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「アップルを創った怪物」と「バトルオブシリコンバレー」

 昨年末,Appleの創始者の一人Steve Wozniakの自伝「アップルを創った怪物」が書店に並んでいました。

 AppleはSteve JobsとSteve Wozniakの「二人のスティーブ」によって作られた会社で,今さら説明の必要はないと思いますが,Jobsのなにかと派手な人生とカリスマ性の影で,もう一人のスティーブについては,あまりよく知られていないところがあります。

 私はエンジニアですので,JobsよりもWozに親近感がありますし,彼の偉業については彼の仕事(あるいは作品)を通じて深い感銘を受ける機会もありましたが,それ以外の事については,彼自身があまり公にしなかったこともあり,良くは知りませんでした。

 Jobsは今や世界中のビジネスマンのお手本ですから,彼のことを記述した本,彼を分析した本はあまたあります。しかしWozは彼の価値観が「技術的かそれ以外か」という人ゆえ,ビジネスマンのお手本にはなりません。

 しかし,我々エンジニアにとって,偉大で尊敬する先輩であると共に,親しい友人でもあり続けてくれています。

 ですから私に言わせれば,もうそれで十分じゃないか,いまさら自伝とはちょっと無理があるんじゃないかと,そんな風に思いつつ,新刊の棚に列んだ彼の本を手に取りレジに向かったのでした。

 温厚,無垢,天才・・・そんなイメージで語られるSteve Wozniakという人は,果たしてその通りの人なのでしょうか。

 この本は自伝ですが,彼自身が文章を書いた訳ではなく,彼へのインタビューをまとめたものです。日本語訳もこれを意識し,誰かに話しかけるような口語を使って綴られています。このあたりが若干ひっかかりつつ,年末から年始にかけ,読み進めました。

 Wozがこの本を出そうと思った理由が,とても重要です。Wozは,Appleを創業した一人であり,パーソナルコンピュータを画期的なアイデアと技術で完成の域に高めた技術者です。故にAppleを語れば好むと好まざるとに関わらずWoz自身について触れないわけにはいきません。

 JobsとWozの役割分担は非常にステレオタイプに,企画屋と技術屋の組み合わせで会社が成功した一般受けする例にはめ込まれてしまい,ソニーの井深大と盛田昭夫,ホンダの本田宗一郎と藤沢武雄のような見え方がする人もいるでしょう。

 そうした「周囲の期待」から,事実とは異なる話が定説になっていることがあるのは想像に難くありません。しかし寡黙なWozはそうしたことをいちいち訂正するようなことはしないでいたようです。

 ただし1つだけ,彼はJobsとケンカしてAppleをやめたのではないこと,そもそも現在もAppleの社員であり続けていることだけは,はっきりと訂正したかったのです。

 実は,私も彼はAppleをやめたのだと思っていました。彼がその後CL9社を立ち上げるとき,Appleをやめていたと考えるのが普通でしょう。

 ここに,Wozの人間性を2つ見る事が出来ます。まず,親友であるJobsと仲違いをしたわけではないことをはっきりさせたい,そして自分が作ったモノには(会社も含め)愛着があるのだということです。なるほど,実に彼らしいです。

 彼はシャイな人ではありますが,自分の名声について隠そうとするほど謙虚な人でもなさそうです。というより,なにより技術者として尊敬されることが何より大好きな人ですから,自分の実績を隠したりはしません。

 子供の頃のWozは電子工作といたずらが好きな少年で,実はエンジニアの多くは,古今東西を問わずこうした少年時代を送っていただろうと思います。しかし,ただ好きで終わるか,自分で技術を身につけてレベルを上げていけるかでその後の人生は決定的に変わって来ます。

 彼がHPに入社し,その居心地の良さに満足して,一生エンジニアをやっていたいと心底思っていたこと,より小さな回路で作り上げることが楽しくて仕方がないことなど,いずれもエンジニアなら共感できるでしょう。

 そして彼自身が「生涯で最高の設計」というApple][のフロッピーディスクシステムが完成するあたりは,もう私もワクワクしてたまりません。実にスリリングです。Wozが作り上げたこのシステムは,実はMacでも使われ続け,ワンチップになったシステムには「Integrated Woz Machine」を略したIWMというチップ名が付けられていました。

 お金に固執しない無垢で最高のエンジニアが語るその人生は,くよくよしない,いいことばかりを考えよう,そして人を悪く言うのはやめよう,で一貫しています。もしかすると,こんな不景気で絶望的な世の中だからこそ,広く読まれるべき本だったりするのかも知れません。

