エントリー

カテゴリー「できごと」の検索結果は以下のとおりです。

土曜日に顔をあわせるおばちゃんとお別れ

 私はamazonをよく使います。一瞬ヘビーユーザーと書こうと思いましたが,ちょっとググると「朝起きてamazonからの荷物を受け取るのが日課」という強者もいらっしゃり,そういう方こそヘビーユーザーを名乗るにふさわしいと考えたので,ここは「よく使う」くらいにとどめておきます。

 私の地域では,CDやDVDは佐川のメール便,それ以外はペリカン便で届いていました。メール便には紛失や届くのに時間がかかりすぎるという問題が未だに起こり,届くまで気の休まるときがないのですが,ペリカン便はここ数年,トラブルなしなのです。

 どうもペリカン便はあまり評判がよろしくないようですが,こと私について言えば,これほどありがたい配送もありません。

 ペリカン便は,日中の私の地域の担当の方が,いつもニコニコしている元気なおばちゃんなのです。特別親しいわけでもありませんが,さりとて挨拶だけで終わるわけでもありません。互いに何となく知っている間柄のような感じがルあるからでしょうが,彼女の名前が書かれた不在票が挟まっていると(彼女は不在票をポストに入れず,ドアの隙間に挟んでくれます。間違いを防ぐ工夫でしょう),これでもはや届いたも同然という絶対なる安心感と,同時にいつも不在で悪いなあという罪悪感とが,なにやら妙な親近感を感じさせます。

 いつも土曜日の午後一に再配達をお願いするので,その週のamazonからの荷物を土曜日にまとめて受け取り,私の休日はスタートするわけですが,おばちゃんももう数年同じパターンで土曜日を過ごしている事になり,こちらがお願いをしなくても,気を利かせて土曜日には「いるかと思って」と荷物を届けてくれたりするのです。

 平日は不在であることがわかりきっていますから,もう平日はこなくていいですよ,といったこともあるのですが,「それは規則上無理なんですよ,一度はこないといけないことになってますんで」と配送にかかわる人間としては当たり前の,しかし立派な意見を,実際にここ数年きちんと実践されていました。

 もう1つ,このおばちゃんはタバコを吸われないようです。特に佐川の荷物はたばこ臭くて,すぐに箱を捨てるのですが,ペリカン便がたばこ臭かったことは一度もありません。これね,私のようなタバコの煙で息苦しくなる体質の人にとっては,実に実にうれしいことなんです。

 よく「ヤマトはいい」とか「佐川はどうも」とかいう意見がありますが,はっきりいって宅配業者なんてのは,最終的に人と人の実にアナログな部分での仕事ですから,その担当者がいい人なら安心できる業者だと思うだろうし,気に入らない人だと思ってしまえば,業者まるごと気に入らない,と言うことになってしまうものです。

 私の場合は,そのおばちゃんのおかげでペリカン便の評価は高かったのですが,ご存じの通りペリカン便は「JPエクスプレス」という新会社に移管されることが昨年決まり,昨日4月1日から新会社によるペリカン便がスタートしました。

 日本郵便のゆうパックがJPエクスプレスに合流するのは今年の秋になり,それまではペリカン便の名前で単独によるサービスが存続します。心配になっていたのは,amazonの荷物が同じようにペリカン便で届くのかどうかでした。

 しかし,私の願いもむなしく,先日注文した商品の発送連絡には,ペリカン便の文字はありませんでした。佐川飛脚便とあります。耳慣れませんが,要するに普通の佐川急便で届くようです。

 実は,発送が遅れていた商品がようやく発送され,昨日の20時から21時で再発タイツをお願いして受け取った所なのです。ということは,もうペリカン便で届く荷物はもうすべて完了してしまい,今後あのおばちゃんが荷物を届けてくれることはなくなってしまいました。

