニアの技術は間違いなく生きると思います。彼らの技術は尊敬を受けていますし,その技術を生み育てた人もそのまま残ります。松下が持つ大量生産を行う技術,製造能力と組み合わせれば,まず間違いなく進化したプラズマディスプレイが世に出てくるでしょう。

 松下電器での扱いにもよりますが,パイオニアからの転籍者のモチベーションもそれほど下がらないでしょう。むしろ,プラズマディスプレイ陣営の大同団結と考える前向きな技術者もでてくるのではないかと,私などは感じます。

 また,パネルの性能以外にも,松下電器は基礎研究能力,半導体の開発能力で世界の先端にいます。パネルの高いポテンシャルを生かし切る駆動技術,そしてテレビ屋としての画造りのノウハウが結集し,これまでにない高画質を見せてくれるはずです。

 松下電器が勝者として奢らず,パイオニアが敗者として卑屈にならず,偉い人はともかくせめて技術者は技術に公平であり続け,お互いの仕事を尊敬し合って,よりよい物を作るという最終目的に向かって突き進んで欲しいと,私は願ってやみません。


(2)アップルが買収した会社

 先日,アップルが決算を発表しましたが,例によって絶好調だったようです。いちいち数字は書きませんが,絶好調であることはもはや当たり前で,以前のような大騒ぎもないようです。

 私も決算についてはそんなに興味もないのですが,問題は同時に出た話で,P.A. Semiという半導体会社を買収したという事実です。

 P.A. Semiという会社,私は直接話をしたことはないのですが,あるルートで一度紹介を受けたことがありますし,個人的にも興味のある会社でしたので,それが今頃,しかもアップルに買収されるという形でお目にかかるとは考えてもみませんでした。

 このP.A. Semiという会社,さすがに普段は偉そうなアナリスト達もノーマークだったようで,過小評価も過大評価も様々です。そういう少ない情報からアップルの買収劇を邪推する話もあちこちで出ていて,ちょっとうんざり気味です。

 P.A. Semiは,低消費電力マイクロプロセッサの開発を目的に設立されたファブレスの半導体会社です。ISSCCでも論文を発表するなど,技術的には定評のあるベンチャーです。

 DECはその昔,世界最速のマイクロプロセッサであるAlphaをVAX11の先にある21世紀の理想郷として開発,その割り切ったデザインに起因するソフトウェア開発上の制約と引き替えに手に入れた爆速クロックで,尖ったユーザーからの支持を受けていました。

 Aplhaは結局終焉,その遺伝子は多くの設計者が移籍したAMDでK7やK8に受け継がれるのですが,DECはAlphaとは別に,低消費電力プロセッサでも強烈な製品を作っていました。

 それがStrongARMです。ARMはイギリスのプロセッサメーカーで,低消費電力で動作する組み込みプロセッサとして世界を席巻しています。自身は製造を行わず,その代わりどこで作っても同じ性能が出るように設計を行っていることで,世界中の会社がARMのライセンスを購入して,作りまくっています。

 ARMにとってその設計データは最重要資産です。製造に必要な形で提供されるデータはいわばソースリストではないため,中身についてはさっぱりわかりません。

 ただ,ARMは,世界で数社だけ,その中身を公開しています。

 ARMが技術力を認め,内部を改編することを許している,本当に特別な会社,その1つが当時のDECだったのです。

 改編した内容はARMにもフィードバックされ,次の世代のARMプロセッサにも反映されます。もちろん,多額のライセンス料も必要でしょうが,お金だけではどうにもならないものでもあります。

 DECは,当時のARMプロセッサを改良し,組み込みプロセッサとしてはにわかに信じがたい高クロックと,考えられないような低い消費電力を両立させて,これをStrongARMと名付けました。

 ARM7から改良されたStrongARMの成果は,後のARM9にも取り入れられることになります。

 しかし,DECは解体され,StrongARMのチームはライセンスごとインテルの手に渡ります。当時,インテルはStrongARMそのものより,欲しくても手に入らなかったARMのライセンスを手にれるのが目的だったと言われるほど,この当時いろいろな憶測を生みました。後にStrongARMはXScaleと呼ばれ,それなりの進化を遂げますが,破竹の勢いで急成長するBroadcomに売却,組み込みプロセッサから撤退するのかと騒がれた直後にXScaleと競合する組み込み用x86プロセッサであるATOMを発表するという流れに,妙な納得をした記憶があります。

