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疑惑のエコナ

 花王という洗剤メーカーが放ったエコナという食用油は,脂肪が付きにくいという触れ込みで市場に投入された,ベストセラーです。特保指定という役所のお墨付きまでついていれば,効能に半信半疑な人であっても,まさか危険な食べ物とは思わないでしょう。

 しかし,数年前,ヨーロッパで報告されたある報告が,エコナを地獄に落としました。

 私は電気屋であって化学屋ではありませんから詳しいことはわかりません。それゆえ無責任な話になるかもしれませんが,私の理解ではこうです。

 エコナを製造する過程で出る生成物の濃度が結構高く,悪いことにこの生成物には発がん性が指摘されている,というお話です。

 まあ,生成物を全部除去していたら純度100%になってしまうわけで,そんな非現実な話もないでしょうから,既知のやばそうな不純物だけ除去して出したら,後日別のやばいやつが見つかった,ってなもんでしょう。

 花王としても,そう易々と危険性を認めるわけにもいかないので,化学屋としての客観性とメーカーとしてのプライドにせめぎ合っている状態ではないかと思います。

 個人的には,安全安全といいつつ,その根拠は「実験方法が国際基準と違うから危険とされるデータは信用できない」といったような,危険というデータの否定が中心であるかのうような印象をもちました。そんなに安全というなら,自分達の客観的なデータで説得すればいいんじゃないかと思います。

 その上,来年2月に当該成分を減らした改良品を出す予定だとか,特保指定を自主的に取り下げたとか,ほんまに安全なんか?と思うような動きを見せています。

 どうも,この改良品を2月に出すというのがひっかかります。私たちの世界でも,密かに改良品を出す事はありますが,それでも改良前の製品が危険だったり欠陥を持っていることはありません。もっというと改良はコストダウンや生産性の向上,耐久性や外観の改良であって,その製品の性能を期待して買って下さった方を裏切るようなことはありません。でもエコナの場合,どうもその辺が不透明な気がしてならないのです。

 消費者はバカではありませんから,こういう話があると敏感に察知するものです。花王は返品に応じるようになりました。最初は電話をした人だけに返送先が伝えられたようですが,最近は電話無しでもホームページにある住所に送れば返品できるようです。

 実は私も,未開封のエコナクッキングオイルを1本持っていました。今使っている1本は自分で買ったもので,もうすぐなくなります。これは使い切るつもりです。

 未開封のものは,母がお歳暮かお中元で頂いたもので,たくさんあっても困るからと分けてもらったものです。

 正直,エコナはおいしい油ではありません。コーン油のような香ばしさとか,紅花油のさっぱり感とか,そういう感覚からは遠い油だと思いますが,そこは健康のためと割り切る現代人が多いという事でしょう。

 危険な可能性があり,メーカーも回収をしている,しかもいずれ改良品が出て特保指定を自ら取り下げるなどという話を聞かされてしまうと,わざわざ新品を開封して食べようという気が起きないのも無理からぬことで,かといって油ですから気軽に捨てる訳にもいきません。

 そこで,申し訳なかったのですが,別の荷物を持ってきてくれたクロネコヤマトのおっちゃんに,エコナを着払いで持っていってもらうことにしました。

 4日ほど経過し,花王から私に宅急便が届いていました。中身は1000円分の商品券です。送料に1000円ですからね,花王も大損害です。大丈夫なんやろか。

 それに,一般消費者もさることながら,OEMや業務用に出荷したエコナの対応も大変なはずで,関係者はもう寝る間もないくらいの状態ではないかと,お察しします。

 さらにびっくりしたのは,印刷された定型文に書き添える形で,手書きの謝罪文がかかれていたことです。安全性云々は別にして,心配をおかけしたという内容なわけですが,私としても心配なので返品したのですから,その誠意は十分に伝わって来ます。手書きの謝罪文というのは,想像以上のものがあります。

