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HighSierraへのアップデートとクリーンインストール


 毎年秋の祭りといえば,そう,macOSのメジャーアップデート祭りですね。

 今年も,最新の「macOS 10.13 HighSierra」が予定通りリリースされ,皆さん悲喜こもごものご様子です。かくいう私も,そんな一人です。

 うちには,対象となるMacが3台あります。

 まず生活マシンのMacBookAir(Late2010),SSDは240GBに換装済みです。CPUが遅いこともそうですが,メモリも4GBと小さく,I/O関連の足腰も弱い遅いマシンで,しぶとく使うのもバカらしいほどなのですが,11インチはすでにラインナップから外れていますし,長年連れ添っていろいろなことを一緒に経験した親友でもあるので,まだまだ手放すつもりはありません。

 生活マシンという事もあり,周辺機器も繋がず,Apple純正のソフトしか使いません。その意味では最も標準的な状態ですから,毎年まず真っ先にアップグレードされる運命にあります。

 今回のアップデートは見た目の変化は少ないけども中身は大幅に変わっているというものなので,見た目に大きな変化は本当にありません。やや速度が軽くなったかなと思う程度です。

 しかし,数ある大きな変化でも最大のものは,なんといってもファイルシステムの一新でしょう。これまでのHFS+からAPFSという,SSDを前提とした新しいファイルシステムが導入されます。それも「使えます」程度の話ではなく,問答無用で移行が行われ,気が付かないままAPFSになっているという恐ろしさです。

 個人的には,HFS+でも20年,その前身たるHFSに至っては30年も前のレガシーなファイルシステムであり,信頼性もそうですし,効率や速度,セキュリティや文字コードの扱いといった面まで含めて,やはり今ある物理メディアに最適化されたものになって欲しいなあと思ってはいました。

 この20年で,ファイルとストレージに関係するテクノロジーは,大きな世代交代を進めてきました。HDDからSSDへの移行では,単なる速度の問題というよりも,磁気から半導体に変わったことによる寿命の問題や読み書きの性格の違いから,最適なデータのアクセス方法が変わっています。

 文字コードはJISやShiftJISなどの16bitコードからUnicodeに変わっていますし,検索に関係するメタデータやインデックスの持ち方も変わっています。アクセス速度も桁違いになっていますし,データの大きさも爆発的に増えました。

 信頼性は高いものが求められていますし,セキュリティも必須となるシーンが増えていて,データの暗号化との親和性は,ファイルシステムの設計時点で暗号を前提としているかどうかで大きな差が生まれます。

 要するに,今どきのファイルシステムではないものを,無理につぎはぎしていても,もうメリットがなくなってきていますという話です。

 一方で,ファイルシステムのトラブルはすなわちデータの全滅を意味していて,その上復旧が極めて難しい(つまり本当にデータをぐちゃぐちゃに壊す)ものですので,今安定しているものを無理に変えて欲しくないなあとも思う訳です。

 しかし,そろそろメリットがデメリットを上回ってきているように思います。

 ちょっとずるいのですが,APFSはすでにiOS11で導入され,世界中のiPhoneで動作しています。目立った問題も出ていないようですので,APFSそのものに対する不安はあまりないのですが,なにせPCという複雑で自由度の高いコンピュータの根幹を成す部分ゆえ,APFSの導入にはそれなりに勇気がいります。

 ですが,そこは人柱になることを好む性格の私の事。バックアップも取れているわけですし,恐れるものはないもない,とばかりにさっさとHighSIerraにしてみました。

 今年はインストーラのダウンロードも速度が落ちず,スムーズに作業が進みました。動いてからもトラブルはほとんどなく,すぐに実戦投入が可能な状態でした。メールが若干軽くなっているので助かりましたが,それ以外は本当になにも変わっていないように見えて,拍子抜けです。

 それはいいとして,問題はコンテンツ作成マシンである,MacBookPro15inch(Late2016)です。そうか・・・購入してすでに1年ですか・・・

 このマシンは,さすがに周辺機器も多く,動かしているソフトもサードパーティーのものが多いですから,ぱっと移行するわけにはいきません。特にLightroomとScanSnapは生命線といえて,この2つが動かないマシンは存在意義さえ問われます。

 いつも年明けくらいまで様子を見るのですが,今年はちょっと事情が違って,ScanSnapは今のところ問題なし,Lightroomも動作そのものは問題なしで,D850への対応を待っている状態です。

 しかし,やっぱり後になって作成したデータが不完全でしたとかいわれても困りますから,いつもしばらく様子を見ています。

 そんなおり,D850のXQDが満杯になってしまったことから,MacBookProの内蔵SSDの空き具合が気になってきました。

 というのも,私はRAWデータをすべて内蔵SSDにコピーして処理をしているからであり,64GBのCFを入れていたD800の頃は70GBほどあけておけば問題なかったのに,D850のXQDは128GBで,ファイルのサイズも巨大です。最低でも140GBほどあけておかないと,現像作業に支障が出そうです。

 で,MacBookProのSSDを確かめてみると,なんと60GBほどしか空きがありません。これはまずいと整理をして,ようやく110GBほど空き容量を確保しました。(それでも,一度に全部のデータを処理できないです)

 これでLightoroomのアップデートを待つだけと思っていたところ,もう10GBほどあるといいなあと思い至り,OSのメジャーアップデートを行うとそれくらい増える事を思い出しました。

 幸い,非互換のアプリはないようですし,どうせやるなら先にやっちゃうかと,先日のお休みにHighSierraへのアップデートを始めたのです。

 作業そのものは簡単におわり,無事にHighSierraになってくれました。心配していたAPFSの問題も出ていません。

 画面のロックでバックライトがすぐに消えないとか,これまでならTouchIDに指が触れればすぐにロックが外れてデスクトップが出てくるのに,今回は一度スリープの解除を行ってからでないとデスクトップが出てこないなど,大きな仕様変更があるのですが,それ以上に空き容量が大幅に減っていることに,私はがっかりしました。

 アップデート前には110GBもあったのに,アップデート後には60GBほどになっています。

 んん,50GBもどこにいったのよ?