 いずれにせよ,インテルが買収を行う段階で,自由闊達な文化を謳歌していたDECのエンジニアの多くは,インテルへの移籍を断り,AMDに行くか,別の会社を立ち上げることになります。

 その1つに,AlchemySemiconductorという会社がありました。StrongARMの設計者が結集したこの半導体会社は,ARMの高額なライセンスフィーに納得出来ず,MIPSで低消費電力の組み込みプロセッサを作り上げることにしました。

 出来上がったAu1500などの組み込みプロセッサは,評判通りの低消費電力と処理能力を両立させ,個人的には当時ARMをしのぐ性能だったと記憶しています。

 Alchemyは結局AMDに買収されてしまいますが,同じようにStrongARMを手がけたエンジニアが興した会社が,P.A. Semiなのです。

 創業者でCEOのDan DobberpuhlさんはStrongARMの設計者です。StrongARMはその設計ツールもDEC社内で作られたもので,それゆえ極限の性能をたたき出していたのですが,P.A. Semiは市販のツールで,強力で低消費電力のプロセッサを作ることにしているそうです。

 そして彼らが選んだプロセッサアーキテクチャが,POWERです。IBMがPOWERをオープンにしたこと,その性能が高いことが決め手になったということなのですが,やはりPOWERの持つプロセッサとしての素性の良さがあったのではないかと思います。

 完成したプロセッサの性能は,PowerPC970互換で,クロック2GHzのデュアルコア,周辺チップを取り込みつつ消費電力は13Wと,これを使えばPowerBookG5(しかもDualコア!)があっという間に完成してしまうんではないかと思われるようなものになっています。うーん,これは欲しいかも。

 こんな会社だから,アップルが買収したというニュースが流れると,それはちょっとした憶測合戦になるのです。インテルを裏切るのか,iPhoneに採用されるだろう,UMPCに参戦するではないか,などなど・・・

 でも,アップルは彼らのプロセッサ,つまり製品に魅力があるわけではないと思います。自前でプロセッサを作ることのメリットはないですし,まして外販まで考えたプロセッサメーカーになろうというのもばかげた話です。

 では結局何が欲しかったのかというと,やはり彼らの高い技術力です。間違いなく世界を代表するプロセッサアーキテクトがいる会社です。半導体の設計能力も最先端。こういう人材を半導体会社でないセットメーカーがまとめて手に入れるのは,やはりなかなか難しいものですが,彼らのような人たちが生み出す「カスタムLSI」を作って製品の差別化を図ることは,セットメーカーとしては非常に重要な戦略です。

 アップルはこれまで,こなれた部品を上手に使って,差別化はソフトウェア,とりわけ優れたユーザーインターフェースで行って他を圧倒してきたわけですね。カスタムLSIというハードウェアで差別化を図って優位に立ってきたのがソニーや松下などの日本のメーカーであり,特にポータブル音楽プレイヤーではソニーが熱心に取り組んできたものです。

 結果はご承知の通り,ハードウェアの負けでした。大事なことは,ハードウェアかソフトウェアか,という択一の選択の結果,ハードウェアが敗北したということです。どちらも可能なリソースがあるなら,最強であることに代わりはありません。

 アップルが,世界屈指の半導体スペシャリストを囲い込んだ事実は,アップルにソフトウェア,ユーザーインターフェースに次ぐ第3の差別化技術をもたらすこととなり,私の目には彼らの戦略転換のメッセージに聞こえるのです。

 現実的に,ポータブル音楽プレイヤーの伸びが鈍化しています。この結果NANDフラッシュの需要も減るだろうという予測が出ているくらいで,アップルもiPodでいつまで食べていけるか,不安になっていてもおかしくはないです。

 iPhoneで食べていけるのか,それとも別の物を仕込んでいるのか・・・これから仕込むのかも知れませんが,いずれにせよアップルが次の一手を打ってくることは,間違いないと思います。それも,他社の真似できないような「独自ハードウェア」をひっさげて・・・

