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3世代が揃う連休

 この5月の連休は,私の気分が晴れず,随分と周囲に迷惑をかけました。連休に入る前からあまり良い状況とは言えなかったのですが,不機嫌になり,周囲におかしな理屈をこねくり回しては相手を責めるようなことは,もはや常軌を逸しているとしか言えません。

 私がいることで楽しく過ごせるか,はたまた苦痛になるかは,つまるところ私次第という非常に悪い状態が長く続き,一緒にいた人間はさぞや辛かったろうと思います。

 そんなこんなで,連休後半には大阪の実家の母が,わざわざ東京にまで,我々の娘に会いに来てくれました。ちょうど連休中に生後半年を迎えた娘は,体はやや小さいものの,色白で整った顔立ちをしていて,誰を見ても朗らかにニコニコと笑い,ぐずって周囲を困惑させることが少ない,我々にとって誠に都合の良い「いい子」です。

 我が子のことが良く見えるというのは誰でも同じことですが,私たち夫婦のように友人も少なく,人との関わりを積極的に望まない種類の人間にとって,娘がいることで話しかけられることを何度も経験すると,赤ちゃんの持つ潜在的な力を感じざるを得ません。

 例えば,娘が少し前に病院に行った際,待合室にいた老夫婦が私に話しかけてきました。当然まだ子供は話が出来ません。老夫婦は子供と話をしたかったわけではないのですが,さりとて私と話をしたいと思ったわけではありません。

 私でも,あるいは嫁さんでも,一人なら声をかけられることなどほとんどありません。もし娘がいなければ,老夫婦は私に話しかけるなど絶対にしなかったことでしょう。

 またある時,娘をだっこしてドラッグストアに頭痛薬を買いに立ち寄りました。個人経営の薬局と違い,コンビニのようなシステム化されたチェーン店で不必要な会話などをしないものですが,娘を見て思わず若い女性の店員が顔をほころばせ,かわいいですね,と口をついて出てしまうのは,娘の「人徳」がなせる技かと思いました。

 その女性店員は,「かわいいですね」と言った後,はっと我に返ったように「しまった」という表情をしながら,上目遣いで私の顔をそーっと見上げたことでもわかるように,つい不意を突いて口にしてしまったようです。

 最近は希薄になっているかも知れませんが,それでも子供というのは社会が育てている一面があります。文字通りの積極的な意味でもあるし,あるいは社会によるその存在の許容,と言ってもいいかもしれません。

 私の母は,それまでの忙しい毎日の続きで,早朝から新幹線に飛び乗って,昼過ぎに東京にやってきました。出迎えた母は疲れた顔をしていましたが,自宅に戻って来て娘を抱くと,もしかすると嫌がられてしまうのでは,という心配も吹き飛び,ニコニコしている娘とのコミュニケーションを堪能していた様子でした。

 おそらく,母も孫の顔を見ることをあきらめていたのではないかと思います。私たち夫婦が子供をあきらめていたのですから,当然のことだと言えます。ですから,我々夫婦が驚くのと同じくらい,母も驚いたはずです。

 幸いにして,娘は健康に育っています。朗らかで人見知りせず,とても綺麗な顔でニコニコして手足を動かしては,見る人の表情を緩ませます。私たち夫婦は,この素晴らしい存在の親として日常的に接することを許される特権階級なわけですが,母も祖母として,孫を抱きかかえる特権を有しています。

 しかし,500kmという物理的な距離は,その権利の行使を阻みます。仕事をしている母に連休を取るだけのゆとりはありませんが,今回無理を言ってわざわざ来てもらったのは,今の娘に今会うという,至極当たり前の事を,ぜひ味わって欲しかったからです。

 確かに,我々夫婦が娘を連れて大阪に行くというのも手でしょう。実際それは特別な事ではありません。ですが,慣れていなければ大人でもぐったりする長距離の移動,それも日本の2大都市を結んで,常に人混みにいることは,まだ自分の宇宙が家の中だけ,と言う娘にとって,あまりに強すぎる刺激であり,大きなストレスになる可能性が否定できません。

