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僕のコダクローム

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 昨年の12月20日,コダクロームが我々の手を離れていきました。

 コダクロームというカラースライドフィルムの国内現像の受け付けがこの日終了しました。一応アメリカ本国で現像は行われていますから,個人で依頼するのも手ですし,コダックが手続きを代行してくれることになってるそうなので,従来通り写真屋さんに現像を依頼すれば,代金は約3500円,期間は中2週間でまだコダクロームを使うことは可能です。

 ただ,世界に冠たる写真王国の1つである日本で,コダクロームはこれまでいつでもあえる身近な存在だったのに,それが急に遠くに行ってしまうわけで,感傷に浸る人々が後を絶たないのです。

 銀塩フィルムの消費量,生産量の激減と,これに伴う製造からの撤退,品種の整理,価格の上昇という,ファンには不安な風がながれた2007年でしたが,コダクロームの国内現像の終了はまさに2007年の最後にふさわしい事件であると言えるでしょう。

 今さらいう事ではありませんが,他のスライドフィルムの現像はこれまで通りです。これは,コダクロームの現像方法が他と異なる唯一の存在だからです。

 カラーフィルムには,色素(厳密には違うのですが)がフィルムの中にあらかじめ入っているものと,現像の時に外から与えてやるタイプの2つがあります。前者は内式,後者は外式と言います。

 外式の代表はコダクロームであり,同時に人類が初めて手にした写真用カラーフィルムでもあります。そしてそれ以降の我々の歴史は,コダクロームによって記録されてきたのです。

 初期のカラーフィルムはすべて外式だったのですが,現像が難しいという欠点があり,これを解決するべく内式が誕生します。現在,コダクロームを除くカラーフィルムは,すべて内式です。

 私は技術者ですので,工業的に,あるいは技術的に劣った物が,その欠点を克服した新しい物に淘汰されることは当然と思いますし,その結果がユーザーに還元されることを正しいと信じる事は,技術開発を停滞させないための,技術者に常に求められる心がけだろうと思っています。

 だから,コダクロームが1935年の登場から70年以上も生き続けていたことは,工業製品として量産された物が,伝統だの文化を身に纏い,やがて神格化されるという純技術的に望ましくない意識によって支えられていたのではないかと,警戒してしまうのです。

 むしろコダック自身が内式のエクタクロームを現在においてもきちんと供給していることや,富士フイルムが内式のみを扱い,その中で世界を変えるような優れたフィルムを開発して,それこそカラー写真の概念を変えるような製品を供給してきたことこそ,実は賞賛されるべき事ではないかと思うわけです。

 しかし,コダクロームは単なる現像方法の違いだけで選ばれるフィルムではありません。歴史,伝統,精神性を理由に選ばれるフィルムでもありません。写真フィルムはクリエイター達が使う素材であり,単純な工業製品でもなければ,神格化されたブランドくらいで長生きできるものでもないのです。

 だから,もしもコダクロームと同じ結果が得られる現代的なフィルムがあれば,コダクロームはもっと早くに淘汰されていたんじゃないかなと思うのですが,そういうフィルムを今から開発しても売れないくらい,今時の写真の傾向はコダクロームの個性と逆をいっているのだと思います。

 だから,文化的にさえ,コダクロームはすでに淘汰されてよいフィルムだと言えるのかも知れません。

 確かに,コダクロームには,独特のコクがあるように思います。あくまで自然な発色,個人的にはベルビアが箱庭的に見えるのに対し,コダクロームはまさに窓から覗く感覚です。

 ある人が言うのですが,コダクロームは,完全につぶれたと思われるシャドウにも,ちゃんと情報が残っているいるんだそうです。その人は,シャドウに浮かび上がった像を見て,コダクロームの情報量の多さと,粘りの強さに感動したと言います。

 現像も難しいが,撮影も難しいフィルムでした。ついでに言うと使用前の保存も難しければ選んで買うことも難しく,乳剤番号に一喜一憂せねばならないことも,あえてこのフィルムを選ぶ人にとっては,儀式のような物だったのかも知れません。

 そうした希有なフィルムによって,人類の50年ばかりの時間を記録されていたことは,非常に幸運であったと言わざるを得ません。その後やってくるビデオによる記録で失われた情報の多さは,後の世代が我々の世代を揶揄する材料となりうるでしょう。

 ここで,カラーポジフィルムの仕組みをおさらいします。

 ネガフィルムもポジフィルムもカラーフィルムの基本構造は同じです。フィルムベースの上に赤に感光する乳剤,緑に感光する乳剤,黄色を除去するフィルター,そして青に感光する乳剤が順に重ねて塗られています。

 これでおわかりのように,カラー写真は三原色を深度方向で記録します。CCDなどのデジタル写真は,一部の例外を除き面で三原色を記録しています。本来見えてはならない色が見える「偽色」が出るのは,この面による記録が理由です。

 それぞれの色に感光した乳剤は,現像によって我々の目に像を映し出します。

 ネガフィルムの場合,現像と発色を同時に行うのですが,ポジフィルムの場合は一手間かかります。まず第一現像という,白黒の現像が行われます。感光した部分が金属銀になることで,その場所が黒くなるのです。この段階ではネガですね。

 次に第二露光を行います。先ほどのネガ状態のフィルムに光を当て,金属銀が生じた部分以外を感光させ,結果としてネガポジを反転させるのです。

 こうして第二露光で生じた潜像を着色すれば,見事にカラーポジが完成します。発色という処理から定着,漂白については,ネガと同じ処理です。

 それで,この発色の方法の違いが,内式と外式の違いです。乳剤にカプラーと呼ばれる,色素を形成するものをあらかじめ入れてあるのが内式,発色現像中に外から与えるのが外式です。

 外式の場合,乳剤の層ごとに二次露光と現像を繰り返します。手間も時間もかかりますし,3つの条件が揃ってくれないと,本来の色が出てきません。カプラーを内蔵させることで1度で発色現像が出来る内式の開発は,生産性の向上と品質の安定という量産品が目指す技術開発の結果であると,ここで明確になります。

 ただ,私には正確に説明は出来ませんが,この外式のコダクロームは,保存性が抜群に良いのだそうです。カラーフィルムは紫外線や空気中の化学物質によって色素が分解し,退色してしまいます・コダクロームも退色しますが,それでも随分長持ちするのだそうです。

