エントリー

ユーザー「gshoes」の検索結果は以下のとおりです。

300Bシングルをまた改造

  • 2007/05/01 03:08
  • カテゴリー:make:

 300Bシングルですが,負帰還をかけて決着させた時に,無帰還の音にも随分未練があったのです。

 無帰還で楽しめるアンプは,基本的に真空管アンプ,それも特性の良い直熱形の三極管にほぼ限られてしまいます。だから,せっかく300Bという銘玉でアンプを作ったからには,無帰還でも楽しめないともったいないと思ったわけです。

 幸い,スピーカをCM1にしたことで,無帰還でも結構ならしきれるのではないかという期待もあり(余談ですが4312Mはやっぱり低インピーダンスの半導体アンプで協力にドライブすることが最低条件だったようで,MOS-FETのアンプで低域を持ち上げてならしてやると,なんとなく手がかりがつかめたような感じです。まだまですが・・・),無帰還にも切り替えられるようなスイッチをつけようと考えていました。

 せっかくですから,現在の約3dBに加え,6dBくらいかけられるようにもしておきましょう。そんな風に考えて,以前にスイッチは買ってあったのですが,こないだの土曜日に少し時間が出来て,ようやく改造に取りかかりました。

 改造そのものはとても簡単で,気楽に取りかかったのですが,いざ切り替えてみるとびーーーとやばい発振音が300Bからします。これはかなり強烈に発振しているようなのですが,正帰還になっているわけもなく,あわてて電源をきって確認をしてみました。すると,左側に右の,右側に左の帰還がかかっていて,それで見事に発振してしまっていたのです。いやいや,油断したらだめですね。

 配線を修正して,測定をします。今回は歪率まで計ると面倒臭いので,周波数特性とダンピングファクタだけ確認します。その代わり,ちゃんと左右を測定してその差をみてみます。

 以下,測定は4Ω,1Wです。

           L-ch           R-ch    
無帰還( 0dB) 16.8?18.8kHz:DF=2.30 16.0?19.2kHz:DF=2.22 
帰還小(2.7dB) 12.1?26.0kHz:DF=2.94 12.0?26.6kHz:DF=3.57 
帰還大(5.1dB) 10.0?33.8kHz:DF=5.13 10.1?33.6kHz:DF=5.00

 まず周波数特性ですが,無帰還ではちょっと左右に差がありますが,帰還をかけるに従ってその差が縮まります。無帰還では91Bタイプの個性がそのままでてますね。

 DFは4Ωという負荷の重さのせいもあってか,あまり良い数字とは言えません。それに左右の差が大きく,これは測定誤差も無視できないほど影響しているといえると思います。なにせ0.1Vの読み取り差で0.6くらいの差になってしまいますから。ON-OFF法による測定の問題点でしょうね。

 負帰還大とはいえ,たかだか5.1dBです。それでも随分特性は良くなるもので,周波数特性は十分でしょうし,DFも5を超えていますのでこれも実用範囲でしょう。

 早速音を出してみます。

 まず帰還小から。これはヒアリングで決めた前回までの特性そのままですので,これを基準に考えてみます。無帰還にすると,中域のエネルギーが増し,太くなります。特にボーカルは目の前に現れるかのようなリアリティが出てきますが,その代わり奥行き感がなくなり,解像度も下がります。音にざらつきが出てくるので,繊細さも失われてしまいます。ただ,私個人はこれはお気に入りです。

 帰還量を増やしてみますと,これが全く逆になります。全帯域のエネルギーが均一化し,細くなります。ボーカルは少々奥に引っ込み,周りの楽器に埋もれるような感覚があります。音が消えていく状態が分かるようになり,解像度が上がっているのがわかります。非常に繊細な音がするのですが,ソリッドな印象も同時に受けます。個人的には,ちょっとつまらないですね。

 てなわけで,結局帰還量小で使うことにしました。適度に太さを保ち,適度に特性も改善する,特にダンピングファクタの改善が好都合で,さすがに2.3程度では,低音が若干ポンポンいいます。CM1はそれほどアンプを選ばないと言われますが,小型スピーカですので,やはりダンピングファクタは大きい方がいいはずです。

 積極的な使い分けをするために用意したスイッチではないのですが,演奏している音をすべて聴きたい場合は帰還量を増やし,ボーカルの質感に身を委ねたいときには無帰還にするという使い方も面白いかも知れません。

 これで本当に最後。もう300Bのアンプはいじりません。
 

CM1で手に入れた至高の世界

  • 2007/04/23 15:52
  • カテゴリー:散財

ファイル 123-1.jpg

 ついこないだスタックスのイヤースピーカを買ったばかりなのに,今度はスピーカを買ってしまいました。

 言い訳すると,別に衝動買いをしたわけではありません。300Bのシングルアンプをいじる過程で,どうして音が良くならないのだろうと悩み,ひょっとしたらスピーカが原因ではないかと思ったことがスタートで,これはもういいスピーカを実際に手に入れて試してみるしかないと結論したところで,あるスピーカがとても欲しくなったのです。

 B&WのCM1。イギリスの名門B&Wが満を持して発売した小型のモニタースピーカです。2006年に登場するや国内外の賞を総なめにし,激戦区である2本セットで10万円という価格帯において,その価格を遙かに超える内容に,ライバル達がくずおれたと言われる,ベストセラーです。