 心配しすぎかも知れませんが,もし移動でぐったりしたらどうしよう,風邪でもうつされたらどうしたものか,実家で高熱を出して戻ってこれなくなったらどうしよう,といった小さな事から,事故や災害に巻き込まれると取り返しが付かないという大きな事まで,いろいろ考えてしまうのは,無理もないと思います。

 どうしようか,と迷った結果でもしなにか起きてしまったら,やっぱりやめておけばよかった,と後悔するに違いありません。しなくて良いことをやって,取り返しの付かない事態に陥ることほど,悔しいものはないはずです。

 しかも,これだけ逡巡して決断した結果,当の娘は大阪に行ったことを全く覚えてはいないのです。大阪に行った経験が全く影響を与えないとまではいいませんが,娘には振り返ることの出来ない時間であり,一方で振り返る事の出来る我々夫婦の経験のために,娘に背負わせるリスクとしては,ちょっと大きいかなと私は思いました。

 難しいのは,母もすでに老人であり,私には子供と共に等しく保護される対象である対象になっていることです。ですから,まだ母が仕事を続けて,元気に動き回れるときに,ぜひこちらの様子を見て,孫とのコミュニケーションを楽しんで欲しいと思ったのです。

 2泊3日の母の滞在の間,娘はとてもいい子にしていて,喜んで大阪に帰っていきました。こんなことをいうのもどうかと思うのですが,母の年齢を考えると,我々の所にやってきて娘と会うことは,もう今後ないことかも知れないと,そんな覚悟もしています。

 母から私が,私から娘が生まれ,それらが一堂に会することは,みんな経験することで何も特別な事ではないかも知れません。しかし,それぞれにとってやはりそれは特別なことであり,感動的なことですらあります。

 そんな気持ちを新たにした,連休でした。

キュウリを育てた5ヶ月間

 今年の夏は原子力発電所が停止した関係で,全国的に電力不足が懸念され,節電が大きなテーマとなりました。

 直接の日差しを防ぐために,ゴーヤなどを植える家庭が多かったのですが,我が家はキュウリを作ってみたという話をここにも書きました。

 6月の末という遅い時期から,しかも種から栽培を始めるという初心者ならではの無茶をしたにもかかわらず,立派にキュウリがたくさんなり,夏から秋にかけておいしく頂く事が出来ました。

 そして先週の金曜日の夕方,伐採して片付けました。もっと早くに片付けたかったのですが,どういうわけだか,あまり元気のなかったひ弱な株ほど長生きし,しつこく雌花を咲かせては,かりんとうのような実を付けるのです。

 生きている植物は伐採しないという基本原則に従って,伐採せずにいたのですが,寒くなってしまってからの屋外作業は厳しいので,かわいそうですが生きている株も切らせてもらいました。

 約5ヶ月にわたる楽しみと収穫に,感謝です。


・収穫したキュウリの数

 結局最終的には39本のキュウリを収穫し,全てを食べました。このうち1本は蛾の幼虫に穴を掘られて食べられていたので捨てましたし,伐採時にも3本ほどぶら下がっていたので,実際は40本以上のキュウリがなっていたことになりますが,食べられるものは39本であったということです。

ファイル 532-1.jpg

 収穫したキュウリは全て収穫時に写真に残してあります。写真はその全ての写真をコンタクトシートにしたものですが,縮尺はバラバラですので大きさはよく分からないとおもいます。

 左上から右に,収穫順にならんでいます。大きさは分からないといいつつ,やはり後になるほど細くなったり小さくなったりしているのが,なんとなく分かって頂けるのではないでしょうか。

 ただ,初期に収穫したものはさすがに大きく,成長も早かったのですが,寒くなるに従い細く小さく,なかなか大きくなりません。キュウリの香りも後になるほど強くなり,皮も分厚く,水分も少なめになる傾向があります。
 