 あと,これは結果論でしょうが,やはりその自然で深みのある色合いがコダクロームの個性で,派手さはないが,見たままを写し取るという写真本来の目的のために選ばれるフィルムになっています。

 私はコダクロームは,身の丈を超えた雲の上のフィルムだと思っていますので,使った経験はほとんどありません。しかし,乳剤面のデコボコと,本当に見たままになる自然な色合いにちょっとした感激をしつつ,ますます高い敷居を感じて,むしろ避けるようになってしまいました。

 昨年3月で国内の販売が中止されると発表された時に,私も数本購入したのですが,あまり積極的に使おうという気分にはなりませんでした。記念品として残しておこうくらいに考えていたのですが,せっかくだからと1本,自宅の周囲をぶらぶらと撮影してみました。

 そして現像されたコダクロームを眺めて,やはりため息をつきました。

 36枚のうち,ほとんど失敗。ひょっとすると全部失敗かもしれません。しかし,時にはっとさせられるような深みをたたえた素晴らしい色は,まさにコダクロームが唯一無二の存在であることを伺わせます。

 惜しいことをしなものだなあと,私は非常に後悔しました。

 さすがに3500円も出してコダクロームをわざわざ使うことはないでしょうし,そもそも手持ちのコダクロームも2本ほどしか残していません。もう新品を手軽に買うことは出来ないのですから,これが私にとっての最後のコダクロームになることでしょう。

 多くのカメラマンがその時代を記録したコダクロームを,素人の私が使うこともおこがましいのですが,背伸びをしてこの歴史的な瞬間に当事者として加わることが許された事実を,素直に喜ぶべきだと考えることにします。

愛されるマシンと処分費用

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 年末年始に実家に戻っていたのですが,母親から「このへんも来年の4月から,パソコンの処分費用がとうとう有料になるので,いらないものは処分したい」と言われました。
 
 実家を建て替えるときに,かなりの古いパソコンを処分したのでそれほど残ってはいませんが,それでも台数で言えば7,8台もあるでしょうか。

 弟いわく「そんなもん,最近のパソコンだけの話で昔のパソコンは関係ないだろう」というのですが,それこそパソコンの素人がどこまでを古い,どこからを新しいと判断出来るわけもなく,結局外観で判断するしかない(つまりキーボードがあってそれっぽいディスクドライブがあって,これみよがしにPersonalComputerとか,MacintoshとかNECとか書かれていたりする)ので,おおむねアウトになるはずです。

 といいますか,今までパソコンの処分費用が無償だったという自治体があったことを私は逆に驚いていて,もしこれが広くアピールできていれば,全国から自作派の人々が移り住んだのではないのかと思ったりしました。

 母親の一番の心配は,実はCRTモニタだったようです。見た目に「いかにも」ですし,すでにテレビは有料化されています。大きいし重たいし,邪魔なことこの上ないものが,これからは好き勝手に捨てられないというのは,確かに面倒な事です。

 それはもちろんのこととして,私は,これを機会に価値のなくなったもの,すでに動作しないものを処分するきっかけにしたいと考えたので,弟と母親の3人で作業を始めました。

 方針として,以下の条件に合致すれば残すこととしました。

・我々兄弟がまともに購入し,原点として特別なお思い入れがあるもの,もしくはその予備機
 -> PC-6001,X1turboIII,X68000PRO,PC-6001mk2

・今後も使用する可能性があるもの
 -> MacintoshG3DT

・歴史的価値があると判断されるもの
 -> Apple][ J-plus,MZ-80C,MacintoshSE/30

・所有権が我々にはないもの(つまり借りパクってやつです)
 -> M5jr

・ハンドヘルド機
 -> PC-8201,HC-20など(これは私が引き取りました)


 これに外れた周辺機器は原則処分,またこれに該当しても故障して動作しない場合は処分とします。

 とまあ,私の心の中でこうしたルールを密かに作って分類をしたところ,以下の機種を処分することになりました。

・PC-9801BX3,X68000compactXVI,PC-PR401,PC-9801NV,DELLのマルチシンクCRTモニタ

 ついでに,もう必要がないと思われるものも捨てることにしました。

・A-450(TEAC:カセットデッキ),DP-990SG(KENWOOD:CDプレイヤー),QX5(YAMAHA:MIDIシーケンサー),MV802(YAMAHA:8chミキサー)など

 まあ,A-450などは中学生の頃に友人からもらい,回路図を手に入れて改造や調整に心血を注ぎ,これで録音したテープが数百本もあるような,私の青春そのものですから捨てるのは忍びないと思いましたが,すでに動作せず,また修理しても音質だって今使っているAKAIのGX-Z9100EVに全然かなわない状況では,もう処分するのが妥当でしょう。

 DP-990SGも,いかにも80年代中盤らしい重厚な作りで,筐体を叩いても全く音が響かないという今時のエントリー機種には考えられない贅沢っぷりです。PCM56を使ったシンプルなDA変換とあいまって,実はこの世代のKENWOODのCDプレイヤーは,意外にゴミ扱いされてないらしいです。

 とはいえ,回転モノですしね,動くかどうかもあやしいものです。これ買った当時,まさか捨てる日が来るとは全然思いませんでした。

 当初,プリンタはPC-PR405という日本語熱転写プリンタも捨てる予定でした。しかし,一応第2水準のROMまで増設して文字の汚さを除けば現在でも一応使えること,また古いマシンで文字を印刷したい場合に使えるプリンタを1台くらいは残さないと,と捨てるのをやめました。

 さて,ずっと屋根裏の物置に置いてあったMacintoshSE/30です。

 このSE/30は,私がずっと使っていたものではありません。とあるところで1年ほど使ったものが廃棄処分されるのを見かねて,私が1台引き取ったものです。

 思えば,私が初めて買ったMacintoshは,SEでした。今時の若者はしらんやろうなあ。

 これを数万円で中古で購入,system6.0.7は不安定でしたが狭い画面でもかわいらしく動いてくれて,私はMacでの作業の比重を増やしていきました。

 無理矢理CPUを68030にするアクセラレータまで購入しましたが,処理速度の壁,メモリ搭載量の壁に限界を感じ,SE/30への買い換えを決意したのは,徹夜で飲んで泊まったカプセルホテルで迎えた朝のことでした。