 

日本のおいしい水製造マシン

  • 2008/04/11 19:40
  • カテゴリー:散財

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 浄水器を買いました。

 水道の蛇口に取り付ける浄水器を使い始めて5年ほど経過し,すでに当たり前の存在となった浄水器ですが,最近発売になった松下電器のTK-PA10というくみ置き式の浄水器が急に気になったからです。

 なんでも,臭みや有害物質の除去に加えて,カルシウムを適量溶解させ,水の硬度を日本の「おいしい水」と同程度にするんだそうです。

 確かに硬度が適当なミネラルウォーターはおいしいものです。これから冷やした水がおいしくなる季節,毎年冷蔵庫に冷水を確保するポットを買おうかどうしようかと,悩んでいたのが,TK-PA10を買えば一気に解決です。

 値段や高いとも安いとも言える微妙な値段です。2リットル用のTK-PA20とも迷いましたが,私の冷蔵庫は小さいので明らかに入りません。それに,浄水器を通った水は言うまでもなく傷みやすく,その点でも小さい容量をこまめに作って置いておく方が安全です。

 とことで,価格差が数百円にもかかわらず,わざわざ小さい方のTK-PA10を買いました。

 大手量販店で購入し,喜んで組み立ててみると,1リットルそこそこのはずなのに,えらいでかいです。それもそのはず,濾過するのに10分ちょっとかかるわけで,濾過前の水と濾過後の水にそれぞれ1リットルの容積がないとダメですわね。

 ということで,1リットルの水を確保するポットが,2倍の2リットルの大きさを持つ計算となり,その効率の悪さにしょんぼりしました。

 ただ,入れ物はさすがにきちんと作られています。この手の商品で中国製以外を購入するのはもはや至難の業である昨今,透明感があり,手に持った感じもしっかりとしたポットが手に入ったことは,意外にうれしいことです。

 それに,Nationalというロゴがまたいい。これ,そのうちPanasonicに変わることになるわけで,もしかしたらこれが,私の最後のNational製品になるかも知れない,と思いました。

 さて,味です。

 私は硬度の高い水が好きなので,口に含んだ瞬間「あれ,こんなもんなのか」と思いました。ただ,蛇口に付けた浄水器の水と比べてみればその差は明かで,圧倒的にTK-PA10の水がおいしいです。ごくごくのんでいると,あっという間に空っぽになります。

 ちょっと気を遣わないといけないのが,水の寿命です。常温で24時間,冷やしても48時間が限度ということです。それまでに飲みきらないと,水が傷んでしまいます。フィルタも交換しなくていけなくなるので,一気に面倒なことになります。この水はいつ入れたんだっけ,と忘れてしまうような人には,ちょっと向いていないかも知れません。

 もう1つ,水分を含み,閉じた空間が常に1リットル存在するこのポット,あまり放置するとカビが生えるかも知れません。

 せっかくのおいしい水ですから衛生面で疑問が出ると,気分的にも台無しです。松下としてはこの種のくみ置き式の浄水器はこれが初めての製品らしく,そうしたノウハウがどれくらいあるのかも未知数です。

 ということで,実売約4000円というこの商品,これがもう500円高いと考えてしまったかも知れませんが,ペットボトルのミネラルウォーターを買うよりは全然安いと思うので,冷やしたおいしい水に不自由したくないと思う方は,投資に見合うだけのものがあると思います。

PD-D9を買いました

  • 2008/03/28 13:49
  • カテゴリー:散財

 最近SACDのソフトが今ひとつ増えない中で,プレーヤは国内メーカーから買いやすいものがいくつか出てきて,注目度もやや上がっているようです。(一方でPS3がSACDを再生できなくなっているのが対照的ですが)

 2002年にSCD-XB9を格安で手に入れて,SACDの面白さを知った私は,同じタイトルならSACDを選ぶようになったわけですが,残念なことにSCD-XB9の調子が昨年から今ひとつで,サーボがかからなくなっています。

