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世界遺産・日光

 さる21日,22日に,日光に旅行に行ってきました。

 関東に来て10年以上たちましたが,日光という世界遺産を見ることもなく過ごしてきたことに対する反省が常にあり,きちんと見ておきたいという気持ちがあったことと,もし日光を見るなら冬だと決めていたこと,そして年末に休みが取れたことが理由です。

 そもそも旅慣れない私は,日帰り旅行のつもりでいました。しかし,せっかくだからと一泊することにしたのです。しかし,これまで宿を「雨露をしのぐためのもの」としか考えておらず,それ以上のことを全く期待しない私としては,ホテルに泊まることそのものにも抵抗がありました。

 同行する友人と旅行代理店のカウンターに座り,どうしましょうかねと相談を持ちかけたところ,無難にパンフレットを広げられた私は,「金谷ホテル」というホテルの名前をちらっと店員さんがするのを耳にしました。

 明治から続く日本最古の西洋式ホテルで,主として外国人観光客を相手にしてきた名門であることは,私も何故か知っていました。驚いたのは,そんな名門がなぜこんなけばけばしいパンフレットにプランを載せているのか,ということでした。

 とはいえそこはさすがに老舗。ややお高い金額ではありましたが,私は思いました。ここならホテルに泊まるという事そのものが,目的に出来るのではないだろうか,と。

 いわゆるホテルというところは,採算性を考えて最低限の造りにするようです。見た目の豪華さとは裏腹に,見え透いた低コスト体質がアンバランスで,私にはむしろ欺かれているような錯覚にさえ陥ります。新しいホテル,バブル以降のホテルはそんな傾向が顕著であり,私としてはそこに過度な期待をすることがそもそも誤りだと思って割り切っています。

 私のような旅慣れていない人でもこう感じるのですから,達人はもっと感じているんではないかと思います。それくらい,上っ面だけよく見せようとするホテルがなじめないということです。まあ,私がこれまでにろくな宿に泊まってこなかったか,ってことですね。

 行きと帰りの電車の座席を予約して,当時を迎えました。幸いにして21日は晴れて穏やかな天気,22日も曇ってやや寒かったのですが,雨には降られずにすみました。

 ホテルには昼過ぎに到着,荷物を預けて早速徒歩で東照宮に向かいます。なにせ初めての場所ですから,距離感もありません。歩いていいのかどうかは,デフォルメされた地図をあてにする他ありません。

 ホテルは私の想像通り。ひんやりとしたコンクリートでがしっと作られた小さな建物は,これまでの年月を物語っているようです。私は別館(別館とはいえ昭和10年の建物です)の4階でしたが,エレベータがなく階段であるというのが,私には新鮮な喜びがありました。

 部屋は天井が高く,広く,ゆったりしているものでした。壁の薄さも感じることなく,体の芯から暖かくなるスチームヒーターが実に快適です。室内にあった資料などに目を通すと,ホテル全体に見所が散見されるようです。さすがに歴史があり,それを大事に守ってきたホテルだけあるなあと,そんな風に感じます。

 さて,4時も過ぎると暗くなってくるのであわててホテルを出ます。まず目にはいるのが,神橋。朱塗りの橋が晴天を映す川の上に豪快に架かっています。

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 予定通り東照宮まで歩くのですが,中国や韓国の団体さんによく一緒になりました。これが日本だと思って帰ってくれると私もうれしいし,数ある観光地のうちわざわざ日光のような場所を選んで来てくれたことも,うれしいと思って見ていました。よく言われるようにマナーの悪さもなく,とてもよかったと思います。

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 陽明門,唐門,有名な猿や象の彫像を見て,建物は意外に小さいんだなあというのが率直な感想でした。かの徳川家康が作ったわけですから,さぞや大きいのだろうと思っていたのに,そうでもなかったようです。絢爛豪華であったことは事実ですが,これはむしろ当時がどうのこうのというより,現在もその豪華さを維持している事の方が重要ではないかと思います。

 奈良や京都だって,出来た当時は絢爛豪華でした。しかし現在,奈良や京都にそれらをイメージすることは少ないでしょう。

 そんな中で,とても東照宮らしいなあと思ったのが,これまた有名な「眠り猫」です。

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 奥宮の門に彫られている猫の彫像ですが,右から見ると眠っているように,左から見ると飛びかかろうとしているように見えます。猫が眠るほど安全で穏やかな場所であるということと同時に,ネズミ一匹通しませんよと言う意思表示だともいいます。