 水やりをサボったり,曇りや雨が続くと成長が止まりますし,直射日光が燦々と照りつけると日に日に大きくなるので,やっぱりキュウリは夏の野菜ですね。


・育て方

 2リットルのペットボトルの横に倒し,くりぬいて底面に穴を開け,成分調済みの土を入れてここに種を蒔きました。2週間ほどすると本葉がでて生えそろうので,元気なものをのこして間引きます。

 出来れば間引きたくないなあと思っていたので,ペットボトル1つに3本ほど残したのですが,まさかあんなに大きくなるとは思わず,途中で2本に減らしました。それでもすぐにペットボトルの中身は根っこだらけになり,明らかにまずいという状況になりました。

 事態が深刻になったのは,本格的な夏がやってきた7月中旬です。ペットボトルの保水能力はキュウリには低すぎて,毎朝と夜の水やりでは追いつかなくなりました。1程の成長したとき,帰宅すると全ての株がしおれてしまい,まるで漬け物の様になっていました。これはもう枯れてしまうだろうと,あきらめたほどです。

 あわてて水を大量にやりましたが,翌朝には復活。しかしこの日もまた帰宅後にはしおれています。

 よく見ると,成長に差があり,しおれる具合にも差があります。どうも,コンクリートのブロックの上に置いてあるペットボトルの株が良くしおれている様な感じです。

 コンクリートブロックが焼けているのかも知れないとペットボトルを持ち上げてみると,根っこがペットボトルの底面の穴から出ており,びっしりです。地面に置いてあるペットボトルについては,根っこがそのまま地面に潜り,水などを吸い上げることが出来ているし,温度も上がらずに済んでいるのでしょう。コンクリートの上にあるペットボトルは,すぐに水が足りなくなるのもなるほど道理です。

 そこで,コンクリートブロックを撤去し,すべてのペットボトルを地面に置くことにしました。この結果,株による生育の違いやしおれやすいなどの差が出にくくなりました。

 それでも,8月に入るとさすがに水やりが追いつきません。そこで,2m程のホースを買ってきてキュウリの横に這わせて,先端に栓をして,株の部分に小さな穴を開けて,ごくわずかな水が常に供給されるような仕組みを作りました。

 気温の差によってホースの穴の大きさが変化するので水の排出量が一定にならず,まずい部分もありましたが,とりあえず真夏の厳しさを無事にしのぐだけの機能はあったようです。

 なお,肥料は1ヶ月に一度やりましたが,結局2度ほどやっただけであとはやっていません。


・害虫の被害

 夏頃からアブラムシとテントウムシ,そして蟻が共生するようになりました。これらは全然実害を出さず,見ていても飽きない楽しいものだったのですが,ウリハムシという有名な葉を食べる虫が随分ついてしまいました。

 ウリハムシは身軽で,すぐに飛んでいってしまいます。だから駆除するというのはなかなか難しく,多少葉を食べられてももう仕方がないと,最終的にはあきらめました。

 それより,蛾の幼虫がすごかったです。油断していると手のひらほどある葉をすべて食べ尽くしてしまう勢いです。地面に大量のフンが落ちていると,大体その直上に大きな幼虫が潜んでいます。

 大きさは数ミリから数センチでしたが,とにかくまあよく食べること。秋頃には食べる葉っぱがなくなり,実の表面の皮を食べて,あげくに穴を掘って内部まで食べていました。あと少しで食べられそうと粘っていたら,先に虫にやられてしまったと言うわけです。

 これらの幼虫は,発生に山があるようで,一時落ち着いたと思ったら急に発生します。また,特定の株に発生する傾向があり,それは株そのものが原因なのか,水や日照時間などの差が問題なのか,それはよく分かりません。

 幼虫は見つけ次第,かわいそうですが殺すしかありません。見つけないと葉をどんどん食べられてしまいますし,見つけた限りは駆除することになりますので,心が痛みます。

 割り箸でつまむことは簡単ですが,問題はその後です。焼けた地面に放置とか,踏みつぶさずに済む方法を考えていたのですが,結局アルコールの中に落とすという方法で駆除しました。

 なにがびっくりしたって,そうして駆除した大きな幼虫の死骸を地面に置いておくと,数時間後には跡形もなくなっているのです。蟻が持っていったんでしょうね。アルコール漬けになっているのに,蟻も大丈夫だったのでしょうか。