 ちょうどSE/30がディスコンになって,それぞれのお店で新品の最終入荷があったころの話で,中古で20万円。メモリもHDDもなく,なんにもない本体だけのSE/30でしたが,それでも当時としては破格の安さでした。

 自動車が買えると言われた32bitのMacintoshがようやく我が手に,とわくわくしましたが,当時すでに時代遅れの性能であったことは事実で,高価だったゆえの設計のまじめさが,スペック以上の体感速度とチューニングのしやすさの理由でした。

 Xceedという24bitフルカラーボードと内蔵CRTのグレイスケール化改造という定番に始まり,DAYSTARの33MHzのアクセラレータを購入,メモリもフル実装で32MByteをMODE32で使う,という今となっては懐かしい構成まで育てた私のSE/30も就職を機に売却,メインマシンをCentris650のロジックボードをIIciの筐体に入れたオリジナルマシンに切り替えました。

 コンパクトな筐体に素性の良さから来る拡張性の高さ,そして本当の意味でOldMacintoshの完成形であったSE/30は,今考えても良いマシンだったなあと思います。

 で,数年前に無改造のSE/30を引き取った私ですが,面倒でそのままにしてあったのが悪かったのでしょうか,今回初めて電源を入れてみると,悲しいことに動きません。

 起動音もせず,画面にランダムなパターンが出ているだけです。はて,メモリがないと起動音もしないんだっけな???と当時ならすっと出てくるはずの事もすでに忘却の彼方へ。この時点で私はこのSE/30のオーナーとなる資格を持ち合わせていなかったと言えるのかも知れません。

 筐体を開けようにも,トルクスドライバなど気の利いたものが実家にあるはずもありません。よってメモリがあるのかないのか確認することすら出来ずに,もう壊れたと判断して捨てることにしました。

 日焼けも少なく,たばこのヤニも付着していないプラチナホワイトの筐体を,最後のお別れに撮影。おそらくSE/30をこの先手にすることはないでしょう。

 母親によると,実際に捨てるのは2月だそうで,まだ実家には残っているのですが,私がそれまでに実家に戻ることはありませんし,それにこのSE/30にはちょっとした嫌な思い出もあったりして,それをすっかり消去する機会と割り切りました。

 考えてみると,古いMacintoshを愛でる習慣はマニアの間でも連綿と続いているようで,我々の世代にとって愛されるマシンとはSE/30やQuadra700です。やっぱフロッグデザインですよ。

 ですが,私の後の世代では,ColorClassicIIだったりします。うーむ,あんな中途半端なマシンのどこが・・・SE/30と同じレベルで語って欲しくないなあ・・・と。

 G4Cubeに至っては,それってつい最近のマシンやんけ,と思ってしまいます。一方私の前の世代からは,やっぱ初代だろうとか,Lisaだろう,いやApple][GSだろうとか・・・参りました。

 ふと,G4Cube以降,そんな愛されるマシンが出てないことに気がつきます。まずいですね。このままではMacintoshも,ただ消費されるマシンになってしまいます。

 そんなことをつらつらと考えながら,私はSE/30にお別れをしたのでした。

世界遺産・日光

 さる21日,22日に,日光に旅行に行ってきました。

 関東に来て10年以上たちましたが,日光という世界遺産を見ることもなく過ごしてきたことに対する反省が常にあり,きちんと見ておきたいという気持ちがあったことと,もし日光を見るなら冬だと決めていたこと,そして年末に休みが取れたことが理由です。

 そもそも旅慣れない私は,日帰り旅行のつもりでいました。しかし,せっかくだからと一泊することにしたのです。しかし,これまで宿を「雨露をしのぐためのもの」としか考えておらず,それ以上のことを全く期待しない私としては,ホテルに泊まることそのものにも抵抗がありました。

 同行する友人と旅行代理店のカウンターに座り,どうしましょうかねと相談を持ちかけたところ,無難にパンフレットを広げられた私は,「金谷ホテル」というホテルの名前をちらっと店員さんがするのを耳にしました。

 明治から続く日本最古の西洋式ホテルで,主として外国人観光客を相手にしてきた名門であることは,私も何故か知っていました。驚いたのは,そんな名門がなぜこんなけばけばしいパンフレットにプランを載せているのか,ということでした。

 とはいえそこはさすがに老舗。ややお高い金額ではありましたが,私は思いました。ここならホテルに泊まるという事そのものが,目的に出来るのではないだろうか,と。

 いわゆるホテルというところは,採算性を考えて最低限の造りにするようです。見た目の豪華さとは裏腹に,見え透いた低コスト体質がアンバランスで,私にはむしろ欺かれているような錯覚にさえ陥ります。新しいホテル,バブル以降のホテルはそんな傾向が顕著であり,私としてはそこに過度な期待をすることがそもそも誤りだと思って割り切っています。

 私のような旅慣れていない人でもこう感じるのですから,達人はもっと感じているんではないかと思います。それくらい,上っ面だけよく見せようとするホテルがなじめないということです。まあ,私がこれまでにろくな宿に泊まってこなかったか,ってことですね。

 行きと帰りの電車の座席を予約して,当時を迎えました。幸いにして21日は晴れて穏やかな天気,22日も曇ってやや寒かったのですが,雨には降られずにすみました。

 ホテルには昼過ぎに到着,荷物を預けて早速徒歩で東照宮に向かいます。なにせ初めての場所ですから,距離感もありません。歩いていいのかどうかは,デフォルメされた地図をあてにする他ありません。

 ホテルは私の想像通り。ひんやりとしたコンクリートでがしっと作られた小さな建物は,これまでの年月を物語っているようです。私は別館(別館とはいえ昭和10年の建物です)の4階でしたが,エレベータがなく階段であるというのが,私には新鮮な喜びがありました。

 部屋は天井が高く,広く,ゆったりしているものでした。壁の薄さも感じることなく,体の芯から暖かくなるスチームヒーターが実に快適です。室内にあった資料などに目を通すと,ホテル全体に見所が散見されるようです。さすがに歴史があり,それを大事に守ってきたホテルだけあるなあと,そんな風に感じます。