 改良品を頑張って出します,とあるので,思わず頑張ってくれと思ったのですが,この1000円分の商品券で改良強化新型エコナを買うことが,この誠意に対する私のお返事になると考えています。
 

カセットコンロの買い換え

 ここ数日でめっきり寒くなって,少し前にはあれほど暑苦しいと思っていた土鍋が恋しい季節になりました。

 私も冬は土鍋を使った料理を自宅で友人と囲むことが多くなるのですが,そうなると欲しいのはカセットコンロです。

 カセットコンロは1980年代に登場し,それまでホースか電線で繋げるしかなかった一口コンロをコードレスにし,取り回しのよさだけではなく,足を引っかけて鍋をひっくり返すという命にかかわる事故を激減させたに違いなく,結果として一家団らんに革命をもたらした大発明だと個人的には賞賛しています。

 実はボンベが1つ100円程度とそこそこ安く,滅多に調理をしない独身者は,立派なコンロを都市ガスで使うよりも,基本料金を考えるとカセットコンロの方がずっとお得になるんじゃないかと思います。

 私も電磁調理器に変えるまで,カセットコンロを常用していた時期があり,なかなか便利に使っていました。ただ,高熱にさらされるため劣化がはげしく,塩分や油分がさらに追い打ちをかけて,3年もすると見るからに「危険」な様相を呈してきます。

 原理が単純なだけに一瞬使えそうと思うのですが,いつしかカセットコンロの下にたまった酸化鉄の粉の山をみると,これがどこから落ちてきたのか考え込んでしまい,火を着けようと伸ばした手を引っ込めてしまいます。

 そもそもガスのような得体の知れない物騒なもの(私が電気屋ではなく化学屋なら逆を言っていたように思いますが)に警戒感を持っていた私は,最後には電磁調理器に切り替え,以来IGBTとコイルが鉄の鍋と一緒に紡ぐ美しいハーモニーに酔いしれ,現代科学の偉大な勝利に祝杯を挙げる日々を送る事になるのですが,今週は寒いので土鍋で鍋焼きうどんにしようという話になりました。

 ところがかつて使っていたカセットコンロを見やると,まるでデロイアの砂漠に朽ちるコンバットアーマーのようです。

  鉄の腕は萎え 鉄の脚は力を失い
  埋もれた砲は二度と火を吹くことはない

  狼も死んだ 獅子も死んだ・・・
  だが砂漠の太陽にさらされながら巨人は確信していた
  若者は今日も生き 若者は今日も走っていると

  巨人は若者の声を聞いた
  吹きわたる砂漠の風の中に 確かに 聞いた


 あれ,前がかすんで見えないや・・・ちょっとダグラム全75話見て来ます・・・

 ・・・

 ・・・戻ってきました。Not even justice,I want to get truth.

 えと,なんだっけな,そうそう,カセットコンロでしたね。

 ということで,次世代制式カセットコンロの導入のため,会社の帰りに大手家電量販店に行ってきました。枯れた商品ですが,今まで数多くの私の期待を裏切り続けたお店のことです。価格が高いだの在庫がないだのと,結局通販で買うことになるような気がしますが,行くだけいってみます。

 面倒臭いので結果だけ書くと,イワタニのCB-CG-8というモデルを,2780円のポイントなしで買いました。ネットでは2980円に10%のポイントって感じですね。てことはネットだと実質2700円ですね。いやー,毎度毎度ふっかけてくるなあ,ここは。

 以前のものより火力が強く,しかもボンベを常時暖めてガス圧が下がらないという,一歩間違うとアフロ確実なギミック搭載で気分もブーストアップな商品ですが,2006年発売ですので事故が起きてリアルアフロになってる人がいたら,すでに話題になっているでしょう。