 さて,そんなわけでこの本を読んでいると,一部の人の間で有名なドラマ「バトルオブシリコンバレー」のことを思い出さずにはいられません。

 アメリカのテレビドラマとして制作された「バトルオブシリコンバレー」は,パーソナルコンピュータの進化の歴史を,AppleのSteve JobsとMicrosoftのBill Gatesの二人を軸に描いたドラマです。

 方や自分を見失ったヒッピー,方や医者を目指すハーバード大のエリートだった二人は,それぞれ別の場所で出会った「パーソナルコンピュータ」に大きな可能性を直感し,自らの人生を賭けて猛スピードで走り始めます。やがて世界が彼らを中心に回り始め,大きな成功を手にしたJobsに,チャンスをうかがうGatesが大勝負に出ます。そしてJobsの凋落とGatesの成功を暗示しながら,物語は閉じます。

 放送当時,なかなか面白いドラマになっていたことや,登場人物があまりによく似ていたこと,そしてAppleにJpbsが戻り,復活ののろしが上がった頃だったこともあり,日本でも話題になりましたが,残念な事にレンタルオンリーのビデオテープでしか見る事が出来ませんでした。(CSやNHKのBSで何度か放送されたらしいのですが,ぜひDVDでの発売を期待します)

 Jobsサイドの進行役はWoz,Gatesサイドの進行役はSteve Balmerなのですが,特にJobsサイドの話が,今回のWozの本をそのまま使ったんじゃないかと思うくらい,一致しているのです。

 例えばJobsがアルバイトで「オズの魔法使い」の着ぐるみショーをやったとき,子供相手に嫌気が差したことなど,完全はないにせよこの本とよく一致しています。また,BlueBoxを売っていた時に警察に職務質問され,ウソを言って逃れたシーンなども同じ記述がありました。

 もともとこのドラマは,おかしな誇張や脚色が少ない(言い換えると事実がそれ程面白いということになる)のですが,それゆえあまり突っ込むところもありません。

 XEROXのパロアルト研究所でデモを担当したエンジニアは女性でしたが,彼女は実在の人物でAdele GoldburgというSmalltalkの大家です。分からず屋の本社の指示でJobsにデモをするよう指示された時,涙を浮かべて激怒し,真っ赤な顔をしてデモを行ったと言われています。こんなところまできちんと史実に沿っているのは,かなりこだわっていると感じます。

 そしてこのドラマは,非常に難しい判断を投げかけて終わります。

 「Macをパクった」と怒るJobsにGatesが言ったとされる「先にテレビを盗んだ奴が後からステレオを盗んじゃいけない,というのはおかしいだろう」という反論についてです。

 この発言はなかなか意味深で,GatesはWindowsのGUIをパクったことを認めながら,Macだってパクリじゃないか,五十歩百歩だよ,というのですから,パクったことについては否定していません。

 ただ,Gatesはパクったにはパクったが,Macをパクったのではなく,XEROXのALTOをパクったと言っているわけです。

 この発言は比喩であり,泥棒は言い訳無用の犯罪であることに議論の余地はありませんが,もし自分が先にALTOを見ていたら,Jobsと同じように感銘を受け,ビジネス化しただろうという悔しさもあったのではないでしょうか。

 しかし,このIFは残念ながらありえません。JobsがXEROXを見学した1979年(もしくは1980年)当時,Jobsはすでに億万長者で,一方のGatesは中小企業の社長に過ぎません。XEROXはAppleに投資したがっていて,それがきっかけでパロアルト研究所への見学が催されたといわれていますので,JobsがALTOを見る事が出来たのは,彼の成功あってのことです。

 しかも,Jobsはこの後もう一度見学を希望しています。この申し出にXEROXの役員は快諾するのですが,この時彼は周囲にいた天才的プログラマーを引き連れ,かなり突っ込んだ議論も行っています。そして出来上がったLisaはGUIとビットマップディスプレイを採用しながらも,ALTOとは異なるGUIを実装し,ALTOよりもずっと低コストなマシンに仕上がっていました。

 GatesはLisaを見て「これと同じモノを作りたい」と言い出すわけですから,明らかにLisaがWindowsのきっかけになっています。また,Gatesの当時の力では,パロアルト研究所を見学し直接ALTOをパクる事など,どう転んでも実現しなかったでしょう。