 さて,4時も過ぎると暗くなってくるのであわててホテルを出ます。まず目にはいるのが,神橋。朱塗りの橋が晴天を映す川の上に豪快に架かっています。

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 予定通り東照宮まで歩くのですが,中国や韓国の団体さんによく一緒になりました。これが日本だと思って帰ってくれると私もうれしいし,数ある観光地のうちわざわざ日光のような場所を選んで来てくれたことも,うれしいと思って見ていました。よく言われるようにマナーの悪さもなく,とてもよかったと思います。

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 陽明門,唐門,有名な猿や象の彫像を見て,建物は意外に小さいんだなあというのが率直な感想でした。かの徳川家康が作ったわけですから,さぞや大きいのだろうと思っていたのに,そうでもなかったようです。絢爛豪華であったことは事実ですが,これはむしろ当時がどうのこうのというより,現在もその豪華さを維持している事の方が重要ではないかと思います。

 奈良や京都だって,出来た当時は絢爛豪華でした。しかし現在,奈良や京都にそれらをイメージすることは少ないでしょう。

 そんな中で,とても東照宮らしいなあと思ったのが,これまた有名な「眠り猫」です。

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 奥宮の門に彫られている猫の彫像ですが,右から見ると眠っているように,左から見ると飛びかかろうとしているように見えます。猫が眠るほど安全で穏やかな場所であるということと同時に,ネズミ一匹通しませんよと言う意思表示だともいいます。

 猿にしても何にしても,彫像が見事でして,特に動物が多く使われていることがユーモアの表れだろうと感じました。奈良や京都,そして鎌倉,今回の日光と時代を進めて思ったのですが,東照宮ほど日本人独自の茶目っ気がでている建築物はないんじゃないかなあと,うれしくなりました。

 さて,輪王寺に足を伸ばします。三仏堂で仏像に圧倒され,鳴き龍が本当に鈴を転がしたように鳴くのを聞いて素直に面白いなあと思っていましたが,どうも拝観券をもぎる人が無愛想なんですね。みせてやってるという感じがありありと見えて,中には無言で引きちぎるような人もいます。無論接客業ではないし,過度なサービスは無用ですが,一人だけ「行ってらっしゃい」と背中を押してくれたお坊さんがいて,みんなこういう方ばかりならよいのになあと思った次第です。

 一年で一番日が短い時期ですので,日光も入場は3時半まで,4時には追い出されてしまいます。確かに周りも暗く,ひんやりしてきました。都会に住む我々とは,どうも時間の進み方に差があるようです。

 ここでホテルに戻ります。少し休憩し,東照宮の近くにある洋食屋さんに夕食の予約をします。7時半閉店・・・やはり時間の感覚が違います。

 明治の館というこのお店は,もともと外国人の別荘だったところをそのまま洋食屋さんにしたものだそうで,お昼時には行列が出来る人気店だそうです。

 5時半過ぎ,すっかり日が落ちた日光は,街灯もなく,ひっそりとして恐ろしささえ感じます。そんな中我々は明治の館を目指します。なんかどんどん山道を入っていきますが,人もいませんし,明るくないのが心配です。道を間違うことで困ったことが一度や二度ではない我々は,過信せずに店に電話をして場所を確認しました。

 声を出して確認をして,友人にも覚えてもらうようにしながら案内を聞き,ようやく到着しました。

 洋館のホールにいくつかのテーブルがあり,大きな暖炉には桜の木が炎と独特の香りを立てて,寒く不安だった我々の気持ちを暖めてくれるようです。

 ここで5000円ほどのコースを頼みましたが,食べきれないほどの量,そしておいしさに,都心という所の不経済さ,不合理さを感じました。

 ホテルに戻り,大理石で作られたという部屋にあるホテルのバーに向かいます。別の友人にこのホテルに泊まるといったところ,ホテルのホームページのバーの紹介に反応し,その雰囲気の良さに私も興味があったのです。

 カウンターは先客がおり,私たちは暖炉の前の椅子に案内されました。またも暖炉です。のぼせない程度の距離をおいて燃えている薪を眺めながら,のんびりと過ごします。外で飲むお酒でこんなに緊張をしないで済んだのは初めてでしょう。加えて暖炉の前でお酒を飲むというのも,もう生涯ないんじゃないかと思ったりしました。

 翌朝,ホテル自家製のパンを朝食に摂り,部屋に戻る途中ですれ違った,まだあどけなさの残る部屋の清掃係の従業員の,たどたどしく,しかし基本に忠実な「おはようございます」というお辞儀に感動を覚えつつ,チェックアウトを済ませていざ華厳の滝に出発です。

 帰りの電車までの時間はたっぷりありましたが,欲張らず,見るべき所を絞り込んでゆとりを持って行動することにします。

 華厳の滝までは路線バスでいきます。いろは坂を登り,標高1200mの場所にそれはありました。バス料金は片道1000円。路線バスとしては高いなあと思ったのですが,歩けるようなものでもないので,妥当な所でしょう。

 道中,バスの中でクリスマスのキャンペーンが案内されました。華厳の滝に到着してから,サンタの格好をした人たちがドカドカと乗り込んできました。なんでも降りる前にくじをひけとのこと。

 友人はなにもこんな時に引き当てなくてもいいのに,一等です。ホテルの特製チーズケーキがあたりました。私は一口羊羹の四等です。冗談で「荷物増やしてどないすんねん」と友人をからかったのがどうも彼らに聞こえたらしく,バスを降りるところで「荷物を増やしてすみません」と謝られてしなったことは内緒です。

 さてその華厳の滝ですが,これはすばらしいの一言に尽きます。

 気温は3度。寒いですが,うっすらと雪で姿を隠した岩肌に,豪快にしぶきを上げる滝を見ていると,なんだか大きなものに包まれているかのような気分になります。昔から,滝のあるところには宗教的な意味合いの場所が多くあるものですが,その理由が少しわかったような気がします。

 500円払うと,岩の中を100m掘り下げて作ったエレベータで,水が落ちる場所を間近に見ることが出来ます。ここは迫力と言うより,100mの華厳の滝を見上げて見る事がミソのようです。

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 帰りのバスまで少し時間があるので甘酒を飲もうと,バス停の前の店に入りました。私たち以外はみんな外国の方。オバチャンは英語も堪能で,私にも英語でお礼をいってました。