 猿にしても何にしても,彫像が見事でして,特に動物が多く使われていることがユーモアの表れだろうと感じました。奈良や京都,そして鎌倉,今回の日光と時代を進めて思ったのですが,東照宮ほど日本人独自の茶目っ気がでている建築物はないんじゃないかなあと,うれしくなりました。

 さて,輪王寺に足を伸ばします。三仏堂で仏像に圧倒され,鳴き龍が本当に鈴を転がしたように鳴くのを聞いて素直に面白いなあと思っていましたが,どうも拝観券をもぎる人が無愛想なんですね。みせてやってるという感じがありありと見えて,中には無言で引きちぎるような人もいます。無論接客業ではないし,過度なサービスは無用ですが,一人だけ「行ってらっしゃい」と背中を押してくれたお坊さんがいて,みんなこういう方ばかりならよいのになあと思った次第です。

 一年で一番日が短い時期ですので,日光も入場は3時半まで,4時には追い出されてしまいます。確かに周りも暗く,ひんやりしてきました。都会に住む我々とは,どうも時間の進み方に差があるようです。

 ここでホテルに戻ります。少し休憩し,東照宮の近くにある洋食屋さんに夕食の予約をします。7時半閉店・・・やはり時間の感覚が違います。

 明治の館というこのお店は,もともと外国人の別荘だったところをそのまま洋食屋さんにしたものだそうで,お昼時には行列が出来る人気店だそうです。

 5時半過ぎ,すっかり日が落ちた日光は,街灯もなく,ひっそりとして恐ろしささえ感じます。そんな中我々は明治の館を目指します。なんかどんどん山道を入っていきますが,人もいませんし,明るくないのが心配です。道を間違うことで困ったことが一度や二度ではない我々は,過信せずに店に電話をして場所を確認しました。

 声を出して確認をして,友人にも覚えてもらうようにしながら案内を聞き,ようやく到着しました。

 洋館のホールにいくつかのテーブルがあり,大きな暖炉には桜の木が炎と独特の香りを立てて,寒く不安だった我々の気持ちを暖めてくれるようです。

 ここで5000円ほどのコースを頼みましたが,食べきれないほどの量,そしておいしさに,都心という所の不経済さ,不合理さを感じました。

 ホテルに戻り,大理石で作られたという部屋にあるホテルのバーに向かいます。別の友人にこのホテルに泊まるといったところ,ホテルのホームページのバーの紹介に反応し,その雰囲気の良さに私も興味があったのです。

 カウンターは先客がおり,私たちは暖炉の前の椅子に案内されました。またも暖炉です。のぼせない程度の距離をおいて燃えている薪を眺めながら,のんびりと過ごします。外で飲むお酒でこんなに緊張をしないで済んだのは初めてでしょう。加えて暖炉の前でお酒を飲むというのも,もう生涯ないんじゃないかと思ったりしました。

 翌朝,ホテル自家製のパンを朝食に摂り,部屋に戻る途中ですれ違った,まだあどけなさの残る部屋の清掃係の従業員の,たどたどしく,しかし基本に忠実な「おはようございます」というお辞儀に感動を覚えつつ,チェックアウトを済ませていざ華厳の滝に出発です。

 帰りの電車までの時間はたっぷりありましたが,欲張らず,見るべき所を絞り込んでゆとりを持って行動することにします。

 華厳の滝までは路線バスでいきます。いろは坂を登り,標高1200mの場所にそれはありました。バス料金は片道1000円。路線バスとしては高いなあと思ったのですが,歩けるようなものでもないので,妥当な所でしょう。

 道中,バスの中でクリスマスのキャンペーンが案内されました。華厳の滝に到着してから,サンタの格好をした人たちがドカドカと乗り込んできました。なんでも降りる前にくじをひけとのこと。

 友人はなにもこんな時に引き当てなくてもいいのに,一等です。ホテルの特製チーズケーキがあたりました。私は一口羊羹の四等です。冗談で「荷物増やしてどないすんねん」と友人をからかったのがどうも彼らに聞こえたらしく,バスを降りるところで「荷物を増やしてすみません」と謝られてしなったことは内緒です。