 分かっていたら土曜日まで待って,昼過ぎの再配達の時にこれまでのお礼を言いたかったのに,残念です。

 まあ,他の業者がペリカン便を使ってくれればあのおばちゃんが届けてくれるかも知れませんし,最悪自分が集荷を頼めばおばちゃんが来てくれるかも知れません。しかし,新会社設立と業務の移管,そして数ヶ月後のゆうパックとの統合で,あのおばちゃんがいつまで私の地域を担当してくれるのか,全く分かりません。

 佐川も以前よりは随分良くなったと思いますが,それでも担当者が半年ごとに入れ替わる感じでその度に傾向が変わる(たばこ臭いとか早めに来るとか遅めに来るとか)し,誤配の可能性も増えてしまうので,正直に言うと手元に届くまでは落ち着きません。

 ということで,ともかく数日おきにややこしい道を通って我が家まで来てくれて,そして毎週土曜日にいつも荷物を再配達してくれて,この5年ほど,ありがとうございました。またお会いできる時を楽しみにしています。

有機ELと無機ELを混同する雑誌

 CQ出版社の雑誌や書籍には,学生の頃は趣味で,現在は趣味に加えて仕事でも随分とお世話になっています。電気電子関連の技術書でも,出版社によって難易度や傾向の違いがあって,同じテーマの本が複数あった場合に,自分の欲しい情報が載っているものを出版社から選べるようになると,本選びも幅が広がります。

 ただ,先日とても残念な事がありました。詳細はもう少し後で書こうと思っているのですが,ちっとも訂正されないのでここに書いておきます。

 CQ出版社は,電子工作の雑誌として「エレキジャック」を刊行しています。年に4回ですでにNo.11といいますから,3年近くになるのですね。

 私は,その主旨に共感してNo.1からずっと購読しています。内容の良し悪しはここでは議論しませんが,それ以前の問題として,手の付けようがない誤りが必ずどこかにあることが大変気になっています。

 ちょっとした誤記は構いません。ありがちなことですからきちんと訂正をすればよいでしょう。しかし,少しばかりの調査や勉強を怠ったと思われる明らかな間違い,著者の思い込みに誰も気が付かずそのまま表に出てしまう甘さ,といったこの手の雑誌としてはもはや致命的な問題が,初期の頃から現在に至るまで改善されずにいます。

 いや,重箱の隅を突くような細かい間違いをあげつらっているわけではありません。そんなことをすれば書ききれないほど出てきます。そうではなく,根本的な理解をしていない,原理的に間違っている,といった,書き間違いや表記のミスという表面的なミスではない深い所の話だけに,これを読んだ人は誤った知識で以後過ごすことになるだろうことに,憂慮しているのです。

 以前にも書いたかも知れませんが,No.1の記事にあった,ガリレオがピサの斜塔からものを落として落下の速度は重さに関係がない事を証明した,なんて話は,後の世の作り話であることはもはや常識です。こんなことを未だに平気で書いている人がいるのか,そしてこれをチェックする人が誰もいないのかと,あきれてしまったことを思い出します。

 最新号であるNo.11のミスについては,もはや打ち上げ花火級です。

 CQ出版社の書籍案内サイトの,エレキジャックNo.11を見てみますと,その紹介の冒頭,

「光る電子部品で有名な「LED」や次世代照明と呼ばれている「有機EL」を使ったユニークな作品を15種類作ります.」

 とあります。しかし,実際に工作で使われているのは,有機ELではなく,無機ELです。

 秋月電子で売られているELシートを使ったありがちな工作なのですが,有機ELを使ったことになっています。しかし秋月電子で売られているELは無機ELです。(秋月電子もそういっているそうです)

 難しい話はちょっと割愛しますが,有機と無機の違いは,材料が無機なのか有機なのかという違い以上に,発光原理から根本的に異なっていて,その歴史も全然別物です。

 原理的な違いから,無機ELは交流駆動,有機ELは直流駆動をします。工作ではわざわざ交流で駆動するインバータを用いているにもかかわらず,有機ELを使っていると書いてあるわけです。