 光ディスクドライブの寿命は,このサーボがかからない,にあると思ってまして,根本原因が部品の劣化かから来る物が多いことを考えても,もう買い換えが必要かなと思っていました。

 とはいえ,SONYの安価な奴は買いたくないし,かといってmarantzの高級品を買うのも抵抗があるし出,評判のいい,お手頃な製品が出てくることを待ちわびていました。

 そこへ出てきたのがPioneerのPD-D6/PD-D9,YAMAHAのCD-S2000です。

 特にPD-D6は低価格な割に評判が良く,コストパフォーマンスが高いことで知られているわけですが,これと部品を共通にしたPD-D9に私の興味はあり,価格的にはちょっと開きがあるCD-S2000と迷っていました。

 CD-S2000は今時珍しいサイドウッドもついている,非常にクラシカルなデザインで私好み。一通りの操作が本体でできることも好都合ですし,光ディスクドライブで一時代を築いたYAMAHAの製品ですので,きっと所有欲も満たされることでしょう。

 一方のPD-D9は奇抜なデザイン。CD-S2000にあるバランス出力もなく,外側はあくまで「普通のCDプレイヤー」を装っています。リモコンがないと使えないことや,非常に見にくいLCDディスプレイにはかなり抵抗がありますが,138000円の商品とは思えないような作り手のこだわりや情熱を感じました。

 1つに,DAコンバータにWM8741を採用したこと。Wolfsonはイギリスのファブレスメーカーですが,その音質には定評があり,今はTIの一部門となったBurrBrownと双璧をなす,オーディオ用DAコンバータメーカーの雄です。

 そのWolfsonが,次の世代を担うフラッグシップとして作り上げたのがWM8741です。設計者自ら「DAコンバータのF1」と称するこのWM8741を,なぜあえてPioneerは使おうと考えたのか。下位機種のPD-D6にはBurrBrownのものが使われているのに,PD-D9に使った理由はなんなのか。

 次にサンプルレートコンバータを搭載したこと。DAコンバータに送り込まれるデータが時間軸上で揺らいでいると,それは波形の崩れを引き起こし,歪みとして我々に届きます。この揺らぎをジッタといいますが,対策する方法の1つに,サンプルレートコンバータを使うというのがあります。

 本来サンプルレートコンバータは,文字通りサンプリング周波数を変換するものなのですが,入力と出力の間のクロックが非同期であることを利用し,入力にジッタを含むデータを,出力側のクロックに精度を高めることで,出力データのジッタを減らすことが出来るという仕組みです。

 こうした意図でサンプルレートコンバータを導入する高級DAコンバータも世の中にあり,ジッタを減らすことの大きな成果を上げていますが,このクラスの国産機で,積極的にサンプルレートコンバータを利用しようというのは,なかなか興味深いです。

 実は,私も自作DAコンバータのジッタ対策に,非同期型のデータバッファを作ろうと基礎検討を始めたことがあるのですが,その時は結局断念でしてしまいました。

 WM8741とサンプルレートコンバータの搭載,そして定評ある光学ドライブメーカーとして知られるPioneerが内製するメカデッキと,この値段にしては随分と志が高いように思われました。

 20kHz以上を擬似的に作るレガートリンクPROは極めて懐疑的ですが,もし当たれば結構なことです。11kgという重量級の筐体,隅々まで意識されたパーツと回路構成,air studioのエンジニアも参加したチューニングと,目指す方向に向けて何をなすべきか,月並みなものではありますが,きちんとこなしていることにも,共感しました。

 そう考えて,多少の不便さには目をつぶり,PD-D9を購入しました。

 まず最初に結論ですが,これは買って良かったと思います。

 非常に上品で粒の細かい音がしますが,音像はぼやけず,しっかりと定位します。特に男性ボーカルが秀逸です。派手ではありませんが決して丸い音ではなく,小さな音を粗末にしていないところが私好みです。


 また,定位感も良いようで,多少左右に動いたくらいでは音像に影響が出てきません。それとSACDもCDも同じ傾向にあることも結構ありがたい話で,ハイブリッドのディスクをSACDとCDとで聞き比べて,その傾向や方向性が共通することは安心感もあります。