 様々なレビューはもとより個人の購入者のインプレッションに至るまで,その感想はまさに絶賛であり,否定的な意見があってもそれはこのスピーカの目指す方向性が個人的な趣味に合わないという話に過ぎません。


 1年ほど前,ふとしたことからB&Wの800を聴く機会がありました。言うまでもなくB&Wのフラッグシップモデルなわけですが,この時私が驚いたのは非常に低レベルなお話で,ボーカルがしっかり真ん中で定位して,まるで目の前で歌っているようだと感じたことでした。

 私はことスピーカに関して言えば,こういう感動を味わったことがないヘタレで,リスニングポイントを変えればボーカルの位置も変わるとか,音程によって聞こえる場所が変わると言った,音質云々を難しい言葉で表現するまでもない,低次元な悩みを抱え続けていたのです。

 自分の世界の狭さにはうんざりするのですが,スピーカなんていうのはこんなものだと,そんな風に割り切っていました。そういう限界の中で,地に響く低音やら天に突き抜ける高音やら,と小難しい評価をしている物だと思っていたわけです。

 しかし,B&Wの800を聴いてから,2本のスピーカでもきちんと空間を展開できると知ります。そして,解像感や周波数帯域の広さなどは,こういう定位感がまず最初にあってから議論される物であることも知るわけです。

 これまで使っていた私のスピーカはJBLの4312Mです。名機4312をそのまま小さくしたレプリカですが,300Bシングルの検討を続けていく中で,その測定結果と実際に出てくる音の間にどうしても埋まらない差が出てきてしまって,ものすごくフラストレーションがたまっていました。

 300Bシングルのスペックは改良前の無帰還の状態でも21Hz~22.3kHz,改良を重ねて負帰還を2.8dBかけた最終の状態では12.3Hz~27kHz,ダンピングファクタは3.6ですから,何度改良をしても,音が出た瞬間にいつも感じる「あ,帯域が狭いな,だめだなこりゃ」という印象は,どうもアンプに起因するものとは思えません。

 しかし,4312Mはそれでも2本セットで6万円ほどもするスピーカで,かのJBLが世界中で販売しているロングセラーでもあります。だから4312M疑うよりも,自作のアンプを疑うのは,今の私のスキルなら無理からぬところです。

 それだけではなく,やはり音程によって聞こえる場所が変わったり,ボーカルの位置が安定しないことも気になっていて,これもアンプの位相特性が悪いせいだと決めてかかっていました。

 しかし,やはり納得がいかない。スピーカをいい物に変えて,どれくらい改善されるのかを確かめたいなあと思っていたのですが,4312Mがどれくらいの位置付けで,ここからステップアップするにはどんなスピーカを選べばいいのか,さっぱりわからないのです。

 ヒントになるのは,かつて感じたB&Wの音でした。

 当時の私は不勉強で,B&Wといえばノーチラス,ノーチラスといえば高い!という今年か頭になく,小型の物は余り目にしないということもあって自分にはもったいない物だと漠然と考えていました。

 ところが,ある時広告で600シリーズという小型のスピーカを見て,急にB&Wを身近に感じ感じるようになったのです。

 そこで早速B&Wのスピーカをいろいろ調べてみましたが,600シリーズはお手頃な価格で小さいのですが,評価は今ひとつ。かといって700シリーズや800シリーズはちょっと高価で手が出ません。予算は2本で12万円くらいまでなのです。

 ところが,CM1という2本セットで10万円程度のスピーカが見つかります。805Sと同時に開発され,その血統を受け継ぐ小型のモニタースピーカとして登場し,そして世界中で絶賛されていることは前述の通りです。

 これなら間違いなかろう。モニターというのはおかしな色づけをせず,素直な音を出すことが使命です。そして805Sの血統を受け継ぐとあれば,その再生能力に俄然期待は高まります。少なくともボーカルの定位感については間違いないでしょう。

 視聴をしようと思いましたが,体調を崩したりしてなかなか機会もなかったのですが,ぐずぐずしていてはいつまで経っても買えないだろうと,意を決してお店に電話をしてみました。

 結果,ごこも在庫切れで,次の入荷は6月初旬とのこと。意を決したのにこれはなかなか厳しい現実です。

 唯一,ヨドバシカメラには在庫があるということで,これを買うことにしました。色はメープルで,欲しかったローズナットやウェンジはなかったのですが,私は色は選ばない人で,その時々に手に入る色を何かの縁だと受け入れて使っています。

 価格は99800円にポイント10%でした。まだまだ安いお店もあったのですが,在庫も持っていませんし,ポイントを考えると十分安いと思います。

 持って帰れないので配送料を払い,届けてもらったのが先日の土曜日。

 せっかくだからと置き場所も真面目に考え,ちょっとした模様替えをしてからセッティングをします。

 ドキドキしながら300Bシングルで音出しです。

 最初の印象は,低音が出すぎなんじゃないのか,でした。どーんとベースが鳴りますし,バスドラムもバスンバスンと出てきます。高音についても耳障りなほど出ており,なんとまあ賑やかなスピーカなことだと思いました。

 でもこれは4312Mと比べて聴いてみて,4312Mの狭帯域に慣らされたせいだと分かります。特別強調されている音ではないので,すぐに馴染んできます。

 そして注目のボーカルの位置ですが,これはもう期待以上。自分が左右に動いてもボーカルの位置は変わりません。座り込めば頭上で歌っている感じがします。ボーカルだけではありません。楽器の位置がきちんと定位し,前後の位置関係もはっきりとします。そうそう,まさにこの感覚が欲しかったのです。