 私の想像ですが,この作者の方は,無機ELというものがあることを,そもそも知らないんではないかと思います。百歩譲って知っていても,材料が有機か無機か,程度の違いであとは同じなんだろうと,そんな風に思い込んでいたのではないでしょうか。そうでないなら,公に記事を書く段階でその違いを意識して調査をしなかったという無頓着さに,知らなかった事以上の罪深さがあるように感じます。(余談ですがこの方は高校の先生なんだそうです)

 この有機ELと無機ELの2つを混同しているという初歩的な知識不足と,事前にちょっと調べてみるという慎重さを欠いた姿勢に,私は開いた口がふさがりませんでした。

 ご丁寧に,工作以外にも有機ELの解説記事まで載せていますが,工作が無機ELで行われている以上,解説記事との関連は結果的に非常に薄くなります。もし仮に関連記事としてトピックスとして有機ELを紹介する記事なら,工作の記事内に解説を参照させる記述を避けるなど,それなりの書き方や扱いがあるべきです。

 解説記事には,1935年の古い日本の小説の「蛍の光を人工的に作るなど夢のような話」という部分をとりあげ,現在蛍の光が照明に使われるようになってきていることなど想像も出来なかっただろうと書いて,技術の進歩を讃える部分があるのですが,有機ELは1980年代後半の開発でも,無機ELは1936年にフランスで発光が確認されていますから,小説当時としても夢物語というのは無理があるでしょう。

 この解説では,有機ELは蛍の光と同じ原理だと論じて話を進めています。広く「ルミネッセンス」というくくりに視点を置けば確かに誤りではありませんが,そういう話になると,無機ELもLEDも,ルミネッセンスで発光するものはすべて蛍の光と同じ原理です。

 有機ELを「夢の光」と言いたいなら,蛍を引き合いに出すのは無理があり,「蛍の光を照明に」と言いたいなら,話は無機ELまで遡る必要があります。

 こうやって,非常に都合の良い解釈で有機ELの先進性を語り,そこから今回の工作の先進性まで高めていこうという流れには,恣意的と言うよりむしろ,悪意さえ感じるのです。

 有機ELは名前ばかりが先行し,その実体が一般によく理解されていないデバイスです。無機ELは戦前からの歴史がある割には使い勝手が悪く,我々がその存在を意識するシーンは非常に少ないのが現状です。よって,間違った知識が広まっていますし,その根源は間違った解説や浅い説明によるところが大きいと考えています。

 それを正していくのが,技術系出版社が出す雑誌の役割です。初学者が手にするエレキジャックのような雑誌であればなおさらの事で,難しい事実を簡単にかつ正確に説明するという,最も難しい役割を担う覚悟も不可欠でしょう。

 こうした間違った内容を利用し「次世代照明として注目の有機ELで工作」とNo.11の売り文句の1つにしています。これを目当てに買った人もいるでしょうが,実際は無機ELなわけです。仮に悪意はなくとも,誇大広告,不当表示にあたるんじゃないでしょうか。

 さらに深刻なのは,工作の作者先生がこうした無理解と不勉強による根本的な思い違い(作者のホームページにはなんと有機ELの特設ページが無機ELを使った工作で作られています)を,結果的にプロの編集者が誰一人として指摘できなかったことでしょう。これを宣伝文句に表紙に広告にと,あらゆるところで大々的に謳っているなど,見ている私まで恥ずかしくて赤面してしまいます。

 実は,この点,私は技術者としての社会的責任という技術者倫理の観点から看過できず,発売後数日で編集部宛に指摘のメールを送っています。

 すぐに反応があり,事実確認がなされて,これは有機ELではなく無機ELと判明しました。その後何度かのやりとりがありましたが,訂正がWEBのサポートページに掲載されただけで,他への対応はどうも行われていないようです。なにも,回収しろとか正誤表を挟めとか告知を出せとか言いませんが,せめて訂正の簡単なWEB上の出版案内などは誤りであることがはっきりした時点で,すぐに訂正をして欲しいものです。

