私の助手席自動車列伝
- 2026/02/04 15:25
- カテゴリー:ふと思うこと
私の父は典型的な団塊の世代で,昭和の価値観を持つ人でした。この歳になって冷静に思うのは,地主の次男坊に生まれ,病弱で甘やかされて育ち,家を継ぐことも考えず,したい放題が許されて育った故の,自分に甘いわがままな,実にみっともない人だったと思います。
一方で母は雪国で育った地元の名士の娘で,気位の高さと賢さを備えた人ではありましたが,これもまた自分に甘い人だったので,最初から上手くいくはずがない組み合わせだったのかなと思います。
父は当時の男としては多趣味な人で,どれもセミプロ級だったとは思います。私のようにインドアでもなかったので,野球にゴルフに釣りにと元気でしたし,模型作りもDIYも料理も上手で,高卒の割には博学だったりして,私は大人になると何でも上手になるんだと勘違いをして育ちました。
そんな父の楽しみの1つが自動車です。なんとまあお金のかかる趣味だことと呆れるばかりですが,当時はモータリゼーションの勃興期であり,次々に新しい技術を搭載した自動車が登場し,4年に一度のモデルチェンジで乗り換えるのが普通だった時代です。
父はモータースポーツには興味はなく,また二輪車にも関心はありません。スーパーカーや厳つい車よりも,自分の眼で見て気に入った自動車を選ぶ傾向があったようです。
小学校にあがって友人と親が乗っている自動車について話をすると,どうも父の自動車の乗り換え頻度は多かったようで,ちょっと珍しい自動車が年に一度くらいの割合でやってくる我が家の状況を,私は密かに得意に思っていました。
普通の中流家庭だった父がそんなに頻繁に買い換えが出来るというのも,経済的におかしな話だったのですが,父に話を聞いてみると,いわゆるリセールバリューの高い車を丁寧に乗り,価値が下がらないうちに売却し,僅かな追い金で新しい車を手に入れるという仕組みだったみたいです。
とはいえ,まとまったお金が必要になったのは事実であり,どうやって家計を回していたのかと,今でも不思議でなりません。
父の自動車遍歴はこの当時としてはなかなかマニアックで,話のネタとしては面白いわけですが,こうした事情もあり根本的なところで肯定的な気分にはなりません。
ただ,小さい頃からメカ好きな私は,父の自動車の助手席に喜んで乗ったばかりか,週末の洗車やワックスがけ,ちょっとしたメンテナンスも手伝っていて,そんな自動車をまるでオーナーのように間近に触れる経験をしてきたのでした。
今それらの自動車に乗ろうと思うと大変な手間がかかるわけで,なかなか貴重な経験をしたなと思います。当時の事を書いた本や写真を見ると,懐かしいという気持ちと共に,忘れないうちに書いておこうと思いました。
ということで,私が(助手席に)乗ったことのある自動車列伝です。
・BMW2002ti
私の記憶の中で最も古いもので,もはや色も覚えていないのですが,時期的にこれだろうと思うのがBMW2002tiです。小学校に上がる前の話ですので,間違っている可能性も多いです。
覚えているのは,2ドアであったこと,ビニールのようなペラペラなシートであったこと,丸いテールランプであったこと,そしてホイールキャップがクロームメッキにBMWのエンブレムが入ったものであったこと,ドアハンドルがプッシュ式だったことです。
どんな乗り味だったかは覚えていませんし,そもそも助手席があったはずの右側に乗っていた記憶も薄いのですが,父もかつて乗っていたと言っていますので,たぶんこのあたりのBMWでしょう。
私が全く知らない話として,父はあの2000CSにも乗っていたそうです。トランスミッションの歯が欠けてロックし,ギアがフロアから突き出したという事故があり,怖くて手放したと言ってましたが,今ほどBMWが大きくなく,少し前には経営危機でベンツに買収されるかもといわれた時代であった当時に,なぜそこまでBMWが好きだったのかは不思議だなと思います。
・BMW320i(E21) 1982年ごろ
これは良く覚えています。レモンイエローの2ドアで,乗り降りが面倒だと母は良くこぼしていました。
子供心に格好いいなあと思った自動車で,もちろん左ハンドルでしたから,高速道路の支払いは私の役目でした。
明らかに国産車とは違っていたのは,センターコンソールが運転席に向けて湾曲していたことで,ドライバーが主役の自動車であることを強烈に印象づけました。