 スピーカの外側からも音がきこえたりするのはちょっと感激で,ステレオ再生の本来の意味は,2つのスピーカで音場を再現することにあったのだと改めて思い出した次第です。

 さて,アンプを変えてみましょう。

 300Bシングルは中音域の太さが印象的で,ボーカルの質感がたっぷりです。その代わり帯域の狭さを感じ,同時に解像度の低さも気になります。

 5998プッシュプルは30分のウォーミングアップの間にどんどん音が変わる面倒なアンプですが,最終的には300Bにはなかった帯域の広さが印象的です。低rpの三極管に割には低音はタイトで,とても元気な音が出ています。

 20年前に作った2SK134/2SJ49のMOS-FETアンプでも試してみましたが,これが実は一番バランスが取れており,好印象でした。ボーカルの真の太さとワイドレンジ,そして解像感を適度に併せ持っていて,おそらくこれが一番普通の音なんだろうなあと感じました。CM1にはやはり半導体アンプの方が相性が合うのかも知れません。

 一緒に隣で聴いていた友人も同じような感想を持っていたようなのですが,これって実は測定結果や回路形式による傾向と一致するのが面白いですね。

 半導体アンプは多量の負帰還をかけ,低歪みを実現し解像度を上げ,しかも帯域はDCから100kHzまでまっすぐに伸びています。一方で300Bシングルは3dB以下という浅い負帰還で特性を欲張らず,中域のエネルギー感が生きる無帰還に近い状態で動作させることで,その太さが実現しているようです。その代わり繊細さはありません。

 5998のプッシュプルは10dB程度の負帰還をかけているアンプですが,裸特性の良さもあってかこのくらいの負帰還でも50kHzを再生できるほど広帯域ですし,とても元気があります。

 私の結論は,やはり300B。低音と高音はそれほど私にとっては大事な物ではなく,どちらかというと中域の質感があるのが好みです。解像度のなさはやや残念ではありますが,そういうのはイヤースピーカで聞けるわけですので,ここは300Bという真空管の個性を楽しむことにしましょう。

 しかし,アンプを変えてその違いがこれほど分かるという事は,4312Mではありませんでした。CM1の懐の大きさは,こういうところでもわかります。

 最後にイヤースピーカでも聴いてみましたが,これはもう別世界ですね。音場感が薄い代わりに,本当に細かい粒まですかっと見える解像感が強烈です。

 そんなわけで,CM1を鳴らしながら,とうとうここまできたか,と感慨深い物を感じていました。決して高価なシステムではありませんが,自分が欲しいと思っていたものが手に入った幸運は,お金では買えない満足感をもたらすものです。

 高さ30cmという小柄なエンクロージャと,わずか13cmの小さなウーファーからはとても想像も出来ない音が出ているCM1は,単純な帯域の広さだけではなく,そのぴしっとくる定位感から練りに練られたスピーカであることをうかがわせます。10万円でこれほどのスピーカが手に入る世の中になったことが信じられない気分です。

 他にもいろいろいいスピーカもあるのだと思いますが,価格以上の価値を持つ優れたスピーカを探し当てるのはなかなか難しい物で,好みの問題はさておいてもこのCM1というスピーカは,まず最初に検討してみる必要のあるスピーカであると,胸を張っていいたいと思います。

 300Bシングルについても,これくらいアンプのカラーを味わえるようになったわけですから,負帰還量を切り替えるスイッチを取り付けてみようと思っています。無帰還,3dB,6dBと3つくらいに切り替えて,そのキャラクタの違いを楽しむのもよいのではないかと楽しみです。

 で,4312Mですが・・・サブのスピーカに格下げとなり,MOS-FETのアンプに繋がっているのですが,音を出した瞬間に感じるあのがっかり感はCM1に慣れた耳にはより厳しく,まるでラジオや電話からきこえる音のようにさえ感じます。ここまで悪いと,他に使い道も思いつきませんし,どういう風に使うべきかと悩むところです。

 

イヤースピーカーで手に入れた至極の世界

  • 2007/04/16 15:38
  • カテゴリー:散財

 スタックスという,小さなオーディオメーカーをご存じですか。

 埼玉県にある小さな会社で,1938年に創業。1990年代に一度倒産しましたが,社員有志が会社を復活させ,現在に至ります。

 その独自技術とは,世界でここだけが作っている,静電駆動型のヘッドフォンです。「イヤースピーカー」と銘打ったこのヘッドフォンは,現在一般的な電磁駆動型のヘッドフォンと違った原理で駆動される特殊なヘッドフォンです。

 駆動原理が特殊なため,ドライバーユニットと呼ばれる専用のアンプがなければ動作させることが出来ません。だからiPodにつないだり,パソコンにつないだりということが簡単にはできません。

 しかし,その音質はまさに別次元。繊細,立体的,音場感,ワイドレンジなどいろいろな言葉が思い浮かびますが,一言で言えば「まるでそこにいるかのよう」というのが最も近い表現でしょうか。

 この「イヤースピーカー」を始めて体験したのは20年前,友人がオーディオマニアである叔父さんのお下がりを持っていて,これを少しだけ使わせてもらったことがあります。この時は,まさに目の前にぱーっと広がる空間に別次元のものを感じたと同時に,音の細さに物足りなさを感じました。