 ドライブメカの安定感は評判通りです。実際の所どうだかわかりませんが,剛性の高さ,動作音,トレイの飛び出し方や引っ込み方,動作時の振動など,確実にディスクをトレースしているという安心感が感じられます。

 レガートリンクPROは,これは全然ダメだと思いました。シャープさがなくなり,音像がぼやけます。それだけならいいのですが,せっかくの定位感まで犠牲にして,特に小さい音の消え方が曖昧になり,まるで曇ったガラス越しに見ているようなもどかしさがあります。これは常時OFFに決定です。

 自作のDAコンバータとの比較ですが,自作のDAコンバータは解像度重視です。高音域でやや歪みっぽい印象がありますが,小さな音を再現する力は負けずとも劣らずですし,誇張もせずすべての音を全部出そうとする傾向があります。モニター向けという感じですかね。

 一方のPD-D9ですが,これはまろやかです。自作のDAコンバータに比べておとなしく,きめの細やかな印象がありますが,小さな粒々が見えるほどの解像感はありません。ただ,一歩下がって全体のバランスを俯瞰し,心地よさはどちらが上かと聞かれれば,これはPD-D9に軍配が上がるように思います。

 最初,PD-D9はSACD専用かな,と思っていたのですが,購入して2週間近く経過し,現在はすっかりCDもPD-D9のオーディオ出力で楽しむようになりました。

 まだはっきりしないのですが,自作DAコンバータの鋭角な感じを,300Bシングルのアンプがいい具合に劣化させて,それで聞きやすくなっていたのかも知れません。PD-D9で5998プッシュプルや,MOS-FETのアンプをならしてみると,どれも結構しっかりなってくれるんですね。むしろ,5998プッシュプルのエネルギー感が圧倒的で,自作DAコンバータでは聴いてられなかったこれらのアンプが,ここまで変わってくるとはちょっと意外でしたし,正直に言うと素直に認めたくないことでした。

 最近,大量生産で同じ品質のものを安価に提供するシステムで,オーディオ製品を作ったり,またそれらを買って評価したりすることに,ちょっと疑問を感じるようになってきました。木製の手作り家具のように,1つ1つ違っていていいんじゃないか,年月と共に馴染んでいくのもいいんじゃないか,そんな風に思うようになってきました。

 CDのようなディジタルオーディオは,大量生産と均質化に適した方式なんですが,そのおかげで我々は非常に高水準の音を安価に,また手軽に手に入れることが出来るようになりました。

 それは大変結構なことで,そういう道は今後も突き詰めていく必要はあると思います。しかし,一方で単純な価格の高い低いとは別の価値を議論できる「手作りオーディオ」がもっと一般的になっていかなければならんのではないかと,そんな風に思いました。

 今回,PD-D9のような優れた機器を10万円を切る価格で買えたことは,もちろん大量生産と均質化のたまものであるわけで,その点では先の話とは矛盾するのですが,やはり同じ事を小さいメーカーがやったら価格は30万円とかになってしまったはずで,そこはやっぱりPioneerが作るから,この値段に出来るんでしょう。

 とはいえ,PD-D9だって100万台も200万台も売るような商品ではないでしょうから,その台数に見合うような手のかけ方をしてくれているはずです。台数と価格と手のかけ方のバランスを取ることは,実はPioneerやYAMAHAのような,量産も出来るオーディオメーカーだから持ちうるノウハウが生きているんだと思います。(ついでに言うと,エンジニアの良心が生きているメーカーであることも大事だと思います。)

 そう考えると,こんな商品が今後またいつ出てくるかわかりませんし,少なくともSACDでは今が最初で最後の旬ではないかと,改めてそう感じます。とにかく,買って良かったと思う製品でした。

工作の時代

 「子供の科学」という雑誌,誠文堂新光社という長い歴史を持つ出版社が,戦前から高い志をもって作り続けてきた子供向けの科学雑誌です。残念なことに,最近は本屋さんでも見かけることが少なくなってきたように思います。