・食べ方

 真夏になった最初の頃のキュウリは,そのまま塩もみして食べたり,サラダにしたりしました。それも飽きてくると,ニンニクと塩や,豆板醤でさっと炒めて食べました。水分が多いみずみずしいキュウリは炒め物にはあまり適さず,やはり生で食べるのがよいようです。

 秋になってからは,浅漬けにして食べました。なんとなく生で食べる気分でなくなったこともあったからですが,固く水分も少なめのキュウリは,炒めてもなかなかおいしく頂けました。

 でもまあ,ちょっと引っかかるのは,自分の家の庭にぶら下がっているキュウリですから,水も空気も,都会のものなんですね。果たして生で食べていいものかどうか,ちょっと考えてしまいました。


・反省

 なにせ初めての事でしたから,反省点はいっぱいあります。もし次にするときはどうするか,どいう視点で考えてみると,まずは地植えをすることです。そして,株は20cmほどの間隔をあけて,1本ずつ植える必要があると思います。

 水はけはあまり気にしていませんが,水やりを自動で行う仕組みをもう少しまともなものにしないといけないでしょう。

 あと,案外大きくなってしまうので,2mそこそこの高さのネットではすぐに足りなくなってしまいます。さりとて,あまり高くしてしまうと収穫が大変ですし,キュウリは下の方から枯れてくるものなので,クネクネと曲げて這わせるとか,そういう工夫が必要かもなあと思います。

 それと,もう少し早くに種を蒔かないといけないですね。6月末では遅すぎました。出来ればもう2週間ほど早めにスタートしたい所です。

 で,来年やるかといえば,たぶんやらないと思います。毎日の出社前と帰宅後,そして休日の手入れと,楽しかった反面で忙しかったのも事実です。考えてみるとキュウリはお店でいつでも売っていますから,無理に作る事もないという話だってあります。

 ということは,別の作物を育ててみるのもいいかもしれません。でも,スイカとかメロンなんかは,ちょっと違いますしね。どうしたものでしょうか・・・


・総括

 この話をすると,決まって返ってくる反応は,立派に育ったねという言葉です。曰く,キュウリはなかなかちゃんと育てるのが難しく,簡単に枯れてしまう事があったり,キュウリも大きくなる前に茶色くなってしまったりと,思い通りにならないらしいのです。

 しかし,私の場合,5ヶ月にわたって茂っていたし,40本近いキュウリを食べさせてくれました。最初の1本が日に日に大きくなり,いよいよ収穫と言うときのうれしさは,格別でした。

 収穫したキュウリはまだとげとげもありますが,水で洗ってやると綺麗におちて,すべすべの表面になります。ワックスなど使わなくても,これだけ綺麗においしそうになるんだなあと思います。

 聞いた話では,日本の消費者は細く長いキュウリを好むらしく,農家は早めに収穫するんだそうです。だから,私が収穫したような太くて立派な,種が熟す直前のキュウリというのは,ちょっと貴重なのかも知れません。

 キュウリの生育とあわせて,嫁さんのお腹はどんどん大きくなり,収穫したキュウリを栄養にして育った子供は,まさにキュウリと入れ替わるように,生まれて来ました。

 なんでもそうでしょうが,手をかければ,かけただけの成果が得られるという点で,生き物を相手にするのはとてもシンプルだなあと思うのです。もちろん,運とか縁とか,そういうのも関係がないとは言えません。

 でも,おかしな駆け引きもなければ,運や縁の要素が支配的な世界でもありません。とても公平で,手間が結果に直結することが,ひょっとすると農業の醍醐味なのかも知れないですね。

 でもあれか,農業もプロとしてやってしまうと,駆け引きも運も縁も必要になっちゃいますかね。

実はすでに処分されていたプジョー306

 私が初めて新車で購入したプジョー306(N3)が私の手元を離れ,父の所有になってから約2年が経過した10月30日,その父から突然電話がありました。

 用件は出産予定日を1週間ほど過ぎたことを気にして「どんな感じか」と電話をしてきたわけですが,電話を切る直前の「そうそう」から始まる,ついでの話に,私はちょっと動揺しました。