 さてその華厳の滝ですが,これはすばらしいの一言に尽きます。

 気温は3度。寒いですが,うっすらと雪で姿を隠した岩肌に,豪快にしぶきを上げる滝を見ていると,なんだか大きなものに包まれているかのような気分になります。昔から,滝のあるところには宗教的な意味合いの場所が多くあるものですが,その理由が少しわかったような気がします。

 500円払うと,岩の中を100m掘り下げて作ったエレベータで,水が落ちる場所を間近に見ることが出来ます。ここは迫力と言うより,100mの華厳の滝を見上げて見る事がミソのようです。

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 帰りのバスまで少し時間があるので甘酒を飲もうと,バス停の前の店に入りました。私たち以外はみんな外国の方。オバチャンは英語も堪能で,私にも英語でお礼をいってました。

 また東照宮の近くまで戻ってきました。金谷ホテルで食べることが出来なかった100年ライスカレーを昼食にし,その後家光の廟がある輪王寺大猷院をみます。

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 祖父家康を尊敬する家光は,東照宮を超えないようにと地味に作ることを命じますが,その実見えないところで高い技術が使われており,技術バカの私には琴線に触れる場所です。

 確かに色遣いなども落ち着いていますし,その模様や様式などを見ていると,300年続く江戸時代の実質的スタート地点は,家光の時代だったんだなあと思いました。

 いずれにせよ,この日光の派手さを見ていると,これが江戸時代の基準だったんだろうと思います。だから,質素倹約が尊ばれた時代,吉宗なぞは,随分異質で嫌われたんじゃないだろうかと思ったりします。

 そして最後に,二荒山神社をみて駅までもどります。すみません,この神社はあまり印象に残っていません。

 そういえば,帰りの電車では,ちょっと変なことがおきました。私たちが北千住行きの特急に乗っていると,春日部あたりでおばさんが我々のところにやってきて,そこは自分の席だと言い出します。

 私も切符を見せると座席の番号は全く同じ。「バッティングしてますね」とおばさんはいうのですが,そんなわけはありません。よく見ると,おばさんの電車はもう1つ後の電車です。

 指摘すると「ありがと」と言い残して踵を返し去っていきました。しかしドアはすでにしまっています。結局この電車の空いた座席に座っていたようですが,人を疑う時にはそれ相応の覚悟を持ってもらいたいし,万が一自分のミスなら素直に謝る勇気も持ってもらわないといかんと思いました。正直,この不愉快さは筆舌に尽くしがたく,楽しかった旅行がふいになってしまったような気さえしました。

 一泊するような旅行は,次にいつになるでしょう。今回,本物を見るというテーマで旅行に出かけましたが,やはり冬に日光という私の判断は正しかったと思っています。ただ,写真を撮るという行為は集中力を落とし,感受性を分散させてしまいますね。

 撮影禁止だった場所の記憶が残り,そこでの観察力の鋭さを感じた私は,観光地とカメラは実は相性が悪いのではないかと,気が付きました。

 次はほどほどにしないといけないですね。

 そんなわけで,近くて遠い日光,思い切って時間をかけて見て回って,私はよかったと思います。

土曜日の午後

 いつも昼まで布団の中で惰眠をむさぼるのが至高の楽しみである土曜日,しかしその日は朝から半蔵門まで出かけることになっていました。

 曇り空のお天気は暑くもなく寒くもなくというほどよい感じで,用事が済んだお昼の12時過ぎには,近くの中学校の学生達が帰宅の途につき,親しい友人達と休日を迎える開放感を楽しんでいました。

 ふと気が付くとおそば屋さんが目に付きます。お昼時ですし,こんな機会はもうないんじゃないかなと,あるおそば屋さんの扉を開いてみることにしました。

 土曜日のオフィス街は,会社の多くが休みになる代わりに,工事や引っ越し作業があちこちで行われています。扉の向こうに見えたのは,たくさんの注文を裁ききらねばならない緊張感に修羅場と化した店内です。お客さんは皆一様に薄い緑か青の作業服を着ています。

 挨拶もなく顎で2階に上がるよう指示された私は,そのまま階段を上っていきました。「どこでもどうぞ」と言われた私が選んだのは座敷で,柱のせいで4人が座るにはちと狭いと敬遠され,ぽつんとあいていたテーブルです。

 11時30分から14時まで禁煙と書いた張り紙をよそに,たいていのテーブルで紫煙が上っています。見ればどのテーブルも食べ物が来ていません。注文してから食べ物が出てくるまでの時間は,貴重な喫煙タイムなのでしょう。