 その後何度か購入を考えたのですが,音楽を聴くためにと言うより音楽を作るために必要としたヘッドフォンに,この「イヤースピーカー」は不向きと考えて,結局買わずに来てしまいました。

 そんな折,友人がMDR-SA3000というソニーの高級ヘッドフォンを購入したのですが,これをちょっと聴かせてもらって,頭の中にぱーっと広がる音場と繊細さに感激して,モニターヘッドフォンにはない心地よさを知ってしまったからもう大変です。

#ちなみに友人のMDR-SA3000は,購入1年と数日で片側から音が出なくなってしまい,まさにソニータイマーの餌食となってしまいました・・・

 モニターヘッドフォンをリスニングで使うことに少々疲れを感じるようになったこともあり,純粋に音楽を楽しもうと真面目に「イヤースピーカー」の購入を検討することにしました。

 どの品種を買うかも大変に悩んだのですが,受注生産の最高級機種は論外としても,あまり安いものを買うのももったいないです。SRS-2050Aというお買い得な戦略モデルと,SRS-3050Aという中核をなす中級機種の2つで悩みました。

 SRS-2050Aでも十分そうで,しかも性能の割には割安感があっただけに最初はこちらを考えていましたが,後で買い直すのは大変ですし,価格差を考えるとSRS-3050Aにしておいた方が,きっと幸せになれそうです。これが規準となり,これに対して上か下かで判断される,そんなリファレンスモデルが手の届くところにあるのであれば,やはり多少無理して買っておく方が後悔しないでしょう。

 機種は決まりました。とはいえ,在庫を持っているお店も少ないですし,価格もなかなか高いですよね。今すぐ必要な物でもないので,何度かくじけてしまったのですが,一念発起。安くて信用できそうなお店を探すことにします。

 見つけたのは,東京・中野にあるオーディオショップです。価格はもちろん送料も安く,代引き手数料も無料で,しかし安さだけで勝負しているわけではないという感じが滲み出ているお店でした。

 きけば在庫もあるということで,すぐに予約。こういうのは勢いが大事です。ぐじぐじ迷っていてもなにもいいことがありません。

 代引きで発送してもらい,翌日の土曜日に届くようにお願いをしました。ああ,あれほど悩んだ買い物が,あっという間に決着してしまいました。

 当日,「イヤースピーカー」は,想像以上に大きな箱に入ってやってきました。

 ドライバーユニットは昔とそれほど大きさも変わらず,デザインの古くささも相変わらず。ですが奇をてらったデザインよりずっとましで,私は好きです。

 ヘッドフォン本体は想像以上にチープな感じです。四角く不格好なイヤーパッドも昔のままなら,そのほとんどがプラスチックで作られている華奢な感じも昔のまま。重量級の音が外観から想像できないあたりも,イヤースピーカーの伝統でしょうか。

 自作プリメインから出ているプリアウトと,300Bシングルの間にドライバーユニットを挟み込み,電源を配線してヘッドフォンと接続します。これで用意は完了です。

 ドキドキしながら,SACDをならしてみます。

 まず,安心をしました。期待以上あったわけではないのですが,期待通りであったことがまずなにより大事なこと。そしてこの20年で随分と音の傾向が変わってきたんだなあと思いました。

 それまでの印象は,解像度はずば抜けて高く,定位感が素晴らしい反面で中音域の張り出し感や低域のパワーの不足した,痩せた音がとても残念というものだったのですが,このSRS-3050Aではそうした不満を全く感じません。高域から低域までとてもフラットで,おかしな味付けも全くありません。どーんと落ちていくような低音,すーっと上っていくような高音,そしてしっかりと目の前にある中音と,それぞれの繋がりの良さは,ヘッドフォンにありがちな窮屈さとは無縁です。

 もちろん,繊細さや定位感,立体的な音場感はかつての記憶通りです。べったりと頭の真ん中に張り付くボーカルが,ちゃんと目の前にぽかっと浮かび上がります。ここ一番で気合いを入れた音が,どんな物にも邪魔をされずにそのままスコーンと出てくるあたり,さすがの一言です。

 そして,それまでのヘッドフォンでは,徐々に盛り上がる楽曲に「このあたりで頭打ちになるなあ」という覚悟を前もってしていたことに気が付きます。覚悟をしながら聴いていて,あまりにストレートにその盛り上がりを処理するこの「イヤースピーカー」にあれっ,という肩すかしを食らって,はっとします。

 もう楽しくて,とっかえひっかえCDを入れ替えて聴いてみます。

 オープン型なので外の音がそのまま聞こえることもモニターヘッドフォンと違うところでやや心配したのですが,立体感のある精緻な音に外の音が自然にブレンドされることで,まるで本当にスピーカーで聴いているかのよう。

 軽くて装着感も快適であるせいもあるのでしょうが,外の音がきこえつつ,頭の真ん中ではなく目の前に広がる空間は,本当にこれがヘッドフォンで再生されているのかと錯覚するほどです。

 そして同じソースをスピーカーでも聴いてみますが,一瞬でがっかりさせられます。スピーカーで聴いているのに,奥行きが感じられず,ボーカルが浮かび上がるような音場感もありません。楽器の場所も曖昧です。