ドイツ車らしい重厚さや実直さも印象的でしたし,乗り心地も当時の国産車のようにふにゃふにゃではなく,特に高速道路でのしっかりした走りもあって,子どもの頃に乗った自動車の中では一番良い印象が残っています。
180km/hを越えた速度計と速度警告音が鳴らないことは,この車が「外車」であることを物語っていて,このあたりも当時の自慢話の1つだったことを覚えています。今思えば高速道路でのエンジンの音はなかなか良かったなあ。
ヒンジが前にある,逆アリゲータのボンネットも良く覚えていて,当時の国産車によく見られた丸いエアフィルター(ストロンバーグ式のキャブレター)がなく,スッキリとしたエンジンルームでした。
加えて,父はこの時カーオーディオにも凝っていて,クラリオンのコンポを組み込んでいました。プリアンプとパワーアンプが分かれており,マルチアンプ構成でした。ただ,それで聴いていた音楽が演歌だったのは,ちょっと理解出来ません。
正確な記憶ではないのですが,たしかパワーウィンドウを装備していたように思います。記憶にあるのは,その前に乗っていたBMWは手回しだったことと,ひょっとしたら三角窓もあったんじゃないかと思うのですが,それに比べてこの320iはなんと先進的だと感じた記憶があります。
そうそう,ラジエータを繋ぐ15cm程のゴムパイプが破れたらしく,交換にえらい時間とお金がかかったと私に愚痴っていたことや,日曜日に家族で昼食に出かけた帰り,突然エンジンが止まって立ち往生して,母と弟はあきらめて歩いて帰ったのを私は父と一緒に修理に付き合い,私がヒューズを疑ってみたらと何気なく言ったことをきっかけに,本当にヒューズの交換で直ったことや,ボンネットのBMWのエンブレムを盗まれた話,キドニーグリルがどうしても豚鼻に見えたことなど,当時の記憶がたくさんあります。それだけお気に入りの自動車だったのだと思います。
・アクディ クーペ(B2) 1980年ごろ
BMW320iよりも前だと思うのですが,一時期アウディに乗っていました。叔父が大学生の時に我が家に下宿していたのですが,その叔父と一緒に洗車を手伝った記憶があるので,時期的にも正しいと思います。
父に,この車はなんという名前だと聞いた時,返ってきたのが「クーペ」でした。何せ初めて聞く単語ですからクーペという固有名詞と思っていたのですが,後に2ドアのボディの一般名詞だと知って,オヤジもたいしたことないなと思っていました。
ですが先日,B2系のアウディ80の派生モデルとして,本当にクーペという名称で正規輸入されていたことを知り,父が正しかったことを知ったのでした。
フロントの4つの輪が,オリンピックマークの偽物のように見えて,どうもパチモノくさい印象があったこのアウディですが,父もそれほど気に入ったわけでもなかったようで,短期間で我々の目の前から姿を消してしまいました。
・スカイライン2000ターボRS(DR30) 1983年ごろ
BMWから,突然赤と黒のツートンカラーを纏った国産車に変わったことはなかなかショックな事件でした。
ようやく排ガス規制の暗黒時代を乗り越えた国産車が,DOHCだのターボだのとパワー競走に走った時代のスカイラインです。
父が言うには,もともと試乗車で破格の値段で売ってもらったと言ってました。毎週西部警察を見ていた父ですし,もともと日産車のファンでもあったので,久々のDOHC搭載のホットモデルに,いてもたってもいられなかったのでしょう。
RSターボと言えば鉄仮面で知られる後期型が有名ですが,うちに来たのは前期型でした。個人的には6代目のフロントデザインは嫌いではないので,もし今RSターボを探すとしても,やっぱり前期型を選ぶと思います。
赤と黒で塗り分けられたデザインも,ちょっと他に見ない精悍さを放っていましたし,それまでのスカイラインに比べて圧倒的にリアが格好良かったと思いました。テールランプは点灯すれば丸形ですが,四角くコンビネーションされていたのが斬新でした。
運転席も80年代らしくボクシーで,メーターの初期位置が水平だったことも格好いいと思いましたし,エンジンもヘッドカバーが赤く塗装されていて,特別であることを主張していたように思います。(ヘッドカバーの形をしたキーホルダーがうちにいくつもありました。ノベルティだと思いますが,とっておけばよかったと思います。)