 プジョー306を処分したというのです。

 処分というのは廃車したという事か?と確認すると,その通りだという返事です。

 処分するぞ,ではなく,すでに処分したということですから,事後に連絡をしてくると言うのはちょっと話が違います。

 この話の父からの申し出というのは,名義の変更を行い,車検や保険などの諸費用は全て父が負担をする,譲渡や廃車などの処分を勝手に行わない,必要に応じて車検が切れても切れたまま持っておく,というものでした。

 もとより,こんな都合のいい条件を100%信じていたわけではなかったし,この車を私が取り戻してまた乗るかと言えば,それはないと思いますので,特に実害があるわけではありません。

 釈然としない気分のせいで,後に続ける言葉が見つからずにいると,父がいらついた口調で言い訳を始めました。いわく,自分ももう乗らないのでもったいない,と。

 ああ,聞かなければよかった,もうこれ以上は聞きたくない,黙っていてくれ,と私はそう心の中でつぶやいていました。

 処分されたものはもう仕方がありません。事前に「処分するぞ」と言われても「お願いします」としか言えなかったはずですから,ここはこらえて,「手続きありがとう」とお礼だけ言って,電話を切りました。その時に私には,これが精一杯でした。

 電話の後,状況を整理してみました。

 まず,父はもともと軽自動車より大きな車をゴルフに行くのに使いたいといっていました。大きさは問題なかったようですが,私のプジョー306はどうもパワー不足で今ひとつ走らず,一度使われただけで,以後はゴルフに使われることはなかったと,母から聞きました。私がこの車にパワー不足を感じたことは一度もなかったのですが・・・

 次に,父は夏頃,肩の手術をして,しばらく入院していたそうです。その後リハビリで,結局9月頃まで身動きできなかったとのことです。

 そして最後に,この8月中旬に,車検が切れていました。

 想像出来るのは,自分が入院しているうちに車検が切れたプジョー306をどうにかせねばならず,当初のあてが外れてお荷物になってしまったこの車を維持する理由もなく,電話一本で取りに来てくれる友人の自動車整備会社にさっさと処分を頼んだという流れです。車検も自分が面倒を見るという行っていた割には,私が通した車検が切れたら処分ですから,呆れたものです。

 父がそういったわけではありません。父は処分した理由を,乗らなくなった,お金がもったいなかった,だけでしたので,私は随分父に都合の良い想像をしていることになります。そう考えてあげないと,プジョー306が不憫に思えるからです。

 いろいろな事情があったことは確かでしょうが,それにしても処分の前に一言欲しかったと思いますし,それは私に対する気遣いというより,約束だったわけですから,随分軽く考えられたものだと情けなくもなります。

 父にとって,自動車は頻繁に乗り換える,いわば大量生産の洋服のようなものなのでしょう。私のように縁あってやってきた個体として愛着を持つことは理解出来ないことのようです。

 思い出すと,父はとても車を大事にしていましたが,その理由は価値を下げないことにありました。古い車をレストアして乗るとか,1台の車を長く乗るとか,そういう事は一度もありませんでした。

 私も自動車は大好きですが,自動車が好きだった父の影響を受けたと,安易に言えない理由がここにあります。同じ好きでも,おそらく正反対の方向を向いています。だから,私が免許を取ってから以降,自動車の話を父とすることは全くなくなりました。もう接点がないわけです。

 さらに思い出してみると,父は幼い私に自動車の話を自慢げにする人ではありましたが,そこで出てくる自動車の評価は,新しいか古いか,高いか安いか,ブランド力があるかないか,人目を引くかどうか,パワーがあるかないか,くらいのものであり,カーブを曲がるときの鼻先の向き方やボディの剛性,サスペンションの追従性といった話は一度もなかったのです。

 父がこれらに興味を持ってなかったわけではないでしょうが,父が私に話すメカニズムについての話は,エンジンの話が中心であり,サスペンションやシャシーの話は全くありませんでした。要するに,そこが父の自動車好きの「限界」だったのでしょう。