 早速使ってみますが,全体に剛性が低く,土鍋を置くと重みで歪みが出ます。これでは松任谷正隆さんと田辺憲一さんから厳しい意見が飛び出すことは必至ですが,もしかすると柔よく剛を制す,この歪みがボディ全体をサスペンションにして接地性能や追従性能を高めているのかもしれません。でもそれって初代CR-Xだよなあ・・・故ポール・フレール先生はそんなCR-Xの大ファンだったしなあ。

 中国製に見られるような精度の低さはなく,そこは(表記を信じるならば)さすがに日本製というところでしょうか。テフロンでコーティングされているので吹きこぼれも簡単に掃除ができて,全体的に不満はありません。極めて無難な買い物だったと思います。

 個人的な考えですが,私のように電気に依存する人間でも,やはりエネルギーは分散させた方がよいと思っています。特に液化ガスは熱源としては優秀で,これを少しでも確保しておくと,災害などの時にも役に立つと思います。

 最後に軽くレシピですが,市販の白だしの素を買ってきて,これを1:6で希釈,だしはこれだけでokです。うどんに白菜,鶏のもも肉にかまぼこや椎茸,焼き豆腐やネギなど思いつくままに投入し,一煮立ちしたら頂きます。とてもおいしかったですよ。
 

二子玉のライカ

 すでにプロの道具としてより,お金持ちの道楽となって久しいライカですが,写真を楽しむ人間の間に横たわるライカ原理主義には,確かに抗いがたいものがあります。

 こういうことを言っているのも日本人だけのような気がしなくもありませんが,ライカ自身も自分達の製品のどこが支持されているかをよく分かっているので,そこから外した製品を作ってこないところは,さすがだなと思います。イタリアもドイツもフランスも,それぞれ相容れないほどの個性があるのに,こういうところは共通していますよね。

 私はライカには今ひとつ魅力を感じない人で,つくづくNikonとPENTAXの国に生まれた良かったと胸をなで下ろしているのですが,世界で最初の直営店を銀座にオープンしたというニュースを聞いたときには,ライカもよく分かっているなあと感心したものです。

 さて,続く2号店が出来るというので聞いてみると,なんと二子玉川の高島屋です。

 確かに世界中のブランドが軒を連ねる二子玉の高島屋ですが,だからといってライカの直営店を出してどうすんのかなと,興味というよりに心配になりました。Nikonが御殿場にアウトレットモールを出すのとは訳が違います。

 そのオープンが先週だったので,この土曜日に偵察してきました。

 まず,やや薄暗く照明を落とした上質な内装,ぴしっとした服装の店員が,一見さんを遠ざけています。展示された品物はすべてガラスケースに入っており,手に取ってみることなど全然出来ません。カタログは完備されているようですが,同時に写真集なども用意されており,こういうところをちゃんと押さえているところに好感を持ちました。

 でも,まるで宝石店のような値札と,宝石に匹敵する値段のカメラが鎮座していますが,これじゃますますここでライカを買うのは難しいんじゃないでしょうか。

 扉などもなく,非常にオープンなスペースではありますが,その入りにくさは通りすがりに目で追いかけるのがやっとという雰囲気です。仮に用事があっても,一度足を止めると,また翌日に来る羽目になるでしょう。

 うーん,中学生の時にはじめてエロ本を買った時を思い出しますね。

 しかも,お客さんは誰もいません。

 私は,彼らの放った「貧乏人は来るな」オーラに強い向かい風を感じ,すっかり戦意を喪失しました。まさにATフィールド。この見えない壁を越えた人は,どれだけいるのだろうか・・・そこにあるのは屍です。

 最初から一人で入るのは無理とふんで,友人に一緒に来てもらいましたが,すっかり戦意を喪失した私は友人の方を見て「やっぱ無理だわ,せっかくだけど帰ろうか」と尻尾を巻いて逃げるつもりで横を向くと,いつもの間にやら彼女は私のはるか先を歩いてグングン店に近づいています。

 おいおいおい・・・と手を伸ばした時には,彼女はすでにお店の中にいました。なんと突入成功です。いやはや,カメラマンはファインダー越しなら怖いものがなくなるといいますが・・・