 また東照宮の近くまで戻ってきました。金谷ホテルで食べることが出来なかった100年ライスカレーを昼食にし,その後家光の廟がある輪王寺大猷院をみます。

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 祖父家康を尊敬する家光は,東照宮を超えないようにと地味に作ることを命じますが,その実見えないところで高い技術が使われており,技術バカの私には琴線に触れる場所です。

 確かに色遣いなども落ち着いていますし,その模様や様式などを見ていると,300年続く江戸時代の実質的スタート地点は,家光の時代だったんだなあと思いました。

 いずれにせよ,この日光の派手さを見ていると,これが江戸時代の基準だったんだろうと思います。だから,質素倹約が尊ばれた時代,吉宗なぞは,随分異質で嫌われたんじゃないだろうかと思ったりします。

 そして最後に,二荒山神社をみて駅までもどります。すみません,この神社はあまり印象に残っていません。

 そういえば,帰りの電車では,ちょっと変なことがおきました。私たちが北千住行きの特急に乗っていると,春日部あたりでおばさんが我々のところにやってきて,そこは自分の席だと言い出します。

 私も切符を見せると座席の番号は全く同じ。「バッティングしてますね」とおばさんはいうのですが,そんなわけはありません。よく見ると,おばさんの電車はもう1つ後の電車です。

 指摘すると「ありがと」と言い残して踵を返し去っていきました。しかしドアはすでにしまっています。結局この電車の空いた座席に座っていたようですが,人を疑う時にはそれ相応の覚悟を持ってもらいたいし,万が一自分のミスなら素直に謝る勇気も持ってもらわないといかんと思いました。正直,この不愉快さは筆舌に尽くしがたく,楽しかった旅行がふいになってしまったような気さえしました。

 一泊するような旅行は,次にいつになるでしょう。今回,本物を見るというテーマで旅行に出かけましたが,やはり冬に日光という私の判断は正しかったと思っています。ただ,写真を撮るという行為は集中力を落とし,感受性を分散させてしまいますね。

 撮影禁止だった場所の記憶が残り,そこでの観察力の鋭さを感じた私は,観光地とカメラは実は相性が悪いのではないかと,気が付きました。

 次はほどほどにしないといけないですね。

 そんなわけで,近くて遠い日光,思い切って時間をかけて見て回って,私はよかったと思います。

ビル・ヒューレットの夢

  • 2007/12/14 17:06
  • カテゴリー:散財

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 ヒューレットパッカードの創始者,ビル・ヒューレットは,手のひらサイズでポケットに入る関数電卓を作ることを思い立ちました。

 ヒューレットパッカードは,当時既に計測器や計算機で知られた企業でしたが,ビル・ヒューレットの考えは,HP-9100という科学技術計算のこなせる卓上計算機を小さく軽く安くし,エンジニアを計算尺から開放することでした。

 これこそまさに彼自身の夢であったわけですが,そうして1972年に登場した電卓が,世界初のハンドヘルド型関数電卓「HP-35」です。

 そのサイズは,ビル・ヒューレットのシャツの胸ポケットで決められたといいますし,本当かどうかはわかりませんが,この電卓のために発明されたのが7セグメントLEDだったともいいます。

 また,Apple][の設計者であり,アップルコンピュータの創始者である,スティーブ・ウォズニアクがアップルコンピュータを創業するときに,ヒューレットパッカードの関数電卓を売ってお金を作った話は有名ですが,後に彼が語ったところによると,その電卓こそHP-35だったそうです。

 というわけで,コンピュータに関わる世界中のエンジニアの憧れであったヒューレットパッカードの関数電卓ですが,80年代中頃から始まった関数電卓の価格破壊と価値の低下のせいもあってでしょうか,特に国内では一部のマニアが喜んで使っているだけの状況だったように思います。

 もう1つ,一見さんお断りの要素がヒューレットパッカードの電卓にはあります。それが「逆ポーランド記法」を採用しているということです。

 RPNと略されるこの数式の表記方法は,非常に合理的でメリットも多いのですが,いかんせん小学校から習う普通の書き方(中置記法)に慣れた我々には,まるで外国語を見るような気分にさせられてしまいます。

 しかし,プログラミング言語「FORTH」に採用されていたRPNは,先進的なファンが雑誌などでそのメリットと気高さ(そう,当時のコンピュータには精神的気高さが重要な要素だったのです)をしばしば初心者に啓蒙していて,私もそうだったのですが,その敷居の高さに「やっぱ本物のコンピュータの世界は一味違う,うむむ」と腕を組んで渋い顔をしていたものです。

 RPN,実はそんなに難しいものではありません。

 逆ポーランド記法の前に,ポーランド記法から見ていきましょう。LISPなんかが使っていますね。

 1 + 2

 は,ポーランド記法では,

 + 1 2

 と書きます。

 個人的には中置記法の方が論理的だと思うんですが(数学的にはそうでないかも知れませんが,演算子の左右で意味が違うことをはっきり表現出来てると思いませんか?),違いが出てくるのは計算の順番を意識しないといけないような場合です。

 (1 + 2) x (3 + 4)

 は,ポーランド記法では,

 x + 1 2 + 3 4

 と書きます。お,括弧が取れましたね。
 
 これ,要するに演算子を関数のように扱う書き方です。つまり,+は2つの数値を足すという関数であるとみなすわけで,この統一性はなるほど美しいです。LISPは関数の呼び出しと演算を区別しませんが,それはここから来ています。

 で,話を逆ポーランド記法に戻します。ポーランド記法の演算子の位置を逆にした物を逆ポーランド記法といいます。

 1 + 2

 と書かずに,

 1 2 +

 と書くのです。

 なんで逆に書くのか,という疑問は,コンピュータがスタックを駆使して計算を行っているから,が答えです。1をスタックに積み,2をスタックに積み,+が出てきたら2をスタックから降ろし,降ろした数値2をスタックの一番上の1と加算します。するとスタックには結果の3が入っています。

 大事なことは,左から順番に処理していけば,自然とスタックのてっぺんに結果が入っているということです。例えば,

 (1 + 2) x (3 + 4)