 1923年といいますからなんと大正12年の創刊,今年で実に85年もの間,子供達への科学への好奇心を満たし続けてきました。戦争中も,時局ゆえ戦争に偏った内容ではありましたが出版されていたようですし,科学に夢のあった戦後間もなくから高度経済成長期は言うに及ばず,1990年代のバブル崩壊後の科学雑誌廃刊の流れにも耐え,現在も昔と変わらぬテイストで列んでいます。

 考えてみると,「子供の科学」を読んで育った方の中には,すでになくなってくる方も少なくないはずで,その積み重ねられた時間の途方もなさに,ため息をついてしまいそうになります。

 個人的に思うのは,子供の頃に「子供の科学」に出会えたのか,それとも出会えなかったのか,そこが1つの分岐点であるように思います。それは今も昔も,きっと変わらないでしょう。

 私の場合,幸いなことに,小学生の時に出会うことが出来ました。大阪の交通科学館に行ったときのこと,公開されている図書室で偶然「子供の科学」を見たのです。普段本屋で見かけない科学雑誌でしたし,まるで手に取ることを拒むような地味な表紙に,なかば図書館専用の雑誌なんだろう,と思った(しかしそれはまったく的外れではないことも事実です)のですが,一緒にいた母親は,これが普通の本屋でも売っていること,非常に良い内容を持つ科学雑誌であることを私に話してくれました。

 私が驚いたのは,本格的な電子工作のページがあったことでした。電子ブロックがすべてだった私の電子工作の知識は,バラバラの部品を部品専門店で集め,ハンダ付けして組み立てるという新しい世界との接触によって,あっという間に旧世代のものとなったのです。

 母親は,私が「子供の科学」に触れたことに実に好意的で,その後毎月私の手元には「子供の科学」が届くようになりました。私も読み終えてから,あと1ヶ月も待たされるのかという,待ち遠しい気持ちでいっぱいになったことを覚えています。

 「子供の科学」は,総合的な自然科学の啓蒙書です。地学,生物学,化学,医学,物理学,電子工学とありとあらゆる分野を網羅しています。すべての漢字にはふりがながふってあり,読みやすい文章とわかりやすい図や写真で,子供の知識欲に応えます。

 工作のページは「子供の科学」の伝統ですが,子供がやってしまいがちな「そこらへんのものを適当に使って適当に作る」ということを極力排除し,「きちんとした道具を使ってきちんと作る」ということに,この雑誌で初めて触れた方も多いのではないかと思います。

 「子供の科学」は,それ自身が分岐点として機能します。科学としてくくられる,実に多くの分野を一度に(しかもどれも本格的に)見る事ができ,子供達はその中から自分の好きな物,得意なもの,面白そうなものを見つけて,その分野に自ら伸びようとするのです。その点で,「子供の科学」が扱う分野に偏りがあってはいけません。

 私の場合,電子工作に舵を切りましたから,その後「初歩のラジオ」を読むようになり,あげく現在の職業にたどり着くことになったわけですが,あらゆる可能性を内在したあの時に,他の分野に踏み出していたらどうなっていただろうか,とそんな風に思うことがあります。

 「子供の科学」はあくまで子供の雑誌であり,いずれ読者は離れ,そして次の読者がやってくることを短期間に繰り返します。同じ人が長く買い続ける雑誌とは違い,読んでいる時間は短くとも,世代を越えて読まれてきた雑誌です。それ故,「子供の科学」に郷愁のような物を覚える人は幅広い年齢層に存在していて,みな一様に自らの分岐点を遠い目をしながら振り返るのです。

 なんでこんな話をするかといえば,ちょうど東京・銀座のINAXギャラリーで,「工作の時代展」というのが開催されていて,先日の土曜日友人と一緒に見てきたからです。副題が「子供の科学で大人になった」とあるように,これまでに「子供の科学」に掲載された工作記事を今作り直し,創意工夫で工作を楽しめたあの時代を振り返ろう,というものです。

 「子供の科学」という雑誌の功績を直接的に賛美するものではなく,「子供の科学」にあった工作のページに限定し,しかもそれを今わざわざ作ってみせて,出来上がったものを展示するというちょっとつかみ所のない催し物ですが,これは間接的に,「子供の科学」という雑誌の役割をおさらいするものであると思います。