 10万円のヘッドフォンは100万円のスピーカに匹敵する,と誰かが言ったような記憶があるのですが,10倍は言い過ぎだとしても,あながちウソではないでしょう。

 どんどん聴いていきます。

 お気に入りの「Eddie Higgins / Don Wilner Live At The Van Dyke Cafe」を聴いてみます。「ああ,ピアノはそんな位置にあったんだ」と驚きます。そして,左側に妙なノイズがあることに気が付きます。ノイズというより歪みです。

 これはまずい,初期不良かも知れないと慌てて,別のヘッドフォンで聴いてみますと,目立たないのですが,それはやっぱり聞こえます。どうやら何かがビリついているようですが,これまで気が付かない程目立つことのなかったこの音が,「イヤースピーカー」なら耳障りで仕方がないのです。

 そこにある音をすべて,良くも悪くもすべて,そのままに出す。本当に正直な音響機器です。

 観客の話し声も,食器の音も,すべてがそのままにきこえます。つまり,私はこのライブに来ているような感覚を味わっていたことになるわけですね。大したものです。

 SACDとCDの違いもよく分かるようになります。SACDが音の消えていく最後まで音源の位置がぼやけないのに対し,CDはある音量になると,ざざっと音が散らばって平面的になってしまいます。すーっと奥に消えていく感じがSACDには顕著で,もう普通のCDには戻れないなあと感じます。

 定価9万円,実売7万円ちょっとという,ヘッドフォンとしては破格の値段ではありますが,振動板やイヤーパッド,ハウジングに高そうな素材を使って何十万円もするヘッドフォンに比べると,必要にして十分な低価格な素材を使って,本当にお金のかかる部分にお金をかけた9万円のヘッドフォンには,まさに良心を感じます。

 実際,桜の木で作ったハウジングや,バイオセルロースの振動板を使っても,「イヤースピーカー」に限って言えばそれ程の効果もないのではないでしょうか。それほど,この製品は高い完成度を誇っているということでしょう。

 雑誌の評価でも,もう戻れない世界と書かれていました。本当にそうだと思います。そして,この音が私にとって,±0という絶対位置に置かれた事を,本当にうれしく思います。

 その上で,意外に健闘しているなあと思ったのが,モニターヘッドフォンとしてずっと使っている,フォステクスのT-50RPです。

 「プアマンズスタックス」と呼ばれることもあるヘッドフォンですが,15000円ほどという価格の安さとは裏腹に,なかなか良い評価を得ているようです。

 私もこれを始めて使ったとき,繊細さと解像度の高さを感じました。

 「イヤースピーカー」と比較してみると,T-50RPはさすがに低音が良く出ていたり,頭の中にへばりつく感じがして,いかにもダイナミック型だなあと思い知らされるのですが,その傾向はやはりフラットを目指していて,「イヤースピーカー」のそれに近いのです。

 他のヘッドフォンがいわゆる「どんしゃり」になる傾向が少なからずあるのに対し,T-50RPはそのあたりなかなか愚直で,いい音も悪い音もそのままに,という傾向で作られていることを,改めて感じました。

 これで3万円ほどの上位機種や,リスニング用の製品が出たりすると,ひょっとしてかなりすごいことになるんじゃないのかなあと思ったりします。

 音楽を楽しむためには,それ相応の機材がやはり必要であることは事実で,知らずにいればすんだ世界も,知ったが故に我慢できなくなるものです。

 SACDしかり,「イヤースピーカー」しかり。

 贅沢かも知れませんが,それで得られる世界は大変に価値あるものです。比べて分かる違いではなく,長時間使ってなんとなく感じる差,こういうものにお金をかけることは,おそらく無駄なことではないでしょう。

 SACDに「イヤースピーカー」の組み合わせは,現状で手に入る再生環境としては,おそらく上位に位置する物であろうと思います。電源やケーブルに気を遣うことはしていませんし,その生ぬるい心構えがなによりダメと怒られそうですが,私自身はとうとうここまできたんだなあという感慨があったりするのです。

 日曜日,注文していた「カーペンタース」のSACDが届きました。カーペンタースのファンはもちろん,オーディオマニア的にも大変評判になったものです。これについてはまた後日。

VM型カートリッジを買う

 オーディオテクニカが,カートリッジの値上げを発表しましたが,周囲の評判についても私自身の意見についても,値上げ後の価格が妥当だという印象から,それでもカートリッジを続けてくれることがありがたく,おおむね好意的なものがあります。

 特に私が先日購入したAT-F3/2については,1万円を切る価格であのクオリティですので,はっきりいって大盤振る舞いだったといえて,価格改訂後の価格が15000円になったとしても,それでも十分にお買い得であることは明らかだと思います。


 むしろ,儲からないからやめた,という話が出たり,価格改定するくらいなら製造中止にしてしまえと考えないあたり,カートリッジを大切にしているんだなあという印象を受けます。さすが,オーディオテクニカはカートリッジでスタートした会社だけあります。

 カートリッジやターンテーブルを支えたDJという用途は,実のところディジタル化が進んでいて,すでにCDを使ったスクラッチのシステムが一般的になっています。ベスタックスなどはDJ機材のメーカーで,別にアナログ機器が売れなくてもその代わりにディジタル機器が売れればいいわけですからそれほど問題はないだろうと思いますが,カートリッジのメーカーはもしDJ用に消費されないと,本当にもう撤退するしかないんじゃないかと思います。

 特にDJでよく使われるMMカートリッジは,安価で使いやすいカートリッジなわけですが,針交換が出来るというメリットがある反面で,金型による製造が不可欠なので手作りが出来ず,ある程度の数がまとまらないと作ることが出来ないものと言われています。