 これはあてが外れました。毎回,おおむね空き容量は増えるものなのですが,今回は大幅に減っています。それこそ,えいやで捨てたファイルやアプリによって稼ぎ出した空き容量が,すっかり食い潰されています。これでは,D850のRAWデータを扱えません。なにより,断腸の思いで消したり待避したデータやアプリ達が浮かばれません。

 そこで,2つの作戦を決行することにしました。まずは空き容量を増やすこと,それとD850用の作業スペースを別にきちんと確保することです。


(1)空き容量を増やす

 これは実はなかなか難しい問題で,減らしたはずの容量がなぜ食い潰されたか理由がわかりません。Google先生に聞いてみても私のような状況の人は少ないようで,むしろ空き容量が増えたという人の方が多いです。

 唯一気になるのは,ローカルスナップをとるようになったことではないかということですが,冷静に考えてみると以前のSierraのころから,この機能はSSD内蔵のMacBookには実装されていました。

 そうなるともうわかりません。突如90GBくらいに空き容量が増えたかと思うと数秒後には60GBになっていたりと,どうも落ち着きません。やっぱAPFSのせいですかね・・・

 悩んでいても仕方がないし,すっきりしたい気持ちもあり,初めてクリーンインストールを行うことにしました。しかし私は軟弱者で怠惰ですので,設定もアプリも全部手動で復旧させるほどの根性はなく,TimeMachineからの設定の書き戻しで済ませます。

 バックアップはNASにいつも作ってありますが,今回ネットワーク越しにNASにアクセス出来るとは限りません。失敗すると致命傷ですので,ここは面倒でも外付けHDDで行います。

 バックアップ作成にざっと3時間。まずTimeMachine設定からこれまでのバックアップ先を一度削除し,新たにバックアップ先として用意したHDDを登録して,バックアップを開始します。バックアップされたデータは約200GBになりました。

 バックアップは深夜に実行して済ませておき,翌日帰宅後にHighSierraの新規インストールを始めます。

 CMD+Rで再起動して,まずはディスクユーティリティを起動,内蔵SSDをAPFSで消去してディスクユーティリティを終了します。

 その後,macOSを再インストールです。指示通りに進めて行けば,1時間半ほどでインストールが完了します。

 インストールが終わると自動的に再起動して,設定を促す画面になっていますから,これも指示通りに進めます。すると環境を移行するかどうかを聞かれますので,TimeMachineから移行するように選択します。

 バックアップしたHDDを接続して,これを選んで先に進むと,どのデータを移行するかを選ぶ事ができます。私の場合すべてを選ぶ事にして先に進めます。実はこの段階で,移行対象となるデータ類の容量が非常に小さいことに気付いていました。

 やがて移行作業がスタートします。1時間以上かかると踏んでいましたが,わずか20分ほどで終了しました。

 再起動後,ログイン画面に私の名前が出るようになっており,ここからログイン。アカウントの変更が必要と言われたのでOK,その後設定を進めたりiCloudの認証があったりといくつかのステップを経ましたが,無事に終了。

 見慣れたいつものデスクトップと再会です。めでたしめでたし。

 めでたいのはこれだけではありません。気になる空き容量を確認すると・・・209GB。

 え,なにそれ,無茶苦茶あいてるやん。

 システムなどのデータは40GB強で,あとは削りに削ったデータとアプリで数GBほど。そうすると空き領域は200GBほどになるわけですが,なら今まで140GBほど埋めていた「システム」といっていたデータは,どこにいったのよ?何に使っていたのよ?

 ここまで容量が減ると,本当に書き戻せているのか不安になります。特に自分で作ったデータなどがすっかり消えていることに後で気が付いても,泣くに泣けません。

 思いつくものを手当たり次第に確認しますが,ロストしたデータはないようです。そもそもですが,かなりデータとアプリを整理したので,内蔵SSDに残したものはそんなになかったりするわけです。

 これが5年使ったMacならば,さもありなん,というところなんですが,このMacは昨年秋に買ったもので,保証期間内ですらあります。OSのアップデートも初めての事ですし,なんでこんなことになっているのか,さっぱりわかりません。

 さらにいうと,キビキビとした動きも戻ってきています。いやはや,快適です。クリーンインストールをやるといいという話は,Windowsでは常識でしたが,まさかMacでも同じ事になっているとは思いませんでした。

 改めて空き容量を追いかけると,

60GB(SIerra) -> 110GB(データを整理し削除)->60GB(HighSierra) -> 209GB(クリーンインストール)

 ・・・素直に喜んでいいのやら悪いのやら。

 ところで,この209GBは,しばらくしてなぜか203GBになり,やがて206GBになりました。10GB程度の変動は,まあシステムが勝手になんかやってるんだろうから気にしませんが,それにしても200GBもあいてしまうなんてねえ。

 ということはですね,長年使い続けてクリーンインストールなぞついぞしたことがない生活マシンのMacBookAirも同様の手順で,容量が増えたりキビキビした動きが戻ってくるんじゃないですかね。

 こういうスケベな考えをしていると足下をすくわれて「余計な事をせんとけばよかった」などと後悔することになるわけですが,これまでもそうやって楽しんできた人生を肯定することにして,現在作業中です。結果は後日書きます。


 さて,もう1つの施策である「RAW現像の作業スペースを作る」については,長くなったので後日にします。

 先に書いておくと,今回のクリーンインストールをしている最中に,どうせ容量なんてそんなに増えないだろう,増えたとしてもせいぜい100GB程度だろうと思っていたので,この際写真の現像用に,外付けSSDを手配したのです。

 SanDiskのExtreme500というやつなのですが,内蔵SSDが200GBもあいてしまい,なんと届く前に「いらない子」になってしまいました。悲しい。

 嫁さんにこんな話をすると,

嫁さん:いらない子なんていわず,うまく使ってあげてよ。なんか可愛そうで人ごととは思えない。
私:なにいうてんねん,あんたExtremeですらないやろ。

 なんていう軽快なやりとりがありましたが,内蔵SSDには超高速でTimeMachineによる自動バックアップというメリットが,外付けSSDには本体が死んでもデータは無事でかつ大容量というメリットがあります。

 外付けSSDは安い買い物ではなかったのですが,それでも買った以上は使いこなしてD850を快適に使いこなしていくことにします。

 

NASのリプレースで泥沼(しかし念願のRAIDを手にする)


 NASのリプレースを行っていましたが,苦労の末,ようやく昨日とりあえず完了し,従来のサービスに復旧できました。

 QNAPのTS-119P2を2012年6月から使っており,容量を気にせずポイポイファイルを投げ込んで家中のマシンがアクセス出来るNASはもはや手放せない存在になっていました。

 やがてDLNAやWEB,TimeMachineなどのサーバーサービスもここに集約,うちのサーバーを一手に引き受ける重要な役割を担うまでになっていました。

 そうなると不安になるのが,クラッシュです。毎日使うものだけに,サービスダウンがとても心配になるのですが,シングルベイのTS-119P2はHDDの破損がサービスダウンだけではなく,データのロストの直結するだけに深刻です。

 その上,TS-119P2も5年も連続稼働しており,ここから先は壊れても仕方がないレベルだとも思っていました。空冷ファンはよく壊れるものなのですが,QNAPユーザーがファンの故障で本体を買い換えているという話も耳にします。

 TS-119P2は2GHzのCPUということで,シングルコアではありますが,まずまずの速度で動作しています。OSも最新のQTS4.3.3が動作しているので,その点でも心配はありません。ですので,今すぐリプレースしなければならないものではなく,そういう点ではこれまでにも何度か検討しては,まあいいかで済ませてきました。

 そういえば,少し前にあったamazon primeのセールで安くなっていたTS-231Pを買いそびれたときも,まあいいかで済ませたのすが,先日偶然見ていると,TS-231Pがクーポンを使うと1万円を切る値段になっているのを発見しました。