 ちょうど牡蠣のシーズンで,店内のポスターは牡蠣そばに牡蠣鍋に牡蠣フライと,どこをみても牡蠣ばかりです。あいにく牡蠣が大嫌いな私にはまさに地獄絵図といったところです。

 無難に天ザルを頼み,ぼーっとしていると,私の顔の真横にある窓が少しだけ開いていることに気が付きました。外の様子を伺うのが大好きな私としては,そーっと15cmほどにその隙間を広げて,外を眺めていました。

 10人通ればそのうち8人は工事関係者と思わしき人々。一人くらいが学生で,残りはお年寄りという感じの情景を,少し湿った空気にあたりながら眺めていると,そのうちに頼んでいた天ザルが届きました。

 ありがとうとオバチャンに声をかけて,早速食べてみますが,実のところいまいち。そばはあまり香りがせず,かまぼこでも食べているかのようです。

 出汁もそれほどおいしいわけではなく,これならコンビニのざるそばの出汁といい勝負だなあと思う程度のもの。天ぷらはもっと残念で,衣が油で透き通るほど。グニャグニャとした食感で,大阪なら2週間でつぶれるなこの店は,と思いながら店を出ました。

 まだ1時前です。

 来るとき,半蔵門駅の案内板に,「日本カメラ博物館」への案内が出ていました。時間もあるし,話の種に一度いってみるか,と歩き出します。

 ところが下調べもなにもせずにいきなり行動を起こしてうまくいった試しがありません。案の定自分の位置が分からず,また博物館の場所もわからないという最悪の状態で,時間が過ぎていきました。

 不思議と散歩が楽しいので,時間の浪費に焦ることはありません。

 交番で聞いてみようと,先ほど通り過ぎた交番まで戻ってみると,中学生を連れたお母さんがなにやら警察官と話をしています。何かあったのだろうか,と心配になってよく見ると,地図を広げていますので,大した話ではなさそうです。

 お母さんは余程急いでいたのか,警察官にお礼も言わずにそそくさと娘の手を引いて立ち去りました。

 警察官が私に気が付いて,私も「すみません,日本カメラ博物館というのがこのあたりにあると聞いたのですが,おわかりになりますか?」と軽い会釈と同時に話しかけます。

 若い警察官は「えーっと,そういえばきいたことがあるなあ」と言いながら,このあたりの地図を広げます。

 しかし,その指先はどうも要領を得ません。日本カメラ博物館など,知らなくても一度も困ることなどなかったのでしょう。

 一応携帯電話で地図を記録しておいた私は,「土地勘がなくこれを見てもわからないんですよ」といいながら,それを見せます。

 やや間があって地図の上に「日本カメラ博物館」という文字をほぼ同時に見つけた二人は,あぁこれかこれか,と言いながら,ほっとした空気に包まれました。警察官はその場所までの道程を丁寧に説明し,私は「助かりました」とお礼を言って,その場を離れます。

 起伏の激しい街を上ったり下りたりしながら,目的地に到着したのはちょうど1時頃です。

 入り口で300円という安い入館料を払い,中を歩いていきます。

 ここは,世界的にも貴重と言われるダゲレオタイプのカメラをはじめ,その狭く小さな館内に不釣り合いなほど,多くの資料を収蔵していることで知られています。

 それこそ写真でしか見たことがないような歴史的なカメラを目の前にして,私は簡単に満腹になってしまいました。

 開館が1989年ということですので,バブル真っ盛りという感じでしょうか。この頃提供を受けたと思われるメーカー謹製の資料などが「いかにも」という感じを醸し出しています。

 写真が庶民から遠く,一部のお金持ちしか写ることの出来なかった時代の写真に残された当時の女性達の綺麗さにため息をつきつつ,一回りして図録を購入し,帰途につきます。係の人はとても丁寧で,常に笑顔を絶やさず,来館者とのコミュニケーションを楽しむことを厭いません。

 1時間ほどいたようです。相変わらずの曇り空の下を歩き,数時間前に出てきた駅に入っていきます。なぜか足取りは軽く,とてもいい気分で家まで帰り着きました。

 今にして思うのは,それが土曜日のお昼時だったということです。土曜日が半分学校,半分休みという時代を過ごした私は,完全週休二日の社会人になって以降,土曜日独特の開放感の味をすっかり忘れてしまっていました。