 やむなく私も彼女の後を追いかけて店内に入ります。

 お店には私と彼女の二人だけです。しかし明らかにライカを分かっていない人丸出しで,しかもお金の匂いの一切しない貧乏人であることが見透かされていますから,店員さんも無理に声をかけてこようとはしません。

 私も,カメラとレンズがいくつか展示されている程度だと見るべきものも少なく,店に入ったことを本気で後悔したほどでした。はっきりいって,秋葉原の真空管専門店の方が100万倍楽しいです。

 実は,レンズキャップやボディキャップなどのちょっとした小物が確実に手に入る場所として期待している所もありました。しかし,仕立ての良さそうな高価な革製のカメラケースがいくつかあった以外に,そうしたオプションのたぐいがあるような気配もなく,もしかすると言えば出てくるのかも知れませんが,そもそも尋ねにくい空気が充満しているので,はっきりいって電車で新宿までいった方が楽です。

 私は,はっとしました。

 このアウェイな感覚はなんだ,と。

 これをホームと思える人でないと,ライカを買う資格はないのか。その価値を認めるだけでは全然足りないというのか。

 無邪気に「これなに~」と私に聞く彼女の背中を押し,私は頭の中を真っ白にしながら,そそくさとお店を後にしました。撤退です。

 しかし,一矢報いたと思うのは,私たちが店に入った後,数人続けて店に入ってきたことです。みんな興味はあるんですね。入りたいとも思っているんですね。でも,やっぱり入りにくいのです。誰かがいればそれでも入りやすいんでしょうが,誰もいない所に入り込んでいくのは,二子玉川のような場所だからこそ難しいのです。

 窒息寸前で意識が朦朧としている私は,近くにあるカメラのキタムラに逃げ込み,NikonとPENTAXの中古品に囲まれ,その傷を癒しながら,「ここが私の居場所だ」とつぶやいて,2800円のレンズを買うかどうか迷っていました。幸せを噛みしめていました。

 真面目な話,銀座の直営店が出るとき,売れなくても儲からなくてもいいと言う事でしたから,ライカとライカのカメラを見てもらう機会を作る事,現在の顧客はもちろん将来顧客になりそうな人,あるいは顧客になる条件を備えた人の貴重な意見を吸い上げる場所として機能することが,最重要なのだと思います。

 すでにライカを持っている人,あるいはこれからライカを負う人にとって,サロンのような役割が期待されているのだと思いますが,ヨドバシやビックでカメラ自慢をするじいさんがこういうお店に吸収されてくれると,我々のような買い物客は待たずに買い物できるなと思いました。

 ただ,私のような人でさえ,ライカがとっても格好良く見えました。これは事実です。M8もM9も実にかっこよかったですし,無骨なS2も実物は流麗で,手に取ってみたくなりました。X1も展示がありましたが,写真よりもずっと格好良く,特に上からの眺めが実にいいです。値段によっては買ってもいいかなと思わせる魅力があります。

 レンズも双眼鏡も展示がありましたが,やっぱり高いです。ただ,その重厚さは手に取るまでもなく,見ているだけでも十分に想像が付きます。そして,フードが格好いい。ライカの角形フードはなんであんなに格好いいんでしょうね。

 かつて,ライカのM3は業界を震撼させ,特に「俺たちはライカに迫った」と勘違いをしていた日本のカメラメーカーを,完膚無きまでにたたきのめしました。

 ライカとM3に恐れをなした日本のメーカーは,しょんべんをちびりながら,ライカが手を付けていなかった一眼レフに逃げ込みます。ライカは王者の風格で,敗走する敵を追う事はしませんでした。

 しかし,ここで敵を逃がしたことが仇になり,大量生産技術と電子化技術でカメラを高級品から日用品にした日本のメーカーに,ライカは土俵際まで追い込まれてしまいます。

 ミノルタがライツと技術提携した際に,ミノルタの社長が恩返しのつもり,と言ったことはよく知られたエピソードですが,この時,果たして日本側に奢りはなかったでしょうか。