 こういう所に,編集部,ひいては雑誌社の責任感や使命感が見え隠れするのですが,CQ出版社についてはトランジスタ技術やインターフェースなどの雑誌は秀逸ですし,オペアンプ大全などの素晴らしい書籍をコツコツと作っている出版社だけに,こんなことで評価を落とされてしまうことは,ファンとしてとても残念な事です。私見ですが,同じCQ出版社であっても,それぞれ雑誌によって作り手の「丁寧さ」に大きな差がある,というのが,印象だったりします。

 ところで昨日,オライリーからmake:日本語版の最新号が発売になり,早速買ってみましたが,こちらは毎号毎号面白さが加速していますし,作りの丁寧さには毎度毎度唸らされます。比較をするのは筋違いかも知れませんが,同じような工作をテーマにした雑誌の中では,他の追随を全く許さない,独走態勢の雑誌と言って良いでしょう。年4回の刊行になるそうで,この手間暇をかけた作りで年4回はきついと思いますが,ぜひ頑張って欲しいものです。


 団塊世代がお金と暇を持て余すようになって真空管アンプや真空管ラジオがちょっとしたブームになり,また専門知識がなくてもそこそこ使いこなせるフィジカルコンピューティングやプロトタイピングを指向したArduinoなどのおかげで,ちょっとした電子工作ブームが来ています。

 そのことそのものはうれしいですし,大変結構な事ではありますが,物足りないのはこれを支援する情報源が質,量共に今ひとつで,特に雑誌系はその内容がもはや壊滅的というのが現状だと思います。もっとも,少し前の状況から考えると,電子工作の雑誌が本屋で買えること自体が驚きなのですが,どうせ出すならもっとしっかりしたものを望みたいものです。その点で,日本には「子供の科学」という,お手本にすべき優れた雑誌が存在します。

 私としては,過去に電子工作の雑誌に育てられてことに感謝しているので,なにかこの手の雑誌のお役に立てればと常々思っているのですが,なかなかきっかけがないのが現実だったりします。

古時計

ファイル 279-1.jpg

 この小汚い時計は,セイコーの「TIME PORT-7」という名前の時計です。1980年の発売といいますが,私が父からプレゼントされたのは1981年であったと記憶しています。プレゼントされた理由は定かではありませんし,当時小学生だった私も,なぜもらえるのだろうかと疑問だったことを覚えています。

 あれから28年。何の変哲もない時計ですが,学生時代は机の上に,社会人になってからは目覚ましにと,常に私の傍らにいた時計です。

 星の数ほどあるデジタル時計の中で,「TIME PORT-7」でググると,何件かヒットします。当時においても,そこそこ個性的な時計で,現在も大事に使い続けている人が日本にも海外にもいることに,妙な親近感を感じました。

 私にとってこの時計は,もはやこれでないと困る時計です。近所迷惑なのではないかと思うほど大きな音がするアラームは確実に私をたたき起こしてくれますし,ストップウォッチ機能は置き時計ならではの安定感と操作のしやすさに秀でています。これまでの膨大なネガの現像は,すべてこれが刻んだ時間で処理されています。

 物持ちの良い私でも,さすがに30年近く使い続けたものというのはこれくらいでして,モーターやギアのない時計ですから,壊れるはずもないとラフに扱っていたのが災いしたのでしょう。

 写真でも分かりますが,LCDの左側が,黒くなっています。

 経験的に,LCDは遅くても20年,早いと数年で,こうして黒くなってしまいます。最初は端っこの小さいエリアでも,徐々に広がっていってしまいます。指で触ったり,水がかかるとさらに広がるのが早くなります。