 これをRPNで書くと,

 1 2 + 3 4 + x

 です。1をスタックに積み,2をスタックに積み,2を降ろしてスタックのてっぺんと加算し,3を新たにスタックに積み,4をスタックに積み,そして4を降ろしてその時のスタックのてっぺんと加算して,そして最後のxで3+4の結果である7を降ろして,その時のスタックのてっぺんにある1+2の結果である3とかけ算するのです。こうして,スタックには計算の結果が常に残ります。

 やってることは,スタックに積む,降ろす,降ろした値をその時のスタックのてっぺんと演算する,という単純作業だけです。

 ね,括弧の中を先に計算してかけ算するより,とりあえず左から順番にスタックに積みつつ計算をしていく方が,条件分岐がいらないでしょう。

 コンピュータでの処理が単純化できるということは,実は人間にとっても計算が楽に出来るということです。

 だから,RPNを採用したヒューレットパッカードの電卓を使いこなす人は,普通の電卓を触ることが出来なくなってしまいますし,逆に普通の電卓しか知らない人にとっては「どうして=キーがないんだ???」といきなり大混乱に陥ります。

 ちなみに,

 (1 + 2) x (3 + 4) x (5 + 6)

 を,普通の電卓でやらせようとすると,

 1 + 2 M+ 3 + 4 = x MR = x->M 5 + 6 = x MR =

 と,メモリ機能を使わないといけません。しかも普通の電卓にはない x->Mキーを使わないとダメです。

 でも,RPNの使えるヒューレットパッカードの電卓なら,

 1 ENTER 2 + 3 ENTER 4 + x 5 ENTER 6 + x

 と,左から順に操作するだけでokです。

 1 + (( 2 + 3) x 4) + 5) x 6 + (7 + 8) x 9

 これだと,もう普通の電卓だと,どうやっていいのか考えるのも面倒です。でもヒューレットパッカードの電卓なら,

1 ENTER 2 ENTER 3 + 4 x 5 + 6 x + 7 ENTER 8 + 9 x +

 と,あくまで基本に忠実に入力すれば,結果はきちんと出てきます。
 
 この単純さと,知ってる人だけ得をするというわずかな優越感が,RPNの魔力なんだと思います。

 偉そうにかいてますが,私がHP-35の復刻版である「HP-35s」を購入したのは,別にRPNを使いたかったからではありません。

 告白しますが,私は,その「わずかな優越感」をうらやましく思い,HP-35sを買ったのです。

 復刻される話は今年の夏頃知っていました。かなり欲しいと思ったのですが,いくらガジェット好きだからといって,1万円近いお金をただの関数電卓に出すには抵抗がありました。それに,私はこうした面倒な計算をすべてポケコンに任せて20年の人です。今さら新しいことを覚えることもありません。

 HP-35sが発売になり,次第に国内でも購入者が増えるにつれ,ますますそのうらやましさは募る一方です。一応コンピュータに関係する仕事をしているのですから,ヒューレットパッカードの電卓くらい使えないでどうするよ,という気持ちにあらがうことも,とても不健康に思えてきました。

 そこで,意を決して購入。さすがに欲しい人には行き渡った後だけに,即納でした。

 パッケージを開き,電源を入れます。「=キーはどこなんだ!」とまず最初に混乱するという儀式を軽く済ませ,英語のマニュアルをパラパラとめくります。

 私はこの電卓を,単純に所有欲を満たすために購入したわけですので,RPNを使うかどうかはそれ程重要ではありません。こういうぬるい人がいることをヒューレットパッカードも分かっているんですね,通常の電卓として動作するモードに切り替えることで,RPNが使えない人でも,普通の電卓として使うことが出来るようになっています。

 大きさも形もちょうどいい頃合いです。日本の電卓は実は結構使いにくい形をしているものなのですが,キーの大きさや押しやすさも手伝って,その快適さは今時の電卓としては非常に贅沢。

 しかし,遊んでいくうちに,この電卓はRPMを使わないと,使いこなせないという気がしてきました。

 そこで,先の書いたようなRPNの入門をやってみたのです。

 いやはや,未だに使いこなせているとは言えないのですが,とにかくセオリー通りに左から素直に打ち込んでいけば,勝手に答えが出ているこの感動は,なんだか初めて電卓を使ったときを思い起こさせるものでした。

 下の計算は,ヒューレットパッカードの電卓の説明書に,例題として長くと取り上げられているものらしいのですが,

√( (8.33*(4-5.2)÷((8.33-7.46)*0.32))) / (4.3*(3.15-2.75)-(1.71*2.01)) )

 答えは,4.5728です。

 これがスパッと一発で出てきたとき,私はRPNとの出会いに感謝したのでした。

 今のところ,ポケコンを使う方がなにかと便利な場合も多いので,会社にHP-35sを持ってくることはしていません。随分と遅れてしまいましたが,憧れのヒューレットパッカードの関数電卓を手に入れられたこと,そしてRPNの意味を理解したことと,たかが電卓で感激したことは,私にとっては有意義でした。

 最近はこのHP-35s,店頭でも買えるところがあるようです。値段は8000円から9000円というところですが,過不足なく機能が盛り込まれた本格的なヒューレットパッカードの電卓を使ってみようと思う方は,簡単に入手できる間に奮発して買っておいた方がよいと思います。

80年代との対話

  • 2007/12/13 16:51
  • カテゴリー:散財

 私は,電池で動いてボタンがいっぱい付いていて小さい液晶画面があるものが大好きでして,電卓でもリモコンでも喜んで飽きずに触っている人ですが,考えてみるとそれは子供の頃にポケコンと出会ったことが大きかったと思います。

 ポケコンはその当時から,すでに厚さ10mmを切っていて,大きさも重さも電源も電卓並みの手軽さを持つ,ある程度完成された形で世に出ていましたから,その高密度感にメカ好きな子供がころっといってしまうことは,想像に難くはありません。

 残念なことに,その後ポケコンというカテゴリは消えてしまい,すでに昔話となっているのが寂しい限りですが,ポケコンが存在したある特定の時期を生きた我々のような人々にとっては,やはり特別な存在であり続けています。

 10年ほど前ですが,ポケコンをちょっと集めたことがありました。PC-E500の中古品を改造して遊んでいたのですが,先日久々にそのPC-E500に電池を入れてみると,全く動かないではありませんか。