 しかも,Microsoftが当時Appleに説明したというWindowsは,まだオーバーラップウィンドウが実現していないVersion1.0だったといいますから,LisaやALTO,MacのGUIとは違うものです。後にWindows3.0や3.1を持ち出して「Appleの了解は得た」というのは,少々苦しいでしょう。

 それでももし,Gatesが先にパロアルト研究所の見学に成功し,ALTOについて直接議論する機会があったとしたら,もしかするとWindowsは最初からもっといいものが出来上がっていたかも知れません。注意しないといけないのは,PC-ATの80286やEGAは,初代Macの68000の8MHzや512x384ドットのグラフィックというスペックと比べても決して見劣りしてはいないということです。

 実はXEROXも,Appleをパクられたと訴訟を起こし,負けています。XEROXもAppleに対してはパクられたと考えていたことがわかりますが,そのAppleがMicrosoftを訴えた際にも,Appleは負けているのです。

 まあ,GUIを普遍的な技術として特定の会社の所有物にしなかったという裁判所の判断は,後のパソコンにどれほどの貢献をしたかはかり知れません。結果論ですが,これがアメリカ,なのかも知れません。

 そしてWozは,自らが生み,育て,そしてApple躍進の原動力となったApple][の開発者で,本来ならLisaもMacも素直に喜べない立場の人でありながら,MacもiPhoneも大好きという,とても公平なエンジニアです。

 訴訟?軋轢?

 いいものはいい,ただそれだけという純粋なエンジニアであること,そして周囲がそれを許すことに,私はとても憧れます。

師匠との再会

 先日,高校時代からの友人の結婚式に集まったことがきっかけになり,この年末の帰省ではその友人達と改めて晩ご飯を食べようという事になっていました。

 私は当日は昼過ぎに大阪入りすることになっていたので,晩ご飯までの時間をどう過ごすかを話し合ったところ,我々の聖地である日本橋の散策でもするか,ということになりました。友人二人は大阪在住ですから日本橋は別に珍しいものではないはずですが,そこは私にあわせてくれたということでしょう。

 いざ日本橋にいってみると,なかなか混雑していて活気があります。確かに不景気ではありますが,年末の買い物に出てきた人々にとって,少し気が大きくなる楽しい時間だったのではないかと見ていて思いました。

 ちょうど20年前に2度ほどバイトをすることがあり,そしてその後も機会があれば必ず顔を出していたジャンク屋のデジットは相変わらずの盛況で,店員さんも元気でした。特にこれを買おうと決めていた訳ではないのですが,ひとまわりすれば面白いものが見つかるものです。

 そんな風に店内を回っていると,おや,なにやら懐かしい方の姿が・・・

 なんと,私が20年前にお世話になった,当時のデジットの店長その人の姿がありました。

 相変わらず汚いシャツの上にこれまた汚い作業着を着て,無造作に伸びた長い髪はぼさぼさですが,さすがに半分くらいが白髪になっています。当時のままの銀縁の眼鏡の奥には,これも当時のままの「わかりやすい表情」をたたえた瞳が,若者のように輝いています。

 高校生の時にバイトをしたときも,さんざん怒られました。激しい口調で怒鳴られたことも数多いのですが,今の私の「基準」の多くは,彼からの教育によるものでったと,その縁を今でも誇りに思っています。

 バイトの期間はそれほど長いわけではなかったのですが,クソ生意気な高校生だった私は,今の私くらいの年齢の大人が頼もしく,バイトをやめてからもちょくちょく店に顔を出しては,煙たがられながらもまんざらでもなかった説教をされては喜んでいたものです。

 そして大学を卒業するとき,いくつかの会社から最終的に就職先を選ばねばならなくなったとき,唯一相談できたのが彼でした。彼は反体制的な人だったので,てっきり大企業に行くなというはずと思っていたのですが,意外に一番大きな会社にいけといいます。理由を尋ねると,次の会社への就職が楽だから,とすぐさま答えが返ってきます。なるほどと納得した私は,その会社に就職することにしたのです。
 
 以後,生活場所を東京に移した私は,彼と会う機会は少なくなり,最後にはデジットの店頭で見かけることもなくなって,私が彼と会うチャンスは消え失せてしまったのです。

 なにやら取引先のお客さんと商談でも始めるらしく,新製品のHi-Fiアンプのキットを得意げに紹介していたところを,一段落したところで割って入った私は,少し大きめの声で「Kさんですか」と話しかけました。