 自ずと,好きな車の趣味も違ってきます。私は国産ならマツダ,海外ならプジョーやシトロエン,アルファロメオやフィアットがとても気になるわけですが,父にとってこれらの車はオモチャ同然であり,国産なら(かつての)日産,海外ならベンツとフォルクスワーゲンとBMWというドイツ勢が興味の対象です。

 ドイツ車の素晴らしさを否定するものではありませんが,ドイツ車にないフランスやイタリアの車の魅力をオモチャと言い切るあたり,お互いに全くわかり合えないだろうと思うのです。書いていてふと思ったのですが,父の自動車観は,まるで中国人のそれと同じですね。

 父は根本的に,自分の事しか考えません。自分の周囲の半径1mから外のことは全く見えないし,興味もなく,ひょっとすると存在すらしないと思っているかも知れません。そんなだから,自動車に対する接し方も人それぞれであるという理解はありません。

 父にとってプジョー306がお荷物なら,私にとってもお荷物であり,父が処分を最善と思えば,それは万人にとっても最善であると思うのに,何の疑いもないのです。

 ただ,今回の話については,「事前に一言欲しかった」とつぶやく私に多少の後ろめたさを感じたのか,声のトーンを半音上げて,なぜ自分が処分したのかという理由を,だーっと機関銃のように一気にまくし立てました。

 でもあいにく,私が聞きたいことは,そんなことではないのです。

 後日,思いつきで行動して周りの人を散々振り回す事は,相変わらず昔とちっとも変わっていない,という,いつもの意見の一致が,母との間でありました。

 長生きされれば,我々の生活を引っかき回すようなことをする可能性も高いと思っていますし,さりとて急に死なれてもきっといろいろ面倒な事が出てくることでしょう。願わくは,このままどこかに消えてなくなってくれればなあと,最近特にそんなことを思うようになってきました。

 親子ですから,それでも子供の頃の父の思い出はいくつもありますし,それらの多くは良い思い出で,懐かしいとも思います。

 しかし,人間同士としてこれだけそりが合わないと,やはり顔を合わせたくないし,話をしたいとも思いません。親子なのにと言う人に対しては,親子だからギリギリ繋がっているのだと言いたいくらいです。
 
 プジョー306が私の目の前を走り去って行くときに残したいくつかの写真は,実はまだ未現像です。あれから2年,今もしその写真をみたら,どんな印象を持つでしょう。

 最後にプジョー306を見たのは,実家でのことでした。プジョー306はもともと高級車ではないので,特に最廉価のstyleには,やや細い純正のタイヤがよく似合います。なのに,不釣り合いなインチアップのアルミホイールに扁平なワイドタイヤを無理に履かされていて,リアフェンダーの内側にタイヤがこすれるほどでした。

 シートにはボワボワのムートンが敷き詰められ,まさに台無しでした。

 やはり,最後は私の手で処分するべきだったのではないかと,安易においしい話に乗ってしまったことを,反省しています。

RDT204WM-Sの持病

 2年半ほど前のことですが,三菱のLCDモニタRDT204WM-Sを買いました。

 手頃な大きさの20インチで,かつ解像度の高いモデルの中から選んだのですが,何となく三菱製のモニタを買いたいなあと思っていたのでちょうどよい買い物でした。

 また,当時はDVDレコーダを繋ぐモニタとしても利用せざるを得ず,この機種はケーブルを自作すればコンポーネントの525iや525pが映せるという希な機能を持ち合わせていました。

 最初はそこそこ満足して使っていたのですが,使っているうちにいろいろ問題が出てきます。一番困ったのはコンポーネント入力時に画面が乱れて全く操作ができず,モニタ側をリセットすることも出来なくなったことです。

 この時は,DVDレコーダ側の525iと525pを切り替えるととりあえず映るので,その隙にモニタ側をリセットして回避していましたが,この切り替えは完全にモニタが映らない状態の「ブラインド操作」で行う必要があり,日頃からもしもの場合に備えて,画面を見ずにリモコン操作だけで切り替えが出来るように訓練をしていたほどです。