 これは安い。数日後にはさらに安くなっていたわけですが,それでも2万円を切るというのは安いです。

 最新のNASにリプレースし速度向上と信頼性確保はもちろん,2ベイなのでRAID1を組むことで,必ずおこるHDDのクラッシュにも対応することが出来ます。

 RAID1のメリットは故障時の対応にも出てきますが,個人的にはHDDの容量を増やしたいときに,無停止で新しいHDDに交換することが出来るのがメリットだと思っていますが・・・うーん,でもそんなに簡単にできるもんですかね。

 とはいえ,リプレースには手間も時間もかかりますし,作業ミスや事故でデータをロストするリスクも大きいですから,簡単に行うわけにも行きません。

 いろいろ悩んだ結果,本体が壊れてから大慌てで移行するのと,今計画的に移行するのとどっちがいいかと考えて,今回のチャンスを生かすことにしました。

 かくして,我が家に「白いNAS」TS-231Pがやってきました。

 2ベイのメリットを生かすべく,HDDももう1台購入しようと思っていたわけですが,どうせ買うならさっさと買ってしまおうと,今使っているWE REDの6TBと同じ物を準備しました。本体よりも高いんですけど,それでも安くなったものですね。

 揃ったところで,移行の作戦を立てて,土曜日に一気に作業開始です。

 私が考えた作戦は,

(1)QNAPのNASは古い本体から抜き取ったHDDを新しい本体に入れるだけで,システムが移行される。対応リストを見ると,TS-119P2からTS-231Pへの移行は可能とあるので,まずはTS-231Pのファームウェアのバージョンを最新にして,TS-119P2と合わせておく。

(2)TS-119P2のHDDをTS-231Pに入れて電源ON。移行が完了する。

(3)新しいHDDをTS-231Pに差し込んで,RAID1を設定。

 これだけです。終了まで時間はかかるかも知れませんが,放置して置けばいいことなので,作業は楽ちんだと思われました。

(1)ファームのアップデート
 ファームウェアを最新にするには,HDDを入れないで電源を入れると良い。TS-231Pを初期不良確認も兼ねてHDDを入れずに電源を入れて,QFinder Proで見てみると,うまい具合にDHCPでアドレスを掴んで起動している。

 ファームウェアは1つ古いものなので,あらかじめダウンロードした最新のファームウェアをインストール。問題なし。


(2)移行作業
 TS-119P2の電源を落とす前に,Qnap Cloudの名前を変更して,これまでの名前をフリーにしておく。こうしないと,TS-231Pへの移行後に,名前が重複してしまう。

 終わったら電源を落としたTS-231PにTS-119P2のHDDを入れる。ここでTS-231Pの電源を入れると,最悪の場合TS-119P2で使っていた貴重なHDDを問答無用でフォーマットするかも知れず,恐ろしくて手が震える。
覚悟を決めて電源をいれ,QFinder proで確認すると,元のNASの名前とIPアドレスが
 復活していることを確認。まずは関門突破とWEBからTS-231Pを確認すると,移行作業中である事が判明。
しばらくして移行が完了,再起動して動く事が確認出来た。すごい。


(3)問題発生
 動作確認をしていると,ポロポロと問題が出ていることに気が付く。まずDNSが動いておらず,ローカルアドレスの名前解決が出来ていない。これはdnsmasqがインストールされていないからで,パッケージをダウンロードすればOK,のはず。

 ところが,パッケージのインストール方法がコロコロ変わるQNAPのこと,今はEntware-ngを使うようになっているらしい。そこでこれをインストール。
opkg upodateに続けてopkg uogradeとし,opkg install dnsmasq-fullとしてインストール。設定ファイルを修正して再起動すると,ローカルアドレスをちゃんと解決出来ている。
 
 そして,qpkgで提供されていたperlをやめ,opkgでperlの最新版をインストールする。

 しかし,問題が発生。dnsmasqはグローバルアドレスの名前の解決のために,上位のDNSに問い合わせをしていない事が判明。さらにperlについては,昔のperlで書いたCGIが動作していない。

 頑張って対策を試みるが全く分からず。

(4)これらは後回しにして先にRAID1を組もうと,新しいHDDをTS-231Pに入れる。手順はよく分かっていないが,あまり試行錯誤をやっていると,古いHDDをフォーマットしたり,古いHDDを新しいHDDで上書きしてしまうなどもあり得るので,なかなか先に進めない。この時点で,土曜日の夜中3時。

 google先生に聞いてみるが,出てきた移行手順に従って作業するも,押したいボタンがグレーアウトして先に進めない。いよいよ手詰まりになるが,もう意識が朦朧として何をやっているか半分分からない。これは危険だとギリギリわかる意識レベルで,ようやく作業を中断し寝る。午前5時。

 翌日も頑張るが問題は解決せず。仕方がないのでQNAPのサポートにメール。聞いたことは,TS-119P2から取り出したHDDをTS-231Pに入れて動くようになったのち,RAID1にする手順を教えて欲しいと,シンプルに聞いた。

 そうこうしているうちに,dnsmasqの問題は解決。良くわからんが,設定ファイルに上位のDNSを記載した設定ファイルを記載したら,問い合わせをしてくれるようになった。以前はここはコメントアウトしていたし,現在もデフォルトと違うなら書き換えろとあるので,デフォルトと同じファイルを指定して動くようになったり理由が良くわからん。

 perlの問題は解決せず。

(4)想定外の事態1
 翌日,日本語で堂々と質問した私のメールに,英語で返事が来た。

 ・・・なになに?えーと,TS-119P2のHDDをTS-231Pに差し込んだ場合,RAID1は組めません,だと・・・理由はファイルの構造が違うから。「従来のボリューム」と表示されているのに一抹の不安があったが,やっぱりそれか。

 えーーー,それはNASとしてどうなのよ?せめてフォーマットを変換するツールを用意するとか,そういう対応がないといかんのじゃないの?

 絶望にくずおれても問題は解決せず,とりあえずシングルで暫定運用。


(5)想定外の事態2
TS-119P2ではDLNAサーバーとしてTwonkyMediaを使っていた。最近QNAPはTwonkyMediaのバンドルを中止したが,旧機種では利用可能だった。TS-231Pへの移行後は使えなくなるはずと思っていたら,どういう訳だかそのまま移行できたので使っていたところ,どうせ再インストール出来ると考えてTS-231P上でTwonkyMediaを削除した。冷静に考えるとインストールできるはずもなく,また私のTS-231Pはシリアルの先頭がQ17で始まる新しいもので,TwonkyMediaを動作させることが出来ない。これでもうおしまいだ。


(6)腹をくくるが失敗
 これはもう,手作業でデータの移行をするしかないと腹をくくる。現在のシステム設定を保存し,新しいHDDを入れたTS-231を初期化する。起動したら設定を書き戻してから,古いHDDを外部ドライブとして接続,File Stationで書き戻す作戦を立てる。