走りは,ターボが効いてからの加速が強烈で,シートに沈み込むような感覚がありました。1980年代らしい,いわゆるドッカンターボというやつです。ただ,そんな急加速をする父もどうかと思いますし,ターボが効き始めるまでの時間の無力感が際立った当時のターボに,一体何を求めていたんだろうと思います。
私には面白かったこのスカイラインでしたが,当時の国産車の常として,ふにゃふにゃの足回りに剛性感のないボディで,乗り心地は良くありませんでした。だから,後部座席に押し込まれた母と弟はすぐに酔ってしまい,乗り降りが面倒だったこともありとにかく不評だったようです。
私の勝手な予想に反し,このスカイラインは短い期間で手放されることになります。理由を尋ねると,ブレーキが甘くて怖かった,加速性能に追いついていないから,といっていました。
ボディやブレーキに目が向きにくかった,当時の国産車の傾向がよく分かる話です。
・グロリア2000ハードトップジャックニクラスバージョン(430) 1983年ごろ
ドッカンターボと言われたスカイラインRSターボの後にやってきたのが,グロリアでした。430系ですのでエンジンはL20で,ターボとの組み合わせであの大きな車体を無理に引っ張っていた印象があります。
ようやく4ドアになり,母も弟も喜んでいたのですが,なにより大きな車でしたのでゆったりできたことを覚えています。
ジャックニクラスバージョンという,なんとも格好の悪い名前のモデルだったのですが,渋いツートンカラーにサンルーフ,オートエアコンとなかなかの贅沢装備で,これまでになく快適でした。
個人的には,L20という6気筒エンジンを収めたエンジンルームが堂々としていて,ノーズの長い自動車に格好の良さを感じていました。トランクの鍵穴が隠れる仕組みも高級車だなと思わせましたし,走り出すとロックがかかるオートロックも先進的だと思いました。
ただ,乗り心地は悪くて,とにかくふわふわと揺れました。スカイラインのMTからATになったのですが,走りも緩慢で面白味に欠いていて,キビキビとした楽しさがなかったことを覚えています。
・セドリック2000ブロアムVIP(Y30) 1985年ごろ
430のグロリアが,ある時突然真っ白なセドリックに変わっていたから,驚きました。以前のグロリアよりもボクシーになり,ノーズも短くなって伸びやかさがなくなったデザインは私の好みではなかったのですが,父が自慢げに言うには,日本発のV型6気筒であることと,タイムラグをなくした新しいターボを装備していることでした。
VG20ETと名付けられたこのV型6気筒エンジンは確かに画期的だったのですが,そのせいかノーズが短くなったのは高級車としてどうなんだと今にして思いますが,このエンジンがこの後しばらく日産を支える名エンジンになることを,当時の私は知るよしもありません。
ジェットターボと名付けられた新しいターボは,タイムラグを小さくすることで,急激な加速よりも運転のしやすさを目指したもので,ターボと聞いてあの加速を楽しみにしていた私は,ノロノロとした加速にがっかりしたものです。
調べてみるとY30のセドリックって1.5tもあったんですね。ジェットターボ搭載のVG20ETは180psだったそうで,おそらくそんなに非力な感じはなかったんじゃないかと思うのですが,スカイラインRSターボの印象が強く,お行儀の良いVG20ETにがっかりしたんだと思います。
80年代の王道を行く高級車らしく,装備は充実していて,ステアリングの中央部が一緒に回転せず,スイッチだらけになっているのも初めて見ました。たぶんオートクルーズも搭載していたんじゃないかと思います。
・BMW325i(E30) 1986年ごろ
セドリックの後にやってきたのが再びBMWの325iでした。今度は白でかつての320iよりはおとなしく,またキドニーグリルも角張ってしまったので,外観は好みに合いませんでした。
しかし,乗ってみるとそれはもうBMWです。ドライバーに向いたセンターコンソールを見て,BMWのポリシーが変わっていないことにホッとしましたし,相変わらず180km/hを越えて刻まれた速度計にも,ヨーロッパの自動車の頼もしさを感じていました。
2.5Lのエンジンにはさすがに余裕がありましたが,しっかりとした剛性感や乗り心地にはかつてのBMWの印象がそのまま合致し,いい車だなと思わせるものがありました。