 「ええそうですよ」と笑顔を崩さず,大きな声で答えてくれたのですが,残念ながら私の顔を見ても表情を変えることはありませんでした。私は「覚えてらっしゃいますか, Aです。」と話をしますが,「ごめん,覚えてないわ」と返ってきます。

 でも,ここで申し訳なさそうな顔をしないのが彼のいいところです。

 私は負けずに「20年ほど前にバイトで使ってもらったものです。就職先を相談して,その会社に今でも行っています。」というと,「少しずつ思い出してきた。」と,うれしい反応を見せていただきました。

 ですが,15年ほど前までは私の顔を見ると「元気してるか」と声をかけてくださったことを考えると,少々残念な気もしましたが,彼の記憶は次々に蘇ってきたようで,取引先のお客さんに「こいつはほんまに生意気でねえ」とニコニコしてお話をしています。しばらくすると商談のために2階の事務所に二人は去ってしまったのですが,「またおいでー」という最後の言葉を真に受けて,私はまた訪ねていこうと思っています。

 私の手は汗でびっしょりでした。なんといっても,振り返って今の私の何割かは,彼の考え方に大きな影響を受けて出来上がっています。彼にとっては数多くのバイトの一人であったとしても,私にとってはかけがえのない師であることに間違いありません。

 おそらく私一人でも日本橋には行っていたでしょうが,友人と待ち合わせて行ったことで,偶然にも出会うことの出来る時間に居合わせることが出来たわけです。友人との縁と,そしてそれがもう1つの縁をたぐり寄せたことのすばらしさに,私は珍しく興奮気味でした。

 ところで,その友人ですが,大阪在住の二人がわざわざ東京から戻ってきた私を連れて行った先は,あろうことか和民でした。理由は2000円のクーポンがあるから,といっていましたが,すでに大阪の人間は自らの食を誇ることすら,出来なくなっていたようです。なお,そのクーポンは来年1月から有効だったというオチまでつき,私はひたすら飲むばかりだったというのはここだけの話です。

圧力鍋の入り口

 以前から圧力鍋には興味がありました。

 いや,料理が趣味とか,そんなことは全くありません。

 そもそも男の子はですね,いくつになっても「高温高圧」とか「エネルギー充填」とか「爆発」とか「臨界点突破」とか「チェレンコフ光」とか好きなわけです。そんな中で圧力鍋というのは賢い奥様の強い味方である前に,ワクワクするような実験用具なのです。

 結果として(あくまで結果として)その「高温高圧」が,お肉が柔らかくなるとか,カボチャに5分で火が通るとか,極めて平和的に利用されることに,科学の勝利を確信するのです。

 圧力鍋は,今はなき名著「エピソード科学史」によると,1679年にフックの助手だったフランス人のパパンという人が発明した鍋で,当時はsteam digesterと言われていました。圧力をかけると沸点が上がるという理屈を応用した鍋で,訳あってイギリスで活動していた彼の発明品をチャールズ二世は「科学の鍋」と絶賛したとのことです。

 面白いのは,それまで普通では食べることの出来なかったものをおいしく調理できるようになったこの鍋を,自らの著作でレシピ付きで紹介しているのですが,どんなにおいしく出来るか興味のある人は,王立協会まで食べにきてください,と書いてあるんですね。どれだけの人が行ったか知りませんが,サロン文化華やかな時代でもあり,パパン主催の夕食会には著名な人もたくさん招かれて好評だったということですので,科学と料理が結びついた事がいかに実利の伴うものであったかを,当時の人も知ったことでしょう。

 で,私の場合,電磁調理器が1つしかありません。コトコトと煮物をすると,ご飯すら炊けない(私は炊飯器は故障して以降完全に廃止しました)という有様です。これはさすがに不便なので,どうしても先にご飯を炊き,蒸らしている15分で出来るおかずしか作ることが出来ません。

 てなわけで,料理時間が短縮される圧力鍋は是非欲しかったのですが,2万円以上するという固定観念があり,なかなか機会に恵まれませんでした。ところが最近は安いんですね。アルミ製のものなら1000円からあるとか。それって安全なんか?と思うわけですが,先日の友人の結婚式でもらったカタログギフトに,小型の圧力鍋が載っており,これはよい機会だとお願いすることにしました。