 しかし,これも難航する。設定を書き戻し,新しいHDDに古いHDDに存在したディレクトリを作成しようとしても,エラーになる。どうも現在の設定の共有フォルダの設定を一度消さないと駄目なようだ。アプリもエラーになり動作しないものがある。

 気持ち悪いので,再度初期化。しかし今度は,HDDがマウントされておらず,どうにもならない。マウントしようにも手段が分からず,それにどうして前回と挙動が変わってしまうのか全く不明。気持ち悪すぎて寝る。


(7)もう一度
 後日,もう一度初期化から初めて見る。前回と挙動が違うのは,どうも電源スイッチ長押しで再起動をした場合,HDDがマウントされないという話になっていたことを私が知らなかったことで起こったもののよう。しらんがな。

 今度は,まずHDD無しで起動。電源を入れたままHDDを差し込むと初期化するかと聞かれるので初期化する。しばらく放置すると生まれたてのNASが動き出す。

 問答無用で設定ファイルを読み込ませてやると,さっと以前のTS-231Pに戻った。ここで覚悟を決めて共有フォルダの設定をすべて削除,あらためて同じ名称の共有フォルダを作成し,アクセス権を設定。その後外部ドライブからFile Stationでファイルを書き戻す。ここまでは問題なし。


(8)いよいよRAID1
 いよいよRAID1にするのだが,ここで失敗してデータをロストするのが,いつのも私。これまでの私とは違うのよ,と勝手にいいながら,作業にかかる。

 今度はQNAPのマニュアルを見ながら薦めるが,相変わらずよく分からない。意外にTS-231PでシングルディスクからRAID1に移行した例もWEBには転がっていない。

 ストレージプールを使った例が出ていたが,別にそこまでの柔軟性は必要ないし,パフォーマSNS卯も落ちるので,使いたくない。

 試行錯誤を繰り返すが,どうも書いてあるように進まない。おかしい。やっぱりダメなのか,最初の初期化の段階で,HDDを2台入れておかないとダメなのか・・・もう1つHDDを買わないといかんのか・・・

 そうこうしているうちに,これまでグレーアウトしていた「移行」ボタンが,なぜか押せるようになっていた。これを押すとシングルからRAIDへの移行が始まる。

 やったことは,新しいHDDをベイ2に入れてフォーマット。このボリュームを「空き」になっていることを確認し,ベイ1のHDDの管理画面に進む。やったことはこれだけなのに,さっきまで押せなかった移行ボタンが,押せる・・・

 うれしかったので深く考えずに押す。

 すると,マニュアル通りに移行が始まる。

 とはいえ,画面には「警告」が出ているし,移行のプログレスバーもなかなか進まず,ずっと0%のまま。15分ほどすると1%になったので,我慢して放置。翌朝には移行がめでたく終わっていた。


(9)各種設定

 設定漏れや調整を少しして,なんとか復旧。1週間かかった。

(10)残問題
 QNAP謹製のDLNAサーバーも試したが,どうにもクソで,TwonkyMediaをどうにか使えないものかと思案中。ライセンスを買えば使える事が判明したので検討に入る。・

 あと,TimeMachineが新規になってしまうので,私の場合過去1年分のバックアップがなくなる。TimeMachineロスとでもいうんですかね,あって当然のものがふとないことに気が付いて絶望するのって。くよくよしていても仕方がないので,気持ちを切り替えて新規バックアップスタート。


 と,こんな感じで厳しい戦いを切り抜けました。

 RAIDへの移行ボタンが,急に押せるようになった理由はよく分かりません。何度も同じ事をやったのに,出来るようになったと言うのは気持ちが悪いのですが,思うにフォーマットのあと,状態がシステムに反映されるまでに少し時間がかかっているかなにかで,最初は押せなかったものがしばらくして押せるようになった感じです。

 大事な事は,ベイ2のドライブはフォーマットしてあることと,マウントしていないこと,そしてベイ1のHDDと異なるRAIDグループに設定されていないことです。

 そうすると,ストレージマネージャのストレージ領域->管理->管理に,移行が出ているはずです。

 今後,ドライブを交換する場合は,1台ずつ交換を選んでやれば良さそうですし,死んだ場合は死んだHDDをとりあえず外してフォーマットすれば,なんとかなりそうな気がします。まあ,それはその時考えましょう。

 で,動き出したTS-231Pなのですが,クロックは1.7GHzと1割強落ちているにもかかわらず,さすがにDualCoreだけに快適な動作です。WEBによるUIもストレスなく,またファイルのアクセスも高速です。

 個人的に感心したのが,2つ用意されたEthernetです。ルータでもないのに,なにすんねんと思ったのですが,ポートトランキングで仮想的に1つに束ねて,2GbpsのEthernetにする機能があるんですね。

 高度なポートトランキングにはハブ(スイッチ)がインテリジェントなものでないとダメなのですが,通常のスイッチでも動かす事の出来るモードがあり,試しに設定したところ,これがもう速くてびっくりです。

 これまで,WindowsからNASにファイルをコピーすると30MB/s程度だったのですが,TS-231Pでは100MB/sを越えます。NASそのもののパフォーマンスも上がっているのですが,この速度は1本のEthernetでは出ない速度なので,ポートトランキング万歳です。

 ポートトランキングにはメリットがもう1つあり,他のクライアントのアクセスがあっても,速度の低下が少ないのです。これも大きいです。

 もっとも,RAID1によるパフォーマンス低下はこれから評価することになりますから,こんな速度はもう出ないかも知れません。それでも信頼性と引き換えにした速度ですから惜しくはないですし,複数クライアントでも速度が落ちないメリットはありますから,もう十分なんじゃないかと思います。

 そう,TimeMacine中に他のマシンからのアクセスが厳しかったんですよね。これが軽減されるというのは,ありがたいです。

 NASは裏方で,動作していることが意識されてはかえってまずいわけです。新しいNMASに変わっても,表面的にはなにも変わっていないことが最善であり,気が付いたら速度が上がっていたとか,そういうのが目指すところです。

 TS-231Pへのリプレースを終えてみて,苦労した割には見た目の変化が少ないことにちょっとがっかりしましたが,それは違うと考え直しました。

 ポートトランキングの速度とRAIDの信頼性を一気に手に入れたNASが,うちに来ました。しかも格安で。

 個人でRAIDを組むのがネタになる時代を生きてきた私にとって,1つのゴールと言えそうです。

 しかし,今やっとけば今後は楽になるわと,手動で移行作業をやっても,ちっとも楽にはなりません。よく考えると,いつもいつも手動で移行をやっているような気がします。

 でもまあ,昔はPCの買い換えやHDDの入れ替えをやると,必ずこういうことを時間をかけてやってたんですよねえ。いつしか移行が楽ちんになり,今どきはクラウドベースで移行そのものがない時代です。

 しかし,20年経っても,私がやっていることは相変わらず。進歩があるんだか,ないんだか・・・

 そうそう,TS-231Pが安くなった理由ですが,TS-231P2という新機種が,海外ではすでにリリースされています。日本には年末頃の導入でしょう。これのせいでTS-231Pの値段は下がっているのです。