 だから,DJたちがハードなプレイで針をどんどん消費してくれる今は,MMカートリッジは成り立つのかも知れません。一方で高級とされるMCカートリッジは,極論すれば1つからでも手作りが出来るので,中小メーカーによる工芸品がたくさん市場にもあるんですね。

 これら工芸品は,ピュアオーディオ用途に限定されているので,数千円で買える必要はありません。1つ100万円でも,性能が良ければ数は少なくても売れる世界ですので,今後はよくいわれるように,MCカートリッジしか残らないのではないかと思います。

 しかし,MMカートリッジにも名品と呼ばれる物があり,それは強烈な個性を持っていて,今なお多くの人に愛されていることはご存じの通りです。

 私はMCカートリッジを持っていなかったので,評判の良い低価格のものをとして,偶然にオーディオテクニカのカートリッジを選んだわけですが,そのさわやかで現代的な音と愚直な姿勢にまたも(というのは,ヘッドフォンでも同じような体験をしているからです)感銘を受けることになったわけです。

 オーディオテクニカにはMM型にも強烈な個性があり,それはVM型と呼ばれているのですが,カッターヘッドと相似形であることで,チャンネルセパレーションの高さや歪みの少なさを売りにしている,独自のカートリッジです。

 ですが,カートリッジの性能は価格に比例するというつまらない宗教にがんじがらめになっていた私は,1万円以下のカートリッジにそれほどの興味を持たずに来ました。

 それはAT-F3/2を買ったことで誤りであったことを知るのですが,そうなるとオーディオテクニカがMM型という汎用・大量生産品のカートリッジをどう考えて作っているのか,とても気になってきます。

 そこで,値上がりの前に買うという理由を作って,前から気になっていたVMカートリッジを買ってみることにしました。

 AT7Vというカートリッジです。AT-F3/2と双璧をなす価格帯のカートリッジです。どちらも実売で9000円ほどとなっており,使われている素材や設計思想なども,極めて似ているような感じです。

 AT-F3/2があれほど素晴らしかったので,このAT7Vにも否応なしに期待がかかります。高級な素材をふんだんに使い,広帯域を目指したカートリッジは,その個性であるチャンネルセパレーションの高さと相まって,おそらく透明度の高い音を聴かせてくれるのではないでしょうか。

 シェルは,お気に入りのMG10です。これはシンプルで安く,剛性感のあるしっかりとしたシェルで,実売1800円というお買い得感もたまりません。これも6月から値上げされるのですが・・・

 週末に届いたので,早速聴いてみます。

 第一印象は,私の期待通りで,非常にワイドレンジ,透明感があり,音が「遠い」ところでなっているような印象です。どの周波数にもクセはなく,どの音も等しく,公平に出ているようです。

 V15typeVxMRと比較してみると,やっぱりV15typeVはボーカリストの口が目の前15cmの距離にあるというイメージで,それ以外の音ははっきりいって埋もれてしまいます。でも,ボーカルの曲はボーカル以外の音を聴きたいわけではないので,V15typeVxMRは,なんだかんだで大したものだなあと思いました。

 AT7Vはそのへん,どの音に対してもどの楽器に対しても実に平等で,すべての音が聞こえてきます。実際VM型としては高域が良く伸びているカートリッジなのですが,その繊細な高域が濁ってしまわないように,素材を厳選してあるのがありがたいです。

 破綻なく,低い音から高い音まで,特に味付けや誇張を一切廃し,ストレートにある物をそのまま拾い上げるという印象のAT7Vですが,VM型という形式がカッターヘッドと相似形である事と,オーディオテクニカの,明るく現代的というコーポレートとして持つ音のキャラクタが,8000円ちょっとのカートリッジにもここまできちんと盛り込まれていることに,やっぱりすごいなと言う他ありません。

 安くても妥協はしてないという点で,AT-F3/2と共通のスピリットを感じました。

 AT-F3/2とも聞き比べてみましたが,AT-F3/2の方が繊細で,線が細いのですが,解像度は圧倒的に上だと感じました。AT7Vでも十分すぎる音ではありますが,AT-F3/2はさらにその上だと言えるでしょう。

 MM型の個性として,ナローレンジ感と中低域の存在感が欲しい人にとって,MCカートリッジの個性に似ているAT7Vは中途半端な存在に見えるかも知れません。しかし,そこはやっぱりMM型の親戚です。しっかりした太い中低域はしっかり存在していて,そこにきらびやかな高域が重なってくることを,MMでもMCでもない個性だと考えると,これもまた面白いと思わざるを得ません。

 無骨でデザイン的には決して美しいと言えないカートリッジですが,とても良い個性のカートリッジを手に入れました。レコードにあわせて,聞きたい音に合わせて,カートリッジは積極的に選ぶべき物です。個性のあるカートリッジを手に入れることは,それだけ楽しむ範囲が広くなると言うことですので,歓迎すべき事です。

 そうなると,無個性であることが個性として認知されている定番中の定番,DENONのDL103を買わずにはいられないんだろうなあなどと,感じています。

パンドラの箱

ファイル 120-1.jpg

 昨年のクリスマスに,友人からプレゼントされた一冊の分厚い本が,「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」です。