 もうこうなると復活の方法はLCDそのものの交換しかありませんが,すでに30年近くが経過した時計が修理出来るはずもありません。事実,修理を断られたという体験談をホームページに書いている方もいらっしゃいました。

 昨年くらいに左上が黒くなり始めたのですが,仕方がないで済ませていたのです。ところが先日,ちょっとした振動で時刻がリセットされてしまう状況に業を煮やし,分解して修理することにしたのが運の尽き。

 LCDの偏光フィルムも劣化するので,新しいものに交換しようとしたところ,どうも厚さが変わったらしく,基板をネジ止めしてもうまく導電ゴムと端子が接触せずに,綺麗に表示がなされません。別のフィルムを敷いて厚みを稼いで解決したのですが,これに気が付くまでにすでにネジ山はなめてしまい,LCDもより広い範囲で黒くなってしまっていました。

 これにはがっかりです。余計なことをしなければ良かったです。

 しかも,AMとPMの表示部が黒くなってしまったので,PMの時だけ,Mの左下のわずかな部分だけが点灯しているかどうかが,AMとPMを見分ける唯一の手段です。アラーム時刻のセットでAMとPMをよく間違えてしまう私にとっては,この問題は致命的と言えるでしょう。

 まあ,後継機がきっとあるさ,と探してみますが,これに代わって使えそうなものは見つかりません。修理しようにもそれは出来ないといわれています。オークションを探してみるのも手ですが,30年前の,それも普通の時計がそうそう簡単に手に入るとも思えません。

 ポケコンもLCDが黒くなってしまいましたし,ゲームウォッチも黒くなっています。LCDという自分の寿命よりも短い命の部品を使った製品を大事にするには,自ずと限界があるようです。

 ACで動くものなら,思い切って別のディスプレイに交換してしまうのですが,単三電池一本で1年以上動く時計ですから,素人が手に入れられる部品で修理するのは難しそうです。

 なってしまったものは仕方がありません。とりあえず,わずかに判別できるPM表示を頼りに使い続けることになりますが,これも次第に見えなくなることでしょう。そうなるまでの間に,なにか良い方法を考えついて,実用レベルで修理が可能になっておく必要があります。

 使われている時計用LSI「uPD1991」については,全然データシートが見つかりません。本気で使えるレベルにするための工夫を,遠からずやってくる「使い物にならなくなるとき」のために,考えておこうと思います。

新しいiPodShuffleにアップルの姿勢をみた

 新しいiPod Shuffleが出ました。従来のShuffleも「小さい」という印象を持ったものですが,今回のものはさらに半分の大きさになったと言いますから,かなりのものです。

 操作ボタンは本体からは姿を消し,代わりにヘッドフォンケーブルの途中にあるリモコンで操作をします。ということは,ヘッドフォンを自分の使っているものと交換出来ないということになります。

 まあ,そこまでこだわるべきモデルかどうか,そこまでこだわり人が買うのかを考えると,そこそこの音がするヘッドフォンが利便性を優先して「専用化」することは,そんなに否定的な話ではないでしょう。

 容量は4GBです。価格は8800円です。ちょっと高いかなあという印象は拭えませんが,これだけ小さいサイズになると,競合は音楽プレイヤーではなく,Bluetoothのステレオヘッドセットになってしまうような気がします。

 今回のiPodが私の琴線に久々に触れたのは,VoiceOverです。

 4GBという容量は,初代のiPodが5GB,あるいは初代のiPodNanoが4GBであったことを考えると,かなりの大容量であると考えて差し支えがありません。128kbpsのビットレートならざっと1000曲ですので,「シャッフルする面白さ」と刺し違えてディスプレイもプレイリストも廃止したiPodShuffleという画期的な商品としても,さすがにこのくらいの数を相手にシャッフルするのはちょっと多すぎるという印象があったのでしょう。