 TS-231P2は,メモリがSODIMMで増設可能になったこと,CPUがDualからQuadになったそうです。後は見た目も同じ。しかし,この2つ変更点は,使ってみると実に魅力的な強化ポイントでして,特にメモリが羨ましいです。

 若干早まったかなあと思う一方で,直付けメモリの信頼性にかなう物なし,と良いように考えて,あと5年TS-231Pを使おうと思います。

 あー,疲れた。もう徹夜は出来ません。

 

 

カメラのカルテ~D800


 このテーマは,本来なら「カメラのカルテ」に書かないといけないのですが,最近放置していることもあり,艦長日誌に書くことにしました。

 2012年7月1日 友人の予約分を譲ってもらいフジヤカメラで購入
 2017年9月 売却

 
 D800は,その後の高画素デジタル一眼レフカメラの方向を決めた,歴史的名機です。3600万画素はフルサイズ一眼レフでは当時頭一つ飛び抜けた最高の画素数,そして登場時の実売価格が27万円前後という価格帯,これらに相応しい信頼性と性能と,このクラスのカメラを「定義」したカメラです。

 画素数が絶対ではないと言われ始めていた中で「それでもやっぱり画素数は正義だよなあ」と唸らせ,同時に画素数だけではダメで,カメラとしての性能や信頼性がバランスすることの大事さを知らしめたのも,D800でした。

 思い起こせば,D800がまだ噂レベルだった頃,リークした画素数などのスペックに「いくらなんでもそりゃウソだ」と鼻で笑ったものが,しばらくして現実になり,30万円のカメラが品薄で半年間も予約で待たされるとは,誰も思わなかったんですね。

 登場時,型番からD700の後継と思いきや,その成り立ちはD700とはかけ離れており,これがやがて全く別のカテゴリを作るカメラであると認知されるまで,そんなに時間はかからなかったように思います。

 D800にはもう1つ大きな役割を果たしていて,高画素になるとローパスフィルタがいらないのではないか,という疑念を,完全に払拭したモデルでした。

 ニコンは当初,ローパスフィルタ搭載のD800が中心に据えて,ローパスフィルタのないD800Eを派生機種として準備するにとどめました。しかし実際に売れたのはD800Eでした。

 高画素になるとローパスフィルタの必要性が薄れることは理論的にはわかっていましたが,それをフォトグラファーが受け入れるかどうかは別の話ですし,精神論ではなくローパスフィルタのメリットとデメリットをきちんと理解して,撮影に反映できるかどうかがとても大切なわけで,ニコンはD800Eが主流になったことを受け,後継機のD810ではローパスフィルタなしに一本化しましたし,他のメーカーもローパスフィルタを搭載しないものを普通にしました。

 また,高画素機の魅力を高めるものとして,レンズ資産がどれだけ豊富に揃うかが大事だと再認識させられました。もしD800がGレンズやAF-Sレンズしかサポートしない,あるいはAi連動をサポートしない割り切りをしていたら,レンズの良いも悪いもすべて取りこむ高画素機の魅力が半減していたことでしょう。

 レンズのすべてを取りこむことが出来る高画素機だからこそ,レンズに対する高い互換性が重要であるとみんな気が付いたのです。

 同時に,高画素機の登場によってレンズのトレンドが変わって来たなあとも思います。とにかくキレキレの画質,MTFが全域で高く,画面の隅々まで収差が補正され,高いコントラストがますます好まれ,市場に投入されるようになったと思います。

 高画素機が高解像度なレンズを渇望し,高解像度なレンズがますます高画素のカメラを求めるという循環が,D800によって生まれたと私は感じました。

 そうした高解像度なレンズのせいもあるのでしょうが,高画素機になると目立つ手ぶれやシャッターの振動にも注目が集まるようになり,とにかくD800以前と以後では,デジタルカメラの評価軸が変わってしまったとさえ,思います。

 私はそれまでD2Hを使っており,高画素にはあまり興味がなかったわけですが,いい加減強がっていても仕方がないなあと思っていたことに加え,画素以外の性能についても近代化の必要を感じていました。

 しかしD2Hを使う私としては,今さらエントリーレベルのカメラを使う気にはなりませんでしたし,D2Hの不満点の1つであったAPS-Cサイズからフルサイズへの移行がないと,とても気に入っていたD2Hから乗り換える意味がないとも思っていました。

 さりとてD3は高すぎますし,D700はそのころすでに絶版。悩んでいたところに登場したのがD800です。連写機能を除いて私の望みをすべて越えたこのカメラは,私が生まれて初めて手にした20万円を越えるカメラだったのでした。

 D800が私にもたらしたものは,一般のそれとは違い,ようやく普通のカメラ趣味の常識を手に入れるものであり,かつ私にとっては革命的でもありました。もう強がる必要がなくなったのです。

 1つは,多くの人が良いと言うものを素直に良いと受け入れる,常識を持ったことです。オールドレンズを楽しむのもよし,クセ玉に手を出すのもよしなのですが,それは「今,万人がよいと認める」レンズを常用し,使いこなした上での話で,私もそれは分かっていたのですが,なかなか実感を伴うものではなく,結局言い訳や強がりばかりをしていました。

 ひどいのは,雑誌やWEBで評価されるレンズを,確かめも体験もせずに鵜呑みにしてあれこれと語ることです。大三元がなぜ必要なのか,神レンズと言われる最新のズームレンズがなぜ評価されるのか,それを私に「知る必要があることだ」と強く認識させたのが,D800の3600万画素だったのです。

 個人差はあると思いますが,1000万画素くらいではレンズの差を「なんとなく違うな」くらいでしか認識出来ません。しかし3600万画素なら話は違います。どこが違うか分かるだけではなく,これはダメだ買い直そう,と思わせるだけの違いを,容易に突きつけてくるのです。

 低コントラストも精細感のなさも逆光耐性のなさも全部「レンズの個性」と肯定的に考える力しかなかった私が,3600万画素によってはじめてこれらの弱点を体感し,否定的意見も受け入れることが出来るようになったことは私にとっては革命であり,新しいものはいい,高いものはいい,と言うシンプルな理屈に,一定の理解が出来るようになりました。

 だから,古い単焦点レンズや廉価な高倍率ズームでは戦えないと痛感し,それでもなんとななるんじゃないかと手を出したタムロンの28-75mmF2.8が結局値段相応で,やはり純正の大三元でないとダメだと心底思った上で,AF-S24-70mmF2.8の良さに感激したことは,私のカメラと写真の向き合い方を完全に変えたものだと,今でも思います。

 最近レンズの趣味が変わったなあと思うのはこういうがあったからで,澄み切った冷たい冬の朝の空気を吸い込んだような清涼感をレンズに求めるようになったのは,D800のおかげだと思っています。