 届いたのはワンダーシェフという会社のロタというシリーズで,2.5Lのものです。普通は付いているとされるスノコなども同梱されていません。この会社のホームページを見ても同じ製品は見つかりませんので,絶版品かカタログギフト用の特別品なんでしょう。

 このカタログギフトの他の製品から想像すると,この圧力鍋の大体の価格もわかろうというものですが,そういう野暮なことはしないのが男です。

 早速,ジャガイモを茹でてみることにします。ジャガイモ4個を半分に切り,水にさらしてさっとアクを抜いて,カップ2杯の水と大さじ3杯の醤油,大さじ2杯のみりんにほんだし(この辺がすごい手抜き)を投入し,フタをしてIHのスイッチを入れます。

 この圧力鍋は,最初に取っ手側の「フロート式安全装置」なる弁から蒸気が出始め,圧力が上がってくると弁が閉じ,圧力が上がり始めます。

ファイル 246-1.jpg

 圧力が上がってくると今度はおもりでふさがれていた穴が開いて蒸気が漏れるようになり,圧力が一定に保たれます。ここで火を止めてもおもりのおかげで鍋は密封されて圧力を保ち,さらに調理が進みます。そして冷めて圧力が下がると,先程のフロート式安全装置がカチャンと落ちて,弁が開きます。

 実はこのフロート式安全装置,弁が閉じている間はフタを開ける事が出来ないようにロックをかけます。だから安全装置というのですね。

 ところが,15分待っても,このフロート式安全装置が閉じてくれません。圧力が上がってないのかも知れませんが,蒸気が漏れているんだから当たり前でしょう。かなりグツグツと煮込んでしまい,これだけ強火で煮れば普通に煮ても食べられるよなあ,と思いつつ,心配になって箸でフロートをツンツンと突いてみると,「かちゃっ」と弁が閉じました。びっくりしました。

 そして圧力が上がると,おもりが浮いてシューシューと蒸気が抜けていきます。圧力は無事に上がったようです。

 ここから5分ほど加熱(実は3分ほどでよかったらしい),そして火を止めます。ここから10分ほど放置すれば,もうほくほくのジャガイモが食べられるといういうわけです。

 安心した私は部屋から出たのですが,やっぱり念のため3分後に様子を見に行くと,すでにフロート式安全装置が下りていて,圧力が抜けていました。

 へ,こんなもんなの,圧力鍋というのは?

 びっくりしてふたを開けてみると,そこにあるはずのジャガイモは,わずか3かけらになっていました。あとは全部崩れて,溶けていました。

 形に残っているジャガイモも,箸で挟むとボロボロと崩れていきます。そりゃそうですね,15分も強火で煮込んだあげく,5分も加圧しているわけですから。

 しかし,結局ジャガイモを茹でるのに20分も使ったわけで,圧力鍋のメリットなど何にもありません。私の頭は?が渦巻いていました。圧力鍋とはこのくらいのことでチャールズ二世に絶賛されたのか?

 そこで実験です。

 この説明書には,細かい文字でいろいろと書かれているのですが,どうも理屈っぽくて途中で読む気がなくなる,不思議な説明書です。人のことは言えませんが。

 1.~は禁止,2.~も禁止,3.~は1.に違反するので禁止,4.~も1.と2.に違反するので禁止,てな具合です。3.と4.の禁止の理由が1.と2.に違反と言われてもこっちはしったことではありませんし,普通に3.も4.も禁止としておけばいいだけのことなのに・・・

 さらに,正常な状態の時の動作と,それぞれの時間についても,わかりやすく書いてありません。結局,不良なのか故障なのか正常なのかを判定する方法が見あたらないのです。

 実際に水を入れて沸騰させ,火を止めてからフロート式安全装置が下がるまでの時間を測ってみました。すると,火を止めてから3分から3分半で,圧力が抜けてしまうことがわかりました。

 確かに,火を止めてからもずっとシューシューと蒸気がどこかから漏れているので,当たり前かなあと思います。

 説明書を見ると,パッキンやOリングの不良,ネジのゆるみなどが書かれていましたが,一度分解して見る事に。すると,圧力調整機構のOリングが正しく取り付けられておらず,ネジに噛み込んで変形していました。初心者並みのミスですね,こりゃ。

 蒸気漏れの原因はこれだと断定し,なんとか正しく取り付けて,確認もせずにいきなりご飯を炊いてみることにします。0.7合のお米と同じ量の水を入れ,フタをします。吸水はしないでいいのが圧力鍋の存在意義ですから,ここは速攻でIHのスイッチを入れます。