 自動車メーカーと同じく,資本が入れ替わり立ち替わり,そのオリジナリティを維持するのも苦しかった時代があったと思うのですが,Mシリーズをデジタルカメラのブランドとすることで明確なメッセージを発信した覚悟はすばらしく,今のライカは良いスタンスを保っているなあと感心しています。

 私の場合,一生オーナーになる事はないと思いますが,その輝きを失わず,今いる顧客を大事にして,写真の歴史と文化にこれまでと同じ足跡をきちんと残して欲しいと思います。

さようならプジョー306,さようなら

 私の所有する自動車,プジョー306style(97年式,N3最終型)が,先日の土曜日に私の元を離れていきました。

 私が新車で買った最初の車で,私が初めて手に入れた外国車です。ついでにいうと私が最初に乗ったフランスの車でもあります。

 1997年と言えばインターネットが家庭に入り始めた時期でもあり,個人のホームページが少しずつ立ち上がっていた頃だと記憶していますが,当時よく見た306のページも,今ではほとんど見ることがなくなりました。

 そりゃそうです,306が世の中に登場したのは1993年で,日本では女の人の前髪がまだエビの触覚のようになっていた時代です。後期型のN5の販売が終了したのでさえ2001年ですので,そこからだってすでに8年が経過し,最初の車検で買い換えをするのが普通な日本の自動車事情において,未だに306を乗り続けている人はもう心中する覚悟の人だけといってもいいはず,です。

 私はN5が投入される1997年8月に,N3の国内在庫最後の3台を滑り込みで衝動買いした人でした。どうもN5のフロントマスクが好きにはなれなかったことと,ずっと昔から馴染みのあったPEUGEOTと306というロゴの切り抜き文字がの意匠がN5で随分変わってしまったことが気に入らなかったというのが大きな理由でした。

 プジョーも激動の自動車業界にあって,何年かごとに節目を迎えていますが,私にとっての憧れのプジョーは,つまるところN3が最後だったのだろうと思います。今でもN5とN3のどちらか,と言われれば迷わずN3を選ぶだろうと思います。

 まあ,N3にしてもN5にしてもそうですが,フロントがマクファーソンストラットとごく普通のもの,リアに至ってはトーションバーという旧世代のサスペンションは,実際に乗ってみると実にしなやかで,これがあのネコ足なのか!と思わせるものです。ボディ剛性も低くなく,ドアを閉める音やボンネットを締める音に,高音が響くことはありません。 運転の下手な私ですが,この車がボディ剛性とサスペンションの存在を意識するようになったきっかけになったなあとつくづく思います。

 がちっと切り立った端整なプレスラインはピニンファリーナとプジョーデザインチームの共同で引かれたものであり,個人的には306の柱となる線だと思います。ピニンファリーナがかかわらなくなったと言われる206以降のデザインとは,このプレスラインの主張がやや異なるように感じるのですが,これが1990年代初頭に登場したデザインかと思うくらい,少なくとも私の目には古くさいものは見えません。


 前置きが長くなりましたが,事の顛末はこうです。

 始まりは1週間前の日曜日の夜,滅多に話をしない父から電話がありました。こんなことをいうのも何ですが,父親というのは友達や同僚のような気安い存在ではなく,いわば会社の偉いさんのような存在ですから,父と話をするときと言うのは自分ではどうにもならないことを相談するときだけ,です。

 父が言うには,自分が乗っているイギリス製の高級乗用車(以前父は某ドイツの某最高級車メーカーの最上級クーペに乗っていたことがありました・・・)に故障が頻発,面倒臭いので手放すことにしたと,普段の足に使っている軽自動車が便利なので別に困るわけではないが,ゴルフバッグを積むときや,友人を乗せるときなど軽自動車ではまずい(しめしがつかん),かといって新しい車を用意するのはお金もかかってしまう,良く考えたら私がほとんど乗っていないプジョーを持ち続けていて,しかも結構負担に感じているという話を思い出し,そういうことなら自分が譲り受けようと考えたらしいのです。