 さすがだなと思うのは,そのNANDフラッシュの低価格化という追い風に乗って大容量化したストレージが,むしろシャッフルの面白さをスポイルするという商品の根幹を揺るがす事態に,とてもスマートな解決策を搭載したことです。

 1つは,プレイリストへの対応,そしてもう1つがVoiceOverです。

 曲数が増えたのですから,プレイリストという「ユーザーによる範囲選択機能」を搭載することは,至極自然な発想です。おそらく誰でも思いつくことです。

 ただし,プレイリストに対応すると,操作が複雑になることと,どうしてもユーザーに情報を伝達する手段を持たなければならなくなるのです。

 日本のメーカーなら,ここで小さいLCDなり有機ELなりのディスプレイを無理矢理のせたんじゃないかと想像できるのですが,それはnanoとの棲み分けの問題もありますし,画面を廃止するという最初のコンセプトに矛盾します。

 大事なことは,そのコンセプトは広く受け入れられ支持されているという事実です。ディスプレイを廃止したことは同時に,ディスプレイが持つデメリットも消え失せたことになります。価格が上がる,大型化する,割れやすくなる,消費電力が下がり電池を小さくできる(ということは安く小さくできる),などです。

 アップルは,自らの提案した考えを曲げず,優先度としてディスプレイの復活を選びませんでした。冷静に考えると,もしここでディスプレイを搭載したら,必要がない,むしろなくてよかった,と考えている多数のユーザーのためというより,容量が増えてプレイリスト対応が必要になった,メーカー側の都合のため,ということになってしまいます。

 私見ですが,日本のメーカーには,こういう「自分達の都合」を優先する空気が蔓延しています。アップルがさすがなのは,こういう難しい状況で,原点がぶれないことだと思います。

 さて,そうはいっても,表示はなし,あるのは数個のボタンだけ,LEDを1つ2つ付けたくらいではプレイリストへの対応など無理です。そこでアップルが採った作戦がVoiceOverです。

 確かに,iPod側からユーザーに情報を出す方法として,表示がなければどう転んでも音しかありません。音で伝えるには,もうそれは「しゃべる」ことしかありません。

 ここに気が付いてしまうと,実は技術的にはなにも問題がないことに気が付きます。まず,肝心なプレイリストですが,iPodはiTunesと一緒に使わねばなりませんので,処理の重い音声合成はiPodでやる必要がありません。プレイリストもiTunesが持っているわけですから,音声合成に必要な情報は全部iTunes側にあります。

 MacOSX10.5については,音声合成エンジンに非常によいものが搭載されていて,10.4以前に比べてはるかに自然な声を合成できます。TTS(Text To Speech,つまり音声合成のことをこう略します)はMacOS7の時代から入っていたように記憶していますが,障害者への対応という機能以外で大々的に使われるようになるのは,これが初めてではないでしょうか。

 MacはOSがTTSをサポートしているのでよいとして,ではWindowsはどうするのか,ですが,これはもうiTunesと一緒にインストールしてもらうしかありません。アップルのホームページにある音声サンプルは,MacOSX10.4とWindowsは同じものですので,同じエンジンが使われているのでしょう。

 ただし,これは英語の話であり,日本語を含む他の言語については,すべてのMac,すべてのWindowsで共通のエンジンのようです。残念ながら日本語はかなり苦しいです。他の言語についても,お世辞にも綺麗とはいえないと感じました。

 私は以前,仕事の関係で日本語を含む多国語のTTSにかかわったことがあり,その当時のレベルでもはるかに綺麗なTTSに成功してた例を知っています。それを考えると,ちょっと残念だなあというのが本音です。まあ,アップルのことですから,次のテーマとして考えていることでしょう。幸い,iTunesで実現しているわけですから,本体を買い換えること無しに,そのTTSのクオリティが向上することは大いに期待が持てます。