 発売以来,大変に話題になっていた本だということですが,恥ずかしながら私はノーマークでした。

 まず最初に,この本は大変に分厚く,読む前に圧倒されるのですが,読み始めても圧倒されっぱなしであることを覚悟しておく必要があります。

 時は1960年代後半から70年代前半,場所はロンドンはEMIのアビイロードスタジオ,封建的で旧態然とした組織の一員として働く主人公ジェフ・エメリックの目の前には,自由奔放で個性的,そして世界で最も有名で最もお金を稼ぐ4人がやりたい放題。

 ビートルズには有名税とも言える,様々な噂や風説があるわけですが,人づてであったり推測であったりで,信憑性に疑問符がつくことも多いです。それもそのはずで,彼らは仲間意識も強く,容易に外部に対し自分たちの本音を見せることはしませんでした。

 冷静に考えると,彼らは自伝らしい自伝を自ら記していません。彼らの作品や発言,当時の記事から間接的に構成された彼らの偶像を,我々は実物として語るほかなかったということでしょうか。

 それゆえ,解散前後のゴタゴタでは一様に悪い印象を与えたわけですし,その後に起こるジョンの暗殺にある種の神格化が行われたことも,不可避であったわけです。

 これは,プロデューサーであるジョージ・マーティンにも言えます。もっとも,彼は自伝を書いていますし,発言も多く,また多くのビートルズのベストアルバムを作っています。ビートルズのメンバー以外で,最もビートルズを知る人として広く知られることは,これもまた当たり前のことです。

 しかし,残念ながら,彼の言葉をそのまま鵜呑みする人はそう多くなかったようで,彼がビートルズと対極にいる(もしくはいることを周りが強要する)「英国紳士」であったこと(もしくはあろうとしたこと),そして彼がロックバンドとしてのビートルズの息の根を止めてしまったかも知れないという考え方も,その理由にあるように思います。

 私自身は,ジョージ・マーティンの存在には肯定的ですが,だからといって彼がリボルバーやサージェントペパーズを作ることに直接の貢献したかと問えば,やはり素直に首を縦に振ることは出来ません。

 では,本当の仕掛け人は誰なのか・・・

 ビートルズにとって,幸か不幸か,意外なところに「スパイ」がいました。あれほど正体を明かさなかった彼らの前に,彼らの活動をほぼ完璧に見ていた人がいたのです。

 それがこの作品の著者である,ジェフ・エメリックです。

 彼は,おそらく世界で最初に,録音技術者として創作活動に貢献したことを評価された人ではないかと思います。

 ただ,彼はあくまで技術者であり,クリエイターでもなければ,当然ビートルズのメンバーでもありません。だから,あくまで4人の注文に対し,満額の回答を用意することに徹底します。このスタンスこそ,プロ根性の最たるものです。常に相手の要望に応えること,このスタンスは古今東西,あらゆる技術者に求められる第一のことではないかと思います。

 ビートルズのあふれる創造性を阻害しないことと,一方で制約だらけの自分の立場とどう対峙するのかを,若いジェフはもがきながら,でも楽しみながら,進んでいきます。ネクタイの着用が義務づけられているEMI社員のジェフは,そのネクタイでビートルズの自由さを表現してみせる,といったささやかな反発から,高価な機材を非常識な方法で使いこなすといった無茶まで,その行動は創意工夫と反骨心,そして微笑ましさで,読む我々をまるで現場にいるような臨場感に包み込むのです。

 そして読み進むうち,タイトルの通りビートルズの真実は,音楽的にも,またそれ以外の所でも,かなりの部分で明らかになります。非常に興味深いのは,アルバムの制作方法だけではなく,その人間性や互いの関係という実に微妙な部分においてでさえ,鮮やかに見ることが出来るということにあります。

 録音技術に多少覚えのある人やミュージシャンが読んで面白いのは当然として,ビートルズに興味のある一般の人々が読んでも最高に面白いと思えるのは,まさにこの点であり,いわば下僕に過ぎない(しかし最強のスパイ)であるジェフが,ビートルズのメンバーを「暗い」だの「気分屋」だのばっさりと言い切ってしまうあたり,実に痛快です。そして同時に大いなる共感が生まれます。

 ジェフ自身の言葉も痛快ですが,ビートルズが互いに対して取った態度や言動も,推測によるものではないだけに,実にリアルです。意味ではなく,言葉1つ1つが歪曲されたり装飾されたものではないことが,この本の価値の1つではないでしょうか。

 物語はジェフが子供の頃から始まり,録音という行為と技術に魅せられていく過程が描かれます。大変な幸運を手にして夢が叶ったジェフは,EMIの社員としてその第一歩を踏み出します。

 そしてさらに幸運なことに,ビートルズの仕事を担当することになり,良くも悪くも彼らの流儀に飲み込まれて過ごします。この間,彼はエンジニアとしてその後の世界を変えることになる,画期的な技術を連発することになるのです。

 やんちゃな子供であるビートルズとジェフ,そして父親代わりであるジョージ・マーティンが織りなすドラマは,良質のホームコメディにあるような暖かさがあります。

 急な上り坂であるリボルバーを駆け上がり,頂点を極めたサージェントペパーズでタフな仕事をこなして,そこから急激に変わっていくビートルズを,やがてジェフは目の当たりにします。