 撮影スタイルが大きく変わったのもD800でした。親指AFが当たり前になったのもD800ですし,AFポイントをグリグリ動かして被写体を追いかけるのもD800からです。最新のAFシステムを受け入れて,そのシステムがなぜ高く評価されているかを身をもって体験した事で,人間が出来る事と機械に任せた方が良いことを,シビアに切り分けるようになりました。

 撮影スタイルでいえば,退化した部分もあります。高画素機はトリミングの自由度が大きいですから,思い切ったトリミングで失敗写真を救えます。これが結局緊張感のなさをうみ,トリミング前提のダルな撮影をしてしまうこともしばしばです。

 同じ事は露出にも言えて,少々のオーバーやアンダーもD800ならRAW現像で救える場合が多く,露出補正もAEロックもしなくなりました。高画素機はノイズの処理にも有利で,ノイズ除去を行ってもあまり荒れません。色とコントラストがおかしくなる方が先のように思います。

 ホワイトバランスもオートに任せてしまうので,グレイカードもどこにしまったか,忘れてしまいました。

 そしてその印刷までの流れですが,Lightroomを使うこともD800で本格化しました。D800だけではなくすべてのカメラをLightroomのワークフローにのせて処理する訳ですが,D800は高画素だけではなく,調整することが少ない,手のかからないカメラだったとつくづく思ったことを思い出します。

 最新の機材は,手間を省いてくれる。
 最新の機材は,失敗を減らしてくれる。
 最新の機材は,今流行している画像を作ってくれる。

 D800を使って思い知ったことは,つまりこの3つでした。

 そしてこの3つこそ,カメラの王道であり,メインストリームです。私はこれを理解することなく,カメラを趣味にしていたことを恥じました。

 もう1つ,ごく個人的な事情を話せば,D800が我が家で活躍した2012年夏から2017年夏までの間は,娘が0歳から5歳までを過ごした時間でもあります。カメラの役目が記録であり,被写体が娘である以上,その成長をその時最高の画質でとらえることはこの上ない喜びであり,D800はその期待に十分応えてくれました。

 幸いにして,D800は一度も故障することもなく,一度も不具合を感じる事なく,また一度も点検に出されることもなく,D850を購入するための資金作りのために,売却されました。

 いよいよ売却するというその前の夜,掃除をしていたD800はとても綺麗になり,我ながら大事に使っていたんだなあとつくづく思いました。娘も,人生の大半を共に過ごし,自分を記録し続けたD800との別れを,とてもさみしそうにしていました。

 27万円で購入したD800は5年後に9万円で売却されました。5年間という時間,2万枚という撮影枚数,そして差額の18万円によって私が得たものは,計り知れないものがありました。

 それは,ひょっとすると私のカメラ趣味が普通のものになっただけに過ぎないかも知れません。しかし,私にはその道はとても長く,D800を買う前の私には想像すらしていなかった,まさに楽園だと言えました。

 D850がどれだけ優れていようと,私にとってはD800の踏襲であり,変化ではなく前に進めるものです。D800で撮影した時に感じたあの驚きとがっかりが懐かしく,慣れるまでのイライラも慣れた後の心地よさも,私の手が覚えています。

 最後に,D800の画質と性能は,今でも十分通用します。3600万画素もD4ゆずりのAF性能も電池の持ち具合も最新レンズへの対応力も,まだまだそこら辺のカメラには負けていないと断言出来ます。

 だからこそ売却したわけで,性能に対して遥に安くなった中古のD800が,初めて一眼レフを触る学生さんを支えてくれたらいいなあと,そんな風に思います。

秒間9コマのために

 半年もすれば高価なバッテリグリップ「MB-D18」も少しは値下がりするだろうと,年明けくらいに買おうかと思っていたのですが,やっぱり長玉を縦位置で使う時には脇を締めないと落ち着かず,結局在庫が復活した購入の翌日に買うことになったのは,先日書いた通りです。

 繰り返しますが,電池ケースにボタンがいくつか付いただけのものが実売で5万円ですから,普通は理解出来ない値段と思います。今でも思いますが,やっぱり高いです。

 ここだけの話,非純正品(悪く言えばコピー品)が出てくれば1万円以内で買えるようになるわけで,たまにしか使わないならこれでもいいかなあと思っていました。(それに,コピー品と言えば聞こえは悪いですが,純正よりも持ちやすかったり,ボタンが多かったりすれば,それはもうコピー品ではなく,上位互換品です)

 しかし,いつも装着している状態で使うわけで,本体と同じ信頼性や剛性感を持っていて欲しいと思いますし,そもそも互換品が出てくるまで待っていられないということで,結局純正品をさっさと買ったのですが,値段のことはさておき,買って満足,期待通りのものでした。

 やっぱり,縦位置の時に脇が開かないのはいいですよ,レンズを中心にクルクルまわして縦と横を持ち替えることも長年のクセで染みついていますし,大きさと重さをスポイルしてもこのオプションは必要だったと思います。

 ところで,D800の時には単三電池を使うと連射速度も向上したのですが,D850ではそうもいかず,連射速度を最速の秒間9コマにするには,EN-EL18というD4やD5用の電池を使うしかありません。

 いわく,高速の連写には大きな駆動力が必要で,そのためには高電圧が必要なのだそうです。標準のEN-EL15は2セルで7.2V,EN-EL18は3セルで10.8Vです。

 ちなみに単三8本だとニッケル水素なら9.6Vですので,EN-EL15とEN-EL18の間になりますから,本当なら秒間8コマくらいになってくれてもいいんですけど,電圧の下がり方の問題もあり,出来ないと判断したのでしょう。

 ですから,せっかく高価なMB-D18を生かすのに,安価な単三電池で機能アップしないのは残念至極,秒間9コマにするには,2万円の電池と4万円の充電器がさらに必要になります。

 考えて見て下さい,バッテリグリップと電池と電池フタと充電器で10万円です。本体が40万円ですから,秒間9コマにするなら合計50万円です。これって,ちょっと前のプロ機の金額そのものです。厳しい。D5が50万円後半になっていますから,そっちを買った方が幸せになれるんじゃないかと思ったり・・・(いやいや,そもそも50万円が非常識な金額であることに気が付かないといけませんよ)

 そこで,少し考えて見ました。

 秒間9コマに必要なものは,MB-D18に電池フタBL-5,そしてEN-EL18bという電池と,充電器MH-26aです。

 MB-D18は買いましたし,BL-5は2000円ほどなので大したことはない,問題は充電器と電池なのですが,電池は互換品か中古品で済めば1万円以内,充電器は・・・なんとかD2Hに付属していたものを使えないかと考えました。

 D2HはEN-EL4という電池です。外形はほとんど同じなのですが,電池端子の位置が左右逆になっているのと,ガイドキーが異なっているので,物理的に装着出来なくなっています。

 ただ,調べたところでは,電池端子は6ピンでピッチも配列も同じ,つまり位置が異なっているだけだということです。

 というのは,充電器のMH-26aには,EN-EL4を充電するためのアダプタが存在していて,これがどうもコネクタの位置を変えるだけのもので,配列を入れ替えるとか,なにか別の電子部品を挟むなど,特別な事はなにもないんだという話を,事前に聞いていたのです。