 こないだと同じように箸でフロート式安全装置を突っついて弁を閉じ,おもりが浮いて蒸気が出てくるようになったらそこから3分加熱,火を止めてから10分放置のつもりだったのですが,またしてもフロート式安全装置が3分ほどで下がってしまいます。他から蒸気が漏れているみたいです。

 ふたを開けると,そこにはおかゆにもなっていない無残なご飯が・・・ご飯マニアの私には正視できない凄惨な光景でした。

 他の部品の増し締めを試みて,いくら何でも水が不足しているだろうと少しだけ水を入れてもう一度火にかけます。しかしやはりうまくいきません。半分パニックになりながらもう一度点検し火にかけると,今度は焦げ臭い匂いが・・・

 あわてて中を確認すると,しっかり焦げていました。鍋底にこびりついた部分はすでに真っ黒になっています。しかし大半はまだおかゆ状態です。お茶碗に食べられそうな部分だけすくい取ると,量が2/3程になっていました。米という漢字はね,八十八と書くんだよ・・・という今は亡き祖父の声が聞こえてきます。

 ことここに至り,私の怒りゲージは頂点に達しました。いや,ワンダーシェフに連絡して交換なり修理なりしてもらえばいいんですが,なにせ大阪の会社です。傍掲示板によるとサポートの電話は要領を得ず,電話代が無茶苦茶かかりそうですし,メールでは無視されるとのこと。しかも修理に送った鍋がなかなか戻ってこないと,ことサポートについては良い評判は出てきません。

 しかも今からだと確実に年末年始に引っかかります。うむー。

 とにかく,蒸気漏れを防ごう,話はそれからだと,よせばいいのに検討モードSwitch-On!です。

 まず,安全弁です。どうもここからは漏れていないようです。

 次,フロート式安全装置。ここは取っ手の部分と繋がっているので,先に安全装置をねじ込んで,これから取っ手をフタに締め付けないと変形し,蒸気が漏れることが分かりました。適当なトルクで締め付けて,漏れないことを確認。

 もちろんフタのパッキンも確認しましたが,ここは全然大丈夫です。

 となると,やはりおもりですね。

 おもりを用いた圧力調整機構の仕組みは,小さい穴をおもりの載ったニードルでふさいでいるというものです。蒸気圧がおもりの重さに打ち勝つと,ニードルが浮いて蒸気が漏れて圧力が抜けてくれます。

 やはりここが原因のようです。火を止めておもりが落ちても,ニードルが穴をふさぎきれず,ずっと蒸気が漏れています。そうこうしているうちに圧力が下がり,フロート式安全装置が下りてしまうようです。

 そこで,穴とニードルを磨いて,真円度を上げ,かつ密着するようにしてみました。

 すると3分程度だったものが4分半まで改善。でもまだまだです。

 そこで,改めてフロート式安全装置をさらに観察すると・・・これはとんでもないものを見つけてしまいました。

ファイル 246-2.jpg

 フロートは軽く作るために,アルミで出来ています。さらに縦方向と横方向に穴を開けて軽くしているものと思われるのですが,この縦方向の穴開けに失敗して,センターを出せずに穴を開けています。

 写真のように,フロートの外壁を突きっていますね。これって,やっぱり不良品なんじゃないでしょうか。

 安全に関わる高圧部分で,このいい加減な加工は,命を預けるには不足です。しかもこれがリジェクトされず,エンドユーザーに渡るなど,カタログギフトをなめているにも程があります。

 さらにニードルを磨き,フロート式安全装置の弁の部分も研磨して蒸気漏れをふさいで,時計を見ると夜中の2時半・・・こんなことを5時間もやってるんですか,私は。

 睡魔と疲労に魂を吸い取られそうになりながら,研磨が終わって組み立ててみようとすると,シリコンゴムの弁をフロートに固定するスナップリングが見あたりません。

 うわああ,最重要部品をなくしてしまいました。これで万事休す。圧力がかかるとフロートだけすっとんでいってしまうので,こんな危険なものは絶対に使えません。

 しかし,研磨の効果はみてみたい・・・そこで様子を見ながら時間を測定してみました。結果は,3分。全然だめです。

 ここで,私の体力は限界に達し,風呂に入って寝ました。

 冷静に考えてみると,ニードルを削って加工したり,穴にテーパーを付けて磨いたり,フロート式安全装置を研磨したりと,どう考えても「壊した」と判断されるレベルになっています。これをメーカーに「初期不良だ」と送り返しても,到底気持ちのいい対応を期待できないでしょう。