 屈託のないロックバンドだったビートルズが,ポップミュージックを革新するクリエイター集団となる瞬間に立ち会ったことに,ジェフはある種の寂しさを隠しません。

 同時に,その革新が,ジョンとポールという巨星によってなされていく様を見せつけられて,むしろ畏敬の念さえ抱くようになります。

 そして2つの巨星の衝突,2つの巨星に押さえつけられたもう1つの才能の勃興,彼らを取り巻く容赦のない環境の変化が,とうとうその宇宙を崩壊へ導きます。

 ジェフの目を通して我々が見ることになるのは,自ら招いたその崩壊が,決して自身の望んだことではないのだという事実です。昔のままの屈託のない表情でセッションを繰り広げる彼らの顔に,深刻な対立を見る事は出来ません。

 しかし,自分のピザをヨーコに黙って食べられてしまうという,実に些細なことに激高するジョージの姿を見たジェフの目には,本当の意味でのビートルズの崩壊が映っていたことでしょう。

 自らの理想とかけ離れた現実をどうすることも出来ずに,もがけばもがくほど事態が悪化する焦燥感に飲み込まれていくアビイロード・スタジオ。「かつて見たことのある光景だな」と感じた我々は,直ちに既視感に飲み込まれていることに気が付き,はっとします。

 そして我々はこの時,後に訪れることになるジョンの死とジョージの死に直面したビートルが,その時どんな気分でいたのかに思い至ります。それは,「私ならこう思うだろうな」と考えていた事が,まさに彼らもそうだったのだと確信し安堵する瞬間でもあります。

 かくてビートルズは終わってしまいます。

 ジェフはポールのアルバム制作に関わるようになり,そこでも大きな仕事を何度もやり遂げます。バンド・オン・ザ・ランという大ヒットアルバムがどうやって生まれたかを知ることは,実はビートルズのアルバムがどのように生まれたかを知ることと同じくらいに,エキサイティングなものだと知ります。

 そしてジョンの死。落胆するポール。一つの時代が終わりを告げます。

 初期のビートルズは,いわばジョンのバンドでした。ビートルズがかつてないものを求めるに従い,ポールの実力と音楽と向かい合う姿勢が不可欠なものとなり,自然にその主導権はポールに移っていきます。

 ジョンはひょっとしたら寂しかったのかも知れません。同時にポールはジョンに対する尊敬の念を忘れません。そしてジョンは突然いなくなります。

 ポールは実にストイックな姿勢を貫く人ですが,一方でとても人間的に豊かな人でもあります。ジェフはポール寄りの人ではありますが,その立場がかえってビートルズの主導権の交代劇や,かつてのリーダーの死を鮮明にしていると感じます。

 時は流れ,ジョンが残した「フリー・アズ・ア・バード」を取り囲む3人とジェフは,ジョンが仕上げを任せてどこか休暇に出かけたと思うことにしようと,話し合います。彼らの痛みが我々にも伝わり,胸を締め付けます。

 アンソロジーの発売に至り,この長い物語はいよいよ幕が引かれます。ジェフがアンソロジーについてどう考えたか,そしてその考えがどう変わったか,おそらく多くの方が共感するのではないでしょうか。

 作る側にいたジェフの感情の動きが,なぜ与えられる側の我々にかくも合致するのか,彼の視点と我々の視点は根本的に異なるはずなのに,自分の経験と錯覚するほどになぜリアルで鮮やかなのか,本当に不思議としかいいようがありません。

 読み終えて感じるのは,一見すると極めてスキャンダラスな香りのするこの本が,実はイギリスのとある若者達が成長する過程を,等身大の目線で見つめた人間ドラマであったことに気付く点です。

 そこには「仲間」に対する信頼と「仲間」を失う悲しさという,人間性に根ざす普遍的なテーマによって,共感や感動という形で我々の経験や人生に重なって,ビートルズの真実に迫るという「パンドラの箱」を開ける行為が間違いではなかったと,しみじみと思わせる力があります。

 文章のうまさにも優れたものがあり,長い物語を一気に読ませる技があります。ジェフ自身が文章を書き起こしたのではなく,彼が口述したものを記述する形で作られたものなのですが,日本語版においてはその訳が秀逸で,テンポの良さと技術的な誤りの少なさについても素晴らしいの一言に尽きます。

 おそらくですが,この本を超える本は,もう出てこないでしょう。ジェフは最強のスパイでしたが,その目的がくだらないゴシップでもなく,私恨による暴露でもなく,ただ純粋に技術者として客観的に,この学び多き歴史を記録に残そうとしたことにあるからです。

 一部に「墓場まで持っていくべきだ」と批判的な意見もあるようですが,それも一理あると前置きした上で,私は,その「墓場まで持っていくべき話」が本当に伝えたかった話ではないのだ,という観点でこの本を読みました。これまでに書いた感想は,その結果です。

 最後に私個人の願いを1つ。ぜひ,BBCで,この本をドラマ化して下さい。映画化ではありません。あくまでBBCによるドラマ化です。ビートルズのそっくりさんを使って,この本を忠実にドラマ化して下さい。「愛こそはすべて」の世界同時中継のスリリングなやりとりなど,ぜひ見てみたいものです。

 いやなに,それはさほど大変なことではないはずです。なぜなら,この本は,読めば目の前に鮮やかな映像が飛び出してきますから,ただそれを実体化すれば良いだけの話です。

 いや,あるいは大変なことなのかも知れません。あまりに長すぎるこの物語は,どの部分をカットすることも出来ないからです。

ユーティリティ

2026年04月

- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

過去ログ

Feed