 ただ,バッテリの充放電特性は異なりますし,完全に良い状態で充電出来るとは思っていません。あくまで間に合わせということです。でも,試してみたいじゃないですか。

 次に,EN-EL18です。EN-EL18には無印とaとbの3つがあります。EN-EL18はD4やD800が出た頃の製品ですので2012年生まれ,すでに5年が経過している古い製品でもあります。

 今回,開封済みだけど一度も使用していない新品を見つけたので,買ってみました。5000円ほど安いだけだったのですが,怖いもの見たさでポチってしまいました。

 届いた電池を見れば,確かに未使用品です。傷一つありません。しかしカメラに装着してもまったく動作せず,認識もしません。充電もすぐに異常を検出して充電が止まります。

 これはおかしい。

 電池の電圧を調べると全く出てきません。充電を強制的に行って見ても,電流が流れません。

 おそらくですが,過放電により内部のスイッチが切れているんだと思います。こうなると,もう普通は手出しできません。裏技で内部のスイッチをONにする方法がないわけではありませんが,過放電を本当に起こしているのであれば,ここで充電を行うと爆発や発火などの事故が起きそうです。やめときましょう。

 そもそも製造から5年も経っている電池が,途中で一度も充電されずにおかれていて,過放電になっていない訳がありません。これはハズレだったということです。

 残念ですが返品の手続きを取り,代わりにヨドバシで新品を買いました。高いとは言え5000円ほど高いだけですし,ポイントを突っ込んだので,1万円くらいで買えたからよしとします。

 到着してカメラに取り付けると,ちゃんと認識しています。ただし残量は僅か7%でした。試しに連写もしてみましたが,秒間9コマに放心し,私の目は無限遠を見ておりました。

 さらに,MH-21のコネクタを取り付けて充電を行ってみたのですが,これは残念ながら,すべてのLEDが点滅して充電できませんでした。

 想像すると,MH-21が電池と通信し,返事が来ないものには充電を開始しないようになっているのだろうと思います。

 さあ困った。うちには3セル充電出来る充電器がこれ以外にありません。

 そこで,禁じ手なのですが,充電電流だけEN-EL18bに流し,後の端子はEN-EL4に繋ぐということで,MH-21を騙してみることにしました。この結果充電がスタートし,30分で9.6Vから11Vまで電圧が上昇しました。

 D850に装着してステータスを確認すると,7%から37%に容量が増えています。これで当座はなんとかなりそうです。

 気になるのは,MH-21の充電LEDが,ずっと90%のところで点滅していることです。本来は10%以下であり,50%を越える事がなかったわけですから,こんなところで点滅しているのはおかしいです。

 EN-EL4の残量が90%だったので,どうも残量は電池内蔵のマイコンと通信をして得ているようです。このあたりはもう少し検討してみます。

 とりあえず,充電出来る目処は立ちました。

 翌日,さらに充電を続けて,CC充電からCV充電に切り替わるかどうか,そして満充電を検出し自動的に充電が終了するかどうかを確認してみました。

 前日手を抜いた電流計もきちんとつなぎ,電流と電池の電圧を見ながら充電を進めます。電池電圧は10.8V程度で,ここから充電を開始すると予想度落ち1.2Aの充電電流が流れています。

 順調に電池電圧が上昇し,充電開始から1時間ほど経過して12.6V付近になった頃,電流が減り始めました。CC充電からCV充電に切り替わっています。また,12.6Vで切り替わったという事は,セルあたり4.2Vを終始電圧としていることも分かりました。

 実は,この終始電圧というのがミソで,4.3Vだと目一杯充電出来る代わりに電池の劣化が進み充放電の回数が減ってしまいますし,4.1Vだと電池の劣化が抑えられる代わりに,目一杯の充電が出来ず動作時間が短くなってしまいます。

 また,電池の素材や特性によって終始電圧の設定は変わってくる場合があり,4.2Vの電池に対し4.3Vの充電器を使ったら,簡単に電池が劣化してしまいます。

 4.2Vというのは,そういう意味では非常に無難な標準的な電圧と言えて,MH-21がこの電圧になっていることが分かってほっとしました。

 さらに充電を進めると,順調に電流が減っていきます。電流が減ると電流計での電圧降下も減るので,ちょっとずつ電池電圧もあがっていきますが,それでもほとんどかわりません。

 そして200mAを割ったときに,とうとう電流がゼロになり,充電が終了しました。充電開始から2時間15分経過していましたので,昨日の30分と合計しトータルで165分です。充電中のLEDは点滅をやめ,充電終了を示す点灯になっていました。

 EN-EL18は2500mAということですので,1200mAで定電流充電すれば約2時間で充電が終わりますが,CVモードになってからは時間がかかるものなので,160分ほどという結果は,うまい具合に充電が出来たと考えて良いでしょう。

 満充電になったというEN-EL18をD850に取り付けて電池のステータスを確認したところ,劣化もなく,容量も98%となっていました。100%でないことも気になりましたし,撮影枚数が1枚になっていたことも気になったのですが,ここは充電後にリセットされる数字なので,正しくリセットされたことをもっとはっきり確認しなければなりません。

 ということで,不安がないわけではありませんが,MH-21は1.2AのCC充電と,12.6VのCV充電を切り替える充電器であり,MB-D18もきちんと充電出来ることがわかりました。ただし,電池の温度は全く伝えてはいませんし,電池のステータスも偽情報ですので,どんな事故が起こるかわかりません。危険なので他の方はこんな方法を使わないようにお願いします。


 てなわけで,満充電になった電池で,秒間9コマを味わってみました。

 本体に内蔵した標準のEN-EL15bと,MD-B18に内蔵したEN-EL18bをメニューから切り替えて,動作の違いを見てみます。


 まず,秒間7コマと秒間9コマでは,もはや別のカメラと思うほどの感触の差があります。動作速度全体が上がり,音も大きくなります。ミラーショックが大きくなっているのには私も驚きました。

 秒間7コマの気持ちで構えていると,そのショックの大きさにびっくりしますし,当然ブレも出てくるのではないかと思います。秒間7個までも十分な場合も多いですし,音の大きさとミラーショックから,普段はEN-LN15出使うのが良さそうです。

 そして秒間9コマはやっぱり強烈で,やっぱり脳内麻薬が出てきますね。前述の通り動作速度が全体的に上がってとても機敏になりますし,駆動力も上がってぐいぐい動きます。この力強さは手に伝わって来ますし,キレも良くなります。

 力強い駆動力にそれを支える骨格,高精度なAFシステムにシャッター速度を上げられる高感度特性を持ち,高速連写に耐えうるハードウェアを持ちながら,4500万画素というトリミングも楽々こなす画素数を実現したD850は,確かにどんなシーンにも活躍し,まさに撮影領域を大きく拡大するカメラだと思います。