 ま,そもそも年末年始にサポートを期待できないという気分から「壊した」わけですが,今にして思うとフロートの加工ミスがあっただけでも,立派に返品理由になったんじゃないかと思います。

 どうせもらい物ですし,販売店に交換をお願いするという普通の対応が難しいカタログギフトですから,運が悪かったとあきらめたわけですが,本来なら洗米-吸水-炊飯-蒸らしで軽く1時間かかる普通の鍋での炊飯が,わずか20分で済んでしまう強烈体験を味わってみたいですし,しかもそのご飯はとてもおいしいらしいじゃないですか。

 あきらめきれない私は,ちゃんとした圧力鍋を物色,フィスラーとWMFで迷った結果,「ドイツでは嫁入り道具」という噂もあるWMFの3Lのものを注文しました。「ドイツ」と「嫁」のダブルフラグにはあらがえません。

 あまり不良品のことをいうのは気が向きませんが,とりあえずこのワンダーシェフという会社,中国製でも日本で加圧試験をやってるので問題なしと豪語する割には,テストしていればすぐ分かる不良をそのままギフト用に回すということで,私の中では久々に最低最悪のフラグが立ちました。それよりなにより,安全装置の加工がこんなにいい加減(これが良品だという基準ならもっとやばい話です)というのは,もうあきれてものも言えません。

 特に安全に関わる装置です。場合によっては怪我をしたり,最悪の場合命に関わるもので,かつ長く使われる性質のものです。実際に昨年事故も発生しています。コスト優先も大事ですし,圧力鍋を庶民に広めた功績は大きいと思いますが,それでも圧力鍋のようなものは,最低ラインを割ることは許されないことだと,このメーカーには苦言を呈しておきます。

 あ,ところで,なくしたスナップリングですが,昨日掃除機をかけていたら見つかりました。一応圧力鍋として使えるようにはなったのですが,火を止めて急冷し直ちに圧を抜くような調理方法では,使えるかも知れません・・・

BDの高画質を初体験

 PS3を手に入れ,XGAのプロジェクタと組み合わせてなんちゃってHD化をしたのに,BDソフトを全然手に入れていませんでした。

 しかし,そもそも「マジックアワー」のDVDを予約しようと思った際,せっかくならBDにしよう,そうするとPS3が近道か,という流れがあってPS3を手に入れたわけで,最初のBDが「マジックアワー」であることは,むしろ必然ともいえました。

 てことで,初めてのBDですが,いやはや,これは想像以上でした。

 BDの次の光ディスクは技術的には目処が立っているが,その大容量の使い道がないので,ひょっとするとBDが最後のコンスーマ向け光ディスクになるのでは,と言われていたりするのですが,これはそれなりに核心を突いているんじゃないかと,本当に思いました。BDの情報量があれば,私はもう十分です。

 VHSからDVDへの移行は,VHSがディジタルになってきれいになったらこんな感じだろうなあ,という「想定内の」画質だったわけで,その点でDVDの果たした役割というのは,映画は借りるものではなく買うものだ,という意識が大きく変化し定着したことと,映画は数が売れると証明され,結果としてこれを見越した安価な価格設定が一般化した,という,買う側と売る側の意識改革だったのではないかと思います。

 ところが,やっぱ画素数が増えるというのは劇的ですね。髪の毛一本,しわや衣服の縫い目まで映っています。しかも色の深みがすばらしく,画像に圧倒的な情報量が存在することがよくわかります。

 DVDが綺麗なテレビなら,BDは小さい映画館という感じでしょうか。

 私のプロジェクタは720pまでですから,これがフルHDになると,もっとすごいわけです。720pでも違いが歴然だったのに,これ以上の世界が(もうすでに)あるというワクワク感は,近年のデジタル家電の中では,私は余り味わったことがありません。

 オーディオも大したものですね。私の環境では再現できないんですが,デフォルトがリニアPCMの5.1ch。DTSなら6.1chです。画像がこれほど素晴らしくなると,当然高い音質が欲しくなるわけで,いわゆるホームシアターが一部の物好きのお遊びにとどまらず,広く一般化する可能性があるのではないかと,そんな風に思います。