 ポケコンの中でも最も人気の高いPC-E500が死んでいるという事実に私は軽いめまいを覚え,あわてて修理を始めますが,結果はX-07を復活させ自信を付けた私をまた奈落の底に沈めるものでした。

 私は何かに取り憑かれたように,某オークションにログインしていました。

 結果,かなり無駄遣いをしました。これはその闘いの記録です。

・PC-E500
・PC-E200

ファイル 165-1.jpg

 PC-E500は今もって「最強」とされるポケコンで,8bitCPUでありながら大容量のメモリを搭載可能,強力なBASICに当時としては大きなLCDを搭載したモデルです。よく知られたことですが,1MByteのRAMにスマートメディアを搭載し,日本語の読み書きが最終的に可能になっています。当時まだPDAの機能が低く,PC-E500がそれらに比肩するスペックをパワーユーザーの工夫によって実現していたことは,なかなか面白い事実でしょう。

 私も入手してすぐにRAMを512kByteにし,クロックを上げる改造を済ませてあります。

 PC-E200はPC-E500と同時に広告に出ていたから覚えているんですが,Z80を搭載していたことが売りだったように思います。

 というのも,当時のポケコンは電池駆動をする関係上,CPUは低消費電力に特化したオリジナルのものしかなく,Z80などというメジャーなCPUを使うことは考えにくかったのです。

 PC-E200はPC-G801という学校用のポケコンの一般販売モデルですが,PC-E500などと比べるとなにかと見劣りするところがあり,私もあまり欲しいと持ったことはありませんでした。

 実際に使ってみると,16進数の扱いが弱かったりして実用的にも苦しいものがありました。サイズも大きく,厚みもあるため私の金銭にはいまいち触れず,単純にコレクションになってしまいそうです。
 

・PC-1245
・MC-2200

ファイル 165-2.jpg

 PC-1245は今から20年以上前に親に買ってもらった,私にとっての初めてのポケコンですが,中学,高校,大学と学生時代の面倒な計算を一手に引き受け,社会人になってからも私を面倒な計算から開放してくれています。

 心配なのは壊れてしまうことで,予備機を手に入れようと考えました。

 毎日学校に持ち歩いていた私のPC-1245はもうボロボロですが,今回手に入れたものはなかなか程度もよいです。ほっとしていると,液晶の隅っこが黒ずんでいるではありませんか。

 シャープのポケコンは,経年変化で液晶が黒ずんでしまうことがよく知られています。動作するのに液晶が死んでいる個体は数多いのですが,残念なことに液晶パネルそのものを修理する方法はないので,諦めるしかありません。

 気温が上がると黒ずみが消えるので,まだ程度は軽いと言えるのですが,予備機としての役割は苦しいなあというのが実際です。

 MC-2200は,PC-1245のOEM版。セイコーから発売されていました。液晶の位置が真ん中に来ていることと,キーの色が大きく違うので,同じポケコンでも随分印象が違います。

 見ての通り液晶はもう真っ黒になっていて,さすがに使い物になりません,動作は正常なようですからすごく残念なのですが,まあこれもコレクションということで諦めます。

 液晶を復活させる方法があるといいなあ。

 ところで10年ほど前に手に入れたPC-1251,いつの間にか液晶が黒ずんでしまっているのを見つけて,ショックでしばらく無口になってしまいました。また,専用のプリンタとカセットレコーダであるCE-125も,カセットが死んでいました。ベルトが伸びてしまっていたので,これは交換が必要です。

・PC-1401
・PC-1445

ファイル 165-3.jpg

 私が今回初めて手に入れたPC-1400シリーズです。PC-1400シリーズはPC-1200シリーズとほとんど同じハードウェアを持ちながら,関数電卓としての方向性を強く打ち出したラインナップで,その結果として後年まで学校用モデルとして長く続いたシリーズでした。

 PC-1401はその初代モデルで,RAMは4kByte,16桁のLCDを持っています。非常に程度が悪かったこともあり,説明書付きでも安く手に入れることが出来ました。

 PC-1401は10kByte搭載のモデルにPC-1402というのがあるため,簡単にメモリ増設の改造が出来ると思っていたのですが,どうもうまくいきません。

 PC-1402の発売当時,64kbitのSRAMは入手できず,8kbyteのメモリは16kbitのSRAMを4つ使って実現していました。PC-1401にもRAMカードを入れるスペースとコネクタが用意されていて,ここがユーザーに開放されていなかったことを考えると,PC-1402がこのスペースを使っていたことは間違いなさそうです。

 そのコネクタのピンを調べてみると,やはり予想通り。そこでこの信号を増設したメモリに繋いでみたのですが,取り付けた新しいメモリのうち2kbyteと一部しか認識していません。動作はするので配線そのものは間違ってないと思うのですが,どうしてもトータル4kByteまでしか認識しないのです。

 原因は未だに不明ですが,どうもPC-1401には前期型と後期型があり,前期型のCPUはSC61860A07,後期型はSC61860A08のようなのです。

 そして,メモリ増大版のPC-1402は,PC-1401の前期型よりも後に発売になっているらしいのです。つまり増設したメモリを認識できるのは,もしかすると後期型だけではないだろうかと思っています。

 実家にはもう少し詳しい資料があるので調べてみようと思います。

 一方のPC-1445ですが,こちらはそこそこに程度のいい状態でした。しかし故障しているとのこと。電池を入れると,電源スイッチをOFFにしても電源が切れません。リセットボタンも無視されてしまいます。

 一応一通りの動作はしているので,CPUやROMといった部品が壊れていないことははっきりし,まずは一安心です。

 PC-1445の回路図は持っていないので,PC-1401の回路図を参考にします。PC-1445でも,電源を切るのは,CPUのあるポートをGND(シャープのポケコンはGNDが電池のプラス側なのでややこしい)につなぐ必要があるのですが,調べてみるとどうもこの端子とスイッチが繋がっていないようです。

 さらに調べると,スルーホールで反対面にパターンが移るところで切れています。スルーホールでパターンが途切れているようです。

 怪しいと思っていたのですが,どうもこの個体は電池の液漏れをやっているようで,白い粉やサビが結構残っています。そもそも電池のサイズも小さいので電解液の量も少なく,一見すると被害は小さいように見えたのですが,スルーホールに入り込んだ電解液がパターンを切ってしまうほど深刻な被害を出していたのでした。