 そのうち,引っ越しをしてテレビを別に買ったので,このモニタはテレビとしての機能を期待されなくなり,稼働率が下がったこともあって,問題は沈静化していました。

 ですが一昨日の夜,いつものようにモニタの電源を入れたところ,真っ暗なままで全然画面が表示されません。おかしい・・・

 もう一度電源ボタンをおして電源を切り,すぐにもう一度電源ボタンを押したのですが,今度は電源ランプが点灯しません。おかしいおかしい・・・

 何度か押しているうちに,電源ランプだけは点灯するようになりました。しかし画面は真っ暗なままです。電源ケーブルを抜いてもう一度電源ボタンを押すなどを試みましたが,結局解決せず。おかしいおかしいおかしい・・・

 偶然,よそ見をしていて,少し時間が経過してから画面を見ると,なんと画面が表示されています。電源が壊れたとか,そういう問答無用な壊れ方をしてなかったことで,私は少し安心しました。

 せっかくのチャンスですので,ここですかさずLCDをリセット。しかし相変わらず問題は変わりません。

 ここで,偉大なる知恵の泉,google先生に救いを請うと,電源投入後1分ほど画面が出ないという人の書き込みが見つかりました。これかと思って私も電源ボタンを押してから数を数えると,同じように画面が表示されるまで1分ほどかかっていました。

 その後設定を確認してみたのですが,とにかく設定を行う操作の反応が悪く,ボタン押下の間隔を数秒開けないと動いてくれません。そしてついに,決定的な問題を発見します。シリアルナンバーが「

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スティーブ・ジョブズがなくなったこと

 いろいろな理由で触れたくない話なのですが,とても大きな話なので,書かざるを得ません。

 スティーブ・ジョブズが,なくなりました。享年56歳。

 そんなに具合が悪かったのか,が最初に思いついたことでした。ギリギリまで走り続けて,ほっと一息付く間もなく,なくなってしまうなんて。

 互いに面識もなく,年齢も立場もあらゆる面で私と接点のない,しかも外国人の死を,まるで友人の死のような気分で受け止めることになるとは,私にとっても驚きでした。

 いや,もっと強いかも知れません。友人ではなく,共に時代を生きた仲間か,あるいはちょっと年の離れた憧れの兄貴,ちょっと違いますけど若いときに心酔したロックミュージシャンが亡くなったような。なにが言いたいかというと,精神面での影響が大きいなということです。

 やんちゃで,絶対な自信で周囲を引っ張り,かつ振り回し,大きな成功も大きな失敗も経験し,でもぶれない信念がある,まぶしくて強くて,でもどこか華奢な兄貴。

 Apple][,Macintosh,NeXT,MacOSX,iPod,iTunes。彼の生み出した物は,常に私を魅了しました。

 彼の前に道はなく,彼の後に道は出来ます。

 時に,若かったころの私の前には,それはまだまだ細く,整備されていない,でも自由で活気にあふれた,かろうじて道と呼べる物がありました。

 ハードウェアは自分で組み立てる必要があり,プログラムは機械語が当たり前,マクロアセンブラが使えるのは一部のお金持ちに限られた険しい道で,そんな道でも自分の知力と体力で少しずつ前に進むのがとても楽しかった,そんな思い出があふれてきます。

 むろん,ジョブズははるか前にいました。いや,前じゃないですね。別の道を切り開いていました。時々彼の動静を耳にすると,すごいな,ということと,相変わらずだな,ということを,いつも思ったものです。

 ジョブズを語る人は,いくらでもいます。

 ジョブズを知る本や映像も,いくらでもあります。
 
 でも,私にとってのジョブズは,30年常に憧れ,時に反目した,とても身近な人でした。リアルタイムで蓄積してきた彼の記憶で,私はもう十分です。

 その記憶が,とてもよく映像化されていると思う唯一無二の「バトルオブシリコンバレー」を,酒でも飲みながら見るのが,私の弔いです。

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