 電池残量も話すそうです。ただしこれはさすがにiTunesで作るわけにはいかないでしょうから,2つなり3つなりの音声を録音しておき,これを再生するようにしているだけだと思います。その場合,多国語対応はどうなっているのかと疑問がありますが,各国語で3つほど録音するとして全部で50ほどのスピーチですので,実は大した容量ではありません。

 こうして4GBの大容量ストレージをプレイリストで使いこなすことは可能になりましたが,一方でAppleLosslessにも対応したことで,NANDフラッシュの価格低下という恩恵を,利便性にあてるか,音質にあてるか,エンドユーザーに選んでもらおうという姿勢が見て取れます。

 ということで,質感の高さと余計なものを持たないシンプルさ,そしてシャッフルが楽しいというコンセプトを維持したまま,4GBという初代iPodに匹敵する大容量を見事にねじ伏せた新しいiPodShuffle,私は脱帽です。もう買うしかありません。

蔵書を棚卸し

 Macで動くフリーウェアに,Booksというものがあります。

 名前の通り,蔵書管理ソフトです。

 図書館や本屋さんなら管理する必要性もあると思いますが,私も個人で「蔵書」などという仰々しい言葉で指し示すようなものを持っているという自覚はありません。

 このソフト,存在は昔から知っていたのですが,打ち込むのに手間がかかる上,その結果出来上がったデータベースは結局「自己満足と達成感」を得る事にしか使い道がなく,データの二次使用が思いつかないため,いまいち使ってみようという気が起きませんでした。

 しかし最新版は面白いですね。内蔵のカメラでバーコードを読み取る機能があり,読み取ったISBNコードからamazonなどのサイトを探して,その本の書名などのデータと表紙のイメージを取得してくれます。これならあっという間にデータが入力できそうです。

 ファイルへのリンクが可能になっているので,私のように蔵書の半分をPDF化した人にとっては便利でしょうし,しかもその蔵書のリストをhtmlで書き出してwebで公開する機能も持っています。

 ここまで敷居が下がって,かつお遊び機能が付いてきているなら,せっかくだし試して見ようと思ったのが先週のことです。

 しかして元来凝り性の私は,先週1週間,地獄のような日々を送りました。とにかく片っ端から入力していき,持っている本の棚卸しをしようと,そんな風に考えが変わったからです。

 実はこのBooksというソフト,なかなかクセのあるソフトで,決して使いやすいものではありません。例えば新規登録を行う場合,新規登録ボタンを押すとデータの入力フィールドが出てきますが,実はすでにこの段階で新規作成という名称の本が登録されています。だから,入力を何度も途中でやめると,やめた回数だけ「新規作成」という書名の本が登録されてしまいます。この理屈を理解するまで,なぜか知らないうちに冊数が増えて困っていました。

 同じような理由で,データの修正を行おうと入力フィールドに文字を書くと,その段階でデータが上書きされています。保存とか上書きとかそういうボタンも操作もなく,修正を途中でやめるとやめたところでデータが出来上がっています。これも最初は分からなくて困りました。

 例えば続けて登録を行う場合,新規作成ボタンを毎度毎度押さないといけないわけですが,うっかり押し忘れてバーコードをスキャンし,amazonからデータを取り込むと,前のデータが失われます。なんのデータを上書きしたかさっぱりわからないので,何が足りないのか手作業で確認しないといけません。

 まだあります。検索はこの手のソフトでは一番重要な機能ですが,どういう規則で検索が行われるのかさっぱりわかりません。私としては,そのデータに少しでも含まれている語句を入れればとりあえず表示してくれると思っている(spotlightが割とそういう感じになっていますからね)のに,そうならないで見つからないとか,検索した結果の一覧からあるデータを1つ選び,これを複製するとなぜか検索フィールドが空白になり,今作ったデータがどこかにいってしまって探し回る羽目になるとか,とかく信頼を置けないのです。