 朝は普通通りで緊張感があり,しかしながらそれはお昼まで。午後からはすっかり開放された気分が,「明日も休みだ」というお得感によって増幅されます。加えてきちんと朝から用事を済ませたという実績が,時間を有意義に使ったという満足感を作り出します。

 完全週休二日もいいですが,土曜日の「半ドン」も,なかなか味わい深いものだと思います。

 寒くなると布団から出るのが億劫になる朝。今ならちょっとお得な土曜日を過ごせる時期なのかも知れません。

ネットワーク大混乱

 その兆しは,すでに3週間ほど前からありました。

 うちのスイッチングハブのLEDが,ずっと点滅をしているのです。アクセスがあった時に点滅するのはいいのですが,アクセスの有無に関係なく早い周期で点滅を繰り返しています。

 なにか怪しいパケットが流れているのかなあと思ったりしていたのですが,あまりにおさまらず,心配になったので確認をしてみることにしました。以前もあったのですが,その時はハブの電源を入れ直すことで解決しました。

 この時,ネットワークの障害は出ていません。正常に動作していた(速度の低下は実はあったかも知れませんが)ので,まさかこれがややこしい話になると,想像だにしていませんでした。

 うちのネットワークは,こんな感じになっています。


ADSL
モデム
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5Pハブ1
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元気に育て

 まず最初に,本来は歓迎すべき事とは思えない方々がいるお話であることを書いておきます。もう1つ,場所が特定される可能性がありますが,すでに彼らはそこにはいません。
 
 あれは確か8月の初旬の夜のこと,うちのベランダの方からまだ生まれてそんなに時間の経っていない子猫の鳴き声が随分長い間していました。

 声の大きさから,生まれたばかりではないだろうと想像は付きますが,それでも同じ場所で休む間もなく鳴き続けるというのは,きっとお母さんを捜しているのでしょう。

 毎日暑い日が続いていましたので,もし子猫に何かがあったのだとしたら,もう絶望的です。翌日の日曜日の朝,鳴き声がしていた方をよく探してみました。

 すると,フェンス越しに,お乳を与えるお母さんの姿が見えました。

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 これは8月5日の写真です。お母さんが随分と警戒して,私がカメラを抱えて写真を撮ると,そそくさとどこかに隠れてしまいました。

 翌週8月12日。先週には1匹しか確認できなかった子猫ですが,4匹が元気にしているのがわかりました。猛暑が続いてへばっているかと思ったのですが,廃屋の物陰は室内と同じ程度の明るさしかなく,風通しも良いので,屋外といっても結構暑さをしのぐことは出来ているようです。

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 一番体の大きな元気なトラ猫,お母さんと模様が似ている八割れ,手足だけ白い黒い猫と,全身が真っ黒の文字通りのクロネコの4匹です。

 びっくりしたのは,このクロネコです。体が小さく兄弟の中でもなにかと不利になるのは想像が付きますが,よく見ると片眼があいていません。目やにがべっとりついています。もう片方の眼も白く濁っているようで,ひょっとしたら目が見えないのではないかと思いました。

 それにしてもよく遊びます。4匹とも元気でじっとしていませんが,そうかと思うとお乳を飲んで一眠りし,目が覚めたら遊んで遊び疲れたらお乳を飲んで眠る,を一日中繰り返しています。

 これではお母さんもたまった物ではありません。痩せてやつれたお母さん猫は貫禄十分ですが,やはりかわいそうになります。

 警戒されていた私ですが,フェンスがあることと,私が危害を加えないことが分かったのか,とりあえず逃げることはなくなりました。

 クロネコの眼を心配しながら迎えた翌週8月18日。すっかり4匹の猫も大きくなり,よく観察してみるともうお乳を飲んでいません。行動範囲も少し広がって,廃屋や草むらの中をゴソゴソしているのがわかります。

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 この写真ではわかりにくいのですが,気になっていたクロネコの眼も両方とも開いているようで,とりあえず大丈夫なようです。

 ところが当日,私の家の近くでは多摩川の花火大会が行われました。私が友人の家に行く少し前,試し打ちの「ボンボン」という大きな爆発音に驚き,親子全員が隠れてしまったので心配をしていました。

 翌日の朝,様子を見てみると,彼らの姿は全くありませんでした。かなり大きな音が1時間も続いていたので,とても恐ろしい思いををしたことでしょう。とりわけ子育て中のお母さんですから,危険を感じたらさっとどこかに行ってしまうのは当然のことです。