 さてさて,肝心の「マジックアワー」ですが,前半のテンポの良さは期待通りの面白さです。三谷幸喜の真骨頂は,大いなる掛け違いがドタバタしながらもいつの間にやら収束して行くところにあるわけですが,その収束は案外早く済んでしまいます。

 要するに,デラ富樫が偽物とばれてしまうんじゃないかというドキドキを,もっと長く味わいたかったということです。偽物であることがばれてしまって,その後どうなるのか,については,ある程度先が読めてしまうのであまり期待できないわけです。ここが,前半と後半の面白さが天と地ほどに違う,この映画の特徴ではないかと思いました。

 しかし,「ラヂオの時間」も「有頂天ホテル」も,大いなる掛け違いがどこに着陸するのか,を楽しむ映画であったのに対し,「マジックアワー」はそれは前半のお楽しみ,後半は別のテーマに挑んだ作品であるとも言えるわけです。このあたり,一般的にはどういう評価になっているんでしょうかね。


 ということで,20年以上前,ハイビジョンが一般家庭に入るなんて夢のようでしたが,こうして少し前に上映された映画がハイビジョンで,しかも手頃な値段で売られる時代になりました。技術的も大したことですし,ビジネスという点でも大きな革新であったと思います。

 いつだったか,テレビの映画の放送が受けない時代になったと聞いたことがあります。テレビが登場し,映画が放送されるようになると,映画館の動員数が激減し,日本の映画界は大変な騒ぎになりました。この時,娯楽としてテレビは勝者に君臨したわけです。

 しかし,DVDが安価で売られるようになると,CMとカットが入るテレビの映画放送を楽しむことはなくなり,見たい映画はDVDを買うか借りるかする文化が定着しました。このころから,テレビの映画放送は,手っ取り早く視聴率を稼げる番組ではなくなったそうです。

 テレビもハイビジョンになりましたが,パッケージメディアもハイビジョンになりました。BDの圧倒的な情報量は,地上波デジタルを凌駕しているため,こうしたテレビが不利な状況は変わらず,若い人を中心に見なくなりつつあるテレビは,今後ますます苦しい立場になるんじゃないのかなと,そんな風に思います。

 

北海道を感じる窓として

 友人から,素晴らしい贈り物が私の手元に届きました。

 来年(2009年)のカレンダーです。

http://blog.hokkaido-np.co.jp/maririn/

 私が内容をそのまま紹介するわけにはいかないので,是非上記から見てみて下さい。

 残念ながら私は撮影者の小澤さんとは直接の面識はありませんが,このカレンダーの制作に深く関わった方には,なにかとお世話になっています。

 昨年もタンチョウをテーマにした素晴らしいカレンダーを送って頂いたのですが,今年はさらにグレードアップ(ほんとにグレードアップです)して,送って頂きました。

 北海道は私にとっては未踏の地で,漠然とした憧れだけがあるのですが,私の知り合いにも美しいタンチョウの姿に見せられ,巨大なレンズと忍耐力を準備して,かの地に出向いている人もいます。

 なにせ自然が相手ですから,とにもかくにも忍耐だろうと思うのですが,面白いことに撮影された写真には,その忍耐に向き合った「厳しさ」や「達成感」ではなく,感動やいとおしさのような,実に暖かい視線が見て取れます。

 今回のカレンダーには特にそういう印象が強く,それはタンチョウだけではなく,北海道の持つ懐の大きな自然すべてに向けられた視線であるのでしょう。

 写真の素晴らしさは言うまでもありませんが,その印刷の素晴らしさにも脱帽です。私は印刷は専門ではありませんが,安い印刷物を海外に出す傾向が強くなったここ10年ほどの,,国内の印刷技術の向上には目を見張るものがあります。

 20代の頃は,カレンダーというのは実用品であって,数字だけ書かれていればそれでいいと思っていました。しかし歳を取ると変わるもので,1ヶ月の間写真を見続けることの面白さに気が付くと,時間の経過と写真の印象がリンクして,それぞれを強く意識するようになります。今月の写真はよかったもっと見たかった,来月の写真はどんなだろう,と思いながらめくっていきます。

 人間と暦との付き合いは長く,その歴史の中で1年,1ヶ月,1週間という単位が作られて来たわけですが,良くできたシステムだとつくづく感じます。

 気が付くともう11月も折り返しです。気温が下がり,風が冷たくなって,あっという間に年末になるでしょう。カレンダーの掛け替えの時期が,また今年もやってきます。

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