 こうやって,手間がかかってしまう操作も多くて,申し訳ないですがこのソフト,随所にこうした「無駄な操作」が多く,非常に効率が悪いです。Macらしくない部分も散見されて,ちょっと使いにくいかなあと・・・

 さて,そんなこんなで手元に実体のある蔵書が約500冊,スキャンして実体がないものが300冊,実家に置いてあるもので記憶に残っているものが100冊と,約900冊がデータベース化されました。この数には,いわゆる月刊誌は含まれていませんし,実家にはもう数百ほどの本があると思われるので,合計で1500冊くらい,雑誌まで入れれば2500冊程度に膨れあがるものと思われます。

 今回のデータベース化で何が素晴らしいというと,その本が手元にあるのか実家に送ったのか,それとも友人に貸しているのか,その在処が分かるようになったことです。もちろん,動かすときにデータも更新するというのが大前提ですが,逆にそれさえ守ればどこにあるのか,あるいはスキャンをして捨てたのかどうかも,一目瞭然です。

 htmlに書き出して自宅サーバに置いておくと,世界中どこででも自分の本の状況を把握できます。そんな必要性がどこにあるのかといわれればそれまでなのですが・・・

 それで,改めて今回の件で自分の持っている本を棚卸ししたわけですが,ほとんどが技術書でした。私が毎日のように本屋さんに足を運び,そこで見つけた本を躊躇せず手にとって買うようになった結果なのですが,これも言い訳すると技術書特有の事情があります。

 とにかく,本が買いにくくなりました。特に技術書などの専門書は重傷です。見つけたときに買っておかないと,次はもう手に入らないかもしれません。いや,むしろその時偶然見つかったことが,すでに奇跡的だといってもいいでしょう。

 初版3000部(よくは知りませんがもはやこの部数では採算ラインギリギリなんじゃないでしょうか)で増刷なしとして,全国の本屋さんに何冊ずつ配本されるか,考えてみましょう。そう,amazonなんかの通販は何冊も在庫を持つので,まずすべての本屋に行き渡りません。大都市の大きなお店でも,数冊あれば御の字ですね。

 となると,そういうお店に欲しい人はみんな集まってきますから,発売日から数日間が勝負だったりする本も結構あります。

 うっかり買い逃すとそれっきりになることも多いので,油断できません。講談社のブルーバックスなんて,専門書でもなんでもなくて,どの本屋に結構な在庫があったものですが,今そこそこ大きいお店でも以前の半分程度の在庫しかない,というのは普通のことです。これではここ半年くらいに発売された新しいものしか手に入りません。ブルーバックスは雑誌じゃありません。

 そんなわけで,簡単に品切れになってしまう専門書は,後で惜しいことをしたと思うくらいなら,買っておいた方がよいという判断になってしまいます。専門書は単価も高いので,3000円とか4000円もする本を,あまり考えもせず買うことを続けてしまった結果がこれだった,というわけです。ついでにいうと,そこに「買い支え」というマイナーゲーム機,マイナーパソコンをこよなく愛した私の過去の行動原理が反映されていることを,あえて否定しません。

 再販制度の見直しが議論されると,その度に専門書の存続が危ぶまれると反論が出ますが,すでに専門書は崩壊の直前にあるのではないかと,そんな風に感じることがあります。果たして,再販制度が最後の砦なのか,それとももはや再販制度は関係ないのか,私にはわかりません。わかりませんが,印刷技術によってかつては宝物であった書物が広く安価に庶民に行き渡るようになり,それが民主主義の定着や階級社会の消滅の理由になっていると考えると,本が売れない,あるいは出版の世界の荒廃がもたらす我々庶民の未来が,私は恐ろしくて仕方がありません。庶民は再び,知識から隔絶された世界の住人に,しかも今度は自らの選択によって成り下がる事になるのでしょうか。

ページ移動

ユーティリティ

2026年01月

- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

ユーザー

新着画像

過去ログ

Feed