 その工作の緻密で工夫に満ちていること。本格的な材料を駆使した物から,身の回りにあるものを利用したものまで,工作と言う言葉が示す範囲の広さを感じます。

 展示されている品目は少ない上に,対象を少なくとも40歳代以上としているため,若い人には今ひとつ楽しめないと思います。さすがの私も,直接知っているものにお目にかかることは出来ませんでした。

 ただ,うれしいと思ったのは,工作というものが,科学の根本の1つであると感じた事です。科学には,観察することも考察することも,実験することも大事です。そして実験には工作が少なからず必要です。実験が出来るように作られた実験セットを使って,出るべくして出る結果に満足することも否定はしませんが,前人未踏の新しい発見には新しい実験が必須であるように,創意と工夫で工作することこそ,科学の醍醐味なんだと思います。

 「子供の科学」は,実は大人が読んでも十分に面白い雑誌としても知られています。子供に買うから,といいつつ,親が楽しみにしているという話は昔から聞きますし,まして年々進歩の速度が上がっている科学の分野を,平易な文章で理解できる手段は,実のところそう多くはありません。

 手に入りにくくなっているのが残念で,私も展示会に行く前に予習しておこうと,今月号の「子供の科学」を探してみましたが,今月号は付録がちょっと贅沢だったこともあり,どこも売り切れてしまっていました。

 しかし展示会では予想通り,今月号の「子供の科学」が売られていましたので,気恥ずかしさを押さえて買ってみました。

 実に面白いです。確かに,読み終わるのに時間はかかりません。あれ,こんなに簡単に読み終えてしまうのか,と思うほどあっけないのですが,それも子供が楽に読めるようなボリュームに調整されているのだとしたら,仕方がありません。

 しかし,その内容は実に多彩で面白いです。

 まず特集があります。そしてグラビアのページで昆虫や動物が紹介され,続いて外国の動植物やその土地の人々の暮らしがあり,工作のページがあります。

 読者の傑作写真,発明のページ,科学マンガと催し物情報,読者のページがあって,そして今でも続いている「紙飛行機」。

 基本的な構成としては,少なくとも25年前からなにも変わっていません。残念だったのは,泉弘志先生の電子工作のページがなくなっていること,増永清一先生のメカトロ工作がなくなっていること,でしょうか。それでも二宮康明先生の紙飛行機が今でも続いているのは,感動でした。

 いやー,「子供の科学」を買ってきたら,まずこの飛行機を作るわけですよ。木工用ボンドで作るんですが,乾くのを待てずに庭に出て,弟と飛ばすわけです。紙飛行機と言えば,ノートをちぎって折って作る物と思い込んでいた我々兄弟にとって,ボール紙に木工ボンドで作る競技用機の存在は,まさに新しい世界です。

 調整がきちんと出来ずに何度も落下を続けて壊れてしまったり,たまにうまく飛んでも近所の家の屋根にのってしまったりで,爽快な記憶は全くないのですが,同じ経験と記憶を,今の子供達もするのでしょうか。

 相変わらず「そうなのか!」と思うような興味深い記事がたくさんあり,私も来月から毎月買おうかと本気で思っているほどです。私が知らないだけだったのかも知れませんが,グランドピアノとアップライトピアノで,演奏出来る曲と出来ない曲があるという,楽器として決定的な差があることを,私は今回初めて知りました。

 身の回りにあるものはどんどん豊かになり,創意工夫などしなくても,すでに創意工夫済みの商品があふれかえっています。その便利な世の中に浸りきっている私のような大人にとって,原点を見つめ直す良い機会となりました。そして,いつまでもこの雑誌が,これまでと同じく,科学の真面目な面白さを伝え,やがて彼らに訪れる人生の岐路を照らす道案内になることを,期待してやみません。

 最近の子供達は,というくだりで今日の艦長日誌を締めくくることはしませんし,私には出来ません。今の子供達も,世にあふれる「もの」の中で,しっかり科学と工作への好奇心を持ってくれているようです。ただ,すぐに満たされる物欲のせいで,そうした好奇心に自ら気づきにくくなっているだけだろうと思います。

 子供の科学は,そうした機会の中でも,最も大きな存在であり,かつ貴重な存在である,と思います。

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