ただ,この頃になると家族でどこかに出かけることが少なくなり,私も助手席で乗り味を愉しむことは少なくなりました。
メルセデスベンツ300SE(W126) 1987年頃
とうとう我が家にベンツが来ました。世の中はバブルで,これまでにないくらいベンツが日本に入ってきていて,程度の良い中古車が父のような庶民にも行き渡ったということでしょう。
私にとってもベンツは初めて乗る車です。私も含めて怖い人が乗る最上級車か,小ベンツと揶揄された小さいベンツしか見た事がないわけで,この300SEというグレードのベンツがどんなものか,私には全く分かっていませんでした。
家族での移動はほとんどなくなっていた時期でしたが,この時は母方の祖父が手術中に急死するという事件があり,急遽父が私と弟を連れて,このベンツで母の実家に急ぐことになり,期せずして高速道路での長距離ドライブを経験することになったのでした。
その体験はまさに感動的でした。圧倒的な安定感,疲れることを知らない乗り心地,キビキビとした加速と減速,高速走行でも全く怖さを感じないのです。
義理の父の急死ということで,父も焦っていたと思うのですが,ほぼ休憩無しで走り続けましたが全く疲れることなく,ここには書けないほどの速度を出しながらも,体感では100km/h未満かと思ったことなど,ベンツの神髄を見た気がしました。
あれこれと文字を書いていないシンプルなインテリアもドイツ車らしくて素晴らしく,木目の高級感もやはりベンツらしい贅沢感がありましたが,いざ踏み込めばグイグイと加速し,あっという間に国産車が後ろにいます。しかし,フラフラすることもなく,どこまでもまっすぐ走っていく安心感が助手席でも味わえます。
DOHCでもなくターボでもない,先進の装備もないし,特別流麗なデザインでもなく,目立つのは厳ついベンツマスクで,独特の威圧感がある車ですが,自動車としての本質は今もって最高水準にあるといってよいでしょう。
ところでこの当時,父が気になる事を言っていました。この300SEには,500SEというエンブレムがついていましたが,これは嘘で本当は300SEだと。そういう話がまかり通ることにベンツの胡散臭さを感じたものですが,今調べると500SEだとエンジンはV8で,これはさすがに庶民が持つ物ではありません。
私の記憶が正しければ,この車は右ハンドルでした。W126の右ハンドルは300SEにしか用意されなかったそうですので,やはり300SEが正しいのではないかと思います。
私がこれまでに乗った車で最上のものが,このW126でした。今後もこれを上回る車に出会うことはないと思います。
このあと私と父は疎遠になり,私も父を避けるようになりましたし,父も我々家族を相手にしなくなりました。私は免許を取り,自分自身が運転する車に夢中でしたから,その頃意向の父の車のことは,全く記憶にありません。
ベンツのセダンはこの後ちらっと見た記憶があるのですが,残念ながら車種を覚えていません。また,見た事はないのですがSL500に乗っていたという話も本人から聞きました。
また,ここにあげた車以外にも,ジャガー,マスタングに乗った記憶があります。ただ時期も車種もわかりませんし,印象もほとんど残っていないので,詳しく書くことをやめました。
そうそう,BMW320iの前後に,318iに乗っていた時期もあったと思います。とはいえ,それほど320iとの違いも分からず,あまり記憶に残っていないばかりか,本当に318iだったのかも定かではありません。
国産車についても,スカイラインとグロリア/セドリック以外に,ローレルやクラウンに乗っていたことも覚えていますが,これは代車だったみたいですし,父の好みでもなかったのではないと思います。
私が生まれるずっと前には,110サニーや510ブルーバードSSSに乗っていた(ブルーバードは新車だったらしい)ので,随分といいご身分だったんだなと思います。
父とはいろいろあって複雑な気持ちがあって,そのせいか自動車についても当時の名車に助手席とは言え乗る機会に恵まれたことを肯定したい気分と否定したい気分の2つがせめぎ合っています。同じように,自動車が好きな自分と嫌いな自分が私の中にいて,自動車を所有することの面倒臭さがその利便性を上回る現実と微妙に重なっています。純粋に自動車のことが好きになれないのは,そういうことなのでしょう。