実は我が家にはiPad2があるのです
- 2011/09/29 16:15
- カテゴリー:散財
一部のガジェット好きかAppleに心酔する人々だけが買うのだろうと思われたiPhoneが,これほど普及して一般的になると私は思っていませんでした。
確かにスマートフォンは便利なのですが,その便利さを実感するにはいくつもの壁を越える必要があり,壁を乗り越えるスキルと時間(場合によってはお金も)がなければおよそ到達出来ない高みであると,そう思っていたからです。
これだけ普及した理由はいろいろあるでしょうが,私の美学で言うと,大衆化したガジェットほど無様な物はありません。むしろ,マイノリティーであるガラケーの方が,今の私には魅力的ですらあります。
そんな話を普段からしているものですから,私はiOSマシンが嫌いなのだと,誤解されることもあったようです。
嫁さんは,iPad2が発売になったその日,珍しく近所の電気屋に見に行きたいと言い出しました。どうせ在庫もなく,買うことも出来ないとわかっていたのですが,展示機を少し触って,なにやら複雑な表情をしておりました。
そしてここしばらく,自分が使っているMacBookの調子が悪いだの,レスポンスが悪いだの,(重量が)重くて家の中を持って移動するのが苦痛だの,電池が持たないだの,ACアダプタが邪魔だのと,文句をやたらというようになりました。
だけど,iPadが欲しいとは自分からは絶対に言わないんですね。私も面白いので,ほっといたのです。
そんなある日,私がふと「iPadってほしいか」とダイレクトに聞いてみたら,迷い中という返事です。すぐ欲しいすごく欲しいと言わないところが,どうも意地になっているみたいです。
嫁さんは産休中ということもあり,確かに2kgもあるMacBookを持ってうろうろするのは面倒だろうと思いますし,産後はもっと大変になることでしょう。
私も鬼ではありません。先週の木曜日,会社の帰りにiPadを買って帰って,ごくろうさんの意味も込めて,いきなりプレゼントすることにしました。
すると,なんと涙を流して喜ぶではありませんか。
泣くほどiPadが欲しかったのか・・・
今にして思えば,中華製の偽iPadとか,激安のAndroidタブレットとかをすっとぼけて渡して,偽物のガンプラを得意げな顔の父親に渡されて「これじゃない」と枕をぬらした,我々の世代に共通した体験を味わってもらっても面白かったかも知れません。
以後,彼女はMacBookをほとんど開いていません。なにをするにもiPadのようです。それだけ喜んで使ってくれるなら私もうれしいのですが,私はといいますと,これがちっともうらやましいと思わないのです。
いつもはなんだかんだで,他の人の使っているものを見て欲しいと思うものなのですが,今回に限っては不思議と興味もわかず,嬉々として触っているのをちらっと見ては,お気に入りのMacBookAirに視線を落とす,そんな毎日です。
知的な生産を支援する機械としてのコンピュータは,キーボードによってその存在をアピールします。私たちは子供の頃,他の何とも違うコンピュータという存在への恐れと憧れを,ボタンがずらーっとならんだそのキーボードによって,増幅させていたのです。
そして今,つくづく考えてみるに,iOSマシンというのはコンテンツを消費するマシンであり,MacOSXマシンというのは,コンテンツを作るマシンなわけですね。
もちろんMacOSXでもコンテンツの消費は可能なのですが,ただ消費するだけならもっとシンプルで使いやすいマシンが作れるはずで,それがiOSマシンだったのだと思うのです。
私は,コンテンツの消費だけではなく,コンテンツの生成もコンピュータに期待していますから,この2つを同時に同じ操作でこなすコンピュータとしてのMacOSXマシンは,手放せません。iPadやiPhoneをなんとなく物足りなく感じるのは,そういうことなのだと思います。
iPadやiPhoneはコンテンツを消費するマシン,言い換えればそれは再生専用機です。
それは,かつてカセットテープが自分で録音と再生を行うメディアとして当たり前だった時代に,録音機能を持たない再生専用機として発売され,大多数の関係者の予想を裏切って,以後それが文化となったWalkmanと,同じ事のように思えるのです。