 月曜日の朝も姿はありません。それ以後も気配がなくなっているので,もういなくなってしまったのだと思います。

 子供が全員巣立ってくれることを望んでいましたが(それはあるいは歓迎されることではないのかもしれないのですが),あの花火の後彼らがどうなったのかは,全く分かりません。

 かなり大きくなっていましたし,乳離れも済んでいたので,いわゆる子育ての時期も終わったのかなあと思うようにしていますが,なんにせよ私はとても寂しい思いをしています。

 特等席で猫の子育てを見ていられた2週間ですが,またどこかで彼らの姿をみたいと思います。

花火

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 8月18日は,例年行われている多摩川の花火大会でした。

 普段は静かな私の町内も,この日ばかりは大騒ぎです。方々から人が集まり,えらい騒ぎになります。

 私もここに引っ越す前は,一度友人と出向いたことがありましたが,ものすごい人混みとにわか雨のため,結局花火を見ることも出来ず,疲れて帰ってきただけでおわりました。

 ところで今年は,久々に川崎市と世田谷区との共催になりました。ここ数年川崎市の単独開催になっていたのですが,今年は世田谷区の区制75周年という節目もあってか,共催になりました。(75という数字の花火が上がっているのは,それが理由なのです)

 で,川崎側の打ち上げ場所は私の住んでいるところが,世田谷側の打ち上げ場所は友人の住んでいる場所が近いので,今年は友人宅に出かけて,特等席で花火鑑賞です。

 昨年までは私の自宅に集まりましたので,庭先に三脚を立ててD2Hを撮影に使っていましたが,今年は友人の家に出向くわけですので大げさな機材は面倒で,今年はistDLにFA43mmF1.9,しかも三脚なしの手持ちで撮影です。無謀です。

 いくつか撮影したなかで,ましなものを少々公開しておきます。

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 ところで,この花火が始まる前に,友人のミニコンポを修理することになっていました。CDが徐々にかからなくなり,最近は全くCDを認識しなくなってしまったということなので,これはもうピックアップレンズの汚れによってサーボがかからなくなってしまっていることに間違いはありません。

 そこで分解し,レンズを掃除しました。なにせCDが下の方についているので分解がなかなか面倒だったのですが,汗だくになりながら落ち着いて作業を行いました。

 サーボはかかるようになり,CDはきちんと再生されている・・・はずなのですが,なぜか音が出ません。これにはまいりました。音が出ない理由が見つからないのです。MDは再生できます。ですからアナログの回路には問題はなさそうです。

 だめなのはCDだけ。しかしサーボはきちんとかかっています。こういうとき,波形をオシロスコープで追いかければ一発でわかるのですが,なにせ友人の家ですので,そんなものはあるわけがありません。

 とりあえずあきらめて,元通りに戻し,次の機会にもう一度ハンディタイプのオシロスコープを持参して再修理することにしました。サーボはかかっているんですから,後はどうにかなるでしょう。

 ところがその夜,ひょっとしたらと思うことを2つ思い出しました。1つはマイコンのリセット。ACコードを一度抜いてシステムリセットをかける(アンプユニット側のリセットは私はかけてません)と音が出るかも知れないということが1つ,もう1つは「汗」です。

 作業中にぽとっと汗を落としたような気がしました。落としたところを探しましたが見つかりませんし,後で音が出ないとなった際に,すべての基板を取り出してじっくり目視をしましたが,それらしいところが見つからなかったので,テーブルに落ちたのだろうと思いこんでいたのですが,ひょっとしからこれが電気的なショートを引き起こしているかもしれません。

 そこで,翌日の夜に友人に電話をし,ちょっと再生をしてもらうことにしました。もし汗なら,もう乾いているはずです。結果は,音が鳴りました。いやー,ほっとしました。

 てっきり汗だと思って友人に話をすると,実はACケーブルも抜けていて,挿し直してきたとのこと。うむー,これではどちらが原因かわかりません。

 しかし,リセットの話は少し考えにくいので,おそらく汗だろうと思いました。一応プロの技術者のはしくれ,汗をセットに落とすなど,素人でもやらないミスをやってしまった私は,今とてもしょんぼりしているのです・・・

 汗ですから,腐食も気になります。今度もう一度中をあけて,確認をしてみる必要がありそうです。

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