 私は1997年に新車登録をしたプジョー306を,丸12年経過した現在において,走行距離がわずかに8300キロちょっとと,ほとんど走らせていません。別に特別に大事にしていたわけではなく,自動車がなくとも生活が成り立つ場所に住み,どんどん自動車を生活から外れた場所においてしまい,自動車を動かす事が億劫になってしまった結果です。

 ポルシェとかフェラーリとか,そういう資産価値のある自動車がほとんど走行しない状態であることは珍しくないそうですが,306のような車でこの走行距離は異例中の異例でしょう。

 おかげさまで2年に一度の車検を含み,トラブルらしいトラブルはほとんどありませんし,屋根のない駐車場に12年間おいていましたがカバーをずっとかけてあり,直射日光や砂埃を避けてきたことで,そんなに見た目も悪くないと思います。加えて私はタバコを吸いませんので,内装も綺麗です。

 経済的な理由も含めて維持できなくなったときには手放そう,でも維持できる環境にあるうちは乗るか乗らないかに関係なく持っていよう,そんな風に割り切ったのが5年ほど前でしょうか。ちょうど個人がそれぞれに自動車を持つ事が無駄に思えた時期でもあり,自動車としてプジョー306以上を望まない気持ちに変わりはなくとも,そもそも自動車を持つ事に疑問を感じて揺らいでいた時でした。

 ただ,今のプジョーは小型の207でも安全基準の関係で3ナンバー枠に拡大していて,私の好きな全長4000mm,全幅1700mm,重量1000kg程度のハッチバックという,以前なら珍しくも何ともなかったサイズが存在しません。また,1800ccのNAという普通のエンジンも,5速MTというこれまた普通のトランスミッションも,今や絶滅寸前です。

 プジョーには熱狂的なファンも多く,こうした今では珍しい自動車を持つ事には,それなりの理解があると感じます。中でもある意味でとてもお手頃なこの306という車は,今のプジョーにはない魅力がいっぱいで,10年経過すると誰にとっても無価値となる国産車に比べ,特定の人種には理解をしてもらえるのではないかと思います。

 私がへこたれて手放してしまうと,また306の個体数が減ってしまいます。

 それに手放してしまったら,もう二度と手に入れる事など絶対に出来ないでしょうし,さらにいうと200万円以下でプジョーはおろか1800ccクラスの普通の自動車が新車で買えることは実はそんなにありません。(といいつつ本日207の一番安い設定が189万円になりました・・・)

 遠のいているとはいえ,ごくたまに自動車を運転すれば,それはそれでとても楽しいことには変わりありませんから,例えば職を失うとか,引っ越しをするとか,修理代に100万円かかるとか,そういう事でもない限り,私が維持するのが責務のように感じていたのです。

 幸い経済的な負担には耐えることが出来る状況にありますが,楽器やカメラのような小さいものとは違い,気軽に捨てたり修理出来ません。保管場所には不動産契約が必要になるほど大げさであり,その潜在的な能力は時に人の命を奪うことさえもあります。外の雨風に晒された機械製品が10年以上も放置されれば,どこかがおかしくなるのが普通でしょう。

 持っていたいから持っていよう,というようなお手軽なものとは違い,持つ事にもそれ相応の責任と義務が発生するのが自動車です。ここから先,資産的な価値も消え失せた古い自動車に,いずれやってくる廃棄処分の負担の大きさを想像すると,気が重くなってしまいます。

 その負担から逃げると言うより,今の私の生活では,その負担に見合うだけの利便性を,自動車を所有することから得られないことに悩んでいたというのが正しい言い方で,社会的に見て私が自動車を所有するのは(個人の勝手ではあるけども),とても贅沢なことだという後ろめたさを感じていました。