 ・・・しかし考えて見ると,安く済んだのは充電器を買わずに済んだと言うだけの話で,他の3つはすべてヨドバシで買ってしまいました。ヨドバシも昔は安かったんですが,今はポイントを差し引いたら他の店と同じ,という程度の割引になっているので,もうすっかりポイント無間地獄です。(ヨドバシのポイントは他の店では使えないので,結局ヨドバシで買うことになる)

 こういうことなら,最初からD850の購入予算に入れておけば良かったと後悔しているのですが,問題はこの大げさなシステムを,どこに担ぎ出すのかという話です。今の私には,秒間9コマだと,1回のレリーズで3枚ほど撮影出来てしまうくらいなので,明らかに体が慣れていません。

 こうなったら,もっとD850を触って,体を慣らしていくしかありません。


LA音源30周年

 「世界よ,この音がローランドだ」で世界が衝撃を受けた,ローランド初のデジタルシンセサイザーD-50の発売から,なんと今年で30年になりました。

 今ひとつ盛り上がらないのは,D-50がプロ用の機材であり,1980年代を生きた人の間でも,身近に感じる人が限られているからじゃないかと思います。

 誰もが知るヤマハのFM音源は画期的でしたし,プロ用の機材から8ビットパソコン,果てはゲームマシンや携帯電話にまで入り込んでいたのですから,身近に感じるマニアがたくさんいるのもわかります。

 しかし,LA音源は何かに内蔵されることはなく,MIDIで繋がるものがほとんどでした。パソコンを中心に考えたシステムでは周辺機器として知られたにとどまりましたし,D-50に至っては鍵盤が弾けること,ライブで使うこと,そしてこれが重要なのですが,他にもシンセサイザーを持っていなければ,欲しいとすら思わないシンセサイザーだったと思います。

 ですが,その音は必ずどこかで耳にしたはずです。

 技術的に面白いのは,D-50はローランドで最初のデジタルシンセだったわけですが,同時にMT-32も同じカスタムICで開発されており,心臓部であるLA音源チップ「LA32」はプロ用のシンセサイザーと,ピアノの拡張音源であったMT-32の両方に使われていたのです。

 さらに興味深いのは,同じ音源チップを使っていながらも,D-50とMT-32や後のD-10/20系列とは,音そのものも異なりますし,パラメータも違い,音作りの考え方にもズレがあって,全く別物と考えなくてはならなかったことです。

 理由を考えて見ますと,LA32というチップはPCM片の音出しとサウンドジェネレータを32備えたチップに過ぎず,LA音源の音の個性はLA32の外に置かれたROMに格納されたPCM片によって生まれることから,D-50とMT-32とで異なるPCM片を持たせて異なる個性を与えることは,容易であったということです。

 そのPCM片も,D-50が音色の一部分を作るのに最適化されているのに対し,MT-32系列ではそれ単独で音色になるようなものを中心に用意されています。これはMT-32がマルチティンバー音源であり,できるだけパーシャルを少なく音を作らねばならなかったという事情があります。

 D-50はライブ用のシンセサイザーで,16音ポリなら2パーシャル,8音ポリでも4パーシャルを1つの音色に使っても演奏に支障がないですから,一部分だけをPCMで作るなどの贅沢が許されるのです。

 また,一番大きな音質の差の原因が,エフェクトだったように思います。D-50とMT-32のエフェクタの音質差は大きく,D-50はさすがに高品位でしたし,EQもコーラスも搭載されていました。MT-32ではリバーブとディレイだけで設定の範囲も限られていました。

 こうして考えていくと,あくまで今にしてみれば,と言う話ですが,アナログシンセとFM音源が人工的で自然な楽器にほど遠い音だったのに対し,サンプラーは自然な楽器そのもののリアリティを備えていた中で。D-50のLA音源はちょうどその中間にあり,人工的でも自然でもない,どちらでもありどちらでもないという,つかみ所のない音だったといえるのではないでしょうか。。

 これがD-50の個性であり,LA音源がその時代を代表するシンセサイザーであった理由ではないかと思うのです。

 それは,きっと生い立ちからそうだといえて,FM音源のような既に理論として完成しており,開発はそれを半導体に実装することだったわけでもなく,サンプラーのように技術的に目処が付いていながらもコストが理由で作る事が出来ず,開発はコストを下げることだったわけでもなく,LA音源はどういう音源にするかという根本部分から開発された,完全スクラッチの数少ないものであったことも,影響しているのではないかと思います。

 つまり,開発中はどんな音が出てくるのか不明,そもそも完成するかどうかもわからない状態だったはずで,手探りで進んだ開発は困難だったとは思いますが,何かに似せる必要もなく,どんな音でも許され市場に出る可能性があった,とても恵まれた状況であったとも言えます。

 FM音源の開発のゴールは,FM理論に従ったシンセサイザーが動作することですから,FM理論に従った音が出ることが求められます。サンプラーの開発のゴールは,いってみれば安く作る事がゴールですので,何回作っても音そのもののゴールは変わりません。LA音源はそうではなく,開発者,設計者が思い描いた音がゴールであり,偶然出てきた予想外の音もゴールです。

 当時開発に大きく関わったEric PersingとAdrian Scottの個性や傾向がD-50を支配していたことはその音を聞いても明確で,ここで定まったローランドの音は,しばらくの間不動の個性として君臨することになります。おそらくですが,FM音源でもサンプラーでも彼らの個性を表現する事は難しく,LA音源のようなゼロから作った音源だからこそ,彼らの創造力が具現化されたのではないでしょうか。

 そして筐体のデザイン。それまでの何にも似ていない洗練された新時代のデザインは,これまでのローランドはもちろん,他社のシンセサイザーとも明らかに違う音を期待させました。いやー,格好良かったなあ。

 そして誕生から30年。当時のCDとその後のCDを聞けばいかにD-50が画期的で,その後の音楽の方向を作ったかを思い知らされるわけですが,D-50そのものはなくなっても,音は引き継がれ,時代に関係なく使われていることを考えると,それが単に流行のものではなかったことを思わせます。そんな楽器に,そうそう出会えるものではありません。

 ただ,当時もその個性が万能ではなかったゆえに,好き嫌いがはっきりしたシンセサイザーだったとは思います。使われ方も,流行っているから使っていると言うだけで,その音で新しい音楽を作ろうというアプローチを,あまり目にすることはありませんでした。

 その後出てきたM1となにかと比較されたD-50は,リアルさから評価が低かったこともありますが,それでは30年後の今,M1の音と言われて思い出す音があるかと問うと,案外思い浮かぶものがないことに気が付きます。M1は確かに音楽制作の現場を変えたほどの影響を与えた歴史的名機でしたが,それは現場での即戦力として高次元でバランスしており,それ1台で何でも出来た事が理由で,D-50のように強い個性で記憶に残り,歴史に名を残したものとは,対極にあったと考えて良いでしょう。

 そんなわけで,D-50の30周年,おめでとう。あなたも歳を取りましたが,私も歳を取りました。

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