 電池の液漏れに驚いたのは,X-07の修理でのことでした。マンガン電池の液漏れはそんなに大したことはないのですが,アルカリ電池やリチウム電池といった高性能電池の電解液はなかなか厄介で,銅箔を溶かしてしまいます。X-07でもアルカリ電池の電解液があちこちのパターンを切断しており,修理に手間取ったのでした。

 このPC-1445も,スルーホールが切れてしまっているという点で深刻さは同じようなものです。とりあえず電源スイッチとリセットスイッチのパターンを修復し,それぞれのスイッチがちゃんと有効になっていることを確認しました。

 そしてお約束のRAMの増設。PC-1445は海外にはないモデルなので情報が少ないのですが,基板上には実装済みの64kbitのSRAMに加えて,もう1つ28ピンのRAMのランドが用意されています。さらに回路を追っかけていくと,ここにもう1つRAMがのり,チップセレクトが別に出てきていることも分かりました。

 64kbitのメモリの手持ちが少ないので,手持ちの関係から256kbitのSRAM64kbit分だけ使うようにのせて試したところ,あっけなく16kByteを認識しました。SC61860で16kByteのメモリというのはなかなか素晴らしいです。

 ところが,組み立てを終えると電源が入りません。リセットもかかりません。もう一度ばらすと電源が入ります。しかし組み立てるとまた電源が入りません。

 半日悩んで分かったのは,もう1つスルーホールが導通していない箇所があったということです。そのせいで起動に失敗してしまっていました。基板がたわむと導通が切れたりするので,再現性がなくてなかなか調べるのに時間がかかってしまいました。

 ここを繋いで,今のところ問題なく動いています。液漏れの影響でベークの両面基板が反ってしまっているのも気になりますが,変にいじると壊れるのでやめおきます。

 大きさも重さも機能も十分で,メモリも一番多い機種ということで,期待してなかったのですがうちで一番使い道のあるモデルとなりました。

・PC-1211 + CE-122

ファイル 165-4.jpg

 PC-1210は以前に手に入れたのですが,メモリ増設モデルであるPC-1211は,専用のプリンタが欲しくて手に入れたら,おまけに付いてきたという感じでした。

 見ての通り,液晶はひどい物です。処理速度も遅く,使う気にならないのですが,さすがにBASICが動作するポケコンの始祖ですので,歴史的な意味は高いです。

 そのプリンタも,届いたときの状態は非常に深刻でした。このプリンタはNiCd電池を内蔵しているのですが,この電池が液漏れしていたのです。

 NiCd電池の電解液も強烈で,今回はパターンが消えてなくなっていた部分もありました。

 それらを丹念に繋いで,なんとかプリンタが動くようになりましたが,残念な事に本体がこんな状態ですのであまり利用価値はありません。まあコレクションとしてメカ物が動くというのは気分のいいものです。

・PC-2001

ファイル 165-5.jpg

 80年代初頭,月刊マイコンの表紙の裏側の見開きにはきまってNECの広告が出ていました。私が初めて買ったマイコン1983年2月号には,当時のPCシリーズのフルラインナップが紹介されていました。

 PC-6001しか知らなかった私は,PCシリーズにPC-2001,PC-6001,PC-8001mk2,PC-8801,PC-9801,N5200モデル05があることを知り,とりわけPC-2001という変なモデルが常に心に残っていました。

 15年ほど前にPC-8201とHC-20を手に入れましたが,PC-2001というハンドヘルドマシンは現物を見ることもないままだったのです。しかし今回,付属品一切無しのものを手に入れることが出来ました。

 この頃のポケコンやハンドヘルドマシンは搭載メモリが少なく,また消費電力の関係からSRAMを搭載していることが多いので,私はまず実用的に使えるだけのメモリを増やすことを最初に行います。

 PC-2001の場合,海外に出ていなかったらしく,海外のマニアが立ち上げたWEBサイトがほとんどない中で情報を集めねばならなかった(X-07の場合海外のマニアのおかげで随分助かりました)ので,ちょっとだけ大変でした。

 RAMを増やすには,メモリマップを探さねばなりません。結局見つからなかったのですが,複数の情報を総合し,その通りに改造することにしました。

 写真は「PRINT FRE(0)」でフリーエリアの大きさを表示させた直後の写真です。見ての通り18kByteもあります。RAMカートリッジをいれて最大16kByteだったんじゃないかと思う方がいれば,その方は正しいです。ただ,PC-2001のエミュレータでは最大で18kByteまで認識する事が知られているので,私にもそれにならってRAMを取り付けてみました。

 結果はこの通り。当たり前ですがエミュレータと同じです。

 ただ,液晶の表示が薄く,エネループではほとんど見えません。新品のアルカリ電池でもギリギリですので,さすがにちょっと厳しいです。

 使ってみた感じですが,持ち運びの出来るフルスペックのBASICマシンとして,非常に面白いものであることは事実です。しかし,40桁x2行の画面も中途半端ですし,いろいろ使いにくいところもあるので,実用マシンとしては使えそうにありません。X-07といい勝負です。


 先日はPC-1600Kも起動しなくなって修理しましたし,実家のHC-20やPC-8201も長い間様子を見ていないので壊れているかも知れません。年末年始に確認してこようと思います。

 80年代のコンピュータにはなかなか味があるのですが,ポケコンやハンドヘルドは小さくて場所も取らず,表示装置も内蔵されているので単体での動作が可能というのも,コレクションに最適です。

 そんなわけで,オークションも盛況なようですが,私もとりあえず休憩です。オークションだからというわけではないのでしょうが,やはり30年近く経過したものは程度が悪く,修理も難しくなっています。お金はともかく,時間の確保が難しいこともあり,理由です。

 ただ,BASICインタプリタが電源ONで起動するポケコンは,まさにユーザーとポケコンが対話をする感覚です。のんびりとした動作速度に身をゆだねていると,ポケコンがまるで小動物のような錯覚に陥ります。

 興味のない人にとってはタダのゴミですが,もし不要になったポケコンがあったら譲ってやって下さい。捨てるとかわいそうです。

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