 父は続けます。もし自動車がなくても困らない生活をしていて,なんらかの負担を感じているのであれば,自分が自動車を必要とするであろうあと数年間代わりに乗ろう,名義の変更もちゃんとして,保険から車検から維持費から全部自分が引き受けよう,悪い話ではないと思うんだけども・・・

 確かに破格のお話です。資産的価値のなくなった自動車を,元々全車種中最低グレードの,しかも12年落ちのプジョーのマニュアル車で,さらに左右の横っ腹がへっこんでいる不細工な車に乗ってやろう,しかも50年以上自分の生活の中心であり続けた自動車生活を締めくくる,最後の車にしようというのですから。

 急な話に戸惑い,即答できずにいると父はさらに,心残りというなら,他の人に売ったりあげたりすることはしないと約束するし,車検が切れてしまった後でも廃車せず,保管しておいてもいいだろう,そして気が済むまで持っていたらいい,と言います。

 そして最後に,恩着せがましい言い方をするつもりはないが,下駄代わりに乗り潰すつもりはないし,乗らないときでも毎日エンジンくらいはかけてやる,と。

 この,毎日エンジンをかける,で私の心は動きました。今の自分が出来ない事を,父は簡単にやってのけることができるのです。私がこの車を持つ事は,半ば意地になっていたところがありますが,それは果たして,車のためになっていたのかどうか。

 車検の次に車を動かすのが次の車検だなんて,非常識にも程があります。それでも2年経って,キーをひねれば何事もなかったようにエンジンは一発でかかります。アイドリングは軽快で,やっと起こしてもらえたよ,と言っているように聞こえます。

 私はすでに,ドライバーとしてはもとより,オーナーとしても失格でした。

 自動車は,言うまでもなくモビリティのための道具です。人や物を少ない労力で動かすことが存在の理由です。置物でもなければ,意地で持つようなものでもありません。いわば生き物です。毎日乗って,調子を見て,それで初めて愛着だってわくものです。私のような距離感で愛着などわこうはずはありません。もし愛着を感じたとしても,それは私がただ「惜しい」と思うだけの,さもしい根性に過ぎません。

 私は数日考える時間をもらい,電話を置きました。一緒にこの車と時間を過ごした親友に連絡し,車を手放すことを伝えると,彼女はいろいろ思い出してポロポロ涙をこぼしました。そしてお別れの時には写真を残そうと言いました。

 翌日,父に改めて電話をし,父の申し出にありがたく甘えることを伝えました。父のことですから,気が変わったとかどうしても欲しい人が現れたとか,そんな話で誰かに譲った,という話もあったりするかもしれませんし,実は父の手元に渡ってから急にあちこちが壊れてしまい,修理代に何十万円もかかるとわかり結局廃車にすると言う結末があるかもしれません。

 ただ,父は,私よりもはるかに運転がうまく,自動車に対する情熱を持っています。父の古い友人には腕のいいメカニックがいて,私もお世話になりましたが,とても心強い方です。

 それだけでなく,周りには自動車に関係のある人たちがたくさんいるので,ひとりぼっちだった306は急に賑やかになったことに驚くことでしょう。あと少しの間ですが,最後にそういう境遇に置いてあげられるのは,とてもよかった事なのかもしれません。
 
 話としては,土曜日の夕方に,私の住んでいる場所の近くにある,父の知り合いの輸入車の中古車販売会社の店員さんがわざわざ306を引き取りに来られ,そのお店が東京から大阪に運ぶ予定になっている他の車と一緒に,トレーラーで陸送されることになっています。

 先日の土曜日の夕方,もう薄暗くなっている状態でしたが,その前日から続いた雨もすっかり上がり,時折晴れ間も見せつつ,綺麗な夕焼けが暮れてしまう頃に,306は軽快なエンジン音を響かせて,私の元を離れていきました。本当にあっという間の出来事でした。

 私はこの時生まれて初めて,自分の買った車が他の人の運転で走る姿を眺めることが出来たわけですが,買ったときからお気に入りだったリアエンドの丸い感じが遠くに消えていくのを見て,もうこれでお別れなのかと,言葉にならない寂しさを感じました。

 一方で,これでもう心配することはない,そんなすっきりした感覚も否定できずにわき上がってしまい,複雑な思いも感じました。

 現実に戻って駐車場の解約,JAFの退会など手続きを済ませ,名義の変更が終わってから保険の手続きをすることにしています。

 こうして,私個人は自動車社会との直接の接点を失います。そもそも居心地の良くなかった自動車社会ですから,そこに未練はありません。しかし工業製品として,あるいは文化の1つとしての自動車と,決定的な別離は寂しい限りです。

 自動車は今,大きな転換点にいます。化石燃料を動力源にする仕組みはもう限界に達し,経済的合理性をトリガに,次世代の自動車が覇権を競っています。ハイブリッドは過渡的な車なのか,本命は本当にEVでいいのか,動力源以外にインテリジェント化はどこまで必要なのか,ドライビングプレジャーを我々は失わずに済むのだろうか,環境や経済性,安全性と次の100年も両立出来るのだろうか,不安は尽きません。

 馬車の代わりにヨーロッパで登場した自動車は,当時最先端技術であった機械工業をバネにして上流階級の高貴な趣味として育ち,自由の国アメリカに渡ってからは大量生産されて生活に不可欠な移動手段となりました。そして大衆化し多くのバリエーションが生まれ,その人の人となりを示す装飾品という役目をも担うようになった自動車は,命を持たない人類の唯一の友人,といっても良く,やっぱり特別な存在だなとつくづく思います。

 私が今でも大好きなプジョー306。この車が教えてくれたことはたくさんあります。急激に身近に感じた世界,文化,異国への想い,当事者として考えさせられた車と社会の関わり。1つ1つが得難い経験でした。次に大阪に戻ったときに,少し様子を見させてもらおうと思います。もう自分で運転することはしませんが。

palmTXの電池が切れたとき

 PalmTXはあれから問題もなく,どんどん手に馴染んで普通に使える信頼性を維持しています。たいへんありがたいことです。

 あと,充電池が良く持つので,充電しないといけない,という感覚が希薄になってしまいます。連続駆動時間はそれほど長いと感じませんが,電源を切った状態での電池の持ちはなかなか良く,これはつまりスタンバイ電流が小さいのでしょうね。

 先日,ちょっとゲームで遊んで電池が減ったところに,1週間ほど充電をし忘れたのですが,そのせいで電池が切れてしまっていました。これまでの感覚だと「うわーやってもした」と一声上げて,メモリカードからバックアップを戻す作業をドキドキしながら行うことになるのですが,palmTXには不揮発メモリとNVFSがあります。

 充電を先に行って,ドキドキしながら電源を入れると,時計の設定画面が出てきてしまいます。まさにリセットがかかった状態なのですが,時計を設定すれば以前電源を切る前の状態にさっと戻ってくれました。

 いやー,ちょっと感激しました。確かに,このためにあのややこしいファイルシステムがあるのですから,正しく機能してくれないとこまります。でも,Palmの電池が切れたらデータも消える,に慣らされた頭には,半永久的にデータが残り続けるpalmには,さわやかな感動があります。

 これで電池が切れてもこわくありません。スタンドアロンで運用できるpalmというのはpalmではない,という気もしますが,すでにpalmがPCの処理能力に助けてもらって機能する必要はないくらいに高度な処理能力を自ら身につけている状況では,無理にPCと連携しなくてよいようにも思います。

 すでにPalmPreが大評判になって,webOSが次の世界を開くと言われる一方,当然palmTXは入手がほぼ出来なくなっています。私は本当に滑り込みで買った人ですが,本当に買って良かったと思います。

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